( 143605 ) 2024/02/27 14:40:54 2 00 「アヒル取り」で祭り関係者を書類送検 伝統行事の一環も、動物愛護法違反で告発状 沖縄県警琉球新報 2/27(火) 6:00 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/c95e97d20a3c5843c58760d077609b7ea40d650a |
( 143608 ) 2024/02/27 14:40:54 0 00 糸満ハーレーで行われたアヒル取り競争=2023年6月21日、沖縄県の糸満漁港(写真の一部を加工しています)
沖縄県糸満市の年中行事である爬竜船競漕「糸満ハーレー」の一環で行われてきた「アヒラートゥエー(アヒル取り競争)」を巡り、糸満署と県警生活保安課が26日までに、祭り関係者の男性を動物愛護法違反容疑で那覇地検に書類送致したことが関係者への取材で分かった。送検は22日付。
伝統か動物愛護か、「アヒル取り」で分かれる賛否 市には中止求めるメールやはがき840件
アヒル取りが愛護動物への虐待にあたるとして、NPO法人アニマルライツセンター(東京都)が県警に告発状を出していた。同センターは、アヒル取り競争は動物に対して過度な恐怖心と心理的抑圧が加わり、首や羽などを持つことが「行事を行うために必要な限度」を超えていると指摘する。
一方、ハーレーの主催者側は「残酷な催しではなく、アヒルを傷付けないよう十分配慮している。地域に根付いた文化を一概に否定しないでほしい」と主張していた。昨年7月にはアヒル取りの中止を求めるメールや電話数百件が同市に寄せられた。主催者側は「地域に根付いた伝統だ」と継続に理解を求めるなど、賛否は分かれている。
糸満ハーレーは例年、旧暦5月4日のユッカヌヒーの日に糸満市で開催する。アヒル取りは、琉球王国時代に冊封使の窓口だった中国・福建省から爬竜船競漕と共に伝わったと考えられている。アヒル取りを含む糸満ハーレー全体が市無形民俗文化財に指定されている。
The Ryukyu Shimpo Co., Ltd
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( 143609 ) 2024/02/27 14:40:54 0 00 ・こういう話題が出るといつも思うのですが、なぜ競馬は告発され廃止にならないのでしょうか。競走馬もムチでたたかれる恐怖で走っているかもしれません。時にはレース直後に心臓麻痺で死ぬこともあります。競馬を告発する愛護団体はいるのでしょうか。言いやすいところだけ告発している気がしてなりません。
・色んな意見があって当然 常識は時代に沿って変化するもの 動物たちに対してどう接していくべきかと言う議論に関しても過渡期なのかなと。 人の意識がどこで変わるかは分からないけど、こう言うニュースを取り上げられる事で命に対してどう向き合い考えるかを一人一人が考えるきっかけになると良いなと思います。 食肉、競馬などに対する考え方もそれぞれですが、感謝して食べるのとただ食べるのとではその命に対しての姿勢が全く違います 結果食べている事に変わりはなくとも、人間だからこそ感じる心があると思うので。
・起訴までには至らないと思うので、「伝統行事」「動物愛護」両者の思いを半分ずつたてるための今できる いわゆる ”曖昧な結論” に辿り着くための手段だったのかもですね。伝統行事が即犯罪は 関係者ならずとも腑に落ちない人も居るはず。かと言って現状アヒルが危険な晒しもの状態になっている事実はあるのだろうから愛護の立場からは見過ごせないと言う状況も。最終的な手段として裁判の判断を仰ぐような事ではなく、双方許容できるところまで話し合いにより 歩み寄るのが一番良いと思う。
・賛否両論だとは思うけど、 馬の崖を駆け上がる祭り?も中止になったり、やはり目の前で動物が辛い目に合っているのは今後はどんどん淘汰されるのではないかな? 競馬はどうか?食肉はどうか?とかそういう問題もあるけれど、生きているものに対して敬意がないものはどんどん淘汰されていくような時代になったのかな?と。 闘鶏とか、闘犬なども。 私の周りでは特に実家の方でも今住んでいるところでも動物になにかする儀式や祭りはなかったけど、逆に実家近くの神社が鶏の神様で、鶏は大事にしていた記憶。お正月のお料理も鶏は使わないとか。 まあ賛否両論だよね。
・アヒル取り初めて知りました 傷つけないよう配慮しているというけど、それは間違いなく無理なんですよね 競争の対象ならどうしても手荒になるし、そもそも海に入ったこともないアヒルを海に投げ入れる時点で… まあそれと伝統のどっちがと言う話はありますが、仮に犬猫を海に投げ入れる行事なら伝統がどうであろうと速攻潰されるでしょうね。アヒルと言うのが絶妙なラインです。
・キャッチアンドリリースの釣りなんて虐待そのものではないですか。 食べる為なら仕方ないし当然の行為ですが。 魚の痛みはわかりませんが、活き造りなんてどうでしょう。 人によって捉え方が全く違う難しい問題ですね。 あまり自分の感性を独善的に押し付けるのは気をつけましょう。 競馬も闘牛も闘犬も残酷だと思う人もいるでしょう。
・捉え方は人それぞれだけど、動物愛護も突き詰めて考えると結構な広範囲に動物虐待が当てはまってしまうように思います。 私達人間は動物を食糧にしたりペットにしたり、動物園なんてものも動物から言わせたら監禁に当たるのでは?なんて考えることも出来ます。 ペットだって(ショップで)値段を命につけるなんてもってのほか!って意見もありますし、この件に関しては伝統を重んじるかどうかで視点が変わるけど、これは無警告でいきなりだったのでしょうか?そこが気になります。
・あとで食べるためのアヒルなら狩りだから良いと思うのだけど ケージフリーとかを推奨するなら、卵の価格は高騰して貧乏人には 食べられないものになるし、ペット様の方が貧困層よりも高い食費を 払える人しか動物保護が出来なくなる世の中は良い世の中とは言えない。 結局は人は動物から栄養源を貰っているから、有り難うご馳走様で 命を頂きますという姿勢で貰うしかない。鯨とイルカを哺乳類だと 魚類のサメと分けて論ずる差別と宗教観が見え隠れする動物愛護団体は ちょっと矛盾と線引きで共感しにくい。
・日本中の祭りを全部一回確認してみたら良い。 注目されてない祭り、文化は淘汰されてもしょうがないみたいなコメント見たけど暴論過ぎるなぁ。 動物愛護もやりすぎると食卓に上がる料理も変わってきそう。 こういうのは文化を守りながらやって欲しい。
・恐らくだが書類送検したトコで不起訴で終わる可能性が高いように思う。個人的な多頭飼育虐待でもなければ損害賠償を科された訳でもない1件である以上今回は不起訴で終わる可能性が高いであろう。この1件が悪いと言い出せば公共ギャンブルである競馬や京都の鵜飼も全て動物愛護法に違反している事になる。それこそ警察側も国賠訴訟を起こされ兼ねない事態になる。書類送検や逮捕をする時は警察側も慎重にやれと言う事である。
・豚肉も牛肉も鶏肉も好きな自分が言うのもなんですが、そんなこと言ったら食肉のために生産されてる生き物はみんな酷いことされてると思うけど。 まあそこから肉はやめて 昆虫にしようという話なのかもしれないけど。
こうなるとちょっとしたイベントでの魚のつかみ取りとかもう絶対にありえなくなりますね。
・どういう背景で送検されたのか気になる。伝統行事らしいが今の今まで何ら指導もなく無警告でいきなり送検されたのか何年も前から注意していたのを無視し続けたから送検に踏み切ったのかでも意味合いが全然違ってくるし
・いたずらに外部団体が都合の良いいいやすい行事に目をつけこのような行動をとるのはいかがなものかと。 どなたかも指摘してましたがJRAや全国の競馬もあれだけ鞭打ってるんだから同じように指摘すれば?と思う。 これは公の無形文化財に指定されてるんだよね。 ただ知らない人にはこういうものは嫌悪感もあるのかもだろうから、例えば全国の地方行事や祭りについて、その歴史やその行事の中に込められてる意味やルールみたいなものを審議して登録する制度にすれば、こんな警察に届けをいきなり出して当事者が混乱することがないようにしたらどうだろうか。 いきなりこれやられたら準備してたり楽しみにしてる人たちが報われないね。
・動物を使ったもの全てができなくなりそうだな
経済動物のうち食用の物や 羊毛の羊、羽毛用の鳥類など 生産性がある分まだ良いが 闘犬や闘鶏、競走馬とか生産性のない 娯楽要素の強い分野は真っ先に狙われるだろうな 現にハブのショーや海外では闘牛が すでにターゲットにされてるし どこまで拡大させれば気が済むんだろうな
・クレームのメール数百件って、発信元を確認したのかな? メールなんていくらでも自動で送信できるから。 時代の流れとは言え、伝統のお祭りが中止になったり、廃止になったりちょっと寂しい気がする。
健康とか動物愛護とか自然保護に係わる団体の活動には時々矛盾を感じることがある。 一見高貴な活動で、反対・批判する理由も見つからないが、深堀すると脱石油と謳っている化粧品会社の容器がプラスチックだったり、笑ってしまうような団体は結構あるから。 このお祭りに限ったことではないが、全てのクレームに屈する必要はないと思う。
・書類送検ってのは単にこういう事実がありましたよという報告しか意味しないので、これをもって立件起訴されるかどうかは未定です。実際に祭りが過度に過激なものかもしれませんが、そのあたりの客観的な調査報告が書類送検によって実施されるだけです。歴史的、文化的な祭りであることなどを踏まえ不起訴相当が妥当かと思われます。
・伝統文化を守ると言う行為は、それを行って来た昔の人々の『思い』を受け継いで行く事だと思っています。 アヒルを追いかけて捕まえる行為に、どんな意味合いがあったのか?捕まえて、絞めて、捌いて、責任を持って感謝していただく、と言う事も含めるなら行う意味もあるかと。昔はご馳走だったでしょう。 大量生産、大量消費する手を汚さない現代人が、忘れている事です。 ただパフォーマンス化しているなら、アヒルの人形でも良いとは思います。
・動物愛護法違反なら罰則が科されるが、伝統行事でアヒルを追い回す行為につき処罰する必要があるのか疑問です。不快感を感じる。動物がかわいそうだ。という理由だけで祭の主催者は処罰されるのは一般市民の感情からかけ離れているのではないですか。祭礼は時代とともに変わっていくとは思いますが、やり方の変更は刑罰による威嚇ではなく社会の合意でなすもべきのではと思います。
・競争馬は競馬する為に人間の手が加わって生産されています。確かに動物であることは間違いないのですが、自然界で自然に生きてる生き物を不要に虐待したり、死に至らしめたりとでは状況が違いますね。後、競争馬の場合、鞭で叩くと痛いように見えるかもしれませんが、叩かれている太ももの部分は痛みは無くて、刺激として脳に伝達されるみたいです。馬はデリケートかつ自由な生き物なので、何かで痛い、辛いと感じたら騎手や観客の思惑に関わらず、走るのを止めたり暴れたり、みたいです。
・外形的に見れば、動物愛護法違反になるかも知れないが、伝統的なお祭りの行事の一環だ。これだけで罪に問われるのは酷なのでは。余りにも杓子定規な法解釈と言われても仕方ない。
しかも、「アヒル取りを含む糸満ハーレー全体が市無形民俗文化財に指定されている」と書いてあるように「市無形民族文化財」に指定されている。
伝統行事の一環のアヒル取りであって、必ずしも動物を虐待する目的では無い。文化財に指定している行政が、問題を解決するため、関係者を集めて、落とし所を探るための話し合いをしてみたらどうか。
・もちろん伝統文化であれば何でも許されるものでは無いが、ある程度の線引きはいる。極論だと伝統文化であっても食人は許されないだろう。ただその線引きは法律で完璧に引かれているかと言うとそうでは無く、厳密に運用すれば全国の裸祭りなんかもわいせつ物陳列で許されない伝統行事になる。 明確に線を引けないところにこの問題の難しさがあると思う
・840件のうち、糸満市にわずかでも関係する人って何人いるんでしょうね?その団体もどんな関係があるところなんでしょう?おそらくそのアヒルも家畜として、遅かれ早かれ食用に供されるのでしょうがね。
・以前、テレビでロボットのイルカが泳いでいる映像を観ました。流石にジャンプはしていませんでしたが、ホンモノのように泳いでいまし。アヒルも模造したロボットを作ってそれを使えばいいと思います。 その資金は動物愛護団体の方々に協力していただければ、簡単に集まると思います。
・動物愛護法が制定されてから、アヒル取り、鵜飼etc 様々な伝統行事が中止や検討中に追いやられていますね。 線引きが難しいですが地道な調整が必要なのかな? 賛否両論は何にでもあります。
・ニュースでビデオを見てみましたが、アヒルを捕まえて船に乗り込む際には首を持って高々と掲げていて、これは虐待と取られても仕方ないかなと思いました。 沖縄は過去に闘鶏についても鶏への悲惨な虐待が問題になっていましたね。 あれも伝統文化の名のもとに目を失ったり頭蓋骨が露出した瀕死の鶏が道ばたに捨てられていて酷かったです。 そろそろ人間の勝手な楽しみのために作られた伝統は見直さないといけない時期に来ているのではないかと思います。 同じアヒルでもインドネシアのアヒル追い祭りみたいなのだと平和でいいなと思いますけどね。
・動物愛護法で訴訟を起こされるのが残念に思う。 法律を糧に愛護を行うのではなく 双方の言い分を話し合いで解決すべきだったと思う。それが叶わなければ裁判で行う事になる。 一個人に動物の気持ちを強く協調されても良い感じはしません。 自然界で生きる動物たちにしてみれば 日常的な事です。 定かでないが時間経過すると癒えて治癒すると思います。 動物愛護の線引きがあって それのライン以下辺りの話し合いです。 1個人の主観より 伝統的文化を継続と言いたい。
・欧米から見れば、馬肉を食べる日本人は動物愛護的な視点からは異常な事らしい。 愛玩犬を食べるようなもの。 人が法を「感覚的」に判断すれば何が違反しているのか公平では無くなる。 多くの人の理解を得られるのか、それが重要だと思う。
・前に動画で見た事あるけど、ゲーム性が含まれているので、なんとも言えない気持ちになった。20年くらい前だけど、闘牛もやっていて、初めて見た自分は、見ていれなかったけど、地元では当たり前なので、楽しんでいるようだった。 文化の違いに口を出すのは、ナンセンスだと思い、自分は目を背けるだけだけど、そもそも文化とは?とも思うね。 生贄とかも、人がまだ未熟だったからだと思うし、野蛮な事は辞めていくのが進化なんじゃないかしら。
・動物愛護の方々の正義感なのでしょうが、神事や祭、伝統行事は地域の方々の生きる糧にもなっていると思います。 過度な部分があればもちろん今の時代にあった変化もも必要だと思いますが、何でもかんでも反対っていうのも違うと思います。
・YouTubeでこの祭りを見た事がある。 地元に根付いた人気の祭りです。 アヒルは主に食用にされ、持って帰って捌いたり、捕まえた人が欲しい人に売るみたいです。(中高生のお小遣い稼ぎ) 個人的には文化の1つだし、いたずらにアヒルを虐めている訳でも無く、何ら問題無いと思う。 動物愛護の精神は大事だと思うが、人間は沢山の家畜を飼い、屠畜し、それを食べて生きている。 無駄な殺生や不必要な行為は否定するが、動物を食べるという人間本来の行為は否定しない。 この祭りも食用で育てられた家畜を祭事として放し捕まえるが、それ以上の事は無いし、食用となるのであれば食育としても問題無いと思う。 自分は友人にビーガンもいるが、人に強要するような人は居ない。 動物愛護の精神は大事かもしれないが、過度に人に要求するのは違うと思う。
・かつては自然は完全に人間の手におえないものであり、尊敬、恐れ、祈り等の対象で、人間も生き物として自然に支配されていました。原始時代から近代まで程度の差はあるにしても、この類の伝統行事はこういったニュアンスの中で続いてきたのだと思います。神に動物の生贄を捧げて雨乞いをするなんていうのもまさにそれでしょう。 現代は太古に比べれば自然の脅威を受けづらくなりました。その中で伝統行事も感覚に合わなくなってきたのだと思います。 私に言わせれば、ペット産業こそ虐待の極みです。品種改良の過程でどれだけの命が使われているのでしょうか。繁殖の役割を終えた個体は丁寧なケアを受け続けることができるのでしょうか。人間がより良い品種を求めるというエゴの中で多くの命が使われていることを想像すべき。売り場の仔犬なんて見ていられません。あんなに狭いケースに入れられ、若い個体買われ、売れ残りも出るのです。
・競馬も鞭を打ってかわいそうと思う人もいると思いますが(私もその一人です)、サラブレッドは走ることが喜びだと思いますし、あの大きな体で人間が鞭を打ってどの程度の痛みなのかは分かりかねます。
残酷だなと私が思うのは、北海道のばんえい競馬でしょうか 重い荷物を引かせて坂を上らせ、上がれないとなると人が蹴っ飛ばしたりするという記事を読みました。 田畑を耕す為にというのならまだしも、人の娯楽の為にならば観ても楽しめません。
闘犬や闘鶏なども人の娯楽の為に動物が血を流すような怪我をするなんて、いくら伝統であると言っても私には残酷に思えます。
・アヒルじゃなくてバリケンを使うんですね。 どちらも家禽ですが、バリケンは色柄が個性があって好きです。 愛護の観点からは、個人的には受け入れ難いですね。 愛犬家、愛猫家の方は、犬や猫を水に投げ込んで捕まえるお祭りは辛くて見ていられないのでは。 いや、陸上動物だから、正しい比較じゃなかったですね。 それでも、後味の悪いイベントのように思いました。
・伝統行事それとも振興行事なのかが分岐点の様に思いますが(線引きが難しいが) 自分はベジタリアンでは無いので鳥も食させて頂いておりますが小鳥も飼っています。 命を繋ぐために感謝して食べさせて貰っています。アヒル取りは拝見した事はありませんが祭事の一環としての文化であれば信仰の一部分としての意味合いも有るのかも知れませんので全否定も出来ないでしょう。
・動画を見てみました。 大切に抱えて背泳ぎで帰ってくる人と、首をつかんで頭を沈めながら泳いで来る人がいて、後者は見ていて嫌な気分になりました。 地元の人は慣れちゃって何も感じないのかな? 長く続いた伝統行事と言っても、参加する人は遊び感覚で、伝統の重みなんて関係ないですよね? 食べるために捕まえるのと、遊び感覚でなぶり殺しにしてから食べるのとでは、やっぱり違うと思います。 伝統行事でも大昔から全く同じ形で続いているものは少ないでしょう。時代とともに変化してきているものなら、今のやり方に固執する必要はないと思います。
・沖縄は闘牛祭りも止めて欲しい。 昔からの伝統って言うけれど、野蛮なもの、動物をわざわざ人間の娯楽のために苦しめる祭りが必要だとは思わない。 昔は娯楽が無く開催されていたもので、今の時代は娯楽は山の様にある。 ハーリーはハーリーだけで十分楽しいと思うので、アヒルをわざわざ追いかけ回す必要も無いし、闘牛も然り。 無理やり時代に合わない伝統とやらを続ける必要は無いと思う。
・こういうことがあると、他のケースを持ち出し、だったらこれは?と言っている人が多いけど、小さなことから見直すことによって段々意識が変わっていくのではないだろうか。つまり、きっかけはなんでもいいと思う。伝統行事などで動物を弄んだり、痛めつけることはやめるべき。人間社会だって変わってるのだからこういったこともどんどん時代に合わせて変化してすべき。
・伝統と世代交代による意識の変化による齟齬は、いつの時代も起こってきた事象だよね。 この手の話題で自分がいつも思うのは、日本人は魚介類に対して扱いが厳しすぎん? ってことだ。 生きたまま鉄板で焼いたり油で揚げたり、目から串を刺して貫いたり、踊り食いしたり。 終いには活け造りと称して、捌いた魚がまだ動いてることを新鮮の証と喜んでみたり。 勿論、生き物を食べること自体を否定する気は全く無いけど、自分たちの楽しみのために魚介を苦しませて殺すのは流石に残酷すぎんかといつも思う。 伝統としてやってきた人達にとっては、当たり前のこと過ぎて違和感ないんだろうけどさ。
・つまりは生き物を人間のおもちゃにするからダメなのでしょう。 生き物にも怖い、痛いという感情があります。 食肉用の家畜に関してもそれまでは快適に暮らせるようにケアするのが先進国のスタンダードになりつつあります。
どうしてもやりたいならおじさんに鳥の格好させて追いかけ回すのはどうでしょうか? その方が見てる方も面白いし、話題性もあるし、アヒルも守られますね。
・どう見てもアヒルは怖がってるよね。それを追い回して首根っこ捕まえて沈めるって。それってイジメじゃないの?自分の子供が同じことをされて、祭りの一環ですて言われて納得するのかな。こんな動物虐待の祭りなんて、なくした方がいい。子供の教育にもよくない。他のどなたかが言ってたのを見たけど、アヒル型のラジコン?みたいなのをブイブイ動かせて、上手く捕まえた人になんらかの景品交換、などの方が全然楽しいしもどこからも文句来ないと思う。動物使う度に嫌な気持ちならなくて済むわ。
・伝統行事は少しずつ時代に合わせて変わっていってる。 そのやり方は、その時代には良かったんだろうけど、今は同じことしても見た人に何も届かない。 少しずつ形を変えて、伝統行事の意味を理解できるよう受け継いでいったほうが良いのでは?単に行事をやることだけに固執せず、主催者はもっと考えたほうが良い。 競馬に関してはここで色々言うくらいなら立ち上がって自ら反対運動をするべき。 ワタシももちろん反対です。 動物を闘わせるような行事もあるし、全てにおいて時代に合ってない。
・最近動物愛護がささやかれるが、動物と人間はどちらが大事。人間が動物の犠牲になってもいいのかと思われる話題が多い。疑問なのは動物愛護といいながら動物の肉を食べるのは主張と合致しているの、アヒルを擁護しながら七面鳥は食べる、擁護というなら動物に差別せず人間は肉食はやめるべき。魚はいいのでもある、これも生き物である。動物愛護を訴える人は肉を食べないの。虐待はいいとは思わないが人間の生活が第一である。
・個人的な考えですが、こういった祭りは時代にそぐわないと思います。 鯉に酒を飲ませる祭り。 馬を蹴り上げる祭り。 馬を坂道から突き落とす祭り。問題に上がっている祭りが複数あります。 それらの祭りは、歴史があるもので地元の人にしてみたら、ごくごく普通の問題がない祭りとなっているのが実情でしょう。しかしながら、昨今の価値観には合致していないとも感じますし、私はやめるべきだと思います。
鵜飼は良いのか?競馬はよいのか?牛、豚、鶏を飼育し食べるのは問題がないのか?という意見もあります。しかし、それらを止める事は、あまりに障壁が高いし、生業にしている人もいます。
祭りも同様かもしれませんが、継続的な産業ではありません。もう少し、動物を大切にするやり方に改めるべきではないでしょうか。
・アヒルにとって追いかけられ首や羽を捕まえられるのは確かに恐怖、抑圧、苦痛を感じると思います。まして人の方は遊び半分で手加減なしの行為だと思うから精神面と肉体的な恐怖、痛みを感じているはず。人にとってされる嫌なことは動物でも同じことが言え、それをイベントにする考えは現代思想から大いに疑問を感じます。その昔、今の動物愛護管理法が日本に制定されていない時代に動物虐待が諸外国から痛烈な批判を浴びていた頃があったので、その繰り返しになるのではと思えます。それを考えると何のための法律なのか、日本は諸外国から遅れていそう。人の思想も時代の趨勢により変わるはずなため、虐待防止の観点からイベントの存続を取り止めた方が良いのでは? ところで奈良公園の痩躯したシカはエサの給餌量が不十分で虐待の疑いがあったと思いますが今はどうなっているか気になります。
・馬上げの神事の壁は無くなるし。。。アヒルも昔は食用だったのだろうから、それならウナギの掴み取りや鮎の掴み取り、究極は牛追いまでも虐待になってしまうのではと思う。 一部の人の主張で日本の地域の伝統が途絶えてしまうのは惜しいのではないのかな。
・鯨を食べる、イルカを狩る、祭りでアヒルを捕まえる。昔は当たり前の文化として許されていた行為も、対象が絶滅しそうになっていたり、アニマルウェルフェアが重視されていて、価値観の土台そのものが変わってきているのです。 文化だから何をやっても許されるわけではないのでは? これからも価値観は変わっていきます。
・アヒルは近年ではペットとして飼う方もいらっしゃるようですし、食用としての家畜というイメージから人々の意識が変わってきたのでしょうか。 個人的には別にアヒルを追いかけ回さなくても、祭りは出来るような気がしてしまいます。また観光地として多種多様な人々が訪れる沖縄県としても、対外的な印象は良くないのかもしれませんね。
・動物愛護という目的は素晴らしいですが、文化を守る事もまた大切な事だと思います。何故思い通りにならないと告発や書類送検になるのでしょうか?何故相手と議論せず一方的なやり方をするのでしょうか?検察や警察ももう少し地域文化に配慮すべきではないでしょうか?NPO法人を名乗る人程、いい加減な人々はいないと思っています。中には全うな目的で活動されてる方々も多いのですが、補助金目的や偏った活動をされる方々が少なからず紛れ混んでいると思います。今回の件で言えば、善悪の判断は何なのでしょうか?お祭りでの金魚すくいや亀釣り等は?それを強制的に出来なくして誰にメリットがあるのでしょう?
・むやみに行っているものでは無いし、伝統的なものであるので、そこまで目くじら立てなくても良いのでは無いかと思う。
私の様な人間には、これを動物虐待だと言うなら、動物を本来生息する自然界以外の場所に連れて来たり、交配して増やしたり、賭けの対象にしたり、安全の為に首輪をしたり、予防注射を打ったり、警察犬や盲導犬、ホスピタリティに貢献している動物達、全て目につくものは人間のエゴだと思います。
細かい事を言ったらそう言う事になる、私は。
色々な事に優しい世界は決して悪くないけど、伝統文化が失われるほど過度に反応するのは、個人的にはあまり好ましくないです。
・糸満まつりではヤギ1頭マグロ1尾が景品になりますよ。 当たった人は捌けるお店に持って行ってヤギ汁やマグロ刺身にして皆んなで食べると聞きました。 糸満ハーレーのアヒルは男の子達が体力勝負として挑むけどなかなか捕まえられなくて、やっと捕まえたとしても自分で捌けないから専門のお店に持って行って皆んなで食べると聞いたことがあります。
虐待に見えるかもしれないけど最後はちゃんと命を大切に食すのです。
その訴えた団体は、海中を必死に泳いで捕獲したアヒルはアウトで、景品のヤギとマグロはセーフなの?
告訴することで自身の団体パフォーマンスとして利用してるとしか思えない。
・毎年行なわれているカルガモ農法はどうなるんだろうね。 カモが害虫を食べて駆除してくれるけれど、その後はスーパーなどでカモを調理した惣菜なんかが売られているけれどね。 自分は美味しく食べさせてもらっているけれど、動物虐待だと言われてしまうのかな。農作物が害虫に食われてしまう方がカモにも虫にもいいことなんだろうか。
・キチンと食べるなら問題はないと思いますが、恐怖心だけ与えて盛り上がって終わりならアヒルもかわいそう。 しかし、神事や伝統行事にはそれなりの意味が残っていると思いますから、他地域の人間が口を挟むことではないと思います。
そもそも我々は自分たちが手を汚さずに生き物を食っているのですから、あんまり好き勝手言えないように、牛さんと豚さんと鶏さんの解体をテレビ放送すればいいと思います。
・このお祭りを見たことがないので何とも言えないですが、 他の方も載せていらっしゃいますが、私は競馬が苦手です あんな風にムチで何度も叩かれたら痛いよね、腫れてるのではないか、手当してもらえるのかなと思うと見ていられない
三重県多度町の神事上げ馬は今年から崖の高低差を調整することになったそう おそらく全部の馬が駆け上がれることになるのではないかと思いますが、占い的な要素は無くなっても馬が骨折して安楽死になることを思えばそれも良いのではないかと思います 関係者は盛り上がりに欠けるでしょうけどね
・個人的にはこの祭りには反対です。食べるために殺すのは許されて、遊ぶために傷付けるのはNGなのか?昔の日本人の感覚ならOKだったと思いますが、日本人も変わり欧米化が進んでいます。魚介の踊り食いを見た西洋人が日本人の野蛮さに目を背ける場面を見たことがあります。歴史より時代に合わせ変化していくことが大事だと思います。
・地方に残る伝統行事は大切にしてほしいと思うけど、 その内容に疑問を感じる人が多くなった時には、 きっと時代と共に見直す必要があるということでしょうね。 みんなが楽しく感じられるような形で存続できることを期待します。
・文化、伝統だと言うが 今に比べて昔は色んな事が軽視されてた時代でもあるじゃん それを文化や伝統を理由に昔のままつづけるのもどうかと思う
時代が変わってやり方を変えた伝統文化だってあるだろうし 残すのが大事であって、やり方を残すのは二の次でいいと思うけどな 作り物のアヒルで、人が紐で引っ張っても良いんじゃね?それはそれで駆け引き出来て盛り上がりそうだし 100年後に『昔は実際のアヒルでやってたんだよー』って話をしても全然良いと思うが
伝統文化を残すのは大事 でも時代に合わせてやり方も変えていかなきゃね 昔のやり方は記録で残せばいいんだし
何かを守るためには何かを変えるのも必要だと思うわ
・沖縄って動物の扱いに関して二面性がありますよね。多様な生物がたくさんいるけれど、日本有数の外来種の入植地。大繁殖して固有生物がどれくらい生き延びているかも分からない。 一方では海亀の保護をしながら、一方では増えすぎて漁の邪魔だと海亀の生息域で漁をして乱獲して首を切り海に投げ捨てる人がいる。 固有生物を脅かさないようペットの室内飼いが推奨され、野に下った野良猫の保護が盛んで、近年効かなくなったと言われるノミダニ薬フロントラインは沖縄では販売もされていないそうですね。 どちらが過剰かわからないですが、大きな島も三分のニがゴルフ場になる計画が進み、生態系が回復不可能になりつつあるのが現状のようです。 アヒルは日本人にとっては食べ物。 無残に殺して良いわけじゃないですが、危険な外来生物が持ち込まれ放題はどうなんだと複雑な気持ちです。 沖縄はどんどん貧しくなっています。 働き手もいなくなりますね。
・こうやって地域ごとの文化や伝統が失われていくんですね、、、 時代の流れとして許容していくしかないのかな。 その地域全体としての意見はどっちの方が多いんだろうか。 少数意見だと思うけど、その少数意見を過度に尊重することは正しいことなのだろうか。
時代に合った形で伝統行事もアップデートしていくのが正しい道なのだろうか。
・保護活動団体の考え方は極論になりがちだから、第三者の冷静な判断が必要。 なんでもかんでも虐待と見始めたら、そのうち養鶏所も書類送検されたりするよ。 無形文化財に登録されているものを、現代的視点から虐待と断定するのはどうかと思うね。
・こういう行為は、1つのものをみんなで追い込み、追い込まれる方は、精神的な苦痛を長時間追い込まれる。 これが楽しくなって、人間にも同じような気持ちでやる人も出てきそうなやり方だと思う。 集団で一人の人を気に入らないからとイジメ、暴力に繋がり兼ねないかと、、。 どちらにしても生き物を追い込む行為は、心が痛む。
・毎年旧暦5月4日に開催される糸満ハーレーの歴史は、 いまから450年前とも580年前とも言われている。 諸説あるようだが、豊見城の城主で後に南山王になった旺応祖が、 中国で見たのにならって始めたもの(球陽・1743年)」 と言われ現在では、航海の安全や豊年を祈り、災害をはらうための 祭りとして地域に根ざしている。
アヒラートゥエー(アヒル取り競争)は、 昔は中国の福建省でも開催されていたことが 中国の古い記録で確認されている。 戦後、幾度かの中断のあったアヒル取り競争だが、 現在は復活し、大変盛況である。
糸満ハーレー行事委員会「いとまんハーレー」プログラムより抜粋&要約
・これは人間のエゴです。 みなさんの言っている通り、競馬、釣り、ペットショップ、動物園他全ては動物の意思を無視し人間の欲でしかない。 食料は仕方ないと言いつつ、年間何万トンの動物の肉を無駄にし廃棄しているのではないでしょうか? こういう行動を起こす人は、動物愛護と言いつつ本質は他を責めるための手段、先導をしたいだけに見える。 このまま人間としての罪を認め、あからさまな虐待以外は欲を満たすものとして受け入れ続けていくか、動物は全て平等とし食品管理を徹底してロスを無くし、動物産業は全て廃止とするか。 動物愛護とはそういうことではないでしょうか。
・人の捉え方は千差万別。 今まであった行事で楽しめる人もいると思う。 考え方や時代が移り変わり多くの人を不快にさせる行事は廃れていくし、そうでないものは残っていく。そう考えるのが自然だと思う。 抗議や告発するのは自己満足だし、その人個人の考え方。大多数の意見ではない場合も多い。 それに反応せずに、不快なものはなくなり、そうでないものは残るのだから、長い目で見る世の中であってほしい。
・動物愛護なんて「絵空事」でしかないと考える。人間は、「生き物」を食べて生きている、生き延びていることと「動物愛護」をどのように捉える、バランスを取るのだろうか。「虐待の捉え方」で愛護の認識が分かれるのかも知れないが、「命を無くして喰うの中に虐待」を含むとは考えないのか ? 動物愛護は、人間のエゴでしかないのではないか。肉を喰い、魚を喰らい、植物を殺し、果実を悦ぶ人間は、哀しい生き物だと思う。
・今どきこんなのを楽しく見られる人は少なくなってる。 弱い者が怖がったり苦しむのを、楽しいショーだと思えない人が増えてきたことは、日本の知性が上がってきているのだと思う。 伝統とはいっても、人の子供を生贄にしたり人柱にした時代もあり、今はやめたのだから、動物に迷惑かける行事もやめられないことはないと思う。
・他人や他所の文化に目を向ける、理解しようと努めること。また尊重することって大事だなあとつくづく思います。
自分のモノサシだけで判断して無理やり法にひも付けて、訴える。何だかなあと思います。この件に限らず、次々にターゲットを定めて『活動』し続けるんでしょうね。支援を得るために。
競馬、鵜飼、闘牛、畜産、職業動物、動物園、ペットの飼育や避妊去勢…。彼らの論理では動物とほとんど関われなくなりそうと思っちゃう。
・街なかで、無闇矢鱈に生き物を取ったり、虐めたり、誰が見てもオカシイ事ならば、咎められることに賛同しますが、お祭りなど伝統的なものにまでこれを適応するのは如何なものか?考え直して、特例の条項など作れないのかな?鵜飼は皇族が絡むから、警察も手を出さないのか?流鏑馬神事は中止?など色々、主催者側、関係者によって対応がマチマチですが、祭事、神事はそれに及ばずの一言だけあれば、伝統も受け継がれると思います。できることなら伝統、行事は残してほしい。日本国民の多くは農民出身、家系が多いと思います。よく武士道と日本人も口にしますが、武士家系の割合、農民など武士家系以外の日本人の方が多いはず。その農村、一般の伝統も護ってこその日本人の心と思います。
・文化を守って欲しい派です。 動物愛護を語る人達って、肉や魚を食べてないのかなと思いました。食べてるなら二枚舌だなと思いました。 それに比べたらこれ位のことどうってことない。何でもそうですが「〇〇を傷つけるから」と言って批判を繰り返す今の世の中にうんざりです。 その地域の伝統行事を守る事も大切だと思います。
・動物愛護は残酷な人間から守るために必要な大切な精神です。 が、もう少し臨機応変にできませんかね。 別に殺すわけでは無いので。 もちろん死に至らないからと行って無闇矢鱈と脅かすのも可哀想です。 北海道のばんえい競走の馬のあまりにも可哀想な鞭打ちの映像からルールが変わったように、行き過ぎた行為は大勢の人も声を上げます。 が、それにしても昔から行われて来たお祭りなどを動物が可哀想の一言で糾弾するのは考えものです。 良く言われますが、結局人間は食物としての牛や豚などは散々殺して食べているわけですから、その矛盾を分かっていての発言行動で無ければ。 私の知り合いの活動家は菜食主義です。 彼は牛豚など食べなくとも穀物、野菜、果物などだけで生きられる。 と、言っています。 私は自ら動物肉を食べない彼の動物愛護精神は信用しています。
・「参加者には、水中で首をつかまないなど、丁寧に扱うよう呼びかけているほか、捕まえたアヒルがけがをしないよう、柔らかい素材のかごを配布するなど、虐待にならないよう心がけていて、そうしたことも知ってほしいと呼びかけています。地元の人やハーレー行事委員会でやめてくれという意見がほとんどを占めるんだったら、当然、やりません。しかし、地元の人たちがこれだけ楽しみに待っている行事ですので、大切に受け継いでいって、後世にバトンタッチできるようにやっていくというのが大きな使命だと感じています。その方向で一生懸命取り組んでいきたいなと考えています」と話していました。 東恩納委員長は、これを虐待だと認識していないと?動物達にとって何かに追われるとは食われる恐怖も一緒に感じる苦痛でしかない。それが分からない沖縄県民や参加者って同じ人間ですかね…後世になんか残す必要のない祭り。
・馬に芸を仕込むのは愛があって、ご飯をあげている、ととらえて保護団体の方はホースショウを容認されているのですか?調教師の方が馬は喜んで調教されている、と説明しているのを聞いたことがあります。私にはホースショウが辛く、苦しいものに映りました。競馬は?四国の闘犬も伝統と自分に言い聞かせながら、これからは衰退していくのでは、いや、そうあってほしい。と思いました。鵜飼は伝統漁方なんですよね…。イルカショーのイルカの寿命は海洋で泳ぎ回るイルカの半分以下だと聞きました。探すときりがない。あくまでも私見ではありますが、継続的に傷や痛みを与える、服従させて人間が喜んでいるもの、に関しては、人間のエゴに他ならないと思います。歳を重ねて、捕食に際しても、感謝しつつ、無駄にしない。を次世代の若者にもしっかりと伝えなくては、と思います。
・「伝統的な習慣」であっても、現代の規範にそぐわなくなってきているものは、廃止とか見直しするのは当然だと思います。人間が「アヒル取り」をして、追いかけまわされる「アヒル」達が喜ぶはずもありません。ご神木の上に乗り、坂道を滑り落ちる様な危険で "命がけ" の祭りなども、そろそろ見直しする必要があるのではないのでしょうか?おめでたいはずの「お祭り」で命を落としたり、大怪我を負う姿をみて、そこに祭られている「神様」が、微笑んで祝福してくださるとは、思えません。
・ま、自分が小学生低学年の頃、40年以上前だが、祭りの際に売られていたミドリガメやヒヨコの子と思えば伝統行事として継続されていたものへの批判はどうなのかとも思うが、時代の流れとしか言えないのかな。 先日も神事の馬の件もあったし。 仕方ないのかもです。
・苦情の電話をした人は 動物愛護 というよりも この祭りがイヤ とか 祭りで騒がしいのがイヤ と言う事の方が大きいのかもしれないと思います。地元のお祭りって起源がわからなくても大切なものだと思うので続けていってほしいと思います。
・人間以外の動物の尊厳を考え出すと、人間は生きてゆけなくなる。ただ人間が動物の存在を求めるのは、食の対象として以外に、娯楽や儀式、あるいは研究対象というものがあって、そこが他の動物と根本的に異なる部分(一部の動物には他の動物に対する残虐的行為を楽しむものもいるが)。 記事のような「文化」にまで昇華した娯楽に関して、賛否が分かれるのは致し方ないところだと思う。馬を使った神事で、馬の生命を軽視しているという報道も最近あったが、人間の動物に対する残虐性の線引きをすることは、正直言って不可能。 時代の要請もあるし、個々に対応を図って行くしかないと思う。
・時代の変化としかいいようがないな、世界基準に合わせなければいけないと思うな。アヒルの立場に立って考えればそれは納得だろう。伝統、固有文化の保護もあるが今は簡単に個人目線で情報発信可能ですからある意味遅かれ早かれいずれはといったとこではないでしょうか。
・私は、宗教者や動物愛護者でもないが、必要以上に動物に恐怖心や痛めつける事に憤りを感じる。 神事とか祭りとか、昔からやってきた伝統だからとか…人間の都合でペット用に犬を改良するとか…人間の残酷さに嫌気がします。 人間も生命を食べなければ、生きられません。 人間に危害の及ぶ動物も、なるべく苦しまないように駆除している方、家畜をできる限り苦しまないように屠殺している業者さんに学ぶべきだと思います。
・この件で起訴はあり得ないし、裁定主文も「起訴猶予」ではなく、「罪とならず」か「嫌疑なし」となるだろう。 理由は単純で、行為自体が動物虐待の構成要件に当てはまるかが疑問である上、仮に当てはまるとしても刑法35条の正当行為に当たって違法性が阻却されることが明白であるからだ。
・何でもかんでもクレームをつけるのはいかがなものか。地域の昔からの伝統文化にまで無理を強いるべきではない。この人たちは牛や豚等の肉は食べないのだろうか。一切動物の肉を食べないで済ませることは出来ない。職の連鎖で人間は生かされている面もあるので、何でもクレームをつけるべきではない。昔の生類憐みの令的にならないことを望む。
・この件に関する動物愛護団体からの発想は単なる個人的な感情主義に他ならない。或いは売名行為が目的なのてあろうか。 真摯にそう思うのであれば先ずは内部に一員として入り込み主体的な立場から有効な改善策を提案し続けるといった努力が求められます。 単なる面白さだけを求めてこの行事に参加している人は誰一人としていません。 地域に根付いた風習や文化・伝統に外側から安易にケチを付ける行為こそが世界中の戦争を引き起こしているのだから。 単なるカワイソウではなく本当の「愛護とは」を極めてくれませんか。
・初めて知りました。 微妙ですが、そもそも家畜なので屠殺して食べるために飼われている動物なんですよね?もっとスパっと殺して食べろということなんでしょうか?虐待と騒ぐなら何も食べられなくなりませんかね??沖縄独自の文化であり、守ることも大事だと思います。
・思い出した。複数で笑いながら泳いで逃げるアヒルを追いかけ捕まえて“首を掴み”盛り上がってた。 あの映像は、さすがに見るに耐えなかった、祭りとは言えないと思った。 しかし、牛や豚も殺して食べてるじゃないかと言う人がいるが、それは屁理屈だ。じゃあ、人間は何を食べて生きていくのか、栄養を摂取するのか。 それを言うのなら、外食すると必ずごはんや野菜、漬物を残している人が多い。あらかじめ量を減らしてもらうとか、苦手なものはいらないと言うとか言っておくことだ。
・どんなに強引に捕まえてるのか、見たことはないけど、確かに逃げ惑うアヒルにはストレスだと思う。でもそれを言うなら、もう家畜もダメじゃん?って思うけど。頃合いを見て、人間が食べるために屠殺するんだから。 スーパーにパックしてあるお肉に、クレームすればいいやん。屠殺の工場に近づけば、匂いで察知するのか、動物は泣くらしいですから。
・そのうち、何処かの神社の「長鳴鶏の鳴き合わせ神事」とかは、鶏に不要な心理的ストレスを与えて喉を酷使させている、とか 「魚の掴み取りイベント」は、捕獲されたくない魚に無用な恐怖を与え、その上で食べてしまっている、など、あるかもしれないと思いました。 上げ馬神事はとても痛そうで可哀想だったので、壁が撤去されると聞いてホッとしましたが……
・おそらく長良川の鵜飼いにも抗議してるだろうし、なんだったら各地の動物園にも抗議してるかもしれませんね。主催者側が動物(人間=主催者 )に執拗な抗議により過度なストレスを与えた、と 動物愛護法違反の疑いありと 抗議者を訴えたりして。 難しい問題ですね。
・こういった話題が出る度に二言目には伝統や文化と言うが、そんな言葉で容認される時代じゃない。 糸満ハーレーの動画を見た事があるが傷つけないような配慮などされているとは思えなかったし実際残酷だと感じた。 仕事で生きる為の食料を確保する養鶏業でも世界ではアニマルウェルフェアが主流になっているが日本はその分野でも非常に遅れている。 そもそも人間以外の動物を物として扱う法律から見直すべき。
・動画見たけど、首がへし折れるような角度で握って泳いで岸に戻るので、アヒルからしたら苦痛しかないように見えた。後で食用にするにしたって、動物愛護のほかに食用にする動物の屠殺の法律的にも、無闇に苦痛を与えるやり方はいけないとなっているはず。伝統だか知らないけど、動物に対する法律がなかった大昔のやり方そのまま続けているだけで、権力者が反論を揉み消していただけだと思う。生きたアヒルはやめて、お風呂のアヒルちゃんを大量に流して集めた個数で競う祭りにしたらいいのに。あととんびから食べ物を最後まで死守とか、風船つけて雄鶏につつかれないよう逃げ回るとか。動物に負担が少なく、人の方が攻撃されて生き残る祭りならまだ良いのでは?
・まあコレを虐待と言い出すと、競馬とか金魚すくいとかバス釣り大会とか、何ならペットショップの生体販売とか‥キリが無いけど全部虐待になるんですよね。今や航空機にペットを乗せるのも虐待になってしまう危険性がありますからね。結局は、人間がどこまでが罪じゃないかを主観で決めるしかない、と言う事かな。 「猫を壁に投げつける祭り」なんかがあったとしても、それが伝統行事なら許されてしまう可能性もある。それが人間社会です。 自分勝手で傲慢かもしれませんが、ある一定のラインで許容するしかないのでは?
・こう言ったお祭りがあるんだなぁ、と思ったが…、全国的に知られている動物を使った伝統祭や行事は他にもあり、見方によっては動物が酷使されている。でも、存続の応援や見物人は全国的なんだよね。 こう言った記事を読むと思うのは、駅の看板駅長猫の事。旅先の電車の中から見た看板駅長猫は初代で人気が出て、それからはその駅の名物。上り下りでお披露目があるのか、当駅出発の方々のお見送りなのか分らないが、それ以外の人には隠して見せなかった光景を見た。猫の業務とあって、鎖で繋がれていたり、職員と同行したり、好きな時に好きな所に行けない。全国から猫に会う為に来ていて、良く取り上げられているんだよね。 これも虐待に感じるけれど、人間に取っての都合で正当化ものなのかね。こう言う全国的人気物に対しては寛容なのかな。
・そもそもアヒルはマガモを品種改良して作られた家禽、天然の種類ではありません。
北京ダックや鴨鍋にして食べたり、羽毛はダウンジャケットに使われます。
アヒルを祭りに使うなと言うならば、競馬も闘牛も禁止しないと筋が通らないのでは?
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