( 147658 )  2024/03/10 13:25:46  
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 バブル経済崩壊後、長らく低迷していた日経平均株価が34年ぶりの史上最高値を更新した。背景には、アメリカの株高、日本企業の業績改善、再び進む円安など、さまざまな要因が絡んでいる。一方で、30年前のバブル崩壊を引き合いに出し警戒感を示す声もあるが、日経新聞の上級論説委員兼編集委員である小平龍四郎氏は「それはありえない」と言い切る。その理由とは――。 

 

 株価はずいぶんと上がりましたが、バブル崩壊の懸念はないのですか――。こんな質問をされることが増えた。気持ちは分かる。ほんの少し前まで「ジャパン・パッシング」(日本素通り)、「ジャパン・ナッシング」(日本消滅)など散々に言われてきた日本の株式市場。状況は一転して変わり、2022年末から24年2月末までの1年と2カ月で、日経平均株価の上昇率は50%と主要国のなかで最も高い。 

 

 株式投資をはじめて、まだ日が浅い方なら株高の風景を違和感なく受け入れるかもしれない。しかし、幸か不幸かバブルの頂点を社会人として経験してしまった世代は、その後の経済の惨状も知っているだけに、株価上昇にどこかまがまがしい予感を抱いてしまう。筆者もまたその1人である。 

 

 そこで本マガジンへの寄稿として、今後しばらくの間、「バブルとは何だったのか」という統一テーマで主に1980年代から90年代をふり返ることにした。あの時代と比べることで、現下の株式市場の実相を浮かび上がらせるのが目的だ。「今がバブルなのか、どうか。その崩壊の懸念があるのか、ないのか」という問いへの答えも探る。 

 

 筆者は2月上旬、韓国・ソウルで「日本の株式市場改革」について講演する機会を得た。 

 

 ソウルでの公演の準備をするため、なんとはなしにバブル期から今日までの新聞の見出しを、日経テレコンを使って時系列で追ってみた。そこでひとつの気づきがあった。今では当たり前のことと考えている株式市場の諸制度はバブルのピークから崩壊後につくられたものだということだ。 

 

 例えば、インサイダー取引規制。株価に影響を与える未公表の情報に基づいて株式を売買し利益をあげることは明確に違法だ。今日では誰も疑わない、株式取引の「いろはの“い”」。しかし、インサイダー取引規制が現在のように厳しく整備されたのは、1989年4月に改正証券取引法が施行された後だ。 

 

 それ以前もインサイダー取引は違法だったのだが、条文が曖昧で使い勝手が悪く、「抜かずの宝刀」とも言われた。債券取引で巨額損失を出したタテホ化学工業の株式をめぐる不透明な取引をきっかけに、改正機運が盛り上がったのだ。 

 

 不透明な株式の買い集めを防止する「5%ルール」の導入は1900年12月。不正な市場取引に目を光らせる証券取引等監視委員会の設置は1992年7月のことだ。 

 

 すなわち、バブルがピークに向かっていた頃の日本の株式市場は、インサイダー取引や買い占めが横行し、だれもそれを厳しく摘発しない、何でもありのジャングル、「無法地帯」だったのだ。海外からの圧力もあって諸制度が整い、市場が近代化したことにより、デタラメが通用しなくなったことの帰結がバブル崩壊と、その後の様々な不祥事だったとみることもできる。 

 

 

 もう少し制度の整備をたどってみる。 

 

「金融ビッグバン」は1997年から始まった。今ではタダ同然の株式売買手数料も、かつては売買代金に応じて証券会社に手厚い収入が入る仕組みだった。値が株を回転売買させて儲けるビジネスがはびこり、個人投資家の懐を痛ませた。 

 

 そして2000年代から始まったのが「会計ビッグバン」だ。それまでの日本企業は単体決算を重視し、関連会社を含むグループの業績や財務に関する包括的な連結決算はおまけ扱いだった。決算発表でも単体決算だけを先に説明し、連結は後日、資料のみ配布ということも決して珍しくなかった。 

 

 さらに、株式などの有価証券が値下がりして損失を抱えていても、それを業績に反映させる必要は必ずしもなかった。会計用語では「取得原価主義」といい、粉飾でも隠蔽でも何でもない会計処理だった。 

 

 そうした含み損を機動的に損益計算書に反映させるようにした「時価主義」の会計が始まったのも、会計ビッグバンの一環だ。 

 

 今では当たり前になった社外取締役が増えたのは、2014~15年を起点とする「企業統治(コーポレートガバナンス)改革」の成果だ。それまでの企業は生え抜きの男性が年功序列で押し上げられ、社内政治にも勝って、ようやく取締役になるのが常識だった。これは、ほんの10年前のことである。 

 

 おさらいしてみよう。 

 

 バブルに向かっていた日本の株式市場は、インサイダー情報に基づく不正取引が横行し、それを誰も取り締まらず、正体不明の投資家がひそかに株式を買い占めても分からなかった。時折、買い占めの噂で株価が急騰すると、証券会社はそうした企業の株式を短期間に何度も顧客に売買させて荒稼ぎをした。 

 

 財テクで損をしても関連会社などにポジションを移すことにより投資家の目を欺き、仲良しクラブだった取締役会がそれに後ろめたさを感じることもなかった……(ちなみに、日経平均株価の最高値超えに関連して、証券取引所の立会場で証券会社の市場部員が威勢良く注文をつないでいる風景がメディアに登場する。実はあの市場部員たち、通称「場立ち」は。顧客の注文と同時に自分の売買注文を出す禁じ手、「手張り」に手を染めることもしばしばだった。だから、筆者はあの風景を見て、往時を前向きに懐かしむことがどうしてもできない)。 

 

 多少の誇張はあるものの、1980年代後半の株式相場はこんな感じだった。ひと言でいえば、デタラメだったのだ。 

 

 

 軌跡の高度成長を遂げた日本経済は1979年から「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と称賛され、世界の注目を集めた。日経株価が初めて1万円台に乗せたのは1984年1月、2万円台が87年1月、そして3万円台に届いたのが88年12月のことだ。本来であればそうした国際的な関心の高まりに応じて、株式市場も近代化すべきだったのに、既得権益にすがる市場関係者がそれを阻み、大きなひずみが生じてしまった。それがバブルだったとも言うこともできるだろう。 

 

 バブル期はここに銀行の無節操な不動産融資が膨張し、引きずられて闇の勢力が表社会に顔を出し、株式取引にも参加した。バブル崩壊の後処理が長引いてしまったのは、市場関係者がそうしたバブルの紳士たちとの関係を根絶するのに、時間を要したからでもある。 

 

 それに比べれば、今の株式相場ははるかに健全で透明だ。経営の実力や業績に比べて株価が高すぎるという銘柄は確かにある。しかし、そうした企業の株価は早晩、適正な水準にまで押し戻される。 

 

 相場全体でも同じことがいえる。企業業績に対してどれほど株価が高いかを示す株価収益率(PER)といった指標に注目するのは有効だ。 

 

日本経済新聞社の投資専門誌「日経ヴェリタス」3月3日号『株高ニッポン 新次元へ 4万円時代の扉 好業績・株主重視が開く』はこう分析している。 

 

 野村証券によると東証株価指数(TOPIX)の12カ月先予想PERは足元で16倍。50倍を超えていたバブル当時に比べて割高感はない。TOPIXの12カ月先予想1株当たり利益(EPS)は2月27日時点で166円と過去最高が見込まれ、株高には業績の裏づけがある。 

 

 バブル期のPER50倍超えという、今ふり返れば常軌を逸したバリュエーションを正当化したものは、日本経済の将来性であり、企業の保有する不動産の含み益の増加だった。時代の高揚感がバブルを膨らませ、さらに株価の高バリュエーションを高めるという期待のスパイラルも見受けられた。 

 

 今の株式相場にそんな熱はまったく感じられない。少なくともバブル期を経験した筆者はそうである。 

 

 結論を言えば、株高であってもバブルは崩壊しない。崩壊しようがない。なぜならば、バブルなど発生していないからだ。今後、株価が下がったとしても、それは合理的な相場の調整であって、デタラメな市場で膨らんだバブルの崩壊ではない。 

 

小平龍四郎 

 

 

 
 

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