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財布をなくし航空券を買えず…途方にくれた高校生にその場で6万円を貸してくれた男性 2人の縁が道徳の教科書に

沖縄タイムス 3/25(月) 7:33 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/fecba2df96fd7d3ffe891cf2cc90d1592ab1dca7

 

( 152881 )  2024/03/25 15:08:03  
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文部科学省は来春から使われる中学校教科書の検定結果を22日に公表した。

教科書には、社会科で琉球の歴史や沖縄の基地問題、国語や英語、音楽、美術で沖縄の文化が取り上げられた。

あかつき教育図書の中学3年の道徳教科書には、2019年に報道された人助けの話題が掲載され、沖縄工業高校の生徒が那覇空港でお金を無くした際に助けてくれた医師との再会のエピソードが紹介されている。

(要約)

( 152883 )  2024/03/25 15:08:03  
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本紙報道のニュースを取り上げたあかつき教育図書の道徳3年 

 

 文部科学省は22日、来春から中学校で使用する教科書の検定結果を公表した。社会科では琉球の歴史や沖縄の基地問題などが多くの教科書で紹介された他、国語や英語、音楽、美術でも沖縄の文化などが多岐にわたって取り上げられた。一部を紹介する。 

 

【写真】「信じて良かった…」6万円を貸した医師の猪野屋博さん。高校生が捜していると知り、感激の涙を流した 

 

 あかつき教育図書の中学3年の道徳には、2019年に本紙で報道された人助けの話題が取り上げられた。 

 

 当時、沖縄工業高校の2年生だった崎元颯馬さんは伯父の葬儀で与那国島に行くため那覇空港に向かっていたが、航空券代が入った財布をなくした。途方に暮れていたところ、声をかけてくれた男性に事情を話すと、その場で6万円を貸してくれた。 

 

 慌てていた崎元さんは連絡先を聞かずに出発。その後、男性を探してお金を返したいと、本紙を通して「連絡がほしい」と呼びかけた。 

 

 男性は、埼玉県に住む医師の猪野屋博さんで、インターネットで記事を見た同僚が知らせてくれた。探してくれていたことに感激した猪野屋さんは約1カ月後に来県し、再会を果たした。 

 

 教科書ではこの一連の出来事を紹介し、2人はどんな思いだったのかなどを考えるよう読者に促す内容となっている。(社会部・普久原茜) 

 

 

( 152882 )  2024/03/25 15:08:03  
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(まとめ) 

この記事には、見ず知らずの人に6万円を貸した行為に対して賛否両論の意見がありました。

一部の方は美談として捉えており、他人を助ける行為の素晴らしさを強調しています。

しかし、詐欺やリスクについて警鐘を鳴らす意見も多く、このような行為には慎重な考えが必要だとしています。

また、教育として道徳の教科書に掲載する際には、多面的な視点を持って議論し、生徒たちに適切な教訓を提供する必要があるとの指摘もありました。

 

一方で、過去の経験や自身の善意に助けられたエピソードを共有する声もあり、困っている人に手を差し伸べることの大切さや、感謝の意を伝えることの意義を示唆していました。

これらの意見を踏まえつつ、このような出来事が教育的な観点からどう捉えられるべきかについての議論が重要であるといえます。

( 152884 )  2024/03/25 15:08:03  
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・見ず知らずの人に、連絡先すら聞かずに6万円貸してくれる人も、懐が深いというのか、本当に良い人なのでしょうね。他人を騙す様な人間がいないとも言えない世の中で、困った人を助けてあげたいという思いが強かったのでしょうね。 

 

 

・そう言う場合に駅や空港で何とかできるシステム作ってくれないかな。免許証などの本人確認の上で後払いにするとか。警察と連携するとか。自分も駅で若い男性に財布忘れてお金なくて改札を出られないけどどうしたらいいですか?と言われたので駅員さんに相談して。て言って逃げたけど、見ず知らずの人が巻き込まれる前に駅で何とかできるシステム作ってほしい。 

 

 

・今回の話は借りた側が必ず返すんだという気持ちがあっての美談になってますが、このような話ばかりではないので注意が必要です 

自分も昔、出張できた場所で車が故障して帰るに帰れなくてと声をかけられて 

貸したことがありますが連絡も取れなくなり、約束の時間でも現れず詐欺にあった過去があります 

時代なのかわかりませんが、今は詐欺もいろいろな形で横行している世の中です 

気を付けましょう 

 

 

・若者にこういうのを美談と伝えるのは誤ったメッセージを送る可能性がある。自分が親ならやめてくれと言いたい。良心につけ込む詐欺などの被害は今後増えていく。困った人がいたら助けるのは素晴らしいことであるけれど、同時に警戒することも教えるのが、本当の教育になると思う。 

今の教育で求められるのはネットやSNSの使い方や著作権や企業のイメージを潰したらどうなるか、など社会常識もモラル様々な判断力を伝えていく必要があると思う。我々の世代はそれらをリアルタイムで学んでいったが、若い世代は学べる機会がないまま社会に放り込まれてやらかす。 

学校教育で間に合わないなら親が子供の頃からあらゆる知識と判断力を伝えていくべきであると思う。昔の教育では間に合わない。 

 

 

・もちろん美談ですし、6万円を貸してくれた男性のやさしさと決断に敬意を表したいと思います。ただ、オーサーが書かれているようにこれは道徳の教科書に載った内容です。物事を多面的に見る勉強の為にも敢えて反対意見の側から考えてみる事が重要と思います。「もし相手が高校生ではなく成人だったら、同じようにお金を貸したか」「貸した人がギリギリのお金しか持っていなかったとしたら貸したか」「自分だったら借りるか、貸すか」など。良い勉強になると思います。 

 

 

・どの様な状況か分かりませんが、思わず声をかけたくなるほど崎元さんは困っている様に見えたんでしょうね 

そんな崎元さんに6万円もの大金を貸してあげた猪野さんは本当に素晴らしい方だと思います 

勝手な憶測ですが、貸したのではなくあげたって感覚だったのかもしれませんね 

 

沢山稼ぐ事も大事ですが、稼いだお金の使い方はもっと大事だと思います 

猪野さんは素晴らしいお金の使い方を知っていた方かもしれませんし、この事でその事を知ったのかもしれませんね 

 

私も見習いたいです 

 

 

・私の知人も、高速バス代を紛失した女子高生にお金を貸していました。 

後日、感謝が記されたお手紙とお金とお礼の品が自宅に届いたそうです。 

そしてなんとその女子高生は、その知人の娘さんの友人の友人だったというオチ。 

同じ行き先のバスだったので確立は高いのでしょうが、、不思議なご縁ですよね。 

無理のない範囲で徳を積むのは良いことだと思います。 

 

 

・過去に空港で財布を置き忘れそのまま渡航してしまい、現地から空港に問い合わせたら、拾得物で届けられていた。現金やカードもそのままで。戻ってから御礼の連絡を入れ、細やかながらお返しを添えた。 

大学生の時で、御礼の仕方など親に教えられたことがあり、記事を見て思い出した。 

数十年経って、受けた恩恵にきちんと行動した学生さんが、世知辛い世の中の今でも存在することに安堵、また、身銭がどうなるかも不確かな状況でも救済する大人の方が居られることも、高校生と似たような境遇を経験した自分としては見習いたい。 

 

 

・6万も貸すのは勇気がいると思います。 

元々の親切心が強い人だったのかもしれないし、過去に嫌な思いをしたことがない人だったのかもしれません。 

私は20歳の頃に、知り合いに帰りのお金がないから千円貸してと言われて貸したけど、結局返ってきませんでした。 

1週間後に再会したときには、彼女は全くお金を借りていることを忘れていたのか、忘れた演技をしていたのかは分からないけど、向こうから言われなかったのでこちらから言いました。 

次の週も同じだったので関係は絶ちました。 

自分は学生で親元を離れて間もなくだったので、お金を貸すことも初めての経験でした。 

美談だけ教科書に載せるのは、どうかなと思います。 

教えるのなら世間では厳しいこともあると合わせて教えるほうがいい気がします。 

 

 

・私の父は「人にお金を貸すときは戻って来なくても良いと思った時しかお金を出さない」という考えの人です。こう考えないと貸した方はずっとモヤモヤすることになります。 

この先生もきっとそうなんだろうと思いました。誰にでも手を差し伸べたわけではなく高校生の姿に見るに見かねて捨てても良いと思って助けたのだと思う。医師ってもし外来やってる先生なら毎日沢山患者さんを診ているので人に対する洞察力って鋭いですよ、きっと。 

このエピソードはいろんなエピソードを含めて授業を膨らませられる良い題材だと思います。 

 

 

 

・私が医師の方の側だったらどうしただろうと考えた時、制服を着た子があたふたしていたらどうしたんだろうと声をかけられたと思う。 

そうでなかったら高二なら見た目では年下や子供って判断がつかなくてどうにかしてあげなきゃと言う気持ちが子供と大人では違うから。 

 

そこに差はあってはいけないだろうけど、自分から声をかける、という意味では自分の中ではこれが背一杯、助けを求められれば、できる範囲で対応してあげたいとは思うのだけど。。 

だから先生は凄いなと思う。。 

道徳の教科書でどう活かすのかはいまいちわからないけど。 

 

 

・職場の近くに困った様子の男性がいて、同僚が話を聞くと財布をなくして帰りの電車賃がないと。千円あれば帰れるとのことで、それくらいなら返さなくていいよと同僚が渡した。数日後また近くでその人がいて通りかかった人に同じように声かけてた(ように見えた)。多分寸借詐欺だったのかなぁ?と。 

困ってる様子だと声かけるし、少額なら返さなくてもと思うかもしれない。人の善意を利用した詐欺は許せないがこういう悪い人も世の中たくさんいる現実もあわせて教えてあげて欲しい。 

 

 

・当時、探しているとこから見つかるまでリアルタイムで記事を読んでたことを思い出した。 

昨今は昔ながらの性善説が通用しなくなってるけど、今でもこんなに素晴らしい人達がいるのは嬉しいよね。 

 

 

・私はつわりで駅のホームでぐったりしてたときに、ペットボトルの水をすっと差し出してくれた男性、ハンカチとビニール袋をくれた女性がいたけれど全く顔を覚えていない。苦しすぎて。でも本当に感謝していて、たまにふと思い出します。 

、本人にお返しはできないけれど自分も困った人がいたら助けようと、また助けてあげてほしいと旦那と子供に話しています。 

 

本人にお返しするのも良いけれど、もしお返しがなくてもきっとその親切は誰かに伝わっていると思っています。 

 

 

・とても素晴らしいことだと思う反面、学校教育で教科書にまで載せて取り扱う内容かは疑問が残ります。オーサーコメントが一番しっくりきました。多角的に見ることを一切否定せず、どのような意見も尊重する方向で授業ができるのならば良いですが、そのような授業をしなければならないのも教師の負担増に繋がるのではないでしょうか。 

 

 

・この件は当時ニュース記事として読んだ記憶がある。 

時間がなかったので連絡先を好感していなかったと書いてあったが、恐らくお金を貸した人は貸したという感覚ではなく、お金を差し上げたという感覚だったと思う。 

高校生の役に立てばという純粋な気持ちで6万円を渡した心の広い人物だと思う。 

 

 

・騙す人もいるので注意が必要との話がありますが 

たしか当時の記事では、貸した方は知人に、「もしかしたら騙されたかもな、ワハハ」という感じで話していたと記憶しています。 

ご本人にとってみれば後から返金してほしいなどとは考えてもおらず 

極端に言えば騙されていたとしても(知らなければ)そこは関係なく 

ただ、困っている人を助けたいという気持ちに従って、それで満足し本来だとそこで完結してしていたのだと思います。 

 

 

・財布がどうなったのか気になっていましたが、以前の記事で「崎元さんは無事予約していた便に乗ることができ葬儀にも間に合いました。なくした財布は現金が手付かずのまま乗車した駅で見つかりました。」ってありました。 

 

このドクターも埼玉に戻る前にこういうことがあったと警察に届けたそうですが、警察に「どの高校生か分からないのに見つかるはずない」と言われていたそうです。 

 

知らない人にはお金を貸すのは難しいし、この高校生もドクターに出会わなければ別の展開はあったのかもしれませんが、全てうまくいってよかったですね 

 

 

・このニュースはを見たことがあります。 

大谷翔平選手や最近の話題を掲載することで、子どもたちはより身近に感じることができ、よい教材だと思います。 

 

小学校、高校生のキャリア教育講演会で、このような、思いやりのある行動について話をしています。 

 

困っている人を見かけると、気になりつつも結局行動にうつせないことがあり、後で、後悔することがあります。 

 

自分のできることでいいので、思いやりのある行動、親切な行動、社会貢献できればと思います。 

 

「親切の輪」、「思いやりのバトン」が日本中に広がればと思っています。 

 

 

・昭和の時代なら、「美談だ、道徳の教科書に載せるのももっともだ」の意見が圧倒的多数だったと思う。 

だが、現代では人の良心に付け込む詐欺が多数発生しているので、評価が分かれるような気がする。 

 但し、道徳とは、柔道や華道などと同じく、その道を極める事なので「人の徳を極める」と言う意味では、時代が変わっても徳の目指すところは変わらないと思うし、道徳の教科書に載せるのも良いと思う。 

 又、どの教科に当てはまるか分からないが、人として生きて行く上で自分自身を守るための知識として、先の様な詐欺が多くまかり通っている事も、現実問題として教えるべきだと思う。 

 

 

 

・久しぶりに心が温まる記事です。お金は貸すのであればあげたと思いなさいとよく親から言われてましたが借りた方もお金はもちろんの事、人として助け合う気持ちも戴いたのだと思います。それに対してしっかり恩返しをする心、この高校生もしっかりした大人になるでしょう。なかなか他人を信用できない中ですが、良い事を人にし続ければいつか必ず自分にも返ってくる。自分もその気持ちを持ち続けていこうと思う。 

 

 

・六万円貸してもらえるのが当たり前じゃないことや、医師など経済的余裕があるから六万円貸せるんだということなど、大人が読むからこそ感じることがあります。 

大人は困っていたら60,000円貸すのが当たり前と勘違いする子がいないといいなと思います。いろんな受け止め方をする子がいるからです。 

最近、カンニングは卑怯者がすることだと学校に指導され、カンニングした子が自殺した裁判で、色々な受け止め方をする子がいることを考慮して指導しないといけないという裁判があったからです。 

学校は悪くないと私は感じましたが…色んな子がいるんだなと。そして親は学校を訴えていました。 

 

 

・貸してくれた男性は、高校生だからさすがに寸借詐欺だとは思わなかったし、高校生も正直だから無事終わった話だろうけど、たいていの場合、寸借詐欺のだからいい話として広めるのはどうかと思うよ。詐欺の場合自分を苦しめることになる。 

 

落語や歌舞伎に娘を吉原に売って50両を得た父親が、客から預かった金をなくして橋から飛び降りようとしている手代にその50両をやって助ける話があるが、人情話としては面白いが真に受けてはいけない。 

 

 

・美談ですが、皆さんおっしゃるように詐欺のリスクも同時に教える必要があると思います。 

高校生側であれば、困った時に助けてくれて感謝しました!ですが、お金を渡した側に立てばもしかしたら詐欺かもしれないが、もし本当だったら可哀想、それらを両方天秤にかけて至った結論だったのではないかと推察します。 

このお話を教材として使う場合に、どこまで踏み込んでいるのかわかりませんが、ただの美談で終わってほしくないと思ったのが個人的な考えです。 

 

 

・この話はニュースになっていて、以前に記事を読みました。 

貸した方は周りに 

だまされたんだよ 

とか言われていたけど、 

借りた子は探されてたんですよね。 

 

このおかげで無事にお葬式も間に合って感謝していると。 

 

気が滅入るような事件を毎日目にするいま、こういった話を聞くと、世もまだ捨てたもんじゃないなって思う。子育てしていたときは特に思った。あらゆる恩や助けを借りて生きてるんだな。有難いな。そしてその受けた恩や助けをまた困ってる人に返していけたらいいな、と思い日々生きてます。 

 

って、なかなか6万円を中学生の子に貸すのって勇気いるけど。 

 

 

・この話は記憶しています。なかなかこれだけの大金を名前も名乗らずに渡せる人はいないよね。それこそ親への連絡が取れた上でならまだしも。今であればPayPayなどでの送金も当たり前となったから親としては万が一の場合があっても安心かもしれないけど、大人でも大金を失った事を隠そうとするのに子どもにすれば6万はとんでもない金額だし正直に打ち明けるのも辛かったと思う。 

 

 

・両者にとって人生で忘れられない思い出でしょうね。私も40年前の小学生のころに学校後に母親との待ち合わせのために渡されていた電車賃100円を失くした事がありましたが、その時は駅員が貸してくれ事なきを得ました。この出来事は私の精神形成に大きく影響し、成人後まもなく同駅にて財布を失くしたので1000円貸してほしいと老人声をかけられましたが、幼少期の出来事を思い出し行先や連絡先も詰めず言い値を渡しその場を後にしました。私も未熟だったのでその場では明らかな寸借詐欺とは分からなかったですが、今となってはあの老人はあの時の駅員だったと思い込む事で一連の美談として私の大切な思い出になっています。もう見ず知らずの老人には貸さないと思いますが、学生が困っていたら少額であればまた貸す(あげる)と思います。 

 

 

・自分がまだ中学生の時にお財布をなくしてしまった時に一緒に探して交番に付き添ってくれてお金を貸してくれたお姉さんと約20年たった今でもたまに連絡を取り合う仲で今でもあの時に助けてくれた事は、本当に感謝しています。 

 

世の中、色々な方がいるのでお財布を失くしたので交通費を貸して欲しいと嘘を言ってお金をだまし取る詐欺などももちろんあるのでただの美談にするのは、違うと思いますがお金を貸してあげられなくても困った人がいたら声をかけてあげられる人間でありたいなと思っています。 

 

声をかけてなにかしらのトラブルになったら怖いと思ったら駅員さんを呼んであげるだけで助かる方もいるのかな?と思います。 

 

 

・東京オリンピックの時にも会場を間違えたジャマイカの陸上選手にタクシー代を渡してくれた女性ボランティアの方がおられましたよね。 

信頼関係もない初対面の人を信じるってなかなかできないと思います。 

見返りを求めることなく、ただ目の前の困っている人に躊躇なく手を差し伸べる事ができる人ってすごいと思う。 

 

 

・この記事を昔見た事あるけど、やはり日本人って優しく思いやりが素晴らしいと。見ず知らずの方に現金、6万円もって。貸した本人はごく当たり前の事かもしれない。中には詐欺もある。多分人を見る目があって、本当に困っていたからだと。この高校生もしっかりとお礼を呼びかけて、しっかりした方だと。失くした財布はどうなったか気になるけど。日本人の持ちつ持たれつは、本当に感謝を思います。 

 

 

 

・この場合はお医者様ということで裕福な方だからって事も背景にあると思います。 

もちろんとても優しい懐の深い方というのもありますが、一般人で6万円も見ず知らずの方に貸すはありえない。 

美談になってるけど寸借詐欺もたくさんあるって事も同時に学生さん達に教えてほしい。 

 

 

・「あるべき」ではなく、「考える」ための教材として取り上げるのはとてもよいことだと思う。 

この課題に「正解」はない。昨今、すぐに正解を求め、深く考えることをしなくなった社会の中において、とても大切な機会ではないかと思う。 

 

 

・ギブアンドテイクという言葉があります。日頃みなさんはどういう意味で使っているでしょうか?テイクアンドギブは誰でもできます。でも、ギブアンドテイクって、なかなかできるものじゃありません。その人を信じる勇気がなければ出来ないことだと思います。素晴らしいことです。 

 

 

・落とした財布は戻ってきたようだな。 

 

さて、道徳の教科書に載るということは、今後これを使って多くの子供達に心に残る物語として記憶される人になるということだ。 

とても凄いことだと思うし、いわゆる伝説というものになる。 

 

ただ、個人的にこの道徳の教科書に掲載されるという点でどの学年になるかというところだ。 

低学年であれば、美談のところをサラッと流して困っている人がいれば手を差し伸べようとなるが、高学年ともなるとリスク管理の点の議論が出てくるであろう。 

 

もちろん、結果的に良い話であることは間違いないが、この世知辛い世の中で議論をしだすと、こまけーなみたいな事が出てくるよね。 

 

 

・この実話を批判する気持ちはまったくありません。 

素晴らしい善行だと思います。 

ただ、教科書となると、慎重さが必要だと思います。  

お金を借りる側としても、他に方法がなかったか、葬儀という待ったナシの状況であっても、ここは引き返すなどの対応があってもよかったのではないか、など、多方面からの考察が必要だと思います。 

 

 

・これを道徳の教科書に載せることについては、やや疑問があります。 

そもそもお金の貸し借りはトラブルの元になりやすいと思うので、親族間以外では特に避けるべきだと思いますし、6万円をその場ですぐに渡すには、それなりにお金に余裕がないと厳しいでしょう。 

「人助けとそれに対する感謝の想い」自体はいいことだと思いますが、事例があまりよくないというか、注意すべき点のある事例だと思います。 

 

 

・エキスパートの心配をよそに、複数の多様なコメントが出ているので、教材化は有りなのではないでしょうか。「道徳」は、この教材を学んだからすぐに変化が見えるものではなく、学校教育活動全体を通して学び、じわじわ浸透していくものだと思います。こういった話にすなおに「よさ」を感じる心こそ大事に育てていきたいものです。 

 

 

・もちろん素敵な話と思います。 

ですが、これを見習って同じことをしろというのは違和感があるので、どのように生徒たちに教えるかが大事かなと。 

募金やボランティアと同じで、困ってる人のために何かするのは良いことだけど、人それぞれ事情もあるからそれは強制されるべきではないし、募金等をしなかった人が批判されるべきでもないと思います。 

 

 

・若者が困っている助けたい一心だったんでしょうね。 

最近は人の心に付け込んだ悪い人もいますが、大部分は普通の人なんですよね。なんか世知辛い世の中になったと何もなくても他人を信じるなと言う風潮になってしまっているが、この手の記事を読むと安心します。 

 

この少年も一生忘れない出来事になったでしょうね、いい話しです。 

 

 

・私も小学2年生の時に、母と駅で待ち合わせしたをしたのだけど、「母から家に電話がかかっててから私が駅にバスで向かう」だったのに、電話を待たずにバスで駅に行ってしまって。駅についてから思いだして、家に帰らなきゃってなったけど帰りのバスのお金なんてなくて、困ってメソメソ泣いていて。その時手を差し伸べてくれてバス代100円位をくれたおばあさん。結局返すことは出来なかったけど、30年たった今でも忘れてないし、息子にもその話を伝えている。本当にありがとうございました! 

 

 

 

・この男性の6万円の価値と道徳の教科書を読む子ども達にとっての6万円は同じではないと思う。道徳は答えがあるものではないのでいろんな意見があっていいと思う。最終教師がどういうまとめ方をするかにかかると思う。 

貸した人より借りた人の心情を中心に進めるのがいいのではないかと思う。 

もし、自分なら「困っています。貸してもらえませんか?」と言われたら貸さないと思うけど困ってるのを見てこちらから声をかけたのなら貸すかも知れない。相手の年齢や表情にもよる。 

 

 

・この出来事は私も覚えています 

一言でいえば困った高校生を面識のない男性が助けてくれたよかった話ですが、これが道徳の教科書に掲載されるというのには少々疑問があります 

端的に言えば、今の日本社会は人の善意に付け込んでお金をだまし取るという犯罪が横行しており、オレオレ詐欺が代表的な例だと思います 

この高校生のケースはよかった話の結論になりましたけど、「電話の向こうで途方に暮れた(詐欺役)高校生に6万円を貸して、結果だまし取られた」というケースも義務教育で教える必要がります 

詐欺・犯罪の話を道徳とは別で教えるのか、道徳の中で詐欺を気を付けなければいけない点も一緒に教えるのか 

この教え方をすれば、当時の高校生への対応は面識のない男性がお金を貸さずに警察へ任せる方法もあったのかもしれません。 

この時の対応が善意で他人にお金を貸すこと!だけでなく、他にも方法があることも一緒に教えるほうがよいかと思います 

 

 

・良い話なのですが、教科書を盲信しちゃう子には危うい教育な気もします。 

まぁパソコンの利用方法と危険性を教えるのと同じで、しっかりと負の側面(騙されないこと、騙そうとしないこと)を併せて教育してほしいですね。 

このケースは金額が違う(逆に少額だったり?)だけで、いろんな結果が考えられる、難しい話でもあると思います。 

 

 

・10数年前、私の母が脳動脈瘤の手術でお世話になりました。 

猪野屋先生が勤める病院とは違う病院に緊急入院していましたが、1週間以上大部屋に放置され不安に感じた母はほかの病院にも相談したいと言い出しました。 

猪野屋先生が勤める病院にメールしたところ、当時院長でおられた猪野屋先生から直々にお電話で相談に乗っていただきました。 

入院していた病院の主治医にセカンドオピニオンを申し出たところ激怒されその場で強制的に退院させられてしまいました。 

困った私(息子)は慌てて猪野屋先生にその旨を伝えたところサイレンを鳴らした救急車に自ら乗って母を迎えに来てくれました。 

母を絶対安静面会謝絶の個室に入れ、外の光が刺激になってはいけないとカーテンをすべて閉めて暗室にしてくださりました。 

翌朝1番で緊急手術をしていただき無事に退院することが出来ました。 

母は今も元気に過ごしております。 

先生ありがとうございました。 

 

 

・50年前に小学生だった私は市役所前のバス停からバスに乗ろうとしたら50円足りないことに気付きました。隣にいた人に50円くださいと言ったらくださいました。今だに忘れることはなく感謝の気持ちです。今回はお医者様がしょげてる高校生に自ら話しかけて6万円ものお金を貸してあげ、しかも自分の名前や返金の際の口座番号なりも教えずに。こんな人間になりたいと思う素晴らしい方。私なら明らかに困ってると分かっても6千円でも見ず知らずの人には貸せない。600円ならもしかすると、とっても困ってそうなら学生さんへならあげれるかも。 

 

 

・素敵なご縁でしたね 

医師の方も、この高校生をみて大金を渡してでも行かせてあげたくなるような人だったと感じたのでしょうね 

誰でも大金をあげたいとは思わないと思います 

この高校生も、医師の思い以上の行動に出られて、お互いに最高の出来事にしたって感じですね 

読んでいて、とても素敵な話だなと感動しました 

 

 

・六万円を貸すのは立派なことだが、こういう極端な話は、ワシントンの逸話と同じで単なるエピソードとしての意味しか持たない。教訓など導き出せるはずがない。意味を持つのは、そのエピソードを聞いた時だけだ。その後の人生に活かせるようなことにはならない。 

 

そんなことより、見も知らぬ他人に六万円を貸すことができるだけの経済的余裕を持つにはどうすれば良いかという現実的な話をしてやった方が、遥かに大きな意味を持つことになろう。 

 

 

・残念ながら今の社会では、道徳の時間だったら「見ず知らずの人にお金を貸さないこと」と学ぶのが最初だと思いますが、この件にについて考え、どの様に立ち振る舞うのが良いのかというのを学ぶことが大切ですね。 

現実的には警察に行って、事情を説明してお金を借りるというのが正解だと思います。 

 

 

・昔、小学生が一人で我が町に魚釣りにやって来た。 

自分も釣りが好きで、尋ねると結構遠くから電車に乗って来た事が分かった。 

だがなかなか釣れないと言うので他の場所にバスで行きたいと言う。 

バス代は大した金額ではなかったが、帰る電車賃が無くなってしまいそうだと言う、せっかく釣りを楽しみに我が町まで来たのに釣れずに帰るのもかわいそうだったので、その子に3000円渡した、こんなに沢山頂いていいんですかと言っていたが、これで帰る電車賃には間に合うだろう、気を付けて釣りを楽しんできなさいね、と言って別れた。 

もう何十年も前の話、その子は立派な社会人になっていると思っている。 

 

 

・今回は事実なんだろうが、昔「一杯のかけそば」という美談話があって、ブームになった。童話にもなったのだが、後に作り話と分かってブームは終了。確か童話は書店買取りだったはずで、売れない在庫を抱える事になった。 

因みに内容は、蕎麦屋さんに毎年大晦日に一杯のかけそばを食べに来る親子三人がいて、父親が交通事故で亡くなり貧しい。父が好きだった蕎麦の思い出に家族で一杯の蕎麦を食べに来ているそうだ。蕎麦屋も値上がりしても、彼らが来る時は価格表を前のものにして提供。その話が知られた為に家族は来なくなった。後に子供達が成長して働く様になって、また蕎麦屋を訪れるという内容。 

 

 

 

・今の時代サイフ(現金やカードなど物理的な金銭)持たずに空港まで行けたりする。 

アメリカ出張行くのに出国ゲート出た後に財布類車に置き去りにしてきたことに気づいたことがあった。 

2週間滞在だったので流石にすぐに妻に滞在先ホテルまで郵送を手配したが、現地でのレンタカーやホテルチェックインなど数日間大変を極めた思い出がある。 

とてもお金を借りようとは思わなかったな。 

 

 

・昔の話しですが、居酒屋でバイトをしていた時に2人のヤンキーのお客さんが来て、大騒ぎしていてかなり迷惑行為をしていました。さんざん飲み食いして帰るというので会計を持って行くと2人共、財布を忘れたと言ってきました。運転してきたのだから免許もあって財布くらいどちらかあるでしょと言いました。無いと言われ、携帯で家族を呼んでくれと言っても携帯を無くしたと言われ、2人とも自分で取りに帰るの1点張りでした。困った私は警察を呼ぶから身元確認を一緒にしようと提案したところ大騒ぎしたので店長が出て来ました。結局、警察呼んで身元確認する形になりました。後日、ヤンキーと嫁がお金を払いに来ました。聞いた話しでは常習的に食い逃げしてたらしいです。知らない人にお金を貸すのは普通は美談になりにくいというのも道徳で教えて欲しい。 

 

 

・人への感謝を常に忘れてはいけない、と思ったきっかけとなる出来事がありました。キャビン型のホテルに泊まった際、少し広めの良い部屋を予約しました。しかし当日、私は間違って普通の部屋に入ってしまい、夜中になって私よりもとても若い女性が「すみません、私がこの部屋です。」と教えてくれ、とっさに私は謝罪をし、「もし、あなたが良ければ、私が予約していたほうの部屋を使ってください。フロントには言っておきますから。」と言いました。彼女も遠慮しながらも了承してくれました。そして翌朝、私がチェックアウトした際に受付の方から「お客様に渡してほしいと、女性のお客様から2000円預かりました。広いほうの部屋を使ってしまったので差額を渡してほしい、ということでした。」と言われました。元々は私が間違ってしまったことが原因なのに、なんて懐の深い方なんだろうと恥ずかしくも感動し、心の中で感謝した、という出来事がりました。 

 

 

・道徳としてはいいんじゃないかな。この話は美談で終わったけど、詐欺の可能性ももちろんある。高校生は恩人を見つけられてお金を返せたけど、返せなかったら?自分にとって貸せるような金額じゃなかったら?時と場合によって答えは異なると思います。答えが一つじゃないことについて考えるのも人生の中で大事なことだと思います。 

 

 

・一昔前、財布を忘れて200キロほど離れた土地へ向かってしまい、困った挙げ句ガソリン代の1000円だけでも貸してもらおうと交番ヘ行き、車検証を見せて必ず振り込みますのでと嘆願したが、見事門前払いを食らった思い出があります。 

結局見ず知らずの方に5000円貸して頂き、事なきを得ましたが、この話を聞いて世の中捨てたものじゃないなとホッとした次第です。 

 

 

・昔駅前でプロボクサーを目指しているという若者に話しかけられ、荷物を置き引きに遭って一文無しになってしまった。明日大事な試合があってプロになれるかどうかがかかっている。切符を買うお金がないので明日の試合に出られないかもしれない。そうなると長年の努力が全て水の泡になってしまう。どうにか今日の夜行列車分でもカンパしてほしいと言われた。切符を買ってあげることを提案したが頑なに現金で欲しいと言って聞かない。目を見て嘘はついていないと思って金を貸した。若者は受け取ると意気揚々と去って行った。なんか話ができすぎているし、現物支給を嫌がるしで怪しいと思いこっそり後をつけてみると、なんとパチ屋に入っていきおった!! 

それ以来、財布を無くした云々の相談は受け付けていない。あの時のお金はいい勉強代になったと思って諦めたよ。 

 

 

・以前記事になっていたのを読みました 

私が高校生の立場だった場合、連絡先を聞かないという事はあり得ないので、事後に貸してくれた方を探すという行為をするかどうかの想像が出来なかったです 

しかし、そうあるべき(=道徳)という事は理解できます 

医師の立ち場であった場合、貸せる自信はありません 

貸せるというのは、騙されてもいい、と思える心の寛容さだけでは無理で、経済的余裕が必要でしょう 

だから、そうあるべきとまでは思えません 

先日、駐車場で困っている人に声をかけると「かわりに駐車してほしい」、という依頼されたというXでのポストをみましたが、それは他人に運転させて傷が出来たと主張するための詐欺だった可能性があったとのことでした 

現在、道徳と防犯の二つの観点で全く違う対応が推奨されるので難しい世の中になったなと思います 

 

 

・この話は私も聞いた事があったが「道徳」の授業用に掲載する話として妥当なのかと問われれば「両論併記の例」としてなら認めたい 

恩か仇か、信用か裏切りか、その両面を内包する話として教師が教えることができるか、そこが問題だ 

 

少し前バスの乗車中に見ず知らずの中年女性から突然500円貸してくれと言われて面食らった経験がある 

仏頂面で話しかけてくるので丁重にお断りしたが、お金を貸すときは相手を見極める必要がある事の教材としてはイイのかもしれない 

 

 

・よい行為だと思うが大したことではない。この医師自身がおそらくそう思っているだろう。自分が同じ立場であったとして同じ行動を取ったかというとおそらくそうしたような気がするが気がするだけでしなかったかもしれない。ではやらないことが責められるべき不作為かというとそうでもない。よいことをしたがやったやらなかったが賞賛、非難のいずれにも該当しない普通の出来事。日本も捨てたもんじゃないなという程度である。用立てできなかった、あるいはあえて用立てしなかったというケースを対置して生徒に議論させるようにすれば道徳教育的意義が生まれるだろう。それをやらなければとてもいい話でしょうみなさん、で終わってしまいそうだ。エキスパートコメントが適正解と考える。 

 

 

・とても素晴らしい話でほっこりさせられた。 

 

けども。 

これが道徳観、倫理観のスタンダードであるかのように振る舞われるのはちょっと違う気がする。 

6万円をポンと渡せるステージにいる人かそうでない人かで対応も全く異なるし、結果として両者が善人であっただろう事で成立するケース。 

 

1つの美談として扱う事と、道徳の教科書で取り扱う事は分けて考える必要があると思う。。 

 

 

 

・素晴らしい話しを否定しませんが、 

今、一平通訳の問題が教科書にも波及しているというニュースを見ると、この話しを教科書に載せるのはどうなのかと思ってしまう。 

 

現実的には見ず知らずの人にお金を貸して、返ってくる可能性のほうが低く、人を信じすぎるのもよくない。 

もしかすると困っているように見せかけて、それは詐欺だという可能性もある。 

この世を生きるためには、美談を載せるよりも、詐欺や犯罪に巻き込まれる事例を載せて、それらから自分や周りの人を守る授業をしたほうがいいんじゃないか。 

 

 

・これはこれでとても良い話ではありますが、中学生の教科書に載せるべきなのでしょうか…?私も以前、駅で切符を買っていると、明らかに寸借詐欺に声を掛けられたので(◯◯駅まで行きたいんですが、小銭が無くて小銭持ってませんかと、今しがた切符を買ったお釣の小銭を財布に入れるのを見て声を掛けてきている)、「私は貸せませんので、とりあえず駅員さんに相談されたらどうですか?」と言うと諦めて立ち去りました。世知辛いようですが、貸すのが善意、困った時は借りられると印象付けても良くないような。この場合もどういう状況だったのか、親に連絡してネットで航空券を予約して貰って搭乗する手段も有ったかも…? 

 

 

・町田に行きたいのですが、どう行ったらいいでしょうか?と横浜市港北区で尋ねられた。 聞くと沖縄・宮古島から旅行中に置き引きに会い財布が無いとのこと。町田に行けば10日後にお袋が荷物を送ってくるとのこと。 それまで泊まるところが無い。どうしたらいいですかとのこと。 宮古島の住所、電話番号も書いてくれた。 可哀想に思い、当面必要な2万円とネットカフェの会員証を渡した。 必ずお金を返します、と言っていたので信用した。 その後連絡なく、ネットで宮古島:詐欺で検索すると沢山出てきた! いわゆる寸借詐欺ですね。 妻からはあんたバカじゃない?!と言われました(´;ω;`) 

 

 

・猪野屋さんも嘘かもしれないと少し考えたでしょう。 

それ以上に崎元さんが本当に困ってたらという想いが勝って、お金を渡したのでしょう。返ってくるとは思ってないと思います。 

コメント欄で言われているようなことも考えた上で猪野屋さんのご判断なので、道徳を教える題材としては純粋に良いと思います。 

だから童話や日本昔ばなしもこういう話が多いと思います。 

 

 

・専門家さんの意見に反対です。「道徳」は「こうあるべき」を教える教科ではないのかと考えています。とありますが、それでは誰かの間違っているかもしれない価値観を押し付けることにはならないでしょうか?もちろんこうあるべきというのは必要ですが、良い面、悪い面、危険な面等、色々な意見を出させて考えさせるのが肝要かと思います。 

 

 

・このニュース、とても印象的だったので覚えている。 

見ず知らずの高校生に6万円もの大金を貸すなんて(しかも連絡先も知らせず)、なかなかできることではない。 

高校生がこのことをうやむやにせず、きちんとお金を返そうと行動したこと、それがお金を貸してくれた人にも伝わって、再会を果たしたことがドラマのよう。 

 

 

・海外や、日本でもあるが、空港とかで困っていると訴える人に話を聞いたら物売りや寸借詐欺、ヤバい運び屋で、全力で振り払ったなんて事例は事欠かない。そこまでいかずとも、親切にするって難しい。頼む時だけ泣いて一生のお願いです、今回限りですと哀願し、その後しらんぷりなんて日常茶飯事。そんな体験を重ね、人は冷淡になる。たしかに、困っていると言ってもいろいろある。しかし、人生経験を重ねると、救いの手を差し伸べていいケ一スだめなケ一スが、かなりの確率で見分けがつくのも事実。この高校生の場合、動機が純粋で、身なりも言葉遣いもキチンとしていて、話を聞いた男性が審美眼をしっかり持っていた事が良い話に昇華したのだろう。この道徳の教科書、現場では単なる美談として皆さんも困っている人には親切にしましょう、とは教えていないだろう。色んな事例にかんがみて、皆さんならどうしますか、と考えさせているでしょう。 

 

 

・何年か前にこのお2人のニュースをネットで読みました。あの時代背景だからできることですよね。今の世の中じゃ厳しいかと思います。だけど「恩」を忘れない、困っている人には自分のできる範囲内で行う(金銭だけではなく)、など今の時代に合った教材の取り組み方があると思います。ちょっと大変ですが各先生方の手腕にかかるのかな…。 

 

 

・騙される危険性を踏まえたうえでも自分の正義感にのっとって人助けを選ぶか、見て見ぬふりをするのか。 

適切に世の中を生きるためにはどちらを選ぶべきなのか。 

リスクを承知の上で人助けを選ぶ心の美しさを学ぶべきなのか。 

焦点は複数あり、しかも美談。 

非常にいい教材だと思います。 

 

 

・良い話だとは思うんだけど…この高校生の親御さんはどうしていたのかとか、お礼をする側なのにまた沖縄まで来させてしまったのか(他に用事があって、ついでとかなのかな?)とか、ちょっと気になってしまった。 

もちろん借りた本人である高校生が貸してくれた方を探すのは当たり前なのだけど、まだ未成年だし、親御さんが前に出て探しても良いのかなと思った。金額も大きいし、親戚の葬式に行くためだったわけだし(高校生が遊びに行くための交通費ではない)…。記事になってないだけなのかもしれないけれど。 

 

 

 

・これは、見返りを求めずお金を上げた人は少年を信じていたんです。 

詐欺や何かと思わなかったくらい少年は困っていた様子だったはず。 

もちろん返してもらおうとは思っていないし、詐欺だったかもなぁなんてチラッとは思ったりしたかもしれません。 

でもこの行いは正しく、少年はその恩を忘れずなんとか返したいと思い、新聞に話を聞いてもらった。 

そして再会。 

優しくて尊敬できるような正しい大人と、素直に育っている健全な少年。 

こんな話が今はほぼないからこそ、話題にもなるし道徳的な教えになる。 

 

 

・人にお金を貸す時は返してもらえなくても後悔しないように、そのまま差し上げても良いと思える額をと決めているので、この少年と出会っても私なら貸してあげられなかった。 

出会ったのが誠実なこの2人で良かった。 

この話からはたくさん考えさせられる事があると思う。 

 

 

・この記事のコメントに有る事の殆んど踏まえて先生と生徒みんなで頭悩まし考える機会が与えられる事は良い事ではないでしょうか?。 

今の世の中、法律を作る権力者が法律を守らず、「先生!」と呼ばれてます。 

小さな頃から、色々な倫理観を教育されて、良い大学や経歴が有ったとしても組織の中に入れば倫理観は発揮できなく成ります。 

こんな美談を勉強しても役だつかは不透明ですが、子供で有ろうが、先生で有ろうが頭悩ます事はとても未来の日本にとって重要な事と考えます。 

 

 

・このように財布落としたからお金を貸してくださいの大半は寸借詐欺だけど、今回はたまたま巡り合わせが良かっただけ。 

美談ばかりが注目されてしまうので、これを信じて騙される人が増えなければいいけど。 

 

 基本的には向こうからこちらに声をかけてくるけど、そこまで困っているなら交番行ってみようよというと途端に去りますよ。普通、困った場合は駅員等係の人に相談しますから。相手も人の見た目で判断するので、財布落としたからお金貸して欲しいと言われたら、安易に貸すのではなくまずは交番に行きましょうと一言声かけてください。 

 

 

・こういう逸話の様に美談ばかりではないという意見もありますが、困っている人を助けたい、そういう人に力になりたい、という人としての心を教えることはこれからの世の中だからこそ大事なことだと思います。 

今は「正直者がバカを見る時代」と言われますが、善意の心により救われる人は多いと思います。 

 

 

・インターネット上ではこうした美談が拡散されていますが、教科書としてみると、みなさん、こうした行動をとるようにしましょう、と教育される、いわば一元的な善意の押し付けのように感じてしまうのは私だけでしょうか。 

近年の教育は多様な考え方をはぐくむ、と文部科学省が通達し、指導要領にもそのように書かれているけれども、何故か道徳の授業は、文部科学省が考える画一的な方向に向かわせて、若いうちから日本の美徳を植え付けようとしているようにみえる。 

穿った見解だと思いますが、もっと多様な教え方があるのではないでしょうか。 

 

 

・同じような場面に出くわしても6万円を貸すことはできないと思う。 

 

この話は、結果論から見ると貸した方も、借りて返した方も人間ができているという話になるのかもしれないが、世の中の大半の人間はここまで「人間ができていない」ので。貸すのがいいことなのか?は難しい判断。みすみす騙されることを推奨しかねないと思う。 

 

 

・美談であるのは間違いないが、これを道徳の授業で教えるにあたり「困っている人が居れば詐欺や返ってこないことを考えずにまず助けよう」みたいなことではなく、基本的には貸さないこととし貸すとしても相手の連絡先、顔写真他可能な情報は控えておくよう教育してほしい。 

 

 

・昔、若かった頃、駅の切符売り場でおっさんに財布を落としたから家に帰るのに500円貸してほしいと言われ、嘘だと思いましたが、父親と同じくらいの年齢のおっさんが自分のような若造に金をせびるのが哀れと思って財布を見たら5000円や10000円以外には1000円札が2枚あったので2000円を渡しました。おっさんが「連絡先・・・・」と言ったので返さなくていいと言ったら非常に驚いた顔をしていました。 

2000円と6万円は全然違いますが、その医師も相手が明らかに学生だからあげる(貸す)気になったのではありませんか?相手がおっさんでも同様の行動だったでしょうか?そして今は学生と言っても油断ならない子も多いです。 

美談には違いないですが、いわゆる寸借詐欺を助長しかねない話を教科書に載せるのは今の時代には合わない気がします。 

 

 

・レベルと規模は小さいけれどこういう話はよくあるよね。 

 

大雨で立ち尽くす若者に声かけてもし良ければと傘を渡したり。(うちは近所だから大丈夫なので、と) 

大雪の交通機関が麻痺した中、親族を車で迎えにいく途中、道の真ん中でなんだかフラフラしていた高齢の人に声かけて駅まで送って行ったり。(同級会帰り?の迷子だった様子) 

 

そうではなくて自ら困っていますって宣言したから助けた事もある。その人は後日お礼しにきたわ。 

 

当たり前をできる範囲でやるだけだと思っているから美談はほっこりするけれどあえて道徳の本に載せるかどうかはちょっと違うような。そんなに日常で溢れていない、またはそれに気が付きづらいのかな、今って。 

 

 

 

・当時、記事で読みました。結果的に美談となりましたが、記事の一つで完結して良いのでは?道徳の教科書に載せて、生徒同士で何を話し合うのでしょう?困っている人を助ける話ならもう出尽くしているし、ましてやタイトルにまで6万円と現金で表記して…児童生徒から見る6万と、医師であるこの方との6万の価値が同じとも思えません。思いやりとか弱者を助ける、とか、道徳といえども、子供なりに教科書的な正解は分かりますよ。そしてその真っ当な正解以外を意見すると、教師から謎の間違ってますよ、だまりなさいの圧がかかり、周りの良い子もそれに賛同する。面倒だから、正解しか表面上発しなくなる。そんな時代はもう終わったと個人的には思いますが。 

 もっと将来役立つ様に色々な角度から意見できる道徳にしていただきたい。 

 

 

・私も学生の頃関西空港でお金の持ち合わせが足りず困っていた時、ANAのグランドホステスの方に「個人的にお貸ししますから」と2万円借りた経験あります。とてもお綺麗でまるで天使のようでした。 

今でもあの時のこと感謝してます。 

 

 

・騙されるとか貸す側の視点ばかり言ってるけど、この件は受けた恩は必ず返すという借りた側の視点で見れば十分道徳の教材になると思うけどな。 

 

困ってる自分を助けてくれた人に対して、連絡先をきくのをわすれたミスをそのまま有耶無耶にせず、人の手を借りながら受けた恩を返すっていう考え方は合うと思うけどね。 

 

 

・ある日会社に若い男の人が訪ねてきて「カバンを無くしました。九州まで帰りたいのですが携帯もなく連絡ができません。何かお手伝いすることはありませんか?バイトさせてくださいませんか?」誠実そうな青年でしたが、色々「警察には?駅には?」と聞きましたが曖昧な答え。たまたまいた社長が「なんぼありゃ帰れるん?」と聞いたら「1万円」と。「じゃーこれで帰れ」と社長が渡しました。九州に帰ったら連絡します、必ずお返ししますと言ってましたが、あれから4年。連絡もなしです笑。ま、そんなことの方が多いですよね。 

 

 

・水原一平氏が人を支え幸せにする事で一流選手が彼のおかげで大活躍できたstory とその陰で博打に手を染めてしまったことを題材としたほうが、高校生たちに「白と黒」「明と暗」を教えるいい機会となるのではないだろうか? 

ギャンブル依存症のこわさ、それは成熟した人格を伴う人間にも起こりうること、そして、周りを裏切ったことによる被害-奥さん、大谷さん、エンジェルス、ドジャース、彼の両親家族、裁判、バレルまでの過程。 

様々なことが学べる。 

これを詳細に研究して一年から一年半通して学生たちに学ばせることは結構意味深いと思う。 

 

 

・これはほんのごくわずかな一部の大団円で終われた美談。 

しかし社会ってのは良い人よりも悪い人の方が圧倒的に多い。 

お金に困っている中高校生にお金と引き換えに近づく大人もいるし、またお金に困っているふりをして返すつもりもないのに借りようとしてくる人もいることも、教えなければいけない。 

特に金の貸し借りなどは相手が誰であろうと安易にしないように教えた方がよっぽど今後のためになる。 

また財布を無くしたと書いているが誰も拾ってくれなかったのだろうか。 

財布を拾ったら必ず届けることを教えた方がよっぽどいい世の中になるだろう。 

 

 

・うちの父も東北の地震で大船渡へ支援に行き、船が破損し漁がが出来なくなった漁師さんに出会い話しを聞き80万送金した。 

母や私や姉からも散々詐欺だったんじゃないかと怒られ、落ち込む父。 

あげたつもりだから帰って来なくてもいいと強かってました。 

 

その後音沙汰なかったけど、漁の見通しが立ったと少しずつ返金され始めた時の父の嬉しそうな顔は忘れられません。 

世の中捨てたものじゃないなと反省しました。余談でした〜 

 

 

・この出来事、当時話題になっていたので良く覚えています。お金を貸した方は周りのひとたちに絶対返ってくるわけない、騙されたんだ!、と散々言われたんですよね。 

 

私だったらもしかしたらお金を落とした子が子供だったら貸そうと思えるかも。20代や30代くらいの人が困っていたとしても貸すのは躊躇してしまうなぁ。 

 

 

・医師で経済力は余裕があるとはいえ、6万円はなかなか渡せないよね。 

ましてや連絡先も聞かれなかったことは、貸した場でわかってたでしょう。 

もうあげるつもりだったのは明確だったんでしょうが、このような手段で返済されたことは、かなり嬉しかったでしょうね。 

 

 

・劇場型詐欺など犯罪が報道される世の中、例え困っていそうに見える方に声をかけるのもたいへん勇気が必要な行動だと思う。 

この度のお話は琴線に触れたが、出来ればこの様なお話が美談ではなく、日常的に行われるように、清くて美しい日本に戻ってほしい 

 

 

 

 
 

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