( 156120 ) 2024/04/04 13:34:52 2 00 日本の新聞がなくなる日…「この20年で2000万部激減」みんな気づいている深刻事態現代ビジネス 4/4(木) 8:03 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/363ca69123d9e6f80512ab14829d10f9cfb75bd7 |
( 156123 ) 2024/04/04 13:34:52 0 00 〔PHOTO〕iStock
国立社会保障・人口問題研究所が最新の将来推計人口を発表し、大きな話題になった。50年後の2070年には総人口が約8700万人、100年後の2120年には5000万人を割るという。
【写真】日本人は「絶滅」するのか…2030年に百貨店や銀行が消える「未来」
ただ、多くの人が「人口減少日本で何が起こるのか」を本当の意味では理解していない。そして、どう変わればいいのか、明確な答えを持っていない。
ベストセラー『未来の年表 業界大変化』は、製造・金融・自動車・物流・医療などの各業界で起きることを可視化し、人口減少を克服するための方策を明確に示した1冊だ。
※本記事は河合雅司『未来の年表 業界大変化』から抜粋・編集したものです。
対面販売ではなくとも、地域の商圏縮小の影響を直接受ける業種がある。会社名に都道府県名を冠した「ご当地企業」である。
代表的なのは地方銀行やカーディーラーのように地区割りされた各種の販売代理店だ。広い意味では地方国立大学なども該当しよう。一部には東京圏などでの展開に活路を見出そうとしているところもあるが、営業の主柱はご当地の都道府県であることに変わりはない。人口が増えていた時代には、県外のライバル企業の攻勢を受けることもなくメリットが上回っていたが、今となっては都道府県人口の減少がそのまま販売数や利用者数の減少を意味する。
地方銀行の苦悩ぶりは広く知られるようになったが、大変厳しい経営環境に置かれているのはローカルメディアも同じだ。
地方新聞社(地方紙)では、すでに廃刊・休刊や、夕刊の撤退が相次いでいる。当該県人口の減少は販売部数の減少を招くだけではない。地方紙に広告を出す地元企業も減少する。地方紙にとっては広告収入やイベント開催などによる営業収入の減少も深刻なのだ。新たな収入源を確保すべく、ほとんどの新聞社が本来の新聞発行とは無縁の事業に乗り出し、経営の多角化を図っている。
新聞の場合、テレビに加えてネットメディアが発達したことで、いわゆる“紙離れ”が進んできた。一般社団法人日本新聞協会によれば、2021年10月の発行部数の総計は3302万7135部で、2000年10月(5370万8831部)と比べて38.5%も減った。この間、一人暮らしの増加もあって世帯数は1.2倍増となっているのだから、宅配による購読離れがいかに進んだかが分かる。
さらに危機的なのは若い世代が、新聞という媒体を手にする機会が減ってきていることだ。
総務省情報通信政策研究所の「令和2年度情報通信メディアの利用時間と情報行動に関する調査報告書」(2021年1月実施)によれば、新聞の平均閲読時間(平日)は10代1.4分、20代1.7分、30代1.9分と若い世代にはほぼ読まれていない。60代の23.2分を含めた全年代の平均でも8.5分に過ぎない。
少子化で若者が減るという以前に、「新聞」そのものが必要とされなくなってきているのである。「長年の習慣」として宅配購読を続けている世代が亡くなったり、介護施設に入ったりすると部数の減少は急加速するだろう。
地方紙の場合、購読者はほぼ県内に限られるため、高齢化率が高くかつ人口減少スピードが速い県ほどマーケットの縮小は著しい。社人研の将来人口推計によれば2025年から2040年にかけて秋田、山口、鹿児島など21県で65歳以上人口が減る。75歳以上人口が減少するのは大阪府や山口県、京都府など17府県に上る。
地方紙の減少は全国規模で新聞発行を行う新聞社(全国紙)や複数県に発行する新聞社(ブロック紙)にも影響する。地方の場合、地方紙と全国紙かブロック紙を併読している人が多いためだ。しかも、地方紙の新聞販売店が全国紙を配達しているケースもある。地方紙を購読しなくなれば、必然的に全国紙やブロック紙の購読もやめることになる。地方紙の激減とは、“全国紙消滅”へのファーストステップでもある。
地方紙の悩みの種は、購読者のマーケットが縮小し、拡大させることが難しいということだけではない。
直近の課題として取材網や配達網の維持が困難になってきている。新聞社は小都市などに「通信部」という小さな取材拠点を持っているが、経営が悪化すると各地の通信部に記者を常駐させることが難しくなる。地方紙にとっては、全国紙ではカバーし切れないエリアに記者を配置することが強みであるだけに、これを維持できないとなると紙面の質だけでなく競争力の劣化をまねく。
一方、配達網の“寸断”も目立ってきた。新聞販売店は配達部数の減少に加えて過疎エリアが広がり、経営効率が悪化し続けている。いまでは路線バスに過疎地までの輸送をゆだねる事例も出てきた。過疎地では「朝刊は朝届くもの」という“常識”が過去のこととなったところが増えているが、新聞社の経営体力が弱くなれば、新聞が宅配できなくなるエリアが拡大する。
地方のテレビ会社(ローカルテレビ局)も地方紙と同様に県内人口の減少に苦しんでいる。テレビ業界というと華やかなイメージを持ちがちだが、ローカルテレビ局の現状は決して楽ではない。
インターネットが社会インフラとして定着し、ユーチューブなどで誰もが“Myテレビ局”を開設できるようになり“テレビ離れ”は進んだ。映画などのサブスクリプションサービスも定着して、いまや映像情報は日常に溢れに溢れている。早送りしながら見るという「倍速視聴」という言葉が話題となっているが、映像を選べる時代となってお仕着せのプログラムで放送するテレビを見ない人が増えている。
テレビの場合、さまざまな年代を対象にせざるを得ないこともあって、新聞と同じく若者を中心とした“テレビ離れ”が著しくなっている。見たくなる番組が限られているためだ。
総務省の資料によれば2020年時点において平日1日15分以上テレビを見る割合(平均)は、10代男性が54%、20代男性は49%に過ぎない。若者の“テレビ離れ”はテレビ広告市場の縮小につながる。2020年の広告費はインターネットが2兆2000億円に対し、地上波テレビは1兆5000億円でかなり水をあけられているのだ。
それは会社全体の収支の悪化となって現れる。総務省の資料によれば、全国114局のローカルテレビ局の売上高は、2014年度の約7055億円から、2020年度には約5933億円に落ち込んだ。単純に平均すれば、1局あたり約10億円の減収である。営業利益は2014年度の約575億円から2020年度には約165億円に落ち込み、1社あたり約5億円から1億円ほどになった。
ローカルテレビ局は、地元の有力企業やキー局、新聞社の資本が多く投入され、それらとの深い結びつきによって成り立っているため、現時点で相次いで倒産するといった事態に追い込まれているわけではない。
しかも、キー局が作った番組をローカル局が放送すると、その番組のスポンサーがキー局に支払ったCM費の一部を得られる仕組みとなっている。キー局にとってローカルテレビ局は全国ネットークの生命線であるためだ。全国ネットワークを構築することで、自動車や生活必需品、化粧品といったナショナルクライアントからの広告額を高く維持できている面があり、こうしたビジネスモデルとなっているのである。
だが、先述したようにインターネットや動画配信の普及などによって娯楽が多様化しており、キー局も収入減少や視聴率の低下に悪戦苦闘している。今後はキー局の広告収入のさらなる落ち込みが予想される。
このため、ローカル局も自前の広告収入などを増やす必要性に迫られているのだが、人口減少によって地域経済の低迷が顕著になり、自前で広告収入を増やすことは容易でない。数年以内に債務超過に陥るローカル局が出かねないとの見方もある。
ローカルテレビ局として頭が痛いのは、収入が低落する見込みの一方でコスト増が待ち構えていることだ。十数年すれば放送設備の更新が必要となってくるが、それが経営の重荷になってきているのである。
こうした状況に対して、総務省は「マスメディア集中排除原則」(一事業者による複数の放送局の経営を禁じている原則)など、民放を規制してきた根幹のルールを大胆に転換することで対応する方針だ。
原則各県ごとに分かれているローカルテレビ局を集約すれば、それぞれに必要だった設備費用は軽減される。こうしたコスト削減で、ローカルテレビ局の経営立て直しを促す狙いである。
しかしながら、ローカルテレビ局を集約することで事態がすべて打開できるわけではない。収入が増えるところばかりとは限らないからだ。
ローカルCMの場合、当該県のみで事業展開している地元企業が広告を出していることが多く、放送エリアの拡大によってこうしたスポンサー企業が求める商圏とのミスマッチが起こるとローカルCMそのものの出稿量減少となりかねないためだ。だからといって、苦し紛れにローカルCM料金のダンピングに走ればローカルテレビ局同士での価格競争が始まり、経営は一気に揺らぎ始める。
ナショナルクライアントからの広告出稿にしても、仮にローカルテレビ局が統合によって放送エリアを3県に拡大したとしても、それまでの3県分を足し合わせた広告額を支払い続ける保証はない。むしろ、減らす方向へと行くだろう。
人口減少によるテレビ視聴者数の減少という根本的な減収要因が横たわる以上、ローカルテレビ局の抱える危機的状況は解消し得ないのである。
そもそも、地元資本が複雑に入り組んでいるローカルテレビ局の場合、経営統合すら一筋縄ではいきそうにない。とはいえ、物理的な境界を消滅させたインターネットの登場の前に、都道府県域にとらわれるローカルテレビ局の限界は明らかである。家庭用ビデオの普及と動画配信サービスの急伸で視聴者のテレビライフは激変した。
地方紙やローカルテレビ局は地域に密着したニュースを掘り起こし、地方行政の監視機能を果たしてきただけに、もし、その存在がなくなったり、弱体化したりすることになったなら、地域社会に及ぶ弊害は限りなく大きくなる。
河合 雅司(作家・ジャーナリスト)
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( 156124 ) 2024/04/04 13:34:52 0 00 ・昔から新聞は世の中の出来事を一般国民に伝える、これを行っていると言われていたし、私自身もそう思ってた。 しかしインターネットが普及した現在、新聞は国民を洗脳する事の一翼を担い、購買部数をアップさせる為には、国民の生命財産など二の次に扱う媒体と分かってきた、今後新聞の売り上げが伸びる事は絶対に無い。 インターネットを使えない世代がこの世を去る数年後には、紙媒体の新聞はほぼ無くなる。
・仕事上、日経新聞を読むのが日課ですが電子版があるので紙は確かに必要ないです。 電車も新聞広げている人、折ってつり革持ちながら読んでいる人いなくなりましたね。 辞書もいらなくなった時代。色々な物が増え 色々なものが減る。当たり前だと思います。
・今の日本の場合、日本民族だけでは、日本の社会が成り立っていけないところまで来ているのを無視して、諸問題を直視することはできない。活力回復のためには、何処の地域も、大量の移民を入れざるを得ず、それによって、日本語のわからない住民が増えてくるのは避けられない。 日本のメディアも、外国語メディアを充実させて、日本に関心を持つ外国人のユーザーを増やしてかなければ、これからは食べていけない。新聞もまさにそういう状況にあり、紙•電子の別を問わず、外国語による日本情報の発信に力を入れてかなければ、生き延びてはいけない。対応する外国語も、これまでのような英語だけではダメで、中国語とかベトナム語にも対応していけるようにしないといけない。
・子供の頃は地元紙を毎日読んてたけど、大人になって地元紙の内容があまりに偏りまくってることに気づいてから読まなくなった。 新聞の配達網や文化は貴重で大切だし維持したほうが良いのはわかるけど、朝読む余裕も無ければ読みたい新聞もなく、老いた今となっては小さい活字を読むことも難しくなってしまった。
・新聞の集金を13年してました。ちょうど新聞の件数が減り始めた時期でした。私自身も朝はパートに出て子供も学生で読む時間がないという状況の生活の中での必要性を人に薦めるには厳しいと思いました。でも新聞は政治、小説、人生相談、生活、事件とたくさんの記事が一つになり色々な世界を読むことができます。政治は難しくても各々の社説や偉い方々の意見?を読めば、多少でも理解できたような気もします。とりたいのですが、残念ながらそれとひきかえにするには今の状況では厳しいです。
・何かの負担が増えたときに、真っ先に削るのが新聞代だと思う。うちもやめました。 給料が増えない中、「子ども・子育て支援金」で、1世帯あたり、1000円~2000円くらい増える。
5000円収入が増えても、税金と支援金ですべて持って行かれる。 しかも、いろんな物価が上がるから、家計にとってはマイナス。
まだまだ、購読をやめる人が減ると思う。
生き残るには、香港のように、広告に頼った、フリーペーパーにするのも手段だと思う。
・日本だけでなく海外も新聞の廃刊が相次いだ(2010年代に)。
ので、広告主が細ったとかそういう問題ではなく、要は無料のウェブメディアに活字ニュースの需要を持っていかれた、という事情が大きい。
ただ、TVと異なり、新聞は寡占利権が少なく、小さな会社でも始められるので、ジャーナリズムの観点からも、できれば多くが存続することが望ましい。でも、収入が無ければやっていけないよね。
(たとえば、楽天から買い物をしなくても、Amazonへの対抗馬として楽天やヨドバシが存在していることが、結局は消費者全体に恩恵をもたらしている、というのと同じ構図)。
・「お金を払って新聞を読む」という概念が成り立たなくなっているのでしょう。メディアの主な収入源が広告収入となって久しく、よほど興味のある記事や有用な情報以外にわざわざお金を払う価値がなくなったのでしょう。経済紙もそうですが、例えばブルームバーグなどの無料記事はWSJの有料記事を観覧数で凌駕しています。WSJは値下げなどして対応していますが、無料記事にはやはり勝てません。至るところに情報があるれている現状では価値のある情報を提供することもまた難しいのでしょう。
・新聞はデジタル版でタブレットで読んでる。値段も安いし。しかし配達が減るということは、今は新聞奨学生もなくなったのだろうか?自分は新聞奨学生で、地方から東京の学校に通ったが、奨学金に頼らずとも進学できたので新聞配達には感謝してる。
・もともとの値段が高かったよね。 いろいろとサービスはあったけど。 折込チラシもグンと減ったし。 資源ごみに出すのも面倒。 メリットが思いつかない。 牛乳の配達も見なくなったね。 雑誌関係も厳しい。 テレビも銀行も証券も、昔は威張り散らかしていた業界もネット時代で次々と下火になっていってる。 電気、ガスも少しずつ変わってきてるし、鉄道関係も働く人口減、少子化で乗客が減っている。 旅行会社も宿ぐらいは個々にネットで予約する時代だし。 子供が就職する年齢になってますが、先が見えないですね。
・何が問題かわかってない人が多いね。 別に現状のメディアが衰退することを問題にしていない。 一番問題なのは信頼できるメディアの情報収集能力が低下していくことだ。 今回の能登地震のような地方での災害時などにスタッフを派遣できなくなり、信頼できる情報源がなくなる。あやふやな個人の情報が乱立することで災害時の混乱に拍車をかけることにもなりかねない。
・まだライバルがテレビしかなかった頃は、読みたいときにじっくり読める新聞の優位さは揺るがなかったが、ネットで記事が読める現代では、紙媒体は処分が手間なだけの代物となりつつある。私の実家のようにスーパーの特売の広告が入るからと新聞を購読する人もいるが、それとて習慣として購読している部類の話で、本当はネットで充分な世の中なので、世代交代とともに消滅するだろう。 地方ネタを掘り起こす地方紙の立ち位置も、ネット上には代替となる物がたくさんある。しかもインタラクティブだ。 もう、新たな新聞の活路は思いつかない。
・50代半ばだが、地方紙はずっと購読しています。 たまに内容が偏ってるなとは思いますが、それは読み手側で解釈や理解や裏読みを調整すれば問題ありません。 地元の事件やニュースは地方紙でしか知りえないことも多いし、ネットニュースは同じニュースでも内容が少ないことも多いので、今のところ購読を止める理由はありません。 若い頃は実家でも最大3紙ぐらいは取っていたし、外に出ても一日に多くの新聞を読んでいただけに新聞が家から無くなることは考えられない。 古新聞は仕事場でも使えるし便利です。
・新聞が薄くなったなぁと感じるこの頃。ページ数だいぶ減りました?。 確かにニュースとか新聞で知るよりネットの方で知る事が多いからなくても不便ではないかな。 広告見るのが朝の日課だし古新聞は料理のゴミや野菜を包むのに使うから当分新聞とるのはやめないつもりですが。 高齢になって一人暮らしになったとき、ポストに新聞たまってるから異常に気がついて貰えるというメリットもある。 新聞の本来の使い道と違うけど。
・新聞を読むのは時事ニュースを読むのではなく、それに関連した、コラムを読むのが好きです。昔から、最新ニュースはテレビでしたし、今はインターネットで、第一報を知ることが多いです。ネットにはなくて、新聞にしかない情報を出せばいいんですよ。コラムの充実した日刊紙があり、新鮮な考え方のコラムが充実していれば、欲しくなる人もいると思うけどなぁ。ただ、紙媒体は無くなって、電子媒体になってしまうかもしれないなぁ。そうしたら、インターネットになっちゃうな。
・ローカルテレビ局もいずれ地方、系列ごとに集約される時代が来るでしょうね。 「平成新局」「テレビ単営」が多いフジテレビ系列、テレビ朝日系列はやりやすいかもしれないが、 「地元新聞社と資本、協力関係にある」 「県域第1局」「テレビ・ラジオ兼営」が多いTBS系列、日本テレビ系列はかなりむずかしいだろう。 あるいは県域同士で合併統合して、「1局2波~3波」になるかもしれない。
・都内に住んでいるが、昔は多くの新聞販売店があって、勧誘を競っていたものだった。現在勧誘はほぼ無くなり、販売店は激減した。しかし新聞会社はかなりの保有財産を持つ会社が多いので、財産収入等で生残るだろう。
・60歳代ですが、近頃はほんとうに紙の新聞を読まなくなりました。まあ宅配は(もちろん)とっているんですけどね。
「もちろん新聞くらいとってるよ」というのは、私達の世代の感覚だと思いますが、それもだんだん怪しくなってきました。昔は、いい年した人間が「家で新聞を契約していない」なんて言うと、ちょっと変な目で見られたものですが、いつ頃までの感覚だったでしょうかねえ。 カミさんが「まだ読みたい」というので続けていますが、値上がりが続いたので、ついに夕刊はヤメました。
「新聞くらいとらないとカッコ悪い(知性の低い家庭のように思われる)」という昔の感覚がまだ少し残っているのですが、さすがに最近は、プライドのための出費としては高すぎるようになった。で、そろそろやめるかもしれません。
ウチのように「新聞をやめるタイミングをはかっている」家庭も、全国に多いのでしょう。寂しいことですが、仕方がありません。
・日経のMJという新聞は面白い。職場に置いてあってみんなでまわし読みや一緒に読んでいる。結局のところ義務のように新聞を読ませるから部数が減るのでは?皆でネタにしながら読むなら部数は逆に増えると思う。 大事な記事は誰かが切り取ってホワイトボードに貼ってある。 コロナになってから休憩中はほとんどの人がスマホになってしまったが新聞一つ置いてあって和気あいあいになるのだから、スマホは控えてもらったほうが会社のためにはいいと思う。
・ネットからの情報が早いし無料でニュース見れるし新聞だと夕刊ですら当日の情報が間に合わない。 時給良かったから学生の頃アルバイトで配達してたけど朝早いし雨風関係ないし団地等エレベーターないところもあるし雪で路面悪化してる中チェーン付けて配達する夏は暑い冬は寒いで正直キツい…当時は当たり前だったけど、今は配達員やりたいなんてまずいないでしょ!代わりに外国人の新聞配達員は見かける様になった。
・新聞というメディア自体がなくなるとしたら問題ですが、今の時代にあえて新聞紙である必要性はないでしょう。ネット配信で十分です。 紙にせよ印刷機にせよ、資源の無駄と思われても仕方ない時代です。 あえて配達員を雇う必要も無く、それこそ人口減に対応していくためにはネット配信一択でしょう。
・大きなマスメディアは偏向報道だし嘘もつくけど、それでも「最低限これくらいは信頼できる、このくらいの嘘しかつかない」という信頼がある これが本当にフリーの記者しかいないようになったら大変なことになりますよね 社会インフラとして大きなメディアは必要だと思いますが、ネット社会でどのようにメディアのあり方を形作るのか、あるいは本当にすべて自由にしてしまうのか 非常に難しい問題ですよね
・WEBニュースだと自分に興味のある分野のニュースや自分の考え方に近い論調の記事ばかり表示されるので視野が狭くなる恐れがあります。
このフィルターバブルから身を守る一番簡単な方法は、紙の新聞を読むことでしょう。紙の新聞の存在価値は永遠になくならないと思います。
・新聞が最新の情報じゃなくなったわけだし、ネットでわかるからね。
地元紙だってネットに移行すれば良いだけのはなし。
配達員の仕事がなくなる?なら郵便局の配達員にいけばいい。それがだめなら出前スタッフ。
配達員は世の中からなくならない。
ドローンでは行けない場所もいけるからね。
・海外ではどうなんだろう。 確かに紙媒体が今の時代ではアナログなのは確かだけれど、それでも他の国でもし発行部数に大きな変化がないなら、それは日本の貧困か活字離れ(紙でも電子でも新聞も本も読まない)か、その両方かが要因なのだろうなと思う。 だとしたら非常に残念なことだね。 今でも大きなニュースがあると街中で号外が配られて人が群がるけれど、メディアの本来の役割・意義はそこに集約されてる。 新聞がなくなるというのは決して小さな事ではない。
・Yahooなどネットニュースでことが足りるし情報も早い。さらにコメントでより内容を説明してくれる人がいるのもありがたい。なので新聞を必要としていない。 子供も中学を卒業したし、書道の授業で新聞を使うことも無くなったし、あとはリビングで焼肉をやる時に油はね用の新聞を敷くくらいかな、新聞が欲しいと思うのは。
・自分はすでに還暦を過ぎたので、「おじいさん」の部類に入ると思う。
でも、そんな自分でもすでに新聞を購読しないようになって10年以上になる。Webのニュースを読むだけで十分だから。Webの情報には当然偏りもあり、玉石混交なのは承知のうえで、気になった情報はなるべく元データを確認している。重要なニュースは多角的に調べれば正確性は担保できる。
テレビも視聴する時間が減ってきた。 ニュースは、Webのニュースと比較するためもありよく視聴するが、娯楽系のものは面白そうなドラマを録画しておいてまとめて視聴するくらい。録画なので無駄なCMは飛ばして見れるので便利だと思っている。
自分のような「おじいさん」の世代でも、新聞やTVを昔のようには見たり読んだりしていないのだから、新聞などは紙媒体としては無くなるのも時間の問題。でも、コンテンツは必要だから、時代とともに媒体が変化するのは当然だと思う。
・新聞は週末だけ買ってきて読んでいます。最近は勧誘も来ないです。土日祝だけ配達してくれないかな。 一面で見られるのは新聞のメリットかな。 うちはペットを飼っているので、新聞は必要で、週末買うくらいがちょうど良い。 小学生の頃、図工のマットを新聞で作って持ってくるように言われていました。若い家庭ほど新聞は読まないから、あのマットを持ってこれない小学生もいるのかな。
・紙媒体の新聞は縮小して行くのは世の趨勢だろうが、ネットとか言っても結局はどっかの切り取りなんだから取材し伝達する役割の職業が経済的に成り立たなくなり世の中から消えるのは危険すぎる。 既に隠された意図に気づけない層とそれを当てこんだ誘導や印象操作露骨になってるし。
もういい加減、みんなが知ってる偏向をないふり装うんじゃなしに、もっとマスメディアは正体露わに偏向して行って欲しい。偏向した主張を包み隠さず主張出来るメディアこそ健全、という常識がもっと社会に共有されると良いと思う。
・新聞の発行部数減少には、駅売りのスポーツ新聞の減少も大きく割合を占めているように思いますが、スポーツ新聞は約2000万部の中に入ってないとしたら、本当に凄い勢いの減少だと思います。
・インターネット上にある有象無象の情報は、その真偽がよく分からん中で、そうした情報を吟味して正しい情報を届けてくれるのが新聞だと思っていたのだが、今の新聞がそのような役割を果たしているとは到底思えない。それに、未だに毎日2回もの紙媒体を発行しているようだが、それだけの情報量をこなせる現代人がどれだけいるのだろうか。週1回、日曜か月曜かに、1週間分のニュースその他まとめて精度高く出してくれるのであれば、月2000円までなら出す価値あると思ってるんだが、週一で出るものと言えばいまだにゴシップ週刊誌のみ。そういうところからアイデア出して変えていかないと、じり貧になると思うのだが。
・新聞の定期購読を止めて10年くらい経つ。週末は時間があるのでコンビニで朝刊を購入することもある。昨日のYahooニュースで既に読んだ記事が多い。 今時分この記事?これは皆が購読離れるわけだと思う。 新聞輸送専門の運輸会社が日中、ドラッグストアに雑貨を配送に来ている。 本業だけでやっていけないので副職をやらざる得ないのだろう。
・電子版で見れるから問題は有りませんが、印刷する人や配達する人、それぞれの役割が無くなると困る人も居るのだろうけど、これも時代の流れとして仕方がないと思います。
・SNSやYouTubeが一般的になるまで、一部のテレビ局と新聞が偏向報道になっている事にあまり気が付かなかった。 共産の資金源の学術会議の件にしても、朝〇新聞、毎〇新聞が猛烈に政府を批判していたが、色々な媒体や意見を聞いて実態がおかしい事に気が付いた。
50代、60代の人は、大学受験の時に高校の教師から朝日の天声人語から試験がでるので読んでいた方が良い!と言われた方が多いと思うが、あれは何だったんだろう?朝日信者の勧誘なのかと振り返ってみると思ってしまう。そんな事も「みんな気が付いた」ので特に深刻事態とは思わない。
・新聞の宣伝とかもう意味ないと、見切りをつけてる会社がおおいよね。 広告収入も見込めなくなって、縮小してるし。 地方でもチラシまかなくなってるスーパーもふえてる。 もうネットで充分で、チラシ巻くより費用対効果が高いからね。 田舎の地方紙の存在意義は、三面記事で小さい犯罪とかお悔やみくらい。 紙媒体の新聞だけがなんでも独占していた時代は終わってる。
・勧誘のおじさんが半額でいいから取って欲しいと言われてからずっと取ってる。 正直要らないと思ったけど、何となく毎日読むようになってからは読まないと落ち着かなくなってしまった。 ネットニュースも便利で良いのだが、いわゆる「フィルターバブル」のように偏ったニュースしか目にしなくなってしまう危険性がある。 新聞も興味のある記事しか読まないから一緒かもしれないけど、ネットニュースは情報量が桁違いなので、やはり新聞が丁度良いと思う。
・> ローカルCMの場合、当該県のみで事業展開している地元企業が広告を出していることが多く、 > 放送エリアの拡大によってこうしたスポンサー企業が求める商圏とのミスマッチが起こる
従来の考え方の延長で、考えるからでしょう。 例えば、どこの系列でも構わないが、東北6県のテレビ局が、合併して、放送免許が1波だけになりますかね? 2つか、3つ持てば、1つを県別チャンネルにして、月曜日は福島、火曜は青森とか、あるいは、時間帯で、各県向けに区分すれば、ある県だけに広告を出したい企業に対応できますよ。
で、全国ネット番組は別のチャンネルで流せば良いだけ。
要は、1社複数波、複数チャンネルを総務省に認めてもらえば良いだけの話。それができるか、できないか、だけの話、
・地方新聞、特に広域市町村単位のようなローカル新聞を取っていた人はお悔やみ欄とか地域の知人やお客さんなどの個人情報を見るための人が多い。でもそういったものが掲載されなくなってきているから当然に購買契約は少なくなっていきますな。
・長年全国誌と地方との2部を定期購読していたが、 読む人がいなくなって全国紙をやめた。 地方紙は舅が読むので仕方なくとっていたが、 その舅も自宅で102歳の大往生を遂げたので、 辞めようと思っていたら、今度は夫が読み始めた。 諸物価値上がりの折から、少しでも経費節減したいので辞めたいのに…
もう新聞は70代以上からしか需要がないのではないか。
・金が無いので、背に腹は変えられず、私も定年で新聞の定期購読はやめてしまった。生活上は全く困っていない。ところが、今得られる情報がどれだけ正しい事を伝えているか分からない物ばかりになってしまった。雑誌の記事は怪しい、ネットの個人の情報なんて論外だ。正しい情報が0ではないが、見極めるのが難しくなっている。NHKも変な一派がいて、体制が弱体化して、どれだけ検証されているか分からない。日本人は情報にお金をかけず、情報を流す媒体にしか金をかけなくなった。と愚痴をいってもしょうがないので、多面的に情報をとって、できるだけ誤った判断をしないように心がけるしかなくなった。
・昔から住んでおり地域の新聞で契約してます。新聞代とても高くなりましたが地域の訃報記事があるのでやめられないです。訃報記事がネットで配信されれば新聞契約やめるのは可能です。折り込み広告はスーパーの店頭に置いてあるので心配無し。
・新聞はもう新しく聞くというメディアの中での速報性の優位性を喪失して新聞ではなくっているなかでの在り方が確立できなかったと思います TVやインターネットは耳目を集める情報に集中するなかで、それ以外の重要な情報を周知するとか内容を深堀するというポジションもあったと思いますが、見識の高い記者や論説者が不足しているのかと思いました
・新聞が本当に必要なメディアだったら無くなりませんよ。報道の自由とか言って居るけれど、自由を得るためには責任を果たさなければなりません。 新聞各社だけで無くTV局も自分達の都合の良い情報しか流さず。都合の悪い事は報道しない自由を謳歌して居ませんか?本来は自分達の主義主張に関係無く読者、視聴者の利益になる事なら流さなければなりません。 そんなSNS以上に偏った情報しか流さないメディアに先がある訳無いじゃないですか
・新聞が単に時代に合わなくなって淘汰されただけでは? 電子版も紙面をそのまま電子化するんじゃなくて電子である利点生かしてほしいところ ただ、情報媒体ではなく新聞紙がたまにほしい時がある…揚げ物の処理とか梱包材代わりとか用途が結構あるんだよな…
・マスメディア業界は長らく自分達が時代や社会をリードしていくエリート集団だと思い込んでいた。 でも時代は変わり、メディアのあり方が大きく変化したにも関わらず、一度王座に着いたものは中々自身の置かれている立場を正しく冷静に判断する事は難しい。だから小手先の変化しかしてこなかった。 また、情報が新聞や大手新聞社が開設したテレビだけの時は自由に情報操作出来たが、ネットが主流となった時に、如何に既存のマスメディアが偏向報道をしていた(している)か、報道の自由と報道をしない自由を都合よく使い分けているかが露呈した。
今までの悪行が明るみになってきた今では信頼を失い、ソッポを向かれるのは必然の出来事。
組織が大きくなり伝統を持つと保身に走り硬直化する。 マスメディアにもM&Aが必要な時代であり、組織の解体的刷新をして、マスメディアの在り方を時代に合わせた視点で作り直すしか生き残る路は無いのでしょう。
・新聞は書きたいことを書き、書きたくないことは書かない事が分かってからつまらなくなってリタイヤ後は取らなくなった。インターネットが普及して新聞に編集長の思想が入り真実を伝えない事が明白になり、日本にはジャーナリストを気取った記者は居てもサラリーマン化した表面を擦ったことしか書かない。良い例が亡くなるまでのジャニー喜多川氏の扱いだ。政治家も与党と野党も力の差が有っても権力者で自社の立ち地で忖度している。そんな記事を誰が信用できるだろうか。
・地方紙はネットで見られない地域のニュースや特集が組まれることもあり、私自身凄く重宝していてこれからもお世話になるつもりです。 特に北國新聞は思想の片寄りももなく、痒いところに手が届く 神新聞だと思っています。
・新聞社が横着をしているからそういう事になる。1部のページ数が多すぎる。配達員は大変だろうが、同じ100軒配達するのも地区割りではなく。同一紙面の種類を配達する様にすれば済む事になる。テレビ番組と地方版とスポーツ記事と少しの3面記事で充分事足りる家庭もある。株のページなんぞ要らんからページ数を目的別2種類に減らして半額ぐらいに安くする。全額新聞と半額新聞の2種類。それなら新聞を取ろうかという家庭も出てくるかも知れない。
・別に「紙」で毎日こんなに大量に、 という情報提供は継続する必要はないでしょうが…
ネットによる情報は、配信される量は大量で、時間的にも「すぐに」目に入りますが… 実は、見る人間側にそのキャパはなく、 正直1日あたりで「情報」を得られる量も少ないと思われます。
また、ネットでは見出しで興味がなければ、誰も「不都合な」記事は 開けようとはしませんし…
ここで有効なのが、本当は「適量の紙(とは限りませんが…)」の 否応なくストックとなる「新聞の情報」提供です。
ゆっくり戻ってじっくり見えますし、多くの記事が多面的な視点から 考えらえるように書かれますし、やはり何よりも「新聞社が責任を負った記事」出るということです。
基本的に人が生きていくうえで欠くべからざるものですが…
・ネットに上がってるニュースのほとんどは通信社か新聞社が提供している。だからネットがあればいいという意見は実は成り立たない。記事を書く記者がいなくなればネット記事もなくなるからね。
じゃあネットで記者を雇うかという話になると、その記事のクオリティ、客観性、真実性はどうやって担保するんだという話になる。ネットの中の記事が一つ二つの会社からしか発信されないようになると、今より偏向が進む可能性もある。だからネットだけあればいいと言うのは暴論だし間違い。
・新聞の偏りには敏感だけど、ネット上のどこの誰が書いたのかもわからない主張に関してはなぜか無批判に受け入れてしまうのが今の日本の若者。 本来ネット上の匿名掲示板みたいな怪しい情報は、新聞以上にそういった偏りやデマには敏感にならなくてはならないはずだが、ネット民にとって重要なのは真実かどうかではなく、自分の願望とマッチしているかどうか、自分が書いて欲しい事を代弁してくれているかどうか。 ネットというのはそういった都合のいい情報だけを選んで読むことが出来、さらに偏った思想にどんどんのめりこんでいく
・その代わり、ウェブサイト読んだり、ネットフリックスやYouTubeなど、地方でも首都圏と同じような番組や情報が得られるわけだから、悪いことばかりではない。地方そのものが元気がなく惰性で生きながらえている地域が多いし、そんな地方紙の情報で必要なものは少ない。自分の市以外の社会面の情報なんてほぼ無駄。行政の見張り番やご意見番でもっと頑張るべきだが、こちらも体制派や中央追順派が多く、新聞の意味をなしていない。
・テレビ離れは、新聞と関係性があるのか。 スポンサーが、ビール会社の比率が夕方以降増えるのも要因。 新聞購読が減っているよりも、現代ビジネスが売れなくなったのを言いたいだけか。 それに、朝刊の配達が早すぎて、首都圏は逆に新鮮度がない。
・新聞は内容の質が左寄りなため右派どころか中間からも疑問視されている。 だいたい新聞とは誰かしらが発信した情報に付加する2次情報が殆どです。インターネットというものが発達したのだから1次情報を受け取ることが容易となった以上、その情報を活かせる人であれば2次情報など頼らなくても良いんですよ。
広告目当ての方もいるが、こちらもインターネットに移行すれば印刷代も激減するし、訂正あっても容易にできます。
ま、インターネットについて行けない人には新聞は生き残れる。しかし押し紙増加や発行部数減少をみるに「新聞購読者は予想以上に減少している」と認識できる。
・通常の本みたいに、買って置いておくものなら紙媒体でも意味はありますが 新聞は買ったその日しか読まず翌日以降になったら廃棄するしかない使い捨て媒体 今時新聞の切り抜きを保存している人なんて殆どいないでしょうしデジタル媒体での代替えも可能 大量の紙を毎日破棄する前提のサービスが廃れてくのは当然の流れでしょうね
・新聞なんて朝日をはじめ極端に自分たちの思想にあてこんで切り取って継ぎ接ぎにした情報流すからなぁ。TVも。週刊誌とそのあたりは変わらないよね。 ヤフコメとかXで右派左派の有識者のコメント入りで読んだ方が分かりやすい事の方が多い。まぁヤフコメもXも嘘情報も多いけどね。その後に自分で調べてこのあたりかなって納得するのが自分的にはベスト。
・ガラケー迄は変化に付いて行けたが、スマホになってからは、この先、何がどう変わるのか分からない。新聞紙が無くなるなんて驚きで無く自然の成り行きに過ぎないと、それぐらいに構えないと心拍数が乱れる。
・マスメディアの在り方も考え直す時期なのでは?新聞や雑誌は紙媒体がすでに古い。 TVも似たり寄ったりの番組ばかり。チャンネル回しても同じような顔ぶれのお笑い芸人ばかり。 ローカル局を集約させても何のカンフル剤にもならない。 それは地方鉄道を集約して国鉄にすると言ってるようなもの。 時代の逆行も甚だしい。 ネットやSNSの時代に合った情報発信、ニュースにして行かないと時代に取り残されるだけだと思う。
・高齢になりd視力も落ちて、新聞を読むのも難儀になって来たので、購読を止めようと思ったが、単身世帯なので郵便受けに溜まった新聞で、異変を察知されることもあると訊いて、生存確認位の考えで取り続けている。
・新聞がなくなるなんて ネットが普及しはじめた当初のかなり昔からいわれているが まだまだ新聞がなくなる気配はない ネットを利用しない高齢者が亡くなったら新聞がなくなるのかな でも、ネットニュースの記事の多くは新聞だし 今後どうなるのだろうか?
・私は新聞大好きです。同じ内容でもタブレットで読むのと紙で読むのとは何かが違うんですよね。本も同様。紙をペラペラするのと、インクの香りが心を落ち着かせてくれます。
・木を切って、重油を使って輸送、電気を使って生成し、エネルギーを消費して印刷、ガソリンを使って配達、、、持続可能ですかね? もう時代の要請についていけてないんだから業態を転換したり、デジタルにおいての方向性を模索しておかないと維持すらできない時代ですよ? 紙の新聞はもう不要な過去の異物です。
・もう20年以上新聞は取ってないですね。 速報ならネットニュース、スポーツや政治や災害報道などはNHK、経済は日経のメール配信(無料会員)。 それで概ね困らないし、気が向いたら駅で夕刊や週刊誌を買う。
正直、昨年来の報道不祥事(ジャニーズやビッグモーター)を受けても改善の兆しもない既存メディアはもっと追い詰められるべきだと思ってます。
・むしろ日本は紙の新聞残ってる方なんでしょ? あの悪名高い朝日新聞が世界一の発行数だったような。 地方紙は慶弔をチェックする世代が健在な間はいいけどまぁあと数十年かね。
その間に全国向けTV局みたいに実は不動産業に転換できるかが分かれ道なのかね。 どっかの資本の傘下に入るかね。 外資はやめてね。法律で規制してもいいのでは。
WEB版とはあえて言わない。 それ程のクオリティペーパーは存在しないと思うから。
・>地方紙やローカルテレビ局は地域に密着したニュースを掘り起こし、地方行政の監視機能を果たしてきただけに、もし、その存在がなくなったり、弱体化したりすることになったなら、地域社会に及ぶ弊害は限りなく大きくなる
現在の地方行政が税収で運営可能な適切な行政コストを遥かに上回り膨大な赤字を垂れ流している根本原因は過度な左傾化が原因であり、その元凶が地方メディア。その存在が無くなったり弱体化することは日本の将来にプラスにしかならない。
・リオのオリンピックの時だったかな、深夜にメダルの情報が入って来ても印刷の関係で「新聞」に掲載されるのは翌々朝になってた。 もう紙媒体は「新聞」としては役割を果たせなくなったのを痛感した。
・紙媒体の活字は嫌いではないです。 目の疲れも液晶に比べたら疲れにくい。 ただ個人的にヤクザのような新聞の勧誘にやられて以来、新聞は生涯とらないと決めているのでとりません。 ネットニュースで十分ですし...まあそのネットニュースは記者ではなく、そこいらのワープロ打ちが書いた記事ですから、誤字は多いし取材してる訳でもないから薄っぺらいのが多いですがね。 無くなってほしくはないが、時代の流れで消えていくのは必然でしょう。
・私も、親元を離れた30年くらい前から、新聞は購読していない。 結婚後も同様。
そもそも、新聞って、要らないでしょ。 テレビのニュースや、ネットのニュースで十分。 ヤフーニュースなら、人々のコメントも読める。
電車の中で、いまどき新聞を読んでいる人は、迷惑だと思う(昔から思っていたけど)。
ただ、新聞紙は、ほしいんだよね。 うちではさほど大量に必要としないので、ほかの紙を使って、何とかなっている。
また、新聞を購読していないと、スーパーなどのチラシも来ない。 特売などは、知っておいた方が得かも。
因みに、「新聞」はなくなってほしいけど、「新聞社」まで無くなる訳ではないね。 無くなってほしい新聞社も、無いでもないけど。
・少々脱線しますが、 学校で、空き箱やラップの芯等の工作材料を持ってくる様にと 必要に迫られる事があるので、この類はとってあるのですが 「新聞2日分」と言われるとコンビニに買いにいきます。 実家も祖父母宅も昔は新聞とってたけど 今はもう新聞とっていないので… コンビニへ新聞を買いに行ったら、ご近所数名の保護者が 同じく新聞を買いに来ていた事があります。 書初めの時期…
・「意味不明」な記事というか、高齢者向けに「新聞無くなると困る」と言っているのだろうか・・?他のコメにもあるが「紙媒体」など消えても困らないしTV局も不要だ。そんなものに払う金があれば「もっと有益なサービス」に消費するし、すべきだろう。明治の文明開化で「籠や人力車」が消えたように新聞もTVも消えていく運命な「だけ」。そんな古いモノは捨てて我々はより新しいサービスを「享受」しよう。
・テレビのあまりのくだらなさ つまらなさに 7~8年以上前から 基本見ることをやめたけど、何の支障もない
新聞も夕刊は20年以上前にやめた 朝刊は惰性で続けている状態 スーパーなどのチラシのメリットはあるけど、記事の内容は 別にネットでも十分 それに最近新聞の広告の紙面の占める割合の 多いことに閉口する もうちょっと中身の濃い内容にしてもらいたい 車やバイクの個別紹介とか ミリタリー関連の解説とか 地域の観光施設の紹介があれば興味がわく
毎月ゴミに出す手間もなにげに面倒 もうちょっと簡単に縛れる 紐や幅広のワンタッチテープを開発してもらいたい
・ローカル情報こそネットで低コストで発信できるでしょ。地方の魅力的なユーチューバーさんもどんどん生まれてるよ。青ヶ島ちゃんねるさんとかね。地方紙もローカルテレビ局も歴史的役割を終えました。
・20年以上前に日経が電子版を始めた時に、紙新聞+1000円で電子版が読めるサービスだった。 経済新聞が、全く経済も未来も見えていないだと失望して解約しました。 この未来は分かってきていたはずなのに、だらだらと先延ばししていただけ。
・梱包材、緩衝材の代わりくらいにしかならないけど、最近はお店で売ってるし新聞の記事は偏ってるし、まったく必要なくなりました。 テレビも同様かな、一日中テレビを付けない日も増えてきました。
・新聞自体はゴミも増えるし内容も偏りがあるから不要だよなぁって思っていたけど
唯一の利点は読み物としては使えるなぁって思うね 学生の頃とかは内容云々より読み物として図書館で読み比べや社説を比較をして 楽しんでいた記憶があるし 国語力を上げるという意味ではありかなぁって思うね。
ただ、それ以外ならネットの記事でも十分かなって思うわ
・新聞は年金生活に突入した翌月に購読を止めた。月に4000円近くはキツイので。 情報はテレビやネットで確認出来るし、新聞紙が溜まると処理が面倒だからである。スーパーのチラシなどは買い物に行った時に店先に置いてあるから不自由も無い。
ローカルケーブルテレビの契約も止めた。中身が薄く、地元の取材番組ばかりで面白く無い。地元のニュースは・・それぞれの地方のNHK放送局でやるから十分。
人口減少というより、情報が溢れているから・・紙の新聞は必要無いのです。 深刻なのは新聞社と販売店だけ。 消費者には影響は無い。
・表題だけみて中見読んでませんが、昭和時代に新聞購読する年代の20代半ばが、結婚もせず人数自体が半減もしているだけで減少するのは当たり前だろ。あと、70代、80代以上は亡くなって減少するし。20代から30代半減で100万️15学年だけで、1500万、70代以上減少で500万 たして、2000万。 適当に計算してもこれだけいく。
・団塊の世代Jr.まででしょうね 新聞購読してる人達は 今の若い人達はまず新聞読まない 情報はネットで収集で大丈夫だからって 本や新聞など紙母体離れは進んでるでしょうし場所もとりますし CDなど音楽もサブスクやらダウンロードで大丈夫の時代ですし それ以上にテレビ離れが深刻だと思います 今のテレビっ子は高齢者中心です ネット環境に疎い世代は新聞とテレビ でもネットに馴れ親しんでる世代は確実に増えてます テレビ番組も気に入ったのがあれば配信で充分 そんな時代ですね
・その社の意見や、それに沿った記事が読みたい人が少ないのでは?今は、誰でもすぐに自分の意見を言えてしまうし、ジャーナリズムって言いながら、実態は何かの立場で意見を並べるだけなら必要とされないだけだと思う。
・ニューヨークタイムズは大きく部数を伸ばしています。日本の新聞は公平である建前で偏向報道をするので、読んでいて「騙そうとしている」と感じます。正義づらの報道は止めて、淡々と事実のみを報道してはどうでしょうか。
・ニューヨークタイムズは大きく部数を伸ばしています。日本の新聞は公平である建前で偏向報道をするので、読んでいて「騙そうとしている」と感じます。正義づらの報道は止めて、淡々と事実のみを報道してはどうでしょうか。
・中国からの資金援助がなくては新聞発行が続けられない、と告白した毎日新聞社の発表に接したときに受けた衝撃は計り知れないものがある。広告媒体としての新聞は昔と比べ物にならない小さな規模となり、発行部数も減り、新聞記事の中身も薄くなってきた。情報が新聞以外からいつでも取れる時代になり、この媒体が社会から退場するのは、時間の問題だ。
・不必要と感じる人が多くなる中 新聞が無くなるのは必然だと思います。 情報に偏りが多く公平ではないため わざわざ情報統制されにお金を支払う人も 少ないのではないでしょうか。
・そもそも家でゆっくり読める時間がある人が減ったんじゃないかな、その時間にたぶん生協の注文書を開いてる。ネットの方が情報が早いし。お金払っているのに広告料も入ったり読みたいものだけじゃないし、
・少年時代新聞配達をしていた経験からの提案。 新聞配達は、「配達だけを専業にする配達業者を作ろう」 マンション団地に何人もの配達員が走って入れていく。読売・朝日・毎日・地方紙が同じ地域をかけずり廻っている。本当に無駄だ。全部の新聞をまとめて配ればいい。相当なコスト削減が出来るはず。新聞単価もかなり下がる。 新聞営業はその新聞社がやれば良い。
・現在の天皇陛下の婚約者報道から、去年のジャニーズ問題まで、日本のことを海外メディア経由で知ることができる時代に、日本の新聞がなくなっても、正直困らない。 実際、トランプ政権下で売り上げを伸ばしたニューヨークタイムズのような例もあるのだから、しっかり仕事をすれば売り上げ増として評価される、それだけのこと。それを忘れた企業は捨てられて当然。 現代ビジネスのようなところも言えることだが。日本のメディアはもはや「ダメになる」だの「感染者が増える)だのと危機を煽るだけ。もはや、デマの発信源。
・レンタルビデオ屋が無くなったのと同じ。 新聞もテレビも同じ。 利便性はネットのほうが遥かにいい。 新聞はネットニュースで充分だし、例えば、映画、音楽etc・・やっている時間しか見れないテレビといつでも見れるネットでは利便性は比べるまでも無い。 新聞は以前からあまり読まなかったが特にテレビは偏向報道が酷くて見なくなった。 公平性を欠いていると感じることが多くて見る価値を感じなくなった。 公平な情報の下で自分なりの意見を持ちたいよね。 変な気遣いもうんざり、ビールの銘柄をモザイクで消したり・・器の小さい企業だなと思う。
私の認識では、以前テレビ局がBSCS放送枠を買占めた。 参入されて自分らの牙城を崩されたくないというところだろうけど、放送するものもクライアントも無い。 で、現在もなにも映らないチャンネルがいくつかある。 そういう稚拙な考えが、多様性を失いテレビ離れを加速させた一因だろう。
・新聞は親が取っているので見るが俺の代になったらやめるわ。 ニュースも広告もネットで見れるし取る意味すら感じない。 でも新聞紙は使い勝手良いんだわ。 読むより後で使う方が利用価値がある。
・こんなの何年も前から言われてること、 ただ、別にお金を一般市民からとるか、 Yahoo! JAPANから取るかだけなわけだから、 別に問題ないっしょ。むしろ一般市民にしてみりゃ、テレビと一緒の事実上無料の構造になってくだけ。 本当にやばけりゃそんな高給をそもそもやめてます。世の中の本当にもっと倒れそうで やばい会社を馬鹿にしないでほしい。
・今の時代に紙の新聞を各家庭に配達すると言う行為自体が不合理過ぎる。自動車が出来て馬車が衰退したのと同じ事。次は電波放送の番だろう。「全国に電波放送を行き渡らせるために受信料徴収」とか言ってる場合じゃないと思うが。
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