( 146125 ) 2024/03/06 00:54:40 2 00 「怒りと悔しさで震えが止まらない」「この事件はただの殺人」ALS患者らの団体が会見 嘱託殺人事件の判決を受け 医師に懲役18年の有罪判決MBSニュース 3/5(火) 17:31 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/096671981f6688d9c4c108ad4457cd176224e2e8 |
( 146128 ) 2024/03/06 00:54:40 0 00 MBSニュース
難病・ALS患者への嘱託殺人の罪などに問われた医師の裁判で、京都地裁は懲役18年の有罪判決を言い渡しました。判決を受けて、ALS患者らで集まる団体は先ほどから会見を開いています。
【画像を見る】亡くなった林優里さん
(団体に所属する増田英明さん)「怒りと悔しさで震えが止まらない。この事件はただの殺人です。林さんの死にたいという言葉だけを捉えるのは同じ事件の裁判での、裁判所での考えを変えるものではありません。また、林さんが殺されたことは許されません。憲法が悪いのではなく大久保被告の考えが憲法に逆行している」
(団体に所属する岡山裕美さん) 「生きたいという気持ちを持っていたのに殺されたのは嘱託ではないのではないか殺人ともいえると私は感じています」
医師の大久保愉一被告(45)は2019年、元医師の山本直樹被告(46)と共謀し、ALS患者の林優里さん(当時51)から依頼を受け、薬物を投与し、殺害した罪などに問われていました。
これまでの裁判で、大久保被告側は殺害について認めた上で、「林さんの願いを叶えるためだった。処罰するのは自己決定権を認める憲法に違反する」として無罪を主張。
一方、検察側は「安楽死とはほど遠く、正当行為にあたるはずがない」として懲役23年を求刑していて、裁判では依頼を受け、医師が患者を死亡させる行為の正当性が争点となっていました。
3月5日の判決で京都地裁は、冒頭、主文宣告はせずに判決理由の読み上げから行われました。その中で「被告人は被害者の主治医やALSの専門医でもなく、SNSでの短いやりとりをしていたにすぎず、主治医にも秘密裏に、その日初めて会った被害者の意思確認したとは到底言えず、わずか15分間という短時間の間で殺害に至った」と指摘、そのうえで「生命軽視の姿勢が顕著で強い非難に値し、真に被害者のために犯行に及んだものとは考えがたく、利益を求めた犯行と言わざるを得ない」などとして懲役18年の有罪判決を言い渡しました。
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( 146129 ) 2024/03/06 00:54:40 0 00 ・本心は亡くなった本人にしかわからない ALSは特殊な病気だし発症した人にしか気持ちはわからないでしょ 今回の件は別としても本人の意思が尊重されることを望みます 頭もはっきりしていて意識があるんだから周りの家族の意見だけが通るのもおかしいと思う
・本人の意思がどうであったかより、これを実行した人間の倫理観に焦点を当てているのですね。確かにお金と引き換えに軽々しくやっていいことではなく、これを認めてしまったらお金目的で誰でも出来るようになります。以前ノンフィクションでこういったやり取りを見ましたが、そのお医者さんは「今の苦しい境遇が彼にそう言わせている。もしも治る見込みが立ったなら、治して生きたいと言うでしょう。今は病にそう言わされていて、正常な判断ではないと思う。だからきちんと話し合い、考えなくてはいけない」と仰っていました。本人の意思を尊重する、ということも大切です。ただ本当に望んでいるのか…は、直ぐには決められない事です。カルト宗教や戦争、自殺などでも、本人が望んでいる!と思っていても、実は環境に言わされている事もあるでしょう。何かのキッカケで、生きたいと思うかもしれない。それをお金欲しさに実行してよいものではないと思います。
・絶対に治らない病気でも生きたい人は生きればいいと思う。 でも治る見込みはなく死ぬしかないのにその過程が長くものすごく苦しいなら死ぬ自由もあってもいいのでは無いかと思う。 女性にとってはこの絶望しかない状況を終わらせてくれる医師は一筋の光だったのではないかな。 機械に呼吸を管理されて食べたいものも食べられず痒いところをかくことも、体位を変えることも出来ない。真っ暗な中で体は一切動かず思考だけはしっかりしてるって考えるだけで恐ろしい。
・嘱託した本人以外、口を出すべきではない。 それはたとえ同じ病気を持っている人であっても、生きている環境が違うし、同じ気持ちになれるわけないでしょう。 嘱託が事実であれば、18年は長いと感じる。 亡くなった本人は本当に感謝しているのかもしれないし、その逆もあると考えると妥当なところなのかな… 色々と考えさせられます。
・今回の事件には営利目的があったように思いますが、それとは別にこの会見については、とても難しい問題を含んでいるように思います。本当の気持ちは本人にしかわからないし、本当に苦しくてそう希望したのかもしれない。少なくとも第三者がそんなはずはないと決めつけるのはおかしいし、そんな道を選ぶのはダメだあり得ないと今苦しんでいる人々に押し付けるのも違うように感じる。決めつけや押し付けではなく、慎重な議論が必要な問題だと感じる。
・この事件の真相は他人には絶対に分からないので別角度の意見です。 批判しかないだろうが自分の寿命を自分で決める権利があっても良いと思う。 生きる希望が無かったら生かされている間は地獄でしかないよ。 それと、脳死などもう助かる可能性がゼロなのに家族によって延命されるのもどうかと思う。 本人が健全な時に延命を望まないと意思表示していたら尊重するべきだと思う。 更に臓器移植もです。 尊厳死を認める法律の成立を自分は望みます。
・私は殺人だとは思わない なぜなら閉所恐怖症だからだ 親父もALSで閉所恐怖症だった、人工呼吸器を付けたら自然に死ぬ事が出来ず自分の中に 閉じ込められ死ぬまでそのままという事実に耐えたれる自信も無い事から 人工呼吸器を付けずに死んで行きました 私も遺伝性のALSなら親父の生き様通り、呼吸器を付けずに死にたいと思います こういった経験が無く呼吸器を付けてしまったが、後悔して死にたいという人の救済として安楽死を認めてあげて欲しいと思います 私は親父と生き様を参考に機械に頼らずに人生を全うします。
・法律が整備されてない日本では 医師が死に直接関与する事は出来ないから刑罰が下るのは仕方ないのかも知れない。でも不治の病で 死を選択したいなら認めるべきだと思います 意識は正常で身体が動かなくなるなんて 想像しただけでも 耐え難いでしょう。色々な規制や法整備 本人の意思の確認など まだまだ クリアしなきゃならない事は多いのだろうけど 尊厳死を認めて行く必要があると思います。
・ALSですが初期の症状の場合、意思疎通は可能ですし、程度には寄りますが歩行も可能です。ただだんだん筋力が落ちていき、首以外が全く動かなくなる症状になり、臓器を動かしていた筋肉も止まり死に至ります。何故詳しいかというと叔父さんがこの病気で亡くなったから。根治治療薬はなく、病状を遅らせる薬があるのみです。認知面はしっかりしているので、自分はなったら安楽死を選びたいですね。賛否があるかと思いますが選択肢を多く用意するのも優しさだと思います。
・母と友人がALSで亡くなりました。母は呼吸器を付け、だんだんと、身体の動かせる箇所を無くし、最後は指一本だけ機能が残った段階で、胃潰瘍による大量出血で死にました。死ぬ事が出来た時、苦しみから解放されて、良かったと思いました。無理やり生きていなければならないのが、可哀想で仕方ありませんでした。尊厳死が認められるようになれば、今回の様な事件は防ぐ事が出来るかもしれません。
・身体はままならない状態で脳だけはしっかり働いている 治らない、進行していく病気 まだ若かった この事件の女性の絶望ははかり知れない 自分が彼女と同じ立場なら 依頼してたかもしれない。。 善意なのか金のためなのか 犯人の医師の本心はどっちだ?
・理学療法士です。ALSは症状の現れ方が上肢先行型と下肢先行型とがあります。呼吸筋含む横隔膜は上肢に近いため、人工呼吸器導入までは早いです。ご存知だとは思いますが、一度人工呼吸器を使用した場合、外す事はできません。
今回の事件ですが、嘱託をされてもいずれ見つかるのは分かっているはずだと思います。本人様が本当に望んで、医師が嘱託をしたと個人的に思います。
他の患者さんのコメントも理解できますが、 当人同士のやり取りなので見守ることしかできないのでは?と思います。
・同じ病気を患っていても同じことを考えたり思ったりする訳ではない。しかもこの医師はこのALS患者の人たちを自分の主義主張で安楽死にしようとは全く思ってないと思う。このALS患者の方々は故人と親密な付き合いがあったのだろうか。ALSで死にたいと思うことも生きたいと思うことも自然なことにみえる。 このような医師を産み出さないためにも尊厳死の法整備を進めてほしい。もはや画一的に何でもいいから生きろという時代ではないと思う。尊厳死を選べることもある意味で多様性のある生き方に入ると思う。
・患者本人じゃなくて、健常者である団体職員の意見ですよね そりゃこう言った団体に所属してれば、こう言った発言するしかないし、患者本人が別の意見を持ってたとしても、その手の意見は闇に葬られて表に出てこないでしょう 果たして患者に寄り添ってると言えるのか甚だ疑問、 職員の矜恃とかどーでも良いので、意思表示が難しいのかもしれないが患者本人の意見をちゃんと汲み取って欲しいですね
・今回の事件に関しては犯罪行為にあたる処罰されるべき事件だと思います。
安楽死や尊厳死は意見が対立するタブーとされてきた問題です。 現在の日本では積極的安楽死は禁止されていますが、死を望む人は自殺に至ったり自殺未遂でかろうじて生命反応を維持されている方も大勢います。
個人の尊厳が重要でも自身の意思でも死を選択すること絶対許さない、という考えの法律や社会は少しずつ、慎重に変化を検討していく必要はあると思います。
・私の親はALSです。進行が早く診断から1年で全く動かなくなり今目しか動かせない状態です。「死にたい死にたい」と診断を受けてからいつも言ってます。体位変換の時「苦しい」訴える親をみて「このまま体位変えなければ本人が望んでるように死なせてあげれるんじゃないか」と何度も頭をよぎりました。何度も希望を叶えてあげようかと葛藤しました。なので病気によっては尊厳死があっても良いと思います。この医師が18年の罰を受けるのは長いと思う。依頼された方は感謝してるのではないでしょうか?
・難病でも生きたい人は生きる選択をすればいいし、苦痛を感じ死にたい人もいるだろう。今回の方は元々社会的地位もありプライドも高かったから介護されることが相当な精神的苦痛だったと。だから選択的尊厳死制度を作ればいいのにと思う。 私は看護師だけど患者さんや家族さんに安楽死の事をよく言われる。今90代の祖母も早くお迎え来てほしい。もう終わらせてほしいと言っているのを聞き、家族に見守られながら看取られることの何が悪いのか?と思う。 安楽死尊厳死制度は、今政府がやってる、スマホにもNHKの受信料支払う義務なんて無駄な法律よりよほど有効だと思う。 5年以内に移民5万人入れるとかいう法律よりよほど必要な法律だと思う。 必要な法律を作ってほしい。 どれだけ苦しくても生きたいって人は生きる選択をすればいい。この苦しみから解放されたい人は尊厳死を選択できるようになってほしい。
・日本は延命治療を廃止して尊厳死や安楽死を認めるべき。無駄な治療ばっかやっても本人が可哀想だと思う。よく裁判沙汰になるけど結局は表面的には悔しいや可哀想と思っているけど内面はお金が欲しいのもあると思う。そんなことでお金が欲しいとは思わない。このような症状を起こしているのは本人しかわからない。本人が死を選ぶならそれを尊重するべき。日本は仏教の影響もあってそれをやると罪悪感があるとかばんざい行為だと思ってしまう。色々と賛否両論はあると思います。
・安楽死が認められていない現状では、身体が動かなくなってどうにもならない人でも、無理矢理生きていかないといけない。安楽死を認める法律が制定されるまで、何十年かかるかわからないし、まして永遠にできないかもしれない。
それなら、安楽死を認めている国へ渡航してそこで死を迎えるシステムを構築すればいいと私は考える。安楽死ツアーで、渡航手続きや病院の手配、遺骨の日本への持ち帰りなどすべてやってくれるシステムが必要だと思う。
・何に怒っているのか理解できない。生きたい人の生きる権利が脅かされるような判決ではないし、懲役18年は十分に重い。 生きたい人が生きる権利はしっかり守られなければならない。一方で、死にたい人の権利は現状一切考慮されていない。 私は耐え難い苦痛から逃れられない状態になっても生き続けたいとは思わない。日本にも安楽死制度を導入して欲しい。
・本当にただの殺人なのか? 確かにこの病におかされそれでも生きたあと思ってる人達にはただの殺人だし許せないとは思う でも彼女は死を望んだこの病に対して絶望感や、いろんな思いを抱え死を望んだと思う、自分もこの立場になった時生きたいと思えるのか自信がない まして自分で死ぬ事もできないのであれば彼女と同じ事を思うかもしれない 確かにした事は許されない事だとは思うしかしただの殺人と一緒にするのはどうかと思う この立場になれば生きる事が正義ではないし、死ぬ事が悪でもないとは思う
・この娘さんは元気なときはとてもアクティブな人だったみたいで、この難病にかかり改善する見込みも全く無いってことで絶望しかなかっただろうけど、 この父親のコメントを見るに、親としては当然だが娘に絶対に死んでほしくなくて、頑張れ生きろ諦めるなと日々プレッシャーは相当なものだったと思う この医者は報酬をもらって金目的というのもあったかもしれんが、安らかに死ねたという結果だけはこの娘さんが心から望んだことで、様々な苦しさ辛さから解放されて良かったんじゃないかと思う
・この判決、事の本質まで解明して判断をしているのだろうか。最近の裁判所は、表面だけを見て検察の主張をそのまま受け入れ判断しているようでならない。 患者の意志、病気の回復可能性或いは進行を止められる可能性、振込金額は医師の利益のためではなく患者の意志の固さの現れではなかなか、医師の使命として患者に寄り添った行動ではないのか、患者の幸せは何か、などなど検討すべきことは多々ある。 安楽死制度がない以上、裁判所はもっと踏み込んで判断してもらいたい。
・その人にしかわからない辛さがある。たとえ同じ病気でも、明るく生きれる人もいれば、そうではない人もいる。私も若くて癌になって、死にたいと思う時がありました。ただ天井を見つめて生きるだけの毎日。苦しさ。でも、いつでも安楽死できる選択があるというだけで、『もう少し頑張ってみようかな』という気持ちにもなるだろうなと、私自身は感じました。この医師の本当のことは良くわからないけど、殺人ならば本当にあってはならないことです。だけど、この世の中に、安楽死という選択を作ってほしい。
・私は自分で死を選択する権利があってもいいと思います。医療が発展して長寿化が進む中、同時にただチューブに繋がれている寝たきりの患者も増えてきており、そろそろカナダなどの積極的安楽死を導入している国のように、日本でも導入を議論してもよいと思います。私は家族に迷惑をかける前に、安らかに人生を終えたいです。
・この犯人に対する量刑が重めなのは諸般の事情を踏まえて良いと思うんだが、団体が言ってる、「患者が死にたいと言ってるのは一時の気の迷い。本心では生きたいと思ってるに違いない」という趣旨の主張には寒気がする。首から下が動かなくても生きたいという人は生きてくれても良いが、そういった状況になったとき、死を望む人だっているということを否定するかのような主張は多様性の尊重に反するんじゃないのか?本人の明確な意思確認の下という条件は必須だろうけど、尊厳死の制度は絶対に必要だと思う。
・時々想像してしまう。 頭はしっかりしてるのに体が動かないという状況を。 そしてそれが治る事はなく、命が途絶えるのを待っているだけだとしたら。 私なら気が狂ってしまうんじゃないかと。 自分で死ぬ事もできないなんて。
それでも一生懸命生きている人はいる。 でも、生きられない人もいるんじゃないかな。 私ならこの医師に感謝するかもしれない。 医師に悪意があったとしても、自分の希望を叶えてくれたと。
尊厳死についてもっと議論がなされ、ゆくゆくはそれが認められる事を望む。 私なら耐えられないだろうから。
・ALSの患者達が各々の気持ちを伝えられてましたが、生きる権利は人それぞれで生きたい人は生きれば良いと思う。
このまま生きるのは苦痛だと思ってる人に「生きろ」と強要するのも他人のエゴの押し付けやし。
自殺をする前にケアするのが大切なのは当たり前として、健常者は自分の意思で自殺が出来るのが、ALS患者は自分の意思で自殺ができない。 だから海外のように安楽死を選択肢の一つとして選ぶ事が出来るようになっても良いかなと思う。 安楽死までに数年かけてしっかりカウンセリングして、本人の意思を正しく汲み取ってあげられるようになれば良いな。
・父はALSになった時…胃癌で余命も宣告されていたので人工呼吸器も胃瘻の選択もしませんでした! ただ、死への恐怖の中、唾液に溺れそうになったり自力での呼吸も日々出来なくなっていく中… 安楽死の選択肢があればどれだけ救われただろう…と思ってました。 同じALSでも辛さの受け止め方も違うと思います。 あくまでも本人の意志が通るような法が決められることを願います。 本人の意志と願いが通ることが一番大切だと思ったからです。
・あくまでも私個人の意見です。もし私がALSやその他意思の疎通が難しい病(認知症も含む)を発症したら安楽死(尊厳死)を希望すると思います。確かに事象だけで言えば殺人かもしれませんが、亡くられた方は嘱託を認めているはずですので一方向からの意見だけでは判断が難しいと思いました。 どういう病状であろうが最期まで生きていきたい方はもちろん尊重すべきですが、一方で自分ではどうでもできない感情に折り合いをつけて死期を選ぶ権利(尊厳死)も多様性や死生観の観点からも議論すべき事ではないでしょうか。 生きる自由と死を選ぶ自由は非常にデリケートな問題で、今の日本では安楽死制度が無いため本件は嘱託“殺人”となる事は理解しています。
・生が善、死が悪というものではなく、本人に焦点を当て、尊厳や人生の質を考慮すると必ずしも悪では無いものと思います。 学生時代の生命倫理で似たような事例があり、生きること、いえ、本人の意に反し無理やり生かされることが必ずしも本人の恩恵では無いという結論でした。 本人の意志を介さない安楽死、本人の意志を介した尊敬死、生き方を選ぶ自由があるのなら双方の必要性を感じます。
・どれだけ重たい病気の方でも本人が生きたいと思えば生きれば良い。生きる権利はある。ただし本人が生きたくないと言う方も中にはいると思う。そういった今回のケースではこの判決は疑問が湧く。当の本人は感謝してると思います。 死ぬことへの自由もあってもいいのでは? またASLの患者さんが今回のことで生きる権利がない等のマイナスな事は一切考えなくていいと思います。生きたければ生きたらいいんです! 頑張って治療薬ができるまで生きましょう! 本当に辛い病気と思います!
・林さんの死にたいという言葉だけを捉えるのはと有りますが、本人は本当にそう思ってたかも知れません。 私も同じ様な病気や、今現在でも余命宣告されたら直ぐにでも安楽死を希望します。 人には色々な考えが有ります。 今現在でも一日でも長く生きたいと思って 病気と闘っている方もいらっしゃいます。 しかし私と同じ様に直ぐにでも安楽死を 望んでいる人も居ると思います。 私は最期位、辛い思いをしないで 眠る様に死にたいです。 これも個人の考えで権利が有っても良いと思います。
・自分がalsになったとしたら、とても迷うけど、最初は延命したいと思いました。ただ身体の自由がなくなり考える時間があり、考えが変わった時に生きるのを止める選択肢が無いのは辛すぎる。最初はコミュニケーションの手段が減っても意識がなあるなら外からの情報で何らかの生きる意義が見いだせると思ってたが、(もともと酷い近眼なので眼鏡無しでは何も見えませんが)症状が進むと視力もぼやけてしまう事がある話を聞いて、自分之今の年齢を考えると、家族の負担を考えると(悔いの残る人生でしたが)今は延命しないと思います。
・少し調べました。 心無いヘルパーが居たようです。 医師の行為とは切り分けて そもそも死を望むに至った経緯をしっかり調べる必要があると思います。 どのような理由があれ人間の尊厳を奪うことは罪です。
下記、みわよしこさんの記事の抜粋です。 ALSを生き抜いたスーパーウーマンが、「安楽死」しか選べなかった理由
林さんのブログに「猫と暮らしたい」という希望を断念させられたエピソードがある。
林さんの治療に通っていた訪問看護師が、林さんのために温和な保護猫の子猫を引き取った。ところがこの計画に、猫アレルギーのケアマネジャーが「ヘルパーの中にもネコアレルギーがいたらどうする、とか毛が残るとか」といういう理由で「ケチをつけ」たため、実現しなかった。林さんは「なんでこんなことまで指図されなきゃいけないんだ!とみじめになり無性に腹が立って気付くと号泣してた」と記している。
・時代が違えば延命出来ず亡くなる事も多い病気でしたが、今の医療発展により延命しているのが現状だと思います。 この病気の友人も居ます。彼が同じ思いに成った時にどう寄り添えるか自分でもわかりませんが倫理観だけでは判断出来ない辛い病気なのは間違いないです。 殺人と言う冷酷極まれない事件とは違い相当時間を掛けて本人と決めた事だと思いますのでまずはこの病気の理解が必要だと思います。
・「真に被害者のために犯行に及んだものとは考えがたく、利益を求めた犯行と言わざるを得ない」
それは健常者の考え方。 ALSは体が動かないだけで、脳も意思も感情もはっきり持っている病。 体が言う事を聞かなくなることも、やむを得ないとはいえ他人に世話を焼かれることも本人の希望とは言い難いと思う。 その苦しみを知らない人が杓子定規で判断して、それが本当に正しいという結論にはならないと思う。
・身近に闘病して亡くなった人がいるかいないかでも、このへんの感情は変わってきそうだ 私は身内を癌で亡くしたけど、最期は痛みでのたうち回って本当に辛そうで辛そうで…もう殺してくれと泣く姿、あんなに優しかった人が痛みでおかしくなる様を見たからこそ、尊厳死は必要なのではないかと思ってしまう
私自身も、もしALSやステージの進んだ癌等になれば、尊厳死を求めてしまうと思う ある意味ALSは痛みとはまた違う恐ろしさだと思う、昔五億年ボタンという話があったがそれに似た感覚になるのではと 確かにこの医師は現段階では法を犯しているのではあるけども、私がその患者の立場になった際に救世主のように感じてしまうかもしれない…
・主治医だったり、長年のカウンセリングを経て、本人と共にそれしかない、という判断をしていたら、まだ温情の余地があるが、金目当てだったとしたら、流石にダメだろう...。ひと1人の命を軽く見すぎているように思える。
この件とは別にALSの人たちの生きるための葛藤や、彼女のような人たちのこと、さまざまな角度から知るべきだと思った。
WITH ALS、 END ALSなどで調べると、戦っている人たちの活動が出てきます。
また林優里さんはXに本人の言葉が残っています。それ自体は脚色されていない本人の言葉なので、読む価値があると思います。
・難しい問題ですが、患者の尊厳を第一に考えないといけません。一方、現行法の中に安楽死というものは確かに認められてはいないのも事実。では、希望を失い自ら命を絶つ人々が後を絶ちませんが、それはどういう解釈をされるのでしょうか?難病にかかり痛みもあって生きる希望を失ってしまった患者がいたのが事実、それを支援している健常者が持論を掲げて良いとか悪いとかって騒ぐ事が本当に正しい事なのだろうか?という事です。 憲法に認められているこの事案の根底は基本的人権の尊重という事に尽きると思いますが、それを享受出来ない立場の人が居て、その人が自ら家族や支援者にこれ以上の迷惑をかけたくないと自ら判断された、これを尊重する考えに一定の理解は必要であり、全てを殺人で片付ける意見には違和感があります。
・ご近所に、同じ病気を発祥した方がいて、死にたい、なんで私だけがこんな病気にと話されていたことをご家族から聞きました。
が、言葉のままなのでしょうか。 家族に迷惑をかけている自分に傷ついたり、思うようにならないことに傷ついたり、ご本人にしか分からない辛さや気持ちがあるはずです。
医者と患者の間で、どのような意思疎通があったのかも、もう少し知りたったけれど、片方がお亡くなりになっているため、正しい話は永遠に聞けないのだろうと思います。
・同じ病を抱えているからといって、他の同じ病を抱えている人が全員同じ気持ちや考えだなんてあり得ない。 ただ、この団体の人達は同じ考えの人達が集まっているからそれが絶対だと思っているのかもしれないけれど。 わたしだったら、痛いも痒いも苦しいも、ただ耐えるしかなく、意思を伝える事もできず、自分で患部を擦ることも、痛くて苦しい時にうずくまる事もできないのなら意識疎通ができるうちに死なせてほしいと思う。 生きたいか死にたいかは人それぞれで真逆の意見があっても不思議ではない。
最期の時に苦しむ事が分かっていたら薬で眠るように死にたい。
・個人的には尊厳死は認めて欲しいと思う。 この事件の当事者の真意がどうだったかは正直分からないから一緒には出来ないかもしれないが、私は不治の病になって身動き取れなかったり、認知機能が無くなったりして周りに世話をかけるようなら尊厳死を望む。 私は自分がそうなる頃には尊厳死が認められるようになっていて欲しいと切に願ってます。
・被告人は被害者の主治医やALSの専門医でもなく、SNSでの短いやりとりをしていたにすぎず 主治医にはこんな相談できないししたとしても引き受ける可能性は当然皆無。 その程度の関係性で犯行に及んだのは浅慮という考えなのだろうが、嘱託殺人の罪に問われることも覚悟してSNS上での繋がりしかないいわば赤の他人の望みを叶えてあげたいという信念について自分は尊敬します。
・この件に関しては、ご本人以外がとやかく言える事では無いが、 さりとて「ALS患者さんの意見」というには傾聴するに値するとも思う。 (他の病気とは明らかに質が違うと思うので)
もっと言うのであれば、ALS患者さん個々の状態によっても意見が違うと思うし、時間が経つにつれて意見が変わる病気でもあると思う。 どうしてもメディアを通すと「怒りで~」や「この事件は殺人」と言った見出しになってしまうかも知れないが、その中核にある背景の意見は非常に慎重に扱われるべきだと思う。
・この報道に違和感。 一方の主張を全面に押し出しすぎる。 ご自分の意思で自分の尊厳を守るため安楽◯をする為合法であるスイスまで出向いて決行される方のドキュメンタリーを見たことがありますが私はその方の考え方にも納得出来る部分が多くありました。 与えられた命を全うすることは命ある人間の義務だと思いますが自分の尊厳が守れない場合、自分の力でどうにもならない場合は本人の希望を叶えることも一つの選択肢として検討することは必要かと思います。
・同じ病気でもそれぞれ違う環境で違う生活で過ごされた方で考えを一括りにするのは違うと思う。 似たような経験をすることもあるから全く違うとは言わないけど、その人にしかわからない考えがあったと思う。 もし自分がその病気になったら? 想像だけでは本当に当事者の気持ちを理解することはできないけど、女性がすべての世話を他人に任せなきゃいけないっていうのはかなりの精神不安があったろうなと思う。 主治医では無く、報酬目的で行われた犯行というところは許せない気持ちもあるけど、そんな人に頼まなければならないほど追い詰められた彼女の気持ちを考えると悲しい。
・苦痛からの解脱を真摯に願う患者もいるにもかかわらず、声の大きな患者が世論を誘導し続ける限り、尊厳死、安楽死の議論は進まないし、議論を尽くさないと法制化は望むべくもない。 患者の意見にも多様性があり、「殺人」と断じる患者団体の声を取り上げて終わりにしてしまえば、思考停止に陥る。 胃婁でチューブにより栄養吸収させられ、褥瘡に苦しみながらも、お迎えの来ない寝たきり高齢者を活かし続けることに対しては、「喜びと満足感で震えが止まらない」「寝たきり医療は崇高な医療」などと、お考えなのであろうか?
・難しい問題ですね。 死ぬ権利というのも海外では認められているケースもあるし、患者の中には前向きになれない人も少なくないのでは?コメントを出している人は精神的に強い人かもしれないけど、みんなそうではないから、一部の声や大きな声を全ての声と理解もせず、慎重に考える必要はある。
・裁判を追いかけていたわけでもないし判決文も記事にあることしか分からないが、この事件の争点って何だったんだろう。個人的には被害者の意思がどうだったかが争点であるべきと思うんだが。
判決では犯行の様態から主文の判断をしたようだが、そこを重視する以前に被害者の意思は不明であるとか裁判で断定していたんだろうか。病気になってから犯行に至るまでの被害者と家族、医師、関係者とのやり取りから、ある程度本人の意思を想定することは出来ると思うんだが。それとも本人の意思などこの事件には関係ないということなんだろうか。
犯人と被害者のやり取りが短時間だろうが長時間だろうが被害者の意思こそ優先されるべきだと思うんだが、判決を見る限りそうはなっていないらしい。
・同じ病気でも生きたいと願う人、もう終わりにしたいと思う人、様々だと思います。亡くなった方はもしかしたらもう終わりにしたいと思ったのかもしれない。もちろん逆かもしれないし、それはALS患者の団体の方たちにもわからないことです。 なので、彼らが怒りや悔しさを感じることも「殺人」だと言い切ることもできない気がします。
死を望まれていなかったのなら殺人ですが、もし望まれていたなら救い 死を考えたことのある私にはそう思えます。
・私は2年前に頸髄症という、首のところの神経が損傷して両手、両足にチカラが入らなくなる病気に罹りました。 原因は頚椎の変形で中を通っている脊髄神経を押し潰していたためです。 4ヶ月間も入院して手術、リバビリやってやっと両手と右足は完全に回復しました。 左足はいまだに少し不自由ですが。 これ以上、回復は望めないということです。
その時に思ったことは、こんなことで死ぬわけには行かないな。ということでした。 完全に寝たきりで世話にならないと生きて行けない状態でも死にたいとは考えなかった。
本件の亡くなった人が死を望んでいたかどうかは本人にしかわかりませんよね。 安楽死?させた医師を処罰することが正しいことか否か私には分かりません。
・私は脳卒中とか身体に麻痺などの障害が残り日常生活の全てにおいて介護が必要になった場合、合法になっていたら安楽死を選びたい。 結婚する予定もないので老後は一人だ。そんな状態で要介護になったら介護費用など資金が無い。 負担は甥っ子にいくだろうから迷惑をかける前に始末をつけたい。 どんなに辛い状況でも生きたいと思う人、私のように楽になりたいと思う人、それぞれだと思うので選べるようになったら良いな。
・正直、このALSの方々がどこまで本音を言っているのか疑問に思います。 自分は以前身障者療護施設でALSの方々の介護をしていたことがありますが、ALSほど残額な病気はないと思いました。ALSは発症前に健康に気をつけていたとか運動して節制していたとか関係なく、ある日突然誰に発症するかわかりません。発症するとどんどん症状が悪化し、昨日できた事が今日はやりづらい。来週は全くできないくらいの早さで全身の体の筋肉が衰えていき、最後は瞬きしかできなくなります。 日に日に自分の体は動かなくなるのに、脳の機能だけは亡くなるまで一切衰えません。元気な自分が岩のようになった体に閉じ込められる感覚です。自分で死ぬ事もできません。介護の時、ALSの利用者さんから「地獄の病気」と言われたことがとても心に残っています。 綺麗事ではなく、自分なら毎日周囲に負担をかけ瞬きしかできない自分になる前にあの世に旅立ちたいと思う。
・治る見込みもない病気で体はどんどん弱っていき痛みだけがましていくそう考えると安楽死制度も導入をしていく必要があるかもしれないですね…
ただ本人は生きたい希望があるが介護をしてる家族は安楽死を希望して大きな溝が出来るパターンも出てくるし、「難病→認知症→精神や身体障がい者に果ては生活困窮者や前科のある人まで適応を」と世論が暴走する危険性、ネットやいじめでの安楽死の誘導など死のハードルが下がる可能性もあるので、導入するのなら政府は時間をかけて決めてもらいたい
・林さんの、先生だけが、頼りで希望です。 という悲しい言葉、林さんの意思はどうなってしまうのでしょう? 呼吸器を装着したら、はずしたいと思ってもはずすことはできません たとえ、眼球のみしか動かせない状態になってもです ALSは、医師が1番なりたくないと考えている病気です 病気とは、辛く悲しいものです 辛い状況になって精神を病んで生きる気力がなくなってしまっても、なにがなんでも生きていかなければならないのでしょうか 長く生きることだけが、大切で幸せなのでしょうか 自分の命、自分でどうするか選ぶことができるで良いと私は思います この医師がしたことは、勿論犯罪だと思いますが、難しい問題ですが、安心して生きる為に、尊厳死、安楽死を日本でも認めて欲しいと強く願います 海外で尊厳死をされた方をテレビで見ましたが、眠るように亡くなられました 他人ごとでなく、これば、私達自身の問題です
・この問題は根深いですね。生き続けたい意思を明らかに持っている患者さんを死に至らしめるのはアウトですが、もう生きたくなくて安楽死を望んでいる患者さんもいらっしゃるでしょう。
話が飛躍しますが、本件は超高齢で寝たきり状態になった親の延命措置に対する家族の医療施設に対するありがちな要望を連想させます。 個人差は当然ありますが80歳台後半以上になると人間は老衰に向かいます。特に重篤な病気がなくても身体の衰えて寿命が近づいた人は徐々に食欲が無くなって来て殆ど一日中寝て過ごし、やがて殆ど苦しみも無く静かに安らかな最期を迎えます。それが自然の摂理なのですが、家族の希望で人口呼吸機や胃瘻造設でまるで人造人間のように無理矢理生かされている超高齢者が溢れかえっています。これは家族の自己満足だけであって、決してご本人は幸せではないでしょう。
この記事でそんなことを連想してしまいます。
・死生観は人それぞれだが、不治の病になったとき、その人は延命を望んでまで辛い思いをしたいと思うだろうか?苦しみの先に死しかない場合、安楽死を選択することは人として極自然な感情ではないだろうか?
自分の命は自分のもの、当たり前のことがそうでない社会になっている。死にたいと思う人の死を妨げることは正しいのか?自殺とは違う、尊厳死。
安楽死・尊厳死は長寿国日本の課題として議論を深める必要がある。
・健常者よりは同じ病気の苦しみを知る人間の方が気持ちを理解しやすいだろうが、それでも本人の気持ちは本人にしか分からないとしか言えないのではないか。 「死にたい」という言葉を「本心からではない嘘」と他人が断じることこそ差別だと感じる。 一時的な衝動に駆られて自殺してしまうことは止めるべきだし責められることかもしれない。しかし難病を患い生きているだけで苦痛に塗れるような生活を送る人が考え抜いた上で「もう死にたい」と言い出した時、「死ぬのはいけないことだ、どんなに苦しくても生きなくては」と言われたら、「死」という逃げ道すら許されないのかと絶望してしまうのではないかと思ってしまう。
・生き抜くことが最も大切なことは言うまでもない。 しかし必ず死に至る病で苦しみ抜いている最愛の家族を見た時に、どんな感情になるのか想像がつかない。 「ただの殺人」と突き放すだけでいいのか。 殺人罪の重い刑を科すのが正しいのか。 本人や家族の意向をどうするのか、議論が必要な時だ。 ICUに入っていて、医者にもう無理です、どうしますか、と言われて家族で意見が分かれたが元気になった人もいる。 深い落ち着いた議論が必要だろう。
・誰しも死にたくなる時も死にたくない時もあるでしょう。医師であれば、その様な場面に遭遇する機会も多いでしょう。同情するのも無理からぬことでしょう。でも、そこで冷静になって患者の痛みを緩和して、励まし生きる希望を与えてこそ医師の本文ではないでしょうか。 死ぬ時も苦しいでしょうし、生きているのも苦しいでしょう。患者本人に生きる力があれば、生きられるし、生きる力自然治癒力がなくなれば、生きたくても生きられないでしょう。 また、患者本人が、本当に死にたいと強く願えば、自然と生命力が低下し、生きられない程、衰弱して自然死できるでしょう。
・死にたいと思う人がいない社会が理想ですが現実はなかなかそうは行きませんからね。 生きていれば死にたいと思うことも有りますか生きていれば嬉しいこともあるわけで一時の感情でその可能性を手放してしまうのは良くないと患者の方は言いたいのかなと思いました。 死にたい人は死なせてあげてもいいのではと思うのは自然な考えですが安易に認めないほうが良いのかもしれません。 安楽死を議論するより生きやすい社会を議論した方が前向きになれそうです。
・自分達と同じ病気だからと言って同じ考え方を持ってる訳ではない。この亡くなった方がどこまでの症状だったのかは分からないが、安楽死が出来なければ、可能なら自分で命を絶っていた可能性も大いにあった。もし身体を動かせない状態だったとすればそれすら叶わない。そんな気持ちを待ち続けて生きていけと強要したいのでしょうか。なぜそこまで他人に『生』を強要するのか分からない。無責任に『生きろ』と言ってはいけない。『自殺志願者』に対してもそうだが、そう言うからにはその人に対して責任持って一生寄り添って人生を幸せに楽しませるぐらいの覚悟は持て。
・たとえ同じALSの患者であっても、被害者の気持ちを語ることは出来ないと思う。彼女の意思を上書きはしないであげてほしい。
私の身内もALSで気道切開は望まず亡くなりました。最後はかなり苦しそうでしたが遅いか早いかは自分で選べたわけです。 まだ若かったし本音では生きたかったはずです、健康なままで。でも寝たきりで一生誰かの世話になり続けるより、自分で決めて最後まで頑張りました。彼の親も私達もそれを受け入れて見送りました。生き抜いた人生だったと思っています。
死とは誰にも平等に訪れるものですが、生き方でもあると思います。だから生きる権利とは死ぬ権利でもある気がしています。 生命維持装置に繋がれた意識のない老人の姿を見ると、尊厳てなんだろうと思います。 安楽死の議論は続けてほしいと思います。
・ここで自分の気持ちを公表できるくらい支えてくれる人が居る人はそう思うだろうけど、自分の気持ちを世間に伝えることもできず、本当にただただ横になり続けるだけの方の気持ちは違うかもしれないですよね。 自分だったら、全ての感覚は正常だけど自分で何も出来ない生活が何年も続くと思うと耐えられないと思う。 痒くてもかけないし、痒いとも言えない。 下の世話をやってもらってる間も意識ははっきりしている。 ちょっと考えただけでも辛い。
・今生きておられる患者さんと、殺してほしいと医師に懇願した患者さんとでは考えも違うでしょう。もちろん今の法制度では手をかけた医師は違法で裁かれる対象なのに異論は無いですが、日本での尊厳死や安楽死については議論が進むことを願います。
私自身、幼少期から1型糖尿病を患っています。将来、人工透析を受けながら生きていたいとは思いません。そうなったときに選択肢があることを願っています。
・被害者が亡くなっている以上、真相は不明だし、被告の行為は患者に寄り添ったものとはいいがたいのも事実だが、ALS患者らの団体が勝手に亡くなった方の意思を代弁するかのような発言は違和感を覚える。同じ病気だろうとも一人一人価値観が違う。 生きる自由があるように、尊厳ある死を迎える自由だってあるはずだ。これから日本は超高齢化社会となり目を背けてはいられない、尊厳ある死を迎えられるよう、積極的安楽死を含めてきちんと制度化してほしい。
・同じ病気でも何とか生きようと思う人。どうにもその状態に耐えれない人、精神的に参ってしまう人、逆に病気をバネに強くなる人、本当に人それぞれだと思う。
他の患者にとって殺人と思っていても、この亡くなった依頼者は心から救われたと思っているだろう。やはり完治しない病においては安楽死も視野に入れて法整備するべきだと思う。
・私はこれを『ただの殺人』、とはいえないです。 ALSとよく似た病気の家族がいます。 もう話せないし、体も動かない。固形物も水分も口からは栄養を取れません。 酷な状態を毎日見ています。 本人は....どうなんだろう。 この事件の患者さんは、まだ意思を伝えられました。本当に辛くて辛くて助けて欲しかったのだろうと思います。
ALSになってしまった方でも、前向きに生きられる方もおられるけれど、そんな強い方ばかりではないと思います。
多様性を声高に言われてる現代なら、個別の選択も権利としてあるべきでは。
私は今回の事件を殺人である、とは言えません....
・例えば悪性疾患の終末期の場合には患者は呼吸不全になった時や血圧低下時に人工呼吸管理の装着やショックに対する治療の希望を医師に伝えることができるし、多くの患者はそれら治療を望まない。この選択は尊重されてALSの患者は自身の希望は尊重されない。意思表示の確認に問題はあったと思うが疾患によって自身の選択できる幅に差があるのは違和感をかんじる。
・祖母が難病で、強い人だったが最期は何年も毎日死にたいと弱音を吐き、田舎育ちの昔の人なので自殺すると家族親戚に迷惑が掛かって結婚出来ない人が出ると言い続けていました 最期は幻覚を見ているのか、ここどこ?綺麗…お花が綺麗…と言ってなくなりました 寂しさとやっと楽になれたのだと思う気持ちで涙が溢れて止まりませんでした 自分にも遺伝する可能性があり発症したら尊厳死を望みます 同じ病でも考え方や耐久性も個々です 一概に悪いこととは思えません
・尊厳死に対しては肯定派なので、一定の条件のもとに嘱託を受ける人の存在は必要だと考えている。 ただそれはこういう事件が起きているようなうちは議論にもならない気もする。 今回の事件はただの殺人扱いされても仕方がない状況だと思う。 自分が科学的な延命で命を繋ぐだけの時が来るとするなら尊厳死を選ぶことのできる環境になっている事を祈る。
・亡くなられた女性が本当はどのように感じたのかは分からない。ただ、彼女がSNSで過去に死を願う投稿をしていたという記事も読んだ。
もし自分が罹患し、頭はしっかりとしてるのに体が動かなくなる事を想像すると、死を望んでしまうかもしれない。 そしてたとえ自分の尊厳の為ではなくお金の為だとしても、その願いを叶えてくれる人がいるなら手を貸してくれた事に感謝するかも知れない、とも・・・。
罹患しても懸命に生きている人達がいるのも理解しているが、彼女がSNSで死を願っていた気持ちも理解出来る。だから自分達の物差しで非難して、それがあたかも彼女の気持ちの代弁かの様に言うのは違う気がする。
・林優里さんのブログ読ませていただきました。 最初は医師が殺人なんて‥と思っていましたが本人の気持ち、辛さを知ってもし自分がこの病気だったら安楽死を選ぶかもと考え直しました。 ALSからTLS(完全閉じ込め症候群)恐ろしい病ですね ゆくゆくは意識や思想や聴覚はしっかりあるのに目も開けられず完全に閉じ込められた状態になるなんて‥自分には耐えられない
唾液が喉に詰まっても、歯医者ではすぐに吸ってもらえるから楽になれる これが溜まりっぱなしだなんて、溺れそうになる感覚をずっと味わうなんて
生きているのは本人なんですよね。 親族でも周りの人でもない、たった1人自分の人生。 その本人が辛い、もう耐えられない、生き続けるのが辛いと言っていて誰に止める権利があるのだろう。 代わりにALSになって交換してあげられるわけでもないのに。
本人の意志を尊重する安楽死を選べるようになってほしい。
・被害者側が亡くなってしまったため、真相はわからないのですが、同じALS患者の方が殺人だと訴えた所で、本人は本当に辛くて依頼したのかもしれないという部分は考慮すべきかと思う。 この医師は他にも罪状があるため、この結果なのかもしれないが、このように望んでいる方も少なからずいるという現状は尊重しても良いかと思いますね。
背景を無視した殺人事件扱いと同様の意見を述べても何の解決にもならない会見だと思いますね。
・専門家の方も書いておられるが、コメントの中には終末期医療と難病患者の治療と混同されている方がおられる。余命宣告を受けている方と、難病患者や障害者では状況が異なる。後者は明確に死の危険性が迫っているとは言えない。呼吸器を外しただけでは、死ぬとは言えないし、胃瘻患者でも動ける人は動ける。何なら点滴でも動ける。 とにかく専門家の意見が大事だと思う。難病患者本人ではない人が難病患者の意思が尊重されないのはかわいそうと言うが、難病患者自身が自分の状況をわかっているとは限らないのだ。もちろん分かる人もいるだろうが、わからない治療をされるのが怖いというのもある。痛い時に必ずしも痛みを緩和してくれる治療が適切に受けられるとは限らない。 延命治療するかしないかは終末期医療の話だろう。難病患者に安楽死を認めるかどうかは、難病患者本人というよりも専門家の方々で考えてほしいと難病の私は思う。自分の意思は別として。
・患者の気持ちを優先して、あえて報酬を受け取ったのでは。 リスクを冒してまで自分の願いを叶えてくれた人に、せめてものお金を渡したいと患者が思うのは普通だし、報酬目当てではなく、ただただ患者の想いを受け止めるためだったという考え方もできると思います。
ある時、高齢者施設で看取りを受けた方のご家族が「長い間ありがとうございました。これは気持ちですので受け取ってください」とお母様の口座の残金(数十万円)を持ってこられたことがありました。 始めはお断りしていたのですが、「うちの母がもし意思表示できたとしたら、最期にお世話になった皆様に恩返しをしたいと言ったでしょう。母の想いを是非受け止めて下さい」と言われ最終的に寄付という形で受け取ることになりました。 少し違う話ですが、お金で感謝を伝えたかったんじゃないかな。
・有罪なのは法律が現状にあってないからです。医師のした事のほうが、患者の望んでいたことと思われます。 胃瘻も日本では、それを断るのは意思表示が必要なので、うっかり場に流されて標準治療の胃瘻をしてしまいますと痛い目にあうことなります。胃瘻して縛り付けられた高齢者がほんとに大勢入院してます。母は入院したときに、別の階のフロア、胃瘻や拘束された大勢のご老人のいるフロアを見てしまい、ショックだったそうです。
・うちの父方祖父母の話。 二人とも家で診れなくなって施設のお世話に。食事の経口摂取ができなくなって、意識レベルも下がり、母は自然に任せたらと言ったけれど父は迷わず胃ろうを選択した。そこから病院へ。意思疎通もできず、ただ生かされてるだけで数十年、祖母に至っては片足切断。 でも、父は祖父母の延命のためにはお金を厭わなかった。とにかく二人に生きててほしかった。 ただ、二人はそこまでして生きたかったのかな。意思疎通ができなかったから確認することはできない。 亡くなった時、母は心底ほっとしたと言っていた。 何が正しいのか、いまだに分からない。
・当事者がキチンと選択出来る制度とそれを実行出来る環境を作る事が大事だと思う。その環境を作る為にも開かれた環境での議論をする事が必要だ。人間は生まれた瞬間から基本的には自由であることが人権だと思う。勿論、公共の福祉に反しない限りではあるが、この事件をきっかけにどこまで深く考えて対応出来るかが全ての人類への幸福への鍵ではないかと思う…
・この問題は難しい。たとえ病気に罹っても生きたい人も居れば、苦しむくらいなら死んだ方がマシと思う人も居る。 だからこそ、尊厳死・安楽死の認定を考えなければいけない時が来ている。生き永らえることが可能になった時代でもあるが、無理に生かされることも可能になったことにもなる。本格的に議論をすべき
・生きたいと考える人は生きれば良い。いずれ死ぬことだけでなく日に日に体が動かなくなる事に耐えられない、そう考えて死にたいと考える人は間違っているとは思わない、私がこの病気なったら安楽死を求めて海外に行きます。体が動いて全ての人と意志疎通が出来るうちに。自分の人生自分で決めたら良いと思います。必ず生きていたらそこに幸せがあると誰も保証してくれないでしょ。18年は重い。18年後に安楽死を認める日本になっていたら私は寄り添えるこの医師にお願いするだろう。
・「被害者」は生きたい、ではなく死にたいと思っていたのでは? 法律上は犯罪だが本質的には救いだったかもしれない。真相はわからないが、確認できる情報からしたら苦しみから解き放ったのは元医師らだ。希望する安楽死を親のエゴでできなかった「被害者」のご冥福をお祈りします。
・今、優里さんが生きていたらどんなふうになっていたのだろうか。 自分では何もできない苦しさと迫りくる不安と恐怖 私達には計り知れないものをかかえながら生きる事を強いる事ができるだろうか。 だからと言って殺害していい事にはならないが。非常に難しい問題です。 ただ優里さんは天国で穏やかな時を送っていると信じます。 医学の進歩が進む事を祈ります。
・私の彼女は昨年5月に難病のALSで亡くなりました。日々病状の悪化にも前向きに病に立ち向かって過ごす姿は辛く厳しい状況なか命の大切さを教えて頂きました。不治の病で有れば安楽死・尊厳死も本人が望み必要な条件をクリアすれば認められるかも分かりませんが今回の事件は殺人だと思います。亡くなられた方の御冥福を心よりお祈り致します。私の願いは難病・不治の病が無くなりますように。
・医師からの意見ですが、現状の法には従う義務があります。 今回は医師が患者さんの生死を決定したことになりますが、これは国内では許されていません。
今回のケースは法に照らし合わせたら立派な罪です。 患者さんと医師でどのようなやりとりがなされたかは有罪か否かには関係ありません。 殺人か自殺幇助かの違いはありますが。
なお、患者さんの死を選択する権利は別の話として議論されるべきです。
・この事件である患者さんを思い出した。 私が以前働いていた所は特殊疾患の病院でALSや筋ジスの患者さんばかりで、ある日ALSの40歳代の男性が入院してきて「一切延命治療はいらない」と言って自力で呼吸が出来なくなるにも関わらず、挿管や気管切開、もちろん呼吸器もつけず亡くなりました。苦しかっただろうに… 今回は真実は分からないけど、全員が何をしてでも生きたい人ばかりではない。何か考えさせられました。
・難しい問題。生きる権利は優先されるのは当たり前だけど、自力の生活が困難や不治の病や、苦しむだけの余命がわかってる病気については死ぬ権利もあって良いと思う。高齢化社会や医療費負担から考えてもそろそろ死ぬ権利についても真剣に考える時が来てる気がする。
・受け止め方は人それぞれ。答えが一つな訳ではない。尊厳死の考え方も人それぞれ。個人の意見をあたかも世の中の常識だと思わないでほしい。
少なくとも自分は、生きる権利と共に、死ぬ権利もあるべきだと思っているし、健康寿命が人生の寿命だとも思っている。それも個々の考え。
・同じ病気とは言え亡くなった方の代弁するような物言いには疑問を感じるし嘱託であったならこの依頼したとされる女性と同じ気持ちの人もいるのだろうなと思う、生きたい人はもちろんそうでない人もある程度尊重される選択肢ができたらいいのにと思います。
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