( 150085 )  2024/03/17 14:22:57  
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受験情報を発信し続けるじゅそうけん。Xを運用する伊藤さんの半生とは(写真: しの / PIXTA) 

 

浪人という選択を取る人が20年前と比べて1/2になっている現在。「浪人してでもこういう大学に行きたい」という人が減っている中で、浪人はどう人を変えるのでしょうか? また、浪人したことによってどんなことが起こるのでしょうか?  自身も9年の浪人生活を経て早稲田大学に合格した経験のある濱井正吾氏が、いろんな浪人経験者にインタビューをし、その道を選んでよかったことや頑張れた理由などを追求していきます。 

今回は1浪して早稲田大学社会科学部に進学後、仮面浪人を決意するも失敗。そのまま早稲田に通い続け、浪人時代にはまっていた学歴研究をX(旧・Twitter)で発信したところ注目が集まった、現在フォロワー数約9万人のXアカウント「じゅそうけん」を運用する学歴研究家、伊藤滉一郎(こういちろう)さんに話を伺いました。 

 

【写真】現在Xで「じゅそうけん」を運営、受験情報を発信し続ける伊藤滉一郎さん 

 

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■Xで受験情報を発信し続ける 

 

 大学受験生や、受験生の子どもを持つ親御さんの中には、「じゅそうけん」というXのアカウントを知っている方もいるのではないでしょうか。 

 

 「受験総合研究所」を略したこのアカウントは、学歴や大学受験に関する解像度の高い情報を発信し続け、フォロワー数は約9万人に到達しました。 

 

 多くの受験生や、大学生、サラリーマンに人気を博しているこのアカウントを運営しているのは、早稲田大学卒の伊藤滉一郎(こういちろう)さんです。 

 

 このアカウントを運営する彼も実は、浪人・仮面浪人を経験していました。 

 

 彼は言います。いまのこの発信ができているのも「浪人期間のおかげです」と。 

 

 今回は、「じゅそうけん」のルーツとなった彼の浪人生活に迫っていきます。 

 

 伊藤さんは、愛知県岡崎市にトヨタ自動車に勤める父と母の元に生まれました。 

 

 「父親は京大を出た総合職で、出張で忙しく、子どもの教育にもあまり干渉しない人でした。母親は地元の女子大を卒業後、一般職として働いており、子どもに理想を押し付ける感じでもなく、自由な環境で育ててもらいました」 

 

 

 放任主義の子育て方針もあり、伊藤さんは塾には行かず、外で駆け回っていた幼少期だったようです。しかし、幼稚園が終わるタイミングで彼に転機が訪れます。 

 

 「父がMBAを取得するため、アメリカの大学院に留学することになったんです。学校が9月スタートだったので、小学校に上がる半年前から小学2年生の途中まで、アメリカですごしました」 

 

 英語は苦戦したものの、現地の授業では算数がとても簡単だったこともあり、学校の成績は悪くなかったそうです。 

 

 「学校に机がなくて、授業中に出て行く子もいる、自由な校風でした。国籍はブラジル人・ヨーロッパ人・韓国人など多様で、授業も当時日本では珍しかった、討論やグループ活動中心のアクティブラーニングでした。そうした環境を2年経験したことが、いまの『つねに常識を疑う』スタンスにつながっていると思います」 

 

■愛知を離れ、東京に出たいと思った 

 

 多感な幼少期を海外ですごした彼は、日本の小学校に帰ってきてから「みんな机に座って何も言わずに、当たり前のように授業を聞いていたこと」に驚いたそうです。 

 

 日本でも、小学校ではつねにクラスで1~2位の成績をキープ。中学校に上がるタイミングで父親がトヨタ本社の近くに家を建てたため、引っ越しして、豊田市の公立中学校に進学します。進学後も、250人の中でトップ5には入れないものの、上位の成績をキープした伊藤さん。 

 

 地元では、「この環境から名古屋大学や名古屋工業大学に入り、名古屋の一流企業に行くのがエリートコース」だったそうです。 

 

 生活するうえで、何も困ることはない環境でしたが、当時から伊藤さんは「もっと広い世界を見たい」と考え、この街を出ようと思っていました。 

 

 大学で東京に出ることを決意した伊藤さんは、高校受験を決意します。ところが、内申点が足りず、三河地方トップの岡崎高等学校などの進学校の受験は断念せざるをえませんでした。その結果、彼は最終的に偏差値65ほどの私立高校に進学します。 

 

 高校に進学した伊藤さんは、自分が通っていた学校について「みんなと話が合い、居心地がよかった」と話します。 

 

 成績は文系・理系合わせて上位2割だったそうですが、理科が苦手だったので文系コースを選んだところ、上位1割の成績になったそうです。高校2年生の秋からは部活もせず、第一志望群を一橋大学、東京外国語大学、早慶の上位学部に設定して、日々熱心に勉強を続けていました。 

 

 

 「東大は科目数が増えるので、現役での進学は難しいかなと思いました。優先度的には東京に行くほうが上だったので、消去法で一橋にして、早慶にも入れればいいかなという感じでしたね」 

 

 高2、高3の模試では、一橋大は厳しく、東京外大や早慶であればギリギリ手が届くかもしれないという成績だったそうです。名古屋大など地方の旧帝大も狙える位置にはいましたが、東京に行きたかった伊藤さんは首都圏の大学に絞りました。 

 

 地元の名古屋大を目指す人が多い中、こうした思い切った選択を取れたのは、今の彼を形作る”あるSNS”を始めたことも大きいようです。 

 

 「高校2年生のときにTwitterを始めたんです。そこで『受験界隈』があることを知って、さまざまな投稿を眺めていました。衝撃でしたね。今まで、地方の秀才である周囲の同級生のサンプルしか知らなかったのですが、東大模試でA判定や、全国順位1桁の点数の模試結果をSNSに載せて『微妙やったわ~』と言う、灘生や開成生を見てしまったんです。それ以来、休日に7~8時間は勉強していたのですが、日本トップランカーのツイートが面白すぎて勉強の合間にずっと見るようになりました。それが、自分のTwitter人生の原点です」 

 

 いまXで約9万人のフォロワーを誇る彼の原点は、高校時代にあったのです。 

 

■彼の人生を変えたSNSの”受験界隈” 

 

 こうして当時はまだ珍しかったSNSを駆使し、全国のライバルの動向を見ながら勉強を続けた伊藤さんは、センター試験で8割を確保。名古屋大なら射程圏内でしたが、一橋大を受けるには物足りない点数でした。 

 

 結局、念願だった東京の大学からは1つも合格をもらえず、かろうじて同志社大学の法学部に合格し、現役時の受験を終えます。彼はここで、同志社大には進まずに浪人を決断します。 

 

 その理由は「Twitterの”受験界隈”を見ていたから」だったそうです。 

 

 「早稲田に受かったら行っていたと思うのですが、ネットの世界で強者をたくさん見ていたので、単純に自分の知らないもっと上の世界を見たいと思ったんです。それで、浪人の1年間は河合塾に通うことに決めました」 

 

 彼は1浪の生活も、現役と同じく東京の有名大学を志望し、難関大を狙うクラスに入ります。「教育機関に通うのが人生で初めてだった」と語る彼は、予備校の授業に感激し、勉強にも精を出すようになります。 

 

 

 「プロの授業を初めて受けて、こんなに教えるのがうまいんだと感動しました。ずっとネットで収集した情報を生かして、自己流で勉強していたのですが、塾の先生を信頼して、朝早く起きて予備校に行き、21時くらいまで自習して帰る生活を送りました。もちろん、この1年間も、2ちゃんねるの『大学受験サロン板』と、Twitterの『浪人界隈』はチェックしていました(笑)」 

 

 「友達がたくさんできた」と語る有意義な浪人生活を送った彼は、判定も志望大学群は軒並みA~B判定が並ぶようになりました。 

 

 この結果に自信を持った彼は、現役時と同じ大学・学部を受験することにします。しかし、センター試験は82%といまひとつの結果に終わり、結局当初目標にしていた志望校には手が届きませんでした。 

 

 この年も一橋に加えて「早慶の中でも行きたかった」という慶応の経済学部、早稲田の法学部にも落ちた伊藤さん。とはいえ、現役で目標にしていた早稲田の社会科学部からは合格をもらい、そのまま入学することにしました。 

 

 しかし、彼の受験勉強はまだ終わりませんでした。 

 

■憧れの東京での鬱屈とした日々 

 

 憧れの東京に行き、入りたかった早稲田での学生生活をスタートさせた伊藤さんを襲ったのは、鬱屈とした日々でした。 

 

 「テニスサークルに入って、7月までは大学に通いましたが、夏ぐらいにしんどくなってサークルにも、学校にも行けなくなりました。僕の周囲にいた内部生や推薦入学生は入学前にすでに友達の輪ができて、大学生活を楽しんでいました。 

 

 でも、自分は浪人までしてガリ勉をして彼らと同じ大学に入ったのに、友達がいなくて、学校でも馴染めない。だから、彼らの様子を見てより精神的に落ち込みましたね。彼らが悪いわけではないのですが、当時の自分にとっては人生で1、2を争うつらい時期でした」 

 

 その状態からなんとか脱しようと思った彼は、夏休みに2ちゃんねるの「大学受験サロン板」で学歴に関する議論をたくさん見て、「もっと自分はやれたんじゃないか」という感情が湧き上がったことで、「東大か一橋に行こう」と決心。塾のバイトに週4回通いながら、仮面浪人をする決意をします。 

 

 「秋学期は語学と必修しか授業を取っていなかったので、空いた時間を図書館での勉強と、塾のバイトでのアウトプットに捧げました。そうした日々を続けたおかげで、11月のセンター試験の模試では780/900点を取れたので、一橋や東大の文科Ⅲ類を狙えるかもしれないと思いました」 

 

 

 
 

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