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『不適切にもほどがある』の視聴を脱落する若者がいる理由は「昭和ネタがわからない」からではない

現代ビジネス 2/23(金) 9:03 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/235ecec38a2661780ea94583faa18d5ed9369d58

 

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ドラマ『不適切にもほどがある!』について、インティマシーコーディネーターやセクハラ、パワハラなど様々な要素が取り上げられている。

クドカン作品ならではのコネタや昭和の懐かしい要素が楽しめるが、セカンドレイプ発言など不適切な発言にも言及があり、物議を醸している部分もある。

作品はコメディだが、複雑な社会問題を扱っており、特に若い世代からは差別やハラスメントの描写が受け入れられないなど、異なる世代間の感覚の違いが浮き彫りになっている。

(要約)

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『不適切にもほどがある!』公式HPより 

 

 「今クールのドラマで何がオススメですか? やっぱり『ふてほど』が面白いですよね!」 

「『ふてほど』観てます? 面白いですよね~」 

 

【写真】ドラマ『エルピス』で注目されたインティマシー・コーディネーターの仕事 

 

 同業者のライターや友人知人から幾度もこの問いをされては、都度「面白いですよね。危うさはありますけど」と答えてきた。すると、ほとんどの人(主に40~50代以上の男性だが、女性も少なからずいた)がポカンとするので、自分の気になる箇所を話すと、「そういう見方もあるんですね」と多くの人がテンションを下げて言う。KYが楽しさに水を差したといった顔をされるのは、少々しんどい。 

 

 これは、宮藤官九郎脚本×磯山晶プロデューサー×阿部サダヲ主演の『不適切にもほどがある! 』(TBS系)、通称『ふてほど』の話だ。 

 

 舞台は1986年。中学校の体育教師で野球部顧問の小川市郎(阿部)は17歳の娘・純子(河合優実)と暮らすシングルファザーだが、ある日偶然乗ったバスがタイムマシンだったことから、2024年にタイムスリップしてしまう。そして、馴染みの喫茶店のトイレに貼られたキョンキョン(小泉今日子)のポスターを通じて昭和に戻れることを知り、令和と昭和を行き来するようになる。 

 

 クドカンならではのたっぷりのコネタや、ミステリー要素含めた考察が盛り上がる物語性などは、もちろん面白い。聖子ちゃんカットやスケバン、セーラーズ、部活顧問によるうさぎとびや「水飲んだらケツバット」、坊主の強要、ミヤコ蝶々のCM、電話機のレースのカバー、深夜のお色気番組、メタルテープなどなど、昭和の良くも悪くも懐かしい光景もたっぷり登場する。尾崎豊の『15の夜』が元ネタの『米寿の夜』や、ちあきなおみの『四つのお願い』が元ネタの『よっつのわがまま』など、遊び心たっぷりのミュージカルも昭和世代は楽しめるものになっている。 

 

 一方で、モヤモヤするところもある。 

 

 第1話では、市郎がミニスカートの女子高生を目にして口にする「痴漢してくださいって言ってるようなもんだぜ。触られても文句言えねえよ」。これは性被害を受けた人に対する典型的なセカンドレイプ発言だ。同僚教師が女性教師に言う「デカすぎパイ先生は、初体験はいつ?」などは、明確に不適切発言として注意喚起のお断りテロップがあったが、前述の発言にもテロップをつけてほしかった。 

 

 同じく第1話での、企業でのパワハラ騒動も引っかかった。磯村勇斗演じる、令和の会社員・秋津が後輩社員・加賀(木下晴香)に「期待してるから頑張ってね」と声をかけたことが彼女にとって精神的負担になり、「パワハラ」とされたことに、市郎が「頑張れって言われて会社休んじゃう部下が同情されてさ、頑張れって言った彼が攻められるって何か間違ってないかい?」と疑問を呈するのは良い。 

 

 しかし、加賀は女性であることで秋津から優しい言葉ばかりをかけられ、他の男性社員のように叱ってもらえないことが苦しかったのだと明かすオチに違和感が(そもそも上司が部下の性別によって対応を変えていることが問題なのでは)。 

 

 ミュージカルでは「それは言ってくれないとわからない」「話し合えて良かった」「話し合いましょう」と歌い上げているだけに、世代間の分断を生む意図は当然なく、対話の必要性を説いているのだろう。しかし、「ほらね、本当は叱ってあげたほうが良いんだよ」などと、反コンプラ勢を助長させるリスクがありそうだ。 

 

 

 第3話では、令和で市郎が恋に落ちた女性・渚(仲里依紗)の勤めるテレビ業界が舞台となり、セクハラについて、何が良くて何が悪いかわからない、ガイドラインが欲しいというくだりがあり、市郎がたどり着くのは「みんな自分の娘だと思えばいい」という結論だった。逆に家族だから許されるという思い込みやプライバシーの侵害など別の問題も発生するわけだが、その結論で本当に良いのか。 

 

 制作側も、それが「正解」だと思っているわけではなく、まだコンプラ意識の低い昭和世代の市郎が現時点で出せる結論の限界点として描いているのかもしれない。しかし、コンプラ意識の低い一部の視聴者は、「これだけ守れば大丈夫」と勘違いしてしまわないだろうか。実際、自分の身近なレベルでも、「『みんな自分の娘だと思えばいい。娘に言わないことは言わない』っていうのはすごく納得。わかりやすい」という声が、主に40~50代の男性からあがっていた(もちろん、その年代の男性でも意識が高い人はいる)。 

 

 それでも単純な対立構造や勝ち負け、分断などを描かないクドカンが、加えて『池袋ウエストゲートパーク』(2000年)や『木更津キャッツアイ』(2002年)をはじめ、『タイガー&ドラゴン』(2005年)、『ごめんね青春! 』(2014年)、『俺の家の話』(2021年)など、さらに近々では『離婚しようよ』(2023年)に至るまで信頼感抜群の磯山Pとのタッグが、まさか「昭和は良かった、令和は息苦しい」なんて反コンプラ勢の溜飲を下げるための単純な構図を描くわけがないと確信していた。 

 

 ところが、毎回ちょっとずつ引っかかっていた違和感が、第4話でさらに大きくなる。 

 

 不適切発言を連発する市郎の自由さが目に留まり、市郎が局のカウンセラーとなったこと自体もモヤッとくるところがあったが、さらにこの回では、とあるドラマのベッドシーンでインティマシー・コーディネーター(以下、IC)のケイティ池田(トリンドル玲奈)が登場する。 

 

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【インティマシー・コーディネーターとは】 

映画やドラマの制作現場における性的な描写や激しい露出を伴う場面で、俳優の身体的・精神的安全を守りながら、監督のビジョンを最大限実現できるよう調整する専門の職業。 

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 「上は鎖骨まで、下はくるぶしまで(しか見せるな)」というマネージャーの極端な要望を遵守するケイティに市郎は“体当たり演技”してこそ女優だとヒートアップしていくが、そこでケイティが俳優の好きにさせてみたいと進言。なんとなくいい話のようになっているが、はたしてそうか。そもそもICは、撮影前に俳優の要望と監督の要望を細かく調整する。同シーンでの描写はICという職業に対する誤解を生みかねない。 

 

 また、ICは『エルピスー希望、あるいは災いー』(カンテレ制作・フジテレビ/2022年)において、地上波のプライムタイム連続ドラマで初めて取り入れられたばかり。ICを雑に描き、いじるのは、日本社会や日本のテレビ業界の現状に照らし合わせると、あまりに時期尚早な気がする。 

 

 一方、昭和では市郎が教鞭をとる中学校で井上(のちにタイムマシンの開発者となる市郎の教え子の少年)とキヨシ(井上の息子で、令和から昭和にタイプスリップしている少年)が互いの素性を知らずに仲良くなり、ある時、キヨシは井上に告白される。そのことをキヨシが自分と同じく令和からタイムスリップしている母・サカエに話すと、彼女は大きく動揺する。サカエの元夫である井上と息子のキヨシが時を超えてキスしようとしたと言うのだから、タイムパラドックスの問題もあり慌てるのも無理はない。しかし、看過できないのは、サカエが電話で中学生の井上に対してヒステリックに言い放った、次のセリフだ。 

 

 『風と木の詩』(日本におけるBL漫画の元祖)に登場するジルベールの影響で「俺は男しか愛せない」と言う中学生のイノウエに対し、「(モテない男に限って)ホモソーシャルとホモセクシャルを混同して、同性愛に救いを求めるの(中略)女にモテなくて男に走ってるの」。 

 

 ここで、「クドカンだから大丈夫」「クドカン×磯山Pだから、あえてのはずだ」と信じ続けてきたモノが、揺らいできてしまった。これがフェミニストで、社会学者の言葉とは……。いくら学者であっても、自分事となると理性を失い、感情むき出しになってしまう人間の愚かさでも描こうというのか。意図はわからない。しかし、これまで本作に違和感が全然なかった人すらも、このセリフには引っかかった人が多いようだ。 

 

 

 『ふてほど』では、様々な差別やハラスメントが登場するが、それがなぜダメなのか、なぜそれが問われるようになったのかという理由や道筋が一切描かれていない。その上、昭和世代の市郎が令和の人間たちに気づきを与えるというオチになりがちだ。 

 

 昔は良かったものが、今突然ダメになったわけじゃない。昔は嫌な思いをしても言えない、声をあげられない、つらくとも笑ってその場に合わせていた人が、嫌だと言っていいのだと気づいて、ようやく声をあげられるようになってきた。そして、その声を理解する人、理解したいと思う人が増えただけだ。 

 

 おそらく作り手には、コンプライアンスのせいで何が良いかわからなくなってしまい、理由も考えずに何でもダメとするテレビ業界に警鐘を鳴らす意図があるのだろう。だが、一部の層にはおそらくあまり伝わっておらず、「面白過ぎ」「笑った」「やっぱり昭和最高」といった昭和礼賛の声がSNS上で散見される。 

 

 これまで一歩一歩長い時間をかけて、ようやくここまできた差別やハラスメント、多様性への理解が、クドカンから「〇〇だけすればOK」とお墨付きをもらった気分になることで逆行してしまわないか、と考えるのは杞憂だろうか。 

 

 すべての立場の人に配慮した言動は難しい。かくいう自分(50歳)も令和のコンプライアンスにようやく体験入門した程度の自覚があるからこそ、おそらく間違えることが多いし、ずっと不安を感じつつ、考え続ける必要があると思っている。さまざまな人の思いに真摯に向き合い続けなければならないコンプライアンスと、斜にかまえて茶化すコネタ・サブカルは相性が悪い気がしてならない。 

 

 先日、ある媒体が主催するドラマ座談会に参加し、そこで、『ふてほど』は40~50代以上が盛り上がっている一方、20~30代の若い世代で脱落者が多いという話になった。昭和あるあるのコネタが理解できないからかと思ったが、話を聞いていくと、「差別やハラスメントの描写を見ていられない」という理由が多かった。 

 

 若い世代は古い価値観の人たちが年齢を重ねてようやく恐る恐る食べはじめた人権意識というアダムとイブの林檎を幼少期から口にしていて、その経験値の違いがこのドラマへの反応の違いなのかもしれない。 

 

田幸 和歌子(フリーランスライター) 

 

 

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(まとめ) 

昭和と令和に関するドラマに対する意見や感想には、様々な視点や論調があることが分かりました。

一部の人は昭和を懐かしんで楽しむ一方で、現代のコンプライアンスや多様性への意識を考えるきっかけとして受け取っている人もいます。

また、若い世代と中高年世代での受け止め方の違いや、過去と現在を比較して考える姿勢が反映されている意見もありました。

それぞれが個人の価値観や経験に基づいてドラマを楽しんでいる様子が伺えます。

結局のところ、ドラマを通して社会や時代の違いを考えるきっかけとして楽しむ姿が多かったようです。

( 142234 )  2024/02/23 15:12:41  
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・昭和と令和どちらが良いかなどというつもりはない 

あのドラマを見たからやっぱり昭和いいじゃん!昭和に戻そうということもないと思う 

ただ、日常生活でこれは差別にならないか、コンプラ違反にならないかを異常なまでに意識しているせいか、ドラマぐらいは思い切り昭和を懐かしんだり楽しんだりしたいと思って見ています 

 

 

・いろいろな見方はあるだろうけど、こういう見方をしたら楽しいものも楽しめないだろうな。 

それはさておき、小川先生は「オトナブルー」を見たらどんな反応するのかな、なんてくっだらない想像しながら見てます。 

若手実力派・河合優実、普段と違う風貌の中島歩らキャストにも注目。 

個人的にはこのクール一番楽しめるドラマです。 

 

 

・自分が嫌だと感じたら、何でも○○ハラスメントにしてしまう。 

多様性を気にするが故に何でもコンプライアンス違反にしてしまう。 

その結果、腫物に触るように何もやらない言わない人だらけになり、多様性だったはずのものがむしろ規制だらけの雁字搦めになった。 

そもそものスタートは、嫌だと率直に言える事、他の人とは違う個性を認める事で、不幸に感じている人たちを減らすのが目的だったはずなのに、むしろ誰も幸せを感じられない世の中になっている。 

 

 

・決めつけ感の強い記事で、20代〜30代の脱落者がコンプライアンスの逸脱を見ていられないから脱落ってのも、そのまんまだよな。 だから、そこを揶揄してるんであってそれこそ「昭和ネタが解らない」からだよ。 全員に響く面白いものなんてなくて、逆にそれは面白くない。 このドラマは教科書やNHKドラマではないのだから、法を犯してるわけでもないことにこの記事のように変な引っ掛かりを揚げ足取る世の中を揶揄してるのが面白い所。 

 

 

・若くなくても、無理に酒の席に誘われる、特に上司、取引先からの指名による、執務時間後に取引先と付き合う、日曜迄ゴルフしないのかと言われる、職場の積立による全体旅行や食事会がある、ほとんど飲まないのに課室のお茶のメンバーに入らないとならない、送別会、歓迎会が職場あげてある、引越しの手伝いに駆り出される等切りない付き合いが各種ハラスメントだと言われ、かつコロナ対策で加速して全く無くなって、良かったと思うよ。 

 

 

・物珍しさで見ていた若者が脱落するのもある程度仕方ないと思います。中高年はただ楽しんで視聴することでコンプラ意識の定着にも奏効するのではないでしょうか。昭和世代にいきなり完璧なコンプラ意識を求めても土台無理な話で、そこに対しては温かい気持ちが必要だと思うし、その優しさを助長するのが市郎の存在なのだと思います。そしてさらに行き過ぎたコンプラ意識に警鐘を鳴らし、疑問を呈している。 

急激に変わった世の風潮にうまく対応しきれない人々が容赦なく叩かれる世の中ですが、そんな人たちに優しく?寄り添うドラマであり、楽しく拝見しています。 

揚げ足を取るのは簡単ですが、このドラマの意義の方が大切だと感じます。 

 

 

・先日もラジオで「娘にしないことは・・」のくだりをいい基準ですねと話題にもしていたし多くの人に刺さる分かりやすい提示だったのだろうと思うけど自分の娘を大事に思わない、大事の方向が違うって親もいるだろうからオールマイティーなルールではないよね。お客様は神様を振りかざしてカスハラする異常者とかといっしょ。法制審議会じゃないからドラマにそこまで求めるのは酷だと思うけどね。 

このドラマ同様、ダイナーの穴から時代移動する名作小説でも古き良き時代のアメリカを実感していた主人公がガソリンスタンドのトイレが黒人用で区別されているのを見かけ単に歴史の知識でなく”時代の闇”を肌で感じるシーンがあります。 

昭和は良かった面も酷い面もあります。昭和は良かったって話じゃくて後年の人が見て今の時代変だって言われないようにしようって方向だと今の人にも刺さるんでしょうね。 

 

 

・たしかに若い人達には賛否はあると思うけどドラマだから… 

少なくとも私達の周りでは久し振りにこのドラマが面白いとドはまりして見ている人が多いですよ。 

今夜は渚さんから父親を紹介されて市郎がどんな反応になるのか… 

凄く楽しみな回です。 

今後の読めない展開にも期待大です! 

 

 

・宮藤官九郎はきっとこんな反対意見が出てくれることを喜んでいるじゃないですか 

結果、昭和には戻れない令和の方がやっぱりいいなと 

思ったり、でも、過度期のコンプラやハラスメントに対してこれで良いのかなという問題意識が生まれればこのドラマは成功とグドカンは考えているかも 

将来「ふてほど」がどう評価されるか、今の評価ではなくて10年後をみているような気がします 

 

 

・賛否両論あることを想定したドラマなんでしょうけど、セクハラやパワハラに声をあげることを茶化す風潮にはならないでほしいかな。 

虐げられていた人たちがようやく嫌だと言えるようになった今はいい時代だ思います。 

昔のように戻ってほしいとは到底思えませんし、戻ってほしいと言う人はセクハラパワハラをしてきた側なのでは? 

こういう作品はエンタメとして楽しむのが1番いいと思います。 

 

 

 

・昭和と令和のどちらが正しい、理想的などと言っているわけではないし、良くも悪くも、もう昭和の時代には戻れないし、戻るのは難しいと分かっているからこそ、余計心に刺さるのでは。 

若者がついていけないと思うのは別におかしくないけど、50歳だという筆者がこのドラマを見て、こういう論調になるというのは、令和の感覚に相当染まっているんだなあとと思う。 

 

 

・ドラマはコンプラがどうとか細かく考えてたら面白くないので 

ただただおもしろいなくらいで見ています。 

昭和生まれのおばちゃんなので懐かしいなと感じる事も多々あります。 

家で見る分にはそんなこと気にしていたらつまらなく感じる。 

時代錯誤と言われてしまえばそうですが、言葉尻つかまえてやれハラスメントだ差別だと。いちいち気にしすぎな世の中になった様な気がします。 

外ではもちろん合わせて生きています。 

 

 

・多分、記者は問題提起型の作品に向いてないと思う 

これらは現象をみせて受手側に「どう考えるか?」と 

問うているのであって 

答えを提供するものじゃない 

 

その意味じゃ脱落は正解だと思う 

誰かに答えを与えてもらうが良かろう 

 

 

・インテリアおしっこでねーな? 

テレビの声が聞こえなくなるほど大笑いしました。 

 

ムッチ先輩の部屋のテーブルに置いてあったバイクの模型がカワサキの赤いZ1300だったので、美術スタッフのセンスが凄く良いなと思いました。 

 

とても楽しいドラマです! 

 

 

・合わなくて脱落する人はどんなドラマでもいますよね。教育番組じゃあるまいし、ドラマで1から10まで教えないといけないのでしょうか?こういう人がいるからTVが面白くなくなるんだと思います。 

昭和を忠実に再現すれば現代での不適切が多いのは当たり前ですが、その差がなければこのドラマは成立しない。市郎のやらかしや順応を通して、受け手がその差を考えたり笑ったり自由に楽しめばいいと思うのです。 

私は両時代の良い所が融合して、極端ではない過ごしやすい社会になればいいのにと思ったりしながら笑って観てます。 

 

 

・自分も昭和生まれで楽しんで見ている部類です。懐かしい思いがありつつ、今のコンプラ問題がこんなに複雑になっていることに驚きました。何でもやり過ぎは良くないですが、ドラマはフィクションですし、見る見ないは本人の自由なのだから、ある程度自由に放送してもいいと自分は思っています。今後も期待してます。 

 

 

・昔と今どちらがいいとは言わないけれど、今を生きる者としてはある程度のコンプライアンスは重要と思いながらもなにかにつけて〇〇ハラスメントって名前をつけるのはやめてほしい。 

どれだけ生きづらくすれば気が済むのか。金銭的にも余裕がなくなってきてる中で、何かしたら〇〇ハラスメントと言われるかもしれない(セクハラやパワハラは別として)と精神的にも追い込んでいくような流れなんだから希望も何も無い。 

 

 

・面白さとコンプラのバランスって難しいよな。 

 

見ていて「痛快!昭和おもしろ!」と思うこともあれば「これはないわ…令和でよかった…」と不快に思うこともある。 

どちらの時代にも良し悪しはあるわけで。 

 

筆者の言うような「答えとして提示している」と言う印象はないな。 

問題提起を交えた娯楽と思って楽しんでる。 

 

 

・記事を書いた人の牽強付会が強めな解釈だと思った。これをそもそもクドカンが「正解」を描いているドラマと捉えるのが無理あると思うのだが。さらに吉田羊が将来の自分の旦那に向かって電話で言うシーンは、小難しいことを考えずに自分に逼迫しているからいっぱいいっぱいで出てきてしまった言葉だと自然に思えるけどね。 

 

 

・昭和、平成、令和、それぞれに良いところもあれば悪いところもあります。平成令和しか知らない若い人は、昭和のことが面白くもあり、嫌でもあると思います。私は昭和生まれですが、平成くらいがちょうどよかったです。 

ネットがない頃は店を探すも商品を探すも足やリアル口コミだったので、検索出来るようになって便利だけど、なんでも口コミやレビューで判断するのもつまらないなーと。昔の通販なんて届くまで信用出来なかったけど、今はAmazon大活躍(笑)でも店頭で買い物する方がやはり楽しいですよね。 

 

 

 

・若い世代の女性ですが、楽しんで視聴しています。 

私は昭和の時代を学校の教材や歴史の授業などで知っているのみだったので、確かに最初は「昭和の価値観」というものに驚きました。ですが昭和の価値観と令和(現在)の価値観を擦り合わせて扱っているので、それぞれの良さ悪さを実感出来ていいドラマだなと思います。一緒に見ている母は懐かしんで見ているので、よくドラマ内のネタや小道具などに関して質問して話を聞いていて、それがとても楽しいです。 

それぞれの価値観に疑問を呈する!というお堅いドラマではなく、間に挟まる笑いどころやミュージカルのおかげで楽しみながら見れていて、久しぶりにリアルタイムで追いたくなるドラマに出会えて良かったな〜と思います。 

 

 

・四半世紀前の話だけど社会人2年目でストレスのせいなのか生活環境が変わったせいなのか顔がアトピー性皮膚炎になったことがあった。 

そんな自分の顔を見て上司が「きたねえ手で弄ったんだろうw」とか揶揄ってきたことがあった。平成前半でもそんな感じだった。 

今の時代だったらその上司のさらに上の上司から注意されますよね。 

今と昔のどちらが良いのかは触れませんが「優しい」時代にはなったと思います。 

 

 

・このドラマを見るのは、40代後半以上が主な視聴層のドラマだなとは思う。 

1回だけ親子でたまたま見て、親に「本当にこんな時代だったの?」と子供が言うだけで十分なドラマな気がする。 

コンプラ、~ハラ意識を高めるのは、企業や職場の研修などでやる事だろうと思うし、ドラマ視聴如きで人間の本質なんて変わらない。変わると思っていたら、作り手側の勘違い。 

小ネタを楽しめる、娯楽ドラマの範疇で良いのでは?と思うし、自分はそんな感じで見ている。 

 

 

・番組はみていないが、過去を題材にするネタはほとんどがノスタルジーに浸るようなもので、実際とは異なる事が多いんだよね。映画オールウェイズも過去が良かったような描き方だったけど、確かに懐かしさは感じたが、嫌な事も沢山あって、過去には決して戻りたいとは思わなかったな。いつの時代もいい事ばかりではないと言うのが現実で、実際は嫌な事ばかりなんだけど、それを当たり前と感じれたかどうかの感覚の問題なんだと思う。現在のほうが良いに決まっているし、だからこそ人間は進歩しているわけで、いまも前に進んでアップデートしていかないといけないわけで、試行錯誤の現状は変わらない。とにかく、いまだに古い体質を持つのは変えていくべきだと思う。伝統という言葉に拘りすぎているよ。伝統は1からつくりあげるべきものなのだから。過去の物真似ではないのだから。 

 

 

・される側でない限りハラスメントというものがわからない人にはわからないし、今更昭和に戻るわけでもなしという達観がある。 

なので昭和脳の人たちが大喜びで昭和は良かった昭和最高、なんでもハラスメントにするなみたいなコメントまでがセットのドラマだと思ってる。 

良い悪いじゃなくて、昭和脳コメントを令和脳の人がどう見てるかまで考えられたらいいんじゃないかなと思う。それでお互いに気付くことがあればドラマとしては上出来だと思う。 

 

 

・映画やドラマによくある、違う時代に行くタイムマシンものや、異文化の別世界を訪れて今の自分を振り返るパターンの作品で、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」や「バービー」らこの手の作品は無数にある。記事にあるように、例え風刺的に描くとしても、セクハラパワハラの昭和感覚と今のコンプラ重視の時代感覚を相互理解させてしまうと、何でも自由な昔も良いなと視聴者を勘違いさせ、せっかく進んできた差別やハラスメント、多様性への理解にマイナスにならないかという意見もあるかもしれないが、悪影響は無いと思う。例えば、今はYouTubeらで昔の映画らも簡単に見られる。昔の映画を見ると、ほぼ100%タバコを男女がスパスパ吸い、酒をガブガブ飲むシーンがある。差別的な発言らコンプラ違反もつきもの。しかし、だからと言って、それを見た今の若い世代が真似をする訳ではないように 

 

 

・ドラマで「パーフェクトな解決法」なんて示せるわけないじゃない。 

例えばって、一例なんだから。 

ドラマ一本見るだけで何でも解決できたら苦労はない。「不適切にもほどがある」このドラマって、そもそも解決法を示すドラマじゃないだろう。 

 

女性に対するセクハラを「自分の娘にしないことはしない」「自分の娘が嫌がることはしない」その通り、クドカンさすが、そういう基準で行けばいい、なんて受け取った中高年の人達は、セクハラ自体わかっていないんだよ。 

 

ドラマの細部までよく見ておられるなと感心するけど、詳しすぎてクドカンに何でもかんでも求め過ぎじゃないのかなあ。 

考えるきっかけを作った、風呂敷を広げただけで、このドラマは凄いよ。 

クドカンは処方箋じゃないからね。 

 

 

・コンプライアンスは大事。必要だからこそここまで育ってきた。 

ただ、その成長が丁度良いところで止まらず必要ラインを超えて行き過ぎてしまうとまた今度は世の中がおかしな方向へ進んで行ってそれはそれで具合が悪い事が出てくる。 

何事も丁度良いバランスが大事。 

このドラマはそういう事を描こうとしてるのかと思って観ていたし、別にコンプライアンスなんて不要だとか昭和の方が素晴らしかったなんて言ってるようには見えない。 

この記事に挙げられている第4話も観たが今までと変わらない調子で特段その主旨から外れて行ってるような気もしなかったが。 

第一話から観ていてそのメッセージがわからない人がもしいるなら、その人の読解力の問題ではないかと。 

 

 

・1話は猛烈に面白く、爆笑の連続で、あっという間に終わってしまいました。 

しかし2話から急速に興味が無くなり始めて、先週は録画しても観ていません。 

ここまで落差を感じたドラマも珍しくて、その違和感の理由を考えてみました。 

当初、昭和の頃の情景に「そうだったそうだった」「あの頃はあれで、楽しかった」などと、懐かしさ、少しほろ苦さ、かなりの恥ずかしさ⁈も感じていました。 

しかし、ドラマのテーマである「昭和と令和との違い」が強調され続けると、懐かしんでいた思い出が、「イタいもの」になってしまいました。 

途中、突然始まる「ミュージカル?」も、初回のミュージカル俳優の登場は、素直に「舞台として」楽しめましたが、次第に素人の大合唱に感じました。 

つまり、思い出の昭和でもなく、現実の令和でもなくなってしまいました。 

[つづく] 

 

 

・正直このドラマ、はじめから中高年を対象としていて若者に受けようとは思っていないのでは。 

いわゆるノスタルジック系で、昭和を知っている人に刺さるようにつくられているのだと思う。 

別に昭和の常識が正しいとも、令和が間違っているとも画かれてないと思うし、「昔はこうだった」「昭和の人のコンプラ意識はこれが常識だったんだよ」と、歴史的事実を確認する程度でいいのでは。 

先日も水ダウのビートルズ関係の検証で放送禁止用語が連発したと話題になっていたが、アレだって歴史的事実だから放送できた。 

勿論ドラマだから昭和も令和も無茶苦茶脚色しているが、別に令和のコンプラ意識を否定するような内容ではないと思う。 

 

 

 

・ドラマが正解なわけではないし、これをきっかけに社会で色々議論されるようになった事はいい事じゃないかな。 

ちなみに、私は、人をトラウマにさせるような威圧的なパワハラや性犯罪クラスのセクハラは断固糾弾されるべきと思う。 

反面、市朗が劇中で相手を茶化して言ってるような事は、今の時代でも別にそのくらいいいんじゃね?と思う。 

冗談も言えなくなるような世の中はつまらないし、市朗のストレートな物言いは、ただの素直な気持ちであり、前述のトラウマになるような悪意あるパワハラセクハラとは全く違うものだ。 

 

 

・「面白い」「楽しい」よりも「正しい」が最優先される時代になってる。その中でその人なりの「面白い」「楽しい」を自分の力で見つけ、探し出していけば良い。テレビ、ドラマがそうでないなら自然に淘汰されていき、見向きもされなくなり、作る事も出来なくなるでしょう。 

ただ、一定数いるそれを面白い、楽しいと感じる層にまでおせっかいを焼くのはどうかと思う。その人達はただの「エンタメ」として楽しんでいるということも考えてあげてほしい。 

 「多様性を重んじる」っていうのは全ての人にとって寛大で寛容な事でしょ。少数派を保護してなんならアゲタテマツル行為ではないでしょ。どちらの立場も尊重して共存していく世の中な訳でしょ。 

 みんなの意識がまだまだ低いから極端な方法が取られてる現在なんだろうけど早く当たり前のようにインクルージョン&ダイバーシティの時代になれれば良いですね。 

 

 

・ドラマでは、昭和ではこうでした、でも今はこうですという表現をしているに過ぎない。途中に出ているテロップはシーンごとの意味ではなくドラマ全体としてのテロップだ。 

そして、多少デフォルメされている感はあるが小川先生はコンプライアンスやハラスメントという言葉が一般的ではなかった昭和人間の代表として描かれている。 

昭和と今の違いを見せ、そこから視聴者が何を得てどう考えるのかの問題提起のドラマだと思っている。 

昭和世代は、そうそうあんなんだったと感じ入り、現役世代は古き昭和を今の感性で受け取るだろう。 

コンプライアンスやハラスメントの行き過ぎた部分を考える題材にもなるだろう。 

 

 

・昭和の時代を経験していない世代には受け入れがたい部分もあるでしょう。 

それは仕方ないのです。  しかしその時代を通って来た人達から見れば、今よりは楽しく人間味があったと口を揃えるでしょう。 

 

平成後期から令和の時代は、一言で言うと「息苦しい」世の中に感じる。 

どうでもいい細かい所まで突き、SNSなどを利用し陰口や誹謗中傷という陰湿な行為が多すぎる。 世の中の物理的な物は進化しても、人の心は荒廃して行く様に感じる。 *個人的な意見。 

 

 

・この記事を読んで、ジェンダー問題を真剣に扱ってきた人には、ネタであっても、受け入れがたい部分があることは理解しましたが、筆者の言うような理由で脱落した人は少ないんじゃないかな?自分の考えに、皆、共感してくれるはず、という思い上がりを感じる。 

相対的に20~30代の視聴が薄い(10代と40~50代が高い)という記事は見たことがあるけど、そもそもそんなに脱落者が多いのかな?そういう話を目にしたことが無いんだけど・・。 

 

 

・時代劇だと思って見ているので、そんな現実とリンクさせて考えてないですね。 

うちの10代の子供たちも、夜遅いので録画していて、土曜日に見るのをとても楽しみにしています。 

ヤバすぎ、見てられないと言いながら笑ってますけどね。 

自分の頭で考えることが必要ですよね。考えない人はどんなドラマでも考えないし、そういう人は一定数いるので、だからこのドラマがどうとか、そういうことではないんじゃないかな。 

 

 

・確かに筆者のように50代でも違和感を感じる人はいるんでしょうね。 

 

そりゃそうですよね。 

現在のこの世知辛い世の中を作ったのも概ねその世代 

なんですから。 

昭和は良かったと言う人と昭和が辛かったという人が 

せめぎあった結果、昭和が辛かったと言う人の声の方が 

少し大きかったってことだね。 

 

このドラマを見て自分たちが主張し築いてきた”現代”が 

本当に理想のものだったのか少し見つめなおす機会に 

なるんじゃないかな。 

 

ちなみに私は 

”昭和は良かった”派ですけど・・。 

 

 

・良くも悪くもクドカンなので、たとえばこのドラマで社会全体の枠組みを揺るがせてやろうみたいな、IQ高めの思想運動みたいなことは狙っても望んでもいないと思う 

シンプルに「令和6年のテレビで言えないことを俳優に言わせたい!」ということじゃないかな 

自分はもはやドラマでみかけなくなったしょーもない下ネタをのびのびと織り交ぜてくる脚本&役者を楽しんでます 

 

 

・公園の遊具が、子どもが怪我するたびに撤去されていくように、何かが起こると無くなるか規制される社会なのでしょうね。 

でも社会主義で国民そっちのけな国も多い中で、ある意味幸せなのかもしれないけど。 

昔でも今の時代でも良い面もあり、悪い面もあり。 

このドラマは批判とかあえて考えず、あー!昭和こうだったねーって懐かしんで見るのがいいと思うけど。 

 

 

・私も平成生まれで昭和のことは分からないけど、少なくとも今よりは生きやすかったのかなと思う。 

どちらが良いとは言えないけど。 

ただ一つ思うのはスマホの普及が人をダメにしてるのは切実だと思う。 

きよしがスマホが無くても会えた!と感動していた所が全てだと思う。 

 

今分からないことは何でもすぐググって辞書を引くことも無ければ図書館に行って調べることもない。 

 

便利さと共に失った人間の在り方は大きすぎると思う。 

 

 

 

・それぞれ極端な例をあげて、視聴者に楽しみながら無意識的に何でそうなったんだろうと考えるきっかけを与えるドラマだろうから、これはこれでいいと思う。 

昔よりも今の方が弱者の声を酌んでいるとか、昔の悪かったところを是正してきたから今のコンプライアンスがあるとか、それはそうかもしれないけど、そもそも人や社会を幸せにするためのコンプライアンスなんだから、本来の趣旨を考えずに逆に思考停止してがんじがらめになってない?って問題提起でしょ。その意義を理解しない人は一定数いるのかもしれないけど、そこに照準を当ててもしょうがない。 

台詞や構成に問題があるところもないわけじゃないかもしれないけど、一つの試みとしてとても面白いエンタメ作品だと思う。 

 

 

・昭和を懐かしみながら、楽しみに観ています。ジュリーの大ヒット作も、今聴けばめちゃくちゃアウトだなと大笑いしました!! 

昭和の人間は、ヤバイ時代を生きてきたな、頑張ってたな!って懐かしみながら観れるドラマですし、令和の方たちに『昭和世代はこんな環境でも頑張ってきたのよ』と、笑いながら伝えたいドラマかな、と思います。 

クドカンさん、素晴らしいと思いました!! 

この記事自体が令和を感じます。 

 

 

・自分は平成のゆとり第二世代で昭和生まれの両親に育てられ、青春時代は平成、社会人になって令和だけど、どの時代のよさも味わってきたなって感じがする!社会人になりたての頃は昭和から受け継がれし上下関係や飲み会もあったけど、そういうので学んだことや今の人脈もあると思ってるし楽しかったかな〜。そんな自分が見ても今の若い子は打たれ弱いし、かと思えば信じられないようなやらかしをしたりする。そんなZ世代をカバーしながら昭和の上司ともうまくやっていく、間に挟まれながらね。 

でもドラマはポップに今の時代の疑問を突きつけていて、笑いながら旦那と見ています!うわ〜確かにね〜なんて言いながら。笑 過剰になりすぎずみんなが気持ちよく過ごせるような世の中になるといいな〜! 

 

 

・こういう反応が出るのはクドカンとしても想定済みでしょう。 

ドラマのメッセージを正しく受け取れずに「昭和は良かった」の解釈で 

終わってる人もいることはいる。 

でも、単に過去賛辞のドラマじゃないことは普通は見てればわかる。 

第3話なんかむしろ今のコンプライアンスが不十分だという面もある。 

「識者」ならば、このドラマが何故ここまで反響を呼んだのか 

もうちょっと踏み込んだ洞察をして欲しいね。 

 

 

・核家族化の進行と女性の社会進出のおかげで現代人の多くは共感性が低くなっているのも原因でしょう 

言葉がコミュニケーション手段ではなく情報伝達手段になってしまっているので意図する以上に過大に影響を与えてしまっている 

言葉を発する側も受け取る側も情報として受け取っているので善悪の価値基準が一元化されてしまった結果のコンプライアンスの肥大化でしょう 

悪意の存在の有無は情報には関係ありませんからね 

 

 

・このドラマが何が面白いって、みんなが実は心の奥で思ってる現代の「そんな事いちいち言わなくても」という自然に非常識化させられてしまった事を突っ込むところです。 

この記事みたいに、重箱の隅を突くような指摘が実はみんな苦しかったって事がこのドラマでハッキリと表現してくれている所が気持ちいいのです。そのドラマに対して「ここにもテロップを」という指摘はシラけます。宮藤官九郎のセンスで作った宮藤官九郎の作品として見れば良いと思います。その内ミロのヴィーナスもミケランジェロも不適切だとNGになるのでしょうか。 

 

 

・記事を書くことが職業の人は、このドラマについて3ページ分の文章を書かざるを得ないのは分かるが、話題のドラマに3ページ分使ってツッコむほどのことは起こってない。 

あと、クドカンと同世代だとどちらの時代も生きてるので楽しめるが、若い世代は脱落というか、そもそも片方の時代、昭和をリアルタイムで過ごしてないのでターゲットでもない気がする。 

ネガティブな分析は読者から野暮ととられるし、書いてる人もそこまで思って書いてないだろう。話題が熱いうちに3ページ分書いてUPする必要があったというだけ。 

 

 

・なるべくそのままの時代を現していて良い。 

 今の現在不適切な表現ならば、戦争や時代劇の殺し合いも良くない表現になる。 

 昔は叩かれたり怒鳴られたり色々あっただろう。子ども達も叩かれたり怒鳴られたり等々された。それなのにそういう場面を取り入れられていない昔を表現したドラマが多い様な気がする。 

 

 

・少なくとも私が見ているTLだと、これを観て昭和を礼賛する声は皆無で「昭和は昭和で差別や暴力がまかり通っていて問題があるけれど、令和も令和で雁字搦めで息苦しいよね」という意見が多い。 

 

このドラマはどちらの時代の問題点も挙げていて、どちらも裁く事なく中立的な立場を取っているように感じるし、ミュージカルシーンも「正解」ではなくあくまで「こういう考えもあるんじゃない?」という提案なのではないかと私は思っている。 

 

ドラマに限らず最近のコンテンツには、わかりやすい悪役がいて主人公が戦って溜飲を下げる勧善懲悪的なものが多いけれど、本来なら人間も物事もそんな簡単に白黒つけられないグレーなものだと思う。 

 

何かを裁いて正解を導くドラマでなく、中庸な視点で作られていて観る人が自分なりの「正解」を考えるドラマだと思うし、そういうドラマこそ正義中毒化している今の時代に必要ではないかと思っている。 

 

 

・昭和は嫌いだった。 

ずっと我慢していた子供時代だった。 

女だから、という理由で少年野球チームに入れてもらえなかったし、ハンカチ忘れたら「女の子が忘れるな」と怒られた。もちろん、男の子は忘れても仕方ないな、ってだけ。 

スカートめくりされても、男性担任が「男の子が見たいと思う気持ちは分かる」と発言。男子は歓声を上げ、女子は自衛しろという空気になり、その後スカートめくりは先生からお墨付きをもらったということですごく流行った。 

もちろんそれは社会人になっても、女は我慢、女は愛嬌を強制されてきた。 

あんな時代のことを思い出したくもないから、ドラマにもハマってない。 

クドカンはすごく好きなんだけど。 

 

 

 

・ドラマって架空の世界なのだから、色々な表現があっていいと思うんですよね。 

ダメな表現があったら、それがいいのか悪いのか自分で考えて判断する。 

ダメな表現だからテレビ局に文句を言うんじゃなくて、問題提議だと捉えればいいと思うんですけどね。 

「テレビでやってたからいいんだ」ってそのまま信じる人がいるんじやないかって、危惧してるって事ですけど、そんな素直に信じる人がいるんだって驚いてしまうのは私だけなのでしょうか。 

ニュースや情報番組ならともかく、ドラマなのに。 

 

 

・この反応も制作側の意図するところなのでは? 

偏ったものを是正する場合、着地点より反対側にブレ気味になる。加速度がつくから。 

それに対してまた戻るような動きを繰り返し(復古と維新の繰り返し)、そのふり幅が小さくなっていき、最終的にベストなところに落ち着く。 

しかしハラスメントに関しては是正に対しての意見がタブー視されることで必要以上の摩擦が生じ、膠着してしまう傾向にある。 

カウンターハラスメントが行き過ぎて「不謹慎だから」「助長する印象を与えるから」という理由だけで演出にストップがかかる世界になったら、例えば殺人事件を取り上げるドラマ、映画、番組はすべて「犯罪を助長するので不可」になる。 

「コンプライアンスはそこで固まっていいの?見直さなくていいの?」という視点を与えるドラマだと思うので、そこを意識してこれからも見て行きたい。 

 

 

・あくまでもテレビドラマなのでそこまで気にすることはないんじゃないかなぁって言うのが率直な感想です 

もっとおおらかでいいんじゃない?っていうのがこのドラマのメッセージだとすると、このコメントは真逆を行くものですよね 

8時だよ全員集合は教育上良くないって言ってるのと同じように感じました 

誰にも迷惑をかけなければ様々な受け取りかたがあっていいと思います 

 

 

・NHKのBSで「よみがえる新日本紀行」ていう、昭和の番組を再編成した紀行番組を流してますけど、穏やかな、時に賑やかな田舎の風景のバックで、ナレーションでコンプラセンサーがアラートを上げるようなチョイチョイ挟まってるので、観るとちょっとドキリとしますよね。 

 

コンプラ表現自体をテーマにするのは、仮にあらかじめ注意書きを提示していても、なかなか危なっかしい気はしますね。 

 

 

・1回目から違和感はあったが、この記事を読んでわかったような気がする。令和コンプライアンス(というものがあればだが)を作ったのは昭和世代だと考えている。自分たちが嫌だったことを子どもに強制しなかったからだ。嫌なことを強制されない、理不尽に怒られない。そんな環境で育った子どもは令和コンプライアンスを作るだろう。作った大元は昭和世代だ。だから、本来、そこに分断はないはずだ。だとすると、ドラマの中で、昭和世代がただ戸惑っているのはおかしい。自分の中にあった「こうであってほしい」ということが、未来で実現されているのだから。まあまだドラマは序盤だからどうなるかわからないが。 

 

 

・このドラマが流行ったから時代が逆行するなんてあり得ないでしょう。 

それなら戦争の映画やドラマがヒットしたらまた軍国主義に戻るんですか? 

このドラマも戦争作品と同様に、昭和の理不尽を取り上げることで「この時代に戻してはいけない」と思わせるのが趣旨ではないかと思います。 

 

 

・私は令和世代ではないですが、このドラマを観ていると時々モヤモヤが残ると感じます。 

「自分の娘だと思えばいい、娘の嫌がることはしてはいけない」 

昭和世代、自分の娘にもセクハラまがいの行動や相手の気持ちを考えず嫌がることをしてきた人も多いよね…と。やっと子どもの気持ちをよく考え尊重するようになってきたところです。昭和世代代表みたいな方が「自分の娘だと思えばいい、娘の嫌がることはしてはいけない」とか言っても意識しないでハラスメントしまくるのだろうなー…と。「昔は良かった意識」をちゃんと変えないと、ハラスメント問題って無くならなそう。ガチガチにやるのは息がつまるのはもちろんだけれど、それで救われる人がいるのなら仕方ないと思ったりします。 

 

 

・昭和世代に人気があるように言われていますが、寧ろ若い人の方が共感を持って見ているのではないでしょうか。 

人間というのは本音と建前がありますから、本音で生きてきた昭和世代はストレスはない。 

若い人は今の時代本音が言えない。それがかえってストレスとなっている。 

そうだよな、これくらいはいいよな、と思っている若者は多いと思う。 

 

 

・内容は、昭和か令和ではないですよね。 

私的な世代間ギャップで収まらないコンプラ社会への大きな変遷と、 

SNSに翻弄され、プライバシーの公開が氾濫する世の中への無言の転換の中で、 

ガイドライン頼りではなく、本当のコミュニケーションのとり方を示唆してると思います。 

それはドラマだからこその表現方法ですよね。 

それに昭和の時代に人権問題が無かったと言ってる訳でも無いでしょう。 

 

ショーワが古いものの象徴にされ、あげつらって切り捨てられる風潮がありますが、それは分断を生むだけの様にも思います。 

また、カラオケの場面では親の好きな曲を子供としてリスペクトしてる場面もありましたけどね。 

 

多様な人権や価値観を尊重する時代なら、昭和の価値観からの転換に奮闘して、どうやって若者と向き合うのか努力してるオヤジやオバサンの苦労を尊重しても良いと思いますけどね。 

 

 

・昭和に限らず、「昔に戻りたい」と言う人は 

今が地獄のようで、選択に後悔しかない人 

それはいつの時代にもいるし、 

時代に乗れない人はもれなく不幸になる 

 

崖から落ちそうな人を見たら助ける 

それが誰であろうと関係ない 

それが当たり前、だと思うのは昭和生まれまで 

 

現代では、助けてと言われない限り、 

手を出してはいけない 

優しさがハラスメントになる時代なのだ 

 

 

 

・自分もギリ昭和の時代を知らず、絶賛記事ではあの頃は良かった的視点の内容が多かったので先日まで食わず嫌いで観ていませんでした。 

しかし元々クドカン作品のファンなので気になり配信で最新話まで観ましたが、記事でモヤモヤ点として触れられているハラスメントがダメな理由について個人的には不器用にも娘を愛する主人公の自然な気づきとしてアンサーが出る流れには納得しました。 

時代の変遷を知らない状態でハラスメント上等の時代からやってきたばかりの人が説明のみで納得するのは説得力ないですし。 

逆に家族ならいいだろうと言う層から反発が出るのでは、といった指摘に関しては大切な子供に置き換えても「されたら嫌な事」を理解しない方は根本的に何を言っても通じないはずです…。 

決して現代のコンプラを全否定して主人公の昭和的価値観が全肯定されるわけではない。 

タイムスリップものが好きな方は話だけでも楽しいと思います。 

 

 

・クドカンって「俺の家の話」のときも「家の跡継ぎ」というテーマの中で、女兄弟の家事の担い手を押し付けられる一方で居場所のない感じにしっかり言及しているし、女性の立場にはかなり繊細な思いを寄せている人。 

世の中の流れもわかってるし、若者の意識も理解しているはず。あえてこういうコンプライアンス論争を起こそうとして、それもおもしろがって、きわどいセリフを言わせている気もします。そこもおもしろいところ。 

今回は、今どきの意識高い女性の本音を吉田羊に言わせ、子育てしながら働く女性の本音を仲里依紗に言わせ、それを引き出すために不適切な阿部サダヲの存在があると思っている。 

この記事のように、言葉一つ一つを切り取って、ダメ出しをしているのがまさに、今の時代の物語をつまらなくしている元凶であって、物語は全体を通して何を表現しようとしているのかを見る必要がある。 

 

 

・まだ4話しか放送されてない中で、結論を急ぎ過ぎじゃないですかね。なんだか『あゝ無情』を前半だけ読んで「やっぱ犯罪者は犯罪しかできないんじゃんww」って感想を述べてる感じ。 

コンプライアンスやLGBTQに対するギャップが物語の根底にあるにせよ、教育番組ではないのだから、答えをいちいち提示するのは変だし、そもそも正解は一つじゃない。むしろギャップを目に見える形で見せてもらうことで、目をそらして答えを出そうとしなかった人たちに気づかせているのでは、と思う。 

 

まずは、最終回までしっかり観てみたいと思います。 

 

 

・若い人は世の中に対して何か不満があっても世の中に発言しているのだろうか?昭和の終わりのお伽話はその当時の大人とその子供だった人達にはいわば当たり前の事だったのです。あの当時皆んなそう思っていたがあの世代よりその前の戦前戦中派はもっと理不尽な事でもあった訳で時代は少しづつ変わっていくものなんだと思います。 

 

 

・この記事には共感できない。 

ドラマの内容は単純に「昭和は良かった・令和は窮屈」ではないし大所高所からコンプライアンスを説くものでも、反対にそれに真っ向から逆らおうとするものでもない。 

「コンプライアンス」というものについて“守れないのは絶対悪・守れる方が絶対的正義”とはせず、その判断の基準が個々人によって異なる、その揺らぎと衝突によって混乱が生まれるという構図が一貫して描かれているように見える。 

強いて言うならば、まさにこの記事のような“自分が正しいと思うボーダーラインで他者を評価するようなコンプライアンス”というものへの疑問であり揶揄だろう。 

 

>しかし、コンプラ意識の低い一部の視聴者は、「これだけ守れば大丈夫」 

>と勘違いしてしまわないだろうか(中略) 

>(もちろん、その年代の男性でも意識が高い人はいる) 

そう。他人を素で「意識が高い・低い」と評価するような“コンプライアンス”への。 

 

 

・面白い試みだと思う。この記者さんの戸惑いと葛藤と文句に批判にジレンマにクドカンさすがだと言わざるを得ない。パラダイムシフトが起きていつの間にかなんでもタブー誰かが嫌と言えばとりあえず隠す消す抹消するまで来ている現在、揺り戻しが起きているのだと思う。マイノリティの意見にも耳を傾けるべきだ。がいつの間にかそれに従おうそうすれば波風が立たない。に。 

昨今のLGBTQにしてもそれをモロに支持したディズニーハリウッド界隈もだんだん気が付いてきたことだろう。日本もこのドラマを機に考えてもいいともう。誰かが疑問を投げかけたらそれが煽りになってCMも番組も誰も彼もとりあえずやめてしまう世の中は健全ではないと思う。自分の考えをしっかり持つこと自信を持つことが大切。…ほぼ無記名で意見を書いていて言うのもなんだが、強烈な違和感を放つなら記名すべきかもしれない。記名なき者は削除しますと警告とかね。 

 

 

・脚本が誰か知らないで1話見た時、木更津キャッツアイっぽい?と思った。やはりクドカンと阿部さんはいいコンビ。今の時代には絶対アウトなセリフも沢山あるけど、事実昔はこうだった。懐かしい。楽しく見たいと思う。 

 

 

・過剰にコンプラ重視に偏り過ぎた現代は如何に無駄に生きづらく滑稽なことか。過去も不適切だったと思うが、それ以上に現代も相当不適切なのではないか?そして過去から連綿と続く現代において我々はそのことに違和感は感じながらも気付いていなかったりする。このドラマはそんな現代に対する風刺であり警鐘でもあり、単に面白いというだけでなく、意味のある作品だと思う。 

 

 

・コンプライアンスとハラスメントは今始まった事ではなく、もうだいぶ前から言い始めているだろう。 

ハラスメント(最初はパワハラとセクハラから始まったが)が言い始められて、会社でもそれを気にしだし、パワハラと言われるのを気にしだして、上司がリーダーが部下を𠮟れなくなった。そして、教えることが減っていきどんどん個人の営業力が落ちていったよ。 

怒るのと叱るのが別なんだが、若い人はその違いがわからない。自分が間違ったり、失敗しても強く言われるとパワハラと言い出す。 

TVは何でも〇〇ハラスメントと言い出す活動家やコンプライアンスや多様性を勘違いしてるか自分の承認要求の為に使ってる活動家を気にしすぎて、無難な方向にしか走らないくなったから面白くなくなった。 

TVのエンタメは気にせずに過激にやればいい。エンタメはエンタメとして楽しめばいいんだよ。 

 

 

・話題になってるので、途中から見てみたら、これ面白すぎて、最初からじっくり見たい!と思ったので、CSイッキか、Huluに上がるまで待つつもりです。 

 

コンプラ表現に関しては、これを題材にいろいろな人が意見を言って、皆が考えるきっかけになれば、それでドラマの役目が果たせるんでは?と思ってます。 

 

 

 

・ドラマの設定昭和61年ってあんなに自由だったかなあ、と当時若かった自分はちょっと思ったりする。いじめ問題が社会問題と扱われ出した頃のような記憶があるし男女雇用機会均等法が施行されたとはいえ女性に対する圧は結構大きかったように思う。子供の自死数も当時は過去最多と言われた時でもあったんだよなあ、と…。社会全体が決して明るく何でもありの時代じゃなかったと思うけど…。まあ、ドラマだから誇張してるし“盛っている”のも分かるけど…。 

 

 

・こういう人ってドラマを単なるドラマ、フィクションとして楽しめないんだろうな。可哀想。 

ドラマの中の人が言うことに正解はないし、あの発言は不適切だった!なんて言ってもそれはフィクションでの話。 

ドラマを見てそれをどう解釈するかも人それぞれ、コンプラや多様性について1人でも多くの人が考えるキッカケになればこのドラマは成功なんじゃないでしょうか。 

 

 

・刑事物で犯人が誰かを殺しても、「法律違反だ!」と叫ぶ人はいない。 

ドラマの中でコンプラとか「現代の価値観」を壊して何の問題が? 

そういう指摘がどんどんTVをつまらなくさせてる。 

これをバラエティでやればアウトだけど、ドラマだから出来る。 

舞台とかだと過激なセリフは普通にある。クドカンはそこに挑戦してるように見える。ドラマは非現実なんだからもっと自由にならないと。 

 

 

・ウチの23才の娘は今季で一番面白いと毎週楽しみにしてます。 

そして昭和に生まれたかった、聖子ちゃんカットしてみたかったって言ってます。 

周りの友達も聖子ちゃんカットに興味がある子が沢山いるらしいです。もしかしたらまた流行るかも? 

 

 

・中途半端なリアリズムは、いずれ全く受け入れられなくなるでしょうね。完全なミュージカルにすれば名作になったかな……私は62歳です。このドラマは30代の知人に薦められて見てます。昭和61年は男女雇用機会均等法が成立し女性の権利が高まった時代です。全般的に基本的人権を配慮した時代で、この主人公のような教員はあり得ません。タイムスリップの扱いが雑なのも違和感しかないです。若者がこのような作品を評価できないのは、失われた30年の終焉を表しているようで希望が持てますね。 

 

 

・明菜どはまり世代の夫が毎週楽しみに見ている。私は面白かったけど飽きてきたと言うと、夫は「こんなに面白いのに!なんでだよ。」としつこい。私はその世代のそういう風潮がいやなのかも。 

子ども達は観ていないから、50歳より上のテレビドラマが好きな人たちが試聴層かも。 

 

 

・>昔は良かったものが、今突然ダメになったわけじゃない。昔は嫌な思いをしても言えない、声をあげられない、つらくとも笑ってその場に合わせていた人が、嫌だと言っていいのだと気づいて、ようやく声をあげられるようになってきた。 

 

 この人達は圧倒的に女性だよね。このスレッドを読む限り、肝は男女の対立の構図の鮮明化にあるのだと僕は思っています。自分の脳が萎縮していくようか閉塞感を覚えた男性が多いはず。 

 でもこの物語のテーマは、この変化がどういう過程で生まれたのかもう一度検証した方がいいよね。正しく変化した物ばかりとは限らないから、って言うことだと僕は思っています。なぜなら昭和ど真ん中世代の僕にとって、今現在の状況があまりに窮屈だからです。本当にこういう変化でよかったのだろうか。このドラマを見ながら考えているところです。 

 

 

・吉田羊さんのあのセリフは、普段研究者としてどんな正論を述べていても、こと自分の子供の事となると冷静ではいられない…という普通の親の感覚を普通に描いているだけだと思う。葛藤も伝わって来た。人間だもの。それが分からないって、このライターさんは人生経験が乏しすぎるかも。 

 

 

・私は1話目から嫌な違和感しかありませんでした。 

とりあえず、もう少し見続けてましたが、3話で離脱しました。 

 

良い意味で受け止めて貰えればとは思いますが、残念ながら、必ず悪い意味で理解する人が一定程度存在するのが人間社会です。 

 

単に子供が真似をするという心配もあります。 

 

世の中は、未だにコンプラの必要性が定着しているとはいえないのが現状であり、そこで苦労している人が沢山います。 

一方でこれだけ話題になるのですから、多少なりでも影響が出るだろうと思われますが、時期早々と言わざるを得ません。 

 

結局は、作り手側が人権とは何かということがきちんと理解されていないのではと思っています。 

 

 

・「何故ダメなのかという道筋が一切描かれていない」そのとおりですね。 

理由を示さねばならない教育番組ではないし、そもそもクドカンがコンプライアンス問題そのものに一定の結論を導くつもりなど、それこそ一切ナイでしょう。 

彼の描く物語の殆どは、そういうギャップや違和感を上手く興味の対象としてクローズアップして、結論は「勝手に考えてね」的なモノが多いと思う。 

その、どちらにも収束しない「投げ方」は私も好きではないのですが、少なくともアレを見て、「やっぱり昭和が良かった!」という結論に至る層の心配までするのは、「杞憂にもほどがある」のではないでしょうか。 

没入する事はナイですが、考えるキッカケとして機能はしていると思います。 

 

 

 

・記事タイトルの「『不適切にもほどがある』の視聴を脱落する若者がいる」が確固たる事実として議論が展開されているが、 

 

1)視聴していた若者(20-30代)の何%が脱落したのか 

2)そのデータのソースはどこか 

 

が明示されないと、本個人は一個人のただの感想にしか見えない。「匿名の座談会で誰かがそう言っていた」だけでは、全部嘘じゃないかとも思える。「若い視聴者が脱落している」の点がない方が説得力のある記事だった。 

 

 

・いまひとつ共感出来ない記事だったな。 

コンプラに対して一人一人が考えるきっかけになって良いじゃん、ドラマが正解を出す必要はないし、昭和酷いな、しかし昭和の意見も一理ある、って思わせるつくりにしているし。 

サカエが過去のイノウエの「自分は男しか愛せない」発言にヒステリックになるのは当然だよね、だって自分と結婚する男だから。そんなはずない!って言い切れるのだから。 

 

脱落していく理由は色々あるんだろうけど、ミュージカルが苦手な人は多いかも。でも苦手な人はどんなミュージカルにも拒否反応示すし、それで脱落する人がいるだろうってこともクドカンは分かった上で作っているよ。 

 

 

・なんでわざわざ事細かにこのドラマにいちゃもんつけるんだろう。 

話題になっていること=昭和礼賛ではないだろうし、なぜ一括りにして決めつけるのか。 

自分自身、昭和の嫌なところも感じて育ってきて戻りたいと思わないし、令和で改善されつつあるところをよかったと思っている。一方で、令和のハラスメントやコンプライアンスが行き過ぎてる感が否めなくもない。行き過ぎると、ハラスメントで本当にとても苦しんでる人達の声がかき消されてしまうような気がする。 

自分はこのドラマがおもしろくて好き。このドラマを見て、時代を見比べながら楽しみ考えたりしている。 

 

 

・現代では不適切なことが、40年くらい前は許されてたよね、おおらかだったよね、と思うこともあるけど、やっぱりとんでもなく男尊女卑で差別的だったことは否めないです。昔は良かったとも今の方が良いとも一概に言えないことばかりですよね。 

そんな中、こういうことはあまり変わっていないのではとドラマを観ていて思うのが、シングル家庭が増えた現代、昔ほど偏見の目では見られなくなったし、ひとり親世帯にいろいろな手当ては増えたものの、いまだ親子とも苦労は多いのではないかということ。さすがに、じゅんこちゃんのように昭和の父子家庭ほどの偏見や苦労はないかもしれませんが、劇的に変わったとも思えないです。 

 

 

・自分は腹が出ている中年男性ですが、昭和の方が令和より良かったとは全く思いません。それなのでこのドラマにも全く魅力を感じないので視聴したことさえありません。 

 

でも、こういうドラマを制作することはいいと思いますし、このドラマを好んで観る人達がいることも理解できます。 

 

たかがドラマですから、個人的にはコンンプライアンスがどうのこうのはあまり考えていなくて、昭和と令和を対比させることでその違いの大きさを面白おかしく描いただけだと思いますね。今の時代をしっかり生きている人達には、後ろ向きなこのドラマは心に刺さらないと思います。 

 

 

・おそらく30代前半、20代には特に面白さは感じられないのでは?(若者の脱落者が多いと言う意見も分かる気がする) 

還暦を過ぎた身としては、余りにも昭和を美化し過ぎ感を感じる。 

一応、バブル期を経験した者にとっては良き時代だったのかも知れないが、少し上の世代が日本を滅茶苦茶にしてくれたと言う思いばかり 

戦中、前産まれはそろそろ居なくなり、戦後の高度成長迄の貧しい時代を知る者は居なくなり、70.80代の年金を貰い悠々自適な世代こそ、高度成長期、好き勝手にやってくれた世代。そのツケを払う事になっている今の現役世代… 

まぁ戦犯は「派遣の幅を広げた女衒の親玉」だろうけど、少子高齢化に対して何も手を打っていない、社員をコストとしてしか見ていない経済界だろう…後、過疎化を放置の地方も 

 

 

・コンプライアンスには「良いコンプライアンス」と「悪いコンプライアンス」がある。 

 

「悪いコンプライアンス」というのは自己矛盾した言葉だが、「悪い」という事を自覚できない所にコンプライアンスの問題があるという事。 

 

この記事も「コンプライアンスは全て正しい」という前提に立っていて、「自覚できない人」が書いてるなという印象。 

 

今は「自覚できない人」も多いので、何が良くて何が悪いかという議論すら始まっていない状態。 

このドラマは議論のきっかけを作ろうとしていると思う。 

 

それは簡単ではないし、違和感も出てくるとは思うけど、やろうとしている事はわかるし、勇気のある事だと思う。 

 

 

・極論を言えば 

なんでもOKの時代から何でもアウトの時代に変わった 

問題はハラスメントという言葉の濫用 

第三者等が客観性を持って適用するなら仕方ないのだが 

被害者?とされる者が言えば 

それがハラスメントという風潮がおかしい 

例えば 

セクハラなど相手によって変わるという 

当然パワハラも同じだろうね 

簡単に言えば 

嫌いな人間からは言われたくない 

好きな人からは逆に言われてみたい 

これを法律で定めることが可能だろうか? 

道徳やらモラルやらで分けることは可能なのだろうか? 

あと10年20年したら 

なんでもアウトの時代が当然の時代になるのかなあ? 

50年経った頃に若者たちが 

令和ってひどい時代だったんだねと 

言ってるかも… 

 

 

・見ない若者を強制的にでも見せるべきでは?無理なのはわかっていますが。 

結果として自分の好きなこと興味のあることしかしない、これは今も昔も同じだけどね。 

ただ、昔はそれをしても全体としては余裕があったけど、今はない。 

インド、中国が成長した20年後の日本はどうなるのだろう? 

所得にしても韓国にも抜かれ、高齢化と人口減少はどんどん進む。 

コモディティ化で知識が不要になって、日本の強みはどこにもない。 

まあ、どこまで連関があるかは不明だけど、与えられた平等に慣れると社会は衰退していくだよね。 

 

 

・一種のカルチャーギャップコメディーだと思うんですがね。お侍が現代にタイムスリップしてきてひと騒動、みたいなものと同種のものだと思いますけど。受け手がコンプラやポリコレの意識をバリバリ効かせて視聴するようなものではないですよ。エンタメですから。 

 

 

 

 
 

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