( 152398 ) 2024/03/24 13:32:42 0 00 北陸新幹線(画像:写真AC)
北陸新幹線金沢~敦賀間125.1kmが開業した2024年3月16日、筆者(大塚良治、経営学者)は営業初列車となる金沢6時00分発「つるぎ1号」敦賀行きが止まる14番ホームへ向かった。ホームには多くの人たちがいた。
【画像】「え…!」 これがハピラインふくいのマークが貼付された敦賀駅の「駅名標」を見る
定刻に出発し、全席売り切れとの車内放送があったが、乗車した4号車は所々に空席が目に付く。普通車のデッキは、多くの立ち客で混み合っていた。
4号車では、小松、加賀温泉、芦原温泉でそれぞれ数名の乗降があった。福井では多くの乗降があり、新規開業区間で唯一の単独駅である越前たけふでは、若干名の乗降があった。
6時57分、敦賀に到着。駅構内には多くの報道関係者が集まり、関心の高さを示した。日本政策投資銀行は、敦賀延伸の経済効果を年588億円と試算する。2024年3月8日から福井・富山・新潟県、同月16日から石川県を対象エリアに販売が開始された「北陸応援割」とともに、2024年元日に発生した能登半島地震からの復興への後押しが期待される。
駅をひと通り視察した後、在来線ホームに移動し、敦賀7時45分発快速福井行きに乗る。2両編成で、車内は混雑した。発車後「本日、ハピラインふくいは『県民鉄道』としてスタートしました」とのアナウンスがあったが、これは
「当社を身近に感じていただくためのアイデアとして乗務員から提案があり、会社として承認し実現した」(ハピラインふくい総務企画部)
という。高揚感に包まれた新幹線駅とは異なり、並行在来線駅構内で報道関係者を見かけることはなかった。
「つるぎ1号」敦賀駅到着後の駅構内。2024年3月16日撮影(画像:大塚良治)
ここで、北陸新幹線の歴史を振り返る。報道などによると、1965(昭和40)年9月に砺波(となみ)商工会議所の岩川毅会頭が佐藤栄作首相に、東海道新幹線のバイパス路線として「北回り新幹線」の建設を要望したことが始まりという。
1967年12月に「北回り新幹線建設促進同盟会」が結成された(北陸新幹線建設促進同盟会他「北陸新幹線(長野・金沢間)の開業にあたり―これまでの歩みと今後の期待―」『プレストレストコンクリート』Vol.56・No2、2014年、22ページ)。
1988年8月11日、運輸省(当時)は、高崎~軽井沢間を標準軌新線(フル規格)、軽井沢~長野間をミニ新幹線方式で整備する試案をまとめる(角一典「巨大公共事業における地方の政策過程の特色一北陸新幹線建設における並行在来線経営分離を事例として一」『北海道教育大学紀要(人文科学・社会科学編)』第54巻第1号、90ページ)。
同月31日の政府・与党申し合わせでは、軽井沢~長野間について、1998(平成10)年冬季五輪の開催地問題等を考慮して3年以内に結論を出すことなどが示された。1990年12月24日の政府・与党申し合わせでは、軽井沢~長野間をフル規格で整備する方針と、建設着工する区間の並行在来線は、開業時にJRの経営から分離することを認可前に確認することが明記された。
1992年8月6日に石動~金沢間、1993年9月22日には糸魚川~魚津間が、新幹線鉄道規格新線(スーパー特急方式)で暫定整備認可された(「整備新幹線の手続状況」『独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備機構(JRTT)ウェブサイト』)。その後、1996年12月25日の政府与党合意で長野~上越間のフル規格整備の方針が決まった。
福井駅11番ホームで敦賀行き一番列車「つるぎ1号」を見学する人たち。2024年3月16日撮影(画像:大塚良治)
1997(平成9)年10月1日、高崎~長野間が開業した。同日に、軽井沢~篠ノ井間は三セク・しなの鉄道へ移管され、横川~軽井沢間は廃止された。
住民などは、横川~篠ノ井間のJR東日本としての鉄道事業廃止に対して、国に許可の取り消しを求めて行政訴訟を提起したが、第一審・控訴審ともに、原告適格がないとして却下された。整備新幹線開業に伴う地域輸送サービス水準低下の問題が法廷で審理された点で、特筆すべき事例である。
2000年12月18日の政府・与党申し合わせで長野~富山間、2004年12月16日の政府・与党申し合わせでは長野~金沢車両基地(白山総合車両基地)間のフル規格整備および福井駅部の整備の方針が決定された。
2011年12月26日、政府・与党確認事項で整備新幹線の着工5条件(安定的な財源見通しの確保、収支採算性、投資効果、営業主体であるJRの同意、並行在来線の経営分離についての沿線自治体の同意)のうち、財源確保以外の残余の条件を満たすなど所要の手続きを経たうえで、白山総合車両基地~敦賀間を着工する方針が決定した。
2012年には国土交通省が、敦賀開業時に大阪方面との直通を可能とするため、フリーゲージトレイン(FGT)の導入方針を固めたことがマスメディアで報道される。同年6月29日に金沢~敦賀間の着工が認可された(『JRTTウェブサイト』)。
敦賀駅7番ホームでハピラインふくいの列車を撮影する人たち。報道陣の姿はなかった。2024年3月16日撮影(画像:大塚良治)
2015年3月14日、長野~金沢間が開業した。同日に、信越本線長野~妙高高原間がしなの鉄道へ、同線妙高高原~直江津間および北陸本線市振~直江津はえちごトキめき鉄道へ、同線倶利伽羅~市振間はあいの風とやま鉄道へ、そして同線金沢~倶利伽羅間はIRいしかわ鉄道へそれぞれ移管された。
それにともない、大糸線・高山本線のJR西日本管轄区間、および氷見線・城端線は、他のJR西日本在来線との接続が切断された。七尾線は他のJR線と接続しない飛び地路線となった。また、越後湯沢で上越新幹線と接続し、北越急行線経由で金沢を結んでいた特急も同日に廃止され、ドル箱を失った同社は赤字に転落した。
2018年8月28日、国土交通大臣会見で、九州新幹線西九州ルートへのFGT導入が断念されたことや、JR西日本からFGT導入は不可能との意向が示されたことなどを踏まえて、北陸新幹線におけるFGT導入の事実上の断念が発表される。
そして、2024年3月16日、金沢~敦賀間が開業した。同日に、北陸本線大聖寺~金沢間がIRいしかわ鉄道へ、敦賀~大聖寺間がハピラインふくいへそれぞれ移管され、越美北線は他のJR線と接続しない飛び地路線となった。
このように三段階にわたって敦賀まで到達した北陸新幹線において、並行在来線は一部区間を除いて、大部分が三セクへ移管された。『福井県並行在来線経営計画』によると、鯖江~森田間は旧国鉄の幹線の基準である1日輸送密度8000人以上を満たすが、敦賀~大聖寺間の平均は5571人と地方交通線の水準にとどまる(いずれも2019年度)。そこで、福井県と沿線市町が1:1の割合で拠出する経営安定基金が設けられた。
ハピラインふくいとIRいしかわ鉄道の境界駅となった大聖寺駅。IRいしかわ鉄道の管轄駅。当駅での乗務員交代はなく、両社の乗務員は越境乗務する。2024年3月16日撮影(画像:大塚良治)
今後、北陸エリアにおけるJR西日本在来線のさらなる採算悪化も懸念され、あいの風とやま鉄道への移管が決まった氷見線・城端線のように、今後も別路線でJR西日本からの切断が進む可能性がある。
また、旧北陸本線の区間はJR貨物の貨物列車が通行する大動脈である。JR貨物が、線路保有者であるJR旅客会社に支払う線路使用料は「アボイダブルコスト(AC)」ルールに基づいて算定されるが、三セクには適用されない。そこで、JRTTが、JR旅客会社から受け取る新幹線施設の貸付料やJRTTの特例勘定からの繰入金を財源とする「貨物調整金」をJR貨物に助成している。
貨物調整金は、三セクとJR貨物を支えている。前出の経営計画によると、ハピラインふくいの2024年度の総収入38.7億円のうち、貨物線路使用料は17.2億円と、総収入の半分近くを占めるが、貨物調整金の現行スキームは2030年度に期限を迎える。
一方、JR旅客会社は並行在来線の経営分離で、その赤字を負わなくなった。西九州新幹線の並行在来線である長崎本線江北~諫早間のように、新幹線開業後も、自治体が関与する形での上下分離(鉄道施設を自治体またはそれに準じる組織が「第一種鉄道事業者」として保有し、「第二種鉄道事業者」である運行事業者に貸与するスキーム)によってJR旅客会社が運行を継続するのとは異なるものの、少なくとも、北陸新幹線では自治体がJRから切り離された並行在来線の維持のために公的資金を負担する。
結果的に、JR旅客会社の利益は並行在来線の赤字がなくなった分だけ増える。このような、市民からJR旅客会社株主への
「富の移転」(市民の税金によりJR旅客会社の株主資本が増える構図)
は、上下分離・経営分離を問わず、ほぼ同様に発生する。
敦賀駅新幹線改札から在来線特急のりばへのルートを示す床面の標識。2024年3月17日撮影(画像:大塚良治)
いずれにしても、新幹線の利用促進と開業効果の持続性を担保するための方策、および地域輸送ネットワークの維持方策を考える必要がある。そして、JR貨物の線路使用料の財源を広く利用者全体の負担により調達する仕組みを創設することで、
・並行在来線三セクの維持 ・JR旅客会社が負担するJR貨物の線路使用料の事実上の優遇の解消 ・JR貨物の経営維持
につなげたい。
課題はほかにもある。敦賀駅での乗り換えである。乗り換え利便性確保のため、3階の新幹線高架ホーム下の地上1階部分に在来線特急ホームを設置することで上下移動で乗り換えできる構造に変更された(JRTT『北陸新幹線(金沢・敦賀間)事業に関する再評価報告書』2018年3月)。
筆者は開業日の翌日に北陸新幹線から大阪行き特急へ乗り継いだが、5分程度で完了した。それでも、西九州新幹線武雄温泉での新幹線と在来線列車の同一ホーム対面乗り換えと比べると、利便性の差は否めない。
現状では、広大な駅構内を移動するだけでは、ただ不便を感じるだけであろう。消費者は目の前に示された利便性やコストパフォーマンスでサービスを選択する。他の交通機関への流出や、敦賀を経由する旅行の取りやめなどの影響が出る懸念もある。
試しに、平日の19時50分頃に乗り換え検索サイトで「福井→名古屋」を検索したところ、高速バスを利用するルートが第1候補に表示された。所要時間は北陸新幹線・北陸本線特急利用の約2倍を要するが、乗り換えが不要な点および運賃が安価である点に限れば高速バスに優位性がある。
敦賀駅33番ホームで出発を待つ特急「サンダーバード40号」大阪行き。2024年3月17日撮影(画像:大塚良治)
今後長い期間を要する北陸新幹線の新大阪開業まで、北陸地方では、生徒・学生の進学先や就職先、地域住民の旅行先、さら地場企業が他地域への進出先を選択するなどの際に、関東を選ぶ動きが強まる可能性がある。福井市在住の50代男性と40代女性の夫妻はともに
「東京に直結する新幹線が福井に来たことはよいことだと思うが、大阪や名古屋へは乗り換えとなり不便になった」
と口をそろえる。
評論家の八幡和郎氏は「新幹線の採算を確保するために、在来線特急が短縮され、乗り換えをさせられるようになった」と批判し、
「例えば、JR東海が名古屋~金沢間の在来線特急を運行するようになれば、乗り換えをしなくて済む。欧州では鉄道はオープンアクセスで、ひとつの線路に複数の事業者が列車を運行している。消費者の利便性を優先する鉄道政策が必要だ」
と提言する。
東京駅~福井駅間を移動する場合、新幹線敦賀開業前は、北陸新幹線・東海道新幹線ともに乗り換えが必要で、運賃+料金合計額・所要時間ともに東海道新幹線が優位であったが、新幹線敦賀開業後は、所要時間の短さと乗り換え不要の点で北陸新幹線優位に逆転した。
敦賀を越える特急が復活すれば、行きはJR東日本・JR西日本の北陸新幹線、帰りは在来線特急+JR東海の東海道新幹線と使い分ける列車旅を再び提案しやすくなる。帰りに長浜で途中下車して黒壁の街並みや琵琶湖などを楽しむのも一興だ。
本来「ワンJR」であれば、JR同士の競争を気にする必要はない。八幡氏の提言を敷衍(ふえん)して、例えば、JR西日本が、ハピラインふくいやIRいしかわ鉄道に特急運行を有償委託できると、両社への支援にもなる。大企業による地域鉄道支援はSDGsの考え方にもかなう。
並行在来線で特急運行を行うと問題が生ずるようなら、制度を改めることで対処し、新幹線と在来線特急が互いの魅力を競い合えばよい。「Japanese Beauty Hokurikuキャンペーン」で協働してきた東日本・東海・西日本のJR3社は今後も力を合わせて、他の交通機関に負けないよう、鉄道アクセスの魅力を磨き上げる努力が要る。
JR東海東京駅に掲示されている北陸(長野経由)新幹線の標識。2024年3月20日撮影(画像:大塚良治)
敦賀を越える特急の復活または新幹線新大阪延伸開業までの間は、敦賀駅の魅力向上を図ることで対処したい。
幸いにも、新幹線連絡改札のある2階コンコースはかなり広い。旅客の往来を阻害しないことが大前提であるが、例えば、敦賀駅の駅ナカをテーマパーク化して誰もが楽しめる空間にするのはどうか。ここは、ピンチをチャンスに変える発想が欲しいところだ。
解決すべき課題は山積しているが、今の鉄道政策に必要なことは、多様な意見に耳を傾けて、よりよい鉄道をつくるという発想かもしれない。
大塚良治(経営学者)
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