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7浪して医学部、国会試験に2回落ちて53歳で医師になった女性「それでも諦めなかった理由」

女性自身 2/25(日) 6:02 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/296a835aeff52feffe33fcccbdf0e928b76dd5fe

 

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医師の新開貴子さんは、53歳で医師になった。

短大を卒業後、アルコール障害や摂食障害のセルフミーティングに携わる中で医師への夢を持つようになり、国公立大学医学部に合格するまでの波乱の人生が紹介された。

子育てや長男の高齢出産、夫の協力などを経て医師国家試験に合格し、現在は愛知県の幸田町で活動している。

医師として活動しながら、自身が抜毛症に苦しんだ経験を生かし、薄毛治療の自毛植毛に携わり、将来的に在宅診療へ興味を持っていると述べている。

貴子先生は、「夢を持ち続ければ、いつでも挑戦できる」と語り、家族や社会への感謝を忘れず、患者に寄り添い続ける姿勢を貫いている。

(要約)

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「まだまだやりたいことがたくさん」と語る貴子さん(写真:永谷正樹) 

 

【前編】7浪して53歳で医師に! 貴子先生語る「小中学校ではずっとクラス最下位でした」より続く 

 

【写真あり】「捨てられなかった」8枚のセンター試験受験票 

 

現在、愛知県で活躍している医師の新開貴子さん(58)は、異例の経歴の持ち主だ。彼女が医師になったのは、なんと53歳のとき。まだ、5年目の医師なのだ。 

 

そんな彼女が医師になるまでのドラマを追う(全2回の2回目)。 

 

■36歳でママ受験生に。搾乳しながら試験を受けた 

 

短大を経ていったん東京で就職するも、体を壊し、地元の島根県に帰ってきた貴子さん。臨床心理士を目指し、2年間にわたりアルコール障害や摂食障害のセルフミーティングに関わるなかで、医師になりたいという夢が生まれる。すでに貴子さんは32歳のときだ。 

 

しかし、その直後に、自分の夢をいちばん応援してくれた父が帰らぬ人になってしまう。父のためにも、医師になることを決意するが、そこからの道のりは険しいものだった。 

 

「まず近所の個人塾に入って、因数分解どころか、中1の計算問題から始めました」 

 

松江市の予備校へ行くようになり、ここでのちに夫となる前島充雅さん(47)と出会う。 

 

「彼は横浜国立大学数学科を中退して医学部を受け直すという、つまり、医者になるという同じ目標を持っていました。ただ、年も私のほうが11歳も上で、正直、恋愛感情はありませんでした。数学を教えてもらおうという下心で(笑)私からアプローチしたんです」 

 

ところが同じゴールに向かって共に学んでいくなかで、互いにかれ合うようになる。予備校2年目には、志望を変更した充雅さんが九州大学工学部に合格。これを機に34歳と23歳で結婚して、福岡での新婚生活が始まった。 

 

一方、貴子さんは目指す国公立大学医学部には合格できずに、家事をしながらセンター試験を受け続けていたなかで長女を出産。36歳にして、ママ受験生となった。 

 

「実は前年に流産していましたから、子供ができたのは本当にうれしかった。医学部受験をするからといって、子供をあきらめようとは思いませんでした。自分が寂しい子供時代だったから、にぎやかな家庭もほしかった」 

 

 

やがて九大を卒業した充雅さんが王子製紙に就職して北海道苫小牧市での勤務となり、家族で転居。貴子さん自身も、まったく歯の立たない国公立だけでなく、私立大学も受験するようになっていた。こんなこともあった。 

 

「社宅から市内の書店に行ったとき、偶然、都内の大学医学部の願書が目に留まるんです。『当日受付有効』とあり、その期限が明日と知った途端、ベビーカーの長女を連れて千歳空港から羽田行き飛行機に飛び乗ってました。 

 

何とか間に合ったとホッとしたのもの間、今度は健康診断書が要る、と。実はふたり目の子を妊娠していて、レントゲンを簡単に撮れない。都内を駆けずり回って、ようやく対応してもらえる病院を探し当てて提出しました。 

 

そこまでやったのは、当時、点数は取れているのに年齢でハネられた女性受験者がいるというウワサを耳にしていて、1年でも早く受かりたいと思ったんです」 

 

結果は不合格だったが、のちに有名医大が女性や年齢を重ねた受験生を入試で不利に扱っていたことが発覚。彼女の焦りも、まったくのではなかった。 

 

「その後、39歳で長男を産みました。ずっと妊娠、子育て中の受験でしたから、試験の最中も母乳のせいで胸がパンパンに張って、休み時間にトイレに駆け込んで搾乳したり。ひどいつわりで急激に5キロも痩せて脱水症状にも陥り、3カ月入院したりも。 

 

そんななかでも頑張れたのは、1月のセンター試験という確固とした目標があったから。とはいえ、もう受験直後の自己採点で、合格圏内にはいないとわかるんです。すると落ち込んで冬眠状態に陥り、もう誰にも会いたくないし、桜が咲いても見たくもなかった」 

 

そして長女が3歳、長男が1歳になるという年だった。 

 

「さすがに子供もどんどん大きくなりますから、今年ダメだったらあきらめようと思っていました。そしたら、受かったんです」 

 

8度目の受験チャレンジで、ようやく“サクラサク”の報が届く。40歳になる直前だった。愛知県名古屋市の藤田保健衛生大学(現・藤田医科大学)に合格した瞬間から、喜び合ったのも束の間、夫婦の深い苦悩が始まる。 

 

 

「いつも頭にあったのは、お金のこと。まず入学金が約800万円で、諸経費を引いた年間の学費が約600万円。学ぶために最低限必要な金額だけでも、わが家にはまったく余裕がありません。 

 

子供も増えて、貯金もすでに底をつく状況でしたから、頼みの綱は奨学金。島根県のへき地医療関係の奨学金を申請してもとても足りずに、結局、7カ所の奨学金を受けることになります。総額ですか。その後の留年もありますから、全部で家3軒分くらいとなりましたね」 

 

さらに大学2年、42歳のときには高齢出産で次男が誕生。6歳、3歳、0歳と、3人の子供たちはみな、最短の生後50日から保育園に預けた。このころ、充雅さんも退職して愛知で教育コンサルタントとして独立し、家族がそろう。 

 

「私は朝6時に起き、8時に子供と保育園へ。夕方7時ごろにお迎えに行って9時に寝かしつけると、それから大学で24時間開放されている学習室に行って勉強し、深夜2時に帰宅して寝ていました。 

 

ただ、私の母も島根から来てくれたり、義理の両親、夫の援助があったからこそ成り立った両立生活で、家族には感謝しています」 

 

しかし、本人の頑張りや周囲の協力もむなしく、留年が続く。 

 

「なぜか、ラストの試験で必ず落第点を取ってしまうんです。考えるに、小中学生のときの先生から『お前はダメだ』と言われ続けたトラウマがあって、ここぞという試験でアガってしまう。この悩みは、ヒプノセラピー(催眠療法)を受け解消できました。 

 

また、このまま国家試験に受からないのではという不安が消えずに、うつ状態になって眠れなくなり、睡眠薬の量を増やしても効かない“眠剤地獄”に陥ったりも。このときは朝まで夫に愚痴を聞いてもらって、何とかしのぎました」 

 

そして53歳のとき、3度目の挑戦で医師国家試験に合格。医師を志して22年目の悲願達成だった。 

 

「でも、研修医となっての2年間は、いつもロッカー前で泣いてましたね。手術室で、大先輩の男性医師から、指示と違うからと、オペ中に『出ていけ』と言われたり。これは、自分が未熟だからと耐えましたが……」 

 

納得できないこともあった。 

 

「理不尽だったのは、一部のベテラン看護師さんからの無視や、わざと足を踏まれることなど。若い男性医師と私とふたりでいて、明らかに私が前にいるのにスルーされて、男性医師にだけ『先生、お疲れさまです』と。“こんな年とって医者になってどうするの”ということのようでしたが、やっぱり落ち込みました」 

 

 

研修を終えると、自分の体験を生かせるとの思いから産婦人科を選択。その後は、救急医療も行う基幹病院や自毛植毛を扱うクリニックなどを経て、コロナ禍の2022年には、医師不在となっていた愛知県幸田町の日高医院へ。 

 

「薄毛治療の自毛植毛に関わったというのは、私自身がかつて抜毛症に苦しんだ過去があったからです。やがて、大病院から地域医療まで体験するなかで、以前から関心のあった在宅診療への思いが強くなって、2023年春に名古屋大学病院の研修登録医となりました」 

 

そして現在、平日は冒頭のクリニックを含め、3つの名古屋大学病院の関連医療施設で勤務。 

 

「土日のほとんども、医療アルバイトの日々です。休んでいる時間はありません。いまだ奨学金の返済の真っただ中で、ようやく半分を返せたところでしょうか。ただ、以前と違うのは、子供たちも自立して、自分のことを振り返る余裕が少しできました。 

 

つくづく思うのは、自らの役割に気づいて一歩踏み出すことの大切さ。年齢とか、子供がいるとか、お金がないとか、成績が悪いとかは関係ないんです。夢を持ち続ければ、いつでも挑戦できるということをお伝えしたいと思って、今回の取材も受けました」 

 

さらにインタビューを終えた数日後、こんなメールが届いた。 

 

〈取材では、偉そうなことを言ったかもしれません。私が医師を目指したのは、父の死をきっかけに誰かを救いたいと思ったというのは、そのとおりです。そして今、私は誰かのために診療していますが、実はその行為のなかで、寂しさを感じている人とかつての自分を重ねていて、いちばん救われているのは私自身なのだと思います〉 

 

■2人の子供も医療の道へ「これからも患者に寄り添いたい」 

 

そのわが子たちについて、貴子先生自身は、こう語る。 

 

「長女は私立大学薬学部の2年生で、長男はハンガリー留学中で医学部1年生、高1の次男は吹奏楽部で、今は音楽か医学かで悩んでいる最中のようです。 私の影響? それはないです(笑)。私の記事が地元の新聞などに出ると、『いや違う』『恥ずかしい』なんて言ってますから」 

 

そう話しながらも、うれしそうに母親の顔になるのだった。 

 

「年齢やキャリアを考えても、私は大病院でバリバリ手術して、というタイプとは違います。ただ、病気で困っている人がいたら駆けつけたい。患者さんの肩もみしながら会話するだけで、お元気になることは実際にあるんです。その原点はこれからも変わりません」 

 

60代を目前にしながら、ギリギリの睡眠時間で患者に寄り添い続ける貴子先生の奮闘の日々は続く。 

 

(取材・文/堀ノ内雅一) 

 

「女性自身」2024年3月5日号 

 

 

( 142817 )  2024/02/25 12:56:21  
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(まとめ) 

医師免許を取得するまでに多くの困難や苦労を乗り越えてきた人々について、賛否両論の声が寄せられています。

 

一部の人からはその努力や根性を尊敬する声や感動を覚える声が挙がっています。

その人たちやその家族の支えや犠牲に敬意を表するコメントもありました。

 

一方で計画性の欠如や行き当たりばったりさ、医師としての適性やスキルに不安を抱く声もあり、特に医療現場での経験や専門知識の不足から患者の安全性に疑問を持つ人もいました。

 

年齢制限や医師への道の厳しさ、医者としてのキャリア形成などを考え、賛否が分かれる意見が寄せられました。

さまざまな視点からのコメントがあり、人それぞれの考え方や価値観が反映されていることがうかがえます。

( 142819 )  2024/02/25 12:56:21  
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・医師免許に賢い3人の子どもに、若くて頭も良い夫。否定せず子どもの夢を応援してくれる父親など、正直羨ましい。 

前編も読むと公立の最下位じゃなくて、幼稚園から医師の子どもが行くようなレベルの高い学校。短大卒業してレナウンと日本航空に就職、その後26で島根大学へ入学してる。頭の良い人だと思う。 

 

 

・この方は凄い行動力ですね。 

私には到底無理です。 

でも、見習いたいです。 

私は現在69歳、大学を出て某銀行に就職するも馴染めず6年目で退職して47歳まで職を転々としていました。 

退職金なんて有りません。 

失業保険も切れて路頭に迷う寸前で警備会社に駆け込み警備員になりました。 

人生これで終わったと達観して絶望の底で仕事をしていて、ある日勤務先で人命救助をして表彰されて人生は一変しました。 

警備員でも立派に世の中に貢献出来るんだと。 

それから施設警備1級の国家資格を取得。60歳から世間でいう退職金相当を働いて稼ごうと今年で3,000万円貯めました。 

勤務先からは必要とされ責任者として働いております。 

人の痛みのわかる上司でありたいのでイジメとかパワハラなんて無縁です。 

警備員は職業的に見て底辺に見られがちですが使命感を持って仕事をしています。 

私も負けずに働き続けるつもりです。 

 

 

・医学部での進級も国試も、記憶力に加えて、安定した体力、同級生との励まし合いが重要です。周囲の仲間は世代が異なるのに、よく頑張られました。 

 前向きに評価して差し上げたいと思いながら前後とも読ませていただきましたが、国試合格後に実質活躍できる年数が大幅に限られることはもとより、極めてたくさんの奨学金の利用、子育てをしながらの受験や学生生活に際して周囲が助けてくれる極めて恵まれた環境、卒後最初の数年間の大切な時期に植毛クリニックなどという寄り道をしてしまうこと(経済的なこともあるのでしょう)などツッコミどころが満載で、社会全体として見れば、別の若い受験生に大学合格枠を割り当ててあげた方が良いと、どうしても感じてしまいます。 

 ともあれ、このような人生も可能であるという、多様性を容認する社会をポジティブに捉えたいと思いましたよ。 

 

 

・医師です。その視点から言わせていただくと、まず入学試験が一番難しいです。実際そこで苦労されていますがまあ沢山受験すれば科目の少ない私大は得意な問題などでれば合格率は上がります。 

そこから学生時代ですがかなりの学生は受験戦争から解放されハメを外します。しかしそれでも優秀な人が多いので普通にやることはやって進学していきます。ここでついていけずに留年する人はやはりポテンシャルを疑うことになります。幼少期のトラウマなどはこじつけに感じます。国家試験も頭があまりよくない人が落ちていました。 

しかし医師になれば多くは専門に進むため国家試験に必要な枝葉末節の知識は忘れます。今からの努力でいくらでもよい医師にはなれるでしょう。そのための機会は他の若い人に比べて時間的に少ないハンデはありますが頑張っていただきたいです。 

 

 

・私立大学医学部は授業料は高いが、奨学金をたくさん借りれば金はなんとかなる。息子は奨学金を月に12万円、6年借りたが返済は問題ない様だ。勤務地を限定すれば返済不要の奨学金を借りられたがそれはやらず親が負担した。受からない事にはどうにもならない。 

 

 

・勝手な感想です。 

産婦人科研修医から多分外れて植毛自費治療、なぜか、在宅医療。研修医は2年だからまだ3年の間にこの職歴でしょうか。美談のようですがお金が全てかな、と思ってしまいました。子供は流行りのハンガリーで石を目指す。これも日本で医学部行かれない場合にお金かけて行くコースだし。藤田は、私立でもかなり高い学費なので、この方は一般に私立医学部卒よりお金かかっただろうし、今もお金必要だと思います。 

 

 

・私立の医学部なんて、超絶お金がかかるのは受ける人間なら分かっている。受かったあとにお金がかかるの分かっているのに、張り紙見て無計画に当日の高いチケット取って飛行機に飛び乗って小さい子を連れて受験に行く…。普通、志望校を絞ってその大学の傾向と対策を練って受験するものです。受験にも大変お金がかかります。やたらめったら受けません。 

旦那さんがとても辛抱強く理解のある人だから成り立っているけど。計画性のなさ、医師としてどうでしょうか。 

この方、ご家族の努力、我慢強さ、行動力は本当にすごいと思うし、尊敬する。けれど、この記事は美談ではない…と思ってしまう。 

 

 

・医学部に入れば最低でも6年+研修医期間は子供を誰かに預けっぱなしで自分はほとんど子育てできないタイムスケジュールになることはわかっていたはずなのに3人も、って所が計画性なさすぎて腑に落ちない 

美談にするには無理があると私なら思ってしまうけど周りが理解ある方々でよかったですね 

 

 

・学ぼうと思えば年齢など関係ない。しかし気力や体力など若い時に比べると衰えは否めないので、彼女の情熱がそれを凌駕したことで成し得たまさに努力の結晶と言えよう。いじめだがどの病院にも一定数いるんだよね醜い医師や看護師が。医療は専門職で若くして資格を得る人が多いなか人間的に未熟なくせして社会的地位が高いと勘違いしている者が散見できる。要するに世間知らずが多いので、そういう意味では彼女のように一度でも社会を経験した人がなることは理想的とも言える。 

 

 

・すごく独特な考え方、行動をしてきた、変わった特徴のある方なんだなぁと思い記事を読みました。奨学金はたくさんされてるけど出産や子育て、日々の生活にだってお金はかかります。しかも最初若い旦那も浪人して大学生、彼女はがっつり浪人中など、家族の資金援助などもあったのかな?ご夫婦ともにお金に困ってたらこんなに夢見てられないよね…。あとやっぱり私がもしお医者様にかかるなら、経験豊富な方にお願いしたい…年配な新人医師とかちょっと手元やとっさの判断速度とか怖いなぁ。 

 

 

 

・記事は、しっかり正確に国家試験と書きましょう。七回浪人で医学部、国家試験二回不合格53歳で医師。根性と思い入れは伝わりますが、医師になれば其処から専門分野勉強のスタートで、年齢的にどれだけ若い人と同列に習得し活用来るか微妙。医師は経験値が必要なので、かなり大変と思います。 

 

 

・お局看護師はどこの病院にもいるもので、取り扱い注意です。院内でイジメはどれだけ見てきたことか。内部ならまだしも、患者さんに対して嫌がせしたり、患者さん本人の目の前で悪口言う人もいます。 

外来では医療事務の人に「おまえ」「それ、さっさと言えよ」(かなりオブラートに包んで言うと)などと、威圧的なお行儀の良くない言葉を使う人がいたり、ERではそれこそ若い研修医が指導医の元で救急の診療にあたっていますが、お局看護師が「さっきそう言ったのは何だったわけ?」「はぁ~?」「何したいの?」などと、結構な上から目線。 

女性同士だと尚更風当たりは強いと思う。 

 

 

・自分も医師ですけど、医師になって5年に満たないのに、指導医もいないであろう医師不在のクリニックに就任するのはどうかと思う。まだ、アルバイトで稼ぐのではなく、きちんとした指導の下医師としてのスキルを磨くべき時期じゃないかと思う。 

ただ、昨今は経験年数が浅いままにコスト優先で働く医師も多いね。日中に決まった時間で働きたがる医師も多いので、救急が以前にもまして過疎化しているし。子供がいる、奨学金の返済がある、など個人の事情は分かるが、それが患者を犠牲にしていい理由にはならない。 

 

 

・記事、コメントを見ると賛否両論あるが、実際にそうなる。 

諦めずに努力したことは素晴らしい。一方でご家族や周囲の方に経費含め、負担をかけたという側面もある。 

最終的には、各々今の状況、思いを考え、ベストな選択が賢明と思った。 

 

 

・何が1番羨ましいってそこまでなりたいものがあるって事ではないかな?何かに向かって一生懸命に努力してる期間て大変だけど心が凄く充実しているから。そこまでしてなりたかったのだから、働く時もとても良い医師になってると思います。なりたい職業に努力してつく。実際は金銭問題やいろいろなしがらみで出来ないことの方が多いだろうけど、そうするのが理想的だろうなと思います 

 

 

・医学部受験の厳しさ、医学部の勉強の厳しさが少しわかる立場なので、この方が諦めずに何度もチャレンジして3人のお子さんを抱えながら医師になったことは素直にすごいと思います。でも、読みながらどこか行き当たりばったりで先を考えない感じの行動も感じました。夫や実家のサポート、そして学費だけではないお金という部分でも周りの貢献度が甚大だったと思います。普通の生活してる家庭では、本人がやりたくてもまず無理ですね。 

そして初期研修終えて3年で産婦人科、植毛、在宅医療と、コレもまた行き当たりばったりというか。歳をとって医師になるのも、その前のバックグラウンドによってはプラスにはたらくこともあると思うけど、この方の記事を読んだあとでこの方に見てもらいたいかと言ったら自分はノーですね。 

 

 

・受験で一番大切なのは体力だと思います。体力有れば勉強頑張れるし頭が悪いのも補えます。私が資格試験の限界を感じたのが38歳でした。それ以降は簡単な自己啓発程度の勉強しかしていません。その経験からこの人すごいなぁと思いました。でも真似しようとは思いません。自分のペースで向上心を持って生きていきます。 

 

 

・ただただすごい!諦めず夢を実現されたのですね。 

年齢は関係ない、とよく言うが、果たしてどれだけの人が実際の行動にうつせるだろうか。いくら夢はあっても、現実的にその時の環境や経済状況から挑戦することすら諦める方が多いと思う。私も諦めてしまった。医学部受験、医師国家試験、それに育児…どれだけの努力をされたのだろう。育児中なんて毎日疲れて眠すぎて、勉強なんてとてもできなかった。この先生は、諦めない強い意志があったのですね。 

人生経験の多い医師、私は素敵だと思います。 

子供も親の勉強に向かう姿勢を見て育っているのは羨ましい。 

一度の人生、何事も挑戦!私もまた始めてみようかな。 

 

 

・この女性医師、ものすごい半生ですね。 

浪人から医学生の間に3人の母になり、どんな挫折があっても諦らめずに成し遂げてきた。 

夫の支えも大きかったですが、本人の意志の強さでしょう。 

私の知り合いで、92歳で医師を続けている女性がいます。常識にとらわれず、活躍して下さい。 

 

 

・状況的に肯定、否定の意見で分かれるのは否定しようがないと思うけど、単純に医師になる為の最難関とも言える医学部入学がとてつもなく困難なのは言うまでまない。 

近隣で3代続いてる民間病院があるが、現在4代目にあたる男性は、少なくとも今年含めて現在まで未だに数年間合格できていないとの話。 

この記事の方は長期間浪人して晴れて医学部入学を果たしたモチベーションが最も賞賛される事かなぁ。 

浪人期間は勿論、私大医学部の卒業までにかかるお金は数千万単位になるし、留年含めたら更に莫大なモノになってる訳だろうし、一般の家庭でそれを捻出するのは極めて少数なはず。 

医師を志した時の気持ちを忘れずに持ち続けて頑張って下さい! 

 

 

 

・既にお医者さんになっているのだから、それはそれでスゴいとは思います。 

でも藤田保健衛生大を受験する前に、合格したとしても莫大な学費がかかることくらい解ると思うんだけど・・・なんか「出たとこ勝負」の部分が見え隠れして、個人的にはこの方に診てもらうのはちょっと・・・。 

 

 

・これは周囲の方々とくに旦那さんが偉いですね。奥さんの夢を叶えるために協力したのでしょうけど、奥さんの夢は執念に近くて、正直あまり感心はしませんでした。 

医学部に入るまで努力を相当されたのはわかりますが、医師国家試験を2回落ちるというのは普通では考えにくいことで、50過ぎてから体力のいる産婦人科を志すのも無謀で、結果的にはそうならなくてよかったと思います。 

でもとにかく医師になればアルバイトでも十分な収入になりますから、奨学金はいずれ返済できるでしょう。 

 

 

・自分は持病があるが、見極めが難しかった。 

診断まで色んな医師と関わったが、今の主治医の眼力はすごいと思う。 

頭でっかちと言われようとも、学力は大事。医師の学力が患者の命に結びつくのだから。 

諦めない気持ちは大事だが、患者に寄り添い患者のために学ぶことをやめないでほしい。 

 

 

・このキャリアとは言えないキャリアだと、確かな診断、治療もままならないだろう。きちんとした教育病院で、5〜10年修行して、やっと何とかなってくるもの。患者に寄り添うってことは、無医村に行くことでもないし、笑顔で温かい声をかけることでもないし、自分の持病にからめた診療をすることでもなく、「確かな医療」をすることだと思う。自分の人生のことしか頭になくて、その一番大事なことが抜けているように見える。 

 

 

・とても苦労しながら、年齢などのハンディも大きくて周囲からの偏見と圧力もありながら、頑張り続けた人だと思いますし、他の人がなかなか出来ることではないながらも、ここまでやってこれていることは、やはり、そうなるべくしてなった方だと思います。 

記事を読みながら、このような方に日々の健康相談や、かかりつけ医として寄り添ってもらえたらと思いました。 

 

 

・当方も医師になりたいと思って受験をしようと思ったが 

先輩から医者の世界は超体育会系と言われて諦めた。 

その後、精神を病んでしまったから、結果的には 

ならなくて正解だった。 

だから、このような人は尊敬する。 

 

 

・医学部合格への執念を持ちつつ、同時に妊娠出産を繰り返していて計画性がないように感じる。 

在学中の留年もしかり。あまり賢く要領の良い方ではないのかな。医師志望の動機もよくわからず、ただただマイペースに人生を歩んできたのだろうなと思う。見た目は超ベテランだけど医師としてのスキルには危険な香りがする。自分が患者だったら避けたい医師。 

 

 

・医学部には多浪や再受験、高齢学生が多数いるけど、誰でも門戸を開くのはどうなんだろう。医学は患者を助けるためにあり、長い年数かけて経験と知識を積んで正しい判断と治療に結びつけることができる。自己実現の為に医師になりたがる人はどうなのかと思う。 

 

 

・貴子先生のお話非常に非常に勇気づけられました!私は医師ではありませんが自分の人生の目標を諦めない強い気持ち!素晴しいの極みです!世の中にはこんなにも頑張っている方が居るのだと分かっただけで還暦過ぎた自分でも人生の目標に向かって頑張らねばと思いました。 

 

 

・年齢は関係ない…いや、あります。 

 

息子が医学部を目指した時、国立のみと言う条件を付けた。将来に亘って、息子に無理な借金を負って欲しくなかったし、親の私達も貧しくはないものの、年間数百万×6年かかる私立など無理に決まっていたからだ。 

 

やっと2浪にて合格してくれたが、それでも2浪で受からなければ、就職するか進む道を変えなさいと言って来た。 

 

息子は「なんだ、医学の道も入ってみれば体力勝負か…」と笑っていた。 

 

医療は患者主導であり、医師や医療関係者は技術の提供や手助けをするだけなのです。 

 

私は、この方を否定する訳ではありませんが、今後も患者に不利益が無いように願うだけです。計画性の無さや突発的な行動、留年、医師国家試験の不合格…。 

 

患者がこの方に診て貰いたいかどうかです。 

 

 

 

・記事を読んで、「努力は報われる」「諦めずに頑張る姿に夢をもらえた」とは思えない自分がいます。 

色々行き当たりばったりな気がして。。 

他に選択肢は沢山あるのに勿体無いようにも思いました。 

ご本人やご家族がコメントを読まれるかもしれません、ごめんなさい。わたしは読んでいてすごく息苦しくなりました。 

人の人生だからと言われたらそれまでですが、年齢も近く自分に置き換えて読んでしまったので。 

 

 

・医師という立場からすると、在宅にいったり、AGAにいったり、メチャクチャ。医師は国家試験をうかってからも2年間の研修を終了しなければ、保険診療を単独で行うことはできない。 

初期研修2年は、普通にローテートをおこない、普通に救急の仕事を行えば、だれもが終了認定を受けられる。ドロップアウトするのは本人の能力がたりないか、コミュニケーションに問題があるケース。 

高齢で医師になったとしても、スタッフからいじめをうけることはありえない。研修医が冷たい扱いをされることは多々ある。 

記者は持ち上げに走っているが、こういう医師がふえると不利益を受けるのは、患者さんや一緒に働くスタッフだと思います。 

再受験組を取り上げるのであれば、人間的にも医師としても問題がないケースが良いと思います。 

 

 

・若くても犯罪を犯す医者は結構います。 

年齢が上でも人生経験から患者に寄り添える素敵な医師になれます。 

人生100年時代、これから増々活躍できます。 

女性の方が長生きですから。 

そしてお子さん3人、皆んな立派に人の役に立つ人になりたいとのこと、なんて素晴しい家族でしょう。 

 

 

・感動しかないな 

いやすごいよ 

人は人それぞれとは分かってますが自分終活ぐらいしか目標ないので 

難しい目標建て遂げた持続性素晴らしい 

彼女の情熱は支えてくれた周囲の人達に応えたいから湧いて来るんですかね 

同年代です 

忙しい毎日と思いますがどうかお元気で良い仕事全うされますように 

 

 

・まさに不屈。そんなひともいるんだね。モンスターを殺した人もいるのにね。 

将来は自分で決めろって事。すべて自分の責任でやる。あきらめて別の道に行くもよし。医者=臨床医ではない。IPSの山中先生の逸話。臨床医に向かないと感じて研究に没頭花開いたわけで。 

彼女だって看護師になったはず。モンスターは殺さず逃げればよかった。 

チーム医療の現在、立派な看護師は必要な人材で重宝される。 

 

 

・夢に向かって成し遂げるのは凄いとしか言いようのない。でも、医者は命を預かる職種だから、若い人が経験つんで行ったほうが患者としては安心。 

53歳で医者になっても、一人前で医師として機能するのは60歳位からだと思うので、70歳まで働いても10年しかない。 

現役合格なら、30歳位から40年は一人前として働けるのだから。 

ある程度の年齢制限は必要ではないか? 

 

 

・私は誰かのために診療していますが、実はその行為のなかで、寂しさを感じている人とかつての自分を重ねていて、いちばん救われているのは私自身なのだと思います 

→ 

こうゆう告白的な話は心をつかみます。 

特にそれが医師の立場からの言葉であると。 

知識や技術などの高い先生に診てもらいたいというのは患者として希望しますが、それ以上に心の通った先生に治療をしてもらいたいと思うからです。 

 

 

・努力も根性もあると思います。若い人にも負けない精神もあると思います。 

でもやはり、若いうちにしか学べない体力や理解力というのはある。まさに、能力は年齢とともに落ちる。 

同じ5年でも、若いうちからの5年と歳をとってからの5年では吸収できるものが違う。 

 

 

・頑張られてすごい話しですが、気になったのがレントゲンの提出、受験時に妊娠している女性がいる可能性を想定していないということ、他の大学を卒業した後、あるいは退学して受験するケースは医学部では珍しくない。妊娠中の女性を想定していないのは、大学が女性を差別していたことになる。必要な資料なら、合格後の提出で対応すべきでしょう。受験生の立場として個別的に相談できなかったのですかね。。。。 

(大学では最近、合理的配慮が導入されたが、受験生でも現時点なら申請すれば対応してくれることろがありそうな気はしますね) 

 

 

・ここまでは頑張れないけど、自分も40代から初めて保育士になりました。子育て経験を生かしながら、少しでも社会的貢献が出来ればとの思いです。がんばっている人の記事は励みになります。自分の力量を見極めながら、無理せずがんばっていこうと思っています。 

 

 

 

・残念ながら、医者になってからの研修や職務過程を拝見するとどうも順風満帆の道ではなさそうですが、世の中で「やりたいこと」と「やれること」は別個です。今まで高齢の医学生、医者を多く見てきた経験から敢えて言いますが、一人で趣味生活のために医師免許を取るつもりでもなければ、医学部入学は遅くても30台前半までに止めてください。それ以降だと東大、京大卒の再入学でも苦労します。医者業は一人で自己完結できるものではありません。 

 

 

・日本は社会人から医学部に入り直して医者になる人はいても、社会人から工学部や理学部に入り直して大手企業の研究者になる人は皆無ということなんだよな。 

社会人になってやっぱりEVの開発をやってみたいと思っても、文系学部を出ていたら例え工学部に入り直しても無理なんだよね 

日本は新卒しか採用しないので社会人が大学に行くのは医学部以外は道楽になってる 

 

 

・現実離れしていて‥ 

もしかすると自分が途中で大病してすべての計画が終わる可能性‥などは考えず、やりたいことをやる!というギャンブル要素があるよね。 

ある時点で祖父母の遺産など大金が降ってきたり、両家のサポートやママ友のサポートが神がかっていたり、書いていないことがたくさん起こってないのかな? 

 

寂しい子供時代だったからと、3人作るが全員生後50日で保育園に預けた!のもなかなか‥ 

 

家三軒分の学費を返して、子供達もお金のかかる進路に見える。 

今までのお金の流れと、今ご夫婦がどのくらいの給料で、どんな生活レベルで、資産はこのくらい。というのを教えていただく事が1番興味深いかもしれない。 

 

 

・確かにその年齢で医師になった努力は素晴らしいく尊敬もしますが、医師になるのに多額の補助金(税金)が使われている。 

その事を踏まえると残念ながら医師として活躍出来る期間が短すぎる。 

更に経験を積んで一人前になる頃には60歳ですよ。 

年齢制限は必要だと思う。 

 

 

・エゴの強さにある意味ゾッとする。 

8浪して合格して試験で2回落ちて53歳で医者ですか。 

手術室から出されたのは、ミスして手術の場に居られると危険だからですよね。 

訪問介護で現地で判断されているみたいですけど、まだ新人医者、なんか不安だなぁ。 

 

見た目年齢からベテラン医師と勘違いされてそうだけど、実は経験不足という。怖い。 

 

 

・諦めることも肝心。この女性は成功したがかなり時間と労力を費やしている。家族や周囲の心労もあっただろう。 

職業選択権は誰にもあるが、社会で生きる以上周りとも折り合いを付けないと人間社会は成立しない。 

医師のように公共性が高い職業なら尚更個人のわがままは効き目がないと思って欲しいが? 

 

 

・この方自身も素晴らしいですが、夢を応援してくださった、ご主人はもっと素晴らしいです、素敵なご家族ですね、人生、100年時代、まだ、まだ、これからです、ご無理されず、頑張って下さい、私は、一生食べる口をまもる、歯科医療の道に進みました、日々、精進です 

 

 

・医者だけが有用な職業ではない。社会に必要な仕事はいくらでもある。手塚治虫、安倍公房、渡辺淳一、医学部を卒業して医者以外になった人も多い。だけど主婦をしながら子供を産んで医者になるのも一つの選択だと思う。 

 

 

・自分の人生だから好きに生きればいいとは思うが、、、 

 

莫大な借金返済は大変だね。ただ、子供3人産んで育てながら医師になっているのは凄いよ。 

 

こういう不器用な人、私は嫌いじゃない。 

 

あとは90歳まで医師としてガッツリ稼いで学費を圧倒的に上回る利益を出すことだね。 

 

 

・結局50を過ぎても単なるバイト医であり、研修医を抜けたキャリア2~3年目レベルの事をしているような気がする。やぶ医者ではないだろうが、家庭医・学校医で活躍すれば天職なんだと思う。誤診などは平気なのだろうか。診療には画像診断が伴うが、老眼も伴い50代は誤診も出てくる年齢だと思う。医師国家試験は上位9割を医師として合格させる試験なので、必ず下位1割は不合格となる画期的な選抜制度。医学部の定員が増えており、全体的に医師のレベルは下がっているのではないか。 

 

 

 

・物語としては良いんですが、医師免許を得ただけで一人前になる時の 

年齢や素質はもう無理がありますね・・・ 

医師って免許は一度取れば死ぬまで皆同じでなんですよ! 

(エアラインパイロットのように毎年身体技能審査を受ける義務もありません。) 

ところが知識や手技はまったくレベルが違う! 

個人的趣味の世界だと思うね! 

 

 

・この記事だけ一見すると、「いろいろな事を諦めずに一生懸命頑張った女性」に映るが、本当に知りたいのは実際のところ。同級生や職場の同僚はこの人をどう見ていたのか?一時期のみ自毛植毛クリニックに就職したり、「医師になること」を頑張ったこの人が「医師になって成すべきこと」がなんだったのか、そのあたりを知りたいと思った。 

 

 

・すごい遠回りだが夢を貫徹したのは立派だね 

こういう社会人の人が医師になる道が日本には殆ど確立されてない現状がある。 

アメリカは進んでいて、社会人から医師になり、社会人の年齢の人たちだけ学べるように工夫されている。 

例えば35~40歳で医学部に入ったなら、18~24歳の人たちと過ごすのはしんどい部分があるが、30代~40代で講義を受けるように配慮されているのである。 

入試に関してはどっかの文科省の事務次官が息子を立場を悪用して入れさせたり、女性、多浪生を減点したりと透明化されていない部分もまだ多いのだが、改善するところは多々あるだろう。 

社会人の社会経験を持つ人が、医師になるというのはそれだけ社会経験のアドバンテージが大きく、実際の現場、臨床にも大いにプラスになる面が大きいのだから。 

 

 

・スゴいなとは思います。ただ3人の子どもたちは生後50日から保育園だったんだと思った。8時登園の7時迎えの9時就寝。帰って2時間のあいだにご飯とお風呂で寝る。そして子どもたちは医学を目指している。そこが1番すごい! 

 

 

・努力家であることは間違いないのだけれど、この人の使命・天命は本当に医師なのか、と考えると、はなはだ疑問。医師免許はゴールではなく、医療で金を取ることができる、という印でしかないので。 

「人の健康に携わりたい」という思いと、「試験に弱い」という自分の特性、あとは性別、家族、年齢などを考えたら、ほかにもっと自分の力を活かせる道があった気がします。 

 

 

・少々視点が違うかも知れませんが、記事を読んで驚いたのは「一部のベテラン看護師さんからの無視や、わざと足を踏まれることなど。若い男性医師と私とふたりでいて、明らかに私が前にいるのにスルーされて、男性医師にだけ『先生、お疲れさまです』と。“こんな年とって医者になって」と思う医師がいることと、ご主人が王子製紙を退職。畑違いであろう「教育コンサルタント」になり、生活や学費に不安がなかったのか、と言うことです。 

 

 

・「自らの役割に気づいて一歩踏み出すことの大切さ。年齢とか、子供がいるとか、お金がないとか、成績が悪いとかは関係ないんです。」とあるが、子供3人産んだ母としての責任だって社会的な役割なのでは。良い歳の親が入学金800万に学費3600万の借金を抱えるとは…。人間60歳で死ぬ可能性だってあるし、借金の半分を返しても2000万は残ってて、子供達は母親の奨学金を相続放棄? 

学がなくとも、幼子を抱えながら看護学校に行って看護士になる女性は大勢いますよね、そっちの方が私は参考になりますからどんな生活なのか取材してほしい。 

 

 

・この方の苦労や努力はすごいし尊敬できる 

 

やっぱり目標に向かって努力をし続けられる人って根本的に努力できない人とは異なる 

 

夢を追う人って叶う叶わない関係なく凄い 

 

好きなことを追求するために必要な苦労をすることができる人が凄い人なんだろうな 

 

 

・浪人中の予備校費、私大医学部の授業料しかも留年、娘の私大薬学の授業料、息子の海外大学の費用…。 

いくら、奨学金借りたと言っても。 

どちらの実家も資産家なのかな? 

旦那さんも沢山稼いでるんだろうけど。 

いや、努力は凄いけど。 

自分の人生も大切で子供の為に犠牲にしろ、って事は微塵も思わないけど、自分のこと「しか」考えてなくない?と思ってしまった。 

医師になれて良かったね。 

 

 

・学費高いけどきちんと点数とれなきゃ医学部医学科はうからないから自負は10浪でも無理だとおもうし。 

こども三人うんで、留年やらあってもこれは純粋にすごいとおもう。 

ご実家もそれなりにおかねあるから、たすけてくれただろうし。 

元気に生涯現役してください。 

 

 

 

・本当にすごいなぁ…仕事もあるし、年齢もあるし、子供2人目どうしようかな〜とダラダラ悩んでる自分が少し情けなく感じました。軽い言葉じゃなくて、この記事を読むと、本当に一度きりの人生を惜しみなく生きていかないといけないと感じます。もっと欲張って生きても良いかなと。もちろん全て自己責任で。 

 

 

・私も30前半になって、理系に進まず諦めた薬剤師、また病気になり、臨床検査技師の検査を受けた事を機にこの職種に興味を持ちました。 

検査技師はどうしたらなれるの?と調べましたが、最低でも専門学校でしたので、仕事しながらは無理か〜と諦め。 

今からパートしながら専門行くのもなぁ〜と年齢を理由に諦め。こんな人多いよね? 

この女性はすごいわ!!私も時間、お金そして努力をすれば今からでも職種を変えられんですね。 

 

 

・複雑な気持ちで読ませてもらった記事だった。 

①受験を目指しながら、3人もの子供を儲けるのは違和感を感じる。 

 結果的に優秀な子供で幸いしたが、これも結果論。いささか、欲が過ぎる気がする。 

②7浪して医学部に合格し、国家試験に2回落ちながらも医師になった努力に感服 

 でも、ここで想像する。遅くからの受験生活になったとはいえ、医学部に入学するのに7浪し、在学中に留年の上、国家試験に2回失敗した努力家の医師と、試験は現役で合格して来た医師、医師としての技量は不明、医師としての経験年数が同じなら、自分の大事な人が倒れた時、どちらにあずける? 

 

 

・ウチの親父がいう言葉に「小学1年生の問題を6年生に解けても意味はない」という言葉がある。 

確かにその通りで、人にはそれぞれのライフステージで超えていくべきハードルがあり、超えられなくてもその減点を抱えたまま次のステージに進まざるを得ない。32歳でどこかで研究者とかしていた高学歴の人が医師になろう!と医学部の入試を考えたとしてもそれほど馬鹿にされることはないだろう。だがこの人の場合、中学生レベルからスタートなわけで浪人の年数考えても世間一般から見れば馬鹿にされ変人扱いされるレベルの話。ましてや旦那も子供もいるのに何百万も何千万もかけて… 

それでも押し通し、屈辱的な研修医時代も超えて医師にたどり着いた。 

もう笑われる筋合いはないでしょう。支えた旦那さんもよく奥様の可能性を理解されてたのでしょう。お子さん達もこの方の背中を見て立派に成長されてますし、たくさんの人の命を救われることを期待します。 

 

 

・医者の場合なってからも大変だし、あまりその辺りですよね。時間と体力のピークをどこに設定していくか。医学部の学年に1、2人いると引き締まるのは確かでして、若い子たちの指南役としても絶対いいんですよね。 

 

 

・私学は学費も高額やけど、それでも国からの補助金が沢山出てる。 

早くに医師になり、そして長く働くことがその、税金からの補助に見合うことなんやで。 

医師になって10年しか働かない人と、40年働いて貢献出来る人と、どっちに投資すべきやと思う? 

東京の医大で性別や年齢を理由にこっそり不合格にしてた事件がずいぶん問題になったし、私も酷いことやとは思ったけど、理由はあるんやで。 

 

 

・自分の担当医なら嫌だな 

以前、とある病でステロイド治療を勧められたが 

別の医師に相談したら経過観察になり3年がたった 

病は進行せずに定期健診だけで普通に暮らしてる 

人生を大きく変えられ下手すると重い後遺症に苦しんでいたかもと 

考えるとゾッとする、医師としての能力の有無は重要 

とても頑張り屋さんね、試験頑張ったね、美談だね、 

そんな問題ではない 

 

 

・尊敬する。 

まさにこの方と同じくらいの年齢で出産してますが、家事子育てしながら勉強は本当に難しい。 

毎日クタクタだし。 

この方のバイタリティや精神力、体力は素晴らしいです。 

 

 

・あまり感心しない 

中年の医学部入学者が一人増えるというのは 

若手の医学部入学者一人減るということ 

 

資格を取ったからと言って即座に臨床 

ができるわけでもない、一通り技術を 

学んだ時には60歳を超えているだろう 

 

また、医者の教育には公私問わず 

他学部とは比較にならないぐらい 

税金が投入されている 

 

そこまでして中年のやりがいのために 

医者を増やす意味があるだろうか 

 

医師国家免許資格にはせいぜい30歳 

前半ぐらいまでの 

年齢制限を設けるべきだと思う 

 

 

・子どもが出来るとなかなか自分の為にお金を使う事って出来なくなるし 子どもに我慢させてまで自分のやりたい事を貫き通すって難しい  

子どもの為と言いながら自ら何かをつかみ取ろうとする努力を怠る言い訳かもしれないけど 

 

 

 

・学び年齢に関係ないというこは正論だけど、医学部という医師養成のリソースをこれに割くのは正しいことか? 

 

医学部は教える側がほぼ医者というスキルが求められ、解剖実習の献体だって限りがある。長く活躍できる若い人間優先というのが必要でしょう 

 

美談の陰にどれだけの無駄遣いしてるか考えるべき 

 

 

・>>研修を終えると、自分の体験を生かせるとの思いから産婦人科を選択。その後は、救急医療も行う基幹病院や自毛植毛を扱うクリニックなどを経て 

 

すでにめちゃくちゃなキャリア 

年寄りのくせに経験のないフリーランス医なんて、経営からしたら使い勝手の良い駒だが、患者からしたらたまったもんじゃない 

再受験組どうしても奨学金の返済やらなんやらで金を優先するから、こういうケースが多い 

 

 

・年齢に関係なく、夢を追うというのは素晴らしいと思う。 

一方で、医師という仕事は患者の命、健康を預かる仕事であり、やりたいから、夢だから、という理由で就いてよい仕事でもないような気がする。 

 

 

・子育て落ち着いてからやる事は出来ないのかな。 

自分の夢ばかり追いかけてうつみたいになったり子供振り回したり何回も留年してお金工面したり自分が子供の立場だとしたら嫌かも。 

せめても、子供1人にするべきやない。 

それか、もう自分は良いから子供にお金かけるわ。 

そこまで頑張れるなら、 

違う事した方が良い気がする。 

生き方に共感できない、借金してまで学ぶ必要性を感じない。 

どうしても、やりたいなら自分でお金貯めて家族に迷惑かけずにやりなよ、と思う。 

もし試験にも受からず、 

今自分が亡くなったら困るのは家族なんじゃないの。 

まだ、借金もあるじゃん。 

子供にもお金かかる時期。 

正直、生き方に共感できません。 

私は、高校から奨学金もらい、 

進学の際は奨学金貰わず自分でバイトして進学したから誰にも迷惑かけずに済んだけど。 

何かお金がかかる試験を受ける時は働いてから受けてた。 

この人行き当たりばったりすぎる 

 

 

・7浪中に出産生後間もなく保育園とあって、生活費や予備校代はどうしていたんだろう色々気になって不思議な記事でした。(医学部の学費は奨学金としても) 

前編があるそうで、そちらを読んだところ、ご実家はクラブに薬局経営とあって、腑に落ちました。 

そりゃそうですよね。一般サラリーマン家庭の子では無理ですもんね。 

 

 

・長い期間目指して成就させた努力と根気と、周囲の協力は賞賛に値するが、結局それは財力の為せる技。一般人には雲の上の方の話で同じように頑張ろうというきっかけにはならないなあ。 

 

 

・全く美談じゃない。親族にいたら心配とか金銭的負担とか半端じゃない。 

同学年の医者ですが、医師は一部の科を除いて一人前になるのに比較的時間がかかります。専門医取得も早くて6年目、そこから自分の専門分野を極めたりするのが一般的で、10年目なんてまだペーペーのような科もザラです。これからどういうキャリアプランを描いているのかわかりませんが、相当な茨の道だと思います。 

 

 

・おそらく実家が経済的に太いとか、夫が大企業で年収も1000万超えるのもあるかもしれないけど、 私立大学医学部卒業までに入学金学費諸費用などで数千万円かかるから一般中小企業サラリーマンや公務員一馬力の収入では不可能に近い。 

あとベテラン看護師に意地悪されたとあるが、看護師は気が強い女性が多い。 

 

 

・7浪して医学部に入学できたこの方は自分の意志と周囲の協力で初志貫徹となった。一方、9浪して医学部に入学できず支配されていた母親(モンスター母親)を殺めた方もいた。 

上記は全くの別件であるが、多浪してでも医学部を目指す方には陰陽それぞれの来歴があるものだと感じた次第。 

 

 

・たゆまず挫けず意志を貫いて医師になったその努力には賞賛と敬意を表したい。 

ただ、そこまで落ち続けてもなお医師にこだわるのは患者からすると怖い面もある。自分のこだわりはややもすると「適材適所」を無視して能力以上の執着になる事もあるのではないかと思ってしまう。 

自分は掛かる医師のプロファイルを見て卒業年度などはチェックして、学生時代にちゃんと勉強して来て最小限優秀な人かどうか見極めるようにしている。 

正直、このような方には掛かりたいとは思わない。まことにもって失礼ではあるが。 

 

 

 

・医師になっても長くは働けない人を医師にするため国費が使われ、そのうえそのせいで将来のある若者が不合格にされるというのはおかしい。年齢制限を設けるか年齢で学費を変えるべき。 

 

 

・医師になるために大変ないばらの道を永い時間とお金をかけてついに夢を実現 

させた凄い粘り腰に感服しました。普通、医師になるような人は、裕福な家に 

生まれ、小さい頃から有名塾通い、中高一貫有名私立進学校からせいぜい1~2浪ぐらいで有名大学医学部に合格するのが一般的コースです。この人は 

その全てに当て嵌まらず、まさしく徒手空拳でぶつかっていっては跳ね返され 

もう一丁とばかりに猪突猛進する。いやはや、ここまで打たれ強い女性はまず 

いないでしょうね。患者に寄り添う優しい医師として献身されるでしょう。 

 

 

・意思の強さは医師に繋がるのか。 

このメンタルはすごすぎる。 

彼女のような経済状況なら国公立医学部しか選択肢が無いと思ってしまうが、それを思わないメンタルが凄すぎる。 

医者として長く活躍されることを願っております。 

 

 

・素晴らしい。尊敬します。自分の確固たる意志と周りの人のサポートがあっての事ですね。 

医者の不摂生にならないよう、ご自身の体調にも気をつけて色んな人を助けて下さい。 

 

 

・実家がかなり太いんだろうなあ、という印象です。ただそこまでなってしまえば頭の良さは必要なく、ルーチンや接客能力が中心になるので、普通にやっていけるんでしょうね。 

 

 

・この方のブログをみていました。 

転々と職場を変わられていますが、おそらく、当直や研修をこなすには体力的に無理があったのでは? 

医師になれたのは凄いですけどやはり年齢のハンディは大きいと思います 

 

 

・夢を諦めないで、立ち向かう困難と闘い実現した努力は、素晴らしいと思います。これからも、違う意味での試練があるとは思いますが、前進を続けてください。応援しています。 

 

 

・いや〜夢を達成されたのは凄い。 

大変な努力をされたのでしょう。 

一方で8回目の受験で藤保大というのは 

なんとも… 

 

でもマネはできないので尊敬です 

 

 

・医者1人育てるのに税金が多く投入される。50過ぎて医者になっても実際20年くらいしか貢献できない。 

職業選択の自由がある以上仕方ないが、医者になる年齢制限があってもいいかもしれない。 

 

 

・医者の人にも色んな人居てこの方のように本当に人の為になって医療に携わりたい人が殆どだがごく一部には免許取得し研修医期間過ぎたらバイトや老健施設の往診とかだけで特に自身の医療の質も高めずお金だけ稼ぐ事だけを考えてる輩もいる。今はちゃんと研修期間過ぎないと保険医になれないけど一昔前の研修医制度明確に定められてない時代はそんな輩が各医学部に少なからず居て今も医者続けてる。患者からするとどちらも医者としては同じで分からないから本当にタチが悪い。 

 

 

 

 
 

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