( 156097 )  2024/04/04 13:06:30  
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(まとめ) 

複数のコメントからは、学習指導要領の遵守や教育制度に対する疑問や批判、教員や学校の自律性や特色を尊重すべきであるという意見が見られました。

一方で、一律な指導要領のみに従うことでは十分な教育ができないとの声や、文科省の横暴や介入に対する懸念も示唆されています。

教育の多様性や個別性を重視すべきであり、学校現場や教員の専門性を尊重しつつ、適切な教育を行うことが求められるという意見が共感されているようです。

( 156099 )  2024/04/04 13:06:30  
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・学習指導要領は、確かに遵守するべきものかもしれないが、国立小学校は教育改革のためにさまざまな先進的研究をすることも大切な役割。 

習字の毛筆や珠算などもそうだが、時代に合ってるのか、それが現代社会にマッチした効率的な国際人としての日本人教育なのかは、常に精査する必要がある。 

そして、よりよい改革提案が出れば、それに沿って学習指導要領も変化していく…と言うのが今までの流れのはず。 

多分このニュースを読んで、同じ国立小学校勤務の研究バリバリ教員達は戸惑ってることだろう。 

今回の大幅な処分は、表向き「学習指導要領の遵守を怠った」なのだろうが、裏に言えぬ事情があるのでは、とついつい思ってしまう。 

 

 

・指導要領に従うことで、児童が転校した時に学習に大きな差が出ないことはメリットだと思います 

ただ、正直教科書会社が指導要領に合わせて教科書を作ってるだけで、学びがあるかと言われれば微妙な気はします 

道徳なんて、価値項目に合わせた話を教科書会社が作って載せてるので、これで道徳の何を鍛えればいいんだろうと思うことはあります 

学習指導要領に沿っていればある程度の自由はあってもいいと感じます 

それよりも、外国語が増やされ授業次数がカツカツな高学年を早く救済してあげて欲しい 

 

 

・国立の附属小は、歴史的に先進教育の実践・実験の場、かつ質の高い教員の育成の場としての役割を担っている。保護者は、モルモット扱いを承知で入学させる必要があるし、実際、年間の1/3〜1/2は入替り立替りで教育実習生の拙い授業を受けることになる。小学生たちは、少し年上の兄さんお姉さんたちとのかけがえない無い交流体験も得られる一方で、学習面では不足や遅延などが生じる場面も多い。 

そこを見極め、限られた時間内でしっかり補い、プラスまで持ち上げるのが既存の教員の役割、指導のハイスキルが求められる。附属小の先生方はまずもって意識が高く、手作りの補習教材や独特の指導法などを常に試行錯誤して磨き上げる努力を怠らない。もちろんその成果は月次の研究発表会などで報告され、教育同士も磨き合う。 

そんな現場の実態に、必ずしも型通りの学習指導が馴染まないところはあろうし、教員総取っ替えなどで対応できるはずもなかろう。 

 

 

・奈良教育大学附属小学校については、詳しく知りませんが、研究開発学校として、文部科学省に独自のカリキュラムが実施できるように、手続きをしていれば独自の取り組みが認められると思います。 

 

同じ奈良の国立大学である奈良女子大学附属小学校は、文部科学省より令和4~7年度研究開発学校に指定され、独自のカリキュラム「かがやく時間」を新設しています。 

奈良女子大学附属小学校は、何回も研究会に行ったことがありますが、学校全体で共通理解し独自のカリキュラムを行い、先生方もそれぞれの教科の研究を実践されています。 

 

先生の研究は当然大事ですが、それぞれの先生が独自に好きなことを何でもしてもよいということではないと思います。 

 

奈良女子大学と奈良教育大学は数年前に、国立大学法人奈良国立大学機構になっています。 

 

想像ですが報道では、書かれていないことがいろいろあるのだろうと思います。 

 

 

・国立小学校と学区制がある公立小学校は全く成り立ちが違います。国立小学校は学問の自由や大学の自治が認められた大学に附属する実験農場であり研究所です。 

学習指導要領の有効性を確認するには、公立小学校に通学する児童と対比する実験が必要であり、対比グループを作るために生徒募集をしています。子供がモルモット同様の扱いを受けることに同意した保護者の任意に基づいた契約によって通学させている点が、公立小学校と全く異なります。 

対比実験をするためには、学習指導要領と異なる内容の教育をしたり、教える時期や順番を変えてみないと無意味なことは、少しでも理系の学問をした者ならわかるはずです。 

物には限度があるので、実験に名を借りた洗脳や破壊活動的なことをしていいものではないし、保護者に対して虚偽説明をして生徒募集をしたなら問題ですが、報道を読む限りそのようなことはありません。教員に対する非難は甚だ的外れです。 

 

 

・記事に乖離するが、まず教員不足に有効な対応しないとダメだろ。氏岡真弓氏が「先生が足りない」(岩波書店)を一年前に上梓したが、私の調査では加速度的に状態は悪化している。小池都知事が、「まず教員採用してから教育実習を 

受けさせる」と本末転倒な発言があったが、周囲の教職によると、これは教員採用要件に乖離し、脱法行為との見解を得た。数十年前に学級崩壊という語があったが、これはもう学校崩壊どころか教育崩壊だ。早急に有効な対応を。 

 

 

・学習指導要領(以下「指導要領」)に違反するとしてかつて処分された教職員がいました。日の丸、君が代に関わっての闘争だったと思います。1989年の指導要領の改訂前の頃の話です。その後の改訂で指導要領は「指導するものとする」と言う表現がやたらと増えると同時にその文言は命令であり、違反すると処分を伴うものと判例が出た。現場では教育課程を地域に合わせて編成をするのが原則であり、教育の自由を保障するものであるが、実際には事細かく指示してくるのも現実。とってつけたようにカリキュラムをこなせば良いと言うものも実際にはあるところ。日本の文化と言って保健体育の武道、国語の毛筆を入れ込みながら、英語教育、プログラミング、IH機器での調理実習、GIGAスクール構想など実用性を重視。このアンバランスって何?って思わせる教育内容に現場は振り回されるわけです。教育は行政から独立させるもの、ましてや付属小中学校なら尚更だ 

 

 

・方法が問題になるのは本末転倒。 

指導要領には目的が書かれており、方法に関しては、各学校が考えれば良いとなってるはずです。 

指導したかではなく、できるようになったかで問われるべきです。 

筆ペンで指導して、文字の形が整うなら(目的が、それなら)素晴らしい方法だと思います。 

君が代についても然りで、6年生で指導して気持ちを込めて表現できるようになるのならそれでありかと思います。 

 

 

・小学校で毛筆ではなく筆ペンだったのはいけないことなんですか? 

大学で書道を学び書写教育に力を入れた者ですが、半紙に大筆で学ばなければならない理由はないんですよ。むしろ、小中学校の教員が硬筆で全ての文字の書き方指導をし、児童生徒が理解できる方法があるならそれでいい。毛筆も残してあるのは、止め・はね・払いの感覚を知ってほしいから。ただそれだけ。 

筆ペンだっていいじゃないですか。文字感覚を養えるなら、むしろ良いと思いますよ。ただ、手入れが大変ですけど。 

 

 

・おそらく最初は、奈良教育大学と附属小学校、内部の問題だったのだろうが、どうしてここまで拗れてしまったのか。収集できないので文科省が 出ばってきた…というところか。 

とはいえ、小学校の全教員入れ替えなど、前代未聞の非常に乱暴な措置で、明らかな人事権の濫用だ。 

この措置で、心理的も含め一番影響や被害を受けるのは、在学している児童たち。次々と異動させられる先生たちの姿は、子どもたちにどう映るだろうか。影響が心配だ。 

 

 

 

・日本全国で同じように学力を身につけることや知識理解を図る上で、一つの指針を示すことは必要だとは思う。しかし、地域や学校によっては様々な問題や課題を抱え、画一的な教育を行うことはまず不可能である。そのことを踏まえた上で、弾力的に授業内容を各学校に委ね、柔軟なカリキュラムを構築させ、その結果を評価する事が大切なのだが、今の文科省の姿勢は指導要領ありきのように思える。つまりは、文科省のお偉いさん方は、下々に目を配ろうという考えはなく、常に上から目線で捉え、意に沿わないものは「ダメ」なのである。行政自体の組織的問題が大きいが、全てが上意下達で、そこには教育の本質を無視した文科省の姿勢が垣間見える。教育基本法にある教育の本質を大事にしなければ、益々、日本の教育は間違った方向に向かいかねない。 

 

 

・公立高校英語教諭の33年間、学習指導要領など遵守した事ない。必修科目は検定済み教科書は買わさないと仕方ないけど、ほとんど副読本とプリント使用。 

 

一番笑ったのは「英語の授業は英語でやれ」そんなもん無理無理。ALTとの打ち合わせも日本語でしか出来んのに。 

 

それでも定年退職まで10年間S評価貰いました。 

 

 

・学校独自の授業や研究的取り組みが否定されているわけではありません。そもそも、なぜこの学校が問題なのかが伝えられていません。教育大教授を不在校長として、長年常駐の副校長中心の学校運営を行ってきたが、その中で一部の転勤のないボス教員が主導権を握るようになった。彼らは「子どものため」として、指導要領を都合よく解釈、あるいは無視し、独自のカリキュラムを組み、引き継いできた。また国立付属で人事交流が少なく、その成果が学外に広がらないことにもなった。かねてから苦々しく思っていた大学と奈良県教育委員会が、是正を目的として外部から専任校長を送り込んだ。しかしそれは公立学校のシステムで職員の軋轢を生んだ。それではと学習指導要領違反を理由に教員の入れ替えに動いたというのが実情。そもそも長年の慣習と前例を盾に言うことを聞かない教員集団。そもそも一般校にフィードバックできない研究成果では、研究校の意味はない。 

 

 

・学習指導要領って、国内一律に義務教育の現場として「最低限ここは押さえておいて」という部分なのだから、ある程度守ることは必要なんだと思う。それを教師の采配で勝手に変えてしまうのはアウト案件でしょ。 

指導要領の中身については、その時代に合わせてしっかりと話し合って再検討していく必要はあると思いますが。 

 

 

・先進教育の実践、実験校としての国立附属校の立ち位置や役割を考えると、前川さんが言われるように、指導要領の課題改善点を明らかにするような授業実践があって良いと思う。しかし、一方で異動年限などが決められていない附属校の場合、主たる教師の独善的な授業実践がまかり通る危険性もある。文科省との立ち位置のすり合わせや、授業実践を広く公開して世に問うような姿勢が奈良教にあったのかどうかが問題かも?しかも、今回の一件は保護者からのクレームだと考えられるが、そもそも受験して入学しているわけで、学校の教育方針の理解が、児童や保護者と共有できていたのかどうかも問われている気がする。また教育界からの評価が高かったというのであれば、前川さんだけでなく、そういう立場の方々がもっと声を上げなければ、貴重な実践が全否定されたまま消えてしまう。黙ってたら負けなのに…。 

 

 

・奈良教育大附属のやりかたが違憲なのであれば他の県の国立小も概ね奈良附属と同じやり方なのだから全国の国立小に違憲だと言わなければ筋が通らないのでは? 

それに国立小は実験的な教育をする場だと思っているので今の指導要領を守りすぎていれば国立小そのものの性質が変わってしまうと思いますけどね 

 

 

・本件、奈良県教育委員会から、小学校の設置大学である奈良教育大学に連絡があったことがきっかけ。大学は報告書を出していて、学習指導要領に沿わなかったこと以外に、ガバナンスの問題などを指摘している。拾ってみると 

 

・教員は学校の最高議決機関は職員会議であるという認識で、校長の権限を制約 

・大学教員が校長を兼任せず専任化以降も副校長中心の慣行が継続 

・主任制度の運用が不明確 

・(大学の)学長は小学校の運営に問題があると認識していたが、個別事案を把握できていなかった 

・各教科の年間指導計画立案が不十分(大学側が学習指導要領に沿っているか判断できなかった) 

・個々の教員が独自の考えで指導実践していて、法令に基づくという意識がなかった 

・学校運営上の校長の権限が不明確で、校長の意向に教員が協力的でなかった 

・学長(←大学)のガバナンスが不十分 

・小学校への監査が不十分 

 

大学側の報告書なので大学目線 

 

 

・教員の総取り替え、いいと思います。附属小で研究したことが、ほかの学校でも通用するのかどうか確かめられるじゃないですか。 

 

とある附属小学校では、都道府県の位置や名前を多くの子が覚えていなかったということも実際ありました。中学校から附属に入ってくる子のほうがよく覚えていたそうです。 

 

 

・前川氏『君が代』をすべての学年で指導するよう書いてあったとしても、6年生で、まとめてやるのがどうしてダメなのか。これには文科省の説明が必要だと思いますね」・・1年生から5年生の児童も、国歌君が代に接する機会はいくらでもありますよ。普通は入学式で歌われ、国内の儀式・オリンピック・サッカー等の国際的イベントで、国旗を掲揚し国歌を歌うのを見て、日本の子達が「あれ何の歌?」では済まないでしょ。書写の時間は週一回程度、45分。毛筆は3年生以降。子どもの内に、一度は日本の文化である書道(習字)に触れることは大切だと思います。また、珠算については賛否がありますが、算盤を習っている子は、確かに計算・暗算が速く、算数が得意の子が多いのも事実です。 

 

 

・教育について改革、改善がなされない理由がここにある。一般の人には理解しづらい組織、目標、現実などなどがありますね。何も変わらない中央集権教育システム。AIの時代に詰め込みまくり、不登校戦後最悪。変えるべきことは本丸ではなく些細なことで誤魔化して、何も変えようとしない。ゆとり教育がのびのびして良かった。少子化だのとこの国も終わりに近いと感じざるを得ない。 

 

 

 

・「学習指導要領の一言一句に拘束力があるとはいえない」という解釈を支持する。教育では教師を指導内容で完全に縛ることはおかしい。個性が出てよい。創意工夫が求められる世界だろう。 

 

 

・>算数は、いまでも珠算が必修ですが、そろばんを必修にしておく必要があるのか、という議論だってあっていいはず… 

元教員です。専門は算数・数学で、私が小学生の頃は珠算塾に通って3級まで取りましたが、珠算は必修にしておく必要はないと思っています。 

理由はいくつかありますが、児童が混乱することと、経済的な負担です。 

まず、算数の筆算は繰り上がりの関係で一の位から計算しますが、それに慣れつつある頃に珠算をやります。珠算は読み上げ算の関係で、上の位から足したり引いたりしますので、児童は混乱します。 

珠算の授業は年間たったの数時間ですが、必修なら算盤は必ず学校か個人が購入しなければならず、珠算業界を潤わせる為にやるのか、文科省や政治家にキックバックするためにやらせるのかと疑うレベルです。 

 

 

・この件は学習指導要領を守っているかが問題ではなく、奈良県教育委員会と大学による政治的介入を許す口実を附属小が自ら作り出していたのが問題ではないか。吉田教育長は「子分」の市町の教育長出身者を校長として派遣した。小谷校長は現場経験が乏しいため、仕事にならず(上からの指示を忠実に遂行するのが仕事だという行政マンの仕事観だから)、教育長に訴えた。教育長は「附属は県のモデル校となるべき」という文科の政策を盾に介入した。大学は独自性を強調するばかりの附属小にずっと困っていた。「大学と附属と県教委は三位一体となって教員養成・研修をしろ」という文科の政策に応えられていなかった。実際、附属小は独自性を強調し、教育政策、大学、県教委を無視し続けていた。また、教師の勤務実態は、学習研究の質は高いが、毎日、夜遅くまで及んでいたという。つまり介入の口実を自ら作りだしていたのが問題でははないか。 

 

 

・きれいな字が書けるというのは良いことだと思うので、キーボード叩くのも大事だけど習字を習うのは否定しない。 

でも、筆でないとダメかって聞かれたら、確かに今の時代は筆ペンでも良いんじゃないというかな。 

 

君が代はなぁ、公立の学校なら各学年で歌わせる必要があるなんて合理的な理由は無いわな。 

歌わせて刷り込む事が必要だと考えてるだけだから。 

君が代、日の丸を国歌国旗と法で決めたとき、『強制はしない』と国民に説明はしたはずだけど、まあ官僚や政府のお偉方は都合よく記憶喪失になるからなあ。 

 

 

・学年別で教育内容を一律にせず、海外のように習得別授業にすれば、国立大学附属のモルモット実験はいりません。学校は競争がある社会で個人が自立して行くための生きる力を与える教育機関ですから。国立大学附属はそういった実験をして、国全体の教育システムを変える実験をしてください。 

 

 

・いろいろ難癖つければ、日本中の学校でやってる特色ある学習がすべて不適切指導になる。 

個人的には、実質的に学力テスト平均点上昇のためだけに各都道府県の教育委員会が学校に圧力をかけて、日本中の学校でその場凌ぎのテスト対策授業をしていることの方が、不適切指導であり大きな問題だと思う。 

 

 

・そもそも学習指導要領は全国同水準の学力担保を目的としてもので文科省からの強制力を目的としたのではない→自民党政権が君が代などの政権意向強制装置として利用してから運用がおかしくなっただけ…よって、学校現場の教員や生徒・地域の特性を優先した教育内容を選定することが本来的目的であるので奈良教育大附属の教育内容に瑕疵はない~教科書を一切使用しない授業を「教科書以上の教育内容が担保」されていれば問題ないのてある=だいたい教科書そのものがトップ校のレベルに合致するもの無いのが実情だから受験対応では副教材として参考書を使わざるを得ない 

 

 

・教育課程特例申請を出して独自のカリキュラムをやっている私立もある。国立の附属ってほとんどこれを申請しているから実験的な教育ができるわけだよ。学校教育法施行規則第55条。奈良教育大附属小はそれ出さないで、それも長年独自のカリキュラムやっていたから問題なんでは? 

 

 

・君が代が国歌なのかとか、国歌としてどうなのか、と言った議論はさておき、 

楽曲として、日本人が、君が代を知らない、歌えないと言うのは、どうかと思う。 

言わば日本人が知っておくべき最低限の常識、と言う意味で、別に授業でやっても良い気がするけどな。 

 

 

・○○をやる必要があるのか?という観点で物事を教育に当てはめたら必要のないものばかりになる。 

小学校はまだしも高校の文系進学者に方程式や微積は必要ないし物化生も要らないという発想になる。 

いや国公立の共通テストで必要というのなら、共通テストを3科目にすればいい。 

理系の生徒にも逆のことが言える。 

 

 

 

・音楽の授業で、どの学年にも『君が代』を教えることになっているのに、6年生だけにしか教えていなかったとか、 

 

十分アウトでしょ。 

そんなに日本が嫌いであれば日本を出ればいいじゃない。 

なんで日本で生活してるかわからない。 

生徒達に個人の価値観を強制しているだけだということが分からない人は先生とは呼べないし、転職させるべきです。 

 

 

・算盤は機械的に指導方法を教えるのではなくて 

仕組みが分かると楽しくなる教え方なら 

子どもたちも興味を持って 

学びやすくなりそう 

個人的には算盤は 

覚えたほうが 

出来ないより 

よほどその先の人生の役に立ちそうに 

思えます 

 

 

・教育行政を司る文科省が教育の中身にまで口出しするのは越権行為。日々の教育は現場の教員が目の前の子供達とともに日々作りあげていくもの。早い話が文科省の行政官が明日から教壇に立てますか?学習指導要領は、学力の高い子供ばかりを集めた学級で超スペシャリストの教員による特別学級においてのみ可能な内容で、あくまでも参考程度にしかなりません。文科省は、教育内容は教員に任せ、教育への予算増額に頑張ってもらえませんか。 

 

 

・今や、学習指導要領準拠なんて言ってるのは田舎の入試のない公立だけ。入試を経て学歴戦争を戦う私国立等の父母や生徒は、先取りが当たり前、進学に必要ない科目や行事は極力スルーして、効率的に進学実績を上げようとするのは市場原理からも当然。中学入試で中学単元が出題され、高校入試で高校単元が出題される現在、どんなに頭がよくても先取りしている凡才には敵わない。塾でも、中3の授業の隣の教室で、よりレベルの高い授業を受ける中入試受験生の姿はありふれた光景。意識が高く財力のある家庭の子程、そうした機会を合法的に活用し、保幼小中高大一貫校などで易々と学歴を手に入れ、人生の勝者となっていくのが現状。文科省の役人など、まさしくそうした恩恵を受けて勘違いしてきた凡才達の集まりかもしれない。そうした連中が国の教育方針を策定するなど笑い話にもならない。 

 

 

・この元次官はご自分の座右の銘は「面従腹背」と言った方。 

 

公式に令和6年1月9日 付けで奈良教育大学から「奈良教育大学附属小学校における教育課程の 実施等の事案に係る報告書」が出ています。 

これによると 

①従来付属小学校長は専任ではなかったこと②このため副校長がボスしたこと③教員は校長の指示に従わず「当校における最高議決機関は職員会議である」といっていること。 

が「校長-副校長-主幹-主任」という指示伝達や意思共有の流れが機能していない状態を生み、各教科等の単元計画も示されず、勝手な学習指導要領無視という事態を招いたこと。 

これに対して、校長の専任化などを通じて正常化を図るも、校内の意思決定において、校長の意向に教員が協力的でなかった。 

その原因の一端は、公立小学校との相互人事交流が受入れのみに留まって 

いたなど、閉鎖的な側面があったことに伺えます。 

 

その結果の教員入れ替えで妥当です。 

 

 

・文科省の係官が虎の威を借りて権威主義的に振る舞うのは、私も2回ほど目にしたことがある。教育の方向性を自分たちが決めるうちに、自分たちは偉くて、教員に命令する権限があると思い上がっていくのだろう。あるいは、そういう威張りたい連中が集まるのかもしれない。こういう輩には、市民が声を上げていくしかないし、現代はSNSの時代なので、こういう横暴の情報を広く世間に訴え、文科省の横暴に歯止めをかけるしかない。学習指導要領とか、文科省ではなく、中立的な機関が作るようにできないか。 

 

 

・学習指導要領を金科玉条として授業研究に盛り込まないと、出世できないの。このように処分的なことになりかねないから。重度肢体不自由教育であの冊子に振り回されて、ほぼ脳死状態の方達に指導要領に沿った理科教育を強要されて、大変な疑問を持った次第です。どうやら、世間には、ちゃんと授業がなされていると見せられるらしいと。実につまらんでしょう?その程度なのですよ、我が国の公教育の実態は。 

 

 

・学習指導要領を編さんしている構成員の審査を公表すべきだ。そこにどんな介入が行われてきたかも。  

問題解決型の学習を行うのに箸の上げ下げまで細かく介入するのは、問題解決学習の実体験がない証拠だ。 

効率主義を旨とする人間が、全ての可能性の検証に時間を割くような学習手法を受け入れるわけがない。 

「日本の教育」は多様化を受け入れられるのか?  

受け入れられないなら戦前教育と変わらないのだが、 

誰だ?学習指導要領を操っているやつ! 

 

 

・国立付属はことさら裕福な層も多く、そこにいると変なエリート意識とかもあるはずで、子どもも先生も同じくそんな感じあると思います。50年くらい前に教育実習へ行ってわかりました。進学の私立高なんかも同じ。結局、そのような日本人一般も見栄のかたまりのかけらであるとずっと思ってきました。まあ、文部(科学)省の大臣からしておかしい人なのですから、現状、悪化するだけで、改善に本気な人はほんとに稀ですね。 

 

 

・その学習指導要領を40年守った結果、日本は世界に追い抜かれた。 

 

世界で通用するピアニストをはじめとする音楽家、スイミングをはじめとするオリンピック種目の選手等々、皆学校を休んで練習や遠征し、満足に授業に出席はしていない現実は、そのまま放置している。 

 

不登校生徒をこれほど産んでいるシステムに抜本的な変更を加える方向性は皆無。 

 

ビルゲイツやスティーブ・ジョブズのような能力を持った逸材が一人生まれれば、国家予算規模の資産が叩き出されるのに、右向け右の教育を推し進めて、自己保身としか思えない。 

 

「Stay hungry, stay foolish.」のような人間はどうしたら生まれるのか、、指導要領をいくら守っても無理だろう、、、将棋の天才の能力を引き出すにはその環境下の先生方の才能を伸ばす教育熱、天才ピアニストやバイオリニストのための連携したオリジナルの教育課程等々、教育の自由が必要です。 

 

 

 

・奈良教育大学附属小学校は学校のHPによれば21学級。 

正規教員19名で、この中には校長や教頭など担任を持たない教員も含まれるでしょうから、5学級くらいは非正規教員が担任を持っていることになる。 

 

・・・授業が遅れてるのは教員不足のせいじゃないの? 

 

 

・公立で採用しなければならない教科書は 

テキスト自体のゴールが曖昧。 

万人向けかつ文科省のお墨付きを 

もらわないといけないから 

個性や面白みが出しにくい。 

 

評価もABCとか… 

数値化を誤魔化して何になる…? 

 

主体性とか… 

生徒が意欲をアピールすること 

教員がそれを評価することに何の意味が…? 

 

教育を引っ張る文科省が 

政治的色合いが強すぎるのは問題じゃないのかな。 

 

 

・このように新聞報道されると「偏向教育をやっている」と思われてしまうかもしれないが、 

1 現場教職員が創意工夫で教育を作り上げてきていることは間違いないが、 

2 国がやりたい(特に安倍氏をはじめとした強硬派が)国家教育が足りない 

ということを持ってプレッシャかけているにすぎない。 

2もやってないわけじゃなくて、十分じゃない、という難癖。 

学習指導要領はマストでなく大綱、と文科省も言っており、前川氏の指摘もその通りなのだが、現場レベルでの教育委員会は文科の圧もあり、そうはとらえていない面もある。 

ただ、「国民」の皆さんから見て、現場の教職員が子どもたちのために楽しい授業をしようと努力しているのに、多少の「逸脱」さえ、認めないのは管理・統制をしすぎだろう。ぜひとも子どもを学校に通わせてる保護者のみなさんがもっともっと意見を述べてほしい。私も現場の高校教員。 

 

 

・この内容で1番の問題は、教育のスペシャリストでない人間が内容について意見しているところでしょう。 

文部科学省は自分たちが一番詳しいと思っているかもしれませんが、現場を経験してる訳じゃ無い人たちなので、どこまでいっても机上の空論でしか無いんですよね。 

こんなことしてたら、やる気のある先生は辞めていくってことくらいは分かりそうなものですが。 

 

 

・日本会議や神道政治連盟などの、先の戦争を肯定し美化している者たちの声が政治に反映されている流れの一環ですね。 

自民党は第二次世界大戦を悪いと思っていなくて、確実に戦争指導者の立場に心を寄せているので、この流れは続くでしょう。 

断ち切るには自民党を政権から降ろすしかありません。 

 

 

・「二枚舌」「風俗店で調査」の方がコメントするようでは、疑ってかかるべき記事ですね。書かれていない事実もあるのでは?総取り替えは極端なやり方であり得ないものではあるが、ここに至るまでの経緯はどうだったのだろうか。 

例えば君が代を歌わせないというと、それは左翼偏向姿勢の表れで、他にも政治的に偏った授業が行われた疑いがある。それに対し誰が疑念を呈しても聞く耳を持たなかったので、この極端な人事措置に至ったとか。 

 

 

・国立大学といえどもそこに通学してくる生徒や保護者が大切ですね。公立の学校でも学習指導要領にそって行ってはいますが、経済的な理由など様々な理由を鑑みて工夫をしています。まあ自分たちの決めたものを行なわないと気に入らないのでしょうか。 

 

 

・これはもう、ね。いろんなところの利権が絡んでいるから習字にしてもそろばんにしても外れないんだよ。時代に合わせてアップデートすべきなのに、自分たちの利権しか考えない人がいる。そろばんなんてエクセル使えたらいらないのに。そろばんのメリットとしては数の量感が養えることだけど、中学年にもなって量感身についていない子はほとんどいない。習字も自分は好きだし、とめ、はね、はらいなどは字を書く基本なんだけど、無くても問題はない。要らないものを外して、コンピュータ操作など必要なことに時間を使えるようにすべきだ。 

 

 

・学校指導要領は詰め込み学習及び教職員の人数にあった教育方針ではない。書道は好きになれば墨を摺れば良いだけの事古式正しくやるべきことではない、国家を知らない国民、日の丸を忌み嫌う大人全部欧米や韓国、中国からの日本人洗脳の成果でしょう。国家を教えてから、国旗を祝日に揚げる意味を知るべきで外敵から国民を家族を守る為の戦争とロシアのような侵略戦争、中国やロシアのようなサイバーテロとは全く違う事を子供達と理解すべきではないでしょうか。 

 

 

・指導要領なんてただの指針にしておけばいいものを強い拘束力のあるものにしてしまったから、教育内容の自由度に大きな縛りがつきました。そうなった理由もあるけど…。文科省と教育委員会をなくせば日本の教育はよくなると思いますよ。 

 

 

 

・文部科学省のせいにすれば、責任を逃れるのに便利です。 

でも、学校教育の「画一性」を強要し、そこから外れたときに「騒ぎ立て」たり「訴え」たりしてきた「(自称)市民」が存在し続けていることが真因でしょう。 

今回の問題も、そういう教育を「潰したい」と考えた誰かが、数十年の取組を全否定したことからのように思います。 

 

 

・まぁ教科書をブッチして「左翼教育こそ最高」みたいな極端な話がかつてあったからこそのルールなんだよな。 

道徳とかお察しだったわけで。 

 

だから左翼がもっと自由を!というと自分の信条と仕事としての教育は分けろよという話になってしまう。 

 

あとは今でも昔でも受験科目を優先されるわけだが、ちょっと前に受験に使わない科目とかそもそもしない、とかの中高があったりね。 

 

個人的には、私立はもっと自由であっても良いとは思うが、公立はある程度は仕方ない。 

ただそもそもそれの範囲を広げるべきだと思う。 

そういう手順を踏まないで、「現場でなんでも」が悪い方向に出る時もあるからね。 

 

 

・まず1.学習指導要領が時代にマッチしていないのは確かでしょう。指導要領を作成している学者の思考は完全に遅れています。2.教科書を全て指導要領通りに進めるたげても授業時間は足りません。しかし今、文科省は指導の一番に掲げているが「思考力」。この思考力を身につけさせるためには考える時間が必要、それは授業時間的に無理です。絶対的縦社会の文科行政は上からの命令で動く。文科行政の制度披露を現した悪しき姿に思えますが。 

 

 

・異常な主張だ。読んでいて苦しかった。 

 

自分の国の国歌を教えない、 

歌わせようとすると強制だと騒ぐ、 

自分の国の国歌に誇りや国を愛する気持ちが持てない、 

そんな国が他にあるだろうか。 

 

道徳は、日本人(人種ではない)の価値観・行動規範の基礎を成す非常に重要な教育だと私は考えている。いわゆる「もののあはれ」である。 

日本は無宗教で信教の自由が保障されているあと言うのが多くの人の感覚だ。しかし、神道の考えや感覚のようなものは生活やものの考え方・捉え方に自然と溶け込んでいる。そうして日本は秩序を保ち伝統を継承してきた。 

道徳はその現代版とも言うべき内容を教えている非常に重要な教育だ。 

 

戦前戦中の政府が学校教育に異常に介入し、子どもたちを戦争に導く事をしたせいで、日本国憲法は異常なまでに国家の関与を制限する内容になっている。 

憲法を改正し、まともな普通の国家になってほしいと願うばかりだ。 

 

 

・少女との濃厚接触を「貧困調査」と称して、熱心に調査されていた方ですね。この方の名言は、「官邸の介入で行政が歪められた」ですが、実は省益のために歪められていた行政が、官邸によって正されただけでした。 

 

 

・文科省を国家権力ととらえ、それに抗うことを信条としている人の見立ての記事のように感じる。いろいろな理屈をつけておかしいという空気感をつくりだそうとしていると思われる。本当のところはどうなのか、この手の案件は外部の者にはわからないもので、当事者10人に聞けば10人とも受け取り方が違っているというような案件である。早い話、文科省が気にくわないと思っている人の見解で、同じように思っている人にはうける内容というだけである。 

 

 

・ある教科のある題材(記事の場合は音楽の君が代)を特定学年に集中して教えることがアウトとしたら 

中高一貫校で大学受験対策の一環として、中学校在学中に高校の内容を先取りして学習するようなことに関して、文科省から当該校に何らかの指摘や指導があったという話を聞いたことがありませんが 

 

 

・民主主義教育を全否定してる現在の文科省を総取っ替えして欲しいね。 

自民党文教族に支配された文科省は、某宗教団体との関係も問題な大臣もそのまま居座り、どうにもならないよ。 

自民党文教族とは現在、裏金問題の渦中の人物ばかりだよ。 

この政治家たちは民主主義が理解出来てない人物ばかり。何しろ、神の国なんて発言した人が元締めなんだからね。 

 

学習指導要領は目安であったはず! 

 

 

・調査員助平の反対が正しいから,文科省の対応は珍しく正しいことになる。 

人事異動が頻繁なのも困るが,ほとんどないとなると,人間良からぬことを考えるようになる。慣れからくる怠慢,権力,思い通り,金。 

こいつ事務次官だったくせに,私学と国立公立を混同する発言をするんだね。 

 

>奈良教育大付属小の教育は、教育関係者の間では高く評価されていた。 

教育関係者の自画自賛か? 

奈教大附属は中学までしかなく,高校受験を迫られる。 

高校受験に必要な教育水準を得られないと生徒が困る。 

塾に通ってもついていくのが厳しい子が多いと,保護者は学校の教育方針を疑うようになる。 

 

 

・「文科省が『全員替えろ』と言ったらしい」いかにも文科省の役人らしい発言。自分らの失敗は認めず、他を見下す体質は昔から変わらない。他の省庁の役人よりも下に見られている鬱憤を学校に向けているのか?「全員替えろ」は文科省の役人に向けられるべき言葉ではないだろうか。 

 

 

 

・前川氏の言ってる事に賛否両論あります。筆ペンに関してはまさに賛成。ソロバンもそんな時間有ればパソコンを教えるべき。ただ君が代は一年から教えるべき。何故なら社会人になれば国民儀礼で歌う機会があり、なれておく必要がある。又旭川学テ事件判決は市立の学校と教育委員会の関与の仕方と国立附属の国の関与の仕方には違いがあるから、先例としては参考になりません。又 

学テ事件判決は国家教育権説、国民教育権説どちらにも与しない玉虫色の判決ですよ。 

 

 

・教育に関する門外漢、かつ保守的思想の自民党安倍派の文教族が、自分たちの意に沿わない学校や教育内容を潰そうと動き、手下の広報機関である産経新聞を使って騒ぎにしたこと。 

この構図は七尾養護事件を彷彿とさせる。結果として七尾養護事件は、七尾の教職員側が裁判で全面勝訴している。しかし、現場は性教育に萎縮することになり、今も扱いづらいものになっている。そこには保守的思想、統一教会的思想がバックにある。 

この手の輩は、文教族でありながら、ただただ門外漢である。詳しいのは教育ではなく、保守的思想だけ。釈迦に説法という馬鹿げた構図が、政治的権力によって現場に捩じ込まれるという状態になっている。先に挙げたように、七尾の件は教職員側の全面勝訴となっている。 

大事なことは、臆せず現場は指導を行うこと。改めて指導要領に法的拘束力はないことを確認すること。奈良の件に反対し続けること。 

門外漢を教育現場に通すな。 

 

 

・「君が代」を連呼してるあたりで、だいぶ見当が付いてくるなあ。 

そっち系の教員が付属小学校内部で強い権限を握って離さない構造ができ、母体の大学と揉めたわけか。 

んで状況を改善しようと外部から校長が送られたけれど、件の教員たちは本来の立場を超えて反発して譲らず。 

最終的には大学と省庁が、細々した指導要綱についての違反を並べることで大ナタを振るい、内部の人事の流動性を大幅に改善することにした……と。 

一連の報道から察するに、そんな争いか。 

 

 

・「教科書を一切使わない先生」なんて良くいた記憶があるけどね。小学校であれば授業の時間割だって、先生が変わる音楽とか以外は担任が柔軟に変えてたし。 

しかし今回の件は本当に授業内容が問題になっているのか?日教組とかの絡みが本音とか? 

 

 

・まずは文科省の改革が喫緊の課題。元官僚の前川氏の発言を見ていると、彼らが日本の教育を捻じ曲げて来たと感じる。日本の教育を見直さない限り、日本人としての感性がどんどん薄らいでゆく。 

 

 

・銀の匙は、私の中学校の卒業式で校長が内容に言及していました。 

尤も、うん十年を経て詳細はおろか概要さえも残ってはいません。 

君が代の口パクをいちいち論う、概要より詳細がお好きそうなご仁ではありました。 

そして今日、銀の匙を読み込んだからと言って職務や記憶力の匙加減が適切な大人になるとは限りませんが… 

 

 

・そもそも学校って何するとこなんですかね?自発的に自分の考えで勉強する場って言う話なのか、言われたこと言われた内容を勉強するお仕着せによる学びの場なのか、そこがもうズレ?ブレ?てるんですよ。そこをはっきりさせず、何かをしよう変えようとしても何も変わらないと思うんですけどね 

 

 

・> 「なんで、習字は筆ペンじゃいけないのか? そもそも、習字を必修にしておく必要があるのか? それより、パソコンのキーの打ち方を教えるほうが大事じゃないか、とかね。算数は、いまでも珠算が必修ですが、そろばんを必修にしておく必要があるのか、という議論だってあっていいはずです 

 

君が代云々はおいといて、習字とそろばんは重要だと思うけど 

パソコンのキーの打ち方なんていつでも覚えられるんだし 

 

 

・指導要領に少し外れていたからといって、先生全員を入れ替えるなんて、やり過ぎですよね。子どもや教育を考えてのことでなく、国家(与党政府)の思想統制のための権力の横暴としか思えない。結局、中国でもロシアでも日本でも権力者は国民統制をする。 

 

 

・国がいちいち学校にやり方に口を出すなんてことは、民主主義国家ではあり得ない、と以前アメリカの先生がおっしゃってました。民主主義を謳いながら、日本の教育システムで為されてることは中国や北朝鮮なんかの社会主義国と同等なんですよね。実に恥ずかしいことです。 

文科省は早急に釈明すべき。 

 

 

 

・中高一貫校では、高校二年まで全ての教育を終え、三年は受験対策だ。学習指導要領では、学年ごとに到達目標を掲げている。これなんかは確実に学習指導要領違反ではないか。今回の教員移動には自民党(政府ではありません)自民党の文教部会が介入したことが国会であきらかになりました。自民党が子供に何を教える?脱税?居直り?弱いものいじめ? ふざけるな自民党。自民党に任せたら、経済復活も人口減と少子化問題も解決しない。自民党は解散してほしい。 

 

 

・文科省(とその背後の文教族)が各教員の創意工夫にもとづく独自の教育を阻害していることがよくわかる。日本の教育をよくするためには、日本の教育行政と文教族の政治家たちを「総取り換え」したほうがいいのでは? 

 

 

・何を言っているのかなあ。 

確かに、今回の奈良の件については、関係者皆がおかしい。 

 

しかし、好き勝手なこと、禁止されていることをして、実質的に首になった前川が言える立場なのか? 

まあ、前川は二枚舌ではないかもしれない。三枚以上あったのか、裏の一枚だけだったのか。 

 

 

・教員ですがある程度は教科書に沿ったほうがいいとは思います 

この世界っていつも誰かが独自の方法でやりだすと新しい事取り入れた奴マンセー!のマウント取り合い&残業競争になります  

自分の首を締めるタイプは転勤先でも悪影響のパターン 

ある程度は教科書通りにやって定時で帰りましょうよ 

 

 

・滋賀県の書道教育なんか学習指導要領の「日常書」を全く無視している。 

止め・はね・はらいや字形まで変えて長年、平仮名指導を行っている。 

毛筆指導なんか教科書の臨書なんかできない書初め用の太筆一本で字形よりも勢い重視。だから日常書が下手な子どもを量産している。 

何が学習指導要領? 文科省は早くお仕置きしなさい。 

 

 

・文科省というより政府与党としては習字は伝統技能、古文や漢文と同じで教養の一つで君が代斉唱は愛国教育の一環なんだろう。伝統や国歌国旗を拒否するなら他国へ移民しろとでも思っているんじゃないかな。 

 

 

・前川氏の言い分には疑問はあるものの、文科省の言うことには一貫性がなく、その場しのぎだから信用できない。学校を振り回すのはやめて、もっと学校に委ねたらどうなんだ。文科省は学校を信用していないから、学校も文科省を信用しない。 

 

 

・「元事務次官」の肩書きを出すなら更迭された理由も出すべきじゃないかな? 

そんな人が偉そうに教育を語ってもなぁ。 

しかし、メディアはそういう人ほどメディアの意に沿った発言をしてくれるから有難いのでしょうが・・・ 

 

 

・美しい国とか愛国とかいいながら裏金を作り、カルトに媚びへつらってきた政府主導で魔改造された学習指導要領にこんなファシストさながらの強要をするのは言語道断だ。自由な教育なくして国家の成長なし。むしろこんな、不自然な人事がまかり通る奈良の教育委員会や、県議会、文科省こそ金回りがせいれんなのか怪しい。 

 

 

・前川氏によれば、教育機関は、大綱的基準を無視して、何をしてもいいと聞こえるが、それはダメでしょう。一定の指針や歯止めは必要だから、一条校の指定があるわけですよ。 

世間に迎合するような発言は、厳に謹んでいただきたい。あなたの発言は、元文科次官という肩書きで出されるのですから。 

 

 

 

・押し付けるものではないのでね と仰せられました。 

陛下の言葉をも軽んじる、自称の人たち。要するに、自己の権力に従わせることが目的で、「国家」を利用している。不届き者たちである。その典型は、文教族のドン、元総理、安倍派の領袖だと思っている。彼らは、陛下や皇室を敬愛などしていない。 

 

 

・奈良教付属小の教員を処分??? 

左遷??? 

 

次期選挙で、この処分を決定した文科省の役人を処分してくれる政治家に一票入れたいと個人的には思いますね 

 

素晴らしくブラックな職場の宣伝に関しては文科省はプロ中のプロ 

 

ブラック企業経営者も真っ青(笑) 

 

これで、教員不足はさらに加速し、教育崩壊カウントダウンが一層進みますな〜 

 

 

・私の子どもたちは海外だったが、指導要領など近いものもあったが、殆ど先生方の独自の授業であった。 

 

学習指導要領というのは前川氏はさすがに元次官なので踏み込んでは言わないが憲法違反なのである。 

 

 

・これこれは教えないといけないとか、これこれは教えてはならないとか、誤った文科省通達の類が強制され、現場が混乱している。正しくないことが正しいとされているから混乱するのは当然。「正しい」子ほど、成績が悪かったり不登校になったりして「平等」ってことにしている。めっちゃ変。 

 

 

・「良き教師」は国家や権力者、文部省にとって都合が悪いのでしょうね、昔から。「指導要領」に沿ってしか指導できない教師ばかりになり、教育現場は荒廃したんです。その愚 

を今も重ねてますね。本音では「要領」を「勅語」に変えたいんでしょう。文部省は相当劣化してますね。 

 

 

・奈良教育大学付属の問題は、学習指導要領の問題にいつの間にかすり替えられ、マスコミもそればかり報道するから、教職員はそくそ笑んでいると思う。問題はそこじゃないんだけどね。 

 

 

・学習指導要領をそんなにきっちりやらなければならないということなら、当然、落第制を導入しないといけない。学習指導要領にある内容を身につけないまま進級することなどできないはずだ!! 

 

 

・文科省は本当におかしい機関だと思います。 

働き方改革と言いながら、職員には新しいことを次から次にやらせようとするし、この記事を見て「先生になりたい!」って思う学生がいる?総取っ替えって…子どもと先生の関係まで奪う? 

 

 

・現在の文科省大臣が、学習指導要領は、必ずしなければならないことではない 

とおっしゃられてましたからね。(何も考えずの発言でしょうが。) 

 

全員異動なんて、見せしめでしかないですね。 

 

学習指導要領の扱いをどうしたいの?理想を詰め込むだけ詰め込んで。無茶苦茶なこと書いてるの、文科省はわかってるの? 

 

 

・「教育を守る市民集会」って、どんなものだったのだろうか?このネーミングのセンスから推測すると、教育に特定のイデオロギーを持ち込みたいいわゆる「市民」の匂いを感じてしまいます。 

 

 

 

 
 

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