( 146990 ) 2024/03/08 13:33:14 2 00 山口真由が「成績優秀でも社会ではポンコツ」と苦しんだ学校と社会の評価基準の差、「読んで暗記」は受験向きの能力だった東洋経済education×ICT 3/8(金) 8:02 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/cb804718e2493e7fcaf151ee9015cc0cb0cf683f |
( 146993 ) 2024/03/08 13:33:14 0 00 写真:東洋経済education × ICT
東京大学在学中に司法試験に合格し、「法学部における成績優秀者」として総長賞を受け、卒業後は財務省に入省──。誰もがうらやむほどの輝かしい経歴を持つ信州大学特任教授の山口真由さんだが、社会に出てからは挫折の連続だったと話す。日本の学校教育で養われる力と、社会で求められる力の差に困惑した経験を持つ山口さんに、独自の教育論を伺った。
【写真】現在は信州大学の特任教授を務め、コメンテーターとして「羽鳥慎一 モーニングショー」「ゴゴスマ」などに出演中の山口真由氏
──山口さんは学歴や職歴で素晴らしい実績をお持ちですが、現在の仕事に就くまでにどのような経緯があったのでしょうか。
大学在学中までは苦労知らずでしたが、大学卒業後、社会に出てからは、決して順風満帆ではありませんでした。私は幼い頃から本が好きで、読むことが大の得意。さらに、読んだことを暗記することにも長けていたので、その記憶力を生かして受験し、希望通りの学校に進学できました。筑波大学附属高等学校に入学してから東京大学を卒業するまで、成績はつねにトップ層をキープし、東大では4年間「オール優」。文章を読んでインプットするという自身の能力が、日本の学校教育や受験における評価軸にぴったりはまったのです。
順調な人生が一転したのは、大学卒業後、財務省に入省してからでした。資料を読み込むこと以外ぱっとしなかった私は思うように仕事を回せず、周りからダメ出しされ、上司にまったく評価してもらえない。学生時代の成功体験で培った「自分は優秀な人間である」という自信がガラガラと音を立てて崩れていきました。「官僚にとって大事なスキルはロジスティクス(注:霞が関用語。スケジュール管理をはじめとする、さまざまな業務遂行のための準備を指す)」といいますが、実は私、料理などのマルチタスクが大の苦手で。まるで使えないポンコツのまま、わずか2年で財務省を辞め、弁護士にキャリアチェンジしたのです。
次こそうまくいくかと思いきや、弁護士というのは考えて話す能力のほうが重要で、意外とリサーチ力は評価してもらえません。弁護士時代も結局落ちこぼれ状態で、苦難の連続でした。その後ハーバード・ロースクールへ留学し、東京大学大学院を経て、今は信州大学の特任教授として教壇に立ちながらテレビなどでコメンテーターをしています。ずいぶん長く迷子になりながら、ここにきてやっと自分にとってドンピシャの居場所を見つけることができました。
──もし昔に戻れるなら、改めてどのような進路や職業を選びますか?
読む能力を最大限に生かしてお金を稼ぐという観点では、文系に進んで裁判官か調査官になるのが正解かもしれません。大学に残って研究者になるのもありだとは思います。
──ご自身が受けた教育を振り返って、日本の子どもたちにどんなスキルを身につけてほしいと感じていますか。
正直、私の「読む能力」が今流行りの能力ではないことはよくわかっています。日本の学校教育では培えなかったと感じるのは、人前で話すスキルです。社会に出てからは特に、メールや書面でやり取りするより、打ち合わせや会議など口頭でのコミュニケーションがメインです。聞かれたことをパッと思考して話すことや、他の人の意見に反論すること、反論をパーソナルに捉えない術などは、小学生の頃から訓練しておくとよいのでしょうね。
海外に目を向けると、アメリカでは学校でパブリックスピーキングを学ぶ機会がありますし、インドや南米の人はとにかくよく喋ってコミュニケーション力が高い。読み書きより先に、人前で話す訓練を積んでいるのかもしれません。一方で日本は、大量のインプットに対してアウトプットはテストのみ。人前での発表も、その場で思考しながら話すのではなく、事前に書いたものを読むイメージですよね。
日本もアメリカ同様、学校教育のカリキュラムに「話すこと」に関する学習や試験を盛り込むべきです。私は、日本の学校教育で養われる力と社会に出て求められる力がまるで異なること、学校教育の評価基準と社会人としての評価基準があまりにかけ離れていることを危惧しています。
──確かに違和感がありますね。その差を埋めるためには、例えばどのような機会があるとよいでしょう。
大学で教えている立場として言いたいのは、社会や企業が大学の存在を軽視せず、大学教育に何を求めるかを示してほしいということです。そもそも、膨大な時間をかけて制作する卒論と関連する分野で就職できている学生は、ほとんどいないのではないでしょうか。せっかくの大学での学びが、社会においては生かされることが少なく、ここに教育と社会の分断が生まれてしまうのです。
先日、ドラフト型の採用イベントを発信するABEMAの「キャリアドラフト」という番組に出演した際、プレゼンした学生が誰一人として大学での勉強内容について話さなかったことにショックを受けました。アピールのネタとして出てくるのは、サークルやアルバイト先のエピソードばかり。これは、勉強では彼らのアイデンティティーを形成できていないことを物語っています。
実際の就職活動においても、エントリーシートに書くネタといえば、サークルかアルバイトが鉄板ですよね。もし、私が「学生時代は勉強に打ち込んでオール優でした」とでも書こうものなら、「ガリ勉で使えなさそう」と企業には見向きもしてもらえないでしょう。企業側が大学に求める教育内容を明示し、それに大学が応える。まずはこれだけでも、大きな一歩になるでしょう。現状は大学だけに限らず、教育界全般と社会とのコミュニケーションが少なすぎるように感じます。
──偏差値の高い学校や最高峰の大学への進学については、どうお考えですか。
例えば大谷翔平選手や藤井聡太八冠のように、子どもの頃から将来やりたいことが明確に決まっている一部の人を除けば、できる限り偏差値の高い学校に進んでおいたほうがいいと考えます。その理由は2つ。1つは、将来何かあった時に叩ける“可能性の扉”がより多く存在しているから。もう1つは、就職や転職する際に、事細かに説明せずとも自身の能力を理解してもらいやすいからです。私自身、東京大学に進んだことで、叩ける扉の数は多かったです。これには非常に感謝していますし、おかげで自分に合う場所を見つけるまでさまざまな扉を叩き続けることができたのだと思います。
また私は、自分が無教養・無趣味であることを恥ずかしく思っているのですが、例えば企業の取締役に就いたとして、システムの話がまったくわからないのでは問題でしょう。詳しくなる必要はなくても、好奇心を持つに足る原材料は持っておくとよいと思います。
──子どもたちがこれからの未来を生き抜くために必要なことはなんでしょう。
自分が何者であるか、自分にはどんな能力があるのかをなるべく早く知った上で、それを徹底的に磨いていくことだと思います。個々の能力を見つけるには、親や教員の積極的なサポートや見守りも必要でしょう。
私は読むことが得意だったけれど、それが自分の武器だと知ったのは、30代に入ってからでした。ハーバード・ロースクールでレポートを出した際に「あなたは読む力が非常に高い。文章にないことを読み取ることができる」と教授に言ってもらい、目からうろこが落ちたんです。授業中の発言は苦手でしたが、「私は文章で表現できる。私の核は読んで表現することなのだ」と、ようやく気付くことができました。
海外へ飛び出して自分を客観的に見つめて削ぎ続け、結果として自分の軸が見つかったのは大きな収穫でした。軸が見つかれば、あとは自信を持って人生を組み立てていくだけ。財務省と弁護士時代は軸が見えないまま迷走していて精神的にとても辛かったので、子どもたちにこんな思いはさせたくありません。「状況を客観的に分析できる」「人の感情に気付ける」「空間認知能力が高い」など、どんな些細なことでもいいので、少しでも早く自分の個性に気付き、ブラッシュアップしてほしいと思います。
(文:せきねみき、写真:本人提供)
東洋経済education × ICT編集部
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( 146994 ) 2024/03/08 13:33:14 0 00 ・まさに私の弟がコレだった。幼い頃から頭が良いと本人も周囲も思っていて、京大の大学院まで出たが社会に出たらマルチタスクは出来ない、ハードワークについていける体力がない、人の気持ちが読めない、でもプライドは高く、ひとの助言に耳を貸さない。本当に苦労したようだ。学校の勉強が出来るのと社会で評価されるのは必ずしも一致しない。
・コミュ力やその場対応力が必要なのは確かだけど、日々の物事への取り組みの中で磨かれてくるものであり、基礎学力がないと専門知識しかない人は少し変わった課題に直面しただけで 専門外なので と言って使えない人間になる。自分の子供については日々アンテナをはりいろんなことを勉強し、確固たる基礎学力を持つことで どんな課題にも世界のどこに言っても対応できる人間に育ってほしいと思っている
・職業のミスマッチが起こると周りにも本人にも不幸ですよね。病んでもおかしくない。その中で努力を続けて道を見つけたことは素晴らしいです。 東大でのくせに京大出てるのに?とか高学歴だから余計に病む可能性がある。 優秀だけどコミュ力にかけるとかマルチタスクが苦手とか、偏った子供達には自分の適性や個性も明晰な頭脳で分析し先を読んで行動して欲しい。
・人対人の中で自分の意見を持って、伝えて、物事を進めていくみたいな、社会人スキルは学校で教わらなかったね。
教わったのかもしれないけど。受験にしか関心なかったから、右から左だったのかもしれない。
ここが問題なんだろうね。 中高生が、受験=ゴールと捉えてしまいがちな、社会設計と教育制度みたいな所が。
受験の先、卒業の先を見据えられるようしていく事が重要だよね。
・この人が成功出来たのは、 高学歴だからではなく、退職したり留学したり自分で行動したから 学校はテストや勉強で常に明確な課題を与えてくれるからそれに応えさえすれば優秀な生徒として讃えられる ところが、仕事にしても恋愛にしても 社会に出ると自分で自分の課題を見つけなければならないから受け身の人は躓く どれだけ勉強が出来ても、自発的に行動しないと充実した人生を歩むのは難しい
・マルチタスクというのは本来人間には難しいことのような気がするけどな。コンピュータだって、瞬間瞬間を見れば一つのことをやっていて、それを高速で切り替えているから、マルチタスクに見えるだけだし。
それとは別に、話す力を学校で鍛えるべき、とか、社会が学校、特に大学に、人材に求める能力を伝えるべき、というのはその通りと思う。
そうならないのはメンバーシップ型雇用の中で企業が新卒に専門能力を求めないから、という議論があるけど、
専門能力で無くとも、いろんな業務で使える汎用能力として、こういう能力が欲しいというのは伝えて、教育に反映できないものかな。それこそ、話す力のように。
そういう取り組みが全くなされていないわけではないだろうけど。
・素晴らしいメッセージですね。 自分の得意なことを伸ばす環境が、日本には本当に少ないと感じます。 私は本来このように書くことがとても好きです。 けれど、あまり文才があるとは思えず、大学以降無理矢理身に着けたコミュ力で今は社内教育の仕事をしています。 コミュ力は大学で友人を作るのに受け身では駄目だな〜と思って一念発起、社会人になってからはさまざまなお客様とのやり取りを通して学びました。 けど、本来の私は内気で慣れ親しんだ社員にすら話しかけるのはとまどいます。
苦手なことを必要に応じて伸ばした結果、少し思った人生とは違ったものになりましたが、これはこれで楽しんでいます。 生きていくために必要な力を伸ばしていく教育というのも重要と思います。
・ただ読んで知識にするだけの人は確かに存在していて、その知識が現実世界で有機的につながってなかったりする。
何のために学ぶのかという軸があれば学んだことの意味を問う癖が身につくと思うのだけど、ただ闇雲に覚えてテストをクリアして、ただ忘れるということを繰り返すことになるらしい。
だからといって、そうした詰め込みの勉強ばかりが悪いかというとそうでもない。対話のなかで知識と知識がつながり、パッと目を輝かせる瞬間がある。学ぶことの意義を知れば、より積極的に学ぶようになるし、よく考えるようになる。
このひともきっと、出逢いによって気づくことができたのだろうな。対話って大事。
・当人の問題というより、詰め込み教育による国の責任もありますね。主体性や創造力、社会性や国際力、個性をより育む教育をするべきだった。教育で学ぶことと実社会で求められることのギャップがありすぎなのも問題。できない子もいるので周りのフォローが重要。今では大分認知された発達障害も子供の段階で気づき、フォローする体制を取るべきと共に、そういう方々も生き生きと活躍できる日本社会を作りあげるべきだった。
・男子高時代、東大に同級生が14名入りましたが 後に社会に出て進んだ世界で活躍を遂げ、英才の誉れを汚さずに名を為した奴は一人も居ません。 恩師は良く「東大までの奴、東大からの奴」と言って憚らなかったですが、ネームバリューほど東大卒は万能では無いし、受験勉強の無理が祟って人格形成や対人スキルに難のある方もちらほら見掛けます。 山口さんの様に、早々に自分の限界を客観視して官界からリタイアすることも大切な決断ですし、自分が活かされる世界を見出だし、居場所を探せる方がきっと人生は有意義な筈です。 東大→国家1種→官僚と言うテンプレートの様な経歴は立派なのかも知れませんが、幸せなのかは全くの別問題ですよね。 山口さんが優秀過ぎるが故に、選択肢が多すぎて難儀しているように見えてしまうのは、凡人の憧憬なのかも知れません。
・人には集中タイプと集中出来ないタイプがいるんです。前者の集中は凄いですが周りの音や声が全く入りません。後者は集中出来ないのは周りの事が気になるから、こちらは周りの事によく気がつく。勉強は前者が得意、後者のがマルチタスクでコミュ力が高くなる傾向にあります。自ずと向く仕事が決まって来ます。とは言えだいたいの人は真ん中あたりだし、修練すれば可能性が無いわけでは無い。だから他人からはアドバイスしにくい。本人や親が気がつくしかない。
・高学歴の方が、職場ガチャや配属ガチャに恵まれるとは限らないし、仕事では学力以外のスキルも重要。
確かに、高学歴の方が人脈やチャンスは多い。
美人やイケメンが得するのが現実だし、好き好んで見た目を悪くする奴はほとんどいないのに近い。
特に、日本でホワイトカラーになるためには学歴は必須。
学歴が全てではないし、「○○大学でないから人生終わり」ではないが、ある程度、大学名で評価されるのが実情。
学歴を積み上げるのが難しいのであれば、資格取得や手に職を付ける道を目指す等、方向性を変えた方が良い。
実際、「学歴は関係ない」と言い切れれば良いけど、無関係ではないと思う。
ただ、一方で閾値を超えれば、大学のレベルは関係ない。
東大京大でも無能はいるし、地国でも優秀な人は優秀。
結局、所詮は18歳時の瞬間最大風速なので、そこから上がってる人もいれば、劣化してる人もいるのが現実だと思う。
・この記事の内容で勘違いしてるな、と感じる点はマルチタスクは人は基本的に不可能だと言う事。求める側がいくら求めても。出来ているつもりの人が居ても。 そして山口氏の頭脳は少なくともテレビ等ので拝見する限りは記憶力だけでは無く回転速度も視点の変換も桁違いなのは、明らかにすぐにわかる、と言う事。 優れた頭脳も、不得意な部分や運動能力、容姿や性別含めて全てその人の個性。 個性を活かせる人生に出来れば、それこそが幸せなのだと思っています。
・>読んだことを暗記することにも長けていた
山口氏の著作を読んだことがあるけれども、1回読むだけで覚えてしまうタイプではなく、その著書『東大首席が教える超速「7回読み」勉強法』にある通り7回読んでいる。もちろん、7回で覚えることができ、7回も読めること自体が、大多数の人にはできない才能であり努力ができる素晴らしいことだと思う。
>大学在学中までは苦労知らずでしたが
本人は苦労とは感じなかったのかもしれないが、受験生時代にとてつもない努力をされている。そして、ハーバードロースクールも出られている。アウトプットする能力も、思考力や問題解決能力も大多数の人よりあるのではなかろうか。「読んで暗記」は不要ではなく、大前提。プラスアルファがより求められるようになっただけで、必要な能力だと思う。
・成績優秀の方々のことは無縁ですのでよくはわかりませんが、今の社会でどのような力が役に立つのか?受験勉強のメリットとデメリットは何か?優秀な成績と人間がもつべき理解力の違いはどういうことか? 経験上で今の義務教育での教育課程・指導要領が、本当に将来の日本に於いて必要なことなのかは理解されていると思いますので、そういう観点で学校教育の本質を示していただけると子どもたちにはより良いことになると考えています。
・暗記が得意なのはうらやましいなと思います。 私は暗記が得意ではないから覚えることが少ない科目(国語・数学)はできるけど覚えることが多い科目(英語・社会)は苦手なのに、世の中的に「暗記は誰でもできる」と思われてるのか「もっと勉強すれば英語や社会もできる」と言われ続けて嫌だった記憶があります。 私は「情報を組み合わせて使う」のが得意と気づいたことでそれを活かせる仕事(ITエンジニア)を選べたので、学校でも暗記以外の能力を発揮する機会があったら自分の得意に気づいて職業選びに活かせる子が増えるのでは?って気がします。
・これは本当に賛同する意見。 私の場合は、聞いたり見たりしたものをまとめるのが得意だと、40代半ばにして知りました。 これを活かす仕事には出会えませんでしたけど。 もっと早く自覚したかった。
そんな経験もあり、子供を育てていて、子の強みを見つけるのは大事と頑張ってますが、なかなか見つかりません。 先を読む力が秀でているのはわかるんだけど、それを活かす事はなんだろうと私にはわからなくて、本人もまだまだ迷い中。まず、性格的にコミュニケーションが苦手で、今の世の中では、マイナスからのスタートだし。 記憶力はいいので、とりあえず、山口さんの言う通り、できるだけいい大学に行けるようにとサポートしてるけど、最近は個性重視になっているから、点数が取れるだけではだめだよなと感じていて、まだまだ迷子状態です。 暗記得意、コミュニケーション苦手な人の能力を活かす道も社会にあるといいなと日々探す毎日です。
・そうはいっても素晴らしい能力ですよね。 ほとんどの人にはない能力だ。 ただ、もしかすると取り入れることのできる情報が多すぎて、アウトプットに時間がかかるのかもしれない。 普通の能力ならばインプットに限界があるから、自然と取捨選択をして太い枝しか辿らないけれど、現実には大抵の人がそうだから、結論において不都合が生じない。 彼女の場合、非常に細かいところまでインプットできて、それらをも考慮して複雑な考察をすることができるが、当然出力には時間がかかるし、相手にはそれだけの価値を見出してもらいにくい(そもそも、そんな細かいことまで考慮していないから)。 実社会はもっと雑なものであり、その雑さの中で色々なものが動いているから、精緻すぎることが実社会内で不都合にうつることもあるのかもしれない。 まぁ、それでも、やはり優秀なことに変わりはないよね。
・高学歴でも社会に出てこの方のように 通用しない人は少なからずいるでしょうね。 でもそこで、客観的に自己分析し、それを受け止められるかどうか、ですよね。 だって高学歴で挫折なく生きてきて気づかない人が多いんですもの。
まだこの方はそれに気づかれ、分析し、自分に向いた職業は何かと模索されたこと。 そして自分の欠点を受け止め補うために努力されたこと、そこは社会に出て人間的に成長されたということでしょうね。自己分析や反省ができる人、ごめんなさい、ありがとうが言える人間でありたいと思います。
・いくら勉強ができて東大出て挫折無しで就職できてもやっぱり得手不得手はありますからね。でも山口さん、そこに気づけただけいいです。そこすら気づけず単に高学歴のプライドを振り回されると社会では「理屈ばかりで使えないヤツ」になってしまいます。例えばプロの一流料理人は専門学校卒でもマルチタスク能力・料理創造力・味覚嗅覚のすごさは学校の勉強とは全然違うすばらしい能力ですよね。
・頭が良いのと、仕事ができるのは別だと思う。けど、山口さんのように、ずば抜けた能力があれば、絶対に活かせることはある。
自分は、分析することが得意で、頭の中で思考実験したり、仮説を立てるのが得意。他に人よりそれは、秀でていると思う。しかしながら、イベント系の仕事をやるのはとても苦手だし、デザインや芸術系の仕事もぜんぜんできない。
自分も、何ができて、何ができないかわかっているので、自分の強みを活かせるように仕事をしている。
・有名大学の卒業証書は製品に例えればその製品にメーカーのラベルを貼り付ける作業の様な物ですので一定の品質保証書の様な物でしょう。 一定品質の材料が上手く使える材料になるかは社会へ出てから、所謂雑巾掛けがきちんとこなせるかに掛かっておりますので何とも言えませんが、品質保証書が幾つも有れば人が羨む職業につく事が出来ます。
・日本型の教育で目標とされる優秀さは一兵卒としての優秀さに近いけど、 それが社会のすべての場合において必要なわけではないし、 一時はそれで成功したものの、世界の社会状況が変わって有効ではなく なってきてるにもかかわらず、その方法論にこだわり続けてるのも、 この30年の停滞の一因だと思う。
・山口さんは日本の最高峰というレベルで過ごしてきて、すべてにおいて一般とは比較にならないレベルを自分に課してきただろうと思うので これで勉強よりコミュニケーション力だよね、なんて安易に納得してはいけないでしょうね。 学力も大事。 ただ、勉強が一人でもできる努力なのはたしかで、 一人でできることだけでは足りないというのはそうだと思う。 社会人なら勉強は仕事の片手間にやることにすぎないですからね。 そこは学生のうちからというか、 親が子育てする中で意識したほうがいいのかなと思う。 部活や学校行事を中心にやりながら片手間で勉強するくらいのほうがいいと思いますね。 それが結果が出せる子って活気があって自信持ってる。 だからどこへでも自信を持って出て行ける。 親はつい勉強時間が足りないんじゃないかと焦るけど、勉強だけやるより結果的にはいいと思います。
・勉強ができることやそのことのために努力できることは素晴らしいこと。 でも、勉強イマイチでも他が長けている子もいる。 人それぞれ長けているものって違うから、 本当はなるべく早めに自分の向き不向きを理解して、適材適所を目指していけると良いんじゃないかなって思う。 そういう教育のほうが大事なんじゃないかな。 みんなができることができないと、まるでダメな人間のように感じてしまうし、夢を持てないことも焦りを感じたり。 そういうので追い詰められちゃう子もいるけど、 いろんな道があるんだよ、これが苦手でもこれは得意じゃん、こういう道もあるよって思えれば、もっと生きやすいんじゃないかな。
・いい大学を卒業しても即戦力を期待するのがそもそも間違い。社会では何も出来ないと思ったほうが良い。一度挫折し自信が崩れたあとに、いかに立ち直り、積み重ねるかが大事。そのためにも学生時代は勉強して基礎学力をつけるのは大事。成果を焦ってはいけないので
・このくらいの経歴の方だと、都合の悪いことは他人や環境のせいにしがちな気がしますが、この方は謙虚にご自身の問題として受け止めているのは素晴らしいことだと思います。頭も良いけれど、性格的にとても素直な方なのでしょうね。
・社会人に求められる能力は問題解決能力。これを紐解くと、まずは問題を見つける能力。そして問題解決までの計画を練れる能力。次に計画実行にあたり、他に協力させる、コミュニケーション能力、または率いるリーダシップ能力、または他を巻き込む調整能力。 この他に補助能力としてマーケティングやITスキル等多岐にわたるが、これらはどう言う目的にどのように使用するかがわからなければ宝の持ち腐れである。 幼少期から青年期に養わなければならないのは、当然下地となる基礎学力は必要だがそれ以降、文系ならば思考力を養わなければならないのだ。 つまり、学校は社会での活躍のための通過点であり、学力はあくまでツールの一つであることを勘違いしてはならない。
・初めてこの人を経歴抜きで素敵だと思った。 ただ綺麗に聞こえる様な当たり障りない意見を言うのではなく、こういう自分の弱い部分も見せながら経験上得た芯のある話が聞けるのは本当に意義があると思います。こんなに頭が良くて優秀な人でも悩む事ってあるんだなと少しホッとしましたw 日本での、学んだ学問と社会に出てからのミスマッチの問題は厚切りジェイソンさんも以前言ってましたね。企業側も教育に欲しいものを要望する。良いと思います!早目に知れたらそれを身につけられる様準備出来るし社会に出てから無駄に悩まなくて済みますもんね。あとアウトプットや話す能力を身につける、本当に大事だと思います。書いてきたものを読むんじゃなくて話し合いや公的な場で自分の意見や正当性を主張したり説得する能力といいますか。企業は分かりませんが、日本の政治の世界や外交での無能ぶりを見てたらこの能力の無さがよく分かります。
・簡単に言うと、競技とルールが変わるからね。学校は勉強、ペーパーテストで評価される。つまり、暗記したものを吐き出す力が一番の武器になる。数学も似たような問題パターンを繰り返しやって、身につける暗記だしね。
社会に出ると、職場によって評価方法も競技もルールも全て変わる。この変化が来る事をちゃんと理解していない人やその変化に適応できない人は辛いだろうね。
とは言え、暗記力は決して卑下する能力ではなく、大事だとは思うけどね。例えば、仕事柄、公務員と関わる事もあるがエリートの公務員と相対する時は最低でも六法頭に入っていないと勝てない。今の世の中、調べればすぐに分かるけど、仕事や交渉中に一々調べてたら、相手に刀や銃を抜かれているのにこちらは刀の袋を解いたり、弾込めしてる状態になり、話にならない。
頭に知識詰まってないとアイデアも出ないしね。要は使いようだと思う。
・「できる限り偏差値の高い学校に進んでおいたほうがいいと考えます。その理由は2つ。1つは、将来何かあった時に叩ける“可能性の扉”がより多く存在しているから。もう1つは、就職や転職する際に、事細かに説明せずとも自身の能力を理解してもらいやすいからです。」 この考えは一見正しいようで根本的に間違ってると思う。大事なのは「可能性の扉」をいくつも用意して安心することじゃなくて、自分で一つの扉を見つけて自分で進んでいくこと。あと、就職や転職の際には、自身の能力を説明する必要がある。それはあくまでも自分が積み上げてきた実績、学歴はそのほんの一部だと思う。
・> 人前で話すスキルです。社会に出てからは特に、メールや書面でやり取りするより、打ち合わせや会議など口頭でのコミュニケーションがメインです。聞かれたことをパッと思考して話すことや、他の人の意見に反論すること、
これ、凄くわかります。会社の廻りみていると、どちらかというと高学歴より中~上の下レベルの学歴の方にこれがとてもうまい人が沢山います。聞くと、「大学の時に色んな活動でまとめたり、話したりするうちに人前でもビビらなくなって、目の前に起こってることをキチンと話せるようになった」という類いのことをいいますが、こういうのはガクチカなんかで確かな技術をつけていた学生を学歴だけではなく、この辺の能力を買ってフィルタ通した会社人事のファインプレー。慣れもありますが、生まれもったものもあるかと思うので、適材適所で居場所がある人は、幸せだと思う。
・学校でアウトプットの教育が足りないのは同意。これは恐らく、海外の大学は将来のリーダーを育てる教育をしているのに対し、東大を始めとする日本の主要大学が官僚養成機関だったことに由来するのではないかと思う。リーダーは自分の考えを一般大衆に発信し、理解してもらう必要があるが、官僚にその素養は必要ない。アウトプット教育は少しずつ変わってきているとは思うが、教える側のノウハウが蓄積されるにはまだまだ時間がかかるだろう。
・高学歴は自分自身の選択肢を増やす事も出来るし、社会に出れば名刺代わりになる場合は多々あるので、決して否定しない。ただ、日本の受験勉強は勉強と言うより、記憶学の延長的な面があり、特に英語なんて、実際に話をすると、過去完了形を使う事なんてまずありえない。50歳のおっさんで一応、経営者しているが、見ていて一番辛いのは、従業印で、自分に合っていない職種を自分は合っていると考えて頑張っている姿を見ることだ。そこは、こちらが色々な手で合っている仕事に導くようにしているが、理解してもらうには時間がかかる。学力は学ぶ事の大切さを知る良い事ではあると思うが、自分自身を見いだす事も忘れないで欲しい。
・やはりこの人は頭がいいと思う。 何故かと言うと自己の能力を客観的に分析し、軌道修正できる能力を持ち合わせているからだ。 多くの人はその自己分析能力が苦手で、何となく生きている。 共感を持ったのは、いくら頭のいい人でも社会において向き不向きがあり、 他の人も同じでやり直しはできるという事。
・この人ほど頭が良いわけではないが、インプットが優秀でアウトプットが不得意という人はよくいる。
アウトプットが不得意とは、要約して説明するのが、口頭でも書き物でも苦手、人が期待していることが何かを素早く察知できないことを指す。
インプットされた情報と矛盾することが切り捨てられず、完全性、正確性、網羅性が気になってしまうからだ。
社会は直接的ではなく、生きる知恵として優しいものの言い方をする。
コミュニケーション能力→社交性を言い換えたような言葉に聞こえるが違う。アウトプットと社内外の渉外の力を指す。
調整能力→柔らかく聞こえるが、交渉能力とほぼ同義。
勘が悪い、気が利かない、天然→ビジネス力が低いという意味だが。仕事が出来ないとは言えないのでこういう表現になる。
・読むというインプットの行為がなければ、話す、書くというアウトプットは難しいと思いますので、たくさんの物を読めるということは大切な能力ではないでしょうか。山口さんが今コメンテーターとしてテレビに出ているのも、これまでの大量のインプットがあってこそと思います。ただ、社会に出てからはオール優を取る必要はないので、各人が自分の得意分野でインプットし、アウトプットすれば生活できる位の収入は確保できるのではないかと。それを見つけるのも一つの能力が必要かもしれませんが。
・個人的に思うのは、自分で判断できる力と、人を巻き込める力が大事だと思う。後者はコミュ力にも通じるかも。 あとはこの記事にもあるけど、反論をパーソナルなものとして捉えない力。いちいち、他人の反論を聞いて自分個人へのダメ出しだと思ってたら仕事にならないもの。 上記は結局、どれも経験がものを言うと思う。恐れず経験を積み重ねることで、上手くなっていく。 自分で判断できる力は、特にいわゆる良い子と言われてきた人ほど苦手かも。
・わずか2年で財務省を辞め、弁護士にキャリアチェンジしたのです。
次こそうまくいくかと思いきや、弁護士というのは考えて話す能力のほうが重要で、意外とリサーチ力は評価してもらえません。弁護士時代も結局落ちこぼれ状態で、苦難の連続でした。その後ハーバード・ロースクールへ留学し、東京大学大学院を経て、今は信州大学の特任教授として教壇に立ちながらテレビなどでコメンテーターをしています。ずいぶん長く迷子になりながら、ここにきてやっと自分にとってドンピシャの居場所を見つけることができました。←自慢にしか聞こえないのは私のひがみなのだろう。
・学習をした成果を評価された事を成功体験として体得すると、目的もなく学習をしてしまう人もいるらしい 学生までは試験で良い成績をだせばそれ自体で評価されるが、社会人になれば上手くミッションをクリアして業績を挙げなければ評価されない そのあたりのギャップを上手く適応できない人は時々いるね
・読書の能力(知的好奇心)が、東大卒業と言う目的に合理的な範囲で発揮されているので、東大卒業までは無双だが、それ以外では弱体化しているのは当然といえば当然なんであって、山口氏が劣等感を感じている「社会で仕事ができる人」も「仕事に特化している限り、その中では最強」であることを何故、見抜けないのか。 大谷翔平より将棋が強い人は、ゴマンどころか軽く一億人くらい居ると思うよ
・小中学生に算数・数学や理科で公式・解き方を教えるとき、何故そうなったかを理解しようと伝えている。そしてどの場面でどのように使うか、自分で考えられるように宿題などで練習し身につけようと言っている。自分が暗記得意で覚えるだけの勉強で大学へ行き挫折したので、生徒達にはそうなってほしくないからです。
・御本人はこの記事の企画等に合わせたり、謙遜して、そう書いてはいますが、実際は仕事もできたと思います。なんせ、最初の職場は日本トップの人材が集まる財務省。その中で先輩と比べると新人が劣るのは当たり前。さらに言えば、彼女が弁護士時代に彼女のチームに仕事を依頼したことがありますが、業界では有名なそのチームの弁護士先生が彼女のことをべた褒めしてました。
・学校教育にも多くの企業にもいずれにも課題はあるわけですが まず学校教育は暗記至上主義からいい加減方針転換をすべき。今のご時世調べれば済むことは存在を把握しておけばいいし、何度も使えば自ずと覚える。教育で思考力にシフトしたいのにとにかく覚えろでは科挙の時代から本当に進化していない。暗記さえ早くできれば賢い時代はもうとっくに周回遅れ 企業に関しても大半の学生は大学の専門も関係なく部署を文理くらいにわけるだけ。もちろん大学の専攻が直接役には立たずとも周辺分野から役に立つところなどに配属する傾向が出れば専門性も生きるでしょう。大学は研究をする機関なのに研究を頑張っても就職に役立たないというのは矛盾している。次は老後にしかできないモラトリアムも大切にしてほしいですけどね。
・読む力 という的確な語彙を提示してくれました。 アジア人がアメリカの大学に留学して高学力をテストで出せているのは、正にそれでしょう。 東アジアでは読書が良い事とされてるし、漢字語彙を沢山覚えてスラスラ読めれば優秀と思われるようなカルチャーがかつてありましたね。科挙です。 今じゃその思想は高考や修能、共通テストに受け継がれてます。 でも、それは大学以降では殆ど使われない能力ですね。
・山口さんがおっしゃる通りで、学生時代に求められる能力と社会で求められる能力の乖離は大きいと思います。高学歴であるほど平均収入が高くなっているのは、学生に求められる学力が高い人は、社会で求められるコミュ力・行動力・要領の良さも高い傾向にあるからなのでしょう。ただ、もちろん全員がその傾向に当てはまるわけではなく、「高学歴なのに〜」と言われてしまう人が少なからずいるのは当然です。
私も山口さんほど頭は良くありませんが、学力の割にコミュ力・行動力・要領の良さが無いタイプだと思っているので、この記事の内容は肝に命じておきたいです。就活や就職後の場面では、学歴に溺れることなく、謙虚な姿勢で物事に取り組んで社会スキルを高めることが大事だと思いました。
・凹凸激しいというかむしろ自分に厳しいタイプの人の感覚を一般化するのってどうなのか。なんでも試験や学校頼みというのもどうかと。 自然に身につけるべきことが不足するパターンの人にはあくまで特殊学級や療育など別経路が必要というかなんでも一般教員に押し付けすぎはおかしい。育英会無給廃止とおそらく他業種での男女平等とブラック化で優秀すぎる人の割合が減りつつ業務増大らしき一般のクラスに個別に見抜いて対応など負担。だから押しつけ、ギフテッドの擬態が出てくる。何か幼いところに幼い人同士は気づかず、自分より真面目で成績良い、ルックスも可愛いかっこいいとなると気に入って喜んでいたりする。一般にも真面目すぎる人の欠点がギャップで魅力となる現実があるため完璧で手を抜く人もいる。実はバランスいいだけの個性と受け入れて、なんでもコントロールできるというこだわりの方こそ努力して改善すべき点なだけかも。
・金融機関で言えば、エコノミストやアナリストになるべき文書読み解く能力を求められる人間が、企画職のマネジメントやネゴシエーションをやっていた感じかな 適材適所って大事だと思う
・まあ試験への勉強ってことだと社会で理不尽なことばかりには対応できないかもね。試験はどうやっても正解(もしくは近いもの)が決まっているが、社会には正解はない。しかも時期や状況によって同じ事なのに評価は違うこともあるし。
・学校教育が全てと考えて、親も子も必死になり塾だ受験だ…
でも社会では応用ばかり。決まりきったことだけでは対応できないんだよね。
学校や塾では教わらない柔軟な思考ができるようにしておくことが必要だよね。
・天才には凡人にはわからない苦労があるのだと思う。 なので、あなたは天才なのに凡人の苦労はわからないだろうというのは確かに違う。
世の中は上位0.01%の人を基準にルールが決められていないから。
ただ、凡人からするとこの人の才能を羨ましいと思わざるを得ない。
・こんなに「THE優秀」の肩書きで名を馳せていル方が、マルチタスクが苦手って事で挫折を経験されていたというのがまず驚きました
また、特に夢の定まってない人は少しでも良い大学に進むべき。というのも説得力があり ぜひ子供に読ませたい記事でした
・うちの父親がお勉強だけできるタイプで非常に苦労してるね。 綺麗に整った教科書や辞書から1つしかない答えを導き出すのは得意だけど 自分で散ってる資料を整えて比較検討したり 混乱している状況を整えることが一切できない。 さらに人に頼む お礼を言う 謝る調整交渉するが一切出来ないのでから距離を置かれる。 人を人と認識できないのか 命令するか異常にへりくだるかの二択しかないので、常にトラブルが起きる。
・このタイプは、特にペーパーテストエリートに多い。そして、彼等に権力を持たせ過ぎると国や企業、組織は迷走し、社会の変化に対応できない
先例や既存の法律、規定は正確に把握できても、そこから抜け出る思考ができない。それらは特に文科系のペーパーテストエリートが多い
米国がスーパーハイウェイ構想を持ち出した頃、それに乗り遅れた日本の企業のトップを観よ。バブル時期から今に至る霞が関の官僚達や与野党政治家たちを観よ
皆、この文科系ペーパーテストエリートの弊害を生み出した人達だ
彼等は学習スタイルとして保全型。でも社会の変革にはどうしても一点突破できる思考の集中力とタフさが必要だ。それには拡散型の才を共に育てる社会的枠組みが必要だ
昔の軍部も保全型エリートである東条らが既存の概念から抜け出せなかった。石原莞爾などは満州に世界の富を招き入れ、それが防衛の盾になると考えた。拡散型の思考の所以だ
・東大で、しかも在学中に司法試験受かる位なんで頭の良さは暗記だけじゃないかと。その位なら財務省でお役所仕事するだけじゃなく、既存制度の問題点や不具合を正していく人材にもなれたんじゃないかな。それが出来なかったのは、個人の向き不向きか組織の問題どちらだったのか。
・小学生のときから変えないといけないと思う。みんなで同じ意見を持とうとしたり、多数派にいることに安心したり、手あげたり発表することを積極的にしないと変わらないと思う。
・まあ、この人の評価が低かったのは仕事とマッチしていなかったわけで。 この人に限らず自分の得意・嗜好を生かせる仕事につかないと伸びないよね。 ・・・なんか昔から言われているありきたりのことなんだけど、うまくいかないケースが多いから、永遠の課題かもしれない。
・いやまぁそうかも知れないが、職場で求められる能力を身に付けようと努力し工夫したのかな? 自分を客観的に評価しなかったのは、勉強ができるから?ま、学校教育は自分の得意を伸ばす、関心事を突き詰めることが目的だろうから、不得意な事は避けてきたのかな。 一本道で進むことなんてできないのが当たり前で、都度考えて判断して進むんだよ。勉強できる=頭が良いではない。
・高学歴のプライドから自分を客観視できない人が多い中で、この人はとても謙虚に自己評価している。ありのままの自分を認めることができたのは、その根底に自信があるからなのだろうが。 関西の某人気番組でいつも拝見しているが、もう少しわかりやすい言葉でコメントしてくれればいいのに、と思うことも時々あります。
・確かに大学のスキルは仕事ではほとんど必要なかった。そして学歴が高くても仕事できない人はいたし、いる。 とは言え、近頃の子は、資料をつくらせても、話させてもそれなりこなしちゃう。 学校教育の変化も感じる。 自分の脳の劣化を見にしみて感じる昨今。
・インプットがすごい人は、確かに即戦力にはなりにくいかもしれないけど、業務内容を覚えた途端、爆発的に力を発揮する一面も持っています。 その能力を活かし切れないのはとても残念。
・山口さんみたいな能力がホントの能力だと思います。 たかだか仕事で必要とされる能力、コミュ力?瞬発力?そんな物は些細な事 っていうかそんな事がもてはやされる現代は末期症状かもしれないです
・私の知り合いで東大に現役合格して法学部を卒業してから司法試験に合格し現在も弁護士をしている人が言っていた事ですが、東大は学校の勉強のできる人間は多いけど社会生活は不適合な人間が物凄くいると言っていましたね。
・私もマルチタスクは苦手です メモにタスクと期限を列記して優先順位で一つ一つ順番にこなしてます 周りの評価は悪くないと思います
優秀でもタスク管理は難しいのですかね?
・教育の基本は「対話」である。
人と人との対話をする前提としての世の中の「知識」であり、その国特有の「文化」「慣習」なのだと思う。
人は漢字から人と人とが支え合う意味である。
その根本の教育というものが昨今の教育機関においてプロデュースされているのであろうか。
敢えて、教育機関を束ねる文部科学省の役人にお尋ねしたい。
・「社会に出てからは特に、メールや書面でやり取りするより、打ち合わせや会議など口頭でのコミュニケーションがメインです。聞かれたことをパッと思考して話すことや、他の人の意見に反論すること、反論をパーソナルに捉えない術」
私は、記憶力では山口真由さんの足下にも及びませんが、「」の能力は高い方だと自負しています
ところが、私が勤務していた職場では議論する能力など求められず、筋力を使うことが求められたので、運動神経や筋力に劣る私は使えない人間とされ、昨年お払い箱になりました
聞かれたことをパッと思考して話すというのは相手の話を瞬時に理解する能力なので文章読解力に通じるし、他の人の意見に反論できる能力は論理的思考力に通じる
いずれも、大学入試において、現代国語の評論文、今なら論理国語で測ることが可能です 私は、記述式の2次試験で現代文はおそらく満点だったと思います(合格最低ラインから推測して)
・この人、青森だかどこだかの地方出身だが、高校時代に親に都内マンションを買ってもらい、そこから附属に通ったという超お嬢様。そんな裕福で太っ腹な親がいたら、誰でも文一から東大法学部成績優秀者くらいにはなれる。あくまで「受験は親の経済力が9割」の範囲内での話であり、実社会での業務遂行能力とは別問題であるのは当然であり自明の理。親の経済力の七光は受験や学業には通用しても実社会では通用しない。
・職場は能力よりは雰囲気とか思想みたいなのに馴染めるかが大きい。自分の能力や性格を活かせる場所を見つけれるのは本当に幸せなんだと思う。
・仕事で大切なのは、その仕事ができること以上にこれから起こりうることを予測して動けるか。 勉強は理数系の一部除けばほぼやってきたことの振り返り。 だけど知識や考えることを養えば同時に先を予測できるだろう、だから高学歴は優遇されるわけ。。 …現実はそんな甘くないけど。。 なんていうか、それはそれ、これはこれ、みたいな。
・東大出身者は使い物にならな事は昔から言われていた。ではなぜ一般企業は東大出を採用するのか? 東大出は官僚が多いからだ。企業に官僚の同級生がいたなら当然一流企業にとってメリットが有る。 でも、どんな役立たずでも官僚との面会にはそれなりの役職が必要だ。 だから、ぼんくら東大出でも出世できるのだ。
・山口真由さんのコメント等をお聞きしているのですが、頭は良いはずですが 如何にも思慮が浅い、知識はあるはずですが知識があるようには見えない 表面的な浅い発言だらけです。
大蔵省に入ってうまく行かない理由はよく分かります、受験成績と 理解・知識量が一致しない例です、なぜかは良く分からない不思議です。
・学生時代に優秀でそういう扱いを受けて天狗になってたのでは。 学校で一番で頭は良くても社会に出れば優れた人はたくさんいます。 今だって大学の教授ですけど、だからといって周りの人を低く見るのはいかがなものかと。 立場に上下はあっても、人に上も下もありません。
・優秀な人の定義って何… 時代によって違うし環境によっても違う。 後、資本主義社会なんで競争があるしポストも限られてる。 東大京大卒業したスキルを活かせる職業職場にも"定員"があり、肉体労働もスキルがいるし "定員"がある。それぞれの"ジャンル"で優秀な人はその環境下で稼げるが、漏れた人は東大京大卒業生でも違う道を探さないとならない。
・この人は自分の弱点や恥を曝け出すことができるが、それは自己分析能力の高さと、何だかんだで自分に自身を持っているからこそダメなところも見つめられるんだと思う。
・コミュニケーションの本当の基礎は、踊ることと歌うこと、食べ物の交換です。これは非常に深い意味のある行動なのです。子育てで第一に鍛えるべきは、音感と体育です。そこをすっ飛ばしで勉強したかな?
・> アピールのネタとして出てくるのは、サークルやアルバイト先のエピソードばかり。
これは本当に嫌だわ。一緒に働いてもつまらなさそう。昆虫採集や鉄道撮影について眼をキラキラさせて語る子の方が好き。
・東大優で卒業した方が、社会の落ちこぼれだったということを認めたうえで自分の居場所を見つけたということでしょうか? 格好良い生き方ですね。 でも多分我々凡人より落ちこぼれの基準がかなり高いのだろうというやっかみが正直ある。 そんな自分が情けない。
・コミュ力 何故か高学歴=コミュ力無しと決めつける社会的 風土。口数が多い人ほど、基礎学力が低く、責任 転嫁が上手い。徒党を組んで無駄な事をする。
マルチタスク そのものがこの国の労働生産性を下げている。
失われた30年、労働生産性の低いこの国で、 コミュ力偏重&マルチタスク重視 そのものがおかしいという事はないのだろうか。
・彼女ぐらいの過去や実績があると述べた事に 信頼性や重さが出てくる 言っては何だか中卒のヤンキーが同じ様な事を話しても誰も見向きもしないだろう 色々な表現方法があるだろうが、学歴ってその人を表すなぁ
・答えのある解答は出来ても、応用力が無い教育をする日本教育の弊害だろうとは思うけど… 個人の持つ資質もありますから向き不向きもあったかも知れませんね。
・コメンテーターこなせていて長い間続いていて、コミュ力がないというのも、、。テレビで仕事をもらうのはコミュニケーショ能力が高い方たちという印象があります
・ただ読んで暗記が当たり前にできる人こそアウトプットもしっかりしてるんだよな 良いインプットなくして良いアウトプットなしみたいな 説明下手な人もいるけど、説得力のある説明の仕方なんて教えられてなるようなものでもないような
・この人、テレビのコメンテーターとしての印象として世間知らずのお嬢様なのかなと思ってたが、 色々と苦労もされてるし、そこで得られた経験を上手に今に活かしてるようで印象が変わったね。
・そうは言っても、勉強ができるのは本当に羨ましい。わたし、本当に勉強で苦労したのでね。勉強ができて、人の言うことに耳を貸す素直さがあれば、最強ってことかな?
・単純な話として、学校以外のコミュニティに参加しておかないと、社会性は身に付かないよ お稽古ごとやバイトなんかにしても、同世代以外の人たちとも交流がないとね
・山口さんは大器晩成型なんだと思う。それも並の晩生ではない。長い準備期間を終えてこれからの期待が高まります。
・インプット得意な人とアウトプット得意な人それぞれいる、社会ではインプットしたものをどうやってアウトプットできるか、勉強できても仕事できない人いっぱいいるからね、逆もいるけど
・同意します。日本の教育界も本気になって考えて改革しないと。教育界の頭がお堅くなったご年配の上層部にいつまでも任せといたら駄目だろな。先ずは幼稚園、小学校、そして若い親御さんからでしょうね。
・山口さんは、プラスビジュアルもあると思う。その恩恵は日本のマスコミ界で生きていく上でかなりのアドバンテージになっている。
・動作性IQと言語性IQの二種類あることをいい加減日本は真剣に考えた方がいい。 いわゆるスポーツマンやリア充といわれる人間を学歴フィルターにかけず義務教育レベルの教養があれば優先的に採用すべきだと思う 学歴フィルターのないところは彼らが一番採用されやすいし仕事もできるわけだから 本当に高校以上の学校の勉強は仕事をする上で全く役に立たない。とくに文系の場合はね
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