( 152526 )  2024/03/24 22:24:37  
00

西村まこさんは、日本初の国に認定された女性暴力団員で、若いころはヤクザの世界に入り、苦しい人生を送った。

彼女は親分の盃を受けてヤクザ組織に入り、警察のお世話になることも多かった。

ヤクザとして初めての仕事は、借金がある女性を渡鹿野島に売り飛ばすことだった。

彼女は赤落ちや指詰めなど、ヤクザの過酷な世界を生き抜いたが、その後は更生し、現在はどのような姿なのかが気になる。

(要約)

( 152528 )  2024/03/24 22:24:37  
00

日本初の女ヤクザ・西村まこさんはどんな人生を送ったのか?(写真:本人提供) 

 

「具体的には、知り合いの女の子を、三重県志摩市にある渡鹿野島に売り飛ばしたことです」 

 

【あだ名は"宝塚”】「美しすぎる女ヤクザ」はその後どうなったのか…西村まこ(57)さんの現在のお姿(写真多数) 

 

 日本で初めて国に「女性暴力団員」と認定された西村まこさん。彼女はなぜヤクザとなり、一体どんな人生を送ったのか? ヤクザとなった彼女が更生するまでの道のりを、初の著書『 「女ヤクザ」とよばれて ヤクザも恐れた「悪魔の子」の一代記 』(清談社Publico)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/ 後編 を読む) 

 

◆◆◆ 

 

 昭和に生まれた私たちの娯楽にとって、銀幕の映画が占めるウエートは大きかったと思います。当時、映画を観ようと思ったら、現在のようにネットが普及していませんでしたから、リアルに映画館に行かなければ観られませんでした。このころ、映画の封切り前には派手な手書きの看板やポスターが人目を引いたものです。 

 

 なかでもヤクザ映画は人気で、高倉健や菅原文太という往年の大スターたちが銀幕のなかで切った張ったの大立ち回りをしていたものです。私が映画館に行っていた時分には、まさか自分がヤクザの世界に入るとは、夢にも思っていませんでしたが。 

 

 私は女ですが、中学校二年のときに不良の友人に影響され、役人の真面目一本の父が強いる厳格な家庭の軛(くびき)から逃れました。その後は野に放たれた動物のように男友だちとケンカ三昧の日々を送るようになったのです。この荒んだ生活は50歳になるころまで続きます。 

 

 別にヤクザになりたくてなったわけではありませんが、時の勢いとは恐ろしいものです。気づいたら岐阜市内を縄張りとする杉野良一親分の盃を受け、杉野組若衆となっていました。 

 

 若衆というのは、れっきとしたヤクザです。歴史をひもとくと、女親分のような女性を見ることができます。近代でしたら、実話にもとづく映画『花と竜』に出てくる北九州の「どてら婆さん(島村ギン)」がいますし、三代目山口組の田岡文子未亡人も任俠界に名を刻んだ女傑と言えるでしょう。 

 

 しかし、彼女たちとは違い、私はヤクザ組織のなかで親分を親として忠誠を誓い、男たちと同様の役割を持つ組員として日夜活動してきましたし、当然、シノギ(営利活動)も持っていました。 

 

 

 ですから、警察のお世話になること数知れず、結果、赤落ち(刑が確定し、刑務所に収容されること)もしていますし、出獄時の放免祝いも経験しています。そして、ヤクザの定番である「指詰め」もやっていますから、お恥ずかしいことに、左手の小指の先はありません。 

 

「女ヤクザ」として初めてのシノギは、私に多額の借金があった女性を売春宿に沈めたことです。 

 

 具体的には、知り合いの女の子を、三重県志摩市にある渡鹿野島(通称・売春島)に売り飛ばしたことです。売ったのはヤクザになる前に私が経営していたデートクラブ「キャンディーズ」で働いていた少年院上がりのレイコという子です。 

 

 そのときは三重県のヤクザに紹介してもらい、渡鹿野島を仕切っている50代くらいの東さんというヤクザと知り合いました。東さんは、ごつい体つきの人で、筋金入りという感じの親分です。この人のシマは渡鹿野島であり、島内の店の事情を表も裏もくまなく知っていましたので、前借(前借金)がいちばん高く出る店に連絡を入れてもらったのです。 

 

 この島にはボロい漁船のような船で渡ります。島といっても、そんなに沖合にある島じゃないので、乗ったと思ったら、すぐに対岸の桟橋に着きます。東さんは「つたや」という店の女将には話を通していると言いますから、うちの若い衆とレイコを連れて、その店に向かいました。 

 

 売りの交渉は大金が絡みますから、人任せにはできません。そこは私が女将と客間で対面して金額の交渉をしました。その結果、私が最初に提示した前借金350万円で手を打つことになり、現金はその場でもらいました。そのカネを懐に入れ、レイコには「頑張れよ」とかなんとか、軽く声をかけて店をあとにしました。 

 

「暴力団でのあだ名は“宝塚”」ケンカ、恐喝、監禁、管理売春…悪いことは何でもやった「日本初の女ヤクザ・西村まこ(57)」の現在地 へ続く 

 

西村 まこ/Webオリジナル(外部転載) 

 

 

 
 

IMAGE