( 154930 ) 2024/03/31 22:04:29 2 00 復興遠くても…地元に残る選択 能登出身の記者が見た「若者の葛藤」TBS NEWS DIG Powered by JNN 3/31(日) 17:55 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/5bb7c0be55085865096805b11afef9bfba6c3d64 |
( 154933 ) 2024/03/31 22:04:29 0 00 TBS NEWS DIG Powered by JNN
能登半島の北側、4つの市と町からなる「奥能登」。私が生まれ、高校時代までを過ごしたふるさとです。
平記者 「ちょうどこの辺り、あそこに対面通行の看板があると思うんですけど、当時、このあたりで地震が発生しました」
金沢市から能登町の実家に向かう際の出来事でした。
平記者(石川・珠洲市 1月8日) 「友だちも言っとったけど、知らん町になったみたいやね」
私は、高校時代の同級生で珠洲市飯田町に住む真脇魁さん(26)のもとを訪ねました。
平記者(1月9日) 「どんな揺れやったけ」 真脇魁さん 「立っとられんどころか、座っとられんというか。地面ボンボンって浮いてくるし、電柱倒れそうになってくるし」
自宅は倒壊こそ免れたものの、1年ほど前に海のすぐそばに建てた兄の家は津波にのまれました。家の中に残る大量の土砂。どこに、どの家具があったのかも分からない有様でした。
珠洲市で、去年5月に起きた震度6強の地震。真脇さんは、ボランティアで高齢者を手助けしました。しかし、今回の地震は…
真脇魁さん 「俺が手をつけられるレベルじゃないから。これが市内、奥能登全域に広がっとると」
珠洲に住み続けたいという思いと葛藤していました。
真脇魁さん 「(珠洲に)残りたいなとは思っとるけど、残ってどうするんかということと」 平記者 「珠洲、好きけ?」 真脇魁さん 「珠洲は大好きやね。この土地から離れるのが嫌というか、一方で若い人たちは多分残らんやろうし」
車のコーティング業を営む真脇さん。作業場が被害を受ける中、物資を輸送する車のパンク修理や、がれきで汚れた車の清掃などを続けています。
真脇魁さん(先月28日) 「仕事しとったほうが自分は楽で、何かしとったほうが気が紛れて」
歌っているのは、奥能登で生まれ育った若者たち。少しでもみんなを元気づけたいと、真脇さんが動画を制作し、思いを発信しました。
真脇魁さん 「『当たり前の今日が、もし誰かの明日で、誰かは今日という日を死ぬほど生きたかっただろう』というのは、まさにそうかなと」
真脇魁さん 「地震あってからの生活は、逆に言うと濃かったけど、何をしたかと言われると…。片づけして水運んでみたいな、すべてがルーティーン」 平記者 「前に進んどるなっていう気持ちとかはある?」 真脇魁さん 「前に進んどるっていう気持ちはあんまりない。前に進もうと何かできんかなって努力はしとるけど」
珠洲市宝立町、市内でも被害の大きかった地域です。
真脇魁さん(先月27日) 「道が空いたってだけで全然変わってない」 平記者 「当時は、ここ道全部埋まってたのか」 真脇魁さん 「そうやね、もう、ここ半分とかじゃなくて、車線1個分、全部(埋まっていた)」
真脇さんは、復旧・復興へ動き出しているという世の中の認識に違和感を覚えています。
真脇魁さん 「復興してますよ…。まあ確かに道路はちょっときれいにして、がれき撤去とかも始めとるけど、被災した人の生活面とかは全然見通し立たず、変わらんし。地震から3か月やけど、どこのテレビでも、ほかの県とかやと地震のニュースが、だんだん減っていって、多分忘れられていく。これは、風化させたらだめやと思うんやけどね」
復興までの遠い道のり。それでも「能登に住み続けたい」という真脇さんの思いは変わりません。
真脇魁さん 「出ていくのも、出て行かんのも、その人の選択やし、正解はないやろうから。どっちの選択でも、その人が決めたならいい選択やと思っとるけど、ただ残るって決めたからには、この進んでいない現状をもっと外に伝えつつ、自分のできること、自分のできる分野でやっていくほうが、やっていくしかないんかな」
TBSテレビ
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( 154934 ) 2024/03/31 22:04:29 0 00 ・被災者からすれば決して忘れることのできない辛い記憶であっても、そうではない人間の多くからすれば離れた地で起きた出来事でしかないですからね。 誰にでもそれぞれの生活があり、時間が経てば自分の周りのことで記憶が上書きされるのは仕方ない事。 だからこそ、この記事のように何度も情報を発信し、まだまだ自分達には助けが必要であること。今回の震災でどのようなことが起き、どのような選択をしていたのかをしっかり伝え続けていくことが大事だと思います。
・応援してますし 近いうちにまた伺いたいと思ってます。
東日本大震災と比べて復旧は早いですが、地形的に 道路や宿泊箇所が少ないため人手が足りず 下水道や 片付け 含め手がかかっているとか。ボランティア 枠はすぐにいっぱいになるため 協力したい人たちが多くいるんだと知ってほしいです。
道路は必ず復活しますし豊かな海の幸 も時間はかかっても戻ってくるので頑張っていただきたいです。 築き上げてきた郷土や人とのつながりは他の地域では得がたい宝物です。 およばずながらも支援します。
・今度の地震が最後と誰も言い切れないのが辛いところ。特に奥能登は毎年の様に大地震が来ている。まずは来年地震がきたらどうするのか考えて対策を立てなければならない。昨年までの地震後の様に兎に角復興だとやったらまた被害が増えるし、復興予算も無尽蔵にある訳では無い。もう三ヶ月経って冷静に考えたらただ復興してもだめだとま判っただろう。行政はスマートシティなどのたたき台となるダウンサイズした復興計画を示すと共に被災者を含めた話し合いで理解をえるべきだ。
・忘れることが心の傷を埋めていく作業にはなるから仕方ない。現地も復興していけば辛かったことは思い出として変わっていく。 けど、この震災で学んだことを対策していくことに意味があると思う。例えばNHKの津波への呼びかけは東日本大震災からの対策。あの時の恐怖を知らない中学生や小学生はそれで知ることができる。映像は残るからね。知れば行動は変わる。偉そうに言ってる私だって東日本大震災前の時は津波があんな恐ろしくなるなんて知らなかった。けど今は知ってる。対策していくことが大切。それを継続していけば、人的な被害は減らせる。
・今回、能登半島沖合で動いた活断層は、3,000年周期で動いと聞いた。
日本の歴史で3,000年前と言えば… 約3,000年前の縄文時代-後期~晩期 にあたります。
その当時の能登半島の人口密度は100㎢当たり50人程度の人口密度だったようです(山手線内に数百人位の密度)。
海岸の河口近くのわずかな平地に集まって暮らしていたのでと想像しています。(能登半島には10カ所ほどの縄文遺跡が知られていますが、何れも海岸近くの河口にあり、大量のイルカの骨も出土しています)
3,000年前に同じような大地震が起きた時も、竪穴式住居は崩壊し津波にも襲われてひどい目に遭っていた事でしょう。
3,000年後の令和の日本人も、縄文人とほぼ同じ場所に家を建てて居住し、令和6年1月元旦に、再び沖合海底の断層が動き、又もや壊滅的な被害を受けている。
・そこに住んでない人にとってはいつも通り普通に生活してるから、その中で離れた地で起こったことはたまに気にはなっても考えてない人がほとんどだと思う。 今の私もそう。 震度7の大地震を経験してしばらく普通の生活も送れなかった身ですが、その中でも、考えてくれる、たすけてくれる人の声が少しでも感じれただけで嬉しかったです。 大変かもしれないけれど、必ず時間と共に気持ちも街も少しずつ戻ってきます。 応援しています。
・良くも悪くも、人間は辛い事を忘れるようにできてるからね。じゃないと、もっと自殺者は多くなるって心理学や人間科学で研究されてるから。 忘れられないように、継続して支援してもらえるようにどうすれば良いか、国はもちろんだけど地域からの発信もとても大切になってくると思う。
・金沢出身で今は神奈川在住ですが、元旦は地元に帰省していました。能登は何度もドライブで訪れた魅力溢れる地域です。あの風景や人々の生活が一変し、今も不自由な生活をしている多くの住民の事を思うと苦しいです。ですが戦争で焦土と化した日本を復興させた当時の日本人、阪神淡路、東日本の震災で壊滅的な被害からの復興、多くの人が犠牲となり、自分の町が変わり果てた姿になっても必ず立ち直ってきた歴史があります。時間は掛かると思いますが、誰に対しても優しかった能登が再興し、世界中から多くの人が訪れることができるようになることを祈っています。
・今回の元日大震災は本当に驚いたけど、地震に限らず台風や水害などの災害って、当事者以外の地域ではどんどん風化されていく。まだ、1〜2年前の被災地の人達も苦しんでいる人達がいっぱい居ますからね。 私も水害で床上浸水を経験しましたが、ごみ捨てや後片付けで動いている時が一番気が紛れました。 二次災害と健康に気をつけて無理せず片付けて欲しい。
・被害の大小は別として、東日本大震災の後で数々災害が起きています。 地元長野も台風で千曲川が決壊する災害に見舞われています。 もう薄れていますよね… 現地の当事者の間でも取り残されたり忘れられる事を心配する声もありました。今も苦しさを抱えた方がいらっしゃってその土地を離れる選択をした方もおられます。 日本は災害が多い国です。 忘れては行けないけれど、付き合っていかないといけないんだと…自分でも最低限の備えをしないといけないですね。
・阪神・淡路大震災の被災者です。 この方の言わんとすることわかります。地震の爪痕は3年ほどで表面上はほぼ見えなくなりました。10年経つとハード面は寧ろ震災前以上になりました。しかし親戚が亡くなり多くの知人が亡くなったり行方知れずになり、思い出の品たちも大半を失い、心から失われたものは生涯戻らないと感じています。 幸いというか神戸は元々100万人都市で今では震災前以上の人口になりましたがそれも元に戻るまで10年以上かかりました。奥能登の復興は神戸以上に険しいかもしれませんがそこに住む人々が幸福を感じられる生活は必ず取り戻せます。一歩一歩着実に、頑張ってください。
・良くも悪くも人は忘れていかなきゃ前に進めませんからね…。被災された方は中々忘れられないしそれでいいと思います。それ以外の人でボランティアの人やいつも通りの日常生活を送る人、これでいいのではないのかと思います。動ける人は動き、社会を動かし経済を回し、その結果被災地の方も復興していけるようになる。
・日々、何らかの事件や、事故、天災、戦争、スキャンダル、イベントがあり中々、一つの震災に関するニュースや人々の関心を引くのは難しい。震災だけでも大きなのが阪神大震災、東北大震災、熊本地震。それ以外も多々ある。中々故郷を離れるのは難しいと思うが生活の再生が出来る都市部に移住し、再就職や生活の基盤をつくる事も必要かも。
・今回は能登でしたが被災したら誰であっても辛い記憶や傷が残るでしょう。能登の皆さんも熊本の皆さんも東日本大震災の被災者の事など直ぐに自分達の忙しい毎日で忘れたはずですから...。それが悪いとかそう言う事は有りません。だって誰も自分や家族が大切ですからそちらが優先になるはずです。でも記憶は忘れない様に伝えていき一人でも辛い思いをしない様に後世に残しましょう。
・忘れられているのでは無く、日常に溶けて行っているのだと思います。 厳しい言葉にはなりますが・・・ 「忘れられる」と「他力本願」で嘆くよりも進んでいる気がしなくても出来る事をやっていくしかありません。 今の政権は保身に必死であてになりませんし、東日本大震災で未だにタワマンに無料で住みつづけている様な恥知らずが居るとどうしても援助の手もゆるんでしまいます。 大切な事は復興は誰かの手では無く、その地域に住んでいる者みなでしていくしかありませんし、今までの災害でもそうやって立ち上がってきたと思います。 阪神淡路大震災被災経験者が思った事です。
・阪神大地震や3.11の東日本大震災。転勤族の自分は地元での経験はありませんが友人や知人、商取引でお世話になった方々など、数えきれません。
地元に残って商売続けてる方もいるし、見限って転出された方もいます。自分だって、今の日本は明日は我が身的に自然災害が発生してる。今は都会にいる自分ですが地元に残るって、生活基盤を築いてく、ゼロからの出発、相当な覚悟いる事と思うし葛藤があって当然だけど、地元に残るっていうのは、やっぱり自分が生まれ育ったとこへの愛着とそして感謝があるのだろうって感じます。
・大きな被害を受けた被災地ほど、なかなか手付かずになってしまう。被災された方々の気持ちを想像すると、胸が締め付けられる。 私もいつ同じ立場になるか分からない。 私は今も被災地の方々に想いを寄せて日々を過ごしています。 募金など協力できることを引き続きやっていきます。
・やっぱりさ、どうあっても、動ける人を早く入れられるようにして、復興の手伝いして!って大きな声で言った方がいいんじゃないかしら。 被災した人は、そこからずっとやっていくしかないから、忘れようもないんだけど、それでも日常的になってくると気持ちも落ちてくると思うけど、他の地域だと実際に被災したわけじゃないから、その時!なのよね。 気持ちが向いているのは。 能登は半島だし、またが限られたのもあるし、何もかんもない状態で受け入れなんて…というのも分かるけど、炊き出しとかのボランティアじゃなく、道を開けるためのボランティアを呼び掛けてもいいよね。 他地域の人たちを長くノせていく、というか。気持ちを保たせるように働きかけ続けるみたいな。 環境改善のボランティアしなごら地域の生活の復興にも徐々に移行していく感じ? そうする事で、人々の記憶を更新していく…
やっぱり、タイミングってえると思うんだよね。
・結局、待っていても変わらないので情報収集して行動するしか無いのでは。東日本の震災もそうですが、故郷に戻って来るつもりが、移転先の方が便利でそのまま移住された方が多い。安全安心を優先に考え、大きな揺れがまた来る事を想定して行動して欲しい。
・被災地から遠く離れていて、ここと縁もゆかりもない人だったら、どうしても遠い記憶になってしまうので、風化していくのは避けられないとは思います。 そんな人たちでも、毎年、地震が起きた日の報道特集やニュースに触れると、やっぱり思い返す人は多いですよね。 私は防災士になって、毎年度、教本を取り寄せているので、自分の中では風化する事はありません。 この能登地震も、令和6年度の防災士教本にはしっかり掲載されると思います。 私はまだ能登地震のボランティアには参加していませんが、近いうちには関わりたいと考えています。
・去年の夏に石川、能登にバイクでツーリングに行き、能登で一泊しました。能登の朝市が行われているすぐ近くに投宿し、勿論朝市にも行きました。
日本三大朝市にも数えられる程のあの熱気。そしてそこで働く人達の熱意と温かさ。
それを知っただけに、津波と火災でメチャクチャになってしまった朝市通りを見た時には本当に衝撃的で、言葉を失いました。
朝市通りは勿論、漁業も復活までに数年から十年かかるとの事。政府の肝入りで始まった“北陸割”も、輪島、能登の旅館や飲食店は未だ登録が一軒も無いとの事。それ程大きなダメージを受けたという事でしょう。
それでも何年先になるか?分からないが、彼の地が復興したならば必ずまた行きたいと思う。そしてもう一度あの“朝市の熱気”を体験したいですね。
・メディアは継続的に被災地の現状を伝え続ける義務があると思います。いつ誰の身に起こっても不思議は無いことなんですから、他人事では無い筈です。 でもメディアはお金になる人の話題を優先して、どこも同じような話題ばかり。こんなことでは災害大国での教訓も結局は個人の意識任せ。国もメディアももっと辛いことから目をそらすべきではないし、被災地にとって今必要なことを伝えるべきです。
・当たり前は当たり前ではないってことやね 東北を見てて思うけど復興って国も限界があると思う 結局は残る人間もしくは新たに来る人間が行動を起こすしか本当の復興になっていかないのかも 国や自治体がもっと背中を押すとすれば今は子供がいる世帯を流入させるシステム作りかな やっぱり子供が多い地域は必ず伸びる 公団を作ってみたり商業施設を誘致したり受け皿を作ることで復興の下支えをしてほしい
・忘れていく人は忘れていくし、思いをはせる人は思い続ける。 それでいいじゃないですか。 それが人の世と思えば、少しは気も楽になると思います。 能登はいいところですね、天気の良い日にのんびりと車を走らせた記憶が忘れられず、定年を迎え時間が出来たことで今年の春でも行こうと思っていました。 少し先になりますが、必ず行きますよ。
・自分も大震災の被災者ですが、結論から言えば頼れるのは自分しかありませんでした。何かを期待するのは間違っています。人生変わりますがそれもこの災害列島に住む宿命であると思います。被災者支援は現実的にボランティアではなく自分です。私は水道から崩壊用地など自分で再建しました。人に頼らず意地でも直す信念でした。それは先祖の努力に報いる気持ちでした。農家の長男の宿命です。何のために生きるのか信念のない都会人には理解できないでしょうね。いずれにしても自分で努力するしかないのです。
人に頼ることは拒絶しないが
・東日本大震災の時とは違い、今の日本はパーフェクト・ストーム状態にあります。 文明が滅びる条件が揃ってしまった、そんな日本ですから、どんなに支援しても被災者の不安を払拭することは困難でしょう。 若い人は良い未来を想像できない、そんな時に天変地異に遭遇すれば、誰でも得られたゆとり期間を失う、生きることの難問に向き合うことになれば、それは想像を超える不安に心がをおおいますよ。
・大変なのはわかります。 でも東日本で母と嫁や娘(私の妹と姪っ子) を津波で失い 能登の震災に支援で派遣された 消防の義兄から聞いた話し。 決して対岸の火事では 無い気持ちで熊本や能登に行ったが、 あれこれ食べたい飲みたいのや 今までの教訓がいかされてないだの 不平不満ばかり言われ 東日本の比ではないのに 時間の経過でこうも欲求が当たり前に ぶつけられるのかと悲しんでいた。 救助や復旧にきて空気にされるのが 当たり前なんだなと思った。
・人それぞれ、生き方も色々。忘れない人、何かのきっかけで、思い出す。 自分が経験するか、その現場を見ると、忘れることは無いと思う。 私は、淡路阪神大地震の、被害の中を歩き、見た光景が、今も、鮮明に残ってまして、日々の生活で見るマンションとかは、地震が来たらどうなるかとか、ふと考えてしまいます。忘れ去られていく、それは、政治も事件も同じ事。
・能登の人達は熊本地震に見舞われどん底まで落ちて今や空前の半導体景気に沸く熊本県を目標に頑張って欲しいです。 ロアッソ熊本が長期間試合不可能に追い込まれ復帰第一戦にくまモンが威風堂々と入場した時は鳥肌が立ちまくって興奮したのは忘れられないです。
・悲しいのは分かります。 でも、国は今は何もしてくれません。 地元に残るかどうかは個人の選択です。 私は東日本の被災者ですが、 知り合いは地元から沢山の人が離れて行きました。津波の来る場所に住むのは苦しい事です。でもそれは個人の選択でいて欲しいのです。 最早、自己責任でそこに住む選択しかないと思います。そこにいるのかいないのか。 また来ます津波も震災も。いつか。 とても遠い昔に、石に刻んだ 「ここより下に家を建てるな」 を無視したのだから仕方ないと今は思っています。過去の人の言うことを聞いてたら本当にたけさんの人が助かったのに。 もう、きっと国は助けてはくれないと思う。 海沿いに住むのはやめた方が良い。
・頼ってばかりだと前に進めません。 忘れ去られているわけでもないです。ただ、今の世の中が歪んでいるのだと思います。物価が上がるし賃金は低いまま、政治家は、自分の懐ばかりを気にして、しかし、外国へは、ばらまきばかり。 生活をしているだけでも税金はかかるし。 自分も東北震災を経験しましたが、頼れるのは自分。どうにかしないと!ということも必要になりますね。
・何でも苦しい胸の内を話して欲しい でも覚えていて欲しいのは、忘れる事は無いという事です… それは阪神淡路でも新潟でも奥尻でも熊本でも東日本でもどこでもそうだし、 一人一人違う被災だと思うし、 水害も、広島も千葉も栃木も でも、国や企業や大きな部分が動かないと生活再建は…出来ないと思います 地元を捨てると言ってしまうと進学する事も就職も狭まる…今、子育てしてたら直ぐにでも収入がなければと焦ってる人達だって居ると思います …難しいですよね
・現時点で以下のような問題点があるようです 1.政府が避難所を閉鎖しようとしている 2.仮説住宅はまだできていない 3.仕方なく半壊の家に戻ろうとすると住宅が大丈夫という審査になり仮説住宅に応募できない
なるべく被災者に予算を使わないという財務省の思惑なのかは知りませんが東海、東南海連動地震が起こっても今の政府に期待せずしっかり備えておくしかないかと‥
・ボラで何回か入っています、が、本当に復興の段階ではないです。まだがれきが山積み、その受け入れも整っていない。新幹線開通と観光シーズンで応援キャンペーンの為、能登半島でホテルの多い金沢市内のホテル価格が高騰してボラが泊まれない。奥能登は簡易でさえ宿泊設備が少なく、車中泊の人もたくさん。公務員が派遣されてどこか施設の一室を借りて寝泊まり、なんて事も出来ない。金沢から珠洲輪島方面まで早朝から出ても現地で作業時間が少なくなる、長期滞在の宿泊が出来ない。 水原通訳の事などどうでも良い。まだ復興の段階でさえない事をもっと行政マスコミは広げるべき。今回はニュースの収束が早過ぎる。異常。
・その地域に住んでいる人以外が忘れていくのは仕方のない事なのでは? 被災地の方だって今までの他の地域で起きた災害を何処か他人事って思っていたでしょう? 他の災害が起こった地域の方も同じように忘れられていくって感じてたと思いますよ。 そして一番怖いのは同じ被災地にいながらどんどん生活を再建していく人 再建できずに行き場をなくしていく人が出てくるこれからなのでは… 忘れられていく心配より取り残されていく方がよほど怖いと思います。
・人は忘れていく生き物です。 私自身、東日本大震災で被災し自宅は半壊になりましたが、今となっては日常で当時を思い出すことは、ほとんどありません。 それが現地から離れた何の被害もない方々なら、なおさら。 「風化させてはならない」なんてよく聞きますが、それはそう望む方々の間で共有していればよいだけだと思います。
・今回地震で能登半島は壊滅的な被害を受けたけど、 能登に大きな産業もなく、日本経済への影響が小さいのも事実。 住居者の高齢化もあり復興する意義が見出せず、 復興より街ごと移転の話しがでる。 正直、東日本の時と違って能登の復興は厳しいと思う。
・うん、どこの被災地も同じ葛藤を抱えながら頑張っていたってことだよね。 自分が被災者になって初めて忘れられていく悲壮感というかそんな感じを知ることが出来るんだと思う。 だからこそ自分も忘れずに次の被災地には心を寄せられるんだと思う。
・能登半島地震を忘れていくというなら新潟地震 北海道地震で津波が起き被災した人 東日本大震災の次の日に長野で起きた地震覚えている人も少ないです。新潟でエコノミック症候群が騒がれて 北海道で三角波などいい 長野で雪が溶けてから道路が陥没してた等が見つかったのを覚えている人は少ないはずです。
・いや残念ながら熊本の時もそうだった。 日本のメディアは基本首都圏中心だから 首都圏以外で起きた震災、災害は1か月程度で 全国メディアでは報じられなくなる。
数㎝の雪が首都圏に積もっただけの関東ローカルの ニュースが全国ニュースのトップになる。
能登のニュースが気になる方は 石川県の地元ローカルのニュースをチェックするしかないですね。 ただ復興は遠いものの奥能登でも徐々に飲食店が 営業を始めたり、直接被災されてる方はとてもそんなことを 思われてる余裕がないでしょうが徐々にではあるものの 復興への道を歩んでるのは確か。
・能登の被災された方々も、過去の災害を忘れているのでは?全て憶えている人が存在するのかな? 大事なことは、記憶の風化を憂うことより、自然災害の対処を発展させて行くことだと思う。それを伝えて行くことが教訓として後世に受け継がれる。
・福島の震災から復興税と言う名目の税金を徴収されていて、常に忘れてますん。 その後の使い道も詳しく分かりませんが、全国各地で大地震が続いて、忘れると言うより、次は我が身と考える事があるので、違う地域での出来事も以外と身近ではあります。
・忘れてはいけないでしょう!
しかし倒壊した家屋をそのままにして避難されているといつまでも復興は出来ずませんし、映像を見ると古い瓦屋根の家屋が目立つ、住民の年齢的に改築工事も出来ないのでしょうか? 関東や東海地区で同様の地震が発生したらこれ以上の被害、被害者が出ます。 国や自治体にすがらずに再建出来るように地震保険も入ってます。 大変でしょうが前に進むか自宅を放棄し別の地に移住する事も必要ですね。 とにかく瓦屋根は地震大国日本では危険です。
・こう言ってるご本人は、他の地域の災害を常に鮮明に覚えてますかね? 私は九州ですが、最近でもって九州北部豪雨とか、熊本地震とか。
どうせ覚えていないだろうし、覚えている必要も無いと思います。 辛いことがあっても、その後またやり直し、進んで行くのが人間の良さであり、生きる力だと思いますから。
そして復興に関しては、「支援」は全国から有るべきですが、「当事者」はそこの住民や自治体であるべきです。 それが出来ないのであれば、その地は遅かれ早かれ衰退し誰も住まない土地になります。 災害というのはその時間の進みを少し早めるだけです。
・阪神淡路震災経験した若かったので店舗自宅「の被害有ったが救助活動に参加した4日目に心が折れて活動が出来なくなった、非常に悲惨すぎた、能登半島はどうすれば元どうりになるのか、3割の人口は減るだろう、みんなの意識が薄くなって来ている。 誰も責任は無い。最終は住民の立ち上がる意気込みだ。阪神淡路震災現場は 今は殆どビル住居が出来わからない状態、でも人の気持ちは復元出来ない。 人口も減りつずけている。
・忘れていくことも大切だと思う 日本中の災害をいつも思い起こしていたら、それはそれで辛いし、きっと前には進めない 忘れることは大切な機能でもある だから 普段は忘れて、何かの折にそのことを思い出す それが出来たらいいな、と思う
・マスコミは発生後はニュースバリューがあるので取り上げるが、暫くしたら別のニュースに行く。政治家だって、パーティ券裏金でも分かるが、土木などには力を入れても、県民市民の生活には興味を示さないのは東日本を見ても分かる。 いつ復興できるか国も県も正確な情報を出さず、ダラダラと先延ばしをして、結局被災者にしわ寄せが来てしまう。 悔しく悲しい事だが、国や県に期待せず、ご自分で判断をされた方が良いと思う。
・復興の為努力している人達は能登に限らず他にも沢山いて、世界的にみたらほんの一部にすぎない、全てに協力出来る人達は数少ないでしょう、復興支援出来る所は人により限られていると私は思います、私は既に東北地方に出来る全てを支援してしまいましたが、その後、隣家が火災し自宅や購入したばかりの車も無くしたので自分の復興が必要となりました、能登の方にはすまない私には今は何も出来なくて
・仕方ないことだと思いますよ。どんな災害がどこで起きても薄れゆくものですよね。今の世の中は特に自分自身生きるだけでも精一杯の状況の人の方が多いと思うから…いつかは自分自身にも訪れることなのだと自覚して生きないといけないですね。
・同じことは他の震災や自然災害の被災者が感じてるだろね。 阪神淡路大震災から29年東日本大震災から13年など。 阪神淡路大震災の被災地はほぼ復旧したようだが、東日本大震災はまだまだだよな。 能登地震も復旧・復興まで長い年月がかかるのは致し方ないが、忘れるなといっても無理な話だ。 日本は自然災害の多い国だから不謹慎だが次の災害が控えてることは間違いない。 我々も募金くらいしかできないが年末までには「ふるさと納税」で少しでも手伝いたい。
・震災は、誰のせいでもありません。 だから復興するのも、自治体に全てを委ねてもなかなか進まないのも事実です。それでも自治体も国も国民も復興に尽力しています。
地元に残るご選択をなさるのは結構です。自由ですから、それは止められません。 ただ、支援が届きにくい場所で、指を咥えて待っているだけなら、何も前には進みません。食はもちろん、電気ガスなどのライフラインや医療、そのどれもが滞っている状態です。個人の力ではどうしようもないわけですから、結局は自治体や専門家に任せるしかないのです。その間不便な生活を強いられるのは、他でもない地元に残るご選択をなさったあなた方です。
そこで、一時的にでも被災地を離れるという選択もあるとは思います。震災で止まった人生が、悲観に暮れていた毎日が、動き出すと思います。
何がいいか選択をするのは自由ですが、それに見合った生活を送るのは仕方がないことだと思います。
・東日本大震災でも割と早い時点で忘れられたし同じ福島県人同士なのに避難者に対して心無い雑言を浴びせる事象が数多く有りました、世の中ってその様なものですよ、しかし必ず災害は自分達に降り掛かるんですよね、同じ日本人同士助け合えると良いですね。
・能登の災害は未だ忘れた人は一人も居ない。しかし当初と同じ様な支援の手を差し伸べるのが当然と誤解されるので有れば考え方は変える事になる。被災者の救済支援は今も政府や自治体から派遣された職員が行なって居る。復興には時間が必要な事は仕方が無い。
・批判覚悟で。 国民全員、自分の身や大切な人が天災で被災しない限り、それ以外の人にいつまでも忘れないでくれと逝っても無理だと思います。
だって、対岸の火事だから… この記者さんも遠く離れた県で酷いさいがいがあっても今と同じ気持ちで読者などに訴えかけたり、心痛な思いを抱くでしょうか。
大切なのはこれらを教訓にして、身の守り方を学ぶ方法を伝えて行くほうが良いのではないかと思います。
因みに私も神戸の被災者です。 いつまでも悲しみは引きずっていません。明日に向かって生きるしかないから。
・能登といえば 金箔 塗りものが有名 ということは 瓦礫の中にお宝があることは 誰でも察している 個人の財産を 密かに持ち出し 隠すには時間もかかるでしょう 黙って見過ごすか 行政執行の更地計画の中で 得られた利益は 国のものになります 即座に監視カメラの設置を優先させたのは その為でしょう
・いくら地震の規模が大きくても阪神大震災、東日本大震災と比べたら被災者数や経済への影響が少なすぎる。 被災者には気の毒だが、関係ない地域に住んでいて覚えてる人の方が稀有な存在。 被災した地元に残る人は、誰にも助けてもらえないという意識・覚悟をもって暮らさなきゃダメでしょうね。
・能登半島から逃れた人にとって、能登半島に残るか、能登半島から去るか、すなわち「ステイ・オア・アウェー」に対して明確に「ステイ」を取る選択はどう思われるか。この地震ほど住民に「ステイ・オア・アウェー」を認識させた例は少ない。若者世代は今後の生活を考えて「アウェー」を取る人が多かったが、ここに来て「ステイ」を取る人が増えたのはどんな意味か。輪島塗をはじめとした伝統工芸も地震で危機が加速している。犠牲者には他の地域から移住した人も多い。それだけに彼らの遺志を継ぐように地元にとどまる、つまり「ステイ」を取る人の選択も大きな意味を持つ。
・忘れるひとなんているのかな。 阪神淡路にしても東日本にしても、毎日想いを馳せるわけではないけれど、その日になればニュースでやっているし、現地で花を手向けるひともいる。 阪神淡路は私は子どもだったし、ニュースの記憶すらないけど、阪神淡路にしても東日本にしてもテレビで毎年流れる度、手を合わせている人や泣いている人を見て、今年もその日が来たのかと思うし、大切な人を亡くした人の傷は癒えないのだと感じる。 被災地の人以外からしたら、あぁあったよな、大変だったよな という感覚だけど、それが忘れるということなのか?それは違うんじゃないかと個人的には思うけど、それではいけないということなのだろうか。
・どうしても仕方がないですよね。関係ない人にしたら、やっぱりどうしても他人事。だからこそ、ある程度定期的に現状を報道して、まだまだ支援が必要なことを知ってもらう必要があるかと思います。
・阪神大震災の被災者です。 復興と言う面では復興したと思います。 しかし、あの下から突き上げて 誰かが家を揺らし続ける感覚は 忘れられませんし、もう一度来たら 耐えられない気もして怖いです。 67歳年金生活者ですが年金だけでは 苦しいので毎日アルバイトしてます。 金銭的にも肉体的にも応援は難しいですが 何とか早く復興して欲しいと願ってます。 すみません。
・地方復興はやはり財源の問題で時間がかかってしまい、それだけ多くの人の生活や生命に影響を及ぼしてしまう。 こんな時期ぐらいは政府はもっと強めに増税していいと思う。 確かに増税は痛いと思う人は多いかもしれないけど人の命には代えられない、こんな時こそ助け合いの精神で日本中の人達が力を合わせて応援していくしかないんだ。 ちゃんと説明さえすれば都民は住民税や所得税や消費税が一定期間1・5倍~2倍ぐらいになっても納得すると思うし、でも問題なのは今の政府にそれをするだけの手腕も信用も無いという事・・・ 岸田さんももうすこしがんばってくれたら・・・
・私は阪神大震災の被災者です。 もう、27年経ちます。年々、忘れられていってるなと思います。 メディアも東日本大震災のことはしてくれるけど、阪神大震災のことはしてくれなくなって、悔しかったです。震災は忘れられたくない災害だと思っています。
・正直、復興や再建は最終的には自己責任なんだと思う。どれだけ日々の生活の中から色んなことを我慢して災害に備えられるかどうかだと思うし、復興してまた自然災害が起きたらまたそこに巨費を投じる事が良いことなのか?その答えは被災地域の方だけが倫理的に答えることが出来るのだと思う。国は復興資金をある程度無制限に貸与する形にして、復興後返済して貰うようにすべきだと思う。お金が貰えるのではなくて将来的に返済義務が生じるならば無駄な物にお金を使うことも無いだろうし、悪徳な業者もでない筈だ。
・誤解を恐れずに言うと、なんでも忘れられて行くか、薄れて行くもの。見内が亡くなった悲しさも時が薄れさせてくれます。 忘れることが必ずしも悪ではない。 ただ、災害があった事実に基づいて、対策は忘れてはならない。
・いつかは立ち直らなければいけないでしょうけど、311や今年の災害は忘れてはいけないことですね! まさかまた津波で似たような災害が起こり、いまだ行方不明なひともまだいらっしゃりますし。 どういう言葉にしたらよいか解りませんが被災された方々に改めてお見舞い申し上げます。そして復興がまにあってないとこは、早く復興されることを祈ってます!
・今回の地震はいつもと違うからな。 地盤が激しく隆起、沈下したからな。 地盤が大きく変化すれば、埋まっているライフラインは簡単に復旧できないのが明らかになったし。 以前と同じように復旧しても、また地盤が大きく隆起、沈下すれば同じこと。 どのように地域を復旧させれば良いか悩むよな。
・こういう記事の書き方が良くないと思います。誰も忘れていないし、復興はそんな簡単に進むものでもありません。区画整理などを行うにしても、すべての地権者がすぐ合意してくれるわけではなく、お互いの想いを積み上げていって初めて進められるものです。
・逆に、どうなんだろう。
奥能登に在住する人達は、東日本大震災の時の記憶、13年が経過した、今現在2024年、鮮明な記憶と、震災天災への備えと教訓って、覚えてるのかな?
今から13年前の、東日本大震災の事なんかより、今年2024年の能登半島地震の事の方が、能登半島地震該当地域の人が、全てに優先される事。
コレが、過去の記憶・教訓から学んだはずの備えを、忘れさせる風化に繋がる事なんだと思うよ。
どっちにしても、みんな他人同士だし、こういう時こそ、表向きな「みんなで頑張ろう」みたいな綺麗事が出てきて、実際のガチな本音「自分さえ良ければ他人なんかどうでも良い」とは隠蔽されるモノ。
コレ、東日本大震災で学んだ、ガチな事実であり、ガチな真実だから。
能登半島地震に該当する地域の皆さん、自分ファースト・身内ファーストで乗り切らないとね。
【所詮は他人=東日本大震災】
コレが真な本音だよ。
・こちら、ひがし茶屋街や兼六園のある金沢市には観光客が戻ってきましたが、能登の関係者の方々が宿泊施設を利用する為にホテルは満室で料金も跳ね上がってしまい、観光客の方々も安心して予定を組めない状況は続いています。 観光業があってこそ石川県の活力にはなっていますので、そろそろ観光客を優先にした体制を整えてゴールデンウィークまでには観光客の方々だけが利用できる環境であってほしいですよね。 今は桜の季節ですので外国人を含めて観光客は多くなってきました。 兼六園の桜は来週には開花します。
・新潟県中越地震も 熊本地震も 能登地方の方々は忘れていたでしょう。 地元以外の人は忘れます。 だが、忘れるから観光客が復興した街や朝市や温泉地に来る。 いつまでも覚えていたら、地震がいつ来るか分からないから能登半島に行くのは止めようなんて思われますよ。
・こう言う記事は毎回震災後に出ますね。当事者は急に被災者になって辛い状況になるけど、関係ない地域では普通に日常が進んでいく。今回の被災者も世間から忘れさられていくって想いがあるかもしれないが、この人達も関係無い地域の自然災害をいつまで覚えてますかって考えたら自然の流れで忘れて次に進まないといけないんでしょうね。
・数週間前被災地ボランティアで東京から参加しました。当日は七尾市のテント村が開設初日で一番ボランティアが参加したそうです。しかしメディアは地元の北陸放送と新聞のみ。中央のマスメディアは全く来てなかったです。連日のように某有名野球選手の話題をどこのチャンネルもやってるなら5分だけでも被災地の現状を伝えてはいかがでしょうか。そのために全国に支局があるはずですが。
・かと言って、「こんなに悲惨です」「可哀想です」なんて話を延々と聞かされるのは、日本国民は東日本大震災とコロナ禍で疲れてしまって、無論、能登の方達を気の毒には思っているが、ただでさえ給料も上がらず楽しい話しも無いので、内心は「大谷さんと奥さんとデコピン」みたいな楽しい記事しか見たく無いんだと思います。なので、岸田政権は万博や再エネなんかに注力しないで、能登の被災地を手厚く保護して頂きたいです。
・早く国が公共事業をスタートして欲しいです。多分、それしかない。 漁港の整備、道路の整備、橋の整備、その他公共施設の整備、たくさんあると思う。 万が一、これから人が減るにしても、壊れたものを直すくらいしなければならないのでは。 これは個人ではできない。
・自分で選んだ道なのだから、周りは同情する必要ないよね。 「がんばれ!」というエールは贈りたいけど、お金の支援は無理かなぁ。 「復興」という言葉を使わずに、その土地を開発するメリットを、しっかりと説いてほしい。
・東北の人間の一人として「忘れてないですよ」と伝えたい これからが大変なことを知ってますから 大変だけど前向いて歩き出せば想定外のところから声がかかって少しずつ道が開ける 自分を信じて前向いて歩き出しましょう
・自治体は、地震の前に、古い水道を代えたり、震災がきても対応ができるようにしてなかったのがいけないかな。東北の震災を見れば、できることはするべきだったかな。自治体によって、震災後に対応が違うのが、やっぱり自治体の責任は大きいかな。
・能登に住まいを持ってます。今朝のサンデーモーニング、3月いっぱいで辞める関口さんの今までをまとめた部分で、東北の震災は出たのに、能登震災はまさかのスルー。ちょっとショックでした。半島の震災は小さな出来事なんかなあ?悲しい気持ちの日曜日でした。
・地震直後は「絶対に忘れない」と被災地以外でも言う。 しかし認めないだろうがいくつもの震災を見てきて確実に「人は忘れる」。 それを言うとヒステリックに反応する人でも数年後には「いつまで言ってるの」となるのを幾度も見て来た。 悲しいかな地震の被災地でもその体験した世代から世代交代するとTV地方局でも語られず、それどころか地元の学校でも教えられなくなる。 もっとショックなのは名称すら変えられる。 当時「日本沈没」とまで外伝が伝え、食券が誕生するキッカケになった丹後地方を襲った「丹後大震災」と言う地震がおよそ百年前にあった。 しかし地元以外では今では「北丹後地震」となってしまっている。 日付は3月7日。それもあって地域放送局ですら3.11の東北の震災は伝えるがこの戦前の大災害を伝えない。 認めないだろうが過去を葬るのが現実だ。 「オマエ何書いてるの?」と言われるかもだが悲しい現実だから書きました。
・人としてどうかと思うことを言いますが、私は阪神淡路大震災での被災者です。 もちろんニュースなどでこの日は震災の…と報道されますが遠い昔の話です。
幸いなことに家族を失うことはありませんでしたが、友を失いました。 当時は大変でしたし、思い出したくもありません。 が、実際被害を受けたもの以外だけでなく、震災の被害を受けた側も風化するものです。 地震を甘く見てはいけないという気持ちはあります。そういうことではなく、日々生きていかなくてはならないので立ち止まっていたら今を生きていけないから。
ハッキリいって今となっては報道も黙祷も私はいらないと思っている。阪神淡路大震災以外にも大きな地震はあり、能登を含めこれからも起きていくのだからその度に次起こったときにその時より亡くなる方が減る、少しでも早く復帰できる様になる方向になればそれでいい。
・来るな来るなと言われたためにボランティアもまだほぼ来てない、危なくて中に入れない、街全部壊れて住みびとが居ないからボランティアする場所に主が居ない、住人建物壊れたまま、今後の見通しも立たない、その状況のまま報道もされなくなった3ヶ月目。このまま誰も来なくなるかもしれない。だから忘れられると困るんだと思います。
・今回、不運にもこの災害に遭った方々につきましては心底察しますし、僅かながらでも応援の手を差し伸べる事には参加したいのはやぶさかで無いです。が、 日本の地にて、おしなべてこれらの可能性の上に毎日を過ごしているのはみんな同じ、……明日は我が身なんです。 いつまでも忘れられたくない、いつまでも覚えていてほしい・・ばかりは言ってられないのです。 その意味ではいつまでも一つの事象についてだけいつまでも語っていられないのです。 今回は能登震災でしたが明日は首都圏かもしれません。・・いつまで立ち止まっているのは止めましょうや・。
日本人皆、同じなんです。何時までも言って無くとも・。
・保障できんけど少なくとも今後100年安全かもしれない
東京は関東大震災から100年安全だった (現在は再び危険が迫っている)
東北だって10年以上 大津波きてないし
神戸も30年大地震がきてない
あくまでも目安でヒントになるし 過去に大地震が終わって年数が経過してるところは警戒ですね
・阪神の117 東北の311 アメリカのテロの911 と違って能登の元旦はメディアで特殊しにくい日です。 来年は何かしらテレビなりでやるだろうが、正月のめでたい雰囲気の日に特別番組が何年も放送される事はないだろう。 他の震災よりも忘れ去られるのが早そう。
一番起きてはいけない日に災害が起きた。
・家族が石川県で研修があったので話を聞くと、能登地方のある集落が金沢市のことを大嫌いで、短期的に金沢市に避難しようとすると「俺達の村を捨てやがるのか?」と脅された例があると聞かされたと言ってました。
伝聞のまた伝聞に過ぎない話ではありますが、仮にそれが本当だとしたら、能登地方の方々を応援できません。
・なんとも微妙な話ですねぇ。 私は岩手ですが、『あの日』を忘れはしませんが、日常生活で震災の事をいちいち思い出す事はありません。 ありませんし、教訓として引き継いでいければ良いのかなと思います。 かえって他県の人からいちいち震災を持ち出される事の方が面倒です。 能登の方々も、きっとそうなると思います。 人間、過去だけを引きずって生きてはいけませんし、そうなってはいけませんから。 ただこれだけはハッキリと言えると思っているのですが、『震災』を忘れてしまった日本人は一人も居ないと思います。 だから『取り残された』訳ではありませんよ。 みんな、乗り越えようとしているのだと思いますし、日常会話に出てこなくなるような状態にしてゆくべきです。 そうならなければ、辛すぎて生きていくのも大変です。 前を向いて進みましょう!
・あの東日本大震災ですら、関西や四国の方にしてみればテレビのなかの出来事。逆に阪神淡路や熊本地震は北海道のひとには記憶に残ってないと聞いた。 災害は被災した関係者にしか残らない辛い思いなのも仕方ない事実。
・なんだかんだ言ってもやっぱり当事者でやっていくしかないし それが当たり前だと思う。 他所の人は口では応援とか頑張ってとか言うけど 日にちが経てばそれぞれの生活が有るからいつまでもそんなことにかまけていられない。 それが普通だしそれでいいと思う。 結局は自分たちで考え 自分たちでやってゆくしかない。 幸い 今は行政から手厚い援護、補助を受けられる。 立ち直るのも昔ほど苦通ではない。
・被災地はまだたいへんだと思うが、現地の石川県や富山県が北陸新幹線延伸に絡めて観光のお祭り騒ぎしてるのだから他地域の人に緊迫感を持ち続けさせるのは無理じゃないかな? 観光業の経済的支援は大切なのは理解できるが震災前から過疎や高齢化が深刻だった能登半島との分断は進むと思う
・そりゃそう。 自分だって、阪神淡路震災だの東日本震災だの、大阪や北海道や九州の地震だの忘れてたし、今まで全てを熱心に助けようとし続けた訳でもなく、数ヶ月もすれば台風や大雨や豪雪等の新たな災害がニュースになってた通り。 だから、直後は感情的に助けようと思った様に直後は寄付があったり遠方からボランティアがきてくれたり一応の住居やライフライン程度は無理矢理何とかしてくれても、それ以上はなかなか復興しない。ましてや個人の家の修理なんか、不動産は資産だから、保険金以外アテにならない。
それでも、家の再建が大変で知り合いが誰もいなくても住みたい人はどうぞだけど、遠方に行った人を逃げたとか裏切り者みたいに言って欲しくないね。変わる勇気もなく、合理的さより執着が強いだけ。
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