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文芸春秋総局長、松本人志問題は「刑事事件として立件するのは不可能」「客観的な証拠はない」と発言

デイリースポーツ 3/4(月) 17:53 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/c74850e04850e382524b83fc561bc1ac46365669

 

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株式会社文芸春秋の新谷学総局長がYouTubeチャンネルの企画に出演し、週刊誌「週刊文春」が松本人志の女性への加害報道に関する経緯を明かした。

新谷氏は女性の被害について警察への相談を促すことは難しいと語り、客観的な証拠が必要であり、事件化するのは非常に難しいと述べた。

一方で、記事掲載の基準についても触れ、「警察に事件にできない場合でも、記事にならないわけではない」と述べた。

(要約)

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 松本人志 

 

 株式会社文芸春秋の新谷学総局長が、2日に公開されたYouTubeチャンネル「ReHacQ-リハック-」の動画企画「あつまれ!経済の森」に出演。同社が発行する週刊誌「週刊文春」がダウンタウン・松本人志の女性への加害報道を行った経緯などを明かした。 

 

【写真】大阪での飲み会参加した霜月るな 「デタラメな記事」と証言 

 

 新谷氏は番組内で、松本からの被害を訴えた女性・A子さんに警察への相談を促したかを問われ「『何で被害を受けたのなら、警察に行かないで週刊誌に行ったんだ』という方がいますけど、これを刑事事件として立件するのははっきり言って不可能だと思うんですよ」と回答。その理由を「彼女の証言だけで、客観的なそれを裏付ける証拠もないわけですよね。それで被害届を出して警察で事件にできるかと言うと、不可能」と話した。 

 

 さらに、警察の幹部クラスと話したことも明かし、「『うちのこの記事に書いてるこれ、事件化できますか?』って聞いてみましたが、『100%無理ですよ。絶対ならないよ』って、やっぱり言われてしまうんですよ」とも明らかに。「刑事事件として立件しようと思うと、本当に強制したと、合意じゃないのに無理やりやったということを裏付けるような客観的な証拠、音声なのか、写真なのか、しかも性行為をされてしまったということを裏付けるような証拠が必要なわけで、それをそろえるというのは基本的には非常に難しい」と主張した。 

 

 一方で、週刊文春で報じた事情については「事件にはなかなかしづらいけれど、われわれからしてみると、警察に事件にすることができないならば、彼女は泣き寝入りしなければいけないのか?と言えば、そのことはないよなと思っていて」とコメント。「われわれは捜査機関でもなんでもありませんから、警察と同じような、条件が全て整わなければ記事にならないわけではないので」と、掲載に踏み切った経緯も口にした。 

 

 

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(まとめ) 

週刊誌が客観的な証拠がないにもかかわらず記事を掲載することに対して、多くの人が違和感を抱いています。

被害者の証言だけで記事化されることや、一方的な報道により社会的に抹殺されるリスクを指摘する声もあります。

特に、事実関係が不明確なまま報道されることで、被害者や加害者双方に大きな影響が及ぶ可能性に対する懸念が表明されています。

報道の自由を重視する一方で、責任や信頼性に関する問題を取り上げる声も多く見られました。

報道機関の行動や取材姿勢に対する批判や疑問が相次いでいることが窺えます。

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・客観的証拠がなくて警察に行けない、でも客観的証拠がなくても記事にしていいって考えは違和感があるね。 

それなりに取材してるのはわかるけど、飲み会に参加した女性で記事内容に真っ向から反論してる人も出てきた。 

報道の自由をかさに自分たちを正当化するけど、やはり週刊誌側に行き過ぎた行動があった場合の賠償金等の罰則を強化したほうがいいと思うね。 

 

 

・「「刑事事件として立件しようと思うと、本当に強制したと、合意じゃないのに無理やりやったということを裏付けるような客観的な証拠、音声なのか、写真なのか、しかも性行為をされてしまったということを裏付けるような証拠が必要なわけで、それをそろえるというのは基本的には非常に難しい」と主張した。」 

「われわれは捜査機関でもなんでもありませんから、警察と同じような、条件が全て整わなければ記事にならないわけではないので」 

 

文面だけ読むと、客観的な証拠はないが、泣き寝入りはかわいそうだから記事にする、ってことになって、まさに「私刑」だ。 

ちょっと怖い気もする。 

 

 

・切り取られた発言の際たるもの。客観的証拠とは写真、ビデオ等がないということと言っていた。そりゃ事前に携帯電話取り上げているのだからあるはずもないと言っていた。それを一部だけ切り取って報道するのもいかがなものかと思う。そういう揚げ足取りよりも自分で取材して足で事実を掴むべきである。それが重要。 

 

 

・「彼女の証言だけで、客観的なそれを裏付ける証拠もないわけですよね。」 

 

もし、この発言通り、被害を受けたと申告している人の証言「だけ」で他には何一つ無いのだとしたら、それを週刊誌でさも間違いなくあった事実かのように記事にし、社会的に抹殺されるまで追いつめることは許されるのだろうか。 

刑事事件にして有罪まで持っていくためには、証言プラスたった一つの客観的証拠ではなく、捜査により幾つもの証拠を重ねる必要がある。仮に被害とする日の直後に体液が検出されていたとして、通常絶対的な客観証拠ではあるが、それが不同意だったか否かを立証するには更なる証拠を必要とする。 

そこまでして有罪までもっていけるし、民事訴訟でも証拠の積み重ねによる立証は必要。 

それが普通なのに、ただの一つもなく証言だけ、というのは流石に間違った正義感のように思う。安易に書く週刊誌にはそれなりの社会的制裁は必要ではないか。 

 

 

・風向きがかなり変わり始めましたね。「ペンは剣よりも強し」と言われていますが、正確には「ペンは剣にもなりうる」です。つまり、他人の人生が変わっても金になるなら実行するということです。また、ペンは剣にはやはり勝てません。これはおかしいと思ったら、出版社一つぐらいを熱烈なファンが吹っ飛ばすのは簡単です。京アニ事件みたいな危険なファンがいたら、簡単に詰みます。 

 

 

・「彼女の証言だけで、客観的なそれを裏付ける証拠もないわけですよね。それで被害届を出して警察で事件にできるかと言うと、不可能」 

 

証拠もないのに証言だけで人を貶めるのは単なる私刑でしかありません。 

 

また、警察の幹部クラスに無理だと言われたから警察に行かなかった(警察に行くことを勧めなかった)は単なる言い訳にしか聞こえませんし、そもそもこの話が本当であれば、時効前(3年半前~2年前)にすでに記事を書いていたという事になりますので(取材を尽くしていないという証拠)いろいろと矛盾が出てくるのではないかと思います。 

 

 

・報道は権力の監視システムとして必須。それと同時に報道自体も絶大な権力であるのは紛れもない事実でありその暴走を防ぐシステムは必要。 

我々は過去に従軍慰安婦問題など報道主体で証拠がなく涙を誘うストーリーだけで莫大な金額が動いた事実を経験している。 

警察が取り上げないから無かったことにと、証拠がなくても言った者勝ちの間にはもっと丁寧な光の当て方が必要そうだ。 

 

 

・最初の記事の段階では証言のみに頼った怪しげなものだったのでしょう。 

その後に次々と芸人達が記事を証明するような発言(飲み会の存在やタクシー代など)をしてしまい、性加害は無くてもイケてない遊びをしていたことがバレてしまった。 

松ちゃんも芸人も最初から記事をガン無視しとくのが正解でしたね。ノーコメントのまま名誉毀損裁判を起こすのが、今後最も良い対策かも知れないです。 

 

 

・刑事事件にならないから言って本当かどうかわからないことを書いて陥れたことは罪であると感じる…。 

 

個人的には松本人志は悪くないと感じてるのにテレビもヤフコメも完全に悪人扱いしていて恐ろしさを感じている。 

 

証言者も出てきて嘘の可能性も出てきたので徹底的に闘ってほしい! 

 

 

・ジャーナリズムでもなんでもない、商業メディアのあり方、とても考えさせられます。 

人間を洗脳するのに300円のコストというのは、相当なパフォーマンスですよね。 

 

創られた裏付けがそれらしく用意されていて、メディア側も掲載基準のマニュアルがあって、裁判で敗訴した際の金額と売上見込みをシミュレーションして発刊の判断にしているような気がしています。 

 

 

 

・Youtubeを見ましたが、司法制度で裁けないものは「文芸春秋」が弱者の側に立って正義を実現するという趣旨にも取れました。若干誘導的な質問ではありましたが。 

報道がなされた瞬間に、社会的な抹殺が行われてしまう昨今の状況の中で、週刊誌の報道の重さ、立ち位置についての認識に、甘えがあるような印象を強く持ちました。 

不倫や性加害について、モラルを問うような報道を頻繁に行っていますが、記者たちの遵法意識、モラルについては多くの課題があるようです。 

 

 

・立件不可能でも垂れ込んだ女性が証言台に立って持ってる証拠を出して、それも認められないとして、逆に松本氏側の意見を裏付ける証言者が数人証言しメールやLINEの証拠をだして状況的に松本氏の言い分が認められた場合、名誉棄損で相当額損害賠償支払ってほしい。 

事実ならいいのですが、続報の内容がえげつなく、その信ぴょう性も薄いならそちらも損害賠償で松本氏は訴えてほしい。 

ニュースを目にする側も気持ち悪いので、虚偽だった場合は厳格な判定を下し、今後同様の事が起きないようにしてもらいたい。 

今までTVで観てた人のえげつない記事はショックですよ。 

事実なら受け入れるけど虚偽だったら読み手や視聴者側はたまらない。 

 

 

・真偽はさておき、伊東さんの件もそうだが、最近では一度記事が出されれば文春の記事ばかりが優先的に報じられ、記事に意見を唱えられる機会が圧倒的に少ないと思う。 

それに客観的な証拠がないとのことだが、客観的な証拠なしで記事を書けてしまうという点は憂慮しなければならないと思う。最近も実際に参加していた人が記事内容を否定する証言をしているし、真偽は分からないが週刊誌側は記事を書き発行するにあたり報道の責任は感じているのか疑問になる。報道の自由があるのはその通りだけど、それと同時に責任も伴うということを理解すべきではないかとも思う 

 

 

・立証が難しい段階で冤罪が紛れ込むリスクがある 

公的な記事とするのは、私的な社会制裁となる 

結果いかんに関係なく、特にお笑い芸人は、 

以前と同じテンションで舞台に立てないだろう 

立証できないなら結果は出ないかも知れないが、 

一人のお笑い芸人の人生を終わらせたことは事実 

そこまでやるべき根拠と目的があれば良い 

 

 

・刑事事件に出来ないということはそれだけの意味も理由もあるわけです。 

その意味も理由も無視して、「だったら俺たちが裁く」というのは絶対に絶対に間違ってる。 

刑事事件に出来ないような話を、こんな風に一雑誌の胸先三寸で人が裁かれていいはずは絶対にない。 

これは、語るに落ちたというか、絶対言ってはいけないことをとうとう言ってしまったと思う。 

 

 

・文春の記者がどのような形で取材に及んでいたのか、女性と記者の関係性の信用のためにも、今後は取材の経緯の音声記録などがあればいいと思う。週刊誌側が発言を誘導したり脚色したりしているのではないかと、どうしても不信感を払拭できない。このような社会問題に発展してしまうリスクのためにも記事の信ぴょう性はもちろんだけど、取材の信ぴょう性は重要だと思う。 

 

 

・警察に事件にすることができないからといって、週刊文春が記事にすることができると言っていたが、それは本当に正当な理由なのか? 

彼は客観的な証拠がないということを認めていましたが、それでは、彼らはどのようにして、松本人志の加害を確信したのか? 

被害者の証言だけでなく、他の情報源や関係者からも情報を得たのか? 

もし、そうでないとしたら、彼らは、被害者の言葉を信じるだけでなく、松本人志の言葉を否定することになりますが、それは公平なジャーナリズムと言えるのか? 

週刊文春が、被害者のためになるというよりは、自分たちの売り上げや注目度のために、この問題を扱ったのではないかと疑われても仕方がないだろう。 

週刊文春に対して、もっと説得力や責任感のある報道を求めたいと思うけどな 

 

 

・刑事事件にならないから記事にする、までは良いとして記事が出たことによって起こる芸能人や著名人の社会的な損失をすべてゴシップ記事のせいにしてしまう流れになっているけれど、SNSの声を過剰に意識するスポンサー企業のコンプライアンスや記事を扱うテレビメディアの報道姿勢なども含めて考えていかないといけない問題なのではないかな?と、個人的には思います。 

 

 

・警察への被害届は「虚偽または著しく合理性を欠くものでなければ、原則 ”即時受理”されます。」 

 

調査後、最終的に証拠不十分で刑事事件として立件されない場合もありますが、被害者にとっても松本さんにとっても、人生で最も重大な事案だと思いますので先ずは刑事事件として被害届、または相談をされてみてはどうでしょうか? 

 

87歳になる袴田巌さんなど、しっかりした証拠が無いのに冤罪で数十年刑務所に収監されていた例など考えますと、証拠も無いのに憶測だけで松本さんを私刑に処す事には慎重になるべきだと思います。 

 

 

・異なる証言も出てきた。きちんと取材をしたのか疑わしいという見方もできる。そうなると今後文春の記事自体の信頼度が低くなり、被害者女性の最後の砦としての機能さえ失うのでは?女性の味方みたいに言っているけど過程を間違えたらかえって被害者女性の行き場を失っているのでは? 

 

 

 

・>「われわれは捜査機関でもなんでもありませんから、警察と同じような、条件が全て整わなければ記事にならないわけではないので」 

 

客観的な証拠がないのであれば、女性たちの一方的な証言だけで記事にするのではなく松本氏や吉本興業に対してしっかりと裏取りして記事にしないと「書き得」になると思います。 

今後の裁判の成り行き次第だと思いますが、実名で文春の記事を明確に否定する人も出てきていますので文春が主張している真実相当性は崩れる可能性があると思います。 

 

 

・週刊誌というのは客観的な証拠がなくても、証言だけで、取材の確からしさを回数と人数だけで保つだけで十分というのはどうだろう。しかも、被害と反対の証言も出てきている。 

まぁ、名誉棄損の裁判に負けたとしても数百万円とたかをくくっているからか。週刊誌には、個人の権利を棄損してもいいのだろうか。本当に公益を害することであり、社会的な責任を負わせるべき案件なんだろうか。 

兄弟誌の総局長として、大変重要な発言と考える。 

 

 

・暴露系youtuberとやってること変わらないじゃん。笑 

ガーシーと同様かそれ以上の刑罰に処されないと不整合だと思います。 

 

 

・卑しくも文藝春秋社の総局長たるものが、このような低俗記事に公の意発言をするなど、同社も地に落ちたものだ。政治家たちによる社会の巨悪を暴くのではなく、随分昔の芸人の遊びごとを暴露して悦に入っている。恥ずかしくないのか。 

 

 

・犯罪として立件できないものをさも犯罪かのような構成で記事を出していることが問題なのです。「本件は刑事事件として立件できません」など注意書きが必要なのではないだろうか。そうじゃないと立件できないからってデタラメな内容の記事が氾濫してもおかしくない環境になる。ちゃんと取材しましたでも内容はいい加減ですでは困る。信じちゃう人がいるということを念頭に置いて世に出すべきだ。 

 

 

・今、この時点でどうしてこのような発言をするのだろうかと不思議だ。これは、戦略なのか、不手際だったのか。元々、刑事事件としては立件できないのは、分かっている、それは時効前から分かっていたということなのか。これでまた、ワイドショーは、この話で騒然となる。それは、問題提起をしているのかもしれない。ここでどのような人がどのように発言するかをよく観ておきなさいとの事なのか。それが沈静化するまで3週間くらいかかるということなのか。第1回の口頭弁論から目が離せないですね。 

 

 

・客観的証拠はないが証言だけでも記事にはできる、つまり事実かどうかは確認できないが確信犯的に社会的制裁を与えられるように先導することが目的だったとおっしゃってるわけで、これはちょっと係争中のこのタイミングで言うことではないのではと。 

 

意図的なのかどうなのか、証言者本人が損賠の民事訴訟を起こし法的救済を求める可能性を文春サイドが検討していないのも、かなり印象が悪いです。 

 

 

・立件できないという判断には8年前の事件だという事が恐らく大きい。8年の間に2回の関連法改正を経ており、強姦罪も強制わいせつ罪も今は無い。現行法の不同意性交等罪とは要件も、対応する証拠も変わってくる。今同じ事件が起きれば、立件の判断も変わる事になるだろう。 

はっきり明言しないが、文春が記事化したのは不同意性交等罪が施行されるのを待ってとのものでは無いかと思う。数年前から取材を進めており、その事は松本サイドも理解しているようだ。その事を明かさないのは文春側の法廷戦術に関わるのかもしれない。 

 

 

・「刑事事件として立件しようと思うと、本当に強制したと、合意じゃないのに無理やりやったということを裏付けるような客観的な証拠、音声なのか、写真なのか、しかも性行為をされてしまったということを裏付けるような証拠が必要なわけで、それをそろえるというのは基本的には非常に難しい」 

 

男性側としてめちゃくちゃ怖い。 

これを言い換えると、裏付ける客観的な証拠、音声、写真や性行為を裏付ける証拠が無くても特定男性を社会的に抹殺できる手段ということ。 

そして最初から書いているが、文春がいう十分な取材と根拠は「女性の証言」が全てとはっきりしたわけだ。 

 

 

・総局長は昔から被害者保護の立場で報道している。昔から批判を受ける事案はあるが、報道姿勢は一貫していると胸を張った。しかし総局長の語った「報道姿勢は一貫している」という言葉に違和感を覚えた。昔は週刊誌のスキャンダル報道ぐらいでは芸能人が干されることはなかった。今は煙が立つだけで引退に追い込まれ、報道される前に自殺する人まででている。このような世の中の急速な価値観の変化のなかで、出版社も報道姿勢を変化させるのは当然であり、一貫した報道姿勢という言葉に危うさを覚えます。時代錯誤の経営方針を続けるなら、いづれ世の中から淘汰されるでしょう。 

 

 

 

・刑事事件としての立証は無理と認識しながら、一方の証言は何十時間にも 

及びながら、結果的に汚名を着せられる方には数時間にも満たない取材で 

真相を決めつける。こんな手法が許されるのか?事実は当事者間でしか 

判らないが、法治国家日本で確定とは裁判でしか得られないのに、週刊誌の 

一方的な思い込み(に等しい)で、信用も仕事も家庭も崩壊されるのは 

強い憤りを感じます。日本でも懲罰的慰謝料を出してほしいですね。 

 

 

・客観的な証拠も無く、人を破滅に追いやっていいわけないと思います。もしそれでも報じるなら、双方の言い分をしっかり公平に報じればいいと思います。それをしないのは対決姿勢を鮮明にして片方を悪者にした方が記事が売れるからだと思いますが、週刊誌の儲けのために人生を奪われる人が可哀想です。 

 せめて、真実たりうる客観的証拠を積み上げていると胸を張れるようになってから報じて欲しい。そんなことしてたら記事から出来なくて商売成り立たないのかもしれませんが…。 

 政治家の汚職や不正など公益性のある報道についてはすごく大きい役割を果たしてくれていると思うのですが、芸能スキャンダルが飯のタネという収益構造を何とかすべきなのかもしれません。大して知らない政治家の汚職よりも、芸能人の下半身事情の方が売れてしまうのだから仕方がないんですかね…。 

 

 

・強烈な違和感を感じました。 

証拠が無いなら事実かどうかが分からない訳で。 

でも、発言は事実だけど証拠集めが難しいので書きました。みたいな感じになってますが週刊誌として恥ずかしくないのかな?と思います。 

結局は、証言した方の内容を鵜呑みにして記事にしました。と発言なされているのですが。 

 

松本氏もやましい事が全くなければ、降板などせずに記者会見をすれば良かったのにと思います。 

 

 

・「証拠がないのは、スマホを取り上げられたために録音・録画出来なかったからだ」ということにすれば、客観的証拠がない言い訳になりますからね。 

 

韓国や日本の活動家が「慰安婦の強制連行の証拠がないのは、終戦直前に関係書類を全て燃やして証拠隠滅を図ったからだ」と言っているのと同じ。 

 

確かに、証拠が無いこと=潔白だということにはならないが、明確な物証が無いなら、更なる状況証拠の積み上げが必要。 

 

文春のことだから、松本さん側から反論されたり訴えられたりしたら「じゃあ、これはどう説明します?」という切り札があると思ったが、何だかどんどん証言が弱くなっている感じ。 

 

「そんなの、ただのコンパや飲み会の範囲内だろ」という女性の証言まで動員している。 

 

 

・でも日本は法治国家で、憲法で表現の自由は保障されていますが、刑罰権は国家が独占してるから私的制裁は禁止されてると思うのですが。社会的制裁を与えるための報道も相手の価値を必要以上に毀損してしまうと私的制裁認定されてしまうので、退き際が肝心ですよ。松本サイドへの陽動作戦も奏功せず、その取材姿勢にも綻びも出てきたみたいですし。 

 

 

・疑わしきは罰せずという刑事事件の中では、有罪となる可能性が限りなく100%に近くなければ捜査機関はなかなか動かない。 

だから、警察を動かすためには物証などの客観的証拠が重要になる。 

一方、民事はどちらが疑わしいか、どちらが正しそうかということで判断する。 

だから、物証がなくても証言だけでも訴訟は戦える。 

もちろん、記事にするのに物証は必要不可欠ではないことは言わずもがなである。 

松本さん側の弁護士が「性的行為の強要の客観的証拠がないにもかかわらず・・・」と言っていて、どこまでが事実でどこが違うかを明示していないが、(これを作戦だと言う者もいるが、)どの時のことか特定すらできておらず、単に「犯罪は犯していないと」主張しているようにしか見えない。 

もしかすると、警察に刑事告訴するかもしれない者に「客観的証拠がないなら無理だよ」とけん制しているのかもしれないと穿った見方もしてみたくなる。。 

 

 

・インタビューがこれだけなのかどうか知らないが、文春に尋ねるべきは何のために報道したのか、松本氏がどうなるべきだと思っているのかということ。「被害女性」は自分のような目に遭う人がなくなって欲しいから喋ったというようなことを言っていたと聞いた。もしそうなら松本氏に関する限り以後同じような行為をやめるだけで(彼が何の制裁もダメージも受けずに今後も今まで通り仕事を続けても)被害者は大満足ということになる。バッシングは不要。文春はその点について希望はないのだろうか。裁判の場合、原告と被告が対立する論点(原告が証明すべきこと)が明確だし、原告が勝てば刑罰とか補償とかがはっきりする。だがメディアを使ったバッシングではどうしたいのかが不明。裁判と違って何の証明もされずに松本氏が芸能界から追放され、それは誰の意図・希望でもないし、誰もその責任をとらないこともありうる。これは異常なこと。 

 

 

・潮目が変わる大きな発言だが、そもそも客観的な証拠がなく記事にしたことが明らかになれば、被害を訴えるA子らがさらに被害を被ることになることを考えなかったのか。 

 

客観的証拠なく事件化は無理という旨を女性らは了承して記事にしたのか。 

それによっては女性らの見方も変わってくる。 

 

この事件の本当の加害者は誰なのか、飲み会の様子や過程を告白した方への誹謗中傷などこの報道の被害者はどこまで広がるのか、まだまだこの件の報道には大きな責任が伴う。 

 

本来公平であるべき報道が、論拠となる客観的証拠がなく偏ることで、こうまで大きな被害の連鎖をうむという意味でも文春の報道姿勢は改めて考えさせられる。 

 

 

・客観的証拠がなくても報じていいなら、なんでも記事にできる。 

 

これは報道とは全く違う、ただの週刊誌の金儲けだと思う。 

 

実際はどうであれ、日々証拠探しや、第三者の証言を探している報道機関に対しての信頼さえ揺るぎかねない発言ではないか。 

 

最初から、賠償金を払うつもりで、それよりも利益が出ると見込んでのことであれば、本当に賠償金を引き上げる必要がある。 

 

 

・推定無罪が必ずしも正しいとは思わない。が、少なくとも当事者である双方の言い分を公平に扱わず、一方的な見立てで記事化することは、更に違和感を感じる。事件化はできない代わりにゴシップ誌がある事ない事書いていいのか、と。そもそも犯罪行為でないなら事件化なんてできない。証拠云々の問題じゃない。あとから私は被害者と声をあげれば刑事罰が課されるような、そんな馬鹿げた話はない。あの時嫌な思いをした、が犯罪化されたらたまったものではない。 

 

 

 

・私が1番違和感があるのは、この飲み会とやらはずっと開催されていたということなのに、被害にあったと証言されている人達はみんな数年前に被害に合った人達。最近まで飲み会があったのに何故ここ1〜2年以内の人はいないのだろうか。 

 

飲み会に出たことある人でも、スマホを取り上げられたりしたことはなかったと証言する人もいる。何が真実なのか分からない状態になっている。 

 

著名人は記事が出た時点でたとえ真実でなくてもイメージは悪くなるし、廃業に追い込まれる可能性もある。 

 

確固たる証拠がなければこういう記事を掲載すべきではないと思う。 

 

正直、文春がなくなって困る人より、松本人志が引退する方が辛い人の方が多いのでは? 

 

売れれば何でも書いて良いという姿勢は改めるべきだと思う。、 

 

 

・なるほど、週刊誌が率先して私人逮捕しようとしたわけだ 

 

真偽のほどが定かではない一方的な告発をだ 

 

結局ネタはあっても裏取りまで完全ではない話で一人の芸人を一時的もしくは永遠になるかもしれないが消してしまったのが現実 

 

一人の女性から文春の書いたネタの逆の話が出てきて今後松本擁護な証言ネタが多く出てきたら文春はどう出るのだろうか? 

 

 

・「証拠がないなら泣き寝入りしなければいけない社会」と「証拠もないのに人を陥れられる社会」なら後者の方がやばいかと。だから法治国家において証拠というものは大事だし、証拠がないなら週刊誌を通じて復讐しましょう、ではなく、何かあった時のために証拠を残しましょうという方向に啓蒙する方が建設的だし正しい方向だと思う。 

 

 

・今回に限らずですけども 

被害者側と加害者側がいてその両方に十分に同じだけの 

公平に取材時間を割いてるなら判るのよ・・・ 

極端な話ですけど 

被害を訴える人の証言とか周りの取材とかに凄い時間をかけて 

一方の松本川の取材ってもしかしたらすごい短時間じゃないの? 

 

それって公平でも公正でもない 

片方だけの意見の取り上げでしかない気がするけど? 

 

流れがなんとなく変わってきたから 

こんな事を言い始めたようにも受け取ってしまう。 

 

 

・客観的な証拠がなく刑事事件として立件できないというのはわかるが、ではなぜ女性の告白を事実だと判断したのか。その根拠を明確に示すべきだと思う。「泣き寝入りに済ますべきではない」というのは大義名分であり、論理のすり替えのような気がする。 

 

 

・結局、客観的証拠がないのに、被害届が受理されないのに、裁判所が民事で受理したほうが、スラップ訴訟と変わらないんじゃ、いちいち振り回された方は、どうするんだろうね。訴訟化しても日本の名誉毀損じゃ金額合わないけど、単価の高い人間はどう判断するか裁判所も大変ですね。見方によっては、民主主義の国から見れば労働人権軽視と見られますから、どうするんだろうね。裁判する権利も相手が明らかに金持ちだとわかっていて、金巻き上げる目的の疑いも客観的証拠がない訴訟なら、書記官の判断力もこれからは問われるから大変ですね。 

 

 

・密室内であることや証拠もなく大物芸能人ともなれば立件自体で見れば難しいのは明白でしょう。 

だからってそれらを週刊誌へというのは皆がそこは首を傾げてしまうとこなんでしょう。 

憲法上の表現の自由がある限り週刊誌はこれらを盾にしていく分強いです。 

いわゆる賠償額を上げるとか憶測での記事には罰則を設けるとかそういった 

議論がされようにも報じる自由としての権利性が強いです。 

不祥事を暴くとかそういったもので圧力に潰されような場合にこれらについて報じる事での盾は強いですが、最近は何か書いたもん勝ちの風潮になりつつあると思います。 

 

 

・世の中の流れ、国の在り方として、法のみでは裁ききれないものがある。 

いわゆる、日本国憲法の三権分立という考えの元である中だけでは、不十分かつ不明瞭、およびその抜け穴は大きすぎるのでは?ということ。時代は、変化し多様化していってる。ついこの間までは、週刊誌やテレビ、ラジオなどのメディアによる社会的影響が加わり、司法、立法、行政に次ぐ第4の権力としての存在がありました。そして、現在ではそれに次ぐ権力としてSNSなどネットによる力が加わったわけです。それが、すべて良いか悪いかは別次元の話として。今回の騒動や、ジャニー氏問題のみならず、先の安倍総理襲撃事件などでも世間では誹謗中傷などの意見書き込みもありはしても、すべてが行き過ぎたものと考えるべきではないし、世の流れは理想的状況へ向かっている。そういった意味でも、その情報源を提供してくれたメディア各社に、今後も是非とも頑張っていただきたいと感じる。 

 

 

・実際に刑事事件として申告して、証拠不十分で却下されたならば、一部納得ができます。 

 

しかし申告もせず、雑誌社の幹部が「はっきりいって不可能」と決めつけ、警察幹部が正式な聴取もしないで書かれた記事を読んで「100%無理」と決めつけが存在したのですか。被害者からしたら、法律に沿った手続きさえさせてもらえず、雑誌社に言われるまま記事にしたのでしょうか?もしもそうであるならば、被害者がかわいそうです。 

 

 

・刑事事件として立件するのが不可能だとしたらその問題性を一番に持って来るべきです。私自身、人の被害を受けているという話を聞く環境にありますが、しっかりと調べてみるとその多くは自己都合に寄ってしまっている事が多いです。確かに飲み会もしてたろうし遊んでもいただろうけど、取材して聞いたテイで真実相当性を盾に地位を貶めるような捏造があってはいけないと思う。 

 

 

 

・これ言っちゃうんだ・・・なかなか衝撃的な記事です。 

いわゆる調査報道というものは、事件化されていない問題を 

綿密に調べて世に問うというもので、それは存在する意義はあります。 

ただ調査報道は普通の報道より遥かに高いハードルが求められ 

世の人を説得できるものが無いと、単なるゴシップになってしまう。 

証言、しかも名前もわからない人の証言だけとなると、 

これが調査報道と呼べるものなのか、はなはだ疑問が出てきました。 

 

 

・立件は不可能、ですか。 

例えば、職場でお尻や胸を触られた。でも証拠は無い。被害者の証言だけ。加害者は否定している。 

こういう場合は強制わいせつで訴えられないということですよね。職場の人事に訴えても、下手すりゃ名誉毀損で加害者から訴えられる。泣き寝入りしかない。 

 

女性や文春の言い分としては、今回の件では女性は泣き寝入りせず、松本人志さんに声が届くように雑誌で記事にした、という事でしょうか。 

どちらが真実に近いことを訴えているのか、その場にいなかった第三者には正直分かりません。とにかく、憶測でどちらかを『悪』にするようなコメントはしないことが大事かと思います。 

 

 

・文春というか週刊誌のやっていることは今も昔も変わらないんだけれども、ネットとの相乗効果で記事内容がものすごく増幅して誇張され個人個人に悪意に捉えられるようになってしまったから恐ろしい。その核となっているのが文春だから彼ら編集部は万能感で高揚してしまっているのではないか。 

 

 

・同業故、他人事ではないと急遽張った予防線にしか見えない。 

他業種なら、関係者が首くくるまで追い込んできたではないか。同業者相手だと何故かそれをしない。 

推測憶測の類だが、どこも似たりよったり、明日は我が身みたいな意識があるのではなかろうか。 

一部から「マスゴミ」と揶揄されてもなおその体質は変わらないのだから、相応の理由があるのだろう。 

メディアを経由せずとも情報収集が可能な昨今、メディアはその役割を終えつつある、淘汰されつつあるのではないだろうか。 

 

 

・たとえば政治家が私服を肥やしている疑惑について、「証拠は足りないけれど疑惑がある」というのは、公益性の観点から見て許されることだろう。 

 

なら「証拠は足りないけれど、芸能人に性加害疑惑がある」ならどうか。 

ちょっとそれを公益性があるというのは厳しい気がする。 

これはやはり「警察では証拠として不十分と判断することだが、一般的な常識で言えば証拠がある」ぐらいでないと厳しい気がする。 

 

そろそろ被害者の被害感情と、出版社の利得、社会的な公益性、このあたりを切り離して論理的に考える時期に来ているんじゃないか。 

 

極めて拡大解釈された報道の自由とか公益性を盾にとられると、私刑も正義みたいなことになっちゃう。 

 

公益性とか社会的意義とか、そういう社会派を気取るなら、もっと先に叩くべきことが山積みのはずだけどな。何で儲かりそうなことを優先的にやっといて、そんなお為ごかしが言えるのかとは思う。 

 

 

・そりゃ、本当なら被害にあった女の子は、事件にならず可哀想だと思うから、何かしら助けてあげたい。 

 

と思うけど、 

証拠も何もないのに記事にして、 

事実かどうかもわからない記事で被害にあった人はどーするんだ? 

 

被害にあった人を救いたい気持ちはすごいが、それで被害者を生み出してたら意味ないと思うんだが? 

 

あると程度、証拠集めて記事にするのが記者や出版社の仕事でしょ。 

 

被害者であろう人の話を聞いただけで、事実かどうかもわからない事を記事にするのは、素人でもできる。 

 

もっと記事に仕事意識やプライド持ってやって欲しいわ。 

 

 

・週刊誌が名誉毀損した場合の慰謝料が低く、売れれば全くダメージにならないのが問題。週刊誌が名誉毀損した場合は、経営にダメージを与える位の慰謝料を取れるように法改正すべき。個人によるネット中傷が注目され厳罰化されているが、マスメディアによる中傷の方が本来影響は大きいはずだ。 

 

 

・この話って、黒か白かはわからんが記事に仕上げることは出来ると言ってる。白だったら、告発された人の被害は誰が贖うの。ひどい話だと思いませんか。一方性被害の刑事事件の立件のハードルが高いのは理解するが、だからと言ってこの局長の理屈はおかしいよね。 

立件ハードルを下げる法整備が必要だが、週刊誌が代わりに鉄鎚とか思い上がりだよ 

事件報道の有り様について、逮捕起訴されても裁判にならないと本来は白黒ははっきりしないが、逮捕起訴の時点で報道される現状。これにも、釈然としない。 

警察が被疑者勾留時点の状況を報道にリーク。さも犯人のように記事がでる。冤罪であれば被疑者は大変な目にあう。松本サリン事件を思い出して欲しい。 

 

 

・警察が取り合ってくれないものを騒ぎ立てようとするのも松本人志という有名人を相手取ったからだろう。 

警察が取り合ってくれないものを追究しようとするのはジャーナリズムの観点から必ずしも悪いことではないが、こと今回に関しては文春が女性の方に肩入れし過ぎだ。 

警察だって片方からのみ事情を聞くことはしない。必ず両者から話を聞くものだ。 

それを怠るとどういうことになるのか、それが今回だ。これではジャーナリズムどころではない。 

文春が今後もこのようなジャーナリズムにも満たないことをするようであれば、逆に文春がスラップ訴訟されるだろう。 

 

 

・刑事事件にならないということは、証拠がないという事、つまり被害者の証言は主観的で感情的な証言になり、事実か虚偽の証言なのか判断する材料がないという事。 

週刊誌の行為は公平な立場からの断罪ではなく、ただの私刑でしかなくなりつつある 

 

 

 

・総局長の話には違和感しかありませんね。 

警察が100%立件が無理と言ったのなら(そもそも警察に相談したという話が真実かどうかも疑わしいですが)刑事事件として推定無罪の考え方から警察への届出を断念したということでしょうが、その程度の証明で「記事には自信を持っている」なんてよく言えたものだと思います。 

 

 

・「刑事事件として立件しようと思うと、本当に強制したと、合意じゃないのに無理やりやったということを裏付けるような客観的な証拠が必要なわけで、それをそろえるというのは基本的には非常に難しい」 

 

法的には「何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない」(憲法38条3項)という最低限のラインが引かれており、理屈の上では被害者の証言だけでも有罪に出来ないことはない。しかし、実務上は困難だということだろう。 

 

しかし、刑事で無罪でも民事で敗訴するケースだってあるし、訴訟にいかなくても報道により問題提起したり、社会的制裁を導くことも報道の自由の価値の一内容だ。 

 

「警察に事件にすることができないならば、彼女は泣き寝入りしなければいけないのか?」 

この言葉はそうした背景をよく押さえており、新聞、TVなどよりよほど社会の公器の使命を自覚していると思う。 

 

 

・客観的証拠もないのに記事にした事を認めたという事ですね。捜査のド素人が取材や現地調査でどれだけの確証が取れるんでしょうかね。 

ずっと気になってましたが事実確認するためには双方から話を聞くのは必須要件ですが、記事にする前に松本さん側への十分な取材を行ってないのでは… 

 

 

・仮に警察が全く取り扱わないのであれば、この案件に限らず性被害を訴えている人を警察は救えないことになる。 

もしそれが事実であれは、そもそもそこが問題だと思うし、だからこそ被害を訴えて解決をするためにメディアを利用するというのならば、一定の理解はできる。 

ただ、伊東選手の事案は告訴が受理されており、この違いはなんなのか。最近性被害で逮捕された映画監督の事案となにが違うのか。 

最初から警察に相談する意思はあったのかどうかも含めて、この説明だけでは不十分。 

 

 

・性被害はあってはならない事。これは絶対的な事ではある。ただ、それによる冤罪も絶対あってはならない事。 

 

少なくとも絶対的は証拠や証言がなければ冤罪をかけられた側は悪魔の証明などできるわけもなく、しかもいかにも被害者側に立っているような顔をしている出版社側はそれで儲けた利益を彼らが信じる被害者の支援に充てるわけでもなく正義者ぶる。おかしくないか? 

 

もしかしたら記事の内容は出版社側が正しいのかもしれない。しかし、第三の権力であるマスコミがその力で有名人だとは言え一個人を吊るし上げるという事をするのであれば掲載を許可した編集長も、記者もある種の覚悟を持つべきだろう。 

 

担当記者、編集長などのスキャンダル(あくまで確証のあるもの)が晒されても文句は言えないよな。 

 

 

・警察で捌けないから週刊誌が私刑を執行しても良いとでも言いたいかな? 

そう捉えてしまう発言。 

なぜ警察では捌けないのか。 

確たる証拠が揃わないからでしょう。 

泣き寝入りが仕方ないというんじゃない。 

でも週刊誌も確たる証拠もなしに記事にしちゃダメでしょう。 

だから発信すべきは、そういう場所は危険があるということを人物名を伏せて発信すればいい。 

雑誌を売りたいから個人名を出すんでしょう? 

社会的問題だと感じてメディアの使命感からの注意喚起なら人物名の特定は必要ないはず。 

その物語だけでいい。 

儲け主義でスケベ根性丸出しの週刊誌が人助けみたいな事を言っているのを見ると腹が立つ。 

 

 

・どちらが本当かわからないが、もし記事が捏造であれば、これは許されない問題だと思う。人一人の人生を無茶苦茶にした責任は負わなければならないと思う。出版社側をこの記事に対してゴーサインを出した人も一緒に責任を取るべきだ。そして当然謝罪文を載せなければならないと思う。最近の週刊誌等余りにも目に余る事が多すぎだ。 

 

 

・記事にするのは良いとして、それが正義と信じての行いであれば、間違っていた時は清く自らが進んで誤報を認め、相応の責任を取る覚悟も必要。 

そして、記事に反する証言をする、都合が悪い相手への取材も必要だと思う。 

間違えを自覚した段階に至っても、己らのメンツのために正当性を争う様な真似だけはしてほしくない。 

本当に売上じゃないのなら、正義を貫いてほしい。 

そういう姿勢であれば、週刊紙への批判は減るだろう。 

 

 

・総局長って役職のわりに頭悪すぎないか…? 

 

「客観的証拠がないから警察行かなかった」ってことは、証拠がないけど個人の名誉を貶める記事を書きましたって自白したも同じでは? 

 

記事を書くのに証拠が要らないと言っても、それが誰かの名誉を著しく傷つけるような内容であれば最低限の裏取りは必要だと思うんだけど。 

 

他のメディアで「証拠ないけど文春総局長にセクハラされました」みたいな記事が出ることを想像してみたら良いんじゃないか…? 

 

今回の件が事実かどうかは分からないけど、メディアに関わるものとしての意識に問題がありすぎる。 

 

 

・警察に行ったからと行って、起訴できるとは限らない。 

それは正論。 

警察・検察の門が高いからと言って「警察に全く行かない」のもやっぱり疑問だよね。 

警察→文春とは言わないまでも、現時点でも警察との接触が無いのだとしたらやはり違和感は残る。(告発状を出す出さないは別問題として) 

 

確かに「警察が捜査しない」って結論が出たら名誉回復も無理で記事も売れないとは思うが… 

なんか腑に落ちない。 

 

 

 

・「刑事事件として立件するのは不可能」意見が分かれる所ではあるが…必殺仕事人じゃないが法で裁けぬ悪を〜てな所ですかね… 

でもさ〜「客観的な証拠はない」←コレどうなん?コレは流石におかしくないですか?何の証拠もないのに何で文藝春秋は、文春は記事にしたんですか?『彼女は泣き寝入りしなければいけないのか?』…うん、もっともらしい事を言ってるけどコレは理由になりませんよ!だって事実じゃなければ“泣き寝入り”なんてしないんですから…んで事実かどうか判断するのに必要なのが【証拠】ですよ!でもその証拠がない…はぁ?大丈夫?論理的にも倫理的にも破綻してますよ文春さん!何もさ性加害を放置しろなんて言ってないのよ…証拠を用意しろって言ってんの!逆に何で証拠もないのに記事にしてんだ? 

傲慢なんだよ傲慢!日本のマスメディアは自分達が特別な存在だと思い込んでだよ…違うよ!違うからね!何の権限もないんだからね!自覚しろ 

 

 

・客観的証拠もなく誰かを犯罪者として糾弾(してないと言うんだろうけど、したも同然だよね)するのは、さすがに冤罪だったとき「ごめんなさい」じゃ済まないレベルになる。それでも、日本の司法は「売れた金額よりも賠償額が少ない、やったもん勝ち」なんだよね。だから、こういう「証拠はない、でも言い切ってないからセーフ」みたいな商売が成立する。 

 

 

・なぜ司法制度が存在するのか 

裁判はなんのためにあるのだろうか 

そもそもどうして裁判はあれだけの時間や手間暇をかけて真実を追求していくのか 

 

言っていることは一見正当化された意見に見えますが 

そもそも週刊誌側にそのような権利はあるのでしょうか? 

週刊誌に書かれた事で社会的制裁を受けた人が被害を回復しなければならない場合に誰が救ってくれるのでしょうか 

またなんでもやったもんがちというのは許されないと思います 

多くのコメントにもある通り、週刊誌も行ったことの社会的責任を負わなければあまりにも不公平であり理不尽に感じます 

 

芸能人のゴシップなどもう十分だから 

政治や企業の腐敗などを暴いていただきたい 

社会的に週刊誌も必要であるという意識を高めるような仕事をしてほしいと思います 

 

 

・違和感しかない。 

こじつけの理屈に思える。 

刑事事件として成り立たないのであれば、推定無罪。 

それを雑誌であたかも容疑者どころか犯罪者として一般に広めることは、噂話だけで人を叩くSNSユーザーなどと何が違うというのか? 

確実に裏を取れたと言うならば刑事事件として確立出来るではないか。 

正義心でやってるとしたら尚の事、証拠を警察に突きつけて事件として確定してから記事にすれば良い。 

結局、文醜も警察のやっていることと同じで、松本側が訴えようとしても証拠は無いから我々は訴えられまいと言う思考の元で行った無責任な行為だと思っている。 

性被害については、これを機に雑誌社に持っていかず、警察もしくは支援団体へ連絡し、そこで何らかの解決の糸口を見つけてあげるような社会になると良いのですが。 

 

 

・所詮はその程度の考えで記事にしてんだろうと思っていたけど、総局長がそう認めるのであればこれまたより問題は大きく発展しそうな気もしますね。 

ただの名誉毀損とかの問題ではなくなりそうな… 

週刊誌のこの手の無責任なゴシップ的な記事で起こる当事者が被る損害であったり、サッカー伊藤選手のような情報提供者への損害賠償などこれまでと違った裁判結果や判例も出来そうな気もしますね。 

 

 

・良い例が伊藤詩織さんの件 

刑事では不起訴だったが民事では勝訴という真逆の判断が出ている 

松本さんの件で勘違いしてる人が多いが民事裁判では事実関係が明らかになるとは限らないということ 

なぜなら民事とは私人同士のトラブル解決が目的であって証言の証明が不要なことや当事者間で自由に和解や合意ができるからです 

一方の刑事とは国家が治安や秩序の維持に反した者に刑罰を課すことであり証言だけでは有罪にはできない 

さらに推定無罪の原則があり100%に近い確実な立証がないと有罪にはできない 

なので民事と刑事とでは全くハードルが異なるので十分な知識がないと的外れな議論になってしまいます 

 

 

・疑わしきは罰せずの日本で芸能人に対して週刊誌は疑わしいから万人に知らしめるはまかり通るんでしょうか。客観的証拠がないということは証言だけ。嘘でもいいわけですよね。疑わしきは罰せずでむざいの人は被告人となった人は国賠対象になりますが、週刊誌は許されるのでしょうか?これはもし自分が対象となったときを考えると恐ろしいことです。 

 

 

・つまり文春は私刑執行人だと言っているのですね。法で裁くことのできない悪いヤツを裁くのは、一見すると弱者を助け悪人に罰を与えるかのようで正義の様に思えますが、ひとつ間違えると冤罪や犯した罪に対して群集心理などで、予想もつかない思い罪になってしまう事もあるので、私刑のつもりで報道するなら、文春やその他のメディアは金儲けや独りよがりならず、第三者の意見や介入がとても重要だと思う。でも、所詮は金儲けのためなので、金の為なら冤罪や、ましてや倫理観などは全く持ち合わせていないのでしょうね。私刑なんて金儲けの為の言い訳でしか無いと思う。金儲けの為にやっていると言ってくれた方がスッキリして応援できるような気がする。 

 

 

・" 「事件にはなかなかしづらいけれど、われわれからしてみると、警察に事件にすることができないならば、彼女は泣き寝入りしなければいけないのか?と言えば、そのことはないよなと思っていて」" 

 

最初の記事には警察には行っていないと書いてありました。警察に行ったが、逮捕は無理だと言われたから週刊誌に訴えたという流れではありません。 

 

仮に被害者の主張通りとすれば、事件後はすぐに警察を通し病院などでレイプ検査などすれば性行為は証明できた可能性もあった。 

 

泣き寝入りしろという話ではなく、我々第三者は客観的に判断するべきという話。 

 

ジャニの騒動は被害者らは当時少年だったという事情もあったうえに裁判など司法に委ねた経緯をふんでからの結果だからこそ被害者らの証言の重みがあった。 

 

今回の件とまったく違うと思います。 

 

 

・週刊誌がズルいなと思うのは、その時々で立場や顔を使い分けるところ。 

 

「警察が事件にできないなら、我々が糾弾する」と報道機関よろしく社会正義のような事を語っているが、一方で人のプライバシーに土足で踏み入るような記事を平気で書くし、でっち上げのような記事も少なくない。そこには「週刊誌なんてそんなもん」「週刊誌に書いてることなんか信じるなよ」という報道機関にはあるまじき姿勢が透けて見える。 

 

取材の仕方も個人がやったらストーカーや盗撮で逮捕されるようなやり方だが、「報道機関」だから許されている(のだろうか)。 

 

実際に時々、社会の闇を暴くことによって正義を実現しているからタチが悪いが、この記事にあるように、真っ当に社会正義を語れる存在ではないと思う。 

 

 

 

・裁判前の文春の親会社文藝春秋のこの発言の意味は大きい。松ちゃん側の証言や証人も出てきてひょっとして文春はこのままでは裁判は不利で負けるかもしれないと考え和解に持ち込もうとシフトチェンジしたのではないか。実際の名誉毀損の賠償金200万程度は文春側は痛くも痒くも無いだろうけど、これだけ大きな問題に発展してると200万では世間が許さない、下手したら廃刊まで持ち込まれるのではないかと考えているのかもしれない。文藝春秋からしたら週刊文春は稼ぎ頭だから廃刊たけは絶対避けないとならないからね。 

 

 

・まぁ、週刊誌の側からすれば「真実を書いただけ」という事なのでしょうけれど、週刊誌を訴えた松本氏側には「真実ではない」という証拠を沢山揃えて証明する必要があると・・・ 

刑事事件として立件しようとすれば、被害者側が証拠を集めないといけませんが、立場が逆になるのですね 

 

 

・局長レベルでこの程度の考えとは… 

時代が代わり、週刊誌1つで人の人生を狂わせることが容易になった。 

確かに世の中には、真実だけどそれが真実だと証明する術がない事件なんかはあるでしょう。 

では、証拠は無いけどこれは真実として公表しようと週刊誌が決断するに至った根拠は何なのでしょうか? 

警察に対して客観的証拠がないとというなら、取材を行った週刊誌の記者も客観的証拠に基づいて記事を書いてないと判断できる。 

例え作られた真実だとしても、簡単に人を陥れることができる世の中は恐ろしいですよ。 

 

 

・この期に及んでこういう内容のことを言うのならば、当然加害者側の意見をも含めての公平な立ち位置で、ここまでの記事化をしてきたのですよね? 

とてもとてもそうは見えない。 

それら雑誌を手に取り、パッと文字として、我々の目を捉えるような文言は、ほとんどというよりもほぼ100%、被害者側に寄ったものだったですよね? 

刑事案件とはならないのは事前に確認したうえで、さらには客観的な証拠も見つからないとわかったうえで、それでもなお今回それらを記事化をして世に問うた、ということ?? 

あるいはそれがデマゴギーを流す可能性がでると事前にわかって、それでもあえてやっている、ということになる。 

心底驚いた。 

 

 

・YouTubeの番組を見ましたが、聞き手もかなり厳しい質問をしていました。 

 

「客観的な証拠がない・刑事事件として立件するのは不可能」 

 

これをメディアが弱者の立場から報道することが正義だとすれば、私刑みたいなものだと思います。 

 

文春の記事により考古学者の賀川光夫氏は「死をもって報道に抗議するという」遺書を残し自殺された。 

その後、名誉毀損裁判は文春が敗訴、捏造の可能性は低いと調査結果も出た。 

 

過去のことで忘れてしまったのでしょうか。 

 

 

・> 「刑事事件として立件しようと思うと、本当に強制したと、合意じゃないのに無理やりやったということを裏付けるような客観的な証拠、音声なのか、写真なのか、しかも性行為をされてしまったということを裏付けるような証拠が必要なわけで、それをそろえるというのは基本的には非常に難しい」と主張した。 

 

大物芸能人が容疑者なので週刊誌も取り上げる選択肢があるのだけれど加害者も被害者も名の知れぬ一般人だったら警察で門前払い食らって泣き寝入りするしかない 

そういうことも頭の片隅に置いて経緯を見て欲しいところ 

 

 

・プーチンはあれだけの悪行を重ねておきながら未だに処罰もされない。形は違えど法律でも裁けず被害者が苦しんだりあるいは抹殺されたり無念の泣き寝入りの事例は多々ある。勝てないとわかっていてもどんな方法でもいいから世間に知ってもらいたかったのでは。泣き寝入りのままテレビをつけたら当の本人はテレビでゲラゲラ笑っててその度に悔しさを引きずりながらの人生って辛い。知ってもらえた事で彼女の無念は少しは晴れたかもしれない。 

 

 

・週刊誌が、泣き寝入りになる誰かの為に記事を出すと思う人はほとんど居ないと思いますが、刑事事件に出来ないことを炙り出すのは、毒をもって毒を制すのような効果はあるのでしょう。 

性犯罪か、捏造記事か、その両方か、刑事事件になれば良いと思います。 

 

 

・いや、局長、非常に参考になるご意見ですね。 

要は証拠の有無はあまり重要ではなく、記者、編集の心証さえ左右できれば、なんとでも書く! 

たとえ、それによって対象が社会的にダメージを受けても、それを斟酌する必要はない!! 

何故なら我々は報道の自由を保障されたジャーナリストなのだから。 

って所でしょうか。 

何か間違えても、基本ごめんで済むッショ!位の軽いノリ。 

実際、被害者が名誉毀損で勝っても被害に見合わない少額を払えば済む。 

文春ですらこの無責任さですから、あとの似たような雑誌は推して知るべし。 

『買ってはいけない』とは正にこの手の雑誌の事ですね。 

少なくともたった今から無くなっても俺は1ミリも困らない。 

そういう意味では統一教会と同じ位俺には不要だが、 

この手の雑誌が生き残るって事は、世の中にはこの無責任な俺様ジャーナリスト達の記事を娯楽として楽しむ位しか人生の楽しみが無い人が多いのだろう。 

 

 

・昔の話ゆえにと言うのも違和感ある中、被害にあったと言う条件をもとに始まった話。 

松本人志側からの一切のコメント配信がない中で、文春のやりたい放題で、すっかり世間に悪のイメージを植えつけた。それが真実かも今ひとつわからないままに。飲み会はしていたと言うのは否定されていない。でも、強制という性行為は疑問。 

たむけんタイムというのも疑問であり、本人否定という曖昧な状態。これはいつになれば決着つくのか?文春が勝てばそのまま。松本人志側が勝てば、メディア通じて猛反撃されるだろう。 

ハラスメントの定義というのはホントにわからないものだ。また、怖いのはテレビタレントよ! 

好き放題にコメントしてるけど、判決で内容開示されるまで冷静に見守れないものか? 

もし、逆転判決出たらどうするの? 

これ、ホントに五分五分だと思うよ。 

 

 

 

 
 

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