( 150715 )  2024/03/19 14:11:04  
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〔PHOTO〕iStock 

 

 いま日本はどんな国なのか、私たちはどんな時代を生きているのか。 

 

 日本という国や日本人の謎に迫る新書『日本の死角』がロングセラーとなっており、普段本を読まない人も「意外と知らなかった日本の論点・視点」を知るべく、読みはじめている。 

 

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 コロナ禍のせいで、日本人は移動しなくなった──。 

 

 そう言われたとき、当然だろうと思う人が多いかもしれない。 

 

 しかし、じつは、日本人はコロナ禍以前から移動しなくなっていることをご存知だろうか。 

 

 話題書『日本の死角』では、「日本人が『移動』しなくなっているのはナゼ? 地方で不気味な『格差』が拡大中」という論考でそのテーマを深く掘り下げている。 

 

 〈地方を理想化する声は、突然つぶやかれ始めたわけではない。たとえば戦前の農本主義や、1970年代の第三次全国総合開発計画(三全総)では地方は都会人が尊重し、立ち返るべき魂の故郷として称えられた。 

 

 ただし現在の賛美の風潮で興味深いのは、たんに地方が理念的に持ち上げられているわけではないことである。集団的な「移動」の変容というかたちで、地方にとどまる人が実際に増えていることこそむしろ注目される。 

 

 東京、中京、大阪の三大都市圏に移動した人口、またそれを総人口で割った移動率をみれば、移動者、またそれに輪をかけ移動率が、1970年に最高値を記録して以降、ほぼ一貫して減少傾向にあることが確認される。 

 

 直近では2020年に68万人と最盛期の158万人の半分以下になっているが、これもコロナ禍の影響というより、あくまで大きなトレンドに従うものであることがわかる。 

 

 三大都市圏へ向かう人びとのこうした減少を引き起こしたのは、ひとつには少子高齢化である。日本では10代後半から20代の若者の移動率が高い。そのため少子化によって若者が減れば、移動者がそれだけ減少することも当然である。 

 

 ただしそのせいだけで、移動が少なくなっているわけではない。5年以内に他県に移動した人びとは若者にかぎっても減少トレンドにあることがわかる。とくに15歳から19歳の若者の移動率の減少は目立ち、1970年の0.41倍と、全体(0.51倍)と較べても落ち込みが激しい。〉(『日本の死角』より) 

 

 1970年からずっと減少傾向にあるというのは、意外かもしれない。 

 

 具体的には、移動が減るとはどういうことなのか?  

 

 

 『日本の死角』の論考の中で、「最大の問題は、移動の減少が均一にではなく、格差を伴い生じている可能性である」という指摘がされている。 

 

 〈『移動できる者』と『できない者』の二極化が進んでいる。 

 

 かならずしも地方から出る必要がなくなるなかで、都会に向かう者は学歴や資産、あるいは自分自身に対するある種無謀な自信を持った特殊な者に限られているのである。 

 

 問題は、そのせいで地方社会の風通しが悪くなっていることである。 

 

 学歴に優れ、資産を持つ『社会的な強者』だけが抜けていく地方になお留まる人びとには、これまで以上に地元の人間関係やしきたりに従順であることが求められる。 

 

 結果として、地方では『地域カースト』とでも呼べるような上下関係が目立つようになっている。 

 

 移動の機会の減少は、それまでの人間関係を変え、ちがう自分になる可能性を奪う。その結果、親の地位や子どものころからの関係がより重視される社会がつくられているのである。 

 

 そのはてに二極化した光景が、地方社会でよくみられるようになっている。飲み屋や「まちづくり」の場などで大きな顔をするのはいつも一定の集団──少し前には「ヤンキーの虎」などと呼ばれもてはやされた──で、そうではない人はひっそりと地元で暮らさなければならないという状況さえみられるようになっているのである。〉(『日本の死角』より) 

 

 これを読む人は、移動をしている人だろうか。 

 

 地方に住む人であれば、「地域カースト」といった人間関係に心当たりはあるだろうか。 

 

 移動が減っている現実を直視し、日本社会の未来を考える契機としたい。 

 

 つづく「老後の人生を「成功する人」と「失敗する人」の意外な違い」では、なぜ定年後の人生で「大きな差」が出てしまうのか、なぜ老後の人生を幸せに過ごすには「経営思考」が必要なのか、深く掘り下げる。 

 

現代新書編集部 

 

 

 
 

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