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100歳まで生きたい? 日本人は後ろ向き 幸福度も低く 民間調査

毎日新聞 3/20(水) 11:30 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/eaae77c6b9066e5e93107f28510600062156ddb8

 

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博報堂DYホールディングスのシンクタンク「100年生活者研究所」が国内と海外5カ国の市民を対象に調査し、100歳まで生きたいかや幸福度についての結果によると、日本は他国に比べて最も低い結果となった。

日本人の3割未満が100歳まで生きたいと考えており、幸福度も最も低かった。

これに対し、他の国では100年生活に対するポジティブな側面にも意識が向けられているという。

日本では未来に対する期待も否定的な回答が目立ち、ポジティブな側面への注目を高める必要があるとしている。

(要約)

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職場などへ向かう通勤客ら=東京都港区で2023年3月13日、小出洋平撮影 

 

 国連が定めた20日の「国際幸福デー」を前に、博報堂DYホールディングス傘下のシンクタンク「100年生活者研究所」が、国内と海外5カ国の市民を対象に、100歳まで生きたいかや幸福度について調査したところ、日本が最も低い結果となった。 

 

【写真で見る】マック最高齢女性クルー 90歳民子さん 

 

 3月にインターネットで20~70代の男女を対象に調査した。日本は2800人、海外は米国、中国、韓国、ドイツ、フィンランドの計2840人に、人生100年時代の意識を尋ねた。 

 

 「100歳まで生きたいか」と聞いたところ、「とてもそう思う」「そう思う」と肯定的に回答した日本人は3割未満で、対象6カ国で最も低かった。幸福度も最も低かった。 

 

 100歳までの人生について「大変そう」「迷惑をかけたくない」との否定的な回答の割合は、各国で顕著な差はなかった。一方、日本では「幸せそうに見える」「チャンスが増える」といった前向きな回答の割合が各国より低かった。経済成長など未来への期待についても、日本は否定的な回答が目立った。 

 

 100年生活者研究所の担当者は「他の国では人生100年時代に対し、ポジティブな側面にも意識が向けられている。日本でもポジティブな側面への社会的な注目度を高めていくことが課題」としている。 

 

 国際幸福デーはブータンが提唱。2012年に幸福が世界中の人々の共通の目標となることを目指して国連で採択された。【植田憲尚】 

 

 

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(まとめ) 

日本の投稿者たちは、長生きに対する考え方が多様で現実的な視点を持っています。

認知症や介護リスク、健康状態、経済的面、家族や周囲の支えなど、様々な要素が長生きに対する意志や悩みに影響を与えていると言えるでしょう。

中には安楽死や尊厳死についての考え方や、健康寿命を楽しむことの大切さを述べる声もあります。

個々の視点や感情が反映されており、人それぞれの人生観や価値観が表れています。

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・長生きすればするほど認知症のリスクが高くなります。 

この人90歳で亡くなってれば認知症にならずにみんなに惜しまれつつ旅立てたのにな、っていうような95歳の要介護認知症高齢者なんて沢山います。 

ある程度のところで、自分が受けるべき医療の取捨選択が必要です。 

 

 

・100歳まで生きたいです。そのためには今から健康でなくてはいけないし、生きる目的をしっかり持たないといけないと思い、生活習慣、食生活、運動習慣、考え方をガラッと変えました。仕事もゆるゆると続けられるまで続けたい。 

数年前に始めた趣味の音楽(楽器)が今は初心者でヨタヨタだけど、これから〇0年も続けられれば相当になるはず。98歳で一人舞台を貸し切って演奏したいと思っています。今それが励みになっています。 

 

 

・元々腸の難病があり、この前今度はバセドウ病になりました。 

先生と話してバセドウ病の治療はしないと決めました 

というのもバセドウ病の治療薬飲んだら肝臓の数値が酷い事態に…… 

多分腸の難病で子供の頃に敗血症、多臓器不全近くまで行ったこと、小腸や大腸を大幅に切除し栄養失調による栄養障害性脂肪肝になったこともあるんだと思います。 

先生に、うちの祖父は48歳で亡くなりました元々難病からいつ癌になるかも分からない、これ以上治療して戦い続けるより48歳で亡くなった祖父くらいまで今まで食事ができなかったけども好きな物食べて、好きな野球観戦できたらそれでいいもう治療せずに見守って欲しいとお願いしたら先生も頷いてくれました 

でも父方の祖父みたいに胃を半分以上切除しましたが97歳まで元気で生きてたのでもしかしたらそこまで生きるかもしれませんが、でもそろそろ引き際だなとは思ってますよ体が本格的に壊れる前に 

 

 

・自分が心身ともに健康で、仲の良い子孫や友人たちが沢山いればそりゃ長生きは幸せだろうと思うけど、病気や治療で辛い思いを繰り返したり、自由に動けなくなったり認知症になったり、はたまた自分ひとり健康でも、心置きなく楽しく話せる人や優しく気遣ってくれる身内がいなくなれば、100歳まで生きるってのはかなり辛いことだと思う。 

それに比べて海外は、日本より家族主義で身内も多くて、年をとっても親族に支えられて大事にされて楽しく生きられるイメージが強いから、100歳志望者が多いんじゃないかと思う。 

 

 

・長生きすることが必ずしも幸福ではない。 

介護されながら100歳まで生きたくないし、自分で活動できるうちにぽっくり死にたい。 

それが、70歳なのか、80歳なのかはわからないけど、周りに迷惑をかけたくない。 

長く生きたいなら健康でなければならないし、お金もかかるから、やっぱり平均的な寿命まで健康で生きられれば良いかな。 

80歳まで生きられれば十分と思う。 

そう考えると、あと、35年何して生きていこうか。。 

 

 

・いつか、皆、老いて自分が行きたくない暗闇に連れて行かれる。老害と言われ邪魔にされ、時に蹴られ、殴られ金品を引ったくられる。優しさなんて微塵も無い世の中で、ひっそりと生きて行く。やがて自分のいる場所も分からなくなって、看取られる事もなく旅立って行く。走馬燈の様に自分の生き様を見せられ懐かしさの余り涙する。今は自分しか見えてないで必死に生きている。色々な生き様を体験して行くだろう。 

 

 

・平均寿命の数値を見ると多くの人は自分も平均寿命までは生きられるだろうと思いがちだけれど、平均寿命の時点で半数の人は死んでるんですよね。 

若い時から生活面や経済面の備えをしておかないと長生きすればするほど子供や社会のお荷物になるだけ。人生100年時代なんて言って年金の支給を遅らせようととか長く働かせようとするけれど100歳まで生きていかほどのことができるかを考えると期待できることはないからせいぜい85歳くらいが目標です。 

 

 

・日本の人口ピラミッドの推移をみれば、恐ろしいほどの少子高齢化が進んでいます。現在の労働者世代が80代90代となる時代には、労働人口は極小となることも分かっています。これでは、明るい未来と希望が持てないのは当たり前の話です。本来、政治というのは、国民が希望を持ち、明るい未来を描き、長生きしたくなるような政策を行うべきです。しかしながら、逆方向の政策ばかりでした。今後も同様であると思います。次回の国政選挙では、必ず投票にいきましょう! 民意を示しましょう! 

 

 

・100歳になっても元気で走り回れて食欲もあれば生きて居たいと思う。全身管や機械に繋がれて排泄介助までされるような人生なら絶対に嫌だ。 

身体にガタが来るのは仕方ないとしても、寝たきりで胃ろうとか嫌だ。何歳まで元気かは分からないけど、長生きが素晴らしいとは一概には思えません。 

 

 

・私の父親は寝たきり介護を3ヶ月ほど行ってなくなりました。 

最後の3ヶ月は自分で食事を飲み込むことができなくなり、 

絶食で点滴で生命維持のような寝たきり生活 

顎は自分で閉じることができずに開いたままで、足の関節が固まって動かなくなっていました。 

その動かない関節をリハビリの先生がマッサージしてくれてました。 

このような生きながらしんでいくような状態で何年も過ごすことが幸福と言えるのでしょうか? 

自分で食事を飲み込むことができなくなったら、もう何もせずにいたほうが良いのではないでしょうか? 

食事といっても高栄養のゼリーを一口程度です、こんなことすら出来なくなってもしなせてもらえないのが日本の高齢者医療なんです。 

 

 

 

・この前、他国の安楽死の事を記事で知って(深く読み込んでいないけど)、今50歳の自分も働けなくなって年金だけ貰って税金を払えなくなる頃(75歳を想定)には安楽死を選択したいなと思った。 

今の20代の方たちと話をしていると、皆将来に悲観的というか、どうにか投資を早く始めて老後を何とかしたいという思いが強いなという印象で。 

恐らく親の世代が氷河期世代だったりするから子供の頃から現実を見てきて何の夢も抱けないのかなと。 

そんな今の20代の方たちに自分の老後のお金まで出させるのは不憫でならないと感じている事が安楽死を考えた一番の理由。 

まさに昔でいうと姥捨て山の思考なんだけど、日本の今後を考えたとしてもそういうシステムを作らないと長生きする事=迷惑をかける事になってしまうと思う。 

 

 

・いつか、皆、老いて自分が行きたくない暗闇に連れて行かれる。老害と言われ邪魔にされ、時に蹴られ、殴られ金品を引ったくられる。優しさなんて微塵も無い世の中で、ひっそりと生きて行く。やがて自分のいる場所も分からなくなって、看取られる事もなく旅立って行く。走馬燈の様に自分の生き様を見せられ懐かしさの余り涙する。今は自分しか見えてないで必死に生きている。色々な生き様を体験して行くだろう。 

 

 

・私は59歳、100歳まで生きたとしてどんな未来が待っているんだろう。進化して何もする事が無い暇すぎる未来だったりして。 

もし今と変わらない未来としても、日々朝起きてご飯食べて寝るの繰り返し以外何も無かったら生きている意味も無いかなと思う。 

もし長生きしてしまうなら最低限自力で行動出来る体を維持したい。未来がどうなるかは自分でもわからないけども。 

 

 

・生物は子孫が続く目途がついたら、この世から消え去り子孫の負担にならないことが生命界の自然の理と思う。 

 

私は70歳過ぎて知力体力が衰えを自覚しています。93歳になった母親を看取るまでは元気でいようとは思うが100歳まで行きたいとは思わない。 

今後、100歳以上生きるのに何の価値があるだろうか。 

 

これからの医療は、むやみに長寿を目指すのではなく、適正な年齢で安楽な最期を迎えられるような生活を維持できることを目的に研究してもらいたい。 

 

 

・長生きすると体が弱ってくるし色々な病気を発症するリスクも高くなる。 

 

それに、長生きすればするほど生活していくお金も必要になってくるので、年金や貯蓄が少ない人が長生きをすると生活が大変になる。 

 

また、私は1人っ子で兄弟姉妹がいなくて、40代後半の現時点で独身なので、老後は頼れる人(介護や金銭面で頼れる人)がいないので1人で生きていくしかありません。 

 

それらの事を考えると、長生きしても良い事は無いかなと思います。 

 

個人的には、ある程度の年齢になって体力が無くなってきて1人で生活するのが大変だなと思うようになったら安楽死したいですね。 

 

でも、現在の日本では安楽死は認められていないみたいなので、法律を変えてほしいです。 

 

 

・100歳まで生活できる見通しがあれば、ウキウキもしますが、年金だけでは生活ができないのですから、貯蓄がなくなる前に死にたいと願うのはむしろ自然だと思うのです。しかも、失われた30年がまるまる現役時代だった者は、定年近くなってから、賃上げ、増税で、将来、貯蓄は半分に目減りすることが予想されるので、75歳くらいでお迎えに来てもらえると安心です(笑)少し前までは85歳まで目処が立っていたのですけどもね。 

正直なところ、ウクライナを支援するくらいなら減税してほしいですね。 

 

 

・歳を取るにしたがって、自分の衰えを日々に感じることになります。足が達者で動けるうちはよいのですが、日々衰える脚、体力、記憶力などを考えるとき、先々の不安、子供たちや私の周囲の人への負担などを考えるようになってきました。日本では安楽死は認められていませんが、今後は考えていかなければならないのではないでしょうか。自分の終末も自分で選択できることも、人の権利ではないでしょうか。 

 

 

・高齢者です。 

 

一部の富裕層の高齢者を除いて、これから先に希望はありません。 

 

年金だけで暮らせると思っていた若い頃とは打って変わって、年金額は上がらず。 

 

健康保険料、介護保険料の負担増に今や恐ろしい程の物価高。 

 

生活保護高齢者も激増! 

 

高齢者は若者に養ってもらっていて、若者の生活の負担にしかなっていない感。 

 

高齢者施設も容易には入所出来ず。 

 

病気になっても追い出される。 

 

年老いて、晩年をのんびり、穏やかに過ごすなんて夢の、又、夢!! 

 

きっと今の若者も必ずや訪れる高齢者になって 

同じ思いをしない事を祈るのみ。 

 

 

・元々腸の難病があり、この前今度はバセドウ病になりました。 

先生と話してバセドウ病の治療はしないと決めました 

というのもバセドウ病の治療薬飲んだら肝臓の数値が酷い事態に…… 

多分腸の難病で子供の頃に敗血症、多臓器不全近くまで行ったこと、小腸や大腸を大幅に切除し栄養失調による栄養障害性脂肪肝になったこともあるんだと思います。 

先生に、うちの祖父は48歳で亡くなりました元々難病からいつ癌になるかも分からない、これ以上治療して戦い続けるより48歳で亡くなった祖父くらいまで今まで食事ができなかったけども好きな物食べて、好きな野球観戦できたらそれでいいもう治療せずに見守って欲しいとお願いしたら先生も頷いてくれました 

でも父方の祖父みたいに胃を半分以上切除しましたが97歳まで元気で生きてたのでもしかしたらそこまで生きるかもしれませんが、でもそろそろ引き際だなとは思ってますよ体が本格的に壊れる前に 

 

 

・日本人は不幸だと思いますね。日本人は仕事のために生きてるので趣味や旅行をすることが出来ません。私の友人も仕事が忙しくて休みが取れないので趣味だったバイクをやめましたからね。人生の目的って人それぞれですが、日本の場合は仕事が全てにおいて優先されるので不幸だと思います。 

日本に来てる外国人なんて一ヶ月の夏休みがあるから日本中を旅行できますからね。日本だと休みは一週間しかないので例えばフランスに行っても、すぐに帰るだけ。 

そんな国なんですから幸福度が低いのは当然ですね 

 

 

 

・死ぬより生きるほうが辛いと思う時、 

長生きもどうかなと思う。 

 

死ぬのには壁がある。 

痛みや苦しさ、生活の事等。 

壁があるから死を恐れる。 

 

壁がなければ自死する人は多いと思う。 

 

それさえも吹っ切れた人達はある意味、 

凄く勇気があるとたまに思う。 

 

自分はいつ死ぬかわからないから、 

やったもん勝ち、楽しんだもん勝ちと思って過ごしています。 

 

 

・みんな現実的に考えてるってことだよ。そりゃみんな死にたくないだろうけど、自分のおじいちゃんおばあちゃんや親、世間のニュースを見てれば希望を持てないのは当たり前だ。認知症にもなるし、世話をする家族は大変だし、愛情が憎しみに変わってしまうこともある。家族を介護したことある人なら亡くなったときの悲しみよりも解放感のほうが大きかったりもする 

 

 

・100歳でも食べたい物が食べられて、行きたい所に行けて、自分で食事、トイレ、風呂が出来るなら生きたいけど、誰かの介護が必要、機械に繋がれて無理やり生かされているという状態なら生きたいとは思えないね。 

 

何歳まで生きるかというより、どうやって生きたか、次世代に何を繋げられたか、という方が重要だと思う。 

 

 

・40代くらいまで1人を満喫する人も、50過ぎたくらいから病院関係で困る場面が出てくる。 

大層な手術でなくても、鎮静剤を使った内視鏡検査でも家族の名前と連絡先を記入する同意書を書く(ふらつきなどで1人で帰るのが危ないような場合に備えて)。近場に頼れる親族がいない、となると知人の名前を書いてもらう。 

めったに連絡することはないけど、そういう万が一のときの頼れる人を作っておいてほしい。 

 

 

・「長生きはしたくない」や「長生きはリスクがある」と考える人は多いだろうな。 そりゃ日本円で稼いでいても、世界的には購買力は低い(円安の継続)上に水準の低い給料だし、加えて多額の税金を徴収され続ける上に、年金だけでは生活苦になるのが目に見えている日本の将来なのだから。 

国からすれば、そういった状態(年金だけでは生活苦になるのが目に見えている日本の将来)だからこそ新NISAなどの体制を設けて、「年金に頼らない人生を自分で構築すべき」と公(おおやけ)に言っている訳で、老後を含んで、「将来に夢が持てない」や「将来が不安」との気持ちが強ければ、「長生きはしたくない」や「長生きはリスクがある」と考える人がいるのは必然。 

「幸福度も低い」と考える人も多いだろうな。 

 

 

・経済的に問題なく、健康ならば100歳まで生きても良いという方が多いですが、それも身内や友人が同じ状態ならの条件つきようです。祖母が経済的に余裕があり、健康でしたが、90代の頃「つまらないわよ。親兄弟みんなあの世だし、仲の良かった人たちもみんないなくなって、遊び相手もいない。旅行にも行けないのよ。おもしろくもなんともない。」と言ってました。100歳を超えてから病院で亡くなりました。一緒に楽しいことができる人がいるかどうかは大事なポイントかもしれません。1人が好きな人は別でしょうが。 

 

 

・自分は百歳まで生きたいとは思わないが百歳まで生きる人がいると自分はまだまだ若いと思って今の生活を前向きに捉えることができるように思う。人間の幸福度というが一生のあり方がその人の幸せを決めるのではなく今現在な幸せかどうかが問題なのだと思う。日本人はなぜついついマイナス思考になってしまうのかを考えた方が有効なのかなと思う。 

 

 

・100才ではなくて120才。理論的には可能らしいです。ただ現在、その半分の年齢にも達していないのに年々階段を降りるかの如く迫りくる加齢現象には脅威を感じている。ただ、これからの年月は肉体よりも精神の在り方が寿命に大きく関わってくる気がする。実際の所、何才までよりも西暦何年までは生きたいというのがある。時代の変遷をこの目で見て、体感したいのが本音かな。2050年位まで行けると満足出来るかな。 

 

 

・平均寿命の数値を見ると多くの人は自分も平均寿命までは生きられるだろうと思いがちだけれど、平均寿命の時点で半数の人は死んでるんですよね。 

若い時から生活面や経済面の備えをしておかないと長生きすればするほど子供や社会のお荷物になるだけ。人生100年時代なんて言って年金の支給を遅らせようととか長く働かせようとするけれど100歳まで生きていかほどのことができるかを考えると期待できることはないからせいぜい85歳くらいが目標です。 

 

 

・歳をとるとできることが減るって思うから長生きしたくなくなるんですよね。 

50,60,70歳になった時にも、まわりがその人を必要とするような立派な人間が長生きしたくないなんて思えるはずないんです。 

自分には何もない、できない、したくない、そんな風に若いうちから思って生活してたらそりゃ将来面白いなんて思えないです。 

もっと自分に自身が持てるような生き方を日本人には大事にしてほしいなと思います。 

 

 

 

・あくまで個人的な意見ですが、幸福かどうかより迷惑をかけたくないと思っている人が多いのではないでしょうか?認知症になったり要介護状態になってまで長生きはしたくはないというのが自分の意見です。今母方の祖母が91歳ですが、特に認知症もなく、毎日ゲートボールを楽しみに実家で両親と生活してます。祖母を見ていると長生きも良いなとは思いますが、一方で父方の祖母は95歳で施設暮らし。介護も必要です。自分は都内に住んでいて実家は埼玉、父方の祖母はずっと宮崎です。父は定期的に宮崎に帰っていますがそれだけでも大変なこと。宮崎には父の姉がいますが施設に入る前は色々と大変だったそうです。そう思うと自分は迷惑をかけたくないという気持ちの方が強いです。両親が70近くになってきたので近い将来、介護とかが必要になるのかなと考えるだけで少し気が重くなります。 

 

 

・安楽死や尊厳死は認めるべきだと思う。 

 

ある程度の年齢になれば、自分の行く末が見えてくるものだし、逆転の見込みが無いことも自然と悟る様になる。 

 

生きるも死ぬのも個人の選択だし、詰んでる方に無理に生きろというのもそれはそれで、辛いだけ。 

 

私は、認知症や加齢による衰えのために、家族や周りに迷惑や負担を掛けるぐらいなら、自分の命は自分自身でコントロールしたい。 

 

上手くいっていない時の励ましの言葉など、皮肉にしか聞こえないし、安易な「生きろ!!」という言葉など無責任でしかないと思う。 

 

 

・病院で働いてると、つくづく長生きなんてしたいと思わなくなる。年老いれば大概ADLは低下し経口摂取が難しくなり食事も排泄も他者の介助無しには生きていけない。在宅介護が困難なら施設入所も検討されるが、勿論タダではない。施設入所中に入院なんかになれば施設費と入院費のダブルの金銭的負担も発生する。 

胃瘻やIVHなんかで生きながらえても、幸福感なんてないでしょう。 

 

 

・近年の医療の発達により、病気や怪我ですぐさま死ぬことはめったになくなりました。 

しかし、完全に回復するほどには発達していないので、中途半端な状態で生き長らえることになってしまいました。 

病変部の治療だけではなく、健康に生き長らえるような発展をお願いいたします。 

 

 

・もし100歳まで生きるとしたらどのような生き方をするのかが問題であるから健康貯金をしていきたい。とだれもが考えるがそれをどんな方法でするのかと思うと悩みが多くなる。できればひとりでいることが好きだから温泉によく行き、ウォーキングもして、かみさんと旅行に参加して楽しんで、コミュニティーには必要程度にかかわるようにしたいと思う。時勢に流されながらニュートラルで生きていければいいなと思っている。100歳以上生きていけたらいろいろ見ることもできるだろうから健康貯金はできる範囲で増やしたい。 

 

 

・私は元気に生きれるのなら100まで生きたいですね。ただ、周りに迷惑を掛けたく無いと言うのは良く分かります。高齢になると病気も掛かりやすくなるからね。 

長生きすることに後ろ向きになる要因は、高齢者の医療費の負担割合を上げたり、少子高齢化問題によって年金制度もこの先維持出来るか不安な状況もあり、またその年金だけで満ち足りた生活を出来るかと言われると不安である。そう言ったことが、こういった調査結果に表れていると思う。 

 

 

・可愛い孫の姿を見ては「この子が子を持つまで元気で居られたら・・・」と思いながら、一方では認知症も発症して要介護の等級を持つ親の世話をしながら、「こんな姿を子や孫に見せながら生きるのも・・・」と言う思いに、板挟みとなって日々を過ごしています。 

 

長生きするばかりが幸せではない~と理解しつつも、自分の死についてはあまり考えたくないのも事実で、今を精一杯に生きて臨終の際に後悔する終え方はしたくない・・・と日々思っています。 

 

若い人はまだ実感は無いと思いますが、還暦前後となり親の末期を目の当たりにしていると、やはり色々と思うことは沢山ありながら『実は何一つ答えは見つかっていない』と言うのも事実です。 

 

きっと自分だけではないと思いますが、同世代の方々は如何ですか? 

 

 

・生活は送れていますが発達障がい(ADHD)があり、家事苦手、空気読めず、不安強迫症ありなので、生きていくのがしんどいです。健康で迷惑をかけずに生きられたらいいけれど、介護が必要だったり、寝たきりなどになるよりは、潔くこの世を去りたいです。とにかく毎日頭の中は不安しかなくて、安らかな日を送れないです。治験とかなら喜んで協力しますし、老いていても使える臓器があれるなら移植してほしい。なくなったあと何か人の役にたてたら嬉しいです。 

 

 

・もし私が100歳になって介護なしで生活が成り立たないなら、とてもじゃないけど長生きは良いことだとは言えないと思う。 

たまに高齢の方が、周囲にいる人から疎まれて遠ざけられているのを見るけど、もし自分がそうなってしまったらと考えると辛いものがある。 

企業は健康は利益を産むからと健康でいられる期間を無視した長生きを目指さないでほしい。 

もしかしたら体が思い通りに動かなくってから長く生き続けるのは辛いだけかもしれない。 

考え方しだいだと思うけど、長生きが原因で惨めな気持ちになるようなことにはなりたくないと思う。 

 

 

・脳、足腰がしっかりし、日常生活が難なく過ごせるのであれば、100歳までも生きれるものなら生きたいと思うが、誰かの世話になって不自由にしか生きれないのであれば、生きていても仕方がないと思う。小さい頃は人生50年と言われていたのが、あれよあれよというまに平均寿命が60,70,80歳となった。私も80歳を過ぎて何年もたった。私は要支援2,妻は要介護2である。他人の世話にはなっていないが、足腰が弱り、買い物やゴミ捨てもしんどくなってきた。正直、余計者扱いにされ、これ以上生きたいとは思はない。 

 

 

 

・私の祖父母は90歳を超えてますが、孫の私は祖父母にはやっぱり長生きしてほしいですし、会えると嬉しいし元気が出ます。いつか亡くなって会えなくなってしまうことを考えるだけで涙が出ます。祖父母も、私たちに会うことが生きる活力になってくれていたら嬉しいです。私も年を取ったときに、私のことをそうやって思ってくれる人がいるのであれば、100歳まで元気に生きたいものです。 

 

 

・日本は世界有数の長寿大国って言われてるくらいで、実際に年取って生きることがどんなに大変そうか現実が見えちゃってるからね…。金さん銀さんが話題になってた頃なんて、日本でも100歳がまだ少なくて、ほのぼのしたイメージがあってよかったよね。今は100歳なんて珍しくなくて、人数増えたぶんいろんなケースが目に入るようになっちゃったから…。金さん銀さんみたいにある程度健康で、家族にも恵まれて楽しく暮らせるならいいなと思うけど、認知症が進んで家族に迷惑かけたり、家族がいなくて孤独死したり、経済的に困窮したり…ってケースを見たりすると、希望がもてないな〜って思ったりする。 

 

 

・日本人が現実的考え方をする結果ではないでしょうか。 

100歳まで生きたらという課題に、健康、お金、家族などに関する現実的な問題を先に考えてしまう気がします。 

100歳まで生きれたらより100歳まで生きるためにはどうするかが、まず頭に浮かぶのかもしれません。 

その時はその時的な考えができればも少し幸福感も上がるもしれないですね。 

 

 

・その昔は長生きすることが称賛された。それは長生きが珍しいことだから。 

今は、それなりに生きていれば昔よりは長生きができる 

でもね、昔の長生きはトキと同じ様に希少だったから。今は多すぎて雀やカラスと同じ。駆除はされないが無理して治療なんかしなくてもいいように思います 

 

 

・自分は健康に100歳まで生きたい。 

確率は高く無いだろうけど祖母が95歳、102歳まで生きたので生まれ持った肉体的に素質はあるかも知れない。 

現在両親が父84、母81で健康。 

共通点は数多く歯が残っていて硬いものも苦労なく食べられている事。 

特に102歳まで生きた祖母は95歳でタクアンやリンゴを咀嚼でき、太る事すらできた。 

歯の健康を大事にしようと思い定期的に歯医者に行く事を心がけています。 

 

 

・100歳は考えてもいません。ただ年齢だけ長く生きたくもないし。趣味の釣りも一人で遠征出来るのは、70歳前後まででしょう(残り10年も無い)。それ以降+10年くらいを健康寿命で自分一人で生活出来れば、御の字ですかね。 

最低限自分自身の身の回りの事も出来て、静かに過ごせるならば、何歳でも良いですが。まあ、無理なので身体が言う事を利かなくなったら、寿命にも来てもらいたいものです。 

 

 

・脳梗塞で何年もねたきり、褥瘡ができる。痛い日々。認知症のリスクがあり、身内からも、介護職からもやっかいもの扱い。それに対応する介護医療サービスは十分とはいえない。利用するにも、この先の自己負担は今よりも大きい。年金は増えない。長く生きても、メリットなし。専門職から言って、人生80年がベストです。75歳から、三大疾病のリスクが高まるから、パワーのある65から終活するのがいいでしょう。遺言書は何度でも書き直しは可能。 

 

 

・私はまだ60代ですが、介護が必要になるほどの病気になった場合、胃ろうだけはやめてと家族に念押ししています。 

脳梗塞や何やらで自分の意志が示せなくなっても胃ろうを拒絶しておけば無茶な延命は出来なく、自然に近い最期を迎えられると思っているからです。 

自分の口で食事出来なくなった時が生き物としての寿命だと思っているので最後までこの意思は持っておきたいと思っています。 

 

 

・確かに平均寿命は延びた。 

それ自体は喜ばしいことだけど、健康寿命を過ぎた後の生に私は魅力を感じない。 

老後は健康なうちに好きなところに行き、好きなことをし、好きなものを食べ、好きなように生きたい。 

そして好きなことが出来ないような健康状態になれば、安楽死を選ばせて欲しい。 

いろんな考え方があるとは思うけど、私は太く短い生を望みます。 

これは後ろ向きな考え方なんだろうか? 

幸福度が低いと言われる生き方なのだろうか? 

それならそれで良い 

他人に理解されないでも、自分が前向きに望む幸せな生き方・未来なのだから。 

 

 

・皆さんの投稿がとても参考になります。8~9割方の人が介護が必要になってまで長生きはしたくないようですね。私も同感です。周りを見ていても75歳あたりからしっかり老人っぽくなり、80歳過ぎると最後に向かてるんだなあと感じることがあります。高齢でも元気な人を見てると、なんらかの現役であったり、年老いてもコミュニケーションが盛んな人が多いです。あとは運でしょうか?70歳位までにやりたいことを沢山したいです。 

 

 

 

・人があまり長生きするのは幸せでは無いと思いますね!医療の発達で寿命が延びたと言っても近年高齢者に寄る自動車事故が多発している様に、寿命が延びても元気で働いて生活が出来る時間はそんなに延びないと思います! 

 

人に寄りますが90歳を過ぎても身体的にも、精神的にもシャキンとして居る人は居ますね!それでも働いたり、車に乗ったり、自由に動き回ったりは出来なく成ります! 

 

病院や、老人ホームで多くの人に介護を受けながらあまり長く生きて居たく無いですね! 

 

家族や、国や社会に取っても医療費などの負担が重く大変だと思います!自分は人に迷惑を掛けない様に、適度に85歳程度で幸せに亡くなるのが良いです!🥲🥲🥲 

 

 

・100年生きていればそれでいいという事などないです。 

幼少から老齢要介護者と19年同居していましたが、 

享年88歳の人をなにがなんでも生かせばいいなら、 

あと12年あれが続いていたのかと思うと寿命の長さなど無意味に感じます。 

自分も同じようにならない様に運動もなるべくしますが、 

自分で食べて衛生を保ち、それが出来ているうちが命なのだと思います。 

健康寿命が尽きたら生命は終わりで良い。そう思います。 

 

 

・30歳位の知力体力外見のまま100歳になり、ある日眠るように死ぬのなら良いが段々老化していろんな病気になり、腰や膝などあちこちが痛み出し目も老眼と白内障、歯も歯周病で総入れ歯、背骨も曲がって脊柱管狭窄症になって足が痺れる、家族や友人も死んで行く・・・など100歳まで生きる過程でありとあらゆる苦痛を体験するのが普通だ。死ぬまでの苦痛を考えると長生きしたくなくて当然だろう。60年前の60歳と現代の60歳では圧倒的に現代の60歳のほうが若い。その調子で100歳まで若さを維持できるのなら100歳まで生きたいが果たしてそういう風になるかどうかはわからない。 

 

 

・80過ぎた母がいます。独り暮らしで家事もまだできる。体も特に問題なし。そして毎日時間はたっぷりある。 

子供たち(私と兄)家族はとにかく忙しく 

流れる時間のスピードが違いすぎる。母もそれをわかっているので自分からは何も要求しないし、無理して来なくていいよと口癖のように言っている。 自分が子供たちのお荷物になるのだけはイヤなのだと。 

立派なように聞こえるけど、どこか自分の存在をなくしてるように感じる時もあり、悲しくなります。自分もそれくらいの年齢になったら同じようになるのかと思うと、長生きだから単純にハッピーではないだろうと感じてしまう。 

 

 

・自分の祖母が102歳で亡くなつた。さいわい酷い認知症などにはならなかつたが、最後の方は頻繁に死にたいと言っていた。杖を使えば歩けたが、どんどん出来ることが少なくなる自分が嫌になつたのだろう。見てて毎日辛かった。テレビで人生100歳時代とか安易に言うが、殆どの人は本当に100歳まで生きた人を見たことないがないと思う。毎日が死との戦いに見え非常に過酷だ。少なくとも自分は80くらいでいいやと思う。100なんでとんでもない辛い人生だ。 

 

 

・私も結構。人に迷惑をかけてしまうこともそうだが、自分自身が自らの生活をある程度、営める間であればいきたい。しかし、ご先祖様、両親一族、友人たちがそうだったように死は必ず迎える。自分たちも同じように。恐怖でもない。生まれる前に、時のない世へ行く。 

 

痛い思いや長く苦しい思いは避けたいが、わからない。何としても、まわりのために生きなくてはと思うほどの者でもない。 

 

無理に明かされるより、先人たちの如く自然に迎えたい者。 

 

 

・今の時代長生きしても明るい未来は望めない。100才で体力・気力とも充実しているのならまだしも、認知症・痴呆症が待っている未来に夢など描けない。 

それなら、適当な所(年齢)で、空の彼方に逝った方宜しいのでは? 

後は悪あがきしながら、しぶとく長生きしても構いません。人それぞれ死生観は違いがありますから、大体の人が100才以内に亡くなられます。それ以上を望むなら、ご自分で色々な食事療法その他をやってみて後の方々に伝授して下さい。ご検討を祈ります。 

 

 

・医療の発達が、もう既に本来なら所謂神の領域であった部分にまで及んでいるのではないかといつも思います。 

科学が発展してそれに比例するように新興宗教が出てくるのも、そういった背景から死生観が様々あるからなのかなとも考えたりします。医療、科学が進めば逆に人類の衰退を促すものだと、幼い頃に手塚治虫さんのマンガから想像しました。ホーキング博士も同じようなことを言ってましたよね。 

 

100歳まで元気で活動的に生きられるのなら、日本人でも生きたいという人はいると思います。でも実際はそうじゃないということを、日本の高齢者医療はまざまざと見せてくれます。その結果が後ろ向きにするのでは。景気も酷いですしね。 

延命治療はある意味残される側の為のものだと思います。 

できればその拒否は本人の意思通りにあって欲しいですが。 

 

 

・長生きしたくない理由は人それぞれですが、多くのコメント見てて感じるのは、大半は『健康面』か『資金面』に分かれると思う。 

 

家族や他人の世話になってまで生きたくない健康面。年金だけでは生活できない不安の資金面。他に自分にとって明るい未来が想像できない『精神面』てのもあるけど。世界的に見ても日本人は、この3つを抱えてる人が多い傾向にあるから、こういう統計結果になるんだろうね。日本国民全体から見れば、とても『明るい日本』とは言えない状況で、30年続く不景気で『明るい未来』も見えてこない。 

 

何より金がないと生活できないし、年金すら納めてない人が多くなってる中、将来は高齢者の貧困層がより増えて、高齢者による犯罪が増えるだろう事だけは目に見えてる。高齢で使ってくれる所も無く、低賃金で使われて生活が成り立たず、犯罪に手を染めて刑務所に入った方がシャバで生きていくよりマシな生活ができる。なんて、今も既に 

 

 

・自分の生涯の幕引きは自分で決めたい。高齢化がこれほど進んで日本の社会状況は大きく変わったのだから、安楽死の合法化もそろそろ真剣に検討されてしかるべきだ。 

 

介助なしには生活できないほどに衰弱してまで生き永らえたいとは思わないし、癌などの難病の苦痛を強いられた挙句に絶命するよりも陶酔するように気持ちよく昇天できるならそちらを望みたい。 

 

自分の人生の期限が予めわかっていれば、財産を無駄なく使い切って余生を存分に楽しむこともできる。そうして高齢者の散財が活性化すれば、日本経済にとっても間近いなくプラスに働くはずだ。 

 

何より莫大な国費を浪費する高齢者を減らすことで、この国自体が瀕死の状態から復活を遂げることができる。きれいごとを並べて安楽死の議論を避け続けていたら、民族全体が共倒れすることになるだけだと思う。 

 

 

 

・今の時点で70代、80代ならともかく、これから60代あたりに突入する世代以下の人にとって、100歳まで生きることはリスクだらけであることは疑いのないところだろう。年金はとても生活を維持できる水準ではないし、もらえるかどうかすら危うい。制度を支える若い世代は少子化でどんどん人口が減っている。物価が上がっても賃上げがあるわけでもない。世界に目を向ければ、中国、北朝鮮、ロシアと西側は敵対的な国々に囲まれ、台湾有事や尖閣領有権問題など、いつ戦争に巻き込まれてもおかしくない。 

とても幸福な未来など描けるものではあるまい。医療の進歩で寿命が伸びたところで、自力で全ての生活行動が賄える保証は無い。人口が急速に縮小する中で、介護を支える人手すら確保できる可能性は低いだろう。 

できることなら、ピンピンころりで70代か80代で死にたいと考えるのが多くの国民の本音だろうと思うね。 

 

 

・健康ならぜひ100歳まで生きたい。 

そう思い、アラカンの私は毎朝のラジオ体操を欠かさず、また一日一万歩を目指して歩いている。 

認知症予防は百人一首の暗唱。 

上の句を見て下の句言う、何も見ずに百首連続で言うは達成したので、現在は数字を見ただけで歌を言うに挑戦中。 

読書、特に歴史の本を読むのが好きなので、テーマを決めて勉強していれば何年生きても暇にはならないと思う。 

自分で自分のことができる、健康で頭もハッキリしている状態で100まで生きてみたいものだ。 

 

 

・せめて、もう少し家族で楽に過ごせる時間の余裕があればなと思います。 

夜は遅く帰ってヘトヘト、休日があっという間、なのにお金はほとんど使えない、そんな状況では幸福度は上がらないと思います。 

幸福度の高い国は総じて定時帰宅率が高く、バカンスの長期休暇があり、子供を産みやすくしています。(殆どがさほどお金稼ぎの得意な国ではない) 

日本は治安はいいのですが、その三つの全てにおいて問題を抱えています。 

なんのために生きているのかわからなければ、不安ばかり、評価されない労働ばかりで長寿でも意味がありません。 

 

 

・私は30代ですが100歳まで生きたいとは思いません。 

結婚していないのですが、兄弟もいないため両親が死んだ後夫や良いパートナーもいなければ早く死んでしまって構わないと思っています。(病気で長く生きられない方には失礼な発言かもしれません、ごめんなさい) 

もちろんまだやりたいことはありますが、今まで割と自分の好きなようにやってきて後悔があまりないからこういう風に思えるのだと思います。 

 

 

・倍賞千恵子さん主演の『PLAN75』という映画を観ました。75歳になると安楽死を選ぶことができる制度ができたという設定の近い将来の日本を描いた作品です。 

賛否両論の作品でしたが、私は選択したいですと思いました。 

 

 

・100歳まで生きたいと思える訳ない。 

 

 100歳をほぼ手間の掛かる介護無しで迎えられるのはわずか。殆どが周りに介護の苦労を掛けさせている。 

 現在でも介護保険、医療保険で現役世代に大きな負担を強いている。自分が 

後期高齢者になる頃には、雀の涙の年金から今より負担割合の多い医療費を払うことになるのは必至。 

 孫の為には、親だけで無く祖父母の存在も必要だろうが、孫も少し大きくなれば離れていく。 

  

長く生きれば幸せだったのは、今の後期高齢者より上の世代で、国も個人もお金の心配を余り気にする必要が無い人達だと思う。 

 

就職氷河期を始め、今の20代~30代、学生より下の世代など、少子化を代表とする世代が、高齢者世代の負担の為に、お金と労力をごっそり持って行かれ、 

本人達が窮するのは宜しくない。 

 

 

・健康年齢を保てる年齢まで。それで十二分ですよね。 

 

理想は健康年齢+数年以内に、 

珍しくしあわせな夢を見ている中で、静かに息を引き取る最期。 

* 

これを人為的に実現した、安楽死システムがはやくできるといいな。 

 

日本も絶対に安楽死は必要だと思います。 

医療関係者が心を痛めないよう、実行ボタンは自ら押すスタイルで。 

 

 

・20代から70代の人に聞いたらそうでしょうが、80以上の人で調査すればまた違ってくるかもしれません。 

若い時は「絶対に子供に迷惑はかけない、かけるくらいなら早く死にたい」と言っててもいざそうなると「子供に面倒見てもらうのは仕方ない」となる人が多いのです。 

そして家族に迷惑をかけながら長生きする気満々です。 

だから絶対に子供に「あなた達には迷惑はかけないよ」と言わない方が賢明です。 

 

 

・まず子供の数が圧倒的に少なく高齢者が一様に多くなるのだから 

働き手がいないと言う現実にそろそろ突入しますよね。子抱く産時代の高齢者が増えその後は子供の数が減少しゆとり世代になりその後は選択自由世代になり学校を仕事を休んでも誰も文句無し寧ろ休みなさいの時代で誰が人様の事まで考えて生きられるかというとその中でも一部の人だけになると思う。後は自分の生活も自立もできずにこんなはずではないと嘆き要は子ども手当や無償を当たり前に貰い大人になってもその恩恵を次世代ややって貰ってきた上の人に返せないというより全く分からないまま成長した人もいるかと思う。自分は年を取らない何て人は居なくて結果的にどの時代も先を見据えて其々が生き抜くしかない。 

100 年生きたいかより生き抜ける技を其々が探し行動の連続だと思います。最後まで足を止めないで要られるかだと思う。 

 

 

・死生観は人それぞれですが、長行きしなくていいという人に限って、健康診断に行っていたりします。言葉とは裏腹ですね。高齢になるとあと先何年と考えるとあと何回正月を迎えられるかとか、あと何回子供や孫の顔を見れるかという胸中になるようです。父親が79歳になり先日小学校の同級生から電話がかかってきてその会話が聞こえてきましたが、「健康なら長生きしたいよね」と話していて、みんなそうだろうなぁと感じました。 

来月、父親の兄弟3人で旅行に行くと話していました。元気だから行けるわけで、母親といいわよね〜と話していました。 

 

 

 

・長生きしたい気持ちは有るものの、現実はどうなのか? 

定年65歳の企業も増えつつも、60定年の企業も多い 

60過ぎると嘱託社員となり、同じ仕事をしているのにも関わらず給料は半分程度になってしまう 

65歳で年金貰っても十分な金額にはならず、結局65歳で就活して再就職!さて、どんな仕事が有るかと言うと、【警備・介護・業務委託の配送業・大手以外のタクシー運転手・スーパーのカゴ回収・清掃】 

都内の給料は、警備の仕事は棒振りで12000円・宿直施設警備で20000円位、介護は資格が無いと出来ない、業務委託配送は経費がかかり過ぎて、40万稼いでも手取り20万以下になる、大手タクシー会社は60過ぎたら二種免有っても雇わない、スーパーは1150~1250円だが週40時間まで、施設の清掃も同様 

ダブルワーク可な企業も多いが、一日中働きっぱなし 

退職金も底を付き自宅売却 

後継者が居て担って貰えなければ地獄だよ! 

 

 

・確かに長生きはしたいという人の数は内心はどうなのだろうか?健康で然したる病もなければ長生きも良いと思うが・・・と健康な時は人は考えるのではとも?だが現実は病を患っても本心は生きていたいと思うのではないか?死はやはり恐怖で有り、先に何かあるのか?或いは単に無になるだけなのか??不安は尽きない・・だが着実に死は恐怖を乗り越えてでも確実に来る。人は生まれたとき全く意識なく成長と共に自分を少しずつ認識していく。その逆が死ではないかと?この調査もやはり?が付いてしまうのではないか??そんなに簡単に回答できるような質問ではないようにも思えるのだが・・?? 

 

 

・世の中を変えられる程の力が自分にあれば将来に対する希望が見えるけど、汚職があっても変わらない日本の政治だったり、長時間労働で一日のほとんどが仕事と通勤、人間関係で毎日が戦いの日々、学生時代も受験勉強や人によってはいじめられる日々を送る毎日、日本特有の出る杭は打たれる文化、閉塞感であふれる生活なので、楽しい毎日を送りたいのであればまずはそれらを変える必要がありますね。 

 

 

・このような調査では、日本人は後ろ向きや幸福度が低いなどの結果がよくでるので、もうすこし、結果を分析する必要があると思うね 

原因は、日本では、自分のことだけでなく、周りの家族や、周辺の人たちへの 

配慮が強いのではないかな。 

例えば、『自分がとても幸せ」と言えば、それを聞いた「あまり幸せでない人たち」が傷つくのではないかなどの心配。 

今後、日本人社会がもっと、個人主義になり、他人のことより、自分中心に考えて、質問に答えるようになれば、より、欧米の回答に近くなるのではないかと想像してます。 

 

 

・母は今年で97歳。スープの冷めない距離に住んでいて今日はお彼岸のボタ餅を作ったので取りに来いと電話がありました。耳はテレビの音量をいっぱいにしないと聞こえないし、足は杖をついてやっと歩るけるが菜園で野菜つくりに励んでいて鍬を持つと驚異的ななパワーを出すモンスター婆さんです。寝込んだら面倒みきれんからやめろと言ったら「なーんもせんなら死んだほうがいい」と開き直る次第です。 

 

 

・毎年国連が発表する世界幸福度ランキングには、北欧諸国が上位に名前を連ねている。社会福祉制度が整っていて、将来の不安要素が少ない国の国民が幸福度が高く、長生きしたいと思うというのも理由のひとつではないだろうか。日本は北欧諸国ほど社会福祉制度が整っていなく、長生きすることでの金銭的な不安や周囲に迷惑をかけたくないという思いが強そう。 

一方日本は、「他者への寛容性」が2023年は世界ワースト3位だったそう。年をとって周りに迷惑をかけたくないと思うのと同時に、他社への寛容性も低いという結果。日本人は倫理観を大切にし「人に迷惑をかけてはいけない」という思いが強い。それが日本人らしさやいいところだとも思うが、そこに「人は他者に迷惑をかけずに生きることはできないのだから、人に迷惑をかけられたときもお互い様という寛容な心を持つ」という要素も加えるともう少し生きやすい社会になる気がする。 

 

 

・100歳までの年齢が "健康年齢" であれば、生きたいです。 

ただ、寝たきりであったり、何か心身に支障があったり、他人や身内からの助けを常に借りなければ何もできない状態であれば、100歳まで生きても果たして幸せでしょうか。その辺の現実がわかっているかによってランキングは変わってきます。そういう意味では多くの日本人は現実を見据えているため(世界での高齢者率 1位の日本は親戚や近所、テレビなどで目にしていてそれを感じているのです)、このようなランキング結果になります。 

 

 

・映画の「君たちはどう生きるか」じゃないが、100才まで生きたいか?と問われれば、日本人は後ろ向きで幸福度も低いというのは当然かもしれない。 

科学者や歴史家なら200年でも足りないと言うだろうが、キックバックすらなく、毎日、過労死ラインの低賃金で働いても生活苦にあえぐ労働者からすれば「冗談言うな!」ということでしょう。 

100才でも自転車に乗って桜満開の公園でサイクリングを楽しめる「指南書」を政府厚労省は国民に提示すべきといえるだろう。 

 

 

・もうすぐ40歳になので人生折り返し感があります。やりたい事ややり残した事は特に無いから、今突然死(苦しまない)しても良いと思ってます。幼い子供もいるけど、私が死んでも夫がどうにかしてくれるでしょう。定年まで働ける仕事をしてるけど、定年後の生活は今より良くなる事はないからいつでも良いから65歳より前に突然死したいです。これからどんどん頭も体も衰えるし、お金も稼げなくなるし、定年後は良い事ナシ。認知症にもなりたくないです。 

 

 

・ふと考えると、いつからか身近なところに「死」がなくなっていた。ひと昔前は町内で誰かが亡くなるとお通夜から葬儀の手伝いに行って、布団に寝かされているご遺体を長い時間見ていたけど、いまは葬儀場で棺をちょこっと覗く程度。「死ぬこと=穢れ」の文化や価値観はわかるけど、そんなに忌避すべきことではない気がする。むしろ困難や苦労が多いこの世の中をよくぞ渡り切ったと、その人の人生を褒めてあげるくらいがちょうどよい。人生すでに折り返した自分はこれからどう死ぬか、よい死に方、自分らしい死に方を見つめるよ。それが日本でダメならオランダやスイスに行くだけだしさ。 

 

 

 

・社会に居場所もあり、認知症にならず、相手してくれる家族もおり、自分で身の回りのことができる100歳なら夢のある話だけど、そうでないなら長くても80くらいで逝きたいもんだね。 

90歳前後でも元気でしっかりしてる高齢者がいたり、ペットが長命だったりすると、やっぱりなんとなく嬉しくなるから、長生きのほうが好ましいと感じるのは本能ではあるんじゃないかと思う。でも、寝たきりとか管だらけになって100歳とかまで生きるのは、長生きと呼べるのかな。そういうのはどっちかというと、死なせられないから生かされてるって感じ。 

 

 

・たとえ人生50年でも、愛する家族がいて、豊かな暮らしができて、友だちや仲間ともたくさん幸せな時間を共有してこれたなら、幸せな人生だったと思えるだろう。ところがその後51歳のときに大病を患って身体の自由を奪われ、人と会うのが億劫になって家に閉じ籠り、そのうち寝たきりになって、食事も排泄も他人の手を借りないとできなくなったとしたら、そこから仮に30年生きて80歳を超えたとき、自分の生き方を幸せだと思えるだろうか? 

長生きが幸せなのは、「自分の力で生きられてやりたいことができる」という条件が揃ってこそ。私は自分の子どもたちに迷惑をかけながら長生きしたいとは全く思わないし、自分が90超えて元気に動き回れるとも思わないので、適当な寿命で死にたい。 

 

 

・金融緩和やめても円安は止まらず、インフレ2%目標で政府、日銀は爆進する。円は紙くずとなり少子高齢化、外人さんが闊歩しまくる未来しか作れそうにない政府。とはいえじゃ自分に何か日本を変える手段があるのかというと1票投じることくらい。今の若者達が100歳生きたらどんな世界になるのか想像もつかないけど、せめて迷惑をかけないよう資産運用して老後資金を貯めていくことが自分に唯一できることです。 

 

 

・仕事を70歳までするとして、体も気力も衰えそこから30年もの間何をして生きていけば良いのかわからない。趣味の旅行も体力のあるうちだろうし、食も細くなる。願わくば、75~80位で前日まで健康でぽっくり逝きたい。周囲を見ていいても75歳からガクッと老いを感じる。 

思った通りにはいかないのは重々承知だけど、年取ってからのガンなどの病気は治してしまうと下手に長生きしてしまうリスクがあるから断ろうと考えている。 

 

 

・目の前に102歳のばあちゃん(認知症も軽度で自立歩行で働き者)と 

90歳車椅子重度認知症、75歳重度認知症(暴力行為多発、家族からの介護拒否)さまざまな方がいらっしゃるけど 

もうね・・認知症になっても・・・なんて言ってるキラキラ系の人たちの言ってることを真に受けてもらっては幸せなんてない。 

惜しまれながら亡くなるくらいがちょうどいいんだと思う。 

プラン75とは言わないがプラン80くらいは考えてもいいと思う。 

 

 

・私も100歳まで生きたいとは思いません。理由は迷惑をかけたくないからです。大学生と高校生の子供がいますが 

学費と食費がホントにかかるので 

老後の貯金どころでは無いですし。 

少子高齢化がどんどん進み、少ない現役世代で沢山の老人を支えていくなんて、もう限界ですよ。 

年を取れば頭も体も弱り働けなくなってお金を稼げないのに、生きてるだけでお金かかりますから… 

若者も30代後半まで奨学金返済等が続く人が多いのに、更に老人を支えるなんて…もっと早くに子供は全部無料!みたいな大胆な少子化対策してたら少しは変わってたかもしれませんが。 

もう今からじゃ遅いので、どれだけ老人を減らせるかを考えるのが手っ取り早いので。現役引退したら病院は行かず自分の本当の寿命を受け入れるのが自然だと思います。 

 

 

・少子高齢化というのもあるかもしれないが、他の国は高齢者の生活の実態を知らないだけなのでは? 

ただ、メディアなどで「人生100年」とよく言っていますが、身の回りで100歳を超えたお年寄りを見たことがありません。元気で100歳まで行くか?と思っていた伯父が99歳で亡くなった時に、100歳以上元気に生きるというのはかなり稀なことだと思います。 

その伯父の状況も都内で家賃収入があり、娘夫婦が同居、などかなり恵まれた状況でしたが、従姉夫婦の負担(家族全員の外出はムリ)を考えると、ちょっと厳しいなと思っています。ましてや中小企業サラリーマン・独身の自分がと思ったら、どこか良い加減のところで死にたいと思います。 

 

 

・70-80代は、高度経済成長をさせた世代。 

今日より明日をスローガンに仕事をすれば収入に反映され、毎年、所得が増える良き時代です。 

しかし、年金・社会福祉の面では現役世代の重荷でしかありません。 

それなりに、分担してもらわないと、若者が貧困になるだけです。 

今の若者の30-40年後の将来なんて、全くみえないし、想像もつきません。わかっていることは、少子化が進行し、支える人口が少なくなること。 

現時点で、支える側が厳しいのが現実になっているので、年金制度を維持するなら議員歳費の改革、法人税のアップ、節税・脱税の取りしまり、公共工事の無駄工事の撤廃、外国への援助など、メスを入れるところはうくらでもある。 

国の行く末を、託す政治家がいないのが問題であるが、年金制度の破綻を回避するのか年金制度を廃止するのか、はっきりしていただきたい。 

弱者救済には、制限を設けるべきである。 

 

 

・自分の希望は、病院に罹らず自然に生活して体調が悪くなったらそのまま死ねたら幸せだろうと思う。それが60歳ならそれで良い。病院も薬も罹らず自分で生活して100まで生きれればそれでも良い。 

 

海外の方と話していると、日本人が薬を大量に飲んでいる事に驚かれます。年取ってきたら普通と言うと世界基準では異常と言われます。 

 

最近では安楽死の為に200万払って海外へ行くなどもう世の中の死生観が解りません。 

 

 

・高齢になったときに息子には迷惑かけたくないので、長生きはしたくないなとぼんやり考えています。 

でも父親が50代で亡くなって辛かったので、長生きしなくてもし息子が同じように辛い思いをしたら…と考えると難しい気持ちにもなるので、寿命が来るのを待つしかないとも思っています。 

 

 

 

 
 

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