( 146554 ) 2024/03/07 12:30:23 0 00 ・当時仕事で仙台に行った時にはビックリしましたね。
都内では電話ボックス内面が主流でしたが、仙台は地面にもキレイに並べて貼ってありました。
飲食店街のビルのエントランス周辺なんかは本当に地面にびっしりで色とりどりの風俗やテレクラのチラシで彩られていました。その貼り方にも一定のルールがあるようで、それはある意味圧巻でしたね。
あれが許されていたのですから緩かったのでしょう。
・なぜ完全に消えたのか知りたかったのに、最後のオチが公衆電話が無くなったからって? 今でも少なくなったとはいえ電話ボックスは残ってるから、そこに貼れば一定の効果はあると思う。 以前は何社もが競合してたけど、今貼れば独占出来るのだし。
深夜に貼れば見つからず、やってるのは反社だから法律が厳しくなっても儲かるならやるだろう。 印刷所に依頼しなくても個人が簡単にカラープリント出来る時代になったから、ハードルは低くなったともいえる。
しかもバブル期は公衆電話だけでなく、電信柱にも広告が貼られまくっていた。 風俗以外にも、アルバイト募集や趣味サークルの勧誘チラシなども貼られていて、街の掲示板的な使われ方をしてたけど、そういうのが消滅した背景を知りたかった。
・ピンクチラシがなくなったもう一つの理由、それは、「ホテトルという名の売春」を風営法で合法化したからです。それまでの風俗店は箱型と呼ばれ、「店舗」が必要でしたから、ソープランドを除けばいわゆる「本番行為」はできません。(こちらも厳密には違法ですが、歴史上の事情により公然の秘密。)それまで、派遣型の風俗は違法だったので、ホテトルのような公然とした売春が横行してたわけですが、派遣が可能な「デリヘル」という業態が認められるようになると、風俗営業法の登録をした事業者という形で商売ができるようになった。そうすると、ピンクチラシのような違法行為はしなくなり、結果的に暴力団のミカジメの温床もなくせました。厳密には今もデリヘルでの「本番行為」は禁止されてますが、密室の自由恋愛までは取り締まれない、ということですね。
・テレクラや伝言ダイヤルにダイヤルQ2のチラシですよね。 今の人には馴染の無い物でしょうから、今の出会い系アプリやサイトの前に流行っていた物!と捉えれば良いと思います。 あの当時はチラシだけじゃなく、繁華街専用の情報誌やタウンページの様な電話帳にも番号が載ってました。 今は電話ボックスの減少もそうだけど。「電話を掛けて」から「ネットを使って」に代わり。電話ボックスにチラシを貼るよりも。ネット上に広告を流した方が目に留まり易いから…だとも思います。 でも、チラシが無くなっただけで。そういう「出会う目的に関係無い出合いの場」は今でも有るから。形が変わっただけ!と思えば良いのでは?
・20年前に田舎から博多に出てきた時に、電話ボックスに無数に貼ってあり、それが風に飛ばされて地面にも散乱している様子を見て本当に驚きました。片付けも手間だし汚いし、なくなってよかったと思います。それに今の時代に合ってないとも思いますし。
・自分は30年ほど前の大学生の時ににサラ金のビラをマンションなどにポスティングするアルバイトをしていました。ビラを見た客から電話がかかってくるとその分のボーナスが支給されるので「これって電話ボックスに置いたら電話かかってくるんじゃね?」と思い自分の独断でポスティングをしながら途中にある電話ボックスの電話機の上に何枚かビラを置いていきました。予想通りその日のうちに会社に電話がかかってきました。ただし客ではなく○○組からでした。店長が平謝りで謝罪していくらかの謝罪金を支払って何とか事を納めたそうです。当然のように自分は店長からこっぴどく叱られました。
・なんであれ、、今と違ってすべてが楽しくて輝いていたのが「昭和」でした。 今と比べてどんなに不自由だっとしても楽しさや刺激の多さでは「昭和~平成の始め」が最高だった。 今の四十代以下の若者には絶対に経験できないことを 浴びるほど楽しめた経験は何物にも替えられない宝物。
・『ダイヤルQ2』なんて懐かしい言葉を目にしたけど、今の若い世代は絶対に知らない単語だと思う。そしてその仕組みもまた今では考えられない回りくどい方法で『なんでそんなことにそんなにお金かけてるの』とか言われそうだ。 確かにこういったチラシのせいで昔の電話ボックスは印象が悪かった。特に電話ボックスが何個も長く並んでいる場所はたいてい人との待ち合わせ場所になっていて貼ってあるか貼ってないかで街の治安の目安になるなんてことも聞いた記憶がある。
・当時は、ネットで風俗情報が少なかった時代。今だと風俗用のポータルサイトも充実している。ピンクチラシは90年代後半くらいまであったような気がする。
ネットの充実とともになくなっていった。店舗型からHPが設置されていった。派遣型は遅かった。昔は店舗型でもネットで顔出し等も少なかったし、今だと情報にあふれていい時代。
転機は、やはり個別の店舗HPだけだったのを、風俗ポータルサイトを経由してのものになったのが大きい。風俗店は検索にかかりにくいからそういうのは余計重要。
・懐かしいですね。大阪市内ですが、当時子供だった自分は親に何か聞いてたりしましたw 電話ボックスにビッシリ貼られていました。
他にはティッシュ配りもテレクラの物も多かった。 クレヨンしんちゃんを模したもので、それも親に聞いてた記憶が。懐かしいな〜
・仙台出身で当時は海外におりましたが、帰省した時はそりゃあビックリしましたよ。 電話ボックス4面とも腰くらいの高さから天井まで、電話機にもびっしり貼られていましたし、地下鉄の階段にもきれいに並べて置いてあったりしました。 仙台は店舗型風俗の規制が厳しかったので当時から派遣型風俗が隆盛を極めていたようですが、さすがに街中ピンクチラシに溢れた様は耐え難いものがありましたね。 その後確かにピンクチラシなんて全く見かけなくなったものの、いまも仙台は派遣風俗の聖地らしいですね。
・風俗の現場からお伝えします。
当時貼りに行っておりました。
それ以前は「捨て看」と言って電信柱に布製の看板を取り付けてました。ステカンの取り締まりが厳しくなったので、電話ボックスに移行したんです。 そしたら、「その電話ボックスはウチのだ」って人が現れて1カ所に付き月額3千円程度を徴収されました。当然一カ所では無いし、広告効果を上げるために複数の店名を使い分けていたので結構な金額をその人に払いました。
電話ボックスも取り締まりの対象になったので、ビラを設置する専用の場所として「無料案内所」が出来たんです。1種類月額3万円程度でビラを置けました。 その直前にマンゾクやナイタイなどの風俗専門誌も誕生しています。てぃんくるやマルマルなどの風俗求人誌も誕生して「とらば~湯」などと言われたのもその時期ですね。
・ありましたね。東京大阪などの大きな都市だと当たり前のように貼られていました。地元の地方都市だとあまり見ませんでしたが。でもその電話ボックス自体が無くなってしまってます。携帯電話が普及し出した頃にはてっきりこの全国にある電話ボックスを改造してフリーWi-Fiとかが使えるようになるのかと思ってましたが、そうでもなく完全に撤去されました。
・当時は会社が渋谷にあり、池袋を経由して帰宅していました。なので、この二つの繁華街の飲食店や風俗店(いわゆるファッションマッサージ店)をよく利用していました(30代の頃です)。
携帯電話はまだ普及していない時代だったので、よく繁華街の公衆電話のお世話になりました。公衆電話ボックスの内側のガラス面に貼られたたくさんのピンクチラシには辟易したものです。
私は風俗店を利用するとき、必ず日刊ゲンダイなどの夕刊紙で慎重に下調べしてから店を決めていましたので、公衆電話ボックスのピンクチラシは、さしずめ今で言うなら、繁華街の路上で客引きする違法行為となんら変わらないことに思えます。
・私も大手通信会社に勤務していた当時、ボランティアでピンクチラシ剥がしを行ったことがあります、ただしその時は怖いお兄さんが出てくるかもとのことで暴対の刑事さんも一緒でした、作業終了後警察カレーを食べさせて頂きました、今となれば懐かしい思い出です。
・利用客は結構あったと思う。 会社の電話番号に似ている番号の間違い電話がちょくちょくあった。 間違いが1%としても相当な数だし、貼ってあるチラシすべてが同じ割合で利用があるればそれも相当な数。 全てが違う業者なのか、それとも電話番号と店の名前を変えて同じ業者だったのか。 ポケットティッシュはどうなんだろう。 男だけど結構目に付いた、女性用はそれ以上にあったんだろう。 サラ金のティッシュも見なくなったなあ、僕の行動変化でそういうのに遭遇しなくなったのかなあ。
・当時の神田の電話BOX、使ったこと無いけど広告シールびっしり過ぎて話してる人のプライバシーが守られるというやつになってたわ 今じゃ電話ボックス自体がないもんね 少し前にTVでやってた3者通話出来る電話ボックスとかどれぐらい使われたんだろうとか思います
でも昔はあそこからドラマが発生したり進展したりしてたんだよね
・あのピンクチラシ凄かった、ボックス内所狭しと貼られた。特に新宿池袋渋谷上野等ボックスから出るのも恥ずかしい思いをしました。それと朝ラッシュ終わりの10時頃の電車乗ると通称「ひろこ」さんがいて、読み終わりの最新雑誌マンガ等網棚から拾い集めて、どこぞの駅ホームで仲間と交換しあい夕方新橋新宿等で定価の20円〜30円引きで路上で売ってた。これも懐かしいけど最近見掛けない。
・今から10年くらい前とある国ではピンクチラシチラシというかトレカサイズのピンクカードを路上に大量にまいてあったの思い出した。バブル期に見た電話ボックスのピンクチラシはこういう形で進化してるのかと感心した。
・確かに「ピンクチラシ」は無くなったけれども、今は携帯電話(スマートフォン〈スマホ〉)にいかがわしい広告が載せられている。 つまり、媒体が紙から電子に変わっただけで、本質的にはちっとも変わらない。 道理で、いたちごっこが終わらない訳だ。
また、かつてあったダイヤルQ2は「0990」から始まる10桁の電話番号を用いた通話サービスで、嫌らしい情報が多かった印象があるけれども、私が初めてダイヤルQ2の番号を目にしたとき、「これって、鹿児島県かどこかに繋がるのか?」…と思ったものだった(鹿児島県の皆さん、気分を悪くされたらごめんなさい)。 もちろん、私は一度もかけていないが。
・今はスマホが復旧して電話ボックスが少なくなった。一昔前は携帯電話は月々の支払いが高くて会社の社長が持つのが多かった。今は携帯電話の月々の支払いが安くなり国民のほとんどがスマホを持つようになった。スマホが復旧してサイトを開くと必ず広告付きが増えた。広告会社は多種多様になり広告を見てもらえるだけでも会社はありがたい。その会社を利用してくれると尚更、会社はプラスになる。今はピンクチラシが広告【アダルトサイト】と言う形に変わってしまいました。
・ビラ貼りの人に何度か出会しましたが、とにかく作業が早い。めちゃくちゃ早い。 左手にビラ、右手に蓋の空いたスティックのりを持ちボックスに入るやいなや受話器を肩にのせガラス面にのりをサッと引きスティックのりを口に咥えながらビラをぺぺぺっと綺麗に貼っていき何事もなかったかのように立ち去る。 まさに職人芸だった。
・たまにですけど、人目があまりつきそうにないとこの古い建物の外壁にハガキ大の貼り紙がベタベタ貼ってあったであろう日焼けの跡を見つけたりしますよね。 そういうのを見るとなんだか時代の流れを感じて昔が懐かしくなったりしますね。
・高校生のころ、誰かが電話ボックスからピンクチラシを持ってきて、学校の誰かの机の上に並べておいたり、いたずらするやつもいたりしましたね。 電柱にもズラッと貼られてましたし、貼っている現場も目撃しましたし、なんだかんだあれから40年...くらい経ちますかね。
・懐かしい。 小学生の時ピンクチラシに電話かけて学校の先生に怒られてたグループがいたのを思い出す。
今30代ですが小学生の時ぎりぎり自販機でアダルトビデオ販売もあったし、コンビニに成人誌もあったし、公園に行けば雨でボロボロになった成人誌があった頃が懐かしく感じる。今ではすっかり見かけない。
・私が当時暮らしていたアパートにも、出張風俗のチラシが入ってきたりしていました。隅のほうに従業員募集とも書かれていて、一応女性が読んでも意味がある形にはなってましたし、面白いので結構じっくり読んでいました。
・テレクラや出会い系サイトの宣伝車が走ったり、ティッシュを配ったり、公衆電話ボックスの張り紙はありましたね。でもあれはあれでみんなが見えるとこだったが、今はそれがスマホに来るだけ。マッチング、匿名とかの名前で広告が入ってくるよ。むしろ個別になって闇になっているくらいでは?
・1980年代から1995年くらいはピンクチラシの都仙台でしたね。警察24時はおきまりでピンクチラシ貼り付けの現行犯逮捕シーンは毎回恒例で電話ボックスは当たり前、ビジネスホテルの入口や生け垣、飲み屋さんの出入り口などありとあらゆる場所に貼り付けたり置いてありましたね。またピンクチラシ回収ボックスもあり朝にはいっぱいになっていた。ピンクチラシが社会問題化して行政と警察はピンクチラシの印刷、製造に関して条例を定め仙台の印刷工業団地組合では一切製造しなくなり終焉を迎えたわけですな。 今でも保管している人がいたらメルカリで売れそうだわ。別に見た目は綺麗なお姉ちゃんの写真と電話番号しか載ってないしぱっと見ピンクチラシとは分からないかも。
・伝言ダイヤルとか流行りましたよね。 今とは違ってケータイもなかったし 「すぐ会える」わけじゃないから 何日か時間かけて会ってたなぁ。 もちろん今もそうだけどサクラもいるわけで すっぽかされた時はへこんだ。涙 時代は変わっても みんなヤリたいのは一緒ですね。
・こんなところにもスマホの効果が。 確かに昔の公衆電話には目隠しのように貼られていましたね。 それが今ではそもそもああいうビラ自体が無くなっていっているように思えます。 これも昭和から平成にかけての遺産なんでしょうかね。
・若かりし頃、何度か利用しました。 感心させられたのは、大阪の十三で電話をしたら、電話機のコイン返却口付近に番号が書いて有り、それを伝えると、そこまで迎えに来てくれると言うシステムでした。
・学生の頃、通学中に自転車で街中を走っていると、電話ボックスの中で何やら貼っているオジサンが。 通り過ぎる時に何してんだろと中を見たら、ピンクチラシ貼ってました。
そのオジサンと目が合うと、突然電話ボックスから飛び出して逃げていきました。 何だ??と思っていたら、黒い車が自分の前に覆い被さるように止まり、中から怖そうなオジサン達が「クソガキゴルァー!」と怒鳴りながら追いかけてきました……
怖かった思い出を思い出しました。笑
・懐かしいね。 酒と、小便と、ゲロの匂いが充満した電話ボックス。 情報化の進行が、まさかこんな世の中になっていくとは、当時思いもしなかった。 だけど、時代の息吹というか、エネルギーの充満を感じ、イマジネーションに満ち溢れていたように思う。
・ピンクチラシ、今だとポストに入っているチラシ配りみたいなものかしら。ちょうどカードサイズくらいの大きさで貼りやすいんだろうね。今はいかがわしいものは街では見かけなくなったけど、文明の発達で、盗撮やら最近は裸の写真を送らせるとか、より陰湿になっているし、子供や若い女性も簡単に送るようなよくわからない社会になっている。目に見えない=臭いものには蓋をして逆に子供は、現実社会が見えづらくなっているから、自己防衛能力が下がる原因にも感じる、
・子供の時に仙台にご飯食べに行って地面にまで並べられてるのはびっくりしました! 奇麗に絨毯みたく並べられているんです。 掃除してる方の後ろからまた並べていく様子は圧巻でした。
・30年くらい前の仙台は、ピンクチラシもそうだが治安自体もあまりよくなく、夜の街ではそこらここらでケンカの怒号が響き、なにもかも剝がされて血だる真っ赤になった人が普通に寝込んで道路に倒れていたり、ピンクチラシも真夜中すぎると道路一面に散乱してて遠くから見ると雪でも積もってるかのように見えました。
・当時ボックス内には色々なお店のチラシがあったので、とりあえず何店舗かにかけてみたけど、電話に出る人一緒で笑ってしもた。電話口の人も笑ってた。あきらめろ同じだよと。(笑) 良くも悪くも面白い時代だったのかもしれん。
・まあほぼ貼り付ける側の一方的な期待だけだと思うんだけど、そっくりそのままネットへ行ったんで貼り付けるバイト(まあ違法なんですけど)もなくなって色々流れは変わっていく。
・懐かしい…てか、ついこの間まで見かけた気もしたが、たしかにもう一昔前の話だなぁ。。
ピッと剥がして、握りしめて、ホテルの部屋から電話。最初はだいたい、とんでもない太ったオバサンがくるんだよ。で、チェンジを要求すると「じゃあ事務所に電話だけするから、部屋の電話かしてね」とか言って部屋に一度入って「お客様チェンジです」て、電話するんだよね。
下手すると2、3回チェンジして、電話で店から「お客さん、いい加減にしてくださいよ、皆さんこの辺で手をうって遊んでるんですからぁ」なんて怒られたりしてね。
アナログな昔の話だなぁ
・急に思い出した。あったよなー
ピンクビラに、知り合い娘さんの写真が使われていたことがあって(モデルさんだった。女性誌に掲載されたのを無断使用) 警察に言ったら、数か月後に印刷所が判明したけど、依頼主はかたくなに拒否された。弁護士たてていろいろやって(モデル事務所からも訴訟した) ある組関係者にたどり着いた。までは知ってる(その先は不明)
また後輩が失業してバイト応募したら、このビラ張りのバイトの補助だったと。いわゆる見張り。3回やったら1回分は振り込まれたけど、後が無いんで文句言おうとしたら、そのバイトもトンずらしてたので泣き寝入り。
この時代、ビジネスホテルの客室にもこんなビラが勝手に入れられていた時もあったな
この時期の数年前には、テレクラ、ダイヤルQ2が爆発的な勢いだったなぁ。 リンリンハウス 皆覚えてる? ピンクチラシの大部分はホテトル嬢派遣だったと記憶しているけどね。
・誰がどのタイミングで貼ってるのか?印刷はどこでしてるのか?見て利用する人がいるのか?色々謎のまま世の中から消えた。道路が見えないくらい散らばってることもあった。すごい時代。
・そもそも公衆電話自体減りましたからね 今じゃ大きな駅でも置いてないんじゃないかな 数年前、子供の自由研究に付き合って街にどれくらい公衆電話があるか調べたことがあるけど、見つけるのにそれはそれは苦労した
・学生時代、サークルの集まりで集合場所になかなか来ない奴が何人かいて、公衆電話で連絡を取りまくってたら、人相の悪いアンちゃんがボックスに入ってきて「お前らどけや!」と追い出された。 するとアンちゃんはボックス内の壁にペタペタとピンクチラシ貼りだしていた。
しかしケータイの普及でピンクチラシどころか公衆電話も減ったけど、インターネットに場が移っただけでその手の性的サービスがなくなったわけじゃないよね。 どーせあの手のモノは詐欺だと思ってるけど。
・あの当時はアナログ的な時代。なんとなく、街がざわめき活気が有りました。 今は、スマホあれば何でも出来る時代。 やはり、景気は気ですよね。 人が動かないと金も動かない。 株価だけの景気の様な気がする。
・昔、ワイの知り合いが、かき集めて、コレクションしていたのを思い出した。 たかがピンクチラシと言えど、よくよく見れば、小さなサイズに、もの凄い「情報量」が工夫して入れ込んであった。 これらを作るエネルギーの圧に、感動したのを憶えています。 もっと、別のモノい使えばエエのに、と思いながら。
・法律では電話ボックスの持ち主のNTTが撤去するのは法律違反になるのでNTTでは撤去出来なかったです。電柱に貼られた広告やケーブルテレビの線も違法でも勝手には撤去出来ないのです。警察も貼っている人間を現行犯逮捕するしかないのです。一般人が剥がすのはいいとはね。
・当時の男の唯一の謎情報源って感じ。カワイイ、妖艶な写真のは持ち帰ってアパート部屋に張ってた(笑)電話して対応がめちゃくちゃでも細かいことは気にしない大らかな時代。何時間待とうが女性が来なかったことも。
・ビニ本全盛の頃、団地の郵便受けにはエロビデオのチラシが入ってたな 裏とは謳ってあったけど、どうせモザイク入りだろと期待せずに一回買ったらちゃんとした裏ビデオやったわ ツレらにもホントの裏やぞと言ってそのチラシを見せたら争うように買っとったw 今はスマホで幾らでも見られるけど、苦労して手に入れるからこその喜びもあった訳で ビデオ自体はもうとっくの昔に処分してあったけど、去年実家の片付けしとったらビニ本が押し入れの置くから出て来て懐かしかったよ 随分と世話になったからね 写真のおネーサン達も今はもう還暦過ぎとんのやろうなぁ…
・「ああ、そうでしたね」というだけの記事ですね。だから何ですかという内容。
当時のボックスは確かに汚らしかったけれど、そういうもんだと思って気にも留めなかったし「目に映っても脳は認識しない」感じで、細かい記憶はありません。 路地裏に貼ってあったボロボロのピンク映画のポスターなどと同じで、ボンヤリとした背景としての記憶しかない。
・大阪市内の電話ボックスは、ピンクチラシを目一杯貼られてましたし、チラシ貼るバイトもありましたね。ガラケー及びスマホの登場から、公衆電話が減ってなくなったように思えますね。
・法やモラルでは解決できないものも、テクノロジーで解決できることがある。スマホ見ながらの自転車(自動車ではない)も、それが可能な技術があれば解決するかも。
・ありましたねー。いま思うと懐かしい感じさえするwww 携帯電話など無いから電話ボックスに入ると、たくさんの綺麗なお姉さんの視線を浴びることになり…。でも、そんなチラシは見ていませんよアピールで、天井を向いて話したりwww 自宅のポストにも入っていたことがあり、両親が見たらビックリするだろうと思って、自分が悪いことをしたわけでもないのに、見つからないように捨てました。
・90年代、公衆電話掛けてる最中、(多分池袋) 電話Boxをノックする男が居て、何かと思ったら、 ピンクチラシを板に張り付けて、「宜しくお願いします・・」って、 電話の前に置いてった香具師が居た。 この記事で、当時を思い出して、何か懐かしくなった。
・電話ボックスどころか郵便受けにわんさか入ってましたよね。マンションの郵便受けには段ボールがあってみんないらないものをそこにぽいぽいするけど、時折量もモノも、とんでもないことになってたりしてた。
・確かに自分が子供の頃は電話ボックスにピンクチラシやサラ金の広告なんかが貼ってありました。 懐かしくて面白い記事だと思いますが、そもそも電話ボックスですら珍しいというか見かけないですね。 ピンクチラシがスマホの普及で淘汰されたんですね。確かにスマホの中には有害な広告だらけです。
・渋谷の東急本店の向かい側に電話ボックスが並んでるあたりは凄かったな。あそこは風俗嬢との待ち合わせにも使われるらしくアパレルに勤める知り合いの女性が歩いてると知らない男性から2万円でどうだと声を掛けられて慌てて逃げたとか。90年代の話ですが。
・平成世代にとっては懐かしい光景だし、とても今では考えられませんね、、、w 公衆電話にテレカや公衆電話ボックスも! まさに平成時代!平成レトロ
令和の時代はスマホでネットやアプリから出会い系や、風俗店を見つけますし!
・昭和や平成初期頃は東京や大阪など大都市の場所によっては呪符の如く、全面にピンクチラシ、電話機にまでピンクチラシが貼ってあった電話ボックスもありましたし、今では考えられない光景でしたね。
・そんな難しい話ではない。 要するに「売春」ということ。そもそも 「売春」を法律で無くそうという趣旨で制定されたのが「売春防止法」、 昭和30年代前半だと思う。 女性を働かせて稼ぐ管理売春を禁じたわけ だが、その後売春が無くなった訳ではない。 非合法化され、地下に潜っ ただけではなく、管理者が裏社会に移っただけ。
取締りと違法ビジネス(売春)のイタチごっこが生んだ形態がピンクチラ シだった。 今はそんなチラシはないが、売春行為はなくならい。 先進国のなかでも売春を合法としている国はある。 そもそも、人類最古 の職業といわれるくらいの長い歴史がある。法で一掃できるものじゃない。 むしろ、非合法としたことが事件や裏社会の資金源となり、問題をより 複雑化したことも指摘された。 誤解のないように付け加えると、売春を禁じたのではなく、これを管理し「なりわい」とすることが禁じられた、という こと。
・昔、電話ボックスでどう見てもワタシとしか思えない女性の写真がテレクラの広告になっているのを見た。 でも、ワタシは誓ってその手のいかなる業界とも無縁です。 あれはワタシのドッペルゲンガーさんなのか?ワタシの写真がなんらかの経緯で流出したのか? 今でも謎です。
・電話ボックス、公衆電話すら見なくなりましたからね
主にテレクラですよね 今は出会い系サイトの流れからマッチングアプリに移行していてチラシはネット広告に置き換わってる
電話ボックスなので子供が入るような場所でも何枚か貼ってあったりした 小学生の頃に好奇心で友達と試しにかけてみようとなり掛けましたね 光の速さでおじさんがもしもしと出てビビってすぐ切りました 今思うとあれはテレクラだったんだろうな笑
・昔の時代の雰囲気の分かる内容をプレイバックする様な記事は好きだな… 実際の記事でもいいし、、 災害や事件事故だけ振り返る記事は多いが疲れるんだよね、精神的にさ
もっと気軽に読める平成の記事があっても良いと思う 例えは90年代の渋谷の街並みやら流行りとかの記事とかさ
・〇 携帯の普及によって淘汰された・・と言えば、 このチラシと同様に携帯の影響(?)で消滅したのが 「テレクラ」なんだろう。 40年位前に流行ったテレクラだったが、 今思えば思い切りアナログな遊びだったし、効率も悪かった。 でもそれなりに”ドキドキ感”は味わえた気がする。 今では「出会い系」に場を変えたんだろう。 ところで、当時から存在してる「個室ビデオ」だけは まだ点在して生き残ってる(?)のが不思議だ。 その理由は何だろうか・・?
・こないだ、ディズニーランドに行ったら公衆電話に列ができていて…なんだろう?と思ってみたら女子高生達が受話器をとって撮影してた。 あんな公衆電話の前に女子高生が並んでるのをみたのはポケベル全盛期以来だよ。
公衆電話がレトロとされ…映えスポットとなる…うーんw
・そういえば小学生のころは家のポストにピンクチラシが入っていました。 しかもがっつり女性の上裸が写ってるやつ。 あれが何なのか当時分かってませんですたが、何か見てはいけないものを見てしまったという気になってました。 なくなったことにすら気づいてませんでした。
・本当に酷かった公衆電話ボックスあったね、なんか懐かしい時代を思い出した!
あの頃書店の店頭でも週刊プレイボーイとかあって、堂々と立ち読み出来たし、電車の座席や網棚に、何新聞だろ普通に裸体とかエッチな写真の掲載されてる物をザラに見て育ったわ…
今でも立ち読みとか、エロ新聞あんのか知らんけど、そんな世の中で良くマトモに生きて来たな~と我ながらに感心する。 まぁー、あの当時の親も教師も近所の人も結構厳しく叱る人達が多かったからだろうか?
色々汚れてた時代だったけど楽しくもあり陰気臭さは無かったよな~。今の時代は一見綺麗な社会になったけど、何考えてるか分からない人達が多そうで都心には近づけない…
・いつも電話中にメモが必要だったとき、そのピンクチラシを取って裏に書いて使っていた。 あるとき、そのメモを捨てるのを忘れ、ポケットにあったのが彼女に見つかり修羅場になったことがあった。
・駅に親に迎えにきてもらうのに公衆電話を使ってたけど、子供ながらこれはよろしくないものだろうなとは思ってた。 今となっては当時の時代を映す懐かしい光景になったけど、今後も今は当たり前にある光景の中にも淘汰されていくものが出てくるんだろうな
・よい記憶ならともかく、こんなもの掘り起こして、今の時代にさらす必要がありますかね? 電話ボックス自体もいまや時代の産物。
まだインターネット広告の卑猥なバナーなどとともに問題提起するならともかく、昔はこういう時代だった…などと回顧すののではなく、大久保公園の立ちんぼやら現実問題の風俗問題に切り込んだ方がいいのではと思います。
中年親父の飲み会のような記事ですね。
・90年代前半のJR船橋駅前で「お母さんー、あれなーに?」と 指さして聞いてる女の子がいた。ちょと笑ってしまった。 今はよく分からんストリート系のステッカーに変わった感じ。 そいうや分厚い電話帳も無くなった。
・繁華街付近に住んでた小学校低学年の頃、電話ボックスに貼られていたカードサイズのこの手のチラシ集めが一時期流行ったなあ。 まだカードダスの販売機があった頃だから、その類の一種でコレクションや交換をやってた記憶が。。
もちろん、禁止令が出され没収されました。
・興亡記とか秘録なんて言うからもっと面白いエピソードとかを読ませてくれるのかと思った。 今では想像もつかない異様な光景だったことは記憶しているから。 2ページ目に至って携帯電話の普及でピンクチラシは撃滅されました、ってそんなこと誰でもわかってるんだよ。
・26年前東京五反田で、ビラ貼りしてましたよ、五反田は!二つの業者のみでしたね、穴持ちは稲川系東と西別れでましたぎどちらも稲川系、新橋や蒲田でもやってましたね蒲田は、業者多くトラブル結構ありましたねルール守らないと集団で喧嘩売りに来る 新橋は、六本木方面の業者が10人規模で、10分程で電柱に貼り紙して直ぐ去って行くスピード、この時代1日仕事して15000の歩合制?軽く3万稼げた時代、まあ1日一回捕まるのも日課、捕まっても調書取って終わり毎回同じ私服に捕まるからある程度貼り紙したら捕まる暗黙の了解でやってた。調書取られてる間は!タバコや飲み物のんでゆっくりしてた夏は?助かったクーラー効いた部屋で寝てた時もあった、後わガラ受け人間引き取り待つだけの楽な仕事の
・大阪に出張に行った時、とあるホテルに職泊した。 取引先と食事を終えて部屋に戻りシャワーを浴びて出るとドアの下にこの手のチラシ🫢 電話ボックス以外にここ迄来たのか!とビックリした記憶がある。
・実はメッカは仙台で、2000年代初めまでは電話ボックスだけじゃ無く、ビルの踊り場や風俗ビルの入口にも大量に撒かれていた この手のチラシを最後に見たのは博多に行った時、中洲の屋台の公衆トイレだったから、2010年頃だね
・記憶の限りだと2000年初頭までは新宿周辺の電話BOXに沢山貼られていました。性風俗だけではなく街金、闇金の類も有ったと思います。当時の上司が泥酔しピンクチラシを冗談で自宅に持ち帰ったら一晩中夫婦喧嘩したとの事(笑)。携帯電話の普及でチラシが消えアダルトサイトの迷惑メールに。時代の流れを感じます。
・まだ若い頃、同僚のいたずらでカバンに大量に詰め込まれていたのを気づきませんでした。不覚にも電車で開けてしまいまい女子大生の前でカバンを開けたら多量のピンクチラシが雪崩出て大恥をかいたことがあります。
・人の欲望とそれをしのぎにする組織は永遠に不滅です。 今はホストの売掛が問題になってるけど、根本的な人の欲に解決手段はなく、法規制をしてもまた新たな業態が誕生するだけです。 利用者のニーズを喚起し、対応しているから、なくならない。
・昔は電柱にもピンクチラシやサラ金チラシが貼られたりプロレス団体の割引チケットの束が針金で括り付けられてたりしてましたが、あれも本当はダメですよね。。
・エロを否定する現代。 たしかに町中からはエロはだいぶ消えていった。 でももちろんなくなるわけがなく それはスマホゲームの広告などでさらに大きくなっている。 エロ本屋や電話ボックスはまだましだった。 子供でも遊ぶなんでもなスマホゲームの広告に 巨乳の少女や、お姉様が登場っていうのはほんとうに適切なんだろうか? エロを否定して排除した人間が作ったこの世界は 表向きだけはまともで実はものすごくドロドロした世界に思えてならない。
・今から三十年前に防衛省が市ヶ谷に移転する直前の六本木の某幕僚本部で働いてましたが、課長の机の上のマットの下には隙間なくピンクチラシがびっしり敷き詰められてましたよ。 セクハラという言葉の無い時代で、めちゃくちゃでしたね。
・みんなのコメント見て思い出した。 30年ぐらい前だったかなぁ、私も仙台に出張に行ったときに、仕事終わってホテル入ろうとしたら正面玄関入る前の階段に堂々とピンクチラシが並べられて置いてあって、びっくりした事ある。 あれってホテル側も黙認してて、我々が帰る時間も把握していたのかなぁとか、 役所関係の仕事だったので仙台市特有の遠回しの接待だったのかなぁとずっと思ってたんだけど、そうじゃなかったんだねw 同僚とは、これ絶対に罠だろ?チラシ触っただけでヤバいぞって警戒度マックスになった思い出。
・そもそも電話ボックスはNTTの所有物でしょ。 そこに無関係の者が無許可で公告を 貼ること自体がピンクチラシであろうが なかろうが違法なはず。 法律でいたちごっこしていたものが パソコンやスマホのネット環境に 自然淘汰されたわけだ。
・電話ボックスどころか、自宅の郵便受けにも放り込まれてましたね。集合住宅でしたので、ポスト付近の地面には棄てられたピンクちらしが散乱するというカオスな状況。公序良俗と表現の自由として論ずるには、あまりにも次元の低いハナシでした。
・東京や大阪では電話ボックスにも暴力団の縄張りがあり、暴力団が指定した場所以外に貼ると、風俗店に脅しが入ったそうです。 今では考えられない事ですが、昔はピンクチラシ1枚分の場所にもヤクザが関与していたらしいです。
・街中でも公衆電話を見掛ける事は本当に少なくなりました。
地震などの災害発生時には不安がありますが、電話会社の経費削減の為には已む無いのだと思われます。
・ピンクチラシや夕刊紙の3行広告のお店。 スゴいドキドキして行ったなぁ。 でも毎回ハズレか大ハズレ。 でもあのドキドキ感が堪らなくてまた行ってしまう。 今はピンクチラシほとんど無いけど、 平成の楽しいいい時代だった。
・「上野駅前には手足を欠損した傷病軍人が物乞いをしてた」 ものすごく年配の人はそんな記憶があるらしいのですが、 ギリ昭和の終わりしか知らない私の世代の上野駅周辺は、 偽造テレカを売るイラン人があちこちにいる光景です
携帯電話の普及でチラシがなくなったのはわかりましたが、 あの大量のイラン人はどこへ行ったのか気になります
・結局解決しなかったってことなんですよ。 スマホに移行して、一安心的な記事になってますが。 実際には、スマホに移行しているわけですから、手軽にその類の情報と遭遇できるようになっている危機的状況です。 普通に、高校生、女子大生、主婦がそういうバイトをできる時代になっているので深刻です。 この記者は能天気すぎる気がしますが。
・公衆電話じたいがめっきり減りましたしね。 けれど、その頃、独り暮らしをしていた小さなマンションのポストには、同様のチラシがしょっちゅう投函されていたことも思い出しました。 それも絶滅しているのでしょうか。
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