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LINEのマルハラ、漫画が影響? 句読点研究の調査と異質な出版社

朝日新聞デジタル 3/3(日) 8:00 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/299f31a6b36f073a26e47a39de995535a27cf738

 

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若者がLINEの文末の句点「。

」に圧力を感じる「マルハラスメント」が話題になっている。

若者の文章は漫画やLINEの影響を受けており、句読点が使われないことが多い。

文化や作品によって、句読点の使い分けがある。

関係者は句読点が必要ないと感じる人もいるが、その捉え方には違和感があると述べている。

(要約)

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これってマルハラスメント? 

 

 LINEの文章で若者が文末の句点「。」に圧力を感じるという「マルハラスメント」が話題となっている。「今時の若者は…」「正しい日本語は…」といった反論も飛び交うが、句読点や符号を研究する筑波大の岩崎拓也助教は「学生もメールやX(旧ツイッター)などでは普通に句読点を使っている。LINEなどのチャットツールは漫画のような吹き出しで文章を表示しているのが要因では」と話す。 

 

【画像】ガラケー時代のメールでも使われない句読点。その変遷は? 

 

 漫画では、吹き出しでの囲みが文章の区切りを意味するため、吹き出し内の文字には句読点を使わないのが一般的だ。文末には「!」「!?」や「…」を多用し、長文の時は改行を入れたり吹き出しを複数に分けたりする。これは若者のLINE文章と共通する点が多い。 

 

 実際、岩崎助教が少年漫画誌での句読点の使われ方を調べたところ、「週刊少年ジャンプ」(2023年2号)では掲載21作品中で句点を使用したのは1作品で4回のみ。読点は使用例がなかった。「週刊少年マガジン」(同年2・3合併号)も掲載26作品中で句点は1作品38回、読点は1作品12回と大半のマンガで句読点を使っていなかった。 

 

 例外的だったのは「週刊少年サンデー」(同年2・3合併号)で、掲載25作品中で句点は24作品996回、読点は24作品474回と圧倒的な数で使われていた。 

 

 版元の小学館は、小学生向けの学習雑誌から創業した歴史を持つ。月刊誌「小学一年生」の明石修一編集長は「句読点について社内で明文化されたルールがあるわけではないが、先輩から引き継がれてきた。漫画も国語的な読み物として、句読点の使い方を学んでもらう狙いで続いてきたのだろう」と話す。 

 

 その一方で「エンタメ作品として見た場合、漫画は会話劇なので、句読点があると作品の流れやスピード感を損なう場合があると感じる」とも。このため「LINEの会話型のやりとりは漫画に近いので、句読点がない方がなじむという人たちの感覚も分かる」と話す。 

 

 ルールがあるわけではないので、情緒的な会話の流れを大事にする少女漫画では句読点を使わないことが多いなど、作品によって使用の使い分けがなされているという。 

 

 岩崎助教、明石編集長とも、句読点を使わない文化には理解を示す一方で、「ハラスメント」との捉え方には違和感を示す。 

 

 岩崎助教は「区切りを示す符号が、必要ないのになぜあるのかと深読みされ感情を示す符号に誤読されてしまった世代間ギャップの問題にすぎない。使ってはいけないという考えにまでなるのは少し怖い」。 

 

 明石編集長は「句読点の成り立ちは文を読みやすくするという配慮から。思いやり由来だった用法がハラスメントとなるのは国語文化の観点から考えると疑問に思う」と話す。(加藤勇介) 

 

朝日新聞社 

 

 

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(まとめ) 

若者の間で句読点の使用に対する感覚や、マルハラと呼ばれる問題について、様々な意見が見られました。

一部の若者が感じているものを一斉に全ての若者に当てはまるかのように報道されることや、句読点の使用に関する個人の感覚について議論がされている様子が見受けられます。

句読点やマナーに関しては、時代や文化の変化、さらには個々のコミュニケーションスタイルによって異なる考え方が存在しており、その違いを受け入れる必要性や、適切なコミュニケーションの在り方に関する意見も見られました。

一部の意見では、過剰反応やハラハラとした議論をすることの是非を指摘する声もありました。

時間や状況に応じた句読点の使い分けや、相手に対する配慮を大切にする姿勢が求められているようです。

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・完全に火がついてしまって、どのメディアもこぞってマルハラマルハラと騒ぎ立てますが、そもそもは一部の若者が感じていることをさも若者全体が感じているかのように伝えたネット記事が発端。若者全員に当てはまるわけでもないのに、こうやってメディアが事実化していく。先日は冷静な目線でこの風潮を批判する記事もでたが、マスメディアはよほど若者を「切れやすい」とか「傷つきやすい」という風に描きたいようだ。 

 

 

・人はある一定の距離感 一定の時間 期間接触しないようにする必要があります。つながりが度を超えると、他人の考えを無視 時間を拘束し他人を自分の脳の延長機器だと思う危険な人が出てきますので、そういった所から解放され自由を取り戻す必要あると思います 

 

 

・マルつけることがハラスメントと騒ぐ事に驚いた。 

一部の意見がまるで常識みたいにハラスメント扱いになるんだなって恐怖しました。 

逆に「草」とか、「w」は文章の内容と送りつけられた人によっては恐怖にもなるような気がするけど、これはありなんですよね。 

 

昔の言葉に「バカの一つ覚え」とありますが、まんまだと思う。 

なんでもハラスメントにしたらいいと言うことでないと思うけど、誰がハラスメントときめているのだろう。 

 

 

・マンガというより、非ロジカルな「ひとことコミュニケーション」が増えたからでしょう。 

 

特にLINEって、最短の言葉でやりとりすることが多いから、自然と「ひとこと」が多くなる。 

 

「今から帰るけど買い物ある?」 

「牛乳とブロッコリー」 

「おけ」 

 

このくらいの短さなら「。」を打つひと手間をかけなくても伝わるから普通はつけないですよね。 

 

でも、「ロジック」を文章にして送る場合だとある程度の文字数は必要。 

どこかには、「。」をつけるのはしかたないよね。 

最後を笑顔のアイコンで終わらせると「おじさん構文」とかいって批判されるしねえ。 

 

今どきは、こういうコメントも、このくらいの文字数になると、もう「長い」ってなるよね。 

 

これでも本来「短文」なのだけど、ロジックを書かない(書けない?)人は増えてる気がしますよ。 

 

あと、こういうのをマスコミが面白がって対立を煽るのも、すごく嫌な気がします。 

 

 

・受け取り方は人それぞれだし、感じ方も人によって様々だと思うのに、何故か一部の声が大勢を占めているように持っていくやり方にネット記事の怖さを感じます。受け手の感じ方にもよりますが、句点をつけることが必ずしもハラスメントになっているとの決めつけは良くない気がします。世代感ギャップは勿論あるとは思いますが。 

 

 

・そもそも漫画は静止画でアニメみたく話しているように見せる為に句読点等は省いているのだろうけどね。LINEは漫画の吹き出しの延長だから付けない事多いだろうけどXやメール等は付いてないと読みづらいのはあるかな。ただ何でも句読点打てば言い訳ではなく打つ事で意味もまた変わってくる言葉も有るので。 

 

 

・子供の時は子供の空気の読み方をするのが正解だと思う。 

それと、同時に大人には大人のルールがある。 

大人になったらそれに従え! 

最近、大学生と交流する場面があったんだけど、本当に幼稚でびっくりした。 

素直でいい子たちなんだけど、それが幼稚園児を相手にしてるのかと錯覚する感じなんだよね。 

本当に気を使えない子が多くて驚愕した。 

コミュニケーション能力が落ちてるから、句読点とか見て判断しちゃうんでしょ? 

行間を読む力を養いなさい。 

 

 

・私は意図的に社内連絡ツール内でのやり取りは 

わりと「。」にしている。 

 

むしろ最近若い子達の文章で気になるのが、 

何かを依頼する際の文末が「…?」になっていること。 

「︎︎は可能でしょうか…!?」みたいな感じ。 

「…」はなんの意味が?とか思ってしまうおばさんです笑 

 

てっきりうちの社内の独特な流行りかと思ったら、 

取引先の若手もこういうメール送ってきたので、 

世間の流行りなのか?と思っている。 

 

マルハラについては、 

文章がどこからどうみても怒っていなくて 

最後が「。」ってだけなので、 

そんなことで怖いと感じる受け取り側の精神が弱くて大変だなと思う。 

 

 

・小学校の国語の授業をいかに聞いていないか、もしくはまともな授業として教えることができていないことの顕れですね。 

 

偏差値の高い学校を卒業してきたであろう若者はLINEであれメールであれしっかりと句読点をつけます。 

 

就職採用担当者としては、エントリーシートの文章の書き方を見ただけで「本当の意味の学歴」を見抜くことができるので、作業として楽になりました。 

 

 

・句読点の使い方一つ取っても、時代や文化の変化が感じられる。LINEやSNSでは緩やかなコミュニケーションが求められ、句点が圧力と感じられるってのは、確かに漫画の吹き出しのような直接的な会話を模借してるのかもしれない。でも、「句読点を使うな」という圧力がかかるのはちょっと行き過ぎ感があるよな。 

 

岩崎助教と明石編集長の意見は納得がいく。句読点はもともと読み手への配慮から来てるんだから、それがハラスメントになるってのはなんか変だよな。世代間のギャップやコミュニケーションの形式が変わっても、文の読みやすさや配慮は大切にしたいところだ。 

 

ただ、LINEみたいなチャットツールで句読点を使うかどうかって、もはや個人の自由だろ。使わないことに違和感を覚える人もいれば、使うことで親しみやすさを感じる人もいる。このバランスをどう取るか、それぞれの感覚があっていいんじゃないかな。 

 

 

 

・40代ですが気にせず使用してます。 

相手が若い子でそういう感性を持っていたとしても、普段から当たり前に。を使用していれば威圧感など感じる訳もなく、いちいち気にするのが馬鹿らしい。 

こんな事が議論になるものでしょうか? 

世代間ギャップは当然に生じるものですから、気にし過ぎる現代に違和感があります。 

 

 

・根本的な問題としてこれはマルがどうこうではなく、単純に若者のコミュニケーション能力の低下が原因だと思う。 

デジタルツールでばかりコミュニケーションを取り対面でのコミュニケーションが減った事によって、人や人格を見る事ができず主観でしか文書を読み取れなくなっているんだと思う。 

相手がどういう人かを知っていればマル如きでどうこう感じる事はないだろう。 

 

 

・若者視点での考えを示すなら別の世代の考えも示すべきだと思います。どんな事象でも当事者とそうではない属性の視点の双方で物事は語られるべきだと思います。 

句読点を不自然に感じる新しい世代が登場した。その事実だけで十分だと感じます。なぜそこに上の世代が迎合しなくてはいけないのでしょうか?または、あたかもハラスメントと感じる側の意見だけが重視されるのでしょうか? 

人権を奪うようなハラスメントには、もちろん断固として反対の立場です。しかし、なんでもかんでもハラスメントに繋げることマスコミには辟易しています。話題性を作り上げて物語を描き続けられるのかもしれませんが、私はいちいち振り回されずに生きていきます。 

 

 

・自分は高校生ですけど、句読点に違和感や不快感を感じたことはありません。同級生には、相手に句読点をつけられると恐怖や威圧感を感じるとかいう人がいるけど、学校でもしっかり文に句読点をつけることは当然習っていますし、自分は句読点は日本語の文法にとても重要な存在だと思います。 

こういう日本の文法を大切にせず、今の若者の変な価値観が後世にまで続いてしまったら「ら抜き言葉」のように、句読点抜きが慢性的なものになってしまうのではないかと心配です。 

 

 

・仲の良い同僚や知人同士なら「。」が無くてもいいと思いますが、取引先とのやり取りで「。」が無いのはどうかと思いますけどね。 

 

気が知れた人ならいざ知らず、ほぼ面識が無い人にまともな文章のやり取りができなければ、仕事ができない人と思われますよ。 

まともな文章を書く気が無い = 仕事のやる気が無い となりますので。 

 

仕事ができない人だと思われてるだけならいいですが、担当者変更、他社へ乗り換えとかなる可能性もあるので、そこらへんはどう思ってるんでしょうね。 

 

 

・何でも悪い影響は漫画のせいにする点だけは昔と変わらないな。ただ句読点は、本来読みやすくするためのものである。そこに意味を感じるのは、感受性が豊かというのを通り越して、やや度が過ぎるのではないか。そんなことに神経を使うなら、いっそ電話で話した方が楽なのでは。短文はダメとか、既読スルーはダメとか色々あったが、直接話した方がお互いにいい気がする。そもそも「マルハラ」は、本当にハラスメントに該当するのか。句読点に意味を感じる前に、他に感じなければいけないことはもっとあるだろう。 

 

 

・こんなことに対して「ハラスメント」という用語を用いるのは「マルハラ」と最初に使いだした人やこの記事を書いた人にその意図はなくても、「ハラスメント」事象のもつ深刻さを大きく貶めることにつながります。まるで茶化しているみたいになるので、誰も幸福になりません。「ハラスメント」を使用するのは本当の「ハラスメント」に対してに限定すべき。 

 

 

・漫画の吹き出しとの関連性は面白かった。面白い研究をされている方もみえるものだと思います。連想として古文には句読点はない。いつ、どのような経緯で句読点を打つようになったのかは盲点でしたね。その意味では打たないのも社会の変化ということになるが、若者が社会の既製の習慣を守らないのは勝手すぎるというもの、本名でなくバンドルネームのメールを教員に送ってくる学生と同じで、きちんと社会のマナーやルールを教え込むべきでしょう。 

 

 

・同世代同士のやり取りであったり、友人同士のやり取りで使う分にはどのようなやり取りの仕方でも構わないと思います。 

ただ現在LINEは仕事でも使うことがありますし、その際に正しい言葉を使うことが望ましいと思う。 

相手に対して自分の意思をしっかり伝える上で、省略した言葉や、それこそなにかのニュースで見たのがLINEは2行以内でなければ、というような若者中心の考えに統一する必要性は無い。 

 

やはりこのようなSNSの中でも仕事などで使用する以上は礼儀というものは必要になると思うし、語尾に。というのだって、ここで文章を切る、文章が終わります、という意味では必要なものだと思う。 

 

 

・LINEは若者にとってはコミュニケーションツールというよりもリアルの会話とほぼ同じものと捉えられていて、口から発する言葉に点や丸がついていないのと同じ感覚で句読点を省略しているのだと思う。 

文章の書き方に口語体、文語体というのがあるけれど若者のLINEの場合、口語体をさらに実際の会話に近づける表現方法として句読点を省略していて、それが無意識レベルまで浸透している。 

そうした表現を昔から行なっているのが漫画だ。漫画の中の言葉はキャラクターが発する言葉や会話で構成されているから実際の会話に近い印象を与えるために句読点を省略した表現が意識的に行われている。 

若者のLINE表現と漫画の吹き出しには相関関係がみられるが大人だって漫画を読んで育っていて若者だけがその影響を受けているというのは少し違う。LINEをメールなどのツールの一種と捉えているか、会話の延長と捉えているかの違いと考えるのが自然だ。 

 

 

 

・昭和世代です。確かにメール系の「。」には、無表情を感じます。昔は携帯もメールも無くて手紙だったんですけども。 

友達に渡す手紙に、マルは使いませんでした。星や音符マーク、シールを貼ったり。 

雰囲気が今の絵文字のようにカラフルでした。 

 

マルを使う場面がどんな時かと言えば、 

学校の作文、数学証明問題、反省文。 

真面目な場面です。 

 

携帯が普及してからはメールは手紙の延長の存在で、メル友、写メ、絵文字、顔文字… 

遊びのような存在でしたね。 

あまり真面目なシーンでメールは使われませんでした。それこそ「仕事の連絡にメールなんてありえない」と言われるほど。 

 

やがてメールがLINEに代わり、仕事に使われるようになると、やはり違和感はありましたね。 

ハラスメントというより、受け取り方次第だと思うのですが。マルもつけない無愛想。絵文字が多くて気持ち悪い。等、 

何かしら気に食わないと文句言うのが日本人です。 

 

 

・筑波大助教さんの話からすると漫画の影響というが、漫画自体は数十年も前からあるので、正しい見解とはいえないのではないでしょうか。 

むしろ、近年SNSで吹き出しのような短文を打つなかで、句読点を用いないような文章しか打てなくなったことに由来しているのではないでしょうか。 

短文で伝わりにくいため、「?」や「!」といった記号で表現していたり、或いは絵文字等、スタンプを用いた表現が増えたことが句読点に対する意識の変化に繋がっているのではないでしょうか。 

 

 

・子供の頃に国語の授業で習いましたし、マナーブックにも書いてあったので大人になってもそのまま使用しているだけなのに急に言われても。 

今の授業では問題に触れているのでしょうか?率直な気持ちで知りたいです。 

何でもかんでも今の情勢に合わせて流れを変えてしまうのはいかがのものかと思ったりします。 

あくまでも個人的にですが、「ハラスメント」って、一つの逃げ道に使われている気がしてなりません。 

 

 

・まず、マルハラとやらがセクハラ等と同等のハラスメントとは思えない。 

仮に対処すべき社会問題だとして、この記事が「漫画での」句読点の使い方を取り上げるのはズレを感じる。 

扱うべきは、LINE等での句読点の使い方では。 

漫画と同じ感覚でLINE等を使っている人が、文章だけが送られてきたせいで、句点に過剰反応しているという指摘であれば、スタンプを付ければマルハラと感じる割合が下がるかについても検証してほしい。 

 

 

・「圧を感じる」とか「嫌がらせ」となってますが、現世は一切それらのプレッシャーのない世界を目指しているんでしょうか 

自由な生き方って少なくとも周囲に迷惑(プレッシャー)がかかることもあるのに、自分だけを特別扱いしてほしい為にあえて弱者に回る人の声が大きすぎて悲しくなります 

ほんとは若者もステキな方も多いんですよ。 

最新技術に精通していて頭のいい方も、礼儀ただしい方もいっぱいます。 

わざわざこんな軋轢生むような記事なんて書かなくてもその場で認識の違いを話し合ってわかり会うこともできます。 

こんな事を盛り上げてる記者やしゃしゃり出てくるコメンテーターの方が余程悪人に思えます。 

 

 

・ハラスメントは、受け手の主観に依存して被害として感じられる不快な行為や言動のことを指します。日常的かつ反復的に句点「〇」が用いられることで,受け手に圧力を与え、感情が疲弊する場合があります〇 

特に、コミュニケーションが背景に依存する権威や立場の上下関係の中で行われる場合、句読点が意思疎通の文脈で威圧的に作用する可能性があります〇このような関係性と句読点の相互作用は、ハラスメントの成立につながる可能性があり、その影響を十分に認識する必要があります〇 

 

また、単語や記号の意味や用法は時代とともに変化しており、その変化の方向性に柔軟に適応するスキルが求められます〇記号のシニフィエも当然に変化し,その多様性と変化のスピードに適応することが,快適で円滑なコミュニケーションにとって重要です〇句・の有無だけでも受け手の感情を左右し操作的に働くこと、この・においては認めざるを得ない事実でしょう゜ 

 

 

・マルハラって言うけど、ハラスメントには該当しないと思う。 

一方で句読点に関しては、言葉も常に変化していることを考慮すれば、受け入れないといけない部分もあるし、それでも受け入れ難いって部分もあるだろう。 

事実、我々だって数百年前の日本人と同じ話し方や書き方、読み方をしている訳ではない。それは正に、時代と共に言葉も変化してきたって証拠だから。 

 

 

・マルハラとか、またマナー講師が変な事を言ってるってのに近い感覚だと思いますけどね。若い子だってビジネスツールのメールやチャットであれば普通に句読点も使うし。 

元々の発端って友達同士のLINEで句読点をあえて付けてくると、相手が怒っててると感じるってやつだったと思います。上司とのそんなこと思わないでしょう。まあ一定の距離間がある相手である事は間違いないですけどね。 

 

 

・私は文章を書く感覚で、普通に句読点を使う。 

 

受け取るラインで、稀に句読点無いものを見ることがあるが、区切りが分からなくて、意味が分からんと感じる時がある。 

 

自分が送るラインで相手が同じ感覚になって、その意味の確認でさらなるやり取りするのが鬱陶しいし、最低限のやり取りだけに留めたいから、句読点はきちんと打つ。 

 

 

・漫画の吹き出し説は合っているようで、違うんじゃない?だって、漫画なんて最近読まれ始めた物ではないんですし。通信という認識か、会話という認識かの違いの方が大きいのかな。 

世代間ギャップなだけで、ハラスメントではないと思うんですよね。 

実際句読点で圧迫感や不快感を持つ人はいるのかもしれませんが、逆に句読点が無い事に、違和感や不快感を持つ人もいるはずです。 

それは年齢だけの問題ではないはず。 

多くの人はうまく使い分けて、相手が句読点を付けようが付けまいが、そこまで深く気にしていないとは思いますが。 

SNSでは句読点使わなくても、仕事や、子供がいれば子供の学校関係、地域の役員、そういった時の書類やメールで句読点使えてるならそれでいいと思います足。 

 

 

 

・私個人的な考えですが、X(旧Twitter)などの影響もあると思います 

Yahooのコメントもそうですが、結構文字数が圧迫されることもあり、 

文字数制限がある中で長文を書いたときに句点を抜くだけで10文字くらいになったりすることもあるので、読点の有無をそこまで深く考える必要はないと思います 

 

ただ、なんでもかんでも「ハラスメント」とするのはおかしいと思います 

ハラスメントを「自分が嫌だと思う事」に置き換えて考えているのが現代ではないでしょうか 

ハラスメントっていうのは当初は「言動、行動により個人の尊厳を踏みにじる行為」くらいのものだったと思いますが、ちょっと嫌だな、めんどくさいな、と思う事にどんどん「○○ハラ」とつけて行動制限する 

それこそハラスメントと言って個人の尊厳を踏みにじるこういですから「ハラハラ」だと思います 

 

 

・実際は若い人のうちどのぐらいの割合でマルハラを感じているのだろう。若い人たちだって子どもの頃から国語の授業を受けて正しい日本語の文章にも触れているわけだし、何より仕事とプライベートと割り切って考えることはできないのだろうか。プライベートは句読点なくたって全く問題ないけれど、きちんとした場面では、句読点=モラハラではなく、日本語とはそういうものであると考え方を切り替えられないのだろうか。日本語も時代によって使い方や言葉の意味がだんだんと変わっていったりするものだけど、句読点に関してだけは、それがつくだけで威圧的だとか怖いなんて感じることの方が違和感しかない。 

 

 

・若い世代はライン等の文書を声による会話と同等に捉えているから句読点も無く短い箇条書きになっている。  上の世代はラインやSNSも文章を入力しているので句読点もある文章になっている。  マンガの吹き出ししか馴染みがないのかな? 文学作品を読んでほしいね! 今のままではビジネス文章も書けなくなる心配がありますね! 

 

 

・大河ドラマで話題の源氏物語などは句読点はまったくない。さてこれが読めるか?ということである。その不自由を解消すべく明治時代に句読点が生まれてきたようなものだ。こうした先人の苦労や知恵があって国文法が整理されて、共通言語としての日本語が通用する。そんな事情をすっとばして、わけわからん理屈で句読点を抜きにしろだの、悪者まがいに呼ばわる各位にはぜひ、原典で、しかも句点などの補助記号のまったく入らない写真帳での古典をお楽しみ頂きたい。 

 

 

・これって何も最近になってのことじゃなく、ネットを介したやりとりで語尾を気にする感性は昔からある気がします。 

携帯がガラケーだった頃やインターネット黎明期の頃からネットでのやりとりでは語尾に絵文字・顔文字や【w】などを付加して親しみや友好性をアピールする文面が流行し、フランクなネットコミュニケーションとして活用されてきましたよね。 

むしろ当時のほうが今以上に語尾が【。】だと冷たい印象だったり【!】だと主張が強すぎるなど感じた記憶があります。 

近年になって【w】が逆に煽りの意味でも使われるようになって(その代わりに【草】が生み出された)こともあるし、普通に【。】を使ったり語尾に何も付けない文章でやりとりする若者は20年前と比べて格段に増えた印象です。 

(逆に今は40〜50代の中年世代が昔の名残で絵文字・顔文字や【w】などを多用して「オジサン臭い」「空気読めない」と揶揄されることも多いですよね) 

 

 

・TVでこのマルハラを見た直後に、英語メディアだったと思いますが、全く同じ論調の記事を見ました。で調べてみると、ニューヨーク・タイムズ紙では既に3年前に、若い人たちはチャットなどのテキスト・メッセージにピリオド(=日本語の「。」にあたる)をつけない、という記事が出ています。ピリオドがあると、堅苦しさや攻撃性を感じて嫌なんだそうです。なのでこれは日本特有ではなく、世界中のデジタルネイティブZ世代に共通の現象なのかもしれません。 

 

 

・普通の日本語の文章で「。」にハラスメントを感じるとは理解しがたいが。句読点は、文章を読みやすくしたり、書かれている内容を明確にしたり誤解を防ぐ目的で使用するもので、絵文字のように相手に感情を伝えるものではない。 

LINEの吹き出しのようなスペースでのやり取りは、会話を文字に落としたもので、まともな文章と呼べるものではないだろう。だから「。」も必要ないと思うが、そこにあえて「。」を使用することで相手に言外の圧力を掛ける意図があるということなのだろうか。あるいは、受け取る側の取り越し苦労なのだろうか。 

いずれにしても、普段、まともな日本語を書いたり読んだりしたことのない人たちの感覚であろう。 

 

 

・マルハラに関しては、「ハラスメントではない。」が私の中の結論。 

ただ、「句読点」があるのとないのとでは、確かに印象が違うことにも理解はできる。 

句読点ありが『七海建人のようなザ・大人』だとすると、句読点なしが『五条悟のようなゆるゆるな先輩』という…ジャンプ読者ならわかってくれるはず。 

けれど、俵万智さんの作品のように『◯で終わる』事が優しさでもあるのだから、やはりハラスメントではない。 

 

 

・高校時代運動部だったミドサーです。 

先輩から、目上の人間に送るメールで使って良いのは句読点だけと言われました。 

 

お友達じゃないんだから絵文字はもちろん、!や…も失礼で顔文字なんてもってのほか。 

社会に出たら仕事のメールには句読点しか使わないんだからね。 

 

ということで、仕事関係者には句読点しか使わないです。 

よっぽど親しい同僚(業務に関係ないLINEのやり取りもする)には絵文字使うけど。 

 

文章の終わりには読点つけるって幼稚園の頃からやってるから今さら変えるのはなかなか難しい。 

 

 

・LINE等、友達同士のやり取りなら句読点が無くても何も問題はないですね。 

しかし、社会人として仕事上でのメールや文書には、読み易さや意味をきちんと伝えるためには必要だと思います。 

句読点が無い場合、意味が解りづらい時があります。 

 

 

 

・家族間のラインでは、逆に面白がって全員句読点を付けまくってます。 

 

句読点よりも、 

漢字の書き順なんかをこだわらない風潮にした方が、子供の学習意欲がわくと思う。 

このところ漢検対策が浸透して、いちいち書き順まで覚えるのは大変。 

 

 

・個人的に思う事だが、人間て戦争時下、災害時下には生きるのが目的で必死で細かい事には頭が回らない大きな不自由を感じざるを得ないが、平和の中にいると何か不都合な物や制約等作って不自由を自分自身から生み出してしまうのかなと思う。 

 

 

・小学校でも、文章の終わりは句点をつけるよう習う。受験でも、句読点をつけるべきところでつけないとバツとなる。 

きちんと学習した人は、句点なしに違和感があるのでは。 

ちなみに、英語ではどうなのでしょうか?ピリオドつけないの?そうすると、改行でもしないと、とても読みにくそうですよね。 

英語でのやりとりする人たちも、ピリオドが書いてあると、威圧感感じてるのでしょうか?そうでないなら、日本のほんの一部の人が抱いている感想でしかないように思います。 

 

 

・それなら、LINEそのものを会話形式にして、漫画の「フキダシ」にしてしまった方が良いかも。 

普通の会話は丸の囲みのフキダシにし、怒ったり、怒鳴った感じにはトゲトゲのフキダシにする。 

さらに、興味のない会話だったり、会話に飽きて来たら、点々のフキダシ。文字以外にフキダシによっても、相手の気持ちが分かれば、面白い事になるよね。 

漫画のフキダシ風なので、当然、句読点を省略しても、違和感はありません。 

これって、日本人にしか通用しないかもね。 

LINEさんやって見る価値ありだ。 

 

 

・文章を書くときには、その媒体によってお作法がある 

作文ならば鉤括弧の終わりに句点をつけるが小説ではつけないとか 

ネット界隈では句点を使わず改行で文章を区切る文化が長く続いてきたので、句点を使うと違和感がある 

若者がとかではなくネットでは改行で区切るのが作法になってる場合が体勢なので、それに従うのが自然ではないだろうか? 

 

 

・80年代の一時期、ウディ・アレンをビジュアルに起用した某大手百貨店の『おいしい生活。』というキャッチコピー以来、単語に句点を付けてフレーズやセンテンスにしてしまう広告・見出しが流行りましたよね。 

句点があると、何かしらの意味や意図があるんじゃないか?あるよね?と思わせる、言い換えれば“さりげなさを失わせる”“さらっとスルーできなくさせる”効果があって、LINEをコミュのメインにしている世代の皆さんはそれにまどわされてるってことはないですか? 

いくらツールや媒体が新しくなっても、コミュニケーションは送り手の思いが受け手に伝わるために存在するんだから、“わかるように書いてあげる”“ちゃんと読んだうえで察してあげる”“わからなかったら尋ねる”“訊かれたら答える”という当たり前のことができればいいんですよ。 

 

 

・ちょっとでも不快に感じると、なんでもかんでも「ハラスメント」にしてしまう人が増加しているからでは? 

 

でも、そういう人は社会で生きていくのは大変ですし、会社や組織で働くのは難しいと思います。 

 

社会に出たり会社や組織に就職すると不快なことがすごく多いですし、学生時代のように不快なことを避けて、快適なことだけに向き合うようなことはできないですからね。 

 

私個人的には、なんでもかんでも「ハラスメント」にしてしまう人に「ハラスメント」を感じてしまいます。 

 

 

・怖いのはハラスメントはやられた方がそう感じたらハラスメントだと言われてきたため、マルハラも若者がそう感じたらハラスメントになるのではないかという恐怖感である 

いつか、マルをチャットで付けたらクビという日が来るのかもしれない 

それに対抗するにはおじさん側もマルつけるなハラスメントという言葉を作っておくしかないのかもしれない 

 

 

・誰かが不快に感じて何でもハラスメントを付ければ語群として成り立ち、それを乱用しているとしか思えない。 

そもそも句読点の使い方は義務教育で習うし、ビジネスメールでも普通に使うのにLINEに特化してハラスメント騒ぎにするのか意味が分からない。 

 

それよりもハラスメントという語群の乱用を控えるべきでは? 

 

 

・LINEを仕事関係のツールとして重用しすぎるから、こういった問題が起きる。 

緊急の連絡なら電話が最適だろうし、電話とメールの中間的な扱いで、短文の返事を返信するだけであれば句読点がなくてもよいと思う。 

要はツールの特性によって使い分ければよい。 

自分は仕事関係であまり使いたくないので、SMSでやりとりすることが多いが。 

 

 

 

・先日、久しぶりに汽車に乗った。席では多くの乗客が年令問わずスマホを見ていたが、一人だけ中年男が『少年ジャンプ』を見ていた。懐かしい光景だった。今は車を運転しながらスマホを見ている不届き者がいるが、昔は漫画を読みながら車を運転するバカも多かった。今のヤングがはたしてどれだけ漫画を読むかは分からないが、確実に減少しているだろう。 

それにしても、漫画の吹き出しはなぜ漢字がゴシックでひらがなが明朝体なのか?あと、関係ないが小池一夫のセリフはなぜ一人称に点を打ち、んをンにするのか?しかも「にほン」とか全く意味不明のンもある(ただ、単行本では 修正していたような気がする)。 

 

 

・この感覚は全く意味がわからん。漫画と文章は違う。漫画は話し言葉を文字に起こしてるだけで、文章は話し言葉ではない。文章の終わりは句点「。」で終わるのが日本語のルールです。それを知らないのか??と、疑いたくなるし、大丈夫かなと心配してしまいます。 まだエクスクラメーションマーク「!」であれば、圧力とか怒ってるという印象を持つのは分かります。 

そもそも文章には感情が伝わりにくいものです。それをいかに言さ使う言葉や文章の表現力において、感情を読み取るものなので、句点ある無しで判断するものじゃないですよ。 

 

 

・フキダシからの連想というのと、サンデーだけ使われているというのは新しい視点だと思った。そういえば、この文脈からは「ドラえもん」の「きみはじつにばかだな。」なんかを連想するし(これはドラハラだろうか)、学習雑誌も滅亡の危機で、サンデーはジャンプやマガジンに大きく引き離されているのもこれが背景かもしれない。 

 

 

・若い一部の人々が我が物顔で言葉を縮めたり端折ったり使っているがこの人々が年を取り自分たちの子供にきちんとした日本語を教える事ができるのだろうか心配ですね。 

特にLINEが生まれてから句読点、句点やがハラスメントなんておかしな話。 

その前に尊敬語、謙譲語等の敬語の文体を理解してほしい。 

 

 

・マルハラが話題になってきたとき、「それ本当か?ネットで作られた都市伝説みたいなものじゃないの」というのが正直な感想だった。 

確かにLINEを見返したら、短文なら自分も含め最後に句読点をつけないメッセージが多いが、長文では「、」も「。」も普通に使っている。 

少なくとも自分の周りでは、マルハラなど感じたことも意識したこともないという人ばかり。 

確かに漫画の吹き出しでは句読点はあまり見かけないが、それは吹き出しの文字数を短くしないと会話のテンポが悪くなるからで、説明的長文の吹き出しだと句読点は使われていたり、文節毎に段落を変えたりしている。 

最後に句読点をつけないのは、途中の「、」もいらないような短文だと必要ないからであり、もらった方も特別な意味も意識も感じないのでは? 

 

 

・そもそもこのような記事が出ることが、ハラスメントの助長に繋がる。 

 

じゃあ、今後は国語の教科書も句読点は無くす方向なんですね。 

 

違うだろ? 

何でもかんでも若者に合わせればいいって話じゃあねぇんだよ。 

むしろ若者が日本の既存の文化に合わせるべきなんだよ。 

 

LINEなんてのもいずれはなくなる。 

その時に、なんで日本語には句読点がないんのですか? 

と、たぶんその時の若者が言うだろう。 

 

なんか、今、若いってだけで勘違いしてないか? 

私達が文化を作ってます的な? 

 

もう少し母国語というのを大切にすべき。 

 

 

・正しい・正しくない、で判断するとややこしくなる。 

言葉は、変わるもの。 

 

今、目の前にある現象こそ、今の時代の反映だ。 

 

年寄りも若い人もそのことを大前提にしたうえで 

受け容れる・受け入れないは、その人の自由だし 

いやなものは、いや、と言えばいい。 

 

若者にも、年寄りにもルールがあるのだから、 

相手に自分世代のルールをおしつけずに過剰な反応をしなければ 

問題は起こらないと思うけど。 

 

年寄りは、若者のルールなんてわからないよ。近くに若い人がいないと 

こういう「特別な文法や、句読点の意味」など知りようもない。 

悪意のない赤ん坊と同じ状態でメールをしてる思えばいいんじゃない? 

 

たまにいる悪意のある信用のおけない奴 

年長者の言い分に従うものだ、みたいな奴だけを警戒したほうが 

「いやな時間」が減って、平和な時間が長くなりそうだ。 

 

 

・昔から掲示板とかネットでは句点を付けない習慣があった。付ける人は付けるけど、大体の人は付けない。理由としては面倒くさいからだったと思う。 

 

それが浸透して、SNSでも同じように句点を使わなくて、いつのまにか句点が無いことがフランクさを表す書き方みたいになって、絵文字とかも出てきた中で、わざわざ句点を使うとかしこまった文章かのように見える人が増えて、怖いという印象を受ける世代が増えたのかもしれない。 

 

でも映画とか曲のタイトルだと「。」が可愛い印象を与える場合もあるから、「。」自体に意味を感じる世代が増えたんだと思う。 

 

 

・ツールなので伝わればどちらでも良いかなと思うので、ハラスメントと騒ぐのは行き過ぎな気がします。 

 

40過ぎのオジサンですがLINEでは基本的に句読点を付けないです。 

例外的に一つのコメントに複数の文や長文を書く時は区切りを明示して可読性を上げる為に句読点を付けてます。 

 

 

・子供のLINE見ると1ワードの繰り返しで延々と終わりが見えない感じになっています。「。」を付けられると話を終わらせたいのだと受け取り、それが嫌悪感になるのかもしれませんね。 

 

私も長々とLINE続けるの嫌いなので会話を終わらせたいときに「。」を付けます。「はい。」とか「そうですか。」「そうです。」ですね。圧をかけてるんだからマルハラと言われればその通りです。 

 

逆に、会話を繋げたいとき続けてもいいときは「?」とか「...」を付けて相手の返事を促していますね。「そうですか?」「そうです...」 

 

 

 

・業務文書において、改行なのか次の文への区切りなのか大きな意味を持つ場合がある。 

だから文末に句点(。)を打つ必要はあると思う。 

一文ごとに送信すれば良いという意見もあるだろうが、それでは伝わらない意図もあったりする。 

そもそも業務の連絡をLINEで行う会社自体がどうかと思うけど。 

 

 

・毎年大量の新卒が入社してきます。少し前にマルについて話題になってたので威圧感感じるか聞いたけど、LINEとかで絵文字使ってた中で急にマルだけの文章になったとかなら分かるけど、仕事の文章でマル付けるのは逆に普通だと思っていると。変な人はニュースに取り上げられたりしてるけど、時代によって多少の考え方の変化はあれど、同じ人間根本はそんなに変わらない。この記事を見て、若者はめんどくさいなあと皆さん思わないで欲しい。記事を垂れ流してる人はとりあえず皆が騒いでくれれば儲け物くらいにしか思ってない。 

 

 

・別に受け取る側がどう思おうが勝手。 

しかし、プライベートでの仲間内のやり取りならどうでも良いが、最近はビジネスでも使われる。 

その中では、句読点は文章的に正しく使うべきもの。 

使いたくなければ使わなくても良いけど、発信者は受信者から、「その程度の文章力しかないんだ」と思われていると認識しなければいけない。 

自分の社会人としての立場を考えれば、その様な流れに迎合して、ビジネス上の文章をその様に書くのはリスクしか無い。 

その文章は、受信者だけでなく、受信先の部署や企業でそのまま閲覧される可能性が有る事を認識しないといけない。 

 

 

・つまり若者にとっての「大人」の側としたらこんなことは気にせず 

伝えるべきことは伝えればいいということでしょうね。 

怖かろうが何だろうが、必要な連絡は受け取らなきゃ 

困るのは連絡された側。 

職場に出入りする銀行員の話だと 

「ローン返済遅れてる人に内容証明郵便送っても 

怖がってるのか放置して、結局猶予期限過ぎてから泣きついてくる」 

とも聞くし。 

真っ当な大人の連絡ってのはそもそも形式ばってるもんで、 

それを怖がるってことは、受け取る側がまだ幼いってことでしょう。 

 

 

・句読点とか使わなくなったのは 

Twitterとかみたい 

の文字数制限のある文章を書くのに 

文字数が足りなくて 

無くても意味は伝わる句読点とかを 

使わなくなったからじゃないかと。 

たぶん 

普段遣いの句読点のない文章と 

メールとか仕事で使う句読点がついてる文章を 

使い分ける世代が出来て 

その次の世代で 

句読点に感情的な意味を感じる世代が 

出てきた気がします。 

 

「ヤバい」に色々な意味が付いてきた様に 

「。」にも、色んな意味が付いてくるんでしょうか? 

外国人の日本語に対するyoutubeとか見てると 

日本語って、好き放題だなぁーって 

最近感じます。 

 

 

・ある日、仕事が終わってスマホを確認するとLINEの未読メッセージ数がすごい事に。どこかのグループLINEが動いているのかと思ったら数日前に連絡先を交換した若い子からのLINE。一文一文送ってくるからすごい事になっていて、「不思議な子だな」と思っていたのですが納得しました。 

 

 

・漫画は吹き出しの中に文字をたくさん入れると絵が被っちゃうから読みやすいところで区切っていて、吹き出しの中にたくさん文字を入れたら、漫画じゃなくて挿絵付きの小説になっちゃうよ。 

漫画は文字少なめで絵で表現できるところはしていると思うから、LINEの文面とマルの比較するのはちょっと違うかな。 

上司に漫画のような文章のやり取りを強要というか近づけさせるのは、そんなエンターテイメントをさせるのは難しいと思うから脳内変換しておいたらどうだろうか? 

仕事だと頼んだ内容の区切りというか2つの事を頼むことだってありますからね。 

それより、LINEを会社や職場のメンバーでやるのが難儀だなって思う。友達とすらLINEめんどくさくて離れていっているのに、職場の人達のグループLINEとか、まだまだ続くのかな、嫌だなって思う。マルよりも、時間外の頼みごとと愚痴しかないじゃないって思う。 

 

 

・LINEは文字だけのやり取りだから句読点が打たれているのを余計なものとは感じないが、キーボードなしで「。」を打つのはそれなりに手間だから省略がデフォルトになるのは当然。 

逆に手間を掛けてわざわざ「。」を打つ意味まで勘繰られているとは思わなかったが。おじさん世代だと「。」を打った方が丁寧だからと付ける人は結構いる。 

 

 

・そばの音のオトハラも驚いたが、さすがにこれはないだろう。なんでもハラスメントにして報道するのはいかがかなあ。そう感じる人もいるで止めるべき。ネットの記事に過剰に反応する人がなんと増えたことか。ネット基準で自分の行動を決めすぎ。先日は特急に乗ったさい、自分が着席したら、前の人はあわててリクライニングを戻した。そのままで良いのに。不自由な生き方だ。 

 

 

・アラサーです。はっきり言って「マルハラ」はハラスメントではないです。 

少なくとも、私の周りで句点(。)をつけただけでハラスメントなどと言う若者は見たことがないです。 

 

確かに私たち若者は、LINEなどのチャットアプリで会話をする際、家族や友人などの親しい人同士では句点をつけることはあまりないです。 

なぜなら、句点がついていると、(その人との間に)何となく距離感があるように感じてしまうからです。 

 

しかし、これはあくまで親しい関係での話。 

会社の上司や先輩、取引先、顧客などとのチャットにおいては、句点をつけるのは当たり前です。 

会社の上司や取引先は友人ではありません。 

適切な距離感を保って接すべき相手です。 

 

とどのつまり、上司からのチャットに句点がついていたところで、何も思わないし、ましてやハラスメントに該当する訳がないということです。 

 

 

 

・なるほど。確かに漫画で句読点が入ってるものは読んでてちょっとうざく感じますね。 

若い人が言うような怒ってるような感じとは違うけれど。 

LINEではあまり句読点入れません。 

Twitterでは普通に入れる。 

長文派なので絵文字使いすぎるとゴチャゴチャするから語尾に少し絵文字入れるくらい。 

感情が高まった時連打することはあるけども。 

 

 

・今の若い子は賢いよ。 

友だちの間では「。」つくのが怖いなって感じてても、会社の人など「大人相手」にLINEしていて、その人から「。」がついていても怖いと感じたりしないし、ちゃんと相手に合わせて返してくるよ。 

マルハラ なんて面白いがって騒ぎ立ててるのは「大人側」でさも今の若い子たちが過剰な書き方してるけど、 

大多数の常識的な若者はそんな大人たちを「一部を切り取って大げさだな。デジタルネイティブじゃない世代は一部を全部だと思い込みやすいから仕方ないな」て諦めてるんだろうな。 

 

若い皆さんに伝えたいのは、大人側も「マルハラなんてって騒いでいるのは一部のマスコミくらいで実際にはそんな人もいるのか、くらいだよ」て事です。 

 

 

・本音で言えばバカバカしいとしか思わない。ごく一部の若者の間のローカルルールを恰も全体のルールであるかのように固定させようとしているだけ。乗せられやすい若者はそれに乗じて同じような事を言い始めているかも知れないが、まともな若者はこんな珍妙な独自ルールを、少なくとも社会という枠組みの中では持ち出さない。恐らく「チョベリバ」とか「MK5」と同じで、定着することなく消えていく程度の事だと思っている。 

 

こちらは相手の年齢関係なく、通常のやり方で句読点は使うし、それに威圧感が云々言う部下が出てきたら説明したうえで社会のルールを諭すだけ。 

逆に言わせていただければ、こちらは業務連絡のLINEにいちいち「了解しました!」とか、「到着しました!」とか「!」を付けることに何の意図があるのか違和感を覚えることはあるが、敢えて指摘はしない。 

 

 

・漫画の台詞は出版社によって独自のルールがある 

ふきだしの中の台詞に句読点OKなところ、「。」だけOKなところ 

「、」だけOKなところ、両方NGなところ 

「…」が2文字以上でないとNGなところ(「…」がダメで「……」ならOK) 

だから漫画とは全く関係ないと思うよ  

小学館の漫画とか普通に句読点ついてるし 

単に横表記で短文という傾向から句読点の省略 

読みやすさからの改行では 

 

 

・マンガの影響というよりネットやSNSの影響なような気がします。本を読めば句読点が大事だとわかりますが、SNSでは文末の「。」など入れる面倒さから省くことが多く、ネットだけで本を読まないことで句読点があるほうに馴染み薄くなってしまっているのかと。 

 

 

・句読点の有る無しの解釈は人それぞれでしょうが、文末の句点をハラスメントと捉えているのは過剰な反応だと思います。 

 

個人的には句読点がきちんと使えていない文章の方がいい加減に感じるし、目上の人への文章は句読点が無いと逆に失礼に感じます。 

 

漫画の影響も有るとの見解ですが、現実とフィクションは違います。 

 

 

・何でもハラスメントと騒ぎ立てるのは若者ではなくマスコミでは? 

若者が独自の書き方をしているからと、その書き方をしない人に圧力を感じる必要もないし、若者文化で成り立っている一部のツールに本来の仕組みを押しつける必要もない。 

何かが生まれたら古いものを否定するマスコミが、一番のハラスメントでは? 

 

 

・半世紀生きてますが、『文章には句読点を付けるのが当たり前』の教育で育って来たので、そこはラインだろうがメールだろうが手紙もレポートも文章も同じです。文章の終わりはマルで締めるものなんです。 

マルが怖い、ハラスメントと怖がる向きは読書感想文にも句読点付けずに出して来たんですかね 

むしろ、『句読点で締める』というただ正しい書式に則って書いてる文章に 

忌避感を抱く若者の見当外れの感覚に恐怖を感じます。 

 

 

・何と言われようと、良いも悪いも、昔から日本語の文章の綴りには句読点と区切り点、終わり点がある。 

それは臨機応変に変化しても変化しなくても文章のプロがプロの形で伝える正式な事で正式な連絡或いは伝言文としてなら文章にも礼儀作法がある事に変わりはないし、気の知れた者同士、でもなくてもそうした事に気を遣う、使わない、分かりやすくとか息継ぎの様な感覚での区切りもある、全て文字はその人の動き感情であり現代だからと言ってそれは変わる事でない、ダラダラ繋げる文は現代の流行りだけの事であるのだから正しい正しくないの問題ではない。 

文章もひとそれぞれで、それこそ同じなら今で言うAIと同じ事です。 

それを何方が正しいとか違うとか言いますか、 

そ、れ、こ、そ、でもそれこその意味がある表し方を知らないなら何も伝わらない相手がロボットだからです。 

               終わり。 

 

 

・文末に「。」がつくことよりも、「!」がつくことの方に 

違和感を持つことが多いです、個人的には。 

 

文末に「。」がつくことは、過去から現在に至るまで 

継続する文化として、学校で学ぶ、周知されたことです。 

一方文末に常に「!」を付すことは、一般的とは言い切れず 

わざわざ感嘆符を付すことで、本来特別な意味があるはずです。 

 

驚愕、「憤怒」、強調、などの意味が付されるため 

とりわけ、憤怒の意味であれば、それこそハラスメントに 

なり得るため、読み手としては前後の文脈から判断しようとします。 

 

しかし、本記事付属写真の部下さんのコメントからは 

短文であるがために文脈から判断できず、上司さんとしては 

対応に苦慮することもあるのではないでしょうか。 

 

記事としては、老若男女、いずれかの肩を極端に持つのではなく 

もう少し広い目で、お互いの立ち位置を慮るような記事であればと 

希望いたします。 

 

 

 

・テレビのテロップに感覚が近いんじゃないかと思います 

テロップって普段「。」って付かないけど、「。」がついた途端、冷たさとか冷静さみたいなものを表してるイメージがありませんか? 

それってテロップが読む言葉じゃなくて、見る言葉になってるからだと思います。 

 

チャットもそこに近くて、見る言葉化してるんだと思います。 

 

 

・ハラスメントの基準はどこだと問われたら理不尽だと思ってましたが、句読点には理不尽なんてひとつもないでしょう。無駄に連続使用をしたらハラスメント扱いとしてうざがる個体がでるのは仕方ないでしょうけど。 

 

 

・今の時代、なんでもかんでもハラスメント扱い。 

優先されるのは常に受け取る側の感想であり、送る側の想いや常識などは無視され、受け取る側の価値観を強要される。それもまたハラスメントではないのか? 

自由の時代ではあるが、自由というのは自分の価値観を好き勝手に他人に押し付けることではない。自分も他人も等しく自由なのだから、そこにあるのは本来「お互い様」の精神。 

マルハラに限らず現代はどちらか一方の都合だけをそうでない側に押し付ける風潮が目立つ。 

それを焚きつけて記事にするマスコミこそがあらゆるハラスメントの根源になっている気がするが、いかがなものか。 

 

 

・一般的に、繊細であるということは良い取られ方をするのだろうという気もしますが(ガサツとか無神経とかいうのが悪いイメージのため?)、正直、そんな小さいこといちいち気にすんなよー、と私は思ってしまいます(そう言う私がまさにガサツ?) 

良い意味で無頓着になるというか、スルーすることって大事な気もするのですけどね。自身のメンタルのためにも。 

 

 

・この記事を見ると、自分はもうおじさんなんだなぁ、と自覚します(30代半ばです) 

 

自分は句点がないと、逆に乱暴なメッセージを受け取ってしまう印象をもっています。 

句読点をしっかりつける方が丁寧なメッセージなのかなと。 

 

なので若手時代は上司(日頃から結構部下に対して雑な対応をする印象の方)から句読点なしのメールが飛んでくるのはあまり快く思ってなかったです。 

 

 

・なんでもハラスメントにする風潮ですが、これも一部の若者が感じていることですよね。 

句読点は、長文をわかりやすくするためのものなので、LINEなどでは、その時その時で状況に応じて使えばいいのでは? 

 

こんなことばかりニュースに上がりますが、もっと報道しなければならない大事なことが報道されてなかったり… 

 

そっちの方が気になります。 

 

 

・何か無理矢理社会学的な理屈付けて、無駄に脳の稼働を費やしてる気がする。 

プライベートの仲間同士では会話のテンポが速く、一文かつ短文で終わることが多いから、てだけのことじゃないかな。チャットも同じく。 

一方ビジネスライクなやり取りになると、既読から時間を置いて慎重な内容になるし、一回あたりの情報も増えるから文の数が増え、句読点が混じるようになる。そりゃ若者ならずとも硬いイメージになるわな。 

威圧感を覚える若者だって、ビジネスメールやレポートには流石に句読点つけるでしょ。ヤフコメに関して言えば、LINEに近い立ち位置みたいだけど。 

 

 

・句読点がハラスメントというのは、若者の文化でも何でもなく 

誤った認識が広まっているだけなので、 

社会人側も、間違っているものは間違っていると言っていかないと。 

メール書いて送った時に句読点なかったら、書いた本人的には 

柔らかいイメージなんだろうけど、 

ただただ稚拙で恥ずかしい文面でしかないですよ。 

 

 

・会社とはちょっと違いますが、夫と喧嘩中の夫からのLINEで「。」が付いていたので機嫌が悪いとかそういうのが感じられるからやめてほしいとお願いしました。 

今まで付けたやり取りがなかったからそう思ったのかもしれませんが、確かに身を持って圧を感じました。 

メールの「。」は文章だから気にならないけど、LINEは会話という感覚だから違和感があるのかもしれないですね。 

 

 

・昔からインターネットの電子掲示板では「。」を使うと嫌がられる文化があったあたり、会話と「。」ってのは日本人の感性の中では相性が悪いものなんだろうな。 

外国でも「.」が忌避されたりするんだろうか?そう言えばあまり使ってるのも見ない気がする。 

兎にも角にも、文章を止める記号を打てば、それで突き放されて冷たい感じが出ちゃうってのはそうなんでしょうね。 

 

 

 

 
 

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