( 149997 )  2024/03/17 12:36:53  
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ひろゆきさん「運動をきちんとやった人は、社会人として能力が高い」自説を展開、理由を探る メダリストからも反応

中日スポーツ 3/17(日) 10:39 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/bfa514810aa4d751f0dff8980b11114908fcb4ba

 

( 149998 )  2024/03/17 12:36:53  
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2ちゃんねるの開設者で実業家のひろゆきこと西村博之氏が運動と能力について投稿し、元陸上選手の為末大氏も反応したことが話題になった。

ひろゆき氏は社会人としての能力と運動の関係について考察し、フォロワーからは賛否両論のコメントが寄せられた。

(要約)

( 150000 )  2024/03/17 12:36:53  
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ひろゆきさん 

 

 インターネット掲示板2ちゃんねるの開設者で実業家の「ひろゆき」こと西村博之さん(47)が17日までにX(旧ツイッター)を更新。「運動をきちんとやった人は、社会人として能力が高い人が多い」と投稿し、「体力がある人がきちんとした人になるのか、、なんなんだろ?」と疑問を呈した。これに、世界陸上選手権で銅メダルを獲得した元陸上選手の為末大さんが「足は速いです!」と反応。フォロワーらは「すごい人が降臨してる...」「次元が違う」と盛り上がった。 

 

 ひろゆきさんは、「足が速い、球が速く投げれる、正確に蹴れるとか、社会人は、ほぼ使わない能力」と述べて、「能力が高い人が運動をやるのか、運動をした人はきちんとした人になるのか、体力がある人がきちんとした人になるのか、、なんなんだろ?」とつづった。為末さんが反応すると、ひろゆきさんは「うひょ!」と返信していた。 

 

 フォロワーらは、為末さんの返信に驚きつつ、「結局個人差」「自分の限界と向き合うことを学んだから」「仕事はサバイバル」「検証が必要」などと関係性をめぐって、賛否両論をコメントしていた。 

 

中日スポーツ 

 

 

( 149999 )  2024/03/17 12:36:53  
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(まとめ) 

運動経験がある人は、体力や突破力が備わり、上下関係やチームワークの重要性を理解していることが社会人としての能力向上に繋がるという意見が多く見られました。

また、目標設定や努力の継続、コミュニケーション能力の向上なども運動経験がそのまま社会人能力へと繋がる要因として挙げられていました。

ただし、運動経験が必ずしも全ての人にとってポジティブな結果をもたらすわけではなく、個人差やその後の人生経験も大きな要素となるという意見もありました。

それぞれの人や状況によって適用される可能性があると言えそうです。

( 150001 )  2024/03/17 12:36:53  
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・運動やってた人は、 

・そもそも体力がある 

・部活などで上下関係、チームワーク、礼儀作法などがしっかりしてる 

・試合などの目標に向かって計画的に努力できる 

という社会人として必要な能力が備わってるというのは言えると思います。 

ただ、当然ながら運動経験あっても人間性が欠如してる人は一定数いて、むしろ運動能力が高いが故にちやほやされてヤバイ人間になってるのもそこそこいるという印象です。 

全体としては運動経験はプラスだと思いますが、最終的にはあくまで個人による、というところでしょう。 

 

 

・目標達成能力じゃないかなぁ。 

目標を決めて、練習して試合で成果を出す。 

 

確かに社会人になって速く走らないし、球は投げないけど、それが仕事スキルに変わり、結局、目的を達成するという流れは同じ気がします。 

 

また、スポーツで成功体験があると、自信もつくし、成功体験に当てはめ諦めない精神力にも繋がっていると思います。 

 

 

・スポーツは基本的にコミュニケーションが必要。先輩や後輩、先生や他校の対戦相手等。 

体力とコミュ力、後輩の指導力。ぶっちゃけ大多数の社会人にとって必要な能力はこの3つ。 

いちばん大事なのはモラルとか法令遵守意識とかだけどそれは流石に人それぞれ。 

なのでスポーツをしてきた人は比較的仕事をする能力が高いと思います。 

 

 

・運動能力や身長などアドバンテージがそれ程ないにもかかわらずそれなりの結果を出した人は、 

短期的目標と長期的目標をしっかり設定して、それらを達成するためにやらなければいけない優先順位をしっかり考えて取り組むことが出来る。 

その中で起こるイレギュラーやトラブルに対処していく能力も備わってくる。 

部活などでは上下関係や横のつながりなどのバランス感覚や礼儀も身につく。 

団体競技と個人競技でも多少違う気がする。 

 

 

・規律がある中での先輩や後輩との人間関係の構築、自分の能力を上げるための努力、目標を達成するための努力、あとは挨拶する機会もスポーツをやっている人の方が多いので、礼儀正しさも身に付くと思います。 

 

そしてスポーツで良い結果を出せるようになると、感謝の気持ちも持つようになっていくと感じます。 

 

 

・何事にも体が資本という体力面のアドバンテージ。 

それから、運動をきちんとやる上で必ず必要になってくるチームメートや監督コーチとのコミュニケーション能力と、自分自身で行うトレーニングや技術への仮説実証の繰り返し。運動そのものを使うんではなく、そのスポーツを極めようとする過程で培われる能力が何においても応用可能ということ。 

これは、もちろん運動に限らず何かに夢中になって努力していれば同様の成長は出来るのだがそうしたものの最も分かりやすい括りが運動ということでしょう。 

そして、努力は必ず報われるというのはこうした意味があると思う。正しく努力を行っていれば、その分野での才能に恵まれず大成できなかったとしても必ず次の分野にも生きてくる。それが本当に何にも残らないとすれば自分で考えた努力をしているのではなくやらされていただけ。 

 

 

・大きな怪我や故障なく部活を終えた身としては運動していて良かったと思う。 

自己管理、業務管理や今気、忍耐、節制の習慣ができました。 

体育会系だけでなくきちんと文化系や勉学を修めた人も能力が高いと実感していますが、運動してきたことで基礎体力や集中力がつき怪我のリスクも少なく、馬力があり腰痛肩コリも無縁です。 

若い頃に筋トレをしていると筋細胞が増える。年を取ってから筋トレを再開しても筋細胞が少ない人より筋肉がつきやすくなるというデータもある。 

部活反対で勉強に集中しろという親の反対を押し切ってスポーツをしていて良かった。 

親の言う通りスポーツせず勉強だけだった兄弟は国立一期大卒ですけど、それと比べても有意義な人生を送れている。 

疲労が少なくて効率がよい。 

若い頃の運動は一生の財産ですね。 

 

 

・綿も一時そう感じていた事があります。先ず、顔が違いますもん。 

 

それぞれに皆、努力をしてきた事がその人というものを形成するのに役立ってきているのだと思います。 

運動でなくても、芸術の分野であっても。 

精神を鍛える事にも繋がります。 

ただ、そればかりだと人として何かが欠けてしまう人も。 

 

社会人として優れた人間になるには、そのバランス感覚を持っているかどうかでは。 

 

 

・自分は運動神経ゼロでコミュ障だったので 

運動部には入らなかった。 

同じく運動神経ゼロでコミュ障の息子は、 

何故か陸上部に入ってしまい、 

皆にまともについて行く事が出来ず、 

他の子からやる気ないなら辞めろと言われ、 

大会でもダントツビリを走っていたが 

サボる事はなく、ほぼ皆勤で3年間やり遂げた。 

本人は、辞める勇気がなかったから、 

とか言ってるけど素直に凄いと思う。 

 

 

・社会人としての資質は体力と言っても過言ではない。勿論、社会人としての所作、礼節、仕事の基礎が身体ち染み付いているかや、コミュケーションなど、挙げたらキリがない。 

 

しかし、体力のある人間は強い。簡単にへばらないし、粘り強い。これだけでもかなりのアドバンテージだろう。仕事で時に徹夜しなければならない状況で虚弱体質は明らかに不利。仕事の効率はめちゃくちゃ下がるし、何よりも最後まで持たない。 

 

徹夜続きの環境下はそもそも職場として好ましくないが、それでもいざというとき、この底力は役に立つ。部活の礼儀、礼節も役に立つだろう。顧問、先輩、後輩の理不尽な板挟みも社会に出た時役に立つだろう。 

 

しかし、最後に一番役に立つのは屈強な身体だと思う。これに勝るものが他にあるだろうかと言えるくらい大事なものだ。部活でなくとも、若いうちは身体を使って鍛えていた方が良い。 

 

 

 

・スポーツ特に中高で運動系の部活をやっていた人は、上下関係や周囲との協調性などが鍛えられているから社会人になっても能力が高いと思う。 

また体を動かすことでベースとなる筋肉が発達しているので日常動作でケガも少ないと思う。 

自分は親の教育方針で部活禁止だったが大人になって非常に後悔している。 

周囲の部活経験者は概して社会人としての適応能力が高いと感じる。 

 

 

・何かに真剣に取り組んだ者は何事にも我慢強く誠実に向き合うことが出来る事が多い、と言うことかと思います。特に運動はどんな種目でも自分自身を追い込み鍛錬すると言うことは肉体的にもきつく、精神的にも鍛えられますし。 

逆にちょっとの負荷、辛さでやめがちな方は日常生活でも何事にも継続が出来ず…って事なんだろうと思います。 

 

 

・40の手習いでスポーツを始めましたが、頭が想像する動きを体で表現できない。脳と体のリンクを子供の頃にしてこなかったツケを思い知りました。 

ひろゆきのいう「運動をきちんとやった人」とはそれに加えて目標に向かって努力すること、自分の弱さと向き合うこと、チームスポーツならチームワークなども身についていること多いと想像できます。 

 

 

・社会に出たら、知力も大切ですがやはり何より体力だと感じます。 

やはり体力がある人は仕事が早いし仕事への根気もあるから結局社会人として能力が高い。 

しかしその体力は、大人になって付けるのと子供の頃からスポーツやってるのとは雲泥の差があります。 

今の子供は将来安い外国人労働者と仕事を競わないといけないので、知力、学歴、手に職、そしてやはり何より体力をつけるべきですね。 

そして今の時代、女性が体力を付けないといけないと思います。 

若い女性はこれから結婚を望む女性ほど、男性並みに働き、家事をこなし、出産し子育てしないといけません。 

自衛官の女性が結婚相手として人気なのも分かります。 

 

 

・運動というか、それに伴う体力の問題。 

一般的なレベルの話なら「できる人」というのはアウトプットの量とスピードが物を言う。 

体力があればペースを落とさずにそれなりの量をアウトプットできる点がかなりのアドバンテージになる。 

また体力的に疲れにくければ、精神的な行動力も低下しにくく、仕事後の遊びにもしっかり精を出してリフレッシュしたり自己研鑽の勉強する余力があったりとメリットだらけ。 

 

自分が知ってる社長や成功者でもスポーツやってるやってないに関わらず、体力がなさそうな人は一人もいなかった。 

 

 

・運動部でしたが、理不尽さや「死ぬかもしれない」というような経験をすると、社会人になってからのつらい経験も「あの時と比べたら大した事ない」「別に死ぬわけじゃないし」と受け止められている気はします。 

あと、アウトプットを向上させるためには自ら努力する(勉強とか)、というのが当たり前の習慣になっているのはアドバンテージだと感じています。 

 

 

・近年注目されている「GRIT(やり抜く力)」が備わっている人が多いのではないでしょうか。産まれ持った才能も必要でしょうが、やり抜く力、目標を持ってそこに近づく力(どうなりたい→どうしたらなれる?→やるべきこと)や方法論を身に着けてる人が多いイメージです。 

 

さらにスモールステップを順番に克服してきた経験から小さな目標達成を積み重ねて高みに行ける感覚を論理的にも体感的にも感じてきた方が多いのでは?結果、何に取り組んでも成果が出易いのでしょう。あとは挫折した経験があるのも強みですよね。壁にぶち当たった時の超え方やかわし方も上手そう。苦しいことが常であるという心構えや、計画性、努力、継続、感謝…スポーツに限らず何かの道を極めようと努力した経験のある人は人生において大切なことを色々学んでこられたんだと思います。 

 

私は何もしてこなかったので、何かをひたむきに続けてきた方を大変尊敬しております。 

 

 

・一般論としては、運動をやってきた人って言うのは上下や横の関係の緊密な社会性の高い集団の中で暮らしてきており、社会人としての知識や態度の涵養ができているからと言えなくもないですが、逆に伝統のある体育会系クラブが集団暴行事件やら薬物乱用事件を起こしている例もままあるわけで、そもそもひろゆき氏自身のそれこそ「それはあなたの主観でしょ」って話になりかねないですね。まずは、きちんとした統計をとってエビデンスを示さないとね。 

 

 

・運動をきちんとやったの定義が曖昧だけど、子供のころに運動部ということであれば、部活で監督や先輩との上下関係のある人付き合いや、辛い練習とかにもついて行く忍耐力を身につけられる。 

同期で励まし合ったり、一丸となって目標に向かったりすることもある。 

この点は、吹奏楽とか演劇とかの文化部でも一緒だと思うけど、文化部同好会は、運動部と比してこの点が緩いところが大半だと思う。 

 

運動をしてこなかった=運動部に入らなかった人というのは、こういう経験をせず、気の合う仲間としか付き合ったことがない。 

先輩後輩の関係があったとしても、運動部のように上司と部下くらいの差はなく、同好の士として接する。 

いざ社会に出ると、上司先輩に同じような敬語や態度で接して「俺はお前の友達じゃねえんだよ」と怒られる。 

 

この辺の処世術を既に身につけているかどうかが、差が社会人として出来る出来ないを分けるてるのかもしれない。 

 

 

・運動ができない子は自信を持てないケースが多いと思います。 

自信が持てず消極的になり、自分を伸ばすチャンスを逃しているのだと思います。 

子供の頃は運動能力で立ち位置が決まることが多いと感じます。多様性の時代では少し変わるかもしれません。 

 

 

 

・運動や勉強で結果を出せる人はしっかりと目標を立て、方向性を間違わず努力する癖が付いているので、それが仕事にも通じるんじゃないでしょうか。 

昔、人事をやっていましたが(結構ガチめに)筋トレをやってる人は仕事の能力が高い人が多かったですね。 

自己管理が出来る=仕事が出来る、だと思います。 

 

 

・緊張を乗り越えてこそ人は成長する。運動してきた子は「試合」という形で幾度となく緊張を経験してきた経験値が間違いなく人間形成にプラスになってる。それは運動に限らず、ピアノやダンスの発表会でも同じ。もちろん経験値は色々なことを経験するのが大事で軍団みたいに寮に箱詰めでそれしかさせない運動バカもだめ。色々な事を経験すること、人に会うこと。運動はその1つであって、運動すりゃ良いってわけじゃない。 

 

 

・上下関係を含め協調性がある、根性がある、理不尽なことに出会っても心が折れにくいなどが理由かと。いずれも最近は逆にネガティヴにとらえられがちな力ですが、結局社会では必要な能力ということだと思います。 

 

 

・結果論ですね。 

例えば運動が能力ない大学教授もいるし、運動能力があっても社会人として???のスポーツ選手もいるでしょう。勿論、両方兼ね備えた人もいる(文武両道の同級生がいて羨ましかったなぁ) 

要は仕事でもプライベートなことでもどれだけ真剣に取り組むかだと思って現役時代を過ごしてかました。それで十分満足して余生を送ってます。 

 

 

・運動をするには準備をしたりルールを覚えたりある程度の努力しないといけないし、限られたリソースの中で結果を出すには無駄な事をしてる暇はない。正しい努力と無駄な努力もわかってくる。 

 

それに体力があると回復力も高く、集中力もある。そういった点じゃないですかね。 

 

 

・結局、仕事できる人は体育会系が多い。筋肉脳ではなく、上司の言う事をしっかり聞く能力、嫌なことでも進んで取り組む能力、失敗しても諦めずに何度でもチャレンジする能力が身についているように感じる。 

 

 

・実際、東大生は意外と運動能力も高い人は多いけど、別に社会人としての 

能力が高くて運動能力が低い人もいるし、相関は別にないと思うよ。 

 

逆に、運動部で「自分が運動をきちんとやった人」を自覚しすぎている人は、 

運動部的な上下関係を絶対視して周囲に強要したり、 

男性の方が女性より(身体的に)優れている、みたいな価値観を 

押し付けたりして、やりづらい人が多い。 

 

 

・運動をきちんとやった人(やり遂げた人)は、その成果ではなくて、途中でやめたくなったり誘惑に負けそうになったりしてもそこを我慢してやり続けることで忍耐力が鍛えられる、一度決めたことをやり遂げる意志の強さが鍛えられるっていうことじゃないかな。 

 

 

・体を動かすことで脳が鍛えられる部分はあると思います。一時流行った右脳左脳のような。 

その鍛えられた部分が仕事面にも役に立つのかもしれないと考えていました。 

社会人でも、ジムに通って体を動かすようになって仕事も捗るようになったという話も聞きますし。 

 

 

・確固たる信念があれば別でしょうけど。 

何となく始めたものでも、クラブ活動や部活では『頑張る』とか『負けない』とか『周りを見てフォローする』とか『自分のできることをする』かやるようになるからじゃない?だから周りと同じように普通に仕事を始めるときもそんなことが当たり前になってるんじゃないかな。面倒くさいとかそんな気持ちでやらなかった人は仕事でも同じでしょうから。 

 

 

 

・記事のタイトルも悪いけれど、 

「運動をきちんとやった人は、社会人として能力が高い人が多い」 

と言っているのに、プロ野球の誰それは薬物で捕まった、格闘技の誰それは恐喝や暴行で捕まったのにと 

少数を切り取って否定したがる人がいる。 

僕もどちらかといえばそのタイプで、 

100m走も辛うじて10秒台の運動オンチ。 

身を持って体感しているので、個人的にはこの意見に賛成。 

 

 

・研究者です。 

 

こういう「それっぽいことを言う」って人嫌い。 

 

当たっているかもしれないが、何の根拠もなく当たっても、 

単なる占い師と同じレベル。 

 

どんな未知のことだって、どんなに素人だって多くの人間が予想すれば 

中には当たる人もいる。 

だが、そんな的中になんの意味があるのさ? 

 

確認の取れている論理を積み上げ、他に矛盾すっ論理がないかを調べ上げ、 

そうした作業のあとで得られる結論こそ科学と言うもの。 

 

 

・運動やっていたというか、部活に入っていたことが大きいかも? 

コミュ力とチームで問題を解決する力、そして多少の理不尽も受け止められる精神力。 

組織やチームで動くことは社会に出たら、よほど突出した人間でない限り、ほとんどの人が求められることだと思うので。 

 

 

・運動もその一つだけども 

目標を定めて努力したり、人とコミュニケーションをとったりね 

社会で活きる能力って多岐に渡るからな 

ぶっちゃけ遊ぶ事でさえ、好きこそものの上手でさ 

 

 

・体力云々よりも昔で言う所の気合いと根性の部分が大きく作用してる気がする。 

真面目に部活で限界まで運動した人は粘り強く物事に取り組めるんじゃないか? 

まぁ文系の人がダメとかでは無く、上手くいかない人間関係で精神的に強みがあるような気がする。 

 

 

・目標から逆算して、目標達成には何が必要か考えて地味なことでもしんどいことでも毎日こなしていくという視点が身につくから仕事にも活かせるんだと思う。 

 

 

・因果が逆でしょ。 

スポーツにのめり込む様な共感性と集団性、そして男性ホルモン値が高い、攻撃的な人間がその特性故に、競争社会でも役に立つ場面が多いんでしょ。 

「やった」から役に立つんでなく、「やれる」から役に立つんだよ。 

俺も子供の頃はスポーツをやらされたってツマラナくて身につかんかったし、親密な友達付き合いも少なかったさ。 

「スポーツ楽しいでしょ?」と言われても全く理解も共感も出来なかったしね。 

それでも、そういう集団性や共感性からいささか離れた所で、個人もしくは少数で、一つのことを狭く探求して食っていける道を見つけたんだから、人間必要なのは、自身の特性を理解して、自身に合った道を見つけることだろうさ。 

 

 

・よくも悪くもバイタリティがある、というだけの話で、それがプラスに振れれば優秀な社会人になるが、マイナスに振れるとならず者となる。 

私個人のイメージとしては、後者の印象のほうが強いかな。スポーツに時間を費やした分、頭脳は疎かになっているのでそれは当然とも言える。 

 

 

・目標達成と合わせて 

「人の話を聞く」 

「自分の意見を言う」 

「結果が大事」 

の全てを知ってます。 

 

大体本当に一人で運動をしません。  

コーチとか他の選手の意見を「聞く。」 

そして自分に合わせてこうした、こうすると「意見を言う」 

でも、最後は「結果」。努力量よりメダルの色のが大事と知ってます。 

 

仕事もそう。 

上司の意見を聞きながら自分の意見を出す。 

でも結局、売上高な利率を上げたのが一番エライんです。 

 

 

・「自分と向き合う時間が増える」からじゃないかなあ。 

 

勉強もガチ本気で頂点を目指したひとは同じだと思うよ。 

 

自分に何が足りないのか、日々、自問自答することで成長してるのだと思う。 

 

 

 

・まぁ運動しないという人という、逆を考えたら分かりやすいかも。 

帰宅部とかほとんど何もしない文系部活などに所属していた人は、運動や部活などが面倒くさい、水泳やサッカー、野球教室、剣道、柔道など続かない、そもそもやろうとしなかったなど、新しいことをしようとしない怠惰な人間がおおい。不健康で体型もだらしなく、不健康で堕落した人生を送ることになる。 

 

そうした人は統計的に仕事が出来ないというのは当然かもしれない。 

 

 

・運動、というか野球かな。 

社会(会社)って野球そのものなんですよ。指揮を取る監督がいて、役割分担と序列があって、同じことをやってる他のチームに勝つために努力する。 

狙い通りのコースに投げることができればストライクが取れるし劣勢でも最終回で一撃決めれば逆転できる。 

スタンドプレーが許されるサッカーやバスケ、個人競技出身者は野球経験者ほどは目立った活躍はしないです。 

 

 

・これまでの社会が運動部、軍隊式が好きな人達に合わせた社会なんだから、その人達が生きやすい社会なのは当然だと思う。今の社会で生きやすい人と、人間性は別物だと思う。人格が素晴らしいとは限らないし、良い社会になってると思えない 

 

 

・何かの結果の有無というより、目標を定めて努力できる・できた人は、仕事をさせても、それなりの結果を出せる・努力できる能力があると思います。 

 

 

・全部が正しいとは思わないが、一理はある気がする。 

 

ちゃんとスポーツやってた人って、なんか上下関係しっかりしてて、それなりのコミュニケーションが取れるから好感度は高い。 

 

逆に、適当にスポーツしてたやつは、なんか空気読めないやつや無礼なやつが多い印象。 

 

 

・能力はわからんが就職に有利になる。 

その変わり会社のスポーツ部で活動しないといけない。 

仕事は半日、運動半日の2刀流で疲れるわ。 

だから大谷選手を尊敬してるんだわ。 

 

 

・昔は、体育教師は体罰当たり前だった。 

運動部の人は、ここまでは良いけどこれ以上やったら殴られるなって境界線を見極めた。それまでに何回も殴られていたりするが。 

帰宅部の人は、境界線を平気で越えて殴られていた。 

悪く言うと人の顔色伺うみたいな感じがするが、普通に出来ていたな。 

今じゃ有り得ないだろう話だが。 

 

 

・「運動をきちんとやった人は、社会人として能力が高い」 

 

いつもの論点ずらしお疲れ様です。 

因果関係が逆転しています。 

運動をきちんとやった人ではなく、 

社会人としての能力の高い人は、運動もできる人が多いだけです。 

 

 

・過去形でもなく、現在運動している人にも共通のする。ジョギングが趣味な人、筋トレが趣味な人、社会人野球をする人。共通してエネルギッシュ。熱い。行動力がある。 

ゴルファーは何故か例外。 

 

酒飲んで、タバコ吸って、仕事して、の人は怠惰な生活を送っている。 

 

 

・運動をきちっとやった人というか、強い運動部に所属した事がある人は割と日本的組織の中での立ち回りが上手だという事はあるかもね。スポーツの強豪チームは殆どが所謂「体育会系」のノリだからね。 

 

 

 

・そもそも「きちんとやった人」ってのが少なくて、運動部と言ってもどこかのマンモス大のアメフト部みたいな連中の方が多いと思うけどね。しかもいまは学校の運動部活動が衰退してるから、ひろゆきの時代の理屈は当てはまらないだろうね。 

 

 

・アセスメントは不可能ですが、多くの人は自分の周囲を見渡してみて共感すると思います。 

もちろん、振れ幅は大きいと思いますが、感覚的な中央値には差を感じます。 

きっと反論の数もすごいのでしょうね。 

 

 

・スポーツやってたから仕事できるわけではない。 

 

プロにならないならスポーツ自体はただの遊び。 

社会性はバイトでも身につけられる 

 

単純にスポーツ続けられた人は動作性IQが高いのだろう。だから仕事もできる。 

 

仕事で使うのは言語性ではなく動作性IQだからね 

 

 

・体力がある事は仕事をこなす上で大前提ですが、 

スポーツより勉強ばかりして立派な地位に居る人の方が多い気がしますよね。 

 

 

・運動をきちんとやった人は、社会人として能力が高い 

→ これは概ね正しい 

運動を強制的にやらされた人は結果が出ていたとしても、社会人として能力は怪しいし、パワハラの可能性がある 

→ これも正しいと考えます 

 

しかし、運動に限らず 

勉強をきちんとやった人は、社会人として能力が高い 

勉強を強制的にやらされた人は結果が出ていたとしても、社会人として能力は怪しいし、パワハラの可能性がある 

 

って事ですよ 

 

 

・採用選考する側からすると「目標を達成するために計画的に努力ができた実績がある人物」という点が評価プラスになります。 

 

 

・幕末に活躍した英傑達は剣術の達人が多いですよね。身体と社会的なことはある程度は関係があると思います。 

 

 

・一見関係ありそうに思うが、関係ないでしょ。 

理不尽な思いをしたから、社会人になってもがんばれたという人が結構いるが、学生時代の努力が無駄ではなかったと思いたいだけだろ。 

 

 

・体育会系の人は上下関係をしっかりわきまえてますね 

私は入社当時、先輩にタメ口きいて怒られましたが、今では後輩や部下たちに敬語で接してます 

 

 

・それはこの人の考えであって、それが全てでも真実でもない。 

いい加減こいつに関わる奴等は気付くべき、個人の考えをもっともらしいようにしか物言ってないことにw 

これに気付かない奴等は読解力や理解力、洞察力に欠けている。 

 

 

 

・それはこの人の考えであって、それが全てでも真実でもない。 

いい加減こいつに関わる奴等は気付くべき、個人の考えをもっともらしいようにしか物言ってないことにw 

これに気付かない奴等は読解力や理解力、洞察力に欠けている。 

 

 

・体力面はもちろん、上下関係や礼儀正しさ厳しく叩き込まれるからね。 

しかし例外もいる、10人が10人全員そうという訳じゃない。 

 

 

・社会人としての能力が何を指しているかによるでしょ。ひろゆきそもそもサラリーマンなんてロクにやってないし、まあ雇う側の立場で従順で扱いやすいって意味なら理解できるけども。 

 

 

・礼儀とか、先輩を立てるとか、そういうところですよね 

 

あとはスポーツの向上の為の真剣な努力 

 

 

・「運動をきちんとやった人=体力、運動能力」にしか頭が行かないって単純すぎるやろ?w 

社会人に必要なのは他にも、自己管理力や限界まで追い込める精神力、忍耐力、(部活・体育会で培った)人間関係、上下関係、調整力、その他・・・。 

メディアや応援団が褒めそやす「論破王」ってこの程度なん? 

 

 

・清原とか居るからなぁ。 

炎上すると思うけど、個人的感想では小さい頃からスポーツやってた人は、あまり頭が良い人が少ない感じに思う。 

 

 

・そもそも「きちんとした人」の定義が人それぞれであいまい。 

あいまいを我田引水に議論展開するのは、ご飯論法と共にひろゆきの得意とするところ。 

いわゆる頭の悪い人は、見抜けない。釣られる。 

 

 

・運動はよくわからんが仕事は体力がないと出来ないな。 

若いときは分からなかったけど年取ると本当にそう思う。 

 

 

・そんなの、生きてりゃ自然に学んでいくだろ。本人の資質だよ。スポーツやってたって大麻使用や、イジメがあるじゃないか。どうでも良い話題でつまらない。 

 

 

・”脳を鍛えるには運動しかない”運動は前頭葉を鍛える。 

運動脳。科学的に証明されてます。 

 

文武両道はそこから来ているのかなと。 

 

 

 

・”脳を鍛えるには運動しかない”運動は前頭葉を鍛える。 

運動脳。科学的に証明されてます。 

 

文武両道はそこから来ているのかなと。 

 

 

・アメリカでも運動やトレーニングをしてる人は自己管理ができる人の判断基準になってる。 

 

 

・上下関係を理解している 

その中での理不尽さにも耐性がある 

不満で内に籠らず消化できる 

 

 

・そうかね?オリンピックに出場という究極の運動能力を持った人でもテキトーな仕事している人がいますからね。 

 

 

・今流行りのHSPって子供時代に運動で神経系が鍛えられていないのも原因ではないかな? 

 

 

・理不尽に耐えられた人は 社会に出ても強いです。そもそも世界は理不尽であることをわかっているから 

 

 

・メンタルが安定している 

単調なルーティンを目標に合わせてこなす事が出来る 

 

 

・運動をすると、メンタルが安定する。すると、仕事も良い仕事ができる。 

 

 

・運動でもチームスポーツの試合に出てる人だね 

個人スポーツはワガママな人いるし 

万年補欠はチームプレーしたコトないから 

 

 

・運動をきちんとやった以上の頂点を極めた人でも社会ではお縄になってる人もたくさんいる。 

 

 

 

・私の育った時代や地域柄かもしれませんが、足の速い奴は、ツッパリが多くてヤクザになった奴もいます。 

 

 

・体育会系の人は忍耐強く体力もあって、メンタルも鍛えられているからなのでは。 

 

 

・運動をきちんとやった人にも自己中や上下関係に厳しいだけの輩は一定数いる 

 

 

・相関関係であって因果関係ではないやつ。 

アイスクリームが売れると溺死が増えるやつと同じ。 

 

 

・まあ、ちゃんと運動した人って【努力】ができる人だから能力高いじゃない? 

 

 

・体力があって、我慢強さも鍛えられてるはずだからね。 

 

 

・もう痛い言説しか出せなくなってて可哀想だな。誰か止めてあげる人が周りにおらんの? 

 

 

・「運動をきちんとやった人は、社会人として能力が高い」 

↑ 

それって何かデータとかあるんですか? 

 

 

・でも、ブラック過ぎる人間も多い。 

タバコ吸ってる中途半端な人も多い。 

 

 

・きちんとやって、今もやっている人がスゴいのである、今ブクブク太った元体育会系は全然だみ 

 

 

 

 
 

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