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文芸春秋総局長、記者も顔と名前公表すべきとの声に「乱暴じゃないか」と苦言

デイリースポーツ 3/9(土) 15:19 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/f6b50c5fd738bdacaa42f9ae1d01b39ba585e830

 

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文芸春秋の新谷学総局長がYouTubeチャンネルに出演し、「報じる側も顔と名前を公表すべきだ」という意見に対し、「ちょっと乱暴じゃないか」と苦言を呈した。

彼は、自身は顔や名前を公表しており、「顔をさらさないと卑怯」などとする考え方には疑問を投げかけた。

(要約)

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 文芸春秋の新谷総局長がYouTubeチャンネルで苦言 ※写真はイメージです(StockPhotoPro/stock.adobe) 

 

 文芸春秋の新谷学総局長が、7日に公開されたYouTubeチャンネル「ReHacQ-リハック-」の動画企画「あつまれ!経済の森」に出演。週刊誌の記者も顔と名前を公表して報じるべきという意見に「ちょっと乱暴じゃないか」と苦言を呈した。 

 

 新谷氏は、ネット上で散見される、報道する側も顔と名前も出すべきとの意見に対し、「“公人性”みたいなことで、報じる側の顔と名前を全部出さなければならないとは思わない」と発言、「記事を書く条件として、顔と名前もさらせよっていうのも、ちょっと乱暴じゃないかなという気がしますよね。顔をさらさないと卑怯、って…」と話した。 

 

 自身はこの動画出演も含め、顔も名前も公表しているだけに、「私なんか、わりと一身に文春の中で背負って、顔も名前も出して、『叩くなら私を叩いてくださいよ』という風に思って出てますけど」と苦笑い。「それを現場に負わせるのは…。特に取材をしてる人間って、張り込みとかいろいろあるので。顔がバレたくないっていう人間がいるのもあったり」と事情を語り、「そういう人間に『顔出さなきゃ書かせない』みたいなのは、あまりに乱暴じゃないかなと」と主張した。 

 

 

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(まとめ) 

コメントには、記者の顔や名前を公表するべきだという意見や、記名記事で責任を負うべきという考えが多く見られました。

一方で、記事の信頼性や責任を問うべきは出版社全体であり、記者個人にまで責任を求める必要はないとする声もありました。

新聞や雑誌では記者の名前が表記されることが一般的であることから、記事ごとの責任を明確にするためにも記者の名前の公表は重要との意見もあります。

結局、真実と正確性を追求するジャーナリズムの在り方やメディアの責任について根本的な議論が求められているようです。

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・いやいや顔も名前も公表すべきでしょう。商品でも商品によっては責任者の名前と顔写真載っている場合があるでしょう。スーパーならば店長や部門責任者や産地生産者や店員も顔写真や名前あるところも散見しますよ。要は、そこまで自信確信持ってネタを記事にしているというのなら、あなた方も顔写真と名前を出しなさいと、読者等が思っている人がいるということではないですか。乱暴というのではなく、真剣に検討したらいかがですか。そういう言い回しだけでも好感持てますよ。 

 

 

・私は記者の顔と名前を公表するべきではないと思います。 

公表してしまうことで権力者の不正行為など公益性の高い報道をスクープした際に記者本人が権力者側の人間から逆恨みなどで身の危険に晒される恐れがあると思います。 

それが誤報や虚偽に基づいた記事であった場合などは、会社だけが責を負うのではなく記者本人にも刑事罰や民事の責任を負うように仕向ければいいと思います。 

 

 

・コレは誰が掲載された記事の責任を負うのかという話。 

 

記者が顔や名前を公表すると云うことは記者が責任を持つということで、ソレをしないというなら編集長や出版社が責任を持つということ。 

 

総局長がここまで言うのであれば、記事が誤報だったときの責任は当然総局長が取るということ。 

松本人志さんへの記事が誤報だった時はどう責任を取るのか楽しみです。 

 

 

・「署名記事」見たいのが有りますよね? 

例えば記事が誤報だった場合、大袈裟に言えば、1人の人間を葬ってしまう事もある訳で、「記事は誤報でした。今後は気をつけます」一行の謝罪文では済まない事もある訳で、それなりの記事を書くならば、それなりの責任と覚悟が必要なのではないのか?この様な事を言うと、取材や記事の萎縮に繋がり、言論を弾圧する事になり、また表現自由を阻害するみたいな事を言う方がいるけれど、記事を書く方だけ守られている気がする。 

 

 

・今回の一連の流れを見てて思う事は、文春側は報道の自由を盾に告白者の証言のみで、真偽の程がまだ出てないにもかかわらず正義を語り一太刀でターゲットを記事にした。記事にされた側は反論する間もなく退場を余儀なくされた。まだ裁判の判決が出てもいないのに、理不尽極まりないと思う。書かれた側は、一度記事になったら仮に勝訴してもイメージダウンは避けられずリスクしかない。書く側は、ノーリスクハイリターンでは割に合わない。裁判の判決次第では、文春の経営母体である文藝春秋上層部、文春編集長の謝罪会見及び高額な慰謝料は当然の事だと思う。 

 

 

・顔は出さなくても良いと思いますが署名記事にはするべきでしょう。 

「強者に一太刀」と言いますが、刀を抜く時には名を名乗るものですよ。 

 

名も名乗らずに問答無用で斬りつけることこそ乱暴です。 

 

 

・無実の人を犯罪者扱いすると、冤罪で社会的に抹殺する等取り返しのつかない人権侵害になるという認識をもって、記事を描いて頂きたいですね。 

それだけの覚悟を示すために、文責を明らかにするために署名記事にするのは一つの方法でしょうね。 

 

あとは、タレ込んでくる側が「カネを払わないと文春にタレ込むぞ」みたいな、ゆすりたかりに文春を利用していないかをかちゃんと検証する姿勢も必要でしょうし、検証結果も記事にすべきでしょう。 

 

 

・記者の身の安全を思えば匿名は有りだと思いますが、匿名を傘にして無責任な記事を出されるのは困ります。 

記事にされた方の人生を狂わせることに誰かは責任を負うべきで、記者本人でないなら編集長だったり局長だったり社長だったりがきっちりと責任をとるべき。 

乱暴だと言うなら誤報があったら責任者が辞める、慰謝料を支払うということを身をもって示してほしいです。 

 

 

・客観的な証拠もなく刑事事件での立件も不可能なものを文春は書いていたという方が乱暴ではないのか。そんな記事を書いてその人の社会的地位を脅かそうとするって私刑と変わらないし、法治国家の原則的にも憂慮すべきと思う。 

まだ真偽は分からないが、真偽が分からずとも記事が出た時点で社会的制裁を受ける場合が多すぎる。週刊誌側は記事を書き発行するにあたり報道の責任は感じているのか疑問になる。報道の自由があるのは確かだとしても、それと同時に責任も伴うということを自覚すべきだと感じる 

 

 

・この人達も、同じ事されたら少しはやられた側の気持ちもわかるのでは? 

ずっと家の前まで来られて、出てきたらあれやこれや聞かれて。 

今回の件なら松本人志氏への対応とかを毎日のように会社の前、家の前で突撃されてみては。あとは当然コソコソ盗撮してる取材班にもやって欲しい。 

自分達の仕事がどれだけ汚れなのかわかるのでは。 

あくまで犯罪とか政治家の闇を追求とかなら別にいいけど、プライベートを追うのはプライバシー侵害なのでは 

 

 

 

・おそらく本当に写真を載せろというよりそれくらいの強い覚悟を見せるべきという意味合いの方が強いと思います。今回の件とは異なりますが、なくなった被害者の顔写真を掲載するのなら被害者家族としては名前くらいという心情は私は理解できます。 

 

一方で学者西田さんの、記者としての職業と同等にここでのコメントを扱うのは冷静さに欠いています。「安全が」こういった報道を助長させ、無責任で信憑性の薄い段階で記事にしてしまうのでしょう。 

 

今回の件もシリーズかのように何週間も引っ張り扱った点がやりすぎと問題視されています。ジャーナリズムの歴史より大事なものがあるのではないでしょうか。 

 

 

・誰もが知る役者やタレントはプライベートまで公にされ個人の権利や普段の生活でさえもフアンに見られる存在である。 

一部週刊誌では個人的な食事会や飲み会ですら、国民に晒されてSNSで拡散されるリスクをも同時に背負ってる訳で、取材する側や写真を撮る人で公にするなら、肖像権や取材の信憑性を責任を持って取材する必要があり、その責任の名のもとに名前等の公開も必要ではないでしょうか。 

 

よくスクープ映像なら名前出たりしてますよね、それを励みにスクープ映像撮る人もいます。自分の都合で名前が公開されるって自分勝手じゃないですか? 

 

 

・自分たちより強大な権力を相手にする場合は記者個人の匿名性は守られていないと筆が鈍ると思うから許容できるが、そうでない場合はどうか。特に文春は強くなり過ぎた。記名必須ぐらいでちょうど良いバランスになるのではないか。また、雑誌社の強さや扱う題材によって、バランスには差異が出るだろう。さらに、どなたかがコメントしていたが、「前からのままやってるのだから許される」という総編集局長の意見は論理的ではない。ネット社会が当然になるなど言論を取り巻く状況は激変しているのにそういった中での自分たちの影響力を顧みれて無いし、顧みる機会をこうして与えられているのに気づけないなら、その人は退場すべきであろう。前の通りにやり続ける事に重きを置き過ぎる人を「時代遅れ」というのである。そういう人に限って「変わってはいけないものがある」とか言うのだが、今話している事は「変わらないといけない事なんだよ」と言ってあげたい。 

 

 

・記者の名前と顔を知った所での話にはなるけど、これを言ってる方の気持ちは分からなくもない。 

著名人との裁判の結果が敗訴だとしても、文春は行き過ぎな記事だった。間違えの記事だった申し訳ないという謝罪記事だけ載せるだけ。 

だけど、濡れ衣を被せられたまま世の中から排除される著名人もたくさん居る。 

芸能人の家族だったり、プライベートを盗み撮りしたりするのはどうなんだろうか。 

正直、週刊誌が追うべきは政治家だったり犯罪を犯してる人だけでいいのでは? 

芸能人の不倫は悪い事だけど、熱愛とかお受験とか知らなくていいことまで報道しないでいいような気もする。 

 

 

・乱暴でもなんでもないと思いますし、多くの人は顔も名前も出ないから無責任に、或いは歯止めが効かなくて書き散らかしているケースが増えていると思っていると思います。 

乱暴と言うなら、今まで真偽も不確かで、或いは憶測の域を出ないレベルで記事を書き散らかしている方が余程言葉の暴力だと思います。 

記者会見も同様で、自らの正義感をあたかも一般の多数の意見かのようにぶつけているような記者も普通に映すべきだと思います。 

言論の自由を盾にするけど、だから名前や顔を公表できないという理由にはならないと思います。 

 

 

・英米の雑誌・新聞の記事しか知らないが、この近年で記者名の無い記事は読んだことが無い。 

記事は一人で書いたもの複数人で書いたもの様々だが無記名のものはを読んだ記憶が無い。 

日本も単純に事件事故の警察発表や公的機関の発信に手を加えずそのまま(削ってもいけない)伝える場合を除き記者の名前の明記は絶対に必要だ。 

 

 

・バランスの問題だと思う。 

 

犯罪者扱いされた個人の負うリスクと、匿名記事の筆者の負うリスクが違い過ぎることが問題だと思いますね。 

 

だから、筆頭にある学者さんに同意する人が(他の上位コメントと比べて)少ないのだと感じます。言い方も上から目線だから猶更だと思う。同じこと言っても、言い方で受け止め方は変わると思う。 

 

例えば、ハマス対イスラエルも同様にバランスの問題だと思う。突然のテロ行為をしかけたハマスは悪いに決まっているが、その反撃の度合いが違い過ぎるから、イスラエル支持が減っているのだと思う。 

 

バランス感覚は重要だと思っております。 

 

 

・間違いがあれば総局長が会社を辞任する。そう明言すれば誰も何も言わないと思う。行動や言動や記事には責任が伴うのは当たり前。自身の記事に自信があるなら責任を負ったほうがカッコいい。記者の名前や顔を晒すなんてのは論外な発想。彼ら記者の記事を世に出すか出さないかを判断出来るのは総局長ただ一人だからね。 

 

 

・張り込みってさ、警察官でもない捜査権を持たな、いいち記者が行なうのってストーカーに該当するだろうと思うし、何なら週刊誌が大好きな「〇〇ハラスメント行為」そのものなんだけど。 

 

ペンで人を殺したり自殺に追い込む(市川猿之助)行為が見受けられた場合は準殺人ほう助、準殺人ほう助未遂とかの罪を作って取り締まるべきだと思う。 

 

 

・記事だけなら顔出しとは思わないが、正式に相手から訴訟を起こされているのであれは記事を書いた責任者として顔出しは妥当だと思う。 

でなければ、悪意のある記事を出し、間違ってても会社として僅かな賠償だけで済ませることが出来てしまい、結果として会社側にとって間違いでも正解でも利益になる構図になってしまっている。 

実質公衆に広く知られてしまう雑誌で特定の個人を追求するのであれば、その記事を書いた人もそれなりの責任を追求されて叱るべしでしょう。 

されないのであれば、いじめやSNSでの誹謗中傷と同じだと思います。 

 

 

 

・週刊文春が対象者にきちんと取材し、事実に基づいた適切な内容の報道をしていれば、記者も顔や名前を公表すべきなどの意見は出ないと思う。 

 

現在の週刊文春の報道では一方の特定の方のみの証言を基に過激でインパクトを狙った報道をし、対象になった方を疑い段階で社会的に抹殺し、その家族などを傷つけていることが深刻な問題だと思う。 

 

新谷氏の一連の発言を聞いたが、社会が懸念している週刊文春の報道の問題について全く理解できていないと思った。 

 

これまでの報道を週刊文春が続けることは、今後は社会が認めないと思う。 

 

 

・新聞や雑誌、ネットニュースも含めて、顔写真とまではいかなくても名前は載せるべきでは?そうすることで記事の内容に責任を伴うことになるし、読者側が記事の信憑性の評価をする判断材料にもなると思います。海外ではスポーツ記事の記者を含めて名前を出していますよね。だからスクープを出しても報じている記者によって信頼度が違うから、周りの反応も異なっている印象があります。 

 

 

・一方的に他人を犯罪者扱いしたりデマを流したりしてるのですから 

言われても当然としか思いませんね。 

記事によって大学教授の方を自殺に追い込んでもお構いなし。 

特に文春なんかは裁判で敗訴したところで痛くも痒くもありませんから 

売り上げさえ出れば書き得。 

匿名のまま同じことの繰り返しです。 

 

まあ、総局長が顔も名前を晒しながら一切悪びれていないところを見ると 

記名にしたところで文春の姿勢は変わらないでしょうね。 

 

 

・事案が事案だけにそれだけの覚悟を持ってやるべきでは。 

警察(検察)への訴えや裁判となればそこが知っていればいいとなるけれど、 

それもなく何の拘束力もない雑誌で他人の所業を訴え断罪するんです。 

 

それだけの担保は当然必要。 

このままがまかり通れば、 

誰でも匿名で証拠もなく気に入らない著名人を貶められる可能性を作るだけ。 

正当性があるならそれ相応のリスクも背負うべきかと。 

 

 

・正しい事を書いているという自信があるのなら顔も名前も出した方がいいと思いますが 

それでお給料もらって生活をされているわけですし 

その自信もない、顔も名前も出せないのに金になるならどんなネタでも書くというスタイルはどうかと思う 

SNSでこうやって書いている人とお給料もらっている人を同列に扱う事はちょっと無理があるように思います 

 

 

・乱暴ではない。 

司法の場で証人を保護することと、メディアの記者が保身に走ることとは全く違う。 

 

「ペンは剣より強し」ともいわれるメディアでの発言力を行使して対象を攻撃する以上、行使者は自らの姿を明らかにして発言すべき。 

これはジャーナリズムの大原則。 

 

 

・記者は一サラリーマンです。そして取材対象者は有名・著名人・公人ですから同じに扱うのはちょっと違うような気がします。記事の責任は一記者ではなくてその発行元にあるのですから問題があればその発行元が責任をとればいいと思います。 

 

 

・記者が顔や氏名を公表する必要は特にないと思いますが事実とは異なる記事をリリースした場合のペナルティは必要だと思っていて、ある種の権力のようなもの=ピュアな大衆を扇動して世論的なものをつくる力を持つメディアには運転免許のような違反点数制で休刊からの廃刊という覚悟を持って挑んでもらいたいと思っています。松本氏の件を例にすると今回の疑惑が事実であろうとそうでなかろうと松本氏は一方的に損をするし文春側はどちらに転んでも売り上げ増からの広告出稿数及び広告単価アップというビジネスモデルが成立してしまっていますからね。 

 

 

・記事の署名はつけるべきですね、無責任な記事抑止にある程度貢献しそうな気がします。 

また、権力は相互監視が原則なのに、今や裁判所以上の力がある文春が監視されていないのは極めて問題がある。名誉毀損成立の敷居を低くする法律なんか可能か、国会で議論して欲しい。 

 

 

・世界各国どのメディアでもジャーナリストは実名でそして経歴も公開しているのが常識で、それは米国のMeToo問題のNYTimesの記者もそしてその他の記者も全く同様で例外などなかった。 

 

文春社のこの編集者の発言は、ジャーナリズムとはどうあるべきかに対して、自らの立ち位置を広い視野で理解することにかけていると言わざるを得ず、それが記者の倫理と責任という重要な要素を育むことに失敗している経営実態を証明するだけではないでしょうか。 

 

 

 

・社として全ての責任を負うのでしょうから、記者単体の特定に意味が有るようには思えないけどね。むしろ報道の自由という法の庇護の中で、取材·記事と謳えば何をしても言っても良い、何でも出来るという様な歪んだ解釈や、誤った行いだと認められてもダメージとならない軽い罰で済む様な状況に問題が有ると感じる 

 

 

・私も名前・顔出しは最低限だと思っているので、ぜひ、どこがどう乱暴なのかを論理的に説明していただきたい。 

取材の張り込みがしづらくなるってことと、人一人の社会的立場や職場、下手すれば命すら損なうレベルのこととどっちが重大事ですか? 

あまりにもリスクが無いところから火を点けて、炎上したのは勝手に燃やした連中のせいみたいな態度ですし、裁判の時にすら法人である会社で受けて、実行犯は誰も知らない。 

こういうのを卑怯と言うんですけど、日本語を職業にしている人間であるのにお判りならないんですかね? 

 

 

・顔と名前を公表しなければ冤罪や捏造があった場合容易に逃げおおせます 

 

社会的意義を持つ告発だと言うならば記者は記事の責任を負い情報提供者の代理人として身分を証明するのは道理だと思う 

 

もし記事に対して証人保護プログラムのような保証が必要なのだとすればそれは警察の領分では? 

 

記事による告発は一方的な社会的制裁行為となり司法による裁きではない 

 

巨悪を弾劾するのであればゴシップとしてではなく法により行われるのが法治国家として正しい姿 

 

それが成されない為の告発行為だと言うならば記者が隠れ為まま行うのはどうかと思う 

 

卑怯と言うより記事への責任が何処に有るのかが疑問 

記事で告発するならば必要なのは記事への自信ではなく証拠では? 

 

 

・記者の顔までは必要とは思わないが、記事を書いた責任として、名前は入れたほうが良いのかなと思います。記者の身を守るという理屈が通るなら、書かれた方の身を守ることは配慮しなくてよいのかとなります。下手すれば、平気で家族とかにも行きますからね。書かれた方は命がかかるかもしれないのに、書いた方はなんにもかけない。不公平としか思えませんね。 

 

 

・新聞は、顔は出ないけど名前は出てますよね。糾弾される方は名前、顔を晒され、糾弾する方は名前も顔も出さないと云うのはどうなんだろうか。 

それなら、ネット等で匿名で、有ることない事言ったり誹謗中傷してる人達と同じですよね。そこまで、記事に絶対的な自信が有り、正義だと思うなら顔はまぁ出さなくても良いが、ライターの名前ぐらいは出しても良いのでは。それがジャーナリストと云うものなのでは。 

 

 

・「乱暴じゃないか」の発言は言い訳にしか聞こえないが、ネットで記者も 

名前出せと言われるのは、まともな取材もしていない記事と思われているからで、 

しっかりとした取材をし読者を納得させられる記事を書いていれば、今回の様な 

騒ぎにはなっていないと思う。 

新谷学総局長は「批判的なコメントからは逃げてはいけない」と述べられて 

いたのでここのコメントも見ていると信じたいが、昔と違い週刊誌の記事が 

ネットで拡散される時代になっている事を理解できない訳はなく、他のマスコミ 

やネット民が面白おかしく騒いでいるだけとごまかしてはいけない。 

伊藤純也選手の件もそうだが、週刊誌を含めマスコミの力が世論操作できて 

しまう事を自覚し、記者も名前が出せるぐらい自信ある記事を書くべき。 

自分で「所詮週刊誌」と言っているのは逃げと受け取られても致し方ない。 

 

 

・記事の内容によっては自害する方もおられます。 

ましてや記事が事実に則してないとなると、その責任は甚大ですけど。 

双方の意見を公平に聞くことなく、真実が明らかになる前に記事にする方がよほど乱暴じゃないですか。 

総局長さん自身が相手に与えた損害も補填して、慰謝料も払って、責任取って辞職して下さるんですか?全責任を負うとはそういうことです。 

記者の顔と名前を公表するかどちらか2択です。 

さあ、どうしますか?文春と共に散る覚悟はあるんでしょうね。 

 

 

・前から思ってたけど、マスコミって他のマスコミを批判しないよね。だから芸能人の不倫は徹底的に糾弾するけど、その本人の記者も、実は不倫しているなんてこともあるでしょう。 

そこで、松っちゃんでもいいし、吉本でもいいし、芸能人有志でもいいので、金を使って雑誌社かWEBメディアを設立し、雑誌記者をターゲットとして徹底的な素行調査を行い、問題があれば実名で報道し、もちろん家族への突撃取材も行うのはどうだろう? 

マスコミの使命に権力者への監視があるが、雑誌記者などマスコミも立派な権力者なので、監視されても文句はいえまい。 

自らが行っている手法を自らが受ければどう感じるのか、誰か試してくれないかな? 

 

 

・記者も顔と名前を公表すべき・・・・・って、本来のジャーナリズムって権力に対抗するため、秘匿していることが多かった。その一方で、確信的な記事には記名記事が掲載された。あとは評論とか論評ですかね。だけどね、芸能記事に関しては、秘匿記事をいいことにやりたい放題してきたことは事実じゃないかなあ。いつかは、こうなると思っていたが、このところの男女の性問題や結婚問題でいっきに噴出したように思う。 

 ようはこういうことが言われるようなことが起きるのは、昨今のジャーナリズムが本来持つべき使命とあり方を間違ったからというしかない。 

 

 

・警察検察の容疑者報道などもそうですが、公平性の面で報道する側の最低でも実名と所属を書かないと印象操作がノーリスクでいくらでも出来てしまうので、法整備を進めてもいいと思います。記者クラブなどジャーナリズムなんて笑わせるような国なのに乱暴とは何を言いたいのか。乱暴だと思うなら記事を匿名にするなどでもいいでしょうに。 

 

 

 

・個人でSNSなどで投稿する場合こそ、顔と名前を公表するべきだと思うけど、週刊誌の記事は出版社名で出版し公表しているんで、記者の顔や名前を公表する必要はないと思います。 

 

 

・ナンセンスとか言ってる西田さん。では質問良いですか?この松本の件など犯罪性を立証する証拠がない中で言いたい放題では一方が不利になります。そして今回の告発問題は10年も前だったりする昔のこと。それでも今回これが告発され話題になり批判が来るのは時代の流れですよね?でもメディアは「これまでもネットもそうだけど匿名でしてるから自分らも何を言おうが匿名でいい」とでも?時代の流れなんて都合のいい言葉は便利ですね。 

 

 

・文責があまりに軽いから、どういった人間が書いているのか読み手も把握したいのでしょう。 

裁判であれだけ負けているわけですし、訴訟されていないものを考えると、かなり適当な取材と思われます。 

 

インチキ記事ばかり書く人間位識別できればよいと思いますし、あまりにひどければ、もうそれは罪なので、指名手配ではありませんが、読者も警戒したいところです。 

文春の記者ランキングなど掲示板などで管理・評価などできれば更に良いと思います。 

 

記事になる以上、それは責任ある仕事ですから、仕事が確かな人か否かは読み手がわからなければ、記事の質がわかりません。 

それを文春が「全部信頼できる」などと大したチェックもせずに無責任なことを言い放ちそうなので、読者側で監視したいわけです。 

 

乱暴なのは文春の方です。 

新聞記者でも名前くらい書きます。 

それができないのであれば出版業界から引きあげてほしいものです。 

 

 

・社会的意義を果たした立派な方のお名前を公開するのがなぜ乱暴に? 

本だって誰が書いたか書いてあるしTVで芸能人でなくてもコメントする人はみんな顔もわかるけど批判などもしてますし。 

真実で無い記事も多くて有名なのでそのあたり正々堂々とやられたら逆に乱暴な記事も抑止になるかと思います! 

 

 

・これからの日本では記者の一部責任者だけでも名前と顔を公表するべき世の中にすべきだな。法律で決めて欲しい。公人扱いにする事で、記事の信頼性と責任性がぐっと増す。そうすればいい加減な記事がぐっと減るでしょう。松本人志裁判ではこの点も話して欲しいな。 

 

 

・記者が顔と名前を公表すべきとは一概には言えないが、証拠もなしに他者を貶める記事を書くなら責任もって顔と名前を公表すべきじゃないか? 

そうした批判をされるのは、ようするに証拠がない記事を書くからなんだよ。安全圏から証拠もなく一方的に石を投げるのは違うということ。 

きちんと取材して証拠があるのなら、記者の顔と名前を出せなんて言われないでしょ?責任ある取材と記事なんだから。無責任な仕事をする奴にどうやって責任を取らせるか、という1つの案が顔と名前の公表ということなんだよ。 

 

 

・記事に自信があるなら記者の顔写真を公表すべきだと思う。 

もちろん告発者は二次被害(ネットの私刑など)を防ぐために匿名でもいいと思うが。 

いつも思うが。 

文春は他の雑誌と違って国民の信頼度が高い。 

今回だってほとんどの人が『文春がいうから本当!松本最低!』となって松本氏をさんざんバッシングしたから休業を余儀なくされたんだよ。 

これまで数々の人間を社会的に抹さつしていたんだからそれくらいの覚悟があってもいい。 

 

 

・トップの専門家?の人のコメントはどうしてこんな流れが生まれたかをよくわかってなさそうだよね。 

自分の理解としては、今の時代は記者をはじめとしたメディアも所謂「権力」として実際に力を行使し社会に対して影響を与えているよね?ならその結果にも責任を取るべきじゃないか?って受け取られるようになったから、記者も身元を明かすべきって流れが生まれたんだよね。要はメディアは書きっぱなしで何にも責任を取らないと思われてる。 

ヤフコメを使用する者も顔と名前をだせって書いてあるけど、当然ヤフコメにも既存メディアと同じぐらいの効力があるとみなされだしたら同じ流れになるよねって。ただ、今はまだ社会に対してそこまでの影響力がないと見られてるからそうなってないだけだよ。それでも年々書き込みに対する責任は重くなってる。 

 

 

・でもね、SNSの発達により個人で簡単に情報発信できるので、取材記者の情報はどんどん拡散される方向に行くと思いますよ。「記者たちは我々の代弁者」という評価であれば晒されることはないと思いますが、一つの権力になりやってることに反感を持たれると名刺、画像、取材動画がどんどん拡散されると思います。それらを収集すればビッグデータになりますし、もしかしたら大島てるのマスコミ版のようなサイトが出来るかもしれません。 

 

 

・新聞社の記事には記名記事がある。 

部署名と記者を記事の最後に明記する。 

その意味は、この記事は確たる証拠や 

取材した事を証明している。 

 

週刊誌の記事でさえ、自信ある記事なら、 

記事を書いたライター名を明記している。 

 

それ以外は、怪し取材であり、憶測や 

怪しい証言を集めて、屁理屈論で 

まとめてそれとなく記事にした。 

 

報道でなければ、適当な取材で記事に 

するなら、証拠や確たる証言が多少の 

揺らぎでも記事するのが、週刊誌だ。 

 

だから、週刊誌の記者が対談は、顔や 

名前がバレると今後の怪しい取材が 

出来なくなるから逃げているだけ。 

 

 

 

・これらの問題や指摘の根底って、報じる側の誠実さにあるのかと思う。 

 

例えば権力者の横暴や暴力を告発するというのは良いとして、その書き方からして名誉毀損の対策が練られている様な表現(〜らしい、〜と思われる、〜と言われている…等等)を多用するし、どうせ読者は世間は直ぐに忘れるという前提のもと、誤報や誤解を垂れ流しても訂正も謝罪もしないしもし仮に。したとしても不貞腐れて形式上の謝罪しかしないし。 

 

で、報道に対してマジで切れ散らかして殴りかかってくる斬りつけてくるような相手に対しては報道しない自由を発動するし。 

 

真実相当性にかんしても、あれは表現の自由や報道の自由を護る為の大きな概念のはずがそれを利用して自分達のセコさを覆い隠すことに利用してるし。 

 

まぁ一番良いのはこんなメディアの記事に金とか払わなければ良いのだけれどね。 

 

 

・社会に何事か事をなすときは、そこには「責任」が生じると思います。なにもマスメディアだけでなく、小売でも、サービス業でも、メーカーでも。配送業でも誰々が配達しましたって記録を残しますよ。トラックの後ろには、運転手は誰々ですって表記してますし、〇〇が承りましたと銀行員でも名乗ります。誰もが、責任を背負ってるという、覚悟の意思表示なんです。警察官でもないのに、尾行に支障をきたすから…なんてそんな言いぶんが通るとでも思ってるんでしょうか? 

この人、結構上のおえらいさんなんでしよ? 

春秋社の幹部ってこの程度なんですか? 

 

 

・いやいや。乱暴さでは文春さんんには全くかなわないですよ。たったその程度の事を「乱暴じゃないか」と言うのなら、文春のやっている事は乱暴どころの話じゃ無いですよね? 

 

松本氏の件は文春で全く証拠を持って無く、ただ一方の意見を鵜呑みにして記事にしただけなのに、あれだけ松本氏が一方的に悪いとする記事を連続して記載する事と比べたら、大抵の事は乱暴というに値しない程度の事だと思います。 

 

 

・そりゃね、法治国家でもないような、他国にも工作員を送って暗殺しようとする国の事暴くなら身の危険から防ぐ為に晒せないというのはわかる。 

しかしプライバシーを公に晒し個人的な事やその人の仕事人生を破壊するような記事を書く者が、陰に隠れて証拠もまともに出さずに、一方的なこれでもか攻撃するんだから、顔や名前を晒してからにするくらいの責任を負ってやれと追及されるのは当然というもの。また文春はいつも誰かわからない人の「証言」を元にしてその人も出さないんだから、卑怯と言われても当然だろう。己がそんな事されて仕事も家族も失って納得できるのか? 

 

 

・そう思うのであればもっとまともな記事を書くことを徹底すれば良いのでは?松本さんの記事を見ると明らかに攻撃的で名誉毀損ですよね。3年以上掛けて証言以外まともな証拠もない。記事にしていいレベルでは無かったのではないか? 

 

他人を名誉を傷つける行為は乱暴ではないが自分たちは守られるべきとはそれこそ横暴だと思う。ごちゃごちゃのたまう暇があるならいい加減記事にするにはあまりにも取材不足であった自分たちの落ち度を認めるべき。 

 

 

・公的な取材とゴシップで使い分ければ良いのでは? 

政治家、官僚、企業に対しては報道として個人を守るために匿名記事でもいいと思うが、芸能人とはいえ私人に対する報道などのゴシップにおいては記名記事にすれば良いと思う。 

 

 

・インターネットは基本的に匿名なので言いたいことを言っている人が多い。 

これが実名で尚且つ顔写真付きで住所や職業や電話番号まで公開でないとyahoo掲示板やXや2ちゃんねるやその他の場所で発言できないとなったら発言者は1/100以下に減るだろう。週刊文春の記者も匿名で良い。実際、文春砲でどれほどの政治家の汚職を暴いたか誰もが知っているだろう。 

今やこの日本で正義を行えるのは検察でも国税庁でも裁判所でもなく週刊文春になっているのだから。 

 

 

・有識者コメントの西田さんの意見には基本的に賛成です。 

 かと言って、出版元として記事の影響力の自己評価が低い点は少し問題かと思います。これから裁判の中で真実相当性がどう評価されるか分かりませんが、既に一部当事者からは異論も出ており、読者はその行く末を静観すべきなのでしょう。しかし実態として報道を受けて一部の芸能人は完全に活動を止めざるを得なくなりましたし、名誉も貶められている。完全な回復はまず無理でしょう。 

 権力の監視機能という公器としての美しい大義と、日々誰かのプライバシーを侵害しないとそもそも商売が成り立たないという実態と両面あるのが週刊誌なのかなと思いますが、日銭を稼ぐ収益源をゴシップ以外の何かに求めた方が本来は健全なのでは無いかと思います。 

 

 

・その人を社会的(場合によっては命すら)抹殺するような記事を書いておいて、間違っていたときに、間違ってましたごめんねと軽く記事にするだけで継続できるところが一番モヤモヤするところだ 

とても公平性があるとは思えない 

新聞が止まったら困る人もいるだろうけど、週刊誌レベルなら止まって困る人は関係者以外いないだろうから、一定期間発行停止処分くらいあってもいいと思う 

 

 

・記者は出版社によって身元が明らかに把握されている人なので、わざわざなにもない段階から公表する必要はないのではないか。 

 

ネットの個人のコメントの方が、匿名なだけで無責任なまま人を傷つける言葉に溢れていていかがなものかと思う。 

 

 

 

・このコメントのトップに社会学者の方のコメントが来ていますが、お門違いのことを書いているかと。 

総局長の言うような「大義」があるのであれば、SNSやネットコメントと一線を画す意味でも、仕事として対価を得ている意味でも、顔まで出さなくとも、記事に署名することは必要だと思います。 

 

 

・記者の名前は当然公表すべきでしょうね。 

あとSNSも匿名は止めるべきです。 

結局無責任に放言することで、名誉毀損、誹謗中傷、嘘の発言等が散乱していますからね。物事には責任を持つべきですよね。 

 

 

・あるから見てしまうだけで、なくても全く困らないのが著名人のプライベートな記事。 

これほど世の中に何の役にも立たない職業というのはなかなかこの世にはない。 

それなのに割と有能な人がこの仕事に携わっている印象でとても勿体無いと感じています。 

 

 

・なんか西田亮介とかいうジャーナリストが日本ではネットでは匿名で顔出しをせずに使ってるじゃないかと指摘をしていますが、私達に間違いがあった場合は個人が訴えられ個人で責任を取ることになりますが、文春の記者には誤りがあっても会社に守ってもらい名前も公表されず慰謝料も会社が払って終わり、全く対等ではありません。 

 

だったら裁判で敗訴した場合には、記者は顔や名前ぐらい公表した方が良いのでは。 

 

 

・報道の自由や記者の匿名性を担保するのは、結局の所報道に携わる人達自身。 

売らんかな...と人の私生活を根掘り葉掘りし、あまつさえ事実をねじ曲げ嘘を喧伝しさえするのがメディアの実情で、我が国の報道は信用を失いつつある。 

週刊誌は特に危機感を持つべき。 

 

 

・自分を含め身内は可愛いって事なんでしょうね。 

記者も名前も顔も公表して行い取材対象への責任を持たせるのは極々当たり前と思う。 

SNSの匿名性が問題になるこのご時世に自身および自社のやってることはコレと大して変わりないこと。と認識すべき。 

 

 

・総局長新谷さんの対談全て見ましたが、予想以上の薄っぺらさと、覚悟のなさが露呈したとの印象を持ちました。 

私たちは、最初と何も変わらないスタンスでやり続けている。それの何が悪いとの事ですが、それを言うなら松ちゃんの件でも、数十年前の価値観を持ち出し記事にしてるのはフェアじゃないです。 

 

 

・有名人は名前もさらすし、顔もさらすし、行動も、盗撮した写真もさらす。飲み会のあと店を出る写真もトリミングして、2人だけ仲良く見える写真に変造して記事にする悪質さを見せられたら、マスコミの側も記者の顔と名前がわかるようにしていいと思う。 

マスコミは報道の自由を盾に取って悪質な記事が多すぎる。責任をもって記事を書くためには名前と顔の公開はしなくてはならないと思う。 

 

 

・顔を晒すのまでは行きすぎだと思うけど、文春編成部がとことん取材して自信を持って記事にしてるのなら、最低でも記事を書いた記者か編集長の名前を出して記事に責任を持って掲載すべきだと思う。 

それは乱暴とかではなく報道の自由の権利を謳う報道側の社会的責任だと思う。 

 

 

・昔、小学生が同級生をいじめたが言論の自由だと反論し、いじめをうけた子は耐えきれず事件を起こした。 

言論の自由だと言った子の両親は記者だった。 

記者の氏名、顔などを公表するのは、 

乱暴じゃないか。 乱暴なのは記者や発売もとだと思う。 なんでもかんでも記事にして、売り上げて記者や顔などを公表しないのは逆に乱暴だ。 

プロが記者や顔を出さないから 

秋葉原の事件など、煽り犯罪も発生する。 

 

 

 

・別に出さなくてもいいとは思う。ただおもしろ半分、売らんがための記事を垂れ流してる以上、誤報だった場合にはそれ相応の責任は取るべき。裁判起こされたところで安い賠償だけならやめない方が得。せめて一ヶ月分の売上が吹っ飛ぶくらいの賠償はしてもらいたい。 

 

 

・顔写真や個人情報などはいかがなものかと思いますが指名を出すのは全然乱暴ではないんじゃないですかね? 

テレビだって番組の最後に番組に携わった人のそれぞれの名前が出てるでしょう? 

その番組を作った人間の責任として当たり前に出しているわけです 

その記事を書いた責任として指名を記載するのは何ら乱暴ではありません 

 

 

・「政治や権力の不正を暴くためには記者の素性を明かさないほうが良い」というのは当然。 

ただ、文春が出すような芸能人やスポーツ選手のスキャンダルにもこれは言えるのだろうか? 

公益性があるならともかく、野次馬やアンチ以外得しない個人のゴシップ記事を匿名で出すことの方が乱暴に思えるのだが。 

 

 

・これまでの局長の発言からして、文春の連中は、一般的な考えとは違うんだなーと思う!むしろ連中の考えが一般的であり、批判的な意見や真逆の意見は一切聞き入れないだろう。 

自分達が正しいと思ってるのだから!様々な意見や考えがあって当然の事ではあるが、連中は違う!まあ、実際は知る由もないしどっちでも良いが他人を貶めたりすると、いつか必ず自分に帰ってくる。必ずね。 

 

 

・そもそも被害などないと言ってる人が顔と名前出してるのだから公平な物事の味方ができる人は当然被害あったと言ってる人も名前と顔出すべきだよねってなる 少なくとも一人の人間の名誉を既に傷つけているのだから存在したという言論を貫くのであれば名前と顔出しくらいはすべきだろう 

 

 

・事実と相違する事を週刊誌として 

利益を得ている以上、一定の公開は 

するべきだろう、何故なら 

その対象として書かれた者は 

書かれた以上それが事実である無しに 

関わらず、それを周囲に特定された事 

自体不利益を有する事が考察できるから。 

 

 

・常識や、今までこうだったからーーを疑うのは物凄く大事だ。 

 

メディアが第4の権力と称され、公的三権を監視する役目を担ったのは確かだ。けれど、情報が瞬時に世界の隅々にまで行き渡るようになった現代、その力は強大すぎる。 

 

メディアは先述した歴史を背景に、あたかも自分たちは大衆から無批判の全権委任を受けているように振る舞っているが、今起きていることは勘違いしたメディアに対して世間が 

「そんな錦の御旗、渡した覚えなんかないぜ!」 

と総スカンを喰らわしてる図式だ。 

 

権力や権威が悪いわけじゃない。そこに「理不尽な」という形容詞がくっ付く事象に我々は憤るわけで、正しくメディアーー特に週刊誌やTVワイドショーがここ10年やってきたことに皆が理不尽さをおぼえてる証左が、このムーブメントの実態だ。 

 

 

・やはり名前は出すべきだな。 

情報提供者が匿名な上、証拠もないのに一太刀なんて言ってる総局長が上に立ってるのを見れば一目瞭然。取材を尽くして自信があると言っていたはずが、同席者の反論が出てきた途端、自分達が何を間違っていたのか?なんてとぼけたボケをかます始末。 

反社絡みや政治家絡みで、取材した者に命の危険が及ぶことが考えられるなら、記事に責任を持つ上のものが代表で名前を明示すれば良い。 

 

 

・専門家がコメントしているような正義のジャーナリズムだと言うなら、公人じゃない警察、いわゆる義賊のように振舞わなきゃだめでしょ。 

営利目的でタレントの不倫なんか追いかけてるやつが正義だの世直しだのを語るなということです。 

 

そもそも読者が求めているのは刺激であって正義じゃない。 

文春総局長が「記者が襲われたらどうするんだ」と言っていたが、ネタが増えていいじゃないか。 

読者からすれば芸能人のスキャンダルがスクープされる、スクープした記者が謎の死を遂げる、1粒で2度おいしい。 

その程度にしか思われないことは文春総局長が一番分かっていることでしょう。 

 

今まで力を持った人が落ちぶれる様をエンタメとしていた文春がついに落とされる側の強者になった。 

なら潔く顔と名前を公表して仕事に殉じるのがプロなのではないでしょうか。 

 

 

・言っていること矛盾してないですか? 

記事で晒された方は良くて、書いた方は匿名ですか? 

もし、記事に誤りがあった場合、晒された方だけが大きな被害を被るのはどうかと思います。 

それとも、記事を書く方は売れれば適当な内容でも責任は持たないということですか? 非常にアンバランスだと思います。 

 

 

 

・文藝の局長の発言は、ネット中傷被害に対して 

匿名発言は普通で、中傷発言は免罪される!って 

事なんですが、なかり変ではないでしょうか。 

ネット中傷発言で犯罪なら、公に報道されている 

雑誌、新聞、TV報道などは当然、匿名発言は 

NGで責任を負うべきで、中傷報道なら犯罪とし 

罪を償うべきでしょう。 

文藝の局長は、韓国や中国政府から支援や資金を 

受けて朝日新聞社が行った慰安婦捏造報道では 

日本国内で公に謝罪も、贖罪もせず、海外向け 

のHPで慰安婦捏造報道を続けていた故事に 

倣った発言だろうと推察されるが、その時より 

厳しい世間の評価と圧迫を受けると認識をして 

いないみたいで、それとも日本国民を見下して 

いるからかもしれない。 

 

 

・新聞や週刊誌の記者って、基本的に名乗らないよね。だから色んな記者会見(最近だと日大やジャニーズの会見)でも大声で怒鳴ってみたりする。科学雑誌や経済雑誌だと、記事の最後に必ず執筆者や編集者の名前がある。顔出しは不要だけど、執筆者名は入れるべきでしょ。 

 

 

・「乱暴」なのは、取材側の姿勢によって立場が変わるでしょ。 

本当に裏をとってしっかりと取材した記事なら、その記事による真実性というのが、世の中に広まると思うが、「違った場合」その責任を本当に取れるのか聞きたい。書かれた側の冤罪になるならば、相応の賠償金は必要だろう。 

それが、責任を取る事じゃないのか? 

ただし、現行法で行くと結果として書いた側が裁判で負けたとしても、賠償額はあまりにも少なく、叩かれた側の損失の1000分の1すらも、賠償されないことが多い。 

問題が、こじれたならば顔出し名前だしで、しっかりと報道の信ぴょう性を訴えるのが筋だと思う。 

今のままでは、書いたもん勝ちの状況である。 

局長も、現行の法制度を分かったうえで、何でも書いて稼ごうとは思わないん方がいい。偏った現実を、公平にするのも報道の関わる人の役割なんじゃないのか。 

 

 

・顔を晒せとまでは言わないけど、扱っている内容を考えたら署名するくらいの責任を持って欲しいです。一般人の感想発信とは違って、調査に基づいて自信を持っているって立場で販売してるんだから。 

 

 

・本当の権力者や反社の記事であれば、記者を守るため匿名にすることも理解できるが、芸能人のプライベートを暴露する程度の記事で書いたもの勝ちの記事では、匿名にしなきゃいけないということに納得できない。 

 

 

・動画みましたが、確かに一記者の素性を公表する必要はないのかも。 

その為に責任者がいるんだろうし。ただその責任者が社長や局長までいくと遠すぎてなにかぼやけてしまうようにも思います。 

 

 

・記事や取材に絶対的に正しいと思えるなら、実名くらい出しても問題ないのでは? 

 

例えば、嘘や捏造の記事を出して、裁判で負けて、あとで謝罪を掲載したところで、著名人を貶めた責任は社会的にも金額的にもどっちがダメージあったかって、雑誌側の方が得だよね。 

 

実名晒されて不都合なことあるからなの? 

取材して事実だと思って記事にするなら堂々と言えるはずだけど。 

 

嘘でも証拠なくても、著名人陥れます、著名人の人生壊します、自分達は安全な立場にいますって、フェアじゃないと思うけどねぇ。 

 

 

・少なくとも人の人生にかかわるような刑事事件や名誉棄損の記事にははっきり記者の名前は載せるべきだ。 

新聞や週刊誌は表現の自由とか情報源を公表しないとか、あまりにも都合よすぎる、真実を追求し責任をもって訴えたいならやるべきだ。 

何が乱暴なのかわからない、説得性のない発言ですね。 

 

 

・「ちょっと乱暴じゃないか」 

乱暴だとは思うけど、貴社のやってる事自体が乱暴なので言われても仕方ない。 

そもそも何の法的根拠もないのに、ストーカー行為をしたり個人情報を収集したり盗撮したりしてる。何処の法律に一民間企業にそういった行為を認めると書いてあるのか?百歩譲って「報道」という「社会的意義」があったとしても相手が私人である場合、匿名記事で私人の氏名を特定した記事を書く権利が表現の自由で担保されるとは思えない。 

もしマスコミがそう考えているなら、国民総発信、発言者のネット時代では個人が記者個人を特定してネット記事や発言を書くことも容認しなければならない。例えば「松本人志の記事を書いた記者は○○である」という発言があり、それが事実であれば、そこから発生する不都合も容認するしかない。 

ようは「人を打つなら、打たれる覚悟はあるだろう」である。 

 

 

・記者の顔写真はいりません。しかし記者の名前は必要だと思います。記事に責任を持てない人は記事を書いてはならないでしょう。ただし、編集長に記事の内容を変えられないようにする、保証が前提になります。この事は日本の週刊誌では無理だと思います。編集長の思惑と違うことを書いては、仕事を干されると想像されます。 

 

 

 

 
 

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