( 150984 )  2024/03/20 12:37:37  
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・集落の中で話し合いをし、現実的な決断をする姿勢や、若い世代の意見を尊重する姿勢が重要であるとの意見が多く見られました。

地域に根付いた感情や思い出と、現実的な判断の板挟みについて多くの方がコメントを寄せています。

また、過去の経験を参考にしたり、集団移転の成功事例や意義について述べられるコメントも散見されました。

 

 

(まとめ)

( 150986 )  2024/03/20 12:37:37  
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・災害の危険性があるところに住む人にも責任がある、という意見も多いけれど、もちろん命には変えられないけれど、そこに人生の思い出が詰まった人が、離れられないという気持ちも、自分も歳を重ねる中で少しづつわかってきました。 

特に子供が生まれてからは、壁の傷ひとつ、庭から眺めた景色の一つでさえ、幸せな思い出を思い起こすのです。 

そうした感傷的な思いに引きずられず、話し合いの末に現実的な決断をした集落の皆さんを尊敬します。 

感情のやり場を尊重しての石碑なのでしょう。 

 

 

・もう20年になりますか。地震発生から一週間後、被災地で車中泊していた両親を救うため、関西から車で現地に行きました。一般車両立入禁止区域が多く、なかなか市街地に行けなかったのを覚えています。崖崩れから救い出された2歳児も、今では22歳になられたんですね。ついこの前のことのように、いろんな記憶が蘇ってきます。 

 

 

・最後は若い者の意見をと言える人間でありたい。 

これからを担う者の意見を一番にすること。それは地域を作っていくことになる。とても難しい決断になるが、いろんなことを考えた上で、次の世代がどう生きていくのが良いかを考えることは大切だと思う。 

 

 

・北海道新十津川町は、奈良県十津川村の移民が集団で開拓した町です。 

明治22年8月、1日に1000ミリを超す記録的な豪雨を受け、十津川村の多くの集落が水没。 

村の4分の1の610戸が被害を受けて168名が死亡、約3,000人が家屋や田畑を失うという壊滅的な被害を受けました。 

 

新たな生活地を求めて600戸、2,489人が北海道への移住を決断。 

不屈の取り組みにより、現在は道内有数の米どころに発展しました。 

北海道新十津川町では十津川村のことを「母村」と呼び、住民同士の交流が盛んに続いています。 

 

 

・これから先も、災害に合うことは避けられないのが日本である。 

過去の経験者の考えや話を聞いて、「これから」の参考にするのは重要な事だと思う。 

今回の能登の地震で被災をされ、その土地を出ないといけない方は多数いると思う。その判断も近々求められるだろう。こういう時こそ行政が親身に力になって欲しい。行政の担当者はしっかりとした知識と行動を示してくれることを切に願う。 

 

 

・私は転勤族でかれこれ全国12ヵ所に転居しました。その経験からすると、どこも「住めば都」で良い思い出ばかりで知り合いも多くできました。そして、自分が生まれ育った場所よりも良いところが多いのに気付きました。世の中の多くの人はその様な経験が乏しいので故郷に執着するのでしょうね。よって、今住んでいる所を今後の良き故郷にするとの発想が大事かと思いますね。 

 

 

・当時は新潟に住んでいて地震を経験しました。 

小千谷に少し住んでいたこともあるのですが、錦鯉の池がたくさんある自然豊かな思い出のある場所です。 

生き埋めになっていた山を隣の山から見た時は、あんな大きな土砂崩れだったのかと驚きました。 

もう20年なんですね。あの頃に出会った方々は元気にされているだろうか。 

また長岡花火も行きたいです。 

 

 

・生まれ育った土地に愛着があるのは分かるが震災とかを経験してしまうとそこに住み続けるのが困難になってしまうこともある。難しい選択だがその後の生活を考えるといつかは決断が必要なのかもしれないね。 

 

 

・集落が出来た当時は不都合が無かったのかもしれないが、道路、上下水道、電気、通信、商業施設とインフラや生活物資が容易に入手出来ない場所に住み続ける事は、それらを整備する人達にも難しい問題を与える事になる、不便を我慢出来るかでは無くて自分の代で将来の人達の事を考えて決断するのは大切な判断だと思う。 

 

 

・大変な勇気と実行力に経緯を評します。 

今回の能登地震でも浮き彫りになりましたが、孤立集落は高齢化が進む一方で、インフラなど高度成長期の様に国が助けてくれる事はありません。 

出来るだけ生活を維持し故郷の近いところで暮らすと言う策は、有効な解決策の一つだ思います。 

まずは、命と生活の安定が大切だと思います。 

 

 

 

・地方では過疎化が進み、住民の多くが高齢者という地域も少なくありません。地震や津波が起きたとき、高齢者はどうしても移動に時間が掛かり、逃げ遅れてしまいます。これを防ぐには、そもそも被害が少ない地域へ移住するのが一番です。 

 

一方、東日本大震災では集団移転がうまくいかなかったケースもあります。その共通点を見ると、行政と地域住民のあいだでどのように復興するかの対話が不十分だったり、震災前からの地域コミュニティーを継続することへの配慮が不十分だったといったことが挙げられます。 

 

この記事の場合では、説明会を頻繁に行うことで、行政と地域住民は十分対話しています。また、集団移転後も住民が主体的に街作りに関わることで、震災前の地域コミュニティーが維持できています。こうした点が集団移転の成功に繋がったのでしょう。 

 

 

・いい記事ですよ。実際被災された方の苦衷が伺えますし、読者にも災害復興はどうあるべきか、色々と考えるきっかけを与えてくれます。 

 

>俊郎さんは「能登の人もこれから集団移転の問題に必ず直面する。住民らがどうするのか決断できるよう、自治体のトップは選択肢を示せるように行動してほしい」と話す。そしてこう続けた。「60年、70年と慣れ親しんだ土地から離れるのはさみしいかもしれない。ただ土地を守りたくても自分の力ではどうしようもない時がある。最後は若い者の意見を尊重するほうがいい」 

 

84歳の鈴木俊郎氏の見識に同感します。 

 

 

・先祖代々住んできた土地、生業が成り立っていた懐かしい土地。たとえ災害で無残な姿になろうとも、思いは残り、移転に踏み切るのは難しい判断だろう。 

この方は危険な災害地の中で命を守れたことに意識を集中した。それだけを理由に故里を離れる決断をした。そして他の人たちの思いを尊重しながら移転をリードした。その時、集団で移転できること、国が新居への補助を行うことが大きな後押しになったと思う。 

元々過疎地域になりつつある場所での災害地の方達の一つの選択肢になりうる事例だと思う。何より本人達の「判断は正しかった」という意見は重い。その判断を後悔せずに済むよう、国はしっかり後押しして欲しい。 

 

 

・この記事に対する直接意見ではないし、またこれにどのような意見を述べるかもそれぞれあってよいと思う。そう断ったうえで、小生の人生とか先祖とのつながりのなかで思うことを述べてみる。まず、小生家族は貧しかった。であるので、親から相続できるものは何もなかった。親を看る立場にもなかったが、年老いた親への経済的支援は一定期間長く続けた。そうした人生であったため、マイホームは自力で取得するしかなかった。であるから、郷愁というものはあるが、自分の人生はこの国のなかで自ら居を定め生きていくしかなかった。これも一つの人生なのである。であるから、先祖伝来の土地・不動産を力説する人には、ささやかな違和感を覚える。本当に裸一貫になると、郷愁とかは言っていられない。そういうこともわかって欲しいな。 

 

 

・近所の神社の説明書きに、対岸の洪水被害で移住した人たちによって建てられたといったいわれが書いてありました。こういうことは昔から、むしろ治水や耐震などの進んでいなかった昔のほうがよくあったことなのかもしれません。今は人気の街になっている吉祥寺も、もともとは駒込あたりの大火で焼け出されて移住した人たちの街です。 

住み慣れた場所を離れがたい気持ちはあって当然ですが、そこでの生活が難しくなった場合、大きな決意が必要になるということもあるのではないかと思います。 

 

 

・地球年齢から考えるとなんとなく地震周期に入っているのかもと頭によぎります。大地震と大地震の間の数十年なんて地球の年齢からすれば一瞬でしょう。その反面地震が続く周期も何十年いやもっとかも。関東大震災以降は巨大な地震はしばらく無かったが阪神淡路の震災の直前には八戸で結構巨大な地震がありました。そして中越地震、東北地震、珠洲市も今回の能登地震の前に結構な地震がありました。熊本でも有りましたよ。地形的に交通の便の悪い地域でしかも山間部などは将来的には地震などの発生時は居住に適した地域では無いと考え移住も選択肢の一つと感じます。そうでなくても過疎や超高齢化を考慮すると安全に生活できる場所に移住するのが賢明に感じます。ぽつんと一軒家は将来的に地震など起きないと言う前提では結構だと思いますがはたして未来永劫地震は起きないと言えるのでしょうか。 

 

 

・学校の計画立案などの仕事をしているけど、適正配置(要するに統廃合のこと)の関連で地方の自治体をいろいろ回ってみた経験から。 

「親は、自分の子どものためならば平気で転居してしまう人が結構多い」ということを体感として知った。 

 

俊郎さんの言う、「最後は若い者の意見を聞いた方がいい」という言葉、その通りなんだけど、同時に子どもがもう独立してしまった世帯の高齢者が取り残されてしまうのも事実。 

そのあたりに結論を求めてはいけないんだろうが、心が痛む。 

 

 

・「60年、70年と慣れ親しんだ土地から離れるのはさみしいかもしれない。ただ土地を守りたくても自分の力ではどうしようもない時がある。最後は若い者の意見を尊重するほうがいい」 

 

この言葉に全てが詰まってますね。 

集団移転は立派な判断だと思います。 

確かに、慣れ親しんだ土地を離れる寂しさは計り知れないでしょう。 

ただ、命を守り、次世代に繋いでいくためには必要な判断だったと思います。 

 

地域の未来を担う若者の意見を尊重しようとする、その姿勢が素晴らしいと感じました。 

これからもお元気でお過ごしください。 

 

 

・私などは一度も地震に見舞われたこともない土地に住んではいるが、石川の被災地を見るとトンデモナイ事が起きたことを認識した、地盤がなんと4mも隆起したり、ビルが横転するなど見たこともない状況に住めるところではない、地盤から崩壊するその様は人間の力では克服は無理だと感じた 

能登半島がまたその海も壊れてしまった様は回復もままならない時間も必用だ 

中越地震のため集団移転を選択されたことは正解だったと言う事を今回の地震でも同意見は皆さんが持っただろう 

命があればこそ、大変ではあるが生計も立てられるもの、お元気に過ごされることを祈るばかりです 

 

 

・出来る限り集落全体か本人の希望する場所に移転した方が良いと思う。集落と言うのは山間地が多い、移転しにくいのは、そこに先祖伝来の農地があり、その農地を中心とした生活をして来ている為だと思う。集落も昨今は、電気が引かれて、現金収入が無ければ生きて行けない時代になった。だが、農業だけで得る収入では生活していけない、近い所に勤め口が有れば良いが、無ければ勤め口の多い都会に行くしかない、でも、行けるの若い者だけ年寄は家で細々農業をしている。一旦都会に出て勤め始めれば、やがて結婚して家庭を持てば、山間の集落には戻って来ない。山間集落に居るのは爺婆だけ、次第に人口減、無人集落のような形に成ってしまうのでは無いでしょうか?災害が一つのチャンスと考え、国の助成を受けて、故郷を想いながらも新天地を求めるのも必要なのかも知れません。とにかく集落全員で何回も何回も話し合う事が大事な事です。 

 

 

 

・地元を離れるというのは最初はとても勇気がいる。でも、結婚と夫の転勤で、一度思い切って地元を離れてみると、そんなに恐ろしいものではなかった。海外に駐在していた時もあったので、それに比べれば国内どこでも日本語が通じるだけはるかに心は楽。 

なんであんなに魅力的とは言い難い地元にこだわってたんだろ?と今では思うけど。若いうちに一度地元離れてみないとお年寄りになってからでは辛いものがあるだろう。 

 

 

・能登の孤立集落を念頭においてのことでしょう。場所への愛着もあるだろうが、こういう集落に住んでる人たちにとっては、住む場所 

土地などが、唯一の資産だったりもする。人がいなくなれば、土地の資産価値もほぼゼロもしくはマイナスになる。 

水も湧き水や井戸から取れたりするので、道と電気さえ通してくれれば、人が住めるので資産としてまだ価値は残る。 

そう思うとなかなか移転に踏み切るのは難しいかもしれない。 

 

 

・10年以上前、日本のどこかの離島で噴火の兆候が高まり、全島避難する騒ぎがあった。ただ、この時点で中学生以下の人数は10人ほどだった。要するに火山が噴火しようが、しまいが、どのみち数十年後には島内インフラや社会が維持できなくなる未来が確定しているのだ。 

だったら今のうち、まだ年齢的にも余力があるうちに、島民の集団移転とかしたほうがいいんじゃないのかなあと思った。 

 

 

・内容のある記事だった。今後の集団移転の議論の際にも参考になるだろう。 

 記事を読む限り、中心となった人がかなり積極的に行政から情報を集め、話し合いの場を準備したことが大きかったようだ。それに若い人が一定数いて将来について発言したことも大きかったようだ。事情は地域ごとに違うだろうが、共有できる経験だと思う。 

 

 

・切実な事が良く分かります。私が考えるにこれから自分の未来の子供達の幸せを考えるなら移転は最適だと思います。将来自分の子供が同じ事になったら先祖を恨むと思います。人間として代々土地を守る事が使命で無く自分の遺伝子を後世に引継ぐ事だと思います。 

 

 

・こういうことを書くと非難されるかも知れませんが、東北の地震で宮城県の津波が襲ってきた海辺の人たちは、その地域の少し内陸で、また新しい街づくりをしているという。慣れ親しんだ街を離れたくない気持ちはわかりますが、防災という面で考えると危険じゃないのかな。 

 

 

・これで一番大事なのは当事者が自主的に話し合って決断したという点では。 

 

故郷は思い出繋がりいっぱいあるわけで、外野の人間が色々言って決めさせる話ではない。 

これは地震だけれども、 遠くない将来、首都圏含めた都会でも インフラを維持できないなどの理由で締めざるを得ない団地やニュータウンなどは出てくるから、人ごと と思わず 参考にする案件だと思う。 

 

 

・当時、がけ崩れの下敷きになった車から幼児が生きて出てきた映像を見て凄く感動した。残念ながら母親は死んでしまった。もう20年も経つ事にも驚く。集団移転の決意には話し合いが沢山あったと思う。13年前の東日本大震災も今年の能登半島震災も辛い事が多すぎる。一番大切な事は子や孫が未来に向け安心して生きて行ける環境だと思う。住み慣れた年長者意見が多くあったと思うが子や孫への危険を無視しては全く意味がない。 

 

 

・勇気ある決断です 

高齢になって住み慣れた土地から移ることは大変な不安でしょうし、若い方の意見を聞かれて移住を決断されたのは、本当に素晴らしい決断力だと思います 

老いては子に従い 

私も老いた時は若い方の意見を聞けるように心がけたいですね 

 

 

・限界集落に住むのは厳しいと思います 

生まれ育った、愛着のある土地は理解できます 

ですが、その為にインフラ整備をしたり、何かあったら救助もしなくてはならない 

自己責任で賄えるなら問題ないが、わがままと言えなくもない 

その為にはある程度の補助や支援をするのは良いと思います 

安い賃貸もあるし、その為の公営住宅でないのか 

1番難しいのはその様な地域に住んでもらわないと困るケース 

マタギや山林管理である 

害虫駆除と雪崩や山崩れを防ぐために必要な手入れをしないと下流で飲料水含めて大災害になりかねない 

自由に生きるのは大変です 

多少の不便とストレスは仕方がない 

 

 

 

・あまり知られていませんが、宮古八重山諸島では1771年の明和の大津波で約1万2000人も死亡しました。その後は長く海岸近くには集落を作らなかったそうですが、いまはリゾートホテルや店舗、住宅が立ち並んでいます。先人の知恵の継承は重要と思います。 

 

 

・この所、災害が目立って増えて来た。地球規模の温暖化の影響が大きいのだろうと考える。第三者的な意見だが、被災地の方々の住宅建設を「マンション化」したら好いのではないかと考える。マンションであれば、一応堅固な建物であるし、住民会合的な会議も楽にできる。更に言えば、共用施設の管理が統一化されて、個々の住宅で行う必要がない。食事やお風呂、便所なども共用化すれば、個々の家庭の賄いも楽になる。年齢が上がって、介護サービスを受ける時も、支援事業者が楽になるのではないかな。勿論、好い事ばかりではなかろうが、集団生活の好さもあるのではないか、と考える。 

 

 

・そんなに経過するんですね。 

そういえば崖崩れに遭遇した車の中から、1人生きてた赤ちゃんが無事に助け出されたのがワイドショーの生中継でされていたのを思い出しました。 

絶望的とか言われてたけど、女の人の声が聞こえたとかで救助が続いたのでしたね。 

 

 

・もう20年か。当時友達が震源地近くに住んでいて2ヶ月家に帰れなかったのを思い出した。 

集団移転、今回も考えてみてもいいかと思う。半島の先端なので中越地震の時よりリスクも高いだろうし。 

お年寄りはなかなか判断できないし、子供から説得するしかないよね。 

 

 

・同じいようにニシキゴイの産地の、 

山古志村は集団移住しても、 

強い思いで村を復活させて、 

ブロックチェーンを使ってNFTを発行して、 

村の魅力を発信したりしてる、 

故郷を復活したい気持ちは少なからずみんなあると思うけど、 

高齢化で後をつげる人がいないと厳しいかもしれない。 

 

 

・友達とカラオケハウスにいたら信じられないほど揺れて部屋を飛び出したら建物が壊れるんじゃないかと思うくらい軋みながら揺れてた。 

揺れが収まって部屋に戻ったら友達が歌い続けててびっくりした。 

地震への恐怖って持っていた方がいいと思う。 

 

 

・俊郎さん、御苦労なさいました。 

「最後は若い人の意見を尊重したほうがいい」 

子供や孫世代の安心安全な未来を見据えた、愛情あふれるお考えなのだと推測します。 

私たちはこうした先人方の愛に支えられ生きていけるのだと深く思いを馳せました。 

よい記事です。感謝です。 

 

 

・下手に土地なんか持つから、しがみつくような変な考えになる。 

始まりがあれば終わりもある。 

 

状況や環境に応じて移転する方が、くだらないストレスも無い。どこでも住めば都です。 

人が少ない場所に再建だの復興だのしがみつき住むのは、これからの時代無駄しかないと思っています。 

 

 

・地震で崩壊の可能性が高すぎる地域は、もう維持しない方向でいくしかないと思います。 

日本全体の少子高齢化がすごすぎて、多少海外から人を呼んだところで焼け石に水。 

地方は、県庁所在地とあと2つくらいの街に集約して住んで、ライフラインを絞り込むようにしないと、日本の税金はメチャクチャに上がります。 

それを払えるほど、日本に人はいない。 

 

 

・災害以外でも、もう日本は数十人、数人の集落の維持はもう難しいのです。 

 

わずかな人数でも、上下水道に電線、舗装道路などライフラインに維持費はかかる。 

 

あらゆる固執から解き放たれて生きると、かなり楽になるものです。 

 

特にこの移転は、今生きている人達はおろか未来の子孫まで救う事になりますから。 

 

 

 

・よくよく見れば、注意喚起の為の石碑はところかしこにあるし、伝承だって結構残っている。 

だけど「他人事」だと思っている人は、そう言うものは気にしない。一種のファンタジーだとさえ思って嘲笑う人もいる。 

「子供に津波は見せない。トラウマになるから」その考えは別に良いんだけどさ、沿岸部に住む、遊びに行くって事は『TSUNAMIは恐ろしい』と言う認識がなきゃダメなんだよ。TSUNAMIに襲われたらトラウマどころか命が亡くなるのに、恐れを知らない人達がファンタジーだと思ってたから、数万人が命を落とした。それが、311。 

「恐れて備える」チャンスはまだある。 

震度7の地域から震度5予想の地域への移住なら20km圏内で足りる所もある。多少の不便を取るか、命を取るかですよ。 

 

 

・「俺はもう住まない。一生住まないよ」こんな決断も被災時は求められるのかも知れませんが、いいきっかけと取るべきか、何としてもそこに住むと貫くべきか。大震災の経験ありますがいろいろと考えさせられます。 

 

 

・賢明な判断。 

反対に、 

福島原発の近隣の双葉町に戻っている人たち。なかには子どもを連れての人も。 

放射線量など気にしない姿勢で復興に向けてと、メディアでも取り上げられて美談化されていた。 

賢明な考えはなかったのかと思う。 

 

 

・先祖代々守ってきた土地とは言うものの、今よりずっと「基本的な生活」のレベルが低く、命の価値もずっっっと軽かった。 

 

昔と同じ生活様式、生活水準でやるならそれでいい。 

昔は行政の手助けなんかほとんどなかっただろうし。 

 

でも、現代の日本の「当たり前の生活」を被災した限界集落で続けたいっていうのは無理あるよね。 

バブル絶頂期の経済状況ならやれたのかもしれないけど。 

 

 

・大英断だと思います。 

そこに住み続けて、結果として自分のみならず子々孫々にまでリスクや不便さを強いることになりますから。 

現役世代の感情論もいいけど、子や孫のことを思えばこそ、ですし、その証として日本各地で津波被害などの石碑が建立されているんです。 

 

 

・結局は「君子危うきに近寄らず」でしょ 

日本全国どこが安全かなんて分からないのだろうけど 

危ない場所、そして過疎化地域なら尚更、集団移転が合理的かと 

(まぁそこが被災しないとは言い切れないにしても) 

先の東日本大震災では「この先住むなの石碑」もあったのだから住まなきゃ被害に遭わずに済んだと先人の教え 

石川、能登にしても、点在している過疎の村や壊滅した輪島市なんかも、普及より新たな所に新都心を作りそこで復興すれば良いのでは? 

空き家問題や火災の原因にもなった狭い路地なんかも解消出来るのだから 

 

勿論、自己責任で今の住居に継続して住むにしてもその復興は自費で 

 

 

・災害だけじゃない。人口減少で過疎地で暮らすことは困難になり、中核地域に集まって暮らすことが対策になる。 

歴史に前例は無いが、各地の議会と行政が協力し合って進めていかなければならない。 

 

 

・人間は感情的な生き物だからこそ危険でも1からの再スタートでもそこに居たい。 

失う辛さや再び立ち上がらないといけない現実。この世のは残酷だが美しい複雑な世界。 

皆が平和に幸せに暮らせる日を望んでも地球はそれを許さない。 

 

 

・土地を離れても、顔なじみの住民と生きていけるならお年寄りにとって全国バラバラ知らない土地に行くより良いきもする。同じ苦労をした仲間で生きていけたらコミュニティがあれば支え合えるかと。避難所とかも、集落であれば互いが分かっててやりやすいかもです 

 

 

・定住の概念が当たり前になったのは近年じゃないかな?特に都市部は。田畑も江戸期ぐらいからの私有とか、戸籍と関所による人間の移動制限がしっかりしてからじゃないのかな? 

 

 

 

・土地への愛着は多くの人にある。地方なら尚更だ。災害を考える場合、安全な土地は日本のどこにもない。大都市の住人はやがて自分たちも同じ決断を迫られることを覚悟しておくしかないだろう。 

 

 

・もう20年余り経ったか。 

東日本震災もまだ帰宅困難地域あり、 

残った家屋を補助で撤去するとか決断を迫られている。人口減、予算減の中昔の通りに全て復興するわけも無い。 

寂しい気持ちは解るが最後の文面のとおり最終的には若い人の意見に従うべきだ。 

そらにしても千葉か豊後水道の地震多発が気がかりだな。 

 

 

・一度地震が起きたら、当分は来ないだろうから 

家がまだ住めるならそのまま住むかな。 

ただ、自分の下の世代に住めとはよう言わん。 

まあ集落のつきあいとか、インフラの状態とかで 

そもそも住めなかったら考えるまでもないけど。 

昭和みたいにこれから地域がどんどん栄えていく 

みたいな希望(幻想?)があるならいいけど、 

今時は地震がなくても自治体が消滅する時代ですし。 

 

 

・情報通信は衛星技術などでワイヤレスでの整備は可能だろうけど 

水道・電力などの社会インフラほかは数十㎞離れた限界集落まで整備維持するのもこの先困難になっていく。 

災害以外でも山間地・過疎地の問題は複層している。 

 

 

・能登半島地震で能登の人々も集団移転するのでしょうか。穴水町、能登町、珠洲市、輪島市の人々は金沢市や七尾市に、あるいは東京まで出てしまった方がいいのかもしれません。 

 

 

・住み慣れた土地を離れて、他の所に住むというのはそう簡単なことではない!土地というのは生活そのものだから!被災された方は、さぞや多くのご苦労をされていると思うと、心がとても痛む! 

 

 

・おぶいは『おぶう』という動詞の活用として間違っていないと思ったのですが、関東弁なんですね! 

ワ行五段活用で、おぶい(ます)で通じると思っていましたが、伝わらない地域があるのであれば、記事である以上平易な言い方が望ましいのかも、とみなさんのコメントを見て思いました。 

 

 

・押し流された非情な記憶、同じような災害に襲われる不安で、その土地に住みたく無い人もいる。災害の地に、以前と同じような町と活気を蘇らせることは、難しい。無駄な税金投入になるおそれがあるので、やみくもに復旧復興するのでなく、現状を冷静に分析すべき。 

福島、能登なども、一考した方が良い。 

 

 

・生まれ育った村とか町とかを語る男性達 

女性が嫁ぐって事は、生まれ育った場所から 

離れて新しい土地に来るんだよ 

いちいちニュースにならないのに、 

いざ男性の立場でそこを離れる事は、 

一大事のように言われる事に違和感です 

我が夫も自分の町を大事に語るが、 

私にだって生まれ育った町があるんだよ… 

 

 

・土地建物不動産等は、基本国民共有の資産で皆が将来に向け運営するもの、所謂国民から借りているので絶対所有や相続継承権ではなく、その時代その地域状況や環境で合理的(多面性)に活用する発想思想が国民に無い、 

例ー西欧の土地概念や江戸時代藩(小作農)は徳川から借受けている思想。 

 

 

 

・津波が来たわけでも原発が近くにある訳でも無いのに何故その土地を離れるのか…?素朴な疑問が有ります。 

地震なんて日本中何処でも起こり得るのに。 

移り住んだ土地が安全な保証なんて何も無いのに。 

 

 

・過疎地に住んでる方には申し訳ないが公共事業で限界集落のような所へ行く事があります 

人が住んでいる以上道路だったり電気水道のインフラ工事が必要になります 

結構な金額がかかるわけで、このお金をいくらかでも 

 

 

・すごいな、集落の意見をまとめるって 

ある程度人口がある地域に徐々にまとまったほうが、何事もやりやすいよね 

先祖代々の土地とか言う人もいるけど、さすがにもう許してくれるんじゃないかなあ 

 

 

・この先、人口減少で田舎の小さな集落は、震災の有無によらず生き残ることはできません…。いち早く集団移転したのは素晴らしい決断だと思います。 

 

 

・こういうの国が主導して補助金を出してコンパクトシティ化を進めるべきなんじゃないの? 

超少子高齢化で全国津々浦々のインフラ整備がままならないんだからさ。 

 

 

・少子高齢化が進む中、災害が起こる前に集団移住が必要ではないか。 

災害道路の整備とか言っているが道路作れば補修が必要で雪が降れば除雪が必要だ。 

族議員と土建業者が潤うだけ。 

日本にはもう、そのような余裕がない。 

 

 

・生きる為に住む場所を変えることは必要。先祖代々、思い入れのある土地なのは分かるけど、守るものは土地ではなく命。考え方を変えよう。 

 

 

・本家も危険地認定で補助受けて移転しました。盆暮に挨拶行ってたので寂しくも感じましたが、やはり先手を打って出れるなら出たほうが正解でしょうね。 

 

 

・何故か大災害の起きた地域に住もうとする復興計画が多いが 

間違いである 

未来を考えて災害の少ない場所に移転すべきで高齢者よりも 

若者を優先すべきだある 

 

 

・先祖代々の土地にこだわり過ぎて、子孫が災害で皆いなくなった家もあるのではと思う。今、現在の人々が生きていくことの方が大切じゃないだろうか? 

 

 

 

・人が住まなくなれば、除雪にかけられる経費も少なくできて、自治体の負担も減る。 

 

情に流されない英断を尊敬します。 

 

 

・みんなの意見を尊重できる素晴らしいリーダーですね 

年長者はコミュニティのみんなをサポートをしつつ 

最後は若い者の意見を尊重する 

人類に限らず生き物はみな自然とこれが出来るから 

生存してきた 

残念だけどこれが出来ない一部の政治家が日本全体を腐らせている 

 

 

・入浴中の地震も本当に悩ましいところ。 

洗髪中とかいつも必死で洗ってすぐ洗い流してる。びしょ濡れで裸でもいざとなったらその時の最善があるのだろうか、、、 

 

 

・「移住」これが正解 

被災地で聞く「先祖代々」とか「老い先短い」というのは言い訳でしかないし、それを認めるなら同じ場所で再度被災しても「救助不要」の記録しとかなきゃいけない・・今回はともかく今後は保障も不要だろう 

 

 

・長年住んできた土地に愛着があるのはわかるが、人間にはできることとてきないことがあるよ。自然には勝てないんだから。 

 

 

・日本はいい国だよ。 

こんなもんどこぞの国なら、国賊呼ばわりされるくらいわがままな話。 

思い出詰まってようが、定期的に災害起こるところに人住まわせるのは、国や県にビジョンがないからできる事。 

結局事なかれ主義だから、毎度の事だが失わなくていい命を無駄になくす。 

 

 

・地震大国 日本において 永久に住める保証はどこもない。 

同じところに住むということは考え方も 固定してしまう。 

新しいところで生き抜く力は必要になる。 

 

 

・英断だと思う。 

自分が生まれ育っただとか先祖代々だとかよりも将来を生きる子供や孫が大切。 

人生や歴史は至る所で作られる。 

 

 

・よく頑張られた 

強靭な精神と暖かいお心 

読んでいて涙が出た 

震災大国日本頑張ろうじゃぁないか 

わたしも広島の雨で家失いました 

苦しかったけれど今は賃貸で幸せです 

 

 

・移転できる平野があって羨ましい。 

能登には本当に土地がないのよ。 

 

数軒ごとならともかく、集団移転できるような土地はないかも。。田んぼ潰すしか。 

 

 

 

・おぶいはおぶってと同じ意味だけどなんで方言と思ってしまう人がいるんだろう。 

おぶい紐って普通に使うよね。 

今の方は抱っこベルトになってしまってるから? 

 

 

・住民の意見がまとまればいいんだよ。 

ただここはわずか11世帯41人に過ぎなかった。 

能登半島だとかなりの戸数があるから簡単にはいかないだろうね。 

 

 

・災害だけじゃなくて 

医療も不十分なので 

山村は集団移転が望ましいと思う 

交通の便を良くする方が 

政治って感じはするけどね 

 

 

・と言うことは、運転席の母親は残念だったけど、車の中で奇跡的に助かったあの時の赤ちゃんはもう二十歳か。早いなぁ。 

 

 

・高齢者しか住まない地域の復興なんか意味ない 

10年掛けて街を元通りにしても 

住んでいた人達は10年歳を取って 

もう、元の生活は出来ない 

 

 

・「おぶい」が「おぶう」の連用形と分からない方が多いことに驚いています。 

正しい表現なのにです。 

「おぶり」(「おぶる」の連用形)は変化した言い方です。 

 

これを「からい」「からって」なんて書いていたら方言丸出しなので問題でしょうけども 

 

 

・この記事の中にさらっと書いてあるが被災後一ヶ月半には11戸のうち7戸が仮設住宅に…とあった。 

 

こんな山ん中でも約50日くらいで仮設に住める様になったんだ… 

 

石川県は何をしている? 

 

 

・若い人方聞きなされ。 

まず「背負う」という意味で「おぶう」という言葉ができた。 

「おぶう」から「おぶる・おんぶする」などが派生した。 

「おぶう」は「ワ行変格」なので「おぶわない・おぶいます・おぶう・おぶえば・おぶお(ろ)う」となります。 

「おぶる」は「ラ行変格」なので、「おぶらない・おぶります・おぶる・おぶれば・おぶろう」 

となります。 

記者が「おぶい」を選択しただけのことで、情景が伝わればいいと思います。 

10月の寒空を、老齢の裸の父を背負って避難する家族の情景が。 

 

 

・もうあれから20年ですか。早いですね。今は、日本どこに住んでも安心できなくなってきているし、こういう地域もますます増えてしまうのかな。 

 

 

・集落の話だけじゃなくハザードマップの危険区域や津波が来そうな海沿いに住んでる人も当事者なのに何かあるまで他人事なんだよね 

 

 

 

 
 

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