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卒業式「『君が代』歌いたくない」 京都の親子が文科省へ申し入れ「強制やめて」

週刊金曜日 3/15(金) 9:10 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/8a0a0d44b28381e7fbbd5a9c31c8ad820f7ebefd

 

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13歳の田花結希子アイリーンさんと彼女の母親水谷麻里子キャロラインさんは、昨年の京都市立小学校の卒業式と同中学校の入学式で「君が代」を歌いたくないと申し出、教員らに説得されたが結局歌わなかった。

彼らは2月14日、東京の参議院議員会館で文部科学省の職員に「日の丸・君が代」の強制をしないよう要請した。

文科省は国旗国歌法制定時から「内心には入らない」が、その指導は必要だと回答。

親子は子どもが主人公の式典にするよう都道府県の教育委員会への指導を求めて要請書を提出した。

アイリーンさんは40分間も説得されたことや、教育現場での「内心の自由」の保障が不十分だと証言した。

結果的に、文科省は京都市教育委員会に事実関係を確認し、親子の要請書の内容を伝えることになった。

(要約)

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2月14日、東京の参議院議員会館で文部科学省職員(手前)に申し入れる田花結希子アイリーンさん(テーブル右から2人目)と母親の水谷麻里子キャロラインさん(右端)。左端は倉林明子議員。(撮影/永尾俊彦) 

 

 昨春の京都市立小学校の卒業式と同中学校の入学式で「君が代」を歌いたくないと申し出、教員らに説得されたが結局歌わなかった田花結希子アイリーンさん(13歳)と母親の水谷麻里子キャロラインさん(48歳)親子(本誌3月1日号参照)が、2月14日に東京・永田町の参議院議員会館で文部科学省の職員に「日の丸・君が代」の強制をしないよう要請した。京都選挙区選出の倉林明子参議院議員(共産党)の仲介による。 

 

 最初に、親子が①「日の丸・君が代」を強制され非常に嫌な思いをした、②国旗国歌法制定時に政府は「強制しない」と答弁していたのに不起立の教職員を処分するのは「思想・信条の自由」の侵害、③親子は外国にルーツがあり、これからのグローバル社会に「日の丸・君が代」強制は逆行している、という3点を挙げ、文科省に子どもが主人公の式典にするよう都道府県の教育委員会への指導を求める要請書を同省職員に手渡した。 

 

 応対した文科省初等中等教育局教育課程課の土橋廉・企画調査係長は「文科省としては国旗国歌法制定時から内心には立ち入らないが、他方日本人として国旗国歌を尊重する態度が外国の国旗国歌を尊重する態度につながることから、その指導は必要であるという立場です」と答えた。 

 

 これに対し、アイリーンさんが、教員らから「歌わんと皆が迷惑」「今まで練習してきたことがムダになる」など、40分間も説得されたと子どもの「内心の自由」も保障されていない実態を説明した。 

 

 キャロラインさんも「嫌やと思いながら立つ子、口パクの子もいる。歌うか歌わないか選べない。その時点で内心に踏み込んでいる」と指摘した。 

 

 土橋係長は「(歌いたくないと言う)当事者たちが(国旗国歌を尊重する意義が)分かるよう教員が説明を尽くす必要はあるが、それでも納得できない人には強要しないのが今の法令」だとした。 

 

 要請では、アイリーンさんがなぜ起立できないのかクラスで説明するため、「日の丸・君が代」がどう使われたかの歴史をまとめたプリントを配ってもらおうとクラスの人数分コピーして持って行ったところ、「先生に『アカン』と止められた」経験も話した。 

 

 そのうえで「日の丸・君が代の歴史を教える時間をとってほしい。社会の先生が知らないんですよ」と要望。また、キャロラインさんも「歌うのが嫌な子がいることが先生に通じない。昭和天皇が戦争責任を取らなかったことなどから『日の丸・君が代』に根強く反対している人がいることを教えないので、娘は『何で嫌なん?』と聞かれる」と述べた。 

 

 土橋係長は「教育は法令上、現場にかなり裁量が与えられている。文科省は学習指導要領で科目や内容は規定しているが、どう教えるかは現場の裁量」だと回答。 

 

 だが、アイリーンさんは「(現場の裁量と言うが)先生は『教育委員会には逆らえない』と言いました」と証言した。 

 

 これに対して土橋係長は「法令上は現場のマスターは校長。校長が教育課程を編成します」と答えた。この点、キャロラインさんが、「『校長権限は強い』でいいですか」と念を押すと、土橋係長は「校長がマスター」と繰り返した。 

 

 最後に倉林議員が「『内心の自由』を実態としてどう保障するのか」と追及すると、土橋係長は「どう指導するかは個々の学校の課題」と答えたが、倉林議員が「すり替え。逃げている」と批判。 

 

 結局、土橋係長が京都府教育委員会を通じて京都市教育委員会に事実関係を確認し、親子の要請書の内容を伝えることになった。 

 

 終了後、キャロラインさんは「『校長がマスター』という言葉を引き出せたので、これからの卒・入学式で毎回校長に子どもたちに強制しないよう申し入れをします。SNSでも発信し、賛同してくれる人を集めたい」と語った。 

 

永尾俊彦・ルポライター 

 

 

( 149333 )  2024/03/15 12:13:41  
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(まとめ)昭和時代から現代に至るまで、君が代や国歌斉唱に対するさまざまな意見や感情が存在しています。

一部の人は国歌の歌いたくないという意思を尊重すべきだと主張する一方で、他の人は国家や国民への敬意を示すために起立や国歌斉唱が必要だと考えています。

個人の自由や多様性、社会での適切な行動とのバランスが問われるテーマと言えるでしょう。

親としての介入や教員の対応、学校行事での振る舞いや社会での個人の自由など、さまざまな視点から国歌の問題が考えられています。

( 149335 )  2024/03/15 12:13:41  
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・昭和の、私が子供の頃は、君が代は国歌ではないけど昔から国歌のように歌われてきた歌、みたいな感じで、国歌斉唱ってなると歌ってた。  

今はちゃんと国歌として制定されているので、日本人なら歌うのは自然かなと思うんだけど…  

 

外国人なら日本の国歌を歌わなくても、それでも立って尊重はしてくれてることが多い… 

だから絶対歌いたくないなら、日本の学校じゃなくて君が代を絶対歌わない学校を選択するのも方法かなとも思う… 

 

 

・日本という平和な国だからこそ、このような意見を自由に言えることができます。これが、例えば中国で中国の国家を否定する意見を言ったらどうなるでしょうか。自分たちが世界的に見ても恵まれた環境にいることを理解してほしいと思います。 

 

 

・昭和の時代にこういう人たちがいて、卒業式の時に「君が代は歌いません」って大声で叫んで、高校の卒業式がシラケたというか、ものすごく後味の悪いものになった記憶があります。オリンピックでも国歌(=君が代)なんだから、起立だけして口パクでいいんじゃないの?周りがすごく迷惑だし、嫌な思いをするだけです。 

 

 

・娘の学校には宗教の関係で歌わない子もいたが、周りは何も気にしていなかった。一部の親が起立しない子がいるのを怪訝そうにしていたが、子供たちはその子とも仲が良かったし先生も問題にしていなかったような気がする。 

マイノリティがマイノリティのまま普通にしていれば何も問題はない。 

公立ならそんなものだと思う。私立のほうがどちらにも強制できるような気がする。 

ちなみに私は『君が代』は日本国憲法で定められた国民の象徴の天皇家が末永く続くことを願った歌だと思っている。曲としても良い曲だと思っている。 

 

 

・歌いたくないから歌わない、それはそれで結構。 

ただ、社会に出てから自分本位の考え方で絶対周りに合わせないスタンス(仮にそれが自分の信条であったとしても)を貫いていると、辛い思いをするのは自分だと思う。 

嫌でも合わせる、これは社会で生きていく上で必要なスキルだと思う。 

個人主義もある程度までは認めても、人間は社会を作って生きていく生き物だから。 

嫌でも合わせることも大事。 

 

 

・天皇陛下を国民として慕っていますし 

君が代を歌う事に抵抗がないというか疑問すら感じません。 

 

ルーツがあるほうの学校や 

もっと国際色豊かな学校に通った方が良いと思います。 

このような事で悩まなくていいし 

豊かな人格形成ができそうです。 

 

 

・別に好きな歌くちずさむ時みたいに何も気にせず歌えば良いのに。歌ったからってなんだっていうんだ。 

それかそんなに嫌なら自分だけ歌わなきゃいい。 

「私は生まれも育ちも〇〇人だから、〇〇国の国家を流してください」なんて要望に応えてたら、極端な話そういうやつが大勢いてそれ全てに応えてたら時間足りないじゃん。 

強制もへったくれも、日本だから日本の国家を使ってるだけ。別に歌おうが歌わまいが自由にすればいい。 

 

 

・小学生だった訳で、個人の判断より親の信念の影響が大きいとは思います。 

しかし小学生であっても、説得して従わせるのは良くないですね。 

学校の方針として先生がしっかり説明し、それでも立って歌いたくないなら、本人だけ座ったまま歌わないで良いと思います。 

おそらく「じゃあ俺も」と言う子も出てくるでしょうから、その際はその子にもなぜ立って歌わないかを説明させれば良いのです。少なくとも「アイツだけズルい」は理由になりませんから。 

とても時間や労力がかかりますが、小学生であっても社会のルールを守る事と個人としての自由の兼ね合いがあります。それを伝える事自体が、教育として本当に大切な事だと思います。 

 

 

・国歌の意味なんて考えずに歌ってたし、今もわかってないから国歌に影響されたこともない。 

何事にも深く調べて考える姿勢は認めますが、1人だけ集団と違うことをして目立つこと、自分の考えを影響されやすい年代の子供に流布しようとしたこと、これはどうかなと思う。 

自分が嫌なら、そっとその場を離れるなり、うまくやり過ごすなど、違う方法を考えるべきだと思う。 

その場の空気を乱してまでやることじゃない。 

 

 

・この子が自分で勉強をして、それなりの理解をして「歌いたくない」と主張をしたのならまだ分かりますが、親が介入してませんか?って話。 

親の意見を子供に強制している気がするが、その強制はいいの? 

 

家で話し合った結果、口パクするとかなら良かったと思うけど、ここまで揉めたら結局この子が周りから浮くと思うし、進学先でも「君が代歌わなかった子誰?」とか奇異な目で見られたり、腫物扱いになってしまい、何かあれば「日本の考えじゃない人」とか言われてしまって、子供がかわいそうだと思うんですけどね。 

 

 

 

・歌いたくないから歌わない、それはそれで結構。 

ただ、社会に出てから自分本位の考え方で絶対周りに合わせないスタンス(仮にそれが自分の信条であったとしても)を貫いていると、辛い思いをするのは自分だと思う。 

嫌でも合わせる、これは社会で生きていく上で必要なスキルだと思う。 

個人主義もある程度までは認めても、人間は社会を作って生きていく生き物だから。 

嫌でも合わせることも大事。 

 

 

・この子が自分で勉強をして、それなりの理解をして「歌いたくない」と主張をしたのならまだ分かりますが、親が介入してませんか?って話。 

親の意見を子供に強制している気がするが、その強制はいいの? 

 

家で話し合った結果、口パクするとかなら良かったと思うけど、ここまで揉めたら結局この子が周りから浮くと思うし、進学先でも「君が代歌わなかった子誰?」とか奇異な目で見られたり、腫物扱いになってしまい、何かあれば「日本の考えじゃない人」とか言われてしまって、子供がかわいそうだと思うんですけどね。 

 

 

・娘の学校には宗教の関係で歌わない子もいたが、周りは何も気にしていなかった。一部の親が起立しない子がいるのを怪訝そうにしていたが、子供たちはその子とも仲が良かったし先生も問題にしていなかったような気がする。 

マイノリティがマイノリティのまま普通にしていれば何も問題はない。 

公立ならそんなものだと思う。私立のほうがどちらにも強制できるような気がする。 

ちなみに私は『君が代』は日本国憲法で定められた国民の象徴の天皇家が末永く続くことを願った歌だと思っている。曲としても良い曲だと思っている。 

 

 

・天皇陛下を国民として慕っていますし 

君が代を歌う事に抵抗がないというか疑問すら感じません。 

 

ルーツがあるほうの学校や 

もっと国際色豊かな学校に通った方が良いと思います。 

このような事で悩まなくていいし 

豊かな人格形成ができそうです。 

 

 

・共産党の議員の方の紹介ですか・・となると、 

>「日の丸・君が代」がどう使われたかの歴史をまとめたプリントを配ってもらおう 

このプリントの内容もかなり偏りがあることが想像できますね。 

 

校歌を歌うことには問題はないのでしょうか。 

であれば、日本にいて国歌を歌うことに、過去(真偽は別にして)を持ち出して反対するのはナンセンスですね。 

 

こうした意見が安全に言える、日本の自由は素晴らしいですね。 

共産党の本尊の国々だったら、この子たちはどうなっていることやら・・ 

まぁその本尊の国々の意向で動いてらっしゃるのだと思いますが・・ 

 

 

・私立に行けばいい。これから社会に出て意味のない会議や集まりなんていくらでもある。内心なんてはかりようが無いのだから黙って立ってろ。こんなくだらない事にも対応しなければならない方々、お疲れ様です。 

 

 

・日本の義務教育として学校では国歌斉唱は普通にして当然。 

おそらくは私立でも同じように唱われていると思う。 

日本の学校だから日本の国歌を教え、披露の場も設けている。 

入学式、卒業式がその場となっている。 

嫌なものを強制するのは確かにどうかとも思うのだが式典なのだから誰もが起立することで和をもって敬うべき。 

唱う唱わないは口パクをすればいい。 

少なくても式典を白けさせる行為はどうかと思う。 

学校教育の一環なのだから親は子どもに躾けるべき。 

少なくても何処の国でも国歌斉唱時は全員が起立し、国によっては胸に手を当てるなど敬意を表わしている。 

国際試合などの開催地では参加国のだれもがその国に敬意を普通に表わしている。 

少なくても、我が国の心情とは違うなどと駄駄をこねる国はない。 

参加しないか口パクかでありその場の和を乱すことは無い。 

そもそも、それほどに嫌なら他の学校を選択すべきで有った。 

 

 

・歌う歌わないは自由だけど、自分はどの国の国歌でも斉唱、演奏時は起立、脱帽が国際的なマナーだと思ってます。それがたとえ中国、ロシア、北朝鮮であってもです 

 

国歌は権力者や政治家だけのものではなくて、その国の国民のものなので、その国の国民に敬意を表し最低限の礼節は欠くべきでないという意味で行動しています。スポーツ観戦好きだとそういう機会もしばしばありますので 

 

国歌の是非について議論するのも問題提起するのも結構、日本を好きになれないのも残念だけど仕方ない。ただ、国際人として最低限のマナーはわきまえた上で議論していただきたい 

 

 

・そもそも、田花結希子アイリーンと水谷麻里子キャロラインが親子ってことに違和感だわ。 

夫婦別姓はまだ認められていないし、外国籍で名字を2つ持つことになったとて、2人の名字は田花と水谷で違うわけで。 

 

 

・歌う、歌わないは自由かもしれないけど、起立するのは敬意を表すことになるのではないのかね。 

 

その国の公式の場で国家が流れるのは当たり前のことだよね。 

それをグローバルな時代だから、と否定するのはおかしいし、式典である以上、その場に応じた行動をするべき。 

 

なので、普通に皆と同じように起立することが、その式典に参加するにふさわしい行動だし、国が違うのであれば、国家を歌わなければいいだけ。 

 

そんなに難しい話じゃない。 

それだけのことなのじゃないのかね。 

 

 

 

・歌いたくないなら、口パク、小声で別の歌を歌うなどすれば良いです。結構、そう言う人は、たくさんいます。 

歌いたい人もたくさんいるので、そこは、上手にやりましょう。お互いに賢い人が勝ちですね。 

聞きたくないなら、耳栓、イヤフォンをしましょう。いちいち、ケンカしなくても、上手に出来ますね。 

 

 

・スポーツの試合前に行われる式典など、会場にいる全員に起立を求め 

国歌を斉唱する姿は、どの国でも見られる光景です。 

その時、開催国の国旗も掲揚されていますよね。 

その国の国民だけでなく、その国に住んで仕事をしている人や、 

単にその試合を見に来ているだけの外国人に対しても、 

国歌斉唱の間は起立を求められます。 

そして、ほとんどの人はそれに従っています。 

これはその国に対する敬意の表明です。 

 

>これからのグローバル社会に「日の丸・君が代」強制は逆行している 

 

おかしいでしょ、グローバル社会なら、仕事や学問のため 

多くの国を訪れる機会も増えるでしょう。 

ゆく先々で、現地に対して「敬意を強要されるのは嫌だ!」などと 

いうのでしょうか?それがグローバル化ですか? 

 

日本に住んで日本の学校に通うなら、せめて日本に敬意をもって 

起立する程度のことはすべきです。 

歌詞を知らなければ歌わなくても結構です。 

 

 

・歌わない自由はあるが,歌わないことを他人に強いることは不可と言うことでは? グローバル化と共生社会が進行しているからこそ,簡単なことではありませんが自分の価値観を他者に押しつけないという線引きが大切だと思います.法制定前から国歌として教えられた世代ですが,以前は歌詞の内容に抵抗感を覚えたこともありましたが,様々な国の国歌の歌詞を(日本語訳で)読んでみると気にならなくなりました.自分の意思で様々な事を学ぶことを期待します. 

 

 

・第一印象は「面倒だな」。 

たしかにね、歌詞の意味とか習いましたけど、意味だけであって、その背景まで知りませんでした。 

でも、歌ってけっこうそんな感じですよね。 

本人が歌う歌わないは自由で良いけど、周りに歌わないことを広めるのは違うかな…と思います。 

歌詞や背景に興味がある人は自分で調べれば良い。 

 

オリンピックとかで日の丸じゃない旗が掲げられたり、君が代じゃない曲流れても、感慨深くはならないかな。 

 

 

・まあ、国が自由だと言っているので、こういう主張はありだと思います。愛国心を持つかどうか、どういった愛国心の表し方をするかも自由なのでしょうし。ただ、外国にルーツがあるからといって日本という国自体を軽視しようとしているようにみえるのはどうかと思います。人それぞれに事情はあるかと思いますが、外国にルーツがあろうとなかろうと自由なものは自由なのでは? 

 

 

・歴史的背景や国籍などを鑑みると、とても難しい内容だが、どの国であれ、その国に居住しているからと言って国や国歌に心まで入れないといけないのかと問われれば、それは違うと思う。 

また、日本でも日本国民が君が代に賛同できなければ歌う必要はないと思う。 

この記事の中で、『教員らから「歌わんと皆が迷惑」「今まで練習してきたことがムダになる」など、40分間も説得された』とあるが、これは完全に間違っているし、心を無視したパワープレイともとれる。 

でも、正直、大きな入学式や卒業式のイベントなどで起立の拒否までしなくてもいいんじゃないかとも思う。 

一応、起立して、国旗を注視しなくても、歌わなくてもいいと思う。 

ばの雰囲気には同調してればいいんじゃないかな。 

 

 

・内心の自由というのも分かるが、集団生活をする場で「嫌だからやりたくない」がまかり通ってしまうのはどうなんだろうかと思う。 

言い方は良くないが、ある程度その場の空気を読んで周りに合わせるというのは、生きていく上で必要な能力だと思うんだけどな。 

 

 

・どこの国にルーツがあるか知りませんが 例えばアメリカとかも 式典 どころか 毎朝 国家が流れてその時間をみんな 立ち止まって音楽聞きますよね 歌うかまでは分からないけど 歌いたくなければ大人しくしてればいいと思います いちいち こんなこと 申し立てるようだったら 日本の学校に行かない方がいいと思います そもそもよその国だったら歌ってるような気がするんですよね 

 

 

・親の裁量が小さい。それぐらいは我慢しなさいではダメなのか?周りに与える影響を考えればそうはならないのか?国歌に限らず、勝手だと思う。問題提起にもなってない。集団行動を教える環境にこんな感じの話ばかりあったら学校は成り立たない。他の学校に行けば良いではない。この学校で、できる範囲で自己主張すれば良い。周りの人の気持ちも考えるべきだと思います! 

 

 

・いろんな価値観の子供、家庭があって当然。現場の先生は対応が大変だろうとは思うけど、「歌わないと皆んなに迷惑」「練習した時間が無駄になる」「教育委員会には逆らえない」とか、本当にそんなことを言ったんなら余りにも教員の力量が貧弱過ぎる。 

動画教材やオンラインを使った教育システムが進んできているので教員の人手不足が徐々に解消されていって、より質の高い人材に先生を担ってもらえるようになって欲しいね。 

 

 

 

・日本の国歌を歌いたくないという人は歌わなくても良いとは思う。 

ただ、そこに拘るのもなんだかなと。日本にいる以上、日本の国家から恩恵を得ている事は間違いないわけで、そのことには何とも思わないのかなと。 

外国にルーツがあり、そちらが自分の国だと思うのであれば、やはりその国に行く方が幸せだと思う。 

まぁ、何だかんだ言って、国歌を歌うの嫌だ!という人までも包含している日本という国の懐の深さに感謝すべきじゃないかな。 

 

 

・私は今年50になりますが小学校の時「国歌校歌は歌えて当たり前」と担任に言われていました 

 

長崎県ですので平和教育はしっかりあった一方で、音楽の教科書の君が代を隠すためのプリントが配られた、なんて事は無くだいぶ後になってよそはそれが普通なくらいだと知りました 

 

こういう報道を見るたび、変な思想教育がないいい学校でいい先生ばかりだったんだなと痛感します 

 

 

・卒業式などの式典は「儀式」ですから、日本文化を学ぶという意味で、学習指導要領特別活動編にもあるように運用していくべきだと思います。 

場合によっては、この親子のような意見は国を否定するようにすら受け取れます…。 

 

様々な経緯のある「君が代」ではありますが、決して過去の戦争をたたえるためにいま歌っているわけではない、ということを、逆に学ぶべきだと私は思います。 

 

それに、何でもかんでもグローバル化といって文化をなくしていって良いものでしょうか? 

 

 

・個々の信条を重視して式典を執り行う事を認めると極端な話をすると参加したくない生徒が暴れる事も認める事になり参加したい生徒に迷惑がかかることにもなります。卒業式とか入学式はやはり重要な式典で思い出深い物となるハズなのでそう言う場合には協力しても良いのかなと思います。私の恩師はバリバリの左派でしたがその辺を理解して式典の時は校歌も君が代も大きな声で歌いましょうと教えていました。イヤな事でもやらなきゃダメな事があると先生が言ってもその先生が君が代は歌わないって子供はどうみるのでしょうか。 

 

 

・君が代、その歌詞に深く意味付けせずに普通にいいメロディーで日本の良さがあって素敵だと思うけどねぇ。 

日々の教育に軍国主義を練り込まれたわけでもなし、その歌詞の意味を軍国意識で歌ってるって感覚ももはや薄れてるでしょ。 

 

この親子はそのフワッと何の意識もなく歌わされる事を考え直すため異議を唱えるこの行動なのかと思うけど、今やそんなことにこだわる人が少ない世の中になっている事こそ本来の素敵な現象なのかと思う。 

文化は生き物だし、その意味合いも変化する。素敵な部分は消し去らず残していけば良い。 

やたら昔の意識を固執してぶり返し、揉め事にするのは何か違うかなぁと思うんですよね。 

 

 

・じゃ、オリンピックの表彰で日本だけ国旗掲揚もやめましょう。 

君が代が嫌いなアスリートがいたとして、その人は表彰台に立つ事を拒否 

するだろうか? 君が代を口ずさまないとしても。 

 

入学式や卒業式そのものもめたらいい。余計な手間が増えて働き方改革になるでしょ? 

そうやって日本人のアイデンティティが崩壊していくのを実感しないと 

日本人は事の重大を分かっていない。 

言ってるレベルが「難しくて受けたくない授業はでなくていいようにすべき」 

となんら変わらない。 

 

我慢したらいいじゃん。 

つうか、たかが「歌」に対してほんとにそう思ってるの?って感じるな。 

 

 

・政治や思想信条的なもの無しに、あくまで客観的に言わせていただけば… 

 

先生方も大変でしょうから、何十分も説教するほど相手にしなくていいのではないでしょうか? 

それでしらけようが、生徒(保護者)たち自身が選択した自分たちの式なのだから。 

みんなが困るというなら、生徒同士でどうするのか相談させるのもいいでしょう。 

逆に、誇りをもってしっかり歌う生徒がいるのなら、称賛してあげればよろしいのではないでしょうか。 

 

 

・私は国歌君が代。胸に染み入る素晴らしい国歌だと思いますが歌いたくないなら歌わなくても良いと思う。しかし国歌に敬意を表し起立、脱帽は世界基準の常識です。それ位は親の躾も含めて礼儀を尽くして頂きたい。たぶんこの子は親の影響が強いのだろうけど。 

 

 

・君が代を歌うことに対して疑問を抱いたことはない。式典では歌うものとして捉えていた。 

歌詞の意味も考えたことないし教えてもらった記憶もない。 

そういう時点を抱くこととか考えることは素晴らしいことだと思う。 

日本では君が代が国歌としてあらゆる場面で歌われる。歌いたくなければ歌わなければいいと思う。 

でも「やりたくないからやらない」では社会に出て通用しない場面は多々ある。自分の思いや考えと違うことでもやらなければいけないことは多い。受け入れる部分と受け入れられない部分の塩梅、難しいけどそうゆうことを教えるのも学校教育なのかなと思う。 

 

 

・モンスターですね…こういう人が協調性というものを乱していくんでしょうね。 

自分の意見を言うことや自分というものをとおすことも大切だけど、それは時と場合によるというか。 

周りに合わせるということもできないと社会に出た時により苦労すると思うのですが。 

歌いたくなければ静かに歌わなければいいだけで、周囲を巻き込んで主張するのはただのワガママでは⁇と思ってしまう。 

 

 

 

・名前から察するに外国の血が入っている方なのでしょうから歌いたくないなら歌わなくて結構。ただし、国歌なのですから敬意をはらって起立くらいはしてください。沖縄の米軍基地では朝夕の国旗の上げ下げ時にアメリカ国歌が流れますがその時は基地内を車で移動中でも降りてアメリカ人なら胸に手を置き、基地で働く日本人スタッフなら直立不動で敬意を払います。 

 

 

・毎年この時期になると取り上げられる話題ですよね。 

強要は、良くないけど、法で決められてるなら準じるべきだと思う。 

 

嫌なら歌わない理由をしりたい。 

君が代の代わりになる歌を教えてほしい。 

 

悲しいかな、色々な人に聞いても答えれる人は、いない。文句言うのは簡単カッコイイよね。 

けど、返答出来ないとカッコ悪くなってしまう。 

 

けど、それは、君が代って国歌について 

学習する授業があっていいと思う。 

まー、どうせ高明な反対派の方々が妨害してくるんだけどね。絶対する 

 

反対意見も、意見、みんなで、考えるでは無くて 

本人の意見を聞きたいもんだ、すぐ逃げて行く人たちの集まりな党があるけどね。 

 

 

・この親子が示した3つの要望のうち、最初の「強制されたくない」という趣旨の部分は、まあ、いいよ。歌いたくないなら歌わなければいい。でも、残りの要望は「周囲にも歌わせるな」というもの。そこに踏み込んだら、立派な政治活動だ。“子ども”という武器を大人が利用しているように思える 

 

 

・昭和に義務教育を受けた世代です。小学校の音楽の教科書に『君が代(国歌)』と書かれていた記憶があります。 

当時は学校に校歌があると同じに国にも歌があるんだなと思った程度でしたが、成長するにつれ、日本の国民の安寧を願った君が代は日本の国歌として相応しい良い歌だと思えるようになりました。 

卒業式などの式典での国歌斉唱、強制するなという話はよくあります。歌わせる事を強制する事は、日本の場合思想信条の自由が保証されているので、無理に歌わせるのは駄目なんでしょうね。逆に反日思想の教師が主導して生徒に『君が代を歌わせない』という強制もダメですね。 

 

 

・アイリーンさんがなぜ起立できないのかクラスで説明するため、「日の丸・君が代」がどう使われたかの歴史をまとめたプリントを配ってもらおうとクラスの人数分コピーして持って行ったところ、「先生に『アカン』と止められた」経験も話した。 

 

凄いですね、13歳でここまで主張できて、その上で分かってもらおうと行動している。 

昭和生まれで国歌について微塵も考えていなかった私には、その「どうしても譲れない」って主張に驚きです。 

小学生から高校生まで、一貫して私が感じていた事は 

・何で日本の国家ってこんなにダサいの? 

・アメリカの国歌はカッコいいわぁ、アレなら歌いたい 

・歌詞の意味が分からないよ 

でしたね、歴史も思想も何もない。 

 

この件で落とし所は 

起立するけど歌わなくてもOK 

ではないでしょうか。 

やはり集団の場ですから起立位までは譲歩すべき、そして歌いたくなければ歌わない。 

強制する事ではないのだから。 

 

 

・国歌というのは国旗と同じように、国民の総意で選定されるものだと思うのです。 

特に重要なのは「国民主権」であり、その上での国歌国旗であることが必然だと。 

 

故に、今の国旗なり国歌なりというのは、私は暫定的なものだと思うし、ちゃんと一度は国民全員に問うべきだと思ってます。 

それをやってないから、こういう事が起こりうるので。 

 

それと国歌斉唱に強制力なんて無いし、法律にも明記されていません。 

君が代は嫌いではありませんが、歌詞を見る限りでは尊皇の歌であり、国民主権の歌ではありません。 

故に国歌として歌うつもりもありません。 

ただ前述のように嫌いなわけでもありません。 

良い曲です。 

 

何よりも、口パクで歌っている人もいるという事実が悲しい。 

胸を張って国歌は歌いたいものです。 

 

 

・昭和から平成に変わった頃のかなり前の話になるが、小学校の同級生には決して君が代を歌わない同級生がいた。その当時は小学生だから何のことかさっぱりわからなかったが、ハーフとか外国籍というわけではなかったので、おそらく家庭の思想か宗教かのどちらかだと思った。小学生なので子供の意思ではなく家庭の事情だろう。 

その国に住んでいる以上は、その国を尊重すべきなのは当然だと思うし、ましてや国籍を有しているのであれば国歌を歌わない方がむしろ不自然ではある。周囲から見れば何となく意固地な感じを受け取る。どうしても思想信条から歌いたくないのであれば、周囲との関係性から子供が異質な目で見られてしまうし、それが可哀想というか子供に罪はない。 

ただし、どうしても歌えないという人がいるという以上は、どのようにして周囲との調和を図るかということも一方では考えることも必要なのかとも思う。 

 

 

・大きな歌声で教職員が評価される。 

評価しているのは来賓。 

来賓自ら児童生徒の模範となり、場内に響くくらいの美声で、国歌を披露すれば、少しは変わるのかなと思う。実際は児童生徒以上に口パク、良くてつぶやき。酷いのは歌っている児童生徒をジロジロ見ている。羞恥に耐えながら児童生徒は一生懸命歌っている。 

文科省は、児童生徒の問題と捉えず、来賓の問題として受け止めてもらいたい。 

先人でもある来賓は良き模範となるべきだ。 

 

 

・国歌を歌ったからと言って日本国に命を捧げるわけでも天皇万歳でもないので子供達の大事な卒業式を円満に終わるために我慢してもいいのではと思わなくもない 

 

ただそれは自分が国歌や日本の歴史にそれほど思い入れがないからであり、自分が強い思いがある分野に関しては他人がそれくらいと思う事でも譲れない事はあるだろう。 

 

逆に学校も決まりだから、前からそうだからではなく国歌を歌う意義を説明し、それでも嫌ならその人が歌わない事も認めればいいと思う。 

 

多様性の時代になってきてるので人に迷惑かけたり反社会的な事でなければ強制はよくないと思う 

 

 

・小学校の音楽の最初の授業は巻末の君が代のページにプリントを貼ることでした。法律違反のストライキも平気でするし、卒業式でうたう歌と聞かれて君が代と答えたら猛烈に叱られたりと異常な時代でした。日教組の強い横浜の昭和時代です。 

 

外国では式典の国歌斉唱のときに歌わないと公言することはOKなんだろうか? 

 

 

 

・歌いたくないなら強制はしない方がいいです。 

ただ起立して黙って聞いていれば問題ないと思います。 

周りは歌わないあの人はそうなんだなと思うだけでいいと思う。 

でもそんな先生がいたら教える事を聞いてもらえなくなる事は覚悟しないといけませんね。 

それは嫌味ではなく、私はそうは思わないと言われたら従うしかないですからね。 

 

私は日本国民として誇りをもって歌いますけどね。 

 

 

・建国の戦争の勝利をなぞらえた国歌が多い中、人々の平和を願う日本の国歌は、とても素敵な国歌だと思う。 

 

国に強制されて歌うのは嫌だと個人を主張するのも自由だが、日本人として世界に誇れる国歌を歌わない本当の理由があるのか考えてみるべき。 

 

 

・国歌を歌いたくない、という揉め事は必ず定期的にニュースになりますけど、「そうなんだ、ただ起立して歌わなければいいじゃん」 

といつも思う。 

国籍は関係無く、日本で生活している以上は表向きでも合わせて行くべきではないのでしょうか。 

 

日本の一つの文化を否定するものでも有るし 

いやだ嫌だと言ってたら税金も払いたくないと言ってる事と一緒にも思えます。 

 

先にも言った通り、歌う歌は無いは自由ですけど、大事な式典の時くらいは、起立して歩調を合わせるくらいの努力はして欲しい。 

 

 

・>京都選挙区選出の倉林明子参議院議員(共産党)の仲介による 

 

 学生の頃の話ですが、学内でフルの休憩時間に流す音楽のリクエスト曲の募集があったので「海行かば」と「国歌 君が代」をリクエストしました。放送部は「海行かば」は却下だが「国歌 君が代」は流すことになったようです(その時間帯に私は学内にいなかった)。すぐに近隣の住民から大学にクレームが入ったそうで、選曲した放送部関係者は責任を問われたそうです。京都市内には変わった方が多いようですね。多くの国では国歌を流す場合は、起立して姿勢を正すようですが。 

 

 

・歌いたくないと主張する人には、わざわざ強制せずにその通りにさせておけば良いと思います。 

今回は君が代でしたが、したくないからやらないと自己主張する人は、周囲の人達から疎遠されます。誰しもめんどくさい人に関わりたくありませんから。 

学校側もこんな人に時間を割かず、前向きに捉えて活動する生徒に力を注いで頂ければと思います。 

 

 

・外国でも様々な式典に出席した経験からすると、国歌を歌って無い人もいるにはいます。(内心がわからない時もあるけど)でも、起立はしている。国旗掲揚にしてもしかり。起立もしないのは、それらに敬意を表している人にも失礼であり、国際舞台では相当強烈なメッセージになると思います。日本は日本かもしれないがそのような事含めて教えたりしないのでしょうか? 

 

 

・大人になってくるとだんだんと好きなものが変わってきたり、大切なものが減っていくわけだけど。茶文化や書道、石の美しさや自然の川の流れや壮大な山、そこに育つ草木が美しいとか、若い頃よりもそういうのが心の拠り所になってきている。君が代もその一つかなと思う。思想とか強制とか、国歌にそんなもの微塵も感じないけどな。 

 

 

・私は昭和後半生まれですが、国歌君が代を学校で習ったことがありませんでした。 

必ず教科書に載っているのに、児童、生徒に「これなに?」て聞かれてもゴニョっていた記憶があります。 

歌えるようになったのはドーハの悲劇が起きたフランスワールドカップ予選辺りかな。 

 

嫌いな歌や嫌いな旗も敬ってみる経験をするのも良いと思いますよ。 

今すぐに答えを出さずに。 

 

 

・自分が小学生の頃にいましたね。 

歌いたくない!流れたら皆が立っていても着席したり国旗に背を向けていたり。 

子供なりに理解はしていたし相手側から強制されたりしなかったので、特に何も起こりませんでしたが孤立はしていましたし子供なりに深く仲良くしたいなとかは思いませんでした。 

が、親や親の周りからの強制だったみたいで中学・高校となった時には自分で考え最終的には歌ってましたね。 

こっちから逆に「歌って大丈夫なの?」と聞いたこともありましたが「大丈夫!」って返事していました。 

ある程度は自由だとは思いますが、強制ではなく周りが立つから立っているというだけでも構わないんじゃないかなって。 

歌わないことがカッコいい!って思春期なら思ってしまいそうだしね 

 

 

・他国に打ち勝つ事等勇ましい国歌が多い中君が代はメロディも歌詞(今の世にとっては自身にとって大切な人)を思う歌で私個人としては大好きです。30年以上前アメリカでとある大会に参加した時会場に日の丸が掲げられ、君が代が流れた時の感動は忘れられません。 

 

 

 

・私も、どうして卒業式で国家歌うのかな?と疑問に思ったことあるのだけど 

義務教育は、国が無料で受けさせてくれていたから、国に育ててもらった部分も否定できないから、卒業式で歌うのは自然なことだなと思った。 

 

子どものうちは、国からほぼ全ての義務教育費・医療費を無償で与えてもらっている 

ありがたいことだな、と卒業式くらいは感謝で国歌を歌っても、悪くないよね。 

 

 

・私は、君が代の「君」は天皇ではなく式典の出席者だと習いました。つまり、小さな石が大きな岩になって苔が生えるような長い時を経てもみなさんの暮らしがずっと続きますように、という慶びと祝いの歌詞ですと教えられたのです。もちろん、戦時中は「君」は天皇を指すことがあったと認識はしていますが、そもそも君が代のルーツは千年前の和歌ですし、記録することが今ほど簡単ではない時代から受け継がれた歌だから日本の歌、国歌にふさわしいし、みんなで歌いましょうって感覚だと思います。日本賛美につながるものをやたら否定したいだけの人たちの声が君が代のように千年も残らないことを祈ります 

 

 

・この方のそこまでの原動力ってなんだろう。 

自分で思う分にはいいと思うし歌わないなら歌わなくても当日歌ってるかチェックする人もおらんでしょう。起立もしたくないならせんでええやん。今時そんな何回も練習ないよ。 

 

だけど 

>要請では、アイリーンさんがなぜ起立できないのかクラスで説明するため、「日の丸・君が代」がどう使われたかの歴史をまとめたプリントを配ってもらおうとクラスの人数分コピーして持って行ったところ、「先生に『アカン』と止められた」経験も話した。 

 

これは違うんでない? 

扇動していると思うし正当化してる。 

歌わないも自由だけど歌う人に歌わないことを選択させるようなことを呼びかけるのはやめてほしい。そういうん親が乗り込んできてマジでめんどくさい。卒業式は卒業する生徒たちのものだよ。この親子が信条を主張する場ではないわ。 

 

 

・マナーの問題だと思うんで、生徒や保護者については座ったままだろうが歌わなかろうが、お願いされることはあっても強制ではないと思います。 

 

もちろん、日本のマナーにそぐわないのでご退席頂くことはあるかも知れませんが。 

 

教師は別です。業務の一環として、式典参加のマナーや国旗国歌には敬意を払うことを子供に教えなければならないとに思いますので、個人の思想でそれをやらないなら、職務怠慢と言われても仕方ないのではないでしょうか。 

 

いずれにしても、周囲から「変わり者」のレッテルを貼られ、様々な場面で違う扱いを受けるという覚悟は必要かと思います。 

 

 

・寅さんの中にも、トルコの船が沈んで日本の貧しい漁村の人達の物語の映画にもキリスト教の葬儀に僧侶や上下つけた日本人が敬虔に出席していた姿があった。 

そういう日本好きだな。 

 

自分の主義主張はともかく、皆が大切だと思って参加している式には大人の態度で臨む事を教えるのも親として必要です。 

 

 

・昭和の終わりの頃の生まれの自分も小学校卒業時に担任の先生から君が代と天皇を結びつけた説明を受け、歌うか歌わないかはあなたたちの自由だ、というようなことを言われた。結果ほとんどの生徒が歌わなかったんじゃないかな。 

いま思えば、この先生の振る舞いは生徒の自由を尊重しているように見えて全然フェアじゃなかったよね。 

 

 

・公務員に対して業務命令が出されているだけで生徒には歌う自由も歌わない自由もありますよ。 

公務員の思想信条の自由認められていますが業務命令をその思想信条の自由をもって断ることはできないと思います。 

業務命令に従いたくないのであれば辞職することも検討されてみてはいかがでしょうか。 

 

 

・生まれ育った環境、感覚の違いなんだろうか。 

歌う、歌わないの選択も自由。 

強制は良くない(歌う事への強制まではしてないようですが?)けど、別に声高に訴える事でも無いような…って思う自分が平和な世に生まれ育ったんだなとしみじみと感謝。 

 

 

・思想云々というより、社会に出た時の最低限のマナーの勉強だと思います。 

海外の人も参加している場で、国歌斉唱の時にどう振舞うか。国旗が掲揚されているときにどう振舞うか。 

そのときに座ったままだったり、ベラベラ話したりしていれば、それはマナー違反どころか明らかに相手に敵対する行為です。 

 

大人の思想ごっこに、未来ある子供を巻き込まないで欲しい。 

 

 

・国旗や国歌を規定する法律は有るが、「国旗の掲揚」や「国歌の斉唱」を強要したり義務とする等の規定は無い。 

過って東京都教育員会が出した通達「国旗掲揚及び国家斉唱実施する」は裁判所のよって退けられています。 

憲法9条による思想良心の自由を有する、、、、のが違憲の理由だそうです。 

昔は当然の如くに国歌を歌っていたが、今の時代は国歌を歌えたくなければ歌わなくても良いのです。 

 

 

 

・日の丸や君が代が過去にどう使われたかを問題にしているようだが、それは正しいのだろうか? 

 

問題にすべきは、問題になるような使い方をした当時の政治家やマスコミなどではないだろうか。 

 

殺人事件が起きるから包丁は使うべきではないとか、交通事故が起きるから車には乗るべきではない、とはならないのに、なぜ日の丸や君が代になると、こんな論争になってしまうのだろうか。 

 

もちろん歌わない自由は貫けばいいし、歌うことを強制する必要もないと思うけどね。 

 

血なまぐさい他国の国歌と比べたら、平和的で優しい国歌だと思うけどなぁ。 

 

 

・その昔、神戸で開催された、ある国際イベントで業務していました。それは小学生のサッカー大会の一環で、旧ソ連邦のリガ市(ラトビア)、アメリカ、日本の小学生代表チームのメンバーが親睦イベントに参加しました。それぞれのチームが、分かれて座っていました。イベントの最初に、まずソビエト連邦国歌が流された時、ラトビアの子供達が一斉に起立しました。そして、次にアメリカ国歌が流されて、アメリカの少年達が起立しました。そして君が代が流れましたが、日本の小学生達は、無反応でした。。。 

 

 

・納得いかなくても、折り合いをつけて生きていくという事を学ばなければ。  

これから社会に出れば、そんな事は山のようにある。 

国旗に敬意を持てない、国歌も歌いたくないのであれば欠席という選択肢はなかったのか。  

どうしても卒業式には出たいならその場のルールは尊重するというのも教育のうちなんじゃないか。 

他の生徒から卒業式を奪う権利はないし、気まずい思い出にする権利もない。  

歌ったからといって、心は自分のものなのだから、何が奪われるわけでもないだろう。 

 

 

・各国の代表選手がその国の出身じゃなくても一緒に起立して聞いているよね、胸に手を当てる選手もいる。 

ルーツが違うとしても、育った国のことも大切に思ってほしいと思う。 

 

 

・こういう記事を見る度になぜ折衷案という落とし所で落ち着けないのだろうかと思う。 

歌ってほしい学校側←歌う理由をきちんと説明する 

歌いたくない生徒側←歌いたくない理由を述べる 

グローバルが〜とか歌いたくない生徒も〜とか人のことじゃなくて自分たちはこうだから歌いませんと言って、教員側が納得、もしくは教育委員会に繋いで判断を仰げば良かったのでは? 

何十分も説得しようとした先生たちの圧もですが、結局どちらかが謝罪し徹底的に撤回するまで追い込むようなやり方になってるのは良くないんじゃないかなと思います。 

 

 

・生徒が歌わないのは自由だと思う。ただ日の丸は国旗だから掲揚は当然だし、君が代を歌う場を作るのも国の仕事だと思う。どんな過去があってもそれを乗り越えていくのが日本人として必要だと思う。 

 

 

・素直な気持ちをどうこう押さえつけるのは良くない。ただ自らの考えが全て通ってしまうというのは、集団生活を訓練する場でもある学校ではもっとよろしくないと思う。卒業式で「君が代」を歌うことへの合理的根拠、論理を今一度整理してもいい気がする。拙い例えだが、国民の権利たる「教育を受ける権利」を享受し、卒業式を以ってそれを終えることが出来た。これは日本国憲法によって保護されたものだから、国家に対しての感謝の気持ちとして「国家斉唱」をもってそれを表現する、とかさ。 

 

 

・子供の頃京都市に住んでいた時期があるが、他の地域と比べ所謂左派系の考え方を持つ人の割合が多かったように思う。当事者親子とともに文科省に訪れたのが共産党の議員だし、記事にしてるのが週刊金曜日だしということもあり、完全にレフトサイド寄り。一部の限られた意見。こうした見解も平気で主張できるこの国に住んでいて、つくづく開かれた国と感じる今日この頃。 

 

 

・何でも個人の自由とやらが尊重される時代になったようですが、そのような権利を享受する為には同等の義務があるのです。日本人としての義務として国歌、国旗への敬意があるはずですね。そこには個人的な理由による自由はありません。 

 

 

・今は個人の主張がいろいろまかり通る時代なので、国歌を歌わないなんてのも通るのだろうが… 

 

こういう主張をする人間は 

・儀式や儀礼などフォーマルな場面でも自我を通す我が儘で面倒くさい人 

・要領よく生きることが出来ない頑固で融通のきかない人 

てイメージがあって、自分には関わってほしくない、話しかけて欲しくないと強く思う。 

 

 

 

・強制は出来ないのだから、歌いたくなければ、歌わなくても良いと思います。 

しかし、少し見過ごせない点が一つ。 

この方の考えの根拠の一つに、「昭和天皇が戦争責任を取らなかったから」とありますが、これは根拠としては非常に弱いです。。これでは昭和天皇が責任を取ろうとしなかったように受け取られます。 

確かに、結果だけを取り上げれば責任は取っていません。しかし、陛下はマッカーサー会談の際、全責任を取るつもりだと発言した上、国民の生活の保障を依頼したと言われています。 

公式記録ではありませんが、マッカーサー自身が回顧録で書いていること。国民には屋根さえない場所で過ごしている者もいると、ご自身は戦後数年間、防空壕でお過ごしになられた事を鑑みると、責任を取ろうとした事は事実だと考えられます。 

これを考えると、私などは国歌斉唱の場面では襟を正して歌いたいと思うのですが。 

 

 

・ルーツがどうだというなら、ルーツのある国に住めばいいのでは? 

そこでなら伸び伸びと国歌斉唱出来るのだろう。 

 

日本のこれまでや、日本の国歌を歌いたくないならなんでそんな日本に嫌な思いをし続けながら住み続けるのか???? 

 

なんで嫌なの?って聞かれたり目立つことでさらに嫌な思いをするんだから歌っときゃいいじゃないかと思う。 

 

そんなに嫌なら日本が嫌ということにはならないのかな。 

 

なんでもそうやって主張して無事でいられる日本という国はすごいよね。 

 

 

・日本で安全に暮らし、日本の名前を持ち、日本語を話して生活している。この当たり前のことが国外に出たらできない国がいっぱいある。 

このことが多くの先達の努力や犠牲の上に成り立っていることをもっと勉強したらいい。天皇の戦争責任と君が代や国旗と結び付けるのは短絡というか、誰かの偏った考えに侵されているように感じる。 

国外に出てみれば自分が日本人であることをとても意識させられるし、日本人で良かったと思うことも多い。外国で君が代が流れて、歌えることはとても誇らしく感じます。 

卒業式などで君が代を歌うことは、今自分がいる環境に敬意や謝意を感じるいい機会だと思います。そんなこともできないなら勝手に他の国で暮らしたらよろしい。こんな奴らにも時間と労力を割いて対応しなければならない人たちが気の毒。 

内心はもちろん自由だが、集団生活している以上、行動はルールに従わなければならない。 

 

 

・日本はもう一度学校でキチンと愛国教育を取り入れるべきじゃないのか? 

 

アメリカは様々な国にルーツを持つ人がいる他民族国家だけど、みんな星条旗に敬意を払い国歌を歌う。これはルーツの違う人々でも星条旗のもと国家としてまとまれるように学校で教育を徹底しているから。 

 

少子高齢化で純粋な日本人が減る一方(最終的には少数派になるだろう)外国にルーツを持つ日本人が増えてきている。 

そういう人々が母国寄りの視点で日本の歴史や文化、国家のあり方を論じ、政治にまで影響を与え出すようではとても国家としてのまとまりを維持することはできない。 

どこにルーツがあろうが全員が「日本人」としてこの国の文化・風土に誇りを持って暮らせるように今一度、愛国教育が必要なのではないか。 

 

 

・なぜ歌いたくないのか?が重要。 

ただ、君が代が嫌いだからとか、皆と歌うことが嫌だからとか、、、 

そういう理由は通らないと思う。 

果たして、他の歌なら歌うのか?? 

 

自分の母国の国歌でないから、というのも理由として考えられるが、現在日本の学校に通っているのであれば、滞在国の国歌を拒否するのもいかがなものか? 

 

確かに強制はいけないが、国歌の斉唱を頑なに拒む昨今の風習も行き過ぎだと思う。 

厳粛な場で身を正して自分の国の国歌を歌うことは万国共通で、何ら問題あることではない。 

 

 

・日本国の小学校だから、国歌斉唱はやむないでしょう。 

こんな時代になので、外国人に対する配慮は仕方ないのかな。 

外国にルーツがあるからという理由で歌いたくないのは理解に苦しみます。日本で暮らし、日本語も話していて国歌だけ歌わせたくないって何か恨みがあるのでしょうか。 

自分は海外で暮らしたことありますが、その国の国歌覚えて歌ったらとても喜んでくれて仲良くできましたけど。 

君が代の問題は理解してるので歌うことを拒否できる権利は必要かもしれないけど、残念です。 

 

 

・人それぞれ考えは自由で多様性な時代なのでいいとは思う。学校もこうゆう時代だしそれ認めるしかない流れなのだろうし。 

しかし、ルーツが外国にあるから従わないのならば、日本の国籍をやめてご自身のルーツの国籍を取得すればいいのじゃないかな? 

国歌は嫌だとはいえ日本国籍で日本で受けられる様々な権利は利用してるわけだし、都合がいいところは日本人、自分にとって嫌な事は外国人を使い分けてるようにしか感じない。郷に行っては郷に従えかなと思う。 

まあこうゆう事を訴えてる方が教育委員会へ行きニュースになるとか日本は平和だなとつくづく思う。 

 

 

・記事を読むとわかりますが、 

 

「日の丸・君が代」がどう使われたかの歴史をまとめたプリント 

 

このプリントの「歴史」には、日本として日本人として、許せないほどの偏りがあるようです。 

偏ったプリントを配るなんてことは、学校側が反対して当然。 

何処で誰に習った「偏った歴史」なんでしょう。 

ここは日本です。 

そして君が代は「国歌」です。 

日本人としてのアイデンティティを踏みにじられた気分です。 

 

 

・私は無宗教だからいろんなものを受け入れて生きてきた。昨今は色んな事が自由に言えたり行えたりする様になって来ていますが、一つの枠、例えば日本、地域、社会の中でお互いを尊重して話し合い譲るとこは譲るという情緒が足りなくなって来ている様に思います。個の主張が目立ち相手の立ち位置に配慮するという事が蔑ろになっています。社会と言う枠組みの中で生きると言うことは良いことばかりではなく嫌なことも受け入れていかなければこの先の長い人生は幾つもの壁が立ちはだかるでしょう。 

 

 

・私は元教諭で国歌は歌う人間だったけど… 

生徒や教師が歌わないと来賓議員が教育委員会に文句を言い、教育委員会が学校に指導をし、校長が教諭を指導せざるを得ないのが現実。教諭が絶対!と思って強いてるわけではないことがほとんど。だから、この文科省担当者の認識は現場現状と大いにずれている。来賓の議員さんはおめでとうを言う名目で、教諭を監視しにきている。本当に文科省の言い分が正しいなら、議員が教育委員会に文句を言おうが、現場におろすのは教育委員会の対応としては間違っていることになる。 

 

個人的には国旗も国歌もこれで!と法で決まっている以上、授業で習うのも式典で歌うのもそういうものだと思う。けれど、歴史的宗教的背景から「歌わない、起立しない」という考え方も「あなたはそうなんだね」ぐらいでいいと思う。両派とも「歌う(歌わない)べき!」と周りにも押し付ける感じが好きじゃない。 

 

 

 

 
 

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