( 150611 )  2024/03/19 01:11:06  
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・自分の人生なのだから、ひろゆきの好みに合わせてやる必要など全く無いと思います。 

自分はこういったことはしませんが、あらためて己を見つめ直すという意味はあるでしょう。 

自分探しの旅をして、実際に本当の自分を見つけたという人を私は見たことありませんが、あれこれ悩んで考えて、たとえ結果が得られなかったとしても、それは決して無意味ではなく、とりあえず気は済むんじゃないかなと思います。 

 

 

・自分探しと言うからおかしくなるんだと思います。 

 

困った時は、まずは原点に戻るということをしたらいいと思います。 

 

たまに、どこかおかしな所に行ってしまって帰って来れなくなる人がいるんですよね。 

 

そうなれば周りの人も助けてあげられなくなるんだよな。 

 

自分探しもいいですが、誰にも助けて貰えなくなるような所まで行かないようにしないとね。 

 

 

・人生の意味を考えるのが自分探しの原点だと思う 

やりたくない仕事でも一生懸命打ち込むと馴染んでくるけど、ある日立ち止まって我に返る 

そんな人は、そこからやりたい事目指すようになる。自分もその一人。35歳で生き方変えた。40歳過ぎて今のペースに収まるまで時間かかった 

そんな人を含めて馬鹿にするのは見識不足。自分の打ち込んだ仕事は今でも誇りに思う。その誇りを持って次のステップに辿り着いた 

20代の生き方は心の底では自分らしくない。いつまでも続けられないと実感だけあった。でも簡単に切り替えられない。真剣に打ち込んでたから 

 

 

・日本人は社会や周りの人に合わせなければ生きていけない。 

しかし合わせてばかりでは、そのうちに自分というものを見失ってしまう。 

日本の社会は周りに合わせなきゃならないことが多すぎてストレスも大きい。 

だからときどきは自分というものを見つめ直し、しんみりと自分探しをする時間も必要だと思う。 

自分自身の本当の「心」と向き合うことは大切だ。 

 

ひろゆきっていう人はおそらく自分自身と本当に真剣に向き合ったことがない人なのだと思う。 

 

 

・「自分探し」という言葉が最初に流行った氷河期世代ですが、原点に戻ったり、今の延長線上で新しいことにチャレンジしてみたりするだけで十分自分を見つめなおせるのに、放浪の旅に出ようとしたり、人生ほぼリセットみたいなムチャやってる人を見かけました。それ正直自己満足なんですよね。さらに悪いことに何故かこの言葉は廃れないままになっている。ワードだけ先行したよくない例だと思います。 

 

 

・私は、人生なんて言ってしまえば”永遠の自分探し”だと思っています。そう考えると、今の状態に安住せずに、ずっと夢見て探し続けたって構わないと思います。 

食べるために最低限稼いで、納税さえしていれば、心の中で夢を見るのはタダです。 

 

また、こうも考えています。 

昭和の人は、人生をワンクールで考えていますが、これからはツークール働くことになるかもしれません。昔の人の中には55歳で定年を迎える人がいました。いまは75歳になるかもという説が出ているほどです。 

寿命も伸びています。 

ですから、前半の人生と後半の人生があって、後半のために前半でも適性だったりワクワクすることを探しながら生きるのは、アリだと思っています。 

 

もちろん、ワンクールで辞めて、悠々自適に年金で暮らせればいいんですけどね。 

 

 

・確かに、いままでやってきた自分は自分というものになってる、ひろゆき氏の言い分は分かる。 

 

なにをやってきたか分からないから”自分探し”を始めたいなら別に宜しいじゃないか。 

 

個人的に、原点に戻って自分探しは勿体無い、前向きのみです。 戻って見るよりも先へ行くのが楽しい。 

 

 

・自分探し、いいと思うよ。もちろんいいことばかりではない。 

単に時間と労力を浪費する結果になるかもしれないけど、そもそも自分を探そうという選択に至った何かを抱えているわけで、 

それって何なんだろ?とか自分とは?と問い続けるのは別に悪い時間でもないと思う。 

つまるところ、自分と外界との関係性に関する渇望などが要因だと思う。外界は問わないと言うならばひたすら自分を内向していけばいいだけであり、 

外界に何かを求めて自分と感覚的に一致する環境、コミュニティ、状況などによるのであればさすらってみるのもいい。 

自分探しとかダッサとか言って黙々と工場でライン作業してりゃ正解ってわけないんだし。世間的にウケがいいだけだろ。 

 

 

・確かに自分探しって行って海外旅する人は痛い人が多い印象あるな。私も海外旅行経験多いけど、自分探しと思った事は一度もない。ただただ未知の経験、未知の世界と出会えるのが海外旅行の良さだと思ってやってるだけ。海外旅行する前と後で自分は色々変わったからその影響力は大きいと思うけど、決してそれで自分が見つかったとかいう事はない。 

 

 

・日々の仕事に忙殺され、複雑な人間関係に揉まれ、SNSでは他人を批判し、腐った政治に腹をたてて生活していたら、ふと「自分って何のために生まれてきたんだろう?」と思う時もあるよね。こんな時は自分探しでもしたくなる場合もあるが、本当は皆自分の使命を探したいと思っているのだと思う。 

 

 

 

・自分を探すってことは、今の自分に満足してないってこと。 

 

ただ、自分好みの自分なんて探して見つかるものでもないと思うし、自分の思う通りに生きている人はごく少数。 

大抵は時間が足りないか、金が足りないか、両方足りなくてもがいている。 

 

じゃあ金と時間があれば幸せかっていうと、必ずしもそうではないし、金と時間がなければ不幸かって言えばそうでもない。 

 

自分を探す人はとりあえず何が自分の幸せか、もしくは何が不幸かをちゃんと考えた方がいいと思う。 

 

 

・自分探しなどと思ってもいないけど外国に行ったりすることは別に若いうちにできることをしておくのもいいと思う その中で何ができるかできないか向いているか向いていないかに気づいたりすることもあるので 別に人それぞれでいいと思う ひろゆきこそ自分探しをした方がいいと思うが。 

 

 

・自分探しってよく馬鹿にされるけど実はとても大事なこと。自分の知らない考え方や価値観に出会い、自分は人生で何を大切にしたいのか、どんな人間でありたいのかを悩む。そして悩んだ末に自分の軸を見つける。それは一生の財産であり、生きる上で心の支えとなります。 

 

 

・どうせこの人生を達観したわけでもないだろう。 

旅に出て自分探しとかいくつになってもやってかまわないじゃないだろうか。 

たとえば定年退職してから海外に旅に出たりして新しい自分を発見するのは生きていることの喜びだと思う。海外に出なくても新しいことにチャレンジするとかいいよね。 

 

 

・名言されてないけど、つまるところは「自分探し=自分探しの旅に出る」という暗黙の了解での内容なのかな?であれば氏の言い分は理解できる。まぁ毎回だけどもう少し言い方に気を付ければいいと思うけど。。。いつも氏は人をムッとさせる言い方をするからね。 

 

海外旅行好きなのでけっこう行ったことがあり、そういう人ともよく繋がった身として感じたことは、よくよく話聞いてると、「旅」じゃなくて「旅行」でしょ?というものがほとんど。決められた工程でお決まりのモノを見物し、帰国して「ああ良かった、人生観変わった」と。スマンがそんなことない。 

 

人生観変わるくらいの刺激を求めるなら、それこそナイロビとかヨハネスブルグとかコロンビアとか行かなきゃ。昔と違ってインドくらいでは。。。。 

 

なので自分探し(?)を欲している人がそれを口に出すことで、自身に酔いしれてる感は否めない。 

 

 

・自分探しって言葉にも、何か妄想に取り憑かれた人的な怖さが有る。 

只、今の人生と場所、それと別の場所と別の人生の人達を比べて見て何かを判断するのは間違いではないと思う。 

結局は選択肢、ÀとBを比べないと解らないという問題もある。 

 

 

・それこそこの人の感想でしかないわけだけど。 

自分の行動の理由、深層心理とでも言えばいいのかな、そこを深く見つめないと気づけない物事というのはあるわけで。 

それを繰り返すことで自身の傾向を理解する必要を自身に感じる人、感じない人、必要があるように見える人、見えない人、別に居ようが居まいがどうでもいい。 

世界の認識の仕方が違う人の存在は不快だが、すぐ隣で暴れてなきゃ放っとけばいい。 

 

生来の本当の自分とは何かを探すのはばかげてるとは思う。 

ヒトは他者の影響なしに成長することは不可能。個人なんて言ってみたところで実際には社会という群れを構成する本能から逃げられない。 

承認欲求とは群れに所属するための勝手に動いてしまう仕組みだし。 

「私」なんて社会という一つの生き物の一つの細胞程度に過ぎない。 

 

 

・どんな年齢からでも新しい要素を発見して楽しめるから人生楽しめると思ってきました。 

自分探し、というよりも新たな捉え方や楽しみ方の発見の先に形や取組みが見えてくるかもしれません。 

 

 

・これ、感覚的にはわかります。 

何だか、フワフワした人に多い印象。 

 

でも、話はそれで終わっていいのかな。 

人って、自分にどんな可能性があるか、 

わからないじゃないですか。 

だから、「自分探し」を、 

フワフワした人の専売特許にするのではなく、 

みんなが普通にそれができる社会になればいいんです。 

かくいう私も、「自分探し」と称して 

仕事をやめたり何かから逃避した事はありません。 

というより、逃避でもしないと 

「自分探し」ができないからいけないのであり、 

真面目に仕事や家庭生活や学業をしつつ、 

同時に「自分探し」ができればいい。 

今、世で言う「リスキリング」の方向性を探るのも 

これと似た試みだと思うんです。 

 

人は、仕事に対して、 

あまりアイデンティティを持つべきではない、 

なんて言います。 

であればなおさら、 

「他に何ができるか?」 

常に模索できる機会はある方がいいと思うんです。 

 

 

・ひろゆきさんはこれに当てはまらないだけで、当てはまらない人をオツムが足りないと公言してしまうのは視野が狭いと感じます。 

自分が思う=正しいとは限りません。 

決められたレールに乗らなければならない人もいるでしょうし 

頑張って来たけど裏切られる人もいるでしょう。 

若い人しか生き方をクリア出来ないのは違うんじゃないかな。 

何が正しいかは自分しかわからないって事だと思う。 

 

 

 

・自分探しは、いくつになっても誰かに制限されたり批判されたりするものではないと思います。 

オツムが足りないという決めつけの言葉に左右される必要は無いですね。 

この決めつけ発言などは、収入を得る手段として注目してもらう為のものですから、特に気にすることはないでしょう。 

 

 

・コレは同感。 

自分探しとか、大人になんか成りたく無いとか、、 

一時期流行ったけど、違和感感じてました。 

 

ちょっと前のCMでも、息子が 

「オヤジ頑張って来たんだよな!ありがとうな。オヤジ!」 

みたいなCMもあって 

年配者に対する尊敬の念が全く無いのが今風、、、ってな感じを 

マスゴミをはじめ煽ってましたけど、 

気付いてた人は少ないだろうなぁ。 

 

仕事柄、電車に乗ってる事が多いけど、 

みなさんスマホ見てるけど 

パズル、ゲームしてる奴しか居ない。 

 

ニュース配信見てる奴を見た事が無い、、、、。 

 

 

・今の自分が納得いかないから、何度でもやり直したいっていう気持ちを持って 目標に向かって 尽力しながら 生きるのは悪いことじゃないと思うけどな。 ないものねだりだったとしても、必要なものをつかみ取りたいと思って尽力をして 目標を 埋めていく 気持ちがなくなったら何の面白みもないよ。 

 

 

・額にかけたメガネを一所懸命探す人もいるように、自分を見失ってしまった人もいるのだろうね 

そういうこと言ってしまう人は早い話が病んでるので、あんまネタにせずそっとしといてあげるのが優しさではないかな 

 

 

・30年以上も昔に旅行会社、旅行代理店が掲げたキャッチコピーですからね。 

自分探しの旅 

海外旅行をすれば、しかも観光地ではなく、田舎のフツーの地元民と触れ合うことで、新しい発見があるかも知れない。 

日本人である自分の存在意義を発見できるかも知れない。 

日本の庶民が豊かで、若者がたくさんいた頃のお話し。 

深読みは、あまり意味ないですよ。 

 

 

・これは同意ですね。大体の場合、自分探しはモラトリアムと同義なので。 

ちなみに、自分探しって簡単にできます。「ストレングスファインダー」という本を買ってきて、その中にあるアセスメントを行うと、自分の強みや向き不向きがわかります。ガンジス川で沐浴する前に、脱サラしてカレー屋を開く前に、自分が探せます。2000円未満で。「そんなもので本当の自分はわからない」と反発する人は、そもそも自分と向き合う気がない、または実際は向き合いたくないのだと思います。その程度のことも試せないのであれば。 

 

 

・わかる気はする。 

大人になってやりたいこと変わったり、新たな道に進みたくなることもあるけど、 

それはそれで良いと思う。 

でも自分探しって言葉の通り探してるわけで、自分が何をやりたいか、どうなりたいかすら決まってないけど今の環境は変えたいってことなんだわな。 

 

今の環境で努力しながら次の目標が出来て違う世界に行く人は、自分探しなんかしてないで自ずと次にやりたいことが決まってるんだわな 

 

 

・探求心又は挑戦でいいんじゃないかな。 

探求心に年齢は関係ないし挑戦は人が決めることではない。 

理想と現実は相次入れないものでなくて、二人三脚だからこそ前進があるのだと思う。現実を見ないで理想ばかり夢見てる状態がひろゆき氏の言う「自分探し」なのだろう。 

 

 

・別に良いと思うけどな。 

 

家族のために馬車馬の如く働いて、余裕ができたらもう一度自分探しに出てもよいと思いました。 

 

自分って年齢によっても変わるし、何歳になっても自分探ししてよいのではないかな。 

 

 

・昨今あまり聞かなくなったのですが まだそんなこと言う人いるんですね… 

まぁ…今の自分がなぜここにいるのかわからなくなるということは 色々と悩むとあるとは思います 

でもそれで自らを振り返るために時間を要するのは まだちゃんと自分が形成されていない20代までかと思いますね 

経験が多ければ多いほど 自分が形成されたものというものがここにあるというのは分かるものかと思います 

 

 

 

・人生に休憩は、いくつの年齢であってもいいんじゃないか?フランスなんか特にそうだろう?欧米人は40過ぎてから大学とか平気で行くし…。海外を放浪しても良いじゃないか。って俺も40過ぎてから、大企業辞めて、退職金使い果たしてアメリカ行った。気づけば18カ国の友人ができた。西海岸にいただけでも人脈ができた。親の金で留学生の若造より、数ヶ月で場馴れしているし、自由に何でも出来たり、自立して行動出来たな。オッサンであり、人生を半分捨て身で行ったから、身構え方や、覚悟が違う。 

人それぞれで良いじゃないか。 

 

 

・自分探ししてもいいんじゃないでしょうかね? 

私はまず、やらないですけども 

 

確かに、私の経験上 

自分探ししている人の大半は 

ありもしない可能性を信じていたり、夢見がちなアホが多いのも事実です。 

そして、その多くは他力本願で 

何かあるたびに、環境や他人のせいにして 

自分の力では何一つ成し遂げようとしなかった人が多いのも事実です。 

 

みっともなくても人からバカにされようとも必死にもがいて努力してきた人ならば、少なくとも自分自身が何者で、自分に何が出来るかくらいは理解しているものです。 

自分探しなんて必要無いのですが 

 

しかし、それゆえに自分の無能さを知り過ぎて苦しむ人もいるでしょう。 

 

たまには、 

自分探しという名の、言い訳と休憩も 

人間には必要なのでは?と思います。 

 

 

・ひろゆきとか堀江とかDaigoとかネットで人気な人らって極端過ぎるし他人を馬鹿にし過ぎだよ。 

今まで生きてきた結果が今を作ったって、そんな事分かった上で立ち止まって考える時だってあるだろうよ。 

さも自分達は達観している風で上から目線で話すけど、そんなにも自分の事が本当に分かっているのか? 

今の状況に流されていないかとか、どこか妥協とか諦めとかないかとか、何歳だろうが人生を見つめ直してチャレンジしていく人もいて良いと思うけどね。 

他人の夢とか挑戦を笑う人達ってのはこういう人達なんだろうな。 

何か意味あるんですかとか金になるんですかとか、その年齢からは無理とか言ってさ。 

 

 

・まあ逆に言えばさまざまな経験が未来の自分を作るとも言えるし、自分の適性や本質が不幸にも30年とかの人生では見える機会がなかったとも受け取れる。 

 

ただ痛いのには変わりなくて。 

成人後、流石に25くらいを超えたらプライベートの傍ら社会活動に結構な比重を置くのが社会人として望ましい姿勢ではあるので、それをおろそかに自分なんて探してる暇があるやつは確かに社会的には痛いよねって事。 

 

 

・まぁ良いんでないかな。 

その人の人生なんだし、1度立ち止まって旅に出ても良いとは思うよー。いくつになっても。そこで何か閃いて新たの事にチャレンジしても良いしね。 

ズルズルと気に入らない事をやり続けるのもどうかとは思うけどね。 

 

 

・犯罪に走るとか誰かに迷惑をかけるのでない限り、生き方なんて人それぞれで良いさ。 

「自分探し」も含め、ね。 

 

逆にひろゆき氏の 

「今まで生きてきた結果が今の自分を作った」 

という言い回しを借りて言うなら。 

ネット上で他人を公然とこき下ろす今の貴方の姿が、これまで生きて来た結果という事に他なりますまい。 

 

 

・人それぞれでしょう。自分のやりたい事探したり、自分の過去の足跡を辿ってみたり。ほんとに自分が誰だか分からなくなったという人もいるかのかもしれませんが、稀でしょう。そんなに悪い事では無いと思いますが。 

 

 

・自分探しかー色んな価値観の人と会話するだけでも自分の考えや価値観って変わる可能性があるから、わざわざ自分探しって言わなくても日々自分は更新されてる気がします。歳を重ねると自然と自分の考えや価値観は変わって行きますからねー 

 

 

・探さないと自分が見つからないってのは、おツムが足りないというよりは、自我の形成が足りてない。 

そして、自我の形成が出来てないということは、探してみたところで自分を見つけることは絶対に不可能。 

尚、正常なら、だいたい三歳位までには自我の形成を済ませることができるはずです。 

 

 

・自分探し、ね。 

若い頃「留学なんて現実逃避だよ。自分探しの旅とかいうやつ?」と、少し憧れてた先輩に揶揄されて笑われた時は不快だったな。 

その後留学経験があったおかげで希望の職についたら、揶揄してきた先輩は途端に私を避けるようになり、疎遠になった。 

 

自分には出来ない事を私がやってしまったから、むかついてたんだな、小心で勇気がない男なのかも、と、その時彼の本音がわかった気がして、彼への憧れが一気に冷めた。 

今でもその先輩とは、恋愛関係にならなくて良かったなと思っている。 

 

 

 

・SNSで名の売れた人間が、ネタを探しては好き勝手書いてる。それをアルバイトが拾って、スポーツ紙や週刊誌が記事にして載せる。いままでは、暇つぶしに読んでたけど、最近そんな自分のエネルギーの無駄使いに気づいた。人を平気で腐したり汚い言葉で罵る。世間の反応次第で、増長したり平気で前言を翻して謝罪して削除。なんと軽いことだろう。要は読まなきゃいいだけの話なので、他の事に振り向けます。 

 

 

・大したものを身に着けず、自堕落に日々を送るのは後々人生がハードモードになりそうだけども、何度も学び直して、世の中の状況に合わせて転職したりスキルアップするのは全然良いと思う。 

 

 

・影響力のある方が、自分探しという言葉を見下すように使用するのは良くないと感じました。 

同調して使用されて、ひろゆき氏の発言を知らない人が傷つく可能性もあると思います。 

 

 

・自分探しでインドに行く人とかいますけど、自分を探して移動しなくても自分は常にそこにいるんで、鏡でも見たら良いと思います。 

イケメンなら世の中ヌルゲーですし、ブサイクならハードモードということになります。 

 

 

・いい歳してっ言うけどね、定年まで突っ走って、色々な縛りから解放された時に「あれ?」って思うひともいるんじゃない? 

俺だって、もうそろそろの歳だけど、人生の折り返し地点って、また新たな人生の幕開けだと思うようになってきた。 

あまりひとを見下した言い方はやめたほうがいいね。みっともない。 

 

 

・人生何度でもやり直せる 

って言葉よく聞くけど、40過ぎた当りで 

「いや、人生って一度きりで二度と戻れないし、 

年取って死んだらそれでお終いなんだよな、 

タイムリープなんて当然ないし、 

生まれ変わりなんてのもない、 

ただ死んでおしまい」 

ってすごく当たり前の事に改めて気づかされて、 

なんだか怖くなって、なんとなく生きてきた過去を悔いたよ 

 

 

・いい年して自分探しとか言う人に残念な人の割合が高いのはまあ否定し難いのだが、 

本質的には単なる言葉の言い回しの問題であってだな。 

自分探しというワードに過剰に反応してやたら叩く層も良くいるけど、 

それはそれでいかがなものかと。 

 

 

・ロマン主義的な考え方がいまだに人を動かしていることに驚愕すべきだろう。軽蔑するには歴史的スケールがデカすぎると言っても良い。18世紀まで遡るのでは。その規模の思考様式なんて冷笑したって変わらない。 

それに対する冷笑すら200年の歴史があるから、ひろゆきも含めて驚愕すべきかもしれないけど。いつものネタ、ブラボーという。 

 

 

・「自分探し」って言い方が安っぽいというのは分からないでもない。 

ただ、学生時代に簡単に見つけられるものでもないと思います。特に仕事については。 

ブラック企業は新卒騙して兵隊育てるような所有りますし。就職後に考え直す事もある。 

 

 

・説明がダルいから誰もがそれとなく理解していてそれ以上詮索されない魔法の言葉として自分探しって言ってるだけだと思うんですがね。 

文字通りの意味を真に受けて信じるほどピュアな年齢でもないでしょうに。 

そういう捻ねた返しになるような流れが何かしらあったんでしょうが、最近は特に取ってつけたようなコメントが増えたような気がして、お疲れなのかな?と思ってしまいます。 

 

 

 

・それなりの収入が定年まで得られる法律に違反しないば職種ならなんでもいいと考えてる私には『自分探し』はなかった。普通にサラリーマンやって恥ずかしくない年収で住宅ローン払って家族4人です。自分探してたら私のような凡人は今の生活がない可能性が高い。 

 

 

・『今まで生きてきた結果が今の自分を作った』それは確かなんだけど、今の自分じゃなく「明日からの新しい自分」は、何歳になっても探していいんじゃないのかな? 

新しい自分って、今の自分を作ってきた過去や価値観を捨て去ることで見つかるんじゃないかと思う 

歳食ってるけど、もう遅いとは思わず「まだ間に合う」と考えるようにしてます 

 

吉田拓郎 「まにあうかもしれない」から抜粋 

 

僕は僕なりに自由に振るまってきたし 僕なりに生きてきたんだと思う 

だけど、だけど 理由もなく めいった気分になるのはなぜだろう 

 

「まにあうかもしれない今なら 今の自分を捨てるのは今なんだ」 

 

まにあわせなくては今すぐ 陽気になれるだろう今なら 

「大切なのは思い切ること 大切なのは捨て去ること」 

そうすりゃ自由になれるなんて思っている程甘くはないけれど 

だけど今は捨て去ることで少し位はよくなると思えるんだ 

 

 

・自分探しの何が悪いのかわからない。 

時代の流れが早くなっているのだから、今までの延長線だけではどこかで行き詰まることもある。 

行き詰まってただ死を待つのもどうかと思う。 

 

 

・普通にいつまでも成長できるし、やり直しもできるので、自分探しをしても良いですよね。 

いろいろなことにチャレンジする自由を奪わないでほしいですよね。 

 

 

・歳を取って、自分が何者か見つかったというより、自分はこんなもんだと諦めが付いたという方が正しいような。 

歳を取っても、今の自分に諦めが付かない人は、まだそういう気力があるのなら、何度でもあがきもがけばいいと思うんだけど。 

 

 

・過去の結果と、知らない自分を知る「自分探し」は全く別物です。 

自分自身を振り返り、更に新しい発見を求めることは何歳だろうが人生を豊かにする大きなキッカケになります。 

周りを見下して自己満足に浸っているようでは、とても理解できないでしょう。 

 

 

・「自分さがし」と言う言葉は別として、ある程度の歳まで、親や家族の生活の為に、仕事をして来た人が、その家族もいなくなったり、独立して、ある程度余裕が出来た時、これからの自分の人生を考え直すことはあると思います。 

これからどう生きていくか、今の仕事を続けるのか、本当にやりたかった仕事はなんなのか等、ゆっくり考える人を愚かとは思いませんが、、、。 

 

 

・自分探しに行きたかった口ですw 

バックパッカーが流行った時代もあったしね。 

でもよく考えたら自分なんて探しに行かなくても常に己れと共にある。 

何かの歌詞にもあったけどここじゃない何処かなら幸せなのか…ってね、そんな事もないでしょう。 

何処に行っても生き方なんて変わらない。 

変われるなら今いる此処でも変われる。 

結局環境のせいにした自分自身を直視できない逃げである事が多い。 

 

 

・日本人は自我が弱いから、自己を強化するために自分探しをしてる側面もあるかもしれません。 

私もいい年なので積極的に自分探しをすることはありませんが、時々ふとしたことで知らない自分を発見することはあります。 

別にいいと思うな、いい年での自分探し。 

ひろゆき氏は自分の意見としての論評をしませんよね(※私の印象です)。 

自分にも、他人にも、自分を探させたくないのかな。 

 

 

・人間って、人それぞれに色々な可能性を持っているのよ。 

色々な経験をして、新しい可能性に気づくのよ。 

 

ひろゆきはまだまだ子供。 

そして、今の自分に満足をして立ち止まっている。 

 

 

 

・自分探しは私も20代の頃やったが、 

今考えると暇だったんだなと思う。 

まぁ、自分探しというより、内省と言った方がよいと思うが。 

若い頃は内省しといた方がよい。 

結論は長くかかるかもしれないし、出ないかもしれない。今深刻だと考えていることが、10年後にはどうでもよいことになっているかもしれない。 

ただ、あまりやり過ぎると、病む。 

 

 

・今まで生きてきた結果が今の自分を作った 

んな当たり前のことは分かった上で、これまでの自分よりも満足できる自分を目指すための、より良くなる自分探しじゃないの? 

意味が違うならともかく、その考慮が抜け落ちてるならそれもまたひろゆきさんらしいが 

 

 

・今までやってきたことが自分をつくっているとしても 

それを間違っていた、と発見することは悪いことではない。 

いくつになっても自分探ししてもいいんじゃないの。 

なにかから不当に逃げてるならそれを指摘すればいいだけのこと。 

 

ひろゆきとかほりえもんとか、いつも他者を馬鹿にすることに一生懸命。そんな風にそだった大人のほうがずいぶんかっこ悪いと思うけどね(笑) 

 

 

・ひろゆき氏はさておき、自分探し人の体験談を読んだことがあります。 

情状酌量自分探しの強迫観念に取り憑かれてノイローゼ気味になり心療内科で治療を受けて治った方。 

医師の「自分探しなんてしなくて良いんですよ」という言葉で目が覚めたそうです。 

 

 

・自分としては他人の言葉にオロオロする趣味はありませんけどアラサーになっても苦手しかわからないのに改めてタダで探せなさそうなものを探すのは面倒くさそうな気がします。 

 

 

・べつにいいじゃん、何歳になっても自分探ししても。 

人間って何歳になっても変化するものだし、新たな趣味なんてまさにそれなのでは? 

新しい事をしたいとか、変化をのぞむことも自分探しだと思いますが。 

 

 

・なんかこの人たまに必要以上に余計な事を言う時あるよね。言い方がこんなだから余計にそう感じるのかもしれないけども 

 もっと自分の影響力を理解しながら発言してほしい。特に若者への 

 なんというか余計な優しさ見せない奴がこういう事言うとただ、ただ厳しい社会になるだけだから 

 特に、日本は厳しくする事は簡単にやるからね。 

 てかさ、この人なんか妙に人を単一化させるよね。 

 

 

・それまでの人生でどういう思考と葛藤の結果、言葉として自分探しというワンフレーズが出てるのか知らずにオツムがーと言い出すのはさすが。 

ホリエモンが絶縁したのは、こういう一言一言の背後を知りもせずに目を光らせて噛みついてくるから、説明するのが面倒になったんでしょ。 

 

 

・こういう、一度止まって、周りを見渡すことって必要なんだと思う。それを「オツムが足りない」と言うのは、どうかな。人間、そんなに自分の芯を通し続けるの、できるわけじゃない。 

 

 

・自分探しって言葉の持つイメージの問題では? 

自分探し=今だに自分を理解していない=迷子、、というイメージしかない。 

自分を見つめ直す=一度は自分を理解したが、何か違うと思い改めて考え直す=ちゃんと先に進んでいる、方向が見えている、、って感じかな? 

 

 

 

・大人になってから自立もせず、他人に迷惑を掛けての「自分探し」なら確かにイタい感じはします。 

ですが、自立してあくまで自己責任での行動ならいいじゃないですか。 

ハッキリ言って「余計なお世話」だと思います。 

 

 

・自分探しという言い方が悪いだけ。私は20年以上仕事していく中で、考え方も目指すところもどんどん変わっていったけど、それが普通。仕事せずに何か目指すところを探しているとか言うと、ある意味、金があっていいねえと。 

 

 

・『昔の冒険家が言ってたな・・・ 

「人間には時々ふと立ち止まって考える時間が必要だ」 

「そしてそれができるのは人間だけなんだ」と 』 

 

漫画家 士郎 正宗 原作の【攻殻機動隊】の台詞を捧げます。 

 

 

・人それぞれだから自由でいいのではないでしょうか?人生否定するのは良くないと思います。なぜ、あなたは中央大学いきましたか?目的はありましたか?たまたまネットを作りたいと思って立ち上げたのでらないでしょうか。根本は人それぞれです。 

 

 

・自分探しの旅ではないが、20代の時に半年くらいバックパッカーしていたが、おっしゃる通り。リセットにはなったけど逃避行でしかなかった。 

そして、良い年して今も見つかっていない… 

今の所の結論は、人生は死ぬまで自分探しだと諦めている。 

 

 

・今までの自分ではなく、これからの自分の 

生き方を探しているのでしょう 

どう生きるか 

 

頭が悪いと言う批判は、頭がいい人が 

口にしないと意味はないと思います 

 

 

・今まで生きてきた結果、、、それに満足できないと思える方がステキだと思います! 

自分探し、新たな自分を発見して、進化する。とても勇気がいるしかっこいいと私は思います。 

もちろん口だけの人は論外ですが。。 

 

 

・いい歳してとは、具体的に何歳?誰のことだろ? 

自分探しというか疑問を持ち考えることは大切でしょ。それを止めて「自分はこれでいんだ!」と猪突猛進してたら今までと同じだろ。社会も人間も今までと同じで成熟しないだろ。 

 

 

・自分探しか分かりませんが、何歳になっても冒険すれば新鮮な発見はあると思う。落ち着いた大人ぶらなくても、よいのでは?人生一度きり、やったモン勝ちですよ。 

 

 

・現実逃避の言い訳だよね。 

 

それから自分で自分に「頑張った」っていう奴もどうなんだろうね。俺は、頑張るって言葉は他人に判断してもらう言葉だと思ってるから、自分で頑張ったっていうのは大概そんなに頑張ってないと思う。 

 

 

 

・ずっと見つからないんだったら、ずっと探してもいいんじゃないの 

本人の人生だし 

死ぬまで探せる時間あるんだし 

探さなくてもいい人は、探さなくてもいいんだし 

それをアピールすると、どちらも変な人だと思われるかもしれないけれど 

 

 

・ひろゆき氏の言ってる事は間違ってないが、海外行って色々経験したいというのも自分を作り出す体験なのでべつに矛盾しないと思うんですけどね。 

今までの自分と未来の自分が急に別人になる訳じゃ無いでしょ。 

 

 

・老子「人を知るものは智なり、自らを知るものは明なり。」 

 

タレス(最も困難なことは何か?と問われ)「自分自身を知ることだ。」 

 

2000年以上前、言葉も文明も違う哲学者が同じこと言ってる。人が自分の本質を見つけることは、容易いことじゃないということ。 

 

ひろゆきは高校生くらいで自分を知ったの? 

…神か? 

 

 

・自分探しって、要は自分が本当に好きな事は何かな〜みたいな事でしょ。そんな事、いくつになったって考えてるの自由だと思うけど。この人ってこうやってすぐ他人を揶揄してバカにして封殺するのに、他では日本人は議論ができない〜とか嘆いちゃってるんだからびっくりするよ。 

 

 

・経験値を積む行為を言い換えているだけ。 

勘違い野郎の可能性は高いかもしれないけど、そこまで否定する必要もない。 

別に、100歳から始めた何かが人生変えるかもしれないじゃん。 

 

 

・いい年になったから自分探しをするのだと思うけど?ただし「本当の自分」なんてないから、それは新しい価値観に触れて「新しい自分」を探そうとする旅なんだけどね。 

 

 

・人生は短く、いくつでも探していいのでは。言われるがまま流れるままの人生でふとプツリと何かが切れてしまう事もありそう。そもそも人の人生をそこまで上から目線で否定しなくとも…関係ない 

 

 

・「探す」ってことは裏を返せば何処かで「見つかる」って事だ。 

自分が何処かに転がっているとでも? 

自分は「探す」ものではなく「作る」ものだ。 

作るには時間と労力が必要なことは言うまでもない。 

 

 

・たぶん自分探しってのとは違うと思うけど、年取って自分が自分だって感覚になれた。 

昔は自分じゃない感覚があったけど… 

成長できてるからかな 

 

 

・価値観の違い、あからさまに人生の先輩面するひろゆきたる人物はどうかと思う。他人の事を自分の物差しでしか考えられない、可哀想な人ですね 

 

 

 

 
 

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