( 142825 ) 2024/02/25 13:17:17 2 00 「自分の夫を『主人』と呼ぶ、相手の夫を『ご主人』と呼ぶ」そんな日常の積み重ねから“性加害”は生まれる 額賀澪が『ジェンダー・クライム』(天童荒太 著)を読む文春オンライン 2/25(日) 6:12 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/6745f17ddd69ee368d512d783708377c859e848b |
( 142828 ) 2024/02/25 13:17:17 0 00 『ジェンダー・クライム』(天童荒太 著)文藝春秋
「性加害問題」という言葉を連日見聞きする。この原稿を読むあなたの頭にもいくつかのニュースが浮かぶはずだ。2023年は社会のあちこちに巣くっていた性加害問題が浮き彫りになった年であったし、残念なことに2024年もそれは終わっていない。本書が刊行されたのも、必然的なものだったのかもしれない。
人気のない土手下で1人の男の遺体が発見され、物語は幕を開ける。男の体内からは犯人のものと思われるメッセージが見つかった。
目には目を――そのメッセージの意味は、ほどなく判明する。被害者は集団レイプ事件の加害者の父親だったのだ。
事件を追う刑事達と共に、私達読者は集団レイプ事件の真相と、被害者とその家族、加害者とその家族の〈その後〉を垣間見る。
そこで直面するのは、性犯罪がいかに「日常の積み重ね」から生まれるかということだ。日々の生活の中で〈当たり前〉として受け入れていた男女間の不平等や役割の押しつけ、差別の延長に性犯罪がある。
そのことをよく表しているのが、作中で描かれた夫の呼称問題だ。自分の夫を「主人」と呼ぶ、話し相手の夫を「ご主人」と呼ぶ。当たり前に使っている呼称も、漢字を見てみたらご主人様の主人である。夫婦とは対等な関係であるはずなのに、呼称の中に当然という顔で上下関係――いや、主従関係がある。
主人公である刑事の鞍岡が、そんな目くじらを立てなくても……と感じるのも理解できる。女性の私ですら「じゃあ何と呼べば?」と思う。だが鞍岡は己の中に小さな差別が潜むことに気づく。性犯罪を憎み、一人娘を大事に想う彼にも、そういう部分があった。
私達の日常には些細な性差別が多々ある。ありふれているからこそ解決しづらく、しつこく社会を蝕んで性犯罪を生む。これが大袈裟な発想ではないと、本書を読んだ人は知るはずだ。
そして、この問題は決して男性だけのものではないということもまた、つくづく思う。私も過去に書いた小説に「女々しい」という言葉を何食わぬ顔で使っていて、数年後に読み返して驚いたことがある。就活生の頃、面接で明らかなセクハラ質問をされ、「今のってセクハラかな?」と笑う面接官に「この程度で騒ぐほど自意識過剰じゃないです」と返したこともある。性犯罪に遭った女性を同じ女性が糾弾する構図は、こういうところから生まれるのかもしれない。
「当時はそれくらい許される空気だった」「その場の空気を壊さないために仕方なく」という言い訳はいくらでもできる。しかしこの作品は突きつけてくる。そういう小さな毒がこの社会に蔓延していることを自覚して、地道に取り除いていく必要があるのだと。「誰もが容疑者」で「誰もが当事者」なのだと。そこに男女の区別はないのだと。
てんどうあらた/1960年愛媛県生まれ。86年『白の家族』で野性時代新人文学賞を受賞。93年『孤独の歌声』で日本推理サスペンス大賞優秀作。96年『家族狩り』で山本周五郎賞、2000年『永遠の仔』で日本推理作家協会賞、09年『悼む人』で直木賞を受賞。
ぬかがみお/1990年茨城県生まれ。2015年に『屋上のウインドノーツ』で松本清張賞、『ヒトリコ』で小学館文庫小説賞を受賞。
額賀 澪/週刊文春 2024年2月29日号
|
( 142827 ) 2024/02/25 13:17:17 1 00 (まとめ) 配偶者の呼び方に関して、年代や環境によって異なる意識や使い分けが見られます。 | ( 142829 ) 2024/02/25 13:17:17 0 00 ・他人の配偶者の呼び方は正直悩むことも。 年配者に妻さん、夫さん、パートナーさん、と言ったら、何それ…って反応なんじゃないかな。 砕けすぎて、距離感が変な人と思われるかも。 ご主人、奥様を使っておいた方が無難な場合が多いと思うけど。 ご、様を付ける事で、尊敬語として認識されているのもあるよね。
言葉の持つ意味よりも、浸透性じゃない?
若い人には、パートナーさんとか使い分けていけば良いんじゃないかな。 ただパートナーって結婚してない人も含まれるから、相手がどう受け取るか分からないけど。 パートナーさんと言ったら、配偶者として認めてないみたいに受け取られて、気分を害されることもあるかも知れないね。
ご主人、奥様と呼んで気分を害する人は、あまりいないと思うし。
・自分の配偶者なら名前や「妻・夫」が1番自然でしっくりくる。では、他人の配偶者をなんと呼ぶのが良いのだろうか?関係性が薄い相手なら「奥さま・ご主人」が1番自然でしっくりくる。ゴチャゴチャと持論展開するんなら、名前も知らない上司・顧客の配偶者を指す自然でしっくりくる別の呼び方を提案してもらいたいものだ。
・どこで線引きするかだろうけどね 小さな影響の積み重ねといって、ほんの小さな影響がありうるものを全部無くしていったら相当なものが消える 少年マンガなんか暴力に繋がりかねないとも言えるしね 発端になってる小説だって理由のある殺人を軽くみてるという積み重ねになるかもしれない 最終的にはバタフライ効果の因果まで詰める?って話になる ご主人呼びをシンプルにやめようって啓蒙はいいと思うけど、性加害に結びつけるのは何でもアリになっていく論法だと思うよ
・うちは夫の事を「つれあい」と呼んでいます。夫は名前に敬称をつけて読んでいます。人前では夫です。旦那とか主人とかは最初から呼びません。そう呼んでいることがハラスメントだと考えるのには同意できます。ご主人なので育児は、家事はしなくていい。長男は特別。暴言を吐いても許される。そんなのおかしいです。妻は夫の奴隷です。本当はお互いが尊重し、守りあう存在なのに。習慣とかただの言葉だという人もいるかもですが、言葉こそが人間を人間にしているもの。そこが雑だと人間とはもう呼べない。言葉こそが人間社会を形成する命綱です。虐げられて当たり前、我慢することにかちがあるというのは何もなかった終戦後の事だと思います。時代は進んでいます。今の時代に会ってない言葉の使い方は大きな闇を生むことをもっと気付いてほしいです。
・性犯罪は日常の積み重ねの延長にあるのではなく、どこかで決定的な飛躍があって起こる(少なくともそういう理解の方が現実に即していると思う)。呼称問題をそれに結び付けて考えるのはこの人自身の認知バイアスによるもので拙速な読解という印象を受けた。
100年前のプロレタリア文学を読むとその荒唐無稽さや狂気を帯びた熱量に笑ってしまうのだけれど、現代のジェンダーに関する議論は100年後の人間にはどう映るのだろうか。
・お互いが納得している個人間の関係性と公的な場面での関係性を、一緒に論じるのは…ね。個人間の関係性でも、相手を大切に思っているかどうかが大切で、呼称について、第三者がとやかくいう必要は無いかな。
・今の若い人で主人という言葉を語源の意味で使っている人ってどれくらいいるのでしょう。私は公の場では主人と言いますが、全然ご主人様とは思ってないです。どの言葉にも語源はあるし、昔は男性が大黒柱であることが一般的だったから主人って言うんだ〜くらいの認識で言葉を残しても良いのではないかと思います。
・もともと身内をへりくだって呼ぶ文化なので、自分の女性配偶者の呼び方に尊敬語がないのは仕方ないと思います。 だけど、相手の女性配偶者を呼び表す尊敬語が、現代語にないんですよね。 かつて町人はおかみさんという呼び方を使っていましたが、現代語では女将さんになって範囲が狭まってしまっているし、御上さんは消えてしまいました。
・NHKのあさイチで性犯罪がテーマだった際、確か加害者のカウンセリングをしていた方が、「加害者は性欲を晴らすためではなく、征服欲を満たすためにしていることがかなり多い」と言っていた。 征服欲の根本には、女性は男性にとって都合のよい存在であるものという潜在意識が少なからずある。辱しめを受けさせるのに手っ取り早いのが性犯罪となる。見た目にはわからないが、心を殺せる行為だとどこかでわかっているから。
潜在意識は社会や歴史、身近なところでは家庭のあり方で自然と得るもの。主人呼びはほんの一端に過ぎないからこれだけでどうにかなるわけではないけど、小さな事柄の積み重ねが影響するのは確かだと思う。
・主人という言葉、昔は使っていましたが今は「夫」の方がしっくりくるし無難かなと思って「夫」を使います。 相手の配偶者のことは今も昔も「ご主人」「奥様」。 語源は別として、他にいい言葉がないから。あえて奥様のことを「前さん」と呼んでいる男性と出会ったことがありましたが、その方は完全に気難しいモラハラ気質の方で、あー、奥様は「前さん」と呼ばれるの本当は嫌なんじゃないかなぁ、と複雑になりました。
・だから最近親しい人には「夫さん」に変えている。特に問題にはなってない。 遠い関係者や目上には何かあっても面倒だから「ご主人」呼びをしている。頭の中では、別にあなたの主人じゃないでしょうけど、、、なんて思っていたりする。
今は単なる慣習であって深い意味で主人呼びしていないのに、とか、いちいち大げさ、と言われるのも理解してるけど(実際自分もそう思っていた)でもまぁ、性差別をなくすのにごく身近で見えにくかった所から始めるのも良いかと思う。主人でないのに、主人と呼び、それに深い意味はないからと主人と呼び続けたら、男性はずっと未来永劫ご主人だから。それもなんだかおかしいと思うし。
・「ご主人」または「旦那さん」や「奥様」または「奥さん」は、呼称として定着していて、本来の意味は関係ないと思います。言葉って時代と共に変わっていくものだし、本来の意味とは違っても残るものもあると思います。 それに代わる言葉がなければ使えばいいと思います。息子の妻もお嫁さんと言うと、私との関係性がわかりやすいです
・私は妻の立場ですが相手を夫と呼びます。向こうも人に私を紹介する時に妻ですと言うのでそれに合わせた感じですかね。 自分は夫でも主人でもどうでもよくて、むしろ気にしたこともなかったですが主人呼びを主従関係のように捉える人もいるんだなと思いました。
・主人、奥さんという言葉の語源まで考えるとそういった部分はあるのかもしれないけど、今の時代そこまで深く考えている人もいなさそう。妻の友達は私を旦那と呼ぶ。外でもクソでかい声で旦那〜!と呼ばれる。そこに敬意も何も無い。それを聞いた周りの人には老舗の何かか越後屋かなんかと思われてるかもしれない。でも本人はただの呼称で旦那を選んで旦那と呼んでるだけ。言葉狩りをすれば色々な事が不適切に見えてくるが、こういう風に取り上げなければ、意味なんて気にしない人のほうが多いように思う。 使えなくなると、仕事中とかお客様相手の時に何を使えばいいのかわからなくなるから気にせずまんまでいいのでは?辞典の意味表記を変えればいい。ご主人とは夫、奥様とは妻。ただそれだけにすればいんじゃないかな
・個人的には夫でも主人でも旦那でも彼でも、好きに呼んでくださいというスタンスなのだけれど、内縁関係のカップルの女性(over40)が 「うちの好きピが〜」 と言ったときには、時と場所と相手を選べよ、と内心ムカついた。
ここでも「主人や旦那呼びは目上な印象で不愉快」とおっしゃっている方がいるのをみて、相手を不快にさせないパートナーの呼称って、案外難しいのかも、と改めて感じている。
・自分の夫を呼ぶのは「夫」でいいと思いますが他人の夫を呼ぶのは「ご主人」くらいしか適当な呼び方が日本語にないと思います。語源と今の意味、ニュアンスが違う言葉もたくさんあると思いますので無理して変える必要はないと思います。主人と呼んだからって仕えていると思っているわけではないです。
・仕事場の30代の後輩女性数名と、昼休みに家庭の愚痴をこぼし合っていて気付いたことがあります。彼女らは、自分の夫を「夫」、と呼びます。かなり自然に。相手の夫は、「ご主人」と呼びますが。 年の差も年収差もなく、子育ての同志である夫は彼女たちにとって、当然主人ではないのでしょう。 また、育休取るような後輩男性は、飲み会の席で男同士で話していても「妻」と呼んでいました。関西なので妻を「嫁」呼びすることが当たり前の地域なのですが。 自分は夫と同額稼ぐのに、家事も育児もワンオペで、不満しかありませんでしたが、主人、嫁呼びしているからこそ、この関係性を変えられなかったかもしれないと思った記憶があります。 若い世代の考え方は着実に変わっており、言葉一つで相手をどう見ているか分かります。男女間の無意識の主従関係が、支配欲を体現する性加害に繋がるのかもしれません。
・不適切にも程がある、というドラマを見た感想を職場の人と話していた時。 昔の方が色々考えなくて楽に生きられた、と言った人がいた。40代の女性。 確かにハラスメントや倫理的にというワードで発言を精査されてしまうのはキツい。 だけど、この今のしんどさを乗り越えないと本当にみんなが生きやすくなる世の中は来ないのだ。 些末とさえ思える主人、奥さん問題は実はクリアできた時こそが日本のジェンダー問題の解決に繋がるのではないだろうか。
・30代です。 「主人」と呼ぶことで「私は夫の支配下に置かれてる人間なので、なんの決定権もないです」みたいなことを演出する気がする。と思うので、セールスを断るときに使います。 普段の職場とか友達間では「旦那」かなぁ。夫のことをちょっと立てつつ、でも夫婦としてそれなりに釣り合っている感じがする。自分の明るいキャラクターにもあってるように思うしね。
・主人を使うと、主人がトップになり、相手によって当たり障りがないように使う時があるが、できれば「ご主人」は避けたいと思っている。 人によっては、「旦那様」「奥様」となる場合もあるが、これも力関係を感じなくもない。 日頃、使う言葉は難しい。ただ、社会の縮図になりやすいのはその通りだと思う。 あと思うのは、街中の裸婦像だ。圧倒的に女性が多い。美術作品なら美術館に置けばいいのに、日本は街中、そこら中に平気で「裸の女性」がいる。 ヨーロッパでは早くに撤去が進んでいるが、日本は意識が遅れている。 裸婦像が街中にあることで、性犯罪のハードルが下がっているのではないか。 小池知事はこういうことにフットワークが軽い人だと思っていたが、さにあらず。都庁は裸婦像ばかり。どうやら、目立たないことはお好きでないようだ。
・私は50歳で、一般的に大人と言われる中では真ん中の年代に当たると思うけど、話す場所によって言い換えてる。 年配の人と話す時は主人。 少し距離のある同年輩なら夫。 友達なら旦那。
そういう意味で主人という言葉はいずれは無くなって行くのかもしれないけれど、この記事の話は少し極端かなぁと思う。
・確かに意味というか概念の変化と言葉のアンマッチに違和感を感じるので、自分のことなら夫とか妻とかでとりあえずの代用を意識したりはするけど、相手型の配偶者を指す言葉は困るところがある。
でも表現のアップデートは望まれるところだけど、そこから「生まれる」はさすがにこじつけ。 槍玉に挙げるべきは意識と意識の発露であって、言葉ではない。 とりあえず関連するから槍玉に挙げるというのは乱暴だし、メディアとして無責任。 とりあえず「性加害」というキーワードを挙げておけば関心を集められるという意識が透けて見える。 関心を集めたあとはどうでもよくて、つまり性加害をだしにつかっているだけで、顕在的、潜在的な被害者に対するリスペクトなどそこにはないのでは?
・相手の夫を「ご主人」と呼ばないなら他に何と呼ぶのだろうか。せめて候補くらい書くべきでは? 私は結婚する時、夫を「主人」と呼ぶことに憧れていたので今でも違和感なくそう呼んでいる。そもそも本人が配偶者をどう呼ぼうと勝手だと思うし、それを他人が主従関係とか言うこと自体余計なお世話と思う。
・自分の夫を何と呼ぼうと人にあれこれ言われたくない 子供の話をするときに子供の名前を出して会話するのと 娘、息子と呼ぶのとかわりなく こだわることに違和感 男性が自分を基準に年上、先輩を「さん」といい年下、後輩を「君」と いちいち区別するほうが余程私には違和感がある 女性は年上を「さん」といい年下を「ちゃん」と呼ぶ区別など無いと思う
・今や 原語の意味で言っている人も少ないと思います。相手の配偶者を「夫」とは呼べないので 、「ご主人」も「あの人」的な三人称程度の 扱いになっていると思います。 性加害・被害の話をするなら 本人が育った環境と育てた親の育った環境で違ってくると思います。
・呼び方を変えていけば全て解決する問題でもなく、団塊世代は特に学生運動を機に男女平等が浸透していったと思う。 ただ、言葉遣いは家庭環境や教育環境などが大きく影響を与える。 会話や文章に使っている言葉が性格や生活を表しているとも言えなくはない。 だからと言って、他人に自分の夫を夫さんとか、パートナーさんとか、連れ合いさんとか言われたら、あまり気分はよくない。 若い人が自分の夫をうちのダンナがと言っているのをよく耳にするが、あまり品がいいとは感じない。 要は知性の問題で、言葉遣いだけ直しても本質はなかなか直らない。 性加害などを犯す人間は鬼畜で人間ではない。
・小説は未見ですが、呼称の話ではなく男性が女性の「主人」と呼ばれる習慣が生み出した日常的ないわば「ライト女性蔑視」という素地が社会に浸透しているということなんでしょうね。 まあ性犯罪に限らず被害者がいる犯罪は基本相手の人格とかを一切無視しているから犯されるものです。
なお、この女性蔑視というのと同じ根っこにあるのが、子ども虐待でしょう。 昔は「小人」と「大人」という料金表示だったし「女、子どもの出る幕ではない」みたいな表現もよく使われていた。
・『主人』にこだわる人が多いけど、多くの人が昔から男の配偶者のことをそう呼んでいるだけで、別に「主人と家来」と言う意味の主人ではないことはわかってるでしょ。 自分より明らかに下に見ている相手に『先生』とあだ名をつけることもある。そのときの『先生』は本来の『先生』の意味とは真反対である。 また、年下の先生がいたらその人に「年下なのに『先に生まれた』はおかしいでしょ」と言っているようなものである。 そんな例はいくらでもあるし、漢字だって『男』は田に力、つまり「仕事をする人」をイメージしているわけだが「現代社会では女性も同じように働いているのが普通だから漢字が時代に合わない。おかしいから変えるべきだ」とは誰も言わない。 恐らくこの議論はここにとどまらず「『夫』であれ『妻』であれ、ジェンダーレスの時代にそぐわない。同性婚をしている人はどうしたらいいんだ」などと言い出す人がきっと出てくる。
・今も公式文書に「世帯主」という言葉がある。 多くの場合で男性が世帯主であることが多い。 世帯主が女性の場合もあって、その女性を「主人」と呼ぶなら問題が無いのだろうか。 それも問題と考えるなら「世帯主」という言葉にも問題があることにならないだろうか。
・自分の周りには、夫の事を主人と呼ぶ家庭だからと言って、 別に夫の方が偉い様な家庭というわけでもなく、 実際には妻の方が立場が強い感じの所の方が多い。 そもそも、主人という言葉は対外的な社会常識として使ってるだけで、 「主従」という意味で使ってるなんて聞いた事が無い。 むしろ、社会的体裁に気を使ってるところの方がまともな人間が多かろう。 「旦那」でも「亭主」でもそうだろう。 別に相手に敬意があるわけでなくても使っているわけではあるまい。
・タイトルを一見すると、言い掛かりとしか思えない。配偶者を何と呼ぶかは、もう、元々の言葉の意味とは切り離されて一般化されているので、広く「主人」を使うのはやめるべき!なんて、強要することでもない。 個人的には、主人も夫も旦那も場面によって使うし、特に強いこだわりもない。「奥さん」と呼ばれることもあるし、出来たら名前で呼んで欲しいかな・・・と思うこともあっても、相手の立場からだと、他にもなんて呼んだら困る、というのもわかるし。 ただ一つ、はっきり不快だと感じるのは、私を既婚者だとも知らない赤の他人からいきなり「奥さん」と呼ばれることかな。その時は「は?」と思うし、場合によっては返事もしない。
・主人公という言葉を使うのは良いのか(いちゃもん) もともとは公の主人として主人の敬称という説明、 その他には禅の用語で本来の自分を指すらしい。
昔から使われてる「かみさん」という呼び方は、上様から来ていて女主人を指すらしいが、無意識に主従関係として使っているのか。
言葉狩りをしても意味はないのだ。言葉は変化もしていく。 無意識に〜と言うことでいろんな表現が制限されてしまう。 本当に侮蔑や上下の差別を意識して使われているのか、精神的な面に影響がある言葉なのか。 これを考えていくことが重要だ
・色々考えると面白いな。 子供から大人になってもそのような敬称で呼ばれる事は無く、結婚した途端に…。
家庭内の役割立場に固定観念があって、家庭外の人からもその役割で呼ぶのが「都合が良い」事が多かったのかな。代表者、担当者的な。 一見敬いに思えるけど、部長とかと一緒で、敬称でもあり役割圧も感じる。
そもそも男と女という文字だけでも、役割や能力を現わしている気がする。差別だ!(笑)
性加害は全く関係無いとは言い切れないかも知れない。中には強烈な男尊女卑の尊大型がおるからな。ストーカーとかDVとかの。 認知の歪みか抑制機能不全なんじゃない。
・小さい子供がいると、他人のパートナーをパパ、ママと呼べて助かると思っている。 もちろん、マナー的には奥様やご主人などが良いとは思うのだが、男女の差別感はない。 代わりに個人としての呼び方ではないので、なにかのハラスメントに当たるのかも。
・この令和の世で、「主人」を「ご主人様」を文字通りのご主人と、「家内」を家の奥にいる召し使いと、そんな意味で使う人はいないだろ
「きさま」や「てめえ」が元々は尊敬語だったのが時代を経て意味が変化するように、「主人」も「家内」も現代では最早本来の意味を伴わない
「主人」「家内」を使う夫婦は男尊女卑だなんてとんでもない
ジェンダーという言葉を使えばどんな暴論も許される風潮には違和感しかない
・呼称より、言葉を使う方の意識こそが大切と考えている。 「夫」という呼称も友人との間では問題ないが、もっと気の張る場ではそれでも「私」の匂いが強すぎると感じるため「主人」を使うことは多い。しかし相手を自分の主(あるじ)と考えてはいないから、卑屈になることはない。そんなことを言えば、「女房」も元は平安貴族社会の職称だったのだし、「お前」など「御前」、つまり尊敬語にさえなってしまう訳で、だからと言って現実に相手に向かって「お前」と呼んだら人間関係は終わってしまう(笑) 何より、日本人から男女平等のお手本みたいに思われているアメリカでさえ、ほんの40年程前まで配偶者持ちの女性は自分の名をサインする時に「Mrs. (自分のフルネーム)」ではなく、「Mrs.(夫のフルネーム)」にするのが一般的だったとか。自分のフルネームにすると、未亡人と誤解されたらしい。 言葉の奴隷にならぬ事こそが肝要。
・めっちゃ分かる。「主人」なんて言いたくないけど、そう言わないと常識がないかのように見られると思って胸糞悪いが仕方なく使っている。
自分が子供の頃からイライラしていたのは「女遊び」という言葉。男にとって女は遊ぶオモチャなの?何故みんな普通に使ってるの?と疑問だったが、その感覚は今の時代になってやはり正しかったんだと思う。
・天童荒太氏は、小説家•文筆家なので「言葉」に拘る気持ちはよく解るし理解はできる。
しかし、表面上の「言葉」に拘るだけで、果たして性加害がなくなり、差別がなくなるのだろうか?
今、米国は大統領予備選だが、その米国は、差別的発言、女性差別の発言に対しては日本より遥かに厳しい。 そして予備選の当事者トランプは、女性蔑視•差別発言、人種差別発言を繰り返し、困った事にそれを支持する一定の人々がいて大統領になる可能性がある。
日本より言葉に厳しい米国でも根っこの本音は差別意識がある為に、トランプの様な異常な人間を支持する様になる。
日本は米国の失敗から学んで、本当に差別を失くす為には何が必要なのかをよく考えるべきだ。 米国の例を見てれば、決して「言葉狩り」をして差別がなくなるとは思えない。
「言葉狩り」ではなく、人権•人道に基づいた教育プログラム(成人含む)や法整備等が必要だと思う。
・主語をでかくするより、個々がどういう意図でその呼び方を選んでいるかに「自分が思う相手との関係性」が出る事に着目する方が解像度上がるだろ。
例えば恋人の名前呼びは関係性が対等。これがあなたとお前だと対等ではないわけだ。 うちは結婚して長いけど二人のときは名前呼び。子供の前ではお父さんお母さんだな。やはり、子供の前だと親っていう役割を演じる事を優先している。
よそゆきの場で自分の配偶者をなんて呼ぶかってのは、やはりその場の空気に合わせたもんになるだろう。 これが自分も配偶者も落として呼ぶなら謙譲語の感覚なんだろうけど、配偶者だけを落として呼ぶならホモソーシャルって事だろ。 上の世代ほどあるけど、自分の配偶者をいかに雑に呼ぶかでその場に溶け込もうみたいな感じを出す場になってたりするよな。 まるで、上司の悪口を言い合う事で連帯感を強めようみたいな感じ。 この連帯感が性加害につながるのはある。
・60代です。 自分の夫のことを他人に話す時に「夫」と呼ぶのはそれほど難しくはないです。 最近、「主人」という呼び方に「一歩下がる奥ゆかしさを演出」みたいな居心地悪さを感じていたので。奥ゆかしくないし、私。
ただ、他人の夫はなんで呼べば良いのでしょうか?「ご主人」がダメなら「旦那さん、旦那様」も良くないような。
では、何が正解?
呼称には少なからず自分がその場面のどの位置にいるか、とか、自分が所属する社会層みたいなものが反映されると思います。 日本語には他の言語にはみられないぐらいの多様な「一人称」があります。ということは、それだけ「意味」や「彼我の関係性」を重視していたということですよね。
「夫」「妻」という言葉の語源にも字源を紐解くと何かあるのかもしれませんし。
では配偶者? なんかそれもなぁ。 当面は自分の夫は「夫」、他人の配偶者は「ご主人、奥様」になりそうです。
・自分の配偶者のことは、友達と話す時には「夫」と呼ぶようにしてるけど相手の配偶者のことを「夫」とは言えず、ご主人やダンナさんと呼んでしまう。 「夫」っていうのは、名前の呼び捨てみたいな感じに近い。だからって「夫さん」と呼ぶのもなんだか不自然で。そのうちしっくりくるようになるのかなあ。
・言葉による印象操作はあると思います
最近気づいたのですが 夫や夫の両親にも優しく接する妻を 「慎ましい嫁」と表現しますよね でも本当は「人間力のある妻」「人間力のあるパートナー」です
悲しいことは、今後ますます年金だけで自立できないことです 何故頑張って働いてきた方々が 自立して暮らせない国なのでしょうか
「高齢者」は「高経験者」です
言葉による印象操作は確実にあります
・昔、夫を旦那、旦那様と呼ぶのはおかしく、主人、ご主人と呼ぶべきだと言っていた女性がいた。旦那はパトロンを意味する言葉だから失礼だと言う話だった。ただ、旦那というのは、それぐらい愛されているというノロケから来ている表現が由来じゃないかなとも思ったが、ジェンダーの絡む話だったので黙っていた。主人は不適切として、じゃオットと表現するのもイケてない気がする。主人と言う方が品があるかもしれない。妻と呼ぶよりも嫁と言った方がカジュアルである。若者は新しい言葉を造語するのが得意と言うんだから、オット変わる新ネーミングをトットト発明したらどうなの
・深い意味は無いんだから、もう浸透してるんだから、というのもわかるけど自分はこの論争で男性が「主人」って呼び名は宜しくない 不快だと主張する人は見たことがない。そりゃあ言われて嫌な名称じゃなければ言われる方は気持ちいいしなんとも思わないだろうなあと。
・性加害の加害者は日常的に身近な人間の一瞬の隙を常に狙っている ドラマのように圧倒的な暴力に依る支配より 逃場や逃げ出せない状況を作ったり 信頼させたり、家族に迷惑が掛かる等心理的に追い込み 相手の無知に漬け込み性加害に引きずり込込みます 性加害にあった場合等、被害者には何も責任が無いので、信頼の出来る人、或いは機関に直ぐに連絡をして、出来れば医療機関に行き証拠を残し 警察に通報通告しましょう
・これはその通りだと思う。 古今東西、男性が上で女性が下って植え付けられてるから、使う言葉も自然とそうなった。特に今の高齢者はそれが当たり前過ぎて何が問題なのか理解できないと思う。 この、一言でいうと男尊女卑の文化は、一朝一夕にどうにかなるものでもないと思うけど、それが変化し始めたような気がする昨今の性加害報道の多さ。
最近、30代より下の年代は、それぞれを妻、夫と呼ぶ人が増えてきたと思う。 「妻が〇〇してくれた」とか「夫に〇〇をやってもらっている」とか、相手を尊重しているんだなと感じる発言が出るのは良いことだと思う。
まあ、友人同士で話す場合は「お宅のダンナさんor奥さん」と言っちゃうけどね。
・主人という言い方が新しい、古いはまだ分かるけれど、主従関係を持ち出すと言うのは...被害妄想?って思ってしまいます。メインとサブ、みたいに思ってるとかですか? 案外、ご主人さまの方が実際「主人」なんじゃないですか、そういうご夫婦さまだと。
結婚しないのが一番ですよ、そういう感覚の人は。 重箱の隅を楊枝でほじくるような、そんな発想は捨てた方がストレス無くていいですよ。
・そんな言葉狩りやったって意味はない。こういう人達って結論があってなぜそうなったのかを何か理由付けしたいがために自分の気に入らないものをやり玉にあげたいだけ。主人という呼び方の大元はそうかもしれないけど実際呼ぶ人はそこまで考えないから。旦那とかカミさんとか何と呼ぼうと語源まで考える人はいないでしょ
・ご主人よりも旦那さんの方が使いたくないけどね。砕けた会話中にご主人って使ってピリッとしちゃうのも嫌だし、かと言って旦那の本来の意味も気持ち悪いし。 自分のパートナーを人前で夫って呼ぶ女性の自立心の高さも厄介、って言われたこともあるし、人の感じ方はいろいろですね。
・主人がダメなら、旦那もダメでしょ? 自分の周りでは自分も含め、夫のことは主人呼び。カフェとかで隣りの席の人が旦那、旦那と連発しているのを耳にすると違和感を感じますが、それぞれ自由に呼べば良いと思います。
・仕事柄毎日お客さんの家に行くし、もちろん会話もする。 女性が出てくれば「奥さん」と呼ぶし、男性が出てくれば「ご主人」と呼ぶ。また話の内容から、その人の息子の話題になれば「息子さん」とか「お子さん」とか呼ぶし、さらに息子の嫁が出てくれば「若奥さん」と呼んでいる。
正直、「主人・奥さん」呼びってその内この記事のような話になってくるんだろうなとはボンヤリ思ってた。 でも「じゃあどこに行ってもほぼしっくりくる呼び方って何?」となると今のところ「ご主人」「奥さん」なわけで。 まあウチは特に地方で年齢層も50代以上が多いので、クレームつけるほど気にしてる人はほぼいないと思うけど。 それよりシングルマザーだったり独身だったりの女性に「奥さん」って言ってしまってた事に途中で気づいた時の方が、いつも後から一人でモヤモヤしてます。
・私は30年前に結婚した時から「夫」と言っていました。しかし当時は珍しかったようで、年配の方から半笑いされました。 夫にも私のことは「妻」と人には言ってほしいと思っていましたが、「うちの」と言っていたようです。 一方で人の配偶者に当たる人のことをなんて呼べばいいのか分からないので、「ご主人」「奥様」と言っています。 なんて呼んだらいいですか?
・主人=男性なのか、主人といえば男性なのか。「女主人」という言葉はあるから後者だろう。
これまで「女性〇〇」「女〇〇」などと使われていた「〇〇」という言葉から性別への先入観が抜けていって、勝手に角が取れていくのではないだろうか。 それだけのことのように感じる。
・数年前のことですが、夫のことを主人と表する妻があまりに多いので、これは少しおかしいのではと指摘したことがあります。でも、大方の人は、主人というのは単なる呼称であり、こだわる必要はないというものでした。でも、主人てやっぱり変ですよね。更に突き詰めていくと女々しい、嫌、怒、嫉妬など、よくない意味の漢字が多いです。
・主人もだけど「旦那」も違和感がある。 使用人が主人を呼ぶときの呼び方と同じだし。
女優を俳優と呼んだり、スチュワーデスをキャビンアテンダントと言い換えることよりこっちのほうが重要だと思うなぁ。
・気になる人がいるのは知ってますが、気にしなければ通り過ぎるレベルだと個人的には思います。人それぞれに人生があり、考えがあって、パートナーとの間で、嫌なことは伝えたらいいと思います。ただ、他人にまで強要するのは過剰だと思います。
・日本語には他に「夫君(ふくん)」「細君・妻君(さいくん)」という呼称もあります。大正、昭和の文学やサザエさんの漫画なんかでよくみるけど、男性が使う言葉のイメージですね。でも、この際女性が使ってもいいんじゃないのかな。「ご主人」よりか「ご夫君」の方が気持ち的にはしっくりくるなぁ。
・何にでもこじつけて文句を言う人はいるものだ。 若い人の中には、自身の妻を「奥さん」と呼ぶ人もいるが、これも性加害を生むのかね。 言葉の使い方として誤りであることはひとまず措くとして、私には、妻に敬意を示しているように聞こえるんだが。
・呼称は元の意味を失ってる場合が多々あるので直接的ではないと思うけど。 (貴様は元々目上の人に呼びかける敬称だが、その意味で使う人は今いない) 日常の意識の些細な積み重ねが性加害につながるはその通りと思う。 未だに松本の飲み会に参加した時点で性行為に同意してたのだろ、みたいな意見言う奴いるけどさ。 20代の男性が会社の上司くらいの50代に飲み会誘われても、その後に性行為があるなんて思うわけがない、女性だって同じなわけだ。 歳が離れてても性欲の対象だと当たり前に思う時点で既に中年の思考回路なんだよね。 (若者からしたら50代は親の年代で互いが性欲の対象になると思ってない。 自分も会社の若手に指摘され、中年具合に気づいた) そういう中高年がいるから気を付けよう(悪いのは傷つけたおっさん)、と、それが当たり前と知らずに傷ついたのは若いお前の自己責任、はまるで意味が違う。
・語源は問題ではないかも知れません。事実上「夫」を「よそ行き」の言い方にした名詞です。 「昔は家長制度っていうのがあったらしくて、それが語源だよ」という程度の「話題」のようにも感じます。 矛や盾なんて使わない時代でも「矛盾」は使っているようなものかも知れません。
・自分の夫を主人って言うのは俺もあんま好きじゃないんだが、他人(お友達やら)の配偶者を呼ぶしっくりくる呼び名がないんだよなぁ。まだ文化的な過渡期なんだろね。
・ていの良い言葉狩りだね。昨今の性加害問題にこじつけてるだけ。上辺だけの議論がまた過熱するのかな。日本語に疎い外国人は特に反応しそう。言語は民族のアイデンティティだからこういう報道は気を付けた方がいい。本当にそうなのかなと疑問を持つことが大切。
・外と家で、どう夫を表現するかなどは、夫の職場や上司部下などや知人や友人間では、違うと思います。滅多に夫の職場に直電する事はありませんが、そのような時は「いつも主人がお世話になっております」と言います そんなに重要な事なのだろうか?対外的に使用してる言葉で実際家の中で全く使わない言葉なんだけど
・奥さんは「主人」の手綱を持ち、財布を管理している これが大多数の現実では? 「主人」と呼ぶからといって「主人」だと思ってる奴隷のような奥さんなんて滅多にいないと思います
ただ、たまにいることも確かです 「主人を敬え」「俺はお前の主人なんだぞ」と脅すようなDV男が そういうおかしな人とは別れた方が身のためでしょうね
・別に呼び方で犯罪が生まれるわけでもない。 主人、ご主人と呼んでる人がまるで差別意識の中で生きてるように言われているようでそれってどうなの? 文字通りの意味の主人と思って使っている人が今、どれだけいるのか。 夫、と同意義で主人と呼んでる人がほとんどじゃないのかな。 昭和中期くらいまでの言葉の意味で書いてないかな?
・とても考えされられる作品のあらすじ紹介で、前半は読んでみたいなと思う記事でした。 後半は作品を使った思想の入った自分語りではなく、作品の感想を知りたかったです。
・過剰な言葉狩りは日本語という文化の破壊である 真意や文脈を無視し揚げ足をとり発言者の人格を否定する そう言う発言は不適切なので注意しましょうと言うような啓蒙ではなく即時に大きな罰を与える風潮は現代の魔女狩りとは言えないだろうか
・この理論はさすがにこじつけがましいと思うけどなぁ 呼称の是非はともかく、主人と呼ばれてる夫の中で「俺はお前たちのご主人様で、お前らは俺の従者だぞ!」って思ってる人なんか皆無でしょ… 逆にそう呼んでるからって「私たちは貴方様の従者です」って思ってる人だっていないと思うんだけど
性犯罪のバックボーンってずっと女性に相手にされなかったとか、暴力で解決してきたorされてきたとかのその人の今までの人生や環境じゃないか?
仮にこの理論が正しいとするならば、子どもに虐待する母親や経済的DVをする女性たちはどうやって生まれるん? こういうのだって支配欲の先にあるものじゃん
・夫を英訳するとハズバンド(hasband) 語源は家に住む人=家長だそうです 男女平等が根付いてそうな英語圏でも古式ゆかしい呼び名のまま使われてると言う事は語源は形骸化されてるのでしょう あまり深く考えなくても良い気がします
・それは言葉の揚げ足取りでしかないな… 反感覚悟で書き込めば、男なのに!男なんでしょ?なことは 棚上げで全て対等としようとすることが無理があると思う そもそも、は差別では無くて 役割の違いはどうしても起こるから それはそれとして認めていけば良いと思う。
・私は自分のパートナーを「つれあい」「つれ」と言っています。 これ、男女無く使えますし、人生の連れ合いという意味もこもるし、気に入ってます。 他人様の配偶者を言うときは「おつれあい」となります。 ちょっと年寄りくさいかもしれませんが、いい言葉です。
・自分の配偶者は「夫」と呼ぶようにした。または「うちの」とか「あいつ」「あれ」とか…。
相手の配偶者も努めて「パートナーさん」とか「配偶者さん」とかちょっとふざけた感じになるけど「夫さん」とか…。「すみません。平等意識からいい呼称がないもので、そう呼ばせてください。」と一言添える面倒はあるけど…。
「奥さん」の呼び名も何かいいのはないものか…。
・娘の名前をつけるときに悩んだ。男の子なら前向きな名前をつけておけば間違いないが、女の子の場合あまりに強そうな名前をつけると働く女性としてはいいが、恋愛の対象としては可愛さがなくなるから。
たしかに社会的な立場はフェアだが、男性は年下で自分よりも収入も力もない女性を好むし、女性はその逆だ。女性に自分より低学歴で低収入で年下の男を好めといっても嫌だろう。 その好みと言うのが根底にあったうえで主人という呼称になっているので、その辺も含めて考えないと無意味な言葉狩りににしかならないと思う。
・うちでも、妻は対外的に僕のことを表現するときには「うちの主人」と呼ぶ
完全に主導権は僕の側にあるし、妻はそれにおとなしくつき従うだけだ あらゆる決めごとは、僕が僕の判断でする
…ホントだよ、間違いないよ 間違いなくそういう家庭だと言えと、妻にはきつく言われているし
・今では夫婦共稼ぎが一般化して、亭主の稼ぎだけで一家を支える家庭の方が少数派になった事から、共に家計を支える妻の立場から、今や夫を「主人」と呼ぶ事に違和感を覚えるのではではないでしょうか?
・「主人」「ご主人」なんて、もはや一つの記号だろ? 旦那のことを主人と読んでる女性で、本当に「ご主人様」という意識を持ってる人なんていないと思うけどね。これを性加害と結びつけるなんて話が飛躍しすぎていると思う。
他人に「おれのことを『ご主人様』と呼べ」というのとは話が違う。それに、他人の夫を「ご主人」と呼ぶのは敬称の一つで、無礼なことは何もないと思うけどね。
・別に自分のことを妻に主人と言われたいとは思わない、何でもいい。 ただ正直、他人の旦那さんのことはご主人と呼ぶ。いちいち差別たらジェンダーたら、そんなこと考えるのが面倒くさい。ご主人が一番楽だし、こっちからしたら使い勝手が良いから使う。それだけ。 今後改めるつもりもない。
・「夢」という言葉も、寝ている時に見る「夢」と、将来の「夢」っていうのは、同じ言葉でもまったく違う意味なんだし。 この場合の主人も、まったく違う意味と捉えていいと思うんだけど、いちいちケチつけないと気が済まない人たちっているよなぁと思う。
・>性犯罪がいかに「日常の積み重ね」から生まれるかということだ。
違います、これは著者の頭の中で生まれたストーリーですよ。 最近この手の現実とフィクションがごっちゃになってしまう人間が増えた。 特に自分の意見に沿うような物語を見つけた時には、それがフィクションであろうが無かろうが真実だと断定して取り入れる。 そしてその「説」を他人に披露したくて仕方ない。 ファンタジーはあくまでもファンタジー。 現実と非現実の世界を混同してはいけない。
・松田聖子が最初の結婚のときに、自分のことを「奥様になるわけですから」とか「奥様として」と言っていた。三浦知良氏がずっと「うちのワイフ」といっっていたが、あるとき「にょ、ワイフ」といい間違いかけたのはおかしかった。南海キャディーズの女の方が「うちの旦那さん」と言っていたのを聞いたことがあるが、相方は指導したのか。それより、結婚後のこの二人の漫才を聞いたことがないが、「きみの婿はんなあ」とか「あんたの嫁はんがあ」とか言っているのか?
・私は他所では、夫と言います。彼は世帯主ですが主人ではないので。 仕事でお客さんとの会話で、その方のパートナーの方の呼び方にいつも考えてしまいます。 つい、○○さんのご主人さまは…とか、旦那さまは、とか言ってしまいますが自分的には違和感ありすぎで、なんて言えば良いのだろうと思いますが、結局、通り一遍としてそうお呼びしています。その単語を切り取るとホント違和感です。
・テレビ番組で、ディレクターやタレントが素人の方にお父さん、お母さんって呼ぶのも変な感じがします。名前出したく無い時はしょうがないかも知れないけど、頭から叫ぶタレントも違和感あります。
・確かに、呼称は意識に影響するね。 ところで、私は配偶者を他人に紹介するときは「私の連れ合い」で、相手に聞くときは「あなたの奥さん」を使うことが多い。 言葉本来の意味はなくなっているが、「主人」「旦那」「嫁」「家内」は、現代ではアウトの言葉かな。
・まぁ脳は単語の意味を理解できないで判別してるが正しいからね。犬って名前の猫を文章だけで猫と判断するのは難しい。主人って名前の奴隷も文字だけでは判別できないから、主人って名前の方が立場が上と勘違いするのは間違いない。
・昔から慣習として使われてきた言葉を問題の言い訳にするのってどうなん。 ご主人様(絶対的な主の意)を持って「主人」と使う妻なんているかな?まぁ大昔の人はそうかもしれないけど。 極端に言えば「ありがとう」を字のごとく「有り難い」の意味をこめて言う人なんていないでしょう。「貴様」と言われて「そんなに敬っていただいて嬉しい」なんて人もいないでしょう。 この本の意図はそこじゃない。ただライターさんが最近話題の夫婦の呼び名に引っ掛けただけ。
・男だろうが女だろうが、大黒柱が主人と呼ばれるべきであってその殆どが男だからそんなに気を使わなくてもと思う。 逆にそんなたかが呼び方に苦悩する人生の方がステルスストレスでどうかなりそうだ。
・この記事を書いている人は、 自分の妻のことを
おかみさん(お上さん、字の通り) おくさん(奥さん、元々は武士の殿中に住んでる女性の呼び名)
呼んでいた意味を知らないのでしょうか? それ以外にも、やまのかみ(山の神) など、ちょっと照れ隠しに茶化しているような呼び名かも知れませんが、
日本の夫たち、妻たちは 最愛の人を持ち上げた呼び名で呼んでいたのです。 そこには差別や卑下する心などありません。 この記事を書いた人は、言葉を生業とするならば、もっと本を読みなさい。
・鬼嫁も他人には、うちの主人がって言ってるもんな。 大して意味も考えずに言ってる人が多いんだろう。 こればっかしは何と言おうと個人の自由だが、もう時代に合わない言葉になっているとは思う。
・どんな風に言い換えても、自分はその言い方嫌だ!と思う人はいるものです。 一方的な押し付けや喧嘩腰にならず、自分はこう思う。この人の言う事は気にしないでおこうと思う方が精神上良い気がします。
・友人は旦那をウチの人と呼び、その旦那はウチのヤツと呼んでいる 私はウチの旦那と呼び、旦那はウチのと言う お互いを名前で呼んでる夫婦もいます 別にお互いが納得していれば何でもいいんじゃない? あと、紹介する人によっては呼称は代えます
|
![]() |