( 155430 ) 2024/04/02 12:28:50 2 00 開成に入った2年後、息子は死んだ 「なぜ」問い続ける母毎日新聞 4/2(火) 5:00 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/51eaf4c4078bed6d912a19c8b8181dab8a0445e9 |
( 155433 ) 2024/04/02 12:28:50 0 00 笑顔の一柳亮さん。母富美子さんはいつもこの写真を持ち歩いている
2006年4月2日。全国屈指の進学校、私立開成中学3年の男子生徒(当時14歳)が東京都北区の自宅マンションから転落し、亡くなった。即死だった。なぜ――。警視庁の捜査でも解明できなかった。「原因が今も分からないのは本当につらい。心はずっと、中ぶらりんのままです」と母は言う。転落死から18年。母が初めて取材に応じた。
【写真まとめ】転落する14分前の亮さん。このあと何が起きたのか
死亡したのは一柳亮さん。母富美子さんと2人暮らしをしていた。
母から見ても、早熟な子だった。小学生でカフカやカミュ、松本清張などの小説を乱読する一方、運動会では応援団長、学芸会では主役を務めた。親しい友人も多かった。
富美子さんはロシア音楽の研究者として大学に勤務しながら、亮さんを育てた。「息子は本の虫でしたが、目立ちたがり屋でもありました。高学年になると、私の仕事の相談も聞いてくれた。大人びたところがあったと思います」
中学受験に向けて小学4年から塾に通い始めた。トップクラスの成績を維持し、04年2月に第1志望だった開成中学に合格した。
入学直後の作文には将来の夢に「理科系の研究者」を挙げ、「役者にも興味がある」とも書いた。管弦楽部やバスケットボール部、ラグビー部に入り、充実した毎日を送った。
中3になったばかりの06年4月2日。亮さんは午後1時50分ごろに自宅を出て、小学校時代の同級生と荒川の土手で花見をした。夕方、みんなで地元の駅近くのファミレスに移動。亮さんは数人と別の公園に寄ったあと、帰宅の途に就いた。
午後8時29分、自宅マンションのエレベーターに亮さんが1人で乗る姿が防犯カメラに映っていた。ただ、自宅のある6階のボタンを押さず、最上階の14階のボタンを押し、その階で降りた。そして午後8時43分、亮さんの刻んできた時間はそこで止まった。
「飛び降りがありました」。午後9時過ぎ、6階の部屋の呼び鈴が鳴った。富美子さんはその時、自宅でテレビを見ていた。「少年が落ちました。命は助からない状況です」。署員に促されるまま、富美子さんは6階の非常階段の踊り場から、あおむけで倒れている息子の姿を見た。そこからの記憶はほとんどない。
警視庁赤羽署が死因を捜査した。当初は「自殺」としたが、その後に根拠が薄いとして、「転落死」に表現を変えた。転落理由は分からないまま、捜査は終了した。
亮さんが亡くなってから富美子さんの生活は一変した。母一人子一人のなか、息子の存在は心の支えだった。一人残されたと感じた。
何より苦しかったのは、転落した原因が分からないことだ。息子の性格から自殺はあり得ないと思った。ただ、そうでないとすれば何が原因だったのか。何度考えても分からず、堂々巡りが続いた。「亮がどんな思いで亡くなったのかを知りたい。その気持ちが分からなければ、きちんと供養もできないのです」
亮さんが亡くなり、子育て中にセーブしていた仕事に本格的に取り組むようになった。研究成果も出たが、我が子を思い出さない日はないと富美子さんは言う。
「息子が生まれた時、私はこの子の親になるために生まれてきたんだと思うくらい、とてもうれしかった。亮がいなくなってからは、以前にも増して仕事に取り組むようになった。でも、今もふとしたときに思うんです。私は何のために生きているんだろうって」
富美子さんが常に財布に入れて持ち歩いている写真がある。中学生になると亮さんは母がカメラを向けても素直に応じなくなっていたが、亡くなる5カ月ほど前、珍しくこちらを向いてくれた。写真の中の亮さんは今も、はにかむような笑顔を見せている。【川上晃弘】
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( 155434 ) 2024/04/02 12:28:50 0 00 ・読書家なら太宰治、有島武郎なども当然読んだ事でしょう。昔の多くの天才作家も最後は死を選んでいる。理論を突き詰めると全ては虚しく、何のために生きているのか分からなくなるのかもしれません。 ソロモンも空の空、全ては虚しいと言っていますが、私達は与えられてる生命と今の状況を受け入れ、雑草のように生きていかなければならない世の中にいます。 知識と才能があり自分を見つめすぎたのかも。もっと鈍感に、もっとゆったりと生きられたらどんなに楽だったでしょうね。とても良いものをたくさん持った子だっただけに残念です。原因は本人にしか、いや、もしかしたら本人にも分からないかもしれませんね。
・仲間たちと楽しく過ごしバカ騒ぎした帰り道に無性に虚しくなることって自分はとても多いから、息子さんの心境の断片は解る気もします。 普通の中2は、あ〜今日は楽しかった、で終わるかもしれませんが、息子さんくらい賢く、読書量も多く深い思索に至る道程を知ってしまっていると、いいしれぬ虚無感に襲われるのかもしれません。桜というものはただでさえ人を切ない気持ちにさせますし。 でも息子さんの14年の人生は充分に輝いて、とても価値あるものだったのではと思います。
・小中と優秀と言われる学生時代を過ごした身として、少しだけ分かることがあります。 優秀さっていうのは、当然、中には本物の天才がいるのかもしれないけど、たいていの人は努力で成り立たせているんですね。つまり努力をし続けなければ維持することができない。高校から、あるいは大学から努力を始めて優秀になったなら、小さいころはその人ができなかったことを知っている人が周りにいるから、努力ができなくなって、俗に言う「落ちこぼれ」ても、周りはそこまで気にしないかもしれない。最近は頑張ってたもんね、休みなよとなるのかも。でも小さいころから努力し続けてきて、周りの人にとってもその人が優秀であるのが当たり前になり、まるで天才かのように扱われ出すと、途端に、重い重いプレッシャーになる。落ちこぼれることが許されない。つまり努力しないことが許されない。これは、怖いです。努力できることを当たり前としてはいけないです。
・日本は他の先進国に比べても子どもの自殺が多い国ですが、幼少期における片親を失った子どもは自殺率が高くなるという研究結果があります。しかし、日本の福祉行政では、シングルマザーやシングルファーザーの支援ばかりが重視されていて、その子どもを支援するという視点が欠落しています。(本記事とは関係なくあくまで一般論として)たとえば、親が離婚した場合であれば、離婚後も子どもが両方の親との関係を失わないように子どもを支援することが、子どもの自殺を減らすためには必要です。
・お母さんの気持ちお察しします。 辛いですね。 ただ、私の経験からの観点でだけの話ですが、子は母の知り得ない一面も持ち合わせているよ、ということ。 母だから、とか、自分を責めることは絶対にしないでください。 私は1番近くにいる母親である自分が 息子を1番理解していると思い込んでいましたが、頭を金槌で殴られたような気持ちになった出来事を経て、今の息子をみるようになりました。知って良かったと思います。 勿論、この件は事件かもしれないし 私ごときが物申すまでもないけど とにかく、責めることはせずに、いて下さい。息子さんはお母さんの気持ち、わかっていると思います。
・大人と子供の自殺の違いはその原因にある。大人は働いているので、経済問題、健康問題、人間関係などリアリティのある原因が上位に来る。子供の自殺も進学などの勉強の悩み、人間関係などが上位に来るものの、最も多いのが原因不明だとか。多感な時期にもあたり感受性の強い子は、様々な負の状態を自分事のように受け止めてしまい葛藤に苦しんだり、衝動的にということがあるようだ。友人に同情して一緒に自殺してしまう例などはこの年代に見られる傾向かも知れない。 原因が判らないならこれ以上調べても判らないかもしれない。今は息子さんとの思い出を大事にして少しづつ前に進んでいけるようになればいいな。
・勉強もできて運動もできて、凄くかっこよくて友達いっぱいの友人が重度の鬱病になった。本人が全く無意識のうちに。友人は勉強や部活に打ち込むことが楽しくて仕方なくて日々頑張っていたのだがそれが気付かぬうちに自分を苦しめていたようで突然眠れなくなって病院に行ったら重度の鬱病だったらしい。全くの無自覚でまさか自分が、という診断だった。それを聞いて自分が知らない間に鬱病になることもあるのだとすごく怖くなった。
・子供の同級生で、中学受験、開成や難関中学全て合格した優秀な男子がいた。頭が良く、とにかくよく喋る、色んな意味で周りとは明らかに違う子でした‥小学高学年になる頃、そのお母さんが保護者会で、自分は何で生きているんだろうとか、死についてよく考えたり思いつめるのが心配で‥と悩みを打ち明けていた。中学に入ってからはそんな事もなさそうだが、やっぱりそこまで頭が良い子は考える事も違うんだなと感じた。将来どんな職業につくのか楽しみだね、とみんなで話している。この子がどうして亡くなったのか、母ひとり子ひとり、お辛いですね‥
・18歳の頃、自殺一歩手前まで行った友だちと話したことがあるけど、自殺しようと意思を固めていくというより、なんか衝動的に飛び降りたいと思った、と言ってました。
〇〇の理由が原因だから、私は飛ぶ、みたいには思わなかったと。 酷い失恋で、その子にストレスがたまっていたのははたから見て確かなんだけれど、本人は麻痺して通常を保っている状態だと、体が勝手に動くことがあるのかもしれないとその時思いました。
自殺しないでね、なんて言ったところで無意識行動なら、本人も止めようがないのだろうと。
なので、過剰なストレス状態にあるけど、平常を保っている人には急に命を絶つ可能性があるのかもしれないと思っています。
頑張りすぎている時、心は麻痺していないかを感じ取り、本人が気づいていないなら、少し緩める一言を、本人がつらさに気づく一言をかけたいといつも思いながら、自分の子供には接しています。
・日本文学史に大きな足跡を残した作家は、「ぼんやりとした不安」と書いていたそうだ。別の作家は”気”がなくなる瞬間があるとも。また知人警官の話としては、公にするには憚るものの女性の場合は性犯罪被害もすくなくなのだとか。昨今は男女年齢関係なく被害にあうケースもある。 優秀で早熟な子は知ったことを曲解したりもする。見ざる聞かざる言わざるも必要で、どうバランスをとるか。外からはうかがい知ることが出来ないケースもある。特に思春期だからね。新学期も始まることだし、子どもの些細な変化に気づくようにしたいね。口数が少なくなった、普段より食べない、笑わない、いらだちや、宙を見つめることが多い、などのシグナルは見逃さないようにしたいね。
・死因を自殺から不明に変わった以上死因も判らないと思う。可能性として事故の可能性は低いらしいが柵を乗り越え遊び心からの事故死も無いとは言い切れない。後他殺説だが屋上に他に誰か居たかだがこれもエレベーターでしか屋上に行けないか?等あらゆる可能性を想定して調べないといけない。エレベーターにはカメラは、あったが当時は今ほど防犯カメラも無くなかなか限界は有ると思う。
・あくまで私個人の話で恐縮です 地方の進学校に在籍しましたが、授業中に問題を間違えて教員に殴られたことがありました。次の体育に行かず、ひとり三階の教室のベランダに出て地面を見ながら涙した記憶があります このことは親も含め、誰も知りません
きっと亡くなられた方も、何か自分だけ抱える思いがあったのだと思います。誰かに気付いてもらえたり、相談できたりすると良いのですが、迷惑をかけてはいけないと思って本人は中々行動できない場合があるかもしれないので、本当に難しいと思います
御冥福をお祈り申し上げます
・私はこの息子さんほど優秀ではなかったが、育った環境もあり自分にも社会にも厭世観があり生きている意味、死をずっと考えていた。特に中学生の頃が一番目覚める頃でピークだろう。これは本人しかわからない。お母さんにとってこれほど辛い事はないし息子さんの事を思わない日はないだろうが、「なぜ」と問い続けても答えは出ない。もう息子さんは天国で安らかにしていると思ってお母さんは自分を責める事なく自分の人生を生きてほしい。
・頭が良い人ほど将来を見据えることに長ける分、鬱になりやすいと聞いたことがあります。 首から下が動かないチンパンジーの話があります。 チンパンジーは「未来」という概念が分からない為、「今、ここにいる」といった考えなので笑顔が絶えないそうです。 動物学では環世界と言うそうです。 人間の知能が時に自分自身を苦しめてしまうのかもしれない。 現代において先を見据えるのは大事だし、あまり先を考えすぎず今日という1日を一生懸命に生きるのも大切。 生きるって本当に大変だと思います。
・地元の友人と楽しい時間を過ごした後亡くなっているのが気になります。 今のコミュニティより、小学校のメンバーといた時の方が…という思いが湧いてしまったとか、高校も、開成ならいくら優秀なお子さんでも楽ではないでしょうから、他の地元の友人とは違う厳しい3年間が続くことが辛くなったのか…。 他人が色々考えたところで、親御さんでさえわからないことがわかるはずもありませんが、自殺なのかさえ分からない状況は本当に苦しいだろうと思います。 更に1つ気になる点として、仰向けで倒れていたということ。屋上に転落防止の柵などがあった場合、仰向けになるのかどうか。 何かの手がかりがいつか見つかって、お母さんが死の理由を知ることができる日が来ることを願います。
・この年頃の子供は本当に難しいです。 なんでもない。別に。大丈夫。 の裏にとんでもないトラブルを抱えてることもあれば、大人からしたらほんの些細な事、むしろ問題でもない事で悩んでたりする。 開成だったからからもしれないし、地元の中学に進んでいても起きたかもしれない。 お母さんにとってはどうしても理由が知りたいし亡くなったことを受け入れるのは本当にお辛いと思う。優秀だったし将来に期待もしてたと思う。そんな子がなんで自分でと思うけど、そんな優秀だからこそって事もある。もうすぐ中学生になる子供を育ててるけど無事に大人になってくれか、それまでにどんなトラブルがあるのか親はいつも心配です。
・未成年では、将来を悲観したり気分が落ち込んだなどで自殺にしても事件にしても突発的に行動を起こしてしまう時もあるけど、ピースを集めていっても原因が分からないこともあると。 カミュやカフカといった理不尽を描いた作品のように、カミュなら『異邦人』の《太陽が眩しかったから》と殺人を犯したように、聞いたところで本当のことを話すことも無かったり、通常の理解を越えたものもある。
高い場所に上がってしまう、もしくはその能力があると、それだけ登りたいと思う場所も更に高くなってしまう。 自負だったり周りの期待から、そこから下がることも進むことも出来なくなってしまうこともある。
いもとようこさんの『かぜのでんわ』という絵本がある。 大切な人との未来や失った物は戻らないけど、答えを求めてそれを得ようとするのではなくて、気持ちをそれぞれの形で伝えることも大事なんじゃないかなって。
・小学校中学年からいじめにあっていましたが、仲良くしてくれる数少ない友人もいました。本当に辛かったけど、別にいじめなんか辛くないし、みたいな態度を取っていました。家族との関係は良好。ある日学校をサボって自宅マンションの屋上で朝からボーっとして過ごしていたら、ふと柵の向こうに行ってみたくなった。怖いとは思わなかった。フェンスに捕まって柵を乗り越えようとしたら、足元のプラスチックのようなものが腐食しておりバランスを崩して転落する寸前だった。その時初めて死の恐怖と生への執着を自覚し、しばらく震えが止まりませんでした。
・同じ年頃の子供を持つ親としては軽々しく理解できるとも言い難い問題かと思います。 2人子供がいますが性格も違いますし上の子と下の子では環境も異なり同じようには育てられない。 この年になってくると隠していることも多いだろうと推察するし実際色々バレたりもしている。 親が1番子供を理解していると思いたいが、そこは冷静に判断しなければいけないところでもある。
・中学の時の知人を思い出した。彼は常に学年一位の優秀な生徒で、「息吸うがごとく勉強する」という超ガリ勉だった。当然のように開成高校に入学したが、周囲の同級生はスポーツ万能だったり、普段は遊んでばかりいるのに試験は常にトップクラスとか、楽器を演奏したり多趣味でそのどれもがすごい腕だったりと、「本当に優秀な人材とはどんなものか」を見せつけられたらしい。勉強しかしてこなかった自分の存在価値感に疑問を感じた後に精神的におかしくなったようだ。風の噂では一般の高校に転校して、そこでようやく落ち着いたらしい。価値観とか自分が生きている意味を揺さぶられると、若者は往々にして死の魅力に憑りつかれてしまう。
・開成にも向き不向きがあると思う。 早熟で賢こさがあれば、親もつい期待して、御三家に行かせて将来はエリート街道!なんて夢見るかもしれないけどね。多感な時期だからこそ、子供となるべくいられた方が良いと思う。
知り合いで御三家や準御三家に入る程優秀な子供がいるけど、校風が合わなくなって転向。現在は起立性調整障害に悩まされて不登校になってしまってる子もいる。
虐めだけじゃなく、学力優秀でも不登校になることがあるんだから、何が幸せか分からないなぁって最近思える。
・私の子どもも14歳の夏亡くなりました。4年半たちますが、今も「なぜ」「どうして」と問い続けています。あの時こうしていれば、どうしてこうしなかったのか、と悔やみながら過ごしています。息子は今何をしているのだろう、どこにいるのだろうと思います。少しずつ生きる意味を失いつつあります。今は上の子たちが大学に通っているため二人が一人前になるまではと仕事も頑張っています。ですが、ふとした時に亡くなった息子の笑っている顔や走っている姿を思い出して言葉に表せない気持ちになります。 答えの出ない問いを毎日毎日自分へ問いかける日々です。
・どうしても時期が気になりますね。 中三の春、多感な時期に季節の変わり目と新学期と何かと心境の変化も多い時期であったことは想像に難くありませんが、早熟な息子さんはご母堂が察するに余りある憂いや逡巡に囚われていたのかも知れません。 近年、深い動機や遺書無き自殺が問題とされています。 発作的と言うのか、魔が差したと言うのか躊躇いもなく命を秤に掛けるような衝動に出る方も居ると言うことを、中々理解するのは難しいことですが、親友を同じ経緯から失った身からするとご母堂と同じ心境です。 遺された人は、ただ年月を虚しく数える余生が続きますが風化することなく、胸に在りし日の面影が残り続けるものですね。
・私の知人の話だが、高校生になる時、勉強もスポーツも何にでも全力投球するぞと意気込んでいたらしい。毎日夜遅くまで勉強し、生徒会長を努め、部活もスポーツ系と文化系2つ掛け持ちでやってたそうだ。 ある時期から突然うつ病のようになり、3ヶ月ぐらい不登校になり部屋に閉じこもっていたそうだ。 それ以降は別人のように地味なキャラになり、 何でもほどほど、ゆるく生きていくことに決めたそうだ。
・最近は、自殺にしても理由がわからず事故かもわからない若年者の死が増えていると以前テレビで特集されていました。 親はもちろん、友人も思いあたる節がないとなり、親が自問自答を繰り返していると話していました。 理由があっても自ら命を絶たれるのは辛いですが、理由がわからないとどこにもぶつけられず、いつまでも前に進むきっかけも生まれず、ご家族は更に辛い状況になりますよね。ただ、人間には資質があり親でも気づかなかった一面があるのでしょう。また、ある程度の年齢になるとどうにもならない事が世の中にあると知りますが、それが絶望と感じる人もいるのでしょう。昨日はあんなに元気だったのに今日は最悪の気分と、人間の感情は日々変化します。若い頃はコントロールがうまくいかずに、条件が重なると突発的にそのような行動に走ることもあるかもしれません。 大人も同じですが、何か踏みとどまる抑止力があったらと感じました。
・数学のような現実との接点が少ない学問、音楽・美術のような芸術で青年期の仕事が最も輝くと言われると聞いています。 亡くなった子供さんの行動を拝見すると、早熟で言語や数理的思考に飛び抜けた才能をお持ちで、キラキラとした少年期を過ごされていたことは、容易に想像出来ます。 一方で、多感な青年期に突入する中、性的な発達や社会との関わりにおいて、特別な才能は何らかの折り合い周囲とつける必要に迫られるます(母親も含む)。 そこで母親はこのような子に対して、どのような環境を提供出来るかは、まさに答えのない世界の旅に出かけ、課題に向きあうことになるのでしょう。このご家族は、それが終わりのない彷徨となったこと。 お子様のご冥福を、お祈りします。
・同じように一人息子を育てている親ですが、読んでいて涙が止まらなくなりました。秀才で、向上心もあり、人間的にも素晴らしく、とても立派な息子さんだったのに、本当になぜ・・。お母様の心中を思うと、胸が締め付けられました。 芥川龍之介、三島由紀夫も最後は自殺していますし、先見の明があり、賢く繊細な人にとって、この世は生きにくい場所なのかもしれません。でもやっぱり生きていてほしかったです。親にとって、子は優秀でなくても良い、ただ元気に、笑顔で生きていてくれるだけで、十分幸せなのですから。
・思春期真っ只中だった息子が日焼けした顔で帰宅した。 登校せずに一日中堤防で寝ていたらしい。学校からも連絡がなかったので親は知る由もなかったのだが、連絡がなかったのが何よりの理由なんだろうと子供を問い詰めることができなかったし、無事で帰ってきたことに感謝さえ覚えた。 子供でも友達や親には言えない、親だからこそ言えない不安がある。自分だってそうだった。大人からみたら些細な事が本人には耐えられない苦痛だったりする。 記事のお子さんはとても優秀で、周りが羨む全てを持っていたくらいの完璧さがあるけど、それでも本人にしてみれば迷いや不安がたくさんあったのかもしれません。遺されたお母様が、何故を繰り返し毎日をやり過ごす姿を想像すると同じ母親として本当に胸が痛みます。亡くなった息子さんもお母様に対して申し訳ない気持ちでいっぱいだろうと思います。
・私も早熟だったようで小学校高学年の頃に自殺願望がありました。理由は稽古事に厳しい母の存在でした。母からの叱責、叩くなどの虐待行為、無視、これらが要因だったのは明らかです。中学入学後、自殺願望はおさまりましたが自傷行為が始まりました。それらの行為が治ったのは高校に入り、比較的放課後自由な時間が与えられてからでした。相談できる人もおらず結果的に事故解決に至りましたが、今思えば小学校高学年のころから自殺願望について相談できる人が身近にいればよかったなと思います。
・子供が新高生として通学していました。体育祭の時は終了後感動なあまり帰宅後泣きながら喜んでいる姿を見て親ながら安堵したものです。その後も旧高生とも仲良く過ごし楽しそうに通う姿を毎日見ておりました。 しかし、やはり早熟な生徒さんも多く様々な影響を同級生や上級生から受けていたようで、親との距離感は出てきたかなと。不安定な年頃なので非常に難しいですね。同じ親としてあまりご自分を責めることなく、というのは難しいと思いますがご自身の心を大切にと願うばかりです。
・人の心は本当に複雑だから、直前になにか原因があって飛び降りるってパターンだけじゃないんだよね。楽しい出来事のあとに、一気に死にたくなったりすることもよくある。楽しい時間終わっちゃった絶望感とか、楽しかった余韻が続いてる今の子の幸せな気持ちのまま死にたいとか、わたしもよくなります。 この年齢で地元の友だちとのギャップがあるってのも結構大きいと思う。進学校いったら勉強漬けで他に何もないのがしんどかったりすることもある。 もちろん本当に何かしら事故の可能性もあるよね。 考えても分からないし現状が変わるわけでもないけど、残された人のためにも、またこれから同じことが起きないためにも少しでも何かしら理由が見つかることを願ってます。
・私は優秀というわけではないけれど、集団行動が苦手とはっきりした意思で少人数制の中学を自分で選び頼んで受験をし通わせてもらいました。父の影響もあり私も本が好きで、沢山の本を早くから読んでいて。純文学や心理学の本を読んだり哲学とはと考えを巡らせたり、そんな事を早くから考えていました。そして漠然と死への恐怖や興味を持っていて。大切な人の死などまだ経験したこともなく死がわからないから、自分でタオルで首を締めてみたりしました。たまたま生きていただけと思うことがよくあります。大人になり激しかった感受性も落ち着き、死とはこの世界から姿形が消えることを知り安全第一に過ごす今、たまたま生きていてよかったと。もし私がうっかり興味本位でやったことで亡くなってしまっていたら、ただ同じように親を悲しませた。理由なんて本人もよくわかっていない中で死んでそれを伝える術をなくしてしまう。答えのない答え。
・50歳になっても、この3月から4月にかわるあたりって、急に気候が暖かくなることや、年度更新の忙しさや周囲の変化に体や心が順応できない時がある。 とくになにかそういう要素がないはずであっても、心がゾワゾワしたり周囲にイライラした気持ちを抱いたり、本当に落ち着かない。 ただ、長年の経験上、4月下旬になればなんてことはないってわかってるからゾワゾワ、イライラしている自分に言い聞かせて乗り切っている。 10代の頃はこのゾワゾワイライラが学校の成績や受験への不安、人間関係なんかから来る…と絡めてたように思うが、それでゾワゾワイライラにさらに考えがグルグルしていたなぁ、と今咲き始めた桜を見ながら思う。
その少年はそういった「なんだかよくわからない不安」みたいなものに追われてしまったのかなぁ。
・成長期には何か仔細な事がトリガーになり大きな事が起こってしまう事がありますからね。 例えば友達とのお花見がこれまでの人生最良に楽しくて脳内にベータエンドルフィンが過剰産生されLSD服用時みたいに空を飛びたくなってしまったり。 一人残されたお母様はさぞかし辛かった事だと思いますが少なくとも直前まで彼はお花見をして楽しかったようなので前を向いて生きて欲しいなと思います。
・自殺だとしたら感性が鋭く芸術家気質だったのが禍いしたのかもしれない。 もう少し俗物の部分もあればよかったかもしれないが、感受性が強いが故の生きづらさ、生きることの虚しさというのを読書経験を通じて若くして知ったのかもしれない。 しかし、お母さんの悲痛の思いはいたたまれない。18年たっても心の傷は塞がらない。 一番の親不孝だからね。少しでもお母さんが生きる意味を見出してこれからの人生を歩まれることを祈念します。
・勝手な想像だが、早熟であればあるほど自分の考えや思いと、世の中で自身が置かれている立場や境遇とのギャップを凄く感じるような気がする。 母一人子一人ということであれば、尚更「早く大人になって母親を楽にしてあげたい」と思ってしまったのだと思う。 事故か自殺かはわからないが、頭が良く精神的に大人過ぎたことが逆に不幸になってしまったのかもしれない。 残された母親は気の毒だが、早くに旅立ってしまった息子のためにも頑張って生きて欲しい。
・高校のクラスメートが自宅近くのビルから飛び降りました、その知らせを聞いた母親は体が固まり暫く動けなかったそうです。クラスが違って、たまにみかける彼はいつの日が表情が暗くなってました、明らかに心の病を掛えてた感じですが、昔は心療内科に通う選択が無かった感じです。今 周りに鬱病の友人や知り合いがおり、物凄く心配です。
・一般と進学校とでは環境が大きく異なります 上手く適応出来ていたのかは 傍から見てるだけでは汲み取れない部分もある 思春期で様々な悩みを抱えたり 心に変化が現れる時期でもあるでしょう 単純に事故による転落の可能性も無くはないので 思い詰めても真相は得られず 心の傷が深まるだけです そんな時は自分に都合の良い解釈で結論付けた方が心が楽になると思いますよ
・いじめ等があった可能性が低いなら、賢いからこそ、思春期という時期も相まって自分を見つめすぎ考えすぎたのかもしれませんね…。ただでさえ思春期の子どもは不安定なものですが、さらに賢く文学にもよく触れていたとのことで、そういう可能性はありそうです。 本人にしかわからないからこそ、お母様はなかなか気持ちの整理がつきませんよね。周りの人達を頼りながら、穏やかに暮らしていけるよう祈ります。
・開成中学は1学年男子300人。世間がイメージする高偏差値のもやしっこばかりでなく、Jリーグ下部組織出身者からピアノの国際コンクール入賞者まで、既に様々な勲章を持つ生徒も多いと。また毎年母の日恒例開催の運動会は、中高が一体でタテ割に8組に分け、棒倒しや騎馬戦はリアル肉弾戦で行う。運動能力だけでなく、芸術系才子は各組のエールの自作曲や大看板の絵を競い合い、いずれも極めて高レベル。150年近く繰り返し伝統を紡いでいると。 運動会の組分けや部活が、卒後の上下横の交友にも及ぶらしく、文化系から運動系まで部活も盛んと。こうした多士済々、質実剛健のイメージで記事を読むと、中学3年までに3つの部活を経験していることは少し気になりました。新入時の仮入部の経緯かもだが、学校生活での漠たる寄る辺なさは、この時期誰しもが感じておかしくないと思いました。亡くなられた件との関係は強くないとは思いますが。
・事故でないと仮定して。全く予兆が無く最愛の一人息子を突然失ってしまったショック悲しみは、察するに余りある。もし時を巻き戻す事ができれば、息子の死は覆らないとしても、せめて何故の答えを本人に聞いてみたいだろう。人は相手の心の奥深くまで分からないのは当然。余計なお世話ではあるけど、お母さんは決して自らを責めるような考えを巡らすことなく、強く生きて欲しい。
・開成中高の卒業生です。 こんな悲しい出来事があった事は知りませんでした。
開成に限らず、全国から「自分が一番賢い」と思っているような生徒が集まってくる中で中1、中2と過ごすと、「自分はそれほどでもない」と言う事に多くの生徒が気が付きます。大きなショックを受けます。
また、中1の初めに開成の名物と言われている運動会があり、顔合わせと称して中1が高3の教室に集められるのですが、その際に「イジメ」とか「パワハラ」とかとしか表現できないような扱いを、中1は高3から受けるのです。 多くの中1が、何も悪くないのに罵倒を受けて泣かされます。 憧れて開成に入ったのに、このような先輩方の振る舞いや学校に幻滅してメンタルを崩す生徒が出てきていました。
今回彼が亡くなった事にそのような事が関係しているかはわかりません。
そもそもこのニュースに「開成」と学校名を出す必要があったのかが良くわかりません。
・会社のPCでニュースのタイトルを見て、気になって昼休みに入ってすぐ調べてこの記事を読みました。 記事を読んで、お母様の悲しみと戸惑いが伝わってきて胸が苦しくなりました。読んだ私ですら言葉にできないような喉の詰まりがあって、お母様は今想像がつかないほどの苦しみと疑問の中にいるというのも想像がついてしまいます。
これまでそのようなそぶりがなかった分、困惑が非常に強いと思います。 何十年も早く雲の向こうへ行ってしまった息子さんのことを思うとよくないことを考えてしまうかもしれませんが、お母様も早まらないでほしい、とただひたすらに思います。
・私も子どもの頃から本の虫でした。私の場合読み続けていた結果思春期に入った時、周りに比べて妙に考え方が大人びてしまっている事や、私が興味のある事には周囲の友人は興味がない事に気がついた。 そんな友人たちを「楽しそうだな」「羨ましいな」と思うようなった。でも、その楽しい事は私にとっては酷く非合理的なもので、恐らく私の両親に話しても反対されるだろうと言い出せなかった。 プリクラを撮りに行って、ルーズソックスや短いスカートを履いて、髪も染めてみたい。そんな憧れは厳しい両親の元で育った私には決して叶わないものでした。 彼女たちはこんなにもティーンエイジを楽しんでいるのに、私はもうとっくに枯れてしまってこの輝くような時代は私には一生来ないのだと思ったら、死にたいと思うようになりました。思いとどまれたのはなぜなのか未だにわかりません。でも思春期に確かにそういう揺らぎが訪れるのは間違いないと思っています。
・私の知り合いの方で、まわりの皆から良い人と言われた人は早く亡くなる方が多いんです。人間の世界に輪廻があるとすれば、神様は次の命が生まれる時に、その命にバトンを渡す命が必要になるのではと思います。ここにはどうしても良い命が生まれてきてほしいと神様が考えたときに、良い人はそんなにたくさんいないから、神様は人手不足で困ってしまいます。その時、この世に生きている人に次の生まれ変わりの場所に行ってもらわざるをえなくなって、やむなく良い人のところに死がめぐってくる。その様に思うんです。
きっと息子さんは、次の命をもう一生懸命生きてらっしゃるのではないでしょうか。お母様はおつらいでしょうけれど。それほど素晴らしく神様からもあてにされるような息子さんだったということではないでしょうか。きっと生き生きと次の命を生きてらっしゃると思います。心配なさらないで下さい。今の息子さんにもお母様の愛は伝わっています。
・どんなに優秀で天才でも子供は子供であり、例え本人が嫌がったとしてもある年齢までは子供でいさせる事が必要かと思います。例えば小学生なら小学生に適した書籍があり、何でもかんでも早ければ良いという訳じゃない。記事の方はひと昔前の時代、まだR指定などの概念も薄かったように記憶しています。中2の終わりで20:30まで遊んでいてOKだった事も少し違和感がありました。きっともう大人扱いしていたのかと推測できます。 人生生き急いでも良い事って殆ど無いです。子供が早く大人になれてメリットがあるのは親だけなんですよね。 この少年については、平均より短い生涯ではあったけれど、勉強や様々な経験がぎゅっと詰まった人生を目一杯生きたんだ。そう思い弔っていくしかないと思います。
・転落に至る詳細が分からないというのは何ともお辛いことと思います。息子さんの友人にも尋ねられたでしょうし、理由が何であれ、我が子を失うというのは想像するのも辛いものです。 小学校時代の同級生と会われて何か思うところがあったのでしょうか。もしかしたら彼にとって転換期だったのかも知れないと思います。 亡くなられた息子さんのことは分かりませんが、自分の思春期を思うと、親に言わなかった辛かった出来事や悩み事がありました。我が子にもあるだろうなと思いながら見守っています。 また人は何も悩みがなさそうにみえても抱えていることがありますし、人の心は複雑ですね。 お母さまと息子さんの心はきっと通じ合っていると思います。憚りながらお二人の心の安寧を祈ります。
・このお母様とたまたまお仕事でご一緒になった時がありましたが、たいへんひたむきに取り組まれる素晴らしい方でした。 ちょうど息子さんがまだ小学生くらいだったかなと思います。 その後このような事が起きていたとは...。
事件ではとのお気持ちもわかりますが、頭がよく芥川、太宰、それにロシア文学を読まれるお子さんであれば、友達と楽しく別れた後にやりようのない寂寞感や厭世観が襲ってくるのは充分にあり得るのではないでしょうか。 私は開成のようなトップクラス校ではなかったですが、やはり中学生の多感な時期にちょうどそれらの系統を読み漁っていましので、なんとなくわかる気は致します。
将来の優秀な人材が失われた痛みとともに、改めてご冥福をお祈りいたします。
・子どもの精神的問題は親には理解できないものです。進学校ではプレッシャーもあるだろうし、成績と言うものさしで優劣が決められる中で立ち位置で押しつぶされることもあるでしょう。親に打ち明けられず追いつめられたのかも。友人も受験生のまま自死を選ぶ選択してしまったので辛さに押しつぶされたのかも。子どもの学力を理解できないといけないかもしれないね。
・この先に絶望したから自死をする、命ある限り生きる…生きるも死ぬも理由があったり無かったり。太宰治の作品などは、うちの子には大人になってから読みなさいと言ってます。とても素晴らしい作品なのだけど、若い時に読むと心が揺さぶらされすぎるから。少なくとも自分はそうだった。この息子さんの亡くなった理由はわからないけど、若い時って心の揺れ方激しい。自分でもそれを抑えれない。なんで亡くなってしまったんだろうね。お母さんはずっと悲しまなくてはならない。親より早く亡くなってはいけない。
・小学校時代の友達と今の開成中学の友達の狭間で悩んでいたのかもですね。 小学校時代の友達にはやっぱり頭がいいとか、エリートとか言われ事あるごとに、違うとか凄いとか。 褒められてるけど、何となくけなされているような疎外感。 開成中学ではかなり生活環境も成績も並外れた生徒もいたでしょうから、その両方のギャップやすれ違いに悩んでいたのかもですね。 自分の居場所が両方にないような、どちらにもいけないような。
・私は、自分の思いを溜め込む性格なので、5人の子供達が自分の思いを溜め込むところがあり生きづらい自分のようになりやすい人達だと見ていましたので…自分の心の中をさらけ出せる家庭環境つくりを心がけるようにしていました。 喜怒哀楽の心の思いは、喜び楽しみは表しやすく共に暮らす家族や仲良しの友達に伝えたいとなる様子の子供達、それに控え、怒り哀しみの心の思いは、自分自身に溜め込み、爆発させるときの辛さを幼い子供達は、あらわしましたので…嬉しい気持ちと悲しい哀しみ怒りを家族なら表せられるように、それぞれの性格に添って働きかけるようにして来ました。本当に、辛い気持ちを抱えたときの子供の様子に寄り添い子供のペースで、あらわすことの全てを受け止めて来ました。
独り傷ついて死を選んだ子を、思う親の心ほど悲しいことはないと思います。
・以前テレビで同じような悩みを持ったお母様がいらっしゃいました。兄弟姉妹3人でテレビ見たりしてリビングでワイワイしていたので、「ケーキでも買ってこようか」とお母様がケーキを買いに出かけて帰ってきたら、娘さんが自室で首をくくっていて、理由がまったく分からないと。ただ、私は中学時代に友達が「親って子供のことほとんど分かってないよね」って話してて、まあ、その通りだなと思いました。いつまでも子供のままだし、笑顔があって、学校に普通に行ってたら元気だと思ってるし、いじめに気付かなかった親を責める方もいますが、気づかれないようにしていたら、気づかないと思います。逆に子供は親のこと、めちゃくちゃ見てるけどね。親子と言えども、保護者と保護される者の差ですかね。
・昭和の頃もこのような事故が非常に多くありました。 その頃からよく言われていたことが、親が子供より目標設定が高く、理想を描きすぎている事も子供自身が大きなプレッシャーと重圧に耐えきれないということがあり、これも原因の一つだったと言うのを思い出します。 子供よりも親が大きな夢や理想を描きすぎて子供がついていけなくなり不安などあったのではないかと察します。私の身近にもそういう方が今います。 子供が親の顔色ばかりみて、行動しています。今回のケースがこのような事からあったのかは想像ではありますが。
・自分をギリギリに締め上げて考え込む年齢だからなぁ・・。実社会を知ってるわけではないのに頭はすごい先走るから、どんどん考えることの抽象度が上がっていって現実と遊離してくる。周りは何を悩んでいるのかついてこれないし、自分もそれを話すつもりもないからどんどん孤独になる。 振り返ってみるに、農業とか、逆に何か体を動かして違った方向の充実感を具体的に得られるようなことをさせたほうがバランスがとれていい気がする。
・事故ならしょうがないですが、自殺に対しては意見があります。 自殺については自殺に至るまでのストレス、悩みがあると思います。しかしそれ以上に嬉しくなることが、この先待っていると大人から若い人へ伝えるようしていく社会にしたい。
だから今の自分が楽しんでいないといけないと伝えられない。 今が最高になるよう生きていきたい。接する若い人には伝えていきたい。
・自分は17歳で死のうと心に決め、スッと実行した。運良く助かり今に至るが。 同じく小さい頃から本の虫で、学級委員や生徒会、クラブ活動、何もかもに全力だった。友達も多く親からも先生からも期待されていた。 陰と陽、光と影。思春期を迎え、私は常に死が纏わり付いていた。いつか死ぬのに何故生きるのかという哲学的思考、自分がいない世界への興味関心、最高な状況で死にたいという傲慢さ、見えてきた限界への恐れ、理由のない虚しさが渦巻いていた。何よりも大人になって汚れてしまうのが怖かった。今から思えばモラトリアムだったのだと思う。それは誰に相談できるものではなかった。 実行に原因はなく、理由をあえて挙げるとしたら思春期特有の心のアンバランス感と死への興味関心だった。
・まだ中学3年になったばかりなら心は不安定でまだまだ子どもだと思う。我が子は遊びに行く時はまだその親とも連絡をして、17時には帰るように話している。 お母様一人で大切に育ててきたお子さん。 頭がよく、迷惑をかけたくないって気持ちもあったのかもしれない。仕事もしなければならないだろうし、悔やまれる事ばかりだと思う。常に変化に気づけるくらい一緒にすごせる時間があったらよかったのかもしれないけど、突発的な自死ならそれもわからないかもしれない。
・不慮の死を遂げた子の親は、ほぼ例外なくこうした自問自答を続けるのだと思います。ましてやこの事案は、最終的に「転落死」として完結させられてしまっているので、転落に至った理由すら遺族には分からない。どれほど辛いことか。 警察を始めとした司法機関は、事件性が無いと判断されれば、それ以上は動きようがありません。それに代わって、遺族の無念に寄り添う仕組みが必要なのかもしれません。 一方で個人的には、「どんな真実でも明かされないよりはマシだ」なのか「真実を知ることが最良とは限らない」なのか、答えが出ない所ではあります。
・記事を見ていて胸が苦しくなりました。亡くなられたお子さんのご家族の皆様には耐え難い現実すぎます。
胸が苦しくなる話だからこそ、記事の表題はこれでいいのでしょうか。わざわざ開成に入ったと書く必要はあるのでしょうか。彼の学校の関係者も多くが心苦しく思っているはずです。ナイーブな話だからこそ、責任を煽るような書き方はナンセンスかと思います。
・飛び降りた理由は、一言でいえば、若さなのだと思います。
私も中学生から30代まで死にたい日が多かったです。 我が家も母一人子一人の母子家庭。母は経理で働き中高一貫の私立の女子校に進学させてくれました。 入学後、成績はまあまあ良かったですし、友達もいた。習っていたピアノも楽しかった。将来を悲観する要素もなかった。
私は小学校のクラスがとても仲良しでした。 同窓会など解散した後、とてつもなく淋しい気持ちになる。 働き始めても大学時代の思い出し虚しくなりる。 戻りたくても戻れない時間はキラキラして見え、今の自分がすっきりと真っ直ぐ生きてない気がしました。 この先の不安、いろいろなことがモヤに包まれた不安な気持ちになり、ああ、死んでしまおうかな、と。 記事のお子さんが同じような気持ちだったかどうかはわかりませんが、お母様の気持ちの整理のお力になれれば、と思いコメントさせていただきました。
・小学校時代の友人との花見の帰り、に亡くなった事がキーになるような。良くも悪くも、友人達の歩む学生生活と自分の学生生活を比較してしまったのでは。自分はある意味で可能性を出し切ってしまい迷いがない、しかし友人達は進路やら将来の職業についても彷徨っている。迷いがないからこそ、夢もなく決まったゴールに従っている自分がどうなのかと感じて悩んでしまったとか。真実は本人にしか分からないが、非常に優れたお子さんだったらからこその辛さがあったのかも知れないし。いずれにせよ、お母様にご自分を責め続ける理由は無いと思う。
・クレヨンしんちゃんの作者さんも転落事故が多い崖からのぞき込んで写真を撮っていて転落して亡くなってしまった。自殺しようと思っていないのに、空、とか、高いところ、に魅せられてしまうことがあるのだろう。才能があって豊かに生きてる人ほどうっかり足を踏み外してしまうこともあるのだろうと思う。
・やはり子供を育てるという段にあたっては可能なかぎり両親がのぞまれると思います。 両親の間に思いがないとしても子供にとっては。 片方がピアノを勧めるなら片方は空手を 。 片方が塾を勧めるなら片方はファミコンを。 特に異性の子の心中を理解するのはとても難しく、理解したと思ってなどいけない。 同性でも自分とは世代も性格も別人。 出来るだけ多くのコミュニケーションをとり、出来るだけ多く子供の頭の中を想像し、心配して心配して物心両面でケアがのぞまれる。 決して「自分の子は大丈夫」なんて思ってはいけない。 人間には魔が差す事がある。 出来るだけ多くの人が子供の事を思って侃々諤々話し合う事がのぞまれます。
・とても賢いお子さんみたいで、私には飛び降りたことについて、理由があったのか、特にこれといった理由がなかったのかも分かりません。でも何か理由があった場合、お母さんがそこまで考えても分からないならば、お母さんには絶対知られたくないことだったような気がします。こうなってしまった以上、知らないでいてあげるというのも親子関係かなと思います。
・この少年の様に優秀ではなくどちらかと言えば 真逆の駄目人間ですがが私も40過ぎで 「このまま生きていても」と思った経験が あります。 その時は夜も眠れずにこのままふらっと 外に出ていったら自殺でもするんだろうなぁと 思いました。 でもその時はそんな気持ちなのを察していたのか 家族は何も無かった様に接してくれたし 知人達は変わらず遊びに誘ってくれました。 おかげで今も生きています。 かしこまってお礼とかは伝えてませんが みんなに繋げてもらった生命を無駄にせず 天命まで生きていこうと思います。
・宝塚の事件で、自分の息子が、あの時もしかしたら危なかったと思えるようになって、その時息子がお祖母ちゃんが助けてくれた、、実母が亡くなって葬儀で親戚に会えて救われたと、言っていたのを今頃、危なかったと思い返しています。その位、親は分からないものだと、思って良いと思います。励ますと反対の感情も用意して置かないと、まだ心療内科に通う前です、通うようになれば明るい方向を目指しているはずですから。
・一見すると隙のないような人生を送っている人ほど、ガス抜きが出来なくて精神的ダメージを蓄積し、突発的な行動に走ってしまう印象があります。
この子は勉学も出来て友人も多い。裏を返せば、人との関わりが多い分だけ、逆にその人数分の悩みも抱えていたんじゃないかと思う。開成に入る環境なので、周りの同級生も勉強熱心な子が多かったのかな。落ちこぼれることを恐れていた面もあるのかもしれない。
・こういうのって他人から見てわかりやすい理由ではないと思う。もちろん、他の人が知らないだけで、明白な理由もあるかもしれないけど。でもこの記事を読んだだけだと、単純に過活動だと印象を受ける。複数の部活に学校の勉強にさらに大量に本も読んで、友達付き合いもあって…って。まだ心身のバランスが整っていない思春期に、いろいろやりすぎて本人も意識しない過剰なストレスがあったんじゃないかな。また、頭も良いから、なんなくこなして本人も好きでやってるように見えたけど、追い詰められたのかも。心の成長が追いつく余白みたいなの、ぼーっとする時間も必要なんじゃないかなぁ。
・私も下町育ちで中学から私立に行きました。 とても楽しい学校生活でしたが、お金持ちが多くまたずば抜けた秀才もいたやや偏った集団にどっぷり浸かっていた私は、地元の公立中学に進んだ友人との交流は何故か本能的に避けていました。
この方は、地元の同級生と遊んだ直後に逝ってしまった。開成は日本屈指の進学校。ほぼ全員が東大受験に向かって努力している。それに対して地元の人達は別のベクトルで生きている。勿論、一流大学行きたい人はいるだろうが、開成とは比べ物にならないだろう。
彼は余りにも違った生活を送る地元の同級生との交流で何かを感じ、吹っ切れてしまったのではないか。これ以上の事は述べられないが、いくつも部活を掛け持ちして何か楽しい事を求めていた事も、あの学校生活では珍しいことではないのか…
・本当のことは本人しか知らないけれど、そんなに活発なお子さんだったなら、お母さんを一人残し、先に逝くことはないのではないですか? 事故だったように感じます。いずれにせよ、お母さんが向こうの世界に行って息子さんと会った時、よく頑張ったねと言ってもらえるような生き方をお母さんなりにできれば、それで充分なのだと感じます。仕事以外に何か好きなことが有ればいいですね。
・いつもずっと明るく頑張ってきた子供が、高校受験の準備に入る中3の春、開成の友達ではなく小学校時代の友と花見に行った。その方が気が楽だったのかなと思う。開成だと、学友みんながライバルだろうからね。その時の成績がどうだったかも気になる。春、木の芽時、5月病。いろいろな要素が絡んだ結果かも知れないね。
・さすがに開成は進学校であり名門校でもあるのだと信じたいが、英語圏、ヨーロッパ軒なら入学者がアート芸術系からスポーツまで幅広く触れられる環境を運営者が整え、グラウンドも広大。卒業生が各界で幅広く活躍して名門校として認められてなんぼのところ、日本は狭い敷地に勉強だけで偏差値が高い進学校であればそれで評価される風潮が昭和期から変わらない。本当の名門校は全国でも少ないのではないか。ちょっとしたことが悩める本人にとっては救いになるのですが、進学校では六に人間教育などやっていないところも普通にある。校風との相性もあるので有名校の名前だけで学校を選ぶと危険。N校など進学校のドロップアウト組に需要があるらしい。逃げ道はあるので、狭い学校社会で生きている10代で思い詰めないで欲しい。
・死にたいと言うより消えたいとふと思うことが私もあったなぁ。いつもなら全然なんともない出来事がその時はものすごく不安で怖かったり。あと人間てなんだろう、どうして手を動かそうとすると手が動くのか、なんで私は今生きてるんだろう、なんでみんな生きてるんだろう、死ぬってなんだろうとか夜考える日も何度もあったな。なんでそんなこと考えてたのかいまだに分からないけど。小学校高学年から高校くらいまでの出来事。 消えてみたいとふと思うことは大人になった今でもある
・頑張りすぎてる過ぎている人は疲れてもう無理となる時、休むことを覚えれほしい。 休むことは遅れをとることではなくて自分を整えるためです。 今やってることが自分に合っていない違和感を感じたら離れるのも大事。
頑張って頑張ってもう頑張れない、そうなると追い詰められる。 もう頑張れない、怠けてるわけじゃないパワー切れなんです。休んで下さい。
・もう御本人にしかわからないことでしょうね。 ただ早熟で地頭も良く努力家。読書家でもあった中でカミュやカフカを読んでいたなら、日本文学も有名どころは読んでいたでしょう。明るい終わり方は少ないですよね。
自分もいくつかの国内外の文学を読みましたが、読んだ分だけ誰かの人生を経験したような感覚にはなりますよね。重く感じることもありますし、救われない気持ちになることも多々あるし…。
御本人が学校で何かあったのか家庭で何かあったのか…。お母さまがとてもとても悩まれる気持ちは良くわかります。でも私ははっきりとした理由は学校でも家庭でもなかったのではないかなと感じてます。 ぼんやりとした不安、虚しさ…。賢いお子さんだったからこその達観した思いがあったのかなぁなどど想像します。
でも私も子どもの存在だけが心の頼りなので、お母さまの気持ちを考えると他人事とは思えないですね。
・小学時代の友人達とのお花見の後、行動されたとの事。 開成では何でも意欲的に思われたけど、小学時代が懐かしいと思われる、何かが有ったのかなぁとも思う。
自分も転校した学校が合わなくて、親も共働きで遅く、話を聞いてもらえる環境に無く、何で生きてるんだろうと思って、飛びたかった時期が有る。 何とか持ち堪えたが、親の、無言でも有言でも、プレッシャーってシンドイ事、大いに有ります。
・子育てって難しいと改めて思いました。 さぞかし自慢の息子さんだったことでしょう。 頭脳明晰でスポーツにも秀でていて、早熟で読書家、リーダーシップも取れる、友人も多くて・・将来明るい印象しかない。 でも同時に人生早い段階でパーフェクトすぎる印象も持ちます。 だからこその苦悩があり、パーフェクトを演じられるからこそ、演じていたが、彼の中に欠落していた点があり、パーフェクトになるため、一旦リセットしたかったのかな、と感じます。 それは太宰治や川端康成やヘミングウェイなどに通じます。
・逢魔時かな。特に大きな理由はなくてもふっと持っていかれてしまう時ってあると思う。後から考えるとほんの些細な小さなことなのにその瞬間、行動に結びついてしまう。タイミング的には、昔の友達との話の中で何かキーワードになってしまったのかも。
・開成に通っていた友人がよく開成は心を病んでいる人が多いと言っていたのを覚えています。その人自身も開成に通っていた頃はかなり荒んでいました。 やはり小学校までは周りから抜きん出た優秀者として扱われていたのが、開成に入った途端に普通の人以下になり、半数は落ちこぼれとして教員からも周りからも白い目で見られるようになることが相当心に応えるということです。 その友人も大学に入ってからは落ち着いたものの、高校までは家庭内でかなり荒れていたようです。初めて感じる自信の無価値感と屈辱、孤独な辛さを抱えて自殺する子供は過去にも聞いたことがあり、おそらくこの学校の歴史上で初めてではないでしょう。 一ランク下の海城高校では昔、金属バットで家族を殺す事件もあったとか…自分は無理に高偏差値人生を送らせることが子供にとって本当に幸せとは限らないという気もします。なににしても相応が一番です。
・父と母がいるという事は重要な事だと思います。なぜを問い続けるのであれば、その事についても考えてもいいと思います。私の両親は共にフルタイム勤務で働いていました。感謝もしていますし尊敬もしています。しかし家で母親が待っている家庭は羨ましくもあった。子供にとって両親の存在は大きい。
・中学生のこの時期の男子は家族とも会話しない子も多くて何考えてるかわからない。自分も進学校だったが、同じ時期にずっと心にぽっかり満たされない虚しさがあった。優秀というのは周りからの評価であって、自身はコンプレックスの塊という事ってよくある。これは自分で納得して乗り越えていくしかないとあと少し生きてたらわかるようになったと思う。 世の中は得意不得意がうまく補い合ってできてるんだともっと気楽に生きれたらよかったな。
・生きて行くのが堪らなく辛いから自殺するのでしょう。その理由はそれこれ色々あります。幾ら名門中学に入学しても、競争がより一層厳しくなる。周りを見ても皆んな優秀そうで試験の点が良い生徒ばかり。親からの期待が大きくなる。誰でも心身のバランスが取れなくなると思うが。東大を目指すのは将来のことを考えて悪く無いと思うが、中学、高校受験をそこまで真剣に考える必要はないと思う。自分も昔は有名高校に入ることを考えていたが、今から思うと、只々、自分の名誉心だけで合格を考えていたように思うし、普通の高校でも、自分で勉強していれば東大に入れるのではなかったか思うようになって来た。その方が本人も周りも気が楽でしょう。塾やマスコミの謳い文句、親の期待と名誉心、これらが、未だ若い中学生に凝縮している世界は気の毒に思う。
・高校の時、1学年上の生徒が自殺した。 大学受験に失敗が原因と言われていた。 開成の様に超難関校ではなかったが、地元では1番の進学校だった。 当時は落ちた位でなぜ自殺したんだろうと疑問しかなかったけど、 今は家庭環境も理由の1つではないかなって思う。
運動も勉強も出来て、母親はさぞかし自慢の息子だったでしょう。 中学受験させる位だから、教育にも熱心だったはず。 母親本人は気付いてないかもしれないけど、息子はノンプレッシャーではなかったと思う。 これが自殺の原因だとは言わないが、可能性の1つとしてはあるんじゃないかな。
自分の両親は学がなく、1度も「勉強しろ」って言われず自由に育った。 自分には合っていたと思う。
・進学校に行って自ら死を選び亡くなってしまう子聞いた事あります。やはり、自分や周りの価値観の中で自分を許せなくなったり、狭い世界で追い詰められてしまう事がありますよね。 このお母さんはまだ何故かを自分と向き合っているだけマシかも。 隠蔽して無かった事にしてしまうご両親もいますから、進学校での自殺で虐め原因で無い場合、人生が勉学の事だけになり自分を追い詰めてしまう子がいるので、他の価値観も教えてあげるべきだとは思います。 勉強だけしか無い人間って共感能力が無くなってしまっていたり、モラハラ気質に育ってしまう場合もあって、それだけが人間の魅力では無いですから。
・自分も1学年150人くらいの中高一貫男子校に通っていたからわかる部分がある。 自身とは開成の方が偏差値では3ポイント程度の差と 開成のような400人以上のマンモス進学校とは違うから若干違うかもだが 関西に多い150〜200人程度(灘、甲陽、六甲など)の高校に通い中学から高校に差し掛かる頃になると学校の成績で大体進学できる大学が見えてくる。 例えば学内50位程度なら東大はきびしいかな?とか100位程度なら旧帝大のどれか?とか人数が少ない分毎年の進学先も見えるわけで残りの学生生活〇年だから焦燥すら感じる時期になる。 それはマンモス進学校でもある程度変わらないと思う。 (近年の進学全体での定員割れ状況からしたら競争減による違いがあるかも、、、) さらに自身は中学から通学に2時間以上費やした為に地元の友達という部分では皆無に近くなって会うと言い方悪いが「気楽でいいな」みたいな気持ちにも、、、
・私には子供がいないけれど、この方の状況を想像しただけで本当に辛い。 他人の立場からひとつ言えるのは、例えば死因がわかったところで息子さんが居なくなった事実と悲しみには変わりないということ。いじめが原因でも辛い。実は死にたいと思っていたでも辛い。原因がわからないということは、責める対象がいないことでもしかしたら辛い中でもいい方なのかもしれない。 天国で幸せに暮らせてるといいな。
・うちの子は、小学生のときベランダの手摺りに上り、そこから地面に落ちた。親が留守中のことで、その話を聞いたのは、それから何年も経った後だった。脇腹を痛めただけとのことだったけれど、2階の床より130cm高い手摺りの上から落ちたので、死んでいてもおかしくない。そのとき亡くなっていたら、なぜ死んだのだろうと永遠に思い続けただろう。ベランダの手摺りに上ったのには子どもなりの理由があって、訳を聞けば、ああなるほどと思うことだったけれど、落ちて亡くなった後だったら、まさか手摺りに上ったとは思わないから、自らベランダから飛び降りたとしか思えない。事故とは思えず、自死としか思えなかっただろう。ベランダの下に庭石など置いておかなくてよかった。この経験から、結果と状況から、自死としか思えなくても、実は分かりにくい理由による事故ということがあるのだと知った。
・これは辛いです。原因がどうであれわかっていれば納得なんかできないけれどそうだったのか、という理解もできますが順風満帆だと思っていたら突然だと厳しいし、なんの為に生きているのかわからない、は本当にそうだと思う。 頭が良いからこその悩みでもあったのだろうか…その日友達と遊んだのは「お別れ」の意味があったのだろうか。でも頭が良い子なら母親がどれくらい悲しむのかだって予測できたはず。それすら振り切って旅立ってしまったのにその原因がわからないとなると親としてこんなに悲しい事は無いでしょう。
・子供の大学の入学式の待ち時間にこの記事を読んで泣いてしまいました。 頭では想像が出来ない、どんなことよりも辛いことだと思います。 私の娘は去年浪人している時に、勉強をして大学に入ったとして、その後ずっと働き続けて死んでいくだけなのに何が楽しいのかわからない、楽になりたいと言ったことがあります。 真理なだけに私は言葉に詰まって、生きていれば絶対に良い事があるよ。としか言えませんでした。 私自身はヨガを続けていて、今ここで呼吸をしていることに集中する時間が癒しです。 どんな事を書いてよいのかわからないし書いて良いのかもわかりませんでしたが、この可愛い写真に胸が痛くて、書き込みをしてしまいました。
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