( 150378 ) 2024/03/18 14:14:27 1 00 UNDPが2023~24年版の「人間開発報告書」を発表し、日本がHDI(人間開発指数)世界ランキングで24位となり、前回より1つ後退したことが報じられた。 |
( 150380 ) 2024/03/18 14:14:27 0 00 photo by gettyimages
国連開発計画(UNDP)は2023~24年版の「人間開発報告書」を発表した。国民生活の豊かさを示す「人間開発指数(HDI)」の世界ランキングで、2022年の日本は24位となり、前回21~22年版の23位から後退したと報じられている。指数が意味するのはなんだろうか。
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HDIにおける「教育水準」は期待就学年数・平均就学年数、「健康・寿命」は平均寿命、「所得水準」は購買力平価ベース一人当たりGNI(国民総所得)で測定されている。
一人当たりGNIという所得だけでみるのでなく、教育と健康を加味した指標になっていて、1998年に唯一のアジア人ノーベル経済学賞を授賞したインド人経済学者のアマルティア・セン及びパキスタン人経済学者のマブーブル・ハックが1990年に開発したものだ。
ここにおける「教育の期待就学年数」とは、就学年齢の子供が受けることが期待できる学校教育の年数のこと。また、平均就学年数とは25歳以上の人々が受けた教育の平均年数である。一部欧米諸国では生涯学習が発展していることもあいまって高い数値を出しているが、義務教育以外の高等教育などを含めると日本はそれほど上位ではない。
2022年のHDIのそれぞれの構成要素について、日本は193カ国中、期待就学年数57位、平均就学年数27位。平均寿命2位、一人当たりGNI33位だ。その結果、HDIは24位となっている。日本は所得だけで見ると33位だが、教育と健康を考慮すると、順位が9つ上がり24位になったと解釈できる。
HDIの指数が公表され始めた1990年、日本は142カ国中、期待就学年数22位、平均就学年数2位。平均寿命1位、一人当たりGNI25位で、HDIは6位だった。その当時も、所得で25位だったのが、教育と健康で19も順位が上がっていた。
写真:現代ビジネス
2000年では、176カ国中、期待就学年数28位、平均就学年数8位。平均寿命2位、一人当たりGNI29位で、HDIは14位だった。所得は29位だったものの、教育と健康で15順位が上がっていた。
2010年では、191カ国中、期待就学年数42位、平均就学年数13位。平均寿命4位、一人当たりGNI29位で、HDIは20位だった。所得で29位のままだが、教育と健康で9順位が上がった。
2020年になると、192カ国中、期待就学年数55位、平均就学年数27位。平均寿命3位、一人当たりGNI29位で、HDIは22位だった。所得29位は変わらず、教育と健康で7順位が上がっていた。
最近の日本のHDIが順位を下げているのは、教育と所得で順位を落としているからだ。健康は相変わらず世界トップクラスであるが、意外なことに所得よりも教育で順位を大きく落とした。
教育関係支出について、日本が先進国の中で遅れをとっているのは、本コラムの読者であればご存知だろう。
「公的教育費の対GDP比」で日本の順位の推移をUNESCOのデータで見ると、次のようになる。
---------- 1993年:OECD加盟国28ヶ国中24位、世界91ヶ国中58位 2000年:OECD加盟国37ヶ国中35位、世界168ヶ国中106位 2010年:OECD加盟国38ヶ国中37位、世界174ヶ国中107位 2020年:OECD加盟国38ヶ国中37位、世界182ヶ国中132位 2022年:OECD加盟国38ヶ国中36位、世界178ヵ国中121位 ----------
これだけ教育関係支出をケチれば、日本の教育環境の順位も下がるのはやむを得ないだろう。教育はヒトへの投資ともみなせるが、それを怠れば日本も危うくなる。筆者が教育国債による教育関係支出を主張するのは、こうした問題意識からだ。
財政当局は、経済成長しないから、教育支出ができなかったと言い訳するだろう。しかし筆者の見方はその逆で、モノやヒトへの投資を抑制されたために経済成長ができなかったのだ。それは財政危機だという誤った認識に起因する。モノは公共投資で、ヒトは教育関係支出だ。
先週の本コラム〈自民党「積極財政派と緊縮財政派のバトル」が開始…筆者が議員に語った「この30年、誤解だらけの日本の財政」〉で筆者が記した通り、財政緊縮派が一部のデータを用いて日本の財政状況はG7最悪だと喧伝しているが、それは誤りだ。筆者はIMFが算出した統合政府バランスシートから日本の財政はG7中2位で健全と全く見方が異なっている。筆者にはここに諸悪の根源があると思う。
その典型は、1997年の財政構造改革法だ。同法は、形式的には凍結法が出されたが、財務官僚はいまだに正しいのに政治で凍結されたと信じ込んでいる。財務官僚の心の中にはしっかりと財政構造改革法が刻み込まれており、骨太方針などの政策企画段階ではしばしば表面化する。しかし、法的にはありえないので、緊縮行動がステルスになるというのは始末に負えないものだ。
また、金融政策も酷かった。あるテレビ番組で、デフレはいつから始まったのかという質問があった。デフレの国際的な定義は、2期連続での物価下落と定められている。個々で物価とは一国経済の話なので、消費者物価と企業物価を合わせたGDPデフレータでみるのが普通で、それをみると、1995年からとなる。それ以来、平成の大半はデフレというわけだ。
その原因は、バブルではなく、バブルの潰し方だった。バブルには原因がある。その当時、価格が高騰していたのは株と土地だけだ。筆者の見るところでは、これは株式に関する税制上の抜け穴が主要因で、それを利用した証券会社や金融機関の「財テク」商品が開発され、株と土地がバブルを形成していった。
株と土地だけの話なので、証券会社の「財テク商品」(当時「営業特金」といわれた)と金融機関の不動産融資を規制すればよかった。当時、役人であった筆者は証券会社の規制を担当し、その規制は1989年12月に出された。金融機関規制も1990年3月に出た。それで終わりでよかったはずなのだ。
ところが、「平成の鬼平」と持ち上げられた日銀三重野康総裁は、バブル潰しのために金融引き締めを行った。当時のインフレ率は3%以下だったので、もし今のインフレ目標が導入されていれば過度な引き締めは不必要という状況だった。
この話について、筆者はベン・バーナンキ氏に聞いたことがある。彼は「株などの資産価格だけが上昇しているとき必要なのは資産価格上昇の原因の除去であり、一般物価に影響のある金融政策の出番でない」と答えた。そもそも一般物価に資産価格は含まれていないので、日本のバブル退治に金融政策はお門違いだ。
しかも、日銀官僚の「無謬性」(間違いはないとの過信)から、バブル後の金融引き締めが正しいと思い込んだので、その後のデフレ不況が継続した。
もっとも、この点は、アベノミクスでかなり払拭された。しかし、植田日銀になってから、少しずつ先祖帰りしているようだ。
実は、1980年代後半のバブルのマクロ経済状況はよかった。1987~90年のインフレ率(生鮮食品を除く消費者物価総合、前年同月比)と失業率をみると、それぞれ▲0.3~3.3%、2~3%と申し分のないパフォーマンスだ。株価と土地だけが異常な値上がりだったのである。
上に述べたように、その後緊縮財政と金融引き締めを行ったのが不味かった。さらに不味いのは、アベノミクスでその呪縛が一部解かれたが、緊縮派はいまだに健在ということだ。
髙橋 洋一(経済学者)
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