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日本の祭り存続危機…どう伝統守る? 千年の歴史が途絶えた黒石寺蘇民祭から考える

テレビ朝日系(ANN) 2/18(日) 11:40 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/77e43bbfbfa7aa0284f72e176b47fd9fd3c73227

 

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岩手県奥州市の「黒石寺蘇民祭」が、担い手不足や高齢化などの理由で、1000年以上続いた歴史に幕を下ろしたニュースが報じられた。

祭りに参加することで人生が変わったという参加者の声や、祭り文化を継承するための取り組みについて報じられている。

伝統ある祭りが消えつつある中で、どう継承していくかが問われている。

(要約)

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All Nippon NewsNetwork(ANN) 

 

極寒のなか行われた日本三大奇祭のひとつ、岩手県奥州市の「黒石寺蘇民祭」。担い手不足や高齢化などを理由に、今回をもって1000年以上続く歴史に幕を下ろしました。各地で祭りが消えゆくなか、時代に合わせた形やあり方をどう模索していけばいいのか考えます。 

 

■「男の闘争本能にスイッチ」人生変えた祭り 

 

 黒石寺蘇民祭に参加するため東京から岩手に駆け付けた大原学さん。 

 

マツリズム代表理事 大原学さん 

「いやぁ~、そわそわするというか、楽しみなお祭りが始まるなって感じで、すごいドキドキしています」 

 

 この祭りに参加するのは今回で6回目。最後の祭りに向かいます。 

 

 大原さんは、2016年に一般社団法人「マツリズム」を設立。人手不足に悩む地域に祭りの担い手を送り、その存続をサポートしてきました。これまで100以上の祭りに関わったといいます。そのなかでも人生を大きく変えたのが黒石寺蘇民祭でした。 

 

大原さん 

「祭りには人を変える力があるとすごく感じました。一言で言うと男の闘争本能にスイッチが入るっていうか、肩書きも衣装も含めて、そんなのとっぱらって強い男とか、本当に優しい男みたいなものが如実に見えてくる」 

 

 黒石寺の住職とも交流を続けてきたといいます。 

 

黒石寺 藤波大吾住職 

「いつもうちのお寺を、蘇民祭のことを考えて下さって、大原さんならではの視点で色々アドバイスとか応援メッセージをくださる、本当にありがたい仲間」 

 

大原さん 

「藤波さんは(祭りについて)問いを投げかけてくれる存在」 

 

■住職の決断「本当に終わるの?」地元の人は涙 

 

 この祭りが全国で話題になったのは、今から16年前。JR東日本が「不快感を与える」として蘇民祭の宣伝ポスター掲示を拒否。大論争を巻き起こしたことも。それでも、多くの人に支えられながら祭りの伝統は守られ続けてきましたが、今年で幕を閉じます。 

 

宮城からの参加者 

「昔からのお祭りがなくなると、なんとなくねぇ、自分も終わりかなと思っています」 

 

 大原さんを訪ねてきた祭りの関係者は、涙をこらえきれず…。 

 

黒石寺蘇民祭 関係者 

「みんながねぇ、こぼしてんだもん。『ほんとに終わるの?』なんて…」 

 

 この地域の人口は885人。その半数が65歳以上の高齢者です。高齢化による担い手不足にあらがえなかったのだといいます。 

 

大原さん 

「藤波さんが背負うものはしんどかったろうなと、すごく思いましたね。でもなんで?本当にやめちゃうんですかとは思いましたね」 

 

藤波住職 

「まぁね…」 

 

■水温2.8℃…極寒の川で身を清め「ジャッソー」 

 

 参加者たちは、1週間前から精進入り。精のつくものを絶ってその身を清めます。 

 

大原さん 

「肉、魚、卵、ニラやニンニクとか、においの強いものを避ける」 

 

 この1週間、食事の中心は枝豆や豆乳だったといいます。 

 

大原さん 

「研ぎ澄まされていく感覚はあります」 

 

「ジャッソー、ジャッソー」 

 

山田寛明ディレクター 

「ジャッソー=邪気を正す。男たちの威勢のいい掛け声が始まりました」 

 

 ふんどし姿になった参加者たちは、願いを込めた角燈を手に境内を進みます。そして向かった先は凍てつく川。この日の水温は2.8℃と、身も凍る寒さです。 

 

山田寛明ディレクター 

「寒さをものともせず、冷たい水を頭からかぶっていきます」 

 

 大原さんも、身を清めるため極寒の川へ…。 

 

マツリズム 代表理事 大原学さん 

「ジャッソー!」「最高です!」 

 

■「祭り文化を盛り上げる」“お祭り男”の想い 

 

 黒石寺蘇民祭もいよいよクライマックス。参加者の熱気で境内には湯気が…。 

 

 午後10時から始まったのは、蘇民袋の争奪戦。五穀豊穣や疫病退散などを願いながら、参加者らは護符の入った袋を1時間にわたり奪い合います。この袋を最後に手にした人には、五穀豊穣(ほうじょう)が約束されるといわれています。 

 

山田寛明ディレクター 

「1000年以上の歴史、その幕を閉じる瞬間が訪れようとしています」 

 

藤波住職 

「想いを寄せて下さったすべての皆様に、本当に感謝の気持ちです。ありがとうございます」 

 

 参加を終えた大原さん。口にくわえた「空札」は、最後まで諦めず争奪戦に加わった貴重な証です。 

 

大原さん 

「いろんな人が支えて作り上げたものなので、そこに自分もその1人として関われたこと、光栄に思います。僕はお祭りに携わっているので、この祭り文化というものが続いていって、僕のような人が少しでも増えていったら」 

 

■各地で伝統ある祭り消えるなか…どう継承? 

 

 一般社団法人「マツリズム」が、去年6月に実施した祭りに対する意識調査があります。20~60歳の男女800人に祭りについて調査したところ、74%の人が「なくなってはならない」と回答。日本人にとって、祭りは重要だということが伺えます。 

 

 マツリズムの大原氏によると、人口減少の中でも工夫しながら続けている祭りもあるそうです。 

 

 1つは、青森県今別町の「荒馬まつり」。踊りの後継者不足が問題となっていましたが、20年以上前から県外の大学生らが踊りに参加するようになり、今では7割を占めるほどになったそうです。外から来る学生たちは、地域の方をリスペクトしていて、地域の方も「学生たちの踊りには負けていられない」と互いに刺激し合い良い関係を築いているとのことです。 

 

 2つ目は、青森県弘前市の「弘前ねぷたまつり」。こちらは、マツリズムが祭り体験プログラムを企画サポートし、1泊2日や2泊3日だった体験期間を1週間にすることで、祭りの準備から片付けまで、人手が必要なところをカバーしているそうです。長く滞在することで、地域に溶け込み、地域の人との関係性も築かれているそうです。 

 

 3つ目は、岐阜県郡上市の「郡上おどり」。「日本三大盆踊り」に数えられ、400年以上の歴史を持つ祭りで、毎年7月から9月にかけて、約30夜にわたり行われる祭りです。コロナ禍で一時中止となりましたが、ファンらはオンラインで繋いで踊り続け継続。去年、4年ぶりに完全復活しました。 

 

(サンデーLIVE!! 2024年2月18日OA) 

 

テレビ朝日 

 

 

( 140652 )  2024/02/18 23:26:36  
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(まとめ) 

日本の伝統的な祭りや行事の存続危機に関する意見は様々ですが、以下の傾向や論調が見られました。

 

 

1. 地元の意見尊重:地元住民や当事者の意見や負担を重視し、祭りや行事の存続や継承には地域コミュニティの内面的なつながりや伝統が重要だという声が多かった。

 

2. 人手不足や高齢化の課題:人口減少や若者の地方離れなど、担い手確保や運営資金の確保などの課題が指摘され、これらが祭りの継続に影響しているとの意見も多かった。

 

3. 現代社会の変化に対応:時代の変化や社会情勢の影響を受けて伝統行事の在り方や意義を見直すべきだとする声や、テクノロジーやオンライン活用を通じた新たな形での祭りの開催や継承法に期待を寄せる意見も見られました。

 

4. 観光化や外部の影響:祭りの観光化や外部からの参加者が増えることで本来の神聖さや伝統的な性格が失われていくリスクや問題を指摘する声もありました。

 

5. 伝統と現代社会の葛藤:祭りや伝統行事の存続と現代社会の価値観やモラル、労働環境との葛藤について様々な意見がありました。

 

 

地域の環境やニーズに合わせた形で、伝統行事の存続や継承が模索される中、過去の祭りの儀式や価値を尊重し、新たな形で新たな時代に継承される可能性も示唆されていました。

( 140654 )  2024/02/18 23:26:36  
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・日本の歴史的、伝統的な祭りがこうして1つなくなってしまうのは本当に悲しい。でも我々は当事者でもなければ岩手県在住でもない者ですし、当事者の方々は我々以上にこの祭りに対する想いは熱いでしょうし、伝統的な地元の祭りが終わるという悲しみは計り知れないと思います。 

色々な形で残していくという方法も合ったでしょうけど、変に改変して自分たちの祭りに対する信念、伝統を傷つけないための地元の方々の決断だと思いますので尊重したいと思います。裸姿で行われてきた今までのお祭りの形がなくなっても、地元内での黒石寺の祭事は続けられれば良いですね。 

 

 

・少子化、高齢化で人手不足を理由に上げているけど、江戸時代、それよりも昔はもっと人口が少なかったはず。でも継承されてきた。 

途絶えてしまった理由は人の数ではなく、人の心の方に原因があると思う。 

規模を小さくし、他の人達に知られなくてもいいから細々とでも地元の有志だけでも続けられるところは続けてもらいたかったようには思う。 

 

 

・日本の祭りの存続危機の大きな原因の一つはおそらく地域の過疎化だと思うが、自分のように都会で生まれ育った人間からしてみれば、伝統的な祭りのある場所や人は羨ましくてたまらない。日本の祭りの存続危機を乗り越えるための策として、日本全国いや海外からも参加者を募集してはどうだろうか。必要ならば、オンラインの研修を一年かけて行う。日本の地方の魅力を積極的に発掘しようとする海外のリピーター観光客が増えている。祭りを契機として、その土地を訪れる人やセカンドハウスを持つ人や将来的に移住を考える人-テレワークで仕事できる人、新たな企業を目指す人、定年後に自然の豊かな場所で暮らすことを考えている人など、祭りのあり方を考え直すことによって、新たな地方創成を可能にし、多くの人々を集めるチャンスになるのでは、と思うのだがいかがだろうか。 

 

 

・映像として残しておくより方法がない。行事を行うにしても人がいない。けが人や死人が出る前に映像で永久保存することが賢明。 

各地で行われる昔ながらの催しは、いずれ消えていく運命にあると思うので早めの永久保存版として映像化しておく事を勧める。 

 

 

・全てのコミュニテイにおいて、効率主義派が使う「今の時代」というワードに違和感というか辟易さを感じます。ほんの30年くらい前までやっていたことを続けようとすると、そういう時代じゃないと否定するけど、 

今の時代を作り上げたり変えていくのは今を生きる我々次第なのに、、と思ってしまう。  

資本主義が進み、金の損得勘定で物事を判断する人間ばかりでは「個」が優先され「和」は衰退していく。 コミュニティの維持は人の心の維持だと思う。 

 

 

・地域ごとに抱える問題はあります。 

他の地域の人間からは『やめるなんて勿体ない』とか声挙がりますが、その地域をよく知らない人ばかりだと思います。 

よく地方の電車の廃線の話や廃校の話ありますが、実際に日々暮らしてる地域の方からすれば元より車に社会で地域の人も年に一度も乗らないとか、毎年定員割れで子供が居ても別の学校に通ってる‥なんて当たり前。 

伝統をどう守る?なんてのも外様だからこそ言える発想だったりする。 

否定はしませんが何とげなしに取り上げる問題としても、先ずは地域の日常を知ってからだとおもいます。 

 

 

・残念だとは思うけど、じゃあ本当に参加する立場になってみると、真冬に裸で川の水を浴びてから7時間くらいずっと裸だし、それがとにかく過酷すぎる。そうやって極限に追い込むことでランナーズハイみたいな精神状態を作るんだろうけど、最後の蘇民袋を奪い合うのなんておまけでしかないくらい、めちゃくちゃ大変な祭り。裸である意味、男性だけである意味など、色々考えて、価値はあるとは思うけど、現代人だとやはりかなり変わった感覚の人でないと辛くてもやってみようと思う人は少ないだろうと思う。 

 

 

・1000年の間、飢饉や戦争や自然災害などいろいろなことがあって、ずっと途切れず祭りが行われてきたとも思えない。一時的に途切れたとしてもきっかけがあればまた復活する時が来るかもしれない。 

青森県五所川原市の『立佞武多』は昭和初期に廃れたものが1990年代になって復活していまや青森県を代表する祭りになった。 

その時のために資料だけは捨てずに保管しておいてほしい。 

 

 

・本当の信仰に基づく仏事としての行事ができなくなり、ただ伝統や文化、地域の盛り上がりという抽象的な言葉でもって利用され、誰でも彼でもが参加できることに、ここのご住職は深い疑問をもたれたんではないかな。参加者のコメント聞いててもお寺や信仰の事を語る人はいない。寒中下帯ひとつで気合い入れて頑張りますとか、自分の為の行事として参加してる。こういう社寺は地方に行けばたくさんある。これからしっかりとした信仰儀礼を守ることへの布石になったのではないかなと思う。 

 

 

・奇祭に限らず、続けて来た行事がなくなるのって寂しいもんですよね。やる方は大変な労力なわけで、少子高齢化、過疎化を考えると致し方ないことではありますが、残念ですよね。 

最近では多様性が求められるばかりで、何が原因で火の粉を浴びる事になるかも分からない。 

 

 

 

・うちの地元でも秋祭りの神輿が出なくなりましたが 

高齢化による人手不足と予算不足が原因でコロナ禍前からやめることが検討されていました 

娯楽が少なかった時代はお祭りといえば町や村の一大イベントでしたが 

娯楽がいくらでもある近年はそこまででもなくなってきているというのもあります。 

 

 

・ここだけじゃなく、各地の奇祭と呼ばれる祭り、行事が続々と姿を消している。コロナ禍・コロナ後で一気に加速したように思う。 

 

担い手不足、高齢化が最たる理由とのことだが、現代の価値観で見て消極的にならざるを得ない行事も多いんだろうな。 

 

こういう行事に限った事じゃなく社会全体に言えることだけど、ストレスを抱え過ぎた日本人は他人との面倒な関わりを捨て、「集団ではなく個の幸福を求める」時代に変化してきたのかなと感じる。 

 

 

・何年か前に参加しました。参加するまでは変な祭りという印象でしたがいざ参加すると全く違い真剣に五穀豊穣、厄祓いのための神事でした。氷点下の中での水浴びは、はたから見たら正気の沙汰ではないでしょうが達成感は半端ないですし。トランス状態になっているためか不思議と冷たさは感じませんでした。一生のうちに一度でも参加できた事を今では誇らしく思えます。終了するのは寂しいですが語り継がれていく事だと思います。 

 

 

・我々が知っている歴史や文化というものはありとあらゆるものがすべて継承されてきた結果ではない。 

 

その時代の様々な理由で淘汰と継承を繰り返しながら残ってきたものを我々が「伝統」と認識しているわけだ。つまりたくさん消滅してきたものがあるはずであり、言い換えればすべては継承できないという事だ。 

 

当事者は残念だと思うが、ある意味仕方がないことであり、自分たちの暮らしをおびやかしてまで守らなければならないほどの事ではないと思う 

 

 

・祭りとは地方自治体、地元民、他方民、など全ての横と縦の繋がりがあって実現します。 

今の世の中は分断社会へ移行しようとしてます。政府主導で高齢者と若者の分断を促し、富裕層と貧困層の分断を促し、育児世代と独身世代の分断を促している。 

少子化の加速政策もその一環です。子供が生まれなければそもそも人がいなくなるわけですからね。 

全ては政府の間違った政策が起因していると個人的には思っています。 

そもそも日本の貧困化が深刻で祭りに参加する余裕がない人が多いのも現実的にあると思います。 

この歪んだ日本社会では伝統文化など全て消えゆく運命かと思います。 

 

 

・東京の祭りは元々神輿は宮神輿のみで各町が山車を出していたのが、明治時代に電線が通る様になったり経費削減で町御輿が登場したのが広まっていって町神輿が主流になったという歴史があるし、伝統と言っても移り変わっていくものではある。 

明治時代に政府が「神社合祀令」(実質的な国家神道への集約)を出して小祠や淫祠を潰させた結果、神社の数が19万社から12万社に激減して、それによって祭りが廃絶した例もあるし、その時の様々な外部要因で変化や廃絶を余儀なくされるのが伝統。 

 

 

・蘇民祭のポスターは記憶にあります。魂のこもった迫力ある写真だと私は感じましたが気持ち悪いとクレームを入れた人の一言で全部剥がしたんですよね。 

気持ち悪いと言われた写真の男性も気の毒だなと思いました。 

 

古くから受け継がれたものが無くなるのは淋しい事ですがこれだけ世の中の変化するスピードが早いのですから時代の流れには逆らえないのは仕方無いですね。 

 

 

・私は実は昔からお祭りが苦手。 

だからあまり参加したり見に行くことはありませんでした。でも、お祭りの大切さは理解できるし、伝統ある祭りに情熱をかけている人の気持ちを削ごうなんて考えはありません。 

地域の小さいお祭りは既に人手不足でどんどん減っています。だからせめて大きい行事や祭りは継承していけるように官民で知恵を絞りたいですね。 

 

 

・外部の人間が参加するような祭りって、もはや観光イベントでしかなくて、宗教的にはほぼ意義はないのでは?ムラによる、ムラのための、ムラの祭りって、そのムラがなくなっても残していかないといけないもんなのかね。伝承や神事などの祭りの記録と保存はしっかりと残すべきだとは思うが。 

 

 

・難しいのは現在はまだ「人口減少の始まり」の時期にしか過ぎない、という事 

今後はより激しく「超少子高齢化」が襲ってくる。 

今はまだ、その地には居住していない方たちで「伝統行事」に理解ある人達の助力で成立してはいても、今後はもっと厳しくなる。 

「地方の伝統行事」は地方に住む方々が、これは大事、という思いを持つ方が 

守り成立させて来た。 しかし地方そのものが「人口減」ですたれ併合合併等をしないと存続できないような状況になれば、ホントに必要と思われる行事以外はすたれてゆく以外はなくなる。 

古い革袋に新しい酒を、という格言もあり、又厳しい時点が来ればその時に 

新しい発想で見直してゆく柔軟さも必要だろうな!! 

 

 

 

・高齢化で準備がしんどい中、参加者だけは山ほどくるのでは準備は勿論当日も捌ききれないでしょうし 

事故などが起こる前に辞めることを決めたのは勇気がいることだったと思いますが檀家さん達の心身の負担軽減のためにも英断だと思います 

 

 

・栄枯盛衰 

 

新たに生まれるものもあれば、 

当然、消えるものもある。 

 

千年の伝統だろうが、二千年の伝統だろうが、 

消えるものは消える。 

 

これまでもそうだったし、これからもそう。 

 

ただ、幸いなことに、現代は、技術進歩により、 

映像等として将来にわたって詳細な記録が残せる時代となった。 

その意味では、今も息づく文化的事象は恵まれているというべき。 

 

 

・私が住んでいる地域もコロナ後初の秋祭りを昨年行いましたが、だんじりをだすので人を確保するのに大変でギリギリの人数で祭りをしました 

一般参加を募集するとトラブルが起こるので、氏子以外の参加は出来ず、氏子の親戚や兄弟を呼び集めて行いました 

今後少子化でいずれ祭りを神事だけにする時が来るだろうと言われています 

 

 

・千年続いた祭りもあり方はずっと同じだったわけではないでしょう。存続可能な形で変化があってもいいのかなとも思います。有名になりすぎて巨大化したために却って継続が難しくなってる場合もあるのかも。 

 

 

・悲しいことですが、田舎に住んでると思うところがあります。というのも、伝統を引き継がせるため次の世代へ大きな負担を負わせるわけですが、「自分たちもやってきたのだから当然」とばかりに偉そうな態度を取ったりする年長者が多いです。特に裏方となる女性に対して。長期に渡りボランティアを強いられるうえに、打ち上げ時ですら裏方作業をやらされます。昔と違い、女性は男性同様フルタイムで働くのが当たり前の時代です。特に思い入れのない行事のために費やす時間はありません。うちの地域も50年以上続いた子供会を解散する方向になりました。 

 

 

・この記事だけではわからない、おもに主催者のお寺側の意向で止めることになったのかな?と思いましたが、どうなのでしょうか? お祭りには人目に触れる表向きの部分と、人目には触れない準備や信仰等の隠れた部分があって、ニュースを見る分には、多くの人が全国各地から集って参加する賑わいを感じました。実際には、主催するお寺側の準備などの問題があったのでしょうか。 

 

 

・なくなる祭りもあれば、新しくできる祭りもある。 

大事なのは地域の人達がつながりやすくなる環境かもしれない。 

人がつながれば、何かのきっかけでイベントが起こり、周期的に何かをやろうという気持ちが続けば、それが祭りになるのではないか。 

 

 

・お祭りは地域の実行委員会がやりくりするものだけど、神社や寺のお祀りは主体が神社や寺なので、氏子や檀家が減れば衰退していくのも当たり前の話で。 

 

どこが主体でやってるのか、がわかってないから安易にお金の話になったりするけど、実際には地域の人口減少や家外活動に参加しない人が増えたことが原因の大半でしょう。 

 

これは地方祭をやってる人たちは他人事と考えないほうが良いですよ。 

 

 

・地域の負担を思うと、規模の大小関係なく続けるべき残すべきとは言い難いですね…自身も子供の頃炎天下にお神輿担いでいやいや数時間歩かされたので極寒炎天下等の過酷な環境、動物愛護の観点から外れるお祭りに該当する場合は終わりにするというのもありかなぁと思ったりします。 

 

 

・個人的には祭りといえば出店や花火ぐらいで、別に踊り・神輿等があろうとなかろうと別に気にならない。 

毎年何人も死傷者出してまでやり続けるものではないと思うし、今の時代に合わせて作り変えれば良いと思う。 

そもそも祭りによっては、本当に当初からこんなことする催しだったのかどうか疑問に思えるものも少なくない。 

 

 

 

・まあ率直に言って、一年の最も寒い時期、しかも東北で、裸で何時間もいるだけでなく水までかぶるとか普通はやらない。 

歴史あるものだから続けてほしいとか言ってる連中だって実際やれと言ったら尻込みするだろう。 

おかしな邪推してるのもいるが、要するに時代にそぐわないから消えるというだけだ。 地元で深くかかわった人たちには感慨深いものがあるだろうし気の毒だとは思うが、よそ者がどうこう言う問題ではない。 

 

 

・1200年続くらしいですね。この祭りは参加者のほとんど全部が他の地域の人ですから、こんな時代だし輩が来て荒らされたり喧嘩や事故が起き無いうちにやめて正解です。そもそも祭りは各地域の地元民でするものですから氏子の方もお困りの事が多々あったのでしょう。 

 

 

・長年続けてたものが無くなるのは寂しいですが、仕方ないですよね。 

そもそも本来の五穀豊穣とは関連は無いでしょうし、祭りって最早地域のコミュニティのためのイベント化ですね。 

本当に継ぎたい者が沢山いるならいつの日か復活するでしょう。 

 

 

・そんなに悲観する事は無いと思う。これだけ有名な祭りなんだから、また有志が集まり復活する事もあると思う。 

人手が足りないなら人数を減らして行うなど、存続の方法はいくらでもあるだろう。実際私の生まれ故郷でも過疎化で20年以上行われていなかった祭りが規模を小さくして復活したと聞いた。 

 

人が足りないなら足りないで、それに合わせた形で行うと言う選択肢が残されている。 

 

 

・となりの隣人でさえ疎遠なこのご時世、地元に関係なく祭の好きな人が気軽に参加できる形にしてもらわないと続かないと思う。友人は九州に住んでるが、毎年飛行機で青森のねぶた祭りに参加し、地元民でもないのに祭に詳しいし、地元民と打ち解けてる。部外者が参加できない、参加の仕方がわからない、雰囲気がわからない…そんな状況が変われば、改善できる余地もあるのでは。 

 

 

・千年も続いた伝統が途絶える…日本に「少子高齢社会」の危機がやってきたことを実感します。恐ろしい…。 

 

蘇民祭がこの危機を乗り切れなかったことは、わが国の少子高齢化対策の無策と今後を占うかのようです。 

新たな担い手も見いだせず、今日的な(社会的)意義も見いだせないから資金も不足する。悪循環です。 

 

今後の日本社会も、新たな担い手=移民たちが日本を避け、米国や豪州などへ流れています。老いていく日本の将来に投資する意義を見出せないと資本も逃げていく。 

 

 

蘇民祭の終わりは、日本が終わる象徴…にしないために、次の国政選挙では、少子化対策ではなく、確実に襲ってくる高齢化(老害)対策を掲げる政党や候補者を支援したいものです。 

 

 

・田舎の過疎化や少子高齢化に伴う担い手不足が祭り存続に与える影響が大きい。そして私も含め祭り自体に興味がない人も多い。 

楽しみにしてる人は悲しいだろうけど、人との繋がりが希薄になっている昨今、これも時代の流れなんでしょうね。 

 

 

・少子高齢化で地方の小さな町なんて人口が減り続けていて日本のあちこちに限界集落が出来てる現状を見ると伝統の祭りや行事は維持出来ないと思う。 

たとえ千年歴史があろうがそれを受け継いでいく人間が少なくなって行けばいずれはどこの地方の祭り・行事にも起こることだと思う。 

映像で残すしかもう方法は無いでしょうね。 

 

 

・このような事態のためにクラウドファンディングを活用すれば良いと思うのですよね。お金が集まれば主催者が一人でまわすだけでなく、運営側の人数を増やして主催者の負担も減らすことだってできる。今は地元に戻れないけど、地元のためにせめてお金だけは、という人もいるだろう。それでも開催に至らないことだってあります。 

 

もう一つ。祭りは口頭伝承の部分が大きいので1度途絶えると仮に数年後の復活でも、次の担い手に継承するための最後の参加者たちの負担は大きいと思っています。年齢には抗えません。最後の祭りの参加者は減る一方なのです。動画を集め、儀礼や作業のための文書を作り、最終開催の主催者、協力者の名前と連絡先など集めておいて欲しいです。次世代にて復活するための「遺す作業」を是非クラウドファンディングですすめて欲しいです。 

 

 

・6年前に住職になった若い住職さんなんですね。1000年続いた祭りを自分の代で止めるなんて決断するには相当な勇気が必要だったと思います。地元以外の人が集まって盛り立ててもただの観光行事、信仰とは違うという複雑な思いはあったのかもしれませんね。 

 

 

 

・その祭りの存続のためにどれだけの人員と税金が投入されているかを語らず、単に祭りを存続させるべきかどうかを問えば、そりゃ存続させるべきと回答する人は多いでしょうな。 

もう実施する人員がおらず運営費も行政からの補助金頼みで、役所の職員を強制的にボランティアでこき使い、客も関係者の家族しか来ないような祭りは無理に残す必要は無いと思います。どんなに歴史があろうとも。 

 

 

・信仰と観光を間違っているのでは? 

元々は神を祀ることからの祭りであり、観光誘致宣伝ではありません。 

これをはき違えた結果は廃れ行くだけですよ。 

 

神様を祀ると言う行為自体は、1人でも出来る話。 

10人居ないとダメだとか、1000人居ないとダメと言うのは、単に観光目的にしているだけ。本当に必要と思うのであれば、年取ろうが一人で祀れば良いだけ。 

 

 

・無くなるのは定め。既に無くなっているお祭りごともありますよ。 

 

無くならない方法って超簡単なんです。 

運営組織に人が加わる事。 

運営資金を提供する事。 

 

これらが組み合わないってのは、無くなっても良いと思ってる態度の現れ。 

綺麗事を言う人が1万人いるのなら、毎年1,000円だけ寄付をしてあげてください。1,000万円になりますから。 

祭りを運営する人材はそういう資金で、定年後の役場職員関係者等。町おこしに想いを持つ人達を臨時で集められます。 

 

 

・祭り=地域のコミュニティ 

各地域は地域住民のボランティアで成り立っている。 

祭りに参加してばか騒ぎ出来るのも地域の協力があってのもの。 

最近のお祭りは悪目立ちする者が増えすぎて祭り自体の楽しさや奥深さがなくなり、地域住民のモチベーションも下がり終わっていってる感じがする。 

祭りに対する向き合い方を変えない限り祭りは終わる。 

 

 

・TVで見たのか何かで読んだのか覚えていないけれども、地元の人もこの伝統を守るためにかなりの苦労があったらしい。時間的なものとか責任が大きい事とか。私の中には、歴史が終わるというよりも、今の世の中では負担大という地元民の気持ち、そちらの方が大きく残っている。 

あとJRの蘇民祭のポスターに関する苦情が多かったという事。それに関しては、ぱっと見の感情論だったので憤慨した覚えがある。 

しかし、人は、終わるとなると惜しむ。 

護れないのに惜しむポーズをする。そこら辺不思議だと思う。 

 

 

・敗戦後から東京集中、大都市集中が加速したけれど、現代は通信技術の発展で 

テレワークが可能になり、災害対策含めIターンやUターンなど地方分散が可能になってきた、その矢先の事。 

東京等一極集中は極めて災害に弱く、半農支援を含め地方移住と文化の見直し 

そして支援など、これからの災難に対応できる素地を作るチャンスを設けるべきではないか? 

 

 

・あまりにもメジャーになり過ぎた。古来は全裸で行われていたが観光客の 

増加やメディアで取り上げられる事で本来神聖であるべき祭りに好奇心で 

参加する者や撮影者が多発し下帯の着用が義務化。 

当時「わいせつ物陳列罪が適用され得る」との警察の見解に文科大臣の 

「伝統文化に警察が判断介入するのはそぐわない」との考えと対立した。 

 

転換期はやはり2008年のポスター問題だろう。地域の奇祭として活性化を 

図る自治体や黒石寺の思惑が裏目に出てしまった。メディアが大挙して 

押し寄せる状況に本来の神聖さからは乖離して行くとの地元民らの反発も 

あったと思われる。 

 

本来は地域住民らでひっそりと行われていた祭り。地域民達の判断なら 

やはりそれは尊重されるべき。原点回帰にも繋がる。 

他の蘇民祭では復活している事例もあるようなので一縷の望みは託したい。 

 

 

・自分はこの地元の人間でもないし、無償で運営に参加できるか?と言われたらNOなので、存続させるべき!などと勝手な事は言えません。 

 

これも時代の流れだと思います。 

 

ただリモートワークが定着しつつある今、都会に一極集中な考え方は変えていかないと、とは思ってます。 

 

 

・生活が変われば、祈りも変わる。 

変わるものを止めるのは難しく、無理に続けることもまた難しい。 

 

 

かつて、生活改善運動等で古い伝統を脱する文化的な生活を推し進め、 

その地の伝統的なものを置き去りにしたのは、官民一体の総意だった。 

 

そうして、今ここ、である。 

伝統がなくなって寂しい、悲しい?…何をか言わん。 

役場の文化財課には、文化財指定のノルマがあると聞いた。 

無形文化財に指定されたばっかりに、存続に苦労している自治体も多いと聞く。 

実際には、祭りが嫌で帰らない人も多いらしい。 

 

年寄りは誰も、自分たちの都合で伝統を潰えさせたとは思わない。 

また若者たちにとって伝統が潰えることが良いかどうかはわからない。 

そもそも祭りは、祈りというテイを以って村人の結束あるいは村八分を表現するものだから。 

 

残るなら残るなりの、消えるなら消えるなりの、 

そういう運命なんだと思えば、それまででは。 

 

 

・最近、ジェンダーやらハラスメントやら欧米の思想に感化されて、日本古来の祭りがどんどん批判の的になっています。 

 

その地域でもかねてから「おかしい」と思われていたのかもしれませんが、令和の世の中になって「日本人の思想や伝統へのこだわりの薄弱さ」が浮き彫りになっているようにも思いますね。 

 

 

 

・祭りにはこの様に歴史や伝統文化があります。 

自分はだんじりで有名な岸和田出身ですが祭りに参加する者の中で祭りの意味について理解してるものは少数でした。 

ただ派手に盛り上げたい。騒ぎたいと。 

祭りは人を変えるというのも今は違っていて祭りで覚えた酒や煙草をそのまま続ける未成年。 

集まっては迷惑をかける若者達。 

これはほんの一部の話ですがこんな奴らが祭りの意義を無くしています。 

地方の祭りとは大きく内容は違って来ていますがこんな祭りが継続されるのも現状です。 

 

 

・あのポスターを見た時は、JRが言っていた様に不快に感じました。この方の話は、祭りを盛り上げようという気持ちは分かりますが、日本の祭りは神社仏閣の催し物であり粛々と五穀豊穣などを祈念する為のものです。1000年も続いてきたのは地元の人たちがささやかに受け継いできた物を観光化し過ぎて、あの様なポスターをつくだったのでしょう。 

 

 

・狭い範囲の地元の行事に、人が集まり過ぎたのかもしれない。イベントではなく五穀豊穣の神事仏事であり、何かの争奪ゲームでもなければチームプレイの競技でもない。 

良くも悪くも、閉鎖的な地元の行事としてでも継続していってほしかったですね。 

観光として推した人達の失敗だと思います。 

 

 

・地域の祭りがあってもどちらでも全員が参加するわけでなく、一部の祭り好きが中心になっているのが現実ではないか?私の地域でも怖そうなおじさんやヤンチャそうな面々が全面的に運営していて外部から入りにくい雰囲気がある。 

 

 

・住職の粛々たる言葉こそが祭りをやめる理由の核です。 

寂しい事でしょうが、黒石寺の檀家さんの事を何より想われての事ですから、苦渋の決断とはいえ素晴らしいご住職であられると思います。 

 

 

・残る残らないは別にして 法人立ち上げ100か所の応援し人で不足が顕著な現れ確かに日本の文化 祭りは残したいが 人・物・金が不足 なら消滅するしかこの先ないでしょう。正直この祭りがどうでも良い人もいるから 

残る残らないは 地元民の考え一つ 地元民が一致団結すればずっと残ります 

 

 

・『蘇民祭』は無くなりません。 

来年以降も【蘇民祭は開催されます】。 

 

終了するのは、黒石寺で行われている蘇民祭だけです。 

2008年に起きたポスター撤去騒ぎで、全国的に有名になったのが、黒石寺の蘇民祭だっただけで、蘇民祭そのものは岩手県各地で行われてる郷土のお祭りです。 

 

【来年以降も開催予定の蘇民祭一覧】 

興田神社蘇民祭(一関市、1月上旬、1338年開始) 

おらが村の永岡蘇民祭(金ヶ崎町、1月下旬、1988年開始) 

光勝寺五大尊蘇民祭(花巻市、2月中旬、1191年開始) 

八幡宮加勢蘇民祭(奥州市、2月中旬、850年開始) 

長徳寺蘇民祭(一関市、3月上旬、1894年開始) 

早池峰神社蘇民祭(花巻市、3月17日、1969年開始) 

 

 

・超高齢化社会で若者は減り続ける。文化を受け継ぐ者がいなくなって日本のアイデンティティみたいな物が地方から少しずつ削り取られて行く。虚しいけど、これが日本人が選んできた道の結果という事なんでしょうね。30年も前から少子高齢化は問題だと認識していたのにね。 

 

 

・第三者にとっては【時代がかわったから】で済まされる話でも 

先祖代々その地で生きてきて跡を継いできた方々にとってはご先祖様が守ってきたお祭りを自分たちの代で終わらせる決意は並大抵なことではなかったと思います 

ウチの実家も先祖代々続く大本家ですが引っ越してきた人から地域のお祭りが煩いとか大晦日の除夜の鐘が煩いとか言われて困惑しました 

近くの農家さんは農薬撒くなとか 

私道に除草剤撒いていたら「子どもの通学路に除草剤撒くな」と警察呼ばれたり、めちゃくちゃイチャメモンつけられるらしいです 

私道なんですけどね 

 

後から引っ越してきた人のために地元民が代々続いてきたことを諦めなきゃならないのもおかしいですよね 

そんなことされたら、都内で農業なんて出来ないし 

 

 

・「日本三大祭」や「東北四大祭」のように、知名度や集客効果が高く、多くの地元スポンサーが付き、観光資源として貴重かどうか。また、女性参加も可能な祭(よさこい、阿波踊り、時代祭、風の盆その他全国多数あり)でないと、少子高齢化により存続が難しくなるかもしれない。特に裸祭り系は、これからの若い世代になればなるほど嫌がったりするだろう 

 

 

 

・テレビで見たことありますが、それはそれは過酷なものでした。健康な男子しか、否、それ以上の体力気力が要求されるもので、OBの方々は何故止めようと言わないのか不思議でした。「助かった」と思って居られるのが、これからの方々だと思います。寒さと下帯なんて、関係無いくらい過酷ですから 

 

 

・地元では有名であっただろうが、全体的には知られていない祭りだった。 

それが例のポスターによって世間の注目をよくも惜しくも知れわたる事になった。 

あのポスターは、余りにもインパクトがありすぎた。 

何か今回の祭りの終わりを引き寄せる感があった。 

 

 

・最近思うが、地域のことにフェミニストやら動物愛護団体やら関係ない団体や外部が口を出しすぎる。まつりだけでなく、最近の給食ふりかけ問題しかり、クマ害獣駆除問題しかり。協力するための口だしならかまわないが、協力もしないで批判するだけの口だしはほっといてもらいたい。地域には地域の考えがあるし、批判するだけの人よりも100倍考えていると思う。 

 

 

・町おこしのつもりで、インパクトのある広告を作り、その広告をJR東に拒否され、それが報道されて一機に知名度が上がり、外部からも参加できるので、他の都道府県の人が多く、参加者の数は多くなった。 

しかし、参加者が増えるにつれ、LGBTも一機に増えて、祭りの風紀が乱されたという話である。そういう意味で、あの広告とあの騒動がなければ、細々と継続できたのである。マスコミという鮮やかな仮染めの光に捕らわれた結果である。 

 

 

・お祭りって昔の誰かが楽しいと思ったから始めた事なんだから、楽しいと思えないのなら続ける必要なんて無いと思うんだよね。苦しんでまで続ける伝統って、時間は有限なのに自分より昔の人の考えを優先させてるって事だから、人生を無駄にしてると思う。この意見に反対で、伝統・文化の素晴らしさが分からないなんてケシカラン!とか怒る人が、だったら自分がやれば?と思う。 

 

 

・続けるのも時代の流れだし終わるのも時代の流れでいいと思う。 

こうやって終わらせるという判断があるのも仕方がない。過去に失われた伝統もあるわけだし。 

ほかの地方の祭りでも地元農家の収穫祭で農家の減少と高齢化で御輿を担ぐ担い手が減って 

祭を続ける意味がなくなっている。祭の趣旨を変えて御輿を守るという名目で続けている。 

これも長くは続かないでしょう。 

結局は祭に対しての周囲の熱意がカギになる 

 

 

・全国的に有名な祭りを行う都市に住んでいます。地方の祭りで不思議なのは、どうして裸になったり厳寒時に水を浴びたりするものが多いのか?ということ。 

お祭りって、そもそも五穀豊穣や疫病の封じ込めみたいな事を目的としているはず。  

そのために裸(半裸)になったり、毎年怪我人が出るような危険な事をする必要があるのかな?というのが以前から不思議でした。 

この記事のお祭りも、後継者というよりは数年前のポスター問題にあったように、裸が目立って昨今の倫理感覚に合わなくなったというのが本当の所じゃないのかな?という気がします。 

 

 

・日本のあらゆる地域で何百年単位で伝えられてきた風習が、客呼べて金になるものを除いて、今まさにもの凄い勢いで消滅していってるところなんだよね 

もちろん俺も地元の風習なんて教わってないし、和服の着方すらよく分からない 

あと数十年もすれば本当の意味での日本の欧米化が完了するのかね 

 

 

・悲しい悔しいと言うのは簡単だが、地元民や特に役員さんはとてつもない負担だと思うの時代の流れもあって仕方ないな。今じゃ共働きがニュースタンダードになってるしな。もっと経済がよくて仕事をいっぱい休めるような世の中なら違ってたのかもな。 

 

 

・同じ様に続けるのは大変な事ですね。賑やかなお祭りも本質は厳かな神への感謝や祈りだろうと思います。形に拘ると無理な事もあるでしょうが、その精神性、心を大事に引き継いでいければと思います。 

 

 

 

・奥州市… 

歴史的にもわりと有名な町だったと思うけど、もう人口1000人切ってるのか… 

 

いつかまた人口が1000人を超えて、若者の数が過半数を超えれば復活もあるかもしれない。 

奥州市の発展を祈ってます。 

 

 

・よく神事だから変えられないと頑なな意見を聞くけど、結局、時代の趨勢に沿わない行事は淘汰されていく。消えていくのも仕方なしとするか、時代に合わせて進化させて存続していくか、地域社会の判断だよね 

 

 

・俺48歳だけど思うに80年代中ごろから世界が変わったかな。ファミコンとかそのあとインターネットが普及していって。そのころ子供だった俺たちとその上の世代は世界が違う。このまえ大祭やるかどうかで戦いが勃発したんだけど、ちょうどその世代同士で境界があった。 

 

 

・私はこの祭りを全く知らなかったし記事で初めて存在を知りました。1000年続けてきたものが無くなるのは凄く惜しいですしどうにかならなかったんでしょうか。 

ただ一点言えるのは、ポスターが何ともですね、もう少し明るいイメージにならなかったんでしょうか。 

 

 

・農村地域が、本当に欲しいものは、世代を跨いだ人の交流。賑と言ってもよい。 

 

生産の効率性だけを求め、一部の人に富を集め豊かになった気でいたものの、気付けば、周りに人はいなくなっています。 

 

人がいることで賑が産まれると伴に、文化が創造され、維持されます。 

 

少子化を放置していた政治家は、単なる政治屋で、日本を食い物にしていただけが、はっきりしてきたようです。 

 

 

・時代の価値観が変わって行く課程で消滅するものが出てくるのはのは状況に応じてしかたなしと言うものも今後出てくるでしょう。今回は実際に参加している方からの決断ですのでなるほとと思います。 

 

 

・1000年の伝統の終わりはさみしいだろうけど、いつかは終わるもの。 

過疎化による担い手不足ほか、今の生活スタイルなんかも関係しているだろう。 

 

誰も「あったものがなくなる」ことは感情で避けたいのだろうが、それは栄枯盛衰で仕方がないものでもある。 

 

 

・日本という国が縮んでいく。1000年守ってきた大切なものを手放すしかないなんて。ここまで庶民の暮らしを衰退させた原因はなんなのか。自民党がとか、民主党がとか言いたいのではない。私たちの国を今のようにしたのは私たち自身だ。東アジアによくあるような、奸臣ばかりの、裏金や賄賂ありきの、上級国民の既得権ばかりを優遇し、庶民の暮らしを生かさず殺さずレベルに押し込めてきたからだ。庶民でありながら、上級国民を擁護することで上級国民になったような錯覚に陥り、満足している人たちが目を覚ますのはいつなのだろう。敵と味方の区別もつかず、このまま、私たちのこの地域性豊かで美しい国がほころび、朽ち、静かに滅びていくのを、見ていることしかできないのか。無念。 

 

 

・どんな伝統も始めがあります。 

これからの1000年に合うような新しいやり方で始めるのもありだと思います。 

そもそも祭りというのは伝統ではなくて、信仰があってのものだからなくなるのも変だし。 

 

 

・人口構成も価値観も時代とともに変わるので、またやろうかという時に備える意味も込めて、どんな祭りだったという記録は残しておくのがいいと思いますね 

 

 

 

・担い手不足や高齢化などを理由 

 

これ根っこは財務省のせい。 

それはオカシイトいう人がいるが稼ぎの半分が税金で巻き上げられるから皆貧困変え進んでいる。お金が無ければ結婚できない。結婚しなければ子供は増えず高齢化を止める事は出ない。担い手は子供の数だけ必ず増える。 

 

否定する人がたくさんいて本当に不勉強な国民が多くとても残念に思える。 

 

 

・祭りってどの程度補助が出ているんでしょう。 

実は姪が京都に嫁いで祇園祭の山鉾を持っている街に引っ越したら 

町内会費とは別に4800円だったか徴収されるとぼやいてた。 

他の祭りはわからないけど京都市などあれで儲けてるのにひどいよねw 

ちなみに祇園祭のうち数日は子を連れて実家に避難しに来てます。 

 

 

・時代と共に高齢化などの理由で存続させるのが難しくなったのは理解できるけど、略式的な形で存続させるのも難しいのだろうか… 

1000年以上続く、歴史ある祭りを終わらせるのは重いですね…。 

 

 

・蘇民祭と聞くと「あの不適切と話題になったポスター」を思い出してしまう。似たような奇祭(宝木を取り合う、神男に触れようと揉み合いになる)と共に後世に残すべき祭りだと思うが担い手がいないのであれば仕方が無いだろう。これがまだ若手が参加しやすい時期ならまだ続けられたのだろうが… 

 

 

・祭り終了の判断は地元の方々を尊重したいと思うが話題になったポスターを不快感と判断したのはどういう意味なのか。祭りの男衆の裸が不快なものなのか。そんな見方をするほうがよほど不快だと当時思った。 

 

 

・わたくしの地域にも昔から続く祭りがあります。 

昔から続く伝統ある祭り、と書けば聞こえはいいですが 

実際どんな状況かといえば 

年寄り連中はやってもらうのが当たり前状態で 

面倒なことは若い人たちに丸投げ 

年取った連中は飲めや歌えの大騒ぎ 

地域の祭りといえば一大イベントなので大体強制参加です。 

若い人たちも昔からそこに住んでいて 

農家などの地域産業に従事している方なら理解はできるでしょうが 

他地域に通っているサラリーマンからすれば大迷惑です。 

無理に続ければどこかで歪みが生じます。 

今まで見ないふりしてきたツケが出ているんだと思いますよ。 

 

 

・地元のお寺がやめるというのだから、已む得ないことだ。部外者が願っても無駄である。伝統は形でなく魂をまもることだから、これからも頑張って魂の継承を祈ってます。 

 

 

・しょうがないね。 

田舎には若者が 

居なくなっていくんだから。 

祭りを続ける為に 

地域に関係のない人を 

どんどん入れて 

続けるのも違うと思うし 

そんなことしたら 

収穫祭とは別物の 

昨今のコスプレイベントの 

ハロウィンみたいに 

めちゃくちゃになりそうだしね。 

 

 

・私の村でも神輿祭りが昨年からなくなりました。 

公民館後援で何チャラ祭りは行っていますが今一盛り上がりません。 

家族だけ僅かの友達だけの中で生きてくのが好みのようですね。 

 

 

・辞めるとは頭が硬い事。 

時代と共に変わる事を考えれば良いだけの事。 

1,000年間、全く同じだったのかえ? 

時代時代で臨機応変に変わってたと思うよ。 

年寄りでも出来る方法を考え、神様をお祀りする。 

それが継承と言うものだ。 

人間の都合で辞めたら罰が当たる。 

 

 

 

 
 

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