( 141665 ) 2024/02/21 22:40:03 2 00 ヨーカドー、大量撤退で「さんざん地元商店をぶち壊して、利益が上がらなければ撤退するのは無責任だ」との批判なぜ起きた? そしてこの批判の“誤解”とは?東洋経済オンライン 2/21(水) 15:32 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/910f28a0aea8e084ea9cc956bc4f4986cf9944e8 |
( 141668 ) 2024/02/21 22:40:03 0 00 ヨーカドーが撤退するというニュースを受けて、各所から聞こえた声の一つが「無責任」という声だった(筆者撮影)
セブン&アイ・ホールディングス(HD)傘下のイトーヨーカ堂が、北海道・東北・信越地方の17店を閉店すると報じられた。同エリアからの撤退により、ヨーカドー空白地帯が拡大することになる。中四国、九州、沖縄にはすでにヨーカドーはない。
【グラフあり】減少が続く「イトーヨーカドー」店舗数の推移
筆者はこれまで2回、このニュースを受けて、ヨーカドーの歴史や、実際の現地のフィールドワークを通して見えてきたそのリアルな姿について書いてきた。
今回は、そのシリーズのラストとして、今回のヨーカドー撤退に伴って巻き起こった「ヨーカドーは無責任」という言説について、検討してみたい。
■商店街を潰したヨーカドーが撤退するのは無責任?
ヨーカドーが撤退するというニュースを受けて、各所から聞こえた声の一つが「無責任」という声だった。いろいろな人の投稿の要点をまとめると、こんな感じだ。
「ヨーカドーは出店する際にさんざん地元商店をぶち壊した。にもかかわらず、利益が上がらなければ撤退するとは無責任だ、けしからん」
このとき言われる「地元商店」とは往々にして「商店街」のことが念頭に置かれている場合が多く、こうした言説は、たしかに私たちの頭にすんなりと入ってくるものである。「スーパーvs商店街」とでもいおうか。
こうした構図は、なぜか私たちの頭の中に小売りをめぐる「型」としてインストールされている。「ありきたりな決まり文句」を「クリシェ」というが、まさにこうした言説は小売りをめぐるクリシェである。
今回、ヨーカドーが撤退するというニュースを受けて、私たちの中にあるそのクリシェが顔を出した、というわけだ。
しかし、この「スーパーが商店街を潰した」という構図、実はかなりイメージ先行のものであることを指摘しなければならない。
まず、最初に断っておかなければならないのは、もちろん、日本全国でみれば、ヨーカドー等のGMSが出店したことによって存続が厳しくなった中小小売店が存在することも確かだ、ということ。それはもちろん認識したうえで、このクリシェに隠された「ウソ」を見ていきたい。
『日本流通史: 小売業の近現代』などの著作を持つ満薗勇によれば、そもそも「商店街」という小売りの形態が本格的に成立したのは1920~1930年代で、全盛期を迎えたのは1950年~1970年代。そして、衰退期を迎えるのは1970年代以降。「商店街実態調査報告書」によれば、自身の商店街を「繁栄している」と回答したのは、1970年の39.5%から1990年には8.5%になる。
満薗が指摘するのは、この商店街が最も栄えた1950~1970年代は同時に、総合スーパーが隆盛を極めた時期でもあったということだ。ダイエーが大きく店舗を伸ばしたのは1960年代だし、ヨーカドーがGMSとして「ヨーカ堂」となったのも1958年のことだ。
私たちのイメージの時系列でいえば、「商店街」→「スーパー」という流れで捉えられることが多いのだが、実はこの2つはかなりの時期、共存してきたのである。
■「大店法廃止」への批判も、実は的外れ
実は、こうした併存の形は、現在でも都内を中心とするヨーカドーではかなり見ることができる姿でもある。
一つ前の記事で、筆者は23区のヨーカドーすべてを実際に見て回ったのだが、例えばヨーカドー大森店の近くには、大森の商店街があって、基本的にはどちらも賑わいがあった。私たちが「スーパーvs商店街」と思うほどには、その両者は鋭くは対立しないのである。
関連記事:イトーヨーカドー、23区全店訪れて見えた“厳しさ”
また、こうした議論のときによく言われる「大店法廃止」の影響も、実は時期からいうと検討はずれの批判だ。
「大店法」は1974年から始まった法律で、大規模な小売店舗の出店を規制するものであった。それがスタートした1974年は、すでに商店街の衰退は始まっていて、むしろ衰退していくものを守ろうという応急処置にしかならなかった。
大店法が廃止されたのは2000年で、さきほどの「商店街実態調査報告書」では、すでに、自身の商店街が繁栄している、と思っていたのは2%前後の人しかいなかった。大店法があろうがなかろうが、商店街の衰退は行くところまで行っていたのだ。
以上のようなデータも踏まえると、今回のヨーカドー撤退における批判が、イメージ先行であることがよくわかるだろう。
■「スーパーマーケット=悪」論とファスト風土批判論は似ている
しかし、なぜ、こうした「スーパーvs商店街」という構図がここまで根強いイメージを持ち続けているのだろうか。
この点について、筆者は以前東洋経済オンラインで「地方都市の『ファスト風景化』勝手に憂う人の病理」という記事を書いていて、そこで取り上げた議論が参考にできる。
この記事では、「今の地方はチェーンストアやショッピングモールばかりになってつまらない」という、いわゆる「ファスト風土」を批判する人が多いことに対して、それがいかに「幻想の中の郊外像」にすぎないのかを提示し、なおかつ、そのような人が理想の街の姿として「商店街」を一つの典型パターンとして「人と人との触れ合い」を求める傾向にあると書いた。
今回ヨーカドーの撤退騒動で出てきたクリシェは、まさにこうした感覚と通じるものがあるのではないだろうか。つまり、「スーパー=悪」、「商店街=善」として、単純な善悪の問題でこうした出来事を片付けようという考え方である。
もちろん、これはヨーカドーに限った話ではない。例えばイオンモールなども、「地方の商店街を破壊した存在」として、これまで散々語られてきている。
では、こうした認識はどこから生まれるのか。重要なのは「交通」である。
この記事では、「商店街」を理想の街とする人々の考え方に、「自動車」という交通手段が登場しないことにも触れ、そうした人々の「街」観が「歩行ベース」のものなのではないか、とも書いた。
しかし、現実には、日本国民全体の車の保有台数は歴史上、現在がもっとも高く、多くの商業施設が国道沿いに誕生している。街の形が、線上になっているのだ。
その一方で駅前を中心とする歩行ベースの都市は(シャッター商店街が顕著に表しているように)、衰退している。
実は今回のヨーカドー問題についても、こうした「自動車」と「歩行」の問題は顔をのぞかせている。ヨーカドーが撤退する地域について、「別にヨーカドーがなくても車で少しいけばいくらでも商業施設はある」という意見が見られたからだ。
もちろん、高齢化社会が進み、免許を返納する高齢者が多くなってくることも踏まえる必要はあるし、それはそれで解決しなければいけない問題だが、たしかに駅前からヨーカドーがなくなったとしても、ロードサイド沿いの店舗で買い物をする、という選択肢もある。
実際、駅前から少し離れれば、今回ヨーカドーが撤退した北海道、東北、信越でも、ショッピングモールをはじめとする多くの商業施設が立ち並んでいる。
その意味でも、イメージする「街」観のズレがこうした批判を生ませるのだ。
■結局、すべてを決めるのは「顧客」
最後に、補足的に重要なことを述べておこう。
近年、商店街が衰退してきたことに対しては、さまざまな理由が指摘されている。その中でも多く語られるのは、結局、商店街自体が顧客にとって魅力あるものでなくなってきた、ということだ。
中小企業診断士の鈴木隆男はこの点について、商店街の「外の敵」、ではなくて「内の敵」がその衰退の要因の一つになっていたという(東京都中小企業診断士協会のサイトより)。
また、中沢孝夫は『変わる商店街』の中で、商店街にある店が「地域独占」で、ある種の「殿様商売」的になっていた可能性を指摘する。
共存していた商店街とGMSは、結果的にGMSだけが生き残っていく状態になったが、それは、顧客の好みを敏感に反映していたのが、GMSだったからではないか。イトーヨーカドーは、かつて「顧客理解」に大きな力を注ぎ、顧客の満足度を高めようとしていた(三品和広+三品ゼミ『総合スーパーの興亡』)。GMSに結果的に客が流れたのは、顧客ニーズを的確にくみ取ったゆえだろう。
こうして考えると、一つの「悪」の組織があって、それが何かを駆逐していくという単純な図式で消費の動向を見ることはできなくて、結局は顧客の満足度に寄与した店が生き残るという当然の結果が見えてくる。
その流れの中で、郊外の商業施設が盛り上がりを見せ、かつて商店街から流れた顧客を満足させてきたイトーヨーカドーが、今度は顧客を満足させられなくなり、苦戦を強いられている。
■23区15店舗を歩いてわかったヨーカドーの問題点
前回の記事では、筆者は現在のイトーヨーカドーについて、主に以下の4つを問題にあげている。
①どの店舗も、食料品売り場と、テナントとして入居しているチェーンストアには人がいる(逆にほとんどの客がそこにしかいない) ②改装に伴い、売り場の至る所に空きがある。バックヤードをあけすけに見せてしまっている ③改装した店舗では、商品構成を大きく変えているが、それが逆にわかりづらい ④セルフレジが機能していない この記事には少なくない反応が寄せられているが、生の声は筆者が思う以上にリアルだった。例えば、以下のような声が一例だ。
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( 141667 ) 2024/02/21 22:40:03 1 00 (まとめ) 異なる立場からの意見を集めると、大手スーパーやGMSの出店が地元商店街や個人経営店にどのように影響を与えるかについて様々な考え方や経験が示されました。 | ( 141669 ) 2024/02/21 22:40:03 0 00 ・商店街ではないけど、個人経営の八百屋さん肉屋さん魚屋さん酒屋さんと数軒連なってたけど、その徒歩数分に大手スーパーが出来たら、しばらくして全て閉店したよ デカいスーパーが出ると人の流れも変わるし、今まで買ってた店を素通りしてスーパーへ行っちゃうよ 共存してるエリアもあるだろうけど、大手に客を根こそぎ取られちゃう事もあるよ
・川越や武蔵小山の商店街などを見ると、多くの商店街が忌避しがちな全国チェーンのお店をうまく組み込んでいます。
お客さんが欲しい、行きたいというお店を来てもらうことで、商店街の歩行者数が維持できて、「市場」を商店街の地域内にとどめておくことができ、新規出店を考える事業者出てくる、そしてお客さんが来るという循環があるとみています。
しかしながら、人通りのない商店街には事業者は出店しないので、一旦寂れてしまった商店街に市場を作ることは相当な苦労と年月がかかります。
・もちろん商店街のお店は客を取られた所も多いでしょう。 でも客は正直です。お客が良いと思った方に行くわけで、そうやって商業は更新されていくものだと思います。それに追いつかなかった店や商店街は廃れていく。その危機感を常に持って真剣に取り組んだ店は残ってる店もあると思います。 難しいですよね。今はショッピングモールでさえもテナントの奪い合いが起こってます。 今回はロピアを中心に勢いのあるスーパーが引き取ってくれてるだけ良いと思いますけどね。 ロピア本当に寂れてたスーパーの居抜きで入って大盛況の店多いです。近所もいつ行ってもガラガラのスーパーであまり立地も良くないのにロピアになってからスーパーとは思えないくらい人が常に居ます。
・商店街の再生が難しい理由の1つは、店の多くが 「家屋と店舗が一体化」 していることなんですよね。 店を奥へ進むと、そのまま住居空間へ入れる店舗、結構ありますよね。 これがねぇ 「店舗空間だけ貸す」 ことを難しくしてる。なんせトイレが共用だったりするから。
高齢化した店主世帯が別の所へ引っ越して、店と住居を丸ごと貸すとか、いっそ全部店舗と倉庫へ建て替えるとか、言い方悪いけど 「オーナー世帯の立ち退き」 がないと、物事が進まない。
・この筆者は文献や歴史的な側面だけで記事書かれているのかね?肌感覚で体験はされていないのであろう。 GSM出店によった地域商店の崩壊は誤解でもなんでもなく、事実ですよ。 時系列うんぬん言ってますが、それは施行された時期なだけで、その時だけではない。出店実行時期は重複する。 確かに移動手段の移行等の複合的要因も多分にあるが、だからといって「批判の誤解」とは言い切れない。 絶対敵購買数に対しての店舗数過多の状態とか、首都圏では大した問題でもなさそうな事柄が地方では大問題ともなる。
・大手スーパーが勝つ理由は、大きさや便利さだけではなく、大量生産大量消費による価格攻勢もある。個人商店とは桁違いの仕入れ値で販売する。当然消費者はそちらを選ぶ。もう一つがコミュニケーションの変化。話しかけられたく無い、好きなものを自分のペースで買いたい。そういったニーズに個人商店は応えられない。価格、買い方、品質全てにおいてスーパーに勝てない個人商店は潰れる他ない。ヨーカドーが潰れた後は違うお店にチャンスがある。盛者必衰の理。
・減益が続いていて人件費は上がっている中採算が取れなければ閉店するのは経営からすれば至極当然だと思います。 赤字が続いているなら経営が厳しくなり極端な話し倒産してしまう。 それを回避するのは経営陣の仕事である。 逆に考えると大手が撤退するならタイミングを見て地方スーパーとかが商売すれば全部は難しいとは思うが客は取れるチャンスである。 無責任云々ではなくチャンスだと捉えればいいのではないか。
・商店街は駅前に多いと思うけど、駅の 商圏ってやはりその駅がどの程度利用 されてるかで盛衰が決まっちゃう。 乗降客数が減って衰退期に入ると潰れて しまうのは個人商店もGMSも変わらない。
親戚が茨城の牛久にいるが、バブル少し 前に駅から徒歩圏内でない場所にまで 多くのニュータウンが作られた。 ほぼ東京へ通勤する人達が購入したので 80年代に牛久駅前は急速な発展を遂げた。 85年頃に7階建ての西友が開店、その後 イズミヤも進出。 当時の駅乗降客数は1日4万人を超えたが、 家の取得層が同世代に偏っていたため、 定年と共に減って2000年には半減の約 2万人に。この間に既に西友は撤退。 イズミヤは粘ったが乗降客数が1.2万人に まで落ち込んだ17年に撤退。買い物は やはり車でロードサイト店が主流。
今も1万人は乗降客がいる駅でこの有様。 それ以下の駅では駅前に商圏があるとは 言い難いのでは。
・地元商店vs大型店舗の構図って、昔のドラマやアニメでよく使われたモチーフでしたねぇ。 たいてい商店街側が主人公サイドで知恵と努力で大型店舗に立ち向かうストーリーラインでした。そうしたストーリーのイメージが商店街=善玉、大型店舗=ヴィランという構図の印象づけに一役買ってるようにも思えます。
・20年以上前だけど、イオンが地元近隣に大型店舗を作ったときは近隣商店が出店できるスペースを設けていた。全てがうまくいったわけじゃないけどね。良い取り組みだったと思う。 競争だから仕方ないとか、消費者が全てを決めるとか言うけど、例えば大型店に3か月間セールやられたら体力のない店舗は営業できなくなり、その後大型店が価格を戻すこともできる。イトーヨーカドーがそういうことをしたとかではなくて。 地域モデルの構築した上で、行政なりの街づくり指針があって良いよね。それを一般企業にはなかなか求められないし。上に書いたイオンはほんと特別な例だと思う。 田舎だと郊外ばかり発展して、移動手段がない人には住みづらくなったと思う。税収が少ない時代のインフラ投資の効率化のためにも、駅前商店街や居住地の集約を考えるべきだと思う。災害後の復興も効率的になると思う。
・もはや生活に必要な食糧や日用品が、ネット販売を含めてどこでも買える社会なので、GMSにしろ商店街にしろこれまでのように業態もあまり関係なくなっているのだろう。 客は使い勝手がよかったり買物の欲を満たせるような店に行く。 店側も結局は商圏内のパイの取り合いだから、何かウリになる客に選んでもらえるような店づくりをしたり、資本的にも体力勝負になるかと思う。
・食品スーパーがメインで、あとはドラッグストア、家電や100円ショップ、アパレル、メガネ、ゲームセンターなどの店舗が入った複合ショッピングビル。 はじめは良かったかもだが、客が利用するのは食品スーパーや飲食店ばかり。 閉店したテナントのスペースが目立つところが少なくないような。 空きスペースがひとつでもあると、そのフロアはなんとも陰気な感じになる。 代わりのテナントがすぐに入ればいいが、簡単に入るわけもなく、ビルの運営側としては非常に大きな問題。 箱物ビジネスは本当に難しい時代に入った。
・例に挙がったイトーヨーカドー大森店はかつて京成百貨店でした。 都営地下鉄と京急乗入れの為全線軌条幅変更を大規模にやって大赤字を抱えた京成電鉄が手放しました。 昔から当時でもあまりにも見ない立派な地下駐車場を備えていたし、当時は大森駅も海側よりも山王のような山側の方が栄えていましたが、狭い池上通りの混雑度から車での来店者もあまりなかったようだし、立地があまり良くなかった様な気もする。
・大量仕入れで商店とは仕入単価がかなり違いが出るのだから、近隣は厳しくなるのはわかるよね。データがどうだか知らないが、現実的に出店が商店経営を圧迫しているのは間違いない。 それにそもそも商店は粗利が大きいわけでもないし、改装などをするための原資も蓄えるのが厳しいところもある。 結果的に店舗が古く痛みが出ても修理も難しいなんてことになり、結果的に投資対効果が見込めず廃業や倒産につながるでしょう。 ただ、郊外店舗が増えたことで駅前が退化している地方の状況を考えると悪とは言わないが追い詰める原因になったことは否めないのでは?
・ヨーカドーに限らず、商店街も大店舗も、その町を構成するインフラという視点で見れば、商店街に比べて大店舗は、より太いインフラであり、町を構成するためのライフライン的なものに変化していく。大店舗も民間企業である限り利益を前提に運営するのは当たり前ではあるが、一方で、その町を形作る構成要素になるという意識が欠如してはいけない。いかし大店舗を受け入れた町も、インフラを維持するために何が必要か、町作りの観点での行政の取り組みも不可欠だ。今回のヨーカドー問題は、結局のところ町作りを担う行政の無策によるところが大きいのではないだろうか。
・ひとまとめには結論づけできないよ。 それぞれ大小事情があっての結果だと思う。ネット時代、これからの10年でスーパーの形態もガラリと変わるだろうし、需要があれば、新しく必要とされる場所に必要とされる規模の商店街ができるでしょう。 24時間営業のコンビニも減ってきたし、即日配送も物流に限界があって、便利と言われた過剰なサービスも今転換期を迎えています。
・自分の地元のヨーカドーは、駅前にあってそんな大きい店舗じゃなかったから、ヨーカドーで買い物して昼飯は近くの個人の飲食店で済ませたり、ヨーカドーに無い物を商店街に行って探してみたりしてな。 で、ヨーカドー撤退後商店街の店舗も連鎖的に潰れてった。そう言った意味じゃ共存していたのかと思う。まぁ、不景気とか企業の撤退とかもあったけど、ヨーカドーが生き長らえていれば商店街も少しは延命出来てたのかなぁと。
・地元商店街は70年代後半から80年代前半にかけてヨーカ堂やジャスコの出店を全力で阻んで来た。それでその商店街が賑わったかというと、結果的には車で行ける距離の郊外に大型ショッピングモールがオープンし、一部専門店を除き9割が閉店している現状。 やり方次第では共存共栄できたはずと子どもながらに思っていた。
・イトーヨーカドーは、本体がコンビニチェーンにシフトして事業集中した結果、店舗が陳腐化して淘汰されているだけにみえます。消費者は、十分に便利さや低価格を享受したはずです。消費や成長の見込みのない地方撤退するのは合理的だと思います。東京周辺に集まっていくのは、他の小売も同じなので根本的な問題解決にはならない気もします。東京周辺で近隣に競合する商業施設がない立地の場合は、集客は出来るでしょうが、段階的に店舗を減らしていく計画なのでしょうかね。
・30代妻子持ち男です。これも時代の流れですかね。
小さい子供が居る環境だと、子供の面倒を見るのが大変で、出来る限り買い物する頻度を減らしたい気持ちが正直あります。
そうなると1店舗で解決する大型店舗か店舗に行く必要が無いネット注文が多くなってしまいますね。
商店街から大型店舗へ、大型店舗からネット注文へ、時代の移り変わりを感じますね。
それぞれに良さがあると思うので上手く共存してもらえればなぁとは思いますが現実はそう甘くはないですね。
・ほぼ同じ時期に車で10分程度の距離にジャスコとヨーカドーがオープン 開店10周年で契約が切れるとかでどちらも撤退の噂が出回りました 結局、残ったのはジャスコ、その数年後ヨーカドーは撤退しました どちらも近くにスーパーがなくて共存出来ると思っていたのですがヨーカドーは大きな十字路の角地だったので駐車場が不便で客離れが顕著でした 一方ジャスコの眼の前にはマンションが建ち、カートをマンションの入口まで使えるようにしたため評判が良かったとか
・社会環境が変化する以上、不変なものはそうそうないと思う。商店街の衰退はモータリゼーションや嗜好の多様化等が要因と言われるし、商店街に代替した大型店も少子化やネット通販の台頭が脅威となっている。SCも以前は物販のみだったが最近はスクールやクリニックも多く見られ、生き残りを図っている。
市場経済では新陳代謝によって経済活性が起きている。自己変革で新陳代謝できないから、第三者に入れ替わることで新陳代謝を起こしているのである。だから、撤退というのは無責任ではなくて、経済活性を起こせなくなったものの責任の取り方であると思う。例えるならば、貢献がない政治家にはお辞めいただくということか。
・結局は地方の凋落と少子高齢化に尽きると思う 東京一極集中で地方の凋落が叫ばれるようになってGMSができ、自動車利用をしやすくして商圏を広げたんだけど、地方の凋落や少子高齢化がさらに進んで、今度はGMSですら衰退
あと、ネット通販も普及したしね 実店舗での小売、特に地方は厳しいでしょうね
・うちから歩いて5分の通りには、米屋、肉屋、魚屋、酒店、八百屋、なんでもありました。 ですが歩いて十数分のところにイトーヨーカ堂が出来たら、たちまち閉店してしまいました、全部です。 ちょうど代替わり前の年齢だったお子さん方も、学校出たら就職してしまったのが大きかったとは思いますが、子供の頃には「跡を継ぐよ、って言ってたんだけど、あんな大きなスーパーが出来ちゃ、未来は知れてる、継がせようとは思わない」って、店主さんたちはおっしゃっていたそう。母が良く言ってましたよ。 実態にそぐわないのは記事の方では?
・子供の頃はこういうデパートとか凄い好きでしたけど、年取った今は商店街みたいな路面店の方が目的の物を、迅速に買えますし、何より店に入る前の駐車場探しや、歩く距離とか考えると、こういう路面店の存在って貴重だなと思いました。
・この記事自体にさしたる感想はないが 全国チェーンの小売業の進出は直接地域の商店街を潰す訳ではないのだが、配送にかかる費用もマーケットの規模も無視して全国統一の価格で商売を行う場合、そのコストは人件費のコストダウンにより賄われる事になる 結果的に地方は時給が低く抑えられる事になり、都市圏への人口流出の大きな要因となる
・たとえヨーカドーが来ずとも、潰れる商店街は潰れる運命じゃないですかね 近所の商店街も、ずいぶん前に「商店街」としての体を保てないほど軒並み閉店しました 近所にヨーカドーもありますし、イオンもあれば他のスーパーもある けど、結局潰れるのが遅いか早いかだったのでは?と思います
昔はそういう大型店舗もなく、近所の商店街は他の街から買い物客が来るほど繁盛していました。その時に相当儲けたと思います 店の経営者は何にもしなくても売れるので、誰もかれもが大上段に構えてる感じでした。「何だ?何か買うのか?買うなら売ってやらんでもないぞ?」口には出さずとも、冗談抜きでこんな感じでした 田舎だから、昔人間だからと言えばそれまでですが、正直うんざりでした だから大型スーパーが台頭してくると、一気に廃れました。あえて商店街に行く理由もなくなったからです
今も生き残ってる商店街は、それなりの理由がありますよ
・お客あっての商売であり選ぶのはお客です。イオンは地元業者を優先してショッピングセンターに入店させるなどしており商店街、個人商店の努力が足りないのを非難することは間違っています。スーパーが撤退するのも消費者に受け入れられなくなり利益が上がらいからで経済活動では当たり前のことです。
・大規模小売店が出店すると、その周辺の商店街がすたれると言う言葉をよく聞くが、本当にそうなのだろうか。 実際の所は、商店街が廃れる場所も有ればあまり影響を受けていない地域も有るだろう。 それと、大規模店舗が撤退すると言うならば地元商店街を復活させる良いチャンスかもしれない。
・スーパーができて、人口が大きく増えたのなら別だが、そうでなければ、同じ客を取り合うのだから影響がないわけがない。 今は、自動車社会になって、多くの人はさらに遠くの安い店に行くんだから、 スーパーが目の前にできようが、離れたところにできようが、あまり関係ないんでしょうけど、当時は近くにスーパーができれば脅威だったでしょうね。
・「商店街を潰したヨーカドーが撤退するのは無責任」 →競争の原理を勝ち抜いただけなので、この理屈をぶつける事こそ理不尽だが、ヨーカ堂撤退によってその周囲の活気が無くなるのは事実だろう。 但し1店舗無くなった事が地域の過疎化に加速をさせるほどでは無い。 そもそも地元商店街が空洞化したのも、我々消費者側の選択がそうさせた結果。 個人商店をあちこち周って買い物していた時代から、1店舗で且つ定価より安く購入出来るヨーカ堂やイオンに人が集中するのは自然の流れ。 個人でも特色ある商品を売って今でも元気にやってるお店もあるし、生存戦略を真剣に考えてこず他力本願にやってきた結果だと感じる。
・この方お若いですね。 実際に大型店舗が増え、商店街が閉店していく様を見てきました。 当時は、大型店が軒並み大量仕入れで安く販売し 価格と品質共に個人商店では太刀打ちできる状態ではなかった。 そして大型店は国民生活の変化に対応すべく営業時間も遅くまでやっている。 店を開けているよりも、外に働きに行った方が稼げる。働く時間も短くなる。そんな状態のお店が多かった。 それなので閉店していった。 全てが大型店が営業したことが理由ではもちろんない。 消費者が品質もよく安く買える利便性の高い大型店に流れていくのも当然のこと。 ただ、当時より今回のような撤退に関わる懸念は言われていた。 だからこそ、本来は規制も必要だったと思う。
・これってヨーカ堂とかジャスコがって事じゃ無くて、 その市などの自治体や地元の商業組合の方に問題があると思う。
市などの行政は将来の街作りの義務があるでしょう、 地域の経済関係者はやはり地元の経済に責任があると思うが、 大店法云々では無く出店を止められないのでは無く、 今までも努力をしていなかったって事でしょう。 「大手との価格競争が・・・」と言うが、 価格は大きな消費の要素ではあるが価格以前の問題だと思う。 記事ではヨーカ堂は利益が出せない為に撤退って事だが、 それって既にヨーカ堂が撤退してから需要が無くなったのでは無く、 既に年々に地域の重要が無くなっていたって事でしょう。 消費需要が分らず又は需要が拡大していれば、 地元は商店街はヨーカ堂がいなくなって喜ぶべきでしょう。 それが逆になっているって事は消費などされない地域って事で、 本質的に考え方が間違っていると思います。
・人のいる街には長い商店街があり、大手ののSCは無い。イオンもヨーカドーも中堅都市の郊外に広くて安い土地に駐車場1000台以上のSCを作り駅前商店街の数倍の面積と店数で駅前をシャッター街にした。なぜできたかと言うと大型店舗法で他の大店舗は出店出来ないと言う大型店舗を守る法律だったからだ。この法律で地方行政は大型店に交通網やバス路線などの便宜を図ったが、このご時世で通販やネットショッピングや人口減でSC人気が無くなりテナントの撤退が増えsc自体シャッター街になり閉店することになった。1番の被害者はsc業者や行政の勝手に翻弄された消費者だ。何も地方だけでなく都内でも買物難民はおり、特に年寄りには死活問題化している。コンビニもいつ閉店するかわからない。今からでも法の整備が必要。民間は儲からないと直ぐ閉めるのだ。
・ヨーカドーのようなGMSが地元商店街と共存関係が築けるのは、商圏内の購買力に余裕がある一部地域だけ。記事に出てくる東京23区15店舗のIYの話がこのケース。
高齢化等で商圏内の購買力がしぼめば、たたき合いが始まる。多くの場合、商店街の個店はGMSには勝てないので、商店街の衰退に直結します。
商店街が勝つ道は、徹底的なコストダウンでGMSより安価な商品を提供する。 店舗をビル化し、2F以上のフロアを賃貸して不動産収入を得る。 といった方法が考えられますが、いずれもハードルはあります。
・イトーヨーカドーの北日本地区の店舗、確かに店舗集約化には反し、効率よくないかもしれないけど、飯の種になり得る店舗と思う。 首都圏に集約化するといっても、ライバル多いし、首都圏ではそんなにイトーヨーカドーのネームバリューは無いかと。むしろ、北日本地区の方がやり方次第では活性化できそうに思います。どうなんでしょう。
・大手スーパーが地方都市に出店攻勢をかけていた30年位前より懸念されていた「買い物難民」が現実に成った。以前木更津で大手百貨店が退店した。その後駅前の大手スーパーも閉店した。残されたのはシャッター商店街だけであった。この様に分かりやすい光景は全国各地の地方都市にはある。無策であった自治体の責任は大きいが、当初受け入れる際に地元商店街は、何らかの対策を講じたのでしょうか? 企業が利益が出なければ撤収する事は、中学生でも解る事だと思うのです。
・まぁ大型店が来て昔からある商店街が廃れたはあるだろが、完全悪ではないな、実家の田舎はスーパーもコンビニもなく個人店ばかりやたが、大手スーパーが出来たが、上手く共存してるな、魚屋はマグロや大量仕入れで太刀打ち出来ないから、魚は日曜日以外毎日魚市場が開催されてるから、売る魚は捕れたて生きてる前浜物を売るようになり、さらに煮付け塩焼にしたりして販売して健在だな。 肉も有名ブランド牛の精肉時にでる歯切れを格安で仕入れ売ったり、野菜果物は無農薬やもぎたてのをメインに売ったりとして頑張ってるな。ようは前向きに取り組むか理由を作り逃避するかの差だろな。
・記事の中には記載がなかったが スーパーと個人商店の中間、コンビニの存在が大きい。さらに、100均。 近所の文房具屋さんは、250円のボールペンを2本100円で売られたら、やってらんないよ。 この街には駅の南北にコンビニが1軒づつできたら、商店は全滅だよと語ったいたが 数年後現実になった。 何度もアンケート調査した結果、 自転車通行が怖くて商店街歩けない。 駐車場がないから大量買いできない。 パチ屋、風俗があるから、子供と歩けない。夜は行きたくない と、毎回上位の回答を放置したままの結果だな。笑えるのが商店会長の土地にスーパーと量販店が建っていて、この方は商店街がどう転ぼうと腹は痛まないのだ。
・商店街は子供の頃苦手でした。なんのおつかいを頼まれても、人を介して購入。八百屋でも魚屋でも何々を下さいとか言わないといけなくて。商店街の衰退は干渉を嫌う世代が増えて核家族が主流になり単身世帯も増え、商店街の営業時間に買い物ができなかったり、顔見知りになる煩わしさとかでスーパーの方が気軽で便利に感じる人が増えたのだと思う。そして、今はネットでの買い物が便利になった。時代の変化だと思う。
・安心して欲しい。 シャッターや外壁の見本市として駅前商店街通りはリノベーションせずして活性化している。様々なメーカーのシャッターを見ることができると密かに噂になり、全世界から日本のシャッターを見学しに来日する人も少なくない。かつて賑わった歴史のある商店街はダメージ加工やビンテージものも多く、シャッター愛好家とシャッターが仲良く列をなしている。
・パパママストアみたいなところは昭和の時代から今まで全く売場を変えてないってお店もある。特に八百屋はお客さんとのコミュニケーションを言い訳に何も変わらないどころか相対的に退化してる。 感触的には小規模でも2次〜3次加工までやっているところは比較的顧客を獲得している。ヨーカドーがお惣菜一つを全店舗で販売するためには何ヶ月か要するのに比べたら、小規模店の方が圧倒的に小回りに、ダイナミックに商品開発できるし当然ロスも出にくい。小規模店向けの店舗改装費用の補助をうまく使って加工にも注力してほしい。
・大店舗法があっても無くてもいずれ商店街は衰退する運命だった。というのは、違うんじゃないかな。世代が変われば商売も変わるし、いつまでも同じではないよ。それはイオンなどの集合商業施設にも言えることだが、チェーン店などではなく、個人商店の面白さと言うのかな。最低時給のアルバイトではなく、店の主との触れ合いと言うか、話がしたくてその店舗へ向かうというのが昔はあったんだよ。 今は店内にある商品が全てで、売り子との会話がない。 しかも、ありきたりのモノしか置いていないから飽きられるのも早い。 でも、大型店舗が撤退すれば、個人商店が復活するんじゃないのかな。 その時には地域で、大型店舗を規制する動きがあった方が良いね。
・営利企業ですからね。仕方ないかと。別にあっさり撤退するわけじゃ無いでしょうし。閉店って大変だからね。そりゃ出来る限り続けたいだろうけども。
地方民だが大型商業施設と商店街の対立はあると思うよ。データがどうこう言っても認識としてあるのは仕方ないことかな。
・生活様式が変わって、夫婦とも正社員だと商店街が開いてる時間に行けないようになったのもある気がする。
近くで朝が遅い会社に転職して、就業前に八百屋など立ち寄るようになったけど、以前は行きも帰りも閉まっててどうにもならなかったからスーパーに頼るしかなく。
あまりスーパーもない地域だったけど、都心回帰ブームで近くにもマンションとスーパーが増え、個人商店は来客数や儲けとかじゃかく高齢で閉めていってる。
・小規模な店が大型店に駆逐されるってのは当然の流れ
ヨーカドーでなくても同じこと。潰される前にそれを読んで行動できなかった自己を責めるべきでしょうね。 撤退されて困るなら、自治体ぐるみで地元商店の保護をするなり大型店に撤退しないでもらうようにするなりの対策は打てたはずではと。
・ウチの地域の商店街は駐車場が無い事が致命的な欠陥だったな。 昭和の頃の車は一家に1台、買い物は近場で徒歩か自転車、みたいな時代までは良かった。平成に入り団塊ジュニアが車を持ち出すと車は1人1台の時代になった。 駐車場が広大で買い物しやすい郊外店舗が圧倒的に優位になり、駐車場を持たない商店街は自然に寂れて行った。 更に品揃えが悪い上、価格帯も値引きしない等、往々にして殿様商売に見えた。結果益々足は遠のき気がついた時にはシャッター街に。
まぁ、あくまでもウチの地域の話で都会はまた色々と事情が違うのでしょうが。
・GMSが小型店、個人店を潰したとは言えない。自分の地元にはイオンもヨーカドーもあるが、個人店も繁盛している所はある。価格と利便性で勝負すれば、それはGMSには勝てないだろうが、個人店はいつでも勝負する内容を変えられる。肉屋であれば、惣菜でお客を付けるなどだ。用は、自分達で生き残ろうと努力しなかった、もしくは努力の方向を間違えたか。 1番は地方の人口の減少だとは思うが。
・商店街の商売も量販店の商売も待ちの商売。品揃えがいい大型店へ行く。そうなると、商店街は商店街の灯り、アーケード、お祭りの費用を儲かっている、いない関係なく支払う。また、儲からなくなった商売を継ぐ人がいなくシャッターの連鎖が止まらない。量販店は儲からない撤退。個人店は儲からないけど長年商売をしている店主なら責任感で動けなくなるまで続けるだろう。
・今の時代、特に田舎の地方都市では 地域の商店街、商店会と中小スーパー、GMSとうまくすみ分けて 共存を図るようにしないと地方は衰退するばかりです
郊外型の○○モールなどが衰退している市内中心部の 商店街、百貨店に引導を渡したのは間違いない。
しかも質が悪いことに、このモールの中も衰退してしまっている 欲しいところに手が届かない だから隣県の政令指定都市や県庁所在地の百貨店があるところまで 買い物に行かなくてはならなくなる
というのがこの数年の私が住む県の傾向です
・昔 ダイエーが熊本出店を計画した時、地元商店街は猛反発し商店会青年部には武闘組織が編成されたとの噂まで。 だが社長だった中内功氏は地元との交渉をひとりでやったこともあり、チームで動いた商店街は疑心暗鬼に陥り仲間割れ。かくして出店にこぎつけた。反対の強いエリアは一人でケンカすれば仲間割れが絶対にない一人が強いというのが中内の持論だった
・地方の人口が減っているのだから、GMSが撤退し商店街が衰退するのは当然。商店街でも、東京や大阪などは変わりなく栄えています。 色々理屈こねてるけど、地域の人口が減ったから、商店街が衰退しただけだと思います。イトーヨーカドーが撤退したのもそれが理由です。
・岐阜の柳ヶ瀬なんかは近鉄百貨店から始まった大手商業施設の閉店が進んで、路面電車が消えて、と人流が減る一方。
旧メルサに居抜きで入っていたドンキも撤退して、一部除いてほぼシャッター街と化した中で唯一残っていた岐阜高島屋も先だって閉店の発表があった。
お店の奥と上階がオーナーの自宅兼ねてるからおいそれと店舗部分も貸せないケースも多いし、お店の売上も見込めないのに営業再開も出来ない。継ぐ子も既に他の職に就いている。
個人的には、商店街の方は過去の栄光に縋っているとしか思えないんだよね。
・地元のヨーカードーなんか見てると決して客がいないわけではない。むしろ郊外型の店舗形態で同じ敷地に他の店もできて盛況だと思う。それでも維持できないというなら店舗維持費のかかる建物に問題があるのでなはないの?そういうムダにキラキラした店舗が維持できないってのは地元としては納得できないよね。
・ヨーカドーは撤退するが地元資本に引き継がれる店舗もある。 全てのヨーカドー撤退エリアからスーパーが消失するわけではない。 ヨーカドーが撤退しても近隣に別のスーパーがあったりするので「無責任」との批判が実際にどの程度あるのか疑問だ。 買い物に一番近かったヨーカドーが無くなって不便になる程度の話は全国どこでも起こりうる問題だ。 鉄道や病院、公共インフラ含め官民サービスの消失は過疎化進行エリアで今後避けて通れない現実だ。
・商店街と言っても千差万別で、実際に寂れている商店街は企業努力を怠った結果が殆どだと思う。 昔ながらって言葉に甘えて顧客が段々と高齢化して減っていった時には手遅れになっている。 活気のある商店街は変革を恐れずチャレンジしている。一方、違うことをして現状の売上や利益が減る事に不安を持ち停滞すると徐々に衰退する。 これは企業でも一緒だが、小売りである商店街なんなは企業より目に見えてだから顧客の減退も早いのだろう。 それを外的要因に恨み辛みを言っても仕方ないと思う。
・消費者の都合による消費者の選択。専業主婦が毎日夕刻に買い物に出向き、品選びをして今夜の食事を決定する生活では無くなったのだから、一つ場所で大量にまとめ買いを効率良くするのは当然。でも、魅力ある市場は今も生き残っており、それはスーパーと競合しない別の価値を持つから。
・こういう理性的な批判をしても、実のところ始まらない。
単純に「時代のニーズに対応できずに廃れた商店街」が自分たち以外に理由を求めた結果というだけだからだ。
他にお店がないから「仕方なく」商店街を利用していた人たちは大型店ができれば大型店に行く。そしてそういう客層ばかりになっていた商店街は、大型店が出来ればたちまち立ち行かなくなる、というだけなのだ。
大体、大型店が出来なかったところの商店街が今生き残っているかといえばそんなことはない。商店街が形成さえされなかった場所も少なくない。
・スーパーが商店街の衰退を加速させたのは間違いないとは思うがおそらく遅かれ早かれ衰退は避けられなかったんじゃないだろうか。タイパが声高に避けられる今商売が成り立つほどの客が今来ているとは考えづらいかな。
・ヨーカドーやオッシュマンズとかは 洋服売り場や靴売り場に日本未発売ブランドがひっそりと置いてあって 大手企業なのに個人のセレクトショップのような楽しみ方が出来た
今のオッシュマンズはABCマート経営で どこにでもある商品ばかり全く面白くないし 食品館ヨーカドーとヨークマートはまだ頑張っているかな
・京都伏見の大手筋商店街は、かつて大手スーパーが2軒もあったが、 1軒は撤退してもう1軒は規模を縮小して建て替えている。 スーパーにも負けることなく、空き店舗もほとんどない稀有な商店街だ。
・ヨーカドーすら利益を出せなくなった地ということでしょ。 ネット通販に負けたのかな?って気もするが。
要するに買う人がどこで買うか? どこで買うことが魅力を感じるか?
ってことだから、ヨーカドーが撤退する地というのは、 その地に住む人々がヨーカドーは要らないと思っていた証拠では?
本当に必要な店だったら、黒字経営可能なのでは?
・実家は地方都市の駅前にあった洋服屋でした 祖母がやっていた当時、ひっきりなしに客が来て、飛ぶように売れました 自分も低学年の頃、何度か祖母と卸業者へ買い付けに行きました。楽しかったです 近くに地元のスーパーができ、セールをばんばん広告に出して、ぎゅうぎゅう詰めでした うちの服は全く売れなくなり、そこから2年で閉店しました 祖母は商店街の人たちとよく集まってはスーパーの悪口ばかり言ってましたが、自分は自宅にあった在庫の山を見て、こんな古い服なんて誰が買うんだろう?と思いました 変化についていけないものは淘汰される、と子供ながらに思いました
・大型スーパーが増えて一般的になって、今度は淘汰が始まったなら、商店街は逆に歩いて見せたくなるようなおしゃれな場所、個性的な場所、そこにしかないお店に会える場所になるのもいいかも。家賃の安い地方なら、毎日営業しなくてもいいし。
・アリオの近くに住んでますが、大きな団地が2つあります。でも、団地内の商店街は高齢化で無くなり、保育所もなくなりました。商店街や、スーパー、ショッピングモールは地域活性化の部分も担っているはず。平日のアリオは閑散としていて、テナントも大変そうです。テナントの入れ替わりが激しく、イオンに移転してます。
・結局は街の衰退、街の魅力次第かと。過疎化、高齢化で人口が減り、駅周辺でも人が少なくなった地域は商店街もスーパーも共倒れ。大阪市の駒川商店街は今も賑わっていますし、長く一駅近く続く商店街にスーパーが食い込むように併設していますが、両方とも存続しています。
・うーん。 難しい問題ですよね。
文句言うのは誰でもできますが、大型店が出来て、消費者は大型店に流れた結果、小さな小売店が閉店したんですよね? 大型店が出来ても、地元の商店街しか利用しなければ、大型店はすぐに撤退する事になったのでは?
地元の商店街を廃れさせたのは、大型店だけのせいではなく、地元の人達にも責任があるのだと私は思います。
みんな、商売ですからね。
・地域の個人商店を破壊したヨーカドーもイオンのようなモール型のショッピングセンターの影響で閉店が進み、そのイオンも今やオンラインショッピング市場の脅威に晒されています。 ここ数年は海外のEC大手と協業してネットスーパーの需要開拓に必死ですが、正直出遅れた感は否めません。何事も盛者必衰ですが、最近はそのサイクルがどんどん加速していますね。
・私は日本海側の、政令指定都市に住んでます。
私の市もバブル景気の頃には、デパートが5店も有りました、 好景気に魅せられた行政が、市の郊外へイトーヨーカドーや、 ジャスコ(現在はイオン)ダイエー等の大型スーパーや、 ショッピングモールを多く誘致しました、そのお蔭で、 町中の個人商店が次々と潰れ閉店して、シャッター街になりました。
5店あったデパートも、郊外のショッピングモールに客を取られ、 4店は閉店して逃げて行き、今は1店のみが残ってます。
活気が有った町中は、寂びれ廃れて人通りも無くなりました、 行政が誘致して郊外に作った、各ショッピングモールが原因です、 今は又、町中へ昔の活気を取り戻そうと、行政は市民の税金を使い、 賑わい再生に躍起になってますが、町中が寂びれて廃れた原因は、 行政にも責任が有ると思います
・もう何年も前ですが、自分の高校の友人の両親は近くにできたイトーヨーカドーのあおりをうけて家業の商店をたたむことになりました。彼は絶対許せない、ビッグになって復讐すると言って猛勉強して東大に入学しました。 そのヨーカドーは10年ほど営業していましたが、今では撤退しています。 彼はその後どうしたかと言うと、日航のパイロットになって世界中駆け回っています。
・地方は特に昔に比べて車社会になってるから どうしても 商店街などの駐車場の無い所は行かなくなるんですよね。だからどうしても大きな駐車場のある 大型店に行くようになるんですよね。まあ 時代が変わって人々の生活が変わって来ているんだから 仕方ないんでしょうね。
・たしかにイトーヨーカドーのような大型スーパーが小型の地元商店をつぶしてきた面はあるだろう。 だが、無責任だって批判するのは違う。
イトーヨーカドーだってどこかに潰されたからその地域から撤退するわけで、その陰には地元商店からイトーヨーカドーに乗り換え、そしてイトーヨーカドーからそのどこかに乗り換えた人達がいる。
結局はその時代に適応したところだけが生き残るは道理で、無責任だと批判するならそれは、そこに迎合した地域住民じゃないだろうか。
・イトーヨーカドーもイオンも締め出して商店街守ってたら今ごろは町ごと没落してたと思うよ 土日は休む、営業時間は18時までネットで紹介されてるものはほぼない、これで愛想と昔ながらやってますだけで顧客から支持を得られるのだろうか、しかも歳取ったら息子も娘も継ぐことがないとしたら次世代の人たちは隣町でしか買い物できないじゃない
・多分かなり無理はあるんだろうけど、イトーヨーカ堂が商店街全体を買い上げフランチャイズ化できないのかな。新たなビルをを建てる事なく、商店街の仕入れ先やイベントをイトーヨーカ堂が請け負い「ヨーカドータウン」として商店街を運営していくような事はやはり「夢物語」なのかな… 新店舗の初期費用が要らなくパテント代が入るだけの地味な商売ですが、何とか地方の経済を回していく方法を大企業から考えてもらえないだろうか。 甘いかな~
・筆者の主張に全面的に賛成だなあ。 「商店街は消費者のニーズに合わなかったから客を失った」これが正解。 ニーズというのはその地域によっていろいろなものがあるだろう。 1人1台という極端な車社会になっても駐車場が無かったり、テレビやネットで話題になってる物が置いてなかったり、殿様商売で値段が高止まりしていたり等々。 商店街そのものが昔のGMSだったと考えると、時代において行かれちゃったんですな。今度はその頃頑張ってたGMSのヨーカドーが時代において行かれようとしてるんですけど。
・イトーヨーカドーは新店舗を出す際に、その地域のライバル店になりうる店(かなり小規模なスーパー、食料品店含め)は潰す方針だったはず。
二十年くらい前の当時お付き合いしてた人が新店のヨーカドー社員で、この話を飲み会の席で他の同僚の方ともしていたから間違いないと思う。
小規模店舗は、経営者が引退するまで維持できればいい、と言うところも多かったと思うのですが、ヨーカドーが来ることによってその引退時期を相当早めることになったのではないかと。
・欲しいと思える商品が全くない。イベント会場が近くにあり多くの人が来店しても商品が売れているように見えず荷物持って歩いてる姿を殆ど見ない。品がありスッキリしていて肌触りいい商品売ってる企業はまた来ようと思う人は多いがいい加減な商品で安いだけのになると潰れていく。 安いだけならドンキでいいやと思う人が増える。
・この手の「論説」は実はすでに90年代からあって、大型スーパーと商店街が共存してた事例も多い(ダイエーの衰退期に撤退で隣接商店街が反対したこともあった)。ただこの議論を今更蒸し返しても意味がないと思うのは、いわゆるロードサイド系の店も衰退期に入っているということ。札幌あたりでも国道沿いの空きテナントが急速に増えつつある。これから問われるのは、むしろ社会全体が衰退期に入り、商業自体が衰退し始めているという視点である。
・企業には社会的な責任があります。イトーヨーカ堂がどれだけ消費者の方を向いて経営努力をしていたかは分かりませんが、単純に不採算店舗だからその地域から撤退するのはある意味無責任かと思います。
・イトーヨーカドーは「7&i」の看板に、なんでもかんでも付け替えた頃から迷いがあるのでは?
イトーヨーカドー本体の食品セミセルフレジは、1レジ列当りの支払機が固定されていて、支払に時間のかかる年配者が先に会計すると詰まってしまう。これはだいたいの店舗で同じような現象で改善出来ていないってのは、経営層がよっぽど店舗回ってないのでは?
イトーヨーカドーの撤退地域では、GMSより小型のほどよい規模の系列食品スーパーばっかりだし、セブンイレブンも多いから、身内での競合では?
・閉店が相次ぐ理由って記事の内容とそれ以外にあるとは思うけど自分がまず思うのは関東に移住する人が多いとか、イオンモールの勢力拡大。よく親が言ってたけど価格自体も高いし、ロピアみたいに専門系の店が出来れば売上も利益も落ちる
・先に大型GMSができて、その周りにマンションが建って町ができていくパターンが最近は多いと思う。 うちの地元のイオンはその状態で閉店してしまったので、周りのマンション買った人は気の毒過ぎるが。
・商店街もそうですが公設市場等も大型店舗の直接仕入れで物流の流れが変わり閉所が有りました。
時代に合わせて栄枯盛衰が有るでしょうが、強力な資本には地方資本では太刀打ち出来ません。
撤退した後地方の買い物は何処でするのか、買い物客の選択の結果だが高齢者には大変不自由な買物難民に成って来るだろう。
・そもそも地域によっては商店街が大型店舗を誘致してその中に移転した例などもある ステレオタイプな昭和に作られた個人商店VS大型スーパーという構図を未だに 平然と使う世代は恐らくそういう昭和のイメージに騙されてきた中高年だろう 全国的に規模を問わずスーパーチェーンが広まったの自体が70年代前半から半ば 全国各地域の地域のスーパーも多くがその時期に多く生まれている。 半世紀近く前にもう全国に規模を問わずスーパーが生まれて展開しているのに 未だにそのような昭和の戯言が平然と言われている事自体が極めて異常 ヨーカドーやイオンが個人商店や商店街を潰したというイメージを作るために ネガキャンが長きにわたりされてきたが、そもそも地域に70年代にはその地域のスーパーチェーンが誕生して商店など駆逐されている。
・便利な方に人が流れるのはどうしようもないこと。 利益が上がらず撤退するのも企業なのだから仕方がない。 潰された方からすれば腹立たしいでしょうけど、これは時代の流れであって受け入れざるを得ないと思います。
・駅前や中心市街地の発展を妨げている1番の原因は商店街。
立地の良い駅前や中心市街地にはニーズはあるのに、そこには客のこない時代遅れの商店街があるから駅前や中心市街地が寂れてしまっている。
駅前や中心市街地から商店街を駆逐することが活性化の1番の近道。
・時代にそぐわなくなったんだよ。商店街。 昔は父親が働いて、主婦が子供と商店街や市場へお買い物だったのかもしれないけど夫婦共働きが増えた今、夜に開いているお店はスーパーくらい。
市場の方が活気があって新鮮な海の幸、野菜、果物、生花。そんなキラキラと人ごみのカオスが混ざって楽しい空間だけれど、仕事終わりにくたびれて行こうとは思えないなー。
・うちの近くでヨーカドーのモールが来てから商店街も潰れたけど 小規模スーパーとか小売チェーンまで潰れてかなり変わったよ。 何ならヨーカドーのモール内に移転までさせてる店もあるのに。 だから撤退したら本当に無責任だと思う。
・わざわざ「クリシェ」などと片腹痛い 確かに「スーパー対地元商店」という構図は乱暴すぎる見方でもある が、もう限界だろうという店もある反面、人の流れが変わり実際に潰れなくても良い商店が軒並み消えることが実際にある こういった「無責任だ」という批判が起きるのはその元となってる何かしらの不穏な感情が地域に存在しており誤解と片付けていいものとは思えない
・企業は利益を求めて行動します、慈善事業したら、倒産します、お互い競争しあうのが資本主義です、大型の企業が撤退したら、今度は目が肥えた消費者を、地元商店がどのように消費者に対応するかです、対応できなければ消費者は遠くまで出かけますよ、僕の近所のコストコは車を止めるのが出来ないくらいです、土曜、日曜は身動きできないくらいです、魅力ある商品がいっぱいです、近所のユニクロも日曜は車が並んでます
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