( 147930 ) 2024/03/11 13:01:14 0 00 ・復興特別所得税とは、所得税額に対する付加税で、平成25年から令和19年までの各年分の基準所得税額の2.1%を所得税と併せて申告・納付するものです。
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この増税、いつまで続くんですかね? 今の政府を見ると令和19年で終わるのでしょうか? 結局は名前を変えてこの増税は続くとしか思えません
そしてこの増税は何に使っているのでしょうか? 全国のサラリーマンを筆頭に2.1%って 結構な総額(金額)ですよ
・とりあえず避難から始まり 諦めからの 移住に移行した方々も多いと察しますが 能登半島で被害に遭われとことんた方々の多くが またこの地に戻りたいと言われるように 東北の被災者も そんな思いを抱えながら 葛藤しながら生きてこられたのではと 勝手に想像しています。地震や津波の傷跡は 長い年月をかけてでも修復されるでしょうが 原発は違います。原発に代わるエネルギーを 政府はとことん考え模索すべきです。素人考えですが 海に囲まれている日本は 波の力を電力に換えるということはできないのでしょうか?
・一時全域に避難指示が出た7町村の解除地域でも居住人口は約1万1600人と住民登録の2割にとどまる。居住再開が22年8月と最も遅れた双葉町は103人で1・9%にすぎない。町は30年の目標人口を約2000人と掲げている。 ←日本中が人口減少。当時とは状況が違う。 集約する方向しかない。いつまでもインパール作戦みたいな事はやめましょう!
・ほぼ原発避難。避難という名目だと定期的にお金は貰えるからね。 なので住民票は原発付近のままだけど、生活はもうほぼ別な所に定住って家族多い。
地元でも原発で避難してる人達は裏でそういう話されるから本人達も辛いだろうけど、戻る気がないならそろそろ考え方を改めないと、子供達も支援があるのを当然と思って生きてしまうよ。あの頃赤ちゃんだった子供達も大きくなってきてる。
貰えるお金は貰っておかないと損だけど、色々誤魔化してもらう事が果たして子供の心の成長に良いか考えないと。
・避難者とはどういった状態にある方なのでしょうか。定義はあるのでしょうか。都内ベイエリアの高層マンションに住んでいても郊外の高級住宅地に新築一戸建てで住んでいても避難者と言えば避難者なんだよね。そろそろ本当の避難者とは何なのか考えて欲しい。支援が本当に困っている方に行き届くようにしてほしい。切実に思います。
・2011東日本大震災、1995阪神淡路大震災、その間16年 原発、津波があるから状況は違うだろうけど 阪神淡路大震災での神戸の人たちは個人的には10年もしないうちに立派に立ち直ってた印象が強く、間違いなく3.11の時点では震災前の状態に戻っていた。 それと比べると、どうも交通事故に遭ってあそこが痛いここが痛いと喚いているみたいな人たちが大勢いるのではと勘ぐってしまう 16年もあれば十分なことは神戸の人たちが立証してくれた。 あと3年でその状態に持っていけるように政府は準備と告知をして欲しい
・もう避難ではなく新たに生活の拠点を移すべきだと思います。 原発は昭和の時代その地域も県も自分達で受け入れて長年恩恵も受けた。 当時から安全性には様々な意見が有ってそれらを複合的に考えて設置を受け入れたのでしょう。 裏の話は解りようも無いが。 なので自分達の過去の過ちとも言えると思ってます。 そして、何度も言うが今後南海トラフ、首都直下地震も起きる。 同じ事を何十万人、何千万人が言い出した時に対応は出来ない。 皆んなしっかりと考えるべき。 基本は自己責任。自分の身は自分で守る。 国がなんとかしてくれるは無い。 戦争になり空襲が来れば皆さん逃げるでしょ? 言われなくても。それと同じだと。
・震災が発生して13年。個人的には被災地が故郷で、それこそ発生当初は色々現地で何かしら行動していましたが、未だに避難29,000人というのが気になります。それはもはや避難なのだろうか。もう原発近隣は住めない。 それを避難というのが引っかかる。 また、残念ながら被災地付近ではこの震災において補償された金員を大盤振る舞いしている輩も多かった。その原資は東電→税金な訳で、素直に応援し難い状況でもある。我が故郷とてそんな気持ちになるなら、全く土地勘無い人からは更に理解し難いと思う。 実際に原発付近の元住人が都内のマンションを用立てされて、それなりの車乗っているのを見ると、なんだかなぁと感じる。
・この人数のうち本当に地元付近に残り仮設住宅等で暮らしてる人ってどのくらいなのか。 もうとっくに地元は離れて普通に仕事してるけど、補助金を貰ってる人はどのくらいなのか。 コロナの持続化給付金等もそうだけど、補助金が出るとなると既に普通の生活をしてるにも関わらず貰い続ける人って一定数いるからね。
・この3万人弱の避難者のうち、本当に戻る予定で生活をしている人はどのくらいいるのだろうか 実際はほとんどの人が今の住処で収入を得てある程度生活を安定させているのでは 10年以上経っても戻れる目処が立たない、元の場所に住めるようになっても戻ってこない、という状況であれば、そろそろ避難という扱いをやめることも検討する時期にきている気がする
・これからの時代、国民全体含めて、特に被災地の方々、東北東日本だけでなく、今回の能登半島地域の方々、リコール含めて 議員の選び方、資質姿勢の本質を見据えて選ぶべき時だと思う。官僚含め、復興財源とか、介護保険など、直ぐに聞こえ良く相互扶助を持ち出すが、削るべき予算の方が遥かに大きく、国民負担でしか物事が進められないのは、政治の無策以外無い。いつまで豊かさを感じられない責任は政治の姿勢にある、この30年にしても何も進歩がなく、実態は後進国並みの格差と腐敗だけだ。今こそ市民は選挙で自ら選ぶ権利を、真剣に捉えて考える時でしょう。
・元住んでいた東北の地に戻りたいという気持ちは心の中の何処かに残っていても、13年という長い年月が経てば、避難した地での新しい生活が軌道に乗っていたり、高齢者になっていたり、被災地に戻るための資金的問題が解消されていなかったりと、様々な事情が生じていて、現実的には元住んでいた被災地には戻れない人も決して少なくないと思います。 また、仮に自分たちだけが戻ったとしても、震災前のコミュニティは消失しているので、孤立無援の再スタートとなってしまいます。 被災地の外側に居る人々は、被災者の各々の選択を見守り、尊重するのみだと思います。
・原発避難者特例法により、原発事故被災地から避難した方は被災地自治体に住んでいなくても、被災地自治体の住民票が維持できます。
これはもともと将来の帰還を前提にしていたからですが、(居住地域の除染が遅れている双葉・大熊は別として)帰還者数が増えない自治体もある中で、これをいつまで継続するか、そろそろ議論すべきではないかと。
被災地に住まない住民が多数を占める自治体では、そうした人々が有権者の大半となり、帰還して町に住む本当の住民の意見より、避難したままの人の意見を議員や自治体長が優先しかねないし、被災地自治体の職員は避難者の所在地追跡や各種連絡・費用徴収などで業務量が増えすぎてスタッフが足らず、全国の自治体職員等の派遣サポートで成り立っている状態。
政府が福島の「復興は進んでいる」というのなら、この点の是正も視野に入れるべきでしょう。
・なんで13年も経っているのにまだ避難とか復興とかいう単語がでてくるのだろうか? 原発の放射能汚染? 原発、東京電力が根源じゃないか・・・ なら、第一に責を負うは東京電力ではないか? それが東京に関係ない人間に復興税と言うあたかも当然のように税金が付されている。 その東京電力は燃料費高騰とはいえ電力料金値上げして当期6000億円の黒字じゃないのか?
これから南海トラフとかの災害もよそうされる、滋賀だってまだ復興は先のこと、 震災は確かに不幸で気の毒なことだったがそろそろ震災、批難ということについて再考する時期かと思う。
・まだ、避難してるのにはびっくりです 何千億と寄付金は世界中、政府も含めて支援金は集まってたと思います。 市庁舎は、立派なもの急いで作らなくてよいので、市民の住むとこを作ってあげなさい 県庁や市役所や町役場に、必ずキープしてる支援金あります わたしのとこも以前、ニュースで義援金が役所などの新装工事、被災もしてないのに使われてた件あります。役所の車からパソコンまで、義援金から捻出してたと聞きます。
・あれだけ広大なインフラ・産業被害を10年で90%以上も復旧して、元のまともな街に近づけたのならそれだけでもかなりすごいと思う 当時尽力下さった支援者やボランティアの方の事も忘れちゃいけないな 原発の問題はどうしても論争が起きるし、まだまだ中々帰れない人もいるしで能登もそれくらい復旧かかるという可能性の話でもあるけど、諦めなければそこまで詰めることができるんだなって
・国は金だけとって積極的な復興支援を怠っている。 復興税と称して所得税に2.1%の付加税を課しているが、使途が本当に復興のためなのかは不透明。復興税は特別増税とも言えるので単独での税収がいくらだったのか、それに対し支出はいくらだったのか、またその明細は何なのかを月単位でメディア発表すべき。官報やら政府刊行物では一般国民の目にはなかなか触れにくい。使途を明らかにすることで用途通りに税金が使われ復興がもっと加速し13年も避難生活を送らざるを得ない人たちが1日も早く安住の地に定住できるようになることを心から望む。中1の子が生まれてからずっと避難中だなんて不憫だし政府の怠慢の象徴だ。
・国の援助は必要ですが、その土地が復興するか否かは結局地元民力な気がする。他力本願では何年経とうと元の姿には近づけないと思う。 環境の問題で、戻れないのなら腹をくくるしか無いかと。 住み慣れた土地が良いのは分かりますが、新天地に永く住み、住民票を移していないのもどうかと思います。
原発の影響等他に類を見ない被害があり心よりお悔やみを申し上げます。
・避難者が3万人とか。そろそろ避難者の定義を見直す必要がありそう。災害地にはかなりの補助金が投入されているそうだが、使い切れていないと言う話もある。10年経って各人、各自治体の今後を見直す必要があるだろう。復旧、復興をどのように考えるか。
・原発事故による帰還困難区域における除染はどう考えても間違った政策だった。多額の予算をかけて進めたにも関わらず、未だに多くの地域が解除されていない。また解除された地域でも実際に帰還した人は多くなく、それも若者は帰らない。今後解除される区域が増えても実際に帰還する人は少ないだろう。 元々除染は無駄だと発災当時にロシアの原子力災害の専門家がチェルノブイリ事故の経験から言っていた。それを帰還を希望する人達の声やそれを支持する世論に押されて事業を進めてしまった。 数年立って困難さが分かったにも関わらず今も漫然と進めている。 その結果が今の状況だ。多額の予算が無駄に消費された。さらには除染のため除去した土等の処分ができないまま放置されている。この処理にも多額の予算が必要だろう。 東北大震災ではこのような無駄な事業が多くあるように思える。今後の大規模災害の復旧復興事業のためにしっかり検証すべきだ。
・親御さんは、子を守ることも大切ですが、親がいない時もあるので、そんな時に、どうするのか自ら判断して行動できる訓練をして下さい。
学校では年二回以上、避難訓練をし、授業中、放課、登下校中など、様々な場面で、子としての判断を高める訓練をしています。
家庭でも、いろんな場面を想定して話し合いをして下さい。そんにかで、子どもたちは自らの判断力を高めていきますから。
・こと原発事故関連による避難者で言えば、他地域に新築の家を建て生活の基盤を築いてもなお、避難している事にしておいた方が都合の良い状態を作り出してしまったのが間違いでしたね。もちろん強制的に避難を余儀なくされ、そこから再起を図るのは並大抵の心労では済まなかったでしょうが。そこを加味してもなお、お釣りが来るぐらいの状況が続いているという現状があるわけで。 最終的に人口減の続く双葉郡の自治体は市町村合併が必須になってくるはずなのですが、賠償絡みの問題によりかえって各自治体の独立性を保たなければならないという足かせにもなっていると聞きました。今は各自治体ともに復興を名目とした産業誘致などで賑わいを見せつつありますが、こうして他力本願のまま数十年を経た自治体は、補助が打ち切られた途端一気に衰退する事でしょう。原発事故の本当の意味での功罪は、あと百年ぐらい経たないと見えてこないのかもしれませんね。
・東北大震災の福島原発で、原子力発電の恐ろしさと、国や電力会社のいい加減さを思い知った。 今回の能登地震では、滋賀原発の情報は少ないし、珠洲市に建設予定だった原発予定地は、ものの見事に隆起崩壊していた。 もし、原発が出来ていたらと思うとゾッとする。 国や電力会社、原子力委員会の発表が信頼性が無いとハッキリ知った。 やはり、風力発電や地熱発電への対応に移行してほしい。
・13年、早いものですね。 避難先での生活基盤が整った方も居られるかと 規制区域、放射線半減期まで帰れるか否か、遺骨となっても帰れるか否か 政府、東電も腹を決める時期かも 戦後外地からの引揚者に対し財産保証を行ったように、薄情なようだけれどもダム建設に伴う移転、買い上げで国有地として管理することも視野に入れ時期に差し掛かっているかも
・大地震による津波、原発事故で突如、家も家族も土地も何もかも捨てて移住を選択せざるを得なかったのは気の毒。
でも人生の中で、何度も業務命令で単身や転勤を家族でする人たちもいる。 住み慣れた範囲からでて、北海道出身で四国などに住むと帰省もばかにならない。学齢期の子供がいれば、縁もゆかりもない土地で進学して住み着くことになる。
避難されている方の気持ちは、理解できなくもない。 でもいつまでも被害者の気持ちでいては次へ進めないと思う。
・阪神淡路大震災も甚大な被害が出たが震災から10年後には、かなり復興が進んでいた様に記憶に有る。
東日本大震災が10年以上経過しても、未だに3万人近い方が避難生活をされてると云うのは原発の問題なのか? それとも阪神淡路大震災は関西が経済的拠点で復興を急いだからなのか?
住み慣れた土地を離れるのは辛いだろうけど、10年以上経過しても解決の目処が立たないならば、被災地を諦め、市町村毎に新しい地域に集団移住して避難生活から脱却する事も検討しては如何でしょうか?
福島県在住の当時60代半ばだった親戚は、避難生活2年後に他県に移住。 未経験の業務に転職しました。 経験を積み5年前に独立。
「生きてる間は働かなければ」が口癖で80歳近い今も元気に手打ち蕎麦を作っています。働く事が生きる張り合いになり目標にもなったと言ってました。
・2割戻ってきたか。受け入れた時は浪江で300人とか聞いた。 義父は即戻った中の一人。 2万9000人が今なお避難と書いてあるが、戻っていないだけで避難しているという認識はない人じゃないかな。 自分も先日カミさんに自分の家を貸して、浪江町営住宅に入って復興のお仕事するってのはどう?と聞いたが、生まれ育った浪江でも、もう30年外で暮らしていて、もう戻れないって言ってた。 TV見ても移住してくれている人は縁の無い若い人。素晴らしい理念です。ありがとうございます。
・避難の定義を知らないが、前向きに生きていけているのかが重要。ふるさとに戻るだけが全てでは無い。新天地でも頑張れるように支援すべきで、13年もかかってまだ避難している状況は、避難者にとっても支援する側(主に行政)にとっても良いことでは無い。
汚染地域は意地でも元に戻すのではなく、経済的合理性を考慮すべきで、人口減、過疎化が全国で進む中、過疎地域でもある被災地域を多額の税金をかけて復興させる意義はあるのか? 日本全国的な視野で、これからの産業政策を含めてどうするか考えるべきで、 明らかに復興利権に成り下がっている。避難者に寄り添う名目で政治家、それに近い業者がお金をかすめ取っているのではないか。復興税制で確実に税金を手に入れられるので、利権としてこんな美味しいものはない。感情的に被害を聖域として見るのではなく客観的な報道も求む。
・避難先で経済的に生活を立て直せなかって人や13年も経ったら高齢になって仕事をしないで年金生活に入った人も多いんじゃないかな。東京の公的住宅に格安で入居できて、もうそこから出たくないという人も多いとニュースで見て、そりゃそうだと思った。ここまで年数が経ったらもう期限を設けない限り避難者の人数は減らないと思う。
・年月は経過して自分の中でも過去の出来事になってしまっているけどあらためて数値化されたデータをみると終わってないなと自覚した。 被災した方に何が出来るのかどんな支援が出来るのか再度考える日になると思った。
・「いつまで避難と言い続けるのか」ということは多くの人が思っているでしょうね。 避難者扱いをやめてしまえば、高速道路、医療費無償の恩恵や賠償請求が出来なくなる可能性があることから、住民票を移さない人が大多数であろうと容易に想像できます。 10年以上他の地域で生活し、家を建て、仕事に就いた住民が全てを捨てて再度昔住んでいた土地に戻るとは考えにくい。 いつまでも避難扱いすることで元被災者の生活再建の妨げになっているのではないでしょうか 避難者が0人になるであろう100年後まで支援を続けるの?
・2011年から13年間で熊本、能登と大きな震災が発生して 国も行政も復興支援住宅を建てて終わりみたいに感じるし 被災者が地元での生活ができない方もたくさんいます また復興支援住宅で孤独死されている高齢者もたくさんいる中で余りにも国からの支援がない、地震が発生してからの国からの支援も遅い一般の支援活動で被災者も助かっている もはや日本はいつどこでも大震災が発生してもおかしくない国、行政もいち早く支援活動できるようなシステムを作ってほしい
・これを避難ととらえるべきか移住ととらえるべきか難しいですよね 以前、住んでいたマンションには、被災者保障で、マンションを購入し住んでいました。その方は、そのマンションを売り、さらに首都圏で住みたい街に引っ越していましたし、これをきっかけに首都圏に移住という人も少なくないのかなと やはり資金なしでマンション等を購入でき、いったん指定されたマンションに住んで、そのあと、売りに出しさらに、住みたい街にいくケースも多いと思う
やはり都会の便利さを味わうと、元住んでいたところに住むのもないのかもですし、そうなると避難という言葉は違う気もします
原発で影響を受けた市町村は、そういった人たちが戻るという前提より、新しい街づくりに向けて考えていく必要もあるのかなと思います
・政府は震災被害を鑑み、税収を概算した結果、復興特別所得税を制定しました。その甲斐あって安倍政権下にて、教育、住宅、インフラの各施設も随分と復興しました。機を見て税収だけに頼るのではなく、一部の避難民が新しい生活、自給自足に踏み出せるよう促すことも必要になってきます。
・東日本大震災の犠牲者数22222名、阪神の6437名の 3倍以上。この2災害がいかに悲惨だったか、戦後の 日本史に残る大災害で教科書にも載っています 老若男女、職業も無差別や家族全滅などなど 都内も震度5強で数名の死者が出ていて他人事では 無かったですね、少しばかりの揺れもあったし
・原発絡みの避難は先が見通せない現時点ですべての土地を国が買い取るべきじゃないか?100年経っても廃炉出来るかどうかがわからないんでしょう?固定資産税などの問題もあるし、こんな状況を想定している訳が無いので、従来の法律では解決できない。新しい法律を作ってでも対応した方がいい。
・今でも2520名のかたが行方不明で、お家やご家族のもとへ帰れない状況にいらっしゃって、また、2万9000名のかたが避難生活を余儀なくされておられる、、、。私は関西在住で、阪神大震災を経験している者ですが、東日本大震災が阪神大震災以上に深刻だったことを思い知らされます。私も、きょうは自宅で、被災地の皆さまへ向かい、黙祷をさせていただきます。1日も早いご復興、改めてお祈り申し上げます。
・2万9000人が今なお避難 第1原発廃炉見通せず! 避難ではなく移住された人は含まれていないのでしょうか? 13年も経って避難の解釈も変わっていると思うそこは正確に!廃炉は難しい13年でまったくデブリは取り出せない見通せずなら他の管理方法を検討すべきだ。
・13年もの間「帰還困難区域」が解除されないなら移住を考えないのだろうか?
被災したのは不幸な事だとは思うが、何もかもが元通りになる未来は考えないほうがいいと思う。
政府はあらゆる事に対して支援だ援助だと納税を迫り、国民は疲弊しきっている。
あえて言うが、一部のわがままの為に増税の口実を政府に与え、国を揺るがすのはやめて頂きたい。
・近い将来、東京から鹿児島に至る広大なエリアで比べものにならない数の避難者が発生する事になります。東日本大震災時に私たちが味わい、今なお味わい続けている惨めさを、全国の、より多くの人々が味わう事になるのでしょう。自然現象に逆らうのは無理です。
・死者の数、行方不明の数、そして未だに避難生活をされている方々の数を、今日という日に改めて思い知らされました。あの時は廃炉に10年はかかると言われていましたが、13年経ってしまいました。日本人にとって忘れてはならない日だと思いました。
・国からの援助を受ける限り避難民なの? 13年かけて拠点が決まってない(移す気がない)とか意味分かんないんだけど。 避難を脱する際、その後の保障として支援するにしても元には戻らないんだからどこかで手を打って欲しい。 いろんな事情で再就職苦労する人や年金で細々暮らしてる人もいるわけだし、生活を築いているかそこまでに至っていないのか。 避難と望んでない暮らしぶりを余儀なくされるのは保障が違うと思う。
・同じ所へ住めないのだからもう移住者としても良いのでは?自分も家を失い沿岸部なので復興集合住宅に住んでいます。これも避難と呼ぶ?全員を避難者扱いして復興への進みが遅いと思わせる気に入らない記事です。 新たな歩みを進めている被災地にまだこれだけの……なんて記事じゃなくみんな頑張ってるって現地に入って確認して下さい。
・避難中の定義って何なんだろう。それが無いとこの数字の意味も理解出来ない。例えば仮設に住み続けている人も10年もたったら出て行くほうが辛くなっていそうだし。耕作可能になった農地が使われないのは、町で仕事を見つけたからかも知れないし、単に高齢化でもう暮らしを変えたくないだけかもしれない。
・13年経過してもこの状態、そこへ1月の能登地震でこれからどうするかというのに、熊本の震災についても完全復興されていない。 震災で家屋を失い、家族さえ亡くなった人も多く、家屋についてはも言う同じ土地に建築する、予算も場所もない人が。 政治家は、まず自分の国からもらう報酬の大半、自分が最低限暮らせる費用のみ残し、復興予算に充てるべき。 秘書給与、政治資金、移動に要する交通費の国庫負担をすべて自己負担とし、さらには皇室に関係する費用も減らし、被災者支援に回すべき。国会でくだらない議論をする前にやることだらけでは?
・被災してもう13年間逆に言えば被災者の中に地元に帰還したいと言う人の割合など年々減少して居るのでは避難と言ってもそこで暮らし生計を立てて居る本当に戻りますかと言えばNOでは 廃炉やインフラ、地場産業の復興だけに特化して各々の補償や優遇は廃止で良いのでは区切りは着けるもの費用対効果が惰性で続いて居るとしか思えない。
・復興税のおかげなのか東北に行くとすごく景気がよさそうです。震災の時、絶対に増税があると思っていたけどその通りになった。ヘタな寄付なんかする必要ないと思っていたので寄付や義援金の類は一切出さなかった。実際に義援金は被災者に渡らずどこかに霧のようにきえていっているんじゃないの?
・先日…私の友達が亡くなりました。62歳でした。福島県双葉町の出身で、震災の前年に脳梗塞になっていました。 震災後一度も故郷に戻れなかったと聞きました。 人間は成長していく過程で色んな物を無くしていきます。失うと言うべきかも知れません。故郷まで失う人は滅多にいません。帰れないではなく『入れない』でした。 本人は悔しかっただろうな。 以前甲子園に出場した事がある高校の出身でそれを自慢していたのに…その高校も今はありません。 原発再稼働してるけど…本当にそれで良いのか?志賀原発は停止中で本当に良かったと思います。
・それだけ大きな災害だったんですね。 当日 私は東京駅にいました。 アナウンスで今日中の復旧の見込は ありませんと放送があり、駅内の売店に 人が殺到してました。 廃炉も大変です。 技術革新が無いとなかなか。 工程から遅れが生じているし、 長い時間を要しますね。
・純粋に地震・津波による人数と、原発事故の影響がある地域での人数と、そこの部分をわけてみたらどうなるんだろう。 後者が多いのならば、原発事故避難者の人数とした方がわかりやすいと思うんだけれど。 最低限の公共インフラや住宅などが整ってから5年から10年経過したら、避難ではなく移住であり、住民票の移動をするべきだと思うんですよね。
・未曾有の大災害の裏で起きた、大きな「人災」。東電の犯した過ち。当時彼らは、想定外というワードでミスを誤魔化したが、明らかに防げた事故。とっくに耐用年数を超えていた原発をまだ使用するという考え(第一のミス)。そして、地震直後にアメリカから爆発を抑える物質の提供を断ってしまったこと(第二のミス)。つまり安全や人命よりも常に「利益」を重視していた。「自力で何とかなる、アメリカの言うとおりに廃炉にしたら、設備取替に莫大なカネがかかるじゃないか。」そしてあの結果・・・。今でも東電社員は温かい部屋でぬくぬくと過ごしている。福島県民はじめ漁業関係者などは、東電に対してもっと怒りをぶつけてもいい。
・まだこれだけの人数が避難されているということを恥ずかしながら知りませんでした。 高齢者は今から家を建てるという選択肢は難しいと思いますし、能登地方も同様だと思いますし、これからも災害がふえるだろうし、課題ですね。
・福島県民です。帰還は無理だと思います。多分そこに住んでいた方も、戻れないと思っています。13年も過ぎていたら、生活も学校も今住んでいる所で定着していると思います。でも、住所はそのままなのです。住所を異動してしまうと、補償がもらえなくなるからです。同じ県民ですが、申し訳ないですが、可哀そうなんて思いません。逆にずるいな~と思ってしまいます。私は、心が狭いのかもせれませんが、もう、国に渡して、最終処分場のしたらいいと思います。
・原発事故から避難している人たちが受けている様々な金銭的恩恵や援助に対してのやっかみ的なコメント多いことに心が痛む。「自分たちの税金ガー」とか言う気持ちはわからないでもないが、実際、原発事故に被災してみないと本当の被災者の気持ちはわからないのではないか。痛みというのは本人にしかわからないことを認識すべきだ。原発事故の源流をたどると、原発政策を積極的に推し進めてきた政府自民党の責任にたどり着くわけで、その政策の帰結としての事故であるから、その被害者に対する十分な補償は当たり前のことである。津波被害の復興とは異なり、原発被害からの復興はエンドレスだ。そのエンドレスに国が責任を持つことは当然であって、それに対するやっかみなどもってのほかである。
・原発の避難地域から仮設住宅で過ごして、家族の元から独り立ちした人が職場にいる。 東京に残った親戚と福島の除染した地域に戻った親戚がいると言っていた。 復興支援の賛否はわからないけど、他の人よりは人生を狂わされた人がいることを忘れてはいけないと思う。
・自宅がそこにあるから避難と呼んでいるんでしょうか? 安定して自立した生活が送れていて(賃貸でも自分や家族名義で契約したところに住み、自分で買い物をして食事を用意できて、お風呂にも入れる)何が避難なんでしょうか? 避難の定義って何でしょう? 能登地震のように自宅が崩壊して高齢者で生活を立て直すことが難しく仮設住宅待ちとか、2~3年限定の仮設入居中ということなら避難というのも納得できるけど。 一方原発周辺の町ではまだ復興の途中というのは理解できる。
・近所にも避難者がいるけどもう13年なんだな。避難先が生まれ育ったところって子も多いだろうね。親としても子供の事を思えばもう帰らないんじゃないかな。 被災者が利権者になり嫌悪の対象になるし補助金はもうそろそろいいんじゃないかな。被差別なんとかみたいにならないようにしないとね。
・批判されて制度を見直さない限り限界まで貰おうという表れが自身たちの再興の足枷になってると気づいていない 私も被災者ですが家族を守るためにどうすべきかを常に考えていた 故に他県へ移住し立て直しを図りました もちろん全てが辛かったし家族で乗り越えてきました しかし未だに復興の甘い汁を吸い続けている人がこれほどいるとは思いませんでした もちろん全ての人がそうではないと思いますがあまりにも数値が大きすぎる
・もはや避難では無く移住であろう。避難で支給されている補助金も考えないと。たまたま原発避難者の話しを聞く事があったが、夫婦二人で年金と合わせたら、年収1000万円を超えると言っていた。東京電力管内に住む自分はそのために割高な料金を支払わされている。
・福島は、明らかに原発事故避難状態。 帰宅困難区域が解除になっているが、確かなるエビデンスはない。今でも、子供達の甲状腺検査は続いている。当時の子供達は生まれ故郷よりも避難地区で小中高生活を経て、そこが故郷になった。帰宅しているのは高齢者ばかりで、若い人は子育てができる状態ではないため新しい生活の場に居住している。 東電の事故処理は、耳かきひとつの燃費デブリさえ取り出せず、汚染土や汚染水は増えるばかりである。さらに鉄骨剥き出しになった原子炉から地下に汚染物質が侵食している。 半世紀前の原発を無理矢理稼働させ、「第二のフクシマ」がいつどこで起きてもおかしくない。 負の遺産から目を背け、目先の政策しか取らない政府の無責任さに憤りを覚える。 原発事故処理が100年で終わるとは思えない。
・記事は間違ってはいないだろうが、避難者の実態も併せて報じるべき。 同じ避難者でも、本当に不自由な生活を今も続けておられる方や、新天地で既に新たな生活を立ち上げられていながら避難者として登録されたままの方もいるでしょう。
・もう13年。もうそろそろ保障とか賠償とかは打ち切って良いと思います。むしろ被災地に帰還された方達の生活再建に絞るのが良いかと。戻らないくせに「風評被害」とかは叫ばないで欲しい。 ことあるごとに「原発さえなければ」とか言いますが、避難先で定住されてお金もたくさん貰っているのを見ると、「原発があったおかげで」と見えてしまうんですよね。 原発稼働地域で国から交付金が出ているということは、危険と隣り合わせということは知っていたはず。現在も稼働中止と叫んでいる自治体にも普通に交付金は支給されてますもんね。
・かつて環境ホルモンやらダイオキシンやらのときは、「実際はそんなに影響なかったわw 無駄に危険あおってごめんねww」で済んだし世間も一気にトーンダウンした。今回の放射能については影響がでかすぎて、政府が「もう全然影響ないし、というか当初から科学的にそんなに影響なかったから今後は避難しててもお金だしませーん」って言えないよね。でもいつかはどこかで避難扱いを終わらせないとダメだよ。
・現在も29000人の方が避難生活をされているとお聞きして本当に胸が痛みます 年金生活者でしたので大した支援はできませんでしたが コンビニで義援金を寄付したり 被害に合われた地区の特産品を購入させて頂いた程度です 年初に発生した北陸地方の地震に関しても同じような支援しかできなかったですが 今後も機会があればご支援させて頂きたいと考えております 避難生活をされている方々そして北陸地震の被災者の方々 まだまだ寒さも続くかと思いますが どうかご自愛下さいませ
・私は他県民だが今は仕事で第一原発付近にいる もう全然住める状態の街だが人が帰って来ない理由は二つだと思う 働く場所が無い、お店が無い だけどコレ、人が先か働く場所が先かの話 帰っで来たが働く場所が無い、困った、という状況が出来て初めて企業が参入する話、それも何の保証も無いから帰って来る訳が無い 歳を取ったら病院も必要だがいわきまで行かなきゃ診療所しか無い 1000人増えたら一企業、一病院くらい約束せんと帰れん
それに住む場所も問題、手に職あったり業種によっては現時点で移り住むのも可能な人はいる、でも大手が安い内に土地を買い叩き、こんな場所でも家賃は安く無い、空き家や土地を持ったまま離れた人が貸しに出す家は無駄に畑や広大な土地付きで月10万は超える、誰が住むんだ、土地や建物管理してくれたら10年後には家主が帰るが家賃は安くするとか、福島はちょっと特殊なプランを考え無いと復興は難しいと思うぞ
・私は田舎の海沿い地域に住んでます。 もし津波で地域が全壊したら…… 復興なんて待たずに、さっさと他のもっと良い地に移住します。 子供もいるし、仕事を探さなくちゃいけません。 望郷の念だけじゃ生きていけない。 新天地だって住めば都になると信じています。
・あの時、東京湾が目の前の場所に住んでいました。 地震の後、津波が来るなんて考えてなかったから、それこそ海抜1mあるのかも分からない場所で住民たちと立ち話をしていた…。 その後は直ぐにその場所から引っ越しをしました…今は川も海も無い場所です。 ちゃんと未来の人達に伝えていかないといけない。
・もう他の被災された方々もいるわけで…
東日本大震災はそれは大きな大きな災害ではありましたが、個々に見たら〇〇地震で家が住めない、避難生活をしているはそれぞれ同じくらい大変なことなのではと思います。
で大震災で住まいや地域は無事だったけれど、何年も生活が大変だった、苦しくなった人もいます。
もう13年、そろそろ終わりでもよいのではと思います。
・今もなお苦しい生活をされている方→わかる 「避難」されている方→わかる 避難して13年そこで生計を立てている方→もう避難とは言わないのでは 土地と住めなくなった住宅だけ残して他の地域に住んでいる方々はどれくらいいるのだろう そして「復興税」はいつまで続くのか ある程度の見切りをつけるのも国のやる事なのでは。
・>> 戻る気がないならそろそろ考え方を改めないと、子供達も支援があるのを当然と思って生きてしまうよ。あの頃赤ちゃんだった子供達も大きくなってきてる。
東電がしっかりしていればよかったけど、結局国が支援に入らないとならないほど、何にも対策してこなかった。それが大きい。 当日、異常事態が発生したら集まる場所にも誰も来ず、東電社員が原発地域に住むわけもないし、誰も責任をとれない。 行動はもちろん姿勢も感じられないなら、お金で解決するしかないよね。 今の日本は補助、支援って平時でも言ってる。自分から離婚しても。 そっちの方がどうかと思うけど。
・なんか虚しい話です。その時は旧民主党政権でした。批判は色々とありましたが未曾有の災害の中、一生懸命やったと今振り返ると思います。自民党が政権を握ってから言うだけ番長で、あれから前に進んでいません。 熊本もそう今回の石川もそう。早くまともな政党が政権をとり一刻も早く元どうり暮らせるように願うばかりです。
・>避難者は2月1日現在、2万9328人いる。
13年も経過して今に避難者なのでしょうか?
それとも戻る(本気かは別にして)意思を続けたら、まだ何か支援が有るのかな?
数(十)年後に今以上に過疎化が進んだ南三陸に戻っても、都会慣れした方達には厳しいのでは?
・まず避難の定義だが多くは別の場所に定住しながら避難の体で金をもらっているだけ。今回の能登半島もそうだが、そもそも限界集落状態なのであればそれが例え原発事故によるものでも移住以外に選択肢はないのでどこかで移住の手当に変えて延々と金を垂れ流すのは止めるべきだろう。 廃炉は半世紀ぐらいはかかるので、見通せずの一言でかたずけるのも誤りだ。
・いまだに避難している人も、見つかっていない人もいる。13年たったけど、一生忘れることができない衝撃だった。できれば生きているうちに二度と経験したくない。突然の変化は精神的にも負担が大きかった。
・やはり先の見えない原発処理ですね。本当にどうやって収束するのか、何年かかるのか国と東電も一生懸命対応してはいるのだろうけど、不安は尽きないですね。福島県産の海産物等への風評被害、原発被災者への賠償もいつまでつづくのか。問題は山積みのように感じます。
・福島の帰宅困難区域だった沿岸部は街の整備が進んだとはいえ、まだまだ人は少ない印象。またいつの日か震災前の活気が戻れば良いなと思う。
・政府は難しいこと考えずに、大規模震災が起きても最小限の被害で乗り越えられる国造りに全振りすればいいんだよ。
国防力・科学力・社会保障が同時に強化されるし、公共事業だから景気も潤う。
『震災に備え過ぎは無い』ともう判っているのだから、このままじゃ来る南海地震と首都直下地震に耐えられないよ。
・実質的には原発の周りの自治体に戻れない人たちの数だろうね。 13年も経って新たな生活の基盤を作れていないわけもないし、もうすっぱり移住して新しい土地で生きていく決心をした方がいいと思う。
・十年一昔と云われている。 もう13年も、それぞれの生き方で過ごしてきたのだから、もう避難者を名乗るのは、どうか?もう、それぞれの市民で生活出来ているのでは。
いつまでも支援や補償に頼っていたら、自立できずに自尊心がダメになる。 国内あちこちで他にも災害に苦しみながら、誰も支援せずに踏ん張っている人もいる。
本来、政治家がきっぱりと補償中止宣言すべきだった。ま、現実を見ない人から批判殺到するから言えないだろうけど。
・もうあれから13年も経つかと思う反面、いまだに故郷に帰還できない人が2万9千人もいる。原発の恐ろしさを改めて認識いたします。原発事故は有ってはいけないことですが、その安全神話は一つの地震・津波でもろくも崩れました。 全てに渡って絶対はないということを噛み締める教訓にしなければいけないと思います。
・10年以上たっても救済されていない状況 行政能力が問われてしまう
非難されている方々が3万人弱 3万人弱は小さめの自治体規模 被災地の人的資源が失われています 住宅支援・産業支援・インフラの整備を
原発は日本にとっては不要ではないと思われます
・金に色はついていませんからね。 震災でもなんでも、税金集めに使えるものは使うんですよ。
まあ、その辺は日テレと同じ感覚ですかね。 「愛は地球を救う」とか言っちゃて、結局のところ自分たちの「広告費集め」とお得意様の「ジャニタレの宣伝」を、今年もまた能登地震で盛大にやるんでしょw
兎にも角にも自民党は、自分たちの金と票になる大企業や宗教団体に税金を利益配分する事しか興味はありません。
そういう政党を選んでいるのは国民ですから是非もないのですよ。
・13年たって寄付寄付と言わざるを得ないのは 原発の処理が出来ない。 自治体及び政府の対応がきちんとなされていない。 そして厳しい言い方だが、その地域にそもそも産業的な地力、経済力がない。 まぁコレは原発のメリットデメリットの裏表ではあるけど、この元々経済力のない地域を狙って補助金で場所確保してる面もあるからね。まっ何にせよこれ以上の変化は逆に言えば起こらないのでは? 補助金もらって原発まわりに戻っても生活できんでしょう?
・死者、行方不明者数が2万2222人 この2並びの数字ってあるのかね^ 正式な発表だから でも、22,222人って、偶然かもしれないが不思議な数字 皆さん、個々人の人生が無くなる ご冥福をお祈りいたします。
・避難から13年、いつ戻れるかわからない状況が続く、ひどい話だ。
原発立地地域では、原発が地震で壊れていないかを確認しないと救援には行けない、自衛隊も出せない。原発が壊れていたら半永久的に復興も望めない。
いくら原発マネーが地元に落ちても割に合わない・・・、リスクがあまりに大きい。
・東電の原発が原因で約3万人もの人が避難している。 他人事じゃなく原発の危険なことを理解するべきである。 専門家は今回の15mの津波は想定外というが、今後それ以上の想定外は起こり得る… よく考えてもらいたい。
・移民する文化の人からしたら、13年避難してるって聞いたら『え??』ってなると思う。
そもそも地震直後の避難生活から13年経っても、まだ次に住む場所の選定とか考えず支援もらいながらその生活続けるって、どういうこと?
・震災を過去の出来事にしてるのは 結局は 被災してない人たちだけなのかもね。 家や友人や家族を亡くした方は 時間が経てば経つほど寂しくなるんではないか。 10年以上経過しても 復興したのは、街やインフラだけなのかも知れない。
・自然災害 津波や建造物の倒壊はそうだけど、原発事故は人災。 津波で全電源喪失に至ったのは電源設備を地下室に設置していたから。 あろうことか非常用ディーゼル発電機すらも。 万が一のこと考えたら、電源設備は高い所に置くべきでは。 という意見は既にあった。 東電は 「津波?そんなもん来えへん。防波堤あるから大丈夫。」 で予想を遥かに上回る大津波。 電源設備は浸水/使用不能に。 東電曰く 「想定外のことでしたので。」 これを「見苦しい言い訳」 以外の何と言う。
・申し訳ありませんが、原発避難は東日本大震災とは間接的であり、原発事故の一番の原因は東電と安全神話。法律上、原発事故は国も保証するらしいが廃炉技術もないのに廃炉は不可能。エンドレスで避難補償や事故原発管理にお金が使われている。一時的な石棺が現実的。廃炉技術が出来たら、廃炉にすればいい。
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