( 144613 )  2024/03/01 14:23:50  
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Photo:PIXTA 

 

● 近づく?アメリカの利下げ 株価活況でも日米経済の内実に差 

 

 いま世界経済の鍵を握っているのは、FRB(アメリカ連邦準備制度理事会)が、いつどのように金利引き下げに転じるかだ。 

 

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 この3年近く、コロナ禍やウクライナ戦争による資源価格などの急騰で歴史的なインフレが続いてきたが、ようやくインフレ率が鈍化、FRBがインフレ抑制から景気重視へと舵を切るタイミングが近づいている。 

 

 これを巡ってさまざまな予測や思惑が交錯し、株価や為替レートを大きく変動させている。これを象徴するのが、アメリカや日本などでも株価が歴史的な高水準になっていることだ。 

 

 日本では、FRBの緩和政策への転換や日本銀行が金融政策を正常化に踏み出すとしても緩和の方向は変わらいとの見方が、日経平均株価の最高値更新の大きな要因になっている。だがこの流れは続くのか。 

 

 アメリカの金融政策の行方を正確に予測することはできないのだが、将来を正しく見通すために、特に重要なのは、アメリカのインフレがどのように発生し、それをどのようにコントロールしたかの経緯を理解しておくことだ。この背後にある経済の状況も金融政策の対応も、日本の場合とは大きく異なる。 

 

 表向きは同じでも、いまの“活況”を生み出したものは全く違うことに注意する必要がある。 

 

● 実質賃金は23年6月からプラス アメリカと日本の経済状況は大きく違う 

 

 最初にアメリカのマクロ経済的な指標を見ておこう。アメリカの消費者物価の推移は、図表1の通りだ。 

 

 物価上昇が始まったのは、2021年の春だ。それまで、1~2%程度だった消費者物価の対前年同月比が、4月に4%になった。そして、22年3月から9月までの期間では8%を超えた。しかし、その後低下して、23年4月から3%台になっている。 

 

 一方、総報酬の推移は、図表2に示す通りだ(総報酬は、賃金とボーナスの合計)。実質総報酬の対前年同月比は、21年6月期から23年3月期までの間だけマイナスになったが、23年6月期ですでにプラスになった。このように、実質報酬伸びがマイナスだったのは、一時的だった。 

 

 アメリカ長期金利の推移を見ると、図表3の通りだ。19年には2%程度であったが、コロナショックに対応するために大幅な金融緩和がなされ、0.6%程度まで引き下げられた。 

 

 その後、21年からは、インフレに対応するために金融引締めに転換し、長期金利はかなり急速に上昇してきた。 

 

 これに対して、日本の実質賃金は、2年間にわたって下落を続けている。これがいつ終わるのか、見当がつかない。日米間の経済状況は大きく異なる。 

 

 

● アメリカ経済の強さが インフレを引き起こした 

 

 今回の世界的なインフレを当初、主導したのはアメリカでコロナ禍からの回復期に、深刻な人手不足が起きたことによる要素が大きい。人手不足による賃金の上昇が先導する形で物価上昇につながったのだ。この間の推移を見ると、次の通りだ。 

 

 コロナショックに対応して、アメリカ連邦政府は、2021年3月、一人当たり最大1400ドルの現金給付を柱とする総額1.9兆ドルの大規模な財政拡大を行なった。 

 

 金融の面でも、FRBが政策金利をゼロに引き下げ、国債を無制限に買上げる大規模な量的緩和政策を実施した。 

 

 一方、20年末に医療従事者や高齢者へのコロナワクチンの接種が始まり、21年3月ごろから一般接種が始まった。5月以降に接種が加速した。その結果、経済活動が回復、給付金などの消費で需要が拡大した。 

 

 ところが、これに供給が追いつくことができなかった。工場だけでなく港湾や運送会社、倉庫などサプライチェーンがフル稼働できるだけの労働力を確保できなかったのだ。 

 

 貨物船が入港できず、沖で待機するという事態が多発した。入港できても、荷役労働者やトラックの運転手の不足のために、国内の流通網に入れなかった。このため、生産活動や出荷が停滞した。 

 

 労働市場での需要が高まり就職機会が多くなると、労働者は、離職することによって賃金が上昇することを期待するようになった。これは、「Great Resignation(大量退職時代)」と呼ばれた。つまり、意に添わずに失業するという大恐慌とは正反対の事態が起きたのだ。 

 

 結局、コロナ期に過剰な景気拡大政策を行ったことが、労働力不足を引き起こして賃金を上昇させ、その結果、物価が上昇したことになる。 

 

 この背後には、アメリカが新しい産業、特にIT産業がAIなどで目覚ましい成長を続けているという状況がある。 

 

 こうしたアメリカ国内の状況に加え、22年2月にロシアがウクライナ侵攻を開始し、対ロ制裁やそれへの報復などで資源・エネルギー価格などの急騰が新しい要因として加わりインフレが加速した。 

 

● インフレ抑制は引き締め策の成功 FRBは正攻法で政策運営 

 

 インフレに対処するため、2021年11月、FRBは金融引き締めに転換した。まず、それまでの量的緩和を縮小する「テーパリング」を開始した。そして、22年3月から利上げを開始した。これよって、図表3で見たように長期金利が上昇したのだ。 

 

 アメリカがインフレの抑制に成功したのは、このような金融政策の転換による。そしてこれは、政策金利を操作することによって行われた。FRBは金融政策の正統的なやり方をそのまま行ったのであり、日銀のように国債の指値オペなどで長期金利を直接に操作したのではない。 

 

 一般に、金融引き締めは政治的に人気がないので、遅れがちになる。FRBの金融引き締めのタイミングが適切であったかどうかについては、議論の余地がある。インフレの初期の段階で、それを一時的なものとみなして重視せず、引き締めが遅れたために、インフレが高進したという評価はあり得るだろう。しかし、その後の金利引き上げは、極めて急速であった。 

 

 

● 日本のインフレは輸入物価が主導 競争力や経済衰退で賃上げが追い付かず 

 

 一方、日本ではインフレは輸入物価の上昇が主導した。アメリカなどのインフレが輸入物価を通して波及し、原材料やエネルギーなどのコスト上昇が転嫁されて国内の消費者物価が上昇した。この過程で、日本の金融政策は奇妙としか考えられない対応をした。 

 

 アメリカの金利引き上げに対して世界の多くの国の中央銀行利上げで追随した。ところが、日銀は金融緩和を続けて、金利の引き上げを行わなかった。このため、大幅な円安を招いた。このために、国内物価への伝播を遮断できなかったのだ。 

 

 他方で、物価上昇にもかかわらず企業が賃金を十分に引き上げることができないので、実質賃金の対前年伸び率がマイナスになった。この状況はいまに至るまで続いている。 

 

 日本では、長期にわたる金融緩和のもとで企業が生産性向上や新ビジネス展開などの取り組みを怠ったことで産業競争力が低下、経済が衰退し、輸入インフレに賃金が追いつかないのだ。 

 

● 賃上げを実現させる第一の条件は 緩和策をやめ企業に変革努力を促すこと 

 

 今後、アメリカが金利を引き下げれば、日米金利差が縮小し、為替レートは円高になる可能性がある。それに加えて日銀が金融正常化を行なって金利が上昇すれば、急激な円高が進行する可能性もある。 

 

 これは、これまで日本の企業の利益が円安によって増加してきた状況を大きく変えるだろう。日本で株価の急激な上昇が進んだのも、円安による面が強いと思われるので、その状況が変わることがあり得る。 

 

 しかし、これを恐れて金融正常化を行なわなければ、経済構造が改善されず、実質賃金上昇率がマイナスである状態から脱出できない状態が続く可能性が強い。 

 

 だが賃金について言われるのは、企業は賃金を「引き上げよ」という掛け声ばかりだ。その半面で、有効な政策は何も行われていない。 

 

 賃金を引き上げるには、新しい技術や新しいビジネスモデルによって、生産性を引き上げるしかない。それを実現する最初の条件は金融正常化だ。金利を上げることで、企業にそれを上回る収益をあげ、賃上げができるよう変革の努力を促すのだ。日本は経済政策の基本原則に戻る必要がある。 

 

 (一橋大学名誉教授 野口悠紀雄) 

 

野口悠紀雄 

 

 

 
 

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