( 146920 ) 2024/03/08 12:13:31 2 00 「。で終わる文章は威圧的」 若い女性の4割「マルハラある」と回答朝日新聞デジタル 3/8(金) 8:30 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/9b29b0da59403312bd93a096ba59f0e49bd7b9dd |
( 146923 ) 2024/03/08 12:13:31 0 00 文末が句点か感嘆符かで、受ける印象がどう違うかを聞いたアンケート=大阪大の三浦麻子教授提供
文末が句点「。」で終わるメッセージを受け取ると威圧されたように感じるという「マルハラスメント(マルハラ)」を、実際に気にしている人がどれだけいるのか、研究者が市民のアンケートで調べた。威圧と感じることが「ある」と答えた人は、若い女性では4割を超えていたものの、全体的には少数派だったという。
【イメージ】これってマルハラスメント? 実際に「。」で終わるやりとりの例
マルハラは、LINEなどのやりとりで、文末の句点を威圧によるハラスメントと感じるというもの。
「○○しておいて!」は期待されているように思えるが、「○○しておいて。」だと突き放されているように感じる――。若い世代にそんな意識が広がっているということが、朝日新聞デジタルの記事(https://digital.asahi.com/articles/ASS2Y64QXS2FUCVL045.html)などで紹介された。
大阪大の三浦麻子教授(社会心理学)と東京大の鳥海不二夫教授(計算社会科学)は今年3月上旬、18~29歳の男女各150人と30~60歳の男女各250人にオンラインでアンケートをした。
メッセージアプリで上司とやりとりしている場面を想定し、文末が句点だった場合と感嘆符だった場合で、受ける印象に違いがあるかを聞いた。
18~29歳の若い女性では、句点は感嘆符より「威圧的」「冷淡」「怖い」といったネガティブな印象を感じる人が6~7割いた。逆に、感嘆符のほうがネガティブだと思う人は1割にとどまった。若い男性でも、半分ほどが句点をネガティブに感じていた。
朝日新聞社
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( 146922 ) 2024/03/08 12:13:31 1 00 (まとめ) 日本語の句読点の使用について、世代間の違いや感じ方の差異が挙げられている。 | ( 146924 ) 2024/03/08 12:13:31 0 00 ・国語、習わなかったのかな。
日本語の文書なら、文末に付ける。
。すら付けないフワフワした文書を強制される方が、若者ハラスメントです。
若者の言っていることが、必ず正解では無い。 間違っている事は、間違っていると言わないといけない。
・こういう「○○ハラ」系の言葉を一生懸命流行らせたい人がいるんだろうね。 「句読点が使われた文章から威圧感を感じる!これはマルハラですっ!」って言うような若者はこれからの激動の社会で自然淘汰されていくだけだろうから、むしろそういう哀れで使えない弱者を見極めるのには良いかもね。 うちの4歳児は自分の名前にも「。」を付けてしまうけど、文法的な過ちがあっても、正しい日本語の使い方をハラスメントだと言うような弱者としては育っていないようで安心した。
・若い世代ではないけど 私事のメールでのやりとりで使う。、には日本語独特の間合いをもって使ってます。 特に子供たちに対して笑 メールが主なコミュニケーションツールになったために句読点も絵文字や記号的な意味合いをもつようになってしまったのでしょうね。 でもそれはそれ、これはこれ、で、きちんとした句読点の使い方といるいらないの世界線の使い分けは必要。(親しい者同士は使わなくてもいいとか社会ではきちんと使うとか) 私なりに子供に対してわざと使うとき 例 子どもが門限までに帰ってきそうもないときのメール 「もうすぐ門限ってわかってるよね、、、?」 「 時間守れ。 」
過度なお願いをされたとき 「 無理。 」
など笑 日本語は句読点で空気感を伝えれると思ってますので 若者が圧がある、と受け取れているのも正常な反応では?と思います。 どんどんそう受け取って想像するべきです!
・友人同士ならともかく、ビジネスにマルハラなんて持ち出してほしくない。なんでも若い世代が正しいのではないと思います。日本語文章ならば文末にマルを付けるのは威圧もなにも当たり前のことではないでしょうか。正直、マルハラで程度で、ハラスメントなのですか?若い世代の豆腐メンタルに合わせるのもうんざりが本音。若い世代は国語を含めビジネスマナーとコミュ能力を付けた方が良い。
・部下にメールやラインで連絡することあるけど、確かに送る前には「きつい印象になってないかな」と気になる。 ただ、年代や男女関係なく、普段の人間関係やその人の人間性にもよるので、日頃のコミュニケーションにこそ、より気をつけるべきだと心がけている。
・「!」は期待されているように感じる ってどこの誰の主観でしょうか。 こういう下らないことを信じていると 就活失敗するし社会人になってもやっていけないと諭すのが、学校含めたビジネスセミナーやマナー講座、メディア記事やの仕事だと考えます。 いい加減な事を無責任に書くのは害悪なので、取り下げるべきです。
同時にAIの時代。プログラミング等より、日本語の文章作成能力が最も重要なスキルになるのではないかと思います。
・元々、「LINEなど短文のやりとりで急に。で終わられると突き放されたように感じる」という話かと思っていたら、いつの間にか「!と比べて。は冷たくて威圧的」にすり替わっている。 文末が!の妙にハイテンションで浮かれたような例文とくらべれば、句点の例文は冷静だなと思うけど、それをもって「ハラスメント=いやがらせ」と躊躇なく報道してしまう朝日新聞の言語感覚が心配です。
ついでに朝日新聞は「。」を一切使わないポジティブ感あふれる新聞を1回でもいいので発行してみてほしいです。
・若い女性の、と言いつつ母集団は男女150人ですから、女性はもっと少ないてですよね。 そんな程度の数で統計としてどの程度意味があるかは分からないですが、ともかく個人的にはマルハラがあると騒ぐのももうやめていただきたいものです。
現在の日本において正しい書き方とされ、ほぼ全員の日本人は文末にマルがある文章を何度も見たことがあるはず。 にも関わらずハラスメントなどと言うのは、およそ社会的に容認しがたい無教養と言うべきですね。
・自分は高校生ですけど、句読点に違和感や不快感を感じたことはありません。同級生には、相手に句読点をつけられると恐怖や威圧感を感じるとかいう人がいるけど、学校でもしっかり文に句読点をつけることは当然習っていますし、自分は句読点は日本語の文法にとても重要な存在だと思います。むしろ何でもかんでも「○○ハラ」として何もかもをタブー視させようとすることに恐怖を感じる。 こういう日本の文法を大切にせず、今の若者の変な価値観が後世にまで続いてしまったら「ら抜き言葉」のように、句読点抜きが慢性的なものになってしまうのではないかと心配です。
・最近の何でもハラスメントにする傾向にちょっと恐怖を感じています。 マルハラはその典型的なものかなと思いますね。。 本人が高圧的、威圧的に感じてしまうのは人それぞれでもあるので良い悪いではないですが、それをハラスメントと言ってしまうのはTPOなどの背景を想像できないんだなと思われても仕方ない気がします。
・メディアがこういう風にとりあげるから、さもスタンダードみたいな風潮になってしまい息苦しい世界を作ってる。いったい誰に寄り添ってるつもりなのかをもう少し真面目に考えたらどうか。
・最近の何でもハラスメントにする傾向にちょっと恐怖を感じています。 マルハラはその典型的なものかなと思いますね。。 本人が高圧的、威圧的に感じてしまうのは人それぞれでもあるので良い悪いではないですが、それをハラスメントと言ってしまうのはTPOなどの背景を想像できないんだなと思われても仕方ない気がします。
・元々、「LINEなど短文のやりとりで急に。で終わられると突き放されたように感じる」という話かと思っていたら、いつの間にか「!と比べて。は冷たくて威圧的」にすり替わっている。 文末が!の妙にハイテンションで浮かれたような例文とくらべれば、句点の例文は冷静だなと思うけど、それをもって「ハラスメント=いやがらせ」と躊躇なく報道してしまう朝日新聞の言語感覚が心配です。
ついでに朝日新聞は「。」を一切使わないポジティブ感あふれる新聞を1回でもいいので発行してみてほしいです。
・句読点ないと読み辛い。 なんだその「マルハラ」て、文章の区切りで「。」で終わらせて、次の段落に行くてやつだ。 そういえば小学館のサンデーに連載の名探偵コナンの吹き出しは句読が特徴的だと何かで知ったがあれも「マルハラ」になるのでは? 当たり前の物が批判される、何か混乱する。 綺麗な日本の文章は、句読点あってこそ成り立つ。
しかし、色々な世代で日本語に対して色々あるが、句読まで文句言われるとは世も末だと思う。
・若い女性のコミュニケーションの主流がLINEやSNSなのは理解するし、その世代の子と連絡を取る時は私も「。」は使わなかったり、端的に伝えるよう等にはしていますが、「。」があるかないかで相手の感情(威圧的)を決めつけようとする風潮、ハラスメントにしていまうのがちょっとどうかしていると内心は思ってます。 そもそも「。」をつけるのは日本の文法としては正しい使い方だし、人付き合いってそんな語尾一つで判断する事じゃない。 結局は自身の相手に対する深層心理や自信のなさ、思い込みの問題じゃないのかなと思っているので、そんな事で苦手認定されたら、もうそれならそれでいいよとこっちも思ってしまう。
・現在、大学生です。 文末使う。や!は相手によって使い分けています。 確かに、友だちにメッセージを送るときは、「!」や絵文字等を交えています。流行語や省略語も当たり前のように使っています。 ですが、バイト先の方や教授とのやりとりは「。」を使うのが当たり前だと思っていたので、ハラスメントと感じたことはありません。まだ大学生ですし、これから学んでいけばいいので、完璧な敬語を使いこなせる必要までは無いと思いますが、最低限の礼儀はわきまえるべきだと思います。 私の周りの人も、それくらい弁えている人が多いので、マルハラなどと感じている人は少ないと思います。 アンケート調査の対象はどのようにして選んだのかわかりませんが、若者の半数近くがそんなふうに感じているとは到底思えません。
・そもそも仕事上のやり取りで、「!」を使う事の方に驚きです。 ラインであろうと他のチャットツールであろうと、ビジネスでのやり取りなんだからしっかりとした日本語を使うのは当たり前の話ではないのでしょうか。 短文で送るから「。」はいらないとか意味不明
時代が変わっていくのは重々承知しているけど、それでも変えていいものと変えちゃいけないものもあると思う。
・若者との認識の違いが多々あるのは分かります。 流行語とか見ても全然知らない言葉が若年層には広がってたり。 そういった「差」をテレビなどで面白可笑しく取り上げて番組にしてたりもしますし。 この句読点の認識の差も、その事実だけ見れば面白い事象です。
ただ一つ懸念するのは、「若者は嫌がるので付けない様にしましょう」といって押し付ける風潮が出てこないかということです。 若者も。が威圧的に感じることがあるのかもしれませんが、世間一般では特に普通に使われていることを知ってて使い分けて欲しいですね。
・メールなど友達同士の文字やりとりは別として、句読点のある文書は世間通常の形かと思います。文書における句読点は読み手にとって読みやすく、意味が伝わるようにとの気遣いでもあります。日本語文書の根幹は大事にされるべきだと思います。
・LINEとかショートメッセージとか、口語型のアプリを使ったコミュニケーションに慣れた、もしくは慣れすぎた弊害じゃないかなと思います。 口語では「エンド」を示す「。」は必要ないですので、あまり多用しないですからね。 「文章を読む」という感覚ではなく、「話している」という感覚なんじゃなかろうかと思います。 江戸、明治大正と日本語は文語調の言葉使いから変化してきましたが、また大きな変化期を迎えているのかもしれませんね。
・この問題に関しては、経験の問題が大きいと思う。
チャット等の紙面でないモノを通して文章のやり取りして行く内に句読点が省かれ、それが定着したゆえの、主に若者の感覚で…
紙面での文章や手紙等のやり取りをある程度経験している人は文章において句読点を付ける事にハラスメントの感覚は全くなく、受け取る人の印象の問題という部分が大きいように思う。
それを若者同士の交流の中での感覚を仕事の中の大人に対して持ち込んでくる事は、句読点の使用に慣れてる人達にとっては面倒でしかない問題ではないだろうか?
仕事においては、先輩や上司の感覚に合わせて行けば、悩む事でもないように思うが…一部の年配者がチャット世代の感覚に変に迎合するからややこしくなっているようにも感じますが…
・コレ、批判ではなくて実験的な意味合いで思うのだが、 こういうことを真面目に研究している教授は、学会に出す論文の結びを「!」にしてみるべきだと思う。 たぶん、ハラスメントではなく、ふざけていると思われるだろう。 っていうか、この教授たちも学生が卒論でそんな書き方をしてきたら、腰を抜かすに違いない。 つまり、これはメッセージアプリで使用される……一種の共通言語のようなもので、別に句読点自体に「威圧感」のような価値はないと思う。 むしろ、こういう研究をするとプラセボ的な意味合いで、威圧感が生まれるというか、日本語における同調圧力になってしまうと思う。
・小学生の子供の書取りの宿題でも句読点の〇を使用しているので、伝達・連絡手段として日本語を使用している以上は、ハラスメントでは無い。マルハラだと感じる若い女性は、公私混同せず、公的や会社では日本語の文法を使用するものだと認識して、感情を入れてはダメだ。プライベートは若者同士の伝わる会話や短文でやり取りするとしっかりと割り切るべきだ。
・国語と言うなら、現代文を口語、古文を文語と習わなかったかと言われる可能性がある。 SNS上の口語体を学べと反論されたらどう応えるつもりなのかと思う。 正直、今の若い人たちを見ていると、現代文の中で分ごと口語を使い分けようとしている(使い分けすらできないのもいるが)とは思う。 今後、SNSを導入しようとしている企業は考えた方がいいと思う。あれは連絡手段として使えるとは思わない。一見合理的に見えるが、個人間での独自の文化ができつつある。
若い人たちに言いたいのはSNSと通常の+メッセやメールは違うという事。あなた方の普段の口語体が通用しない文語体の世界だという事を覚えて欲しいと思う。 あなた方でも出金伝票に絵文字つけられたら何考えているのかと思わないか?それと同じだ。
・上司からの指示や指摘ってどうしても下の者からすると怒ってるのかな?と不安になってしまう気持ちは分かります。 私も20代後半ですが、上司には原則句読点、後輩に指示とか指摘するときはなるべく感嘆符をつけて怒ってませんよーとマイルドに指示、指摘するようにしています。 それが配慮だと思うし、別にそれが手間になることもないし、後輩がそれで仕事がやりやすくなるならむしろ配慮した方がいいんじゃ?と思っています。
・紙に書かれた文字と小さなディスプレイ上の文字と人間の受け取る感覚に違いがあるのかもしれんね。音声言語と文字表現の中間あたりの感覚なのかな。そも句読点はそれまでの文章を読みやすくするために考えられたもの、江戸時代にはなかった、だって無粋だもの。先祖返りか日本語が変化してくる兆し、少し興味がある。
・若い女性の、と言いつつ母集団は男女150人ですから、女性はもっと少ないてですよね。 そんな程度の数で統計としてどの程度意味があるかは分からないですが、ともかく個人的にはマルハラがあると騒ぐのももうやめていただきたいものです。
現在の日本において正しい書き方とされ、ほぼ全員の日本人は文末にマルがある文章を何度も見たことがあるはず。 にも関わらずハラスメントなどと言うのは、およそ社会的に容認しがたい無教養と言うべきですね。
・仕事では確かに。を文末には必ず使いますが それは必ず目上の人に対してで、他の人には 軽い絵文字を使ったりはします。 ただその場のメッセージの雰囲気によって使い分ける感じかな。
文章なのだから句読点よりも命令口調にならないように、相手が不快を感じない程度のワードのチョイスには気を使いますが、句読点は別に関係ないと考えています。
・綿密な打ち合わせの類は慎重さが求められるものであり、どんな手段でも構わないとは思うが誤りのないよう最低限の緊張感を伴わなくてはならない。 句読点一つで受ける程度の軽い緊張感すら嫌なら仕事などしないことだ。何も考えずにやれる程度の受動的な雑用だけで僅かに稼いでのんびり地味に暮らすがよい。
・ハラスメントとは思わないけどマルや!に受け手の感情操作力があるのは確かだ。文字に音程はない。会話にはある。音程で印象は全く変わる。!だと音程が上がる。マルだと下がる。ありがとう!だと嬉しい気持ちが伝わってくるし、買っといて!だと忘れてたお願い恩に着るという上ずった悲鳴にも似た感情を受け取る。対して、ありがとう。だと最後の音程が下がって暗い気持ちになる。例えば、立場上お礼は言うけどどうするか覚悟しとけよ、というような感じだ。買っといて。だと最後の音程がぐっと下がるので念を押すような命令的印象を受ける。会話調の文章のやり取りでは音程を表現できないので悩む場面はある。ありがとうございます。ならニュートラルだが、ございますというのも大仰。昔の手紙には特有の言い回しが多いのも理解できる。句読点その他が音程制御記号として会話調文章コミュニケーションで活用されるのはとても良いことでは。
・若者とも年輩ともメッセージでやり取りするのでなんとなく気持ちはわからなくもありませんが、句読点は日本語では一般常識であり当たり前のことだと思っています。 若者は普段通りの話し方でメッセージしてくるし、年輩者は妙に仰々しくなったりします。でもどちらかが空気を読めばいいだけではないでしょうか。 そんな簡単なことなのに誰かが「。」を付けるのが怖いとか威圧的だと言い出してそれがハラスメントになってしまうのであれば、じゃあ挨拶するときにお辞儀をするのが怖いと誰かが言い出したらお辞儀ハラスメントになってしまうんですかね? なんでもハラスメント扱いすればいいってもんじゃないと思いますがね。。
・鳥海不二夫教授の研究結果のページも拝見しましたが、自由記述ではごく少数で威圧感を感じるという意見もありますが、ほとんどが「マルハラ」という言葉に無関心または懐疑的、否定的です。
常々思っていますが「マルハラ」はマスコミがネタとして、今の何でもハラスメントの風潮にウケるように広めようと使っているだけのように思います。それを見て一般の人の共感が大きければ広がっていくと思いますが、マルハラに関しては一時的なものに終わりそうな気がします。
・年代によって捉え方が違うだけなのでは?何でも若い子の方が正しいとは思わないし、なにか不快と感じれば「ハラスメント」で片付けて相手が悪いとレッテルを貼ることのほうが怖いです
国語の授業で句点の「。」を付けるのが正しいと教わり、社会人になっても紙の書類などできちんと句点を付けるのに慣れてきた中高年と、ネットを中心に句点を付けない文化で育ってきた若者で捉え方に差があるのはわかるけど、それはお互い「ああ、感じ方が違いますよね」で相互理解して歩み寄ればいいだけだと思うのだけど…
無論TPOなどありますから、SNS使う時は句点無しで書類出す時は句点ありぐらい使い分けすればいいだけだと思うんだが、なんでもハラスメントでどちらか一方を叩くのはよくない
・仕事で御礼状や挨拶状を書く時は、句読点はつけないので、やはり書き上がりを見た時に優しい、柔らかい感じがします。 なので、若い人がマルハラと言う気持ちも何となく理解出来ます。 改行で句読点も必要性がないと思う時もあるので、本当にかしこまった文章以外はそこまで句読点は気にしないかもしれません。 それより、長文の改行しない行間をあけない人の方が見苦しと感じます。
・世代によって使い方や感じ方に差が出るのは仕方がないと思う。自分がちょっと違和感があるのは全世代が使っているものなのに何故若者の感覚に合わせなくてはならないのかってこと。若者に合わせられないのが時代遅れのように言うのはやめてほしい。 友達同士ならなんでもいいと思うがビジネスの場では違うと思う。
・これでもわかるように、ハラスメントなんてものは何にだって適用可能。 ある日、突然になんて事を避けるには、人との関係を濃密にするか希薄にするかの2択。
当たり障りのないような事だと思っていても、相手が不快に感じればハラスメント成立。 自身より立場が下となる相手に対しては、上よりも気遣いしなければ足元を掬われる時代。
上からの叱責なら逆にハラスメントだと叫べば良い。 顔色を窺うべきは下の方。 怪訝そうな顔をされたら黄信号、こういう文章系だと気付く事もないまま、相手に不満が蓄積されていくので要注意。
そんな事を言ったって、なんて議論すら許されない程、何でもかんでもハラスメントと言われる時代だと認識するのも対応力。 これも今の若い世代はって話なので、従来通りに再更新される日も来るでしょう。
・文章の内容そのものではなく、句読点があることで威圧感を感じるということは、良く言えば相手が自分のことをどう考えているかにとても敏感な人、悪く言うならただの自意識過剰。どれだけSNS上のやり取りばかりで直接対面して会話してきた経験があるかが透けて見える。核家族やコロナでそれがしづらかったとも言えるが。文章に感情を読み取るだけでは社会では生きていけないよ。
・まあ、もともと句読点は読みやすくするための技法なわけです。小説や取説には句読点がないと読みにくいでしょう。句読点がないものといえば、理由はそれぞれ異なりますが、賞状とか年賀状には句読点を付けません。
なので、ライン等の短文メッセージには、句読点を付けないのがマナーになるのかもしれませんね。若者が主に使うツールなので、そういうマナーになるのかなあ、という気はしますが、中高年が気にする必要はないと思いますよ。
どうせ、いまの若者もあと20年もすれば中年になるわけで、そのときには若者の発言に違和感を覚えるのですから。私にも覚えがあることですw
・ビジネスメールで、クライアントに送るメールを全文「。」なしで送ったつわものがいました。お相手の企業様にどう思われているのか不明ですが、お相手は50代から40代の、きちっとした教育を受けてきた世代。友人同士のLINEとかなら好きにすればいいと思いますが、ビジネスのようなしっかりした文章を要求される場にまで若者文化を用いるのはいかがなものかと思います。
遊びは遊び、仕事は仕事と区切りは必要です。
そもそも、「。」程度でハラスメントと感じるのは少し心がやわすぎませんか。日本はもはや先進国から脱落し、いよいよ厳しい競争社会に入っていくというのに、そんなガラスのハートでこれから世界を相手に戦っていけるのか心配です。
・ハラスメントとは思わないけど、双方が違和感ないように配慮すればいいだけの話かなぁと思いました。携帯やスマホの普及、SNSの使い方など、世代によってバラバラなので、国語的にどうというよりも、どうすれば気持ちいいコミュニケーションになるかを相手によって変えるのが大事なのかなと思いました。
・若者世代を中心に最近は人のささいな言動や表現さえも威圧的・不快的に感じることをとにかく〇〇ハラスメントとして表現しストレスとなりうることを回避しようと働きかけるのはいかがなものかとも思う…。 その対象者となりうる教育・指導的立場にある親や先輩・上司等からみればもうこういった〇〇ハラスメントと表現されること自体が言うなれば“ハラスメント・ハラスメント(ハラハラ)”ではないかとさえ感じてしまう。 人は体がウイルスに感染することで免疫を持ち強い耐性を身に着けるようになるのと同じように心もストレスを受けつつも忍耐力を強め社会適応力を高めていくものだとも思う。 今後“ハラスメントブーム”が去り、今の若者が20~30年後に立場が逆転する世代になった時どのように若者と接していくのだろうか…。 今度は若者に対して“逆●●ハラスメント”と称して抑圧的な言動をもって己の保身を図ろうとするのではないだろうか…。
・ここで若者を一括りにして批判してる人が散見されるが。 ほとんどの若者はそんな事訴えてもこなければ、年長者に押しつけてもいない。 冷たいなと「感じる事」があったとしても。 そんな事は大人にもある事で、私は「!」を濫用しているコメントに対して威圧的だと感じる事がある。
マスコミが少数派の意見を取り上げて年長者VS若者の構図を作ってしまう。 そこに乗ってしまう大人が若者を批判する。
そんなマスコミに踊らされて若者を一括りに批判するのではなく、自分の周囲にいる若者を冷静に見るのが年長者としての正しい振る舞いだと感じる。 自分の周囲の若者がそれを直訴してきた時には自分の言葉で自分の思いを伝えればいいだけの事。 それをできない大人が多い事の方が問題は大きい。
・小学校で習ってますよね。 句読点や丸の意味って。
文章が読みやすいし、なぜ威圧感なのかと驚きました。 話すように書くからだと知ってからもちょっと理解できません。 文章を読みやすくするための相手への思いやり 脈々と受け継がれてきた日本語ならではの丸や句読点も長く続いていってほしい。
・時代の流れとひとまとめに誤解しないほうがいい。つくづく教育の現場に疲弊問題がないかと不安になる。断っておくが教師全員を責めているわけではないし、文科省も打つ手なく苦労していよう。昨今思うに、「なんか」「すごい」「めちゃくちゃ」ばかり多用するタレントも多いし、教師よりスマホから学んでしまっている状況なのだから。保護者や社会は、にわか評論家で終わらず、学校だけにまかせず、当事者意識を持って接するべきだろう。
・記事にある「会議までに直しておいて。」は普通の指示だけど「会議までに直しておいて!」は怒られているような大きい声で強く言われているような気になります。(この例題で「!」があるから期待されているとは思わないです。)でもそこだけを見るとそう感じるというだけで、相手が普段からその程度のことで怒る人なのか、怒られるような状況だったのか、怒られてないけど急げと言うニュアンスなのか、特に意味は無いのか、単にその人の癖なのか等々、総合的な判断をしてこそコミュニケーションが円滑になるのだと思います。特に仕事ではそういう想像力は大事です。 マルハラだのなんだの言うやつらは私HSPだから配慮してくださいと言い出す人たちと同じ匂いがする。
・。をつけるから威圧的というより、普段からコミュニケーションが足りてないから威圧的と勘違いされているか、もしくはそもそも威圧的な上司の方が4割いるという話にも聞こえる。
アルハラ等と言ってアルコールの力を借りるコミュニケーションが取りづらくなった昨今。数十年前と同等の意思疎通をするには時間的コストが増加しているのではと考えます。
また、若者においても数十年前働いていた人の「この会社で働いていればのちのち見返りが期待できるので多少は我慢しよう」というのが理解できず「今の自分を大切にしてくれる会社なら尽くそう」という考えになっていると思われるのも影響が大きい。
時代の変化ゆえ致し方ない物とは思うのですが、上司にあたる人は昔よりコミュニケーションにかけなければいけないコストが増大しているんだなと理解するしかないかと思います。
・「。」がついていようがいまいが、敬語でのテキストコミュニケーションは威圧感を感じますよ それは若い女性に限らず、誰でもそうです チャットでのやりとりで「あれ、怒ってるのかな?」と思うときはよくあります でも、そういう時はあえて相手の感情をさぐるような感じでコミュニケーション取るようにしてます 相手の感情が分からない時に勝手に想像して行動するのは危険なので、どのような感情でこれを書いているかを知るには自分で動くしかないです しかしながら4割はひどいですね どこの層に聞いているんだろう 普通なら、この程度の話を他人の責任に持っていくことはしないですけどね
・ネット使用が若者中心になっているからね。 独自の言い回しが積み重なったり、簡略化されて、ひとつの園を作ってるね。 業界用語みたいな感じが、広く伝わってるのかな。 その積み重ねが、記事の様に心理的なものと結びついた時、 また新しいものが生まれてくるんだろうな。日本独自の作法になるかもね。
文化って多数決によって決まるのかな。大勢が良いねと思えば浸透するね。 また時間が経過して違う。と思ったら変わるんだろうな。
でも、言語と文化って密接にくっついているんだと思うよ。 せせこましい世の中が、ネット用語に反映されているのかも知れないな。 もし、おおらかな文化になっていたら、「。」は句読点として読まなくて、small good に置き換えられるかも知れないな。なんだってアリ。
・句読点は日本語のルールだと思い込んでいる人も多いけど、たとえば俳句に句点がついていたらどう思うだろうか。句点がつくことによって、俳句の雰囲気が変わる気がしませんか?もしかしたらこれが、若者のいう威圧感なのかも?あるいは表彰状などでも、句読点を使わないことが一般的だと思います。 句読点なんて、一般的に普及してからはせいぜい100年ってとこ。それも縦書き用に使われていたもので、横書きの場合は「,」を用いるべきとか色々言われていたのに、昭和の時代の人々も自分の使いやすいよう「適当に」運用してきたわけだ。 今では絵文字や改行という新たな間の取り方も使えるのだから、今の若者が好むように運用していったらいいと思いますよ。 ただ、句読点を使っちゃう世代への理解はあって欲しいかな。
・私は!の方が急かしてるような感じがします。アラフィフだからかな 〜しといて。ではなく〜しといてね。なら少しは威圧的に思わないのかも うちは40代50代のパートばかりですが、グループラインで何か注意をする時は、結構伝え方気をつけてます。こちらの意図が上手く伝わるようにと、別に怒ってるんじゃないよっての伝わるようにも工夫してます
・まぁねえ、言葉っていうのは時代と共に本来の意味から変わっていったりはするものだけど。 例えば「全然」や「ヤバい」なんか俺より20歳以上上の世代とかは違和感あるらしいから、余り使わないようにするとか、ご年配の相手が何かそういう類の言葉を使ってきたらああこれは本来の意味なんだろうなと解釈したり、「どっちだ?」なんてちょっと考えてみたり。 そういうことは自分世代以前から当然に当たり前に起こってきたジェネレーションギャップでありコミュニケーション(スキル)ってことなんだろうと思います。頭ごなしに「こっちが正しい」「今はこっちが普通」だとか何とかでどっちの何を否定するとかしないとかって話ではなく。 別にそれ一発で重大なことが起こる問題でもないので、今はへーそういうこともあるんだと何となく理解してればそれでいいんじゃないですかね。
・この記事とは関係ないけど、句読点は大昔はなかったんですよね、なぜつけるようになったか?文字が一般的には普及し、どんな人でも読みやすいように句読点をつけるようになったみたいですが、句読点をつける前に句読点がなかったか?というとそうでもないみたいです。草書体でかかれてましたから、文字の切れ目が句読点だったみたいですね
話を戻すと、時代とともに変化していいと思いますので、読みやすい文章であれば、わざわざラインで句読点はつけなくていいとは思います 文字というのは行間を読むことが難しいため、!や?や♪などで感情表現ができることは良いことかなと思いますね
・期待している!ありがとう! 期待している。ありがとう。
この違いは大きいですよ? 上はやや興奮気味かもしれませんが、それでも良い感情は伝わります。 しかし、下記のとおり文末に丸を付けられるだけで、何故か途端に冷めた印象となってしまいます..... 無感情で、送られた人は何処か冷たく突き放したような気持ちにさえなってしまいます。若者なら特にネガティブに捉えるでしょう。 勿論、勉学に励む者にとっては句読点なと見慣れたものですが、それはあくまで文章として必要な句読点です。
友人や仕事の上司など身近な人から、会話調の台詞に【、。】が付いていると、この人いつも他人行儀だな....私の事を嫌っているのかな?と思うものです これは時代の流れ(流行)ですねー
↑ 文末に 。を付けないだけで、何故か稚拙な印象が出てしまうのも事実なので、現代文学の難しさはそこにあるように感じます。
・ネガティブに感じるというアンケート結果をハラスメントに紐付けるのは、やりすぎ。
私も『。』はあまり使わないほうだけど、ハラスメントとは思わない。
居心地悪いと感じることをハラスメントとするなら、仕事中に社長がただ若手社員の近くを通ってなんとなく緊張するのもハラスメントになる。 居心地いい関係性もあればそうじゃない関係性もあるけど、相手を尊敬してて緊張するとかもあるから、居心地悪く感じるのは別に悪いことじゃないと思う。
・若い人の場合LINEなどのメッセは会話の一環なので句読点は必要ないと考える 年寄りの場合、あくまでも文字での文章なので句読点が必要だと考える。 メッセの立ち位置が全く違うのでこういうちぐはぐな扱いになるんでしょう。
・子どもが少なくなって大事にするのは良いが、あまりにも子どもに迎合し過ぎ。 間違っている物はちゃんと叱る。 威圧的と感じるのが間違っていると教えるべき。
メディアも面白おかしく「マルハラ」とかハラスメントとして扱って煽る行為は無責任過ぎる。 受け取った側が嫌ならハラスメントと言うロジックを使って日本語としての常識をハラスメント扱いとか馬鹿らしい。
「LINE」というツールが子ども同士の雑談から社会の連絡手段まで使われるようになっているのだから、丸を威圧的と捕らえる若い人がいるならそんな意味は無いと教えれば解決する簡単な事。
・プライベートなやり取りならともかく、仕事で言われてもね。 仕事上の手紙やメールの書き方って、それなりの形式があるし、それを守ってないと、社会人としての教養が身についてない人に思われるリスクもあるし、口頭で話すものではなく、明確に記録として残るものだから、他人に見られても問題ないような表現を用いるのは、無難な判断でしょ。
・Z世代はZ世代の言い分はあるかもしれないが、 中年老年はそういう感覚で生活してきたわけではないので 多少は多めに見ていただきたいです
それにしてもなんでここまで若い世代に叩かれなくちゃいけないのかよくわからない。 経験もなく、世の中の道理もわかってなく、頭でっかちになっちゃって うまくいかなくなったら人のせいにする。 いつか巡り巡って痛い目に合うと思います。
・言葉のプロであるはずの記者が、ハラスメントとして問題提起していることに驚きます。 句点は「文節を区切る記号」と文部科学省、つまり国が定めたものです。当然威圧感を与える意味などありません。他の〇〇ハラスメントとは違って、国が文末に「。」を使うことを定義しているんですよね。 若い子が威圧感を感じるから…と気を遣うようなものではないんですよ。
言葉というのは共通認識を得るために意味を定めているものです。誰かが勝手な解釈で別の意味を持たせてしまったら、共通認識を得られなくなります。 友人関係の間で、ローカルルールとして「。」を省くのはありと思いますが、オフィシャルの場でローカルルールを持ち出すのはいかがなものかと思います。 自分ルールは社会では通用しません。
・この件とは直接関係しないけど、今の若者、それも成人した社会人までもが、親のことを人前で「お父さん」「お母さん」と言うことに、もの凄い違和感があります。
社会人としての言葉遣いをそんな低レベルなことで注意するのは、かえって相手に気を使って疲れるので放置してしまいますが、マルハラと同じで何でもハラスメント指定する若者に対しては、そうやって他人に理不尽なストレスを引き起こしていることもハラスメントじゃないの?と言いたい。
「お父さん」「お母さん」が示しているように、全体的に稚拙な印象を受けます。メンタル弱いというより、メンタル幼い感じ。家庭や友人間でのカジュアルな関係を、そのまま社会に持ち込むのはやめてほしい。
ハラスメントを認識することは大切ですが、言語や社会のルールは尊重すべき。文句言ったり甘えてばかりいないで、注意叱責で凹んで成長し責任を負う大人になることも大切だと思います。
・正しい日本語の表記を、威圧的に感じるのは個人の自由だけど、それを『ハラスメント』とするのは違和感しかない。 そのうちLINEで仕事の話をしてくるのはハラスメントとか言い出しそう。 っていうか、これアンケートの設問を誘導的な構造にしてるように思います。 仕事のミスを上司から指導されるような内容の文脈であるならば、普通はどんな表現であれ恐縮するはずです。
・言葉は生き物なので、一番多くの人が使う文法が正しい文法なのでしょう。実際、昭和初期の文章などでも既に何と書いてあるか解らないものも結構ある。今の高齢者も更に上の高齢者に同じ事を言われながらも、言葉は徐々に変わって来ている。変わる事がだめなら、平安時代の古文の文章が日本の正しい文章になってしまうとは思う。
・なんかハラスメントの意味がだんだん変わっていってるという印象。 冷たく感じたからハラスメントなんてものがとおるなら、上司側からしても、部下が返事をしなくて不快だからハラスメント、指示したときの目つきがよくなくて怖く感じたからハラスメントってのも成り立つ。 コミュニケーションがきちんと取れないのを相手にせいにして、わがままが過ぎるんじゃないだろうか。 こういう風潮で逆に本当に威圧的な言葉や語気でハラスメントに逢っている人まで「なんでもハラスメント」扱いされる懸念がある。
・28歳 大手町勤務の大手企業 役職者です。 マルハラ、、別にハラスメントまではいきませんが、チャットツールで句読点を使用されると威圧的に感じますね。 もちろんアラフォー世代以降には理解できないかもしれませんが。 メールであれば当たり前に句読点をつけますが、チャットツールの場合は少し違うかなという印象です。 これからの世代は私達ですから、時代は変わっていきます。
・ビジネスで使うのはどうかというのは置いておいて、若者の「短文でいかに意図とニュアンスを伝えるか/読み取るか」という能力の発達は凄い。 表情から読み取れる以上の情報を短文に乗せることができる。 情報量が増えているんだから、言語としては正しい進化の形なのかも。
・文書は、。の句読点をつけて意味をより正確に伝えるものと思ってるけど。これが〇ハラというのであれば少なくとも仕事上のコミュニケーションは取れないと思う。思うにこういう・・・・ハラという新語を編み出すのは良いが、感じ悪いという個人の感じ方の話とハラスメントとという職場環境等で人権侵害を防止しなければならない話と混同して余計に訳が分からなくなっているのでは。・・・・ハラスメントとという言葉も安易に使うべきではないと思う。
・確かに味気ないから絵文字など入れたほうが、文章でもなんとなくお願い感などは伝わって良いなとおっさんでも思う。しかし、会社の決まり事などを自分が嫌と感じれば事を何でもハラスメントにしてとにかく楽をしようとする。
古い世代の製造業も営んでるおっさんですが、皮肉を込めて言えばしてもらって当たり前のお客様的な考えをもった働かない若い人たちが増えたおかげで、逆に仕事は年々増え増収増益で大変助かっています。
・「。」で終わると威圧的だと、誰かが言いだしただけでしょう。SNSの情報を鵜呑する若者が増えていますので、勝手に増殖されて、それが当たり前で知らない方が悪いという流れを感じます。 礼儀をわきまえた文章は必要でしょうが、正直なところ、勝手に作り出されたルールを調べた上で文章を書こうとは思いません。 最近は、SNSを通じた短い文章でのコミュニケーションが増えていますから、句読点がなくても内容が伝わるようになっているのでしょう。それが状態化しているので、句読点が入ると、威圧的などといった感じ方をするようになってしまったのではないでしょうか。
・ナイナイ。 受け取り方を変えれば良いだけなのでは。 何でもかんでもハラスメントという便利な単語を付けることで、自分の思い通りや不快に思った事をやり過ごすことが出来なくてどうするの。 気に食わない=相手を消してやれ!みたいな単純思考に陥る人もいるんだから、我慢しろとは言わないが、スルースキルを磨く方が良いと思う。 溜まったストレスはスポーツやゲーム、好きな事をして忘れて発散する方法を見つけないと、多くの人は違うと思うが、極端な人が増えてしまいそうです。
・上司とのやり取りなんだからアプリでも仕事のメールのやり取りと同じ感覚でいれば良いのに。 仕事のメール感嘆符つける方が変でしょ。
仕事のやり取りにアプリを持ち込むのは時代の流れでOKだけど、この場合仕事に友達とやってるアプリの感覚持ち込むんじゃなくて仕事のメールの感覚をアプリのやり取りに持ち込んだ方が良いでしょ。
・ナイナイ。 受け取り方を変えれば良いだけなのでは。 何でもかんでもハラスメントという便利な単語を付けることで、自分の思い通りや不快に思った事をやり過ごすことが出来なくてどうするの。 気に食わない=相手を消してやれ!みたいな単純思考に陥る人もいるんだから、我慢しろとは言わないが、スルースキルを磨く方が良いと思う。 溜まったストレスはスポーツやゲーム、好きな事をして忘れて発散する方法を見つけないと、多くの人は違うと思うが、極端な人が増えてしまいそうです。
・上司とのやり取りなんだからアプリでも仕事のメールのやり取りと同じ感覚でいれば良いのに。 仕事のメール感嘆符つける方が変でしょ。
仕事のやり取りにアプリを持ち込むのは時代の流れでOKだけど、この場合仕事に友達とやってるアプリの感覚持ち込むんじゃなくて仕事のメールの感覚をアプリのやり取りに持ち込んだ方が良いでしょ。
・句読点の有無は時代によって変わっており、 時代によってあったりなかったり。 江戸期もテンマルを使うこともあったそうだが、 定着したのは明治半ば以後だそうで、比較的近代のことらしい。
私が中・高の頃の国語教師が、句読点のない文章は受験で不利なので、 必ず付けろと言われて以降、癖のように文章にマルは必ず付ける。 そもそも「!」や「?」は英文から来ていて日本語にはない。 句読点だけのことで言えば、日本語にマルでなくピリオドを使われると なんだかなーと思うし、 「~?。」のように、「?」とマルを同時に使う人もいて、 これも見ていて落ち着かない。
ラインのように短文のやり取りだと見た目の文字面が大事なのだろう。 「!」やら「?」やらスタンプやらで、 文章の中身より気持ちの表現を重視する結果 「マルハラ」なるものが生まれる。 高圧的な文章ならともかく、句読点の有無で判断されるのもなんだか。
・句読点はあくまで区切り。句読点がないと、まだ文章が続くのかなとか伝えたい事の途中なのかなと逆に気になるけどなあ。言いたい事の途中で、話を遮られると自分だって寧ろ気分悪いはず。話をキャッチボールなのだから、Xの様な返信を期待しないつぶやき感覚を人と人のコミュニケーションに持ち込んだら会話は成り立たないよ。
・チャットなら文字の間隔を開けるけど、文章に空白を開けても変だと言われることもある。たくさんの顔文字を使わないと嫌がる人もいるけど、顔文字はふざけた席でしか使わない世代もある。 たくさん改行しないで文章を書くと、句読点は必要になる。むしろひらがなが読みにくい気がして、点が増えてしまいがち。
・社会に出たら慣れるのでは?苦痛が強い特殊感覚なら被害妄想の前に配慮要請を自分からするべきだし、取引先にこんな対応されたら目も当てられない。こりゃ研修時などに嫌がらせではなく感嘆符多用の方が非常識と叩き込まないとだね。その4割の出身高校名と大学名を知りたいが大丈夫か?ただデータの状況も謎で、普段感嘆符の同年代の人が機嫌を損ねるといきなり変わって怖い、対面でも感じが悪い総合判断なら状況が違うがどうなのか。
・ふと思ったけど、きにしーなメンタル弱いヤツだらけで気持ち悪くないだろうか。異性に多いが自分捨ててテンション高めな文が送られてくるけど、正直その方がひくし嫌がらせに感じる事さえある。 普段相手とどんな関係を築いてるかだと思うし、威圧的と感じるのは思い当たる節があるのだろう。人のせいより自分を疑った方がいいのではないだろうか。
・日本語の基礎。若者文化にどこまで合わせるのかという気持ち。文章に感情を乗せるのは正直無理に等しい。最近の若者は直接会って言葉で交わす事よりも手軽で料金も安いSNSやLINE文章に頼りがち。タイパやコスパ優先な文化もあるんだろうなと。ただその弊害で文章だけで感情を読もうとしすぎて、勝手に相手の感情を読んでトラブル続出なんだろうなと。SNSやネット上で文章を安易に言葉を書く事の怖さは最近のニュースで見ていても思う事。○が怖いと思うなら直接電話をしてみたら良いのでは。意外と相手は想像よりも穏やかだったり、○を気にして無い事の方が多いかと。まる文章で威圧を感じた人は他者とのコミュニケーション不足もあるんじゃ無いかなと。
・「!」は、正式名称はエクスクラメーションマーク、だったかな?
普段は、びっくりマークと呼んでいる。
要するに、強調する時に、使うのよ。
なので、必ずやっておいて欲しいこと、むしろちょっとぐらい威圧感を出したい時なんかに、使うイメージ。
もちろん、そういうネガティブな使い方だけではなく、「嬉しい!」「ありがとう!」「また飲みに行きましょう!」「了解!」など、プラスの表現であっても、感情を強調したい時に、使う。
それ以外の、フラットな感情の時は、やっぱりマルだね。
まさか、真逆の意味に受け取られていたとは。。。
というか、感情を込めないことを、送り手は、単なる「フラット」だと思ってるんだけど、受け手に「冷淡」「威圧的」と解釈されるっちゅうのは、そら厄介やな!
人生、長く生きてると、そういつもいつもびっもしてられないし、感情も込めてらんないのよ。
フラットは、冷淡ではない。
・これってLINEのやり取りに使う文章の中でって話? 手紙やメールでの文章も含めて日本語の文章全体での事なのか、LINEやSNSに限定された事なのかはっきりしないと、日本語全体の衰退や使い方の間違いの指摘に議論が進むのは言い過ぎな気がします。 内容がはっきりした上で、「LINEだけなら良いのでは」とか、「いや、LINEでもしっかりとした文章を使おうよ」と言う議論に持って行った方が良いのではないかな・・・。
・LINE、Twitter、Instagramやオンラインゲームのチャットなど、「お友達感覚」でやり取りをするメッセージが多いから、「。」だけだと感情表現が不足していると感じるのかも? SNSが発達してからは、特に若者は誰かとのやり取りにおいて、絵文字や顔文字をつける人が多く、むしろ言葉以外の部分で感情を読み取ることが多いから、「。」をつけるのは会社との連絡ぐらいになってしまう。 例えば、 「楽しかったね( ´∀`)」 というメッセージがあったとして、 「楽しかったね」の部分で感情を読み取るのではなく、「( ´∀`)」の部分で感情を読み取ることがよくあるから、それが「。」になったら冷たく感じるということだと思う。
・プライベートのやり取りなら句点を使うことは少ないけど、仕事関連は句点使うのは普通だし相手を威圧しようとして使う人はいない。 ビジネスメールをあまり書いたことないからそう感じるのかな。 何でもハラスメントと言って自分達を守るから、周りの目上の人から関わると面倒くさいと思われて放置されてモンスター社員にならないと良いね。
・これに否定的な年配者は多いが連絡ツールが文字になっている以上、句読点や感嘆符なども感情を表現するツールになるので致し方ないとは思う。むしろビジネスの世界ではこういう変化は敏感に察知できなければいけないと思うが
・プライベートのやり取りの話なら好きにすればいいけど、業務上のやり取りでマルつけただけで威圧的と感じるような人間は仕事するのやめたら?なぜ仕事の場で若い人のご機嫌取りしなきゃいけないの? まずこの例文の「すみません・・・」の点もいらないし、業務上の連絡は業務的でいい。句読点をつけることがマルハラと呼ぶなら、仕事の連絡をプライベートと履き違えてハラスメントと呼んでストレス与えること自体もハラスメントになるでしょうよ。
・じゃあ小学生から色々やり直してくれよって思うこと多々。自分で打つ文章をアレンジするのはいいけれど、他人のあれこれ、それも間違って使っているものではないものについて言うのはおかしい。 そもそも通常使われているものにハラスメントを感じるのは気にしすぎでは無いでしょうか?一般の…気安い関係の方に使うものならまだしも、ビジネス関係の相手に使うものにも「!」や「?」を使うんでしょうか?
私はこういう記事があるからハラスメントだと助長させるのでは?と思います。セクハラ、アルハラ等ありますが、これは通常使うものに「NO」を突きつけているもの。セクハラやアルハラとは質が違うものだと思います。
・「!」は感情的に感じる。 だから、ビジネスでは使わない。 LINEに、読点(。)はそぐわないのかも知れないが ビジネスメールに句読点は必要。 そもそもLINEをビジネスに使う事がちょっと・・・
ビジネスメールで、導入部分のご挨拶が長すぎる物も。 コピペや文章登録の自動入力なのだろうがね。 もっとビジネスライクに端的に書いて欲しい。
・こんなことにまでハラスメントって今の日本が相当に狂ってきているとしか思えませんね 正しい日本語、国語を授業で習わなかったのだろうか? 確かにメールとかで文字だけを見るとニュアンスが伝わりにくいからどんな感情でとかわかるはずもない 絵文字を使ったら使ったらで古いとか年寄り扱いするし ホント生きにくい世の中ですよ 私はこんなこと気にせず生きていきますようにします
・「マルハラ」?こんな人は本を読むのも怖いのだろうね。要は、同じ文章でも、メール(文語体で書くのが普通)とメッセージ(普通は口語体、下手するとタメ語)をしっかり認識しないとこんなことになる。上司・部下の関係では普通文語体になると言うことを「入社時の社員研修」で教えておけば良いと思うが。
・ビジネスでこれ言われたらマジで甘えんなよって思う。 プライベートだと…まぁ分からなくもない面はある。 というのも、例えばおじさん構文、おばさん構文とかいうやつだって、句点で終わることを避けて絵文字使っているので。 あそこまで度が過ぎた文は流石に打たないけど、当方は句点を避けるために絵文字を使うということを20年以上前からやってる世代です。 いちいちハラスメントだと騒ぐような頭の悪いことはしないけど、句点を避ける傾向は多かれ少なかれ昔からあったのでは?
・仕事上のやりとりなら左側の方がいいと思います。 むしろ左側でエクスクラメーションマークを使ってる側の方がやや砕け過ぎに感じます。 「問題ないでしょうか?」という発言から相手の方が上な訳で、上の人に向かってエクスクラメーションマークを使うのはむしろ注意されてもおかしくない。
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