( 143258 ) 2024/02/26 14:52:51 0 00 写真提供: 現代ビジネス
日経平均株価がとうとう、1989年12月29日の大納会の日につけた3万8915円87銭を抜いた。2月22日の終値は3万9098円68銭だった。
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株価が上昇することについて、実感がないなどと貶す人もいるが、それ自体は悪いことではない。むしろ今まで34年も抜けなかったことの方が問題だ。ちなみに、34年前と比較すると、アメリカのダウ平均株価は14倍、イギリスのFTSE100指数は3倍、ドイツのドイツのDAX指数は9倍になっている。
日本国内の動きだけをみて、今の株価が「バブル」という人もいる。では、バブルをどのように定義すればいいのか。
一般的な定義としては、バブルは「ファンダメンタルズ価格から離れた資産価格の動き」である。ただし、この「ファンダメンタルズ価格」は理論価格とされるが、その具体的な算出方法は具体的にはいろいろと差異がある。
仮に「理論価格」を特定したとしても、現実の価格は理論価格から異なっているのが通例であり、どこまで乖離したらバブルかという客観的な基準は存在しない。
歴史上有名なバブルは、チューリップ・バブルやミシシッピ計画、南海泡沫事件などがあげられる。日本でも、1980年代後半の経済状態がバブルといわれるが、過去の歴史上のバブルに比較したらたいしたことではない。
いずれにしても、バブルというのは、事前には好景気となかなか区別がつきにくい。そこで事後的な整理として、グリーンスパン元FRB議長は「バブルは崩壊して初めてバブルとわかる」といったとされている。
資産価格の特性として、価格の先取りがあるので、常にオーバーシュートがあって、理論価格とは乖離している。つまり日常的にバブルは潜在し、先取り価格が実現しないときにクラッシュが発生する。隣り合わせなのだ。
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こうした資産価格の性質から、バブルを特定してそれを事前に「予防する」ことはまずできない。
それではどうしたらいいのか。筆者の経験も交えて述べてみよう。筆者は、その当時大蔵省証券局に在職して、その状況を目の当たりにし、株価上昇に伴う証券会社の違法まがいの「損失補填」の解決のために、証券会社の営業適正化の担当官だった。
ちなみに、その証券規制は、「角谷通達」(1989年蔵証2150号)といわれ、筆者は起案者の一人だ。その発出日は1989年末、つまり発出日が株価のピークだった。
その当時、筆者の試算した「理論株価」は、2万円程度だった、つまり実勢株価は、その2倍程度になっており、脱法まがいの不適切な証券会社の営業を続けさせれば、もっと乖離が生じた段階で株価崩壊となるのは見えていた。筆者は、どの程度株価が下がるかと幹部から質問され、理論株価の2万円程度までは低下すると答えた記憶がある。
下図は改めて、理論株価の推移を示したものだ。
実際、1985年頃までは、経常収益で株価の動きはほとんど説明できる。1986年以降になると、理論的株価より実際の株価が上回るようになった。いわゆるバブルだ。それは1989年末まで続いた。なぜバブルになったかと言えば、上述のように税制上の抜け穴が証券会社に上手く利用され、財テク金融商品が横行したことが一因だ。
財テクは、時価発行増資による株価をさらに上げ、発行コストが安くなり、さらに財テクを促すというスパイラルを招き、株価はうなぎ登りになった。営業適正化を行えば、株式回転売買率が下がり、結果として株価も下落することは予見されていた。
実際、その当時、現実の株価は理論的株価の2倍程度まで膨らんだ。バブル崩壊後は、過大評価は順次修正されたが、2000年代に入ると、逆に過小評価になった。これは、日銀が金融引き締めを継続していたことが大きな原因だ。
過小評価のピークは2010年代初めの民主党政権下であり、6割程度も実際の株価は理論株価より低かった。2012年末に第二次安倍政権がスタートとすると、アベノミクスによる株価上昇があり、株価の過小評価が徐々に修正されてきた。安倍・菅政権の2020年までに、ほぼ過小評価を解消した。
岸田政権になってからも企業収益の回復は順調だ。岸田政権は基本的にはアベノミクスを継承したので、消費増税もなくコロナ禍もなかったので、企業収益が改善するのは当然だ。
しかし、企業収益の回復の割には、なぜか株価の過小評価が続いた。おそらく、増税指向なので将来の収益を低く見積もらざるを得なかったからだろう。しかし、昨年には過小評価が4割程度にまで拡大すると、株価が自律反転し上昇し始めた。
以上の簡単な考察から、現在の株価は企業業績からの説明ができる水準である。
ところで、バブル期のマクロ経済はどうだったのか。1987年~1990年半のインフレ率は0.1~3.1%という、ごく健全な物価上昇率であって失業率も低下して、マクロ経済状況はよかった。
株価など一部の資産価格だけが、資産価格での税制上の取扱に不備があって、金融機関がその抜け穴を利用して、資産価格だけを押し上げていたのが実態である。これをマスコミは、実際に不適切行為を行っていた金融機関にのせられて日銀の金融緩和のためと報じた。
日銀もインフレ目標がなく、一般物価と資産価格の上昇を混同しており、かつ、金融引き締めを好むという日銀DNAもあって、バブル崩壊後も金融引き締めを継続して、日本の失われた20年のデフレの原因を作った。
はっきりいえば、バブルは崩壊するまでわからないが、違法な取引があればミクロな取引規制する。ただし、マクロ的な金融政策はインフレ目標に従い高いインフレ率でなければ対応しないが、バブル崩壊がマクロ経済へ悪影響があれば機敏に事後対応すべきだ。
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日銀だけが悪かったわけでもない。財務省も失われた30年間で緊縮財政を続けたという意味では、日銀に負けず劣らず酷かった。日銀は、安倍・菅政権時代には、日銀人事を適切に行い、まずまずのパフォーマンスだった。
デフレについては、安倍・菅政権のアベノミクスで脱出の糸口が見えた。GDPデフレータ伸び率でみると、1994年以降、安倍・菅政権以前は平均▲0.9%であったが、安倍・菅政権で+0.6%まで改善した。残念だったのは、二度の消費増税とコロナ禍だった。それらがなければ、GDPデフレータ伸び率は2%程度までなっていただろう。二度の消費増税は民主党政権が決めたこととはいえ、日本経済のデフレ脱却には大きな足かせになった。
特に、アベノミクスで民間金利を低下させたが、政府内金利(社会的割引率)は4%のまま20年間据え置きで、あまりに高すぎて、政府投資が出なかった。
これは、前週の「現代ビジネス」連載の本コラムに書いたが、その際、筆者が常に心がけている国際比較のグラフを付け忘れたので、以下に掲載する。
各国の名目GDPの推移も前週のコラムで書いたが、それでは日本はほぼ横ばいでも少しはプラスであったが、公共投資ではさらに酷く、日本は30年前の4割程度も減少している。
このような財務省と日銀のチョンボがなければ、とっくに34年前の株価は更新していたはずだ。忘れてはいけないのは、前週の本コラムにも書いたが政府内金利(社会的割引率)が、依然として4%のままである。こうした政策を続けていると、理論株価は上昇せず、そのうちに実勢株価にも勢いがなくなるだろう。
髙橋 洋一(経済学者)
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