( 145620 ) 2024/03/04 14:54:16 2 00 「給食はまるで修行」完食指導で登校さえも苦痛に 食の悩み、どう解決 #令和の子ベネッセ教育情報 3/3(日) 20:01 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/8092b139763f8a7ba9f0a32209436d35db1ffa06 |
( 145623 ) 2024/03/04 14:54:16 0 00 「給食はまるで修行」完食指導で登校さえも苦痛に 食の悩み、どう解決 #令和の子 ※写真はイメージです
楽しいはずの給食や食事の時間が、苦痛を伴う時間になっている子どもたちがいます。「残さず食べよう」「好き嫌いはしないように」、よくある指導がプレッシャーとなり、人前で食べられない、学校に行くことまで苦痛となってしまうことも……。
給食や食事の時間を豊かで幸せな時間にするために、大人にはどのような対応や心がけが求められるのでしょうか。お子さまの給食への恐怖をきっかけに子どもたちへのサポート活動を行う鈴木さん(仮名)と、自身も会食恐怖症を経験し、子どもから大人まで幅広い食の悩みに向き合い続ける山口健太さんにお話を伺いました。
帰りの会まで居残り…給食はまるで修行のよう ※写真はイメージです
お子さまが給食を食べられずに悩んでいるという鈴木さん。お子さまは現在小学5年生ですが、その悩みは幼稚園時代から続いていると言います。
鈴木さん「登園が嫌だと泣くので、理由を聞くと『給食が嫌だ』ということでした。もともと小食で、離乳食もあまり食べない子だったため、給食では苦労するかもと思ってはいたのですが……。食べきれずみんなから見られることや、食べ慣れないものが出てくることもストレスに感じていたようです」
園の先生に相談したところ、園の方針で完食指導をしていたとわかりました。量を減らす対応はしてもらえたものの、残すことは受け入れてもらえなかったと言います。
鈴木さん「昼休みだけでなく、午後の活動まで居残りして給食を食べていました。一度は帰りの会まで残っていたことも。さすがにやりすぎだと思ったのですが、先生も園の方針があるため『残していいよ』とは言えなかったようで……。『他のお子さんも頑張って食べているので』とも言われてしまいました」
週に2日間のお弁当の日を活用しながら、ごまかしごまかし卒園まで乗り越えた鈴木さん。しかし、完食指導による悩みは小学校でも続きました。
鈴木さん「事前に先生に相談していたため、量は減らしてもらえたのですが、完食を目指す方針は変わりませんでした。量を減らす際も、苦手なメニューだけでなく全てのメニューを一律に減らされてしまい、汁物は底が透けて見えるくらいだったと聞きました。少ない量の給食が変に見えてか、クラスメートの注目を集めてしまったことも娘にとってはつらかったようです」
「量を減らしたんだから食べられるよね」「小学生なんだから食べきらないと」といった周囲からのプレッシャーを感じて、給食をノルマや修行のように感じるようになってしまったとのこと。
部活の指導がきっかけで会食恐怖症になるケースも
給食に悩む子どもの姿を目の当たりにした鈴木さんは、教育者向けに給食指導の情報提供をする「きゅうけん」の活動に参加。編集長の山口健太さんは、自身も人前で食事ができない「会食恐怖症」の経験者です。現在まで、延べ5,000人の会食恐怖症に苦しむ人を支援してきました。そのきっかけは部活の指導にあったと言います。
山口さん「当時所属していた部活の合宿で、食べる量のノルマがありました。白米を朝昼は2合ずつ、夜は3合食べるよう指導されていたんです。でも、食べられなくて部員みんなの前で怒られてしまって……叱責された恐怖で『また怒られたらどうしよう』というプレッシャーに。吐き気や、嚥下(えんげ)障害といった体の症状まで現れるようになりました。」
食事への不安は、部活動の時のみならず、友人との食事にまで影響し、人との食事の機会を避けるように。自身の状態への違和感を覚える中、「会食恐怖症」という症状を知り、支援に携わりたいと思うようになったと言います。
山口さん「20代前半に参加したセミナーの講師から、『自分が情熱を持って取り組めることをやろう』と助言があった時、改めて自分の人生を振り返りました。その時に、会食恐怖症や食に関する悩みに苦しむ人のためだったら、情熱を持って取り組めると思ったんです」
山口さんは、給食指導に関する情報を発信する活動をスタート。「食べられないことはわがままではなく、子どもなりの理由がある。適切な支援を伝え、楽しく食べることを広げていきたい」との思いのもと、保育士や栄養士、カウンセラー、医療従事者などと情報発信に取り組んでいます。
会食恐怖症に苦しむ人は、給食や部活など学校での指導がきっかけとなったケースが少なくありません。山口さんが代表を務める一般社団法人日本会食恐怖症克服支援協会が行ったアンケート(2019年11月実施)によると「完食指導や周りからの強要」が原因となった人が34.7%。そのうち、72.1%が「給食で先生から」と回答しています(※1)。
会食恐怖症の1番のきっかけ
Q. 会食恐怖症の1番のきっかけとなったことを教えてください。
●完食指導や周りからの強要…223人(34.7%) ●その他、体調不良から…135人(21.0%) ●明確には覚えていない…122人(19.0%) ●自分や周りの嘔吐に関する体験…115人(17.9%) ●周囲からの注目を浴びたことに関する体験…47人(7.3%)
《完食指導や周りからの強要》の具体的なシチュエーション
Q.《完食指導や周りからの強要》と答えた方(223人)は、具体的にどのようなシチュエーションで、誰からでしたか?
●給食で先生から…161人(72.1%) ●家族や親戚から…32人(14.3%) ●クラブ活動の指導者から…21人(9.4%) ●恋人や友人から…2人(0.8%) ●その他…7人(3.1%)
会食恐怖症は、社会不安症という精神障害の一つとされています。子どもたちが毎日接する学校給食が苦手になり、交友関係や通学などに支障をきたす。そんな不幸が起こらないよう、どのような対応が求められるのでしょうか。
※1 【図解】先生でもわかる会食恐怖症 | きゅうけん|月刊給食指導研修資料
山口さんによると、学校によっては、先生も給食指導に悩んでいるケースが少なくないといいます。
山口さん「ある中学校の先生は、自分のクラスの残食が多いと隣のクラスの先生から『多いですね』と指摘されるのがつらくて、残った給食を自分で食べているとお話されていました。子どもだけでなく、先生もプレッシャーを感じ、給食の時間がつらいと感じている実態があります」
残食ゼロというプレッシャーに晒されている先生の置かれている状況が、子どもたちを追い込んでしまっていないか、気になるところです。
都内の小学校で勤務経験があるかたによると、「先生も、非常に忙しいなかで給食の指導に悩みながら、子どものためを思ってルールを設定しています。また、給食指導をしっかりしてほしいという保護者のかたもいれば、自由でいいという保護者のかたもいる。その間で先生が苦しんでいるというのが実情です」
一方で、完食指導にも変化の兆しが見られるようになってきたと山口さんは指摘します。
山口さん「近年では、無理に食べさせないという指導に変わりつつあります。文部科学省も、苦手なものは段階的に勧めることを発信しています※2。食べられない子どもには量の調整も行っているケースが多くなりつつありますが、とはいえ『減らしたんだから食べなさい』というプレッシャーは依然として残っているようです。これまでより、1段階改善したからこその課題といえるかもしれません」
食べられない場合は、匂いをかぐ、ペロッとなめてみる、ひと口だけ口にするなど、「食べる前」にステップを設けて、できる部分まででよしとする。そんなスローステップを山口さんは勧めています。
前述の鈴木さんの子どもが通う学校も、給食指導に変化が見られるようになったと言います。
鈴木さん「校長先生が変わり、職員会議で『給食は楽しんで食べるもの。無理に食べなくていい』と明言されました。完食指導の問題がニュースになっていることも影響しているのかもしれません。子どもはまだ給食をノルマのように感じて苦手なままですが、給食の場自体は、嫌いという感情はないようです」
給食の苦手意識が消えたわけではないものの、家では用意が難しい料理を食べる機会があるなど、家庭ではできない食の広がりを持てるよさを感じることもあると言います。
※2 参考:食に関する指導の手引-第二次改訂版-(平成31年3月)第6章 個別的な相談指導の進め方 「偏食のある児童生徒」の項|文部科学省
誰もが「食べることが好き」なわけではない ※写真はイメージです
完食を絶対とする風潮は、私たちが持つ固定概念も影響していると山口さんは指摘します。
山口さん「食欲は人間の三大欲求。だからこそ、食べることはできて当然という考えにとらわれているケースもあると思います。食べ盛りで成長ざかりの子どもは、なおさら食べることが好きなはず、給食は子どもにとって楽しいものと決め付けていることもあるのではないでしょうか」
実際、一般社団法人日本会食恐怖症克服支援協会が2020年に行ったアンケート調査によると他人と食事をするのに苦手意識がある人は約半数(かなり苦手意識がある12.1%、やや苦手意識がある35.1%)(※3)。
山口さん「苦手意識がある子どもにとっては、食欲よりも苦痛を回避するほうが強い欲求。まずは、残しても怒られないなど、不安を取り除いてあげることが先決です」
前述の鈴木さんも「食べることは好きなはず」「食べないことはわがまま」という固定概念に親子ともに苦しんだと言います。
鈴木さん「食べさせることに、先生も保護者も必死になりすぎているのかもしれません。苦手なことは無理に指導するものではないし、アレルギーや発達障害など明確な理由がないと許されないという点も疑問です。 給食にこだわらず、その子の状況に応じて給食か、お弁当にするのかなど、柔軟に選ぶことができてもいいのではと思います。」
※3 【図解】給食が「かなり苦手」な子どもの心境とは?クラスに約4人も | きゅうけん|月刊給食指導研修資料
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( 145624 ) 2024/03/04 14:54:16 0 00 ・苦手な物が入っていて手を付けられずにいると「食べ終わるまでごちそうさましないように」と言われて周りが掃除の時間に入ってもひとり残されて食べさせられた事を思い出しました。 その指導によって好き嫌いがなくなったかというと全く逆で偏食が進んだだけでした。 好き嫌いだけでなく食べる量にしても人それぞれだし体調や精神状態によっても変わってくるから、そういう部分も多様性を認めてあげてほしいなぁ。
・今の教育では、子どもに負荷をかけることがとにかくやりにくいようになっています。ほんのちょっとした叱責でも『怖くて行けない』と言われれば教員が追い込まれます。話せばわかる子どもなんでそうそういませんし、話してもわからない親も多くなっています。 教育とはなんのためにあるのか、保護者とどのような関係の中で成り立たせるのか。もう一度議論し直してほしいです。 私は現職ですが、めんどくさいので授業以外ではなるべく関わらないようにし、生徒指導や注意はとにかくしないようにしています。その生徒がその先社会でどのように評価されるのかは知ったことではありません。
・小学生の時、給食後は掃除のために机を移動させるので、黒板の前に座わらされて完食するまでお昼休憩も無しでした。元々少食で時間もかかり、一度苦手な茄子を吐きそうになりながら泣いて食べた記憶は大人になった今でもはっきり覚えています。子どもにトラウマを残してまで完食させても苦手な物を好きになるはずがありません。適切な食育を行うべきと思います。
・学校教育基本法をはじめ、義務教育には様々な関連法令に基づき学校給食も食育として位置付けられています。 学校の現場(担任・副担任・養護教諭等)は場合により保護者と面談するなど、昔に比べれば、かなり極め細かな対応をしています。昨今の学校現場は様々な環境で育つ児童生徒、保護者等に気を遣い多種多様な対応で大変な状況だと思います。 アレルギー食の対応も命に関わることなので大変ですが、児童生徒が以前に食した食べ物でアレルギーではなくても辛い思いを経験すると、それがトラウマになる場合もあります。 保護者も弁当対応できる場合もありますが一方では皆と同じ給食を食べさせたい気持ちもあったりするので問題は複雑なのです。 少なくとも、学校給食が修行であるような報道には賛同しかねます。
・学校で講師をしていました。苦手な物は無理に完食させず、ひとくちだけ食べられたら良いとの指導をしていて、それが無理でも時間が終わったのに食べさせる事はありませんでした。牛乳が苦手な子は、そこのお母さんが手作りの表を持たせていてどれくらい飲めたか毎日教員が書かないといけなかったので、何とかひとくちでも飲めるよう大変でした。 そうかと思うと、配食の時点で肉はいっぱい入れて、野菜は入れないで!と給食係に言う子は、お母さんも野菜が苦手だから食べさせてないんです~と言っていて、担任の先生は困ってました。 それから数年後、同僚にハンバーグとオムライスと唐揚げしか食べられないという二十歳の子に出会い、そういう子の末路を見たようで呆れました。
・検査などで確認出来ない様な微量のアレルギーがあって積み重なると本当にアレルギーとして確認できる様なこともあって、私は子供の頃牛乳は必ず下痢をしました。今でこそ下痢をしない成分の牛乳も有るようですが、 他にも食べると体調が悪くなって吐いたりもしました。こんにゃくや鯨の肉など小学生の頃は食べたふりをしてポケットに入れて捨ててました。 好き嫌いと言うより本当に食べられ無いのです。 もう少し臨機応変でも良いと思います。 大人になれば食べれなかった物も食べれる様になる場合も有ります。栄養も代替えがあっても良いと思うのです。
・担任が完食を学級の目標に掲げ、何日連続で完食したとか言って喜んでました。私は人より体が小さいのに、体のでかい同級生と同じ量食べるなんでどうかしてるって思ってました。 まぁ、先生の言うことなんて素直に聞く性格でもなかったので、持って帰るのは禁止されていたけど、牛乳やパンなどの個包装のものを、給食袋の中に隠して、毎日持って帰ってから捨ててました。よく先生にばれずに上手くやってたと思います。
・今や物がありふれているからね。物が食べたくても食べれない状況を経験することも大事だと感じた。もともと物を残すタイプでは無いが、東日本大震災の時はお金があれどもコンビニやスーパーに行っても食料が無い状況を経験して、より一層食べられる環境に感謝するようになった。地震から2日後に供給されたアルファ米はとても美味しかった。アレルギーなどは仕方ないが、食に感謝することは大事だと思う。
・元は生産者さんや動植物への畏敬の念を込めて「いただきます」であったり勿体ない、残さないって事を勧める事が本文であったと思う。 飽食の時代になり食に対する執着が無くなった現代ではなかなか受け入れられないのかな。 少食の子供がいることも確かで、その子の適量に合わせその中で完食を目指す事がベストかとおもう。
食べ物を粗末にする事が良い事では無いが出来るだけ残す事が無い食事が望ましいと思う。
・小学校教諭をしていましたが、もちろん完食しろとは指導しません。配膳の時点で減らしてもらっても、それでも食べきれる量はそれぞれ違いますから。 ただ、アレルギーでない限り嫌いな物でもある程度、できるだけ食べるようにという指導はします。栄養的な面でももちろんですが、将来的に避けて通れないことはありますから子どものうちからそういう場面に慣れておくという意味で声かけしていました。
・私の小学校のときは完食指導あったけど昼休みまでだったかな。そこまでいったらおしまい、というか先生もいなくなってたのは、さいごはこっそり食べてもらうなり捨てるなりうまいことやりなさいってことだったかと。先生も人参嫌いでカレーとかの日は同じく食べれずに残ってたけど笑。好き嫌いなく食べるように楽しく頑張ろう!という感じだったし、良かったけどなあ。
・保育士です。 給食問題は幼児期から始まっています。 記事にもあるように、食は生きる事の必須事項ですが誰もが食に楽しみを感じているわけではありません。完食する事を美徳に感じるのではなく一人ひとりに合った量を考えたりする必要があります。また、野菜嫌いになるのも味覚が発達する幼児期からです。私達も色々な策を考えてますが、園だけで劇的に食生活を変えるのは不可能です。就学を考えると好き嫌いなく完食が理想ではありますが、現実は難しいですね。
・給食って家では出てこないような献立もあったりするので色々な食材や料理を知る機会として重要だと思います。好きなものだけ選んで食べるのは楽ですが、知る機会を減らしてしまい勿体無いなとも思います。子供の時に苦手だったものが大人になったら美味しく感じるようになるのは不思議だけど子供の時の経験があるからこそなのかなとも思う。大人になってから美味しさに気づく瞬間の喜びも楽しいものです。 完食を強要するのは良くないけど、好き嫌いをただそのまま許すことは、いろいろなことを知るチャンスを減らしてしまうので、できればチャレンジして欲しい気持ちです。そこにはプレッシャーを与えず子供たちが食べたくなるような工夫が必要なのかもしれませんがなかなか難しいですね。
・30代後半ですが、子どもの頃は残さず食べるというのが当たり前で掃除の時間になっても後ろに下げた机で食べ続けてる子がいました。何かの行事で下級生のクラスに行ったときにはお道具箱からカビの生えた食べ残しがたくさんあると誰かが騒いでいたなと思いだします。昔はそれほど残してはいけない教えだったということですよね。 現在小学校に通う子どもの話では、手をつける前に量を減らしに行ける時間があるようです。 食べる時間は20分ほどで、給食当番の休み時間がなくなるので割りと急いで食べないといけない空気はあるようです。我が子は何でも食べるのと早食いをしがちなので困らないみたいですが、食べるのがゆっくりな子はつらいと思うと言ってました。
・私が小学生の頃を思い出しました。給食に限らず外食が苦手で家だとたくさん食べられるのに外だと少食になってしまうことが多かったです。給食もあまり入らずいつも昼休みとか掃除の間食べてましたね。お残しは許しません方針でしたから笑(平成中盤の話です)友達が手伝って食べてくれていたため残すことはほぼなかったですけどかなり苦しい思い出が蘇ります。 今となっては会食も普通に出来ますし、全く食べることが出来ない食べ物も特にないです。 美味しく楽しく給食を食べれたらいいなとは思いますが、バランスや栄養がしっかり考えられたのが給食。それも教育のひとつなのかな?とは思います。やり方は色々あると思いますけどね。
・40代後半の主婦です。私が小学生の頃は、残さず食べる事が決まりとなっていて、苦手な食べ物はどうしても飲み込めず、食も細かったので、帰りの会まで1人で残ってちょっとずつ食べていました。時には泣きながら…。この記事を読んで、自分の経験を思い出しました。中学生の娘と息子がいますが、今は自分で食べれる量を調整できると言っています。たくさん食べれる子、食の細い子、様々いるので、全員同じ量にしなくてもいいのでは?と思います。
・特に一年生は食の量が多いか少ないか、また発達障がいを持つお子さんはニオイに敏感だったりするので、極端な子はご飯と牛乳、またはご飯しか食べない子もいて、クラスの半分以上はお残し組です。 色々な命をいただいていること、皆のために作ってくれる人達がいること、何より栄養満点なんだけどな〜と子ども達に話しかけ、あえて無理やりは食べさせないように。あまりにお残しが多かったので、しばらくして、最初から少なめに配膳してあげてみたところ、完食して満足気な子達に感化され、小さな野菜にチャレンジしたり。その時を見逃さず、うわっ嫌いなのにチャレンジしてすごいね!先生が一年生の時は食べられなかったよ。 そのうち食べられるようになるから無理しないでね!と声をかけるうちに、だんだんと色々なものを口にする、それがクラス全体に広がり、最近では、クラスの殆どが完食、おかわりまでできるように。その自信が生活全般に活きています。
・経験者です。好き嫌いがあるわけではなく、ただ単に胃の大きさの関係でみんなより少なくしか食べられないっていうだけなのに、減らしてほしいと言っても山盛り入れられて、全部食べるまで動くなと言われ、掃除の時間になり埃が舞う中でも泣きながら食べてました。毎日給食の時間が怖くて学校に行くのが嫌でした。 食べられる量のことを考えて指導してあげてほしいなと思います。食べ物の大切さ、有り難さ、好き嫌いなく食べることを教えるのと、「出されたものをとにかく全部食べるべきだ」というのは違うと思います。
・元教師です。現役の時には、無理して食べさせることはしませんでした。センター方式の給食で、食器の返還など時間制限があることも一因でした。とりあえず、一口食べてみて無理なら残しなさいという指導をしました。保護者懇談の時に、「先生から無理に食べなくてもいいから、できるだ頑張ってみよう」と言われて親子ともどもずいぶん気持ちが楽になりましたと、言われたことがあります。嫌いなもの(特に野菜など)は、自分たちで育ててみるといいと思います。ニンジンやピーマンなども自分たちで育てたものは、色々な苦労をした分食べるハードルが低くなるのではないかと思いました。また、以前は給食費を集めているとことがほとんどで、残すともったいないという意識が学校や保護者にあったのではないかと思います。
・私は食べ物の好き嫌いやアレルギーは無かったのですが、誕生日が遅かったせいもあり子供の頃は同学年の中でも小さいほうだったので、どうしても量が多くて食べきれずに、昼休みの時間になってもまだ食べていることが少なくありませんでした。 残さず食べないといけないことはわかっているのに、頑張っても食べきれない・・・食べきれないパンを机の中に隠していたものです。全部食べ切らないと教師に怒られたり、皆が昼休みで遊んでいる姿を見て、半べそをかきながら食べていた記憶があります。
・行き過ぎた配慮、過剰な配慮を子供に対してしなければならない風潮には違和感を感じます。子供を守りすぎだと思います。何でもかんでも時代が変わったという事ではないと思います。給食が修行、合宿の食事が原因で会食恐怖症になったって記事に書いてありますが、極一部の例だと思います。そういう極一部の例を取り上げて、給食は子供に苦痛を与える可能性があると過剰に訴える事が子供にとっていい事だとは思いません。現場の教職員や指導者にとっても過剰なプレッシャーを与えるだけではないでしょうか。 幼少期から家庭で教育すべきことをやらなかった結果だと思いますね。子供を尊重する、自由に育てる風潮が、本来行われるべき家庭内教育の放棄につながっていると思います。
・アラフィフです。
あまり好き嫌いは無かったですが、ヨーグルトとか、ジャムとかそういうものが苦手で、小分けになってる物は持ち帰ってOKな先生でした。
でも、おかずとかそういったものを残すのは駄目で食べられない子が時間内に食べ切れず休み時間とかに食べてたのを可愛そうだなと横目で見ていました。
しかし高学年の時の先生は、持ち帰りも許されず絶対完食で、まさか自分も休み時間まで費やして食べることになりました。
克服出来たってものもありますが、未だに嫌いで食べないものもあります。
泣きながら、休み時間や掃除時間まで給食を食べないと行けない意味が未だにわからない。 余計にトラウマになりそう。
・もう40年前ですが、味付けに敏感で好きなものでも給食だと食べられなかったりして、毎日後ろプラス掃除時間と放課後は廊下で給食を食べさせられていました。 まさにこれで、食べることが嫌いになるどころか恐怖になり、拒食症で苦しんでいます。 一口だけ食べさせるのも大事ですが、食べることが苦手な人間にはその一口が命取りになるほど負担だということもあり得る事実を知ってあげてほしいです。
・小学生のとき牛乳嫌いのクラスメイトがいました。先生が厳しくてパックの牛乳を持ち帰ることも許してもらえず、ホントに苦しそうに毎日泣きながら飲んでた光景を思い出しました。あれは見てても辛かった…本人にとって地獄の日々だっただろうし相当トラウマになったに違いない。牛乳でお腹ゆるくなったりどうしても苦手な食べ物があったり食が細かったり、いろいろな子がいる中で全員一律で完食しなくちゃいけないなんて今どきナンセンス。考えを改める必要があると思います。
・アラフィフです。私は焼きすぎのパン、いちごジャム、あとプロセスチーズが石鹸を口に入れたような食感と発酵臭が苦手で、ひどい時は給食後の掃除の時間に教室内でほうきで掃いて埃まみれの中、苦手な食物と睨めっこしていました。決して良い思い出ではないがアレルギーでなければ好き嫌いを減らしてバランス良い食事を摂るよう躾られるのは悪くないと思うけどね。
・26才の娘は小1の時、時間内に給食が食べられないとその後の掃除の時間に廊下に立ったまま食べさせられていました。多い日は8人ほどの児童が廊下で立ったままの食事でした。食事が苦痛になり、親しい人以外の人との会食は難しい、いわゆる会食恐怖症になりました。大人になった今でも全部食べられないかも知れない事を恐れる時があるので、食べられるだけで大丈夫だと言っています。この問題は食育とは別のところにあり、まだまだ理解されにくい問題だと感じています。ただ、ほとんどの人が子どもの頃にその原因を持っています。学校や部活での食事の指導は無理強いのない事を願います。
・好きな食べ物もあれば、嫌いな食べ物があるのは仕方がない。とはいえ、食べさせられているという何故かやらされ感を持って給食に向き合っていたら、いつまで経っても苦手意識が残るだけ。 なにも完食がマストとは思わないが、好きなものを好きなように食べることができる時代だけに、こうして給食を避けることでさらに偏食や少食が進みそうな気がする。 こういう記事を目にすると、給食に至るまでに家庭での食育が大事だと改めて気づかされる。好き嫌いもすくなく、ありがたく食べることを教えてくれた両親に改めて感謝したい。
・昭和生まれだけど、残さず食べるのは当たり前過ぎて普通だった。 そして食の大切さをしっかりと教わった。
残してもいいと思う。 残さずに食べられるならそれはそれで良いんだけど、本当に無理して食べるのは辛い。 大事なのは、自分の食べられる分だけよそう、もらう事を覚えていくこと。 残してしまったら、キチンと反省させて、次からは少なめにして、足りなかったらおかわりできるよと。伝えればイイ。
で、もっと大事なのは、食の大切さをしっかりと教育して、しっかりとした大人に育てること。 この1食、一口が食べられずに亡くなる子どもたちが現実にいることを、少しずつ教えていくことが大事。
完食を指導するなら意味のある完食にしないと、完食することが目的となっては全く意味がない。
・多くの日本の給食は、外国の学校のに比べて食材も沢山使い、四季やその土地の特色も加えた素晴らしいものだと思ます。 家でこれだけの献立を考えるのはなかなか難しい。
色々な味覚や食感を子供の時に体験するのは、大切だと思います。そこで自分の好みも分かるの好き嫌いせずに食べてみてもらいたいです。
昔のような、完食しないとみんなの前で怒られたり、居残りさせられたりは絶対にやめて欲しい。子供には、食は楽しくを基本にするのが大事かと思います。
・小学校の時に昼食時間中に嫌いな食べ物があって食べられず、その後の掃除の時間も次の5時間目もずっと食べさせられました。5時間目は理科で全員理科室へ。私ともう1人はトマトが食べられず2人で食べた事にしてバッグにしまいました。給食の時期に栄養士の先生がいつも佐藤先生のクラスは全部食べてくれると言って先生は御満悦でしたが、食べられない私は不満でした。 掃除の時間や5時間目まで引きずりながら食べさせるのは違うと思う。 一口食べて、次は二口食べられるように頑張ろうだとかが良いと思う。 掃除中は不衛生でもあるし、5時間目は授業を優先するべきですし。 献立で大嫌いな献立がある日は親にお願いして休ませてもらっていましたね。 納豆の松風焼きというのがもうゴミを食べているようでとても食べられなかった・・・苦痛に感じるのはとても分かります。
・1973年生まれの昭和世代です。小学校と幼稚園が同じ校舎にあり、6年生が幼稚園の教室の掃除をすることになっていました。ある日、放課後、掃除に行くと一人残され給食を食べさせられている園児がいました。最終的に保育園の先生が食器に自らの手をいれ、その手で給食をすくって、なんと、園児の口に押し込んで食べさせたのです。その様子を見て、寒気を覚えました。現在、あの子は40代だと思いますが、その後何らかのトラウマに苦しんでいないか気にかかります。
私も生まれつき食道が細く小学校低学年まで、給食を食べるのに非常に苦労していました。苦手な食材は牛乳で無理やり喉に流し込んでいました。
食べ物を残してはいけない、粗末にしてはいけないという教育は分かりますが、全員に同じ量を食べさせる必要は全くないと思います。食の細い生徒には少量しかよそわない、各人の適正量を親に申告させる等の措置が必要です。
・私も給食が苦手でした。
子供の頃は確かに好き嫌いも激しかったけど、それとは別に『決められた時間までに食べなければならない』と言うプレッシャーもあり、給食を楽しむ事が出来ませんでした。
大人になってからその事に気付き、『会食恐怖症』までは行かずに済み、今では体調が悪い時を除けば食事を楽しむ事が出来ています。
でも経験上、『給食が苦手』になる子供の気持ちは本当によくわかります。 何とか克服し、給食を楽しめる子ばかりであって欲しいですね。
・小食の子には通常の半分くらいに盛りつける。 牛乳苦手な子にはミロなど、白飯が苦手な子はふりかけなど、味変して食べすすめられるものを各自持参させる。 アレルギー持ちや、食にこだわりのある子がいるから、各自。 先生達の負担にならない程度に、臨機応変な対応が可能になるといいね。 たかが給食だけど、完食できると小さな達成感を感じられると思う。 残すと“残してしまった”という負い目も残して、苦手意識を一層強めてしまう気がする。
・遺伝子型によって風味(特に臭い)の感じ方が違うという研究があります パクチーでの研究では世界の7人に1人、日本人では半数が柑橘系の香りではなくカメムシや石鹸のように感じるという記事もありましたし シイタケやセロリが駄目というひとも臭いがネックと聞きます 自分の場合はしそ入りゆかりごはんの臭いだけがどうしても駄目でしたね… 出されたものはできるだけ食べましょうというのは理解しますが、人によって感受性が異なることは念頭に置いておきたいです 強要はトラウマを生むこともあります
・野菜が全て嫌いとか、かなりの偏食でなければトラウマになるような、全て食べるまで終わらない対応は止めた方が良いと思います。 嫌いなものを無理に食べなくても、代用の物で栄養は取れる。 栄養士の献立を完食すれば良いのが決まっているけど、強制するような事でもない。大人になって好きになったものは沢山あります。 家庭で食べない、親が嫌いで出て来ることのない食材もあるでしょう。 個別の対応が難しいだろう、残す選択もあって良いと思います。
・本人の体質、代謝、運動量などで、必要な栄養素は違うのに、一律で同じ栄養を取れ、って考え方は無茶だと思う。 毎日運動部でスポーツする子供を基準にしたら、そうでない子は過剰摂取になりかねない。 欧米の学食システムはある種合理的に見える。
でも今の日本では経済事情で日本の文化面での食育が難しい家庭が増えつつあるから、給食は基本的(今の制度を残すべきとは思う。
給食の時間を長くして、生徒それぞれに自分で適量を盛り付けて完食してもらえるような環境を整えるのが、一番いいとは思うけど。
・かなり昔ですが、私も小学生の頃給食の時間が一番苦痛でした。 好き嫌いはないものの、量が食べられず毎日昼休みの後の掃除の時間まで食べながら机を動かしていました。 食べられない→食べなきゃ→余計食べられないの負の連鎖で3年生の頃にはご飯やおかずどころか牛乳すら飲めなくなりました。 その時の担任の先生があまり無理に食べさせる人ではなかったのが幸いし、本当に少しずつですが食べられるようになりました。 5年生で転校してからはモリモリ食べるようになり、中学では土曜日の部活(年齢がバレますね)に弁当持参でしたが1つでは足りず、同じお弁当箱を2つ用意してごはんとおかずをそれぞれに入れて食べるまでになりました。 自分の経験から言うと、無理に食べさせることは本当にしないで欲しい。わがままではなくて、精神的に追い詰められるのです。 そして今食べられずに悩んでいる人、きっといつかモリモリ食べられるようになります!
・給食の時間は苦痛で仕方が無かった。
小3の頃、時間内にすべて食べ終わらなければならない、というプレッシャーから喉詰めと嘔吐を教室内で起こし、そのトラウマから家でも食事が出来なくなり、1か月ほど不登校の時期を経験しました。食事が出来ないので栄養失調になり、入院して点滴の日々。
その後、少しづつリハビリをして食事は出来る様になり、登校も再開したが、卒業するまで毎日吐き気やめまいと戦いながらなんとか給食を飲み込む日々。家族との外食ですら吐き気や不安感を覚える様になり、大人になった今でも飲み会などは苦痛で仕方がないです。
幸いにも中学校からは給食が無くなり弁当になったので、負担の少ない少量の食事にする事が出来、社会人の今でも会社での食事はおにぎり一個やゼリーなど最小限のものを何とか食べていますが。
飲み会などは8割欠席でしたが、コロナ禍で断りやすくなったのは不幸中の幸いでした。
・私の場合は偏食ではなくてほかの子の半分程度の量で限界だったのですが、食が細く、丈夫ではなかったので親も食べさせることに熱心だったので、常にもう食べたくないものを詰め込んでいる状態で、人の視線を意識してしまうと食べられない、をいまだに引きずっています。それくらい食べちゃいなよ、と口々に言われてお手洗いで嘔吐したりすると人様とのおつきあいや外出も不安で行けなくなってしまいます。親にも隠したままお墓までもっていくしかないのかな、と思っています。
・難しい問題ですね。私の勤務する保育園ですが、味覚にも個人差があると考えています。野菜が嫌いで、嫌いな理由は苦味な子がいるのですが、どんなに分からないように調理しても、他の子が気付かない苦味を感じとります。なので、一口だけ試す、をしてみて、ダメならおにぎりを握って出しています。一口でも毎回頑張るので偉いです。園では泣くほど辛いなら無理して食べなくてもいいと思っています。それより園がその子の安心出来る居場所ではなくなると困るので。歳を重ねるとその敏感さは鈍っていくと思いますし、あとはその子自身の慣れや成長を信じるしかないですね。
・幼稚園教諭ですが、 私は嫌いなものは残してもOKにしています。 「1口だけ頑張ってみよう」「ペロッとなめるくらいしてみよう」などの声掛けはしますが。 「お口の前まではるばる旅して来て、お口に入る前から嫌いと言われるのは可哀そう」と言うと、 ほとんどの子はひとかじりしてくれる。
子どもの舌は保守的なので、 「家庭の味と違う」というだけでも拒否反応を示すことがあるんですよね。 無理に食べさせるのではなく、 楽しく食べて、食べるのが好きになることが大事かな~と思います。
・苦手な食べ物を強制して食べさそうとは思わないが、食べてみようとする機会は必要だと思う。授業でも得意不得意はあるし、苦手なのは手をつけないは私も親やけど違うと思う。子どもにも苦手な物を克服しようとする気持ちは大切だし、その場を作ってあげるのが大事だと思う。そこで、できた事、食べれた事で自信につながり色んな事にチャレンジしようとするようになるんじゃないのかな?今の親はなんでもかんでも学校や保育園のせいにするが、相談するのはいいんやけど親なら家庭でも寄り添ってみて一緒にどうしたらこの子の為になるかを考えたらいいと思う。
・食育は家庭と学校で連携を取り進められるといいですね。意外と残している多くの児童は食べたことないというメニューも多く、味を知らなかったり食べず嫌いだったり。食べて見たら美味しいなんてこともあります。苦手な食材は親も嫌いだから家では、でないなどと聞く事もあります。 だれだって、好き嫌いは少なからずあると思います。 だけど、食育の大切はよく分かるので、一口は食べてみようと毎日言葉かけしています。
・私も現職教員ですが、記事の通りだと思います。誰もが食事が好きなわけではない。個々の摂取量は違うし、体質も違います。それでも平等にはするべきです。そのためには、1人1人の声を聞き逃さす、無理強いしないことです。(給食は量が決まっているので、自分だけたくさん食べたい方が沢山いたら、全てのニーズには答えられませんが)また、保護者ともしっかり連絡をとり、価値観の押し付けではない、それぞれに合った食育をする必要があると思っています。
・小学生時代(昭和48年頃)、私も給食時間が苦手でした 当時は病弱なせいもあり、体格も見るからに弱い感じ みんなと同じスピードで食べられない子でした 他にも単純に食べるのが遅い同級生もいました そんな生徒は完食するまでは5時間目の授業が始まろうが関係なく、机と椅子を廊下に出され、完食するまで薄暗い廊下で食べさせられていました
今の時代なら間違いなく炎上だと思います あれから何十年が経過しても、トラウマになっているのか忘れられない出来事だったし、たまに夢にも見ます
・牛乳がとにかく苦手で、給食時間になると、決まってクラスの男の子に牛乳を渡していました。あとは、生の食パンもよく出ていて、ジャムつけて食べていましたが、それもどうも苦手で、引き出しの奥に隠したり、ランドセルのポケットに押し込んだり、いかに食べずに昼休みを迎えるかばかりを考えていました。 今となれば、何であそこまで苦手にしていたかは分かりませんが、捨てる位なら、誰かにあげるって選択もアリだと思います。 そこまで完食を求める必要もないかと思いますが、無理やり食べる必要もないですよね…
・完食指導が良いとは思わないけれど、学校給食が始まった背景を考えれば部分的に納得できるところもある。当時はお弁当を持たせることもままならない困窮した家庭も多く、そういう格差が子供の成長の妨げになってはならないということで提供が始まったし、食うにも困る時代、残すなんてとんでもないことだったから。
だけど当時の習慣が良くも悪くも現代まで引き継がれているという感じでチグハグだ。時代と共にリニューアルされることが望ましいのかなと最近は思う。
お弁当持参か、給食を利用するか、選べると良いのでは。 少食で周囲と同じ量を食べられないとか、アレルギーのこととか、一発で解決でしょう。
給食室もかなりの修行を強いられていると思うよ。アレルギー対応とか、食物一覧表を毎月発行したりとか、息子の中学校はかなり細かい配慮をしてくれているけれど、、、いやいや、やってるほうはかなり大変なんじゃないだろうか。
・小学生の頃に隣の席の女の子が、どうしても食べられない給食のメニューがあり、ソレを残そうとしたら意地の悪い担任が完食するまで許さないみたいな話になってしまい、最後は掃除の時間になっても1人だけ取り残されて泣きながら部屋の隅で給食を食べていました。 当時子供心でも、コレは余りにも気の毒だと思って担任が少し教室を離れた隙にワシがその残り物を全部食って片付けてやった事がありましたが、後日、その子の母親がワシの家までやって来て「学校で娘の事をかばって下さって本当にありがとうございました。」と涙ながらに御礼を言われました。 当時は子供なので、その行為で庇うとか庇わないなんて感覚は1ミリも有りませんでしたが、その子が食べられない物をあそこまで無理に食わせようと強要する教育の姿勢は、今思うと完全に虐待と似た様なもんだなって感じます。 教師も教師で異常なんですわ。 子供相手に詰め方が度を越しているんですよ。
・自分も偏食のため、給食で苦手なものを居残りして食べさせられたことがありますが、食後に気持ち悪くなって吐いてトラウマになっただけで、食べれるようにはなりませんでした…
そうやって無理やり食べさせようとする人は基本的には好き嫌いがほとんどなく、偏食の人が苦手なものを食べることの苦しみを根本的に理解してないんだろうと思います…
親が文句を言うかどうかよりも、無理やり食べさせることは食育としてあまり効果的じゃない方法のように感じます。
・小学校2年生の担任の指導で、給食を残さず食べる決まりでした。 野菜が嫌いで昼休みも掃除の時間もそのままお皿を前に座っている時がありました。どんなに食べなさいと言われても嫌いなものは食べると気分が悪くなるので、本当に苦痛でした。この世から給食がなくなれば良いと思っていました。 毎日食べられないメニューではないので、献立表を見て、あぁ今日は大丈夫な日だなと確認したりしていました。 自分で料理をするようになり、好き嫌いは格段に減りました。野菜も好きになりました。あの辛い時間はなんだったんだろうと今でも思い出します。無理して食べる必要は無いと思います。
・我慢して食べろとは言わないが、子供の頃のある意味で辛い経験が、大人になってから好きなものを好きなだけ食べる喜びのような、同時にある程度の栄養知識から来る自分に合った食の選別ができる事につながると思う。 それを周りがあまりにも気遣いすぎだ。 まともな人間にはなるまい。 昔ウドの酢の物が死ぬほど嫌いだったが、体に良いからと言って母に食べさせられたが、今はその経験にとても感謝している。
・アラフォーです。 自身に感覚過敏があります。野菜は殆ど食べられますが、卵や甲殻類、貝類がどうしても受け付けないので、給食を完食できる日の方が少なく、居残り組でした。 掃除の時間になったら時間切れで終了でしたが、昼休みはあまり遊べませんでした。 好きなメニューで嬉しかった日もありましたが、嫌な思い出の方が印象に残っていて、他人と食べる時は今でも緊張して食欲が落ちます。 そもそも人によって食べられる量も違うし、無理させる必要はないと思います。 本来、食事は楽しむものなので、苦痛という印象が強くなってしまうのは悲しいことだと思います。居残りに付き合う先生も大変ですしね。 勿論、安易に残してはいけないので、残してしまう時は「ごめんなさい」をすることは大事だと思いますが。 息子に聞いたところ、今は、居残り指導がなくなったと聞きました。 良い時代になったなと思います。
・完食指導自体は悪いものではなく、むしろ身体的な成長に欠かせないものでもあるがそれをどこまで児童に求めるか、というのが難しい 偏食の矯正や生産者の方への感謝を教えるという意味なら多少指導的な面を持たせてでも進めるべきだが、苦痛を感じるほど追い込むのは駄目。それを個別に把握するのは先生方への負担が大きすぎる。
学校では最低限の教育的意味を持たせる程度として、やはり個別の食育は各家庭が子供と向き合いながら行うのが理想的。
・高齢者施設に勤務していますが、この子供の給食の偏食・少食の問題は、高齢者施設での給食と共通する部分が多いと思いました。 子供の偏食・少食は原因と対策をしっかり考えなければならない、そしてその原因や対策に頭が及ばない教師は苦悩するという問題は、高齢者施設でもまったく同じで、高齢者施設の場合は指導を受けた高齢者が身体が弱くなって逝去に至ってしまうリスクもあります。 また子供時代に偏食・少食で嫌な経験をした人は、偏食や少食に対する周囲の対応が終生トラウマになって、高齢になって施設に入所しても頑なに偏食・少食を続けたり、スタッフの指導をその出方によって断固拒絶してしまうこともあります。 高齢になって施設や家族を困らせることが無いようにするためにも、子供時代の給食指導は人生にトラウマを残さないよう、大人の考えを押し付けず偏食・少食の子供に寄り添っておこなってもらいたいですね。
・私は61歳になりますが、小学生の頃はやはり完食指導がありました。嫌いなものはありませんでしたが、当時の給食はとにかく不味かった! 「残さず食べなさい」 「こんな不味いもの食べれません」 よく先生とこんな言い合いになりましたが、16:00頃には解放されました。しっかりと自分を持っていたので、「食べたくないものは食べない。先生もこんなことにマンツーマンでずーっと一緒にいて大変だなぁ」と思っていました。未だにあるんですね、完食指導。さすがに無理矢理食べさせることはないでしょうから、「先生も大変だね!」と我慢比べを楽しんでもよいような気がしますが、難しいのでしょうかねぇ?
・昭和世代です。 保育園から小学校の低学年まで、ずっーと食べ終わるまで、机に座らされてました。 三月産まれで、同級生とは体格差も食事量も差があって当然なのに。 皆んなが掃除してホコリが舞う中かでも居残りでした。 好き嫌いじゃ無くて、大きなコッペパンが食べ切れるなかった。毎日キツかった。 高学年になって、先生の目を盗んでパンを半分、持ち帰る術を覚えました(笑) その子に合った食事量がある事も念頭に置いてほしいです。
・やりすぎは良くないけど、嫌ならすぐ逃げるということを幼少期に覚えさせるのは危険だと思います。嫌いな物を一口だけ食べるなど小さなハードルを設定することは大事だと思います。 職業柄若い人と接することが多いですが、本当に苦労します。指導業務がなのですが、今の子達は誉められて育てられてるのか、自分はできると思い込んでる人が多く、注意をすればすぐムッとなったり、失敗したら「教えてもらってない」など責任転換をしてくる。 小さな挫折や達成感など子供の時にたくさん経験させて免疫をつけることは大事だと思いますね。
・アレルギーなどで絶対食べられないもの以外は、残さず食べる様な心がけを身に着けるためにある程度そういう指導は必要かと。 小学生の時は食べるのが遅かったり苦手な食べ物だったりで、昼休みまでかかっていたこともありました。 親からもバランスよく食べる様に口うるさく言われてましたが、今となっては良い思い出です。 色んなご家庭があると思うので、学校でそういう指導があった方がいいでしょう。 生きてると好き嫌いが変わりますし、変なものにあたったのか急に苦手になることがあるので面白いですよね。
・小学生の時、ほぼ毎日先生が帰る時間まで給食とにらめっこし、ほぼ毎日学校に残っていました。好き嫌いが激しく食べられない為です。当時は本当に辛かったです。今でも給食の時に出た嫌だと思った食材は食べれません。ただ当時嫌いだった物でも給食に出てこなかった食材は大人になり自然と食べられるようになりました。精神的に受け付けなくなってしまっているんだと思います。給食の場で食べるのも教育だとは思いますが、その事により大人になっても受け入れられなくなる事もあるので、強要しすぎは良くないと思います。
・我が子がまさにそうでした。 幼稚園の年長さんの時にお友達からお弁当の事でからかわれたのをきっかけに、他人と一緒に食事が出来ず、もちろん家族だけのテーブルであっても外食も出来なくなりました。中学卒業するまで、クラス替えの度に担任に相談し、無理に食べさせないようにお願いしました。 それでも食べさせようとした年配の女性担任もいました。若い担任の先生の方が理解があったように思います。 私としては無理に食べなくても栄養は家の食事で補えばいいし、楽しく学校に行って欲しいという思いが一番でした。今では色々なものをよく食べますし、大きく成長しましたよ。 とにかく学校の対応はとても大事だと思います。
・「完食強要」は「運動中に水を飲んではいけない」「鬱は甘えなのでビンタを食らわせて外に引きずりだせば更生する」というような方針と同じ種類のものだと思う。過去には精神論に基づいて有益だと考えられていたが、実際にはむしろ有害なことが分かった理論の一つ。 スポーツに精神力が必要なのは確かだが、水を断ってそれを養おうとすれば運動能力は落ちて健康が損なわれる。それと同じで、食べ物に感謝して粗末にしないことは大切ですが、それを身につける手段として完食を強要するのは間違いでした。 完食強要は未だに有益性があると信じている人も多いですが、非合理的な精神論の押し付けで一生物のトラウマを植え付けられる子供のことを思えば、一日も早く駆逐されるべき理論だと思います。
・給食は、家庭では出ないようないろいろな食材や料理を経験できる良い機会であると思います。 同時に食への感謝の気持ちや、栄養についてなどの食育にも繋がっている。 「食べる」ことは心身すべてをつくり、この世を知ることだと何かで聞いたことがあり、本当にそうだなあと感心しました。 とはいえ、食べることには個人差があるので無理に食べさせるのは良くないと思うし、実際私自身も子ども達に関わっていた時は、量を減らしたり一口食べたらおしまい、それも無理なら様子を見て次回に挑戦できたらたくさん褒める…というような対応をしていました。 飽食、家庭でも大皿取り皿食(個々に配膳しない→食べた物、量が目認できない)、小食なのにおやつはしっかり食べている…難しいですね。 話はそれますが、昔、給食についていろいろ訴えてくる親がいて、そんなに自分が立派で子がかわいいなら「弁当持って来いよ」と叫びたい時がありました。
・私のクラスでは、食べられるだけ食べる、食の発見をしようねと指導しています。 他のクラスでは完食を目指して無理に食べさせているようです。 逆に出された食事以上に食べるおかわりには否定的です。 給食費や災害時に避難場所での食事を想定して指導しています。 給食も授業の一つです。 食べる以上に学ぶきっかけが多いです。 味の発見はクラスで盛り上がります。 美味しい、不味いを知るのも学びです。
・昭和の人間です。 今の時代は個性を伸ばす風潮がある反面、好き嫌いを助長している一面があると思います。
給食は子供の成長に必要な栄養素をバランス良く限られた予算でメニューが毎日被らない様に考えて作って出してると思いますが、給食の特性上個人個人に合わせたメニューを提供するのは難しいと思います。
日本のフードロスは年間数百万トン。 世界的に見れば飢餓に苦しむ人達が沢山います。
色々な側面がありますが 子供の躾や身体と心の成長の意味も含めて考えると「修行」でも良いのではと思います。 (勿論アレルギー対策とかは必要だと思いますが)
・自分が子供の頃、給食終わった後の掃除中にも 無理矢理食べさせられている子がいました。 当時はそれが普通で当たり前だと思っていましたが大人になった今考えるととんでもない事しているなと思います。 別に餓死する訳ではないので無理に食べさせる必要もないと思います。 そこは家族の問題だと思いますのでご家庭で 面倒みてあげてください。自分にも子供2人いますが嫌いな物は無理に食べさせていません。 自分もそうでしたが大人になってから食べれるようになる事もありますので、 極端な偏りがなく、ある程度の種類を食べる事ができれば問題ないのかなと思います。 本来、先生とは勉強を教える立場であり、 人格、人間を形成するのは家族の役割だと自分は思います。 家庭に問題がある場合は市の児童相談所が関与すべきでしょう。
・30年以上前の話ですが、私が小学生の頃も記事のようなことが日常的にありました。 友人は午後の授業が終わり、掃除の時間になっても完食することができず、泣きながら放課後まで居残り給食することがザラでした。 好き嫌いは無かったと思うのですが単純に量が食べられない子で、授業中に一人食事をしている子がおり、先生も周囲の児童もまるでその子が居ないかのように全く触れないという、異様な光景がほぼ毎日のようにありました。 不登校にはなりませんでしたが、かなりの年数が経った今も、小学生時代の思い出話になるとその子は沈黙するものです。 子供ながらに学校の対応に疑問をもっていたものですが、先生方も指導法や他の教員からの目等、ストレスがあるのですね。 難しい問題だと思います。
・子供の頃からお肉が食べられませんでした。食感が苦手で噛む事がどうしても出来なかったんです。小学校1〜2年の担任は新卒の先生で帰りの会まで給食の残りを机の上に置かれたままにされました。2年生の3学期は身体の不調を感じ、病院通いで不登校に。3年生の担任はベテラン先生で食べられない物がある事を認めてくれて助かりました。
・この記事を見た方々にお願いがあります。我儘と会食不能症を一緒にしないで下さい。 半数の子供達には解決法があります。薬物療法です。抗うつ薬であるSSRIや抗不安薬を投与すれば半数以上に効果があるはずです。 でもそんな事を子供の時からする必要は無いはずです。副作用も有りますし。 今の世では給食を残す選択肢を与えてあげて下さい。 あと、会食不能症で悩んでいる子供に相談出来る窓口を与えて欲しいですね。あの頃の自分は真面目に、将来食事を伴う仕事をしなければならないなら死のうと思っていましたから。
・好き嫌いがよくないことは分かっています。 でも私は今も昔も、一度に食べられる量が少なく、苦手なものも多いです。 小中学校のクラス替えのときの唯一の祈りは、“給食を食べられない人を居残りさせる先生じゃありませんように”でした。 大人になった今も誰かと食事をするとき、“残してしまったらどうしよう”“食べられないものが出てきたらどうしよう”とすさまじい恐怖心があります。 おかげで外食も中食も苦手になり、料理が好きになりました。 学校や先生の描く“あるべき大人の姿”じゃないかもしれませんが、大人も子供も人それぞれ特性や得手不得手があり、大人になる過程で克服できる人もいるし、必要に駆られて克服する人もいるし、自分なりの折り合いをつける人もいます。それをするタイミングも人それぞれです。 一律に小学生の頃に克服するよう指導しなくてといいのかなと個人的には思います。
・食べれる量で配膳して、残ったのはおかわり組が食べてくれたらOK。それでも残った物は、みんなで肥料作りでもしたらどう?学校で野菜栽培してる所もあるし、無ければ花壇用でも。 一応学校の給食って授業の一環だから、食べ物を大事にするにはどうしたら良いか、生徒が考えて実行するのが良いと思う。 野菜を育てたりする事で、興味持って食べれる食材が増えてくれたら良いと思う。
・各地で給食の無償化が進んでますが、子どもの思いと保護者の思いが一致してないと思います。今の子どもたちは自分の好きなものを好きなだけ食べたいと思ってます。家庭ではそうされてるのですから。一方で毎日のお弁当作りが負担だから、とか、義務教育だから給食も無償で、という親が多すぎます。無償化して税金が投入されれば、残食チェックも厳しくなり、栄養士さんが作成した、年齢に合った必要エネルギー量はきっちり摂らせないと、ということになってしまいます。そして教員には一般企業のような昼休みもなく、無償化されても給食費を支払っているということも忘れないでください。
・私は子供の頃、少食で好き嫌いがたくさんありましたが、家では残さず全部食べなさいと言われた事はありませんでした。20歳を過ぎた頃からなぜか好き嫌いがなくなり、大体のものは美味しく食べられるようになりました。自然とそうなったのですが、後の経験や自分の意思により食べられるようになった物もあります。いろいろな食材や味付けのものを食卓に並べてあることが、たとえそれをその時食べなくても良い影響を与えると聞いたこともあります。 私は、戦時中食糧難を生き抜いた昭和一桁生まれの父が、一度も食べることを強要しなかったことにずっと感謝をしています。世間では残すことは悪だと教えられているのに。そのお陰で食べることは苦手にならず、今では良く食べるねと言われるようにまでなりました。こんなこともあるのですから、もう少し大らかに見守っても良いのではないでしょうか。美味しく食べた物しか栄養にならないという話もあるのですよ。
・私も野菜が嫌いで給食を残していました。毎日食べなさいと言われ給食の時間が嫌いでした。努力はするのですが、吐いてしまうのです。 しかし大人になるとだんだんと食べることができるようになり、今では好き嫌いはありません。パクチーだけはダメですが、 どうやら舌が老化を起こし苦いものが敏感ではなくなったみたいです。子供の頃は舌が敏感なので食べる物に好き嫌いがあっても当然だと思います。 給食は好きな物がいっぱい食べられるようになると給食は楽しい時間になると思います。その方が子供にとっては良いことだと思います。
・給食指導って難しいですよね。 人それぞれ好き嫌いは必ずあるだろうし、受け付けないものもある。 せめてどこまでなら食べられる、という範囲を示せればいいんだけれど。
毎度こういうのを見て思うのは、献立表を見て食べられない人はその日は前もって弁当持参日にする、とすればいいのではとも思います。 持参したお弁当は恐らく残すことはないでしょうし。 食に対する取り組みや改善は、本来は家庭が考えて行うものですしね。
学校では給食をサービスで出しているだけで、好き嫌いを対応する場では本来ないわけですし。(アレルギーの人への対策は必須ですが) 食べたい人が食べる、でもういいのではと思います。 現在給食配給ですら業者が買いたたかれて難しくなっているような時代。 事実、個人で用意してくれたら有難い、なんて思っている義務教育現場だらけだと感じますね。
・偏食というのはワガママではなく、体質です。人の感覚というのは意外に個体差が激しいものです。目が良い悪い、耳がいい悪い、と同じように味覚嗅覚、口腔内の感覚、人によって個体差がかなり開きがあるものです。ある子にとっては美味しそうな臭いも、別の子にとってみれば悪臭だったりします。
一日の中の一食程度、栄養バランスが偏っていたとしてもすぐに病気になるものでもなし、むしろ嫌いな物を無理やり食べさせられたという精神的なトラウマが刻まれる事の方がその子に人生にとって不利益が大きいような気がしますね。
・うちでは、小学校高学年くらいから、せっかくつくったのだから、嫌いでもとりあえず一口は食べなさいと言っていました。小さいうちは分からなくても、それくらいの年齢になれば、なぜ嫌いなのに食べなければいけないかと言うことを考えてくれると思います。 今は、子供たちも大人になりましたが、嫌いなものはあっても、食べられないものはないと言っています。 あとから、給食では残したことはないと聞きました。 家庭でも学校でも無理のない範囲で、嫌いなものを食べさせるチャレンジみたいなことはあってもいいと思います。
・嫌いなものも頑張って残さず食べようという指導は昔からあって、野菜嫌いの自分も小学校入って2年はしょっちゅう居残りで給食を食べる羽目になっていました…嫌いなものを減らすことは許容されてましたし、毎日ではなかったと思いますが。3年生以降は人並みに食べられるようになったので当時の指導に感謝しています。アレルギーなどの理由がなくても最近は子どもに負荷をかけないようにという方針が目立ちますが、社会で生きていくために役に立っている面もあると思いますよ。どうしても無理な子がそう言いやすい環境になればいいんですかね。
・皆さんのコメントを読んで、幼少期食べるのが遅く泣きながら1人残って給食を食べていた自分に、そんなに無理しなくていいよと声をかけてあげたくなりました。窓からミルクを捨てて怒られたり無理して食べて後から嘔吐したり、食べきれなかったパンを帰り道に見知らぬ家の飼い犬にあげたりしてました。不登校にも会食恐怖にもならなかったけど、子供ながらに辛かったと今更ながら思います。 そのうち大食いになってしまいましたが、今でも食べ物を粗末にしちゃいけない、出されたものは全部食べなきゃという強迫観念?は残ってる気がします。
・苦手な食べ物を無理やり口にねじ込んでも、好き嫌いが直る訳なんかないですからね。 自分もそういう目に遭ってきて、歳を重ねて克服した物もあれば、未だに苦手な物もありますし、口に含むだけで嘔吐きます。
『自分がされて嫌なことは他人にするな』という教育や躾をするのなら、この食育にもそういう考えを以て接していってほしいですね。
・個人的には完食指導はありがたいです。 私自身食が細かったけど、保育園と小学校を経て今ではどんな食材もありがたく食べれます。 子どもは持病の影響でかなり食が細いですが、園の先生も小学校でも、最初に盛る量を少なくして、完食できたら好きなおかずをおかわりさせるようにクラス全体を指導してくれているようでうちの子どもも完食できるようになってきました。
ただ、ニュース記事などで教諭が処分を受けた事例などを見ると、食べられなかった子が厳しく叱責されてトラウマになるなど、指導のあり方によっては苦行に感じる子もいるかもしれません。
・給食だけでは限界があるのかなと思います。我が子たちは残すことはないですが、多少の好き嫌いはあります。それでも家で作らないおかずと出会うこともあるし、好きなおかずの話題で盛り上がっていることもありますし、給食は本当にありがたいです。 でも中には苦痛でしかない子もいるでしょう。廃棄の量もすごいみたいだし、お弁当持参か給食を選択できるのもいいのかな。 恵まれている国だからこその悩みかもしれませんね。以前とある国の給食で、給食が唯一の食事。その内容もとうもろこしの粉をお粥のようにした物のみ。それでも目を輝かせて食べている子どもの姿を見た時に、幸せってなんだろうと切なくなりました。
・小学校低学年まで母親が作ってくれたもの以外はあまり受け付けられなかったけど、3〜4年生の時の担任の先生が給食を残すことを良しとしない先生で、残す時に許可が必要だったから無理して食わず嫌いだったものを食べるようになったのを思い出しました。でも結果的にそれで好き嫌いなく大人になれたんですよね。ただ見慣れない食べ慣れないから避けてただけで、本当は美味しいものたちを知れたし。偶然にも当時の給食を監修していた管理栄養士さんが県内でも評判の美味しい給食を作る方だったのも幸いでしたが。 アレルギー問題もあるし、本当にダメなものを無理してまで食べる必要はないけど、色んなものを食べることに挑戦するのもまた大事だと思います。 食べ物に限らず好きなもの、ことだけで生きていくってのも味気ないし、人生の幅が狭くなっちゃう。
・食べ物を粗末にしない。まずこれに尽きると思います。その上でできることは何かを考え、食育を学校でも授業の中でしっかりと教えていくことも必要かと。何事も積み重ねだと思います。いきなり小学校の途中で大事だよと教えられるより、1年からそういう話をして、はじめは食べられなくても少しずつ進めていき6年になれば食べられるようになっているかも。食に対する意識も変わってるかもしれないです。どういう風に自分達の元に食べ物がくるのか、どれも食べ物を作るのにどれだけ手間がかかるか。実体験もしながら食育を取り入れて行った方がいいと思います。 その上で、無理なく食べていけるものから食べていけば良いかと思います。共働きで家庭での食事も様々。学校でみんなと一緒に授業の1つとして取り入れていけないでしょうか。それを教室や学校の負担と考えるのであれば、何もせず、残す食べない子達の対応をする方が無意味な負担だと思います。
・私の子供は食が細く一般的な量よりも少ない量しか食事が取れなかったのですが、小学4年生の時に給食時間内に食べきれなかったら昼休みの時間にも食べさせられていました。 子供にとってはとても苦痛な時間となりました。食べ物を大切にすることは大事ですが、苦痛に感じては学校に行くことが嫌になってしまいます。先生は無理をさせないようにして欲しいです。
・小学5年生の頃、完食指導の担任に当たり、食が細い自身は昼休みを潰され、清掃時間も完食するまで解放してもらえませんでした。 しまいには、帰宅前に生徒皆の前で完食しないとこうなりますよって吊し上げられました。 それからは給食時間内で完食できるよう、よく咀嚼せずかきこむように食べるようになりました。 また、つみれ汁が献立で出た時は、気持ち悪さ?を感じたが無理矢理完食し、自宅に帰宅後、ストレス?から39度の高熱を出しました。 今思えば親に相談すればよかったと思いますが、何故か恥ずかしくて相談できませんでした。 結局、今現在「会食恐怖症」になり、人前で食事をする際は冷や汗でびしょびしょになります。 昔は、今考えると異常な指導とか、なんでもありだったなと感じます。
・昭和に小学生で、他のクラスでは掃除の時間も残って食べさせられている子がいましたが、私は幸い居残り給食の担任に当たることなく、平和に過ごせました。 生まれつき小さくて食が細く、一般的な一人前の量を食べられるようになったのは、社会人になってからで、それまでは毎食半分程度で腹痛になりましたが、好き嫌いは一切なかったので、どのおかずも全て食べていました。 その代わり家では、とにかく量を食べて欲しいあまり毎食怒鳴られましたが、お腹が痛くなるのでどうしても食べることができず、食に興味のない子になってしまいました。 それでもお腹が空けば、本人の食べられる量は自分から食べるし、きちんと成長もしました。 たった一度の小学生ですから、無理強いして、食に興味が無くなったり、トラウマになることのないような楽しい学校生活が送れる環境になって欲しいと思います。
・今放送中のドッグトレーナーのアニメで、躾の影響で食事や排泄を恐れるようになってしまった犬にはそれ以上躾するのはやめる、という方針が紹介されていました。 食べない排泄しない等は命に関わるからだそうです。 つまり、大事な犬が死んでしまうのと躾とどっちを選ぶのか?ということです。
人間は犬ではありませんが、やはり給食の指導で食べることが苦手になったり不登校になったりした子には、給食の指導をお休みして、その子のペースに合わせてもよいのではないかと思います。
食べること全般や会食や登校と、好き嫌いなく量を食べられることと、どちらを取るべきでしょうか?
まさか、標準の給食が食べられないなら学校に来る資格はないとか社会に出る資格はないとか考える先生はいないと思うのですが。
・給食は食育の一貫と思ってます。 好きなモノ頼むレストランじゃないし 嫌いな物が 出てくることもあります。 克服も大事だし、成長の為に栄養のバランスを考えて作られているはずです。 作ってくださった方々への感謝や 毎日食べることが出来る ありがたみを教えるのも大事な教育だと思っています。 嫌いなものでも一口でも食べられたら、お子さんを 褒めてあげて 家に帰って食べられたことを 話したりして また家で褒めてもらえたら もしかしたら 嫌いなものも克服できるかもしれません。
・私は給食に苦手なものが出ると、一番最初に他の食材と一緒にかきこむようにして食べてしまい、それからゆっくりと給食を楽しむ子供でした。 後からだと口の中に苦手な物の味が残ってしまって絶対に食べられなくなるのが分かっていたのでそんな食べ方でした。 お昼休みまで居残って食べさせられるのが嫌だったのもありますが、私は祖母から食事は残さず食べるように躾られていたのもあったからだと思います。 祖母から食事や食材の大切さや、大人になるまでちゃんと栄養をとらなきゃと教えられたのは本当に感謝しかないです。 やはり家庭での躾は時代関係なく大事なものです。 アレルギーは別ですが、単純にわがままでの好き嫌いは、きちんとご家庭で教えるべきだと思います。
・給食のあり方も時代と共に変わると思いますね。 私が小学生の頃は、とにかく給食が美味しくなくて、休み時間を長く遊びたいから無理矢理詰め込んでいた。 当時の給食の思い出といえば、黒パンや具のほとんどないゴムのような肉まん、冷えた汁に冷たいソフト麺、今のように甘くはない土臭い野菜の入ったスープなど、トラウマになるような食べ物ばかり。 席替えの時に、前の児童が机の中に黒パンを詰め込んであるのを見つけたり。 今は親が子供の好悪に合わせて料理を作るから、苦手なものが出ると残すでしょうね。 またアレルギーに対する認知も進んできたでしょうし。 給食は食育の場として認識されているけれど、本当の食育は親がすべきこと。学校にばかり負担と責任を押し付けるのはどうでしょうかね。
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