( 149037 )  2024/03/14 13:39:29  
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週刊誌報道に対する批判が高まる中、デヴィ夫人が『週刊文春』を名誉毀損と信用毀損で告訴したことについて、報道機関の報道姿勢や週刊誌の影響力について検証されています。

また、刑事告訴については多くの記事が記載されているが、捜査機関や詳細は明らかにされていないことや、刑事訴訟は勝ち目が低いことなども指摘されています。

さらに、刑事告訴の猶予についても裁判的には妥当な時間であるという見方が示されています。

報道機関やメディアがリスクを避けていること、ジャーナリズムの精神の低下などにも触れられ、週刊誌の対応や週刊誌自体が様々な告訴に耐えてきた経緯が紹介されています。

(要約)

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『週刊文春』を刑事告訴したデヴィ夫人 Photo:JIJI 

 

● 「週刊誌が権力化」は本当か? デビィ夫人の刑事告訴が持つ意味 

 

 このところ週刊誌報道に対して、「週刊誌の影響力が強大すぎて、権力と化している」という議論がなされています。元週刊誌編集長として、これは看過できない状況なので一言、お話ししておきたいと思います。 

 

 たとえば2月27日、デヴィ夫人(デヴィ・スカルノ氏)は、昨年自身が関わる慈善団体とのトラブルを報じた『週刊文春』や証言者らを、名誉毀損および信用毀損の罪で刑事告訴しました。これは彼女がHPで発表したもので、しかもこの件についての取材はお断りとのこと。 

 

 彼女は記事の事実無根と、取材への回答期限が1日しかなかったことを問題にしています。そして、「最近は、一部の週刊誌が強い権力を持ち、一般の方が週刊誌に情報を提供し、週刊誌が他方当事者である著名人の言い分を公平に載せることなく著名人を貶め、社会から抹殺している事象が、多数見受けられます。そのような報道姿勢は、表現の自由、報道の自由に名を借りた言葉の暴力と申し上げざるを得ません」とコメントしています。 

 

 正直、これがテレビや新聞記事に出たときは、うんざりしました。それらが、デヴィ夫人のHPを丸写ししただけの報道のように読めたからです。 

 

 週刊誌経験者は、まず、彼女が刑事訴訟しか起こしていないことに注目します。実は、刑事訴訟は誰でも起こせるし、民事と違っておカネもいらない(民事訴訟は損害賠償額に応じて印紙代がかかります)。だから、政治家が疑惑を報じられたとき、「刑事だけで告訴した」と発表し、大変な虚偽報道で被害を受けたように自己弁護する手段として多用されてきた過去があるからです。 

 

 しかし、今回の報道は謎だらけでした。まず刑事訴訟をどの捜査機関に提起したかということが報じられていません。本人も発表していません。また、普通メディアの報道なら、どこの捜査機関が「受理」したかどうかがポイントになるはずですが、それもありません。 

 

 もちろん、誰でも刑事訴訟をしたら、言葉通りの「受理」はされます。しかし、本当の意味の「受理」は捜査を開始する、あるいはその意図をもって書類を審査するということで、「受理」という言葉がないということは、単に書類を提出したと言っているに過ぎないように思います。前述のように、名誉棄損で刑事でしか訴えないのは、たいてい勝てる見込みがない場合です。勝てる裁判で、しかも相手に刑罰まで与えたいという意識なら、民事裁判も同時に提起して金銭的賠償も受け取るというのが自然な感情でしょう。 

 

 実際、私の長い週刊誌経験で、刑事事件で逮捕、起訴された人間は少なくとも文春には1人もいません。他社を見回しても1社くらいでしょうか。それほど確率の低い裁判なのです。 

 

 

 つまりは、デヴィ夫人の主張にメディアが乗せられているだけではないでしょうか。せめて告訴状を提出したのが警察なのか検察なのか、捜査機関を特定して初めて記事にすべきではないでしょうか。 

 

 私の現役時代の経験をお話ししますと、大体3月くらいに東京地検から連絡があり、電話をすると担当者からこのように説明されます。 

 

 「私は東京地検の〇〇です。異動の時期で、あなたには〇通の刑事訴訟が行われています(親切な人の場合は、誰から訴訟をされているかもそのとき教えてくれます)。書類を見ましたが、事件性は認められないし、捜査の必要もありません。このままこの書類は処理します(不起訴)ので、あなたの本籍地、あるいは生年月日を言ってください」 

 

 そして、本籍地や生年月日を教えると、それで終わりでした。 

 

 こんなやりとりが毎年ありました。ほとんどが政治家、次が芸能人。芸能人の場合はCM契約があるので、不倫を否定しておかないと契約違反になるからです。しかし、民事で提訴して証言者などに出てこられると嘘がバレるので、刑事だけという魂胆です。 

 

 私はデヴィ夫人に関する文春記事も読みましたが、申し訳ないですが、デヴィ夫人の告訴も(もし本当にしているとしても)この程度で処理されるでしょう。報道に携わっていれば、その程度のものだということは誰でもわかっていることだと思っていたのですが、「週刊誌vs有名人」という話題が世の中でかなり騒ぎになっているということで、事実関係をよく検証もせずに、こんな不完全な報道をするメディアが増えたのだと思います。私にはメディアが劣化したとしか思えません。 

 

● 「回答期限1日」は 裁判的にも妥当な時間 

 

 次に、取材回答まで1日しかなかったという趣旨のデヴィ夫人の主張に対して、SNSで多くの賛同が寄せられていますが、これは過去の週刊誌の裁判や判決の結果から導き出された取材回答の猶予としては妥当な時間とみなされ、裁判的には十分なものなのです。 

 

 週刊誌への告訴が始まったのが20年ほど前からだということは、以前の記事で述べました。そのころ判決で、被告が中身では勝っているのに、取材期間が3時間しかなかったといった理由で、一部敗訴というケースが相次ぎました。今の裁判は和解が原則ですから、どこかで原告に花を持たせるため、記事の細かい部分で瑕疵をみつけて賠償金を言い渡し、主要部分は認めるという和解交渉を行うことが多いのです。 

 

 取材に与えた時間もそうですし、撮影場所が取材対象者の住むマンションの敷地内であれば「不法侵入をして撮影した」といった理由で不法行為を問います。それに対抗するため、週刊誌側が「必ず1日前には取材を申し込む」という方針に転じてから、判決で「取材期間が短い」という指摘を受けることはなくなりました。 

 

 

 冷静に考えてみてください。デヴィ夫人の主張を報じているテレビや新聞が、取材対象者に回答まで1日も時間を与えているでしょうか。犯罪加害者の家族や被害者家族、あるいはマルチ商法らしき会社を訪ねてマイクを突きつけたり、玄関のドアホンにマイクを突きつけ無理やり回答させたりしているところをニュース番組で見た人は、たくさんいるでしょう。 

 

 新聞も取材で直撃すれば「その場での回答が当然」というのが彼らの立場です。なぜ週刊誌だけ「1日だと短い」という論調になるのか、一般人ならまだしも報道機関がこうしたニュースを流すのは、あまりに不公平としか言いようがありません。 

 

 「もっと回答までに時間をかけろ」という人は、世の中がいい人ばかりだという前提に立っています。回答にそれ以上時間を与えると、取材対象者が証言者に圧力をかけたり、証言者探しをしたり、証拠を改竄したり、隠したりする可能性がいつでもあります。そのギリギリの判断の中で生まれているのが回答期限1日という猶予で、裁判所もそれを認めています。 

 

● リスクをとらない報道に見る テレビや新聞の意識の低下 

 

 この実態を普通の視聴者や読者が知らないのは仕方がありませんが、テレビや新聞が同様の主張をしていることに、暗然とした気持ちになります。民主主義の基本は「国民の知る権利」を守ることであり、ジャーナリズムは国民に変わってできるだけそれを代行するのが仕事です。そこに、新聞、テレビ、週刊誌の差はないはずなのですが、彼らはリスクをとらずに週刊誌ばかりがリスクをとった記事を書く、それが騒動になればテレビ番組で「公平な顔」をして、実際には芸能界に近いコメンテーターが擁護するといった状況になっています。 

 

 逆に言えば、「週刊誌が権力を持ち、著名人を社会から抹殺している」というデビィ夫人のような主張は、新聞やテレビがもっとちゃんとしたジャーナリズムの精神を発揮していれば、起こらないはずなのです。 

 

 大メディアはジャニーズのときも、少年たちが性被害に遭っているにもかかわらず沈黙していました。BBCの報道があり、被害者が記者会見して初めて謝罪をしましたが、松本人志氏の性加害問題でも、デヴィ夫人の今回の問題でも、自分たちできちんと取材をしているように思えません。「取材しないで論評だけするのなら、テレビ局に放送法に基づく電波帯を付与する必要はないのでは」とさえ、私は考えます。 

 

 しかし、刑事告訴に関しても検察は、だんだん週刊誌の現場に厳しい対応をするようになりました。たとえば原告が政治家の場合、どう見ても政治家の方に分がないので検察が見送ると、検察審査会での再審査を政治家が要求するのです。そのため、電話での問い合わせではなく、陳述書を弁護士相手に書いて提出することになり、時折は編集長が地検の取調室で調書をとられることもあります。 

 

 

 大きな組織、記者クラブに属しながら、そんなリスクもとらず、同じ記事を垂れ流している新聞のようなメディアこそ、名もなき民が泣き寝入りしているのを助け、著名であるからというだけで特権を持っている人間に厳しい問いを突きつける、本来の「国民の知る権利」を代行する義務を果たしていないのです。 

 

 デヴィ夫人は、いったいどんな著名人が不当に貶められて、存在を抹殺されたというのでしょうか。騒動の真偽はまだわかりませんが、もしも書かれるだけのことを本当にしていたとしたら、自業自得と言えないでしょうか。 

 

● メディア側が誣告罪で訴え 刑事告訴を取り下げさせたことも 

 

 私は自民党の大物政治家に刑事告訴されたことがあります。民事3件、刑事1件です。しかし関係者の告白で、裏とりは全部済んでいて、否定のしようがない記事なのに、本人は「告訴しているから」という理由で逃げていました。そこで、本来ジャーナリズムは記事で戦うべきですが、こういう法律の抜け穴を使う人間には法的に対応するしかないと誣告罪(人に刑事処分や懲戒処分を受けさせる目的で、虚偽の申告をする罪)で訴えました。ことさら虚偽の噂を広めて、文春の名誉を棄損したという理由です。 

 

 その政治家は国会で追及されると「法廷で答えるのでここでは控えます」と答弁しながらも、出廷を拒否していました。裁判官が業を煮やして「彼は国会で『法廷で答える』と言っているではないですか」とびっくりするような大声で、政治家側の弁護士を叱りました。弁護士は慌てて政治家と相談し、訴えの取り下げを申し出てきましたが、こちらは誣告罪を取り下げませんでした。 

 

 ただ刑事告訴や民事告訴をしただけなら、世間が忘れたころに取り下げればよかったのですが、誣告罪があるばかりに文春と和解交渉をする他なく、「以降、この記事に対して複数人がいる場所で否定することはしない」という誓約書を本人が裁判所に提出して、ようやく文春は誣告罪を取り下げました。 

 

 このように、週刊誌は色々な告訴に耐えてきました。だから対応策も知っています。技術ではなく法律を知っているのです。文春記事によれば、デヴィ夫人は代表理事を務めていた慈善団体を私物化して資金を持ち逃げし、預金通帳を返さないそうです。もしそれが事実なら、捜査機関は家宅捜索も自由にできるし、彼女が逮捕される可能性だってあります。実際、過去にそういうケースもありました。 

 

 テレビ局も、文春の裁判について議論するより、実際に松本氏なり、デビィ夫人にきちんと取材を申し込み、調べてみる努力をしたらどうでしょうか。 

 

 (元週刊文春・月刊文芸春編集長 木俣正剛) 

 

木俣正剛 

 

 

 
 

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