( 145998 ) 2024/03/05 22:23:47 0 00 少子化ジャーナリストの白河桃子さん、作家の橘玲さん、日本女子大学教授の周燕飛さん(左から)
サラリーマンの配偶者がパートで働く際、年収が一定の金額を超えると税金や社会保険料の負担が発生するため、「働き損」を避けようと労働時間を抑える「年収の壁」。人手不足が深刻化する中、政府はこの壁を崩すべく「年収の壁・支援強化パッケージ」を昨秋スタートさせた。長年、賛否があった「年収の壁」問題は、専業主婦やパート主婦の生き方や働き方にどのような影響を与えてきたのか。また、何が問題だったのか。少子化ジャーナリストの白河桃子さん、日本女子大学の周燕飛教授、作家の橘玲さんに話を聞いた。(ジャーナリスト・荒舩良孝、ジャーナリスト・森健/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
「『年収の壁』は多少の制度改正はあれ、本質的には何も変わっていない状態が長年続いていました。だから今回、岸田文雄首相はよく踏み込んだなと思っています」
少子化ジャーナリストで相模女子大学特任教授の白河桃子さんは、昨年10月から実施された「年収の壁・支援強化パッケージ」について、そう語る。
少子化ジャーナリスト、相模女子大学特任教授の白河桃子さん。慶応義塾大学文学部卒業、 中央大学ビジネススクールMBA修得。婚活、女性のライフキャリア、ワークライフバランスなどをテーマに活動(提供写真)
例えば、サラリーマンの夫に扶養されながら妻がパートで働く。その際、妻の年収が「103万円」や「130万円」など一定額を超えると、扶養から外れて税金や社会保険料の負担が発生し、手取り額が減る。すると、妻はそれを避けるために勤務時間を調整し、収入額を抑えてしまう──。これが「年収の壁」だ。岸田政権はこれを解消すべく、妻の年収が一定額を超えても手取りが減らないよう、賃上げをしたり、社会保険料を実質的に肩代わりしたりした企業に対して、労働者1人あたり年間最大50万円まで助成するなどの制度を始めた。これが「年収の壁・支援強化パッケージ」と呼ばれる施策だ。
「年収の壁」は長らく賛否がありながら手がつけられてこなかった制度だが、白河さんはこれに見直しが入ったこと自体は評価する。一方で、これまでパートで働いてきた妻らの労働状況が大きく変わるかといえば疑問だと言う。
「一般的に、パートタイムで女性が就けるのは、飲食、宿泊など時給の低い労働集約的な仕事がほとんどです。時給の高い都市部では『年収の壁』を超えて働く人が増えるでしょう。でも、地方では相当長時間働かないとメリットを感じられないため、『年収の壁』を超えて働く人は少ないのではないかと思います」
(図解:Yahooニュース オリジナル)年収の壁・支援強化パッケージでは、年収130万円を超えても配偶者の扶養から外れないようにする仕組みもつくられる
女性が働く時間を増やせない理由は「年収の壁」だけではないとも付け加える。その一つが、家事などの無償労働による女性の負担の大きさだ。2020年に経済協力開発機構(OECD)がまとめた生活時間の国際比較データによると、日本は男女ともに有償労働と無償労働を合わせた1日あたりの労働時間が世界で最長レベルだった。ただ、その内訳は、女性の無償労働時間が224分と、41分だった男性の5.5倍もあった。
「OECDのデータから、日本人はいまなお、会社などで長時間働く男性と、家庭で長く無償労働をする女性によって家庭をつくっていることがわかります。家庭内の構造は、製造業が産業の主体だった数十年前とまったく変わっていません。それなのに『女性活躍』や『ダイバーシティ』と言って、女性の仕事が上乗せされていく。これでは女性の負担は重くなるばかりです。まずは、家庭での家事や育児を男性にも負担してもらい、女性にかかる過度な負担を減らしていくのが重要です」
雇用や労働での性差別を禁じた男女雇用機会均等法が制定されたのは1985年。当時、専業主婦世帯は936万世帯あり、718万世帯の共働き世帯を上回っていた。その後、女性の就業率が上昇し、1990年代後半にその比率は逆転。2021年には共働き世帯が1177万世帯まで増加し、専業主婦世帯はその4割ほどの458万世帯に減少した。
(図版:ラチカ)年収の壁には、税や社会保険料の負担など、いくつもの段階がある
白河さんは2011年12月に『専業主婦に、なりたい!? “フツウに幸せ”な結婚をしたいだけ、のあなたへ』を上梓したが、当時はまだ専業主婦願望を持つ女性が少なくなかった。だが、本が出る前年の2010年、大きな変化があったという。改正育児・介護休業法が施行され、時短勤務制度が義務化されたのだ。
「この法改正で、出産した女性は育児休暇を経て、時短勤務で職場に復帰できるようになった。やっと正社員として就業が継続できるようになったのです。2014年くらいから第一子出産後も働き続ける女性が50%を超えた。現在の20代30代はその恩恵を受けていることもあり、ともに正社員という夫婦が増えた。夫婦ともに同じくらいの額を稼ぐ、いわゆるパワーカップルの誕生です。こうした人たちに『年収の壁』は関係ありません。それ以前の世代では専業主婦を志向する女性も少なくなかったですが、いまはずいぶん変わったと思います」
そうした変化を踏まえたうえで、今後はパートで働く女性も含むすべての労働者が社会保険に加入する制度に変わっていくだろうと白河さんは見ている。
「『年収の壁・支援強化パッケージ』は、『年収の壁』をなくすために企業にお金を出しており、制度の建て付けとしておかしい。そのような不自然なやり方ではなく、将来的にはすべての労働者が社会保険に加入する制度に変更されると思います。これは労働力や社会保険料の収入を増やしたい政府にとっては都合がいいのですが、肝心の女性にとってのメリットがありません。家事などの無償労働を夫が一緒にしていくのが当たり前にならないといけないでしょう」
「今回の支援パッケージの導入で、働く時間を増やす主婦は出てくるでしょう。でも、この対応は場当たり的で、私はあまり評価していません」
女性の労働問題を研究する日本女子大学の周燕飛教授はそう評するとともに、もっと根本的な問題を解決すべきだと指摘する。その問題とは、年金制度の「第3号被保険者」だ。
「第3号被保険者は、サラリーマンの妻が主な対象者ですが、とても不公平な制度です。この制度ができたのは1985年、男女雇用機会均等法と同じ年です。一方では、女性も男性と同様に働ける法を整備しつつ、他方では専業主婦を優遇する年金制度を設けている。非常にチグハグな政策が同時に行われていたように思います」
日本女子大学の周燕飛教授。国立社会保障・人口問題研究所、労働政策研究・研修機構を経て現職。主な研究テーマは女性労働と子どもの貧困(提供写真)
周教授は中国、日本、米国での研究生活を経て、2021年、日本女子大学教授に就任した。2019年には専業主婦を取り巻く課題を記した『貧困専業主婦』を刊行した。そんな周教授にとって違和感を禁じ得ないのが、年金制度の第3号被保険者という制度だ。
年金制度は被保険者を3つに分類している。第1号は自営業者やその配偶者、そして学生。第2号は会社員や公務員など組織に勤務するサラリーマン。そして第3号は第2号被保険者の配偶者が対象で、年収130万円未満が資格の条件になっている。問題は、第1号も第2号も年金保険料を加入者本人が(第2号では組織も)支払っているのに、第3号は支払っていないことだ。
「年金の第3号被保険者制度は女性を専業主婦やパート主婦に誘導する政策効果がある」と周教授(イメージ写真:show999/イメージマート)
「第3号被保険者の年金保険料は、夫と夫の所属する組織が妻の保険料も納めているという建前です。でも実際には、夫が妻の分を割り増しで負担しているわけではありません。なにより問題なのは、“仕事と家庭を両立する”というライフコースより、専業主婦もしくはパート主婦という“伝統コース”に女性を誘導する政策効果があることです。女性活躍という視点から見ると、非常に問題だと思います」
女性の労働力人口(※)は長期的に増え続けている。総務省の調査によると、1985年には2367万人だったが2023年は3124万人。労働力人口総数の45.1%を占めている。
(※)労働力人口…15歳以上人口のうち就業者と完全失業者を合わせたもの
(図版:ラチカ)女性の正規雇用率は学校を卒業した20代をピークに、妊娠・出産を経て急激に下落し、その後回復することは少ない
ただし、女性の内心は変わっていない部分もあるようだ。国立社会保障・人口問題研究所がほぼ5年ごとに行う出生動向基本調査によると、「女性のライフコース」の理想像は「仕事と子育ての両立コース」が2021年に初めて最多(34.0%)になった。だが、結婚・出産後に仕事を一度辞め、子育て後に再び仕事をする伝統的な「再就職コース」は2021年には26.1%で2位だったものの、長く30%以上と最多を維持し続けてきた。周教授は、この“伝統コース”を志向する割合は世界的に見ても高いとしたうえで、このコースは女性にとってリスクが高いと指摘する。
「“伝統コース”もしくは専業主婦というライフコースでは、キャリアが形成されず、人的資本も蓄積されないことが多い。結果的に最低賃金での収入でギリギリの生活になってしまう。リスクが顕在化するのは離婚したときです。シングルマザーは働いても5割近くが貧困状態ですが、これは異常なことです。専業主婦家庭も二極化していて、裕福なイメージと裏腹に、その10%ほどは貧困家庭なのです」
実際、「仕事と子育ての両立」を維持している人は少ない。周教授が労働政策研究・研修機構在籍時、2011年から2018年にかけて子どものいる4000世帯を対象に「子育て世帯全国調査」を5回実施した。すると、バブル崩壊前で9割、崩壊後で7割だった正規雇用の女性の比率が、妊娠・出産後に2、3割にまで大きく下落。それが低位安定してしまう「L字カーブ」になっていることがわかった。
日本では非正規社員は給与の低い単純労働が多く、正社員と収入の差ができてしまう(イメージ写真:アフロ)
なぜこうなるのか。その原因は労働環境が二極化しているためだと周教授は見る。
「日本では、正社員とパートなど非正規の仕事がはっきりと二元化されています。正社員は給与が高い代わりに長時間労働に従事する必要があり、パートなどの非正規社員は給与の低い単純労働が多い。その中間がなく、ここを変える必要があります。働く時間や場所を選べるように、労働者にとってある程度柔軟な働き方を取り入れる。そうすれば、女性が正社員として継続就業しやすくなります。昨年ノーベル経済学賞を受賞したクラウディア・ゴールディンさんも、いち早く柔軟な働き方の重要さに注目し、男女の所得格差を縮める切り札と位置付けています。柔軟な働き方が浸透すれば、女性のキャリア形成がより進むのではないかと期待しています」
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