( 156823 )  2024/04/06 13:42:09  
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 駅のホームや電車の中などで、わざとぶつかってくる「ぶつかりおじさん」に出くわしたことがある方もいるだろう。大阪在住のネット論客・ポンデベッキオ氏は「大阪にはぶつかりおじさんは存在しない」という衝撃の主張を展開するーー。 

 

「ぶつかりおじさん」をご存じだろうか? 「ぶつかりおじさん」とは駅のホームなどで女性や弱そうな成人男性を狙ってわざと体をぶつけてくる中年男性のことだ。 

 

 XなどのSNSでは定期的にぶつかりおじさんの被害を訴える女性の投稿が話題となり、最近ではYouTuberが駅のホームでぶつかりおじさんを補足して突撃する事態も発生している。ぶつかりおじさんは痴漢おじさんなどと並んで人々を悩ませる迷惑な存在なのだ。 

 

 しかし筆者はぶつかりおじさんの存在について本格的にXを始めるまでは懐疑的であった。ただの偶然じゃないのか? 東京のホームなんて人だらけだし。そう考えていた。なぜなら大阪にはぶつかりおじさんが存在しないからである(私が観測している範囲では)。 

 

 大阪在住の筆者はもちろん、知り合いの男女に聞いてみても、ぶつかりおじさんの被害にあったという人間は大阪に皆無である。大阪と言えばトラキチ阪神タイガース応援団を筆頭に気性が荒い中年男性のメッカのような地域である。本来であれば日頃のストレスを“ぶつかり”によって発散しようとする危険親父が跋扈していてもおかしくないはずだ。にもかかわらず、梅田や難波の人でごった返す駅のホームで女性やチー牛男性を狙って肩をぶつけに行くおじさんはいないのである。 

 

 その理由について考察した結果、謎多きぶつかりおじさんの正体が見えてきた。 

 

 ぶつかりおじさんの正体、それは“ヤンキーには程遠い情緒不安定で気弱なおっさん“である。普通のどこにでもいる気弱なおっさんが、日頃のストレスでメンヘラになり、自分より弱そうな女性や弱者っぽい男性を狙って体当たりを仕掛けてくる。これがぶつかりおじさんの実態なのだ。 

 

 彼らはあくまで”偶然”を装い、逃げ道を作ってぶつかりという暴力をふるっているのである。ぶつかりおじさんたちはもしぶつかった際に注意されたり怒られたりすると、しぶしぶであるが謝罪したり無視したり逃げたりする場合が多く、そこで逆ギレして暴力をふるってくることはほとんどない。 

 

 事実、ぶつかりおじさんの被害者たちに話を聞くと、粗暴な外見のぶつかりおじさんはほとんどおらず、その多くはごく普通のサラリーマンとのことだ。YouTuberなどに突撃されているおじさんを見ても、くたびれて弱そうに見えるおじさんばかりであった。彼らはぶつかることはできても、その先にある本当の殴り合いはできない。 

 

 

 ここまでくれば、なぜ短気な癇癪親父のメッカである大阪でぶつかりおじさんが観測されないのかの答えも見えてくる。ぶつかりおじさんが大阪にいない理由、それは、ぶつかりおじさんの天敵である「ぶつかったら殴るぞおじさん」が跋扈しているからだ。 

 

 「ぶつかったら殴るぞおじさん」とは、わざとぶつかっては来ないし避けはするものの、もし避けずにぶつかってくる相手が現れたら容赦なくキレてくるおじさんである。彼らはぶつかりおじさんの何倍も血の気が荒く、いざとなれば暴力を振るうことも厭わない危険人物だ。 

 

 彼らは殴り合いをする度胸の無いぶつかりおじさんとは違い、正義の名のもとに正々堂々と暴力をふるうチャンスを虎視眈々とうかがっている異常者である。彼らはマグマのように溜め込んだ暴力性を開放したくてウズウズしている。そんなキレおじに、もしぶつかりおじさんがタックルをしてしまったら……その場でブレイキングダウンが開幕し、暴力性で劣るぶつかりおじさんはボコボコにされてしまうだろう。 

 

 ぶつかりおじさんは、そんな大阪のヤバ親父たちほどワルではないのだ。弱肉強食の大阪ではぶつかりおじさんのような陰キャ系迷惑オジサンは存在できないのだ。 

 

 日本の中年男性の中には、ぶつかりおじさん予備軍は実は沢山存在している。日ごろは大人しいが飲みの席になると悪酔いして暴れたり、自分より弱い立場の後輩や部下にだけ指導という名目でネチネチと説教をしたりする。 

 

 彼らの特徴は言い訳をしつつ暴力性を他者にぶつけてストレスを解消しようとしてくるところである。彼らは往々にしてコミュニケーション能力が低く、自分の愚痴を聞いて貰える仲間やコミュニティ、家族を持っていないことが多い。自由に使えるお金も少ないため、お金の力でスナック嬢に弱音や不満を吐き出すこともできない。ぶつかりおじさんは自己中心的な自己中おじさんを兼ねているのだ。 

 

 人は誰しも面倒なことはしたくない生き物だ。現代社会において面倒なことの筆頭となるものが人付き合いである。 

 

 コミュニケーションを避けてぶつかりでストレスを発散しているぶつかり自己中おじさんたちは、歳を重ねるごとにコミュ力が劣化し、社会性がどんどん失われていく。 

 

 それに対して、レールの上を行く人間たちは様々な人間関係に揉まれることで社会性を高めていく。初対面の人と打ち解けて意見の合わない人とも付き合える社交性、自分の意見が否定されてもカチンと来ない忍耐力、やばい人を弾く人を見る目……そしてそれらの能力を活かして人との”つながり”を増やし深めていく。 

 

 歳を重ねるごとにコミュニケーション能力を上昇させ所属コミュニティの輪を広げていく善良な人々に対し、ぶつかりおじさんたちは自己中心的な振る舞いから受け入れられるコミュニティの数を減らしていくのであろう。まさに自業自得だ。 

 

 

 日本の少子高齢化の問題は深刻で、20年後には今の手厚い高齢者を守る社会保障制度は、事実上、崩壊しているだろう。そんな未来の日本では国におんぶ抱っこの孤立した老人たちは適切な介護を受けられるはずもない。 

 

 そんな老人ディストピアの日本では、個人が老人になるまでの人生で築き上げてきた人間関係、コミュニティ、家族が唯一のサポートシステムになる可能性が高い。しかし、社会からの孤立が進む「ぶつかりおじさん」たちにとっては、このような支えも期待できず、将来に希望を見出すことは困難である。元ぶつかりおじさんの偏屈ジジイのケツを拭く介護士はいないのだ。 

 

 生きていくことはとても大変である。だからと言って他人にぶつかってストレスを発散する行為は最低としか言いようがない。ぶつかりおじさんは是非大阪に出稽古にきて痛い目を見てもらい、それを禊ぎとして健全なストレスの発散方法を見つけるきっかけにして貰いたい。 

 

ポンデベッキオ 

 

 

 
 

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