( 140783 )  2024/02/19 13:02:03  
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photo by iStock 

 

 〈気になるのは志賀原発で、爆発音がして変圧器の配管が破損して3500ℓの油が漏れて火災が起きた〉 

 

【写真】物議を醸した鳩山元首相の投稿 

 

 正月に発生した能登半島地震の翌日、鳩山由紀夫元首相によるX(旧Twitter)への投稿が物議を醸した。地震発生直後に林芳正官房長官は「変圧器の火災が発生したが、消火済み」と記者会見で説明したが、その後、北陸電力は「所内消火設備の動作はあったものの、1、2号機とも火災は発生しておりません」と発表していた。火災は誤認だったと報じられているにもかかわらず、元首相が根拠不明の投稿をしてしまったのだ。 

 

 そんななか、意外な人物の投稿が注目を集めることになった。 

 

 〈こちらのポストにつきまして、父には撤回を求めました。〉 

 

 投稿の主は、鳩山紀一郎氏(47歳)。鳩山由紀夫の長男で、現在は国民民主党の公認候補として国会議員を目指している。投稿の背景にはどんな想いがあったのか、そしてなぜ父や祖父と同じ政治の道に進むことを決めたのか、話を聞いた。 

 

 「実際に撤回という形にはならなかったので、私としては満足しているわけではありません。しかし、さすがに元首相が事実と異なる投稿をするのは看過できない。 

 

 父とコミュニケーションをした結果、一応、火災はなかったという文言の入った投稿をしてもらえました。今後も、父の発言について『思うところがあれば、言わせてもらうよ』と父には言ってあります」(紀一郎氏、以下「」内は同) 

 

 曾祖父は鳩山一郎元首相、祖父は鳩山威一郎元参院議員。そして父親が鳩山由紀夫元首相と、紀一郎氏は日本でも有数の「政治一家」に生まれた。研究者だった父・由紀夫は1984年に政界入りを志して退職。自民党田中派の候補として北海道旧4区から立候補し、当選を果たす。 

 

紀一郎氏 

 

 「父が政界に出ると決めた時、私は小学2年生でした。それまでの親子関係は、ごく一般的なものだったんじゃないかと思います。子どもの頃は電車が好きで、電車がよく見える場所や、鉄道のジオラマを作っている知人の家に連れていってもらったりした記憶があります。 

 

 しかし出馬を決めてからは、父は地元である北海道にいることが増えていきました。母も選挙の手伝いに行っていたので、私自身は東京にいる祖母に育てられたんです。政治家は地元に家族で住むべきという考えもあるからか、父から『どうする? 』と尋ねられたのも覚えています。私自身は友人関係もあったので、東京に残りたいと答えました。私の意志を尊重してくれたことには、いまでも感謝をしています」 

 

 鳩山由紀夫が政治家デビューしたのは、金権政治への批判が高まっている時期だった。1989年には、日本社会党委員長だった土井たか子が「政治がお金で動かされています」と訴えるCMも話題を呼んだ。 

 

 「政治家は金に汚いというイメージが強かったので、父が政治家になったことで、私がバカにされることもよくありました。当時、私は父が政治家であることに嫌悪感を抱いていましたね」 

 

 中学時代にはブラスバンド部に入り、連載真っ只中だった『ドラゴンボール』にハマったという。一方、駆け出しの議員だった父は国会がある時以外はほぼ北海道におり、紀一郎氏はほとんど顔を合わせることもなかった。 

 

 「政治家についての悪い印象が変わってきたのは、高校時代でした。父が自民党を離党して、仲間と新党さきがけを作った。メディアに出て、自分の政策について語る機会も増えていく様子を見て、そういう政治家だったらなってみたいなと思った記憶があります。 

 

 当然、周囲からは『鳩山家の跡取り』という目で見られ、政治家になることを期待されていました。北海道の父の地元に行くことは何度もありましたし、支援者の方々から『次はこの子か』みたいな感じで扱われることもありましたから。ただ、私自身が何かを決めていたわけではありませんでしたし、親から『政治家になれ』と言われたこともありませんでした」 

 

 『東大工学部卒、ロシアで“渋滞”を研究…鳩山由紀夫元首相の長男「紀一郎」はなぜ“研究者”から“政治家”になったのか』に続く… 

 

佐賀 旭(ノンフィクション作家) 

 

 

 
 

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