( 149880 ) 2024/03/16 23:33:48 0 00 ・アカデミー賞こそ世界最高の映画賞だと刷り込まれているから、こんなズレた発想になるのだと思う。現実には米アカデミー賞は、アメリカ人とアメリカの映画関係者を喜ばせた、満足させた作品に贈られるもの。結果には彼らの趣味嗜好が強く表れ、それは映画自体の出来とは必ずしも関連しない。 今回「ゴジラ-1.0」が視覚効果賞、「君たちは~」が長編アニメーション賞を獲ったことは、作品賞や俳優への賞に選ばれる以上に価値のある事ではと思う。この2つは個人の好みや感性以上に、スクリーンに映った映像そのものに対する客観的評価が反映される。忖度とは少し距離のある受賞を、私たちは素直に喜んでいい。
・アジア人初のアカデミー賞受賞は、ナンシー梅木の名で活躍していた日本人ジャズ・シンガーです。 なんと、助演女優賞獲得。《サヨナラ》という、日本を舞台にした映画で、主演はマーロン・ブランドです。 日本はもっと自信持って良い。 ハリウッド映画でない作品が受賞した事に、誇りを持つべき。
・海外で働き始めた最初の頃は、やっぱり差別的なものがあり、なかなかにツライものがあった。 でも会社を辞めるとき、盛大な送別会を開いてくれて、A3用紙ぐらい大きなメッセージカードの寄せ書きを2枚もくれました。
根深い差別があるとしても、自分がやるべきことをやれば良いかなと思う。
・個人的に、アニメ、映画、ドラマ、CITYPOP等、外向きでも無い日本のコンテンツが、こんなにも世界中から求められているのはとても不思議な感じがするけどな。世界を狙ったわけでも無いのにね。差別は、無くす努力よりも、好きになってくれる人を沢山増やす努力をする方が効果的じゃないかな。数で圧倒する方がそういう人達の呼吸が困難になるので。そういう意味でも、今回の受賞や監督達のコメントなんかを考えると、賢いなと。
・アカデミー賞はもともと米国中心なのだから、日本のものが評価されなくてもいい。 米国から評価される日本とは、評価基準を自国でなく米国に依存しているということになる。 アニメや怪獣映画などは、世界から評価されているわけだから評価を全体から考えればいい。 俳優陣も米国から評価されることは少ないかもしれないが、もともと白人中心だから、気にしなくてもいい。アカデミー賞でなくともVODの中でも、世界のどこかの国から評価されるようになってほしい。
・アカデミー賞だけが全てではない。 ゴジラが注目されるのは、海外ではゴジラのような独創的なキャラクターの巨大怪獣がいないからではないですか? そもそも怪獣は日本独特なキャラクターだと思う。(海外の巨大怪獣的なキャラはキングコング以外知りませんが) アニメも文化の違いでストーリーテンポも違うしキャラクターも文化の違いが見られる。 たまたま日本はアニメと怪獣系(ウルトラマン系や仮面ライダー系や戦隊モノ)が愛されていた結果でしょうね。 いずれ日本を上回る愛情のこもった海外産のアニメや怪獣が出てくるかもしれませんね。
・昔のハリウッド映画は今でも素晴らしいと思うが、最近気になるものがない。あまり気にしなくても良いと思う。スポーツも同様で素晴らしいと思ったが、サッカーは当然欧州が中心だし、洋楽はイギリス、個人的にはアメリカという国への興味関心は年々下がってきている。
・こういうのは育った環境や国民性もあるので、根が深く時間の掛かる問題だと思います。 米国はまだ他民族で形成されてるのでマシな方で、日本を大事にしてくれる俳優さんやアーティストも沢山います。 欧州の方が差別意識が強く、スポーツ等でも優勝セレモニーなどで日本人だけ映さないなど徹底してる。 だからそういう環境で活躍してる日本人やアジア人を尊敬する。
・アカデミー賞はアメリカ人のための賞(ショー)だから、アメリカ人以外が目くじらを立てても仕方ない。 ハリウッドには、俺たちのショーに割り込んできやがって、くらいの気持ちを持っている人もいるだろう。 ハリウッドの映画関係者が不快でも、アメリカの多くの観客が評価してくれたのだからそれでいいのではないか。 日本は日本として、これからも世界で愛される映画作りを目指せば良い、と思う
・ドラゴンボールの反響を見てもらえば わかると思いますが どのジャンルの作品がなくなったら 困るかと言えば 確実にアニメは上位にくると思います。
今でこそ大人も楽しむコンテンツですが スポーツアニメを見て プロスポーツ選手になった人も多数いて 親子で楽しめたり 代々受け継がれる作品が多数あることを 考えれば、未来にとって 必要不可欠なコンテンツだっ思います。
・むしろ日本ならではの技術や創造性を奪取されないように、さらに上を目指し関連する方々は気を引き締め日々磨くことを願っています。 アニメもゴジラも負けることのないレベルなのですから、堂々と。
アニメ「君たちはどう生きるか」でも、多くの名だたる俳優が声として活躍していたあたりも、アニメでありながら実在の人間ならばの想いを演じ、どんな声色となるかの出来に素晴らしいと感じました。 それだけ、より可能性を秘めた俳優がいるはずで、アニメだけでないこれからの映画でのご活躍も期待しています。
・アカデミー賞は、アメリカの映画祭だからアメリカ主体で選ばれるのは仕方ない事。 カンヌなどの映画賞が本当の国際映画賞なんだから、そちらの方が価値有るのでは? アニメとゴジラだけで何が悪いのか? 人気のコンテンツを持ってることは強みだと思う。
・アカデミー賞を最高位の賞とは思わないけど国関係なくレベルというものは存在するのでどんなジャンルにしろ良いものを作れば映画、音楽、美術などちゃんと評価される国だと思う。その評価に納得がいかないのであれば鑑賞側の質の問題にあると思う。普段から一つの国の中の幼稚なものや偏ったものばかりみていたら客観的に評価する審美眼は養われないと思う。
・今の時代、アカデミー賞にこだわる人がどれだけいるのかな?と思ってしまう。 視聴者からしたら、賞よりも中身、作品が良ければそれで良いと思う。 その点、今回のゴジラは他の作品に比べかなりの低予算で大作が出来たのは、アメリカの映画界からしたら、衝撃なんじゃないかな。
・アニメとゴジラがあるだけで十分だと思うけど?
世界的なコンテンツになったイカゲームって、カイジと酷似してるけど日本で実写化したカイジは世界的なコンテンツ以前に日本でもネタにされるレベルの映画だった。(遠藤を女性化する意味ってなんだよ...)
原作はカイジという優れた作品であっても、実写での映像化ができる製作陣がいないのが日本。けど、アニメ化すれば世界的なコンテンツに昇華できるのもまた日本
それでいいと思う
・アジア人差別はそう簡単になくならない。ノーベル賞に関してもアジア人差別はあると聞いた事がある。それを理解した上で、アメリカ人のためのアカデミー賞だけどアジア人しか選べなかったので選ばれたのだからアメリカ人からみたら不本意かもしれないが、日本人としてはとりあえずは喜んで良いと思う。
・アカデミー賞はアメリカ主体で主にハリウッド映画を中心に行われてるから仕方ない! 賞を獲ったから世界一では無い! むしろ外国映画で賞が貰えるということは 大変なことだと思う。筆者はゴジラやアニメを下に見たような表現をしているが、今回のゴジラは作品賞にノミネートされてもいいぐらいだと個人的には思いました。 なんせあのスピルバーグが3回も観たと言っていたので!
・ゴジラ-1,0は映画として素晴らしいと思ってるんだけど、日本国内ですら子ども向けと軽んじる人が多くて驚く。良いと力説しても、怪獣だよねで終わり。なので海外で軽んじられていたとしても仕方ないと思う。アニメだって、鬼滅なんて水準高いなと思うけれど、はなから軽視して観て貰えなかったらそれまで。徐々に変わるのを期待。
・アカデミー賞はアメリカ人がどれだけ関心を持ったかによる審査だから批判するのはナンセンス。それが嫌なら作品のみの素晴らしさで批評を行い、実績を重ねていくことで世界から認められる権威を持った賞を作れると思うのだが。肝心の日本では配給会社や諸々の忖度があるし…。そもそも名前が日本アカデミー賞だったりする。
・特撮とアニメ以外の日本映画がダメダメなのは事実だから、これについては言われても仕方ない。しかし、製作者も俳優も、人材が居ないわけではない。Netflixなどを通してそれらの日本の才能が海外で目につく機会も増えたのだから、アカデミー賞を獲れるような未来が来るといいなと思う。
・ゴジラ-1.0を見てきたが受賞は当然だと思った。こんな映像は今まで見たことがないし、迫力といい、ストーリー性といい素晴らしい作品でした。-1.0の意味が分かったし、続編に期待したくなりました。アメリカがどんなに金をかけても絶対に作ることはできないと思いました。エンターテイメントはあまり難しく考えず自分の感性に従って作品に没頭すればいいのかな。
・アニメとゴジラだけ、だとしても十分だと思うがね。 ドラえもんやポケモンは今やミッキーマウス、ドナルド ダック、に並ぶワールドワイド・スターと言える。 ゴジラ の迫力は 米国のスーパースター・スパイダーマン、 バットマン、などを凌いでいると言える。映画の興行成績を 除いては。いまや、ドラえもん、ゴジラは世界の子供たちの 伝説となり得る存在だろう。
・アニメとゴジラだけ……というが、一つでも二つでも突出してるものがあるのが既に凄いんだけどな。しかも世界一なんだから。 しかも、そのアニメやゴジラで海外の実写映画も含めてボコボコにしてる訳で。 上映館数と興行収入を見比べれば、どの作品が一番なのかは一目瞭然、別にアカデミーの審査員のために映画作ってる訳じゃないんだから。 どれだけ多くの人を惹きつけ喜んでもらえたかが一番重要で、それには上映館数と興行収入の推移を見比べるのが一番だわ。
・ゴジラに関しては視覚効果の受賞であって、作品自体が評価されたというのとは違うと思うし、「日本はアニメとゴジラだけ」というのも良くも悪くも的は得ていると思うが、アカデミー賞自体も確かに伝統はあってもあくまで米国での評価なだけというのも事実だと思う。
・今回の受賞時の対応について差別があったのかは何とも言えないが、ゴジラの受賞については色々な要因があったとの解説を見ました。通常ハリウッドでの映画制作は宣伝費含めて300億円はかかるところ、ゴジラは制作費22億円。日本では高い方だが、ハリウッドと比べたらはるかに低予算な点が評価されたのではとのこと。賞の投票をするのはアカデミー会員で、俳優を含め監督以外に現場で映画制作に携わるさまざまな部門の業界人達。山崎監督もVFXはお金をかければ幾らでも凝ったものにすることが出来る中で、ゴジラが低予算にもかかわらず高いクオリティだったことが驚きと共に賞賛された。ハリウッドのデモが影響した劇場の空きで沢山上映できたこと、東宝が北米に支社を立ち上げたこと、メッセージがわかりやすかった等、単に海外でゴジラは人気があるという一言では片付けられない要因があった訳で、今後アジアからの可能性は未知数だと思う。
・落ち目のハリウッドとディズニー見ればハリボテの賞なのは分かるでしょ。 ポリコレ臭くって見れたモンじゃない。タダでも嫌だ。 日本はドラマと映画は実写化ばっかやって単純につまらない。大人の事情プンプンで期待感0。 ただアニメはクリエイターの量が凄まじいと感じてます。それだけに力作が多い。 最早、「子供が見る物」では無くなりましたね。全ての世代で楽しめる作品です。
・別に良いのでは。アカデミー賞受賞は作品が公開されてそれなりに時間が経っての事だし、作る側から言えば「おまけ」みたいなものでしょう。(貰えたらとても嬉しいでしょうが)最初から受賞を狙って作る作品は別として、商業的に成功してればアカデミー賞がどうとか、別に気にしなくて良さそう。いい作品作ることに注力してください。面白そうだったら観に行くし、面白かったら面白かったって言いますので。
・ドライブマイカーはちゃんと評価されて賞を獲ってるし、斬新で面白い映画だった。アニメもジブリ作品の中で秀逸な作品だけしか、選ばれていない。ゴジラはヒールなただの怪物ではなく、格好良く描いたゴジラ−1.0はゴジラ愛のあるVFX作品で賞は必然だったと思う。日本の賞より忖度のない選ばれ方で良いと思うけど。
・日本はゴジラ(CG)とアニメだけ… いいじゃん!最高じゃん!
ハリウッドのCGは日本人がいなきゃできないこと多かったし、鉄腕アトムやドラゴンボール、キャプテン翼など海外のアニメーターだけでなく、スポーツ選手などにも影響を与えてきた。
逆に、日本のグラフィック技術やアニメがこれしか評価されないの?が正しいと思います。 アバター技術の最先端はプリキュアのエンディングですからね。(と思います)
・「差別」に話を持っていきたがるが、アカデミー賞のグローバル化への反発の面を無視している。もともとはロサンゼルスの地域的な上映を対象にしたローカルな賞が出発点だった。世界で最も重要な映画賞と言ってよいと思うがそれは「ハリウッド」の影響力によるもの。もっとハリウッドの考えを押し通して構わないのではないか、という不満があると推測する。確かに営業サイドの主張が通りすぎているようにも見える。
・アカデミー賞での快挙と言ってしまう意識にこそ問題の本質があるように感じます。
アメリカの姿をどう捉えようが各人の自由ですが、私はアメリカの社会はそういうものだと認識してますし、「アカデミー賞での快挙」という意識がなくならない限り、外から変えることもできないと思います。
・ゴジラとアニメだけでも評価してもらえるなら良くないですかね? ディズニーだってアニメかファンタジー原作の実写化ばかりじゃないですか。 だいいち日本の実写映画でオスカーに値するような作品ってありますか?世界に通用する作品に出演したうえで、名だたる俳優陣の中で飛びぬけて光を放つ俳優がいますか?どちらも思い当たりません。 実写映画については製作委員会方式の弊害で、演技どうこうよりもその時事務所が売り出したい・もしくはある程度顔が売れている人をキャスティングする傾向があることと、演技派俳優の出演作は総じて地味であることが世界的に評価されない理由だと感じます。 とはいえアカデミー賞はあくまで米国基準の賞なので、そこで日本映画や俳優たちが評価されなくても気にする必要はないと思います。そもそも海外向けの作品でもないし、そういうキャスティングでもないので。
・今回のゴジラはメッセージ性もあったし、娯楽性 の高いエンタメにキチンと昇華できてたもん。作りも丁寧だったし。宮崎アニメだってメッセージ性があってエンタメとしても楽しめる作品でしょうが。今の邦画の多くはアートを気取り過ぎてて面白味が少ないか、テレビドラマの劇場版だの、マンガ•アニメの実写版とか、劇場版とか、日本人にとっては娯楽性は高いかも知れないけど、アート感やメッセージ性には欠けるような作品ばっかり。劇場で見ようと思う作品がほとんどない。
・アニメとゴジラじゃ不足だろうか?ノーラン氏がは日本アニメに影響を受けているし、カイジュウマニアのギレルモ・デル・トロ氏が特撮ものでオスカーを撮ったのは8年も前のことだ。日本のクリエーターは新しい芸術分野で先頭を走っていると自負していい。エンタメだろうがシリアスだろうが、アートはアートであって社会経済に属する方からの「解釈」はかえって有害じゃないか。
・日本国内で長らく「アニメとゴジラ」はジャリ掬いと言われ、子供相手の金稼ぎだった。 その様な扱いをしてきた国内映画を見ると瀕死の状態だ。
米国はと言うと、ノーランはバットマン、エマストーンはスパイダーマン、ロバートダウニーjrはアイアンマン、、。壇上を見ると他にも色々いたな。
実際、キャラクター性の強いものしか収益が難しくなってるかもしれんな。
・自分と異なるものへの恐れや憧れは本能だと思う 違いを意識すれば悪意がなくとも差別は生まれる だから差別をなくすためには、違いを無くさなくてはならなくなる ダイバーシティを認めることは文明的だけど、誰もができることではない ダイバーシティを認めならないような文化や人々も受け入れることが、ダイバーシティを認めることだから、社会全体がそれを実現する事は理論的に不可能だ 性別も人種も宗教も全て均一に中庸に収束していくことが差別のない世界に近づく道だとして、あまり理想的だとは思えない 違いがあり差別も無くなってはいないが、相手の心情を尊重して自分の正しさを押し付けず、付かず離れずのバランスが落とし所だと思う
・作品や審査委員はリベラルを優先するのに白人系の俳優やプレゼンテーターは相変わらず人種差別の意識が根っ子にあるように思える。内部矛盾のようになっているがこれがアメリカの本当の姿なのだろう。人間社会では子供から大人まで差別意識なんて無くならないだろう。だから差別社会の中でどうやって自分らしく生きるか考えた方がいい。
・太地町のイルカ漁を批判した映画「ザ・コーヴ」がアカデミー賞を受賞して以来、この賞はなんの意味もないし、日本人が受賞してうれしいものでは無くなった。文化の話なので、単純にその時のアメリカのはやりという事なのでしょう。アニメ(ジブリ)とゴジラ、いかにも、今、日本ブームだから受賞 みたいな安易さを感じる。
・はい、その通りです。日本はアニメとゴジラです。 MLBのようなスポーツの世界では、ルールのもと、勝ち負けがはっきりしているから国籍など関係ないですが、文化はそうはいかない。 映画が文化の側面と金儲けの側面とあるとしたら、USの人々っては、日本のアニメ(そこからの実写化も)とゴジラは、金儲けの手段になると認められたのが今年のアカデミー賞ですね。 アカデミー賞は多くの方が言う通り、ハリウッドの限られた組合員による会員組織の内輪の表彰式。授賞式という場で、普段の人間関係がちょっと露呈しただけですね。ロバート・ダウニーJrのアジア軽視は皆知っているでしょうし。 特に表彰式などしないで、グローバルで視聴されたかどうかでギャラやシーズン継続を決める配信プラットフォームの方がスッキリしていますね
・アカデミー賞って、そんなに重要かね日本人にとって。外貨獲得は良いと思うけど、国内で基本的に全て賄ってる先進国が、他の先進国の事ばっかり気にするのもどうかと思う。
ただ、アメリカだけじゃなく白人主体の国々でアジア人差別が当たり前に行われてるのは実体験として知ってるから、ごく自然に差別的な振る舞いをしたロバートの態度も理解してる。
・アメリカのアカデミー賞は基本的にアメリカ映画に授与する賞。外国映画に対しては別枠で長編外国語映画賞があり、外国映画はその賞を競うことになる。以前米アカデミー賞はイタリア映画や韓国映画に対しても作品賞や監督賞、主演男優賞など主要部門の賞を与えたことがあるが、それだけでも米のアカデミーは寛大だと言える。一方日本のアカデミー賞には外国語映画賞はあるが、外国映画に対して監督賞や主演男優賞を与えることは絶対にない。アジア系のプレゼンターに対する行動が人種差別と言うなら、日本の映画業界の方がよほど閉鎖的や差別的だと言える。
・日本はアニメとゴジラの 2つも秀でたコンテンツを持っている これは大事に育てたい
ウルトラマンや仮面ライダーも 世界に通づる可能性を秘めてると思う
・別にアカデミー賞が最終目的ではなかろうに。 良い作品を作った、たまたまアメリカ人がそれを見つけて評価した、受賞した、それで良くね? アメリカ人(海外じゃなくて)に評価されるのを目的にした作品よりも、日本でヒットする作品を作って欲しいよね。 日本でヒットすれば、アメリカに限らず海外でもアンテナに引っかかるはず。 「アメリカ進出!」って気張った曲よりも、日本でゆっくりヒットした曲が海外(アメリカじゃなくて)で評価された件も有るし。
・ゴジラがアカデミー賞受賞、結構な事だと思う。実際、アメリカ版ゴジラはキングコングと未だに仲が良い訳やし。今日の映画文化の源流は米国にルーツがある。そのルーツからはみ出したアメリカにとっての舶来品である「ゴジラ」がウケている事実はもっと喜んで良いし、『ゴジラ-0.1』で描かれた終戦着後の日本にアメリカ人のナショナリズムが刺激されたとも考察できる。ある意味で今作のゴジラは反米の化身とも言える。この記者は一体何を勘違いしているのか?
・欧米でアジア系差別は確かにある。レストランで順番待ちをスルーされたり、ウエイターに声をかけてもスルー。そんなの何度もあった。 ただ、そんなのはどーだっていい。日本人だって外国人を白人とアジア系で差別してるし、他人のことをどうこう言えないだろう。 ま、愉快な体験でないことは確か。でも、そんな国でも温かなもてなしに出会ったときは一生の思い出になったな。
・文化や価値観の違う人達の賞にこだわる姿勢は格好悪い。日本人独自の価値観に誇りを持っていれば全く気にならない。 世界一美味しい朝食なんたらのパンケーキをありがたがって食べるのと一緒。彼らにとってはそれが最高なんだろうと認めつつ、自身は旅館に出てくる様な丁寧な和朝食に舌鼓を打っていれば良い。
・アジア系の差別ってアメリカは多国民人種の 社会である、黒人差別の方が未だ深刻 同じ人間なのにです。またウクライナへ 侵攻したロシアは同人種です。 日本も他人事ではないよ、外国人労働者過去最多、留学生、移民、避難民など日本の少子高齢化社会の担い手になっている、今の現役世代は高齢者になったら、外国人労働者の世話になるかもしれない、また隣国韓国はアジア系で 一番近い同人種なのに、もっと互いにリスペクトしあって良い関係性を作る事だと思います。
・アカデミー賞はアメリカ人及びその関係者の為の賞です。 そこにアメリカ人以外が出て行って差別と騒ぐ方がナンセンスでしょう。 ロバート・ダウニー・Jrの所作も差別と言うより好き嫌いの範疇でしょうし。 どんな事に対しても好き嫌いがあり、そこに忖度があるのも当然です。 それらを全て差別と否定して無理にでも肯定する方が生きづらい世界になってしまう。
・アカデミー賞はアメリカ人によって選ばれる、アメリカ人の感性にあった賞なので、そこに触れないと選ばれない。 彼らの為に作っているわけではないので、気にする必要はないと想う。 確かに注目される賞ではあるが、賞のひとつであると考えている。
・必ずしもアメリカで評価される必要はないが、背の低い日本人を起用してる限り高身長当たり前の海外で俳優女優どころか作品そのものも評価されないのは当たり前 そういった理由もあるから日本以外の国はドラマや映画に必ず高身長の俳優女優を使う 身長は関係ないと言ってる限り日本人の俳優女優が注目される日など永遠にこない 今回のゴジラも185前後の俳優や170前後の女優なら出演者自体も少しは話題になったと思う 以前ホラー映画が人気になったとき松嶋菜々子が海外の人たちの間で美しい日本人として話題になったことがある 郷に入っては郷に従えということ
・必ずしもアメリカで評価される必要はないが、背の低い日本人を起用してる限り高身長当たり前の海外で俳優女優どころか作品そのものも評価されないのは当たり前 そういった理由もあるから日本以外の国はドラマや映画に必ず高身長の俳優女優を使う 身長は関係ないと言ってる限り日本人の俳優女優が注目される日など永遠にこない 今回のゴジラも185前後の俳優や170前後の女優なら出演者自体も少しは話題になったと思う 以前ホラー映画が人気になったとき松嶋菜々子が海外の人たちの間で美しい日本人として話題になったことがある 郷に入っては郷に従えということ
・アカデミー賞はあくまでもハリウッドのローカルな賞であることを忘れてはなりません。従って、ハリウッドの一部の人間からしたらよそ者の日本映画が受賞したこと自体おかしな話ですので、「アジア系差別」というのは少しずれた見方です。 逆に言えば、それでも受賞したゴジラとジブリは凄いです。
・アメリカの賞なんだから、アメリカ人が良いと思う作品を選出すればいいじゃないですかね。 それなのに一応海外の作品を選考対象にしてくれて、むしろ好感が持てます。 日本には日本アカデミー賞があるんだから、そちらを盛り上げればいいだけだと思います。
もちろんアメリカのアカデミー賞が、国連の機関により主催されるのであれば、作品を平等に評価しなければならないですが。
・アジア系といえばまさに、ミッシェル・ヨーとキー・ホイ・クァンが受賞しているわけですが、ノミネートされた全てで受賞を果たした「ラストエンペラー」では、絶対に外せないはずのジョン・ローンが、主演男優賞にノミネートすらされていなかったり、むかしはもっと露骨でした。白人の有色人種への嫉妬は凄まじくて、渡辺謙もこれ以上は望むなよという暗黙の壁がある事をさらっと明かしていました。
・価値観が多様化していく中一つのストーリーを大きな映画館でたくさんの人と見ると言う鑑賞の形はなくなっていくかもしれない。様々な人種生き方を尊重するために俳優はAI生成になり個人で性別性的嗜好人種を選んで映画を作るようになるかもしれない。個人が自分のためだけの映画を作る時代になるかもしれない。社会的動物であった人類が個人のためだけのドリームランドを作って出てこなくなるかもしれない。やがてひっそりと最後の1人が命を終えるかもしれない。アカデミー賞も日本レコード大賞みたいになるかも!
・エマ・ストーンの場合は、ミシェル・ヨーがエマをジェニファーの所に導くようにしていたから、エマはミシェルをスルーした感じに見えたけど、エマは差別をした様には見えなかった。 しかしロバート・ダウニー・Jrは、モロに差別な態度だった。 キーホイクアンが握手しようと手を差し伸べても、無視していた。 でも、ステージ裏では握手はしてたけどね。
それを考えると、ハリソン・フォードは紳士だな。 昨年は、ガッチリと抱き締めていたからね。。。 ハリソンの最後のインディの映画に、出て欲しかった。
確かに今の日本は「アニメとゴジラ」だけだな。 黒澤明も坂本龍一もいないから。。。
今の日本の映画は、アイドル映画と漫画原作の映画しか売れてないし。。。 ちょっと作家性を出しちゃうと、分からない、つまらないってなっちゃうからな。。。 映画を観る側の頭が退化しちゃてるから、 面白い映画が評価されないのが残念。
・自分達が一番でオンリーワンだと信じるアメリカ人によるアメリカ人のための映画祭 多様性を認めているわけではなくアピールしているだけ 所謂大ヒットハリウッド映画なんて見なくていいと思う 少なくともロバートダウニーjr出演の映画は今後絶対に見ない (参考に過去作品を調べてみるとほとんど見た事がなかったので自分の好きなタイプの映画にいない事に安心したし名前を覚えていなかった事に納得した)
・無意識の差別と言うならこの筆者にもアニメや怪獣は実写やヒューマンドラマより格下と言う差別意識があるのが窺える。 「日本映画はアニメーションやモンスターアクションに強い」でいいじゃないですか。なにが悪いんですか?
日本アニメの表現力はもはやハリウッドの監督やアニメーターに影響を与えるレベルですしゴジラのCG技術にハリウッドが驚いたから受賞となったのでしょう。なにが不満なのか。 今流行りのドラマじゃないですが筆者は30年くらい前から現代にタイムスリップしてきた人なのかと。
・アカデミー賞は世界で最も稼ぐ映画を作り出すハリウッドというブランドを芸術文化的にブラッシュアップする為の賞レースだと思う。
かつてはイタリアやフランス、ドイツ映画が芸術文化として評価されていた。世界三大映画祭がヴェネツィア、カンヌ、ベルリンなのもそういう歴史があるからだ。
しかし、商業的に成功を収めたのはハリウッドだった。日本は戦後にアメリカ文化が輸入された影響からアカデミー賞を重視してるのかな。
真田広之さんや渡辺謙さんはしっかりとアメリカで評価されているとは思うし、アジア人に対する差別はあるけどそれはマイノリティが他の国に行けば必ず起きる問題なので解決するのは難しいと思う。
・レオナルドディカプリオでさえ、イタリア系ということでオスカーをもらえなかったと聞いた。元々アカデミー賞そのものが人種差別的な選考であることを前提としなければならない。 アカデミー賞がそうだからと言って、他の業界まですべてに渡って差別意識が強いかどうかはこの騒動だけからは判断できない。
・この書き方を言い換えれば、その二点においてアメリカは、明らかに後塵を拝していると、記者はのたまっていることになるよね。 何でもかんでも差別とかに紐付けたがるのも結構だけど、私はゴジラと君たちはが受賞したことを、普通に嬉しく思う。
・逆張りで言っているのではなく、私も実は「日本はしょせんアニメとゴジラだけ」というのは事実だと思う。残念ながらクールなんとやらの自画自賛は除けばそれは明らかなことだろう。なお、どんなに泣けるとか言われても怪獣映画での御涙頂戴にはまったく興味が湧かず観に行っていない。Perfect Daysこそが誇るべき内容だとは思ったが。
・日本でも、今はだいぶましになったが、以前は他のアジア諸国に対して、差別的な態度をとっていた人も多かったと思う。やはり根底には、自分達は先進国で他の国は遅れた国という意識があるのではないか。日本人は、よく名誉白人などと揶揄されるが、恥ずかしい事だと思う。時代が解決してくれるのを、待つしかないと思う。
・こういうのを見ると、欧米の人はアジア人に対する差別意識みたいなのが未だにあるのかもな、とも思うけれど、反対にアジア人の欧米に対する劣等意識や非差別意識もなかなか根深いなと思う。 中国も大国になったのだし、アジアはアジアで権威ある映画賞を育てればいいのではと思うけれど。 でも、アジアの中ではアジアの中で差別があったりするから、もはや人間の性ですよね。
・みんなアカデミー賞を崇めすぎな気がします。
いつでも議論されますが、スパイクリーもそうだし、me tooや、パラサイトから続いていつでもアジア系にも配慮してますアピールの受賞にも見える。しかし、結局白人社会の中での評価というか扱いであって、同等には感じない。
せめて、日本においては、宮崎監督の作品が選ばれた!とか喜んでなんかいないで、アニメ作品の世界最高峰の賞を日本で作ればいい。
世界中のアニメ系クリエーターは、多分、宮崎駿や押井守や尾田栄一郎や岸本斉史や残念ながら亡くなられた鳥山明など、日本のクリエーターに評価されて賞をもらった方が、アカデミーより遥かに嬉しいと思う。
アカデミーの成り立ちを考えても、アニメの賞は日本が最高峰って思って作っていいと思う。
・別にアニメとゴジラで日本が儲けさせていただいていますので結構ですよ。アカデミー賞を取ったからと興行成績も振るわず、面白くもなんともない映画もあるのですし、自己満足の領域から何を言われても差別と思わない。悔しいんですなぁ、日本のエンタメが安定してアメリカで興行成績を伸ばす事ができるのは。まぁ、何を言われていようが、換金するために創作されたエンタメが、文字通り大金となって日本に還元されているだけで十分ですわ。
・カンヌやベルリンなどの権威ある国際映画祭では、世界中から興味深い作品が発掘され続けています。総じて地味だけど良作が多い印象です。 米国内だけのアカデミー賞に拘る必要はないのでは?
・>「日本はしょせんアニメとゴジラだけ」
今回の「ゴジラ -1.0」は初代以後のゴジラシリーズとはこういうモノだ、といイメージというものとがらりと変わっているのだけどな 「ゴジラは出なくていいぐらい」という、困ったお褒めの言葉をいただくぐらい 従来のイメージにちかいのが、こまったことにレジェンダリーのほうだったりする 「鬼滅の刃」のリアクション、マッシュモブ動画をみると鋭い所をついたものがあったりして、ローカリズムを貫き通すと逆にグローバルなものになるのではないかいな
・表彰のときの行動が差別的であったかどうかは置いておいて、「日本はしょせんアニメとゴジラだけ」っていうのは別問題やろ。 これはアジア系差別とかじゃなくて、実際国内の興行収入見ても顕著なわけだから国内外関係なくアニメとゴジラの方が強いよ。日本の他の作品が受賞やノミネートされてないのは価値観云々以前の問題だよ。 まあアカデミー賞が興行収入で決まるわけではないけど、日本国内というアウェイにおいても洋画の興行収入はかなりのもののわけだから単純に出来の問題やろう。
・多かれ少なかれ差別はあると思うし、意識的・無意識的に言動に出てしまう事はあるんでしょうね。 私からしたら、誇れるコンテンツとしてアニメとゴジラがあるだけでも誇らしいですけどね。 それにそれ以外でもまだ外国が気づいていない誇れるものもたくさんありますしね。
・別にアカデミー賞とか関係なく過去の実績から見れば映画といえばアメリカで間違いないでしょ。 そんな中でも日本のアニメと特撮は評価されてるって胸張ろうよ
・アカデミー賞はアメリカの賞なんだから、その国の物が優先されるのは仕方ないんじゃね。アメリカ人がアメリカ人の方を美しいと思うのは当たり前、私も日本人の顔の方が好きだもん。 その中でゴジラと日本のアニメは表彰せざるを得ないほど飛び抜けてたんだから良かったと思うよ?大体アメリカ人はアニメとゴジラ以外日本の作品観ないよわざわざ。逆にアメリカの作品が日本で受けないのは日本人は差別的だ、って言われたらキレるやろ 表彰式で子供みたいな嫌がらせでもされたならともかく、賞は賞だよ。
・こういう「日本は所詮ゴジラとアニメ」なのかっていうような発言にブレないアジアを作るべき。白人的価値観から脱却してくれ。 若い人がたぶん変えてくれる。そんな気がする。 アニメとゴジラはすごい。心からの祝福を。
・アメリカのアカデミー賞を「世界最高峰」としたいのならば改めるべきではあるが、改めないのなら私たちは世界レベルではないと思う。 あくまで数ある海外での賞の1つに、外国勢として受賞した、というだけ。
自由の国アメリカは差別で溢れている。 日本に住んでいる私は差別というより他国にルーツのある人に会うことすらほとんどない。 なので、差別や世界のスタンダードなふるまいを学ぶ機会もほとんどない。 それが時代遅れになっているとは思うが、実践する機会がなければ身に付かないと思う。 それだけ価値観が違う世界にいるのだから、どっちが良い悪いでくくるのも違うのではと思う。
・そんなにアカデミー賞にすり寄らなければならないのか 日本がアニメ大国だということは紛れもない事実なのに、なぜ日本に大きな賞レールがないのだろうか マンガだって、日本主催の漫画賞(=世界一のもの)を作ればいいのに 日本は日本の文化をもっと高く評価していいのではないか
・そもそも米アカデミー賞はあくまでもアメリカ映画の賞であって、 その中に外国映画を評価する部門があるってだけだと思うんだけど。日本アカデミー賞でも外国映画部門があるし、ワールド映画アカデミー賞ではないんだから差別があるとかないとか言う方が可笑しい。それに米に評価されることが凄いって思うこと自体米より劣っていると認めているようなもの。
・アメリカのグラミー賞やアカデミー賞が権威あったのは一昔前。 その頃はだいたい何が受賞したのか、多くの日本人も知っていましたが(ゴットファーザーやタイタニックなど)、今は、ほとんどの人が知らないのであまり気にしなくてもいいと思います。 音楽も映画も多様化して、評価はこういう権威とされるものに必ずしもリンクしないようになりました。 原爆の父の映画が賞を取るくらいですから、かなりアメリカ向けのローカルな賞だと思います。
・差別と言うよりは一部の人は脅威を感じているんですよ。30年近く外資で仕事をしてきましたが、白人や黒人に取ってはアジア人は教育レベルも高く、国の経済も成長して自分達の居場所を犯されることに対する自己防衛に感じますね。日本だって テレビの番組で外国人に日本は良い所だと言わせている番組があるではないですか。優位性を持ち心に余裕を持ちたのが人間じゃないの。
・ちょっと腹の立つのは、しょせんアニメとゴジラ…の「しょせん」。失礼なのはこんな言い回しをタイトルに付けるダイヤモンドオンライン。 それはアニメを下に見た言い方だよね。もちろん生身の人間が演じる素晴らしさ、それを否定するつもりはない。 だけどアニメも特撮も人間が作った物だ。作品に込めるメッセージや情熱は同じではないか。大事なのは受け取り手がどう取るか。生身の俳優の映画だろうとアニメだろうと感動させる事が出来たなら大成功だろう。 良いじゃないか上等じゃないか。日本はアニメ凄いんだよ、今回は特撮も素晴らしいんだよで。そこにアジア人差別だとか何とかこじつけてくるなよと。
日本の実写が注目される事が少ないのは確かだ。でもこれはロビー活動や宣伝など映画の良し悪し以外の理由もあるのでは。タイミングとか。 我々は日本にも素晴らしい俳優が沢山居るのを知っているし良作との巡り合わせでチャンスはいくらでも。
・日本人を差別しているのは、日本人自身では?何でも欧米を称賛する思考。世界で遅れているという名目でLGBT 法を成立したが、こんな法律は欧米にもない。化石燃料は、時代遅れと言い、東京都は中国などの電気自動車に補助金を出して、日本のハイブリッド含めたガソリン車を叩き出す。でも、欧米は、逆に化石燃料に復帰した。個人的には、ハリウッドより角川映画の映像美が好きかな。
・そもそもアカデミー賞を神格化して崇めるからではないでしょうか? 米国をはじめとした白人社会には以前人種差別は散財しますし、近年は行き過ぎたポリコレ(ハリウッドに蔓延しているとも)に辟易している声を出さない人が多勢いるからだと推察されます。 そもそもこんなところに出品しなければいいだけでは?以前韓国映画(が受賞したのは、単なるポリコレに一環だったように思います。
・差別自体は欧米行けば普通に存在するのを感じれますよ。イギリスではすれ違い様にチャイニーズって囁かれたり、アメリカでは後ろから肩押されたり、学食やレストランで何も言ってないのに小盛りにされたり色々です 逆に白人が多い国の割に、オーストラリアの東海岸はやけに日本人にフレンドリーな方が多かったです 街歩いてたら陽気な半袖短パンのおっさんがクロサワ!クロサワ!って話しかけて来てくれて、そこからバーベキューに誘ってくれました(黒澤明監督ありがとう)
・演技もそうだし、脚本、カメラワークとか音響とか衣装とか 差別なんて言えるレベルに達してないのが日本の実写映像制作だろう
そんな中でゴジラマイナスワンがオスカー授賞ってのは快挙だと思うよ
・「ゴジラ-1.0」の視覚効果賞は、凄い快挙だと思います。 長年の映画を見てきましたが、ハリウッドのVFXには日本の映画の予算では、とても勝てないとずっと思っていました。 10分の1の予算で少数精鋭でハリウッドに勝ってしまうとは。 差別発言は、負け犬野遠と大人の対応で良いと思います。悔しいからの発言なんでしょう。
・スパイダーバース主演俳優の「ジブリにアカデミー賞を盗まれた」発言もありました アジア系監督、アジア系俳優主演のエブエブが昨年アカデミー賞7部門受賞したのを面白く思っていない人たちが少なからずいるのでしょう ロバートダウニーJrの行動は「不当に盗まれたものを取り返してやった」的な印象を受けました
・いやいやアニメだけでも充分だよ 日本のガラパゴス化したアニメやJPOPが少しづつ世界に認知されてる 呪術廻戦、葬送のフリーレン、鬼滅の刃、YOASOBI、クリーピーナッツなどワールドビルボードチャートの上位に入ったりジャパンカルチャーが少しづつ浸透してる ただし懸念材料はアニメーターのやりがい搾取のブラック労働 アニメーターは低賃金で長時間労働させられるのは日本の労働社会の悪習だろ いい加減アニメーターにも賃金を還元したり労働環境改善しないと今の日本の人材不足のように人がいなくなるぞ(政治家は労働環境は悪いから人材不足なのがわかってない) 後平等や倫理観は大切だけど 最近はポリコレ運動や放送倫理など海外から圧力をかけられたら日本のアニメの面白さが無くなる それだけは屈してはいけない 過激で見たり見せたくなかったら見なくて良い
・アメリカは格上っぽいけど民度が高くないので格上というは錯覚と思って然るべき。むしろ差別意識を持つ人は見下しても良いレベルかも。それでも見下したりしないのが人の格というものでしょ。 そんな事してるとアカデミー賞の格自体が怪しいと言わざるを得ない。
悪いがアメリカは建国間もない若い民意構造。他を見下し気味でマウントをとる野生により近い段階にある。つまりナメられたら負けと考えるまさにヤンキー的発想の段階に国全体としてある。温かく見守って間違いを正す必要があるとは思う。まあ逆に日本は窮屈な年寄り気味の国家なのかもしれませんが。
どちらにせよ割と若くてハツラツとした良い奴らだとまだ思えてるけど、あまりに礼儀を身につけないならその期待は嫌悪に変わるのもそう遠くない事を知るべき時期なのではないかな? 日本は軽くうっすら密かに彼らに対しマウントをとれる良い民意を皆が持ち合わせている事を誇りに思うべき。
・ロバートダウニーJr.の挙動はかなり違和感のあるものだった。アジア系に対する何だかのネガティブな意識がないと説明するのが難しい酷さ。後撮り?された握手写真も作り笑いの表情がなんとも微妙(笑)。そもそも米国アカデミー賞は白人による白人のための映画祭、というのは周知の事実。アジア人にトロフィーを渡され、思わず拒否反応がポロッと出てしまったのではなかろうか。
・ゴジラというネームバリューを使って偉そうにしてるんじゃないよ 最近は自分で1から作らずに過去のヒット作を使う手法が多くてつまらないです それが許されるのは最初に作った監督だけでは? その人が続編や新説等を発表するわけではなく人の褌で相撲を取って偉そうにするのは何だかなー ドラマも原作者が一所懸命考えてヒットしたのにテレビドラマ化に当たっては脚本家が自分の手柄のように偉そうにする
・ミシェル・ヨーの行為については、本人が説明しているが、 非常に難しい問題をはらんでいる。
プレゼンターこそがトロフィーを受賞者に渡すはず。 だが横に受賞者の親友がいたために、その親友に自分の役を やってもらおうとしたわけだが、 このような発想はなぜ生まれたのか。
その発想は、自分より親友からトロフィーをもらった方が うれしいだろうという忖度からくる。 通常は、これは「公私混同」でありそもそも不適切。 (アカデミー賞授賞式ではそうではないかもしれない)
最大の問題は「自分より親友からの方がうれしいだろう」 と思ってしまうことにある。 なぜそう思ってしまったのか、 それはよくわからない。
しかし、この行為は、いろいろな解釈が可能だから、 大きな波紋を呼び起こす。
これに類することはいろんな場面で起こり得る。 本当にむずかしいことだと思う。
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