( 152096 )  2024/03/23 14:04:12  
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日銀がマイナス金利政策を終了し、長短金利操作政策も取り払ったが、市場の反応は冷めたものであり、円相場は下落した。

現在、日銀は金融政策の正常化を進める中で新たな課題に直面しており、これまでの金利ゼロ周辺の政策から脱却することは難しい状況だ。

過去に金融政策の正常化を試みた経験も嫌な結果に終わっており、現在の状況はさらなるリスクを伴うものとなる。

新たな金融政策の方策を模索しなければならない状況であり、これまでの経験や教訓に基づいて対処していく必要がある。

(要約)

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日本銀行の植田和男総裁(Getty Images) 

 

日本の金利がどこへ向かうのか世界の投資家が手がかりを探るなか、ひとつ言えることがあるとすればこうなるかもしれない。日本銀行にもそれはわからないと。 

 

日銀は19日、長年にわたって市場をじらし続けてきた末に、世界で最後となっていたマイナス金利政策をついに終わらせた。マイナス0.1%としていた政策金利を0~0.1%程度に引き上げた。植田和男総裁のチームはさらに、長短金利操作(イールドカーブ・コントロール=YCC)政策も取り払った。 

 

ところが、市場の反応はつれなかった。日銀の措置をあざ笑ったとさえ言えるかもしれない。植田の政策転換で円が急騰するのではないかという懸念をよそに、円の対ドル相場は1.5%超下落した。他方、日本株の強気派はむしろ、やや勢いづいた。理由は、この「利上げ」の意味がすでに失われているからだ。 

 

日銀ウォッチャーのメディアが19日の決定を仰々しく報じたのは、理解できなくもない。本当に劇的なことが起こるのを17年も待っていた人たちなら、まるで金融の世界の構造が大きく変わったかのように反応してしまってもおかしくはない。 

 

現実はというと、日銀はこれ以上信用を失わないように最低限のことをしたにすぎない。植田が2023年に日銀総裁に就任してから、世界のマーケットは日銀の量的・質的金融緩和の打ち切りに幾度となく備えていた。だが、日銀は何度もそれをためらい、先延ばしにしてきた。 

 

その日銀も世界のマーケットに追い込まれるかたちで、ようやく金利を少しばかり調整した。日経平均株価が過去1年で約51%上昇し、労働者の賃上げ率が33年ぶりの高さになるなかで、現状維持の立場を続けるのはもはや不可能になったというわけだ。 

 

問題はもちろん、次に何が起こるかということである。植田自身にもわからない。1つの重要な実験を終わらせようとしている日銀は、また別の重要な実験を始めようとしている。 

 

金利をゼロ近辺に押し下げる政策を25年も続けてきた世界3位かそこらの経済大国が、金融政策の正常化にかじを切るというのは、史上初の試みだ。また、バランスシートが日本の590兆円ほどの国内総生産(GDP)を上回る規模に膨れ上がっている日銀のように、資産・負債が自国の経済規模以上に拡大した中央銀行向けのプレーブック(作戦帳)も存在しない。 

 

 

政府の債務残高がGDP比で260%ほどに達し、急速な高齢化の進む国が、金融の大混乱を引き起こさずに借り入れコストを引き上げた前例もない。日銀は日本の国債発行残高の50%超を保有しているが、この莫大な保有を減らしていくうえで参照できるロードマップもない。 

 

金融の世界は、日銀ほど多く株式市場の一部を事実上、国有化した中央銀行が、ポートフォリオを縮小したケーススタディも知らない。 

 

植田の前任の黒田東彦が総裁に就いた2013年以降、日銀は上場投資信託(ETF)の買い入れを通じて日本株の最大の「クジラ」になった。黒田の就任当時、市場は日銀による流動性の「バズーカ砲」について騒ぎ立てたものだ。 

 

日銀による株式の大規模な買い入れは、220兆円以上を運用する世界最大の年金運用機関、年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)の役割すらかすませた。エコノミストのピーター・タスカーは日銀を、ハーマン・メルヴィルの有名な小説にちなんで「モービー・BOJ」と表現したほどだ。 

 

植田のチームには、金融政策の正常化を進めていく際に参考にできるプログラムもない。日銀がまず国債の保有比率を引き下げれば、長期金利が急上昇して株式市場に打撃を与えるのか? 日銀がETFの購入を大幅に減らせば株価は急落し、長期金利は再びゼロ以下に下がるのだろうか。 

 

植田日銀にとって唯一、参照できるものがあるとすれば、日銀自体が前回、金融政策の正常化を試みた時の経験だろう。これは2006~07年に行ったもので、結局うまくいかなかった。当時の福井俊彦総裁は量的緩和を打ち切り、利上げも2回行った。しかし、続いて日本経済はリセッション(景気後退)に陥ったため、政治家の強い反発を招くことになった。後任の白川方明総裁は量的緩和を復活させ、金利をゼロ近辺に戻した。 

 

とはいえ、前回もゴールポストははっきりしなかった。2013年以降は、どこまでが日銀のバランスシートで、どこからが民間部門なのかも不明瞭になってきている。日銀による今回の金融政策正常化の道のりは、前回よりもはるかに大きな危険をともなうものになるだろう。 

 

 

植田が日銀総裁に起用された時、彼が米国のマサチューセッツ工科大学(MIT)で研さんを積んだことが注目された。植田はMITで、のちに国際通貨基金(IMF)副専務理事や米連邦準備制度理事会(FRB)副議長、イスラエル中銀総裁などを歴任する経済学者のスタンレー・フィッシャーに師事した。ベン・バーナンキ元FRB議長、ローレンス・サマーズ元米財務長官、マリオ・ドラギ前欧州中央銀行(ECB)総裁らもフィッシャーの教え子だ。 

 

サマーズは昨年、植田を「日本のバーナンキ」と呼んだ。バーナンキは1920~30年代の米国のデフレやハイパーインフレの研究などでも知られる。だが、当時、あるいは1980年代、1990年代、2000年代、コロナ禍の時期の危機から得られる教訓で、日銀にとって今日すぐ役立つようなものはほとんどない。つまり、植田のチームは、自分たちで方策を考え出して状況に対処していかなくてはならない。 

 

日銀が賢明に行動すると願うばかりだ。さしあたり、持ち出したのがバズーカ砲どころかバターナイフでは誰も驚かないとだけ言っておこう。とくに、ますます強気になっている日本株の強気派は目もくれまい。 

 

William Pesek 

 

 

 
 

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