( 144398 ) 2024/02/29 23:07:39 0 00 写真提供: 現代ビジネス
「何をされるかわからない」「襲われる」……。相手が障害者と見るや、こうした過剰でまちがった「不安」をぶつける人がいる。ごく普通の住宅街で起きている、不寛容の現場を歩いた。
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前編はこちら:〈【横浜】「殺され損だ」「何をされるか」「資産価値がゼロになる」…障害者グループホームに猛反対する「ごく普通の住民たち」のおかしな言い分〉
グループホームの前に集まって声を上げる周辺住民(筆者撮影)
'19年6月、グループホームは入居者の受け入れを始めたが、幟旗は立ち続けた。同市の職員が各戸を回り、旗の撤去を要請しても住民たちはどこ吹く風だった。見るに見かねた筆者は、顧問を務めるKP神奈川精神医療人権センターや近隣の福祉事業所に呼びかけて、反対住民との対話を模索した。
地域は一枚岩ではない。「あの旗はとても恥ずかしい」「かえって地価が下がる」「子供たちに差別心を植え付ける」などの声も漏れてきた。だが、反対運動の中心人物や、「地域に分断が生じるのは困る」と恐れる地元自治会は逃げ続け、対話の場を作れなかった。
そこで、「私たちは生きづらさは抱えていますが、犯罪者ではありません」「直接会って話を聞いてください」などと、精神疾患のある人たちの思いを記したメッセージチラシを作り、地域の住宅の郵便受けに定期的に投函する活動を'20年春から開始した。チラシは毎回数百枚作り、内容をその都度変えた。
1年後、「子どもたちの安全を守れ」と「地域住民の安全を守れ」と書いた幟旗はなくなった。そのため、筆者たちはチラシ投函活動を終えたが、強硬な反対住民は「運営会社のサービスが悪く、居住する精神障害者を苦しめている」などと反対理由を変質させて、いまだに抗議の幟旗を立て続けている。過ちを認めるのが嫌で、意地になっているのだろうか。現在も市が間に入って話し合いを試みているものの、融和に至らぬまま5年が過ぎた。
このようなグループホーム反対運動は全国で起こっている。全国手をつなぐ育成会連合会が'20年に実施したアンケート調査では、建設や開設の際に地域住民から反対された事例が過去10年で90件にのぼり、4件に1件が反対を受けたことが分かった(回答総数356件)。
反対理由は「事件や事故が起こるのではないかと不安」が突出して多く、「地域に障害者施設がなじまない」「地価が下がる」「地域への説明が不十分」が続いた。今回の記事では、筆者の地元の神奈川のケースを扱ったが、同調査では東京、千葉、愛知、富山の反対件数が特に多かった。
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反対運動が生じる背景には、国の隔離収容政策によって障害者と地域とが長年分断されてきた問題がある。
日本の精神科病院はもともと「患者の隔離施設」として乱造された面があるため、数が際立って多く、世界の精神病床の2割近くを占める。そこに長期入院している人の多くは、狂暴性ゆえに閉じ込められているのではない。地域に戻る場所がなく、入院が長引くうちに、自立して暮らす気力すらも奪われたのだ。
知的障害者は、街はずれや山奥の施設に押し込められてきた。「外からの刺激を遮断すると落ち着く」という関わり方が拡大解釈され、入所者の一部は暗い個室に閉じ込められた。劣悪な環境におかれた彼らがストレスをためて暴れると、支援者は「強度行動障害」のレッテルを張り、監禁部屋の鍵をますます頑丈にした。
神奈川県では、元職員が入所者45人を殺傷した'16年の相模原障害者施設殺傷事件(津久井やまゆり園事件)以後、県立障害者支援施設の改革を進めてきた。入所者を鍵のかかる部屋から開放し、人間的な交流によって個々の力を回復させている。これらの施設では、最近も職員による虐待行為が次々と発覚しているが、これも改革ゆえであり、以前ならば問題視すらされなかっただろう。
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改革チームの一員として、県立中井やまゆり園(足柄上郡中井町)に関わる社会福祉法人グリーン理事長の中西晴之さんは、'90年代後半、当時施設長を務めた知的障害者入所施設「青葉メゾン」(横浜市青葉区)の建設を巡り、激烈な反対運動に直面した経験がある。
「住民がバリケードを張って工事を妨害したり、住民訴訟が起きたりと、それは大変でした。混乱は3年に及び、開設後も抗議は続きました」
だが、永遠に続くかとも思えた反対運動は、急に収束した。
「反対運動の先頭に立っていた人の家族が、うちの関連施設を利用することになったんです。『申し訳なかった。これからお世話になるので、よろしくお願いします』と頭を下げてくれました。
この日を境に地域は大きく変わりました。今では施設と自治会が一緒に開催する秋祭りが賑わい、あらゆる人に優しくできる住みよい街に変わりました」
障害者が快適に暮らせる街づくりは、ほかの住民たちの未来の安心にもつながる。逆に言えば、障害者を排除する地域に、誰もが暮らしやすい未来はないということだ。
「週刊現代」2024年2月24日・3月2日合併号より
佐藤 光展(ジャーナリスト)
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