( 152017 ) 2024/03/23 12:32:20 1 00 (まとめ)
日本の社会では、障がい者への配慮やサポートに関する課題が様々な場面で浮き彫りになっています。 |
( 152019 ) 2024/03/23 12:32:20 0 00 ・みんながスマホを持つ時代になぜ電話1本で済む事前連絡をしないのだろう? そこではスマホを頑なに使わないのに、腹が立ったらスマホ駆使してXに投稿し、場所を名指しして批判する。 映画館での車椅子席が見えにくいからプレミアシートに座りたいという気持ちは理解できるが、万が一の火災の際のリスクもあるし、介助者も連れずにイオンシネマ側の相当な負担が当然だという態度が見え、それまでの対応への感謝が全くないから批判されるのだとご本人が気づかない限り、この人はずっと生きにくいと不満を持ちながら生きることになるだろう。
・満員のエレベーターで車椅子の方に譲ったり、電車内で場所を空けるなどの配慮はするべき。 ただ、今回の件のように施設やお店での補助はお店に負担がかかるだけ。 車椅子の方が女性でも男性ではないと力的に難しいですし、人員を確保するのもタダではないし、料金を設定しているところなんてほとんどない。 私も昔、空港で働いていた時は車椅子の方の補助をやることもありましたが、お礼にチップやアイスの引換券などを渡してくださったり、丁寧にお礼を言ってくださることもありました。 車椅子の方も無料での補助が当たり前と考えるのは今後厳しくなっていくでしょう。
・車椅子ユーザーの子供達や保護者には、娯楽施設に行く時は、非常時、自分と保護者(介護者)とで、緑の非常ランプに辿り着けない場所を選ばないようにと助言してる。 地震も多いし、緊急時は自分と自分の家族を守るので精一杯。 合理的配慮はお互いが無理なくがポイント。緊急時に同じ支援を受けなくても困らないか考えてほしい。
・シートに移乗するのを手伝う等のサービスが必ずしも出来るという訳ではないという意味を含め、映画や公共交通機関等、半額になる合理的配慮がある。 同意を求めるにしても、『いつも良くして下さってありがとうございます。もっと○○なサービスがあると大変助かります』とか、まずもって感謝があれば違っていたのかなと思います。
・今回の事案だと事前連絡などしなかったこともあるけれどもそういう場合には 今いるスタッフについても通常業務以上のものを負担させることになり、施設によっては手が回らないこともあるし、何よりも仮にも怪我をさせてしまった 場合においても問題になってしまうことがある。 車椅子のお客さんに一切来ないでくれとは言ってなくてそういう施設が完備してるなど事前連絡などしていけば良かったのではないかとも思います。
・バリアフリーの映画館であれば正当な主張だとおもうが、そうではない施設に関しては、その施設の人々の判断でよいと思う。実際相撲など観にいって思うが、車椅子の人だってマス席等で観たいであろう。でも土俵から一番遠い席で観るしかない。何故かといったら、トイレやらなんやらでいちいち職員が対応できないからである。今回の映画館に関しては、映画館側も何回も同じ要望をされるとは思わなかったはずである。一度くらいはとの親切心だったと思うのに。こんな感じで悪者扱いされて気の毒でしかない。
・イオンシネマ →全てのシアターが車椅子対応とはなっておらず、 また対応する席があっても最前列であるなど車椅子ユーザーには負担が大きい席になっている ⇒車椅子ユーザーでも負担の少ない席を拡充して、既存の車椅子席がないシアターは統一したルールを決るべき
今回の車椅子ユーザー →車椅子対応の席があるにもかかわらず利用せず、 車椅子ユーザーであることを告げずに予約し現場では非介護職のスタッフに車椅子の階段移動と自身の移乗を要請 ⇒既存の車椅子用の座席が観づらいことは理解するが 事前の相談も無く非介護職である映画館スタッフに移動や移乗の作業を強いるべきではない
・医療従事者であり、障害者の家族でもあります。 障害の重い方に対する移乗の介助は、技術も慣れもいります。無理をすれば介助する側もされる側も怪我をしかねません。 企業側も「何回か試してみたけど継続してサービスすることは難しい、安全を保障できない。設備が整った他施設を利用してほしい。」と言いたかったのではないでしょうか。
障害のある方が一人一人違うように、健常者(に見える)であるサービス提供側も人それぞれで、介助ができる人もできない人もいます。 企業側には障害のある方にもできる限り対応していただきたいですが、サービスを受ける側も事前の準備や調整は必要だと思います。 皆んなが暮らしやすく働きやすい世の中になりますように。
・自分の体が自由になる人に比べてぶらっと映画を見る、という事がなぜできないのか、という不自由さは理解しますが、自分で身動きできない人を安全に介助するのは資格を持った人でも状態の把握と様々な注意が必要な特殊技能です。家族が介助できるのも本人の体の状態をきちんと把握して、どう移動させれば安全かを知っているからできることで、状態の異なる人を同じように扱えば怪我をさせる可能性もあります。一方で車いすのまま停められるところさえあればきちんと見える、というわけではないので車いす席自体の改善も必要だと思います。
・企業側からしたら、その要求が過剰な負担かどうか。安全性が一定確保できるか。の判断が必要。 すべての世の中がバリアフリーにはなっていないのだから。 ただ、大きな施設を作る時にはバリアフリー化したものでなければならない。とかを決めたらいいかと思う。 既存の施設については、HPとかで受け入れ可否の丁寧な説明と事前連絡がない場合は対応できる。できないなど明確にしていけるとよいのではないかと思いました。 施設の線引きは難しいですね。
・「トラブルは当事者間で解決するのが基本で、SNSや動画共有サイトで発信することは好ましくない」とする立場を基本的に取っている。
と言うが、この問題はどこでも起こっていることで、むしろ多くの人の意見を聞けたほうが解決・もしくは解決に近づけると思うが。
また、「「弱者は弱者らしく振る舞うべきだ」という潜在的な意識も人々の中に根強く残されてしまっており」ともいうが、確かにそのように思う人もいるかも知れないが、個人的にあえて言えば、弱者なのだから健常者を助けるのが当たり前・協力するのが当然という姿勢が問題と思う。
・単純に災害時対応を最優先とするため車椅子のお客様にはご不便をお掛けしますが専用スペースでの鑑賞をお願い致しておりますでいいんじゃないのかなあ。今後スペースの拡充に努めますとしていれば何の落ち度もないことかと。万が一の災害時に対応するためにご了承お願いしますとした場合に、批判した当事者は一体何と答えるのかで方向性は簡単に決まることだと思う。
・車いす利用者対応、育休制度、被災者支援など分野は異なれど、根底の考え方は一緒だと思います。 配慮や支援は、支えてくれる人があって初めて成り立つものであり、権利だからやってもらって当然といった態度だけでは人々から反感を受けて当然です。 支えてくれる人への感謝の気持ちなく、権利だけ主張していると、そのうち誰も助けてくれなくなりますよ。 多くの人たちの善意によって今の生活が成り立っているということをもっと理解した方が良いと思います。
・支援学校に勤めた経験があります。修学旅行に行く時も車いす対応がしっかりした施設を下見の時選びます。やはり基本はお互いが気持ちよく観光ができるが一番であり、何でも施設側の援助を期待するのは無理があります。車いす介助にはいくつかの技術があって、それを研修した上で介助します。この映画館の場合、2人から4人で希望の席に移動させたと思いますが、研修を受けた人がやらないと、アルミ製の車いす自体が変形しバランスが悪くなります。下手をすれば走行不能になります。この方が問題にすべきは、鑑賞したい場所に自走で行ける施設を整えることであり、イオンの担当者もその環境を整えた施設に行ってほしいということだろうと思います。この方も総合的な判断をしてほしかったです。
・理想はそうだよな。障害者だろうが健常者だろうが、ふらっと事前連絡無しに色々いけて誰の手も煩わせない。
どこが落とし所なのか、ということなんだと思う。健常者は今のままでなんの不自由もない。負担もするのも嫌。諦めてもらうのが一番楽。
逆に障害者としては「なぜもっと不便さは解消されないのだろうか?」と常に思っていると思う。
うまくいえないけど、マイノリティがマジョリティを動かすのは結構大変。下手に出て同情を買うのはプライドとしてどうなのだ、というのもわかる。別に本人が悪いことしてるわけでもないのに。
とはいえ攻撃的に事前連絡無しに各所に摩擦を生み出して、我々は戦ってる、は反感を買うのもわかる。どうするべきかはアイデアもわかない。
・高齢の祖父母をホテルにチェックインさせるのに、優先スペースに駐車し手伝い戻ってきた所、このスペース必要なんですけど!?と怒鳴られて驚いたことがありました。その方は車椅子のお連れの方がいたようでしたが、こちらもチェックイン済みとはいえ、高齢者の為に10分程利用しただけ。戻ってきて車を移動する為乗り込もうとしたところに走ってきて怒鳴られたので驚いて何も言いませんでした。 限られた優先スペース、車椅子の方専用な訳でもないだろうに、スペースを皆で共有するという発想はないのだろうかと感じました。 困っている人を見れば何か手伝えることがないか必ず声をかけますが、車椅子の方はそれ以来何か嫌悪感を感じてしまい避けてしまいます。 やってもらって当たり前になり、困った時にはお互い様ができない人は態度にも出ているから分かります。健常者だからってなんでもできる訳じゃない。対等である為には配慮も必要。
・過剰な要望を通すことになると健常者に対してもかなり手厚くサービスする必要が出てきてしまう。 そもそも割引が効いているんだから、別途さらなるサービスを要望するならお店側へお金を払うか、誰か手伝ってくれる付添を連れてくくらいにしないと今度は店側が保たなくなるよ。 正直嫌だもの、そういうことが原因で更に価格が上がったりお店がなくなっていったりするのは。
・バニラエアの件は往路の際の搭乗はどうしたのでしょう 往路もタラップを担ぎ上げたのなら復路も同様にするべきでしょうし、往路はタラップがなかったなら復路はタラップだと航空会社が助言するべきでは 今回の件は、例えば多目的トイレで車椅子から便座に移乗できない方々もいます そういう方々は介助者が同伴するでしょう どこで線を引くかの問題で、対応できない現場も当然ありますし事前に電話して確認する必要があると思いますよ
・無料で特別サービス提供してもらって当たり前という考え方には違和感。サポートしてもらえた時は厚意でサービスしてくれて有難うなんじゃないのかな。映画館でもどんな施設でも余程高級な場所にいかない限り人数ギリギリで回してるし。
完全バリアフリーじゃないところに行くときは人を雇うという手もあるんだけど。毎日じゃないんだし。 サポートを無料で受けるべきとの考えに賛成な健常者は自分がボランティアで映画館とか付き合ってあげる活動すればいい。SNSで無料サポートしますって出せば頼みたい人いると思う。
・障碍者は多種多様な種類の障害が有る 特に歩行困難系の障害は色々な所で健常者側はサポートはするべきだし手助けは必要。ただし健常者が出来る事はサポート程度 通常車いす使用でも肩を貸す事で歩行や段差を超えられるのは”サポート”これは健常者も受け入れられる人も多い 抱きかかえるレベルは、身体接触とお客としての安全体制を考えたら”介助”が必要で数人態勢になる。気心の知れた介助件友人でもいない限り難しい。 どれぐらいの”介助”が必要かは障碍者本人が分かるだろうに。
イオンシネマでこの方は、そのシートに座る為に自分で出来る事とお願いレベルを話したのか? 施設側からすれば 鑑賞前に座らせる-2時間後に戻らせる。まず2回の対応が必要だよ。トイレで呼ばれるの可能性も有る 施設側の要望され実施した対応が知りたい その結果今後同様のサービスは無理と判断しての説明でしょ。 その情報も無く一方の主張だけはダメでしょ
・障がい者側と健常者側のどちらにも、正当な主張の場合と不適切な対応の場合があり、ケースバイケースとしか言いようがない。 お互いの言い方、事前の確認、準備一つで変わることもある。 一律には論じられないが、この様な記事を通して色んなケースを共有してお互いを知ることで、お互いの言い方、確認、準備の改善に繋がるとは思う。
・これは障害ではなく、ケガを負わせる傷害の問題である
根本的に健常者であっても不便で断られる事はあり、それが今回は「プレミア・リクライニングシートに介助なしで来場した」とどう考えても合理性を越えた行動だろう
今まで映画館側も善意で行っていたのだが、もし、この移乗の際に転倒、落下でケガをした時、誰が責任を取るのか?
障害者側でガイドヘルパーを頼み、自己の責任で行うなら良いが、ヘルパーを頼む等が不便というならそれこそ制度の問題だろう
親が高齢で障害もありヘルパーが必要だが、例えばタクシー(700円ほど)で病院に行く時、ジャパンタクシーで車椅子に乗れると言っても どう考えても運転手に90度車椅子を回させる(詳細は各人で)つもりはないし 介護タクシーは補助を使っても片道4,000円ほどかかる
ユニバーサル・デザインや健常者と同じサービスを無条件に受けられるのは幻想と考え、線引きの議論が必要
・障碍者への理解を深めることが大切なのはその通りで、日常出来る範囲での手助けや、ある程度優先順位を上げて便宜を図るのは理解も許容もできる
しかし、この度の映画館のように慣れない車椅子移動などを、業務外の職員が度々同一人から依頼される事態は話が違う
人手が必要なことが想定されるなら、事前に了解を得たり、介助者を頼むくらいは出来るはずで、そうした気遣いができる方なら日常生活でも問題を起こすことはなく、「障碍者なんだから助けられて当たり前」と、全面に出す一部の方が批判されたに過ぎないと思う
・障害者も健常者も、何事も当たり前と思わず 親切にしてもらった感謝する。 障害者にとってはありがたい親切も、他者からしたら、それをすることによって危険が生じ、不安になると事も理解しなければいけない。 誰もが理解して支え合えれば一番いい。
・世の中全てがバリアフリーであるのが理想だろうが、実際にはそうではない。 だが、それでも世の中ではなるべく多くの人が困らないようにバリアフリー化する方向に進んでいる。 障碍をもつ人が実際に利用するうえで不便を感じ、声をあげることで具体的に改善が進むことは当然あるだろう。 だが、何でも最初から理想通りでないからといって悪態をつくのは感心しない。
今回の場合は、事前の連絡もなく、介助の資格もない人に、持ち場外からも人をかき集めないと対応できないような対応を求めている訳で、明らかに過剰な要求だろう。 これまでは持ち場の判断で何とか対応しようと努力したにしても、やはり無理があったとして、責任者から次回から同様な対応はできないと説明されたことは、十分に誠実な態度といえる。 いつでも好きな時に好きな場所で好きな席で映画を観たいという希望は判るが、施設ではなく国に介助者の利用権なりを要求することだろう。
・障碍者の問題は障碍者のみに限らず、生活上手助けが必要な妊婦・乳児・幼児・老人の問題でもあり、人の一生を支障なく生活維持できることが究極の社会福祉的な考え方ではないかと感じています。社会生活を送るうえでそういう状況の時に支障のないような社会の構造物等が備わっていれば人の支援を最低限にして社会は回るのではないかと考えますが如何でしょうか。 例えばの話、映画館で人が担ぎ上げての観賞をするというのは、担ぎ上げる人は大変でしょう。一人ではできず二人必要でしょうし、腰の悪い人はできません。スタッフが揃わないのを支援を必要とする方がののしることはどうかと思いますし、あらかじめそういうことができるかどうか確認してお出かけになる以外ないのではないでしょうか。豊かな社会ではスタッフも潤沢でしょうが、完璧に支障のない社会に達するまでは致し方ない部分もあるでしょう。社会改革の要望として出されては如何でしょうか。
・車椅子の方には介助が必要かどうかを訪ねる。 必要もないのに介助をするのはその方にとってはかえって迷惑になるかもしれない。
ある障がい者の親がある店で騒ぎを起こし「こっちは障がいあるんだよ!何が悪い!」と店員に楯突く場面を見たが、悪いけど、この親に対しては何も配慮してやれない。
障がい者を盾にして我が物顔で歩く家族もいるが、障がい者本人にスポットを当てると過ごしやすい社会を目指すのがこれからの社会なんだけどね。
・「前は対応してくれたのに…」という不満。
この言葉が全てですね。 良かれと思って一度特別な対応してしまうと、次からはして貰える事を期待してしまい、して貰えないと不満を募らせる。
最初から、映画館の中で車椅子をもって階段下りて車椅子から座席に移乗させるなんて、素人の従業員がしちゃいけなかった。 車椅子の方は車椅子座席へご案内、他の希望があるなら車椅子の方は自身で付き添いの方を頼んで移動や移乗をしてもらうようにご案内する、それを従業員に徹底するしかない。
・私はいつも車椅子の方の席の隣を予約していました。広くて座りやすいし、一番前の席でも不満はないから。 確かにいつもガラガラでした。 嫌な方のほうが多いのでしょう。 ただ、何かあった時に避難しやすい席でもあります。 安全を考えると仕方ないのかもしれません。 事前にボランティアを募るなどでは駄目だったのでしょうか? そんなアプリを作るのもいいかもしれません。 健常者としても、手伝いたい気持ちはあってもなにかあれば怒られそうで声をかけにくいです。
・介助には資格が必要だから資格があるんだよね。素人がやったら危ないから。 映画館に求めるより、先に家族や友人に資格取るように求めては。 だって、事故ったらお店側を訴えるよね?訴えない約束ができなきゃ、体に触れるようなサービスを、1ミリでも命に関わる可能性があることを善意でやってもらうのは無理。 そうやって生きていくことに障がいがあるから、手帳が発行され、若くても年金がもらえるんだよ。街でエレベーター譲ったりは普通にします。命にかかわらないので。
・自分は椎間板ヘルニア持ちなので、10kgの荷物でも腰が痛くなってしまう。抱えて座らせてほしい(2階まで運んでほしい)といった要求には自分自身は対応することが難しいし、女性であったり高齢であったり同様に体力・筋力の必要なサービスを常時提供することは難しいのではないかと思う。
・このイオンシネマの出来事はどう考えても客側がおかしいんと思う。 友人に介助者がいないと生活できない人がいる。彼女は電動車椅子だけど、介助者以外に安易に触らせないよ。お互いの安全のためにだと思ってる。外出する際は車椅子でも入れるかきちんと調べて行動してる。
理想として、もっと車椅子の人にも気軽に出かけられる社会を目指していくことは素晴らしいと思うけど、現在無理なのに専門じゃない職員に負担を強いるのは違うよね。
・おそらく障碍者の方も、施設側の方も当事者の判断で行った行動や発言がSNSで公に公表され、問題化されてしまっていることだと思いますが、障碍や差別ということでの対応というより、それらに割く施設改装設備費用や人員の不足によるものが原因で、期待される支援を実施できない、あるいは享受できないで起きている事案だと思います。それらが現実に改善できない事情を無視しての理想論が横行していますが、日本が障碍者の方たちが住みよい国になるのは、こうした数多くのトラブルを経験したあとの数年後に、今よりより少しでも住みやすくなる過程の出来事ではないでしょうか。
・イオンシネマも今の時代ですから、車椅子等の障害者に対応は日頃から教育しておくべきで、それに対して障害者が不満を言ってきても、十分対峙できるようにしておくべきですね。そうでないと、従業員も可哀想。 ただ、これは自分の経験だが、私は事故で左手が親指と人差し指が半分しかないのだが、以前ステーキ屋さんへ行って肉はカットしてもらえますかと頼んだら、そう言う事情ならと受け入れてくれたのだが、出てきたものは1枚を半分にしたもので、あー言葉はなかなか伝わらないものだと思ったことかある。お互いピリピリせず、悪い人はそんなにいるわけでもないのだから、穏やかに話をしましょう。
・>今回の件についても、よく事情を知らない第三者が、短絡的に「どちらが悪い」といった批判を行うことは好ましくないが、ひとつ言えることは、設備の充実や制度設計だけでなく、コミュニケーションが重要になるということだ。すべての設備をバリアフリーにしたり、いつでも対応できる人員をそろえたりするには、多大な負担が強いられてしまう。
これに尽きるのでは?個人的には車いすユーザーが声をあげることはむしろいいことだと思う。そもそも健常者だって生まれつき障害がないというだけで、病気や事故などによっていつ障害者になるかわからないから、長い目で見ればそれは健常者側のためにもなる。 一方で車いすユーザー側も発信の仕方や対応する側の事情も考慮に入れて主張すべきだと思う。初めからケンカ腰だとただ二極化して論争になるだけで議論が深まらないし、下手をするとユーザー側と企業側の両方に誹謗中傷がいくケースも出てくると思う。
・別に車椅子やのに違う席で映画を観るな、なんて言う人はほとんどいてないと思うのよ。
問題と思うのは、当日まで何も言わずに行ってバイトであろう映画館のスタッフに介助させた事やと思うのよ。 ヘルパー連れてったらええだけやと思う。そっちのが不安もないやろうに。 映画館の方の言葉も(当事者が言うような事をホンマにそのまま言うたのなら)良くないとは思う。でも言う気持ちはよく分かる。 不慣れなバイトに介助させて、何かあったらどうすんの?ってさ。
・一括りに障害者と言っても身体障害か精神障害の違いもあるし、身体障害にもそれぞれの個人差がある。例えるならば、スポーツと言っても野球もあれば、サッカーもある、その中でも一般なサッカーもあればフットサルやビーチサッカーのように様々な競技に即した形態やルールがあるように本当に細分化されていると思う。合理的配慮にしても、この人の手助けは出来るが、この人には出来ない(物理的に)との事象は致し方ないかと‥色々と難しい問題ですね。
・記事にもあるようにルールを明確にして例外を一切排除するのが、単純で簡単だと思います。
その方が「前は◯◯なサービスがあった」的な勘違いや担当者の優しい自己犠牲等の不公平や負担が無くなるんじゃないでしょうか。 結果的に情に訴えるような事は出来なくなりますが、現場の担当者を守る事に繋がりますし、利用する側もルールを守れば確実にサービスが受けられるので予定が立て易くなると思います。
・コミュニケーションを取るには幼少期からの障がい者とのコミュニケーションが必要と考えます。幼少期から障がいを持っている方との接触があれば、お互い理解しあえると思います。今の学校制度は小中学校に障がい者が少なく、障がい者は別の学校に通います。 町中でも周りの人々は障がい者を見て見ぬふりをしたり、過剰な援助をしようとしたりする人が多いように思います。 幼少期の教育でこれからの障がい者に対する対応が自然なものになっていくと考えます
・車椅子や障害がある人達が納得できるような世の中になるのはまだまだ実現は先だと思います。でも昔に比べたら徐々にでも良くなってるのではないでしょうか?明日には全ての障害がある方に優しい世の中にはならないし今は過程の段階。その中で賛否を生むような発信は溝を深めると思います。
・あらゆる人が平等にサービスを受けられるのは理想である。 しかし、バリアフリーにするにしてもスポット的に介助するにしても経済的体力のない会社や店は対応することが難しいし、対応しようとすると(国が100%の補助をしない限り)料金に反映させて薄く全体から徴収するしかない。 航空機の件や映画館の件は、連絡もせずいきなり対応を求めて、後から言い訳的にかつ姿勢を試してやったんだ的にどや顔でSNSに晒すのは違うと思うし、逆効果でしかないのではないだろうか。 全員が平等にサービスを受けられる社会というのは全員が(サービス代への上乗せも含めて)広く薄く負担していくということなのだろう。 それが社会に広まるまでは互いに歩み寄って、事前に連絡するとか企業側も今できる負担内でサポートするとか努力するのが理想で、これがお互い話し合うって決めるということなんだと思う。
・こういう話って大局的な話と現場の話は別だと思うんですよね。 障害者への理解を深めてバリアフリーな社会を作りましょうはごもっともなんですけど、それって長期的な目線の社会作りの話なんですよ。 けど今この瞬間の現場はそうはいかない。たとえ自力で歩けるとしても、もしそこで怪我でもした時に会社の責任問題にされるリスクを会社は簡単には負えない。障害者、健常者関係なく全ての客個人の属性を把握できるほど細かい商売はできないんですよ。 だからある程度大きい枠組みで切ることは企業側からすると仕方ない部分です。ジェットコースターに身長制限があるのと同じです。
長期的には全ての人が生きやすい社会を作るのが理想というのには違和感ありませんが、現場でできる対応には現実的な限界がある事もまた理解する必要はあります。
・>木島さんは自力で搭乗できたにもかかわらず
ならばなぜ介助を求めたのか、また介助が必要と判断される状況でその場に臨んだのか。最初から自力で搭乗していたら何も問題なかったのではと思う。初めに拒否されても「自力で搭乗できますから」と言えば済んだのでは?何かの社会実験でもしたかったのかな。いきなり付き合わされる方はたまったものではない。
傷害のある方を助けるのは吝かではないが最近は要望が行き過ぎていると感じることもある。そこは企業側が具体例を明記し明確に線引きして従業員を護る姿勢も示す必要があるだろう。今の状態では事故が起これば現場の人間が責められるだけだ
・これもまた、過剰な自己責任論の延長にある感情論が影響してそうな気がする。 意見を言うことと人格否定がごっちゃ混ぜなってる部分もあるだろうし、問題提起を言い掛かりと混ぜ込んだり、も。
思うにクレーマーにも、それこそ不当請求の方をしてくる側にも、その前段階に合理性、みたいなものがあるかもしれない。
でも相互に余裕がなさすぎて、苦情を言えばクレームだ、相手の言葉尻が気に入らない、自分は悪くない、など様々な思い込み同士が組んずほぐれずイングリモングリぐりんぐりんと絡まって、端から寄って来た輩が点火するよキャンプファイヤーかよ、とかなんとか。
罵る前に深呼吸、コレだけでもだいぶ違う気がするなあ。
・本件を始め多くの場合、問題の本質は障碍者であるか否かではなく、インフルエンサーの行動様式そのものだ。 インフルエンサーによる投稿で炎上することは障碍者に限らず珍しいことではない。障碍者だからと特別に取り上げることが不自然なのである。 車椅子利用者の要求は当然あるだろう。それを実現しようとする際の方法論は一律ではないため、上手くやる人もいればそうでない人もいる。このことは一般人の日常生活と何ら変わらない。 炎上も含めて大きな反応を惹き起こすことで注目を集めようとするインフルエンサーの行動に一々関わることはないのだと思う。炎上して返り血を浴びたからといって特別なことではないだろう。インフルエンサーとはそのような人達である。本来は正規のルートで希望やクレームを伝え、ご自分で交渉すれば済むことだ。それを大衆の数を当て込んで一気に強行突破しようとするから躓くのだ。
・この記事でも触れていないのですが、この投稿の件で聞きたいのは、 よほど古い会館でも無い限り最近の映画館なら車いす用席を数席設けてあると思うのですが、この方はこの車イス席での観覧を拒否されたのでしょうか?
それとも、車イス用シートが無い会館だったのでしょうか。 それとも、車イス用シートがあるのに、そこではなく一般席を購入した上で、館の関係者にシートまで誘導するように依頼したのでしょうか。
そのいずれかによって、意見は当然変わってくると思う。
・個人的にはお年寄りや、不自由のある方がいれば、可能な範囲で手を貸したりしています。よりよい日常を過ごして欲しいとも思う。 飛行機に乗せないのと、好きな席で映画を見たいのとは意味合いも全く異なる。 今回はリスクもあったし、少なくとも車椅子で鑑賞できる環境はあったのだから、映画館が批判されることはない。 プラスアルファのサービスをやるかどうかは営業の世界。 このスタッフの人はもしかしたらやめてしまうかもしれないし、トラウマでお仕事続けられなくなるかもしれない。 そういう配慮すらできなかった今回の人は、私個人としては応援したいとは思いません。
・祖母が癌の末期の時の移動に車椅子を初めて使用しましたが上手く押してあげるのさえ最初は、ままならなくて凄く大変でした。 私が不器用や力がないと言われてしまえばそれまでですが素人の方が車椅子の方の補助や移動を手伝うのは、想像より簡単な事じゃないと思います。 車椅子の方の安全を考えたら映画館の方の対応は、間違えていないと思いますし車椅子の方も事前に映画館に電話位は、かけれたと思います。 相手に配慮を求める前にお互いに人間同士ですし自分が出来る配慮をするのは、障がいがあるない関係ないと思うのでこの女性が出来る事をまずして欲しいと感じました。
・障害者が特別に周りに気を使う必要はないけど、逆に援助してもらったり周りに気を使ってもらうのが当たり前な態度なのも違うと思います。 健常者からすると、障害者だから特別に援助するわけではないです。 高齢者や妊婦さんや怪我をしていて一人では大変だろうと思われる人を手伝うのと同じことです。 障害者が特別だとは思っていません。 困っている人をできる人が助ける、それだけです。 障害者が自分たちは特別だと思っている方がいるのもあると思います。 実際、私も、電動車椅子に乗った障害者に足を車輪で轢かれて激痛で叫んだけど、その人は明らかに私の足を踏んだのを気づいていながら謝罪もせずに走り去りました。 駅の改札前で人が多い中、平気な顔ですごいスピードで電動車椅子を走らせ、周りの人たちをよけさせながら運転していましたよ。 あきれてボー然としてしまいましたが、そういった自分勝手な自分優先で当たり前の人もいます。
・声を上げなきゃ問題提起にすらならず、社会の関心も得られない。
会社ごとの方針があって、それが自分と合わないから苦情を言うのはおかしい。 そこは利用者全員が従うべきこと。
法律で縛りをすれば、むしろ完全お断りになりかねん。
車椅子専用通路を作るってことは設計担当者のセンスと気配り次第で可能だから、そこは企業努力すべきこと。
・声を上げることが悪いことではない。ただ声を上げることが難しい障害者もいる。精神・療育だと重度の方は本人自身が声を上げることが難しいことも多いと思うし、ここの例のように施設を作ることさえままならない。せっかく声を上げられるなら、広い視点で客観的に主張し、正しく内容を理解してもらうよう務める努力も必要なのでは。少なくとも名指しで晒し上げることは、それに当たらないと思う。
・障害者ですけど、こういうことが起こるたび日常生活で健常者の方に支援をお願いしづらくなるんですよね。まさに「トラブルは当事者間で解決するのが基本で、SNSや動画共有サイトで発信することは好ましくない」だと思います。
・合理的配慮といって、これからは 映画館で働きたい!という障がい者でも 制限されることなく職に就けるようになるですね でも、身体に不自由のあるスタッフが複数人で仕切り 力の弱い健常者スタッフが1人という時 どうやっても、車椅子利用客の移乗介助なんて無理だろう そして、突然来られて対応出来なければ 差別だ!と訴えられ 力のある健常者スタッフを2人増やす代わりに 障がい者スタッフを2人抑制したら それも、差別だ!と訴えられるのでしょ 映画館のスタッフの募集要件に 介助技能必須とでもなれば 身体が不自由でも働きたい!という人からしたら 不当なクレームでしかない
・産休育休の権利と同じように考えられると思う。 法律で義務化される前は、あくまで企業の恩恵であって、取得は権利でなく、 育休明けに机が無い人や、辞めろという圧力も普通だった。 だから、祖父母の全面サポートなど周囲に迷惑をかけない環境を自前で整えられない家庭は辞めるしかなかった。 法律で義務化となってからは、中小零細ではかなりの痛手だろうが、辞めさせられることは無いんじゃないかな。 合理的配慮提供の義務化も、日常的に利用拒否をされていた社会から 利用拒否されない社会への転換だと思う。 今回の件も、YouTubeで確認したところ椅子への乗り移りはほぼ自力でできそうな人だったから 4段だかの階段をどうするべきだったか。 私は携帯スロープを利用するべきだったと思う。 まぁSNSに出すことか?とは思ったけど、一方的に出禁にしてしまったのは 非常に良くなかったと思う。
・父親が車いすを一時使用したことがありますが、まっすぐ押す事はできても、段差やまして車椅子ごと持ち上げるとか、素人には不可能でした ベテランの看護師さんでも、前に2人、後ろに2人で抱えてもらった事あります 手伝おうと手を出しましたが素人さんは、手を出さないよう言われました イオンにも素人さんばかりと思います 言い方がどうだったか判りませんが、誰にでもお願いできる事では無いです
・車椅子障害者がリクライニングシートに乗れない。 ・車椅子用の場所は端にあることが多い。何故ならは、防災時等に避難できるから。 ・リクライニングシートに乗るためには自立でできるのか?介助が必要だとして、本人もスタッフもぎっくり腰他の怪我をする。ヘルパーが必要。誰でもできることではない。 ・予約したとして、イオンはヘルパーを雇うのか?予約した客はキャンセルするかもしれない。→つまり、車椅子ユーザーがヘルパーを付き添って映画を観る事が必要。
障害者が外に出る事は当たり前です。 やっと、車椅子障害者の事を話し合う日本になりました。
私は、高次脳機能障害です。 脳が壊れたあとに(くも膜下出血で八割死にかけました。)言葉が無くなりました。失語症です。 リハビリして10年。それでも話しながらわからないです。 音もだめで、数字がわかりません。 元看護師なのにわかりません。 サポートは必要です。
・自分がその立場にならないと本当の辛さはわからないけど思いやりや想像力を働かせることは出来ると思います。又障害者介助やバリアフリー化などは高齢者や妊婦さんにも必要な場合があります。その為に多くの費用がかかるとの意見がありますが抽象的な意見ではなく具体的に幾らかかるか検討し工夫する事も必要です。映画館の料金には障害者の介助費用は入っていなとの意見がありますが料金の内訳をご存知で言っているのか疑問です。極論ですが料金の中にトイレ掃除の費用は入っているのですか。又料金は稼働率何割での設定ですか。言い出したらきりがありません。世の中全ての料金の中に障害者や高齢者又妊婦さんの介助費用は入っていないなら障害者や高齢者、妊婦さんは家から一歩も出られなくなりますね。そんな世の中なんですかね
・アルバイトの人達が全員介助ができるわけではないし対応してケガに繋がり賠償問題になりかねない 前にバスの運転手が腰を痛めたという実例を起こしているのだから急な対応は限界があると理解してどうしたら両方がより良い生活をできるかを追求するのが良い平等に繋がるのでは?
・健常者と障害者の間には、様々な意見や考えが有ると思うが、一番肝心な視点が抜け落ちている。それは、障害者の負担を、健常者が、一方的に負わされている事だ。近年、障害者は、権利は主張するが、義務を忘れている乃至は果たしていない。仮に、障害者が、健常者と、同じ事をしようとしたり、求めたら、障害者と健常者の区分けは必要無くなる。私が思うに、障害者が、健常者の手助けや親切を当たり前こ事だと思ったら、健常者は離れて行くのでは無いか。健常者とて、自分の事で、手いっぱいな人も多く居る。が、健常者も、いつ自分が障害者に成るやも知れないから、ある程度は、手助けしたり、するのでは無いか。健常者の私が言うのも何だが、障害者の人々は、もっと、手助けや親切な事を、健常者から、された場合には、心の中や言葉で、感謝の気持ちを表すべきなのでは無いか。兎に角、先ずは、感謝を忘れないで欲しい。
・シネマの従業員が正社員なのか、アルバイトなどの非正規かは知りませんが、この件で怒られていたら可哀想ですね。店で働いている人は人ではないという認識があるのかもしれませんね。あと内部ではどうなっているかわかりませんが、叱責があればその叱責はパワハラだとかもあるかもしれませんし、非正規ならクビになっているかもしれません。
・先日、車椅子専用席がある映画館に行きました。 人気作だったのもあり後2〜3席で完売状態。 最前列ど真ん中の車椅子専用席隣が空いていたので、そこのチケットをとりました。 車椅子の方と介助者の方がいらした時にスタッフの方が誘導してきたのですが和気あいあいと談笑しており、飲食物を置く机をスタッフの方が設置し終わった後 「お手数おかけしました、ありがとうございます」 と、車椅子の方と介助者は笑顔でお礼を言い そして自分にも 「もしかしたらご迷惑おかけすることもあるかもしれませんが、その時は申し訳ありません」 と、声掛けがありました。 上映中もシアターの作りが良く最前列でも椅子とスクリーンの間が結構空いておりゆったり見られ、車椅子の方も楽しそうでした。
健常者でも障害者でも、結局は人間性。 お互い自然に気を遣い自然に感謝出来れば、この車椅子インフルエンサーのようなにはならないんですけどね…。
・家族が車椅子を使用していました。 事前の連絡はマナーです。電車やレストラン、映画館…考えたら分かりますよね。親切な方もいらっしゃいましたし、冷たい対応されたりも勿論…色々ですが、1番は感謝の気持ちです。海外では必ずチップを渡していました。当たり前ではありません。
・車いすのスペースがある通常のスクリーンを案内すれば良いと思ったのだが、イオンシネマが謝罪した内容から、イオンシネマは車いすの方にもグランシアターという施設を使って欲しいと思っている。
ならば、イオンシネマが車いすの方がグランシアターを使いやすいように設備投資をしたり、専門の介助者を雇うべきです。
それを怠りスタッフに責任を擦り付けたイオンシネマは最低だと思います。
もし設備投資が出来ないなら、謝罪では無く通常の設備には車いすの方にもご利用いただけるためそちらをご利用くださいというべきでしょう。
・「支援のあり方や制度づくりが望ましいのか」って ようはお金、人件費 それとトラブった際のリスク、これも要はお金 理想論や綺麗ごとじゃなくリアルな現実を考えたら 出来る事出来ない事があって当然です その「望ましい」状況に持って行くのに誰がお金を出すのか? 人手不足が騒がれる昨今、その為に人件費をだせるのか? これからの時代、障害の有無関係なく 配慮とはサービスではなく お金を出して買うモノになっていくのではないでしょうか?
・車椅子用のエリアで鑑賞するのに事前連絡が必要なんてのはおかしいが、通常シートをとって鑑賞するなら移動の介助が必要で、その場合は事前にこの日のこの回に行きたいがという連絡をしたほうがいい。それはこの車椅子の人も理解はしているだろう、今回は利用後にスタッフが、もう他の劇場で観てくれ、という言い方をしたのに引っ掛かったものと思うけど。
・あれは色々検索してみてみましたが‥イオンシネマには非がないと思いました。むしろイオンシネマは従業員を守らなければならなかったのでは、と思います。なんでもかんでもお客様の要望を受け入れるのはどうかと。50kgの車いすと成人女性(50kg)の合計100kgを、女性従業員2人に抱えさせるのは当然とする流れなら、そんな所で働きたくないです。して貰う側も善意を当然のことだと思うのは良くないと思う。
・車椅子利用者です。 文句をたれる前に感謝をするべきです。 まず、事前に問い合わせをしておく。 お世話してもらったらお礼を言う。 当たり前のことですよね。
権利だけを主張するのだけではいけません。 お願いする立場なのですから相手が気持ち良くできるようにすればいいと思います。 きちんとお礼をすれば手伝ってくれた人もやってよかったと思ってくれるでしょう。 今回の件は性格に問題があると思います。
・>すべての設備をバリアフリーにしたり、いつでも対応できる人員をそろえたりするには、多大な負担が強いられてしまう。
要は結論はこれに集約されるんですよ。車椅子のみならずあらゆるマイノリティに配慮した世の中というのは現実的に無理がある、マイノリティの中でもバリアフリーが浸透していて見た目からも世間の理解を得やすい車椅子でさえこういうトラブルが起きる。 車椅子ユーザーが意見を挙げること自体は否定しない、そういう声がなければ対策はもう十分だと判断され世間から見放されてしまうかもしれない。ただ発信の場と仕方を気を付けなればマイノリティであるが故に賛同よりも「なぜ金や労力をかけてマイノリティに配慮してやらないといけないんだ、それくらい我慢しろ!」という否定の声が大きくなりやすい。 発信者は怒りやストレスの捌け口として現状の批判をするのでは無く、理解や共感を得られる発信をすることを心掛けた方が良い。
・障害者を助けるのは必要。でも、やり過ぎて逆差別にならないように気をつける必要はある。
健常者でも体調悪い時はありますし、見えない障害を抱えてる人もいます。 見た目が普通だからと言って、「健常者のくせに…」という見方はすべきでは無いと思う。
健常者でも障害者でもお互い相手を気遣う気持ちは必要です。
・車椅子でも普通の人と同じように利用したいというのがゴールだと思う。 全ての人がずっと我慢を強いられてきたのは事実だ。 そこを逸脱すれば叩かれる。 それを承知でイオンシネマの人はやったのでは? バリアフリーや優しい社会を謳うが現実は限定的だ。 声を上げてもかき消される、なら炎上すれば取り上げて貰えると考えたのでは? 結果はさらなるバッシングだった、それでもゼロよりはマシだと思う。 車椅子に限らず少数の弱者は不便を甘んじて受け入れなければならない。 前回にも似たようなことを書いたらかなりうーんが多くて批判的なことを書かれた。 入りたい店や設備、やりたいこと、行ってみたい所、どんな交通機関、など我慢や不便を日常的に受け入れていくのは厳しいよ。
・ちょっと違うかもしれないが、平成の始めは バリアフリーなんて言葉は無かった…。 駅でも何処でも、エスカレーターはあっても エレベーターは無かった。 なので、通学途中に何度か車椅子を駅員達と持ち上げた事があった。 電動じゃない時代でも、車椅子+人なので、 重くてキツかったのを覚えている。 でも、車椅子の方から、何度も何度も「すいません」とか 「ありがとうございます」って言われたら、逆に 「そこまで言わなくても…」って思っちゃったよねw こっちも、お礼を言われたい訳じゃないw ガタイが良いから駅員に絵を掛けられ易かっただけだし。 だからと言う訳じゃないけど、声を掛けられたら 普通に持ち上げてたね。 今?若くないし、1度手伝って、お礼も無しで 「当然でしょ」みたいな感じスーッと行っちゃったので しませんよw
・「今までの好意でのサービスが出来ないからクレームをつけSNSに晒す」 弱者に対するインフラ整備は整った方がいいに決まっているが、それが金額的に出来ないことがあるのも事実。 伊是名氏や中嶋氏の発信内容で、弱者に対する考え方が大きく変わり、関わりたくないと思うようになった。 結局、みんなから理解されないような発信は、弱者を盾に取ったクレーマーでしかなく、そんな中からは支えあうといった気持ちは生まれない。
・そもそも「映画館のアルバイト」したくて働いてる人で「頻繁に、車椅子の方を持ち上げたりといった介助業務含む」っていう相手も自分も怪我する可能性のある重労働が含まれると知ってたら応募しなかった人もいると思う。
・他人に何かを要求するならばそれに見合う対価を支払うのが当然です。 支払った対価以上の要求をするならば割り増しで対価を支払わなければならないでしょう。 イオンシネマ側は割り増しの料金を徴収していないのだから過剰なサービスを行う必要は無いと思います。謝罪などする必要もないのでは?客としての立場、そして障害者である事を利用した悪質なクレームでありカスハラだと思いますね。 自ら困っている現状を誰にも頼ろうとせずに解決しようと努力している方々ならば手助けしようと思いますが、自分で出来る事や必要性が低い事、我儘を通すために、他人に手助けを強要する方々が多くなってきたなとは思います。
・車椅子を利用されてる方はそれぞれで ここまでは出来ますというのは第三者には わかりづらい部分もあります 明確に説明をしていただけたら介助可能な方にはスムーズにいく場合もあるのでしょうか?
・健常者優先つまり多数者を優先する社会から、少数者が多数者を意識せずに生活できる社会への変革が望まれる。 社会構造のユニバーサル化だ。気づいて見えない方が多いが、障害者とはされていないが、左利きの方がいる。この社会は殆どが右利きに都合よく作られている。 そのため左利きは右利きよりも事故などやストレスによって寿命が短いという研究報告もある。 ユニバーサル化にはコストがかかる。そのためワガママだと揶揄されがちだ。 社会が必要とする能力が近年大きく変化している。一律の働きをする工場労働者はロボットで良い。人には多様な働きが求められるようになって来ている。その能力の発揮には社会のユニバーサル化が必須だ。 今はその大変革期の真っ只中にあるということだろう。
・施設側だってこの人手不足の中で介助にまわす人手などないのにそれを要求するのは不当な要求と言わざるを得ないだろう。どうしても見たい劇場に行きたいなら家族に介助を頼むとか介助してくれる人を雇っていくべきである。障害者だからと言って利用を遠慮しろとか言われているのではなく、介助の人手がないから介助なしで利用できるようにするには施設の改装などに多額の費用が掛かるからという理由で遠慮して欲しいと言われているんでしょ。
・今回の件は対応したスタッフが(しんどかったからと)失礼なことを言うとは思えず、このインフルエンサーの人が無意識に何か言ったことがキッカケなんだと思う。 例えばだけど「〇〇ならこういうところも車いす対応なんだよね」と言われれば「あ、そうなんですか。それならばこの施設では対応できないので他の施設のほうが良いのでは?」という会話があった可能性が考えられる。だからSNSの書き込みには『キリトリ』の可能性が高いと感じた。だから擁護だけでなく批判も起きるんだと思う。
・環境香害の被害者は、電車の椅子にも映画館の椅子にも座れないしそもそもが空間にも入れないんだぞ。何とかいけても電車移動も命がけ。 帰ってからも衣服やカバンが全滅で汚染物質除去に数週間かかり取れないのは廃棄。 喉や肺に入ったマイクロカプセルは取れない。目の粘膜は炎症する。身体は神経麻痺をおこし吐き気めまい血圧低下で立ってられない。普段は歩けるから身体障害者手帳はでない。 1度だけ遭遇した重度の慢性疲労症候群や線維筋痛症であろうかたは、車椅子を使って座ったり電車降りる時は立って畳んで自分で押したりしてるから周囲が驚くだろうけど。 ストレスで腰も痛くなる。 自分は杖でなんとか移動はできるけど、香害被災併発では対応病院がない。加えて頭も悪いのに福祉も動かない。 だから普通の車椅子ユーザーで映画館にいけてる癖にまだ配慮要求する奴がむかつく。それは合理的配慮ではない。
・公共施設ではないので、あくまでもサービスを提供する企業がお断りしているならそれは仕方ないと思います。 何かあったら企業側が責任を取らされますので。 何でもかんでも権利主張するのは如何なものかと思います。
・この車椅子の方、今は鍵垢にしちゃったけど過去の投稿がどんどん出てきて、「これから連絡なしに新幹線に乗ろうと思います!」みたいな画像が今は出回っている。
映画館も鉄道会社も「車椅子の方はお断り」ではなく、「制限はあるけど利用はできます。」というスタンスで、この制限が気に喰わないのかなと思う。
で、Xではこの車椅子の方を擁護してる方が結構いるんだけど、もうその人たちがボランティアというか支援者に回ればいいじゃんって思える。
突発的に「映画館行くよー」ってその人が言えば、映画館を叩いてる人たちが車椅子を抱えて階段を降りて、リクライニングシートへの移乗をすれば平和なんじゃないかな
・従業員が忙しくしている時に障害者への対応を依頼されても困ってしまうよね。仮に神対応したとしてそれを目当てに車椅子の客が殺到してもね。例えば鉄道やバスなら事前に連絡することで対応してくれるわけだし特別な対応が必要ならアポを取って欲しいと思うわ。
・自分のことはなかなか分からないって事かな 自分で自分を見る事ってできないですもんね これはやりすぎかとか、自分だけじゃ加減が分からないもんだよ 謙虚な人と謙虚な振りをしてるのって外側から見たら分かりますもん 自分ではうまく演じれてるつもりなのも見てたら分かる
・そもそもなんですが… 1人での行動だけど車椅子専用のとこじゃなくあのシートで見たいから手伝って…って 同等レベルの何かサービスや手伝いを健常者が店側に求めても、普通に炎上する案件じゃないですか? 別に障害者だからって言ってる訳ではなく…
すでに専用座席と言うサービスはあるけど、それ以上の事を求めたんですよね… こっちでやるんでこうしてもいいですか?とかならまだわかりますが…人手とか、安全面まで考えると… 店側の負担大きい…
・>2021年7月 ミュージシャンの小山田圭吾さんが、学生時代に障害者いじめを行っていたことが問題視され、東京五輪の開会式の作曲担当を辞任
この件に関しては、小山田氏の行為の対象が障害者だったからではなくて、行われたのが「悪質ないじめ」だったからだと思います。 さらに後年カルト系雑誌の編集者が「両者の対談をやろう」なんていじめられた側からすれば更なる虐待でしかない企画を立てて、それを小山田氏側が拒否しなかった事も火に油を注いでいますし。
感情的には、こんな酷いことをやって反省もせず笑っている人間が、どんなに素晴らしい曲を作ったとしても、それを聞いて感動する気持ちにはなれない、というのが率直な気持ちで、議論を繰り返す事で変化していくものでは無いと思えます。
辞任は妥当な展開だったと今でも思えますし、今回の「対話を」という趣旨とは立ち位置が異なると思います。
・全ての人が平等で公平な社会をって障害者だけを優遇する社会ではないと思うんだけど。 健常者でも障害手帳を持ってないだけで痛みを抱えて仕事をしている人もいる。 障害者は権利ばかり主張しないで、してもらえるのが当たり前と考えずに行動して欲しいね。 全員が体調万全と思っているのかね。障害者の人たちが、そう思っているなら分離しか進まないよ。
・原則として受け入れる、のはいいがそれに対して「資格」は無くてもいいのか?と思う。 他でも書いたけど、資格ない人の介助により怪我などがあったらどうするのか?逆に介助側が怪我したらどうするのか?その辺重要だと思う。 また介助される側も当然だと思ってはならないし、介助する側もできるだけ力になってあげるようにしたい。 しかしやはり素人には厳しいと思う。 海外みたいにチップはずまないとそうそう危険で面倒なことはやりたくないのがヒトノサガ。
・タイパの時代における「人助け」って、自分の持っている限られたリソースを困っている人の足りないリソースに補ってやる行為となってんだよな(異論は認める) そして今の時代はこの「リソースを補う行為」の価値を測ってしまう、特にメディアに晒してしまうと価値観の違う他人によってそれを値踏みされてしまうから注意が必要なんだ
・不当でもないし正当な主張ではあると思う そう思いはするが企業側も人員、費用は限られている。 会社が無理しても傾いても平等にしろは 無茶な要求でもあるように思える。 ついでにインフルエンサーみたいなのがSNSで晒しあげ炎上を狙うのは ある種の脅迫で不当であると思う
・>利用者側が事前に連絡して対応策を講じてもらうということで解決できたはずだ。
偉そうに結論付けてるけど、イオンシネマに難癖付けた車椅子クレーマーを批判してる側の件では早い段階から、「事前に連絡しとけよ」って意見がほとんどだったよ。
事前連絡してもサービスを受けられない場合もあるからその時は諦めて、車椅子専用席で鑑賞するしかない。
健常者のクレーマーもそうだけど、身の丈に合った以上のサービスを求めたり、現状を理解して諦める事が出来ない人が多くなったね。
何でもかんでも自分の思い通りに事が進むと思ったら大間違いだよ。
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