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シャツに「無実」や虹色の靴下、裁判傍聴で服装制限も…裁判所側「法廷の秩序維持」

読売新聞オンライン 3/31(日) 15:01 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/a09ce42a0e1f2f8b424f00616d6ad4729f4ee593

 

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裁判を傍聴する際の服装について、衣服や服飾品によっては裁判所から制限や拒否される可能性があることが議論されています。

例えば、冤罪事件の当事者を支援する団体名がプリントされたTシャツを着用した際に、裁判所から注意を受けたケースや、虹色の服飾品の着用が制限されたり問題になったりするケースが挙げられています。

裁判所側は公平・中立な裁判を進めるためとして対応している一方で、当事者や傍聴人の表現の自由も重要であり、制限の必要性について説明を求める声もあります。

(要約)

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 裁判を傍聴する時、どんな格好をしていくか。普段はあまり意識することのなさそうな事柄だが、衣服や服飾品によっては裁判所から着用を制限されたり、傍聴を拒まれたりするおそれがある。裁判を公平・中立に進めるためだとされるものの、実際に制限を受けた当事者らからは「過剰な対応だ」と批判的な声も上がる。(板倉拓也) 

 

(写真:読売新聞) 

 

 「プリントされていたのは団体名で、内容も『無実の人間は罰しない』という誰もが同意できるもの。裁判所は過敏になりすぎだ」 

 

 入院患者への殺人罪で服役後、再審無罪が確定した元看護助手の西山美香さん(44)が冤罪(えんざい)の責任を問うため国と滋賀県に損害賠償を求めた訴訟で、西山さんの弁護団長を務める元裁判官の井戸謙一弁護士(滋賀弁護士会)はそう振り返る。 

 

 弁護団のもとに大津地裁から電話があったのは昨年6月下旬。書記官から「政治的なメッセージのあるTシャツを着るのはやめてほしい」と伝えられたという。 

 

 電話の前日には訴訟の口頭弁論が行われており、地裁側が問題視したのは西山さんの着ていたTシャツのプリントだった。冤罪事件の当事者を支援する団体「イノセンス・プロジェクト・ジャパン」(京都)の名称が英語で記されていた。 

 

 地裁側は、法廷の秩序を維持するための法廷警察権や、はちまきなどの着用を禁じた庁舎管理規定を根拠に対応を求めた。弁護団によると、応じない場合は「原告の出廷を断ることも検討する」と説明されたという。 

 

 弁護団は同7月、「着用制限は『表現の自由』の侵害にあたり、不当だ」とする意見書を提出したが、地裁側から「考えは変わらない」との連絡があった。同9月の口頭弁論で西山さんは別の衣服を着用し、弁護団は改めて口頭で抗議した。 

 

 法廷警察権は学生運動が過激化した1960年代、シュプレヒコールを上げた傍聴人らに対し、裁判所側が退廷を命じる際などに利用されてきた。近年、こうした場面は少なくなっているが、身に着けていた服飾品を巡り、「法廷闘争」に発展したケースもある。 

 

 

 2015年に大阪地裁堺支部に起こされた訴訟では、拉致被害者の救出を求める「ブルーリボン」のバッジの法廷での着用が問題になった。この訴訟は、職場で民族差別の内容を含む文書を配られたとして在日韓国人の従業員が賠償を求めたもので、被告となった会社代表らが裁判長にバッジの着用を禁じられた。 

 

 代表らは「不当な差別だ」として国に賠償を求める訴訟を大阪地裁に起こしたが、昨年5月の地裁判決は「着用を許せば、訴訟の進行に支障が出たり、裁判所の中立性に懸念を抱かれたりする可能性があった」として請求を棄却。今年1月の大阪高裁判決も裁判所側の違法性を否定したため、代表らは上告している。 

 

 裁判所側の対応は当事者や証人を法廷で萎縮(いしゅく)させることなく、公平・中立に訴訟を進めるためとされるが、あるベテラン裁判官は「どこまで許容するか、線引きは難しい。現場では悩みながら対応している」と吐露する。 

 

 同じ論点が争われる訴訟でも、裁判所側の対応に差が生じるケースもある。 

 

 同性婚を認めない民法などの規定は違憲だとして、同性カップルらが全国各地で起こした訴訟。弁護団などによると、福岡地裁では多様性を象徴する虹色の服飾品の着用が制限され、名古屋地裁でも事前に政治的主張のあるものは持ち込まないよう要請された。一方、札幌地・高裁では傍聴人が身に着けていた虹色のバッジが問題になることはなかったという。 

 

 福岡地裁で昨年6月に言い渡された判決の際、靴下を折り曲げ、虹色の柄が見えないようにして傍聴したという明治大の鈴木賢教授は「靴下の柄まで制限するのはやり過ぎだ。傍聴したい人が傍聴できなくなりかねない」と語る。 

 

 早稲田大の笹田栄司教授(憲法)は「法廷は真摯(しんし)な議論で真理を追究する場で、中立性を重んじる裁判所側の姿勢は理解できる」と指摘。その上で「当事者や傍聴人の『表現の自由』も軽視できず、裁判所側はなぜ制限が必要かを丁寧に説明するべきだ」と話している。 

 

 ◆法廷警察権=裁判所法に基づき、裁判長らに与えられている権限。職務の執行を妨げたり、不当な行為をしたりする人に対し、退廷のほか、法廷の秩序維持に必要な事項を命じることができる。警察官の派遣を求めることも可能。命令に違反して職務の執行を妨げた場合、1年以下の懲役や禁錮、または1000円以下の罰金が科される。 

 

 

( 154957 )  2024/03/31 22:32:29  
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(まとめ)日本の裁判所における傍聴者の服装や表現に関する議論には、以下のような論点があります。

 

 

1. 裁判所は公平性や中立性を維持するために、傍聴人の服装に制限を設けるべきだという意見。

 

2. 傍聴人が主張や政治的メッセージを服装で表現することは、公正な裁判に影響を与える可能性があるという考え。

 

3. 表現の自由は重要だが、裁判所の場では表現を控えるべきで、司法運営のために服装の制限は適切とする意見。

 

4. 裁判傍聴での服装規制は、法廷の厳粛さと公正性を保つために必要であると考える立場。

 

5. 裁判所内では特定の主張やメッセージを持つ服装は問題とし、裁判の公平性を守るために服装の制限が必要だとの指摘。

 

6. 裁判所は傍聴人の服装や行動を管理し、裁判の公平性を守るために異議がある場合は制限を設けるべきとする意見。

 

 

裁判所による服装の制限や規制は、公平性や法廷の環境を保つために一定の必要性があるとの意見が多く見られました。

表現の自由と法廷の秩序や公平性とのバランスが重要視されています。

( 154959 )  2024/03/31 22:32:29  
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・表現の自由を制限するなと言うけれども、なぜわざわざ法廷の場にまで政治的その他何かしらの意味があるメッセージを込めたものを着用していく必要があるのか? 

裁判官は自分自身の思想信条すら脇に置いて、完全に不偏不党の立場で判決を出さなければならないという厳しい職業観を持った人でないと務まらない。その厳しい自己統制に対して心理的な圧迫を加えて、自分たちにとって有利な判決を勝ち取ろうというのはあさましい考え方だと思う。 

 

 

・「公共の場における個人の自由」というせめぎ合いはあると思いますが、裁判というのは一般に言う「公共」の概念よりも厳粛であることは多くの方が異論無いかと思います。「ロゴや文字が入っているよりは、無地がよいのではないか」「派手色よりは地味にしておこう」など、こうした優先順位の意識が働くことが「社会性」だと思います。 

 

 

・裁判の傍聴てのは、本来的には法令上の人権の一つなわけやけど、ハコの物理的制限があるから、定員を上回る傍聴希望がある場合は、傍聴権が制限されるわけやんな。 

そこにおいて、〈傍聴者に相応しいコードなるものが義務となりうるか?〉てのはこれ、ナンセンスそのものやと思うねんけどなぁ。 

ま、そもそもハコの物理的制限に由来する傍聴権の制限なんやから、ライブ配信したら全て解決すると思うけども。 

 

 

・裁判所として当然の対応。 

無実の主張が出来るのは裁判席にいる被告とその弁護士だけであり、傍聴席にはその権利は無い。傍聴席はあくまで「傍聴」出来るだけ。勝手な拡大解釈は駄目。最近は権利やら平等やら自由やら、兎に角大声で叫べば何でも通るみたいに考えている者がいるが、裁判所は法の秩序を維持する事を、最大の使命としている。 

 

 

・傍聴者はスーツ着用でいいよ。 

なぜなら、有罪判決があらかじめ決まっている場合、傍聴席には数名スーツ着用した検察庁の職員が身柄をその場で移送する為に傍聴席に座ってるから。 

判決前に傍聴席の人で既に判決がわかる 

 

 

・服に文字が書いてあったり、地域や団体や意味があるのマークや柄が入ってたら、一律にダメてよい。 

 

例えば人が亡くなった事件ついて、ドクロ柄とか着て来られたら嫌だ。 

しかし、仮に昔のマラソン大会のT シャツとか着てきたら、一見して関係なさそうだけど、あえて今そんな服にする意味があるのか、地味に気になる。 

 

 

・確かに表現の自由は大事です。否定はしません。しかし裁判の傍聴者は「空気」のような存在になるべきではないでしょうか。いろんな思いはあるでしょうがそれを傍聴者が表現すべきではないと思います。その意味で服装や身だしなみも大切なことだと思います。 

 

 

・裁判の傍聴には、事案に関わるような物品の持込ならびに衣服は持込むべきではないと考えます。事が血の通わない「法」を明確化している「六法全書」に基ずいて人が人を裁くのです、現在は全く法律には無知な審判員制度も有ります、そのような場に、傍聴人が事案に関わる物品や雰囲気醸成を作りだす様な一切の行為は禁止されるべきであると考えます。 

 

 

・服装とは少し違いますが、自分が裁判の傍聴に行った際は金属探知機による検査がありました。 

自分が通ったときにブザーが鳴り、刃物などは持っていなかったため自分も困惑しましたが、ベルトの金具部分が反応したようでした。 

 

この金属検査は仙台地裁で2017年に起こった切りつけ事件を受けて導入されたようです。 

法廷の秩序を維持するためには、服装以外でも様々な検査や規制が必要で、秩序を維持するために働かれている裁判所の職員の方々には頭が下がります。 

 

余談ですが、自分が裁判を傍聴したときに気になったこととしては、裁判の始めと終わりに検察官や弁護人らは起立して礼をしますが、これを傍聴人もすべきなのかという事です。 

別にやりたくないとかそういう訳ではないですが、自分が傍聴したときは記者席の記者は起立していたものの、他の傍聴人は起立していなかったので、どうするべきか気になりました。 

 

 

・裁判所の傍聴席は傍聴人の考えを表現しに行くところではない。傍聴人はあくまで裁判を傍聴するのみであり、原告、被告(検察側、弁護側)どちらかに肩入れするためにその場にいるのではなく、それをすること許されない。従って、その裁判で争っている当事者のいずれかに肩入れしている、もしくはそれを連想させるものの持込を制限することには合理性がある。 

 

 

 

・”表現の自由”を声高に主張し時には暴力的な言葉を発したりし便利な言葉扱いしてる方々のせいで”多様性”や”多角的”、”人道的観点から”と同じ様に『音場の重み』無くなり嘘臭く、信用出来ない言葉になりつつありますねぇ。 

”表現の自由”などを軽んじる訳では無く倫理観や良心に良識などを考慮するべきだと考えます。 

そういう事を主張して良い場なのかどうかそういう事を考慮する事も大事だと思いますね。 

 

 

・裁判の傍聴は裁判官や裁判員に影響を与えてはならないのだと思う。 

主義主張をプリントした Tシャツやその他衣類を着用しようとするのは、明らかに裁判官や裁判員に影響を与えようとして いる。 

法廷外であれば問題ない行為でも法定内では一定程度制限されるのは合理的だと思う。 

 

 

・法廷という場で政治的、または思想的な表現が必要なのか。 

そもそも傍聴する立場でそんな主張をする必要があるのか。 

 

事実に基づいた公平な判断をするのが裁判で、そこでどのような立場であっても自分の主張をファッションという形で伝える必要性を感じない。 

理性を持った言葉で伝えるべきだと思う。 

 

 

・裁判官や検察官、弁護士はプロだからいいとしても、当事者や証言者、裁判員は一般人だから、威圧的な雰囲気に萎縮してしまうケースもあるはず。 

だから、法定で政治的メッセージの発信、もしくは威圧的な雰囲気づくりを意図した服装に一定の制約を設けるのは妥当といえる。 

法定では、表現の自由よりも、事実・真実の開示が優先される。 

 

 

・線引きは困難ではない。冠婚葬祭での服装にも、常識の範疇ではあるがドレスコードはある。服装が自由であるからと、なんでも良い事にはならない。まして裁判のような極めて厳粛で公的な意味を持つ事業について,ドレスコードがない方が、どうかしている。勿論,違反している傍聴者は入廷拒否をすべきだ。最低でも特定の団体や主張を意味する服装は全面禁止で良いと感じる。 

 

 

・例えば被告が罪を軽くしたい為だけに反省もしてないのにスーツに坊主で見た目で表現するのも自由と言えるのか?一般人の裁判員の心象を良くしたいというのも表現の自由なんだろうか? 

むしろ法廷ではノーカラーであるべきとも思えるが。 

いっそのこと法廷での衣服は決めてしまうのもありなのかも。少なくとも直接の関係者である原告と被告の衣服は一緒にして裁判所側で用意する衣装(例えばイメージのつきにくいオレンジと青の2色のトレーナーとズボンのような)着用とすればイメージに左右されずに済むとも思うが。 

傍聴側にも法廷を侮辱しない、透明性の確保という意味でも着る服を決める用意するのもありかもしれないとも思うが。 

 

 

・裁判所に限らず多くの公的な場で何某かを議論し決める時の 

装い「服装」ってあると思います。 

記事では裁判の傍聴側にメッセージ性の強い服装を問題としているが、 

プラカードや垂れ幕を掲げる様な事は妨害行為となるだろうが、 

「無地のシャツが無罪である」その様な裁判所側の取り方が、 

仮に正しいとしてもその程度で裁判の進行が妨げられ、 

判断に迷う様な裁判官の方が精神的に問題だと思います。 

裁判所の判決は時として世間が首を捻る事でも、 

「人権」「権利」と言って多数の権利よりも少数の人権を優先する、 

しかし記事は当の裁判所は表現の自由よりも、 

職場環境を優先するって事は人権や権利に矛盾している。 

また傍聴人に問題がある際に裁判官の判断で退廷を命じれる権限もある 

それだけの権利と権力を付与されて「些細」な事で、 

判決に影響する様では「裁判官など辞めちまえ!」って思います。 

 

 

・表現の自由というが法廷はライブハウスではない。傍聴者の表現の自由というのもおかしい。法廷は審理のための神聖な場所であるから当事者はもちろん傍聴者にはそれなりのドレスコードがあってしかるべきだと思う。 

そのドレスコードは裁判所が決め、裁判所から求められるものではなく、裁判を傍聴することの真摯な気持ちが表れるものであるべきだ。 

結局は法廷をどのような場と考えて傍聴席に座るのかというのが問われる問題でもある。それがドレスコードとして体現されるのが望ましい。 

しかし、法廷警察権の発動として服飾を理由にしての退廷等の命令、即ち傍聴の制限は厳格に運用されなければ裁判の公開の原則から外れることになる。 

 

 

・遺影持参に関しても裁判所の判断はまちまちですね。 

当事者席や証言台、裁判員裁判での遺影持ち込みは今でもNGですが、 

傍聴席への遺影の持ち込みは緩和されつつありますね。但し持ち込む場合でも 

・傍聴席では最前列真ん中ではなく被告人の目に触れない端や後方に着席。 

・開廷までは遺影を風呂敷で包むなどし、表に出さない。 

・開廷後は正面から見えないように膝の上で上向きにしておくか、 

 立てる場合でも高く掲げるなどして被告人に示してはならない。 

等の条件が付く場合もあるとの事。公平公正な判断の妨げにならない様。 

それだけ柵の向こう側は厳格と言う事でしょう。 

 

昔は額縁を傍聴席のいすに叩きつけガラスを割って散乱させた例があり、 

凶器と成り得るとの理由から傍聴席への持ち込みすら厳しい時代が… 

 

池袋暴走事故では被害者参加席が足らず傍聴席の一角に設けた当事者席への 

遺影持ち込みも拒否され物議を醸しました。 

 

 

・別に傍聴席であれば原告や被告が頻繁に見れるわけでもないし、中継されるわけでもない。 

シュプレッヒコール等明らかに裁判の進行を妨害する行為があるのであれば問題だが、そのような行為者は実際に行使に出たときに排除すれば良い。 

大枠としてのドレスコードを否定するものではないが、過剰な反応や行き過ぎた反応は逆に不要なトラブルを招くと思う。 

 

 

 

・正直なところ法廷での傍聴人の服装についての表現の自由はそこまで重視されるべきと思わないですね。裁判所はあらゆる思想に関連しそうな表現を排除してるのである意味平等かなと思います。傍聴できない事態は避けるべきだなとは思う。 

 

 

・主観的な判断になるので、すべて裁判長の判断に任されている。 

 

だから、裁判長がダメと言ったらダメ。 

 

裁判長がダメと言えない服装をするべき。 

 

ただ傍聴するだけで、他に何の目的が無いならば、その条件は容易にクリア可能なはず。 

 

 

・厳粛な裁判の場ですからそれなりに、裁判官の服装も厳粛を極めていますからそれ相応にという事がるのかもしれませんが、政府の意向とか、お上の都合でどうにでもなるような裁判が行われているとすれば、どうなのでしょうかという事まあ有りそうではありませんか。 

本当に公正な裁判がなされるべきと思います。安倍元政権の時はそういう不誠実なことが多い時代でしたように報道もされていましたから、そういうことは二度とないようにしていただきたいものです。 

黒が白になったり白が黒に政権の都合でなったりすることの無いように是非とも裁判だけは公正でだれが見聞きしても納得できるようであって貰いたいものです。それでなければ何を信じればいいのかという事になって来やしませんか。 

 

 

・傍聴人は裁判を聞きに来るのが目的。 

仮に、裁判中に怒鳴ったりすればつまみ出される。 

つまり、聴覚にて妨害することは禁止ということ。 

ゆえに、視覚で妨害することも禁止だと思う。 

 

いちいちこの場合はみたいな取り決めはいたちごっこになるので、裁判長が判断して不適格な人は貫頭衣みたいなものを服の上からかぶせて、傍聴させれば良いと思う。 

 

 

・メッセージ性の高い衣服や装飾品を身に付けることによって裁判官を牽制しているんだろうが、そういう行動は少なからず裁判の判決に影響すると思う。 

事件を起こした被告人が裁判では身なりを整えて出廷することにも通じる。 

傍聴する人は応援のつもりで着てくるんかも知れないが結果逆効果になっているんだと思う。 

裁判官は口では裁判は公平で影響はされないと言いながら微妙に判決に手心加えれば(口には出しませんよ)そういうことしなくなるんじゃないか? 

 

更には退官した裁判官とかが身元は伏せた状態でそういうことはありますって言えば効果てきめんです。 

 

あくまで噂で良いんですよ。 

 

 

・表現の自由と人前で何を着てもいいという事は別問題。人騒がせな着衣は真摯な態度ではない。裁判の場で真面目に審理を行いたいのなら相手にも不快な態度を取ってはならない。何故人が服を着てその場に相応しい装いをしようとするのかを真面目に考えなさい。制服なしで服装は自由という学校で生徒が水着で出席したらそれも表現の自由ということで容認するのですか。 

 

 

・刑事事件の裁判員裁判なら、法廷に慣れていない裁判員だと心理的な圧迫とかを受ける可能性があるが、民事訴訟のように職業裁判官だけの裁判であれば、「公平・中立」に影響はないのではないか? 

 

刑事事件であったような、被告人の「俺が出るまで待ってろよ」とか「あんた生涯、このこと後悔するよ」などのような暴言についてはなにもおとがめがない。 

つまり、裁判所は「そんな脅しは意味ないよ。そんなことで判決は変わらないよ。」と言っているわけだ。 

 

このような脅迫まがいの暴言ですら「公平・中立に影響しないよ」といった毅然とした態度を取りながら、本件のような「静かな主張」は「公平・中立に影響がある」というのは、なんかちょっと変だなあ。 

 

 

・ただ傍聴するだけの人に服装の制限をする必要はないと思う。裸じゃあるまいし。傍聴人の服装が公平性を害する?色は?肌の露出は?服装の制限は全く論理的でなく理解できない。「法廷の秩序維持」とは何ら関係のあることではない。裁判所は国の公共の場所ではないのか。こんなことをやっていたら国の施設、ひいては全ての公共施設で服装の制限が行われることになる。 

 

 

・裁判の当事者が委縮するとか何とかというのは腑に落ちない部分もありますが、本音は『政治的プロパガンダは持ち込むな』ということではないでしょうか。 

冤罪被害者支援団体も同性婚の支援団体も、世の中を変えようということで、将来的に法改正を目指すものなので、政治活動と言えます。 

 

 

・法廷は管理者たる、裁判長、裁判所のもとにある。公平、中立を保つ施策はその裁量の中にある。傍聴は裁判の公平、中立を犯さない範囲で認められる。 

裁判は争いだから其の主張は法定の当事者によってなされる。傍聴人は裁判に影響を与える服装をあえてすることは制限される。合理的制約だ。 

 

 

 

・英国中世で誕生した法曹院のように身分、身なりを厳格にしたい思惑もあるのでしょう。学校の校則でも書かれている服装規制も同じです。法曹界が常識判断することに異論はないが、今の日本は国際的にも異端化してきた移民政策法案、決議済みLGBT法で真っ当な国民の行動、思想を縛りたい、何ともお粗末な国にまで成り下がったのか。こういった間違った法決定には断固反対すべきでしょう。国のあり方、國體は大事なことですから 

 

 

・私は裁判所の対応は至極当然だと思いまさす。 

傍聴席は応援団席ではないですから。 

ましてや今は裁く側は職業裁判官だけではなくて、いわゆり素人が参加してるんですからね。 

裁判所が公平性を担保するのは当然です。 

 

 

・傍聴人は文字どおり傍聴する人なのであって、法廷で何らかの主張をする立場にはない。 

主張の異なる当事者が裁判官の面前で主張を戦わせる法廷で、第三者である傍聴人が表現の自由を盾に主張をするのは、公正な裁判に影響を及ぼし得るということ。 

 

 

・法廷に入るのに「ドレスコード」があっていいものだろうか。だが、すべてにおいて公正・中立であるべき裁判所で文字の入ったシャツは好ましくないと思う。傍聴人も静粛であるへき「神聖な法廷」では特定のメッセージの書かれた服装や華美な服装はNGであるべきだ。 

 

 

・特定の意図のある服装は禁止して良いと思う 

 

傍聴人が被告に特定のメッセージを送っている可能性もあるし、被害者側の傍聴人全員が特定の服を着ていたら被告が萎縮して正常な裁判ができない可能性もある 

 

 

・裁判、これ以上ないフォーマルな場なんだから、 

一般なドレスコードに従えばいいんじゃないの? 

証拠(証言を含む)に基づいて主張をする場なんだから、 

それに含まれない主義主張を服装でまでする必要はあるの? 

 

支援者なのもわかるけど、あくまで訴外の第三者。 

普通のスーツ着てたって裁判の公平の監視はできるよね? 

 

 

・傍聴は、裁判官の指示に従って迷惑をかけないよう、傍聴者が配慮しないといけない。傍聴者者個人の権利を主張する場所ではないことすら理解できない輩が多くなって、常識は何処にあるんだろうかと思う。こんなこと言うなら別室に傍聴席を作ってモニターで流したらどうですか、問題解決しますよ! 

 

 

・日本社会のなかで、最も世の中の変化から隔絶されている社会は裁判所のなかではないだろうか。法律の成り立ちが明治時代だとしても、戦後民主主義社会の成立を経て、日本国憲法に則って裁判所が判決を下していれば、日本はもっと違った国になっているのではないだろうか。政権への忖度では裁判所の未来はないのではありませんか。 

 

 

・裁判は「裁判官、被告、原告」の三者の世界であり傍聴人が裁判に関わってはならない。 

傍聴人が裁判に影響を与える恐れがあるのであれば退席させるのは必然の事。 

傍聴人は「物」と同じであり傍聴人の意向など聞く必要はない。 

 

 

・憲法上の表現の自由をかざせないなら(言葉は悪いが)なぜ裁判をしようとしないのか? 

その上で合憲なのか違憲なのか、裁判所ごとに判断が違ったらおかしな事になる。 

それてあれば統一した見解や法で規制すべきではないだろうか? 

 

 

 

・宝塚の衣装の様に物理的に傍聴の妨げになるのならば服装の制限も必要だろうが、Tシャツの文字や虹色の靴下が傍聴の妨げになるとは到底思えない。 

また、法廷はテレビ中継されている訳でもないので、意図せずメッセージが長れてしまう事もない。 

つまり実害と言える様なものは全くないと言う事だ。 

もちろん被告や証人にプレッシャーをかける様な意図のものならば規制は必要だとおもうが、「法定の秩序維持」と言う曖昧な規準では傍聴人の選別につながる可能性もある。 

一般生活で容認されている程度の服装ならば規制をするべきではない。 

法に触れなくても競泳水着一枚とか肝心な場所は隠れているが服が透けているとかは流石にダメだよ程度で良いと思う。 

 

 

・学生のとき、弁護士の教員が、授業で法廷傍聴を企画した。 

自分が原告(被害者)代理人となっている医療ミスの事件。 

被告のクリニック院長の証人尋問の期日だった。 

20人ぐらいの学生がゾロゾロと傍聴席に入ってきて、院長はパニックに。 

何なんだこれは!?とか被告代理人の弁護士に聞いてるが、どうにもならない。 

尋問では、被告の院長は完全に投げやりになって、何でもいいからここから帰らせてくれ、という感じでミスを認めてしまう。 

原告代理人(教員)の戦略勝ちだったけど、やはり、公正な裁判とは言えないなと思った。 

 

 

・傍聴者は空気であり石であるべき、表現を表に表してはならない、それは原告被告並びに判事に沈黙の意思表示をして見えない圧力をかけるからだ、陪審員裁判の場合は素人陪審員に対して圧力をかけ判決に影響を与えてしまう。裁判では傍聴者は表現をしてはならないのだ。 

 

 

・>明治大の鈴木賢教授は「靴下の柄まで制限するのはやり過ぎだ。傍聴したい人が傍聴できなくなりかねない」 

 

これ逆だと思う。制限をつけないと傍聴人の大多数が同じ服装をしていたら、その主張に反対の立場や中立の立場の人が傍聴しにくくなる。あくまでも裁判所であって、スタジアムとかコンサート会場や選挙事務所などとは違う。 

 

 

・傍聴人が何らかの圧力を加えるのは許しがたい。シュプレヒコールなどもってのほか、着衣で主張を表現するのもダメだ。 

裁判で大事なのは公平性。それに対する障害を取り除くための努力は当然のこと。 

 

 

・表現の自由は必要だが、わざわざ法廷で何らかのメッセージを傍聴人が発信するのはおかしい。 

 

デモンストレーションなら他の場所でするべきだし、傍聴したいなら裁判所からの要望は実行すべきでは?? 

 

 

・私が訴えの提起をした後で、夏に弁護士がアロハシャツで出頭してきたが、裁判官は注意もしなかったことがあった。 

こっちは白いワイシャツに黒っぽいズボンだったのに。 

 

なお法廷では写真撮影を認めろ!壇上から怒鳴る裁判官、「テキトー、テキトー(笑」とほざく者。 

それに証人尋問の時に居眠りしている裁判長(右陪席は主任らしく、シッカリ起きて次々と尋問したが)。 

裁判官も十人十色だが、やはり変人か偏向思想を持ったものが居る。彼らを監視するために法廷内の写真撮影を認めるべきだ。今は禁止されているのは裁判官や裁判所の落ち度を指摘させるのを防止する自分たちのためのもの。 

 

 

・裁判所には、毅然と対応して欲しい。 

 

ダメなケースに都度対応すると、判断した人によりブレる。それが批判に繋がるから、ドレスコードを定めた方がいいよ。 

 

「無地のシャツ」「無地の靴下」「ジャケット着用推奨」とかね。 

 

 

・昔は殺人事件の裁判でも、被害者の遺影を持ち込めなかった。被告にプレッシャーがかかるという理由で。 

この種の規制もそのうち緩くなると思いますよ。 

「無実の人間は罰しない」と書いたTシャツを見ただけで判決が揺らぐ裁判官は、すこしメンタルを鍛えた方がいい。 

 

 

・疑わしきは被告人の利益だけど、その為の裁判に予断が入る様な状況は相応しく無いと思う。傍聴人は裁判官の判断に影響を与える様なファッションは慎むべきだし、制限をされて然るべきかと。 

 

 

 

・裁判所が迂闊に引けば、ヤクザや活動家が暴れ放題になりかねない。これでは法廷が威圧の場になってしまう。 

裁判所には、厳格な運用を求めたい。 

 

そもそも傍聴は、裁判の公開のついで。表現の自由が入り込む余地ない。 

 

 

・裁判の傍聴にはよく行く。 

で、「大したことじゃない。過剰反応だ」と言い張る連中には、主宰側が邪魔と言ってるんだからウダウダ言わず従ってもらいたい。開かれた公正な裁判にならんだろ。ヤクザが組員バッジつけてゾロゾロやってきたらプレッシャーだろ。おそろいのTシャツやらも同じ。線引できないんだから。ヤクザだけ駄目とか差別になるし。医師が被告のときに白衣着た奴らが傍聴席埋めてたら、原告は萎縮する。 

 

 

・法廷内の位置関係を考えると 

裁判官からみたら傍聴席は被告人の奥の真正面でそこに 

同性カップルの裁判で『虹色の装飾を施した人』がいたり 

冤罪裁判で『"無実の人間は罰しない"という文字がプリントされた服を着ている人』が居たら圧力は感じると思う 

そして仮に1人だけなら気にならなくても 

傍聴席全員がその様な物を身に着けていたら 

その圧力は見た目以上でしょう 

 

裁判所外で政治的主張をするのは問題ないと思いますが 

裁判中の法廷内で"政治的主張と思われる格好"はふさわしくないでしょうし 

裁判官がそう感じたのなら、その後は裁判官の判断に従うことが望ましいでしょう 

『表現の自由』は大切ですが学校や職場では皆さんも『表現の自由』よりその属する組織内の規定に合わせた服装をしていると思いますし 

そのことに対して『私の表現を規制するな!』という主張は、憲法で保証されていても実際には難しいでしょう 

TPOをわきまえろ 

 

 

・団体名そのものが政治的主張を含んでいるのだから、それが団体名であることはただ政治的主張の表現の形式でしかなく政治的主張であることを否定しない。 

もし団体名であるから問題ないと思うならなぜその場で団体名が大きく書かれた衣類を着用しようと考えたのか説明すべき。 

法廷では傍聴人の政治的主張は制限されているのだから法廷での表現の自由は当然に制限を受けているわけで、表現の自由の問題ではない。 

 

早い話が、傍聴人は裁判に影響を及ぼしてはいけないのだから裁判所の指示に従って黙って聞いてろ。 

ここで服装制限に反対すること自体がその服装が政治的主張であることを証明してるんだよ。 

 

 

・裁判頂が傍聴人の服装うんぬんよりも、今の、特に政治に関する事柄については日本には法の下の平等は無い。憲法、法律に基づいての恣意的な検察や、裁判官の権力にたいして ヒラメ的 判決の方がよっぽど問題だ。権力に沿わない判決をすると 降格される からできないのは良く判っているが。そう言った意味では 法務検察権力が 裏で一体となってこの国を牛耳っている。 

日本の裁判制度に関する本をいくつか詠んでみたが、彼らの内実が良く判る。 

 

 

・何故、傍聴人にその様な自由が必要なのか。 

その合理的な意味が何処に有るのか。 

非合理的な事なら、傍聴人が主張する事に何の意味と裁判自体の利益が有るのか。 

傍聴人は傍聴人であるべきでしょ。 

 

 

・ルールとして決めてしまえば良いと思います。裁判で自由に表現しなくて良いと感じます。原告、被告の裁判ですし、回りが公平、中立性を害してはならないと思います。 

 

 

・裁判所が「常識を持って傍聴してほしい」と要求するのであれば、裁判官も世論に配慮して「常識を持って」判決を下してほしい。 

さらに、検察も「常識を持って」証拠を提示しない不起訴をなくすべきです。 

 

 

・当たり前すぎる。 表現の自由でもなんでもなく、裁判の公平性を 

損なわせるのための不当行為にしかならない。 

 

何故、その服を着て裁判の傍聴をするのか、相応の意図があるからだ。 

 

裁判の傍聴人は自身の意図をアピールする場所ではない。 

 

 

・レインボーカラーの靴下の着用を拒まらたことにやりすぎだというけれど、着用している方は間違いなく主張するために着用してる。偶然履いていた何がしかに文句つけるなら分かるけど、NOと言われたら従った方がいい。だって主張する場所じゃないもの。 

 

 

 

・「表現の自由」を悪用しないでほしい 

法は平等でないとダメです。例えば「死刑反対」と「死刑賛成」のプリントを着た人が同じ法廷の傍聴席にいたら? 

裁判官は、それらを視界に入れて進行しなくてはいけません。それを考えたら妨害にしかなりません。傍聴人は傍聴するだけで、公判で意見を言う立場ではない。心理に影響させるのが目的なのだから、排除は当然 

 

 

・世の中で一般の人がふつうにしている格好こそが「ふつう」だとしたら 

裁判官が基準とする「秩序」「ふつう」は何だろう? 

 

裁判官の衣装を見れば法廷には法廷のルールがある、というのは、わかるが 

法廷のルールは、裁判官の主観ひとつで決まる、は独裁的すぎる。 

 

凶悪犯罪を自分たちだけで裁くのは重荷だと裁判員制度を導入した。 

でも裁判員の意向は、ポイントポイントで裁判官の誘導を受けるらしい。 

裁判官の意中の方向や量刑へ誘導する「ヒント」がちりばめられるらしい。 

 

今回のTシャツや虹色のストライプの靴下、になんの問題があるのだろう? 

少し主張があるだけのもののうえに 

英語を読めない、虹色の意味を知らなければ、ふつうの衣装でしかない。 

わざわざその意味をほじくり出すほどのこともないし、暴力でもない。 

 

こんなことに目くじらを立てて、普通ではない、という。 

基本的には一般人をコントロール下に置きたいの? 

 

 

・傍聴人の表現って?傍聴人が表現の自由って何を表現すんの?傍聴にふさわしくないと思ったらそれまでじゃないの?裁判を傍聴する立場の人間が表現する理由って?もう傍聴させなくて傍聴人無しでいいんじゃない?何が表現の自由だよ。隠しサインみたいのでコソコソやってるのがいるからこういうことになる。なんか「基本的には何を着ようが身につけようが自由。」みたいな事言ってる人いるけど傍聴させるのも裁判所の裁量じゃないの? 

 

 

・自分たちは良くとも他人が不快に感じることはあるから、こういう場では素直に無難な服装にすべきだ 

自由の束縛というかもしれないが、別に中国のように社会全体が制限かけられているわけではない 

見方によってはただのワガママにすら見えます 

 

 

・冤罪を防ぐことは大切だが、そのためにも公平な裁判が一番求められているのだから、少しでも裁判に影響が出るようなことはすべて禁止するべきだと思う。 

 

 

・本題とはズレるけど、レインボーカラーを勝手にLGBTの象徴にするのは本当にやめて欲しい。 

これのせいで変な誤解をされたくないからお気に入りだった虹色のワンポイントステッチが入ったバッグが使えなくなった。 

 

 

・法定の秩序ではなく、裁判の固定概念の解釈だと思います。 

昔から秩序や常識は変わってます。 

社会的な考え方や社会的にみた整い方は法定が遅れをとってるかも。 

 

 

・この点については、裁判所は右派にも左派にも片寄らず公平に厳しい態度をとってきていて、個人的には評価できるし、これからも続けてほしいと思う。 

 

 

・法廷(議会でも同じだが)では傍聴人は裁判官/証人/被告/原告から石ころと同じに見えなければいけない。これが基本。 

勿論石ころではないから種々の思いはあるだろうがそれを表現してはいけないと言う事。 

記事に即して言うなら虹色は多様性の象徴ではあるがそれを身につけないと苦痛になるものではないだろうから認められなくとも仕方ないと思う(これが例えばイスラムのヒジャム、シークのターバンとなると宗教上のタブーが絡むから話が違ってくる)。 

いわば裸体主義者と言えども全裸では街を歩けないのと同じ。 

 

 

・服装の制限あるんだね 

それより裁判自体の公平性を実現すべきだと思う 

不正裁判官によりめちゃくちゃな認定、判決が横行してる 

AIにより証拠採用から判決まで検証すべきだ 

 

 

 

・裁判官が法服着ているんだから、傍聴人も法服みたいな、幼稚園の時の遊び着みたいに頭からかぶって簡単に着られる服を貸し出せばいいんじゃない。 

 

裁判官は、傍聴人の服装で惑わされることないと思うけど、裁判員として出廷する我ら素人は、やっぱり威圧感を感じることでしょう。 

 

 

・暴力団やテロ組織、暴走族や半グレ団体なんかの上層部の裁判に、団体名の入った服着た連中が傍聴席を埋め尽くしたら、無言だって裁判官や陪審員への圧力になるだろう。 

宗教絡みでもシンボルカラーを持っている宗教もある。 

 

「私たちは善良な民間団体だから~」なんてのを認めていたら線引きの基準がややこしくなるから一律禁止で問題ないだろう。 

 

 

・傍聴席ってテレビカメラに映るわけでもないのにTシャツの図柄やレインボー柄の靴下まで制限するのは如何なものか 

私はむしろ裁判官が偉そうな椅子に座って上から目線で裁定を下すことに違和感を覚える 

 

 

・別に柄だの文字だの、主張した所で、裁判結果が変わらないならお好きにと思う。 

 

それより、いい加減、裁判のやり方変えた方がいいよ。 

被告、原告、弁護士、裁判官が1箇所に集まって、傍聴させる。 

ショーでも劇でも無い。 

別部屋で、裁判官が両者が見えれば、モニターだっていい。 

傍聴もネット配信でいい。 

被告と原告が顔合わす必要無いでしょ。 

留置してるのをいちいち護送する手間も無くなる。 

傍聴やめて、配信にしたら、こんな事無くなるし。 

誰でも見る事が出来るのが理想でしょ。 

 

 

・んじゃあ、職場で「働いたら負け」Tシャツ来ても良いのか?それもお客様のいる場で。過剰かもしれないが、服装や髪型はその人の人柄や思想がよく分かるアイテム。過剰かもしれないが、裁判所で公平な裁判を常に行えるためにも必要な事だと理解してほしい。 

 

 

・表現の自由を〜て抗議した時点で負け確。普通の感覚なら「知りませんでしたすみません」で引き下がると思うが、何かを表現しようとする意図が明確にあるから抗議するんだろう。それはまさに秩序を乱す行為だよ。 

 

 

・裁判所が嫌というんだから 

傍聴する側は従わなくては成らないでしょう 

 

というか,傍聴させてもらうのですから、、場の雰囲気を損なわないものに 

すべきですよね 

 

 

・「自由」のはき違え行動って、むしろそういう自由を制限する口実を与えるような、制限する側の手先の行動なんだよね。この例がそうとは限らないけど、こういう連中の素性ってもう少しよく見極める必要があるよ 

 

 

・法廷の場において意図的に着用していくことは、言葉は発せずともそれらを主張していることであり、公平を期すためには服装制限は致し方ない。 

 

 

・元々は服装ではなく「遺族の遺影」を法廷内に持ち込むことをダメとしていたハズ。 

それがいつの間にか、中学高校の風紀指導みたいなコトやってるの? 

別にTシャツや靴下どうだろうと、それで判決が覆るワケでもなし。 

職業裁判官だけでなく、裁判員だって同様。 

 

 

 

・> 「靴下の柄まで制限するのはやり過ぎだ。傍聴したい人が傍聴できなくなりかねない」 

 

靴下を履き替えたら傍聴できるのでは? 

その靴下1足しかなくて、誰も靴下を貸してくれる人がいなければ、最悪、靴下を脱げば膨張できますよね。 

傍聴したいのに、それが不可能ということはないと思います。 

 

 

・あー。何故かスーツで傍聴する人が多いと思った。15年くらい前はよく傍聴に行っていたな。でも私は私服だった。別に何も言われなかったから気にもしていなかったが、まあ、あからさまに変な服や旗を持たない限り大丈夫と思う。 

 

 

・フジ住宅訴訟のブルーリボンバッジのときはやたら裁判所への批判的コメントが多かったが、右左とか関係なく裁判に関係する思想を表現するものは禁止されてるだけなんだけどなと思っていた。 

 

 

・そもそも裁判所の法廷は、政治的活動等をする場所ではありません。 

服装等に制限を設けることは、必要かつ当然だと思います。 

 

 

・ダメなら規制した方がいい 

これとは少し違うけど似たようなので結婚式場に行ったのがよく場違いな服のがいたってよく言ってるじゃん 

それなら会場側が規制すればいいのにってよく思う 会場の人間って一応いるんだし 

 

 

・そりゃ、裁判所の見解が100%正しいのは当たり前だろうね。 

 

「わざわざ」裁判所に着ていく意味があるのか? 

表現の自由を「わざわざ」傍聴席でする意味がどこに? 

 

明るい服が好きだから、葬式にピンクの服を着ていくかい? 

黒い服が好きだから、結婚式に真っ黒装束で行きますかね? 

 

こういうのは誰もが知っているTPOってヤツです。 

裁判所という場所では、裁判官の指揮に従うのがあたりまえ。 

 

表現の自由は、自身の責任が負うTPOで好きなだけどうぞ。 

「わきまえる」って言葉を学んでください。 

 

 

・風紀を乱すような服装は制限すべきでしょう。自由だというのであれば裁判官がタンクトップに短パンだったらどう思いますか? 

嫌では無いですかね。少なくても秩序は必要だと思います。 

 

 

・傍聴者は裁判の主役ではないので表現者になる必要は無い 

では当事者の原告被告がそういう恰好をするのはどうかというと 

裁判長の心証を悪くするだけ損なんじゃないか 

 

 

・服装制限のどこに問題があるのかな 

全員ビキニやフンドシなら裁判どころじゃ無いだろう 

傍聴なのであって観戦じゃ無いんだよ 

決められた事が守れない大人が多過ぎる 

 

 

・裁判の場は、団体や個人の思想を誇示したりアピールしたりする場ではないので、ある程度制限をされたとしても、それは致し方ない事だと思いますけどね。 

  

分かっていながらそれらを実行するのであれば、裁判を冒涜していると捉えられても文句は言えまい… 

 

 

 

 
 

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