( 152925 ) 2024/03/25 22:26:57 2 00 【独自】「エホバはあなたに帰ってきてほしい」エホバの証人が教義緩和か?内部文書入手 批判集まる教団内で一体何がFNNプライムオンライン 3/25(月) 16:32 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/a4bbd6d378325874b6e01710cea312a2aadd41c8 |
( 152928 ) 2024/03/25 22:26:57 0 00 FNNプライムオンライン
キリスト教系新宗教の「エホバの証人」が3月15日に公表した動画が、信者らの間で物議を醸している。教団を離れた脱会者との関係を禁ずる「忌避」や、「排斥」(破門処分)などの教義が世界的に問題視される中、教団の最高幹部の一人が動画を通じて、そうした教義を緩和すると宣言したのだ。
【画像】「会衆内の重大な悪事に対応する方法の調整」とタイトルに記載が…FNNが入手した“内部文書”はこちら
緩和に対して、信者の中には歓迎する声もある一方、批判や不信感は依然と根強い。FNNは、動画公表後に日本国内の教団幹部らに配布された内部資料を入手。「人権侵害」との批判もある教団をめぐり、何が起きているのか取材した。
同教団ではこれまで、自ら脱会手続きを取った人や、教義に違反し「排斥」を受けた人と、信者との交流を一切禁じる「忌避」をしてきた。その対象は家族間でも例外ではなく、脱会者らの孤立が、人権侵害にあたると指摘されてきた。
そんな中、教団は3月15日に突然、公式ホームページ上で1本の動画をアップロードし、そうした教義を緩和すると発表した。
動画のタイトルは「2024 統治体からの話(2)」。アメリカ・ニューヨーク州に世界本部を置く教団の意思決定機関「統治体」のメンバーの一人、マーク・サンダーソン氏が「統治体は、会衆(信者のグループ)内で悪事を犯した人にどう接すると、エホバの憐れみにもっと倣えるか、よく祈って考えました」とした上で、聖書の記述を引用しつつ、これまでの聖書解釈を変更することや、教団の新たな方針を説明した。
「エホバはあなたに帰ってきてほしいと思っています」。サンダーソン氏はこう呼びかけた上で、「これまでは会衆から除かれたその人に、あいさつすることはありませんでした。でも統治体は、会衆から除かれた人が集会に来たとき、簡単なあいさつをしたり、歓迎したりするかどうかは、伝道者それぞれが聖書の教えによって整えられた良心に沿って決定できると判断しました」と述べた。
その他にも、信者の排斥処分の要否などを決める「委員会」で、従来1回のみだった信者本人への審理を複数回に増やすことや、信者の服装としてそれぞれ女性はスラックス、男性はノーネクタイとノージャケットを許容することなどを、教団の公式見解として明らかにした。
また、この動画がアップロードされた直後、日本国内の教団幹部らには一通の通達書がPDFファイルで共有された。FNNは、教団内部の関係者から通達書を入手した。
タイトルは「会衆内の重大な悪事に対応する方法の調整」。今後、各教会の世話役「長老」がどのように信者を指導すべきかが記載され、趣旨は、動画と同じように忌避や排斥を緩和するというものだった。最高幹部が公表した新たな方針が、現場レベルにも共有され始めたことがうかがえる。
こうした動きについて、ある現役の長老は「エホバの証人にとって、とても大きな方針転換」と表現した。信者らの中からは、大きな変化だと驚きつつ「一度脱会した元信者が教団に戻ってきやすくなる」と歓迎する声も聞かれたという。
しかし、この長老は「教団は『信者の人権を保護する』というポーズを示したいだけ」と批判的だ。「あくまで教団が柔和になったのは、信者であろうとする人にだけ。しかも、そうした人への挨拶を許容した程度。今までに脱会して今後も教団に戻る意思がない人は、いまだに忌避の対象のまま。『信じない自由』は一切尊重されていない」。
自身も排斥処分を受けて脱会を余儀なくされた、元長老の根尾啓太さん(仮名)も「教団が世の中から攻撃されないようにするための手法の一つにすぎない」と指摘する。根尾さんは現在も現役信者の両親らと会うことができないといい、「明らかな人権侵害をずっと続けてきた罪は重い。たとえ戒律を今後さらに緩めたとしても、過去のことがなくなるわけではない」と突き放した。
かつて2世信者だった関東地方の40代女性は今回の動きを歓迎しつつも、複雑な心境を隠せない。
女性は小学生の時、母親の影響で信者となった。信者以外の友人と縁を切らされ、学校より教会の行事や聖書の勉強を優先することを余儀なくされた。同級生からも腫れ物のように扱われた。自宅でも、信仰に反対する父と母が毎日のように口論していた。両親の仲を取り持とうとしたが、次第に父から無視されるようになり、生きるためには母に頼るしかなかった。
将来の目標だった看護師も、通っていた教会の長老に「布教活動を優先しなさい」と諦めさせられた。足の障害を治すため全身麻酔で手術を受けるときには、教義で定められている輸血禁止を母親に強制された。
24歳で脱会したが、今も当時のフラッシュバックで摂食障害に苦しみ、入退院を繰り返している。近く予定している首の手術でも、手術中に輸血を受ける可能性を想像すると、今でも強い罪悪感を覚えてしまうという。
そんなトラウマを抱えてまで成人後も信者を続けたのは、自身が脱会することで母親から忌避されたり、脱会者を娘に持つ母親が教会で仲間はずれにされたりしないかが不安だったからだ。今回の忌避の緩和について「現役の信者にとっては歓迎できることなのかもしれない」と評価しつつ、こう吐露した。
「聖書は変わらないのに何で教義が変わるのか。私はあれだけ苦しんで、今もつらい記憶から逃げられていない。あの日々は何のためのものだったのか教えてほしい」
「エホバの証人問題支援弁護団」の田中広太郎弁護士は今回の動きについて、「教団が海外での複数の訴訟で敗訴していることが要因とも考えられる。中には忌避が大きな焦点となったケースがある」と指摘する。
教団側が信教の自由などを主張し勝訴した判例もあるが、2024年3月上旬にはノルウェーで、国からの補助金を取り消された教団が国を提訴した第一審の裁判で、忌避などが争点となり教団側が敗訴したばかりだ。「今後も各国で同様の裁判が相次ぐ可能性があると見越したものではないか」 。田中弁護士は「緩和と見える今回の動きは小手先のものに過ぎない可能性があり、今後、実際の現場での運用がどうなるかを注視する必要がある。さらに、問題は忌避だけではなく、輸血禁止や児童虐待など課題は山積みのままだ」と指摘している。
松岡 紳顕
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( 152929 ) 2024/03/25 22:26:57 0 00 ・我が家では、100年程前の関東大震災の前後に、夫と長男を相次いで亡くした曾祖母が、当時新興宗教だった天理教にハマり、家財や次男(私の祖父)の稼ぎなどを片っ端から寄付したり、高額な仏壇を買ったりしていたそうだ。祖父は、曾祖母が生きている時は逆らえなかったが、彼女が亡くなると、仏壇や仏具などを全て焼却したという。祖父は今で言う`宗教二世`となるのか、宗教嫌いは徹底していて、我が家では今になってさえ、一般的な法事など以外の、宗教はタブーだ。先祖の宗教狂いは、100年を経てさえ、その一家にとって癒えない傷になっている。そういうものなんだがなあ
・いやいや、これまでの教義も「神の教え」であり、正しいから行われてきたわけでしょ。世間から批判されて信者が離脱していった途端に、幹部の一存で簡単に変えられるものだったんですか。
人間の声によって神の教えが簡単に変えられていいんですか。 だったら今までその教義に抑えつけられてきた元信者や二世の人達の苦しみって何の意味があったんですか。
申し訳ないが、結局、神の名を利用して幹部以上の権力者たちがおいしい思いをしているんだろうなという印象がより一層強まってしまうまいました。
・親類にエホバの証人の信者がいるのだが、10代の娘の服装が今どきの若い女の子が着る服でなく地味な服装をしている。交友関係も親がチェックしているみたいだ。 成人してから入信した親本人は10代の頃は青春時代を謳歌していたはずなのに、この子供は青春を謳歌しているとは思えない。 信者になるのは自由だが、成人してから自分の意志でしか入信出来ないように何とかならないのだろうか。 信者の親に育てられているから無理なのは判っているけど子供が可哀想に思えてしまう。
・一ヶ月前に8人ぐらいで町内を回って居ました。幼なじみが我が街の代表になり、30年ぐらいから問題になって居ましたからね。地元高校の教員夫婦が向いに住んでいて、息子がエホバの証人の宗教活動を高校生の息子にやらせていて問題視して居ましたからね。私も話しを聴きましたし熱心な信者は遠くはアフリカまで宗教活動に行っていてその時ので写真を見せてくれました。当時から輸血問題はテレビのでワイドショーなどで問題になり、矢張り統一教会の集団結婚式や資金問題ですが直ぐに熱が冷めた見たいに話題にならくなりましたからね。固まっての布教活動は何かあるとは思いましたからね。アメリカのユダヤ教会や旧訳聖書キリスト教派見たいですからね。海が割れ神の地に導かれ聖なる山に導かれ神から予言の書を告げられたエホバですからね。
・昨日住んでる場所におばさん二人が早朝にピンポーンって来たんですが、留守をよそおい、そっとモニター越しに観察していると周りの家にも同様に訪問してました。 投函されたチラシでエホバの人たち何だなと思い出てなくて良かったーと一安心しました。 信仰の自由とはいえ、周りや家族を巻き込むことは良くないと思うよ。
・エホバの方々、たまに日曜午前中に現れるな。 時折話しを聞いてる。
胸を張って話をする姿が正直羨ましいと思った。 自分自身がそれが出来ないから。
でも、宗教には入る気一切ない。 同級生でエホバや学会の2世がおったけど、皆我慢を強いられて嫌々活動していたのを見て聞いていたし、自立できる年齢に差し掛かった頃にバッタリ会ったら「もう親と縁切ったよ、あんな活動しているより自分自身が生きてく為に頑張らないと行けないから」って。
説得力あったし納得もした。
・日本人は多宗教?多神様でなんでもありな国だけど、宗教という概念に縛られず最も解き放たれている国でもあると思う。 確かに正月は神社やお寺にお参りにいったりするけど、何となくお賽銭入れて今年も頑張れますよーに!っとか言っておみくじひくのが楽しいし、家族が集まったりデートしたりで、イベントみたいなもの。 帰りに温かい甘酒のんで、寝ちゃった子供抱えてゆっくり帰ることの幸せさよ。ちなみに特に仏教徒という訳じゃない。 寺と神社自体あんまり区別できないけど気にしない(最近混じってない?)。 宗教に縛られないことの幸せをこういうガチガチの信者は知った方がいいよ。
・昨日、エホバの勧誘に来た方は多いと思います。うちも来ました。 居留守使ったらなんかパンフレットだけ置いて帰って内容を見ると全国各地で24日に集会みたいなのを開いたそうです。 一度、直接話しましたが「あなた疲れている顔をしてるわね。神様に悩み事を打ち明けて」って言われましたが20代にして初の彼女が出来たばっかりでhappy状態でした。 どこ見てなに言ってんねんと思いながら「ハイ、借金がありまして...」と伝えると救ってくれると言いました。でも、金はくれませんでした。神はなにも救いません、金だけが世界を救います。
・宗教の教義は各宗教が決めれば良いが、元信者の方々が脱会後も現役の人と付き合いをしたいのだろうか? 親兄弟や親戚縁者とは普通に話ができることは良いが、大きな決断を持って脱会した方々はまた戻りたいのだろうか? また、親兄弟であれ脱会した家族は普通に話ができるのでしょうか? 多分教義を優先した話が主になるだけで、忌避された状態と変わらないと思いますね。
・17年前に排斥された私の元にも、無視をされ続けている母から先週この件で8年ぶりに連絡が来た。 母が、大きな変化の発表だからこれを見てよく考えてほしいと言うので見てみたけど、笑えるほどほぼ変化なしだった。 宗教と出会う前の母に戻ってほしいのはこちらの方なのに、本当に嫌な気持ちになった。
・週末の午後あたりに大人と中高生くらいの年代の子どもがエホバの証人の教えを説くために来訪してきました。今でいう宗教二世です。当時、大人と同伴していた子どもは私と同年代くらいだったので、気恥ずかしい仕草をしていたのが印象的でした。その様子を見かねて、傍にいた指導役と思われる大人があれこれ口添えをしていました。
エホバの証人を擁護するわけではありませんが、いわゆる正統派とされる教会でも同様の勧誘はありました。「クリスチャン同士で結婚をして、クリスチャンホームを作らなければならない」とか、「クリスチャン以外の人は世の人(真理を知らない民)である」というような話もしていました。聖書に登場する聖人とされる人物の名前を自身の子供につけていた親もいました。
・親族がエホバの証人です。子供の頃から違和感はありました。誘われて集会や個人的な教えにも行った事もあります。 その上であえて言うと、ほとんどの方が妄信的に教義を信じ、現実社会での行動や倫理観は無視していることが非常に多いと感じています。
一例として私の親族もエホバの証人でありながら金に汚い。特に財産関連になると同じエホバの証人の夫も協力して平気で、一般人の生活を脅かすレベルまで強引に進めようとします。倫理観なんて無し、教義で教えていることなんて上辺だけのパターンが多い。利益になることがあれば平気で嘘もつきます。長年私も苦しめられましたが昨今の報道を見て、エホバの証人自体もしっかりと国による調査した方がいいと思っています。信者2世だけで無く、親族や周りの人間も被害を受けているパターンもあるはずです。
・若い頃、訪問して来たエホバの人の話を聞いてあげないと悪いと思って興味ないのに聞いていたら、毎週日曜日訪問して来るようになりました。 だんだんエスカレートして冊子の音読までさせられるようになったので、きっちり断ったら来なくなりました。 エホバには親切にしてあげたらダメです。 話は一切聞かない事です。
・法律で禁止したほうが良い。信教の自由と言うが基本的人権を無視している。それに所得税がかからないのもおかしいし、税の優遇を認めるべきではない。法人として援助するなら援助額を何に使うか申請させてから援助すべきである。統一教会を見れば政治家も献金づけになっている事が良くわかる。共産主義ではないが宗教活動禁止もやむをえない。実際のところ宗教は金儲けの温床になっている。
・一時期 都会に住んでいた時に何度か冊子を戴き、拝読しましたが、それはそれは崇高な教えが記されていました。 そして、男性でも女性でもお会いして話す分には、凄く誠実な方々でした。 ただ、今回のように聖書に書いてあることを変えずに、解釈を変えるというやり方は、エホバの証人に入っている方々には、ちょっと混乱される様に感じます。 現代のいろんな情報が入手出来、且つ様々な考えがある中で、やはり宗教も時代に即して変わるべきなのか否かは、大きな問題でしょうね。 そもそも、聖書がかかれた時代には、地球外に人類が出る事やLBGTの考えなど全くなかったでしょうから。
・他人に迷惑をかけないなら何を信じてもいい キリストでも正月に神社だか寺だかに並び何かよくわからないもんに御祈り?する人達も同じ なんだっていい。 有難い御守だと高い金払って買うのもいいし じゃあ俺がコレあげるってペットボトルの蓋を御守り代わりにしてもいい。 そんな物はその人の気持ち次第。 漫画の様に御守りが光って助けてくれる訳じゃない。 お墓参りに行きましょうといい 仏壇にお手々を合わせましょうという 先祖はいつも空から見てるよともいう。 おじいちゃん墓にいるの?じゃあ仏壇意味なくない?ん?空にいるの?じゃあ墓も意味なくない?
宗教なんて自分と向き合うだけのもの。 だから要らない人には要らないし 必要な人には必要なんでしょう
御守りにお願いするのもペットボトルの蓋にお願いするのも同じ別にその辺に落ちてる石コロでもいい 神棚にお願いするのも変な玉にお願いするのも同じ。 結局自分自身の問題
・各宗教で神とされる存在と、その声を聞いたとされる預言者達は、本当にそんな残酷なことを言ったのか?というのが疑問でしかありません。
結局、宗派が長く続く過程において、都合のいいように原初の教えをねじまげ、あまつさえ無いことを付け足し、都合の悪いことを無視し、主の言葉とされるものや預言者達が初めに書いたことをどんどん曲げていっては居ないだろうか?と思いますね。
どの宗教も、最初は生きる上で大事な事や倫理道徳として守るべきことを説いたものなのではと思うのですが、それが数千年の時を経る中でマルチ商法や村社会化しているのは悲しいもんです。
こういった惨状を、彼らが主と崇める存在が目にしたら、どう思うか見物ですね。
・少なくとも私の周辺で「排斥」「忌避」を教義通り厳密に適用している信者を見たことがない。 熱心な信者の母と同居しているが、私自身は既に信者ではない。兄弟の中で信者を続けているのは1人だが、一番仲が良い。 排斥されたのち、信者として復帰した人のことも知っている。少なくとも20年以上前に排斥され、10年ほど前には復帰している。 厳密に適用されて傷ついた人たちがいることも知っている。これは地域差と長老の差によって起こる。 監督であっても、地域の人のあり方にまで影響は出せない。おおらかな地域・おおらかな長老では教義はかなり緩く受けとめられる傾向がある。 同一の自治体の中で隣の会衆というだけでも相当に雰囲気が変わる。これは実体験だが、親族であっても葬儀に出席するなど言語道断!という超保守派の会衆の隣に移ったら、「明日は法事があるので集会行けません」がOKだった。
・「聖書が変わっていないのにどうして教義が変わるのか」と書いている人がいますが、この日本において、憲法が変わっていないのに、以前は合憲だったのが違憲になったり、解釈変更で前は違憲だったのが合憲になったりしたものがありますよねぇ。その程度の話です。まぁ変更すること自体はその教団の判断でしょう。 一応、その動画も内部文書とやらも見たのですが、「排斥」についての基本的な事柄は変わってませんよ。 この宗教が嫌で辞めた人にとっては「排斥」されて縁が切れるということは嬉しいことなんじゃないですかね?。もう勧誘されることも無く、接触してくることも無いということですから。
・正直二世が可哀想なんですよ、 子どもはマジで可哀想です。
運動会でも「騎馬戦はいけない」「剣道はいけない」などいろいろありますから出れる種目が少ない。 「相撲はいけない」「ボクシングはいけない」など 日常でも書ききれない位制約があり、
オシャレすら許されない、誕生日も祝えない、 孤立しやすい学校生活、
厳しい宗教なので正直普通の人の日常生活を送るのには困難、 日曜は集会は3時間ぐらいあるので、 本当に宗教に縛られた生活です。
それを考えたら、子供にも強制させるのは無理があると思うし、 子どもは子どもであるべきですが、排他性があるので、子供も信者になってしまっていたのでかなりヤバいです。
・急速に増えた時期が有りましたが、脱落者が多く出た時期が有りますよね。 終わりの日とされていた日に何事も起こらなかった。 元からこの終わりの日に向かい、お金など貯えていなかった人も多かった様ですね。 それだけに失望は大きかったでしょう。 耐えて残った人は本当の信者ですよね。 だが世界は急速に終わりに向かうのは事実ですよね。 戦争、各種危機、災害、異常気象 日本の危機は外国人流入による治安悪化。 破綻確実な財政、高齢化は聖書の有無に関わらず避けられない。
・創始者のチャールズ・ラッセル氏が「キリストは既に再臨しており1914年に世界が滅びる」と予言したところ、丁度、第1次世界大戦が始まり注目を集めた宗派ですね。もちろん、1914年に世界は滅びていません。元々の宗教自体が「滅びの日は近い」と言っておきながら、かれこれ二千年以上経ちますので、まあ、大したことではないかもしれません。神の尺度で言えば誤差にもならないのでしょうね。
・自分が入院する時に病院関係者とヒアリングが行われて、予め記入したアンケート用紙を渡したら相手の顔が明らかに曇った 「何かありましたか?」と聞くと、「宗教の所に〇がついていますが・・・」と言われ、「家に神棚と仏壇がありますので、そこに手を合わせていますが何か問題でしょうか?」と言うと相手は明らかにホッとした様子に変わった
「ひょっとして輸血を禁止されてるエホバとか病院内でも勧誘を行いかねないカルト宗教かと思われたのですか?」と聞くと「そうだ」と答えてくれた それならそれで、アンケート用紙にその危ない宗教名を明記してくれよと思ったよ
・2世です。自分が5歳くらいの時に母親が信者になって、集会やら宣教活動やら何から何まで嫌々付き合わされました。父親は大反対だったので、家庭は実質崩壊。そこから30年以上母親と父親がまともに会話してるのを見たことがない。私は小学校高学年で自分の意志で抜けたけど、それまでは集会があるから遊べないとか、宗教のせいで暴力的な漫画もアニメもゲームもできないなんて学校の友達には言えなくて、嘘をついて生きるのが当たり前になっていた。もうアラフォーだけど、今でも平気で人に嘘をつくし、本当に考えていることは人に共有しない。当時出来上がってしまった人格が抜けきれないのは、自分の弱さなのかもしれないけど、本当にエホバには恨みしかない。
・エホバの証人をキリスト教の一派ぐらいに認識してる人が日本には多すぎ。エホバの証人はキリスト教とは全く異なるキリスト教を騙ったカルト宗教。見分け方のポイントとして、まず異端やカルトは決まって主要な宗教の教典(キリスト教でいえば聖書)を自らの教典として取り扱いますが、記事中にもあるように『勝手に』教義や解釈を変更します。これはあり得ないこと。キリスト教で読まれる聖書には旧約と新約がありますが、原語から日本語に訳する際、新改訳、新共同訳、口語訳等の種類の違いがあり、言葉のニュアンスこそ違えど文自体が伝える意味として大きく変わることはありません。まして教義や解釈が訳毎に異なるなど絶対にありません。エホバの証人が使う聖書は『新世界訳聖書』と呼ばれ、原典の聖書からは言葉から何から勝手に変更された二次創作本。これを知っているだけで少なくともエホバの証人からは自分を守ることができるのでご参考まで。
・私の親はエホバの承認ですが、私を含む2人の子供は小学生高学年くらいから集会(信者の会合)に行かなくなりました。 親は変わらず付き合ってくれていますし、普段の振る舞いなど尊敬できる親だと思っています 親と私が従来の関係を続けることで、特に親が他の信者から迫害を受けることもなかったようです
信者の中でも、おかしな教義だと思ってる人が多かったんだと思います
・エホバの証人は自分達こそが真のキリスト教の本流であるという主張により布教活動をしていますが、そもそもキリスト教に興味が無い自分にしてみたら、本流とか亜流とかどっちも興味無い話で全然響かなかった。 キリスト教の影響力の強い国は元々の素地があるので、それで布教しやすかったんでしょうね。
・昭和40年代後半。地方にエホバの証人が信者を増やし始めた最初の頃,私の母が伝導者の自宅訪問を受けて入信した。自動的に私と妹も休日は伝導と王国会館の建設工事の手伝い(主に内装工事)に連れて行かれた。戒律は厳格で異性とフォークダンスで手を繋ぐ,神社仏閣の敷地内への立ち入り,神仏式葬儀での焼香など,鯨肉と輸血(血を食べては行けない),武道格闘技,などの禁止が挙げられる。極めて問題が大きかったのは輸血の禁止。他県信者が子供の輸血拒否をして子供が亡くなっったと聞いた。ハルマゲドンで恐怖を煽り,神に選ばれる選民思想で永遠の命を貰えると教えられた。エホバ神は全知全能なのに不完全な人間を創造し,常に信仰心を試して人間が信仰に背くと,アダムとエバ,ソドムとゴモラ,ノアの方舟と人間に何度も制裁を加えた。そしてハルマゲドンは予定の日を過ぎても来なかった。矛盾だらけでバカらしくなり,中1で母親に脱会宣言した。
・JW2世です。物心つく前から40年近く交わった後にフェードアウトしました。自分としては腹を括って排斥でも断絶でもかまわないと思っていましたが、それだけは止めてくれと母に泣いて頼まれたので籍だけは残ってる形です。 自分の幼なじみの兄妹で、どちらもバプテスマまで受けたけど、兄の方は自然と不活発になって喫煙等JWでは御法度とされることをしても排斥等の処分はされてないので普通に話せる、でも妹の方は排斥されたのであいさつすらできないという経験を実際にしました。現役時代からこれに関してはどうしても疑問で納得いかなかった。口には出せないけど同じように感じてた人は多いんじゃないかなと思います。 神の組織ということをやたらと強調するわりにはちょくちょく人間的かつ恣意的な運営が見られる、ここがいちばん引っ掛かって納得いく答えが見出だせなかったので活動を止めました。
・基本的に「唯一神を狂信的に信仰」する宗教ほど危険なものはないし、それがカルト教団なら特にその危険度が高い。それによって信者やその関係者、あるいは信者ではない第三者へ経済的・身体的な実害を及ぼすようであれば、その教団に対して行政や司法による適切な監視や監督指導が必要だ。
・先月半ば、都会で吞んでて、気がつくと西日本最大の脳神経外科病院の集中治療室に月末まで居た。事故 事件の記憶が無い。 医師には、生死が半分の確率だったので手術に頼らず経過観察していたと言われた。 まぁ生き返ったのは天の姉ちゃんのお陰、イエス様を尊敬してるので、もしかしたらと想像していた。 退院して数日後、駅前でエホバの方と話した。生命科学畑なのに進化論についての考察を求められて詳しく伝えた。なのに、向こうは人間は神様が創造されたのですと言い切る。そして、今度イエス様の死を称える会があるのでいかがですか?とパンフレットを貰った。このタイミングはシンクロニシティかw?と決断して行ってみた。 だが、イエス様の事は聖書の一節を読むだけで、総合的にはエホバの証人の信者の方々の只の懇親会だった (^_^;) まぁ、個人的にイエス様に義理を返せて感謝を捧げる事が出来たと解釈してるので結果オーライでした。
・だいたいキリスト教の教えでいくと、間違ったことをした人も改心し神を信じるならその罪はキリストが身代わりになって十字架に磔になった事で許されると教えられる。エホバはその点で大きく矛盾してる。エホバを信じるのは勝手だが、はたて見てると、様々な矛盾に息苦しくないのかなーと思ってしまう。その点、プロテスタント系のキリスト教は寛容さに溢れてると思ってしまうなー。
・仏教においては、悪行を犯した場合、悔い改めることが重要とされています。仏教では「因果応報」の考え方があり、良い行いは良い結果を、悪い行いは悪い結果を招くとされています。このため、過ちを犯した場合は、その行為を深く反省し、心を浄化することが求められます。 「排斥」されても悔い改めれば許されるのに、悔い改めるどころか逆に自分の行為を正当化して訴訟するとは...。
神ではなく人間自身で生き方を決めるか、神が教えることに従って生きるか、という古来からの論争がありますが、結局のところ、この排斥の問題はこの論争に行きつきます。今の世の中は人間自身で決定した人間による統治の世の中ですがそれがいかに悲惨か言うまでもないです。
・母がエホバの証人です。 多分発達障害だと思うんですけど、正しいと思い込んだら、もう頑ななんですよね。私が未就学児のときから始め、勿論、集会にも連れて行かれました。反対者の父に嘘をついて連れて行かれ、行ったことがバレると、私も叩かれるんです。でも母は無視。私も拒否権なく、連れて行かれてるんで、踏んだり蹴ったりですよ。 現在は母を放置していたら、「世界的な活動」とやらに寄付されるので、近くに住み、交流しています。ただ孫に勝手に教えるので、我が子とは関わらせてません。本人的に救ってあげなきゃ精神だからたち悪いんです。 親ガチャってあるけど、修行だと思って付き合ってます。親は選べませんが、囚われて自分が不幸になる必要はないです。ものみの塔の聖書原理主義と組織崇拝の矛盾と間違いに振り回される方が少しでも減ることを願います。
・義兄姉がエホバです。義兄は長老だそうです。 長老とその妻は、教会の世話人では無いです。 裁判官、検察官、警察官と言った全ての権威と権限が有ります。 家に来ると、家の主人は長老ですと権威を振りかざしますが、宗教内だけしか通用しない権威を振りかざされても、意味が無いです。 教会は会衆と呼ばれ、長老とその妻が完全に仕切っているため、長老と妻から嫌われて無実の罪で排斥された人を知っています。 寄付が何種類も有る為、経済的にキツいと聞いています。 パートやアルバイトしか働かないので、年金も払えず、生活保護を受けている人もいるそうです。生活保護は国民の税金ですが… 言っている事がメチャクチャで、話にならないです。 洗脳されているので、何を言っても無駄です。
・宗教は麻薬みたいなもんだ。一度沼に入るとなかなか抜け出せない。馬鹿な奴が入信するのは勝手だが子供を巻き添えにすることだけはやめてほしい。そうは言っても他人は何も出来ない。子供はそんな親のもとに生まれてきた己の運命を呪うしかない。どうか二世たちが成人し親を捨て自分の人生を生きられるよう祈るしかない。
・この教団に入ったら最後、家族親戚身内関係の絆が一瞬にして破壊されます。 まず家族の葬儀に参加しない。葬祭場に来ない、全て禁じられているので連絡しても断られる。他人に自分の家族が支配されて親の葬儀にも参加してはいけないなんて、なんて宗教なんだ。オカルト教団でしかない。国は何も調査基準は設けないのでしょうか。
・新興宗教にハマる人は常に一定数いるのが不思議なんだが、多くの人は歴史や伝統を重んじて新興宗教を嫌う傾向にある。 けど…キリスト教自体2000年ほど前の、ユダヤ教の新興宗教だ、と思わない人が多いよね。 宗教なんてものは全部そうだと言ってもいい。ちょっと調べればわかること。 信じるに値する宗教なんてないし本物なんてないのだから、それでも何かを信じたいなら、せめて害のないものを選ばないとね。
・20年前は子連れ勧誘、10年前は夫婦で勧誘、最近は近所の信者が仲間と一緒に勧誘。
まじで頭が痛い。 私は一人っ子で実家の墓を守らなくちゃいけないと説明しましたが、それでも来るんですよね。
皆さんはとても穏やかそうな方ばかりなので断るの心痛くなる。
幼馴染の子も真の信者だったけどガンで最期は血を吐いたと聞いて「きちんと治療をしてあげたのかな」と時々思う。 その娘さんはまだ小さくて重度の障害者だった。
・近くに教会があるせいか今年に入って何回か訪問を受けた。ドキュメント番組でも扱った直後なので何だろうとも思った。性格上、無下に断りたくないので宗教以外の話をした。聖書の言葉を教えてもらったりもしたが、最期に丁重に訪問をお断りした。基本、宗教は自分から求めるで良いと思う。
・20歳になったとき、同じ部活だった同級生から久々に電話があった 何事かと思ったら「選挙は誰にいれるの?」から始まった するとある宗教を推すような形で某党に入れて欲しいと懇願してきた 「ある人が病に倒れ医者も匙を投げたがある言葉を唱えてたら治った」と言うのだ 私はUMAとか超常現象などは肯定しているが人間によるこのような摩訶不思議な事に関しては信じていない 「唱えなくても治った病気だったんでしょ?」で電話を切った 数年後に同窓会があったが他の友達にも電話が行ったらしい 宗教は押し付けるのではなく自ら信仰するものである そしてある友達が亡くなった時は親がやはり同じ宗派で身内でも知り合いでもバァちゃんがひたすら唱えていた そして集まった香典をその宗教団体の御布施としてふんだくろうとしたのだ 奥さんが既のところで回避したが結局は今の議員のように金目当て
・宗教は、人が幸せに過ごす為のあり方や考え方を示すものではないのだろうか。 しかし、昔から信じる誰かを縛り、その誰かの大切な人を苦しめる話が多すぎる。 幸せになる為には、大切な人が苦しんでもいいのだろうか。つまり、自分さえよければいいという教義なのだろうか。 どの神もそういっているとは思えない。
・墓終いする時代に宗教にはまるのはどうなのだろうか? 一般的仏教寺院ですら檀家が減って存続が危うい時代に、 あぶない宗教を信仰するのはどうなのだろうか。 物価は上がり生活苦なのに「これを買えば金運アップ」みたいな宗教もある。 神がいるならだれもが貧しい生活なんてしていない。 神より政治家の方が効能が勝るから、裏の闇で政治献金する人が多い訳で、宗教信仰に人生尽くしても幸せにはなれない。 政治家に献金したり、ヤクザにお金渡したほうがよっぽど効果あります。 無駄になるかもしれませんが。 宗教は救ってはくれない。自身の生活を救ってくれるのは自分の自由になるお金です。 出費だけ最小限に済ませて通帳にたんまりと入れておけば、増税が続いてもいつか収入が無くなっても役立ちます。 消費をするにしても値切り、とにかく出ていくお金を少なくする。 極端な話、金喰い宗教に入信してしまう様な人は、自分しか信じるな。
・まず前提として「全て個人の自由。何でもOK」というのは組織の体を為していない。決まりを受け入れて入っているのに裏切るから排斥される。それはどこでも同じ。追放された者が傷ついたと主張する資格はない。
追放された人に対して、温かく声を掛けるというのはあり得ないという文化圏もある。相手に対して失礼。賭博問題以降、ベンチで大谷に声を掛ける人はほとんどいなかったらしいが、このような対応は他民族国家では普通。白黒はっきりしている。その道理を世界共通にしたところに問題があったのかもしれない。
・私もエホバではありませんが、つい最近までとある宗教二世でした。母親は今もその宗教にどっぷりで、過去に自分が起こした過ちを救ってもらえたと頑なに信じています。 思春期に何かにつけ、因縁だの先祖がと言われ続けると頭では理解していても潜在的恐怖から手放したり、行動を辞めるのは相当苦労します。思考回路そのものに組み込まれるのです。
生きていれば、良い事も悪い事も起こる。 それが起こったのは、神のせいでも、先祖のせいでも、ましてや生きている人のせいではない。
神様は、いないかも知れないし、もしいても人間に都合の良い存在ではない。または興味がない。考えない。
教義は、所詮人間に都合がいいように創り出したもの。
全ては受け止める自分次第。
意外と単純ですが、この四つが自然に腑に落ちた時スパッとある日やめた。
正直、いまだに考える事はあるが、どんなに苦しくても、自分の人生は自分で決める。
・社会不安が広まり経済的にも窮している今こそ民衆が宗教に救いを求めると思って各派競ってセール開始なのでしょう。鎌倉仏教の様に本来は出家して修行しなければ得られない功徳をお参りするだけ、念仏を唱えるだけ、とどんどん敷居を低くしていったのと同じかな。いつの時代も無いものを信じたい人はいるから需要は無くならない。
・嫁の母親が、エホバでした。 子供が、病気で手術を受ける際に「輸血はしないで欲しい」と言ってきましたが、自分はそんな事気にせず手術前の書類にサインして必要な際は輸血を許可しました。 それ以外にも、週末に娘を買い物や食事をエサに布教活動に連れて行ったりする事もありました。 何度も、その母親とはもめたので結局離婚までしましたが、自分だけやるならまだしも孫まで犠牲にするのは耐えれなかったですね。
・まずは、勧誘に来るのをやめて頂きたい。 街中で声をかけてくるのも迷惑だ。 あんなもん、キャッチセールスと何が違うんだ? そして、いくら自分たちの子どもであろうとも、所有物じゃない。 義務教育機会の中で講じられている教育機会と交友機会に口を挟むのは本当にやめろと言いたい。 信仰、内心の自由は、他者への関わりに立ち入った時点で完全なる自由ではない。そのことが理解できず、子供に宗教的価値観の強制強要を図るなら日本ではただの虐待だし、他人の家を訪問したり街中で声をかけてくるなら迷惑行為。 宗教を否定はしないしその価値観を内に持つなら尊重もするが、自分だけに留めろ。それ以上は、はっきり言えば迷惑で不愉快だ。
・どこの団体も会員数の減少で存続が厳しくなってくると、教義や条件緩和して信者数の回復を目指すもんです。 それは宗教団体や共産党、各種サービスの提供者も一緒。 まぁ、こーいうこと始めた時点で末期症状が近いのでしょうが。 そういえば、昨夕は近所で民青同盟が熱心に若者勧誘してたっけ。 前途ある若者が変なのに引っかかって人生を棒に振らないことを祈ります。
・宗教は、信仰できる人にとっては生きる希望になるものだと思う。 信仰しない人からすると奇妙この上ない教義かもしれないけれど、そもそも信仰の外の人間社会の価値観だって本当に意味があるのかと言われれば、よくわからない。 特定の教義が忌み嫌われるとしても、それは多数派との乖離が大きいとか、そういう事情なんだろうと思うと、どちらが正当なのか、やはりよくわからなくなる。 結局我も彼もまた、何が真理なのかについては何もわかっておらず、ただ、彼はそれを宗教によって確信しているということにおいてのみ、違いがあるわけだ。 そしてそれを見て、我々多数派は、不安になり不快になり、排除しようとするのだろう。
そんなこと、せずに放っておけばいいのだ。 抵触するときは、その都度悩めばいい。 一律の解決など、求めなければいい。
・教義を緩和って、ただ辞めていった者を今まで絶縁していたものを、戻ってくるように色目を使いだしたと言うだけで、排他的な性格にはいささかの変化もないし、人権の尊重など程遠い。 結局教義が違う者の存在が認められない限り、カルトと言われても仕方がなないのは変わらない。
・イエス・キリストの教えって人を赦すことの大切さを説いてるのに、エホバって真逆のことをやってたんですね。 私もクリスチャンですが、エホバが教会を去った元信者との交流を禁止していると聞いて驚きしかないです。 人が罪を犯して仮に破門されたとしても、その人が心から悔い改めて信仰の道を再び歩めるように助けるのが宗教なんじゃないの? エホバって他の宗教に対しても排他的で否定的ですが、本当にイエス・キリストの教えを学んで実践しているのでしょうか?
・自分は昨年末中年男女が来てお知らせ的な物を渡そうとしたのでお断りしました。その頃位から、あまり良くなさそうなニュースを見てましたのでそうしておいて良かったです。それより前にも神奈川県海老名市界隈をを車で通り過ぎる際にものすごい人数と渋滞にあった事で、けっして良い気はしませんでしたので。
・いつだったか忘れたんですけど すごくお天気のいい休日やら祝日の日の朝早く 笑顔で行楽地へお出かけする人、 いつも通り通勤通学する人、 用事でいそいそ出かける人、 そんな風に行きかう人々の隅でひっそり 無言・無表情で例の冊子を掲げているエホバの信者が居ました。
こんなに天気がいいのに 人々にまるで居ないもののように扱われ じっと突っ立って見向きもされないで この宗教はいったい何が楽しいんだろう、 と心底思いました。
・私は元二世だったけど、母親は本当に愛に溢れた人で、全く苦しい辛い生活はなかった。集会に行っても、周りの兄弟姉妹達はやはりみんな愛に包まれていて、とても居心地が良かった。それが当たり前と思っているので、輸血以外の色々問題がニュースになると信じられないし、なんか勘違いしているのかな?って思う。私の周りの信者達はいつもみんな神エホバだけをを見ていたから、人間同士のイザコザなんか皆無だった。宗教関係なく、縁が切れたら連絡なんかしないじゃん?エホバはあなたに戻ってきて欲しいなんて、人間が代わりに言う事じゃない。離れた人がまた戻りたいと心の底から神エホバに祈らないと無理だし、殆どの離れた人は世の中に逆行するような厳しさが戻りたいと思わないだろう、私みたいに。人間を介して伺いを立てて復帰をしたりしなかったりする宗教じゃありません。とにかく、なんか勘違いが多すぎるなって。
・友達の旦那さんと弟さんは二世でしたが、学校行事にも支障があったことで自ら高校で止めたそうです それからもう15年くらい経つはずですが、母親とお姉さんは比較的熱心な信者、父親は1度も団体に関わったことが無いそうです 自ら止めても母親と姉との交流はあったし、結婚してから 元二世 という情報を元に、自宅まで特定されて勧誘に来られてうんざりしていた 旦那さんが母親に勧誘をやめるように強く抗議しなければ止まらない勢いだった様ですけど…
・エホバも信者が減ることは存続に関わる、故に方向転換でしょうね。 自宅にも何度か見ず知らずの人がインターフォンを押して来ましたが、エホバと聞いて断りました。 輸血をさせない事が有り得なく思います。 我が子が輸血をすれば助かるのに、教義だとさせないで放置は出来ない。 そこがエホバが嫌いな一点です。 宗教は自由ですが、命に関わる事は違うと思います。
・わたしは10年前に排斥されたものです。妻と娘は熱心な信者を続けております。生まれた時からエホバの教えを叩き込まれた娘から見ればてかない安定のためについて行ってた私をやがて馬鹿にするようになり世間の常識を諭す私との間で声を荒げて失跡したことが長老から娘にDVを図った罪ということで排斥されました。教義に忠実なこの宗教が、緩和に動くとしたら、笑えて来ます。
・親が入会すると芋づる式に子供まで影響が出るのが深刻な問題。物心つく前に洗脳や刷り込みのような偏った思考や行動を植え付けるのは本当によくない。宗教加入は成人してからでないといけない法律を早く作ってほしい。好きな服が着れない、恋ができない、友達も親に選別される、好きなテレビが見れない、好きな本が読めない、自分の時間を好きなように使えない、あれもダメこれもダメと自分自身で選んで判断する前に全てを排除され隔離され、作りものの世界狭いに押し込まれて、リアルな現実を見る前にその小さな世界が正しいのだと思い込まされる。宗教って本当に変だよ。で、何かに違反したらその度に神様から永遠の命がもらえなくなるって脅しのようなことまでされるんだよ。俺みたいな被害者がもう出ないように法律を作ってほしい。
・その前にアルマゲドンが来る来る詐欺を説明してほしい。 家庭内では、結婚後に入信した父親のみ信者で私が幼い頃にアルマゲドンで信者以外は滅びると聞かされてた。アルマゲドンは私が中学生になる頃には起こると聞かされていて、すでにアラフィフになりそうですけど。笑 父はアルマゲドンじゃなくて病死か老衰死で亡くなると思うけど。笑 他宗教の親戚の葬式には一切出なかったんだから、父親の死後は教団の人たちに全てやってもらえよ?と思う。 エホバ信者は人が良さそうなんて言う人もいるけど、そんなの表面上なだけ。うちの父親も真面目で勉強熱心だけどなかなかのモラハラだし、思考回路が短絡的だし、教育方針もめちゃくちゃだった。 こんなだから中学生の頃には世間一般の幸せな結婚は自分には無理だなと悟ってた。 早く安楽死制度を整えてほしい。
・病院勤務の医者です。以前はエホバは輸血の問題からただ面倒って印象でしたが、接してみると争いを避ける平和的な人が多いことに気がつきました。自分がエホバに入ることはないですが、偏見で物事の一面のみをみてしまっていたことには反省をしてます。
・エホバの証人って、辞めた人にそんな冷たかったんですね。知らなかったです。
母が40年以上やっていますが、他の宗教を全面的に批判するせいで葬式で親戚と揉めまくり。散々喧嘩してきました。 子供のころは「あなたが大人になるまでには楽園が来る。エホバを信じたら永遠の命を与えられる。信じなければ死んでしまう。」と言われていました。が、大人になって「来ないけど」と言ったら、「今はいつまで、とかにこだわらなくなった。」と言われました。 家庭崩壊させてまで続けてきたから今更引けないのでしょうが、バカとしか思えません。
さすがに「だまされた」と気づいた人々が増えて信者が足らなくなったんでしょうか。
・自然消滅2世ですが母を通して長老が牧羊の訪問をしたいと言ってきました 牧羊ってなんだよって感じです笑 対立するつもりもないですが話すこともないので断りました 今回の件と関係あるのでしょうかね そもそも真の宗教なら時代に合わせて教理を緩めるのもおかしな話だと思います
・私は統一協会やエホバは時々聞きますが、死んだ後の云々の理屈はどうしても信じられません。 死後にどうだこうだと聞いても、誰が実際にあの世から戻ってきてあの世の 体験話をしたのでしょうか? 何代も前の先祖の罪を償うためにお金を納める、なんて理解不能。 其れよりも自分がこの世に存在するのは先祖のお陰、育ててくれた両親のお陰なので、その方たちに毎朝感謝のお祈りをすることで心が落ち着きますが、それで充分ではないですか?
・結局は教義が都合良くコロコロ変わると言う事でしょう。 その様な宗教団体は数有りますから、あの有名な団体も、突然に180度教義を変えたのですから、信じるには足らないと言う事でしょう。神だ何だと言って人々を惑わすだけでしょう。 嫁の親戚にも、この世はもうすぐ無くなり滅亡する。その時に助かり神からの永遠の生命を授かるのはエホバの証人のみだ!と、真剣に信じて語る者が居ますが、お気の毒にとしか思えませんね。そうやって不幸な目に合って行って居るようです。
・親戚にエホバの信者がいるんだけど、何を言うにもいちいち「聖書」の言葉を引用してくるので、自分の頭で考えられないのかといつもうんざりしていた。エホバが問題化していた時期は音沙汰なしだったが、沈静化してから電話をかけてきて勧誘してくるようになった。平日の夜10時近くに平気で長電話してくるので、ある日とうとう「常識的な時間というものをわきまえて下さい」と言った。それからは電話をしてこなくなった。他の親戚にも勧誘電話をしていたそうで、その親戚も怒って二度と連絡してくるなと言ったらしい。一見するときちんとした服装で、静かで穏やかな話し方をするんだけど、夜遅くに電話はしないとか、そういう常識が欠けている。不思議な人たちだ。
・エホバで今でも苦しんでる2世の友達がいます。なにかおかしくない?と反論すると エホバの教えにそむくのか?とムチ打ちにあい、戦いの番組は見てはいけないと当時みんな見ていたドラゴンボールを見せてもらえず 友達の話にはいれなかった。とにかく嫌だと言っても親に強制されて青春の1番いい時に苦しい思いをして今でも恨んでいます。親が勝手に始めたことをなぜ子供もやらなきゃいけないのか。本当虐待だと思います。法律で子供に宗教を強制しないようにしてほしいです。親でも罰せられるべき。子供は親を選べないから。
・宗教法人は全て廃止するべきですね。緊急性を要します 個人の信仰や思想は自由なのは当たり前なんだし、信仰や思想には金は掛からない。1円もね。 先ずは宗教法人という制度を無くせば、新興宗教に騙される人も随分減るよ。
そもそも、宗教団体は本来金なんて不要だからね。仏陀が悟りを開いたのを坊さんも誇らしげに話して、説教し、自分もまだ道の途中だと老人坊さんが言うんだけど、それ宗教法人だからたどり着けない道だぞといつも言いそうになるのを止められる
・道徳やモラルについて、輪廻転生、因果応報等、宗教的観点から考察したり、生きるために大切な人生観を学ぶことはあり得る。学びたければ中古の書物を買えば良いだけ。 宗教法人に金を注ぎ込んだ所で、何も変わらない。これは、人の弱みに漬け込んで、搾取されているだけ。 すべては自分の心持ち一つだが、それだけ精神的に追い込まれている人が多いと言うことか。 最終的には本人の自由とはいうものの、金銭問題のみならず、友人関係、学校の保護者同士の付き合い、結婚、その他諸々、巻き込まれる家族はたまったものではないと思う。人生狂わされる。
・宗教は自分が幸福になるための道具、使ってナンボ。上手に使ってる人は楽しく成功している。だから現状がすでに幸せな人は必要ない。現状に不満不安絶望がある人がすがるもの。なのにカルトとなると、その目的と手段が逆転させられてしまう。幸せになるための宗教のはずが、宗教をしていないと幸せになれないと。宗教のために必死に生きてる自分は幸せなはずだって。 本人はそう思って生きて幸せだと思うなら勝手にどうぞだが、巻き込まれる家族はたまったもんじゃない。
・ここを見ている人の中には、この知らせを聞いて信者に戻るか悩んでいる人もいるのだろうか? 強制はしないが、止めておいた方が良いよ。 百歩譲って、教団本部が歓迎したとしても、既存の信者達はそう簡単に変わらない。 村八分や嫌がらせを受けることになる。 宗教なんて、苦しんでまで続けるもんじゃない。 あなたが心身共に救われることが最優先です。
・近所にもこの宗教の教会があり、うちにもピンポン押しで、訪問して来ました。若い人と年配の女性でしたが、年配の方が「聖書を読まれた事がありますか?」と聞くので、「読みました」と返事すると、チラシを渡し「それではこのQRコードを読んどいて下さい」とだけ言って、説教もせず、去って行きました。「読んだことが無い」と言うと逆に粘られた気がします。宗教の知識がない、考えた事がない人をターゲットにしているのでしょう。投資詐欺に引っ掛からないには投資を勉強した方がいいの同じで、宗教の知識は、幅広く、ある程度あった方がいいと思います。
・内部の決定事項を取り決めとか言うけど
思いっきり「マニュアル」で、アメリカ製の宗教が透けて見える。 (アメリカ人のCTラッセルが創り上げ、代替わりする度に変質していったようでも「アメリカ製」という根っこは変わらない)
聖書は変わらないのに何で教義が変わるのか?と元信者が言っているが
神の教えは進歩し続けているからである! (神様は全知全能らしいので、大いなる矛盾ですね)
サタンがこの世を支配しているのであれば、唯一正しい宗教とやらも存在できない矛盾
どんな物でも貫く剣とどんな物でも防ぐ盾が同時に存在できないので
サタンの世という定義と唯一無二の真理も同時に存在できないのです。
・自ら辞めた人を断絶者と呼び、排斥者と同じく集団無視(忌避)をします。聖書にはない教えです。この断絶者に関しては今のところは今回の緩和に関係ないようです。教団の間違いを指摘するだけでも排斥になり、こちらも緩和には関係ありません。排斥者が集会に出席した場合に信者から挨拶程度はされるようになりましたが、依然として家族でも接しないようにとの指示は残っているようです。ノルウェーで国からの補助金を取り消された教団が国を提訴した第一審の裁判で、忌避などが争点となり教団側が敗訴したばかりなので、緩和と見える今回の動きはまた別の国から補助金を取り消されないようにするための小手先の手段に過ぎないように見えます。
・わが家にもよくいらっしゃいます エホバの証人の方。基本的には男性も女性もとても穏やかで 感じ良い方が多いので、小冊子や パンフレットを見せてもらったりお話を伺ったりしております。時折 他の宗派 や キリスト教以外の宗教についてのお話になると途端に目つきが豹変され 唯我独尊的な人格が顕現されますので、そう言った場合はいつも早めに帰って頂きます。皆さんとても 聖書のお勉強をしてらっしゃる様ですが、違う価値観や 他宗教を絶対認めない!という頑固な点はもう如何ともし難いです。これが信心深さだ と言ってしまえば、まあ それ迄なのですか…。
・日本の歴史と世界の中世の歴史をキチンと教えたら、いかに宗教が打算的で恐ろしいものかわかるはず。 キリスト教は日本の奴隷貿易の立役者。 世界中に宣教師という女衒を派遣して、相手国を食い潰してきたかなぜ教えないのか。 鎖国のおかげで日本は独立をたもて、仏教という壁があったので、悪戯に広まらなかった。 今はその仏教も政治家の集票集金マシーンに成り下がったのは嘆かわしいが。 墓を買えば孫子の代まで取り立てがくるからな。覚悟をしないといけない。
・キリストもイスラムも教祖は一人で教典も同じなのに、それぞれ流派があって解釈も異なっているのが不思議に思っている。それぞれの流派の教祖が自分らに都合よく解釈してまとめているのではないかと思う。とくにイスラム教の女性に対する差別はアッラーの神が決めたことだろうかと疑っている。
・教義が変わったけど変だと思わないか?と一信者に聞いたことがありますが、 「教義は変わっていない。私達人間の解釈が未熟だっただけ」と返ってきたことを思い出しました。以来、関わるだけ無駄、自分の信じる教えを一生守ってお幸せにどうぞ、と思っています。 そうそう、神や教団の批判には耳を塞ぐように、そのようなことを吹き込む人物とは縁を切るようにと、信者は入信のごく初期にセットされていますから、関与し続けたい人はご注意ください。 ところで、排斥されて散々シカトされてきた人が今回の措置に触れて、何か嬉しいんですかね?組織は、世間一般の感覚をお持ちの方も雇われた方が良いと思います。
・エホバは日本人にしたら馴染めない所がある。 日本人はやはり、神道であり、仏教である。 この二大宗教は日本人の深層に根付いている。 神道や仏教は強制、押し付け、縛り、などなにもない。 だから日本人に根付いたと言えるのである。 だから逆にガラス玉を100万で買ったり、印鑑を50万で買わされたりすることに免疫のない人がいるのかもしれない。 宗教は人々を救済するものであり決して毒するものではない。 同様に国家にも同じことが言えるのである。
・そんなに都合よく簡単に変えられる教義なら、財産や人生をかけて信仰する必要ないのでは? 子どもをムチ打ちしたり学歴を制限したり輸血を拒んで子を犠牲にしたり、他にも色々と問題のあった宗教ですけど、帰ってきてほしいからって理由で変えられるんですね。 人生や命を犠牲にされた人たちは何だったんですかね? 最初からそんなことする必要なかったのでは?
・信仰することは生きることであると、ある日のお昼に、延々と話を聞かされたことがあります。なぜドアを開けたのかと後悔しました。
人それぞれ生き方があっていいけど、穏やかな日々を送っている人を巻き込まないでいただきたい。
脱教した人に対して、教義を緩めるとか、俺、知らんぜ! ご自由にどうぞ。 俺ん家くんな! 月4回も毎週土曜日、昼間に来るな! なんか、あいつもう少しでうちの宗教に入る感じあるぜみたいな顔で来てるのが、さらにむかつくーーー!
・パンフレットは信者が買わされてたらしい。だいぶ前に読んでたが良い事もいっぱい書いてあるんだよね被暗示性の強い人はよろめくかも?結局宗教は人間が編み出したものだから教義が変わっても不思議ではない伝統宗教でも変遷してきた。
・昔の職場の先輩に数年ぶりに誘われてご飯行ってカラオケ行って普通に楽しかったんだが最後らへんに「今の生活変えたくない?変えたいと思ったら本当に信じて。」と始まり、創価学会と知った。「普通は誘ったりするとノルマとかに感じると思うけど本当にそうじゃなくて、、、」とか言ってきたけどその頃結婚したてで家も買って車も乗り換えて時間も金も余裕があって、まっっったく生活を変えたくなかった。笑 そう言えば一緒に働いてた頃離婚して独り身になったからそのイメージが強かったのかな?今は変わってそもそも宗教興味ないし弱ってる心に漬け込もうとするのやめてくんない?笑 というエピソードがあった。
・この変更で得するのは、一回退会してまた入会したいって思う人なのかな。そうじゃなかったら、わざわざ退会したのにあえて信者さんと交流持ちたいって思わないもんね。まぁ簡単な挨拶ができて気まずさはなくなるのかな。
・エホバの布教に来た方に、「私は進化論を信じていますが、エホバはアダムとイブが人類の祖だと言っていますね。それの裏付けはありますか?」と言ったら、小冊子をくれました。でも、「信じるものは救われる」的な内容でした。結局、聖書を勝手に解釈しているだけだと再認識した次第です。
・元2世信者です。中学生の時に離脱しました。母親が熱心な信者で、学校行事は制限を受け、日曜は午前は集会、午後は宣教活動に連れ出され、平日も火曜と金曜の夜に集会でした。 ハルマゲドンが近いから、大学に行っても無駄なようなことを言われましたが、自分自身はもう無理だと思い離れました。幸い父親は信者ではなかったので、大学に行かせてもらいました。
彼らの解釈はコロコロ変わります。一体私の子ども時代は何だったんでしょうか。ハルマゲドンという言葉に脅されて、死に脅えながら信教しました。その大切な時間を返して欲しいです。
・そういえば年末エホバの人が来たわ。 当時は近所の人が年末の挨拶に来てくれたかな?と思ってドア開けたら初老のおじさんが、 「こんにちは、来年はどんな年になると思う?」と言ってきた。特に考えず「ま、良くなるっしょ!」と言ったらそそくさと帰ってしまった。別れ際パンフもらってエホバと気づいた。 迂闊だったけど、追い返せてよかった。
・信者を引き留めたいだけ。
エホバに限らず実は新興宗教はやっぱりオウムの影響でどこも年々信者が減っている。当然、信者のお布施や上納金、グッズ(団体側はありがたいご利益があるものと主張しているが、私には単なる紙切れとかにしか見えない)を販売している利益も減っている。
私の近くの地域では、とある新興宗教団体が打ち上げる花火が毎年恒例だったのですが、年々内容がショボくなっているあたり、ここも相当資金繰りに苦慮しているんでしょうな。
怪しい宗教はお金で締め付けるのが一番効果的
世界最強の宗教は「お金」です。 アメリカの大統領も、習近平も、プーチンもこれには逆らえませんな。
・「こうしなさい。ああしなさい」と教条主義で思考停止に導く宗教は ことごとく信者や会員を利用する側面を必ず含有するようになる。 宗教指導者も最初は純粋な気持ちだったかも知れないが、 いいように操作できるから調子に乗って結局、我欲に負けて信者を利用する。 本来、宗教って「どう生きていくか」的な問いへの解答のはず。
・信者である親と疎遠になっている40代の2世だけど、ムチ打ちなどと言って、ベルトでバチバチに叩かれて育ったのに、教団側は虐待は良くないなどと言い出して、なかったことのようにしてるんだから、都合が悪いことは全部しれっと変えていくんだろうなと何の不思議もないわ。この世の終わりとやらをずっと待ってんだけど、1914年の話もなかったことになってんのか、どんどんゴールポスト動かされててうける。
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