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【速報】医師の男に懲役18年の判決 難病ALSの患者からの依頼を受けた「嘱託殺人」 「利益を求めた犯行であったと言わざるを得ない」と裁判長

関西テレビ 3/5(火) 15:30 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/b203b3ef508f1cdaa37be2cc19ded2025bf0465e

 

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医師の大久保愉一被告は、ALS患者の依頼で嘱託殺人を行い、懲役18年の判決を受けました。

裁判で大久保被告は行為の正当性を主張し、弁護側は無罪を主張していましたが、裁判長は懲役18年の判決を下しました。

また、被害者の父親も意見陳述が行われ、娘が医師の口車に乗せられて安楽死させられたことを訴えました。

(要約)

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大久保愉一被告 

 

難病「ALS」の患者を本人の依頼で殺害した「嘱託殺人」の罪などに問われている医師の男の裁判で、懲役18年の判決が言い渡されました。 

 

【動画】ALS嘱託殺人事件 医師の男に懲役18年の判決 被害者の担当ヘルパーの思い 

 

医師の大久保愉一被告(45)は2019年、元医師の山本直樹被告(46)と共謀し、全身の筋肉が徐々に動かなくなる難病・ALSの患者の林優里さん(当時51)の依頼を受け、薬物を投与して殺害した「嘱託殺人」の罪などに問われています。 

 

林優里さん(遺族提供) 

 

大久保被告は初公判で起訴内容を認めた上で、「林さんの願いを叶えるために行った」と話し、自身の行為の正当性を主張。さらに弁護側は、嘱託殺人罪を適用するのは、林さんに「望まない生」を強いることになり憲法に反するとして、無罪を主張していました。 

 

検察側は、「死にたいと願う難病患者は殺害する対象という思想の実践で、自身の行為を正当化しようとするのは、真摯な『安楽死』を実践するものとは程遠い詭弁」として、共犯の元医師の男の父を殺害した罪なども含め、大久保被告に懲役23年を求刑していました。 

 

5日の法廷(京都地裁) 

 

5日の判決公判で、京都地裁の川上宏裁判長は「弁護人の主張する憲法13条違反を直接的な理由根拠として本件に嘱託殺人罪を適用しないとの結論を採用することはできない」とした上で「主治医でもなくALSの専門医でもなく、SNSのやり取りがあったにすぎず、これまでの経過や現在の症状も把握せず、主治医や近親者等にも知らせることなく秘密裏に、その日初めて会ったばかりの被害者の十分な診察や意思確認ができるとは思えない」などと指摘。 

 

そして「130万円の報酬の振り込みがあってから行動したのを考えれば、被害者のためを思って犯行に及んだものとは考え難く、利益を求めた犯行であったと言わざるを得ない。被告人の生命軽視の姿勢は顕著であり、強い非難に値する」と断じ、大久保被告に懲役18年の判決を言い渡しました。 

 

山本直樹被告 

 

また、大久保被告が否認していた、共犯の山本被告の父親に対する殺人罪についても認定し、「計画性が高く、医師としての知識がないと思いつかない犯行で汲むべき事情はない」などと非難しました。 

 

この判決公判は、川上裁判長が「判決理由が長くなるから」として主文の宣告を後回しにする、異例の展開となりました。 

 

 

林さんのSNSより 

 

この事件は、ALSを患っていた林さんが、SNSに安楽死を望む文面を投稿し、大久保被告がこれに応じたところから始まりました。 

 

裁判で大久保被告は、犯行の動機について「苦しみから解放されたいと願うなら、かなえてあげられたら本人のためだと思います」などと説明。 

 

また、殺害当時の状況については、「(林さんが)文字盤を使って『死なせて』と」「目に涙を浮かべて嬉しそうに」「自分がやるべきことはやったのかなと思いました」などと話しました。 

 

大久保被告が時折、涙を浮かべながら林さんへの思いを語る一方で、証人として出廷した共犯の山本直樹被告は、大久保被告の“過激な思想”について次のように述べました。 

 

【山本被告】「「高齢者が早く死ねばいいと、しばしば口にしていました。殺人のノウハウを蓄積し、そのノウハウを金にして自分の理想とする世の中が実現すればいいと考えていた人です」 

 

山本被告は、大久保被告が“殺人マニュアル”を作成していたとも証言していました。 

 

検察側は「真摯な安楽死を実践するものとは程遠い詭弁」として懲役23年を求刑していました。 

 

林優里さん(遺族提供) 

 

また、裁判では、検察官が代読する形で、林さんの父親の意見陳述が行われました。 

 

【父親の意見陳述】 

「私の長女・優里はこれから人生目標が見え始めた時に不治のALSにかかりました。闘病中と一生懸命頑張っていました。その時にネット上で知り合った医師の口車に乗せられて金銭まで要求され、あの世へと旅立ってしまいました」 

「優里は体が不自由でも生きていました。大久保と山本が部屋に入った時は生きていたのです。大久保が薬を注入する時どんな気持ちだったのか。普通の人間にできることではない。なぜ思いとどまるよう説得してくれなかったのか。優里は亡くなったのではなく、亡くならされてしまいました」 

 

5日の判決で川上裁判長は「被害者のためを思って犯行に及んだものとは考え難く、利益を求めた犯行であった」と大久保被告の主張を認めない判断を示しました。結論は懲役18年。「被告人の生命軽視の姿勢は顕著」と厳しく指摘する判決となりました。 

 

 

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(まとめ) 

 

今回の事件を通して、安楽死や尊厳死について様々な意見が寄せられている。

多くの人が、患者やその家族、医師の立場から、生きるも死ぬも個人の選択であるべきであり、苦しい状況を無責任に延ばすことは避けるべきだと主張している。

一方で、そのような選択肢を誰もが持つべきだとの意見もあり、安楽死や尊厳死の制度導入が望ましいと考える声も多い。

日本でも議論が進むべき時期であり、様々な立場での意見を踏まえて制度改革が求められるという声が挙がっている。

( 146139 )  2024/03/06 01:06:38  
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・今回の件は残念だけど、安楽死や尊厳死は認めるべきだと思う。 

 

ある程度の年齢になれば、自分の行く末が見えてくるものだし、逆転の見込みが無いことも自然と悟る様になる。 

 

生きるも死ぬのも個人の選択だし、詰んでる方に無理に生きろというのもそれはそれで、辛いだけ。 

 

私は、認知症や加齢による衰えのために、家族や周りに迷惑や負担を掛けるぐらいなら、自分の命は自分自身でコントロールしたい。 

 

上手くいっていない時の励ましの言葉など、皮肉にしか聞こえないし、安易な「生きろ!!」という言葉など無責任でしかないと思う。 

 

 

・例えば自分が何らかの病気で身体が全く動かせず、ただ意識だけははっきりしているという状態になったとしたら、回復する可能性がなく、ただ生きていていろいろ家族に迷惑をかけ続けるよりは死を選びたいという気持ちにきっとなると思う。 

身体が動けば自ら何らかの方法が取れるのだろうけど、身体が動かないのでは何もできない。 

生きる権利は主張できるのであれば、死ぬ権利も認められる場合があっていいと思う。 

当然、それを実行する人も選任しておくべき。 

 

 

・このケースは別として 

安楽死制度、必要だと思うんですけどね 

意識のない中、胃に直接栄養を注入され 

ただ「生かされている」だけ 

それでも生きていたいと思う人が 

一体どれだけいるのか 

 

自分で自分の死ぬ時期を決めたり 

苦しまずに死にたいと願ったりは 

悪いことなのでしょうかね 

己の死について 

選択肢を選べるのは大事なのではないでしょうか 

 

 

・法的な手続きは必要だとしても、自分の生死は自分で決めたい。 

助からないことが分かってても点滴漬けになって、皮膚が皮膚じゃない状態になっても生かされて、暴れるからと締め付けられ、無理矢理車椅子に座らされて移動させられたり、どんな人生を歩んでも最後に無様な死に方だけはしたくない。 

今回の件が本当に利益目的の事であれば裁判所の見解もわかるが、本人しかわからない疾患があって生きることが辛くて仕方なかったのであれば、判決とは別に私はこの医師を称えたいとさえ思います。 

無責任に長生きさせることは、その者によっては拷問でしかないでしょうし、まして餓死などの場合は誰の責任でもなくなる。人間の作った無責任な法律に戸惑いしかありません。 

 

 

・林さんが望むような最期を迎えたあとであることのみ 

不幸中の唯一の幸いだと思う。 

これで林さんが望む結果に至ることが出来ず 

この医師たちが裁かれる場面を見るのは辛すぎると思う。 

 

安楽死という選択が日本でもできるようになってほしい。 

 

 

・難しいですね。 

専門医でもなく 

ってなると、専門医でもない医師が治療をしないかというとそういうわけでもない。 

親族に知らせずというが、ALSであれば本人の意識ははっきりした状態であろうと思う。メールできていたのであれば。そうすると、成人した大人なので個人の判断が尊重されるであろう。相談するのは医師ではなく本人であったんではないでしょうか? 

本人が挿管等を望まなく、家族が挿管をのぞんで挿管した場合、どのような罪になるのか?実際にあることです。 

 

 

・日本では認められていないし、これを無罪とすると犯罪が横行する可能性があるから無罪にはできないけど…この病気は本当に大変で意識はしっかりしているのに身体すべての自由がきかなくなる本当に生き地獄と言われるのも分かるような病気で…自分もお願いできるならお願いしたいですよね。 

だから、執行猶予とかにとどめて貰いたい。 

 

 

・もし自分がだんだん動けなくなって、いずれ会話も呼吸も出来なくなると宣告されたら、生きていくかどうか自分で決められる権限はほしいですね。 

でも同じ難病の人が死を選ぶ事で不安になる当事者さんもいると思うし、難しい問題だと思います。 

 

 

・難しく、悲しい事案ですよね。 

 

私も医療従事者なので生と死についてはよく考えさせられますが、絶望を感じたり生が苦しく思うことになる患者さんは少なくなくいます。 

脳卒中指定救急病院で、目が覚めたら半身に麻痺、元には戻らない、高次脳機能障害もある、そうした中で絶望をご本人が感じることよく見てきました。 

 

alsともなれば、その苦しみは想像を絶するものだと思います。 

やれることは少しの呼吸と瞬きしかない、そんな状態になっても頭はクリアなのですから。 

 

今回の事件では、患者さんが本当に生を諦め死を願っていたとしたなら、その方は願いが叶ったことになります。苦しみから解放されたでしょうし。 

 

一方、苦しみから解放してあげた側は人生を棒に振る厳罰が待っている。 

現状日本の法律を考えれば仕方ないのかもしれませんが、裁判官には情状を汲み取っていただきたいなと思うと同時に、死の尊厳も認められるようになればと 

 

 

・命の尊厳は大事だと思います。自分の生命に関してです。安楽死の法律改正は必要です。病気で治らない、悪くなる一方で動けなくなるのが目に見えてるのなら、迷惑かけないようにする気持ちも解る。せめて、動けるうちは、動いて動けなくなれば、安楽死を希望する。とか、自分の命をどうするかって自分の意思で決められる法律あっても良いと思う。 

 

 

 

・今回は、本人が委託したので、殺人じゃないと思う。 

自分が、しっかりと判断して委託してるので、家族の訴えよりも、本人の意思を尊重するべきだと思う。苦しみながら、生きても、しんどいだけ。委託して、本人が、少しだけでも楽になったんだったら、それが本人の生き方だったんだと思うので、その気持ちを尊重してあげて欲しい。 

 

 

・人権というものについて、今日ほど多様性が認められているにも関わらず、生死の選択という何よりも重い自己決定権を認められないというのも不思議な話。 

勿論、人命は何よりも重いと思うし、自殺を推奨する訳ではないが、生きているだけで死ぬよりも苦痛を味合わなければならない場合もある。 

その当事者に『人命は何よりも重いから生きろ』と建前的な正論を言うのは、あまりにもむごい。 

どれだけ生きたかよりも、どう生きたいか(あるいは死にたいか)を尊重して貰える価値観と制度があっても良いと思う。 

 

 

・患者の気持ちに寄り添い、懇願され、願いを叶えたに過ぎず、この処罰は厳しすぎる。患者さんはいずれ遠からず亡くなるのだ。苦しい思いをして迄生きていきたくないと訴えられれば気持ちは揺らぐはず。 

リンチ4させても、我が子を虐待4させても数年である。司法は公平でないな、というのが率直な感想。しかも、患者からの依頼金は、たったの100万である。医師としての普通の勤務報酬からして微々たるものだ。優しすぎるのが災いした、気の毒な事例であると思う。 

 

 

・被害者からの依頼があったとするも、その真偽すらあやふやなまま最短の執行猶予判決であっさり娑婆に戻れた市川猿之助の裁判があったばかり。 

こちらは被害者のSNSや家族の証言からもその希死念慮は確認できているわけで、そうした比較意図も踏まえて裁判長がどういった理屈でどの様な判決を下すのか気になります。 

 

 

・昔から議論されているテーマで、大正時代に書かれた森鷗外の高瀬舟は安楽死を扱った作品だし、昭和の漫画であるブラックジャックに出てくるドクター・キリコという医者はどうしても回復する見込みのない患者を安楽死させる(安易な自殺には反対の立場だが、漫画なので本来なら直らない患者を治すブラックジャックのせいで殺人医師に見える場合もある。)キャラクターもいた。平成時代にドクター・キリコを名乗る男性が(自殺防止のお守りとして)複数の人に青酸カリを送り、本当に飲んだ女性がいたため自殺した事件もあった。山口百恵主演の連続ドラマでも安楽死をテーマにしている作品があった気がする。 

本当に難しい問題なので安易には語れないが、本人の意思が明確なら安楽死は認めるべきだと思う。ただノイローゼ患者や失恋直後の人が「死にたい」と訴えた時に安易に安楽死させるような世の中になるのは問題で、議論を進め基準を定めるべきだと思う。 

 

 

・私のテニススクールのコーチ(男性)はALSになりました。 

お見舞いに行ったことがありますがいっぱい機械につながれて首から下は動きません。また人工呼吸ですのでのどに穴が開いています。 

奥様も疲れ切っておられました。 

見ている私たちが辛くなるほどでした。 

ですので患者がそう思うのは仕方がないのかもしれません。また無償だとしてくれないので払ったのかもしれません。 

ノーベル医学生理学賞の山中先生がips細胞でこの病気の治療法も急いでいると聞きます。 

早く治療薬ができますよう心から祈っています。 

 

 

・確かに、この裁判は判決理由と言うのが非常に大事な裁判。 

身近にALS患者の最後を見た者にとっては、殺害されたALS患者からすると、周囲が拷問のように少しでも長く苦しめるようにする中での救いの手と思ったかも知れないと感じている。 

かと言って、司法が方が認めていない安楽死という形を認めるはずがないので、どのように理由を述べて有罪とするのかに注目している。 

もし安楽死ということの法整備の必要性のサジェスチョンをしてくれたら、大きな意味を持つようになると思う。 

 

 

・私の母も難病患者で闘病生活が13年と10ヶ月に渡りました。何度も何度も考え悩み答えは出なかった!しかし、体の自由が無くなり一番辛かったのは母自身。強い女性だった母が一度だけ「死にたい」と呟いた事が一回ありました。本人はそれだけ大変な状況だったのです。自分が病に侵されて始めて解る事もある。だから、安楽死を認めるある一定の法律を制定して欲しいです。 

 

 

・家族がALSになりました。 

自分だったら…と思うと、嘱託したくなる気持ちは分かる。 

この医師は、家族も手にかけているから理解が複雑になってしまうけれど、自筆で「この人は願いを叶えてくれた」と一筆書いてどこかに送る方法をしてでも、眠るように呼吸が止まるようにしてくれたらどんなにいいだろうと思う。 

 

以前、難病にかかった女性がスイスで安楽死を迎えるまでを扱った番組があった。 

本人の精神が安定し、家族も準備ができるいい方法だと思った。 

ただし誰もが受け入れてもらえるわけでもなく、受け入れられても順番が回ってくるまでに自分の意思を伝えられなくなる可能性もあった。 

確か彼女は急いでいると訴えていたと記憶している。 

お金はお墓に入れられないし、意義のある最後のお金の使い方だと思った。 

 

 

・安楽死は必要だと思う。 

不自由な身体になり、もう早くお迎えが来てほしいとか、年中言うようになる。 

今までのことがじわじわ出来なくなるのわかっていて、生きるのは本当しんどいし、不安なんだろうと思う。最後の望みが安楽死なら、叶えてあげるのもいいのかもなと、最近強く思う。(将来の自分と思っても) 

寂しいけど、頑張って生きてきて、悲惨な最後になるくらいなら、選択できた方がいいように思う。 

 

 

 

・ALSに限らず病室で様々な管に繋がれた状態で 

何ヶ月、何年、何十年もの年月を 

他人の世話になりながら生きながらえるより 

自分で食事、排泄などが叶わない 

叶わない事で日々辛いと感じてしまう人生なら 

苦しみや痛みが少ない事が前提で 

人生を終わらせる選択肢がほしいです 

 

現代は医療の発達や 

医療従事者の懸命な努力のおかげで 

大昔では助からなかった 

病気や怪我で命を落とす事も少なくなり 

延命できるようになった 

 

素晴らしいことと裏腹に 

少子高齢化が進んでしまい 

老後、年金、様々な問題が山積みになった 

高齢者による自動車事故で 

若い命が失われることも増えてしまった 

 

病気もそうだが、ある程度高齢になり 

老後の不安、生きる方が辛い状況であれば 

人生の選択肢も必要な時代なのかもしれない 

 

 

・この件、詳しくは知らなかったけど主治医ではなかったのか。 

現行法上は合法でないことだけはわかるけど、救いだった事も確かだと思う。 

自身が同じ状況になったとしたら、どんどん動かなくなっていく体を制御できないまま、お金とマンパワーを湯水のように使って意味もなく「生きろ」と一方的に強制されるのは理不尽に死を強制されるくらい辛い事だな、と想像します。 

このまま少子高齢化が進めば(進むんだけど)、否応なく人手が枯渇していって安楽死も法整備されるのだろうと思いますが、今現在それを望む人にとっては逃げ道なしってどうなのか。 

自殺が可能な内に心が決まれば遂行できるけど、そんな人ばかりではないし…本当に難しい。 

けど、たった130万貰ったばっかりに18年の刑期は長すぎる気がする。 

健康な子供を虐待したり死なせた親がもっと早く出て来るのに…。 

 

 

・自分が客の立場だったら、動けなくなる前に身の回りの整理をして動けるギリギリのところで自ら死を選びます。昔、母親の親友が肺がんで亡くなったのですが最後の1カ月は毎日毎日お願いだから殺してほしいと懇願されてそれぐらい苦しく、亡くなった時は55歳くらいだったのですが90歳以上の老婆のようでした。断末魔の叫びのような表情のまま亡くなりました。今だともう少し苦しみを緩和できるかもしれませんが、安楽死が法律で許されていない以上は、私の場合こうなる前に自分で自殺という形で死を選ぶと思います。 

 

 

・ALSは代表的な難病です。 

徐々に身体の筋力が失われ食事が摂れなくなり経管栄養、自発呼吸が出来なくなり人口呼吸器が必要となります。最期には眼球を動かす筋力だけが残ると聞きます。 

この様な最期を迎えると知りながら生きていくことは過酷なものと思います。 

もし自分ならと考えると、終わらせる方法が今回の事件の様な方法しかなければ嘱託自殺の方法の選択をしてしまうかも知れません 

生きる選択をする方が素晴らしいし美談だが人生を終わらせる選択肢がある社会を創る必要があると思います。 

 

 

・依頼されたのが本当なら、正しい正しくないを決めるのはなかなか難しいと思う。 

 

終末期はどの位の事を指すのか詳しく知らないけれど、そうなる身体的精神的苦しさを避けたいと希望しての依頼ならば、依頼を受けるというのは助ける事になっている。自殺することが出来ないなら、人に頼むしかない。主治医が依頼出来ない人だったなら、やってくれるという人に頼むしかない。 

家族にとっては生きていて欲しいと思うでしょうが、本人の気持ちが一番大切じゃないでしょうか? 

延命治療するしないは本人の意思を示せるようですが、それが終末期というなら、それまでは苦しさを強いることになる。 

 

 

・懲役18年か....個人的にはもう少し短くてもいいのかなと思いますね。 

この人から誘った訳ではなく、お願いされたんですから。 

罪になる事くらい医師なので当然わかってますよね。ただ、治る見込みのない患者に死にたいと懇願されたら悩みますよね。 

この方を罰する事で終わらせず、この先の医療のあり方、希望する人に一定のルールを設け死を選べる時代がくるといいなと思います。 

痛みがあり夢も希望もなく自由に動くことすらできない、そんな状態で生きながらえる事の意味を考えないといけないのかなと。自分なら死を選びますね。 

 

 

・患者目線に立った医師だと思います。 

生きている事が地獄のような日々の方もいます。 

その方が救われるのは無になれる死なのだと思います。 

現行法では罪になってしまいますが、亡くなられた方はホッとしたと同時に感謝の気持ちを持ったのでは?と想像します。 

 

安楽死は確実に必要な処置だと感じます。 

自分でスイッチを押すのでもいい、ランダムで日時が決まるのでもいい。 

そして医師や看護師、家族がボタンを押させずに済む方法も必要かなと。 

 

 

・臓器提供と同様に、安楽死についても意思表示ができて認められるよう法改正して欲しいです。 

治る見込みもなく、痛みや苦しみの中で生死を選択する権利も許されないのは、自分にも家族にもつら過ぎます。 

最終的に安楽死や尊厳死の権利があれば、今はもう少し頑張ってみようと生きる選択にも積極的になれる気がします。 

医学的判断や客観的な仕組は必要ですが、多様性と言われる今の時代、ぜひ検討して欲しいです。 

 

 

・本件は余罪も大きく、事前報酬の受け取り等も考慮すると実刑判決も仕方ないとは思うけど、安楽死はやはり必要だと思う。 

自分自身も障害や持病を抱えているが、老後を思うとやはり安楽死という制度が選択できる未来の方が今を頑張れる気もする。 

生きる、という事の本質は多様だと思うので、個人的には生きた最後は安楽死を自分で選びたい、 

 

 

・決して罪に問われない(無罪)では無いと思うが、 

自殺ほう助に近い罪ではないかと個人的には思う。単純に判決は重いと感じた。 

某歌舞伎役者が犯した「自殺ほう助」は、明らかにほう助ではなく殺人罪なのにおかしな判決とも取れる。 

日本の現行法では致し方ないのだろうが、日本も尊厳死と向かい合う必要な時期に来ていると思う。 

 

 

 

・生きる尊厳。 

ある程度年を重ねて闘病が苦しくて回復が見込めないのであれば、死ぬ権利も有ってもいいと思う。 

自殺も出来ないような人の場合今回の様に誰かの手を借りなければいけない訳で、その手を貸した方は罪に取れる事は現状の日本では確実。 

それでも、手を貸したことや、それでも死にたいという気持ちは誰がどう裁けるのだろう。 

生きるよりも、苦しい死を選択した人に手を貸すことが罪に問われなけばならない事実は理解は出来ても理不尽だとも思う。 

しかもその人が医師であるという事の意味はとても重く感じる。 

 

 

・うちの母は多系統萎縮症という難病を患い発症してから6年くらいで寝たきりになりました。本人は病気が発覚したときから毎日「死にたい」と泣きじゃくっていました。現在、頭はしっかりしていて痛い・痒い・暑い・寒いも分かっていても指1本動かす事ができないししゃべる事もできない、筋肉の硬直が酷く腕が曲がらない方向に曲がっていて痛みもあるのにひたすら耐えるしかありません。口からご飯を食べられないので胃ろうから栄養や水分を入れて生かされている状態です。この状態でも死を選ぶ事ができない… 

生き地獄なんじゃないか?と思う。 

 

私だったらと想像すると…安楽死を希望したいと思う。 

 

生と死についてもっと深く考える必要があると思う。 

 

 

・人間には生きる権利もあれば、死ぬ権利もあると思うんです。 人間って絶対に生かされないとダメなんでしょうか。 

苦痛に耐えられない人が死にたい場合、方法はないのでしょうか。 

入院しても主治医が安楽死を承諾しなかったら、どんなに苦しくても、その地獄の苦痛を、息が絶えるまで耐えていないといけないのでしょうか。 

でも周囲の痛くも痒くもない人たちは生きていることが幸せであり、何より大事と言うのですよね。 

私も自分が死にたいときに死ねる自由が欲しいと思う。 

それが、睡眠薬を大量に飲むとか、飛び降り自殺とか、風呂場で手首を切るとか、そんな方法を選択しなげればならないというのは哀れ過ぎます。 

 

 

・私も医師ですが、医師であれば今回のようなことをすれば罪に問われることはわかってますし、たった130万円でそのリスクを負うとは思えない。130万円の支払いは本人の意思の確認の様なものだったのではないかと思います。裁判長はその辺はどう考えているのでしょうか。本当に利益を求めた行為であると思っているのでしょうか。 

日本において安楽死や尊厳死についての議論が必要なことは確かで、そのために実行した可能性もあるのではないかと思います。 

 

もちろん、癌になっても認知症になっても最後まで生きていたいと思う人もいると思いますので、そういった人は最後まで生きる選択をしたらいいと思います。ただ、そうでない人もいるので、安楽死や尊厳死の選択をするシステムを作るべきだと思います。すでにそのような制度を確立している国がいくつもありますから、それらを参考にすれば難しくないはずです。まずは国民全体での議論が必要ですね。 

 

 

・他国の安楽死制度、尊厳死制度を倣いよくよく検討してみて欲しい。本人が意思表示をしてからの期間が病気の種類に合わせて充分ある事、そこで思い直さない場合に限る事など、ああなるほどなと思う。 

倫理、信念などしっかりと示して今の50代が高齢になるまでには人生お終いの制度を確立して欲しい 

 

 

・人間の尊厳とか生きることの意味とか真剣に考えて生きてきた人にとって、無条件に延命させられることが是となるはずがない。 

学力が最優秀な層がもれなく医学部を受験するようになったのは、たかだかここ30年程のこと。 

日本の医療も思考停止な対処療法から脱却して、安楽死や尊厳死を踏まえた医療行為について模索すべきと思います。 

何が何でも生きながらえさせられる事が可能な医療技術の進歩と不本意に生かされてしまっている事実の乖離について、考える時期に来ていると思います。 

 

 

・法のルールを逸脱したのは勿論駄目な事なんだけど、 

十分に議論する価値がある事なのに先送りはおろか 

話し合いも進まないからこういう事が出てきたんだと思う。 

 

宗教的な物もあるのかもしれないけど、 

死を選ぶこと=ネガティブて考え方が強すぎると思うよ。 

難病だったり致死性の不治の病だったり、 

大きな苦痛を伴う生に対しての本人の意思は 

もっと尊重されるべきだと思いますよ。 

言葉の通り尊厳死として。 

生き方を選べるように死に方も選べて良いと思います。 

 

悪用されない様にしっかりとガイドラインを作ることが大前提ですが。 

生かす価値のない凶悪犯罪者に対する死刑制度の廃止なんて 

不毛な議論よりよっぽど価値がある。 

 

 

・今回の事例はまだまだ多くの余罪や疑念があるので何とも言えませんが。 

 

ただ、ALSなどの難病に自分が罹患したとして。 

家族や子供たちに迷惑をかけて、それでも頭はしっかりしている。 

自分で命を絶つような事は機能的に難しい。 

絶望的な日々を送ることは想像ができると思う。 

 

もちろんその状況になった人にしかわからない事だとは思うけど、その中で林優里さんのような選択肢があっても良いと思う。 

 

安楽死・尊厳死など今一度、社会全体が考えることは良い事だと思う。 

 

 

・親族が似たような感じで筋力が衰えていく病気にかかり、最期は50前に亡くなりました。進行するにつれて寝たきりで会話もままならない状態だったので本人の意思はわかりませんが、自分が同じ状況だったら生きることを選択しただろうかと思ってしまいました。 

無論、人間としては元気で生きていけることがいいのかなと思いますが、生きることが辛いと考えるようになってまで生きる意味はあるのだろうかとも思います。 

自殺を肯定しているわけではないですが、死にたいと思ってもそれすらできない人を生きながらえさせるのはいかがなものなのかと。 

簡単ではないですが、人間である以上最期を迎えるものであり、本人が思う最期なら安楽死という選択肢も認めてほしいと思う。 

 

 

・人の命の重さの想いは十人十色だと思う。 

難病でも生きたいと思う人、生きて居て欲しいと側に居て想える家族のケースも有れば、人様に迷惑を掛けチューブに繋がれたら状態ならその前に消えたいと思う人、看病疲れで最悪なケースになる事件…どの選択も正解で不正解とも思う人も居る。 

イコール安楽死で無く、選択出来る世の中。そしてそれを寛容出来る社会。が1番の理想的な自由だと思う。 

今回の事件では社会は許さないという判断… 

法律って誰の為の物なのでしょう… 

 

 

 

・現行法での裁判では重い判決でしょう 

ただし依頼した患者さんは、この結果を望んではいないでしょう 

一般人と医師の嘱託殺人を同等にするのも如何かと思います 

今後は、終末期では無かった患者とはいえ、このような先の生活を望めない患者のために尊厳死などの法改正が必要かと思います 

個人的には終末期では無くとも、今後の生活が見えない患者に対しては尊厳死も選択出来る法改正が必要かと思います 

 

 

・もう治らないとわかっていながらただ死を待つ事は酷だと思います。 

薬も効かず痛みで苦しみながら亡くなった方々を沢山みてきました。 

もし安楽死、尊厳死が診断によりできるようになればまだ少しでも身体を動かせる時期に自分からお世話になった方々にお礼も言えるし、残される方々も伝えたい事を生きているうちに伝える事ができ お互い少しでも心残りを少なくできるのではないだろうかとずっと思ってきました。 

ただ 安楽死、尊厳死を選べるような法律ができても必ずそれに便乗して犯罪をおこす悪い人がでてくるでしょうし 厳正なる条件を慎重に作らないといけないと思います。 

 

 

・今の法律では自分自身が死を望んでも 

無理だとは思いますが 

私は自分自身の命に自分でピリオドを付けたいと思っています。 

勿論、色んな意見も有ると思いますが 

余命宣告を伝えられたら 

私の場合、苦しみから逃れたいです。 

一切痛み無く人生にピリオドをうちたいです。 

現在、病と闘っている方もいらっしゃいますが、 

その人はその人の選択だと思ってます。 

その人達には本当に少しでも長く生きて欲しいと心から思ってます。 

 

死を軽く考えるつもりも有りませんが 

私の場合は最期位、眠る様に死にたいと思ってます。その様なピリオドをうちたいと思う人も居ると思います。 

私達みたいな考えの人にはピリオドの選択権が合っても良いと思います。 

 

今の法律ではピリオドが自分でうてないので 

私の家族、親戚では皆んなが 

延命治療をしないと決めています。 

だから後で揉め事も無い様にしてあります。 

(皆んな私と同じ意見の為です。) 

 

 

・私は緩和ケアで実際ALSの方の身の回りのお手伝いをさせて頂いた経験がありましたが、その方も毎日のように死にたい死にたいと泣いておられました。延命治療である人口呼吸器の設置に悩んでおられ生きる事の意味を考えさせられました。 

どんな形であっても家族は生きていて欲しいですが、私個人の考えですが、私が被害者と同じ立場だったら生き地獄なわけで、やはり自分の体が自由に動くうちに何とか命を絶ちたいと望むと思います。 

報酬目当てとあるが報酬金を被害者本人が、振り込んだのですから被害者自身に委託する意思があった事は間違えないと思います。 

日本での安楽死を認めて頂ける世の中になって欲しいと思います。 

 

 

・こうなることは予測できたものの、非常に残念であると言わざるを得ない。 

  

法律以前の話として、自己の生の選択はできる限り本人の選択にゆだねられるべきであり、当然選択の責任も本人に帰するべきだと思います。 

  

本人の望まざる劣悪な環境にある人物に死なれて困るのは、施政者や資本家の論理であり、家族をはじめとした本人以外の感情であると思います。 

最終的な選択権が本人にないのは倫理的ではないと思います。 

 

 

・この事件とは別として、安楽死を 

選択出来る制度はあっていいと思うので 

本気で議論して欲しい。 

先日とある映画で重度の認知症がある上に 末期ガンを患い痛み止めを投与するも痛みが取れず泣き叫ぶのを医者は痛みが効くまで待つしかないと言い、夫は2人きりになった時にふと認知症になる前の妻からどうしようもなくなったら私を助けて欲しいと言われていたことを思い出し、手にかけようとするが出来ずに妻が目を開けた状態で苦しんだまま亡くなったことを助けてあげられなかったと悔やむシーンがありました。認知症で何もわからない状態でも生きなきゃいけなくて、 

この場合、助ける=手にかけて楽にしてあげるだったと思っている夫。もう助からない愛する人が目の前にいたら、せめて苦しまないように死なせてあげたいと考えるのは当たり前な気がします。 

 

 

・これを機に、尊厳死や安楽死を認めて 

ほしいです。 

 

現代は平均寿命も長く、また治療法が 

なかった病に治療法ができてきていますが 

本人の意志を尊重するというのに 

重きを置くべきだと思います。 

 

医療に無理やり生かされているような 

状態を本人が望んでない場合もあります。 

 

そこのところをもう少し柔軟にしてくだ 

さると選択肢が増えて楽になる方がたくさん 

いると思います。 

 

 

・自分の最後は自分で決めさせてもらいたいです。 

家族に伝えなかったのは、 

尊厳死であろうが、なかろうが、 

死ぬ意志を伝えれば、家族は悲しむだろうし、 

林さんが伝えなかった事は理解できる。 

大切な家族に伝えたいけど、伝えられない。 

徐々に病気が進行して、恐怖もあった事でしょう。 

彼女の立場で考えると、八方塞がりで 

1人で辛かっただろうなと、苦しかっただろうな。 

と、胸が苦しくなります。 

尊厳死は、認められるべきと私は思います。 

 

 

・こういうことに関しては、二つの視点で考えてしまう。 

まず自分なら。自分が、もう治る見込みもない病気で、周りに迷惑をかけてしか生きられないと分かったらその時点で生きるのを辞めたい。 

 

でも、自分の家族なら?やっぱりどんな形であってもいなくなってしまうのは嫌だと思ってしまうかもしれない。たとえ意識がなくてもそのままの形で残っていてほしいと思うかも。迷惑だなんて思わない。ただそれが、家族本人の意思がどうかも考えるかなぁ…。 

だからこういうことって話しておいた方がいいのだと思う。 

 

 

・日本の法律上罪になることは間違いないけど、これこら尊厳死は認められるようになってほしい。後は死を待つだけの苦しい毎日なら、死なせてほしいと思うのは当然だと思うからです。生き地獄を味わって苦しんで死にたくない。医療費のことも考えたらこれからは尊厳死に対する法律を作ってもらいたい。 

 

 

 

・この医師の責任を問うことは、私には出来ない。 

私に置き換えた場合、 

全く体が動かせないのに意識だけは鮮明に機能する、 

瞼1つ動かせない、痒くても痛くても熱くても誰にも伝える手段がない、こんな地獄を耐えきれない。 

耐えられる人が存在するだろうか? 

以前、同様の状態の患者を家族が介護しているのを読んだ 

患者が真っ赤な顔をしているから、変だと思い熱を測ったら高熱が判明し、処置した。 

誰かが気づくまで辛いのを我慢しなければならないのだ、考えるだけで恐ろしい。 

 

国は尊厳死を認めて欲しい。 

 

 

・本人の意思があれば安楽死や尊厳死が認められるべきというのは感覚的には分かるのですが、一方で本人の意思とは何ぞやという話が議論されるべきだと思います。 

典型的には、身体的反応と頭の中での考えが相反する場合です。自分では走りたい、走れると思っていても、筋肉が疲労困憊で、呼吸や脈が上がっていると、身体的反応としては止まろうとします。安楽死や尊厳死の場合も、身体的には何らかの拒否反応がみられる可能性が高いですが、それを無視していいのかは是非が別れるでしょう。 

安楽死や尊厳死は一方通行であり、本人が試行回数を増やすことは現状では不可能です。であれば、とことんまで議論して納得しなければ、安易に導入すべきではないと私は考えます。 

 

 

・日本は安楽死や尊厳死を認めるべきだと思う。私の義理の父は、高齢と言うこともあり病院に入院した際、治療内容の選択を迫られ、ただ衰弱死を待つだけの治療をされ見ていて辛い思いをしました。 

生前に自分の意思を明確にし、安楽死や尊厳死を望むのであれば、対応することも良い事ではないかと思う。日本も、そろそろ安楽死と言う選択を検討する時期に来ていると思うのですが? 

 

 

・父親は、肝臓がんの手術は99%成功して何年か生きられるということで、手術して1週間でなくなりました。母親は、何回も心臓や大腸がんの手術をして、腸閉塞を起こし、あと一回手術してストーマをつければ、もう少し生きられるということで、これも手術して結局半年苦しんで死にました。二人共最後の私の判断が結果的に悪かったと思って後悔しています。いま、自分は70近くになって、一人暮らし。兄弟以外家族はなく、迷惑をかけずに死んでいきたいと思ってるが、ある程度の余命がわかったら、介護等を受けたくないので、安楽死などできないか考え始めている。なかなか、自殺という選択は、精神がそこまで行くか自信がない。 

 

 

・眼球の動きで文字を入力して 

会話することもできなくなっていったら自分ならどう思うかな…。 

 

生きているだけで同じ病に苦しむ人々へ希望を与えると人は言うけど 

凄く都合が良い響きに聞こえてしまいます。 

 

「やれるべきことをやり切った。思い残すことはない。」と 

本人が自覚していて自己判断ができるうちに 

選択させてあげられる未来があったっていいのではないだろうか。 

 

それでも生きていたいという人は 

そのまま天寿を全うするだろうし 

家族への負担を考えて自ら旅立ちたい、見送って欲しいと願う 

患者さんの家族を想う心も否定したくはないですね。 

 

どんな形でも生きてほしいご家族と 

負担をかけさせたくないと家族を想う 

患者さんの気持ちもまた愛の一つだと個人的には思っています。 

 

 

・この事件はもっと短い刑期でもいいと思う。数年とか。 

本人は死にたがっていたし、この状況なら多くの方が死にたいと思うと思う。 

ニュースで命は家族や社会の物と言っていたコメンテーターがいたけど、家族や社会の為に死にたい人が無理やり生かされるのはどうかと思う。命や体、人生は本人のものでいいと思う。 

もっと他の事件で刑期長くした方がいい人沢山いるけどね。 

 

 

・線維筋痛症(せんいきんつうしょう)という病気で全身疼痛に苦しんでいる43歳女性です。 意識がある時は常に全身痛く激痛になれば トイレの便座に座れない、箸が持てない、車の振動も痛く発狂しそうになる等、完全に日常生活が送れない患者さんもいる病気です。 診断後6年、生き地獄だと感じる事がとても多いです。 家族を思えば自殺の選択はできない。 でも全身激痛で悶え何十日も耐え続けるのは 頭が狂ってしまうほど苦しいです。 安楽死を認めて欲しい。 既にに安楽死が行われている国のように しっかりとした手順を踏んだうえで日本も安楽死のできる国になって欲しいです。 

 

 

・子なし夫婦です。 

持病があり、子供が出来ませんでした。 

 

子供がいる人も、別に子供に面倒を見てと強制する事は無いでしょうし、子供に迷惑をかけたくないという思いもあるでしょうけど、子供や孫がいるって、1日でも長く生きたいと思える大きな理由になると思うんですよね。 

 

未婚だったり子供がいない人は、そこが欠落していて、割と生に対する執着が無い人が多いと思います。 

そんな中で寝たきりになったら。まして、自分が家族で最後の生き残りだったら。 

死を選べるなら、少しでも意思の疎通ができる時に後見人に全てを依頼して、1日も早く家族の元に行きたいと思うだろうなと。 

誰も見舞いに来ない、会いたい人もいない、自分に長く生きていて欲しいと願ってくれる人もいない。 

そんな状態で生きながらえるなんて耐えられない。 

 

これからの日本は、確実にこのケースの割合が増えていきます。 

安楽死や尊厳死が出来るようになって欲しい。 

 

 

・死というものと向き合うことに、安楽死ありきでしか考えられない方が多いなと感じます。 

想像のつかない痛みや苦しみに対する不安に対して、安直に安楽死という答えにしがみついてる、浅はかな意見にしか感じられないんですよね。 

こういった難病と直面した場合などケースバイケースなこともあるのは承知です。 

それでも、生きることも同じだけ将来に対する不安があるでしょうに、それを乗り切って得る自分なりの人生の価値や答えにたどり着いてから、改めて安楽死というものについて考えてはいかがと私は思います。 

 

 

・日本では安楽死が認められていないため、無罪とはならないと思いますが、あおり運転で一家4人のワゴン車を停止させ、後続車の追突で死傷させた石橋和歩(かずほ)被告と同じ懲役18年は重過ぎる。日本では安楽死を認めていないことが本人や家族を苦しめているケースも多く、安楽死について議論することをタブーとせず、積極的に検討して条件により認めるべきだ。 

 

 

 

・法律が間に合っていないだけでは無いかと考えてしまう。 

現在は殺人で有っても、未来は違うことを願いたい。 

安楽死はヨーロッパで厳格なルールに基づいて選択が出来るようにしている。 

また日本のように積極的に延命治療は行わない、死因は老衰が多い。 

世論が風化しないように安楽死について議論を深め検討して欲しい。 

生きることと、苦しみながら生き続けていくことは違うと私は思っています。 

安らかな死が有っても良いのではないか、と考えています。 

 

 

・この方が起訴されている殺人系はいったんおいておいて… 

安楽死や尊厳死、色々難しいのはわかります。 

 

でも、苦しくてどうしようもなくなったら、安らかに死ねる選択肢が欲しいなとずっと思っています 

 

私は漠然と、自分がどんな死に方をするのか考えると怖くなってしまうことがあるのですが、 

幸せな終わらせ方が見えていることで、 

変な話ですが、逆に前向きに元気に生きられる気がするんです。 

単純な生きる長さではなく、健やかに生きられる時間を大事にしたい。 

 

 

・「親族らにも確認せず」とあるが、本人が本当に死を望んでいたとしても家族がストップをかける可能性が高く、それが本当に患者にとって幸せとはいえない。また「利益を求めた犯行」とあるが、1人の命を奪うプレッシャーを考えるとまったくの無報酬というのはありえず、130万円という金額も個人的には「良心的」に思える。この被告を処罰すること自体には反対しないが、今回の判決には瑕疵が多い。 

 

 

・心筋梗塞の緊急手術の最中に術中覚醒が起きて 

人工呼吸器による酸素供給の中、意識は明瞭、痛覚はある、但し身体は全く動かない経験をしました。瞼すら開いたまま、手術の準備の音を聞いていました。 

外部に「伝える」術がない事は絶望的に恐ろしいです。 

私の場合、看護師の方が覚醒に気が付き事無きを得ましたが、あのまま開胸手術になっていたらどうなっていたのか… 

ALSはこの状態が永遠に続く病。 

法律がどうあれ、私ならお金払ってでも楽にして貰いたいと思います。 

依頼した女性は感謝してると思います。 

 

 

・健康の人には分からない難病と言うのがあるのですね。 

患者であった女性は健康な人には想像も出来ない思いをしていたと思います。 

次第に崩れゆく自分の体を病に負けて息絶えるより自分の意思で決めたのだと思います。やり方は法にふれる事かもしれませんが、ひとつの治療として患者の意思で覚悟を決めて代金を支払ったのではないかと、思えます。 

とても難しい判断を裁判長は下したと思います。人的には理解出来ても、法的には認められない事案だったと思います。 

 

 

・刑法含めた法律は、我々国民が平和かつ幸せに生きるためにあるものです。 

今回の場合、患者さんは生きることが辛くなったが故に自らの死を求めたのであり、それを「法に反するから」とか「生きて欲しいから」とか言って他人が生き永らえさせようとするのは、完全なるエゴに値すると思います。当人しか分からない様々な苦痛がある以上、他人に生死を決定する権利は無いと思いますし、ましてや当人が楽になりたいと死を望んだのであれば、それを無理矢理生きさせるのは幸せに程遠くなるのでは無いでしょうか。 

法は医師の方を許さないらしいですが、法が人間のエゴに基づいた判決を下すなら、本末転倒では無いかと思います。 

 

 

・今回ほど法と自分の感情が違う判決はなかったです。 

現金を受け取ってからとかは確かに犯罪と言われるだろう 

しかし、こうもしないと叶わないなら合意での行いですよね 

ネット上でしか出会わない人達と、無料でしたくもないリスクやある事をタダでする人はいないでしょう 

本人が早く旅立ちたいと強く願ってるなら、後は身体が動くうちに自殺でもしろというのか 

普通なら誰もが生きたいだろう、でもそこまでになる精神状態は法には活かすことが難しい現実だが、他国では出来ている事から、参考にして欲しい 

 

 

・安楽死には賛成です。 

ですがこの件に関しては記事だけの内容感想にはなりますが、裁判長の言葉に納得させられるものがありました。 

130万円の振込があってからの犯行、SNSのやり取りだけ、本人や親族に確認をとっていない、2回目など。情で酌量する一線は超えているかなと思いました。 

こんな事にならない為にも、筋道がキチン整備された安楽死制度が認められる世の中になって欲しいと思っています。 

 

 

・安楽死は認めるべきです!苦しくて苦しくてもがいていても生きろはどんなに辛いことだろうと思います。私も姉がALSでした。やはり見ていても辛そうでした。姉自身が延命治療はしないでくれと言っていました。もう、亡くなりましたが最後は眠るように亡くなりました。やはり、本人自身の言ったことを尊重してあげるべきです。私も出来たら遺言書どうりにしてほしいです。残った人に迷惑はかけたくありません。この先生はテレビでも観たことがあります。とてもいい先生だった記憶があり18年は長い懲役だと感じます。残念でたまりません。 

 

 

・医師と言う職業に就いている者の行為として到底許されることではない。 

ただ、被害者の気持ちもわからないではない。 

ここは、憲法に反するとか余計なことは言わずに、罪を認めた上で情状酌量を訴えて欲しかったな。 

その上で、この裁判が今後「安楽死」についての議論に発展するような有意義なものであって欲しいと願う。 

 

 

 

・安楽死については、法律で何とかして欲しい。 

私の妻の母は乳癌から始まり色々なガンになりました。 

娘の花嫁姿が見たいと、そのためだけに辛い治療を続けていました。 

結婚式のために一時退院し無事に花嫁姿を見せられました。 

妻は次は孫を見せたいから頑張って、と母親に言ってました。 

義母も娘の前では、頑張るよ、と言ってましたが、ある時、私に、「もう無理だから娘を納得させて死なせて。」と言われた事を今でも忘れられません。治る見込みのない闘病生活ほど辛いものはないとも言っていました。 

そろそろ安楽死について真剣に考えても良いと思います。 

 

 

・私の母は脳梗塞で寝たきり状態となり、さらに言葉も話せなくなりました。 

約5年間の闘病の末息を引き取りましたが、亡くなる1週間前までは意識はハッキリしていました。 

文字盤での意思疎通をしていると「早く楽になりたい」と何度も意思表明をしていました。 

家族は少しでも長く生きて欲しい、しかし本人は耐えがたい苦痛が続くという葛藤で今思い出しても涙がこぼれます。 

これを踏まえた上で言わせてもらうと、懲役18年は重すぎると思います。 

国は安楽死や尊厳死について社会通念を捨て、再考して欲しいと思います。 

 

 

・まあ、ダメなんでしょうけどね。 

きっと本人は感謝していると思います。 

自分のタイミングで死ぬことができたんですから。 

父も同じような病気でした。 

考える頭は正常で、体だけが動かなくなっていく…家で見ることができなくなり、病院の天井しか見ることのできなかった父の最後を思うと胸が張り裂けそうです。 

当時まだ私は小さくわからなかったですが、人工呼吸器も延命もいらなかったんじゃないか、本人の気持ちを尊重してあげたんだろうか。 

考えると辛いです。 

 

 

・もしも自分なら、、同じように、薬を入れて欲しいとお願いすると思う。 

こんな事を言ったら批判があるかもしれないが、自らの意思で動いたり話したり出来ない日々は、想像を絶する毎日で、なんのために生きているのかとただ考える事になるのではないかと。。 

動けない話せないでも、せめて人の手を借りずにただ生きていられるのならいいが、多くの人の世話にならないといけないことが、なにより辛い。 

特殊な病気に関してだけでも、安楽死を認められるような法律が出来たらと思ってしまう。 

明日は我が身、自分がいつどんな状態になるかなんてわからない。子どもたちに迷惑をかけたくないし、本当にピンピンコロリが理想です。 

 

 

・生命維持をされている尊厳のない状況に苦しむ患者さんとご家族の立場にならないと分からない…苦痛だけを感じる日々がどれだけ辛いか…高額療養費が適用になったとしても人ひとりが療養の為にいつ終わるか分からない維持費に毎月高額な金額を要することが家族にとって精神も病むほどのことになろうかと思うと、日本にも尊厳死は必要に思います。綺麗事では済まない介護と医療費…この医師が1正しいとは言えませんが…もう…お願いですから食事も点滴もしないでください…と泣き泣き膝まづいてお願いをしているお年寄りの奥様を目の当たりに見たことがありました。勿論生活保護もありますが、なかなか審査も厳しい場合は途方に暮れてしまう。似た状況の方と一緒にその奥様の背中をさするしかありませんでした。 

病院そんなこと出来ないんですよ!!と、キツく奥様に言う看護師より制度に腹を立てたこともありました。 

何が良いのか本当に考えさせられます。 

 

 

・この事件は人間の尊厳と生きることのあり方を問いかけている。単なる利益のために難病患者を殺害するのは怒り以外の何物でもない。難病で必死なのは患者本人だけではなく、家族や親類も同様だ。難病にもかかわらず必死に生きる意味を求める人は多い。患者たちに判決はどう受け止められたのか。死とどう向き合うべきかという意味を含めて、事件が投げかけた波紋は大きいと思う。 

 

 

・もし自分がALSだったら 

それが進行してしまっていたら 

このお医者みたいに懇願したら望みに沿ってくれるのなら 

ほぼ間違いなく同じ選択をしてた 

安楽死という選択が正しいとは言い切れないけど 

少なくとも、病の状態や患者の意思、患者の年齢と保護者の同意 

そう言った事を考慮して安楽死の選択をできるようにしていくのも今後の選択としてあっても良いのではと感じる 

 

 

・一つの少しでも活路を見出す意味としてこの内容を題材にして映画かドラマにして世間の人たちにこの問題を訴えかけるという方法もあると思うんだ。 

まぁやるからにはちゃんと力量持った人にやって欲しいけど。 

一般人な立場ではわかりづらい問題だけど何となく正直者や真面目な 

人が報われない展開は見てて辛いだけなのは感じる。 

 

 

・こればかりは杓子定規だけでは測れない、生きるものとしての希望や尊厳が関わるので、 

確かに現行法では殺人罪の類になってしまっても、患者自身が自分の生き方だけでなく、死に方を選択することについて、今以上に議論を深めるべきだと思わざるを得ない一件として注視してました。 

 

だって、もし自分がALSに罹患したら?と考えると、いつまでも生きていきたいとどこまで思い続けられるか正直自信が持てなく、同様の人も決して少なくないというか、決して他人事ではない話だと思うんですね。 

意識は全く問題がない、 

ただ、全ての言動が叶わない、自分では意思表示できない、指一本動かせない、その体で一分一秒を天寿まで希望を失わずにいられるかどうか…。 

その局面で、どう生きていくか、死んでいくか、自分が道を決められないのは辛すぎます。 

 

せめて有効な治療法があれば、意見の方向もガラッと変わってくるのかもしれませんが…。 

 

 

・難病や重病のの場合、日本には安楽死は認められてはいないが、本人意思により、必要あれば、痛みだけを取り除く方法で、延命治療を行わない手段を選択する事は可能です。ヤフコメで書かれてるような、何も強制的に病院から胃ろうや、人工呼吸器させられる訳ではありません。 安楽死こそ、犯罪利用されるリスクは非常に高いです。 

 

 

 

・この事件は、報道されている事実を前提にすれば、当然の結果だろう。 

 

ただ、安楽死は、日本においては法制化されていない。 

過去には、同じく合法性が争われた裁判があり、「許容される要件」が判決で示されたが、結局「合法」とされた実例はないはずだ。 

 

安楽死については、きちんと議論して法制化したほうがいいように思う。 

(認めるか認めないか、認める場合はその要件) 

 

ただ注意しないといけないのは、暗黙的に安楽死を誘導する懸念があることだ。たとえば、「家族の経済的・肉体的負担が重い」などと言われれば、患者は「安楽死を選択したほうがいい」と考えてしまう場合もあるだろう。 

 

安楽死を認める場合は、「患者の自由意志をどのように確認するか」が最大のポイントになるかもしれない。 

 

 

・本当に難しい話しだと思う。どこまで本人の意思を尊重するか?これは、もう本人任せでいいと思うんです。いろんな機会に選択肢を与えて、時期が来たら意思を尊重する。それでいいかと。誰も文句言いっこなしで。そんな法整備は必要な時期に来てると思う。 

 

 

・ALS患者に対しての判決と思うと重いと思うが、他の件もあり、判決についてはなんとも言えない。 

しかし、医療行為をどこまでするべきか、考えた方がいいのではないか。 

高額療養費制度があるから高度な治療を多くの人が受けられ、安易な延命がなされているらしい。 

年金受給者だと、年金支給額が上回りいつのまにか貯金が増え、本人の生きる意思に関係なく家族がやめられないなどの話もある。 

本人の意思で尊厳死を望むなら、そういう選択肢を用意すべき。 

医療費が財政を圧迫している現状で 

ある一定の年齢なり、期間が過ぎたら高額療養は保険外適用などにしたら、事態は変わるのではないか。 

 

 

・『嘱託殺人』にて懲役18年の判決、報酬を受け取ってからの犯行、という点がクローズアップされているようだが…。 

 

彼は患者のQOLを最大限に考慮した上で依頼を受けたのではないだろうか。 

報酬を受け取ってから実行する事で、自身の罪の意識を軽くしようとしたのではないだろうか。 

 

病に苦しむ方、とくに難病…ALSは回復が見込めず、身体が動かなくなっていき呼吸筋すらも機能しなくなっていく。 

その恐怖や苦痛と戦いながら生きながらえる事が、人として幸せか。 

「残された時間でその人らしく安楽な生活を」と言うが、それは理想論であり、現実は地獄そのものという方が多いのではないだろうか。 

 

現在安楽死は認められていないために、その地獄で生かされている方は少なくない。 

健康な人…重症の疾患や怪我を患った人間には理解出来ない苦しみの中で、その地獄を彷徨う事を強要されるのは、人としての生ではないだろう。 

 

 

・難病でなくても、痛み苦しんで亡くなっていく人がいる。楽に死にたいと言う。 

そばで見ていてつらい。 

この被害者の方は苦しみなく亡くなられたと聞きます。今、この判決を哀しみをもって見ているのではと想像してしまう。 

私が被害者の家族だったなら、無罪とまでいかなくとも、情状酌量を求めます。 

 

 

・数年前にNHKが安楽死を問う番組を放送した 

日本では無理なのでスイスに行き安楽死を選んだ方をドキュメンタリーで 

最後に亡くなるまで放送した。NHKにしては進んだ一歩でした 

日本でだめなら海外にという問題は日本が逃げている証拠だと感じた 

末期の人が苦しんでいても死ぬことができないのはいかがなものかと 

疑問を呈している番組でした 

末期で数ヶ月と宣告され、100%医師も無理だということならば死ぬ権利も 

あっても良いと思う。 

末期の生きる権利と末期の死ぬ権利は同等でなければならないと思っている 

 

 

・身内にALS患者がいます。 

ALSの恐ろしいのは、意識感覚はハッキリあるのに、身体が動かなくなり呼吸が止まっていくことです。 

想像してみてください。暑さ寒さ、痛み痒み、味も匂いも感じるのに身体は動きません。それを周囲に伝えることも困難です。空腹を感じても、咀嚼嚥下はできません。痰や唾液さえ飲み込むことも吐き出すこともできません。排泄を我慢・出すことのコントロールができるのに、トイレに行く術はありません。そして、真綿で首を絞められるようにじわじわと徐々に呼吸ができなくなり、苦しみ最後を迎えるのです。 

人工呼吸気を付けても苦しみ、付けないでも苦しみ、本当に救いがありません。 

現在の司法では、本件の判決は致し方ないものと思います。が、今後このような治しようも防ぎようもない病に対する法が整備されることを願って止みません。 

どうか、人間らしく自分らしく、そして苦しみの少ない最期を迎える選択肢を。 

 

 

・この事件はすごく考えさせられました。 涙を流して「ありがとう」の最後の彼女言葉に涙がにじむです。 依頼者の生きたくない絶望の苦しみ。すべて人の介護でないと生活出来ない。食事は固形物出なくて胃からの摂取だと思う。この状態の人に楽しみもなく生きる希望があるのかと考えた。配偶者が寄り添ってくれたら違うかもしれない。いざ自分がなれば安楽死を望むと思う。彼女は死にたいと思ってなかったと介護員は言うけど言えるわけない。あの状態で自ら依頼したのは彼女で彼女の決意と本心なんだと。ALSの辛さは置き去りにされてる。 この医師がしたことは違法だけど死を選びたい患者に寄り添って来た人だったと思う。 選択に安楽死を考えます。それを許可すると乱用する医療が起こるから出来ないと思う。 この事件はこの状態で苦しんでる人を生かすのが正しいのか医療て何なのか考えさせる内容です。 

 

 

・本人の意思が最優先にされるにしても、そこに家族の理解がなければ上手くいかない。 

 

親にしてみればどんな状況でも生きていて欲しいと願うのではないか。 

本人の意思を優先させるか、延命するか。 

家族の間でも意見が割れる事が多々ある。 

 

安楽死は認めるべきだとは思うが、法の整備はよく議論せねば処置をした医師が家族に訴えられる事にもつながる。 

 

難しい選択だな。 

 

 

・この事件をきっかけに尊厳死、死ぬことの自由について考える様になった人は多いと思う 

 

もし自分が「意識はハッキリしているのに身体を動かすことが出来ず(もしくはいずれ動かなくなることが確実)、自分の生ある限り近親者に迷惑をかけ続ける」状態になった場合、よほどの富豪でもない限り精神的な拷問に近い(いや、まさに拷問か)人生を送ることになると考えるとホントに恐い 

 

病気だけじゃなく自分が事故を起こそうが事故に遭おうが、誰しもそうなる可能性を持ってる 

 

せめて本人が望んでから一定期間を過ぎても考えが変わらない場合、もしくは意思伝達が可能だった時期に残した遺言的なモノを元に、安楽死を認める法律が必要だと思う 

 

 

 

 
 

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