( 147058 ) 2024/03/08 14:43:59 0 00 Photo:PIXTA
● 2019~23年の実質GDP 米国は5%増、日本は1%減少
2023年の国内総生産(GDP)が2月15日に発表され、日本の名目GDPは米ドル換算でドイツに抜かれて世界4位に転落、55年ぶりに日独が逆転した。
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だが、アメリカとの間でも、新型コロナウイルスの感染拡大という異常な事態での経済パフォーマンスが顕著に異なるものとなった。それまでもあった日米の違いがはっきりと現れた。
この期間を通じてアメリカ経済は成長したのに対して、日本経済はマイナス成長に陥ったのだ。
IMF(国際通貨基金)のデータによれば、コロナがほぼ収束した2023年の日本の実質GDPは、コロナ禍前の19年の0.989倍になった。つまり約1%減少した。それに対して、アメリカでは1.051倍になった。つまり、約5%増加した(注)。減少と増加では、天と地ほどの隔たりがある。
3月中旬に自動車・電機大手の集中回答が予定される今春闘での高い賃上げが成長をけん引するかのように言われている。だがそれは誤解だ。
仮に春闘で連合が要求する「5%賃上げ」が実現することになっても、根本的な問題は解決しない。
● 実質賃金下落が実質消費を減らした 増えたのは在庫投資と政府支出だけ
日本の場合、需要面のGDP構成項目を見ると、図表1の通りだ。さまざまな項目が落ち込んでいる。国内需要項目で増えたのは在庫投資と政府消費支出だけだ。
在庫投資の増加は、簡単にいえば「売れ残り」だが、家計消費の落ち込みは物価上昇によって実質賃金が下落したことによってもたらされた。家計消費支出はGDPの約半分を占めているので、これがGDP成長率に与えた効果は大きい。
これに対してアメリカでは、インフレによって実質賃金が一時的に低下したが、再び増加に転じ、GDPが増えた。
● 日銀は円安を阻止し 物価上昇を抑えるべきだった
今回のインフレ局面はアメリカに端を発したものであり、それはコロナ回復期の需要増大によってもたらされた。その後、ウクライナ戦争による穀物・エネルギー価格の急騰もあってインフレは加速。それが日本に輸入されたのだが、これを日本側で食い止めるのは不可能だったと考えられるかもしれない。
しかし、遮断する方策はあった。日本銀行が金利を上げて円安を阻止し、円ベースでの輸入物価の上昇を食い止めれば、国内物価への波及を抑えられ、実質賃金の下落も、消費支出の減少も抑えることができただろう、
しかし実際には、日銀は市場の圧力に抗して、2022年12月まで長期金利の抑圧をやめなかった。それがGDPマイナス成長をもたらした最大の原因だ。
アメリカで20年に大規模な金融緩和を行なったが、FRB(連邦準備制度理事会)はインフレが一時的でないと認識するや、政策転換して金融引き締めを行なった。
● 「春闘賃上げ率5%」でも問題解決しない 消費者物価上昇がベアの伸びを上回る可能性
いまの日本経済浮揚の最重要課題は賃金の引き上げだとする意見が多い。そして、そのきっかけとして、春闘での高い賃上げ率が必要だとする意見が多い。連合は5%を超える賃上げを目指すとしており、経営者側でも高い賃上げを支持示する声が強い。
賃金の引き上げはもちろん重要な課題だ。しかし、これで問題が解決できるわけではない。
注意すべきことが二つある。第1は、仮に春闘で5%の賃上げが実現したところで、経済全体の賃上げ率は、それよりずっと低くなることだ。
なぜなら、5%はベースアップ(ベア)だけではなく、定期昇給分(定昇)も含む数字だからだ。これらのうち経済全体の賃上げ率に影響するのはベアの部分だけだ。
これは次のように考えれば理解できるだろう。ある企業で、入社する従業員と退社する従業員の数が釣り合い、その結果、年齢別の従業員数が、毎年変わらないとする。すると、個々の従業員の給与は、ベアだけでなく定昇によっても増える。
しかし退社する人もいるので、企業全体として見た場合の給与総額の増加率はベアに相当する部分だけしか増えない。企業の負担もベア相当分だけだ。どの企業についてもこれが言えるとすれば、経済全体としての給与総額の増加率は平均的なベア増加率に等しいことになる。
個々の従業員の立場から見ると、ベアも定昇も享受する。しかしそれは、20代から50代前半までの人に限られたことだ。この年齢階級の人は、年をとるに従って、子供の教育などに要する生活費が多くなる。それに応じて給与を上げるというのが定期昇給の意味だ。
したがって、生活が豊かになるわけではないと言える。しかもこれは50代前半までのことであって、それ以降になれば多くの企業では給与は減少する。
こうしたことを考えれば、日本人の給与を評価するには、春闘賃上げ率でなく、中小企業なども含めた経済全体の賃金上昇率、あるいはベースアップ率を見るのが適切だと言える。
2023年春闘での賃上げ率は3.6%だったが、このうちベアは2%程度だったとみられる。消費者物価の上昇率がこれを超えたために、実質賃金が下落したのだ。
2024年の春闘での連合の目標である「5%以上」の内訳は、定昇2%、ベアが3%以上だ。
仮にこれが実現でき、かつ消費者物価の上昇率が今後、高まるようなことがなければ、少なくとも春闘参加企業については、実質賃金下落の状態から脱却できるだろう。
ただし、物価上昇が収束するかどうかは分からない。
消費者物価指数の上昇率は依然として高止まりしており、生鮮食品を除く総合指数の対前年同月比は依然として2%台であり、23年平均では3.1%の上昇率だ。
これでは、実質賃金が有意にプラスになるのは期待できない。
● アメリカで物価上昇率が高いのは 経済成長率が高いことの結果
注意すべき第2点は、経済全体が成長する必要性だ。賃金だけが他の経済変数と独立に上がることはない。経済全体がバランスを取って成長する必要がある。
賃金が経済成長を牽引するのではない。経済を牽引するのは新しい技術やビジネスモデルだ。それらが、新しいタイプの企業活動を実現し経済が成長する。その結果として賃金が上がるのだ。
アメリカの場合、先進的な部門ほど賃金上昇率が高く、賃金の水準も高く、また成長率も高い。これらの分野が先導することによってアメリカ経済全体が成長している。
そして、賃金が上昇することによって物価が上昇している。
だから、古典的な意味でのフィリップスカーブの関係が成り立っていると考えて良い。
つまり、物価上昇率が高いのは経済成長率が高いことの結果であり、したがって望ましいことと考えられるわけだ。
ただ、2021年以降は、コロナからの回復という特殊条件によって、物価上昇率があまりに高まったために実質賃金が低下し、その結果、金融引き締めが必要になったのだ。
注目すべきは、アメリカがこの間に数々の技術革新を実現していることだ。コロナ禍の下では、リモートワークのために、IT機器などに関する新しい需要が掘り起こされ、ズームなどが普及した。そして最近では生成AIの目覚ましい発展がある。
コロナ回復期の賃金上昇がインフレを引き起こしたのは事実だが、背後には、IT産業の顕著な成長があったのだ。こうした基本的条件があるため、いったん下落した実質賃金が、早期にプラスの伸びに回復した。
● 技術革新が起らない日本で 目覚ましい賃金上昇はありえない
日本の場合には、物価が外生的な原因で上昇し、それに追いつくために賃金引上げが必要になった。しかし十分に引き上げられないため、実質賃金が下落した。これは、アメリカのメカニズムとは大きく違う。
日本に欠けているのは、アメリカで起ったような技術革新だ。産業構造が古いままであり、新しい時代に対応する経済活動が始まっていない。コロナ禍でデジタル化の遅れが痛感されたが、いまだにファクスが使われ、捺印なしには事務処理が進まない。
そのため、GDPが減少している。こうした中で賃金だけが目覚ましく上昇することなどはあり得ない。
(注)IMF、世界経済見通し(WEO)のデータによる。2023年の値はIMFの推計値。
(一橋大学名誉教授 野口悠紀雄)
野口悠紀雄
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