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能登半島地震、ボランティアの数少なく 自粛や「SNSでたたかれる」萎縮する人も 1カ月で2739人、阪神・淡路は62万人

神戸新聞NEXT 2/18(日) 20:42 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/99b6735f13188c0e99ff7781dadde65676b89613

 

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神戸大の学生ボランティアが足湯を提供しており、能登半島地震でのボランティア活動のあり方が問題視されている。

自立した市民社会の後退が懸念されており、公的な団体でないと活動しにくい状況やボランティアの自粛ムードが広まっている。

阪神・淡路大震災以来の議論の根源であるボランティアの自粛ムードが、災害支援に影響を及ぼしている。

能登半島での活動を希望する学生もSNSで叩かれて躊躇しており、新たな市民社会の醸成が求められている。

(要約)

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足湯を提供する神戸大の学生ボランティア(右)。被災した住民に喜ばれた=1月、石川県七尾市(撮影・笠原次郎) 

 

 能登半島地震で、災害ボランティアのあり方が問われている。発災1カ月が過ぎても、災害ボランティアセンター(ボラセン)を通じて活動しているのは延べ2739人。阪神・淡路大震災では発生1カ月で延べ62万人だった。「ボランティア元年」から29年。自立した市民社会の後退を危惧する声も出る。 

 

【写真】SNSで話題、能登半島地震発生時に多言語で「津波逃げて!」 サンテレビ、事前に収録 

 

■「プロとアマを区別してしまう空気」 

 

 1月中旬。「神戸国際支縁機構」(神戸市垂水区)のメンバーは石川県珠洲市に連絡を取り、医師や看護師と一緒に避難所を訪問した。そこに医師はおらず、避難者らの体調も心配されたが、活動を断られたという。市に問い合わせると、「現場に任せているので」と言われた。 

 

 国内外の被災地支援に携わってきた同機構。岩村義雄代表(75)は「能登では、災害派遣医療チーム(DMAT)など公的に認められた団体でなければ活動しにくい。プロとアマを区別してしまう空気がつくられてしまった」と嘆く。 

 

 背景の一つに、交通事情などを理由としたボランティアの自粛ムードがある。石川県によると、現地で活動した一般募集のボランティアは2月16日時点で、延べ2739人。公的なボラセンに登録し、活動した人数だ。同県は「個別に被災地に行くことはお控えください」と呼びかけている。 

 

 一方、食料や宿泊場所を自ら確保し、得意分野で支援する「専門ボランティア」は114団体が現地入り。国などと連携する「全国災害ボランティア支援団体ネットワーク(JVOAD)」がコーディネート役だが、神戸国際支縁機構など所属していない団体は活動していてもカウントされない。 

 

■東日本大震災でも 

 

 ボランティアの自粛ムードは東日本大震災(2011年)や熊本地震(16年)などでもみられた。 

 

 議論の源流は阪神・淡路大震災だ。当時全国から駆けつけたボランティアの活動をどう捉えるか。「混乱」と「自由」の両側面が指摘されたが、大阪大大学院教授の渥美公秀さん(62)=災害社会学=は「行政側は『混乱』と捉え、全て管理したいという空気がその後、出てきた」と指摘し、続けた。「市民活動を信じない風潮が根底にある」 

 

 渥美さんによると、能登半島での活動を希望する学生もいるが、「SNS(交流サイト)でたたかれる」と萎縮し、被災地入りを諦めているという。渥美さんが副理事長のNPO法人「日本災害救援ボランティアネットワーク」(西宮市)は独自の拠点をつくり、ボランティアを受け入れるつもりだ。 

 

 「被災地NGO恊働センター」(神戸市兵庫区)顧問の村井雅清さん(73)も阪神・淡路で殺到したボランティアについて「行政は混乱したが、被災地は助かった」と振り返る。 

 

 当時は多くがボランティア初心者。「失敗や間違いもあったが十人十色、みんな自分で考えて動いた」。聴覚障害者に気付いてもらえるよう「肩をたたいて」と書いたプラカードをぶら下げて歩く人もいた。 

 

 新たな市民社会の到来を感じさせた29年前を振り返り、村井さんは言う。 

 

 「市民が自主的に動ける文化がなくなっていると感じる。あの時のボランティアたちに申し訳ない」 

 

(高田康夫) 

 

 

【災害発生後のボランティア】兵庫県の記録によると、阪神・淡路大震災の発生から1カ月間で活動したのは約62万人。1年では約137万人だった。東日本大震災では、災害ボランティアセンターを通して活動した(岩手、宮城、福島県)のは発生50日で約23万人。およそ1年で約102万人。いずれも延べ数。 

 

 

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(まとめ) 

・災害ボランティアに対する意識や環境の課題:被災地へのアクセスや宿泊施設の不足、管理体制の確立の必要性、アクセス制限や現場の混乱、募集に対する問題意識などが挙げられている。

 

・ボランティア活動の難しさ:プロボランティアの存在や労働搾取の懸念、応援要員の違い、自己完結の難しさなど、ボランティアのあり方や環境に関する懸念がある。

 

・ボランティアの有意義さと必要性:被災地や被災者に寄り添いながら活動することの重要性、ボランティアの参加意識や働き方に関する配慮、助け合いの大切さなどが強調されている。

 

・過去の経験を通じたボランティアの価値:過去の災害を通じたボランティア活動の体験や成長、地域社会への貢献と復興支援の重要性が述べられている。

 

・効率的な支援やボランティア活動のあり方:組織化やリソース配分の必要性、現場のニーズに合わせたアプローチ、被災地の実情と対応、効果的な支援方法への提案などが含まれている。

 

 

ボランティア活動に対する理解や環境整備の重要性、ボランティアの意義や成果、効果的な支援方法や課題に関する様々な意見や提案が寄せられており、災害支援活動における効果的な取り組みと課題の双方が議論されています。

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・募集に応募して災害ボランティアとして石川県に来ています。今日は土砂や家財の搬出をしました。職場の方に行くと言ったらアホだとか、お前が行っても無駄だとか言われますが、やらない善よりやる偽善の精神でやっています。勝手に言わせておけばいいと思います。自分自身にも防災、減災の意味でも勉強させて頂いています。なかなか定員などの問題で難しいかも知れませんが、今回伺った自治体でもまだまだ人の手が必要な様子です。ほとんどの自治体は金沢駅からバス移動なのでアクセスも問題ありません。可能な方は是非お願いします。 

 

 

・支援より受援が圧倒的に難しいと思います。 

良かれと思ったことが相手側には混乱を招いたり、迷惑だったりする。大量に訪れたボランティアを振り分ける、役割分担する、引き継ぎは??その人たちが寝泊まりするところもない。 

 

自由にボランティアが入れないとうことは、まだ受け入れるその余裕がないということ。 

行きたい気持ちを抑えて粛々と必要な機会のために情報収集、準備をしておくことも必要だと思います。 

 

 

・ボランティアに行く方は、元々、心の優しい方、 

相手の身になって考える方が多いと思います。 

なので、批判したり、行く事が迷惑になってるとか言われると、行く事を控えてしまうと思います。 

確かに、マイナスになってしまう行動も有ると思います。色んな考えがありますから。 

でも、ボランティアに行って下さる方がいるから、 

沢山の方が助かっている事は間違いないのですから、行ける方が遠慮してしまう、怖くて止めてしまう事がなければいいなぁと思います。 

私は、現地に行って下さってる方に対して、 

被災者の方が感謝して、笑顔になっているのを見ると、有り難いなぁ、凄いなぁと尊敬と感謝で 

胸が熱くなります 

 

 

・今一番フットワークが軽そうな若者世代の人口も少なく、この30年の間に起きた震災との比較は難しいと思う。 

時間は掛かっても仕方ないという寛容さが無いといけない。 

時間が掛かるという事は仮設住宅や避難所での生活が長くなるという事ですから、その為の調整はしないといけない。 

その為に県知事や、被災自治体の首長が連携を取り、枠にとらわれず協力し合い、住民にも周知する必要があると思います。 

 

 

・炊き出しをしてくれる方にお願いですが、きちっとした衛生管理の元作ってあげてほしいと思います。緊急事態だから被災者は喜んで温かいものを求めるとは思います。しかしながらこの前のサプリを入れた問題とか飲食店の営業許可がある人が作るわけではないので作る工程がとても気になります。 

 

 

・以前もコメントしましたが、記事書くだけの人は簡単に言うから楽ですよね。 

仮設住宅がなかなか建たないや、断水が続くや、ボランティアの活動は3時間しかできないや、全部誰のせいでもないし、皆やれることはやってますよね。 

じゃあどうすれば効率的なのかまで書いて欲しいです。 

ボランティアの枠はすぐ埋まるほど行こうとしてる人は多いけど、色々制約もかなり多いですよね? 

ボランティアの方々は自費で出向き、無償で作業してることを忘れないでほしいです。 

 

 

・募集の少なさの原因は様々だろうけど、個人的にはやはり経済状態が大きいんじゃないかなと思う。 

いろんなモノの物価高は人の流れに直結するよ。例えば、カップ麺だって2011年と今とでは違うし、ガソリン代などの燃料費、その他石油関連だって全然違う。 

働く年代層だって、2011年当時30代の人は今は40代。家族が居たり、氷河期世代だからいまだに低賃金であえいでいる人も沢山いるだろう。体力の低下も著しい。おまけに若手は年々人口減少しててその若手でさえも低い給与で車も持てない。 

「sns」で叩かれるだけとは到底思えない。 

 

 

・ちゃんと調べて書いているのかな。個人で自由に被災地のボランティア本部に行って活動を割り振られて参加する、というこれまでの多くの災害と違って、今回は現地へのアクセスができないというのが大きな問題。だからボランティア登録者は何万といるが実際に活動できるのは金沢からのボランティアバスに乗れる数十人だけで、その状態が改善されるのを待っている人がほとんどという現状を考えずに単純に人数を比較することに意味があるとは思えない。 

 

 

・阪神淡路の時は、電車で数駅行けば普通の暮らしをしていた。しかし、能登の場合は半島の大部分が被災しているような状態で、雪も降ったりして、全く状況が違う。泊まる所も食べるものもなければ、支援したい気持ちはあっても行かれないのではないか。 

 

 

・阪神淡路の時はボランティアで数ヶ月神戸で過ごして参加しました。 

時代の背景もあると思います。 

今は自分の生活だけで必死な方もかなり増えている。私自身もあの頃は若くて行動力だけで動きましたが今は距離も遠く行けば自分の生活が壊れる為行けないので 

義援金を出したり、知人が炊き出しに行く為に 

業務用の調理器具を提供する形にしました。 

そして何よりの違いが他人の目がいたるところにあり、自分の意思に反してそれが世界中に拡散される事。 

生きにくい世の中に変わっていった事は確かです。 

 

 

 

・高校生の時に、阪神・淡路大震災で被災された長田区の仮設住宅のボランティアへ行ったことがあります。被災地へ行くというのは、普通のボランティアとは違い、被災された方達は計り知れない心の傷と、現場の何とも言えない空気と緊張感があります。子供だったので、余計緊張して行ったのを覚えています。 

子供だったからか、付添案内人が、現地では写真は取らない、大きな声や笑い声を出さない。その他注意事項を幾つか聞かされました。 

震災後約2年後の訪問にも関わらず、暗い空気感が漂っていました。 

被災地へのボランティアは、心構えが難しいです。モラルや、常識と言っても、各個人で差があります。大人のボランティアでも、事前にきちんと学び、知る機会が必要に思います。その方が、トラブルを防げます。学ぶことを面倒だと感じるならば、ボランティアにはそもそも向いていないということになると思います。 

 

 

・ボランティアに対しての条件が結構うるさい。保護猫活動とかと同じで、条件があるのは理解出来るけどあんまりうるさいと面倒なのでいいやって思っちゃう。普段から講習会開いてボランティア登録やライセンス的なものを作ったら良いのに。 

 

 

・ボランティアに参加される方には敬意を表します。私は身体が不自由なので、労働のボランティアには参加出来ません。せめて寄附金くらいはと思うばかりです。すみません。 

ただ、ボランティアに頼るのではなくて、国や自治体が仕事として雇えば良いと思っています。バイトとして給料払って、寝るとこも食事も用意してあげたらいいのに。もちろん、被災された方々の衣食住が優先だけど、わざわざ手助けに行かれる方のことも大切にしてあげて欲しいです。 

 

 

・今回の能登半島については、地理的な条件もあってボランティアが制約されてるとニュースで聞いたような。 

ちょっと記事のニュアンスには違和感が。 

 

しかし、ここのコメント読むだけでも、ボランティアに参加すると叩かれるというのが事実らしいというのが分かりました。 

自分が被災した側になった時に、いかに不自由を強いられるか、誰かが力を貸してくれるのがどれだけ助かることなのかが分かるのだろうとは思うけど、それを想像する力もないのか…。 

お花畑にずっと住んでいればいいさ。 

 

東北のとき、避難所になっていた校庭で炊き出ししていただいて、貰えた「一個のおにぎり」のありがたかったことよ。 

 

 

・受け入れ人数の少なさについては 能登の交通インフラが大きく影響していると考えます。 

阪神淡路や東北のように多方面から流入できる状況であれば 受け入れもし易いが 能登は金沢からの出入りに制限されていた事も影響しているだろう。 

 

また 宿泊施設が圧倒的に足りなさ過ぎるし 多くの人が訪れて被災地のインフラや物資を消費してしまっては元も子もない。そのために行政の管理が必要なのです。 

 

私も今週末に公的な支援チームの一員として能登に入ります。現地にて 僅かに稼働している宿泊施設を 現地の割振りにて手配頂き やっと訪問に至っているところ。やはり無計画にインフラの整っていないエリアに入るのは感心しません。今後も過疎地域が大きな災害で被災した時には同様のジレンマが発生すると思われますが 残された人達は 被災地に行かなくとも経済を回す事も役目の1つです。被災地を思いつつ当たり前の日常を過ごすことも大切です。 

 

 

・密かに出来る限りな気持ちでボランティアに行かれる方も多いと思います。 

SNSで叩かれるとかではなく、現在ボランティアでも必要とするボランティアの内容を被災側も言ってくれたら良いのでは?とも言う気持ちもあります。 

 

性被害対策、復興にガレキ撤去のボランティア。 

子供、高齢者、介護に必要なボランティア。 

看護師ボランティア。とか色々と役目のボランティアが必要と発表してくれたらボランティアさんも行きやすくなるのでは?とも思います。 

 

手伝いだからという気持ちは凄く有難い気持ちだと思いますが、必要な内容でボランティア募集としても良いのでは?とも思います。 

 

 

・今回の件に限定して言えば、元々山間の土地で道路が限定されている所に、幹線道路が大きく破壊された故、救助物資、残骸の運搬、インフラ整備に大きく支障が出ているので、大人数ボランティアはゴミやトイレなどの問題で逆に困ってしまう事態に。逆に救助精神があるなら、(受け入れ先があればだけど)大幅な人手不足に陥っている現地の道路復旧工事の短期アルバイトにでも参加してもらった方が大いに助かるのではないのだろうか?土木の仕事は破壊された田畑の復旧作業など、力仕事は大いに需要がある。収入が入れば現地でお金を使うだろうし、募金よりも健全だと思う。国が音頭取って現地の土木会社と連携して新しいボランティアの形(収入アリだけど)としてやった方が良い。交通整理の人員補充だけでも人手はあった方が良いと思うし。 

 

 

・SNSには良い面があるのと同時に、反面、この様なキツい面もありますね。 

 

この様な件に限れば、中には部分的に間違った思いを持つボランティアの方もいる様ですが、多くは善意で行動している方々だと思ってます。 

 

個人的にはボランティアの多くの方々を応援する思いがあります。 

いずれ余裕ができれば、私も人助けができる人間になりたい。 

 

 

・今の日本には、何もかもが制約、規則、登録、個人情報保護などで、行政や中心になるシステムが無いと活動出来ない。生きづらい、行きづらい世の中になってしまった。誰もがみんな、マスク警察の時のように、勝手な振る舞いをする人が、槍玉に挙げられて、良い事だとしても、SNSや物知り顔の人達に叩かれる。現場は、混乱してようが、人の力を借りたい人が沢山いるのだから、ボランティアの方々の良心に任せて自由にボランティア活動を行うのを見守るような寛容さが世間には必要だと思う。あれはダメ、これもダメでは前に進まない。助かる人も助けられなくなる。 

 

 

・何かやりっぱなしとかの画像を上げてる人がいたけど、気付いたら方付ければいいと思う。ボランティアは手助けであって善意であってプロでもない、報酬ももらっている訳でもない。少しでもやってもらえた事に感謝をするのではなく、あら捜しじゃないけど、不平を言うのは間違っていると思います。恩を仇で返される事が分かれば協力する人は、だったらやめようと思うのが普通だと思います。 

 

 

 

・一人休んだら穴埋めが大変って言う職場環境が日本の現状よね。 

ボランティアへの参加意識が低いとか、生産性が低いとかってみんな根っこ一緒で、業務をギリギリの経営資源で成立させちゃうからなんだよね。長期の休みも取れなくて、ひたすら国の休日が増えるのも同じ。 

価格至上主義と単純労働差別(努力以前にそもそも単純労働の単価が安すぎ)をなんとかしないと社会の維持は難しいように思う。 

 

 

・ボランティア活動にとても関心が有り 

体力には自信が有るので、 

現地で、お手伝いをしたいと 

思っておりますが。 

今、言われている 

素人ボランティアとなります。 

 

ボランティアは、 

自己完結が出来ないといけない風潮があり 

とても自信がありません。 

 

専門ボランティアが行っているなら 

素人が行く必要が無いと思ってしまいます。 

 

多分、同様の人は沢山いると思います。 

自然災害が多い日本は、 

皆が助け合わなければ 

長続きしないと思います。 

プロとアマ、分けていないで 

アマをプロにする事を考えたら良いと思う。 

 

現状では何か、良く無い感じがします。 

 

 

・阪神淡路の時は、都市部でのあのような災害は戦後はじめて。安全神話だった高速道路の倒壊は日本全国で衝撃が走りました。あの当時は自衛隊は軍との位置付けで当時の村山政権は、自衛隊投入を躊躇うような時代でした。今は当たり前の災害時の自衛隊出動はまだまだの時代。自助も強かったため、家族や親戚だけでなく知り合いでも行った方が多かったったとおもいます。死者も5000人以上になり被害は甚大でした。逆に言えばボランティアなどの感覚がなくとも、自ら動く人が多様にいた時代でもありました。 

 

 

・阪神大震災でボランティアにお世話になった記憶があります。 

まだ幼くて一部の記憶ですが、公園でみんなで体操や遊びなどをしてくださって、復興後も両親が連絡を取り続けるようなお付き合いとなりました。 

 

一個人の意見としては、被災時のボランティアは有り難かったという印象です。 

ボランティアに携わる側も受け入れる側も受ける側も、人と人とのコミュニケーションなので感じ方は十人十色でしょうけど。 

 

現在は実際に赴くことは難しいため、普段より積極的に被災地の商品を購入するといった応援方法を選択していますが、いつかは当時の皆さんへのご恩返しに被災地ボランティアに携わりたいと考えています。 

 

 

・昔からボランティアに行く人をなぜか叩くネット文化が日本にはありますからね。完全自己完結しなければいくなとか、全て準備しろとか、結局はこういう批判のせいで、ボランティアに志願する人が減ってしまった。善意でやってくれている人達に対して、上から目線で批判すればこうなりますよね。ボランティアのハードルが上がりすぎて、無給でやれってそりゃ行く気にはならないですよね。あくまで思いやりの気持ちで助けに行こうとしてる人達に対してあまりにも配慮がなさすぎたんですよ。 

 

 

・「被災地・被災者のために役に立ちたい。」「復興のために役に立ちたい」など「人を助けたい」という気持ちがあって、ボランティアに参加したい人は委縮しないで参加してほしいなと思います。私も東日本大震災や福島原発事故の被災地に復興支援に2011年6月から約6年間月1回で行きましたが、ボランティアに参加することで、被災地の現状や被災者との交流も生まれて、決して無駄にはならないと思います。高校生・大学生の若者も参加していましたが、ボランティアに参加して、復興支援のために大学で建築を学びたい、看護師になって人を助けたいという高校生、建設業界の会社に就職して、復興支援に関わる仕事をしたいという大学生、ボランティアで成長していく若者は頼もしいですね。しかし、被災地・被災者に対する謙虚な気持ち、いたわる気持ちは忘れないようにしてください。万が一の事故の備えも忘れないように。それさえ忘れなければ大丈夫。 

 

 

・神戸の震災の時に、トラックを借りて、集めた物資を運び入れたボランティアをしました。 あの時は狭い地域に被災者が集中、物資運搬の車両が集中して大渋滞を起こしていました。 私は自己判断で動いてましたから、渋滞が無い夜明けに合わせて行動しましたが、公的支援のトラックは日中に行動するために何倍もの時間がかかっていました。 その混乱を再現しない為の「今は来ないで」と言う呼び掛けと思えます。 また、情報がきちんと伝わっていなかった為に、初回は物資を必要な所に届けられませんでした。 私は行政から、神戸大学に搬入を指示されましたが、生鮮食料が集中し過ぎて腐っていました。 後に現場の情報で、長田に物資が無いと聴いて2回目は必要な人は届けられましたが、そこでは宗教団体や山口組の炊き出しで糊口を凌ぐ人達に居ました。 その後、宗教団体は勧誘してましたが… 行政はその反省からも支援の系統化をしたいのでしょうね。 

 

 

・ボランティアも行政は混乱ととらえるのか。 

 

確かに受け入れる側の自治体、そのものが職員も庁舎も被災していて普通の業務もこなせないのに、そんな時に地元の事を全く分からない人が全国から押し寄せたら事故や二次災害に繋がる事を懸念して慎重にならざる得ないんだろうな。 

 

確かにボランティアとして民間人同士は助け合いができても、自治体の仕事を助けられる人はいないわけで、そういう時に外部から行政の仕事をサポートしたり委託できたりする機関が必要なのかもしれないな。 

 

 

・ボランティアは寄付に等しいと思う。気持ちだけではかなり難しい。宿や食事や交通費を初め、時間や体等、、。自分のお金や時間等に余裕のない、それどころか自分と家族だけでギリギリの生活をして強いられている人が多い現代の日本。国から根本から変えなくてはかなり厳しいと思います。その中でもボランティアに参加されている方には頭が上がりません。私は非力ですが、今自分にできる事を震災の次の日より開始し、少しでも被災された方のお役に立てればと思っております。 

乱文失礼いたしました。 

 

 

・自身も応募で週末ボランティアに伺います。東日本大震災や熊本等でいろいろなノウハウがあるので活かせたらよいと思いますが、私自身も感じる事ですがボランティアとして現地入りして窃盗する人や、対価を要求する人が居てなかなか受け側も大変かと思います。ボランティアセンターの開設、準備、スタッフをいち早く確立できればスムーズに進むかもしれませんね。熊本地震の際にはボランティアが多すぎてセンターがさばききれないことや物資を仕分けする人が足りなくて廃棄がかなり出ました。特に今回は半島という事もあり道路も限られた経路しかないので殺到すると渋滞や事故の要因になるのも一つでしょうね。現地に行くことだけではなく、石川の物を買うとか募金、気持ちに寄り添うだけでも支援になると思います。 

 

 

 

・一般的な仕事に例えると、他の業務を応援する為には、応援できるだけの力量と、応援要員を采配する管理者が必要だ。 

これは、ボランティアにも当てはまる話だと思う。 

無管理な状態で応援要員が増えれば、ただでさえトイレ等のユーティリティが足りていない被災地に、人が増えることになる。 

人助けをしたいという気持ちは当然だが、みんなが勝手に動いたらどうなるか?を考える必要も有ると思う。 

 

 

・震災から半月くらいの時期に、ボランティアに行った学生さんの知り合いの手記が記事になってて、想像以上に過酷だったというのを目にしました。 

自分で自主的に動くというより、上の方からほぼ全て指示されて、慣れないことに上手くできなかったりするとドヤされるようなことや、ストレスを抱えた一部の被災者からも心ない言葉を受けて、心身ともに憔悴したという内容でした。 

 

ボランティア全員に当てはまるかはわかりませんが、誰かの為ではあるものの感謝されたり自身の行動が誰かの為になっているという自己肯定感が原動力、つまりは自分の為にやってるのだというのを以前に聞いたことがあります。 

 

ですからそういった記事を読むとなかなか積極的に行きたいという方は減るのではと感じました。 

もちろん交通事情による原因が大きいでしょうが、こんなのも一因にあるかなと。 

 

 

・ボランティアって手伝いの域を超えてもはや仕事になってるように感じています。 

私は労働には対価を支払うべきだと思うので、必要なリソースは、各種団体、行政が募り、有償でやるべきだと思います。資金云々はクラウドファンディングもありますし、そういう動きになればスムーズかと。 

参加したい方はクラファンで。その方が現場が混乱しなくて良いと思います。 

 

 

・昨日七尾市に支援で行きました、金沢は通常の賑わいでしたがのと里山海道で七尾市に近づくにつれ緊急車両優先、路面もひび割れ沈下応急処置がしてあるものの徐行しないといけない場所があり被害の甚大さを痛感いたしました、七尾市はほとんど上下水道断水で市民は給水車と寄付の飲料水に頼っているような状態でその先の輪島市珠洲市では状況がさらに悪いと容易に推測できます、アクセス経路がのと里山海道だよりなのが幅広い支援ができない要因だと思われます、自然は美しいのですが地形が支援をしにくくしている、皆さん復興には相当時間がかかるとおもわれますので今後数年は心の中に支援の思いを持っていて下さい、偉大な哲学者西田幾多郎と宗教家鈴木大拙が生まれた県です 

 

 

・事前登録をして、毎週応募フォームで参加をエントリーしてますが、募集が毎回200人程で、開始2分まで繋がらず、繋がったと思えば定員に達したので締め切ったとなります。石川県は、もっとバスの台数を増やして、参加したいボランティアをもっと受け入れて欲しいです。 

 

 

・災害ボランティアをやるには、食事や寝る場所、足を全て確保しないとならない、被災地に負担かけてはいけないというが、そうやってものすごくハードル上げると、結局来てほしいところに届かない事になる。 

全国の自治体や医療や土木等各種団体も、もちろん真に被災地を心配しての行動ではあると思うが、時に自分達もやってますよというアピールが強いんじゃないのかと思う事もある。被災地の活動は難しいなと思う。本当に被災地の人が望むことを、ボランティアの人が手伝いやすくするための支援を全国から来た行政が担うとか、うまく繋がって欲しい。 

少しでも瓦礫の家々が片付いて、1日も早くまたその地で暮らせるようになると良いなと願っている。 

 

 

・いつの間にかプロボランティアが求められるようになったのがね・・・ 

初動で行くのは迷惑を強調しすぎたのと、アクセスが遠い、環境が整備されていない等々で行けない人も多いかと 

もういっそのこと募集する時に、楽・普通・きつい、どのコースを希望されますか?とか、ボランティア歴で振り分けるとか、必要な備品を貸し出すとか、何らかの形で調整したらどうだろね 

 

しかし本来は善意でお手伝いに来てくれる人、程度の物なんだけど、気がつけば実働戦力として期待されてしまうようになり、安価な労働力として復興の仕組みに組み込まれたのが間違いの始まりで 

企業や学校からもノルマ的に送り込まれるようになり、必ずしも熱意のある人以外が参加するようになったことで質がばらけた感 

本来はプロに任せるような事までやらされるようになってきているようだし、労働搾取になってしまっているのも不味い傾向 

 

 

・自然災害経験者ですが、今回救援車両で渋滞するから政府はボランティアに向かわない様呼びかけていましたが、それがあたかも悪い(行かない言い訳)の様な言い回しで自重しなければならなかった事、時期を待って状況になったら呼びかけますのでお願いしますと何故言えなかったのか言い回しが有志で行く人はみんな悪いみたいな風潮が出来たせいで足踏みする人が今後も増えないことを祈るばかり。 

 

 

・能登半島は道路事情が悪く、断水が4月迄解消されず、高齢者が多く助けが必要なのにこれまでの震災よりも、ボランティアが働きにくい状況です。ただ、震度7級の地震が13秒以内に2回起こり、その後も余震が多く、ボランティアの助けはこれからも2、3ヶ月以上必要です。石川県もその状況を全国に発表するべきです。 

 

 

・私も東日本大地震ボランティアで「個人的に」東北入りしました 

当時も道路の破損や混乱が言われていて、個人のボランティアは禁止されていた記憶があります 

でも、愛知県の生協から宮城県の生協へ物資を運ぶ手伝いを口実に高速道路使用許可?も使わせて頂き東北入りする事が出来ました 

今もそのまま定住して宮城県に住んでいます 

能登半島地震でもその様な気持ちで活動しているボランティアも一定数いると思うし、元々過疎化が進んでいる土地に興味を持ってくれた人の中の気持ちも尊重する 

その方が5年後、10年後に北陸地域に関わる人が増えてくる気がします 

私自身も聖人君子ではないですし、悪さを企む個人も多くいるとおもいます 

が、それは被災していない地域でもあり得る事 

災害初期段階においては特にそう思います 

 

 

 

・ボランティアで行くとしても、能登は中々厳しい状況。被害の大きい所へは余り多くのボランティアは行けないだろう。移動手段や長くいる場合は泊まる所とかが中々厳しい。私は三連休で行く感じになるが、夜は能登からは完全撤退する感じかな。叩く流れは、災害初期に被災地に入った人達からの流れだろうし、行くなら準備しっかりして行けば問題は無い。 

 

 

・災害ボランティア活動は何か自分にも出来ることがあるならやりたい助けする何て大袈裟な事で無く何か出来ればしたいそう思う人達です。阪神淡路大震災の時にボーイスカウトのリーダーをやっていた時ボーイスカウト関係で行きました。必要であれば行けると連絡して行きましたが本当に小さい事くらいしか出来ませんでしたが皆さん大変喜んでいただきました。実際にやった人達にしか感じられない事もあります。 

 

 

・ボランティアは助けて欲しいと言われてする物だと思うので、県が来ないでくださいと言うのであれば行かなくていいと思います! 

泊まる所や、食料、ボランティアをする人の質など色々問題はあると思いますが、被災した人達も助けて頂いてるという気持ちが少ない人も多い様に感じらので、少し支援するのを控えてしまってます。 

災害に遭われて大変だとは思いますが、細かい事にいちいち腹を立てていては、助けてもらえるものも助けてもらえなくなると思います。 

 

 

・そもそもボランティアに来られて迷惑みたいなSNSを見た気がします。 

トイレもずっと我慢しないといけないとか、食糧も自分で用意してこいだとか、色々言われていたと思います。 

マンパワーが必要ならボランティアを効率よく受け入れる司令塔が必要だと思うし、そこからの発信も大切だと思う。 

でも、私が見たSNSだと、関係者みたいな人が駅からバスに乗ったら、駅に帰ってくるまでトイレはないと言っていた気がします。 

被災地の状況は理解できますが、1ヶ月以上経過しています。 

それでも簡易トイレとかの準備がない事とか、ある意味、行政の不手際だと思います。 

ボランティアはあくまでボランティア。 

善意なんですよね。 

どんな過酷な状況の中作業をさせても大丈夫だと思われている様な感じで人が集まるとは思えません。 

 

 

・まず、阪神大震災の時とは前提というか、制度仕組みみたいなものが全く違うことは理解しなければならないと思う。 

当時はいわゆる私有財産(土地、持ち物その他)に関して一切合切自己責任で、政府・自治体の補助・援助がまったくと言うほど期待出来なかった。 

そうなると瓦礫の撤去等含めて自分たちでどうにかしなければいけない範囲や比率みたいなもんが全く違うと思うと、ボランティアの重要性や役割みたいなものも違うんだと思う。 

そして都市部とほぼ山で山村があちこちにあるような能登との地形的というか地理的な違いについても考えなければいけない。 

アクセスや拠点の作りやすさも違うし、冬の日本海と太平洋という気候的なものも全然違う。 

何より比較しているのが阪神大震災ってあたりがこの記事のミソだろうな。何故、より年数的に近い情報も多いだろう東日本大震災との比較じゃないのか。その辺からして浅いとしか。 

 

 

・東日本大震災のボランティアに参加した人から、現場でただ当たり前のようにボランティアが利用されるだけだと分かって嫌になって止めた、と聞かされたことがあり、えっ?ポランティアってそういうものでしょ、と驚いたことがあった。でもよくよく考えてみると単なる滅私奉公を要求するだけではボランティアは発展しないと思うようになった。まして、現場でヘマしてSNSでバッシングされたらボランティア活動はトドメさされかねない。被災地で詐欺・泥棒の類まで現れて、災害時の国民の対応は民度を表す尺度であることを改めて思い知らされた。やはり、こういうことは経験豊富なボランティアのベテランの意見を聞くことが大事だと思う。ボランティアに参加する人たちのモチベーションが一番大事だからね 

 

 

・発災から2週間とかそのくらいまでは、現地で野宿出来る場所だけ借り、衣食住と危険な状況に陥っても対処できる人ならすぐに行って活動してもいいと思いますが、実際現地入りした人はそれが何もできないどころか迷惑かけたか寸前になった人が現地入りしたからSNSで叩かれ、尻込みする人が出て来る。 

発災してすぐ現地入りしたい人は、自衛隊警察消防と同等の人命救助活動に必要な機材と技能を持ち、同じように自己完結出来る自分の身の回りのことができ、道路啓開に必要な機材と技術ライフラインを復旧させる機材と技能を持っている人だけ現地入りして活動をすることです。 

それが出来ない人は現地のスーパーが通常営業になって、宿泊施設が受け入れ可能になってからボランティア活動に参加して欲しいです。被災者の生活の応急復旧が出来ない状況では自分身の回りの物を現地調達に頼る考えの人は迷惑にしかなりません。 

 

 

・石川県民です。 

登録されたボランティアは既に2万人を超えています。とてもありがたいことです。 

一方で、七尾以北は自己水源を持つ地域以外、未だに断水ですし、安全な宿泊も担保されないため、日帰りでの参加をお願いしています。 

また、全壊家屋、半壊以上の家屋が多く、対象となる需要も限られているのが原因です。 

地震も建設関係なので、啓開作業に従事しましたが、1月初旬は車に3食分の食料や水、車中泊対応の毛布寝袋持参でした。 

多少改善してきました。水道が復旧し、和倉が拠点として機能したら多くの方の来県をお願いしたいと思います。 

 

 

・最近の災害を見て思うのは受け入れる側がボランティアを来ない様にしている様に見えます。事前登録して、センターから選ばれないと参加できない。まるでボランティアに来させてあげてるという風に見える。受入体制が受入体制がと言うし、プロや芸能人は入れる。被災者は1秒1秒が大変で苦しいんだよ。素人でも何でも入れて一つでも片付けをしないと。ボランティアが、瓦礫を一つ運べは被災者はその分別の事が出来るし休憩も出来る。これが何10個となれば前に進むんだよ。 

早くしないと地震のニュースも減り始め、関心も少なくなる。3月になれば卒業や就職などでボランティアどころではなくなる。とにかく早く前に進めて欲しい。 

 

 

・まず、県や市町が、いくら災害発生を想定したプランを策定していても、当然ながら今回のような自然災害を実際に経験してはいない。また、道路状況も阪神淡路と違って複数路を通行することができない。阪神淡路のボランティア数が大きすぎて、時間も経過していることもあって、直接比較する必要はない。 

 

 

 

・私は阪神大震災の被災者です。当時多感な中学生でした。ボランティアはボランティアする人の自己満足、偽善なのだと感じ心を歪めました。阪神大震災のボランティアは大変なところには絶対いかない。学校に届く支給の食糧を、避難所で仲良くなった人に優先的に届けて感謝されて鼻を高くしていました。要はボランティアが先に食糧を自分達で独占し仲の良い被災者に配る。もらえる被災者はいわゆるコミュ力が高く、もちろんすごく助かるから神様を拝むようにお礼を言う。ああ、さぞボランティアって楽しいんだな、と見ていて思いました。一定の人達しかもらえず、私を含め貰えない人が殆どでした。 

 

今のボランティアは瓦礫やゴミの片付けやヘドロの片付け、家の片付けなど、ドロドロ、体をバキバキにして働く。そりゃあしたくない。ボランティアは本来生半可な気持ちではできないですよね 

 

 

・ボランティアも様々で資格や技術を伴わない作業もたくさんある。が、何にしても被災地とは非日常の場であり、何をするにもそれなりの責任がある。また、危険の有る無しに関係無く、自分の衣食住は自己完結するだけの能力なり準備は最低限必要。 

阪神の際、初期の段階はインフラも全て止まっていたが、早い所では一週間位から通電したのと、食料等も一部の避難所ではボランティアにも配布できる状態だったからそれなりに素人の方も受け入れができた。 

が、今回の場合、寒さと居住(テントは無理)環境、物資の入手等かなり厳しい環境だと思う。 

それなりに来てくれた方も登録もできず帰るしかなかったりしたのだろう。 

 

 

・神戸新聞さんの認識は正しくありません。石川県災害対策ボランティア本部さんは、奥能登地方の宿泊施設不足(当然ながらボランティアより、復旧応援自治体職員と業者が最優先)と金沢から被災地への道路交通渋滞(平日はわかりませんが、土日は激しく渋滞します)緩和させるために、個人ボランティアの自粛をお願いしているんです。一方、石川県災害対策ボランティア本部さんは、週間災害ボランティアをサイト登録者向けに毎週発信しています。募集人数が各自治体でバス一台分で先着順のため、数分で満員募集締め切りになります。 

 

 

・仕方ない。最近は、何か問題が起こると、すぐ大ごとになるからな。責任の所在をはっきりさせたいんですよね。いくらボランティアであっても、何かあれば責任をとってもらいたいという流れ。責任がとれるとなると、やっぱり公的なボランティアになる。 

 

 

・復興には時間かかるから。 

まだプロしか要らないというなら、そうなんだと思う。 

素人も来て!って時期になったら行けば良いんじゃないですかね。 

 

必要なら「来て」と言いやすいこと。 

それが伝わりやすいこと。 

その時、ボランティアに行きたい、行ける人がいること。 

 

この3つが揃うことが大切だよね。 

今は必要とされてなくて、必要になるときまでモチベーション保ち続けるのは難しいかもしれない。 

そこなんだよな... 

 

素人の人がプロレベルになるにも時間がかかるから、足手まといでも少し現場にいれておいた方が良いのかもと思いつつ、 

被災者としては、そんな余裕があったら目の前のことやってくれとも思うだろうし。 

 

 

・役所目線の、支配意識があるようだ。そもそも、ボランティアとは何かを考えた時、人から言われてする事でもないし、子どもみたいに一から十まで指示されてやるものでもない。動ける人が自分のペースで助ける事、という基本に立ち返れば、叩く人は異様な行動としか見なされない。悪人でもない限り皆、自腹で仕事を休んだりして、他を犠牲にして駆けつけるのだから叩くなんて論外。役所もまた、大人なのだから一から十まで仕切る必要も無く、おおよその割振りで柔軟に動いて貰えば良いのでは? 

 

 

・他人の為にボランティアを買って出る人が、これ程多い。 

 

 その心意気は良いが、ただでさえ現地は物資が不足しているのだから、せめて個人の人は、自分の生活物資や居場所くらいは、自分で確保すべきではなかろうか。 

 

 そしてこのような大きな作業は、チームワークが大事だから、各自が勝手に動くのではなく、互いに連絡取り合って協働作業するのでなければ、かえって混乱を招くだけだと思う。 

 

 

・ボランティアの自粛ムードはメディアが作ったものです。 

東日本大震災の際にもテレビやラジオ、新聞が盛んに「迷惑ボランティア」という言葉を使いボランティアの活動の足を引っ張っていました。 

ただその際にも神戸新聞は論調が違った記憶があります。 

 

確かにごく一部のボランティアが問題を起こしたり、更に稀には犯罪行為をすることもあったようですが、これらを大きく取り上げ、ほとんどのボランティアによる善い行いはニュースとして扱いが小さい。 

 

これでは自粛となって当たり前です。 

 

 

・SNSに上げるイメージアップのためだけの行為とか、物流でも、色々とボランティアの悪い部分をピックアップしている記事やコメントをよく見た。 

困ったちゃんな人は、放置か帰ってもらうか、排除しかないならそれで良いと思う。困った事は、愚痴や悪口ではなく、対策のみに焦点を当てルールを工夫するなど。 

 

人間、悪い方にばかり目がいったりする事もあるが、そんな人ばかり取り上げても、読んでいる方も不愉快なだけ。 

何か力になりたいと努力してくれる人、労力になろうとしてくれる人だけに目を向けていく。 

 

他人が自分たちの為に動いてくれる事、それは普通の事でも、当たり前の事でもないのだから、それを迷惑だから、間違っていると思うからと、悪く言われたら嫌なイメージがつくのは当たり前だと思うよ。 

 

 

・東日本震災後から現地赴任して東京と行き来してました。 

現場の事は当時から現在までエリア外から知る範疇とのギャップが一番の衝撃でした。 

東日本の時は個人的に色々な支援目的でかけつけて来る方々もけっこういるんだなと感じました。記事では把握出来る範囲の数字ですよね。 

とはいえ、把握外の人数が減っていっているのも確かなんでしょう。 

机上論を言う、机上での賛否が大事、そこで賛同されるのが正しい結果、な流れで良しとなっているんじゃないでしょうか。 

当事者になった時も、SNSが出した結果だからと現状に納得すればいいんですよ。それが一番楽でしょうね。 

 

 

 

・大変難しい問題ですね、自治体の方も被災をされている中で役所などに寝泊まりしながら支援活動をされその活動すら十分に裁き切れていない中で、ボランティアの方への適切な対応は難しいとは思う、かといってボランティアの方も情報や指示が無いとどこで何をすれば良いかも分からないというのが本当のところだと思う。 

 

阪神淡路の時は、関係会社がありそこの従業員がいたので、自分は現地にはいかず現地に向かうスタッフと連絡を取りながら、誰が何を困っていて、何が必要かを聞いて準備をする役割をしていました、東日本の時も工場があり現地の従業員と連絡を取り必要なものを送っていました、本当は良くないんでしょうが、時にはガソリンなんかもトラックで運んだりもしました。 

 

やはり現地の方との情報がないと、難しいと感じます、そこの繋ぎが出来る方法を整えると、行くまでに準備が整い、直接出向いてもスムーズに活動出来ると思います。 

 

 

・当時と違ってSNSが発達していて、災害時のルールなんかも整備されたりと、ボランティアに対しての扱いがそもそも変わっているし、都市部と違い、極寒の北陸でもあり当然ながら出足が鈍いのだろう。 

 

あれだけSNSで、一般のボランティアは後回し、プロが優先、みたいにボランティアを邪魔扱いした様なアナウンスが強ければ行くにも行きづらいでしょうな。 

 

一時が万事という言葉がある様に、災害時に綺麗事なんか後回しでいいと私は思う。大は小を兼ねるなんて言葉もあるわけで、小を大に取り扱うのは大変。 

 

足るを知るというような綺麗事より関われる人をバンバン投入してしたらいい。 

その先で困る事があるなら行政やプロがしっかり仕切ればよい。 

 

何もしない善意や意見より、行動力の方が大事かがいかにわかる。 

 

『ちょっとそこの方!これもって行って!』 

 

なんて感じで何かの役には立つっしょ。 

SNSは良くも悪くもあるわけです。 

 

 

・ボランティア活動に興味はありますが、子供がまだ小さいので行けないです。 

マイカーはハイエースで、後ろは寝れるようにしているので子供が6年生くらいになった時に、もし災害があった時(未来のことなので無いのがいいですが。)ボランティア活動に参加させていただけたらな、と思っています。 

 

困った時はお互い様の気持ちで、行ける人が無理のない範囲で行けるといいですね。 

 

 

・阪神淡路の際は、神戸芦屋の隣り、西宮から東は電車も動き、普通にサラリーマンが出勤していた。だからボランティアは、続々と電車や原チャリらで被災地に向かった。また、神戸の企業らの中には、大阪に拠点を移したり、社員を集め被災地の支援もしていた。首都圏や関西圏等の大都市圏災害の場合は、交通網が広がっていて早めに救援する方法があるのだろう。しかし、能登は元々交通網が限られた過疎地だけに、その弱点がボランティアの足枷になっている 

 

 

・東日本の時に動いたピアノを戻す為にボランティアさんに来て頂きました。移動は瞬時に終わりました。津波で亡くなった父の位牌がある部屋で仏壇が用意出来ず机に置いてあるのを見ながら長い時間お話しを聞いて頂きました。お話しを聞いて頂いただけでどれだけ楽になった事か…それは技術等持たないで気持ちで来て下さった方だから、私もお話しできた事です。今でも感謝しております。 

そういうお気持ちで来て頂から方には、物凄い力がある事を分かって欲しいです。 

 

 

・以前は芸能人やお金がある人がたくさん現地で炊き出ししたりボランティア活動をやっていた。今は下手に現地に行くと叩かれる。道路が寸断されて大勢が押しかけるのは難しいにしても、まもなく2ヶ月が過ぎようとしているのに、果たして今もダメなのだろうか? 

石川県はもう少し現状をわかりやすく公開してほしい。このままだといつまで経っても瓦礫の片付けも進まないような気がする。 

 

 

・学生時代から機会がある度にボランティアに参加してきました。社会人になってからも、数回ボランティアとして休日使ってきましたが、いろんな思いを持って参加されてる方々ばかりです。報酬などありません。確かに不十分だと思うかもしれませんが、多くの制約がある中でも、出来る限りの事をしていると思います。 

SNSは便利に感じることもありますが、善意を貶す様なことは決してしてはならないと思います。 

文句言うなら、じゃあ自分が休み使って行ってこいよ!って思ってしまいますね… 

 

 

・インフラ復旧の職人さんでさえ、現地に泊まれず金沢から片町3時間かけて通っている状態。5時出発で20時近くに帰宅。クタクタだ。宿泊施設が整えば職人さんを優先してあげたいね。道路も仮設住宅もボランティアでは間に合わない。それに目処がついたからがボランティアの出番。これだけの大地震、何年にも渡ってボランティアに期待されることはある。悲惨な現場の片付けや炊き出しだけがボランティアに求められるのではない。 

 

 

・ボランティアって基本的には「自主的に行動をする人」ですよね。 

だからどんな形であっても良いというのが私の意見です。 

正解はないんですよ。 

 

災害復旧のプロじゃない。 

あくまでも義心で動く人。 

そういう人に対して、他の人が細かく規定をしようと言うのは誤りです。 

 

現地で色々と言う人もいる。 

被災した人の中にもいるし、SNSで言う全くの門外の人もいます。 

しかし、ボランティアというのは「そういうもの」なのです。 

間違った行動をとる人もいるけれど、それを糾弾する事は避けたい。 

ましてや行く前から行動を勝手に制限されたら萎えるだけです。 

 

現地を訪れ作業をこなしたら、飛ぶ鳥跡を濁さずで速やかに帰投する。 

それだけ考えていれば、どう進めれば良いかは自ずと分かるはずです。 

 

 

・災害ボランティアは素晴らしい活動だと思います。必要な活動だし、困っている人を助けるのに非難される筋合いのものではないです。 

ただ、ボランティア活動のために現地の水や食料等の貴重なリソースを使ってしまっては被災者の為にはならないので、行政やボランティア団体に登録して、団体として行動・活動しないと災害ボランティアとしての価値が減ってしまうと思う。 

そして、SNSで叩かれる事で萎縮してしまうとあったが、そもそも叩く奴は安全で平和は場所から自分は何もせずに、ただ非難するだけの卑怯者だから気にする必要は無いと思う。しかし、「私ボランティアしてます。頑張っています。」的な投稿も必要ない。SNSの為にボランティアに参加している訳では無いはず。ボランティアしてますアピールをするから叩かれるのであって、何故そこに行ったのかを考えれば、自ずと行動も決まってくるものだと思う。 

 

 

 

・一部の批判や反対意見ばかりが大きく取り上げられがちな現代。 

九州豪雨の際は車で2時間ほどの地域なので、ボランティアに入ったが、SNSで叩かれるとかそういうことを気にしているボランティアはいなかったと思う。 

今も いうほど多くはないのでは? 

こういうマイナス面をいかにも全体のことのように書く記事は非常に残念 

能登の場合地理的に入りにくいことが一番問題だろうと思う。 

 

 

・欲望を満たす行為は喜ばれる。ただし際限がなく、最後は飽きて捨てるのが人間。 

 

相手の欲望を満たすのではなく、相手にとって必要な事を線引きして行うのが大事。つまりインフラを整える。対面で人に直接何かをするのではなく、インフラを整備するのが大事だと思う。人と人の交流は難易度が高く、誰かに何かすると「もっともっと」と要求が高くなり、しかもいつもやると権利だと勘違いを始める。だから、線引きするかやらないことが大事。 

 

必要な事を必要なだけすればいい。 

 

 

・東日本大震災の時に、仲間と一緒に炊き出しに行きました。プライベートですがまったくの歓迎ムードでした。断られたっていいじゃないですか、気持ちだから、気持ち、ボランティアとかは、少ないより、多い方が絶対いいでしょ!!叱られくらいに押しかけてあげなさいよ。そして、近隣のホテルに泊まれば宿泊施設も助かるよ。 

 

 

・今回の震災で思うのは初日から渋滞起こすからボランティア来るな、支援物資送っても仕分けるのに逆に邪魔だとか言われ確かに正しく正論だと思います。 

 

言いづらいが現状は被災地側が色々条件を付けるれる状況で、本来であれば感謝され無償でかつ自分の労力と資材を提供する側が文句を言われるおかしな状況になっています。 

阪神・淡路大震災以降に形成してきたボランティアの価値が完全に無くなっているので、支援する側も一旦「立ち止まる」必要があるのかもしれない。 

  

本質に立ち返れば身内でもなければ知った事ないという事だかそれでいいのか? 

ボランティアや無償支援の受け入れについて再定義すべきでしょう。主導して制度設計や意見集約定義作りを行うのは国だと考えます。 

 

 

・災害時の全ての統括は国主導で動くべきだと思う。 

災害にあった県や地域では、本人達も被災者である為、統率が取れない。 

それぞれの地域の情報や現状の正確な状態を、1つにまとめて国がリアルタイムに発信したら、変な噂は減ると思いますし ボランティア情報も正確になり、統率が取れると思うのですが! 

災害が多い日本は、政府より迅速に行動出来る専門部省が必要です。 

 

 

・東日本は大手生保が出してくれたボランティアバスで東京→宮城に移動し、女川等の学校周辺の水路掘り出しに行けた。鬼怒川も東京から電車で近くまで行くと、ボランティアセンターでプロボランティアが適切な配置を人数をしてくれて、個人宅の川の泥の除去ができた。 

 

今回はボランティアの受け入れ場所も枠も小さい印象。平凡な体力で、土日祝のみで、距離も遠いから上がりが早い自分では迷惑になるかなと二の足を踏んでしまう。こういう人は関西も首都圏も都市内に相当沢山いると思う。 

 

 

・阪神淡路にも津波にも参加してきたが、最初は殆どが初心者だった。 

 

確かに現地の行政は自分達の責任都合の考えが中心で民間人的な活動からすると不必要的な制約は多いし、正直、イラつく時もある。。 

 

以前よりボランティアを経験している人は増えているんだし、行政の自分達基準ではなく、もっと効率的な自由度を生かした、それぞれのボランティア任せた考えを作って頂きたい。 

 

現地の経験の少ない人達はそこから学べるし、行政自体がもっと学んで、不要な規制をしないようにするべきだと思う。 

 

 

・全国の議員さん!居眠りや、視察と言う名のお遊びしてないで、今こそ全員が被災現地に行って、ボランティア活動して下さいな!高齢の議員の方はそれなりに出来る事があるはずです!一般市民のボランティアばかり募っていないで、全国のものすごい数の高給取りの議員さんが交代で来てくれれば、こんな心強い事はないですよ! 

是非ともお願いしますよ! 

 

 

・きつい言い方だと思うけど、ボランティアに必要な心構えと準備が完全でない場合は委縮していただいて構いません。善意の押し付けは嫌と言うほど過去にもあったので、委縮するのは、ある意味過去の教訓が活かされている、と解釈しています。ボランティアに限らず、自分に可能な適切な方法で貢献することが尊いのです。 

 

 

・倒壊家屋の片付けなど,ボランティアが必要な場面は山ほどあるのだが,交通の便が悪すぎて活動時間が限られるというのはどうしようもない。珠洲市のキャンプ場ではテントを張って泊まり込みで活動している学生や常連客がいるとのことだが,金沢からの日帰りじゃなければ車中泊やテント泊できる装備と時間的余裕が必要なのが現状。自分も金沢市民だが,語弊のある言い方かもしれないが気軽にお手伝い感覚では行けないのでちょっともどかしい。 

せめて七尾市の水道が復旧すれば,和倉温泉の中でも損傷の少なかった旅館を業務・ボランティア問わず復旧作業の拠点にできるのだが。 

 

 

 

・阪神の時はなんだかんだ言ってもほぼ無傷の大都市大阪がすぐ近くにあり、翌日に阪急西宮北口、その後比較的早くJR芦屋や阪神青木(神戸市東灘区)などへ大阪から公共交通機関で入れるようになり、被災地に泊まらなくてもボランティアに行くことが出来た。能登は公共交通機関ではなかなか入れない状況であることは割り引かないといけない 

 

逆に道路は災害復旧の車と個人の車が無法地帯のように入り乱れており、当初西宮北口から三宮への代行バスが酷い時で8時間かかった(歩いた方が早い)ほどの大渋滞でした。これをきっかけに災害復旧道路を指定する仕組みが出来たという時代です 

 

加えて、当時とは受ける側のボランティアに対する認識も違っており、単純な比較はしちゃいけないと思います 

 

 

・昔は自撮りとかボランティアをしたことを発信する人なんていなかったので、叩く人もいなかったのですが、偽善と言われるみたいな話はよく耳にしました。  

 

でも、ボランティアの目的は困っている人を助けたいだけなので、そんな言葉も正直どうでもいいですし、現地の人が今は迷惑だと判断したなら待機して必要になったら行くだけです。  

 

災害はいろんな形があるので、人数で比べることは出来ませんし、入れる時期や時間、長さも違います。 

現地の受け入れ体制が整えられ、更新されていく情報発信にメディアがずっと協力してくれたなら、かなり効率よくなりそうですね。 

 

行こうと思っていたのに一回断られたから行く気がなくなった、みたいな発想の人は会ったことがないので理解できませんが、生死に関わるような痛みを抱えた現地に入るのに、ボランティア仲間にそんなことを言われても、その人たちのメンタルまで気にしてられません。 

 

 

・ボランティアって管理される必要があるのかな。 

管理するほどの能力が自治体にあるのかな。 

動くほうが復興は早いよね。 

できないことをできると思っているような自治体を待っているようなのだったら意味ないよね。 

そんなことより、人手が足りないところで、居たら頼りたいっていう現場を優先したほうが効率良いと思うけどな。 

 

 

・被災した人が、「ごみの処分を一緒にしてほしい」という要望を出す。それを自治体が集約して登録しているボランティアに割り振る。必要があるから、ボランティアが現地に入る。その原則ができていれば、SNSでたたかれるということもないはずなのだが。被災直後ならともかく、今は求められてもいないのにとにかく現地に行く、ということはないだろうに。問題なのは、そこではなく、被災者がきちんと要望を出せているか、自治体がその要望をきちんと集約できているか。そこがスムーズにできていれば、「阪神の時は62万人が活躍したのに」という話にはならない。 

 

 

・阪神淡路や東日本大震災のときと違って地理的な制約からボランティアに行きにくい、というのが大きいかと思いますね。 

SNSで叩かれる!というのは後先考えずに行って被災地にご迷惑を掛ける方が一定数居るからですよね。 

ウチの母は東日本大震災に地元慈善団体を率いて被災地へボランティアに行ったそうですが、行くまでに現地受け入れ団体との日程調整や要望物資の調達が大変だった、と話しています。被災地へのボランティアはお手軽ではないのだと思います。 

 

 

・大災害の復旧復興ではボランティアの力も必要だ。ならば、政府は地元自治体と連携して、彼らが活躍しやすい環境を作ってくれよ。 

NPO主宰の知人によると、東日本大震災や熊本大地震の時よりも、ボランティア支援が活性化していないという。ボランティア派遣の連絡網が忙しくないと。 

 

 

・ボランティアって、善意の行動なんだよな。 

 

例えば、道端に落ちている、空き缶、ごみ、それを歩いて拾う事は、完全なるボランティアなんだよ。 

困っている人を助けたい。と思う気持ちをもっと身近に近くに置き換えると、やるべき事は沢山あるよ。 

 

普段の行いの延長線上にあるものだと思う。 

 

だから、ごみで言えば、普段からごみを投げ捨てる人が、ボランティアに参加しちゃいけないと思う。 

また、その選別が受ける側ができていない部分もあると思うね。 

 

 

・近くならボランティアに行きたいと思うが、わざわざ遠方から行く交通費や宿泊費を出すくらいなら、その金を加算して、全額寄付するほうが合理的だと思っているし、そうしている。それで被災地支援や雇用にプラスになれば良いのだから、ボランティアの数だけにフォーカスする必要があるのだろうか。 

 

 

・SNSでの批判は一部の政治家などによる売名行為を疑われるものが目に付いた為と思われる、大概の批判は自分では何もしないで人の批判だけをする人によるものだから無視でよろしいかと思います。ただ食事宿泊、トイレなどを現地調達しないでも活動できる人が行くべきであり 迷惑系ボランティアや売名目的な方たちは控えて欲しいと現地でも思っている筈です。 

 

 

・自分がボランティアとして行くことでどんな支援、協力が出来るのかを明確に意図している人が参加するのであれば、SNSなどによる批判はまったく気にする必要はないと思います。しかし、ただの興味本位や被災地に行って人から頼られることで優越感に浸りたい人は行くべきではなく、そういう人が本来叩かれるべきなんだと思います。現実的にはこうした人たちが混在してしまっていること自体が問題なのかと思います。 

 

 

 

 
 

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