( 143207 )  2024/02/26 13:54:19  
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(まとめ) 

日本の大学教育や学習環境に関する意見や懸念が多くありますが、主な傾向としては以下の点が挙げられます。

 

 

1. 大学教育の厳しさと学生の努力 

- 日本の大学では、学生が常に課題に追われるほど厳しい環境がある。

 

- 学業に全力を注ぐことが卒業後の専門性向上につながるという考え方もある。

 

 

2. 日本の教育システムと学習 

- 日本の高等教育は、「なぜ?」という疑問を持つよりも、「そういうものだ」という思考停止を受け入れることに慣らされていると指摘されている。

 

- 学校教育では基礎学力が身につくものの、それを応用する能力が育たないとの指摘がある。

 

 

3. 大学入学後のモチベーション 

- 大学に入学した後は、モチベーションを維持することが難しくなるという意見があり、勉強を続けるためには環境改善が必要との指摘もある。

 

- 理系学部では勉強量や専門性に厳しさがあるが、文系学部や全入の大学などでの勉強の甘さについても懸念の声が挙がっている。

 

 

4. 専門性と社会での評価 

- 大学や専門知識を持つことが、職場での評価や活かし方に影響する環境が整っていないという指摘がある。

 

- 日本の企業や社会が、専門性や能力を真価に評価する仕組みが不十分であるという指摘もある。

 

 

5. 学習意欲や学習環境の改善 

- 学習意欲を高めるためには、楽しく学べる環境や個性豊かな教員を増やすことが重要との意見がある。

 

- 社会全体での学び直しや成長の重要性を認識し、継続的な学習の必要性が指摘されている。

 

 

日本の教育や学習環境には課題や懸念が見受けられる一方で、将来に向けた改善や挑戦の必要性も示唆されています。

( 143209 )  2024/02/26 13:54:19  
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・学生時代にイギリスの大学に少しだけ在籍したが、イギリスの大学がいかに厳しいか実感した。講義に出れば必ずといって良いほど課題が出るし、その課題も一日で終わらせることができるかできないかというギリギリのライン、しかも課題を提出できなければ単位は貰えない。毎日がこんな調子なので遊ぶとかバイトとかは土日ぐらいしかない。いや、下手したら週末に向けて課題を増やされて土日も潰れかねない。 

そのぐらい勉強するからこそ、卒業時には立派にその分野のエキスパートとして成長する。企業は実務経験ではなく、その専門性を評価する。 

日本企業は従来その専門性を仕事の中で養う前提だったのだろうが今やその余力やノウハウがなく、学生のレベルを引き上げることができていないのが現状だと思う。海外と渡り合うには社会構造も海外に合わせないと厳しいと思うがいかがだろうか。 

 

 

・日本は高等教育の内容が問題だね。単なる知識でなく思考を問うようにしなければいけない。借りてきた答えでなく、自分の思考回路を通した意見や見解を持たせないといけないがそうなっていない。 

だから、日本で優秀な若者が欧米の大学に留学しても「A」評価をなかなか獲れない。とても勤勉なのに。 

 

なお、根本的問題は、日本人は小さい頃から「なぜ?」という疑問を持たず、「そういうものだ」という思考停止を受け入れることに慣らされている。それを変えなければいけない。 

 

 

・高校までは偏差値の高い大学に入学する為に全力で勉強するけど、大学入学ゴールになってしまうとそこから先はモチベーションのキープも難しいね。就職も出身大学=その人の学力として見なされるから大学の成績なんて見られないし。自分も高専に通ってたけど、中3がピークみたいな人多かったね。中学までは相当優秀だけど、高専は大学並みに自由が与えられるし、5年もあるから自律心が強くないとだれてしまう。3割くらい大学に編入する人もいるけど、センター試験とかもないし、普通高校の人と比べると勉強時間も少ないかなと思う。余程酷くないと留年とかもないし。高校や中学がピークにならないようにするには、入り口をもっと緩くして、卒業を難しくしてガンガン落とす方が良いのかな。 

 

 

・理系の学部だと、勉強しないと当然のように単位が取れず留年するという認識です。私自身も、常にこの単位は必須且つ教授もドライという教科があり、毎回のテストは緊張感があったことを覚えています。 

その理系の割合が少ないということと、勉強しなくても卒業できる文系学部や、そもそも卒業のハードルが低い全入の大学を何とかするべきだと考えます。 

大学は勉強や研究をする機関なので、勉強しなくても卒業できるシステムが間違っています。文科省がしっかりと審査を行い、機能不全の大学は大学運営の資格を取り消すようにし、大学としての教育機能を取り戻すべきだと思います。 

 

 

・新入社員の頃「頭でっかちではねえ」という先輩社員が数多くいた。記事の通り、大学や大学院で学んだ専門知識を評価しないどころか、煙たがる環境は今も職場にあるだろう。尤も研究部署は多少はマシだったが。 

確かに大学とかの専門知識だけで仕事を回せる訳ではない。しかし、貴重な能力を職場でどうやって活かせば良いかはもっと踏み込んでも良いと思う。 

 

 

・偏差値73の高学歴大学卒ですが、社会で働き出してからようやく思考することを学んだと思う。いま53歳ですが、仕事の中で考えることが日々となって、毎日、何故、なんで、どうして、と考えているうちに、歴史や数字、哲学にも深く掘り下げて考えるようになってきたと思う。本来なら大学時代にやっておけば、社会でもうすこし苦労しなくてもすんだのかもとも思う。知的好奇心は大事だと実感してます。 

 

 

・日本の教育システムで育てられるのは、基礎学力はあるけど、それを応用する力がない人ということだと思う。 

 

受け身でも基礎学力はつくけど、それを社会に還元するかを考える力は育っていないから、社会人になったあとの能力が最低になるのだと思う。 

 

私は学習指導要領に沿って、大学院まで出たけど、社会で変革を起こす力はつかなかったなと自覚した。 

 

自分の子は、社会で使える力をつけるというのを意識しながら育ててるのだけど、トップクラスの学校に進学させてみると、九割型、教え込まれた秀才ばかり。自分の頭で工夫してその位置にいる子は一割にも満たないことを感じた。 

彼らは上位大学に行くだろうと予想はできるけど、多くの子は、その先は言われたことを律儀にできるだけの人になるだろうと感じる。 

 

学校で、自分で考えさせるように時間を取っても、学校を否定し、塾で詰め込みに行かせる親がいる限り、この流れは変わらないと思う。 

 

 

・この件はその通りと思います。会社の基本給与に影響するのは、高卒か大卒と正社員か非正規の2つくらいです。資格が有っても昇進しても給与が増える訳でもなく、良くて微々たる手当てが付くだけ。 

これが旧体制の終身雇用ならまだマシでしたが、終身雇用が崩れてしまい更に悪循環です。 

給与を手っ取り早く増やすには残業して勤務時間を増やすのが一番となるため、勉強はしなくなるでしょうね。 

 

 

・野口先生の仰るとおりで大学と企業の仕組みを根本から変えないとデジタル化は進まないと思います。海外の大学のように入学を簡単にし卒業を難しくすれば良いのではないかと思います。政府や今後ユニコーン企業やスタートアップ企業を増やすために予算を計上するといっていますが、それに向かう学生を今の大学教育で担保できるかといったらNoだと思います。英語含め第二外国語の修得、財務会計、会社法など経営やコミュニケーションで必要なことを優先的に学ばないとならないと思います。 

 

 

・長時間労働で学び直しの時間が無いことも理由の一つだと思うが、その根本原因は解雇規制が厳しいことだと思う。 

解雇規制が厳しいと仕事や利益が減った時の解雇も難しいから、不況時に解雇しなくて良い少人数で通常は長時間労働になりやすく、勉強時間が確保し難い。また、逆に勉強しなくて能力が低いままでも解雇されにくいってのもあるでしょう。解雇されにくい事により雇用流動性も低く、一旦会社を待って止めて大学などで学び直して新たな資格を手に転職もし難い。 

 

 

 

・様々な企業で働いてきましたが、 

年次が重なるにつれて、勉強しなくなる人を大勢見てきました。 

 

社外の研修に自費で参加しており、そこで得た知見を伝えても、特に評価はされません。 

 

これでは、野心ある他国のビジネスパーソンに抜かれるのもしょうがないのではないでしょうか。 

 

むしろ、問題を抱えている公立の小中の先生方の自主的な勉強会の活性ぶりは素晴らしいと思っています。 

 

 

・大学卒業条件を厳しくする必要があるのはもう数十年前からの課題でした。 

割り算できないような人は申し訳ないが大学に入る必要ありません。 

また、大学で何の知識も得られなかった学生は卒業させないで退学とすれば良いだけです。 

これはすべての大学が行うことにより、どこどこの大学卒業しましただけでは優劣が決まらなくなり、学生の専門性やそれぞれのリテラシーも英米のレベルに追いつけるはずです。いや、追い越せるはずです。 

ここから、日本がまた復活する唯一の取り組みです。 

一生懸命勉強して入った東大や京大でもやっと数十番目の状況。 

早慶に至っては数百位のレベル。とても世界で胸を張れませんね。 

 

 

・歴史が好きで、時代小説を読んだり、歴史物のドキュメンタリー番組を見たりしますが、中学・高校で習った事を思い返してみると、人物や年代など単語では思い出せるが、歴史の事件の原因や背景は思い出せません。 

やっぱり暗記と詰め込みの教育だったんだと思います。 

 

 

・優良企業は違うと思いますが、多くの日本のサラリーマンにとって必要な能力はMBAで学ぶことでもなく、法律を学ぶことでもなく、社内の状況を察知し狭い関係の中で人脈を築くことが大事なのではないでしょうか。 

そのため「勉強」する必要性も動機も小さいかえあだと思います。 

 

 

・PISAは、一般的な15歳の学力を計測するのに、論文数は、高等教育に携わる一部の方の実績を計測するものと、判断基準が違うので、相関は弱いのではないでしょうか…OECD加盟国で年代別のPISAのような学力を計測する仕組みがあると面白そうです。 

 

 

・大学入試の制度に問題があると私は思います。高校までは文系理系で学ぶ科目などの違いは多少あれどある程度学ぶことはみなさん同じです。しかし大学に入ると入る学部によって習うことが全然違いますから。大学のネームバリューだけで入ってしまい実際にそこで何を学ぶかを知らないまま入ってしまうと後悔するケースが多いみたいですね。大学側が新入生にこの学部に入るのなら最低限これは学んで欲しい内容をオンラインで講義して、その内容から大学入試として問題に出してそれを配点に加える形にしたらいいんだと思います。そしたら自分は本当にその学部に進むべき人間なのか考えられるきっかけにもなると思います。みなさんいかが思われますか? 

 

 

・日本は見えないものに対しての評価がめちゃくちゃ低いと感じています。職人といわれる技術を持ってる人が色んな産業を裏で支えていても駒扱いできているので、大学に行ってまで専門性を身に着けようと努力したところで…と言う社会なのだと思います。レベルの高い大学に入ってあとはコミュニケーション能力が高ければ専門的な知識や技術がある人よりも稼げる社会形態なので大学生になるとバイトをして繋がりを作ったりサークルに入って繋がりを作ったりとコミュニケーション面での努力にシフトしてるんだと思ってます。 

大学で勉強に力を入れさせたいのであれば、専門的な知識や技術を持ってる人のが社会的地位が高く給料良くならなければ無理なのでしょう。 

 

 

・推薦入学が半分くらい占めるとか。 

一般入試が良いとは思わないが、全員が大学に入学しなくていいのではないか。 

職業訓練を増やしていろんな職業を紹介するとか、今よく言われているリスキリングをしやすくするなど、将来的安定した人生が送れるように導くのも大事かなと思う。 

 

 

・私のケースの場合は、明確なビジョンが無くただ言われるままに勉強していましたが、授業より先に進んでも授業時間がつまらなくなり、次第に勉強への興味を失ってしまいました。 

そのタイミングで新しく打ち込めるものを見つけそっちにシフトした結果、勉強しなくなり学力は上の中から下の中くらいまで落ちました。 

(当時は、多少遅れてもすぐに取り戻せば良いくらいの感覚でした) 

 

幸い、勉強からシフト新しいもので多少は結果を残せたので失敗ではありませんでしたが、あくまで結果論です。 

 

これからの子どもたちには頭を慣らす教育より飛び級やカリキュラム毎の先取りなど伸ばせるところを伸ばす教育にシフトし、選択肢が広がると良いなと思いますが、まだまだ難しいでしょうね。 

 

 

・大学の授業はそれまでの受験テクニックで来た学生は壁に当たる。問題の本質を理解せずに暗記中心で来たから。だからついていけない。この受験型勉強法がいけないし、大学に入ることが目的になってるからだ。社会人になって学ぶ事がはるかに多いし、世界有名企業は探究心もってめちゃくちゃ勉強してるぞ。そうでないと放出されるからだ。学生もアルバイトしてる暇なんか無い位ハードルが高い。卒業が難しいのだ。 

 

 

 

・野口さんも昔の知見で話すひとになってしまったなと感じます。 

 

ここ数年、現役大学生と話すことがまた増えているのだけれど、授業内容はイメージとしてよく語られる「ジジイが自著を朗読しているだけの巨大階段教室」みたいなものはほとんどなく、小規模教室で課題をがっちり設定し、やらなければ容赦なく落とされるなかなか厳しくもクリエイティブな場になってきているなと実感します。僕が話す子たちは理系の子が多いので、文系学部ではまたちがうのかもしれませんが。 

 

教育はどんどんかわっていっているけれど、語る人は「かつて自分が受けた」つまり「20年も30年も前の」教育をイメージして語る人が多く、これは不幸なことだな、と。 

 

卒業した子たちを受け入れる企業がきちんとクリエイティブな仕事に対応できているかはまた別問題ではありますが、どちらかというと「職場で組織がスポイルしていく」ことのほうが問題は大きいのではないかなあ 

 

 

・国は存在価値のない大学の設置を許可し、貴重な補助金をその様な大学にも手厚く交付する。 

大学はお客さんである学生のご機嫌を取り成績が悪くても卒業させる。 

学歴がほしい学生は勉強もせず大学生活を謳歌する、これが現状ではないでしょうか。 

まず大学の数を半減させ、勉強しようとするものだけを選抜入学させ、希望者全員を入学させる今の状況を変えること。 

これが日本の大学教育を再生させる鍵になると思います。 

 

 

・日本人が大好きな「努力、忍耐、我慢」という文化が背景にあると思います。一定レベルの基礎学力を獲得したり、協調性や社会性を醸成するのには非常に重要な要素だと思いますが、本当の専門性を獲得し、超一流に到達するのは難しい。超一流に到達するにはその分野が大好きで寝食を忘れて没頭するようなマインドでないと本質的に無理。人並はずれた忍耐と努力でも可能かもしれませんが、ほとんどの人は続きませんし、「努力、忍耐、我慢」必死に頂点の土俵に辿り着いた人と、自分の興味から時間が経つのも忘れて没頭してきた人とではマインドもモチベーションも成果も全く違うはず。もちろん後者は勉強して良い学校、良い就職、経済的成功、社会的成功というような打算もありません。純粋に自己の欲求に根差した探求心だけです。努力信仰から脱却し、打算ではなく本当の興味に向き合える環境、それを評価する社会構造にならない限り難しいと思いますね。 

 

 

・日本が学生時代にいい成績なのは、フレームワークが得意な人が点数を上げられて優秀と評価されるシステムだから。 

大学からは枠の中だけで勉強するのに限界がくる。 

社会に出たら、枠以上のことが求められるのにやり方は枠の中のことしかわからない。 

正解が明確なものについて答えることを訓練し続け、正解が無いものを追い求める力を学生時代につけるどころか捨てて社会人になるのだから、仕方がない。 

 

 

・日本の教育で急速に進行している学力格差は中高の学校格差を介して顕著になるのではないか。大学の進学率は上がったが、大学に進学しない人も多い。バブル期以降に爆発的に増加した私立大学の多くは若者人口の減少の伴い経営難だという。必然的に教員の雇用や教育水準の低下を免れまい。そもそも日本は欧米や中国や韓国など近隣の東アジア諸国に比べて、実は学歴社会というわけでもないという。学校で学んだことよりも、職場経験を通じて学ぶことや職業キャリアの方を重視する風潮が強いのではないか。同時に、実質賃金の上がらぬ日本社会、労働市場での流動性も高まり、あくせく働いた上でさらに勉強するのも余程の気力を要する。社会人になると勉強するだけの気力のある人間はほんの一握りではないか。日本の衰退がさらに進んでいくのではないかと確かに憂慮されるところではある。 

 

 

・文系学部については、概ねおっしゃる通りかと思うが、理系学部、大学院はものすごい量の実験、リポートを課され、その大変さは文系の比ではないと聞きます。なので、理系の人が大学院で海外の大学に行っても全然違和感ないと聞くのですが、そのあたり、理系学部を経験された方どうでしょうか。 

 

また、近年の一般受験の比率の低下の問題や、高校での文理分けと、文系コースでの早期の数学、理科の放棄の問題も指摘すべきかなと思います。 

 

 

・大学教員ですが、大学の場合、特に4年生は落とそうとすると「就職が決まっているので何とか単位がほしい」と圧力をかけてきます。そうすると追加の課題を提出させるなどして単位を出さざるを得なくなる。結果、大学は単位の認定が甘いということになってしまいます。構造的なものなので、これを変えるのは難しいと思っています。 

 

 

・ということは、逆のパターンもあるはずで 

子供の頃はそこまで学力(ここではPISAなど国際基準で測られるものという定義か)が高くなくても、社会人になって以降、グッと伸びる割合の多い国というのもありそう。 

 

そういう国のデータがあれば、日本と何が違うのか、比較分析してみるのも面白そうですね。 

 

そこから何かしら改革のヒントも出てきそう 

 

 

・私は社会人になってから勉強してある試験に合格したことがありますけど、それができたのは試験勉強が仕事に有用で、この先も職種を変えずに仕事を続ける道が見えてたからだと思います。 

辞令一つでまったく違う仕事を割り当てられる可能性がある人は「勉強しても役に立たないかもしれないし…」と感じてやる気が出ないのでは?って気がします。 

 

 

・私も大学で勉強しなかった人間です。大学って自分から学びに行かないと何も学べない、つまり受け身でいてはいけない。高校までは完全に受け身の学びスタイルで先生はノートを読み生徒は板書を写すのみ、、。大学でも勉強する人はするのでもちろん自分が悪いのですが、このギャップが大きな原因のひとつかと思います。 

 

 

 

・日本は就活さえクリアできたらもうクビにはならないから、あとは省エネして過ごすのは当たり前 

その就活さえ、その時点での能力よりも、大学名であったり、外見(できそうに見えるかどうか)、性別や出身地(地元かどうか)のようなその時点からはもう変えられない条件重視になるので、それ以上努力のしようがない 

私は氷河期の女性だけど、難関大卒、英語もできる、PCも当然触れる、でも就活は全然ダメだったよ 

なんとか入れてもらった企業の契約社員スタートであっという間に正社員に昇格したけど、また出産時の待機児童問題で社会からは締め出された 

当時の日本社会の仕打ちを思うと、努力は無駄という記憶が鮮明すぎて、がんばれないな、もう 

努力が武器にならないお国柄なんだから,しゃーない 

 

 

・日本では、確かに子どもと比較すれば、大人の方が勉強時間は短いと思います。 

でも昔と違い、終身雇用も崩れており、転職する人が増えているので、資格を取るために勉強している人は少なくないですよ。 

学び直しのために、就職した後に大学院に行く人もいますし。 

この記事は不正確だと思います。 

 

 

・某米国大学院正規修了者です。つい先日、国公立大学の前期試験がありました。まるで一大イベントの様相を呈していました。さて、この受験生群の中から、将来どれだけ世界的人材が育つのかと思いながら見ていました。 

 現役か浪人かは関係なく、日本の全受験生ではないですが、日本特有の偏差値基準の入試制度からの影響も受けて、日本の生徒は大学入試までは頑張るが、入試合格後から勉強の気力が下がる傾向がある。大学側も欧米豪州系大学に比べて、研究実績は緩く審査、学生を卒業をさせる。この日本の教育社会的な傾向を、心配しています。 

 一方、欧米豪州系大学では、修了や卒業要件の審査会が開かれる位、研究実績のプレゼンはもちろんのこと、また卒業面接が行われる位厳格に審査されます。 

 以上から、日本の受験生にも大学入学後が本番だとエールを送りたいです。又、日本の大学も世界レベルの実績を残せる様、頑張ってほしいです。 

 

 

・そもそも、日本人が指す「勉強」は「テスト勉強」や「受験勉強」のことだし、大半の人間が嫌々やるのが現実だろう。 

 

医師だが、専門医や学位取得が終わった後の、仕事に直結する専門領域の勉強や英語学習は全く苦にならない。 

 

本来は、そう言った類が真の「勉強」であると実感している。 

 

ただ、「学歴」を示すためには、試験に合格しなくてはならないのは仕方ないが、競争を強いられて勉強嫌いになっては意味がない。 

 

テストの点数を争うだけが勉強ではないし、生涯学習の観点も重要だが、運動と同じで、やりたくない人に無理に強制する類のものでもない。 

 

「努力しない自由」もあって良いと思う。 

 

 

・元々、日本の企業は大学教育に期待なんてしていない。企業が欲しいのは地頭の良さと、言われた努力が出来る従順な人間。 

企業が必要とする知識や能力は入社してから教えると言うのが基本的スタンス。 

その会社においては使えても、会社が変わったとたんに使えないのは、汎用能力を培っていないから。過保護過ぎる正社員制度がある限り、世界のどの企業でも通用するビジネスマンが生まれる筈がない。 

 

 

・日本企業は就活で大学名は見るが大学の成績を評価しないから。 

 

私は理系だったので大学と大学院では猛勉強した。 

それはそれは優秀な成績で卒業したが、地方国立だったのもあり就職活動ではあまり評価されなかった。不景気で大手への学校推薦もなかった。 

色々なものを犠牲にして一生懸命勉強したのに、裏切られたような気持だった。 

 

学校の勉強より人間性やコミュ力が大切らしい。 

こんな尺度で採用した学生が入社後に勉強するわけないでしょう。 

これじゃ海外企業にも負けるよ。そりゃ失われた30年にもなるでしょう。 

 

 

・理由は簡単。スポーツでも同じだが、小さい時からテクニックを教えるから。お受験小中受験高校受験と子供の頃から受験テクニックを教え、点の取り方を覚えさせ偏差値でランキングする。まあ、塾などの教育産業はそれで金を取っているので当然だろうけどね。だが、スポーツでも同じだけど、相手が知らないテクニックで勝てても、勝った!以上の喜びややる気は出ない。当然勝てた!という喜びが無くなれば、努力をしないだろう。大学受験までの厳しさに比べれば、それ以降の勝てる喜びって少ないでしょ。平から係長になって、どれだけの差があるの?って話。まあ、部長だの取締役だのになれば、待遇も違うだろうけどね。逆に言えば、そこまでなると枠が狭すぎて、テクニックやスキルだけではたどり着けないからね。だったら、そこそこ働いて自分の人生楽しみましょう!って話だよね。 

 

 

・結局のところ勉強したところで見返りが無いから。 

勉強して高度な知識を有したところで多くの企業では給料に反映してはくれない。 

繁栄したとしても雀の涙程度のもの。 

現状は高収入に転嫁させる為には転職をしなければならず、とはいっても特に中年以上の人たちは転職をする勇気がある人ばかりではない。 

となれば、別にこのままでいいやとなり成長をする意欲は失われてしまう。 

やればやっただけ自分に良い見返りがある。 

これを実感できなければいつまで経っても状況は変わらないだろう。 

ただ、これからは転職が当たり前の社会になるだろうから若い人たちからは意識が変わっていくかもしれない。 

ただ、それも転職によってしっかりと報酬が得られることが前提だ。 

結局は金よ、金。 

 

 

・大学も三年次になると、早くも就職活動。大学はまるで企業就職予備校であり、勉学に勤しむ場所ではない。 

その下の中高にしても、保護主義的な親により、人気が高まるのは附属校。その結果、英語なんて中学文法覚えれば世間で言う一流という大学に入る。大学に入ればサークルとバイト三昧。 

政治のトップは英語すら喋れず、「リスキリング」という掛け声は高々に自分らは「リスキリング」の「リ」の字も無し。 

大学に入って、これでもかと勉強してんのは、やはり医学部と、法科大学院目指している一部の法学部の連中だけですね。 

 

 

・デジタル化はもちろんでしょうが、ずっと勉強をし続けたいと思わせてくれるような、個性や魅力のある先生を増やしていけたら良いですよね。私を含めて低レベルな大人でもYouTuberの方のニュースや歴史の解説を一生懸命に観ていたりしますからね。楽しく勉強をしていければと思います。 

 

 

 

・全てが点数や偏差値という物差で決まるからでしょうね。しかも必死に勉強する内容は暗記と計算で、社会に直結しない。生徒は偏差値の高い大学に入るために勉強する。企業は偏差値の高い大学の学生を採用する。人物を見るのではなく、大学を見ている。最近は少しだけ変わりましたが、根本的な理由は戦後の教育にあるのだと思いますね。 

 

 

・思い込みの飛躍に思う。今の中高年でさえ勉強についていけず退学はいた。 

留年するチャンスがあるだけでそれも限度がある。 

誰でも卒業できるというのは、そのような大学があるというだけなのでは? 

むしろ余程で卒業できるのは高校までであって、こちらも赤点補習組の友人の記憶がある。外国と比べるなら雑多な謎大学も多様性の確保にすぎない。 

 

社会に出ても学ぶ態度の如何で人材の質が決まるしステップアップの機会、状況に合わせて転職できる機会も変わってくる。こういう一部の能力だけを見るデータでは判断できない。元データ自体が怪しいものだが、そんなに他国がハイレベルの大人だらけなわけがない。社会人の方で英語とか、また国語力を低下させようとする曲がった主張もうんざり。 

 

 

・多様な文系私立大学の影響だろうね。諸外国では自然科学分野中心に研究するところ、学術的な意義が定かでない国際〜学部や〜政策学部の多いこと。こういう机上の学問を良しとする仕組みが、社会改良の目的を有しない低レベルの大人を生み出す温床になっていると思う。 

 

 

・欧米だと就職って経験者しか雇わない。 

給与を払うわけだから、仕事を教えるわけではない。 

だから逆にコーチングとかメンターなんて言葉が出てくるわけで。 

 

つまり新卒で就職しようと思えば、インターンをしっかりしているとか、専門教育をがっちり積んでいるとか。 

だから企業は新卒の場合は、大学や大学院の成績を見る。 

とすると大学でも勉強せざるを得ない。 

 

スタンフォードの卒業率は95%だが、卒業時点で就職が決まっているのは50%だという。(無論景気で変わる) 

 

つまり実は卒業するだけならばなんとかなるのだ。しかし上位かコネがあるヒトじゃないと就職は楽じゃない。だから必死で勉強する。 

 

逆に日本は「大学は企業の予備校じゃない」なんて平気で言うヒトがいる。 

まぁ、今はそもそも企業に評価もされてないから、それすらなれないわけだが。 

 

 

・子どもの頃に感じるのは親は子ども(自分)に勉強しなさいとか、強制的に塾に通わせて無理やりにでも勉強させるけどその親は勉強してる姿見せていないからね 

子どもからしたら、勉強していない親を見て 

「なんで大人は勉強しないんだろ」 

「そっか!大人になれば勉強しなくていいんだ」 

「勉強は子どもの時にだけやるもんなんだ!」って感じるわけよね 

 

で将来「大人」っていう、子どもにとって勉強しなくていい立場になるために頑張って勉強する、みたいなことになってる気がする 

 

 

・以前にある高校教諭が「必死に勉強して大学に入れば4年間遊べるんだから頑張れ」って言われたことがある。でも本来なら大学に入学した4年間がむしろ大事な4年間なんだよね。ぶっちゃけ遊んでる場合じゃないと思う。海外の大学のように入学は比較的簡単だが、卒業が難しいスタイルにしなければいけないんじゃないのか? 

 

 

・大学の責任ではなく、企業の採用人事の怠慢。大学名が大きなウェイトならそりゃ大学入学がピークになって当然。どこでもいいから私学中受に血眼、って世相にそのモチベーションが透けて見える。その上大卒が必要な分野がどれだけあるかも精査せずとりあえずガバッと数だけ採るから余計その風潮が強まる。ちゃんとした大学では勉強碌にせずともノリでそうした企業に入った同期を見て勉強してた学生が白けてしまう場面も多々。 

 

 

・人生のゴールが大学受験になってしまっていますよね。 

社会人になってからも学び続けて専門知識を付けていってリーダーになれる人ってほんの少ししかいないですから。 

中学受験が人気になってから、人生のピークが小学校高学年の子供が増えてきてしまっているのも良くないです。 

友人のご主人が慶応幼稚舎出身ですが、競争心とか向上心が本当にない人です。 

友人が一人っ子で大事に育てられたから本当に何もできないって言っています。 

 

 

・この記事は正確さを欠く。かつて日本は研究レベルでも高く、ノーベル賞受賞者も多く輩出した。少なくとも理系は大学に入ってからも良く勉強した人は多い。研究レベルが最近下がったのは、国立大学の改悪や経済レベルが下がって大企業が基礎研究に投資しなくなったからである。ただし、このような低下は日本人の持つ悪い面が表面化してきたのが原因で根は深い。 

 

 

・日本では、 

「ジェネラリスト」が「スペシャリスト」よりも評価されるから、 

専門性が育たない。 

 

日本の「ジェネラリスト」に要求されるのは、専門性ではなく、体育会系であることです。 

すなわち、命令に従順で、先輩・後輩の序列や精神論を重んじ、「右を向いてろ」といわれたらずっと右を向いて立っているような力を持つ人材です。 

 

 

 

・今後の日本の大学生は、熱心に勉強するようになるはず。理由は、日本も階級社会になるから。そして欧米(や途上国)の大学生はなぜ熱心に勉強するのかの理由も、「現在の彼らの社会が階級社会だから」。 

日本でも欧米でも、大学で学ぶ非理系の学問は現実社会では役に立たない。米国では学歴インフレがすさまじくて、修士号が必要な職種が激増してる(メガネを作る時の視力検査を行う「検眼士」の資格にも大学院での専門教育が必須)けど、無価値な教育だ。 

 

でも欧米は階級社会なので、「自分がどの階級なのか」を示すための指標が必要になる。昔の学士号・今の修士号は、「自分が社会の上層の階級である」を示すための不可欠の記号として使われてる。だから売り手の大学は強気になれるし、買い手の学生は熱心に勉強せざるをえない。 

従来の日本は階級社会ではなかったから、欧米とは違うゲームができた。でも今後は変わるから、大学のゲームも変わるはず。 

 

 

・ゴールが大学入学だからだと思います。 

子供時代と青春時代に経験すべき事を我慢し続けて、大学入学と同時に解き放たれ、それまでに失った時間を取り戻すかのように自由を謳歌するのが、上位層の大学生のように見えます。 

大学入試が変わらない限り、これは続きますね。 

 

 

・エリート・コースというのは、例えば財務省なら、東大法学部をいい成績で出て、国家公務員上級試験をいい成績で通って財務省に入ってしまえば、実務の経験のない20代でどこぞの税務署長になり、その後は定年まで出世は決まり、退職後はどこかの銀行の頭取か重役に天下れるというように、よその人が入る余地のない決まった特別コースが用意されているのがエリート・コースです。 

 

しかし、真の意味での「エリート」というのは、どういった学校を出ていても、それに関係なく登用されうる人物のことを言います。 

 

単なる出世コースであるエリート・コースはあってはならないが、選ばれた人という意味でのエリートは必要であり、そのエリートを養成するエリート教育はあるべきだというのが、私の主張です。 

この、「エリート・コース(出世コース)」と「エリート教育」を混同してもらっては困ります。 

 

 

・私の大学は、勉強をちゃんとしないと留年になり卒業できなかったので、大学で学ばないということはありませんでした。 

学ばなくても楽に入学、卒業できるような大学も多い上にネームバリューだけでそういう大学が評価されがちな事が問題なのではないでしょうか。 

英語評論文だけや英語と国語だけの大学と数学も必要な大学では、その卒業資格自体に差をつけるべきだと思います。 

 

 

・正しいことを仰っていますね。ただ問題は、そこの領域までどうやって到達するかだ。ゴールは相当な茨の道を辿ったその向こうにある。時間もかかるだろう。 

残念ながら、そのいつ到達できるか分からないゴールに辿り着くまで、我々はこれからもずーっと世界の後塵を拝し続けることになるだろうね。それまで世界の中で日本が一定のプレゼンスを維持し続けることができるだろうか? 

 

 

・子どもが2人とも大学へ進学しました。 

下の子はまだ大学生です。ただ暇な時間は多い。 

バイトもできますし、専門の学部のはずですが、大して就職には関わりはないです。 

そういう子が多い。なんせ大学受験までの詰め込み学習が多いので欧米より、高校卒までの学力は世界的にみたらアジア、特に日本、韓国、中国はは高いと思う。 

日本はとにかく、就職するための大学進学、なんだと思う。やりたい仕事が無いから、とりあえず大学進学という子も多い。大学受験まで、ひたすら勉強していて、大学くらいはマイペースに過ごしたいと思うのも無理はないのかもしれない。 

欧米の高校を出て、日本の大学の理数の学部に来た子が、大学スタート時点での数学の授業についていけなかったと言っていたけど、欧米からしたら日本の高校の内容がすでに高度なんだなと思った。だからこそ、高卒で働くことも昔のようにあるのもアリなのではとも思う。 

 

 

・ある授業で「真面目に出席してても、テストで点数を取れば欠席しても同じ点数なら同じ成績評価はおかしい、出欠で点差を付けるべきだ」という学生に「分かった、出席しないで得点を取る学生は自分で勉強してるのだから、出席しない人に点数を上げよう」というブラックジョークがあったというが 

同じような事を言われた経験からすると、大学、大学院という高等教育機関でも、授業に出て机の前に座り、ただ教員の話を聞くのが勉強である、という姿勢が更に卒後の自学の阻害になっていると感じる 

 

各大学のHPに一応「自ら課題を見つけ、考え、調べて結果を導き、議論を経て~」のような教育方針を掲げているが 

世間の一般的な反応だと、授業の出席が必要で、中高と同じような定期テストで点数評価を行うという感じがする 

 

これって大学生がやる事か? 

小中高と受け身で正しい答えをそのまま答える「考えない」教育賜物だと思うが、ここの議論は聞かない 

 

 

・現在の日本の学校はテストの点数を取るための教育。 

問題(テスト)を与えられて、それに受け身で答える。 

仕事のスキルをつける教育を行っていない。 

仕事のスキルとは、創造・想像力、論理的思考力、コミュニケーション能力など。 

非認知能力やメタ認知能力と呼ばれる能力を幼児のうちから習慣を含めてつけていく必要がある。 

 

 

・やはり今の大多数の企業経営者を排除する必要がありますね。成績優秀な日本の高校生を毎年上位500人を選出して高校卒業後欧米先進国の大学に留学させコンピュータサイエンスやバイオテクノロジーなど最先端科学技術を学ばせる事を義務化。学費と寮費、現地までの交通費は全額国が無償提供。その中の4分の1は卒業後霞が関で官僚として働いて貰う。残りは大手企業ですぐ上級管理職として雇いリーダーになってもらうくらいした方がいいね。 

 

 

・何故、大学に入ると勉強しなくなるか。筆者の分析にも一理あるとは思います。私の分析は筆者とは異なりますが、次の様な分析です。 

 

小・中・高と塾にまで通ってやっと理解してきた試験で多く用いられる英数国社理ですが、問題は「授業の中で理解できずに塾で理解している事」に原因があると考えています。くれぐれも誤解のない様に先に釘を刺しておきますが「塾がいけないのではない。むしろ塾があるから、理解が進む」のだと思います。ですが、塾に通うなどしながら理解した結果、大学入試の試験には合格できる。ここまでは良い。入学後、授業の中で理解できずに帰宅するが大学の授業用の塾は無いのだ。結果、学習者が理解できないままの状態で授業が進み「丸暗記して単位取得のためのテストを乗り切るだけの大学生活になっている」のではないかと踏んでいる。 

 

 

 

・PISAの試験は15歳です。いわゆる私大文系を受験する人は、それ以降は数学を勉強しません。要するに高校2年生から数学は勉強しません。他国はその頃から数学を文系でも勉強します。そもそも他国は理系、文系という分け方はありません。数年前に経団連会長であった中西さんが、大学教育では文系も全員数学を学ぶようにせよ、という提言を出しました。文系学問では数学は不必要、ということを公然と言っている国は日本ぐらいでしょう。 

 

 

・SPIの勉強したり公務員試験の塾に通ってる人とかいるからなぁ。研究やら論文とは真逆。法学部なら卒論すら必須でなかったりするらしいし。そういったお勉強が低レベルとはいわなくとも、事務職を育てがちでアカデミックな能力は足りてない。 

大学院ですら学位取得の厳しさがまちまちで、国際雑誌での掲載数と国際学会での発表数が必須要件になっているところもあれば要件になっていないところもあるときいた。意外と理系では業績の判定がぬるくて学会ではなく研究会での発表を業績としてカウントするところも多い。英文で修論や博論を受け付けない大学もあるが、院生の頃に英語でしか書いてないのに日本語に訳すのは面倒。 

 

 

・私は、環境だと思います。勉強する人はするだろうし、ただ、自分の意志じゃなくて、周りに言われたから行くとかになると、勉強が嫌になったり、目標もなくなったりするから。勉強したくなければ、無理に進学しなくていいと思います。社会人になってやりたい事が見つかり、もう一度学校に行っても悪くないと思います。私は低レベルな大人だと思いません。 

 

 

・日本全体にいえますよね。ある意味頂点の政治家でさえ、なって終わり、そこに志を失っているものが多い。大学も入るまでは勉強するが入ってからはそのエネルギーは急速に失っていく。 

なること。これが目標でその後はない。 

でも一般社会では、様々な研修がある。おくの報酬を得ようとするなら、必ず勉強します。 

 

 

・日本の企業は、どんな細胞にもなり得るiPS細胞のような人間を欲しがる。 

専門性の高い院卒が就職に不利な理由を、そう説明する記事を先週読んだ。 

記事は、せっかくのiPS細胞も適所に配置して成長させないと、老朽化して使い物にならなくなる。日本で生産性の低い中堅社員が発生しがちな理由を、そうも説明していた。 

一般論はわからないが、自分のことを言えば、 

私は大手出版社に修士の学位で入社した。 

ひと口に言って、大学の卒論と大学院の修論とは似て非なるものだ。前者は一般にまとめ学習の延長でしかないが、後者は結論はもとより問いの設定から対象分析の方法までが専門家の目にさらされる。 

入社して数年後、新規事業に挑む機会があった。未知の市場の把握、ビジネスの組立の過程は、研究によく似ていた。おかげで事業は成功し部長職にまで進んだが、その経験に鑑みても、院卒はその専門性より鍛えられ方に目を向けるのが正解だと思う。 

 

 

・海外と比較して日本は大学を卒業するのが容易い。それ故に大学生は勉強しない。こういう話はずっと前から言われてますね。 

そしてそのツケが社会人になってきて、最近は学び直しとか言い出している。。 

確かに勉強は一生ものでいつでもしたい時するものとはいえ、大学の授業料とその4年なりの時間と費用の損失は大きいと思う 

 

 

・日本の高等教育は20代の正社員経験、大学大学院ではない、なので、会社でしっかりとした従業員教育を受けて仕事をしていく中で多くのことを学べば仕事に必要な能力が身に付く、というのが日本の常識。日本の大人は勉強しないから日本の子供は能力が高いけど大人は能力が低い、という批判は当たらない。 

 人口当たりの論文数がその国の知的水準を表すとは思えないし、英語の能力に関しては日本には優れた翻訳文化があるから、ということになる。 

 この30年間、日本の所得水準が殆ど向上しなかったことと日本の人の知的水準との関係も全く明らかになっていない。 

 問題があるとすれば、非正規雇用の増大で、20代の正社員経験を得ない人が増加していることである。それによって日本の人の全体的な能力がやや低下している可能性はある。この点については、20代の正社員経験の教育としての重要性を考えなかったことを反省するべきだろう。 

 

 

・大学は一部を除き入りやすく、奨学金の名の下に借金漬け。 

返済の為にアルバイトに精を出します。 

何のために大学に行くのでしょうか。 

 

勉強しないで卒業できる大学が多すぎます。 

政府も大学経営に重きを置いて学生の事を考えて居ません。 

貰い切りでない奨学金の借金は酷いと思います。 

払える仕事に付けた人は幸運だと思います。 

 

 

・日本の教育は課金ゲームになってる。幼少期から習い事を4.5つし、意識高いところは小学受験、普通のサラリーマンの家庭が中学受験は普通に見られるようになり、入った難関校から今度は大学受験に向けて競争開始、塾だの英検だの、、、それを部活と両立、あるいは習い事と両立。なんとかまぁ悪くはない大学に入ったら、今度は就職のために、留学だのそのためのバイトだの、ガクチカ(大学時代に力を入れたこと)を企業にアピールするネタのためにボランティアだの、、、インターンシップだの、、、ああ学問以外で忙しすぎますわ。お金もかかる。 

あの、大学で力を入れたことって、普通に考えて学問のはずですが?なんか大人が子供に要求することがわけわからん状態。今大学生の子供見ていてそう思う。 

 

 

・一般的な大学で社会で役に立たないより講義を受けた人よりも、専門学校を出て、専門的な知識や資格を身につけた人材の方が、各業界の即戦力になるわけで、むしろ大卒よりも企業側も良いのではないのか? 

大卒よりも専門学校卒の賃金を高めに設定しても良いと思うのだが。 

 

 

 

・依然として学歴偏重の呪縛から抜け出せない日本の高校や大学機関には、専門性や発想を伸ばせる教育は期待できない。イギリス、ドイツ、フランスなど欧米の教育機関を日本に積極的に誘致して、最終的にはそれらの学校から日本人に合う教育方法を確立して新たな高校、大学の枠組みを作っていくしかない、 

 

 

・勉強しなくなったのは…私立大学の推薦合格制度のせいと思います。私立大学の学生の半分以上は推薦や内部進学で学力選抜無しに入学しています。推薦制度は…私立大学にとっては入学辞退しない高校生を面倒な学力選抜無しに確保できるので笑いが止まらないです(私立大学の一般入試合格者の辞退率は7割くらい。)。高校にとっても進学実績を増やせるので推薦は大歓迎。私立大学の推薦が増えると一般入試枠を少なくできるので予備校も私立大学の一般入試の見かけの偏差値が高くなるのでドル箱の私立進学コースの受験生を集めやすくなり大歓迎。推薦で入るおバカ高校生達も予備校が推薦で合格できた私立大学の一般入試の見かけの偏差値高く見せてくれるので大喜び。 

 

 

・俺は団塊ジュニア世代だけど、大学の頃は大多数の連中(俺も含めて)が、大学は遊ぶところだって認識で4年間を過ごしてた。大学生活は就職という懲役刑までの執行猶予なんだよ、的な話も先輩からは聞かされた。 

 

理系はまだ実験とかレポートとかあってマシな感じだったが、文系は講義への出席すらあんまり必要なくて、勉強らしい勉強をほぼしないまま卒業することが可能だった。 

 

そんな「勉強を大学で一度放り出した人たち」が今、日本社会の中核にたくさんいるわけだから、国力が衰退するのは当たり前。 

 

解決策としてはこれからの子どもらに対して、勉強は楽しいんだぞ、受験だけじゃなくて一生続けるものなんだぞ、という意識づけ的教育を施すこと。 

 

大学入学という短距離走のゴールに駆け込むんじゃなく、人生というマラソンを完走するような気持ちで勉強に取り組む風潮を、国全体で醸成することが必要じゃないかな。 

 

 

・偏差値という数字がそうさせてるんじゃないかなと思う。 

偏差値の高い学校=環境のいい学校、賢い学校 

偏差値の高い中学、高校、大学へ行ったらとりあえず安心。 

みたいな単純な考え方になりがち。 

 

値というものがあれば人間誰でも高い方がいいと思うに決まってる。 

 

偏差値があるから学歴社会になる。 

 

子供が中学受験をした。 

最難関中学に受かったが登校日に塾のチラシを配る方々がたくさん。東大、京大…。 

まだまだ学歴社会なんだ…と同時に日本人は高学歴が好きなんだな。と感じた。 

 

私は芸術大学卒業。 

学歴社会を理解するにはまだまだ時間がかかりそうだ。 

 

大学までに好きなこと、やりたい事を見つけ、どの学校が自分に合っているかで学校を決めたら、勉強しなくなることはないと思う。 

けど就職に有利だからその大学へ行くという考えもあるという事を知った。そりゃ勉強しなくなる。 

 

 

・関西の東大合格激増中の某名門校がなぜ東大を目指すよう生徒たちに促すようになったのかは、これを危惧してらしいと聞きました。人生はずっと勉強し続けないといけない、つくづくそう思います。せっかく大学受験で勉強する習慣が身についたのに、合格したら遊び呆ける、これは勿体ないこと。敢えて、入学しても勉強せざるをえない環境を選ばすということでしょう。 

 

 

・正直日本の大学の仕組みはわかりませんが、アメリカの大学であれば大抵3年目あたりでweed out(雑草抜き)単位があり、そこでついていけない学生を削ぎ落としていきます。何回かチャレンジして受かる学生もいますが、結局諦めて別の学部に移籍するか退学する学生も珍しくありません(商学部には元理系がわんさかいます)。また、生き残ったからあとは楽というわけでもなく、その後もより専門的な知識を深掘りしていくので難しくなる一方です。 

 

また、別の話になりますが、欧米ではやはり修士や博士の需要が割とあるので、いくら大学のランクが高くても学士でできる仕事には限度があります。今話題のAI開発者やデータサイエンティストは最低でも修士が必要ですし、実質博士でないとまず無理です。学士でなれるのはせいぜいデータアナリストまででしょう。(なぜか日本では全部ごっちゃにされているようですが) 

 

色々と環境が違うと思います。 

 

 

・燃え尽き症候群ではないか?と私は思う。 

小中学校は学びたいよりも、しなければならないもの。と強制され、一流大学に行けば就職に有利とされてきた。 

学びたいよりも就職に有利を重点に置いていた結果かと。 

大学生になれば勉強からの解放。 

遊ぶことに重点を置く人も多い。 

 

 

・日本は大学入るまでは純粋な競争社会だが、社会に出るとみんなでペースを合わせて田植えするような状況になる。決して仕事を早く終わらせようなどとは思わなくなる。人の仕事を手伝うことになるし変わり者になってしまう。そして残業が常態化し生産性はもちろん落ちる。 

まずは残業禁止令を出して仕事遅いが残業で頑張ってる感を出している人をあぶり出さないと変わらないだろうね 

 

 

・大人が勉強しなくなるということか? 

 

受験という旨味のある目標が無くなって以降ならばみずから進んで努力、自己研鑽出来る人は少数派。むしろ、今まで幼少期よりやらされたが為に、勉強嫌いになるのは自然なこと。 

 

ただ、この国は高卒と大卒で給与に大きく差ができるので、そういった面でも皆がやりたい勉強があるわけでもなく、仕方なく、皆が行くから、不本意進学しているんだと思う。 

 

長く働いた方が高賃金になる仕組みにでもしないと現状は変わらない。 

 

ちなみに自分はやりたいことが宙ぶらりんのまま、文学部史学科へ進み、結局は意欲が低い為に馴染めずに2年で中退。。 

今は紆余曲折経て、特例子会社で何とか働いてる。 

就職のハードルの高さ、当人のやる気と将来のビジョンの有無も大きく影響してるので、記事の理由の他にも原因がたくさんあると感じる。 

 

人材とお金の活かし方を文部科学省と経団連は真剣に議論して模索して欲しい。 

 

 

・記事のように特に文系は難関大学に入るまでにエネルギーを使い果たして、後は社会勉強といった雰囲気がかつてはあった。そんな風潮だから社会に出ても職場内教育で組織風土に染まった人材が好まれ、変に自己啓発して意見を言う人は遠ざけられた。 

職能給という言葉はあっても会社を超えた横断的な評価がなされる土壌はなく、本当にスキルアップをしたければ転職するしかないという時代が続いた。こういう風潮が長く続きグローバルな時代にはますます遅れをとることになっているのではないか。 

 

 

 

・そもそも世界は大学院入試が本番の世界。1位フランスの修士進学率は41%。いい加減に学士至上主義から院が本番教育にしないとこの国の教育水準はもっと低くなる。なおフィンランドの小学校はなんと3時間しか授業が無い。それでも学部・院でスパルタするから国民はあれだけの高学力なのだ。なんと日本とアメリカと韓国だけ先進国では院進学率が1桁台なのだ。 

 

 

・なぜ勉強しなくなるのか、それは勉強しなくても生きていけるから 

その分各々得意なことで生きていける 

正直、勉強しても年収5000万とれる人は一握り 

大体1000万ぐらいが一つの目標ぐらいではなかろうか 

新NISAでもそうだけど、必要に応じて自分で調べる人、人から聞いて腰を上げる人、全く興味がない人に分かれる 

得意なことが人それぞれ違うから 

それができるのが日本です 

 

 

・大学の4年間は高校まで頑張ったご褒美であり社会人になったら遊べないからやりたい事が出来る時間として謳歌した。 

大学で学んだ事は社会に出てから一切役に立っていないので、学費をドブに捨てたとも言えるけれど、一応大学の名前のお陰で行きたかった企業に就職出来たので、あの4年間は宝物ではある。 

 

 

・専門性は大学で磨けばどうですか。せっかく高い学費と生活費を払って、引っ越しまでして大学へ進学するのですから。 

ニュース記事によりますと大学は勉強しなくても卒業できるそうです。大学へ進学する意味はありません。大学名は、高校の成績の良し悪しを物語るものなのです。ならば、高卒時点の成績表を持って、すぐに就職すれば良いではありませんか。どうせ大学に行っても勉強しないのですから、同じことでしょう。生活保護で高校卒業まで行けるのですから、金持ちも貧困家庭もほぼ高卒までの学歴は得られます。高校の参考書などは、比較的田舎の書店にも売っています。その気になれば、地元の、そこそこの進学校で学び、あとは書店で買ってきた参考書などで独学を中心に勉強し、一流大学に進学できるほどの学力を獲得することも可能です。大学に行っても、どうせ勉強しないのですから、高校の優秀な成績表を持ってすぐに就職すれば良いのです。 

 

 

・好きこそものの上手なれ。 

一番に重要なのは本人の意志。 

 

そういうのは本人が目的意識を持って「夢や将来のために」やっているわけじゃないからね。 

 

子供の頃から「これをやりなさい」と親に誘導されて、いい大学に入るまで強制されるから、勉強が嫌いになるのよ。 

 

やりたいことのために本人の意志でもってやってないから、なおさら強く反動が出る。 

 

好きな事や、みずからやりたい事は長続きするが「やらされている事や、嫌いな事」は長続きしないのよ。 

そんな単純なこともわからないバカ親が多いってことでもあるけどさ。 

 

 

・大学教育の改革や企業の青田買い大量一括採用に改善の余地は大いにありますが、それ以上に能力や成果に対して報酬が連動しないことが問題でしょう。大企業で抜群の成果を発揮しても、ボーナスで数十万、良くて数百万上積みがある程度。下手をすると報酬アップの引き換えにポジション的に出世してしまってチームマネジメントなんてやらされたり。最悪なのは部下の尻拭いとか、他人が食い散らかした破綻プロジェクトの後始末。日本企業でそんな閉塞感満載で何のやる気もない35歳からの10数年のあと、米企業に誘われて気分一新やる気出して開発に勤しんだら、そこそこ成果でて、桁の違うボーナスと日本企業の4倍の固定給をもらえるようになった。そりゃやる気も継続するよ。 

 

 

・論文数をもって日本人の大人が低レベル(勉強していない)と判断するのはどうかな?様々な分野で研究•実践に打ち込んでいる日本人は多い。けど上の世代に足を引っ張られる傾向はあるかもしれないな。デジタル化が進まないなど制度的な課題は人口のボリュームゾーンである50〜80歳台が変化を望まないからだからな(政治家もそう)。上の世代がいなくなれば一気に変わるよ。 

 

 

・かつて、さる大企業に新卒入社したときの新入社員への訓示。 

「学校で学んだ事は全て忘れて下さい。会社の仕事に必要な事は全て会社が教えます。」 

 オレは『なんじゃこりゃ?』と思った。 

大半は名の有る大学の出身でマスターやドクターの取得者も多かった。 

能力もヤル気もさらには期待や希望も満々の者も少なく無かったはず。 

しかし、実際に”仕事”を始めてみると、『なるほどネ。w』であった。 

仕事そのものは”土方仕事”に過ぎない。頭脳より体力と声の大きさ。w 

しかし、やはり、地頭と学識が有れば、その”土方仕事”をよりハイクォリティーにこなせると言うのも明らかだったと思う。 

いわゆる受験秀才や偏差値優等生の得点学力アタマだけでは”土方”以上以外の事は出来ななかったようだ。 

いま、また、国挙げて半導体産業復活への取り組みが始動した。 

今度は”土方”以上を実現出来るだろうか。 

 

 

・アメリカの有名大学校内で9歳だった娘が計算ドリルやってたら学生にすごくびっくりされたな。こんな難しいのやってるのって。 

学童にも行ったけどとても算数のレベルが低かった。 

日本は大学受験までって感じ。 

アメリカは大学や院での伸び代すごい。 

 

 

・某国立大学工学部を卒業したが、留年率3割り超えてて大学の勉強はそれなりにしないと卒業できなかった。一方で、プラスアルファで勉強したひとと、その場しのぎで単位取っていた人の差は大きく開くと感じた 

 

 

 

 
 

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