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松本人志問題にフランス哲学者「性愛にギャンブルの要素は不可欠だ」仏著名メディアは「なぜ吉本とテレビ局は松本を守る?」と困惑

みんかぶマガジン 2/26(月) 9:10 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/e3abe0123d4aa072cb7bd9e794a79e23c7c38e26

 

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 フランスでもお笑い芸人・松本人志氏の性加害疑惑が大きく報道されており、フランスの哲学者である福田肇氏は、フランスでは芸能事務所がタレントを庇護することはないと述べている。

日本の#MeToo運動の拡大に時間がかかったことや芸能界における性虐待の問題についても言及され、フランスの新聞「フィガロ」や女優カトリーヌ・ドゥヌーヴらの考えも紹介されている。

性的行為においては「インフォームド・コンセント」が必要であり、誘惑や恋愛の行動には一定のリスクがあると述べられている。

また、日本の芸能事務所がスキャンダルに対して厳しく擁護する姿勢が指摘され、フランスとの対比が示されている。

(要約)

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AdobeStock 

 

 お笑い芸人・松本人志氏の性加害疑惑は、フランスでも大きく報じられている。フランス哲学者の福田肇氏は「フランスでは、芸能事務所が所属タレントを吉本興業のように庇護することはない」というーー。 

 

 「好きな人と路上で偶然遭遇したら〝運命の出遭い〟。嫌いな人と遭遇したら〝ストーカー〟」というジョーク(?)がある。 

 

 じっさい、同じ状況や行為でも、解釈によってどうにでも評価が変わる。たまたま道で知り合いの女の子にばったり出くわしたらいきなりストーカー扱いされる男性も気の毒といえば気の毒だが、さまざまな事象を関係づけて構成する〝物語〟を糧として生きているのが人間だから、彼女が編む〝物語〟のなかに、幸運にも〝運命の王子様〟なる登場人物として組み込まれようが、不幸にも〝怪しい追跡者〟として抜擢されようが、それはいたしかたないことである。 

 

 さて、数年前、〝壁ドン〟なるパフォーマンスが流行った。周知のとおり、男性が女性を壁際に追いやり、片手もしくは両手を壁に勢いよく接着させて、壁と男性の身体との間にできた狭い空間に女性を一時的に閉じこめる行為である。たいていの場合、それに愛の告白か口唇の接触が続くようだ。 

 

 この強引なパフォーマンスにうっとりする女性もいるかと思えば、他方でそれはへたをすると暴行罪の構成要件にもなる。〝壁ドン〟は、女性が不愉快や脅威を感じるなら、彼女にたいする「有形力の行使」すなわち〝暴力〟に相当する。法定刑は、「2年以下の懲役もしくは30万円以下の罰金または拘留もしくは科料」である。いまどきあえて〝壁ドン〟を実践したいという奇特な男性もいないとは思うが、もしそうするなら「前科一犯」になる覚悟のうえで臨んでいただきたい。 

 

 「キスを奪う」も不意打ちの愛の行為としてロマンティックなモチーフにさえなりうるが、その反面、一歩まちがえば暴行罪よりももっと重い、強制わいせつ罪が適用される可能性がある。求愛行動も命がけだ。 

 

 このコンプライアンスの時代、恋愛にも「インフォームド・コンセント」(説明と同意)が必要なのかもしれない。〝壁ドンの誓約書〟、〝キスを奪う誓約書〟を二人で交わしてから事に及べば安心というものだ。 

 

 

 フランスの有力紙「フィガロ」は、2023年1月9日、「日本のお笑い芸人松本人志が性的暴行容疑」という見出しの記事を掲載した。 

 

「日本ではきわめて評価の高いその芸人は、二人の女性によって告発されている。彼女たちは私的な夜会の際、性的に攻撃されようとした。松本人志はこの件を否定、彼女たちの非難を「根拠がない」と一蹴している。 

 

 『週刊文春』が発表した記事によると、二人の女性は、お笑い芸人で映画監督(『さや侍』)の松本人志(60歳)が、2015年、東京のあるホテル内で行われた私的な夜会の際、同意なき性的関係を彼女らに強要した、と告白している。 

 

 『争うつもりです。そうした主張に根拠はありませんから』、と松本はX(旧ツイッター)に書き込んだ。月曜日、松本の事務所は、松本が自分の弁護に専念するためにあらゆる芸能活動を中止する旨を発表した。 

 

 この雑誌は、昨年初め、日本の芸能界を震撼させたある性的虐待スキャンダルを暴露した、日本の出版界では最初の雑誌のうちのひとつだった。 

 

 日本のボーイズグループの主要な事務所、ジャニーズ事務所は、故創立者が数十年にわたって性的虐待を若いメンバーらにおこなってきたことを、9月に認めた。 

 

 世界的な#MeToo運動が日本で拡大するまでには時間を要した。だから、多くの[性的虐待の]被害者たちが、被害の公表を怖れるあまり、踏み切れないでいるのかもしれない。とはいえ、最近話題になったいくつかの事件は、自覚をうながす引き金になったように思われる」 

 

 「フィガロ」紙は、日本では多くの性的暴行の犠牲者たちがいままで泣き寝入りをしてきた原因のひとつとして、#MeToo運動(SNSなどでセクハラや性的暴行などの性犯罪被害の体験を告白・共有する運動)の同国における拡大の遅延をあげている。 

 

 じっさい、この国では、被害者の外傷的であるがデリケートな体験の告白は、当事者のみならずその家族を衆人の好奇の目に晒し、対社会的ないっそうの不利益を誘発し、さらには当事者の不注意に帰されて白眼視されることも多分にあった。 

 

 そうした社会的風潮に加え、とりわけ芸能界における性虐待は、加害者自身の、あるいはその背後の大きな権力にたいするマスコミの過剰な〝忖度(そんたく)〟が、その事実を表面化させることを怖れてきたことは確かである。 

 

 

  日本における#MeToo運動の拡散の遅れを指摘したフランスの「フィガロ」紙であるが、興味深いことに、同じフランスで、2018年、「フィガロ」紙の松本人志の記事と奇しくも同じ日付(1月9日)の「ル・モンド」紙が、大御所女優カトリーヌ・ドゥヌーヴを代表とする100人の女性の「反#MeToo運動」の声明をとりあげて大きな話題をさらった。 

 

 「私たちは、性的自由に不可欠な、しつこく言い寄る自由(liberté d’importuner)を擁護する」。これがカトリーヌ・ドゥヌーヴらの公開書簡での主張である。 

 

「そこにあるのは、いわゆる公共善の名のもとに、女性擁護や女性解放の議論を借りてきて――まるで古き良き魔術の時代のように――女性を男性優位という悪魔の支配のもとでの永遠の犠牲者、かわいそうなちっぽけな存在という地位に隷属させようという、ピューリタニズムの特徴だ」 

 

「事実、 #metooは、個人を公然と密告したり告発したりするキャンペーンを雑誌やソーシャルネットワークに持ちこむが、告発された側は、応答する可能性も自己防衛する可能性も残されないまま、まさに性的暴漢と同じ平面の上に載せられた。この性急な正義(justice expéditive)は、すでにその犠牲者を生んでいる。自分の職業の遂行で処罰され、退職にまで追い込まれた男たちもいる。彼らの非といえば、膝を触った、唇を奪おうとした、仕事上のディナーの席でつい〝秘事〟について語った、両思いではない女性に性的な含意のあるメッセージを送信した、たったそれだけだというのに」 

 

  こうして、カトリーヌ・ドゥヌーヴらは、 #metooの熱狂が、女性が自律するのを支援するどころか、むしろ性的自由の敵、たとえば宗教的原理主義者、極端な反動主義者たちに皮肉にも奉仕してしまっていると警笛を鳴らすのである。 

 

 「しつこく言い寄る自由」というと、日本語では座りが悪い表現になってしまうが、要するにドゥヌーヴが擁護するのは〝恋愛のかけひき〟の自由であろう。恋のときめきが、一抹のエロティシズムに伴われてこそ光彩を放つものならば、それは、多かれ少なかれ日常を惰性態として成立させる掟を一瞬であれ侵犯すること――キスを奪う、壁ドン、不意の抱擁や告白のようなパフォーマンスもその諸様式である――を要請する。 

 

 しかし、誘惑は一種の危険な〝賭け〟だ。〝壁ドンの誓約書〟、〝キスを奪う誓約書〟があってもいい。確かに、完全に合意のもと、想定内での性的関係は安心、安全だ。が、性愛からの〝賭け〟の要素の除去が、どんなドラマを生むというのだろうか。 

 

 誘惑が〝賭け〟である以上、そこには敗北もある。しかしながら敗北者が完膚なきまでに糾弾され、生活の糧まで奪われるような風潮(ドゥヌーヴは、それを「豚を屠殺場に送るが如き熱狂」と言っている)は、性的関係を結ばなければ仕事を与えないと脅す上司やプロデューサーを野放しにする風潮と同じではないか、とカトリーヌ・ドゥヌーヴらは再考を促しているのだ。 

 

 

 仮に、フランスで松本人志が、「私的な夜会」に集まった女性たちに性的接待を要求していたらどうだっただろうか、と想像してみよう。ベッドルームで展開されたのが松本からの誘惑なのか強要なのか脅迫なのか、それはわからない。しかし、いずれにせよ、彼が〝賭け〟に負けたのではないか。そうであるなら、彼ができることはただひとつ、その場で女性にひたすら赦しを乞うしかない。 

 

 2023年12月28日、ラジオフランスは、「日本の #metoo時代」と題して、松本人志の事件を報道した。「週刊文春」の記事の翌日のニュースであるから、極めて迅速な対応である。 

 

 番組内で、ニュースキャスターは、松本が所属する吉本興業が、松本を徹底的に擁護し、「週刊文春」の当該記事を熾烈に攻撃していることに関して、「タレント事務所がこうした案件の前面に出てくるのはきわめて驚くべきことだ」とコメント。相方のキャスターは、それを受け、タレント事務所のでしゃばりは、きわめて日本的なある現実を反映していると述べている。つまり、吉本興行のような数多くのタレントを擁する事務所の一種の〝全能性〟こそが、芸能人のスキャンダルに関する自由な報道を困難にしているものである。日本のテレビ局は、芸能事務所の介在にずっしりと依存しているのであり、それなくしてはテレビ番組が編成できないのだ、と。 

 

 フランス人ニュースキャスターたちにとって、黒を白と言いくるめてでも所属タレントを必死に守ろうとする芸能事務所の姿勢、そして番組制作を存続させるために芸能事務所に忖度するテレビ局の姿勢、この二つがどうしようもなく謎なのだ。 

 

 逆に言えば、フランスで、一タレントの個人的な誘惑の〝賭け〟の失敗の後始末に所属事務所が奔走することはない。同国であれば、松本人志は「個人として」〝賭け〟の敗退を潔く認め、女性がこうむった精神的損害の補填について彼女と交渉するしかないだろう。 

 

 もし松本が、事務所の全能性のもとで、みずからの行為についてみずからが背負うかもしれぬ〝賭け〟のリスクすら考慮に入れておらず、女性たちを自分に差し出された当然の〝貢物〟くらいにしか認識していないほど尊大だったのだとすれば、それは、「芸能事務所」という名の擬似家族の過保護のもとで醸成された救いがたい幼児性だといわなければならない。 

 

福田肇 

 

 

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(まとめ) 

日本の芸能界やテレビ業界では、権力者や大物タレントを守る風潮が根強く、事務所やテレビ局がその守りに加担している構造があると指摘されています。

一方で、#MeToo運動に関しては、日本でも徐々に浸透しつつあるものの、男性と女性のアプローチや性加害に対する意識の違い、植え付けられている男性側と女性側の役割分担の問題が浮き彫りになっています。

また、フランスと日本の社会や文化の違い、そしてマスコミの報道姿勢などについても異論が挙がっており、さまざまな視点や考え方が混在していることが分かります。

それぞれの問題や現状に対して冷静に検証し、適切な対応をすることが求められていると言えるでしょう。

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・構造的な部分で言えば、番組制作側は女性タレントのたまご達が仕込み観客として収録参加してテレビ局に出入りする「営業」を認めていて、タレント事務所側も当然それを大物タレントと人脈を作る「営業」として認識しています。 

テレビ側も事務所側もこういったトラブルが発生する構造に加担している側なので所属タレントを消極的擁護はせざるを得ないが、上記のような業界の構造による「余計なこと」は言って欲しくないから裁判までは望んでおらずサポートはしないということなのではと見ています。 

伊東純也選手のトラブルもこの手の人脈作りが背景と一部で報じられていますね。 

 

 

・「性的同意」の定義を法的に明確化すべきだと思います。 

例えば、嫌がる女性を縛って力づくで性交渉するのは当然「同意なし」ですが、心や中では嫌だったとか上下関係があって断れなかった(断らなかった)場合は?その線引きは? 

一言に上下関係と言っても、先輩後輩間での社内恋愛なども世の中に存在するため、「上下関係がある以上同意であったとは言えない」というのも無理のある線引きだと思います。 

性加害は被害を訴える方にとっても訴えられる方にとっても人生を左右する繊細な問題なので、曖昧な基準のまま心象や世間の声で白黒つけられるのは怖いです。 

 

 

・興味深く読ませてもらいました。なるほど「賭けに負けた」と言うのは言い得て妙ですね。フランスとの違いとして、集団(企業?)が所属する個を守ろうとすることが続く限り個人の自立が遅れるのかな、と。そう言う意味では社会に守られることが少ない女性の自立の方が日本では早い…何となく納得してしまいます。 

 

 

・恋の駆け引きは大事だし、カトリーヌドヌーブさんの言われる通りだと思います。 

 

松本人志さんの件はこれとは別と思います。そもそも「松本さんがいることを伝えていない」「嘘でも恋愛要素が全くない」ので全く違うものだと思います。 

そういう関係になりたいなら自分の魅力で惹きつける、もしくはお金を積む、の2択だと思うのですが。すごく情けないと思いました 

 

 

・壁ドンも不意打ちのキスも、男女の秘め事に屁理屈をこねたらロマンスも何もあったもんじゃない。 

まあ、壁ドンや不意打ちキスも、それなりの関係を築いた後の行動であれば問題は無いのだろうが。 

確かに彼氏以外の男性に壁ドンされたら怖いし、不意打ちキスだって強制ワイセツになりかねないかも。 

恋愛ドラマのような事って現実には難しいのかなぁ。 

 

 

・海外の視点は興味深いですね。 

#MeToo運動は海外で先行しているので、既に良くも悪くも様々な騒動を経験済みでしょう。 

推進派と反対派があると聞いた事がありますが、こういうものにはどちらにも思想が強く反映してしまい、極論に陥ってしまいがちです。 

両者の極論は新しい価値観の醸成と定着の妨げにしかならないでしょう。 

何をもって性加害とするのか、どこまでも断罪するのか、何事にもちょうどいいというものがあります。 

#MeTooで被害者の声が表に出やすい環境ができていく事は良い事だと思う、一方で冤罪も起きていると聞く。 

被害者の声に耳を傾けると同時に、冤罪も起きないように配慮する世間の冷静な空気感が育つ必要もあると思います。 

簡単に風潮に乗るのではなく、冷静に見極める必要があるのでしょうね。 

 

 

・フランスの芸能事務所というのは仲介業であってマネジメントとか養成はしないしな。 

不動産仲介業と同じで仲介した客が部屋で何かやらかしても、客を擁護するようなことをしないのと同じ。 

所属してるタレントをメディアや企業などに売り込みに行くことはないし、オーディションを紹介することもない。 

事務所にタレントの要請があった時に初めて仕事の仲介をする。 

その代わり仲介手数料がギャラの10%程度であって日本のように40%とか50%とかを取ることも無い。 

 

 

・今回の松本氏のことで世の中の人たちの意見を聞いたり読んだりしていても、所詮何が正しいかは人それぞれで、何をやったかよりも誰がやったことかで人の見方や意見が変わってしまうものなんだろうと思う。だから海外の人が何と言おうがひとつの意見であって「ここは日本だから」という考えも分からなくはない。 ただ、松本氏のやってた(現状で分かっている事実である部分自体の)ことは恥ずかしい話だし、恥であることで顔を出したくないから事実無根として会見もしない上で裁判に委ね、事実であることの証拠の有無で争うしか選択がなかったのだろうとも思う 

 

 

・つまり仮に性加害が無くても、性加害の可能性があるシチュエーションになってしまったら相手次第で賭けに負けると言う事だね。 

 

会社で上司と部下が合意の上で性的関係を持っても、部下が性加害を訴えたらパワハラ、セクハラに該当してしまうのと同じ。 

 

松本側は性加害の客観的な証拠が無いと言ってるのと同じように、性的同意の証拠も無いんだよね。性的同意の証拠が重要な時代に今はなっている。 

 

 

・先日、吉本興業のOBの方が「吉本興業が守るべきは芸人ではなくお客様」等と紙面で仰ってましたけど、そういう事ですね。 

昔から吉本興業は不祥事を起こした芸人たちを、容赦なく切っていったイメージがありますけど、松本人志さんは大きすぎたのか、不祥事と呼べるほどの出来事でもないと判断したのか?時代の流れに追いついていくのは案外難しい事だと感じました。 

 

 

 

・逆に言えば、フランスで、一タレントの個人的な誘惑の〝賭け〟の失敗の後始末に所属事務所が奔走することはない。同国であれば、松本人志は「個人として」〝賭け〟の敗退を潔く認め、女性がこうむった精神的損害の補填について彼女と交渉するしかないだろう。 

 

 もし松本が、事務所の全能性のもとで、みずからの行為についてみずからが背負うかもしれぬ〝賭け〟のリスクすら考慮に入れておらず、女性たちを自分に差し出された当然の〝貢物〟くらいにしか認識していないほど尊大だったのだとすれば、それは、「芸能事務所」という名の擬似家族の過保護のもとで醸成された救いがたい幼児性だといわなければならない。←松本さんは「賭け」に負けた場面でしたね。合意があったと思ってた。傷つけていたならごめんなさい。慰謝料は払います的解決でよかったかな? 

 

 

・フランス人が言うところの、恋愛におけるギャンブル性や恋の駆け引きについては納得できますが、文春が報じる松本人志が行ったと言われている女性たちへの行為は、むしろそれを排除したものではないでしょうか? 

出会いは、後輩によるナンパですし、ホテルへの誘導も後輩から急遽場所が変更になったからと女性に伝えさせています。さらには、行為のために二人きりになるのも、後輩に”ゲーム”と言わせていますし。 

文春の報道が本当だとすれば、彼が行ったのは自分の仕事での影響力を利用し、ギャンブル性を排してことに及ぶことであり、人対人の”恋の駆け引き”とは程遠いものではないでしょうか。 

そうでなければ、ここまで問題にはなっていないでしょう。 

現に、相手に十分な金銭を支払い、思いやりをもって接した相方の浜田さんは、週刊誌に売られるという意味ではギャンブルに負けたかもしれませんが、世間の反応はあたたかいものでした。 

 

 

・カトリーヌ・ドゥヌーヴ(80)か。 

時代の変化について行くのは高齢者には厳しいんだろうな。 

 

「(処罰され退職させられた男性もいる)彼らの非といえば、膝を触った、唇を奪おうとした、仕事上のディナーの席でつい〝秘事〟について語った、両思いではない女性に性的な含意のあるメッセージを送信した、たったそれだけだというのに」 

 

いや、ダメでしょ。 

仕事中に取引相手に無理やりキスしようとしたり仕事に関係ない猥談をしたりメールやラインをすればそりゃ罰せられるよ。 

 

 

・なるほど、ギャンブルにもいろいろありますけどね。ただ、ギャンブルというのはフェアに行われるのがとりあえず前提でしょう? 

この件の真相は外野からは分かりませんが、例えば競馬のレース中に殿堂級のGⅠ馬が斜行などの違反行為をしてしまったとします。 

当然審議が行われ、降着や失格などの裁定が下る。 

この場合、厩舎関係者である芸能事務所は出来るだけ軽いペナルティで済むことを願うでしょう。ただし、裏工作は論外。 

番組の放送決定権はテレビ局にあるので、レースを開催するJRAの立場とすると、強くて集客力のある馬だからという理由で審議段階から何かしらの手心を加えるとフェアなギャンブルの前提を自ら放棄することになる。着順によって当たりハズレや配当が変わりますから。 

宝くじなんかと違って競馬は思い入れのギャンブルでもありますが、メディアまでがそれに流されてしまっては困るし、フェアなギャンブルの先々にも影響が出る。 

 

 

・性愛がギャンブルだったとして、力関係の高低によってフェアなギャンブルで無くなってしまっている、というのが芸能界の根本の問題では。 

 

むしろ松本側に代表されるような、権力を濫用した側とされる方に、純粋なギャンブル意識があったとしたらこのような問題にはならなかっただろう。ギャンブルではなくほぼ決定事項と思い込んでいたがゆえに、そしてそれは多くのケースでは通用してしまっていたために、告発されてしまった。 

 

ギャンブル理論はあくまで平時の恋愛の問題、今回の問題は芸能人の安全な遊び方問題でしかないだろう。 

 

 

・確かに賭けに負けたのであれば、真摯に謝罪するべきで、芸能事務所もご本人も過剰な、もしかしたら間違った対応をされただけかも知れません。幼児性は松本さんや吉本興業だけでなく視聴者、国民全体がそうであり、人の色恋に過剰に反応しすぎで、それが性犯罪なのか、恋愛なのかを見極める成熟さがない社会なのかも知れません。 

スキャンダルが報じられれば即職を失うから報じた側が悪いという風潮もありますが、即職を失う社会の問題だと思います。 

 

 

・日本は変化が富む環境よりも固定され安定しているシステムを望む傾向が強いので、芸能と言う本来は不安定な仕事でも、固定した事務所から常に人を使うような安定した関係性をテレビ企業などが好むのだろう。しかしそこにこそ「事務所を移る自由」がなくなったり、事務所やテレビ業界の「権力者に服従しないと仕事がもらえない」とような悪癖も生まれるのだろう。 

 

とは言え反me too運動は非常にフランスが成熟した社会だと感じる。相手が知り合いではなく参加者もはっきりしていないミステリーツアーのような、夜のホテルでの飲み会、しかも『女性は無料』となってる夜会に女性がそこにわかって参加したならば、一定のリスクはやはりどちらにもあるのだろう。男女ともお互いに。 

 

 

・テレビ局は全てにおいて壱から番組を作ろうととは思っていない。例のセクシーなんちゃらの件を見ても明らか。既にある物、誰かが造り上げた物を面白おかしく視聴者受けするように作り変える。或いは、お笑いタレントに「ここで盛り上げて下さい。笑いを取って下さい。」と言えば番組の尺が埋まるしそこそこ視聴率も取れる。 

要は、らくなんですよ、今のスタイルが。 

 

 

・吉本興業の旧態依然な姿勢には飽きれる。 

一般の企業と違って人を商品として商売している事情があるとしても、 

迷走する対応は企業としての脆弱性を感じる。 

現段階では事実関係が明確でないとは言え、松本人志を擁護し被害者である 

岩橋を解雇するといった暴挙においてこの会社の倫理性に疑問が出る。 

それは物事の本質を見ていない差別ではないのか? 

 

テレビにおいてこれらの問題は取り上げる事はあるにしても、 

差しさわりの無い表現にとどめている。 

何故なら吉本興業から供給される芸人が番組コンテンツに貢献しているという 

関係性において、断罪できないテレビ業界の悲しい実情があるからだ。 

これはテレビにおけるジャーナリズム精神が棄損され、報道の信頼性を 

損なう要因にもなっていることをテレビ関係者は肝に銘じるべき。 

吉本興業もテレビ局もご都合主義では、最期に大きなしっぺ返しを受ける事になる。 

 

 

・うーん、賭けに例えてるけどさ、その場合松本人志さんはプレイヤーなんだけど女性側はディーラーになってるのが問題なんじゃないか?金持ちの松本さんは大金をチップに変える事で何度でもゲームは出来るけど、ディーラーはゲームをどうとでもコントロール出来る。相手を勝たす事も負かす事もわざとイカサマをさせるように仕向けてゲームから降ろす事も出来る。 

この場合の強者はどっちなのかって話になってしまう。 

もちろん現実の松本人志問題は何が真実かまだ分からないから言いようがないけど。 

 

 

 

・日本の今の状況では、フランスと違って、こういう事で女性にすみませんと謝るだけでは済まない。仕事を辞めて社会から抹殺されるというのが常識になっている。 

フランスは仕事とプライベートは分けて考えるので大統領でも公然と不倫したって辞めなくて良い。 

吉本もテレビ局も稼ぎ手の彼が辞める事になるので会社への影響も大きいし、彼の側に立って信じる気持ちで会社は守るんじゃないですか? 

 

 

・吉本興業は、守るべきは芸人ではなくお客様と、 

考えを改めており、現時点では、松本人志への協力はしないと、 

方向転換していると思います。 

テレビ局も、現時点では、傍観者となり、進行を見守るだけ、 

訴えられた文春は、全力で防戦体制をとり、 

週刊誌が売れて利益に繋がる様にとの思惑も共存して、 

松本人志による高額訴訟の行方を「ネタ」にして、 

テレビも週刊誌もその他の報道やゴシップ系も、 

様子見で、色々な記事で参戦しています。 

日本も、遅ればせながら、フランスに近づいて行く、 

と思います。 

 

 

・世界的に見ても日本は治安がいい 

他の国と比べてルールを守るから 

真面目で法律を守る日本の男性をキモいだの変態などと叩いて、法律を守らない無敵の人や無敵の外国人と結婚するのが今の日本人女性 

真面目な男性ほどハラスメントを警戒して声をかけないからね 

比較的、非正規は女性の方がまだまだ多いから非正規一人身でどうやって生活していくのかな? 

それで行きつく所が失う物が無い無敵の人なんだろうけど、無敵の人を作りまくってどうするつもりなんでしょうね 

 

 

・wikipedia情報なのでどこまで本当かはわからないけど、MeTooを擁護する「フィガロ」紙は右派または中道右派、MeTooを批判する「ル・モンド」紙は中道左派または穏健派というのが面白いな。 

日本でも、MeTooを推進していたような人たちは「自身の考えに同調しないものは敵」という強硬派の印象がある。「女性を典型に当てはめない」はフェミニズムのひとつの目標であったはずなのに、フェミニストが「典型」をつくるのは矛盾しているように見える。 

 

むしろ、時代が進んで、「右派フェミニズム」と「左派フェミニズム」が生まれてしまった、と捉えた方が良いのだろうか。 

例えば、「女性の立場を家庭から社会(仕事)へ」を一本化して推し進めるのが「右派フェミニズム」、「女性は家庭でも社会(仕事)でも好き選べばいい」と自由を宣言するのが「左派フェミニズム」みたいな。 

もう別の名称をとったほうがいい段階かもね。 

 

 

・ギャンブルとは、すごく的を得た考え方だと思う。 

 

そう考えると世の中ギャンブルだらけだ。 

勝つ時もあれば負ける時もある。 

 

負けるのが怖い人はギャンブルに手を出さない。 

 

今回の松本人志の一件は、事実はどうあれ 

こういう事してるとリスクはあるよ! 

といういい例になった。 

 

 

・カトリーヌドヌーヴさんらのmetooへの双方の自由を担保にした穏当な解決策を求める反駁を紹介しつつ、それを賭けという例えに陳腐化することには違和感があります。 

さらに、最後の”もし”から始まる松本さんを非難する文章は自らが想像した仮定の事実と人物を非難糾弾しており公正とは言い難いものがあります。 

まさにドヌーヴさんが批判した人々のやりようです。 

 

 

・カトリーヌ・ドゥヌーヴは1943年産まれだってさ。 

興味ない人間からの性的なアプローチは男女ともに苦痛だってのを思い出した方がいいし、自分達の時代にはそれが当たり前だからこそ「それくらいの事で」とか、弱いのが悪いみたいな発想になるんだろう。 

強さを手に入れた人間の視点だわな。あと、他人の事に興味ない文化ならではの考え方。 

 

記事は壁ドンとか不意のキスとか抱擁を肯定してるけど、自分が嫌な相手にされる視点がたりなくないか?20年上の異性にやられたら男だって嫌だろ。 

 

結局、立場をたてにした関係では、それらは駆け引きになり得ないんだわな。 

アテンド主が、自分がどうやっても逆らえないVIPみたいに紹介して、立場の上下を作ってるんだからな。 

 

 

・不同意性交罪がある以上、双方の思い違いは避けられないので同意形成は確実に行う必要がある。 

すなわち日本伝統の床入りについて時間をかけて教育する必要があり、学校教育では保健等の授業で、それ以外は必須講習を受けさせる必要がある。俗な表現にすると性交免許となるか。免許がなければ無免許性交。 

 

さて、風習的に床入り問答など直接的ではない同意形成も想定しうるが、係争時にそれが認められるかについては議論したのだろうか。 

 

 

・流石、フランス革命の母国フランスだけのことはある。世界で最初に「人権宣言」をぶち上げただけの事はある。 

 

「フランスの「反#MeToo運動」では、男性が女性に「しつこく言い寄る自由」をフランス女優らが主張し始めた」 

 

と書いてある。「反#MeToo運動」やら、「しつこく言い寄る自由」を言い出している。それも女優が言い出しているところが興味深い。 

 

これにフェミニスト運動の女性闘士の皆さんはどう反論するのだろうか。興味深々だ。 

 

確かに、#MeToo運動が行き過ぎているのでは無いかと感じるところはあった。 

 

「#MeToo運動」と「反#MeToo運動」、それぞれ言い分はあるだろう。良い落とし所があると良いがねえ。 

 

それぞれの立場の人って、反対勢力の人の意見を聞いて、議論することは出来るのか。もし、議論できるのなら、一度、ディスカッションして、妥協点を探ってみてはどうか。 

 

 

・なぜマスコミは都合のいい時だけ、外国人を使うのだろう。しかも必ず欧米の方。これが世界基準だ等のだろうか。民主主義の国家は少数であることもほとんど報道はしない。自由ににものが言える国は非常に少ないことも報道しない。哲学者は正義ではない。価値観の押し付けといっていい。裁判を見守るだけでいいんです。 

困惑するのは、こういった印象操作。テレビはテレビの立場があり、繋がっています。それは否定できません。 

とたえば日本人が、フランスで事件が起こり、日本人の感覚で批判すれば、おらぬお世話、黙っておれ、とそれを必ず批判するはずです。 

そこはさまざまな文化の相違があります。 

 

 

 

・松本さんの様に吉本興業やテレビ局が守るのはフランスからしたらおかしく感じるんですね。 

伊東選手の様にサッカー協会もスポンサーも捨てるのが常識なんでしょう、フランスでは伊東選手への対応の方が一般的なんですかね。 

松本さんは民事裁判ですから負けてもそれで終わりだし、後は引退すれば良いだけですが、伊東選手は刑事事件ですから負けたら前科が付きますから、同じか裁判でも雲泥の差ですね。 

 

どちらも人生を賭けた大博打ですね。 

 

 

・吉本とテレビ局は守る?というより一定数の松本さんを支持する層の声がそうさせているのだと思います。松本さんのいない番組は笑いが雑で緊張感がないので見てられません。テレビ離れは確実に起こると思います。少なくともダウンタウンチルドレンは越えられないし、次の世代が出てくるのはダウンタウンの影響がない小学生が大人になった頃だと考えます。ところでフランスでは問題があったとされるサッカー選手が試合に出てました。それとの比較はないのですか。この問題にフランス哲学者が出てくるのはどうでしょうか。日々の活動で発言して注目を浴びてください。 

 

 

・多くのテレビ番組が「お笑い芸人」に頼っている(というか支配されている)のが日本の現状。なかなか他国の人には理解できないでしょうね。まぁ、かなり特殊なガラパゴス文化であることは間違いない。 

 

 

・簡単に言えば仏ではどんな時も個人が勝つ。不祥事を起こしても事務所側は介入せず個人で尻拭いをする。どんな大物でも責任は全て個人。一方日本は全て組織の中で行動し個人より組織を重視される。その組織も大物の重鎮を援護をし末端は切り捨てられる。責任は大物の重鎮は組織が擁護をしてくれるが、末端は見捨てられ自分で尻拭い。 

 

日本の社会は強者や権力者だけが得をする。ギャラも事務所の取り分が多いしね。芸能界だけではなく日本は弱者にはとことん厳しい。どんな人でも等しく平等な仏の方が人権意識が高い。そういう意味では日本の方が『腐った社会』に違いない。 

 

 

・フランスだけでなく欧米の感覚ではこういうの困惑するでしょ。 

日本人だけでなく極東アジア人の社会的地位のある人間は 

違法行為もお目こぼししないといけないって風潮はいつまでも消えない。 

適正な法律運用が国を順調に動かすって概念が鈍い。 

 

だから国会議員も官僚も自分たちは守る気もない 

もしくは自分たちは理解できる抜け穴のある法律ばかり作る。 

 

 

・結局個人間の問題だと思う。メディアやマスコミが公開処刑してるような感じ。個人間で解決するべきで法廷で解決ならその間はスポンサーもテレビ局も冷静になって結果が出るまでは通常通り放送するべき。テレビの技術も進歩しているのだからキーワードを入れたら視聴拒否機能を搭載したら?現実に見たい、見たく無いがしっかりと反映されるわけだからテレビ局やスポンサーも判断し易いと思う。今の段階でまっちゃんに拒否反応しているのって話題に上がるほどそんなにいないと思うけどな。コメント住人だけで炎上してるだけみたいだけど。 

 

 

・吉本は民放各局の株を持っている。その吉本を今の様な大きな事務所になったきっかけは松本さんと言う構図はフランスのメディアには理解出来ないと思う。忖度なんだよ。日本人って忖度大好きだから。 

 

 

・日本社会は価値観の多様性に欠ける。今MeToo運動が遅ればせながら少しずつ波及してきたことを感じるが、コメント欄を見てもわかるように拒絶反応、相手へのディスり(頭がおかしい)などの誹謗中傷に変えてしまう。 

社会が変わるキッカケになれば良いが、世代が交代するのを待つしか無いかもしれない 

 

 

・法律面で男性に厳しい社会というのは、裏を返せばそれだけ深刻な犯罪が多い国、つまり不幸な国とも言えるのでは?フランスの犯罪発生率は日本の13倍ほどです。 

 

周囲の仲間が守ろうとするのは当然です。そうでない場合というのは見たことないし、おそらくフランスだって例外じゃないと思う。ただ、守り方が日本と違うということはあるかもしれない。水面下交渉を使う手もありますからね。こういう見えないとこで行われる駆け引きの類は基本的に「何でもあり」ですから、公に守ろうとできる日本の方がまだマシと言えるかも。 

 

 

・古くから、師匠と弟子は親子的な 

関係を築いていた。 

 

その延長線上に、吉本興業と松本さん、 

吉本興業とテレビ局の関係があるのだと思う。 

 

可愛い子供、という歳でもないけど 

まさに、子供を守るかのように 

反射的に事務所が取った行動ということ 

なんだと思います。 

 

 

 

・ジャニーズに関しては、元々男性側にアンチが多かったせいで排除の気運が高まったが、松本人志(吉本)の方は、その男性側(あと関西人)が同情的に見ることが多いので、ジャニーズの時と比べて、いまだにマスコミや世論に擁護論が根強く残ってる。 

 

 

・「インフォームド・コンセント」(説明と同意) 

 

これ、30年以上前に医療の現場で、医者と患者との間で行うべきこと、 

って言われてたことなんだけど、当時からこの日本語訳が気に食わない。 

 

正確に訳すと「説明をすることによって得られた同意」なんだから、 

説明するだけでは同意を得られるとは限らないので、 

「説明と同意」だと、少し言葉が足りないし、 

そもそも「つまり説明って言葉と同じ意味なんだな」って勘違いされそう。 

 

 

・「性愛にギャンブルのは要素は不可欠だ」 

松本さんの場合 性愛じゃなくて性欲でしょう 

既婚者が初対面の女性をホテルに集めてやる飲み会に愛はないですよ 

自分の性欲を満たすためにしていたギャンブルに負けた それだけのこと 

テレビのレギュラー番組7本 CMで企業の広告塔をしているトップタレントであり妻子持ちがやるような 

ギャンブルじゃないよ 

 

 

・「実るほど、頭を垂れる稲穂かな」 

 

日本は権力を持った人に対して、弱腰になるように感じます。 

今回の件も、松本氏が、吉本の名もない芸人さんなら、成り立たなかった事ではないでしょうか。 

権力や力を持った方には、自分を律することも、お願いしたです。 

 

 

・「なぜ吉本とテレビ局は松本を守る」ですが、欧米では守るのはあくまでも攻撃される本人とその仲間(エージェンシーや弁護士など)です。 

だって、これはもともと吉本といったような機関は向こうになく、そういった存在自体が理解に苦しむのでしょう。 

吉本が欧米におけるエージェンシーに該当するのであれば、守るのは当たり前(松本さんが正しいとか正しくないとかそういったものでなく、弁護士が社会倫理に反するようなことでも仕事となれば弁護するようなもの)となりますけどね。 

 

マスコミは、また日本のマスコミの画一性や成り立ちなど、あちらと違うとこありますから、・・・ジャニーズのときみたいに弱きとなれば圧倒的に攻めてくるでしょう。 

 

 

・芸能とスポーツは今やテレビ局の命綱だから、守るのは当たり前。 

守らざるを得ないほど、テレビ局が追い込まれている証でもある。 

ただ、テレビ局は許しても、スポンサは許してくれないことを 

肝に銘じておくべき。 

 

 

・事実かどうか分からない以上、当事者以外が口出す必要は無い。その上でテレビに出ていないのだからテレビ局の対応は静観が正しいと思う。事実が認定されれば盛大に批判すればいい。 

 

 

・そもそも日本とフランスは、男女平等の概念も違うし、男性の意識どころか女性の意識も違う。 

なのでフランスが「なぜ?」と言われても「おたくとは違うんだから仕方ない」としか言いようがない。 

とは言え、面白い記事ではあった。 

 

 

・>世界的な#MeToo運動が日本で拡大するまでには時間を要した。 

 

嫌なのは「アプローチするのは常に男性側(女性側だけが男性のアプローチに難癖つけられる)」「男性だけが加害対象(女性は常に被害者)」という植え付けが行われている点。 

例えば野口五郎さんがアイドル時代に女性ファンが勝手に自宅アパートに入ってきてたって話してた。女性側にもそういうおかしい人っているし、女性側からアプローチするケースもあるはずで、それで困っている男性だっているはず。 

それに性加害は少ないかもしれないけど、女子のいじめとか普通にあるからね。「#学生時代に女子にいじめられた経験のある男子集まれ」って#MeToo運動やったらそれなりのムーブメントになるはず。私はいじめ以上にいじめがつらくて早退しようとしてるときに、ある女子から「また帰るんだ」って心無い嫌味を言われたことが一番心に残ってる。ひどい女子なんていっぱいいる。 

 

 

・なぜ守るのか? 

 

それは、吉本の株主がテレビ局だから。そのテレビ局の株主は新聞社と出版社だから。その新聞社と出版社は、同族経営で世襲経営者同士の馴れ合いの業界だから。文藝春秋が報道できるのは同族経営でないから。 

 

欧米では制限、禁止されているメディアのクロスオーナーシップ(相互所有)が日本では堂々と成立しているから。 

 

 

 

・世界で報道されてるから退くに退けないんですね。謝ってお金あげてさっさと復活したらいいのに。と、思てたけど、海外の目から見ると、認めたことになるから、犯罪者扱いなんですね。 

世界でこのような報道に名前が出てしまった俳優やコメディアンで、名誉回復された前例はあるのでしょうか? 

 

 

・カトリーヌ・ドヌーヴに「あなた素敵じゃないわね」と言われたら、松本だって引き下がるだろうけど、今回問題なのは相手がカトリーヌ・ドヌーヴじゃないってとこだからなぁ…。カトリーヌ・ドヌーヴじゃなくても引き下がらなくちゃいけないんだけど、それが出来ないから問題になるんであって…。 

 

 

・3年半も取材に時間かけて、訴えもしないで週刊誌にだけ告白してるけど、精神的損害の補填をしてほしいとは一言も言ってない。 

テレビに出て活動してるのが嫌なら、松本氏は活動休止したし、連日テレビで好き勝手言われ放題で復帰は無理そうだし、女性側はこれ以上何を求めているのかわからないよね。 

告白する側が何が目的なのか、解決する気あるのか言わないとわからないわ。 

文春はただ売れればいいから女性を利用して記事だしただけみたいで無責任。 

仏メディアはお金で解決だと思ってるから、さっさと交渉して金払えばいいって意見なのかな。 

 

 

・今回の松本人志と榊英雄との違いがわからない 

むしろ松本のほうが被害者おおいんじゃないかな 

 

我々一般人だって松本のように特別扱いはしてくれない 

 

法治国家なら同じ基準で同じように裁いてほしい 

 

 

・真相はまだ何もわかってない、まだ文春側の創作の可能性もゼロではない状態、フランスが言うなら、伊東純也が日本では代表外れたのに、フランスのチームでお咎め無しで出場してるのは理屈通らないよね、松本人志を自分たちが知らないから、そう思うのかも。 

まぁ、本当に潔白なら松本側もコメント出すなり、会見開くなりするべきだったんだろうが、裁判前に一切やらずに身を引いたのがまずかったかも。 

 

 

・この媒体は、フランスでも少し偏ってるのだろうか?松ちゃんは性加害の疑惑であり、これはサッカー日本代表の伊東純也選手と同じである。フランスでは伊東選手は推定無罪で責められておらず、社会的制裁もない。更にこの国ではプライベートには大きく関与しないようで、大統領の不倫の時も大きなスキャンダルにならなかった。なのに遠く日本の松ちゃんの疑惑を取り上げるのは少し偏向気味だと思う。まあ日本のメディアが松本批判をしたいが為にフランスのマイノリティな記事を引用したのだろうね。 

 

 

・男であれ、女であれ、過去に他人に不快な思いをさせずに生きてきた人間がいるのだろうか? 

単なる気分で人の過去をほじくり返し、あら探しをして社会的葬り去ることが正当化される社会は健全だろうか? 

そのあたりを哲学者らしく深掘りしてほしかった。残念。 

 

 

・非常に興味深い分析、またフランスらしい考え方。 

 

>彼が〝賭け〟に負けたのではないか。そうであるなら、彼ができることは 

>ただひとつ、その場で女性にひたすら赦しを乞うしかない。 

 

誰が考えてもそうなんだけど、その局面で堂々と逆ギレするのが、 

松本人志と吉本興業の異常性だよね。自浄能力は全く期待できないので、 

これはもう、外部からの力で徹底的に事実を暴いていくしか無い。 

 

 

・なるほどね。松本人志は1人で責任取らされててそれはいいんだけど、吉本興業が当初やろうとしていた松本保護っていうのをもっと責めるべきだと。 

あれが芸能人による性加害の温床になってるんじゃないかって説ね。 

吉本興業ぐらいでしょ、強権的に所属タレントを守ろうとする芸能事務所は。 

よくおぼえてないけどジャニーズ事務所もそういうことはやってなかったと思う。 

 

 

・まあ、いくら儲けさせてくれたと言えど、いらない仁義。 

それも気になるが、ゴシップを書いた週刊誌が訴えられるってのも変な感じ 

訴えるならば、女性を訴えるべきですよね。 そこからして摩訶不思議。 

最近、一部の芸能人が、誹謗中傷や名誉棄損だとか騒ぎたててるけど、ゴシップもまともに週刊誌が、報道できなくなるような判決だけは避けて欲しい。 

ノックで学んで、たち悪いようにしか思えない。 

 

 

 

・学校のエレベーター内で壁ドンされてとてもこわい思いをした事がある。海外なら考え方によっては暴力になるって新鮮。 

 

この人、お金持ちで留年の常習。学校がある意味とても大事にしている人だと言われた…だからか態度がとても横柄だった(白人男性で自国だと王子らしく 

 

学校側(日本校)はビジネス。吉本とテレビ局が有名人の松本さんを守る構図に似ている 

 

 

・各TV局が出資して芸人供給を丸投げしてる吉本。 

TV局、吉本は稼げる芸人を擁護するのは当然だろう。 

TV局、吉本は堅気の商売ではないし、売れっ子のベテラン芸人は殿様扱い。 

芸人なんてもともと素性の良い奴なんかいないからね。 

週刊誌も下種な商売だが、時々、図に乗ってるタレント、事務所、TV局に冷や水を浴びせてやって欲しい 

 

 

・テレビ局は松本興業の株式保有してる。 

いわば利害関係人。 

 

自分とこが損失出してまでもってジャーナリズム発揮するわけない。 

 

日本のマスコミが閉鎖的なのは政治的な圧力より、 

マスコミ各社の利権によるところが大きいはず。 

 

ゆがんでる。 

 

 

・ギャンブルとは面白い表現だと思う、そもそも人生はギャンブルみたいなものの連続なのでギャンブルとして例えると理不尽な事でもすんなり受け入れやすい。 

 

 

・フランスが謎なのはどうでもいいが、問題はテレビの忖度だ。最初吉本が松本をかばっていた時は数々のコメンテーターが女性側の一方的主張と言い文春が次々と反撃記事を載せると吉本も社内調査すると態度を変えた。するとTVも途端に反松本に翻る。 

一体ジャニーズ問題の何を反省したのか、もっと言えば統一教会の問題も把握していたはずなのに反省する事もなく連日追求。盗人猛々しいとはこの事ではないか。 

今度それで吉本が大人しくっなると次はホリプロあたりに忖度をするのだろう。ウンザリする。 

が、前は大手として弱小を潰すイメージで好きではなかったが、吉本や旧ジャニーズが出過ぎてホリプロの方がマシなんじゃないかとさえ思えてくる。 

いずれにしてもパワハラだセクハラだと報じるTVが一番それをやっているのは皮肉だ。 

 

法律を教えたり経営学を教えているのに職員には労働法違反し経営失敗で潰れる大学も皮肉だが。 

 

 

・フランスがどうかは別にして、日本もいろいろ変えていかないといけない。 

頭の古い方々へ 

他人なら、1メートル以上近づかない。 

叱咤、激励はほどほどに。 

酒を飲む会なら、事前にアンケートとって。 

このくらいの気持ちでやらないと、気づかないうちに、モラハラ、パワハラなどやらかしてます。 

 

 

・火のないところに煙は立たない。松本はこれまでの言動を考えれば、限りなく黒。弁明さえできない状況だと思う。若手タレントの不始末をもみ消してきた元ジャニーズのようにことをし続けると痛いしっぺ返しに合うよ。松本はそれほど価値がある芸能人ではないし、くぁりはいくらでもいる。それほど芸がないの芸能人だから、とっとと吉本は切ったら良い。 

 

 

・フランスにはフランスの事情があるというだけの事です。良いとか悪いとか、、進んでるとか、ましてやお手本にするべきとかいう話ではありません。 

日本のメデイア自身が女性の人権問題では全く時代遅れだと思います、ジャニーズの事件で見たくも無い舞台裏を見せられて、1ミリも信用ならない集団だという事がよく分かりました。 

 

 

・>>フランス哲学者の福田肇氏は「フランスでは、芸能事務所が所属タレントを吉本興業のように庇護することはない」という  

 

フランスの芸能事務所の形態がよくわからないけれど、タレントが所属マネジメント契約じゃなくエージェント契約なら、芸能事務所はノータッチでしょうね。 

そのあたりフランスの芸能界がよくわからないのですね。  

 

吉本は「個人の裁判です」とアナウンスしてるので、ノータッチというスタンスに軌道修正してますけれどね。 

 

 

・フランスでもジェラール・ドパルデューが松本人志と同様に、立場の弱い若い女性への性加害で窮地に追いこまれている。日本的なのは吉本とテレビ局の松本への媚び諂い振りに思える。松本はこの件の最初から悪手を打ち続けていて、同じく文春砲を喰らった榊英雄同様に逮捕されるかもしれない。自我の肥大化が尋常ではないように思う。そこまで怪物化させたのは吉本とテレビ局だろう。 

 

 

 

・テレビ局の松本の庇い方は異常だね。 

何を恐れているのか知らないが、常に松本サイドに対する忖度が感じられる。 

はっきり指摘すべき事を指摘しない。 

何か奥歯にものが挟まったような表現で公然と批判するのを躊躇う。 

結局ジャニーズの時とやってることは同じ。 

テレビ局のこの利益優先の卑屈な忖度体質は何時まで経っても変わらないね。 

 

 

・まぁ言ってしまえば個人の考え方だから、人それぞれ。 

共感できるかできないかそれだけ。 

 

大人の男女なんて色々あるんだから、圧力かけたり、暴行して無理矢理、とかじゃ無かったら個人で解決するのが当たり前じゃ無ないのかねぇ? 

 

これからの若者は怖くて恋愛出来なくなっちゃうよ、特に男がね。 

 

 

・一部の人の傲慢さの問題だけど、比べると日本のダメな所が見えてくるなぁ。 

「賭けに負けた」分かりやすい解釈だ。 

むしろ、ほとんど後輩達にお膳立てさせて、ちゃんと女性と向き合って勝負したのかも怪しいけどなぁ。 

 

 

・「芸能事務所」という名の擬似家族の過保護のもとで醸成された救いがたい幼児性だといわなければならない←これな 

 

口説きの過程が、後輩がアテンドしてもらって場所はホテルでしかも携帯没収って…野暮の極み 

 

松本人志の事実無根もだけど、たむけんもズレてる。「楽しい飲み会しただけ」とオッサンが言ってしまってることが醸成された救いがたい幼児性なのです 

 

「僕からしたら『そやろな』という感じで驚きは全くなかったです。芸人の間ではまっちゃんが女好きで、女遊びも活発だったのは有名でしたからね。松本信者の僕でも擁護できないですよ」←元ケンコバ相方の言葉が当たり前です 

 

 

・〉女性たちを自分に差し出された当然の〝貢物〟くらいにしか認識していない 

 

これはまさしく文字通り当たっているのではないかと思う。 

実際に取り巻きの芸人達から女性上納システムで「松ちゃんのことが一番好きって言ってましたよ」と言われ、松ちゃんは貢がれた女性達が自分を拒むはずがない、位に考えていたのでは? 

裏では芸人達が女性達を脅して貢いでいたわけだけど。 

 

 

・当然、男性が女性に言い寄る自由はあるでしょ。松本氏の件は半ば脅迫的な状況に追い込んだうえで迫ったのが問題なのであって、女性から拒否されたら逆ギレせずに「そうか、ごめんね」と謝って引き下がればよかっただけ。 

 

 

・「もし松本が、事務所の全能性のもとで、みずからの行為についてみずからが背負うかもしれぬ〝賭け〟のリスクすら考慮に入れておらず、女性たちを自分に差し出された当然の〝貢物〟くらいにしか認識していないほど尊大だったのだとすれば、それは、「芸能事務所」という名の擬似家族の過保護のもとで醸成された救いがたい幼児性だといわなければならない。」 

まったくその通りいだ。 

しっかりとした思想と思考に基づいてる。 

それに比べて、日本のメディアの醜さは何なのだろう? 

 

 

・好きな人と路上で会ったら「運命の出遭い」、嫌いな人なら「ストーカー」 

この一文が全てだね。 

性愛、恋愛はギャンブル要素も分かるな~声を掛けない限りは賭けに勝てない訳で。 

今回の松本人志さんの件で凄く自分が感じるのは賭けを楽しんでた節もあって、けど安全な所から名誉やお金のリスクを負わない感じがするのが心証が悪いのかも。 

安い遊びをした付けなのかもね。 

 

 

・出羽守をするのはかまわないが、フランスは君主制を廃止した社会民主主義であり日本とはあらゆる点で異なる国家だ。 

参考にするにはかなり優先度の低い国であり、これだけ出されてもこちらが困惑だ。 

 

 

・どうやったら守ってるように見えるのかわからない 

フランスとは性に対しての土壌からして違うし髪を切った?だけでセクハラ認定する国でピラミッドの頂点だけ切り取って指摘してくるのもおかしいし 

遊んただのに後で気まぐれで社会的に大ダメージを負わせるやり口が通るのが一番の問題 

 

そもそもフランスにタレントだらけのワイドショーとかあんの? 

報道番組がほとんどワイドショーしかないってあんの? 

 

 

 

・自分が、やんわりと思っていたこと。 

大抵男性からベッドに誘ったりするよね。  

それ自体は悪くないんだよね。 

ただ、断ったら(断られたら)それで終わりってもんでもないんだな。 

「ベッドに誘われたわ!!!」って叫ばれてしまうのが今なのか、、、、。 

そして「ベッドを断ったら態度が冷たくなって傷ついた!怖かった!」とかも言われるのか、、、。 

うーん、自分も似たような経験はあるからな。芸能人と絡んではないけど。 

 

誰かも前に書いていたけど、松ちゃんと嫁さんの出会いも、きっかけはそういう飲み会だったかもね。あまり売れていないお天気リポーターさんだったっけ? 

顔がもろ松ちゃんの好みのタイプで呼ばれたかんじだよね笑。 

たまたま恋愛に発展し結婚をしたけど。 

 

 

・伊東さんの所属する フランスのスタッド・ランスは推定無罪として扱ってますがねぇ。 

 

ならば 何度も名誉棄損で負けているメディアをメディアが守ってるの? 

結局 同業を潰せば自分たちもおまんま食えなくなるからだろ? 

 

こういう事記事にして、自分たちは偉いとでも言いたいのかね。 

 

 

・まあばったり出くわさないように目を伏せて歩けば通報は免れるというのが自分が出来る最良のアドバイス。 

 

 

・吉本もテレビ局も仲間で同罪だからです。 

松本さんが糾弾される様ならさらに他の芸人やテレビ局自体も同じ様な事案が続々と出て収拾が出来なくなるからです。 

 

 

・『「芸能事務所」という名の擬似家族の過保護のもとで醸成された救いがたい幼児性だといわなければならない。』って、松本さんだけでなく、大体の吉本芸人はそうでしょ。擁護のコメントを見ているだけでもよく分かるよ。 

 

 

・>幸運にも〝運命の王子様〟なる登場人物として組み込まれようが、 

 

興味もない女(男)から、勝手に”運命の王子様(お姫様)”扱いされるのも当人にとっては不幸でしかないんだが。 

 

なんだか「どんな女性からでも好かれた男性は幸せに思う」というジェンダー的な決めつけに満ちた文章だよね。 

 

 

・先日の榊逮捕を報じたアメリカの記事でも 

日本に於ける#MeTooの遅れは指摘されていたが その主たる原因は 

「タレントを守ろうとする芸能事務所、芸能事務所に忖度するテレビ局」 

榊も松本も文春がやってるのは同じ#MeTooで変わりないのだが 

松本に限って反#MeTooや週刊誌批判的な意見が出てくる 

だからもう海外にはバレてるのよ  

ジャニーズが社名変えたところでテレビマスコミ何にも変わってないって 

吉本もおかしいってフランスのお墨付きもらったな 

 

 

・それなら被害届だして法的に裁いてもらうほうが法的国家として当たり前だとおもうが。 

 

二次被害をゆうから伊東の被害者はすでに顔バレされてるんだから週刊誌より警察ほうがとはおもうが。 

 

 

・ギャンブルねぇ・・・確かに言い得て妙。 

ギャンブルは2者では成立しない、ギャンブラーとディーラーそして胴元。 

胴元が勝敗を決定するゲームはギャンブルでは無い。 

そりゃパチンコだ、あれはギャンブルじゃ無いからな。 

 

松本が文春を訴えてる時点で今回の話は状況を呑み込めてないトンチンカンな例えであり実際はこの哲学者が疑問に思っているように男女の問題では無い。 

もっと醜悪なまでに下劣な争い。 

 

 

・日本人同士の問題に対し、フランスでは云々と言われてもいまいちピンとこない。今現状が日本社会の受け止め方であり、今後の裁判においてもフランスでは~とか言っても相手にされないでしょ。 

 

 

 

 
 

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