( 146170 ) 2024/03/06 12:24:55 2 00 ネットで先鋭化する“境界知能” 障害とは診断されない“はざま”の生きづらさ 「レッテル貼りに使われると検査や支援の検討困難に」専門家は危惧ABEMA TIMES 3/6(水) 8:10 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/05176dabae5a4e76b09c5238dd1f9eb721359a54 |
( 146173 ) 2024/03/06 12:24:55 0 00 境界知能
うまくできない、理解度が低い。こういった状況下の人にレッテル貼りとして最近使われている言葉が“境界知能”。知能指数、いわゆるIQでいう70以上85未満を指し、知的障害と平均域の間のグレーゾーンにあたる。
【映像】“境界知能”Nさんの知能検査の結果報告書
Xには「ある政党の支持者は“IQ85以下の境界知能”」「クソリプ送ってくるヤツもほとんど境界知能」「卓上トッピングにイタズラするヤツも境界知能」という声のほか、詐欺に騙される人やミスばかりの部下に対してなど、何にでも決めつける発言が問題となっている。
境界知能の人々はそもそも何に困っているのか、線引きをする必要はあるのか。『ABEMA Prime』では当事者、専門家を交えて考えた。
Nさん
フリーターのNさん(20代)は、6年前に境界知能であることが分かった。「IQの検査をやり、平均値は大体100だが、私の場合は81だった。やっぱり能力低いんだなって多少へこんだ」と振り返る。
カウンセリングも行い、会話や言葉を認知することが苦手であると判明した。「言葉の意味を知らなさすぎたり、コミュニケーションがうまくとれなかったり、指示通りに動けなかったり、物覚えが悪かったりしたため、周りからも『あいつなんかバカだね』みたいな扱いというか、仲良くしたくないと思われてしまった。日常生活を送る分には問題ないが、やっぱり生きづらい」。
Nさんの不得意なこと
Nさんの不得意なことは対人関係、コミュニケーション、先を考えて行動すること、感情のコントロール、勉強。「学生時代、人付き合いが全然うまくいかなくて、問題ばかり起こしていた。先生からも私が悪者扱いされていた」「職場や社会に出た時に周りとうまくやっていけないとか、そういったところでつまずいてしまう」と話す。
IQを診断したきっかけは「6年前に会社をクビになって、改めて自分はどういう人間なのかを知りたくなった」こと。クビになった経緯は「就労移行の支援員をやっていたが、社会人としてあってはならないことをしてしまった。例えば感情のコントロールができなかったり、話が噛み合わなかったり、物覚えが悪かったり。上司から“社会人としてありえないです。あなたがいたら迷惑です”と言われて、1年でクビになってしまった」と明かす。
一方で、「コミュニケーション以外の、例えば掃除や家の片付けは問題なくやっていける」ということだ。
境界知能であることを知れて良かったか。Nさんは「私はただの発達障害ではないと思っていた。発達障害は能力が高い人もいるが、私は言葉の意味を知らなすぎたり、人よりも動作が遅かったりする。検査をして境界知能という言葉を知れて良かった」と答えた。
境界知能の特徴
境界知能の特徴は「注意」「記憶」「言語理解」「知覚」「推論・判断」の5つの認知機能に現れる。勉強ができないとやる気がないと勘違いされたり、状況が読めずに対人関係で失敗してしまうことがある。
太田晴久氏
昭和大学・発達障害医療研究所所長の太田晴久氏は「境界知能は病名ではない」と指摘。「知的障害のカテゴリーに当てはまらないけれども、“困りごと”を抱えている人たち。コミュニケーションに限らず、作業能力など広く浅く苦手というのが特徴としてはある。気づかれにくいため、学生時代に大きな問題がなくても、仕事で複雑な作業をすることになった途端に顕在化することがある。本人も問題があると感じられず、無理して鬱状態になって、受診して初めて境界知能だと分かるのがよくあるパターンだ」と説明。
発達障害とは別物だというが、「発達障害を疑って受診し、IQ検査をすると境界知能もあったという併存するケースはよくある」と付け加えた。
境界知能の検査
境界知能の検査は、10個の基本検査をすることで5つ(全検査IQ、言語理解指標、知覚推理指標、ワーキングメモリー指標、処理速度指標)の結果を算出する「知能検査(WAIS-IV)」と「心理士など専門医による問診」で行う。
太田氏は「知的障害はIQを元に、うまくいかないこと、どのくらい社会に適応できているかということから、専門家が総合的に判断する。しかし、境界知能に診断基準はない。知的障害に当てはまらないが、IQ値がぎりぎり達しない人たちを境界知能と表現する」と述べた。
レッテル貼りは危険
太田氏は、「境界知能」という言葉は支援が受けられず困っている人へのサポートのためにあり、低学歴のようなレッテルとして使われると抵抗感が生じ検査・支援の検討が困難になると危惧する。
「ネットを見る限り非常に侮蔑的に、他人を批判するための言葉として使われてしまっている。IQ検査をして“あなたは境界知能だ”と伝えるのは非常に気を遣うし、言われた方もショックを受ける。そういう中で、患者さんや当事者から離れた場所でワードだけが使われてしまうと、偏見に繋がって必要な検査ができなかったり、本人を傷つけてしまったりする」
佐々木俊尚氏
言葉だけが一人歩きしてしまう要因として、ジャーナリストの佐々木俊尚氏は「ネットの人たちは、いかに相手が気持ち悪くなるかという罵倒用語を探している。今までは知的障害者やアスペと呼んだりしていたところに、境界知能という言葉が出てきて、これ幸いと使う層が一定数いる」と指摘する。
太田氏は「境界知能で困っている人とちゃんと接したことがないのだと思う。外来に来ている人たちは非常に苦しんで悩んで過ごしている。その人を罵倒する気持ちには通常ならないだろう。頭の中のワードと実態がずれているのが現状だと思う」とした。
(『ABEMA Prime』より)
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( 146174 ) 2024/03/06 12:24:55 0 00 ・頭いいやつもいれば、頭が良くない人もいる。 これって普通だし、個性だと思う。 ただ、仕事にしても合う合わないがある。 接客業は出来ないけど、事務職は得意だったり、単純作業は得意だったりするし、興味関心があることは覚えられるけど、興味がないことは全く覚えられない等々
なんでもかんでも支援する必要もないけど、自分を理解し、自分に合う仕事を見つけることが重要だと思う。
・無理して会社等に留まらず、ご自身の出来る範囲の仕事を見つけるのも良いと思いますよ。
会社・組織に属すると、出来て当たり前、ミスしない、遅れないといったことが求められ、もしそれが出来ないと怒られたり、周りに迷惑を掛けたりして辛いでしょうからね。
知人は鬱で会社を退職して自転車配達を始めたのですが、人生で初めて仕事が楽しいと思ったと言ってました。 無理なく自分で仕事量をコントロール出来るのも良いそうです。
・ADHDの知り合いがいる。空気読めないし3歩歩いたら注意されたことも忘れてしまう。話も結論まで長いし何が言いたいか分からない事も多々。 だが耳が良い。彼は潜水艦に乗って音を聞いているらしいがその分野では天才らしい。かなり出世していた。適正に合えば活躍できる場所って言うのはある。まぁ適正と言えば一般の人にも当てはまるから誰にでも活躍するチャンスはあるって事だな。
・この手の人たちは 昔なら一次産業や職人さんと呼ばれる 肉体は使うけど身に着けた技術で働く方へ行ったのだろうけど 現代人はスーツにネクタイ オフィスでパソコン、みたいな仕事を求めすぎなんじゃないのかな 各業界、人手不足で困っているはずなのに 生きづらい、っと不満があるなら 人には出来ない技能を、スキルを身に着けて サラリーマンとは違う生き方を探すのも一つの方法なのでは
・一般的とか平均とか普通とか。 人間社会はとかくこういった基準が用いられる。だがしかし、それはたまたま人間の中にそういう人が多かったからそうなっているだけで、それをもとに色々なことを判断しようとすること自体に無理があるように思う。 基準と比べてどうか?ではなく、その人はどういう人であるか?そちらを先に考慮すべきことだと思う。 放課後デイで働いていましたが、基準と言う線引きと、先入観がいかに無駄であるかを身をもって知りました。
・小学校の成績だって1~5まである。一律にならない。一律じゃあないから成績表をつけるわけで、成績表を個人のガンバリに限定するなら、全体の中の1~5じゃなくて、個別個人の1~5にするべきで、そうしていないのは、能力にばらつきがあるのの証左。 努力は必要だが、どうやっても1が5にならないというのも現実。 人間の能力には差があるのは認めるべきで、しかし個人の努力も認めていく、持てる能力を見つけて活用役立てる、そんな社会になれたらね。。。。
・お客様に養育手帳を持ってる方がいる。 女性ですが2人の子供を立派に育て、パート勤め(流れ作業)をこなしている。 全く普通の人です。 「苦手なことを頑張ってこなすより、出来ることで楽しく暮らす。」 そういわれてました。あまり、深刻に考えないほうが良いと思う。
・親がこれ。本当に家庭内は地獄でしたし、今も無理。理解力や共感、想像や思いやり等がかなり低くて、違う生き物と話してる気分になります。 自分の思い通りにならないとすーぐパニック起こすし、記事のように詐欺に引っかかるし、判断力等もほぼなし。金の無心はしてくるけど、与えてもとにかく使い方が下手。やりくりできてない。 他人様なら大変だねって応援できるけどさ、自分の親になると本当に存在が無理なんだよね…。自分の親と同じ年齢でも、働いてて自分の生活を維持してる方たくさんいるのにさ。
・「ケーキが切れない非行少年たち」の本に境界知能の話が出てきて、他者の話を理解できない間違って理解してしまうために犯罪や非行を犯してしまう内容があった。子供に対する虐待やネグレクト等も知能と関連していると言われています。 手足が動かない身体障害者と同じで、その部位が頭脳である違いがあるだけなのでしょう。ただ、身体障害は外見で分かるが、境界知能は見た目では分からない事と本人のプライドのためにフォローする事が非常に難しい。行政が全員にIQテストを行って境界知能の方にフォローするのが良いのだろうが、人権問題もあり非常に難しい。
・今はどうか知らないけど、昔は小学校や中学校で知能テストがあって、自分の知能を本人、保護者、先生が把握していたけど今はどうなっているんだろうか? 先日も境界知能の女性が出産した子どもを公園に埋めて裁判にかけられていたけど、境界知能を本人や周りが正しく把握して進路を考えていたら、こんな悲劇は起きなかったと思う。 もっとも、境界知能で入学できる大学(芦屋大学)がある事実には一番驚いたけど。
・数年前に新卒で入社し私の部署に配属された社員がまさに境界知能だったんではないかと思います。 人の言葉に対する理解力が乏しく得意先から「日本語が通じる営業を寄こしてくれ」とクレームが入るなどあまりのひどさに怒った上司が「人事の採用ミスだ」と配置転換を求め内勤部署に異動になりました。 今まで認識されていなかった境界知能障害が広く認識されることでこういったミスマッチを防げるとしたら本人にとってもいいことだと思います。
・ドイツみたいに、中学生くらいからあなたはこういうことがむいているのでは? とカウンセリングする仕組み(マイスター制度など)があるほうが実は幸せなんじゃ無いかと思うことが増えました。
親のエゴで自営業継がされる友も可哀想だと思うことが多かったが、一方で向いているかどうか分からない仕事に就いて無能扱いされる人もそれなりにいる事があるのも事実。 (もう少し本当の事を言うと、そういう偏ったスキルの人(多分ギフトを授かった方)をどう見極めるかの力が上司や教師に求められる時代だと思う。)
親が普通の子に育てたい、という思いから、我が子の障害発見が遅れる事も、本当に気の毒だとおもう。
・美容師です 1年前に入ってきたパートさんがこの状態です アシスタントとして入社した彼女は元美容師なのにシャンプーもカラーもできません シャンプーは基本中の基本 しかしお客様からは痛いとクレームがでる カラー剤を作るのに10分以上かかり塗布したあとうまく染まらずやり直し プライドは高く注意すると逆ギレ 親の経営する美容院をつぶしてしまったというのは本当だった どうにもならない日々です 適材適所…彼女にはあるのか探していますが見つかりません 正直周りにいる人間の方がつらいです
・苦手だけど多少の努力で克服できる事、好きだけど能力や壁が高く無理な事、選択肢も色々とあると思う。英語堪能だが永遠の憧れで未だにCAになりたかったと言ってる知人がいるが、ホスピタリティ力は欠落しているから実務は側から見ても厳しいと感じる。別の友人は紆余曲折あったが、自分の好きな事に進み海外で職人に。時間に追われるけど全く苦にならないとか。自分に合った環境を手繰り寄せ居場所を見つける人生の旅みたいでも良いんじゃないかと思う。日本は転職回数で選考もしがちだったが、今はどこも人手不足でタイミングによってはチャンスだと実感もしている。実際、大半の人がグレーゾーンにあたるそう。自身含めそのグレーな部分がどこに出るかは個人差があるように思う。だから境界知能じゃないかと指摘している者もどこか思いあたる節が他人から見れば必ずあるはず。
・100均のレジで並んでいたら、店員に3~5個の買い物なのに「○○円になります」と言われてから初めて財布を開ける女性が多いです。あれに理解出来ません。合計金額分かってんだから最初からお金用意しとくもんですよね。 3個買ったんなら330円以上のお金を財布から出して用意しておくもんですよ。
・うちの子 IQ60で発達障害です。 上の子に比べると心の成長はすごくスローです。 でも踊ったり歌ったりすることがすごく好きで、そこを伸ばしてあげれば他に良い影響もあるかなと見ています。 昨年、ある科学館の体験が子どもの理解度が低いことで受付で断られました。ひらがなの注意書きが読めなかったんです。 そのことは本人にとってショックだったけども、受付のお姉さんの言葉を理解できるようになればあの体験ができるようになるよと励まし続けて、今は音読して理解できるようになりました。 もう少しだと思います。本人の頑張りに涙しそうになることもあります。どこかで腹を据え困難に立ち向かうことは必要なんですよね。
・少なくとも学生時代に周りとうまくいかなかった経験があるなら、社会に出てうまくいくと考えにくい。無理に周りに合わせようとしても難しいし、周りに理解を求めようとするのも無理。 世の中仕事マシーンばかりじゃないんだし、人それぞれ個性があると思えば、診断上の境界知能だろうが発達障害だろうが、人並みに働く場所がなくても自分に合う居場所を探せたらいいと思う。
・雇う方も今は余裕もないだろうしいちいちこの人はこういう個性だからこういう仕事を頼もう多くは求めずできることをやってもらおう とはならないのでしょうね、もちろん他の社員を抱えてるわけですから皆に給料払って業績上げて生き残っていかないといけないわけでたった一人の生きづらさに付き合っていられないというのが真実かと思います 無理なら自分から辞して自分に合ったものを探すというのも大事かもしれませんね、みんなできることできないことはあるそれに合わせて働き先を選んでいるのだから同じことでは?やりたいこととできることは違うと思うし全ての人の望みの叶う世界なんてないのが現実
・生きづらい世の中になったってことだと思う。いろんな意味で予定通りには行動できない人はすぐはじかないといけない、余裕がない世の中になっている。でもそういう人をただはじいていたら、世の中回らなくなるくらい人が足りないのも現実なので、国が国家プロジェクトとして、そうであってもはじかれずに、お互い気持ちよく働けるにはどうすればよいか研究し、対策しないと他は誰も出来ないと思う。教育全体からの見直しを願っています。
・お掃除などは問題なくできると話されているのでそういう仕事に就くことは可能だと思います。また時間内で終わらせる事を意識出来るのなら共同作業より1人でできる仕事の方が気持ちも楽かもしれませんね。適材適所をよく考慮して選べばきっと道は開けると思います。
・自分も対話能力が低く、定職に就けない時期を経験したが 一人で作業できる事務系のスキルを磨き、事務系の仕事を請け負った結果 頼られる存在となり、自信がついたことで対話能力も改善した。 自分の適性とそれを活かす環境づくりが大事だと思うね。
・今の若者の頭の中は分からないが、知能指数が低い人は一定数いると思う。 しかし、人間が生きていく時に最低限の事が出来れば良い。 何も、IT関係の会社に勤めたり、ホワイトカラーにならなくとも良いと思う。 身体を使う仕事でやれることは多い。介護職、農林水産、建設土木など。 それに、子供の時に友達同士でいっぱい外で遊んだりして、ケガした時などから、どうすれば大けがしないかという事を学ぶ。運動して多くの刺激を受ければ頭脳も鍛えられる。
・職人でも店主でも事業主でも、今どき求められるのは「社長さん」としてのマネジメント能力。 こうなると、人に雇われる方が遥かにリスクは少なく、障害者を含む多様な人材に対して柔軟。労働環境も収入も安定する。
これは国を挙げて、被雇用者の保護を大々的に推し進めてきた成果です。
その反面、中小零細や個人事業主が属する職域は強烈な過当競争にずっと曝されていて、選ばれたプロ以外は居残るのが難しくなっている。 職人が闊歩する「流行職種」も、虚業を操る頭脳戦の様相が強い。 そういう社会に変わったという事だね。
・もう前期高齢者に近くなって来た最近、自分はアスペルガーではないかと考え出した。 何かを覚える為に机の前にじっと座って考えたり勉強する事が昔から苦手であったしマニュアル通りにする事もダメで実際に目で見て手を使ってすれば大体何でも出来て来た。 だから資格などは殆ど持ってはいない、だが家族を持ち子供達4人はそれぞれ家族を持ち独立している。 これも個性だから知能の大小はあまり気にしないで自分の個性を活かし、周りもその人の良い所を取り上げてあげる様にすれば下手な落ちこぼれや引き篭もりも少しは減るのではないかと思ってしまう。 みんな頑張れ
・この問題にしても、貧困にしても、 実は境界線の少し上にいる人たちがいちばん辛いのだろうな。 知的障害ではないグループに分類されて、なんの援助もなく自分より知的レベルの高い人達との競争を強要される。 貧困も同じ。自分と同じグループにいるのは自分より富める者のみ。でも貧困じゃないからなんの援助もない。 でも、どこかで線引きは必要なわけで。 難しい問題ではあると思う
・私はIQ117~125とテストで出たADHDとASDの診断が出ている者です。 特にADHDもASDも診断出ないけど知能が低い人って、周りが見えず他者の立場を理解しようとせず、会話するだけで厄介な印象なんですが、彼らには彼らの適性があり、仕事が合えば私なんかよりよっぽど優秀に働ける事を知っています。 友だちにはなれないけど、リスペクトします。
適切な仕事に就く為には、その人の特性をハッキリさせる事は重要だと思うのですが、知能指数やら発達障害やら関係なくどのタイプの人でも、『自分を客観視して他者の立場を理解しようとする姿勢』が出来ている人が少な過ぎる。
将来的にはIQなんて古い指標は扱い方を見直して、もっと細かく適性を見出せる有用な指標が一般化する事を願います。 人類は発展途上で、まだまだ未熟な種族と感じます。
・こういうのは差別ではなくて、区別しないといけない時代だと思う。 働き方改革もあって皆がホワイトワーカーになりたいのは解かるけど、情報化社会の現代では、限られた時間でものすごい量の仕事をものすごいスピードで処理しないといけない。DX化等で日々の変化のスピードにもついていかなくてはならない。楽そうだと思われているいわゆる「事務員さん」という人も存在できない時代。
知能レベルを測るのはお互いの為に必要な事だと思う。 適材適所で働くのは世の中のためにも大切な事だと思う。 それは人間の優劣ではないから問題ではないと思うんです。
現在進行形で明らかに低めな部下に苦しんでいる身からすると、区別は切に願います。
・社会が高度化した事で、今までは一般社会の下の方になんとかまぎれる事が出来た人が発達障害や境界知能という認定をされ、溢れてしまっているわけか、、存在割合を考えたら、障害年金や生活保護での支援は難しいだろう。かといって今の何も彼らに配慮しない体制ではこれからもどんどん彼らは居場所をなくしてしまう。もっともっと障害者枠の適応範囲を増やして、適正労働適正賃金を目指すのがベストなのかもしれないが、彼らは今までずっと普通の人として生きてきたわけで、十分すぎる負担はしてきたはずなのだから自尊心にも配慮する必要があり、そこのところの折り合いをどうつけるかも考えないといけない。なんとも難しい。そもそも論だが、彼らのような人でも日本特有の神経質すぎる仕事への要求や無駄に複雑な人間関係さえなければ十分な生産性を発揮できると思うのだが。なんとなく、改善すべきは日本特有の労働環境の「おかしさ」にある気がする。
・仕事は1人で完結することはほぼほぼありません。
否が応でも自分以外の誰かと一緒にすることになりますので 相手の能力、得意、不得意をある程度、許容し 最大限に相手が仕事しやすいように仕事を切り出したり 教育を施して一緒に仕事を進められるようにしていくことが必要だと考えます。
あまり、相手に攻撃的な態度を取って自信を喪失させてしまったりヤル気をなくしてしまっても自分の首を絞めるだけになります。
そう簡単に代わりの人が補充されたりするわけではないです。 得意なところで頑張ってもらい不得意の箇所はフォローして平均的に頑張っていただくしかないと思います。 オールマイティ完璧が理想ですがそう完璧な人はそうそういるわけではないと感じています。
・個性と捉えて適材適所にはまれば良いかと思います。会社に人事制度だけではわからないこともたくさんあります。本人が気がつかないところで良い活躍を見せる場合もあります。境界ではない私ですが、8回の転職で多くの役割を経験させていただき、やっとはまる会社・役割が見つかりました。
・今の職場はマルチスキルを持つ多能工が求められることが多いので、これまで単能工の求人で吸収されてきた人材にとっては住みにくくなってるのがあると思うね。 本来は肉体労働や工場、1次産業なんかの中でも単純な作業に携わるべき人がサービス業やサラリーマンをやろうとすれば、能力不足が露呈するのは致し方ない。 マルチスキルが出来る人にとってシングルスキルの人が業務上、排除したい存在にならざるを得ないのはごく自然な反応だ。 こう言う人らは身体に体力をつけて長く続けられる単純労働に従事すべきだが、昨今の状況として単能工なのに体力や気力がないって人が結構多い。 本来粘り強く一つのことに従事すべき人に肝心の体力がないってのは致命的。 この問題の打開には知能に偏りがある人が無理に現代社会に合わせるのではなく、習得分野で無理なく従事できる仕事を選ぶことしかないと思う。 要は今外国人がやってる仕事をしろってこと。
・障害とは言えないが明らかに理解力に劣る人は会社にも時々いる。問題はそういう人は自分では普通の人だと思っていたり、自分の個性が大事であり理解力が足りないことは程度の問題や学歴の問題であり、能力の問題ではないと思っていたりすることだろう。どういう症状として出るのかはケースバイケースだろうが、過去に会社で、何度言っても同じ間違いをする、「それってこういうことですよね」と理解した振りをするが全然間違っていたりする、ある程度の年齢なのに仕事や経験の積み上げが全く感じられず、常に初心者のような行動などなど。本人もある程度の年齢になるとできる社会人とみられたいのか、デキるふりで取り繕う人間もいて(言い訳や筋の通らない理屈が増える)、周囲の人間は結構迷惑するし、結果的には疎んがられるようになる。そういう人でも日常会話は問題ないだけに根が深い。
・確かに勉強できる人が日本を代表する企業に勤めて活躍する傾向はありますが、そういう方に普段関わっても面白くはないかな。それよりも、自由な目線で自分なりの判断で人と関わり仕事を生み出せる構造を作り、生活が成り立つ様に取り組んでいけると良いのかと思いますが。弱者と判断する構造に非合理性が含まれている事も一理あるかと。
・昔から一定数はいたのだろうが、年上が飲みに誘ったり周りが面倒を見ているうちに段々と社会に順応していった。 あるいは会社等の組織でも得手不得手を織り込んで働く場を提供できた。 それが年功序列を疑問視されるようになり、何とかハラスメントが叫ばれるから周りも距離も取るようになり・・。
当然、当人の得手など把握できる訳もなく、当人は当人で何が問題で社会に順応しづらいのかすら気付く事もない。 内に籠るようになるから更に悪循環。 結果、「周りがおかしい」としか思わなくなるだけ。
・私はベーシックインカムがあるべきだと思います。例えば自然界には循環があります。木々は光を浴び、どんどん葉っぱや果実を作ります。葉っぱは地に落ちると微生物のエサになり土に栄養を与え草や虫を育てます。果実は鳥や動物が食べ種を運んでいきます。木が枯れても土に戻り、そこに運ばれてきた種が育ちまた大きくなります。 生み出す者がどんどん与え、消費する者がどんどん消費していく、そのエネルギーの流れが自然の豊かさを産むのです。 ところが今の会社や国は、土から栄養を取っても大きくなるだけで何も出さない木みたいになってる。取って貯め込むだけなのです。これでは木の周りは痩せるだけです。取ったら葉っぱや果実を作り与えて行かないと繁栄しない。だからベーシックインカムを与え消費者を養う必要があります。消費も今は大変な労働です。毎日の買い物や料理。それが無償ではダメなんです。皆が生きるため消費労働にも対価が必要です。
・特性を理解して配置する必要はあるが、手帳を持っていても業務によっては一般の人と変わらない働きができる方もいる。 能力が同程度だとしたら手帳を持っている方の方が障害者雇用枠でカウントできるから企業的には助かるというのが本音。
・うちの子は授業中落ち着きがなく、すぐに手が出てしまうのでスクールカウンセリングを受けた後に学校でウィスクを受けるように手配してもらった。その結果、境界と分かった。週1回通級して落ち着いて授業が受けれるように先生と1対1で眼球運動の練習をしたり暗記ゲームをしたりして約2年通ってだいぶ落ち着いてきてるようだ。でもグレーだからか、集中すると周りがあまり見えないようで高学年なのにすぐ転んだり、木などにぶつかったりなどでしょっちゅう怪我をして帰ってくる
・知人に、些細な事で怒り出すのでめんどくさいな、と思っていた人がいるのですが、どうやら気質にグレーな部分があるようで、そう思ってからは気楽に流せるようになりました。なので、この記事ではレッテル貼りに対する苦言が述べられていますが、そのレッテル貼りが周囲の者の心の安定に役立つこともあるとは思います。
・そんなの無理に治さなくてもそういう人にも適した仕事や生活の送り方というものがあるだろう。 何も出来ないわけではないのだから苦手なことを治すよりも出来ることを伸ばす方がいいのでは? この方の場合 コミュニケーションが苦手だと言うことだから一人で黙々とやる仕事とか。それでも人との関わりを全くのゼロにはできないだろうけど 現状を考えれば格段に改善できると思うけどね。 それで本人が幸せかどうかはまた別問題だが。 悲しいかな「根治」は非常に難しいだろう。
・人それぞれ適性はあるから、はざまと決めつけるのもどうかと思うが…その行動が無理なら無理で区別して個々が対応すれば良い。 九九が理解できないなら陸送ドライバーとか経理以外の仕事につけば良いし、何でもかんでも下の水準に合わせても仕方ないでしょう。 会社だって雇用した以上はその水準で行動してもらわないと困るだろうし。 自分の経験上、塗装や内装業、溶接、歯科医師などの手先の仕事をするには最低限の素養がないとダメなやつにいくら教えても無理だと思うけど、大概の物は訓練でなんとかなる。
・IQといっても、普通に言うのは総合指数で、能力分野によっては高かったり低かったりするのではないか? ちょうど、学業成績とスポーツ機能が同じでないように。 自分の能力のどのような機能が人より優れていて、どのような機能が人より劣っているかを知ることは重要と思う。 人により仕事が向き不向きがあるといわれるが、そういうことを経験的に言っているのだと思う。 一つ言えることはA分野が駄目でもB分野が人よりできることがあること。 もう一つは、できない分野でもやり方を工夫したり、時間をかければできることが多いことである。 通常人のペースでやればできないことも、自分のペースですればできる。また、習熟する(馴れる)ことにより、できない分野も普通にできるようになることである。 自分のペースで、できるような方法でやるという柔軟な考え方が大切と思う。
・グレーゾーンの人には申し訳ないが普通の仕事は制限されると思う。普通に仕事ができる人がいるから会社の運営が成り立つのであって、グレーゾーンの人は悪気がなくても、仕事が円滑に進まない原因になってしまうことが多い。なら出来る範囲の部署に異動や単純な仕事を任せたら給与面もそれなりのものになるし、普通の生活とか家庭を持つには厳しい境遇となる場合も多い。 たがこれは仕方ないと思う。仕事なんだから
・片付けはできるということで整理収納アドバイザーをとって、 断捨離のカリスマを目指すのもありかもしれない。
断捨離本を読んでいると、
夫と息子が今現在使っている電化製品のコードを、 「これ捨てたらスッキリする」と思って捨てたら怒られたが、なにが悪かったかわからない。
みたいなエピソードが載っていたりする。 そんな人が本を出せる業界なので活躍できる気がする。
・申し訳ないけど、普通と言われる部分とズレてると差別をされる。 私は普通のつもりだけど何故か周りから怖がられることが多い。 嫌いな上司から高圧的になられると徹底的にやり返さないと気が済まない! 好きな上司、部下からだと何も気にしないし頭に来ない。 その落差が激しく異常に見えるらしい…
危害だけは加えないように気をつけてますが、まずは人とかなり違うと認識する事が非常に大事だと感じてます。
・この件については昔からあってネーミングが後になって出来たパターンね。
私もどこまで出来るのか分からないけど、確かに私的なことなら合わせられ ても仕事となるとこのような方とコンビ・グループとか組むと困るというの は確かにあるのは残念だけど事実ね。
他の方はかわいそうだからとか出来ない人はどうするのですかと言われるけど その分周りとかある特定の人に仕事が集中してこの方が潰れてしまって、結局 雇い主が困るという悪循環。
人間なんだからと言われたらそこまでだけど、人間である以上は永遠のテーマ なんでしょうね。
・時と場合に応じてどこかで線引きが必要なのかもしれないけど,そこからこぼれ落ちた人にも良いところはある。 自分自身はこぼれ落ちない側だと思っているけど,尺度を変えればそうじゃないかもしれない。 なんでも科学的に明らかにする事が人の生活にとって良いことなのかな。
・記憶力がいい人、地頭がいい人、考える能力にたけている人、体力がある人、重いものが持てる人、コミュニケーションが上手な人・・・ 自分にどの能力があるか判断することって難しいですよね。私も今の仕事が合っているか分かっていません。その業界ではお荷物になったとしても、他の仕事ならエキスパートになれることもある。本当に難しい問題ですよね。
・社会は厳しいということ。能力なければ稼げないし、能力あっても時代や景気により弾かれてしまうし、だから、最低限の一般常識とコミュニケーション能力は身につけて社会に出てこないとならない。 以前の人は身の程を知っている人が結構いたし、自分が無理だと思えば別の道を自ら模索し自ら切り開くしか術がなかったから、学がなければ3kと呼ばれるきつい仕事についたり、身の程ということをよく言っていたし、考えていたように感じます。どの道でも1番になる事は素晴らしく、今の時代ネットで知ろうと思えばいくら出も知ることができるし、支援もあります。 働けるのは当たり前ではない事も、知る必要があると感じます。
・何でも向き不向きがある。 ゆっくり探せば良い。特に若い人。 自分に無理して、自分には不向きな職場にいて苦労苦痛ならば、自分に向いた仕事探すのが良い気がする。職場を変えたら給料減ったり大変かもしれないが、仕事を続けていく為には必要だと思う。
・この人だったら家事は上手くできるみたいだから、例えば清掃員の仕事に就いてたらそんなに叱責されたりしなかったと思うけど、そういう仕事はしたくないんだろうな。
社会が豊かになって選択肢が増えた結果、自分の能力や適正に合った仕事ではなく、みんながホワイトカラーの仕事に就こうとしてこういう弊害が起きてる気がする。
「複雑な仕事はできない、でもきつい単純労働はしたくない」っていう人は多いと思う。昔はそういう層が、Fラン大学に行ったりせずに現実を受け入れて真面目に働いていたから社会が上手く回っていたんだろうな、とも思う。
現実を受け入れた上で、じゃあ自分はどうやって生きるかを考えたらある程度の幸せを感じられるけど、SNSでキラキラ投稿を見て現実を受け入れられず恨みを募らせてる人がたくさんいそう。
・この問題は発達障害と同様に、近年の問題でしょうね。数十年前までは小学生時代にIQテストを施行して、低い値の生徒の親に報告して、このまま普通クラスか複式学級に移るかを話し合うのが目的だったと聞いてますが、そのテストがなくなりましたから、この知能境界だろう生徒が複式学級の方がベターだと思っても、親がIQテストを受けさせて、話し合いまでいかないパターンが増えているのだと思うのです。 被害者はそうした生徒本人でしょうが、今や学校、教師に強い権限などありませんからね。
・難聴だけど、超頭のイイ方と一緒に仕事していた経験があります。 超アタマがイイのに、そこに耳が聞こえないから、クチの動きで(遠くの)相手の言っている事を読み取ってしまうので、超あたまがイイと思い、凄く仲良くしていました♪(ズルいなぁと思うのは、都合が悪いときは、アタマが悪いフリをすることですw)
外見やら、1つの事象だけで判断するのは、 (可哀想の前に)勿体ないですよ。
・知能は正規分布だから頭が良い人、悪い人がいるのが普通です。問題は社会のニーズや自身の要求とのミスマッチです。昔は電気も車もパソコンもなかったから頭の良し悪しに関わらず人一人が生み出せる価値(農業だと耕せる土地の面積)は多くは違わなかった。しかし現代は多面的な情報が処理できてpcでマクロが組めるくらいの能力があれば場合によって100倍以上の仕事が処理できる。当然社会はそのような人材を求めるし、また境界知能の人も家も欲しいしディズニーランドにも行きたいからそのような能力のある人を基準に考えてしまう。このような状況が境界知能の人の生きづらさの原因と思う。昔に戻れればいいがそれも難しいし、普通の知能の私では解決方法を見つけられない。
・仕事は自分のためではなく他人のためにするもの。小さい頃の母親の手伝いをしてお小遣い貰うことから始まり、学校で意味のないルール(校則)を守ることも他者の要求に従う訓練、会社にも会社のルールや要望(仕事スキル)があり、その要望の対価として給与を支給される。その要望に満たない人は対価を支払われないのは当然であり、理由の如何は問われるべきではない。
・製造業をやっていると、頭の良い人が良い社員というわけではない、というのを感じることもある。 例えば頭の切れる人間が工場で働くと、生産をもっと効率化する案を見つけたり、上司や先輩に色々なアイデアを発信できる。 しかし、意見が通らないと愚直にやっている人を小馬鹿にしてしまう傾向があったりもする。 自分が信じる、効率の良い仕事の進め方でないとやる気が起きず、口は動くが手が動かない…なんてこともある。 地味な仕事を延々と行い、いい加減飽きるまでやったときに、これはこういうものなんだと掴んだポイントが非常に重要だったりする。 野球選手だって、○○キロのボールをバットのこの部分にあてて、○○の角度でスイングすればいい、と言ったところで、実際にやってみろと言って出来るもんでもない。 プロ選手でさえ何万本も試して掴んでいくと思う。 あくまで製造の仕事現場での、ひとつの例え話しですが。
・適材適所と云う言葉がありますが人間社会も同じでしょう。 船頭多くて山登る、と、云う諺もある通りに人の迷惑を掛けないのが大切だと思います。 レベルが低いのに開き直ったり後ろ向いては駄目、レベルが高過ぎて傲慢になっても駄目ですが今の時代は助けてあげる時間が余裕が枯渇化している様に思う、…頭を垂れる稲穂かなとは仲々行かないのが現状かと。 世の中、十人十色です譬へは悪いがパズルみたいなものです必ずどの人にも当てはまる所がありますチャンスはどの人にも一様に巡って来ます、その時のために力を発揮できる様に日頃から訓練しておきたいものです。 支え合うバランスが大事かなと思います。
イジメをも連想させる案件ですね
・昭和の頃は単純作業というものがあって、一日中同じことをずっとやる作業というものがあった 機械化や自動化によって単純作業がどんどんなくなっていった 今は自動化の反動で現場の作業が複雑になってきていて、複雑な作業をIT化による効率化をしなければいけない ただ日本ではIT化が不十分で、IT化で仕事を奪われることを怖れる管理部門が効率化を邪魔している
IT化はIQの高い人が仕組みを作ると効率的なのに、IT化ができないのはIQの高い人が空気を読まないとか和を乱す存在として排除される 平均的な人間ばかりが集まっているがゆえにどんどん内向きになっていき、結果として多様性と真逆の方向に向かっている
・確認しようとするとプライバシーや人格権の侵害で雇う側が批判される。 特別に扱おうとすると差別と雇う側が批判される。 他の一般的な人と同様に扱うと非情であると雇う側が批判される。 その上作業上の不都合はすべて周囲が無償でカバーしないと批判される。 さらに待遇は一般的な人以上にしないと雇う側が批判される。
これでどうしようというのだろうか。
・製造業、いくら一生懸命やっていてもスピードが上がらない子がいる。 朝礼にて、先輩からの説明で、その時は内容を納得する。 少し時間が経つと、再度聞きにくる。 先輩も手を止めて、丁寧に教える。 それが1日に何回も繰り返される。 先輩の作業は止まり、生産が上がらない。 この品物はどれくらいで終わる?と聞くと、あと数時間でと言う。 あと数時間から、必ず半日以上かかる。 当然会社としては赤字。やる気が有るのか無いのか。 その子に強く言えば、パワハラ? 4年経ちスピードは若干上がったけど、先輩への質問は変わらない。
・なんでも、日本は、個人を無理して平均化しようとする教育社会。全部平均的に出来なくても、なにか少しでも得意なことを武器にできるような教育なり、周囲の応援だったりがあれば、本人も楽しく成長でき、社会の役に立つことが増えると思う。あと、仕事があまり出来ない人はなぜか周囲から愛されたり、可愛がられたりする人が多い気がする。みんなで楽しく暮らそうよ。
・なんでも、日本は、個人を無理して平均化しようとする教育社会。全部平均的に出来なくても、なにか少しでも得意なことを武器にできるような教育なり、周囲の応援だったりがあれば、本人も楽しく成長でき、社会の役に立つことが増えると思う。あと、仕事があまり出来ない人はなぜか周囲から愛されたり、可愛がられたりする人が多い気がする。みんなで楽しく暮らそうよ。
・新卒で入った会社、初日、机の引き出しにそろばんが用意されていました。 40年前です。 当時は、そろばんの出来る子=頭の良い子でした。 実際、そろばんは得意でも仕事や日常生活には関係ないないなぁ、活かされない人もいるなぁというのが実感です。 同様に、知能指数だけでその人の値打ちが決まるわけではないと思います。
・難しい問題だけど、企業が責任を持って採用とかも違うと思うが。企業は利益を上げるために人を雇うがそれをできないものには解雇を言い渡すのは当然だし。本来は国が面倒を見るべきだろうけど、それも厳しいしね。
・少しスレとはずれますが、我が社には統合失調症と何かを発症してしまった社員がいます。 若い頃に他社の協力会社にて面識があった人でしたが、会長の父親を頼ってやってきました。昔はハキハキとした人でみんなに可愛がられておりましたが、薬の副作用か昼間にボーっとしてたり、いい時と悪い時の差が激しいです。 病気のせいか、お金の管理が全く出来なくなっていて、人の良さから騙されて借金をしたり、それを返却する為に親戚やカード会社などに借りて、おまけにその当時の会社が社会保険に入っていなくて、発症時には国民年金も支払っていない為に、障害年金ももらえない状況です。 とりあえず自己破産をするのにも弁護士費用も貯められないとのことなので、月々天引きをしてやっと弁護士費用も払えたところです。 真面目な人なので、私が会社をやってる間は面倒を見てやれるけど、私が引く時には生活保護等の手続きをしてやらなければなと。
・単純に、労働生産性を考えれば、
人間はAIやロボットよりも圧倒的に劣る。
そして、 人間だけが可能であった特殊なパフォーマンスの領域が狭まりつつある。
人間がほとんど働かない時代が来る。
未来を見据えれば、 知能が低いか高いかの問題はあまり意味を成さなくなるだろう。
・記事にもあるように境界知能というのは状態を表す単語というだけで、他に意味はありません。 差別的な表現として、相手を貶めるために過剰に意味を含めて使ってしまう人達の方が問題です。
記事を読んで、仕事にもよりますが境界知能ぐらいであれば相手に合わせてコミュニケーションをを取れば良いと思いますが、意図的にレッテル張りをしてコミュニティから排除しようとする風潮が、今の社会の閉塞感を表しているとも思います。
・経済的な問題において、支援が必要と認められないギリギリの貧困状態が辛いのと同じく、それを自助で解決するのも容易ではない。でも、この様な平均より劣る「能力が偏る」人には、なにか人生をガイドしてあげる仕組みがあれば良いと思う。
・当たり前の言葉を知らないなど国語力不足が、知性の足を引っ張っていることもあるよ。小学生の国語からやり直すと良いけど、一人でやるのは難しいから、くもんの国語などやってみたら効果あると思うよ
・情報処理社会になっていくことで並列思考が求められるようになっていると思う。今まで障害として見てこなかった人を障害扱いするもの難しい。適材適所だとは思うけど、がむしゃらに生きていくしかないかな。人に影響されないように情報のアンテナを仕事一方向にして、やってます。
・もうブルーカラーかホワイトカラーの2極でもないし、これまでのように平均点が高いから有能と思われる時代ではないだろう。逆に、個体差を共有し、適材適所に振り分けられ、その各分野でちゃんとご飯が食えて行く社会が理想だと思う。ごますり人事でブリジットジョブみたいな連中が一番の障害なんだけどね。
・情報処理社会になっていくことで並列思考が求められるようになっていると思う。今まで障害として見てこなかった人を障害扱いするもの難しい。適材適所だとは思うけど、がむしゃらに生きていくしかないかな。人に影響されないように情報のアンテナを仕事一方向にして、やってます。
・もうブルーカラーかホワイトカラーの2極でもないし、これまでのように平均点が高いから有能と思われる時代ではないだろう。逆に、個体差を共有し、適材適所に振り分けられ、その各分野でちゃんとご飯が食えて行く社会が理想だと思う。ごますり人事でブリジットジョブみたいな連中が一番の障害なんだけどね。
・昔はこういうオフィスワーカーとして難がある人は 中卒で農業とか林業、ガテン系などの仕事についていたのが 今は高校はおろか大学までもが全入時代で、逆に辛い思いをしてるのでは。 上手く自分に向く仕事を探し出す努力はしないとだろうね
・若いうちになるべく色んな業種で働いてみて自分の向き不向きを知っておくことも大事かなと思います。 自分に最適な道を自分で引いてあげることがしやすくなりますので。 入社して違うと思ったら我慢してはいけない。
・誰にでも向き不向きがあるので、それを活かして仕事を選べると良いんですけどね。 それを『レッテル』と言われると少し違和感を覚えます。昔から『馬鹿と天才は紙一重』と言われているし。 一方から見たら扱いづらくても、他方から見たら凄い才能かもしれません。
・いますよ 普通に私の周りにも。 注意されても判ってるんだかどうなんだか? 臨機応変と言うものが全く無い。 でも、これはどうにもならない。 だから、兎に角様々な経験をさせる事で、経験値を上げる事に注力してます。 それで業務として改善するかは判りませんが、会社が雇った以上はやるだけやります。 どうにも今の業務が無理なら、他の業務をやってみて貰うしかない。 腹立てても仕方ないと割りきってやってます。
・自分はマーチ大学出身で独学でTOEIC900点ぐらいと勉強はまあ普通にできるので境界知能ではないのかなと思うけど、オフィスワークが破壊的にできない。 予定を忘れる、変更あるとすぐ忘れる、ケアレスミス多発、コミュ障で勘違い多発で、信用されなくなって居づらくて転職を繰り返し。自分はどうしようもない無能だと自己肯定感は地の底だったけど、自分で稼げる方法探して始めた投資だったり別のある仕事だったり、何かひとつに集中できる類のタスクは超得意だったことに気づいた。 そういう得意なタスク、きっとあると思うんですよね。 会社に所属する事だけが経済活動の手段ではないので、就職という固定概念からちょっと外れて、そういう得意なジャンルを何とか見つけてほしいなと思います。
・人に出来ない事を出来ることは素敵ですね。ただそれはオフィスワークが難しい人がやるのではなくみんながやることでは?製造業や接客業などの仕事はきつい仕事の割に賃金も安いから簡単に仕事を変えればとか言わない方が
・今までやらなかっただけで、やらせたら出来る人。 何回やらせても出来ない人。 体感として、出来ない人の中にはこの二種類がいる。
これは自分にも当てはまる。 俺も最近は手書きの機会がないから、義務教育レベルの漢字が書けなくなってたし、算数も怪しかった。 だから小学校のドリルからやり直したんですよね。 そしたら、数ヶ月でとりあえず有名中学の受験を突破出来るくらいの学力にはなった。 これは出来ないけどやれば出来る人の典型。
でも後者の人は教えた経験からして全く違う。 漢字書けないとこまでは一緒で、スタートの点数は同じ。 でも出来ない人はその日に差が出る。 1日漢字練習すれば普通の大人なら相当覚える。 だが、出来ない人はそもそも部首すら理解出来ないから同じ音や形状で覚えるのは難しい。だから挫折する。
でも日常会話だとちょっとおバカなだけで異常な訳では無い。好き嫌い多いとか特徴はあるけどね。
・私も診断を受けてIQ86でやっぱりなと思いました。堀江貴文氏が昔の寿司職人がむっつりしてたのは喋れなかったかららしいです。そういう人に低賃金で仕事を与えてたけど今はコミュ力が無いと面接でさえも受からないので、厳しい時代になったんだと思います。
・今までやらなかっただけで、やらせたら出来る人。 何回やらせても出来ない人。 体感として、出来ない人の中にはこの二種類がいる。
これは自分にも当てはまる。 俺も最近は手書きの機会がないから、義務教育レベルの漢字が書けなくなってたし、算数も怪しかった。 だから小学校のドリルからやり直したんですよね。 そしたら、数ヶ月でとりあえず有名中学の受験を突破出来るくらいの学力にはなった。 これは出来ないけどやれば出来る人の典型。
でも後者の人は教えた経験からして全く違う。 漢字書けないとこまでは一緒で、スタートの点数は同じ。 でも出来ない人はその日に差が出る。 1日漢字練習すれば普通の大人なら相当覚える。 だが、出来ない人はそもそも部首すら理解出来ないから同じ音や形状で覚えるのは難しい。だから挫折する。
でも日常会話だとちょっとおバカなだけで異常な訳では無い。好き嫌い多いとか特徴はあるけどね。
・私も診断を受けてIQ86でやっぱりなと思いました。堀江貴文氏が昔の寿司職人がむっつりしてたのは喋れなかったかららしいです。そういう人に低賃金で仕事を与えてたけど今はコミュ力が無いと面接でさえも受からないので、厳しい時代になったんだと思います。
・昔もそういう人はたくさんいたと思う。でも男性は比較的知能が求められない第一次産業に従事して稼ぐこともできたし、女性は専業主婦だったので特に問題になることはなかった。そういう人も子供をたくさん産んで人口が増えていた。 今はそういう働き口が減って、女性も働かなければならなくなったので、順応できない人は結婚もできないし、人口も減るばかり。ストレスも溜まって無敵の人が犯罪を起こしたり、SNSでは知能の高い人ならまず考えないような陰謀論や誹謗中傷が蔓延る。 知能が比較的低い人でも生き生きと暮らせる社会の仕組みを作らないと、社会全体が暗くなる一方だと思う。
・AIの登場により頭が悪いとか頭が良いというパラメータの意味は薄れていくと予測されている。なぜならAIから見ればIQ80の人間だろうがIQ120の人間だろうが等しく愚かなアリンコだからである。AIの登場によりホワイトカラーの仕事から無くなると予測されている事からも、その傾向は明白と思われる。 境界知能の人でもAIのアシストがあれば日常生活が送りやすくなり、仕事もやりやすくなるはずである。 これからの時代、社会における知能の重要度は低くなる。だから自分が能動的に何がやりたいのか?の方が重要なのである。頭が悪い方が何も考えずに何かに夢中になれる事もあるので、これからの時代頭が悪い事を不利だと思わない方がいい。
・知能指数と業務におけるセンスは別物、こうした人は仕事とマッチすると思わぬ戦力となる場合もあるが、理解が遅いと本人は懸命にやっていてもそれが伝わらず、強く叱責したりと結果的に傷つき辞めてしまうといったことで誰しもが得しない状況に陥りがちになる。 育成する上で、その人の良い面や持っているスキルを見出し、場合によっては配置換えといったことで能力を引き出す環境を作ってあげるのも上の役目である。
・このワード自体は知ってたものの、あまりネットを見ないからそこまで悪口に使い倒されてるとは知らなかったですね。もちろん専門家や当事者からしたら迷惑でしょうけど、ネット上の悪口としては攻撃力が弱い方じゃないかな。単に目新しいから使いたくなるだけで、本来ならもっと切れ味鋭い罵詈雑言を使いたいはず。だから飽きられるのは早そうな気もします。 私も前々からどうも自分の知能は低すぎると思ってたから、受けられるなら診断を受けてみたい。いい加減大人になって今さら結果が出るのはそれなりに落ち込みそうだけれど… 支援を受けられる程じゃないギリってところがまた辛いですよね。
・知ってて当たり前のことを知らなかったり、みんなができることをできなかったりする人はいるけど、ある特定の分野では誰にも負けない位の能力を発揮する人もいます。
医者でもないのに、勝手に診断して決めつけてしまう人の方こそ、大きな問題を抱えてるんじゃないでしょうか。
・昔の話、今から30年前 学力不足で全日制高校に進学出来なかった。 それが、ずっと負い目で自己肯定感は皆無。 「周囲より劣っていて当たり前」 そんな感じだったから 入社した会社でもイジメの対象。 20代、30代の頃は現実逃避して酒に溺れて 借金塗れになった。 更生すべく39歳で親元を独立して 会社員と、資格の勉強を両立させた コロナ禍の自粛ムードも手伝って、 これまでに無い位に勉強に集中。 初歩の数学から初めて2年で 「電気主任技術者試験」に合格した。 借金はようやく昨年末に完済。 会社からも一目置いてもらえるようになった。 筋トレも成果が出て、体年齢22歳になった。 資格は取ったけど年齢的に転職不可。 最近はキレイになった体にモノ言わせて 現実逃避して「永遠の17歳」を自称してる。 「僕の前に広がってるのはまばゆい青春だけ」 みんなありがとう!
・もちろん、境界知能とかボーダーラインとか言われる客観的指標はあると思うけど、他で「この手の人たち」などと書く人のように、自分とは違う類の人などと雑に括っちゃうほど、自分には自信ないかな。だって、すべてが得手でこなせる人なんています? いわゆる大学受験や頭脳系と言われるもの、手に職という職人系と分けたとして、今の時代どちらも求められる面が多いし、頭脳系が得意でもEQ的な情緒面がまるで苦手でトラブる人や、その逆だっている。
「この手の人たち」とかカテゴライズして追いやれば楽かもですが、特に現代人、いわゆる境界域や知的障害の有無を問わず皆が生きづらいし、そこにそれらが加わるとさらに、という受け止めが良いように思う。ダイバーシティというのは易しだけど、自他に少しの優しさを持ちながら暮らすのが良いと思いますが。
・やる気がないんじゃなく、時間がかかるんです。追い詰められると、余計できないんです。 私から見ると、境界知能の人がどうこうより、強い立場の人が弱い立場の人の力になれない事をなんとかしたほうが良いと思います。 少子化がどんどん進んでいるのだから、一人一人を活かして日本社会を支えていった方が良いに決まっている。境界知能でも訓練次第で誰かの役に立つ人に必ずなると思っています。 レッテルを貼るより、力になれる大多数側が手を差し伸べる社会の方が、全ての人にとって得だと思います。
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