( 150347 ) 2024/03/18 13:38:09 2 00 島根から百貨店が消えた日 65年の歴史に幕 一畑百貨店閉店で地元の嘆き 百貨店「ゼロ県」に産経新聞 3/18(月) 7:00 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/9f8335d8e57e49fa101d907b0482217397e3d829 |
( 150350 ) 2024/03/18 13:38:09 0 00 一畑百貨店の閉店で百貨店がなくなる島根県。百貨店空白県は3県目となる
地元から百貨店が消えていく-。今年1月、島根県内唯一のデパート、一畑百貨店(松江市)が65年の歴史に幕を下ろし、県内からは百貨店がなくなった。全国で百貨店が存在しない都道府県は山形県、徳島県に続き3県目だが、7月には岐阜県からも消える。百貨店といえば少しおしゃれして出かける買い物の場だが、地方都市からはそうした場所が失われつつあるのが実情だ。
【写真】一畑百貨店の歩みを振り返るパネル展。懐かしそうに写真を撮影する買い物客らもいた
■「ありがとう」「忘れないよ」
「本日、一畑百貨店は閉店しますが、皆さまの心の中に残ることができるならば、われわれとしてはこれ以上の喜びはありません」
1月14日午後6時半過ぎ、JR松江駅前の店舗前で開かれた閉店セレモニーで、最後の営業を終えた錦織要社長は、集まった約400人の市民らにこうあいさつした。
錦織社長は一畑百貨店は昭和・平成・令和と3つの時代を駆け抜けてきたと述べ、「百貨店という存在は、単なる商業施設というだけでなく、文化・情報の発信地として、時代をリードする機能として、地域の発展に微力ながら貢献できたのではないかと思っています」とその65年の歴史を振り返った。
最後に、40年以上一畑百貨店一筋という井上智弘専務(当時)が「ただいまを持ちまして、一畑百貨店は閉店いたします。長い間ありがとうございました」と声を詰まらせながら閉店を告げると、市民らから「ありがとう」「忘れないよ」などの感謝の言葉と大きな拍手が。従業員らが頭を下げる中、店のシャッターがゆっくりと閉まった。
■市民のあこがれ
一畑百貨店は昭和33年に松江市内初の本格的デパートとして県庁近くの同市殿町に開業、平成10年に現在のJR松江駅前に移転した。ピークの14年3月期には108億円の売上高を記録している。
年末に同店を訪れた松江市の会社員男性(50)は「子供のころは、殿町の店の屋上にあった小さな遊園地のようなスペースで、乗り物に乗った思い出がある。親に少しいい服を着せてもらって連れて行ってもらい、オシャレで楽しい場所だった」という。
市内の高校1年の女子生徒(16)も「小中高校と、入学の時にいつも制服を買ってもらうのが一畑だった。大人に近づいていくような気持ちをもらえた」と話す。
しかし、市内に出店した大型ショッピングモールやインターネット通販の拡大、新型コロナウイルス禍などの影響もあり、売り上げは減少。ピーク時の4割ほどに落ち込んだ。新たな有力テナントの誘致も難航したため、営業継続を断念、昨年6月に閉店を発表した。
市内の会社員女性(41)は「食品や日用品はスーパーで買うし、子供たちの服も値段や選択肢の多さからネット通販で購入する。特別に一畑で買う必要性はなくなってきた」と明かす。
■厳しい地方百貨店
日本百貨店協会の資料によると、東京23区や大阪市など10大都市を除く地方都市の百貨店の数は平成18年には182店舗あったのが、令和元年には127店舗に。その後も減少傾向で、今は110前後にまで減るなど苦境が続く。7月にも岐阜県の高島屋岐阜店が閉店予定で、全国で百貨店のない県は4つとなる。また、百貨店が1つしかない都道府県は10以上あり、新たな百貨店空白県が生まれることも危惧されている。
一方で経済産業省が3年に開いた百貨店研究会の報告書では百貨店を「地域社会との連携・社会的課題解決に向けた重要プレイヤー」と位置づけ、地域経済への貢献の可能性も指摘された。
長らく島根で暮らしてきた無職男性(75)は「一畑ができたころは、県内にも活気があった。美術展や各地の特産品展など、一畑で初めて目にするものも多かった。直接目で見て買い物をして、都会の雰囲気を知る喜びがなくなるのはさみしい」と惜しんだ。(藤原由梨)
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( 150349 ) 2024/03/18 13:38:09 1 00 (まとめ) 日本全国で百貨店が閉店する時代が到来しており、多くの人にとっては百貨店が生活スタイルにそぐわなくなっているとの意見が多い。 | ( 150351 ) 2024/03/18 13:38:09 0 00 ・全国の中核市や政令指定都市にある百貨店も閉店する時代だから、多くの人にとっては業態自体が今の生活スタイルのそぐわないということだろう。 余程、格式にこだわるような客層は別としても、今はそこそこのもので十分だという価値観の買物が主流でしょうし百貨店へ足を運びたいとはならないではないかな。 百貨店へ思い入れやノスタルジックに浸れる世代からすれば寂しいことだけど、かつての百貨店の立場は今は今でモールが継いでいるかと思う。
・近くにイオンがある。残念ながらイオンのほうが賑わっていた。百貨店の客というと、常連っぽい高齢者と、他から出張で来たビジネスマンといったところ。 客が来なければ閉店は仕方ない。 残念なのは松江駅というターミナル駅で買い物ができる施設が無くなったこと。車がないと買い物できない構造の街づくりというのは、高齢者・女性・学生にとっては厳しい。 自動車用の道路を作ることが街づくりなのだという思想は改める必要がある。
・百貨店の存在しない県が3県もあるんですね。百貨店が一つしかない県も10箇所以上もあるということだし、全国的にも百貨店は100ちょっとあるぐらいとのことで、百貨店の全盛期を知る者としては淋しいかぎりです。 昭和の頃には週末には家族で百貨店へ行くという家庭は多かったし、昔はお中元やお歳暮のやりとりも盛んだったので、百貨店へ行く機会も多かったです。 ただでさえ斜陽産業なのに、地方だけの百貨店だったら尚のこと経営は厳しかったろうと思います。もうこれから先は全国展開しているような大手百貨店しか生き残っていかれないのだろうかと思います。
・消える4県のうち岐阜を除けば近くにデパートがない完全な空白地域になる感じだ。デパートが無くても困らないと言ってしまえばそれまでだが、やはり消える事は地元経済やその土地の魅力という面でもボディーブローのように効いて来る気がする。 特に島根は何処に行くのだろう。広島か岡山か。山形が仙台に、徳島が大阪に比較的行きやすいのに比べるとハンディがありそうだ。 名前からすると地場の百貨店だったようだが、やはり資金力などで踏ん張れなかったのか。そうは言っても大手でも事情は似たようなもので東京近郊でも不採算店はバシバシ閉店の憂き目に遭っている。ただ、そうは言っても一つもないというのは島根の人にとっては寂しいだろう。
・特に用事もないのによく出掛けた「そごう神戸店」。大食堂で食べた「お子様ランチ」。屋上の遊園地で遊んで少しだけでしたけど地下食料品売り場で買ってもらったお菓子。これらの思い出がある。子供の頃はそれだけで楽しかった。その「そごう」は「阪急」に代わったからまだ良い方かもしれない。地方のデパート経営が厳しいと言われているがその代わりがショッピングモールになったのかと思います。身の丈に合ったお店が沢山あるショッピングモールに最近は家族でよく出掛けている様に思えます。
・昭和の老舗の店舗が閉店になると言って、感傷的な報道がしょっちゅうなされるが、ではここ数年地元の人たちは、この店舗の採算が成り立つような購買行動を起こしていたのか?答えはノーである。散々、多様な消費行動を謳歌した挙句、まったく無責任な話である。時代の変遷、資本主義経済の宿命に対し、無責任な人間の感情は持つべきではない。こんな話に国や行政がまさか?踊らされることはないでしょうね?それら前提として、買い物弱者問題や限界集落の問題を論じないといけないし、そこから波及して大規模自然災害の問題にも対峙しないといけない。
・国土交通省が発行している市町村人口規模別立地確率によると、百貨店は市町村人口が27万5000人で80%、22万5000人で約50%となっています。 松江市の人口は最新の国勢調査では20万3000人となっており、この確率でいうと既に50%を割込み、立地や維持が難しい地域になっています。なお、鳥取県米子市や鳥取市には百貨店があり、米子市まで出向いて買物をしていると聞きます。今後もこのように人口減少で商園が広域化することは避けられ無いということになり、また山陰に限らず、今後は県同士の合併も視野に入る程に人口減少が激しい地域も今後は出てくると思います
・福岡市の郊外に住んでいます。買物は専ら近隣のスーパーやショッピングモールで、福岡市中心部のデパートにはよほどの用事がない限り行かなくなりました。それは、遠いし駐車場が有料である事、デパート自体がショッピングモールにサテライトショップを設置している事などからでしょうか。この40年ほどで市民の生活様式も変わってしまいましたし、デパートが減って行くのは時代の流れでしょうかね。
・岐阜県の場合は名古屋に近いから、事情は大分違うと思う。 田舎で、百貨店の店舗は閉店したが、別の百貨店が外商専門の営業拠点を構えたりしている。 田舎では多数の中間層の来店はむずかしいとおもう。人口自体も減少しているし、そもそも日本の中間層事態も減少傾向だ。大きな店舗の維持は厳しい。とはいえ田舎にも金持ちが少ないながらもいて、それこそ百貨店のブランドが求められたりしている。本当の田舎では外商すら成り立たないし外商すら成り立たないほどに今後衰退していくところも数多いだろうが、そこそこの地方都市だと百貨店は、店舗はやめて外商で続けるというスタイルが、今後しばらくは中心になるのでは無いかと思う。
・この流れは今後止められないのかなと思う。 食品や日用品以外はネットが主流になりつつある以上、イオンモールのような大企業が主体でない限り、地方で百貨店が生き残るのは難しいし、ネットで買い物をすることが当たり前の世代が高齢者世代に移行する頃には、デパート産業そのものの生き残りが難しいかもしれない。 実際にモノを見て買うことにどれだけ付加価値を付けられるのかが生き残りのポイントなんだろうが、そこが中々に難しい。
・eコマース市場には、それこそあらゆる商品(百貨)が揃っているし、安いし、家まで配達してくれるからね。試着や実機確認は百貨店やモールで済ませ注文はネットで一番安い店を選ぶ人が増えていると思う。 百貨店やモールは、そこでしか買えない商品の開発が必要だと思う。ただ、時間外労働の上限規制が始まるとeコマース市場も運送費・輸送時間等でダメージを受けそうだし、所得が上がりそうな気配が見え始めているのでショッピングする楽しさを上手に演出できれば、客足は、また戻ってくるかもね。
・百貨店衰退の根本原因は郊外開発とマイカーの浸透、それとインターネットの普及でしょう。
無理やり駅前に人が集まってきていた時代とは異なり、マイカー社会ではどこへでもダイレクトに行ける。加えて、インターネットとスマホにより目的の店がどこにあろうともたちどころに分かる。だからネットもない時代に地図を見ながら探す、あるいは駅前の目立つところに大型店をかまえて店子に場所貸しして儲けるというビジネスモデルが成り立たなくなってきた。もはや地方都市で駅前は一等地ではないということ。
それと、百貨店とショッピングモールの境があいまいになってきたのもありますね。ニトリとロフトと無印とダイソーと家電量販店をテナントに入れた百貨店はもはやイオンモールと変わらないし、むしろイオンモールの方が売り場は広く駐車場も無料で便利です。
あとは少子高齢化で老人ばかりの地方ではおしゃれに金かける人も減ったのでしょう。
・百貨店の消滅は可視的な一つの象徴的事件として捉えることはできるがその下層にある構造を探り出しそれを捉えることによってこの事件の持つ意味を認識せねばならない。消滅は地方都市にとり華やかさの消失として受け止められるようだがそれをもたらした原因を考えると新たな希望の契機にもなり得る。人口減は所得の喪失がもたらす結果でありとりあえず地方にしかできない生産活動に着手するなりして対策を講じるしかないではないか?
・私の子どもの頃は、ネット通販も郊外型のショッピングモールもなく、服も買える、本も買える、生活雑貨も買える、食事も食べられる、屋上でも遊べる等々、デパートというのはアミューズメント施設に等しい存在だった。また、お中元やお歳暮でも、有名デパートのロゴが入ったものは、ブランド品のような認識だった。そうした、デパートを特別な存在たらしめた要因が、いまはほとんど存在しない。品揃えはショッピングモールに勝るわけではなく、ネット通販には到底かなわない。価格もやや割高である。一般顧客にとって、ショッピングモールやネット通販にはない特別な存在に復活しない限り、デパートの衰退は続く一方のように思う。
・三十年以上前に問屋セールスで地方百貨店も多くラウンドしました。当時は地方百貨店でも結構売上を稼げましたが地元で色々聞くと、当時は政府の減反政策で補助金がもらえる。もともと農家は食に関しては自給自足率が高く可処分所得が高い。結構宝飾品がよく売れていて百貨店自体がその恩恵を大きく受けていて他の売場も潤っていました。また地方では当時はまだ和服を着る人が多く、とくに旅館の従業員用や女将さんが着る高額和服、裕福な商家の女性家族もかなりの金額の和服を購入さされていました。娘さんや孫娘の成人式など振り袖や和喪高額バッグに宝飾品が飛ぶように売れていました。めぐまれた時代だったのです。しかし大手GMSの進出、ファストファッションの台頭、時代の変化についていけなかったのは百貨店の経営者だけで無く高齢の購買層も同じです。
・これも時代の流れなのでしょうね。高度経済成長時代は家族そろってちょっとお洒落をして、買物や食事に行くなんてことが楽しみに一つでしたね。しかし、経済が停滞し高価なものは敬遠され、手ごろな価格で手に入るスーパーマーケットが重宝される時代に変わり、その後そのスーパーも様々なテナントを抱えるショッピングモールに置き換わっている状況で、1社で全ての品揃えをするのは負担が大きく、今の時代にはそぐわないのかもしれません。ただ、どこに行っても同じような形態のショッピングモールばかりというのも、ちょっと寂しいですね。
・徳島はそごうが閉店して(建物はある)、百貨店無しになり早数年。特に困っていません。サラリーマン時代はJPressなどでお世話になりましたが、そもそもビジネスカジュアルに慣れたらスーツやブレザーは着なくなった。 ただ、百貨店無しでも困らないのは、徳島からは神戸まで2時間、大阪まで2時間半で往復6000円くらいなので、バーゲンだと元が簡単に取れるという点もあるかもしれないです。
・人口の減少が続く中で地方の衰退に歯止めがかからないと言うのは仕方ないのであろう。駅前ですら人通りがなくなり、シャッター通りとなっているのが実情である。町が静かになり、商店が次々と閉店に追い込まれている。デパートは町の象徴であったが、デパートがあっても買い物客がいなくなれば撤退も仕方ないのあろう。近いうちに無くなるだろうと思われるデパートがそこら中にある。地方から若者はいなくなり、高齢者だけになってしまい、買い物もできなくなっている。デパートでの買い物は昔の話になりつつある。人口減少の一番の原因は少子化である。国はこのような状況になることが分かっていながら、補助金や支援金などの手当だけで、根本的な低賃金問題や結婚できない若者の生活環境、子育ての環境など国の施策としてやるべきことを放置してきたのである。高齢者がいなくなり、私たちの生活環境が崩壊しつつある。無策の政府のおかげであろう。
・百貨店という「昔の名称の店舗」が消えるだけで、代わりの機能があるショッピングモールに置き換わっているだけと思います。従って、百貨店があろうが無かろうが、あまり気にする必要は無いと思います。イオンとイトーヨーカドーの戦いに代表されるように小売りの競争は熾烈です。ちょっとでも、経営者が悪いとあっという間に淘汰されてしまいます。昔からある一等地の地の利に頼っていれば、それなりの客が来て、生き延びられるかもしれませんが、人口減少で老人の客が減れば、そのうち消滅するでしょう。ダイエーの消滅からわかるように、商売は厳しいものです。
・百貨店のビジネスモデルと対極なのがネット通販と郊外のショッピングモール。コロナで対面商法が下火になった影響も大きい。大都市圏にはまだ存在するが、もう包装紙で商売をする時代ではなくなっています。富裕層をターゲットにした外商や立地が良いので催事で生き残れるかどうかではないでしょうか。
・高齢の義父が中元・歳暮は「一畑の包装紙じゃないとダメだ」と言うので長く外商さんに来て頂いていましたが、義父が亡くなるとともに、送料などの負担を考えて全て他店に切り替えました。 ただ、やっぱり商品への信用度が違うんですよねえ。 傷みやすいフルーツを贈る時などは特に、一畑さんにお願いしていた時は不安に感じたことなんかなかった。 そういうことが義父のいう『一畑ブランド』だったんだろうなと思います。
・島根に住んでいるわけではないけど百貨店が無くなってしまうニュースは寂しいなぁ。洋服なども百貨店ブランドでもサイズや品数豊富なネットサイトを利用してしまう事も多くなりUNIQLO、無印、ニトリ、、など全国チェーンは強いしで、、仕方がない世の中なんだけどね。 若い人のブランドは別の商業施設で売ってる事多いからますます閉店していくのかな。 百貨店が楽しみだった時代が遠くなるね。
・10年以上も前に百貨店の役目は終わっていましたので仕方がないのでしょう。 池袋西武でさえ閉店ですから。 お中元お歳暮祝い事に百貨店の包装紙を有難がる人は少数派になり、それらの習慣も絶滅危惧種になりつつある。 時代はさらに進み欲しい物を百貨店や家電量販店で見てネットで買う時代からネットのレビューや詳細な動画を見て買う時代へ... 先日母校の就職課の担当者と話す機会があり最近の就職状況を聞いたが、百貨店や家電量販店への就職は避けさせているとのことだった。 バブル期に既に社会人になっていた者としては栄枯盛衰を感じざるを得ない。
・ネットやショッピングモールやアウトレットなどでの買い物が当たり前になり、地方都市からどんどん百貨店が消えていく。自分が20歳の頃ネットが始まったが、まだネットショップは無かったがここ10年で一気に加速し価格競争に負ける。時代の流れといえばそうなるが、根底には物価上昇に伴って収入が上がっていないこと。新車なんか買う気になれないくらい高い。 家電量販店も百貨店と同じ道を辿っていくんだろうな。
・元々一畑百貨店というのは別の場所にありその当時は市民の集まる場所として賑わっていた。 高齢者から子供まで幅広い層の客で賑わい週末は本当に人で溢れていた。 その頃を知る世代からすると時代の流れを感じ、またひとつ思い出の場所が減ったのだなぁとしみじみ思う。
・昔は何でも揃う文字通り百貨店であり、地域にはなくてはならないものでした。でも現在の地方をご覧ください。スーパー、コンビニ、ドラッグストア、ホームセンターで溢れています。人口が減ってるのにです。商業コンサルや大学の先生も完全なオーバーストアと指摘しています。さらにネットショップですよ。固定資産税が高く、駐車も不便な中心市街地に立地する百貨店が適うわけがありません。地方都市、大都市に限らず百貨店というスタイルがもうダメなんです。これも消費者が選択した結果ですから受け止めるしかないと思いますよ。。
・地方はみんなイオンになるわけね。 ビジネスとして成り立たないなら撤退も仕方ない。 電車の廃線のニュースなどでも、寂しい、残念って口々に言うけど、それまでに使わなかったからこうなってるわけで、百貨店も一緒。人が減り、店などはなくなり、さらに若者は出ていき、このループに入っていってる。 今は親の世代も、子供たちに結婚なんて無理にしなくていい、子どもも作らなくていいって言っちゃってますからね。地方は県庁所在地、または観光として強いコンテンツがある街意外住めなくなる未来がすぐそこかも。集まって住んで、農業などはそこから出勤するスタイルが合理的かもですね。少子化ってこういうことだよね。
・子供の頃の休日のお出かけは百貨店だった。最上階には大食堂があり、屋上には遊園地があった。買うものは少なかったが人であふれていた記憶がある。行かなくなったのは、お値段のお手頃な専門店が増え「百貨店は高い」というイメージが残ってしまった。地下の食料品はとても便利。少し高くてもスーパーのそれとは一線を画す。地方で高価格帯の百貨店は高齢化も伴って難しいだろう。時代に合った変化が出来なかったことが一番の原因だろう。包装紙のステータスも下がった。
・私は、厳しいのは百貨店ではなく「従来型の百貨店」だと思っています。 そう考える理由は、イオンなどの郊外型大型スーパーの方が"百貨"に相応しい品揃えをしているからです。
従来型の百貨店の失敗は、バブル期の感覚を引きずったまま高級感を維持し続けたことと、駐車場が少ない・駐車代が高い駅前などで店舗を構え続けて、地方に数多くいる自動車ユーザーを軽視した事ではないでしょうか。 高級感については、地元商店街との利害関係も考えられますが、そうなると従来型の百貨店の衰退と郊外型スーパーの発展は起こるべくして起きているのかもしれません。
・百貨店や商店街が無くなり、ネット通販の物流倉庫が増える時代。 特に個人事業で物を売る仕事をされている方にとっては将来設計が難しい、 事業の転換を含めて考える時代になりました。 便利な世の中になることで犠牲になるところもある、悲しい一面です。
・百貨店に「百貨」が無ければ百貨店では無いと思う。 結局、専門業者が増え、ネットでの通販も台頭したが、 その途中段階で、百貨店は何か諦めてしまった感が強い。 同時に、専門的な「東急ハンズ」にしても、 いつの間にか、いろんなテナントを入れて、 販売員の方の知識も下がってきたりで 特色も減ってきて東急不動産から手離れ。 そして、なんとかモールとかは立地の関係から都会地にはないが、 逆に23区内なんか、モールとは無縁で たまに地方都市に行って寄ってみると、 そのスケールたまげるばかり。 しかし、入っているテナントは似たりよったり、 では「百貨」あるかと言えば実は無し。
・東京都の郊外である立川市の高島屋はOKストアや100円ショップがテナントとして入り、もはやイオンモールのようです。高級感を捨ててでも時代に合わせて生き残ろうとする決心が見て取れます。そういう意味で、富裕層向けの旧来の百貨店が営業できている地域は都心の一部だけで、地方都市に百貨店がゼロになったというのが異常というより、ただその役割を終えただけのように思えます。
・富裕層をメイン顧客にした百貨店の歴史的使命はとっくに終わっていたということ。今後も厳しい状況は続き100万人都市以外での存続は難しいでしょうね。加えてイトーヨーカ堂の苦戦に象徴されるような総合スーパーも先行きは明るい材料はありませんので閉店が続くのは避けられないと思います。 私もデパートには特別な日のお出かけ先としての思い出がたくさんあり寂しい限りですが時代の変化には抗えないので仕方ないと思います。
・百貨店が無くなるというのは、百貨店がなくても必要な欲しいものが買えるということではないですか?買い物という意味では不自由はないのです。家族が行く特別な感覚を味わう遊び場がなくなったということだと思う。そう捉えるなら、百貨店に行っていた時間を別の何かに使えば良いのではないかとも思います。ただ、お金のおとしさきが地元になくなったということについては考えたらどうだろうか。ある意味、それは買い物をすれば外国にお金が吸い取られていっているということにもつながる。日本自体の衰退の後押しをしているのではないのかな。
・寂しくなるとか言っている人もいるけれど、実際に百貨店に買い物に行く人は激減しているのだから仕方ない。昔と違ってかさばる非食品は、ネット通販や郊外SCに車で買いに行くでしょ? 地方の駅前型百貨店は、物販からコト販売(有料展示会・ゴージャスな試飲販売会・高級レストランなど)にシフトして体験型の場所にでもならないかぎり生き残れないよ。
・島根や山形から百貨店が消えるのと岐阜から消えるのとでは深刻度と意味合いがかなり違うと思う。島根や山形は単純に過疎化で需要が少なくなくなると近隣にも大規模な百貨店が存在しないので若者にとっても百貨店という存在が遠くなる。
岐阜は近隣に名古屋という大都市があって高島屋や松坂屋、三越などの大規模百貨店に安易にアクセスできるから岐阜にはなくても困らないというのもある。
・名古屋市民ですが、名古屋は百貨店はまだ多いものの、ヨドバシ、東急ハンズ、無印などが、1フロア丸ごと占めていたり、いわゆる旧来型の百貨店ではないです。 時代として役割を終えてきているように感じます。
・我が県は全国で最初にデパートがゼロ軒になりました。 自分が子どもの頃は市内だけで旧ジャスコを含め6軒くらいあったのに、とても淋しいです。 最後はちょっとした贈り物の購入に利用する程度でしたが、なくなると不便を感じます。 現在は唯一、駅前のビルの1階の一部に仙台三越のサテライト店がありますが、何があっても撤退しない事を願ってます。
・うちの地元もいつ無くなるか、って思いながら 大手の雑貨ブランド誘致したり、少しだけですけど海外ブランド入ったり。 何とか残そうって頑張ってる感はあるのですが 駐車場も有料だし なかなか、、、そこにしかないもの、というものがないと 出向かないですね。 今はネットで何でもそろうし、むしろ 小さいショップよりもネットの方が品ぞろえも豊富で。 さすがに経営は厳しいようで 最近、違う会社に買収?されて名前変わりましたが、、、馴染みのあった名前から変わると 寂しいものです。 地方だと どうしても百貨店は厳しい感はありますしなくても良いんじゃないか、って思いますが 名前と一緒で なくなると寂しいものですよね。 だったら買い物行きなさい、って話なんですが 買うものが ない、、、苦笑
・百貨店を懐かしいと感じ、地元から無くなることを寂しいと感じる中高年は多い。 かく言うアラ還の私も子供の頃、おもちゃ売り場で手品のおじさんが披露してくれたこと、屋上の食堂で食べた洋食など思い出は多い。 ただ自分の子供達と百貨店に出かけた記憶はほとんどない。 自分自身も、百貨店の包み紙を有り難がる高齢の方のお宅にお邪魔する時の手土産を購入する以外、ほとんど利用していない。 子供の頃、庶民にとって百貨店は、豊かさの発見であり、珍しいものを見て世界を知る場であった。 就職した時にスーツを買ったのは百貨店だったが、巷では高額なテーラーか安物の海外製のスーツを売る店しかなかったからです。 お中元やお歳暮を送る習慣は、企業でも庶民でも無くなって久しい。 役割を終えたものが社会から無くなる、ごく自然な話だと思います。
・私はある地方都市で、40数万人で、JR駅前に8階建ての百貨店がある。 平日に買い物じゃなくて所用で行くことがあるが、2階以上にはほとんど お客さんがいない。いても、老人ばかり。繁盛してそうなのはデパチカ だけのような感じ。この百貨店もいつまでされるのか?? 私も一時期、外商を利用していたが、いまや、ネット注文で買えるし、 贈答品もそれでできる。
・昔と消費者の行動が明らかに違う。東京に住んでた時にオーケーという激安スーパーに行ってたけど、驚くことにベンツやレクサスに乗ってる人たちが路駐をして買い物をしてるんだよね。 都内には高級スーパーはたくさんあるのに、金持ちでは激安スーパーで買い物をする。 昔は多少高くても品の良い店で買い物をするのが普通だったのに、最近は一円でも安い店で買うのが金を持ってる人でも正義になってる。 最近は店は単なるショールームになっていて、店で品物を確認して、買うのはネットの最安店だもん。粋な人って絶滅したと思うね
・島根県に活気が無くなったというより、百貨店に活気が無くなっただけかと 島根にもイオンモールがあるでしょ。つまり百貨店から巨大SCにチャネルが変わっただけでしょ むしろ地域ではなく業種の問題だと思うのだけれど 僕の地元は札幌だけどさっぽろ東急百貨店なんかはテナントにユニクロ・GUやビックカメラが入って客足が伸びた 東京渋谷の本店は再開発で閉店中だけど、再開時は「今までとは違う形になる」としており、恐らく札幌に倣うのだろう 呉服屋や小間物屋、金物屋が百貨店になり、それがさらにコングロマリットのようになるのであろう
・私は40代ですが、今60代以上の人たちとは百貨店に対する思いが全然違うなとよく感じます。 私は百貨店は高い服ばかり売ってて、その他はあまり品揃えの良くない店というイメージで、無くなるのも当然かと感じていますが、60代以上の人達は百貨店をステータスだと捉えている印象です。 島根だってショッピングモールはあるし、実は不便になる事などあまりないと思います。
・時代の流れでショッピングモールの台頭によりアーケードの商店街や百貨店に足が向かなくなった。 自分も子供の頃はお祝い事があると駅前の百貨店の食堂街でディナーでしたが、今じゃモールですべて済ませています。 慣れ親しんだ人からすれば寂しいでしょうね。
・やがては日本全体から百貨店が消滅する第一歩でしょう。さすがに東京や関西だけは象徴的ランドマーク的な店は最後まで残るかも知れないが。どう逆立ちしても百貨店はもはや過去のビジネスモデルで、現代社会とりわけ若年世代の支持基盤は消失しています。 「駅前商店街」も同様に「オワコン」かも知れないが、あちらはまだ日々の生活と結びついているから大都市圏では存続できる可能性は高い。それに対してデパートは明らかに非日常、ハレの存在です。しかし現在、非日常空間を提供する場は多種多様化し、《何でも取り揃えて販売する割高なショッピングの場》の伝統的スタイルを保持する限りはデパートの必要性を大衆はもう特には求めていないでしょう。
・一畑百貨店が閉店して2ヶ月、なくてもそれなりになんとかできるかも、 と思っていたのですが、 年度末、餞別などのギフトを見て購入する場所がないことに気づきました。 イオンなどはあるのですが、イオンの包装紙で渡すのは抵抗があります。 同じものでも百貨店の包装紙があると違う気がするんですよね。
・この百貨店が、具体的にどうだったのかは知らない。
ただ、東京都内の百貨店でも、ファストファッションや大型電機店に「場所貸し」して「食い繋いでいる」店はたくさんある。
あとは、定期的に物産展をやるとか... 個人的には、結構、行くのでありがたいが、1店舗で年3回、合計開催日40日以上も珍しくない。しかも、有名処の店が、ローテーションで都内の百貨店を回っている節もある。
つまり、百貨店は既に、小売りの外注化をしているだけ。 自前で買い付けて、自分の責任で展示して売っている面積は、果たして何%なのか?
繰り返しになるが、最早、百貨店は「場所貸し」がメインの商売である。
となると、問題は中身。 外側の皮が、百貨店だろうが、イオンだろうが、必要な中身=小売店舗があれば、良いのでは。
ただし、百貨店は比較的駅前が多いが、イオンなどのショッピングモールは郊外が多い。移動手段は課題となる。
・地方には巨大なイオンモールのような店舗が生まれ、百貨店だけでなく地方のスーパーの店舗が減少している。 一方、全国チェーンのコンビニの増加、反して地元のコンビニを吸収されたり、倒産が起きている。 そのことで一番の被害者は高齢者だろう。 車の運転では免許返還を迫られ、また、交通機関の中心であるバスも減少。 私見であるが全国チェーンのコンビニがどれだけ地方のスーパーの店舗の減少を進め、高齢者の生活を破壊しているのか。 50年以上前には町や村には生活必需品を扱う八百屋、魚屋などがあった。 その後、地方のスーパーは八百屋などの代わりになった。しかし、コンビニは生活必需品は扱わないから八百屋や魚屋など代わりにはならない。 行政は何故そんなことがわからないのか?コンビニの規制をしなかったのか? 行政は市民の生活を守る役目があり、それを怠っている。
・私は百貨店は敷居が高い気がしてあまり行ってませんでしたが、ブランドものなどはやはり間違いなく本物だろうしなという安心感があります ネットでよくワインを買うけど、楽天のとある店でめったに買えないお高いワインを「有名百貨店から来たものなので温度管理は安心できると思います」ってあってうーん…と思いました 売れなかった高級ワインをほかの店に流すこともあるのかと。 だったら値引きすればいいのに、それはできないんでしょうかね
・昔そこで買い物することによりステータスとしてもてはやされた百貨店は今となってはそのステータスも地に落ちた感がある。 ECサイトを始めとして、どこで買うかの選択肢が多様化し、いかに安く購入するかが注目される時代。 地方の人口減少も相まって地方百貨店が浮上するのは難しい。
・百貨店じゃなければいけないような買い物って、今の時代ほとんどないからねぇ。 お金持ちが信頼性の高さのために買うことはあるのかもしれないけど、庶民には関係のない話… 安価な買い物であればショッピングモールで事足りるし、時代にそぐわない事業形態なのは間違いないと思います。
・大手企業や外資系企業が出店したり、ネット購入が普及してから、 百貨店で買う事も減ってきたが、行けば気分が上がり、売り場や 買いに来てる家族連れや色んな人たちを見てるだけで幸せな気分に なったものだ。地元が出店した店は、やはり地域皆んなが支えて あげないと、大手や外資系に潰されてしまう。今では日本中どこに 行っても同じ様な店や物が並んで、地域性の良さが無くなってしまった。
・今はネットショッピングやショッピングモールも充実しているし、特に百貨店でなきゃ!という事もなくなったかな。 札幌の百貨店では、GUやユニクロ、無印、ニトリ、道内最大級のフロア面積でカプセルトイが入ったり、あとは一時的とはいえビックカメラが入ったりともはや百貨店という形態ではなくなってきて、百貨店の必要性が感じられない。
・東京の都心には確かに百貨店がいくつもありますが、日本中にあるような大規模ショッピングモールはほぼありません(豊洲のは混みすぎ…都心ではないし…)。両方あったときに消費者がどちらを受け入れるか、は、全国で起きたことを見れば明白ですよね。自分は広々した快適なところで映画を見て食事して買い物する休日が好きです。
・まあ、象徴としては一定の役割があるんだろうけど、なくなると現実でなにか困ることがあるかと言われれば、特にないだろう。ここで嘆いている地元民も、なんとなくさみしいとか、プラプラする場所がなくなるとかその程度で実害はほとんどない。大型スーパーなんかの方がなくなったら困る。 高いけど何でも揃える、みたいなのがウリだった業態も、流行のもの・珍しいものはオンライン通販で買えるし、数日で届く。デパートの売り上げの大部分を占める「お得意様」たちもそっちに流れている。 必要とされなくなったビジネスが淘汰されている、というだけのこと。
・百貨店に憧れがある世代はそれなりにショックなのかもしれないけど無店舗型が同レベルの商品を割安販売してるのだから足を運んで買う意味がない。 いろいろな店舗で問題とされた、店舗で試してネットで買うスタイルの餌食なので販売価格で負けているならネットショップ利用者は絶対に買いません。
実際に売り上げの低下は客が金を使わなくなった、つまり需要の低下なんだからそれでいいと思う。 その土地がアウトレットとか大型駐車場とか求められてる何かになるんならむしろポジティブよ。
・結局需要がなくなってしまった、ということなんだろうね。 インターネットの普及でどこに住んでても情報格差ってあんまりなくなったし、わざわざ出かけなくても都会のものが通信回線経由で手軽に手に入れられるようになった。 百貨店事業が、自分たちの目利きで仕入れるセレクトショップに近いビジネスモデルから、テナントを誰かに貸してその上がりだけをかすめようとする不動産業に堕してしまって、百貨店という場所が意味のある場所でなくなってしまったなぁ・・。
その日食べる食べ物だけは現地に行かないと買えないし、味は回線経由ではわからないから、デパ地下だけは流行る。 全館デパ地下(地下じゃないけど)の商業施設があったほうが流行るかも。
・週末、北陸新幹線が延伸した福井駅に行った。駅から5分以内のところに福井県で唯一のデパート西武福井店がある。中入ってみると、1階はそこそこ人いたけど、地下や2階以上はガラガラ。何度も週末行ったことはあるがいつも閑散としてる。
延伸開業した翌日に訪れたが、人の流れは駅前のハピリンと新しくできたコートヤード下のふくまちブロック(初めてなんで行ってみようかという人が大半)で止まってる。西武のほうには全然流れてない。福井の人は西武よりもエルパに行く人多いもんな。岐阜の高島屋の次はここがなくなる可能性があるかも。
・思い出がある施設が無くなって残念に思う気持ちはよくわかる。 ただ百貨店が無くなっても日常にさしたる影響はないと思われるが、こういう地域はそのうちに病院や鉄道、バスなんかも採算が合わなくて無くなるとかいう危険が近い未来にあることを知っておいた方がいい。
・地方では地方展開を図るイオンモールや全国チェーン店などが増え、地元の昔からの百貨店に行く人は激減した。百貨店だけでなく地元の小売店やスーパーなども高齢化や採算が取れず店じまい。車が運転できない高齢者は、買い物難民。地方へ行けば似たようなチェーン店ばかり。チェーン店自体も競争があり、採算が合わないチェーン店は引き上げを図る。まさに弱肉強食の世界。あと20〜30年もすれば地方の特色はさらに薄れていきどこも似たような店ばかりになるたろう。
・毎回、地方の百貨店などが閉店して不便だ、残念だとの声があがりますが、その根元は地域の方の利用がなかったからになります。 郊外にスーパーができたり、少しでも安い店に競うように通う。これが衰退の原因です。 もちろん施設側の品揃えや価格帯の企業努力は必要ですが、町の商店街が消滅し、消滅の原因をつくった施設が消滅し、何もなくなるのは、最低限の利用すらないから。 今、地域によってはスーパー激戦区などであちらこちらにスーパーが乱立。かたや買い物難民的な地域もあったりとします。 出店する企業はもちろん利益優先が前提になるかと思いますが、街づくりの観点から競争だけにとらわれない考えが必要かと思います。
・高級品、定価発売というスタイルは運営していくことは難しいと思います バブル期までのイケイケの経済ならまだしも、同じ商品なら安い方を選択するのは至極当たり前のことです。 モール系、アウトレット系、ディスカウントストアに買い物に行くのは日常の姿 だから、誰も百貨店に行かなくなった。
・私の地元近くの人口数千人の田舎町には百貨店が複数ある(確か3店舗) 商店街の店舗で広さも商店街の一つの店くらいの大きさ 何か婦人服がメインで置いてあったりそれ以外のものも少しはあるのかなって程度のホントに商店街にある一店舗って感じ どの店も〇〇百貨店って看板掲げてるけど、仮に県内の大都市から百貨店が消えてしまった時に百貨店ゼロ県になるのかどうか、ちょっと気になる
・岐阜県も、7月に岐阜市の高島屋が閉店したら、県内の百貨店がゼロになるんですよね。数年前に、大垣市の地元百貨店も閉店してしまったし…。
たしかに、岐阜県は、まだ名古屋の高島屋や松坂屋に買いに行けるけど、なんだか寂しいです。それに急に贈答品が入用になったときは、岐阜の高島屋や大垣のヤナゲンにお世話になりました。
・今後人口減少が進めば、東名阪、札仙広福以外での百貨店は激減すると思う。 関東や関西も安泰ではなく、都心へ行って購買する層が増えると、結果的に郊外でも閉店になると思う。 ただ、ニーズが無いから閉店になるわけで、もちろん困る人はいるだろうけど、決して多くは無いのが実情。
・私の地元和歌山でも、かつて市内に百貨店4店舗もありましたが、現在はJR和歌山駅前にある百貨店1店舗のみになってしまいました。大阪へのストロー現象で将来、和歌山も百貨店ゼロの県にならないか心配です。
・昨年仕事で松江を訪れ駅近くのホテルに泊まった。松江は、松江城、宍道湖、玉造温泉など魅力的な観光資源も少なくないが、駅直結の一畑百貨店はがらがら。閉店が決まっていることもあったのか、店員はまるでやる気なし、地元民が買い物に来て支えるでもなし。 交通が便利になり、ネットが発達する弊害として、若者は出て行きやすくなり、買い物もわざわざ地元でする必要もなくなった。 新幹線通った、高速道路出来た、経済効果何億円、などと大はしゃぎしているのは最初のうちだけ。かえって地方が衰退することになる危険性に全く気付いていない。
・自分の地元にはまだありますが、自分は百貨店で10年以上買い物とかやってないです。実際ネットとモールで買い物は十分だし、思い出が消えると言う点で無くなったら寂しいけど、自分にとっては大して深刻なことでは無いだろうとは思う。
・人生の中で、消費する年代は、やっぱり子育て時期になるのかな。 その世代は昭和の時代は全国に散らばってて、一定のマーケットが取れたけど、今は地方にそのマーケットは大幅に縮小+ネット販売&郊外モール、で限界。という感じですかね。 全国同じような景色になるのはさみしい気はするけど。 なにか工夫できないものですかね。
・識者コメント 富裕層の絶対数が少ない地方
地方は、人口あたりの富裕層の比率も低いと思うね。 つまり日本の地域格差が拡大しているということ。 大都市は感じていないかもしれないが、地方の衰退はいずれ、日本の大都市の衰退につながると思う。上から目線で、大都市部が地方衰退を語っているのは、いずれ我が身になる。
・人口減少が顕著な地方都市で、必要性が無くなったって事ですよね。 郊外型のモールがどこの地域にも存在するようになって、シャッターが閉まった店舗がドンドン増えている駅前商店街と同じでしょう。 買い物の仕方が昭和と比べて変わりすぎましたね。
・百貨店というとお金がないといけない場所というイメージがある。 田舎でしたが、年に1回いければいい方です。 県全体の人口が約66万人で中核都市の人口しかいない。 ましてや松江市で20万人となると対象人口が少ない。 百貨店を維持するには30~40万人いないと厳しいだろう。 県全体でも100万人は超えたいところ。 島根のお金持ちは大阪か東京へ行って買うのでしょう。
・長野市在住です。 駅前に東急百貨店があり、自宅からの5分ほどですが全く行かないですね。 横断歩道渡った北陸新幹線の長野駅ビルのテナントの方が魅力的だったり、やはり車で郊外まで日常の買物に行ったり、Amazon定期便使ってます。置き配指定だから受け取る時間も縛られないし。 百貨店て昭和時代のおぼっちゃま世代が親に連れられて行った郷愁の場所だから、その世代の方々がいなくなれば無くなるでしょ、特に県庁所在地クラスは。
それと、 東洋経済誌の給与特集でながの東急百貨店の給与水準が県内でめちゃくちゃ低い現実を知り、やりがい搾取してる企業なんだなと思い、足が遠のいたのもあります。
・百貨店は昭和の代名詞の一つですね。 本屋、呉服屋、ビアガーデン、酒屋、たばこ屋、八百屋、金物屋、米屋、電報電話局、時計屋、その他小売店なんてあらかた消えてしまった。 時代の流れとはいえやむを得ないことでしょう。
・できた当初は画期的なコンセプトの施設でも、 他の誰かに真似されたら、 その競業状態から市場が求めるコンセプトで一歩秀でた業態を幾つか提供し続けられれば 創業当初の業態とは違っていても生き残れるし、 市場が求めるコンセプトも競業他社に見劣りするものばかりな状態が続けばいずれ廃れる。
今あるこの土地スペースで、 市場に何を提供して地域業界で最上位クラスだとユーザーに評価してもらえるようになれるのか? 市場における 提供コンセプトと需要ユーザー思考そして評価を見誤らないのが生き残りのカギ。 だと思います。
・今はネットで色々買えてしまうから、なくてもそんなに困らないのかも。経済が低迷するとデパートよりもイオンなどのモールのほうが無料駐車場もあるし、子供から大人まで楽しめるから流行るのは仕方がないかな。 高知も今は大丸しかありません。
・Department Storeは百貨店、素晴らしい訳語だと思う。デパートメントは部門の意、色々な部門が色々な商品を、街の中心にある憧れのビルに取りそろえて待っている。ちょっとお洒落で自尊心をくすぐる百貨店がなくなっても、普通の人は困らない時代になてしまった。人々はより合理性と遊びを求めて、車で郊外の専門店やホームセンターへ行く。
・近所の百貨店は高齢者ばかりで行く気しないし、買う時は都市部の百貨店に行く。 にぎわうのは北海道物産展のときだけ。 いちおう株主だから見るんだけど、百貨店の赤字がすごい。ドル箱分野で補填するやり方がいつまで続くかなあ。
・徳島のイオンは結構立派でしたよ。今後は、百貨店から、ショッピングモールに代わっていくのではないでしょうか?ただ、贈答は通販が有るから良いとしても、外商と言った対企業との取引分野が無くなるのは、頼む側も不便になりますね。
・百貨店は必要ないのでは 昔はデパートの袋を 持って電車など乗ると ちょっと優越感は ありました。 今は商品への価値観が 違うしネット通販で 良い商品が帰る デパート商品も ネットで買えるから わざわざ交通費かけて 行く必要はない
・人口が減ってくると、働き盛りの人口が減ると、購買力もなくなるだろう。人口の多いところは百貨店は生き残ることができるだろう。もうすでにバスの本数が減るとか出ているだろう。子供を増やすしかないがもう手遅れ?日本は衰退を加速しているだろう。国民が減ってくると日本の存続にかかわる。今までの政権が将来を見据えた政策をしてこなかったということだ。政治家は自分のことばかり考えているのではないか?
・百貨店は老朽化も進み、今後どんどん消えて行き、ショッピングモールが増えて来るだろう。 客からしたら、百貨店もショッピングモールも同じだし、むしろショッピングモールに行く人の方が多いと思う。
・ネット社会になって簡単に買えるからわざわざ歩いて買わなくなったけど、でも失敗も多く返品もめんどくさいみたいなところもある。 けど手取りが増えた訳でもないし物価も上がる一方だし百貨店で歩いて買う事が確かに少なくなった 観光業も小さい子供連れか?お年寄りが多く、中高生のご家族は少ない こんなご時世を日本政府はなんとかしないといけないと思うよ 人口が少ない県とか?そういう問題だけじゃなく人々の購買意欲が下がってきているこの現実にね
・>全国で百貨店が存在しない都道府県は山形県、徳島県に続き3県目だが、7月には岐阜県からも消える。
山形は仙台に近く、岐阜は名古屋に近い。 近隣の巨大商圏に負けた形だが、 島根はどこにも近くないので閉店の影響が大きいと思う。
・嘆く前にちゃんと百貨店で買い物しましたか?時代の変化をポジティブorネガティブに捉えるかでその人の人生は豊かになるか貧相になるか決まると思います。必要ないからなくなる、当たり前のことです。百貨店以外に必要ないもの、いっぱいありますよね。
・明るい未来に希望を持つ中間層が厳しいお財布事情となりましたから、地方の百貨店は厳しいと思う。その受け皿はイオンやECですし、富裕層は大都市圏の基幹店にいくでしょうから・・・。 物価高で買い控えしているのも元中間層で、その人口が多いので個人消費が伸びない原因でしょうし! 自民党がここ30年で築き上げた日本の現状です。
島根は自民王国で4月補欠選挙ですが自民が勝ち、そして若者はどんどん県外に脱出するのでしょう! さらに過疎化する地方・・・。
・百貨店文化はもう不要の産物でしょう。 都心の百貨店だってインバウンド景気で持っているだけ。コロナ禍中は消滅一歩手前でした。 まして、その恩恵がない地方じゃ経営なりたたなくて当たり前でしょう。 私はたまに進物買い物で行くか、デパ地下か、トイレ借りるだけ。 アウトレットも飽きたし、大型モールも疲れるだけだし、買い物はもっぱらネットショッピングですね。
・百貨店は100年ほど前に日本橋あたりに出来て以来全国に広まっていきました。地域に根ざしたものは人口増加とともに栄え、人口減少とともに衰退していくのは仕方のないことなのかなと思います。
・地方での百貨店の役割は終わったと考えるべき、皆が利用してなくてはならないものなら赤字経営にはならないだろう。正直47都道府県の中で半分以上の県で不要なのではないだろうか?
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